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★5月5日追記:第25回醍醐山一斉登山は荒天が予想されるため、中止となりました★醍醐山を愛する会では、5月6日(火・振替休日)の醍醐山一斉登山に先駆けて、恒例の登山道整備を行いました。倒木の処理や目印のテープの付け替えなどを行い、登山道がさらに綺麗になりました。6日にはぜひご一緒に♪↑締め切りは本日(30日)まだ間に合います!また、最短コースである鳩打登山口の整備も行いました。最短コースではありますが、一部狭い崖路もあります。あなどらず、きちんと登山の装備をしてお出かけください。
2025.04.30
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信仰の道はまた山野草の宝庫でもあります。たくさんの花達が信者や登山者を迎えてくれます。ミノブザクラ:昭和24年(1949)に植物研究家古瀬義氏によって採集され、大井次三郎博士によって命名されました。マメザクラとヤマザクラの間種と考えられています。アカフタチツボスミレ:赤斑立壷菫 スミレ科タチツボスミレの1品種で葉脈に沿って 紅紫色の斑が入るものです。ヒメオドリコソウ:姫踊り子草 シソ科ホトケノザは上向きに、ヒメオドリコソウは横向きに咲きます。カラスノエンドウ:烏野豌豆 マメ科名前のカラスは、果実が熟すとカラスのように真っ黒になることに由来します。葉先が矢筈のようにへこむことから、ヤハズエンドウとも呼ばれます。ハカタシダ:博多羊歯 オシダ科和名の由来は博多で見つかったのではなく、葉に斑入りが多く、博多織に似ていることからです。チャセンシダ:茶筅羊歯 チャセンシダ科日本各地の山地の岩の割れ目、石垣などに生えます。葉身は線形の単羽状複葉、楕円形の羽片が20対ほどつきます。マメヅタ:豆蔦 ウラボシ科岩上や樹皮上に生育し、細い匍匐茎からまばらに葉を付けます。葉は丸い栄養葉と細長くてへら形の立ち上がった胞子葉があります。ヒメスミレ:姫菫 スミレ科石垣のすき間など、日当たりが悪くやや湿り気のある場所を好む多年草です。
2025.04.29
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★5月5日追記:第25回醍醐山一斉登山は荒天が予想されるため、中止となりました★醍醐山を愛する会では、5月6日(火・振替休日)の醍醐山一斉登山に先駆けて、恒例の登山道整備を行いました。醍醐山で出会った景色をお裾分けいたします。6日にはぜひご一緒に♪★
2025.04.28
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身延山の裏参道と呼ばれる登山コースで三門まで下りました。コースは、身延山山頂から感井坊(かんせいぼう)経由で静かな登山道を歩きます。松樹庵や日蓮聖人ゆかりの妙石坊、西谷の御廟床を経て三門がゴールです。タチキランソウ:立金瘡小草 シソ科関東地方・中部地方の、山地の木陰に生育する多年草です。丈は5-20cmで、茎は紫色を帯び毛が密生します。標高690m分岐のシダレザクラ分岐からの眺望:左から久遠寺・寺平・門内、奥 大野山久遠寺遠望松樹庵:日蓮聖人が奥之院登詣の途中で松の木に袈裟をかけたと伝えられる場所です。妙石坊:日蓮聖人が腰かけて説法をしていたと言われる「高座石」があります。この石に座って日蓮聖人が布教をしていたときに七面大明神が龍の姿で現れ、七面山の方に飛んで行ったという伝説が残っています。 春なのに真っ赤な不思議なモミジです。妙石坊参道:奥之院へと続く裏参道の入口で、かつては七面山への表玄関でもありました。
2025.04.27
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枝垂れ桜を春の使者として身延山には次々に花が開きます。表参道から思親閣を経て、裏参道に入りました。東照宮:元和2年(1616)徳川家康が亡くなった時、側室であったお萬の方が身延山に詣で、法会を営みました。位牌はその折のもので、家康供養のために祠がこの地に建てられました。中部横断自動車道と帯金集落・富士川サクラタチツボスミレ:桜立坪菫 スミレ科「ひとりゆく空耳山のすみれ草」飯田龍太千本杉:0.8ヘクタールの広さに渡って樹齢250年以上、目通り幹囲3m内外、樹高55m内外の木が約260本も聳える県内有数の杉林です。ヒナスミレ:雛菫 スミレ科「われいたく菫を愛し人愛す」徳永山冬子「三椏の花や同じ日つづきつつ」中村草田男キブシ:木五倍子 キブシ科葉の出る前の枝に 数珠をぶら下げたような花を咲かせます。雌雄異株で長さが異なり、長い方が雄株です。
