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ちょうど2年前にトランクルーム内にリハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」を作りましたが、足かけ10年掛かってオープンさせて本当にヨカッタと思います。正直、採算的に全く合いませんが、当初のミッションである「泉州に音楽を広める一助になった」という利益以上のモノがあり非常に満足しています。それと自分自身の趣味である音楽とより純粋に関わる事ができて、これ以上の幸せはありません・・・(涙)。社会人になって約40年、建築建材金物メーカーの営業のサラリーマン時代、織物業、トランクルーム業、不動産屋・・・と4つの全く異業種の仕事を渡り歩いてきましたが、山あり谷ありでした。音楽スタジオだけ4つとは全くビジネス的に違います。俗に言う、先の見通しが立ちにくく、世間の人気や嗜好に大きく依存し、収入が不確定な「水商売」だからです。会員数が750人近くなりましたが、それでも売り上げに波があります。正直去年の秋まで、売り上げが毎月右肩上がりの行け行けドンドンで、「第2(B)スタジオ」増設の構想がありましたが、それ以降横ばいという状況になってしまいました。ヤバいぞ・・・と。第2(B)スタジオは、会員数1000人になってからでも遅くは無いと改めて考え直しました。今年からスタジオの活性化として、スタジオライブ企画があります。主要顧客である高校生を応援するために、年3回「0724ライブ(高校生バトル)」を開催したいと思います。時期は2月、6月、11月を考えています。もう2月も終わりなので、6月のライブが記念すべき「第1回」となります。これに成功すれば、将来的には順次「ガールズバンド」「シニアバンド」「ポップス」「ロック」「ヘビーメタル(ハードロック)」「ジャズ・フュージョン」「フォークソング」「セッション」・・・とライブカテゴリーを増やしていきたいと思います。弊社スタジオでライブをすることによって、一般の人にとっても音楽ライブ(生演奏)を身近なモノにして欲しいのです。何事もヤッテみないと分かりません・・・スタジオで取り敢えず、自分がMCになってヤッテみる。経験こそ宝・・・この気持ちで、泉州エリアのスタジオオーナーで未だ誰もヤッテいないライブを始めるのです。ただ、弊社スタジオはあくまでも「リハーサル音楽スタジオ」であってライブハウスではありませんので、ライブの時間帯は12:00~18:00のお昼の間だけで「アルコール全面禁止」にし、ライブハウスと一線を画したいと思います。あくまでも弊社スタジオは「練習場」であり、夜のイメージがあるライブハウスではないという事です。昼はリハスタ、夜はライブハウス・・・という要は棲み分けです。同じ音楽業界を盛り上げていこうという、むしろライブハウスとは音楽業界の縦の協業関係です。高校によってはライブハウス出入禁止のところもありますが、そういった高校でも弊社スタジオライブなら出場できるのです。ミュージシャンというのは、人前で演奏したいモノです。そういった高校にとって、正に弊社スタジオライブは渡りに船だったのです。という事で、これまでの人生、特に織物業を辞めてからの12年間を振り返ってみると、仕事以外の時間で一番音楽を聴いている時間が長いですねェ(ドラムの練習と「・・・ながら」も含めて)・・・起きている間は大体聴いていますので、1日10時間くらいは聴いているのでしょうか・・・?オッサンの朝は早いです。毎朝4時か5時に起きて、ペットのワンちゃんを起こさないように新聞を読みながらBOSEのブルートゥーススピーカーでボサノバ、そして7時か8時に出勤・・・と言っても未だ客の来ないスタジオでロックを聴きながらドラム練習。仕事中は事務所ではDENONのミニコンポでPCかスマホのクラシック~ロック~ジャズ・フュージョン~サルサまで色んなジャンルの音楽をブルートゥース、軽トラはスマホの音楽をパイオニアのカーステで。夏のマーブルビーチでも、JBLの防水ブルートゥーススピーカーを持って行ってウインドサーフィンの風待ちで、チェアでリラックスして聴いています。だいたい夏は南系の風なので、ビーチのクロスサイド方向にパラソルを低い目に立てると、カンカン照りでも陰になってコレがビル風のように心地よい風が入るんですねェ・・・あまり気持ちイイんでウトウト寝てしまい、風が吹き上がってきてパラソルが飛びそうになり、ハッと目が覚めるというのが毎度のパターンですねェ・・・(笑)。ハワイ・ワイキキ西側のいつも行く人混みの少ないシークレットビーチでもJBLが大活躍。外国のビーチで敢えて日本の曲をチョット音量を上げて聴くんですねェ・・・外国でロングステイすると、これが日本料理や日本の音楽が恋しくなるんです・・・やはり、自分は日本人なんだと不思議と客観的な目で見ているのでした。