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三角関係の話しでなく、明日に向って相手に何を魅せようです。自分の心の中に培ったモノを、今こそその人に捧げるのです。相手に自分の何で喜こんでもらうか。その人に出会うまでに間に合わせておかねばなりません。そう、あるようでそんなに時間はないのです。それはある日突然やってきて、自分の心をギュっと締めつけ始めるのです。目の前にすれば、まばゆい光がその人から出ています。消えてしまいそうな思いが駆けめぐります。そこで、堂々と自分を見せられる勇気が必要です。豊富な練習量に裏付けられた自分のづくりを武器に限られた時間を実りあるモノにするのです。
2004.09.30
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講演会の後、出来はどうだったかというのを聴衆に聞く紙を人前で話した時にいつも作ろうと思っているけど、なかなか作ってない。次の機会の為、自分の腕を上げる為に必要な調査票だ。「これは良かったですか? 悪かったですか?」という曖昧な問いには相手は曖昧な基準でしか答えてくれない。自分が本気で聞きたいなら答えやすい、具体的な答えを出してもらえるシートづくりをしなければならない。ここにもキチンとした自分スタンスが必要とされる。「なんかあったら書いてください、言ってください」式のおたづねもそうだなんかって何? 意外と曖昧は氾濫していて、これまた意外と苦にしていない。日本人の曖昧さというか、包含力というか長短表裏一体。 人にどう見られているか、誰にも一定の自分自身に対する評価があるだろう。その基準値と各相手との感じ方、基準値の差を測りたいはず。問いを練る際にキチンと結果と一定のシナリオを描きそれが裏切られる事に驚こう。新しい自分発見を探す紙づくりをしましょう。
2004.09.29
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どうも何もなしで人前で話すのは聴衆へイメージが伝わらず、共感してもらえない気がする。レジュメを作ると確かにあとからみてもらえれば、知識を入れてもらうには都合がいい。ただ、人の心を動かす為のインパクトには欠ける感じがしていた。自分が「絵」で物事を考える為かどうしても、同じ絵の共有は大事である。最近はノートパソコンにプロジェクターも(用途によったら普及機でも)手に届く様になったので出張もデジタルになった。どこへでも鞄2つ程でどこへでも出前講演が可能になった。OHPの時代からすると隔世の感がある。ただ、便利で綺麗だが鏡面仕上げのスライド作成では、スライドは流れていくようだ。学術、ビジネスユースは別としてどうも、内容によっては頭に引っかからない時がある。結局印刷して紙で見ると安心するようにアナログデータは安心する。そこで時には紙芝居の形式で話をする。 3A以上の大判のスケッチブックを買ってきた。 800円弱絵心があると良いのだが、ところがどっこい、なかなか難しい。スキャナーで取り込んだものをA3で出力する。まあまあ見れる。20-30人位ならこんなモノでもかなりいい。印刷自体に意外と面倒があるが、何たって講演会の後食事に行く時軽いし何たって、作品を完成させたという達成感がある。やはり、形になったものは思いのである。デジタルファイルにない重みなのだ。
2004.09.28
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経営者の会で何か話せと言われて、はたと困り果てた。相手は百戦錬磨の大先輩達、若造のァ小手先の経験論なぞ鼻で笑われてしまう。う~ん。それなら自分の半生を語ろうじゃないか。それなら誰も真似出来まい。そして 自分の38という年を考えるとまさに折り返し点。(実際には復路は長いか短いか誰にもわからないが)今振りかえねばいつするという気がした。アルバムを見て生まれて少年、学生、社会人、独立後と様々なステージを振り返る。こんな自分にも、短いと思っていても振り返るとこんな事が起こっていたんだなと思った。昔の自分に会いに行くような感じがした。実際話してみたら、お礼の挨拶で年輩の方から、自分の子供時代を振り返りました、と言って頂いた。これからも自分年表は書き加えれられていく。