2025.04.26
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身延山表参道は、標高差770mを登ります。所々に由緒ある史跡が多数あり、静かな山道を踏みしめて悠久の時を遡っていきます。春には鮮やかなミツマタの甘い香りが出迎えてくれます。三光堂金銅釈迦如来像(身延町指定文化財):大光坊(三光堂)にある露坐仏です。延宝5年(1677年)京極住濃守高勝の寄進により、身延山30世日通上人が造立しました。久遠寺相輪塔:大光坊の境内地にあります。明治8年(1875)の火災で久遠寺は堂宇の大半を焼失しましたが、上の山地域にはその難を免れた貴重な建造物が多く残っています。ミツマタ:三椏 ジンチョウゲ科「春愁や 三椏の花 匂はざる」細見綾子林の中からの富士川と山々の展望身延山表参道からの醍醐山:奥は蛾ヶ岳、手前は下山(しもやま)集落と富士川、右は中部横断自動車道下部温泉・早川IC「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」(万葉集)さきくさ(三枝)はミツマタのことだという説があります四十丁 法明坊とお水屋:日蓮聖人のために弟子の日朗上人が山頂からここまで下り、清水を汲んで聖人に給仕したと伝えられる日朗上人井戸と、水屋堂(法明坊)があります。
2025.04.25
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身延山表参道は、久遠寺本堂裏をスタートし、本地堂、十如坊(鬼子母神堂)、丈六堂、中間点の大光坊、法明坊(お水屋)、東照宮を経て、身延山山頂・奥之院思親閣へと上るコースです。徒歩約2時間30分、由緒ある建造物が多数あり、奥深い身延山を堪能できます。身延山久遠寺背面からの展望:左から大野山から続く尾根・篠井山・御殿山・鷹取山本地堂:本堂の裏手に建っています。日蓮聖人の説いた本地上行菩薩を祀っていて、江戸時代に建てられました。丈六堂の八光園:真っ赤な鳥居と幟旗が鮮やかです。シャクナゲ:石楠花 ツツジ科「石南花にやさしかりけり朝の風」駒走松恵アセビ:馬酔木 ツツジ科「わが袖に君が袖にと馬酔木ゆれ」阿波野青畝ジンチョウゲ(白):沈丁花 ジンチョウゲ科春の沈丁花、夏の梔子(クチナシ)、秋の金木犀を三大香木といいます。ジンチョウゲ(ピンク)丈六堂(身延町指定文化財)とヤブツバキ: 藪椿 ツバキ科丈六堂の堂内にはお万の方が寄進した釈尊像(身延町指定文化財)と千体仏が安置されています。
2025.04.24
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山梨県道26号富士川南アルプス線(河内路)沿いに、目を引く趣ある楼門・・・。譽田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇)を祀った東南湖八幡神社です。かつては村の東の大豆生田(まみょうだ)にあり、一帯の鎮守の神でしたが、天正(安土桃山時代)の大洪水をはじめ幾多の水難を経て現在地に落ち着きました。道路からは石鳥居と神門しか見えませんが、鳥居をくぐると、色彩の残る随神のいる随神門(神門)、拝殿、渡殿、鬼ではなく般若の瓦が目を引く本殿を有する、堂々とした神社です。神興と神鈴が南アルプス市の文化財に指定されています。石鳥居と随神門随神門随神門:重々しく、県道から非常に目立ちます。左近衛大将像(本殿から見て左):平安時代以降、左・右近衛府から選ばれて、高官の警護にあたる護衛兵を随身(随臣・随神)と呼びました。(雛人形の左大臣・右大臣のモデルです)右近衛中将像(本殿から見て右)拝殿へ:県道からは想像もできないほど広々とした境内です。拝殿右から拝殿、渡殿、本殿鬼でなくとも鬼瓦:珍しい般若の面です。山梨県道26号富士川南アルプス線(河内路)からの東南湖八幡神社