こんな気持ち、日本で普段生活をしていると、あり得ない心境です。山下達郎、サザン、TUBE、高中正義(ギター)、チャー、増尾好秋(ジャズギター)、松岡直也(ラテンフュージョン)、ナベサダ(サックス)、向井滋春 (ジャズトロンボーン)、大橋純子、桑名正博、小野リサ、ユーミン、矢沢永吉、鈴木雅之、露崎春女、八神純子、嶋野百恵、EPO、竹内まりや、杏里、スタレビ、稲垣潤一、安全地帯・・・・すると、周りの外人達は「ナンや?ナンや?・・・オリエンタルチックな曲やん?日本の新曲かいな?」みたいな感じで、こちらをチラチラ見るんですねェ・・・これが、オモロイ・・・日本の30年前の曲なのに(笑)。しかし、コレが知らぬ外人同士の会話のキッカケになるんですねェ・・・「日本の曲、エエやろ・・・」みたいな感じで話が広がる・・・音楽は世界共通語・・・を正に体感するのです。そして自分の英語力不足を痛感し、今更敢えて机上の英語の勉強なんてしませんが、英会話の実践を積む事へのモチベーションを高めるのでした・・・(笑)。というか、発音は遙か昔に諦めましたし内容で勝負という事で、外人のあまり知らない日本史を学び直し、世界史の中で日本の状況を密かに復習したり、新聞を丹念に読んで経済の勉強するのでした・・・(笑)。日本語でもそうですが、相手を自分の会話のペースに乗せるには、世界の経済常識を知っているのが前提の上で相手の知らない不得手な事を話すのが鉄則ですから・・・(笑)。まァ、帰ってからの日本の夜の風呂もJBL・・・この風呂の反響音がイイ音するんです。と言った具合に、ズッと音楽浸けの毎日です・・・もう身体の芯から四六時中リズム、リラックス、リズム、リラックス・・・エイトビート(笑)。となると、音楽は趣味と言うより、もはや音楽なしでは生きていけないのでした・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.02.24
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貝塚市のど真ん中にある弊社トランクルーム貝塚の立地条件(貝塚市名越)を分析すると、お客さんにとってスゴク便利なのが最近になってよく分かりました。トランクルームのお客さんは大体車で来られます。貝塚、岸和田、熊取、泉佐野といった近隣のお客さんは問題ないですが、約半数の堺や大阪市内、和歌山や河内から来られるお客さんにとって高速道路がスゴク便利なのです。大阪湾岸道路と阪和自動車道のどちらの貝塚インターから10分という弊社の立地がイイのです。海(二色浜)からも、山(葛城山)からも近いという絶好の立地だったのです。これで、大阪市内や和歌山市内から1時間以内で来れます。トランクルームは月極駐車場と違って、毎日利用しません。年平均2,3回です。ならば、「安くて安全であれば、家から多少離れていても断然お得!」という計算が成り立ち、賢いユーザーさんが、大阪市内や堺から弊社トランクルームを借りに来られるのです。これに加え、外環状線も和泉市や河内方面からのアクセスが便利です。また、トランクルーム内にあるリハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」のお客さんの約半数は高校生ですので、大体電車で来られます。電車というと、南海本線かJR阪和線ですが、どちらに乗っても便利です。南海本線は水間鉄道に乗り換えて「名越駅」から徒歩4分。JR阪和線「和泉橋本駅」から徒歩20分。それも、ほぼ一直線で道が分かり易いのです。オッサンからすれば、徒歩20分というのはチョットしんどい距離ですが、高校生にとって許容範囲です。しかも、楽器(ギター)を担いで・・・幸い、和泉橋本駅からスタジオまでの道中に貝塚南高校があります。貝塚南高校軽音学部から沢山のお客さんが来られているのも、集客という意味で追い風になりました。これが、和泉橋本駅から徒歩30分以上掛かる森とか三ツ松にスタジオがあれば、ここまで集客出来なかったでしょう。徒歩20分の名越だからこそ、若者向けのリハスタビジネスが成り立っているのです。この駅から徒歩20分というのが、高校生にとって許容できるギリギリのポイントだったのです。徒歩25分だとダメだったのです。不動産仲介においても、「駅から徒歩15分まで」というのがバロメーターですが、これは大人の家族も含むためです。徒歩20分という条件では、かなり苦戦を強いられます。幸い今、泉州エリアの高校生のバンド活動が活発なので、弊社はその恩恵を受けているだけの事だったのです・・・もし高校生の間でバンドブームが去れば、リハスタビジネスは成り立たないかもしれません・・・浮かれて調子に乗っている場合では無いのです・・・(笑)。