2004.09.27
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予定表を律し、流れに乗れ!残された時間に何も積み残すな!止まっていられない。この人生のこの時間を決められるのは、この国に自由があるから。生まれながらに自由に時間を回遊する事を、許されない人たちがこの空の下にはごまんとある。この青空の下でも浮かない顔をしている人がいる。自由が身近過ぎて、無駄使いしていないか。予定表がいっぱいになる限り自由を大食いしよう。漠々食べて自由人として生きよう。自由は約束されたものなのか?答えはどうだろう。
2004.09.26
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オリンピックで有名になった卓球の愛ちゃんの『サー』って掛け声は代表のコーチがガッツポーズを出させる為に始めたそうだ。実際の試合では胸の前で慎ましくやっているけど、拳を肩より上に上げるように指示されているそうだ。自分でもやってみた。不思議と力が湧いてくる。小川直也の「ハッスルハッスル」と同じで体を動かすと不思議と空元気が出てくる。実働していくとこの火種が燃え上がる。最初の火起こしが難しい。 日本人はもともと農耕民族だからか感情をあらわにする事があまり得意でないようだ。私が私がというスタイルははしたない、「和」を重んじるが為どうしても外に向けて力を向けにくい様な感じがする。感情を出すことを抑えられているため、人たびコントロール出来なくなるととんでもないことが起きる。最近イヤな事件が起こるのもそうかもしれない。みんなどこか生活の一場面でハッスル出来たり、サーって掛け声の上げられる場面を持って行けるといいなと思います。
2004.09.25
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強さは時として刃になる。刃を向ければ、刃が帰ってくる。刃の応酬の先には終り無き憎しみが残る。弱さは極限に行けば卑屈さが生まれるが、優しさや慈しみの共感が生まれる。救いの手を伸ばすために強さの恐さと弱さのしなやかさを経験する。さあ、強さと弱さで満ちた毎日に漕ぎだそう。
2004.09.24
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親から遊びを余り教わらなかった親の世代となった。中学生の頃にはテレビゲームがもう出現した。遊びは途中で与えられるモノになってしまった。ルールはあらかじめ決められており、制約条件は与えられたモノとなった。自分達で自分達を一定の条件に置く要素を段々減らしているようだ。そんな子供達との接触が少なくなってしまって、大人も必死で生きている。子供達に何を伝えるか?1人で考えていてもなかなか浮かばない。親父の寄り合いと言えば、ただ飲んだくれて騒いで終る事が多い。子供達の為に遊びを覚える、家庭レベルでも、グループレベルでもいい。まず、大人達が楽しみ、覚え、伝える。その為のワークショップはどうだろうと思っている。 工夫しさせすればかなり廉価でやれると思う。家族がいると、進みにくいものも、大人だけでやれば自分が体験できる。それから、自分が実際に再現できるか持ち帰ってみよう。自分の知らない世界で楽しんでいる父親をみたら、子供も寄って来るように思えるのだが。これもやってみないとわからないけど。
2004.09.23
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頑張って色々なこととぶつかり、犠牲にしてきて何か残るか?集中してやることはとても大事だが、反面周囲への配慮にどうしても欠けてくる。何かを得るために何かの歪みが出てくる。 自分にとってその頑張りの先に何があるか。アクセルをベタで踏んで得られたものより失われたモノのほうが大きいリスクも考えていなくては。アクセルの緩め方も時々思い出さなくてはいけない。もっともまったるくいけばそこまで行かない。頑張ってやらねば。毎日反省。
2004.09.22