2025.04.23
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JR身延線甲斐常葉駅周辺の風景です。甲斐常葉駅は昭和25年には年間30万人超、1日平均900人超の乗降客がありました。過疎化が進んだ今は無人駅となり、乗降客も1日平均20人ほどとなっています。人口は減少しましたが、アニメゆるキャン△の聖地として全国から来訪者が増加しています。甲斐常葉駅前の桜並木:老木ですが、今年もキレイに咲きました。甲斐常葉駅からの武山(たけやま):「た」にアクセントの武山は地元の愛称で、正式名は桑木山です。本栖高校(旧下部小)の桜とジャングルジム:ジャングルジムの原型は、日本人が数学的4次元を理解できないのは幼少期の3次元経験が足りないからだ、と考えた数学者が考案したとか。「あすが来てゐる たんぽぽの花びらに」 三橋鷹女校庭の二宮尊徳像と醍醐山 旧下部小学校校歌下部小学校の前身である富里小学校の校歌碑:楠正成親子の「桜井の別れ」の像と醍醐山
2025.04.22
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JR身延線久那土(くなど)駅の近くには、かつて山梨県立峡南高校があり、多くの学生たちが行き交っていました。久那土(くなど)は道祖神によく似た神様の名前です。岐神(くなどの神)は峠や辻、村境など、悪魔や疫病が入ってきてほしくないところ、「来な処」に祀られ、「おくなど様」と呼ばれました。三沢地区には奥杯(おくなど)という地名があり、江戸時代には3方面への分かれ道に道祖神を祀り、「おくなど様」と呼んでいたそうです。身延町三澤塩貝地区三沢川の桜並木と富士見山萬松山長松院:400年以上の歴史を持つ曹洞宗のお寺です。若いご住職が熱心にお勤めしており、一般の方向けの座禅会もあります。(5月の昼坐禅は10日(土曜)13.30〜、21日(水曜)13時〜)三澤大草地区の桜並木と山々道(みち)集落の萌木の山「ふと思ふ山吹のことその後のこと」岡本眸水船からの富士見山
2025.04.21
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大野山本遠寺(ほんのんじ)は日蓮宗の本山(由緒寺院)です。開山は総本山・身延山久遠寺を隠退した心性院日遠で、慶長14年(1609年)に徳川家康の側室・養珠院お万の方の帰依を受けて創建したことから「お万さまの寺」とも呼ばれます。お万の方が女人禁制であった七面山(身延山を守護する七面大明神が祀られている山)に登った最初の女性だったことから、女人信仰の道場としても栄えました。大野山本遠寺参道大野山本遠寺仁王門:阿形像(右)那羅延金剛(ならえんこんごう)力士、吽形像(左)密迹金剛(みっしゃくこんごう)力士が素直な心で門を通るよう説いています。大野山本遠寺本堂【国指定重要文化財】:慶安3年(1,650年)建立。入母屋造、檜皮葺、桁行5間、梁間7間。大野山本遠寺本堂【国指定重要文化財】:江戸時代初期の大規模な日蓮宗寺院の本堂建築の貴重な遺構です。本堂と宝蔵(宝物館):徳川家の葵の御紋があります。かつては多くの宝物を収蔵していたそうです。本遠寺鐘楼堂【国指定重要文化財】:慶安3年(1650年)建立。入母屋造、檜皮葺、桁行3間梁間2間。江戸時代初期の御堂建築の遺構として大変貴重な建築です。本遠寺の大クスノキ【山梨県指定天然記念物】:推定樹齢300~350年。樹高19m、幹囲7.3m。神木としてあがめられ、葬儀の際には葬列がこの木を右回りに3回廻ります。徳川家康側室養珠院墓所【山梨県指定文化財】:紀伊家の藩祖頼宣の命によって造られ、紀州藩が派遣した石工が造ったと推定されています。徳川家の勢力が偲ばれる当時の最高の材料と技術が駆使された墓所です。
2025.04.20
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慈観寺のある身延町道(みち)はかつて道村(どうむら)と呼ばれていました。慈観寺は江戸時代には南明寺末の筆頭寺院として崇敬を集め、境内には堂々たる本堂をはじめ多くの堂塔伽藍が立ち並んでいました。道村(どうむら)という地名の由来は、そのお堂の堂が道となったという説があります。巖龍山慈観寺 遠景山門慈観寺境内:本尊の聖観世音菩薩は「火伏せ観音」として知られています。鐘楼とモクレン本堂経堂:輪転の書架に納められた一切経六千巻(身延町指定文化財)が収蔵されています。「故郷やどちらを見ても山笑ふ」正岡子規