その為に、高校生だけ「1時間1000円(1部屋)」という格安のスタジオ利用料金を提供して、今一生懸命に種を撒いているのです・・・高校時代一生懸命バンド活動すれば、卒業して止めても、その後いずれバンド活動を再開して弊社スタジオを使ってくれるだろう・・・というロングスパン計画です。音楽は一生モノですから・・・しかし、徒歩20分で驚くのはまだ早いです。運賃が高い水間線(貝塚ー名越間:片道270円)に乗るのが勿体ないと、南海貝塚駅から1時間掛けて歩いてくる高校生も少なからず(驚)。常連の高校生なんかは、泉大津から自転車で来られます。まァ、自転車なら岸和田や泉佐野からは普通に来られますし、単車で来られる高校生も多いです。本来高校生のパワーとは、若さとはそんなモンです。私も高校時代、シカゴのコンサートに厚生年金会館まで難波駅から1時間掛けて歩いて行きましたから。単に、地下鉄に乗れなかっただけですが・・・(笑)。という事で、当初「名越の村中でビジネスができるのか?」と周囲も私自身も不安でしたが、案外「灯台もと暗し」だったのです。これら全て、後になってお客さんに指摘されて、初めてハッと気づいたのです。中々、自分のことは自分でワカラナイものです・・・名越は南北に細長い貝塚市のほぼ真ん中に移置し、国道と府道、南海本線とJR阪和線が横断し、湾岸道路と阪和道の貝塚インターから10分・・・この地理的条件がトランクルームとスタジオにピッタリだったのです。海寄りでも山寄りでもダメだったのです。海寄りの南海貝塚駅前だと地価が高く阪和道から遠すぎ、山寄りだと駅から遠すぎます。JRも南海本線も利用でき、湾岸高速や近畿自動車道からも近いという素晴らしい条件が名越には揃っていたのです。そして、もう一つ朗報です。近い将来、泉州山手線(都市計画道路)が名越駅近くを横断します。これによって、弊社へのアクセスが更に便利になるだけでなく、平成31年に近くの千石荘病院跡地に清風学園グループが専門職大学を開学する予定なので、名越周辺が昭和30年代の織物全盛期のような活況を呈するでしょう・・・か?戦後、日本経済を牽引してきたのが他ならぬ繊維業界で、貝塚市は日本一の織物産業の集積地だったのです。更に更に、関空から近く、インバウンドの外国人や東京から大阪市内にライブ演奏に来られたミュージシャンにもスタジオを使ってもらえるのも隠れたメリットだったのです。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.02.19
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今年62歳になりますが、12年前に祖父の代から約60年続いていた大阪泉州の地場産業であった織物業を廃業し、織物工場を改造コンバージョンしてトランクルーム業に転業しました。その1年後に宅建資格を取り不動産仲介業も始めました。そしてトランクルーム(全171室)の空室対策として、空き部屋を改造して2016年にリハーサル音楽スタジオ(スタジオ0724)、2017年に卓球場(貝塚卓球センター)と自習室(レンタル自習室0724)を始めました。更に、毎週火曜日10:00~12:00はスタジオを無料で開放してで空手指導のボランティアをしています。夏は風が吹けば平日でも、関空近くのマーブルビーチでウインドサーフィンを適当に楽しんでいます。ウインド仲間の多くは(50代中心)寒い冬も白浜などでやっていますが、私は持病の高血圧症もあり、そこまで元気はありません。しかし出来るだけ健康寿命を延ばし、80歳までボチボチ楽しもうという細く長く気の長い計画です・・・(笑)。イロイロやっているように見えますが、実は恥ずかしい話、皆私の「青春時代の失敗談」から来ています・・・(笑)。来ていると言うより、引き摺ってきた・・・と言うべきか?もちろん、12年前の織物業からトランクルームへの転業も、家業を継続できず先祖に申し訳なかったの一言です。言い換えれば「織物業の継続に失敗」と言えます。倒産せずに上手く転業できましたが、あと2年無理して頑張っていれば2008年のリーマンショックで潰れていたでしょう・・・今考えれば、正にキワドイところだったのです・・・無理せず余裕を残して廃業した事がラッキーだったのです。バブル前年の1987年の円高不況時に安く設備一新したのもラッキーでしたが、廃業で中古織機を北京オリンピック好景気に湧く中国に転売できたのもラッキーでした。私は株の売買はあまりしませんが、株と同じように安く仕入れて高く売り抜いたのです・・・(笑)。設備には建物を2棟壊して工場を新築しましたので何億もかかり、単なる株の売買と違って正に死活問題だったのです(汗)。転業から2年後に始めた不動産屋(仲介業)も、従業員を1人も雇っていませんので大きな事はせずに、貝塚市に絞ったエリア限定の仲介オンリーというスタイルです。あくまでもトランクルームがメインなので、片道15分以内の物件に限定しているのです。