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未だ三十代なのに、そんなことをと考えるのは浅はかか。自分のライフスタイルを考えるにあたり最終着陸点を設定しないわけには行かない。これまたしかし、最終着陸点は誰も自分自身にもわからない。わからないだけであってないわけじゃない。必ず訪れる。老人になった時の自分をイメージ出来ないだけで、しようとした事がないだけで、早死にしない限り誰にでも老いは来る。 早くきて老いの汚さをさらしたくないという美学もある。昔、原節子という女優さんがおられて絶頂期に表舞台から身をひき、再び人前に出てきていないらしい。齢を重ねる毎にその価値を上げてきた人々もいる。職人さん達はそういう部類に入るのではないだろうか。常に目的意識と自分の限界に挑戦し続ける緊張感が意欲を生み出し行動へと駆り立てているのだろう。生きる事には欲張っていっているのだと思う。お迎えはまだまだそう言う人達には来ない。
2004.09.21
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「若い奴は何もわからない」という年をとったもののエゴでシステム全体が損をしていないか?若者は年長者に確かに「年令」はかなわない。その年にならないと経験できない事ってある。その年になって自分より若い者達の方が素晴らしいかもしれない。同じ条件で比較しなければ、それは禁じ手と言わざるを得ない。若い人への評価基準を持ち得ない悲しさか?本当に自分が若い時に活躍しているならば、そういう言葉は出てこない。時代の流れにより自分自身が抑えつけられ我慢したから次の世代にもそれは当然だ!というのもまた理不尽で、何が一番ベストかキチンと説明出来ないまま世代的既得権益を振りかざし、新しい風を歓迎せずによどみっぱなしの組織が如何に多いことか。 年功序列型社会から実力社会へ変貌していき人間疎外と疲弊感が危惧される中、スポーツでもレギュラー争いは熾烈だし、勿論ビジネスの社会では当然となっている。旧態依然としたダメな人やシステムが足かせになっている場合は多く見受けられる。自分達の毎日に疑問がない。これでいいんだという自信の裏付けを示すのには年寄り、若造はないのではないだろうか? 勿論「礼節をわきまえない」のと「筋を通す」のは根本的に異質の物であると言うことは論を待たない。
2004.09.20
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「おふくろの味」はいつまでも食べられるものではない。学校や就職で遠方に行ったり、結婚したり。親が作れなくなったり、まあいつかはそういう日が来るのだが。 親子関係がともに厳しい環境があるのは、今も昔も変わらないと思うが、その質は大きく違う様だ。嫁姑関係でも、同居が少なくなり母親の嫁としての意識はかなり変質しており、「家」という概念に沿わない。親世代と異なり「家督」といった事が薄れている。総中流階級意識にも不況の下降加速がゆったりした家庭内人間関係を蝕んでいる様な気がする。若い母親の中には朝お弁当に、パンを押し込める母親もいるそうだ。子供に対する思いの軽さ、人間関係の希薄さはここにもでている。 材料にしてもBSE、鳥インフルエンザの他表示改ざん等輸入自由化、農業政策転換等国の施策の甘さが原因となっていこともあるが、食育と叫ばれる時代口に入れているものの先行きもたまには考えて見たいモノだ。
2004.09.19
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昔、肥後の守というナイフがあった。僕は鉛筆を研ぐぐらいしか出来なかったが、ちょっと上の世代から古い方々は子供の頃からいろんな遊びに使っていた。怪我もした。でもどこまで使っていいのか、体験した。最近、物騒な世の中にあって刃物は悪者扱いになっている。「何とかとハサミは使いよう」と言われ、本当に使い方次第である。僕らの世代は使い方を知らない。子供に教える場面がない。使える世代からすると不思議かもしれない使う場面がなかったからで、農家に行ってももう土間のある家は少なくなった。父は忙しくて祖父とはなかなか同居してない。ゆっくり父親と話す機会もなく、むしろ子供会の方が多い。少子化で母親は一人の子供に強く目が行き、過干渉になる。先が見通せない事が多い。孤立化した子育てストレスが父親の教育参加を遠ざけている。構造的に子供達は徐々にアナログ体験の機会を失っている。そんな子供に大人は何を提供するのか?