2025.04.19
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中之倉峠と本栖湖畔の桜が見頃です。山に灯りをともすようにヤマザクラやミツバツツジも咲きました。そういえば国道300号中之倉バイパスには灯(とぼし)というトンネルが2つあります。灯(燈・とぼし)はかつての中之倉村を構成していた峠沿いの集落の1つで、戦国時代に落ち延びてきた手負いの武将が村人に灯りを借りたところだと伝わっています。中之倉峠を抜けると旧千円札の富士山旧千円札の富士山と本栖湖(水面標高900m):平日の写真スポットは見事に外国人ばかり本栖湖畔のソメイヨシノ国道300号線中之倉峠の南アルプス展望台(850m)から:左から七面山(1982.4m)、青笹山(1550m)、青薙山(2406m)、笊ヶ岳(2629m)、赤石岳(3120.1m)、荒川岳(3141m)、手前 富士見山、荒川岳(3141m)、十谷峠(1500m)、塩見岳(3046.3m)、正面の集落は木喰上人の故郷・丸畑(まるばたけ・540m)本栖湖と富士山:この対岸あたりで富士芝桜まつりが開催されています。(5月25日まで)本栖湖と富士山灯(とぼし)第一トンネル内:珍しいループ状のトンネルです。
2025.04.18
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龍湖山方外院は美しい佇まいの禅寺です。山号が示す通り、かつては龍の棲む湖・本栖湖の湖畔にあり、雷雨を治めて三河に向かう武田信玄を助けたことから厚く保護されたと伝えられています。子授け観音と千匹絵馬のお寺として知られ、甲斐百八霊場の第98番札所、甲斐三十三観音霊場の第27番札所となっています。山門寺の前を流れる反木川六地蔵古くからの六地蔵本堂:ご本尊は如意輪観世音菩薩です。平安時代末から鎌倉時代の作と伝えられ、県の文化財に指定されています。秘仏として毎年3月18日の一日だけご開帳されます。鐘楼堂(左)と総門(右):山に囲まれた閑静な場所に位置します。ソメイヨシノとヤエザクラ 千匹絵馬:総桐材造り。横19.42m、縦2.24m(日本最大)。稲の不作を嘆いた信心深い老人が絵馬を奉納を思い立ち1872年に完成。町の文化財に指定されています。
2025.04.17
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法光山妙圓寺は750年もの歴史を持つ古刹です。かつては常命院という真言宗のお寺でしたが、甲州巡教中の日蓮聖人一行が身を寄せたことが縁となり、法華宗(日蓮宗)に改宗し現在に至ります。祖師堂からは七面山を仰ぐことができ、かつて大変な賑わいだった千部会(せんぶえ)を見守ってきた、樹齢250年を超える枝垂れ桜が見事です。本堂とシダレザクラ観音様と祖師堂本堂と日蓮聖人像:日蓮聖人が一夜身を寄せた霊場です。祖師堂祖師堂から:左は醍醐山、中央が七面山庭園祖師堂から
2025.04.16
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金龍山常幸院は670年余の歴史を持つ曹洞宗の寺院です。「今・ここ・生きる・幸せ」を感じるお寺を目指し、寺院のすぐ上にある「ゆるキャン△」の聖地本栖高校(旧下部小・中学校)を中心とした地域活性化をはじめ、地元に貢献し愛されています。今度の日曜日(20日)にはどなたでも無料で参加できる「花まつりと落語会」が開催されます。是非お出かけください。鐘楼と桜金剛力士像と桜ゆるキャン△の本栖高校(旧下部中学校)からの寺院全景ゆるキャン△の本栖高校(旧下部中学校)から見る桜越しの庫裏と本堂光明門(山門)と金剛力士像金剛力士像と醍醐山本堂と客殿(三教庵)
2025.04.15
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甲斐源氏発祥の地・平塩の丘でひときわ目を引く中国風の建物が、大門碑林公園です。碑林とは、古い石碑や刻石を集めて立ててあるもので、中国の西安碑林や世界遺産の曲阜碑林などが有名です。大門碑林公園は旧市川大門町が、「和紙の町」「書道の町」として中国歴代の名碑15基を、中国陝西省碑林博物館の監修・制作によって創建当時のまま復元した公園です。市川三郷町立市川中学校