片道30分なら時間のロスにもなり広範囲になってしまい、昔の細かい事は分かりません。片道15分以内なら、50年前は「どうだったのか?」というのが大体分かるものです。それがネイティブによる地域密着型不動産仲介の強み・・・と言えるかも。エリア内の自社の両手仲介だけでなく、大阪市内といったエリア外の同業者からの貝塚市内の物件の共同仲介依頼にも発展するところが弊社の強みと言えるかもしれません。案外、地元民は地元の不動産屋に相談すると中身がバレるのが恥ずかしいのか、弊社エリア外(岸和田、泉佐野、堺、大阪市)の不動産屋に相談しているケースもあり、そういう情報(オープンな)が弊社に流れてくるのも皮肉なものです・・・(笑)。もちろん不動産屋には守秘義務があり、クローズドな個人情報を漏らすと罰せられるので安心して欲しいのですが。まァ、無借金経営を貫き、仲介物件を一件一件積み上げていき、地元での信用を長年かけて創り上げていくというロングスパンの計画です。音楽スタジオを始めたのも元はと言えば、中学1年の時に洋楽ロックに目覚め、ブラスロックのシカゴに憧れ鳳高校オーケストラ部でトランペットを始め、大学時代は地元中学の同級生らとバンドでドラムをやったり、高校同級生のフォークバンドでボンゴをしていたのがキッカケです。しかし、いつもハモリ専門のサードトランペットで、憧れの旋律を吹くファーストは結局吹かせてもらえませんでした・・・(涙)。それどころか、3年になると優秀な後輩にトランペットを譲り、適当に指揮者やスネアドラムをやらされていました・・・勉強も低空飛行で、最初は工学部建築学科希望で理系の勉強をしていましたが、浪人になって私立文系に様変わりして、色んな科目を適当に勉強していました・・・(笑)。まァ一言で言うと、「暗く悶々とした青春時代」と言えるでしょう。関西外大(英語)では殆ど勉強しませんでしたが、片道2時間の通学時間を無駄にせず毎日1冊本を読むことを自分に課し、家業の織物業を朝5時から2時間手伝ってから登校し、空手やウインドサーフィン、ドラムを適当にして土曜の夜はミナミのディスコによく繰り出しました・・・当然、英語も仕事で使えるほどペラペラにはほど遠く、海外旅行でチョット使える程度のショボい英語力だったのです・・・(涙)。まァ空手でも同じ流派の全日本クラスの人達と一緒に稽古すると、彼らの鍛え抜かれた恐ろしいスピードと気迫に次元が違うと落胆し(こりゃ無理だと)、ウインドサーフィン全日本選手権でもトップクラスの人のテクニックとセンス(見えない風が見えるという)に圧倒され自分が情けなくなりました・・・空手もウインドサーフィンも小柄私にとって不利なので、体格(体力)差をカバーするには筋肉増強でパワーを付けるしかないと、和泉大宮駅近くにあったボディビルディングジムに通い始めました。周りはミスター大阪○位といかいう、マッチョばかりの本格的なボディビルダーばかりです。たまたま代表の方が叔父が経営する会社の元従業員だったため、甥だった私に対して親切に指導して頂き非常に良くしてくれました。当時は「筋肉を付けるのは25歳まで」という常識があり、焦って未だ日本でプロテインが発売されていなかったので、通販で買ったアメリカ製の不味いプロテインを牛乳で混ぜて鼻をつまんで飲んでいました・・・(笑)。元々マッチョが目的ではありませんでしたが、それなりに一生懸命通ったお陰で筋肉が多少付いて、スポーツタカハシカップというウインドサーフィンの大阪のローカルレースで優勝した事で大いに自信を深めました。筋肉という意味でこれも中途半端に終わりましたが、当時まだまだ未開拓なボディビルという体験と勉強によって、その後のコナミスポーツやジョイフィットの筋トレに大いに役立ちました。まァしかし実力ミュージシャンのライブで感動するのと同じように、トップレベルの競技者と同じ土俵で戦う体験ほど目を覚まさせるショックはありません・・・ドラムセットを中古で買って自宅の音が漏れくい土蔵で練習しましたが、我流だったため1年半で挫折してしまいました・・・(涙)。その他、オーディオにも懲りましたが、本当のマニアのように何百万も掛かるような事はせずに、オープンデッキ、カセットデッキ、スピーカー、アンプ、チューナー、レコードプレーヤー合計で5,60万くらいのソコソコの音質グレードに押さえ、それより車など何処でも聴けるようにFMラジオのエアーチェック中心にカセットテープにせっせとノイズリダクションを掛けてダビングしていましたねェ・・・今思えば感心しますが、毎週FMレコパルか週間FMを買って赤ペンでダビングする曲をマークしていた「芸の細かさ」が、その後の織物工場での「カイゼン」や多品種小ロット対応、171室もあるトランクルームや会員数700人を超えたスタジオの対応を一人で熟してイケているのかと思います。