2004.09.18
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戦後僕の知らない時代、力道山、長島茂雄、大鵬など街頭テレビを沸かせたヒーローは今はない。熱狂するとなるとプロ野球やサッカーの優勝のかかった大一番に集まる位だ。相撲も最近は街頭で優勝戦に人だかりが出来てる事も少ない。身近に自分たちを沸き立たせてくれる存在が今、見あたらない。夕方当たり前だったプロ野球観戦が揺れに揺れている。あらゆる常識や生活感がここまで浸食されているのかといった感がある。今の首相もニューリーダーとて登場したが、今の評価はどうだろう。ヒーローという夢のお手本が見えない。ただの娯楽と言ってしまえばそれまでだが、五輪が終わった今、スポーツに燃えられるのはいつだ。
2004.09.17
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ヒットメーカーと言われる方々は一発勝負だけでなく、どんどん次を考えて行かなくてはならない。しかも認められてくるにつれ、同時並行的に同じ時間軸を回遊しながら各ポイントに要点を置いていく事を要求されていく。リーダーは、ヒットメーカーでもなければならない。ヒットを予感させる匂いを流していなければ、お店からおいしい匂いを流すように。人がつらつらつらと引き込まれる魅力を持ち合わせていなければ人は打算的にしかついてこない。いつでもホットで回りをホットにさせる。ホットはホッとになるか。最終的にプレッシャーの中で結果がでればそれは可能でしょう。ホットの中でいれば、何かやれるという自分の中の昂揚感が不安をかき消し、不満を蹴散らし道を広げてくれるだろう。
2004.09.16
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どんなに良い計画をしても、良いアイディアでも、実行しなければ。絵に描いた餅である。自分で書いておきながら耳が痛い。言うは易しである。そのことが好きでないと、燃えない、または尻に火がつかないと燃えない。やるときゃやるという姿勢が必要。といったってなかなかそうはいかない。一日何回も心の中で「自分はやれる」と念じるというか、暗示をかけると不思議とやる気が出来る。ちっぽけだけど気にかかっていたことが解決する、ちょっと良いことがあったで妙に元気になる。意外と単純なのかもしれないが火がつく。実際実行しやすい様にしておかないと、例えば行程を作るとか、結局食えない餅を作ることになってしまわないか。
2004.09.15
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作り手の思い 愛情がみえると,不思議と愛着が湧く。そこに作り手の思いが伝わると、ついた値段に納得できる。作り手の思いを広げる仕組みが必要だ。使って頂く方々の頭が賑やかになるように。メイキング物やプロジェクトX等もその作り手の思いを伝えるものだ。「おふくろの味」「愛妻弁当」はそういった思いを受け手が感謝をこめて使う言葉だ。温かさのあるものづくりは、生活が温かくなる。
2004.09.14
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男の子はだいたい乗り物か怪獣に興味を持ち始めることが多いようだ。子供の時にみたマッハGo ! Go! は強烈に僕の心をとらえた。いろんな武器やジャンプが出来るのもそうだが、そのグラマラスなフォルムに心ときめいた。軽快だが、中身のつまったウキウキさせてくれるアイテムを搭載したマシンは今でもスポーツカーとしての自分のイメージの中に息づいている。冬着こんでヒーターをかけながらオープンカーで山々を駆け抜ける、そんな場面を年を重ねるに憧れる。そんなゆったりした時間の為に働いている様な気がする。なかなか小さな夢は大きな夢に隠れ達成されにくいか。灯台下暗し。
2004.09.13
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苦難に満ちたチームを率いている時、リーダーは一言この言葉を持っているかがとても大事泣きがする。失意にあって、みんな必死になれば考えもつかないアイディアが浮かんでくる。「火事場のバカ力」だ。みんなで燃える。燃えさかる炎で不安を吹き消す。念じているだけで不思議と力がわいてくる。言葉は私たちを奮い立たせてくれる、思いを伝えてくれるだけでなくチームを紡いでくれる絆にもなってくれる。
2004.09.12