2025.04.14
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山梨県の市川三郷町は市川團十郎家発祥の地です。町では歌舞伎文化の振興に力を注ぎ、広大な歌舞伎文化公園が整備されています。富士川流域、南アルプスや甲府盆地の眺望、桜はもちろん、團十郎家の替紋である牡丹の花の名所としても知られています。ふるさと会館文化資料館間もなく牡丹が花開きます。ふるさと会館市川三郷町では毎年歌舞伎座での歌舞伎鑑賞教室を開催しています。市川團十郎家発祥の地ならではのすばらしい催しです。
2025.04.13
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今日4月12日は武田信玄公の命日です。武田信玄公を祀った武田神社の例大祭に合わせ、恒例の武田二十四将騎馬行列が行われます。一般参加者による武田二十四将騎馬行列を中心に、みこしなどが武田神社を出発し、市内(武田神社~遊亀公園往復)をパレードします。今年の信玄公役は甲府市出身でリオオリンピック・競泳男子800m自由形リレーの銅メダリスト・江原騎士さんです。桜吹雪の中、美しく勇壮な騎馬行列が観られることでしょう。武田神社から見た武田通り水堀にかかる神橋:武田神社は「武田氏館跡」として国の史跡に指定されています。狛犬と石鳥居桜の下に手水舎拝殿:創建は1919年(大正八年)。信玄公が祭神として祀られています。菱和殿(りょうわでん・右):天井には山梨県内の草木禽獣やキノコを描いた120枚の天井画が描かれています。甲陽武能殿:武能とは耳慣れない言葉ですが、武田の「武」と能楽の「舞」とは同じ音であることから、武芸を嗜む者は同時に舞をも嗜み、その真髄を武芸に取り入れたと伝えられています。
2025.04.12
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山梨縣護國神社は山梨県にゆかりのある戦没者や軍属の英霊を祀る神社です。江戸時代の甲府藩主・柳澤吉保の菩提寺「永慶寺」の跡にあり、唯一実際に甲府城に住んだお殿様・吉里(吉保の子)は、ここを月の名勝(甲斐八景・龍華秋月)と定め愛しました。近年は桜の名所としても知られ、約300本の桜が咲き誇っています。一ノ鳥居山梨縣護國神社:日清戦争から太平洋戦争までの25,062柱の御霊を祀っています。拝殿へミツバツツジ:ツツジ科やや日陰を好むためほかの木の木陰に寄り添うようにひっそり咲きます。二ノ鳥居と拝殿戦没者納骨堂
2025.04.11
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山梨県身延町の富士川クラフトパークは桜の名所です。連日県内外から多くの人が訪れていますが、意外と知られていないのが「自然観察の森」の桜の森と大花壇や駐車場のさらに南側のエリアです。満開の桜越しに醍醐山や身延山を撮ってみました。醍醐山、西山、武山、蝙蝠山(左から五老峰1618m、大ガレの頭1904m、毛無山1964m)左から醍醐山と醍醐山の3つのピークの1つ・西山五宗山醍醐山と西山身延山(1,153m)桜の彼方に醍醐山五老峰「あすが来てゐる たんぽぽの花びらに」三橋鷹女
2025.04.10
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愛宕山(423m)は山梨県立愛宕山こどもの国や山梨県立科学館のある山としておなじみです。奥秩父山塊の最南端にあたり、北の尾根伝いに夢見山(標高439m)、大笠山(標高554m)へと続きます。愛宕山入口の桜並木:初夏にはバラも有名です。甲府盆地と御坂山塊愛宕山・大蔵経寺山の峰々愛宕山こどもの国からの眺望:左から滝子山・清八山・茶臼山・達沢山・三ツ峠山・御坂山・黒岳・釈迦ヶ岳・大栃山、手前 八人山・大蔵経寺山・甲府盆地愛宕山こどもの国からの眺望:清八山・御坂山・黒岳・釈迦ヶ岳・節刀ヶ岳・鬼ヶ岳・鍵掛峠・富士山・王岳、手前 大栃山・春日山・滝戸山、甲府盆地愛宕山こどもの国からの眺望:奥 三方分山・毛無山山塊(雨ヶ岳・大見岳・毛無山)、手前 滝戸山・日陰山・たいら山・蛾ヶ岳・大畠山、甲府盆地