まァ、この一見無駄のようなオーディオの知識と経験が、その後織物業の防音と防振対策に、音楽スタジオの設計に大いに役立つとは夢にも思いませんでした・・・金額に換算すると、ウン千万円の節約(価値)です・・・(驚)。普通道楽は大損をするものですが、好きな道楽がウン千万円に変わるとは、私も先見の明があったのか(笑)。小中学生時代も図画工作が好きで成績はずっと5でしたが、これも中途半端で画家に成るほど才能はありませんでしたが、トランクルームに転業してから大いに役立ちました。何故なら、部屋の中にロフト(棚)を作ったり、床や壁にペンキを塗ったりするのに大いに役だったのです。まァしかし、当時自分なりに一生懸命頑張った結果、みんな中途半端に終わっていたのです・・・(涙)。若い頃はファッションも趣味や世相に影響されやすいものですが、当時のロッカーはロン毛にパンタロン、空手は硬派な角刈り、サーファーはアメリカ西海岸ファッションという完全に見分けが付くファッションをしていましたが、私はサーファーっぽいパンチパーマというこれまた中途半端なファッションをしていたのです・・・(笑)。まァしかし、本当に一生延命ヤリ続けたというのは家業の織物業だけ・・・という事になります。これには優勝も何もありませんが。一生懸命ヤッタと言うより、一生懸命しなければ学費も稼げませんし生活が掛かっていましたから。中高時代から工場の荷作りや掃除などの雑用をチョロチョロやらされ、浪人時代から本格的に従業員のように組み込まれました。大学時代は毎朝5時から2時間働き、長期休暇(夏、冬、春)となれば12時間働き、大学生とは名ばかりで工場従業員そのものでした・・・(笑)。夏の織物工場は一歩中に入ると汗が直ぐに噴き出るような、騒音100デシベル、室温40℃、湿度90%の非常に過酷な現場でした。お陰で、デートするときは身体の油臭さを取るのに苦労しました・・・(笑)。しかしそんな環境でも、人間というのは慣れるんですねェ・・・お陰で難聴(職業病)になりましたが・・・(笑)。織屋を辞めるとほぼ90%治りましたが・・・ここでも人間の順応性にビックリ。織屋の基本である「機織り」「つなぎ(タイイング)」「検反」「荷作り」「掃除」を徹底的に叩き込まれ、従業員の採用面接までしていました。そこまで長男の私にさせるのは、長年父親は心臓病を患っていたため、早く交代させたかったのでしょう・・・仕事だけでなく、若かった私もイヤだった村の行事や親戚の付き合いにも行かされました。これにはホント参りました・・・20歳ソコソコで、5,60代のオッサンとどんな世間話をすればイイんですか?話題に困り果てましたが、当時必死にアレコレ考え喋って切り抜けたのでしょう・・・(笑)。しかし、今思えばコレが良かったのでしょう。人間本来は怠け者で、イヤなことは避けたいものです。しかし、そんな事を続けていると人間として成長が無いどころかダメ人間になってしまいます。窮地に追いやられ、切羽詰まらないと「努力」しないものです。そんな環境に追いやられて、今では感謝しているのです(笑)。今、男性の定年退職後に孤立するのが社会問題化しつつありますが、60歳で地域社会デビューしても手遅れなのです。まァしかし、家業の手伝いと家の事だけシッカリやれば、後は男だから好きなようにせよ・・・と父親は何も言いませんでした。なので、だんじり祭に狂って他所のだんじりの太鼓を叩き荒らしても、ウインドサーフィンに凝って大学に同好会を創っても、空手の練習で顔を殴られ腫らしても、何も言いませんでしたし、私も反抗期だったので報告も何もしませんでした・・・20代のサラリーマン経験もそうでしたが、青春時代に自分のヤリタイ事を自分なりに一生懸命した結果「限界」を感じて方向転換した事がヨカッタのだと思います。また、それを経済的時間的に許してくれた20年前に亡くなった父親に感謝しかないです・・・(涙)。その青春時代の中途半端に終わってしまった経験があったからこそ、49歳の時に家業の織物業に「限界」を感じて、トランクルームに「方向転換」させたのだろうと思います。1つの事だけに拘らず、イロンナ事にチャレンジし自分なりに一生懸命ヤッテ、限界を感じる・・・この経験がイイのだろうと思います。限界を感じたら、「次はどうしよう??」と必死に自分の脳ミソを考えるのがイイのです。還暦を過ぎて言えることは、「人生、これ(限界を感じる)の積み重ねかなァ・・・」と(笑)。これまで周りを見ると、才能があって努力家でソコソコのところまで行っても、途中で身体を壊してしまう、或いは売れない(世間に認知されない)とか、ウインドサーフィンのようにブームが去ってしまって自分の努力ではどうしようも無いという境遇に追い込まれる・・・というシーンを多く見てきました。所謂1つの事に青春を捧げてきても、極々一部の人を除いて殆どの人は実を結ばない(それでメシを食っていけない)・・・という厳しい現実です。この事は、若い頃から1つの事だけをヤッテはいけない(2つ以上の事をせよ)・・・という啓示か?