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みんな、生きていく中で表の顔と裏の顔がある。何食わぬ顔してすれ違っても、その人には社会生活、家族や生活という現実が待ち受けている。そういう事を強く意識するのは朝起きてすぐだ。昨日を夜脱ぎ捨て新しい自分にも今日のすすがついてくる。 心の奥底にそれに満足した自分がいるかというとそれは難しい。普段からは想像できない、場合によっては息をのむ程の変貌をもっている人生がある。40才近くなって、確かに人並みに生きてきたいと思ってきたが、人とのつきあいを広げていく度に、同世代にももっと激しい人生を送ってきた人々と出会う。まだまだ、自分は甘いのだと、言い聞かせる。これからも表も裏の看板もピカピカに磨き続けねばと思っている。
2004.09.11
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人生の中では時間とともに人間関係も流れていく。どうだろう、10年前の人間関係から考えてずっと会っている人はそんなにいないと思う。大半が会わなくなってしまった人たちじゃないだろうか。それだけ人間関係は流れている。ものすごく流れている。自分も相手も知らないうちに変化しているのだ。すばらしい人と会う。自分に感動を与え、思いを寄せてくださる方々との出会いは一番の財産ではなかろうか。自分の未熟さを教え、成長をほめともに時間の旅の仲間として歩いてくれる。時にははぐれ、時には新たに合流する。自分自身も他人の流れに組み込まれる。人生の楽しみの中で一番輝くものではないかと思っている。
2004.09.10
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大人になるという事が「感情をタイムリーに解放できる」ということになったなら、「我慢できる」というよりもっと進んでいて素敵なことじゃないかなと思う。確かに我慢は重要な事だが、それだけでは人生は楽しめない。キチンとオンとオフを区切れるということだと思う。オフには思いっきり感情の解放感を味わいたいものだ。解放できるってことはそれが出来る時間と場所を持っている。その贅沢を知る。それを工面して作る。せっせ、せっせと。鳥が巣作りをする様に。いろいろな場所を探そう。その時間は自分を感じながら、対話する時間。解放の瞬間の快感が次への活力を生み出している。あなたは、うまく排気してますか?
2004.09.09
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便利さ、何でもあり過ぎて便利になった.不便さは家の中にもどんどん入り込んでいる。メールは確かに便利だが、声さえも相手に伝わらないでいけるようになってしまった。電話でさえ、後に残らない。手紙は手間をかけて書くモノなのにと言われていたのに。その人の生の情報が盛り込まれない無機質のコミュニケーションが漂う。家庭の中でさえメールでコミュニケーションする、というところもあるそうだ。 人のありがたみを感じずに過ごすことが出来るようになった。反面家族との葛藤さえなくてもやり過ごせる時代がある。人と向き合う、その前に自分の立場をはっきりさせておくといった作業までも省いて便利になるのはどうだろう。家庭内の言葉の乏しさ、共有時間が減る。様々に便利さは人間の摩擦を無くしたが、鏡面仕上げになってつかみ所を喪失させた。エステに行かなくても、ツルンとした顔でいるお面になるのは怖い様な気がする。
2004.09.08
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今日はものすごい台風で嵐を経験した。有無を言わさずあらゆるモノを風で揺さぶり、大量の横なぐりの雨をぶちまけていった。ヤバイ事が起こるっていう時はそれがあまりに唐突で信じられない場合が多く、「それって嘘やろ?」って事が多い。現に数日前に起きたロシアの小学校でのテロでも子供は始まりはそう感じた。しかし現実は僕らの思いを時には大胆に裏切り、生々しさを突きつける。実感した時はもう遅いものも多くない。例えば、原子力発電所の事故、突然の大地震、逃げ場のない生々しさ、当初実感のない恐ろしさ。予見を最大限可能にするために多くの目が必要。それでもチェックをかいくぐり信じられないことが起こる。他人に任せる事なく、生々しさを感じて身の回りへの配慮をやらないととんでもないことが起こりかねない。
2004.09.07
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結婚して家庭を持つと(まあパートをしていても)子供とともに大きくなる生活費におこずかいは組み込まれていく。重ねゆく年齢、まだ独身で働いている仲間がうらやましい。街であったりするとこちらは子連れ、向こうは軽やかに歩いて自由に生きている感じがする。実は思った程相手は颯爽とではないのはわかっていても、こっちはしぼんだ主婦になってしまっている、とお考えの女性も多いのではないか。独身時代は鏡の前に何分も座り、ああでもないこうでもないと出来ていたが、今じゃ毎日ばたばた買い物行ってもとりあえずお化粧してればスリッパでも平気。人の視線もなんのその。「私はとにかく子供と家事で忙しいの。自分のことなんかかまってられないわよ。」「ほっとお昼の午後はみんなでお茶してすこし丸くなったかしら。」「最近お洋服屋さんにもいかなし腰回りなんか測ったコトないわ。昔、いっぱい合コンしてた時もあったわ、でももう昔のことよ」とせっかく女性としての充実した時期を忙殺されやすいですね。 企業も同じです。お客さんからの視線を意識しなければ洗練されたサービスは提供できません。相手にすかれるために思いっきり自分を見てもらえる様たゆまぬ準備は怠ってはいけないでしょう。お客様インターフェイスを豊かにするため、自分に余裕を持たせる工夫も必要だと実感しています。