2025.04.09
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川中島の戦いの戦火は信濃善光寺にまで及び、信玄は焼失を恐れて、御本尊善光寺如来像をはじめ諸仏寺宝類を板垣の郷(現在の甲府市善光寺)に奉遷しました。武田氏滅亡後、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々とし、信濃善光寺に戻り、甲斐善光寺では前立仏を御本尊として今に至っています。山門(重要文化財):1754年(宝暦4年)に焼失し、1796年(寛政8年)に再建されました。金堂(重要文化財):善光寺建築に特有の撞木造(しゅもくづくり)で、総高27m、総奥行49m。日本有数の木造建築です。金堂(重要文化財):日本有数の木造建築です。金堂(重要文化財):金堂下には、「心」の字をかたどる、お戒壇廻りがあります。鐘楼堂:銅鐘(県指定文化財)は、信州から引きずって運んだ「引き摺りの鐘」として知られています。金堂:金堂内には手を打つと共鳴する「鳴き龍」があります。
2025.04.08
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富士川右岸の富士川クラフトパークよりやや下流側にひときわ美しく目立つ色とりどりの花の一群・・・身延山の裏参道・杉山の入り口です。中部横断道下部温泉早川ICの富士川を隔てて対岸にあたり、ほんの少し坂を上ると素晴らしい眺望が開けます。杉山入口からの富士川左岸:左から醍醐山(635m)と醍醐山のピークの1つ・西山。奥に頭をのぞかせているのは左奥が市川三郷町の蛾ケ岳(ひるがたけ)、右奥は釈迦ヶ岳。正面は中部横断道下部温泉早川IC。杉山入口からの醍醐山産宮神の祠:一般には「うぶすながみ」ですが地元では「さんごじさん」(さんぐうじんさんが訛ったのでしょうか)と呼ぶようです。(この先のカーブの右手に駐車スペースがあります)昔々このあたりに住んでいた若夫婦が難産に苦しみ、旅の僧にすがりました。旅の僧は柄杓を用意させると、お教を唱えながら柄杓に穴を開け水を通しました。すると無事元気な男の子が誕生し、若夫婦は喜んで柄杓を祠に奉納したといいます。産宮神の祠からの眺望花の間に醍醐山:5月6日には恒例の一斉登山があります。是非ご参加ください。モクレン(木蓮・マグノリア):花言葉は「持続性」恐竜の時代(約1億年前!)からず~っと存続している神秘の花です。
2025.04.07
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井伏鱒二は、著書「場面の効果」の中で藤垈の滝(ふじぬたのたき)を「真夏のエアースポット」と呼んでいます。エアポケットのように、そこだけ全く気象が違うというような意味でしょうか。確かに藤垈の滝には俗世の気候を越えた神聖な「気」が立ち込めています。藤垈の滝を含む約2万5000平方メートルのエリアは自然公園として整備され、藤垈の滝の西側では、春になると約3,000株の水芭蕉が花開きます。ミズバショウ:水芭蕉 サトイモ科白い花びらは、植物学的には花弁では無く、苞(ほう)といって、花を保護するために花の直下につく葉の変化したものです。水芭蕉の清流ゾーン:姉妹都市の新潟県中条市から寄贈され、現在では3000株の群生地を形成しています。新羅三郎義光の開基と伝えられる芹沢不動尊の御堂と藤垈の滝公園内には、公益財団法人北野生涯教育振興会と日本大学美術学部によって寄附された彫刻が数多くあります。大窪いやしの森公園はミズバショウが日本一早く開花するスポットで、見頃は例年4月上旬までです。
2025.04.06