拡大解釈すれば、社会人になって1つの会社に縛られず、常に他の事(他社でも通用するスキルを持った仕事術)にも関心を持てと言えるかもしれません。昔と違って特に今の変化の激しいグローバル化した時代、定年まで3,40年ずっと同じ会社で同じ仕事というのはあり得ません。どこかで転職、転業、リストラ、起業せざるを得ない時代と言えるでしょう。そうなった時に、自分や家族を守る(収入を得る)スキルや経験や人脈がなければなりません。資格なんて独占業務の国家資格以外殆ど即戦力にならないと、その時始めて知っても後の祭りでしょう・・・という事で、もう最近年を取ったのか昔の回想ばかりです・・・(笑)。昔の回想をして、将来の妄想をしているのか・・・(笑)。今振り返って、空手も中途半端にやっていたお陰で身体も壊さずに今でも年齢に応じた空手の稽古に励んで(楽しんで)いますし、ウインドサーフィンもマイルドなボードに変えたお陰であと10年は楽しめそうです・・・ドラムも月3,4回弊社音楽スタジオのレッスンに通いながら、ボチボチロックを楽しみながら叩いています。ドラムも何とかこの年でチョット叩けるのも、若い頃に身体を壊すほど運動しなかった事も幸いしたのは勿論、祭りの大太鼓の練習や空手の基本稽古で正中線と体幹を拳立て伏せで手首を鍛えられ、身体の中心から手首への連動運動(振り)を身体で覚えたのがヨカッタのだろうと思います。ブラスロックのトランペットをしたくてオケ部に入って、家ではロックを聴きオケ部でそれまで殆ど興味も無く聴く事も無かったクラシックと映画音楽を中途半端に体験したことによって、音楽に対する許容範囲が広がった事もスタジオ経営にプラスに働いているように思います。ロック+クラシックが、その後ジャズ、ラテン、フュージョン・・・に広がっていったのです。今では、日本で発売されていないようなワールドワイドな曲をYOU TUBEでドンドン聴いていますし、スタジオの若い子らが演奏している今風な曲にも拒絶反応は起きません・・・(笑)。空手もウインドもドラムも中途半端に終わってしまったから、「いつか、もう一度・・・」という強い想いがあったのでしょう・・・しかし、20年前の今頃はまだ暗くて寒い朝5時に出勤し、クタクタになるまで夜遅くまで仕事をし、帰ってビールを飲んでバタンキューの繰り返しでした。血圧も高いのに、26℃の織物現場と0℃の倉庫をしょっちゅう行き来していましたので、身体に良いはずがありませんし、長年の過酷な肉体労働によって慢性腰痛(ヘルニア)になっていたのです。そこから解き放たれて、今はホント自由奔放か・・・(笑)。長年織物業で苦労した反動で、今は一人でトランクルームを主軸に不動産仲介業を加え、ここ2年の間に始めた「チョット遊びを取り入れた」スタジオと卓球場に力を入れていきたいと思います。特にスタジオは決して儲かりませんが、可能性は無限大にあると信じています。可能性というのはスタジオを始めたミッションで、「泉州に音楽を広める・・・」という事です。何でもそうですが、「自分にしか出来ない事」に人生の意義があり、そういう意味で広い音楽スタジオのオーナーである私しか出来ない事を考えました。その第一弾として、今年からスタジオのメインユーザーである高校生をバックアップするために、高校生バンド大会「0724ライブ」を毎年3回開催したいと思います。そして10年後には、4人の孫娘がガールズバンドを組んでいる・・・という勝手な夢を見ているジイサンがここにいました(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.02.15
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昨日は大阪ミナミで、毎年恒例の鳳高校(27期)1年10組のクラス会でした。今回は14人参加で、初登場にIさんです。彼女とは卒業から実に44年ぶりの再会です。1年10組のクラスメートでまだ20人くらい44年も会っていない子がいますので、来年以降1人でも多く再会したいモノです・・・(涙)。メチャメチャ愉しいですよ・・・でも、時空を超えてあの時と同じように普通に喋っている私達が不思議です・・・たった1年間同じクラスだけだったのに、イロイロ青春の思い出が詰まっているんですねェ・・・(涙)。クラス会をやろうと思っても、当時の思い出を共有出来なければ(少なければ)、クラスメートは集まりませんしヤレルものではありません。幸い、小6と高1のクラスが仲良かったのが人生に潤いを与えてくれました・・・(涙)。人生、勉強だけではオモシロくない・・・のか?学年同窓会は人数が多すぎ、たまにしか開催されませんのでユックリと喋れませんが、クラス会は少人数でこじんまりとして毎年でも開催できますので中身の濃さが違います・・・そして最終学年の3年生と違って、1年生というのがイイでしょう。