2004.09.06
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1つ中心になるものを決めると、例えば自分のスタンスとか、とっかかりの仕事を1つ終わらせるとか、そこから発展させるのは以外とやりやすい。とにかく、1つ完成品を作っておけば、それについてくるものも整理しやすい。大同小異という奴で先ず自分の中で大きな枠組みをつくっておけば、あとは個々のアイテムを小異に応じて分類すればいい。それが作られてないと迷走してしまう。 常に僕らは迷っている。迷ってないようだが、やはり迷っているのだ。軸を決めたがぶれないのはなかなか難しい。どんなトップ選手でもスランプはやってきてフォームを変えたり、崩れたフォームを戻そうともがいたりする。自分にフィットするポジションを定めるのは難しいが、外れてもすぐに修正できる方法を考えておくのも一流の仕事ではないだろうか。
2004.09.05
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これだけ速いスピードで進んでいっている時代の中で価値観、言い換えれば人のものに対する思いも変化している。良い学校に入り、良い会社に入れば定年まで安心という時代は終わり、自分で自分の人生を切り開いていかなければならない時代となった。会社の為にと一心不乱に働いてリストラ、生き残っても重役になり組織防衛の捨石となりかねない。不遇な定年後は何のための人生だったか。「自尊心」に牽引され「豊かな生活」を目指した時代が去って自分に何が残るのであろうか?その先幾ばくかない人生の着地の仕方を考える。その時からでなくても今考えられればもっと上質の思いで生活出来るのではないか。ある名言集を見てみると年をとって必要なモノは「愛」と「仕事」だそうだ。定年後は名誉も金も必要ないらしい。らしいというのは自分がまだその域に達していないから。全体を見通す力はその年になってみないとわからない。良い筋書を自分に問いながら今日も生きる。
2004.09.04
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ここ数日日中はまだまだ暑いが朝夕は暦通り、涼しげになってきた。日本は四季を感じることが出来る。夏は暑いし、冬は寒い。春は伸びゆくとか、初々しさとか、秋は落ち着いたとか意欲的な充実感だとかそれぞれに特徴を持っている。古来、花鳥風月を歌に詠み折々の季節の中で昇華していった日本人の感性を我々は感じているだろうか? スピード感を要求される現代にあって、行楽地に汗だく渋滞で行く日本人にゆっくりとした心の休み時間はあるのだろうか。
2004.09.03
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30代の僕らからみてかっこいいと思う50代位の人は、人生を楽しんでいる人々じゃないかな。20代くらいの女の子にまだまだ男は40、50代くらいにならないとって言われるとガクッとくる。モノはないが上り調子の時代を歩んできて、頑張れば自分に返ってくる時代を生きていた。物質より心の枯渇感が強かったんじゃないかなと思う。時代の流れが強かったそんな時代だったかもしれないだからこそ生身に染みる生活感が心を打っていた。少ないモノの分人の接触が多かった。やはり、人に触れ自分を風にあてて磨かれていくのだろうか。
2004.09.02
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マニュアルに出来る部分は目的遂行の効率化の為に是非ともそうしたい。あくまでこれまでの経験値からの最大公約数に即して作られる。しかし、不測の事態は起こり得る。例外はありすぎても対応が出来ない。それをある程度想定する事。マニュアルに書いてない事を予測する力を養うシステム作りとトレーニングを欠かしてはいけない。法則化出来るモノと即時対応が必要な機器予測対応能力は日々のシュミレーションと思いもかけない事を想定する発想力(そんな馬鹿なを疑わない)が必要だと考えている。
2004.09.01
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