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山梨県立博物館で5月6日まで開催されている開館20周年記念特別展「武田勝頼-日本に隠れなき弓取」の全111の展示品の中に、身延町からは下山(しもやま)の正福寿山南松院と華嶽山龍雲寺の収蔵品が出展されています。この2つの古刹の桜時(さくらどき)をご紹介しています。華嶽山龍雲寺は武田信縄(武田信玄の祖父)の家臣・穴山信綱を開基とする禅寺です。家臣といっても穴山家はその後2代続けて武田の姫を娶るなど親しい姻戚関係にあり別格の扱いでした。華嶽山龍雲寺:山号の通り美しい花々に彩られています。龍雲寺から富士川左岸の蝙蝠山を望む:蝙蝠山(左から五老峰1618m、大ガレの頭1904m、毛無山1964m)三山の連なりがコウモリに見えるところから地元では蝙蝠山と呼ばれます。百花繚乱の中でひときわ目を引く、なよやかな枝垂れ桜が駐車場の片隅に佇んでいました。三門には武田菱が掲げられています。華嶽山龍雲寺本堂宝物殿:龍雲寺は天平時代から江戸時代にかけて皇室、武田家、徳川家等から拝領または寄進された寺宝を多く所蔵しています。華嶽山龍雲寺鐘楼からの富士川左岸:左から醍醐山(635m)と醍醐山のピークの1つ・西山。後ろの高い山は左から武山(たけやま・1470m)・五老峰(1619m)・大ガレの頭・毛無山。手前:三石山前衛峰。正面は中部横断道下部温泉早川IC。三門を出て戻っていく俗世のなんと美しいこと勝頼展には「穴山不白書状」(身延町指定文化財)を出展しています。(よく知られる穴山梅雪の名は、信君が剃髪後「梅雪斎不白」と号したためです)
2025.04.05
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山梨県立博物館で5月6日まで開館20周年記念特別展「武田勝頼-日本に隠れなき弓取」が開催されています。近年、勝頼は新たな人物像が提示され、再評価されています。この特別展は県内はもちろん全国から集めた豊富な展示品と共に勝頼の真の人物像に迫ります。全111の展示品の中に、身延町からは下山(しもやま)の正福寿山南松院と華嶽山龍雲寺の収蔵品が出展されています。この2つの古刹の桜時(さくらどき)をご紹介します。南松院境内から、桜越しの五老峰南松院は穴山信君(のぶただ)(穴山梅雪/武田 信君)が母・南松院(南松院殿葵庵理誠尼)の菩提所として創建した禅寺です。穴山家は武田一門の名門で武田家とは深い姻戚関係にあり、梅雪の母・南松院は信玄の姉。梅雪の妻・見性院は信玄の娘でした。見性院はのちに家康に請われて会津藩祖・保科正之の養育係として仕えたことから徳川家の庇護も厚く、多くの文化財が遺されています。正福寿山南松院:臨済宗妙心寺派。富士川クラフトパークのすぐ近くです。南松院山門南松院本堂:本尊は釈迦牟尼如来(町指定文化財)夢窓国師が作ったと伝えられる庭園:九山八海で極楽浄土を表しています。亀石:武田家伝来の霊石で、南松院が穴山家に嫁ぐ際、父信虎にねだって持参したと伝えられています。今は枯れ池の中にありますが、池が清らかな水を湛え美しい鯉が泳いでいた頃は、大きな物静かな亀がいるように見えたことでしょう。「いつの世の石器うもれて菫かな」石井露月
2025.04.04
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「桜花(さくらばな)、咲きかも散ると、見るまでに、誰れかもここに、見えて散り行く」柿本人麻呂人も桜花も限りある命だとうたっています。杉山の朝日之祖師堂は、日蓮大聖人が身延入山の初日の出を迎えた場所です。枝垂れ桜の隠れた名所の一つです。(身延山では6日日曜日まで交通規制を実施しています。駐車場等確認してからお出かけください。)
2025.04.03
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「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」桜にとっては試練の天気が続いていますね。(身延山では6日日曜日まで交通規制を実施しています。駐車場等確認してからお出かけください。)「春雨の かくまで暗く なるものか」高浜虚子
2025.04.02
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「花に嵐の例えもあるさ。サヨナラだけが人生だ」雨の桜もいいものですね。山桜も咲き始め、身延山は今、花に覆われています。(身延山では交通規制を実施しています。駐車場等確認してからお出かけください。)
2025.04.01
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