3年だと受験勉強で忙しいですが、1年は中学を卒業したばかりで皆初々しく好奇心旺盛でキョロキョロしていたように思います・・・(笑)。私なんか頭が丸坊主の貝塚の田舎モンで、堺ガールの洗練されたファッション(ロン毛と皮靴)とキレイな大阪弁に毎日ドキマキしていたものです・・・(笑)。しかしこのクラス会も、もう10回くらい続いているのでしょうか。この10年でみんなそれぞれイロイロあったようです。50歳から60歳の間ですから、子供の教育と結婚、孫の誕生、病気、勤務先の倒産や廃業、リストラ、左遷、国内外の転勤、転職、転業、単身赴任、定年退職、再就職、起業、親族と死別、親の介護、別居、離婚、再婚、家の新築やリフォーム・・・と人生イロイロありました。ブログに書けない事も一杯アルアル・・・(笑)。そりゃもう、FP的にも色んなライフイベントが目白押しです・・・(笑)。それを乗り越えたり、乗り越え中だったり、一休み中だったり、これからだったり・・・それが我々昭和31年生まれの61歳のリアルだと思うのです。最も直面した課題が親の介護問題です・・・両親とも健在というクラスメートは殆どなく、どちらが亡くなっているか両方とも亡くなっているか、今正に介護中だというのが殆どです。昨年3月末でサラリーマンは一旦「60歳定年退職」でした。このクラスから府立高校校長や2人の副市長経験者という公務員やサラリーマンもほぼ全員一旦現役を引退しましたが、東京から駆けつけてくれた某超一流大手企業の現役役員のクラスメートは、私共々まだまだ頑張らねば・・・と意思を確認。60歳を境に、更に大きく人生が変わるのを目のあたりにします・・・これが人生かと。30代や40代は60歳定年はまだまだ先の事だと思い、実感とはほど遠いモノだと思いますが、50歳になると5年後の55歳の役職定年をピークに年収が減り始め・・・そして「その先」がハッキリと見えてきます。考え方は人それぞれですが、49歳で織物業からトランクルームに転業してきた61歳にして思うことは、「50歳から手を打つ(行動する)」事の重要性です。打つか打たないかで、60歳定年以降の10年どころか、死ぬまで(日本人平均寿命:男81歳,女87歳)の20年間の人生が大きく変わると思います・・・60歳からの20年・・・長いですよ。60歳で継続雇用になって、仕事量がそのままで給料が半減・・・というのはよくある話です。問題はその本質です。敢えてブログに書きませんが・・・しかし、この20年間はホント大きいと思います。しかし今回も大いに盛り上がりました・・・私のテレビ出演(となりの人間国宝さん)でも盛り上がりました・・・(笑)。話のネタにされただけですが。しかしクラス会の堺在住の1人が、家の建て替えでちょうど近所でトランクルームを探していたところ、私のテレビを見て「多少離れていても、安くて安全なら借りたい」というオファーを頂きました。この1件だけでなく、テレビに出てから親戚や友人、町内や行く先々で「テレビ見たで・・・」の嵐が・・・(笑)。やはり、テレビの力は新聞よりスゴイと感じた次第です・・・目だけの新聞より、目と耳からのテレビの方がインパクトが強いのでしょう。という事で、小学校のクラス会もそうですが、今回も少人数のクラス会の連絡は幹事さんの負担を減らすために基本的にグループLINEでした。これまで一々往復はがきで返事をしていたのですが、LINEで一発です。これで幹事さんの負担激減です。どこの会の幹事さんの責任とプレッシャーというのは相当なモノですから・・・まァ、便利な世の中になったモノです。スマホで写真を撮ってグループLINEに投稿すれば、一瞬にしてみんなで共有できますから。しかし、一昨日は先月生まれた4人目の孫のお宮参りに地元貝塚の感田神社へ行った後貝塚新地の料亭「この木」で夕方までお祝いの宴会、昨日は早朝から仕事を片付けその後孫の保育園の学芸会に駆けつけビデオを撮り、昼から先月生まれた孫のお祝いに新婚の甥や姪が新しい配偶者のお披露目を兼ねて駆けつけてくれ、ワイワイ楽しんでいるのも束の間、その後すぐに電車に飛び乗ってミナミへクラス会・・・と目まぐるしい2日間でした(笑)。昨日はカシスオレンジが合うのかビール2,3杯のあと10杯ほど呑んでほろ酔いで最終電車で帰っても、日曜の朝はキチンといつもの「ゲンキの時間」「がっちりマンデー」「報道2001」を見ているのでした・・・(笑)。イヤ、ヘパリーゼが効いたのか?にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.02.11
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本日、関西テレビ(8チャンネル)の「よ~いドン!」という番組の中の「隣の人間国宝」というコーナーで出演させて頂きました。1年ちょっと前に読売テレビ(10チャンネル)の「情報番組ten」の安倍首相とトランプ大統領が会談した日に1970年代の日米繊維交渉の「生き証人」として出演しましたので、我ながらよくマスコミに出ているもんだなァ・・・と感心します(笑)。今回出演のキッカケも、番組ディレクターがこの私のブログを見たのが原因のようです。振り返ってみると、12年前に朝日新聞に織物業からトランクルーム業に転業したという記事もこのブログがキッカケでした。7,8年前にNHKの報道番組に出たのも、NHK海外班ディレクターが私のブログを見ての連絡でした。大手新聞やNHKテレビ、民放大手テレビに報道されることで、トランクルーム集客に大いに役立ちました。やはり、なんだかんだ言っても、大手マスコミをまだまだ国民は信用している証拠です。しかし、たかがブログ、されどブログです。単なる日記として淡々と書いてきましたが、決してバカにしてはいけません。見る人は見ているのです・・・淡々と書いていると言うより、実は仕事と割り切ってスッゴく意識して書いていますねェ・・・(笑)。有名人は何も意識しなくとも検索上位に来ますが、我々一般ブロガーは努力無くして上位に来ません。SEO的にグーグル対策を考えて書くのは一般ブロガーにとって当然の話です。この個人ブログだけで無く、ホームページ6つ(トランクルーム貝塚、貝塚不動産.com、スタジオ0724、レンタル自習室0724、貝塚卓球センター、東ヶ丘月極駐車場)、フェイスブック7つ(個人、トランクルーム、不動産、スタジオ、卓球、自習室、空手)、ツイッター3つ(スタジオ、卓球、自習室)、YOU TUBEアカウント2つ・・・これら全てを1人で管理し、相互リンクさせているのも大きな強みだったのです。それがトータルアクセス数165万を超え、ある意味、12年もの長年の努力が実ったと言えるでしょう・・・12年もの間、ブログを書くのは決して順調ではなく、コンテンツ面でも技術的な面でも、それなりに試行錯誤で苦労の連続でした。そりゃ、何もかも初めてする事ですから・・・仕事と割り切っていたからこそ12年も続けて来られたのであって、遊びのプライベート感覚なブログではとっくの昔に投げ出していたでしょう・・・仕事という目的(目標)があったからこそ出来たのです。ただ100%仕事だけのブログだけでは見る人はオモシロくありませんし、ネタも切れますので、時々プライベートな事も挟みながら書くのもホント苦労します。作家になれるんちゃうか?というくらいこれまであまり使わなかった頭を120%フル回転させないと書けるモノではありませんでした・・・(笑)。これまで2100話も書いていますので、1話2時間掛かるとして4200時間(丸175日間)も費やした計算になります。恐ろしく長い時間を費やしましたが、決して無駄では無かったのです。まァ決して、マスコミに取り上げられた事がラッキーだけでは無かったのです。マスコミに取り上げられるメリット以外に、仕事(トランクルーム、不動産、音楽スタジオ、自習室、卓球場)で初めてエンドユーザーのお客さんとお会いする時、お客さんは私のブログを既に読まれているケースが多いので、初めて会った気がしないという「和やかなムード」が話をスムーズにさせます。実際の取材ですが、タレントとして円広志さんが来られました。円さんは「スタジオ246」という音楽スタジオチェーン店を経営されているのは有名な話です。いつも左胸にスタジオのバッジを目立つようにされています。このオーナー企業の精神は見習うべきモノがあります。公私混同・・・大いに結構。オーナー企業や創業社長は、自分の会社が可愛いし守りたいモノです・・・この気持ちはサラリーマン社長さんや一般サラリーマンでは絶対ワカリマセン・・・特に弊社の場合は、トランクルーム所在地が150年前に曾祖父が2軒隣から分家した私の本籍地ですから。超大手企業のサントリーの故佐治敬三元社長も何処へ行っても「サンサン、サントリーを宜しく・・・」てな具合に、恥も外聞も捨てて自社アピールに懸命だった姿に感銘したモノです。超大手企業トップでもこれくらいしているのだから、零細業なら尚更もっともっと日頃からアピールしないといけないという事で、キャッチコピーを四方に貼った軽トラックを毎日乗っているのです・・・(笑)。普通考えれば恥ずかしいような事でも、佐治敬三さんの事を思えば何でもありません。もう見栄とかハッタリを超えた、一種の悟りを開いた坊さんのようです・・・(笑)。今では逆にショッピングに行けば、駐車場の目立つところ(留める場所)を探すようになりました・・・(笑)。という事で、円広志さんの「スタジオ246」と弊社の「スタジオ0724」のオモシロイ掛け合いが見物です・・・(笑)。弊社に来られて打ち合わせも無しに直ぐにカメラを回わしても、予め予習されているのか上手なアドリブを噛ませながら収録されているシーンに、さすが息の長いタレントさんは違うなァ・・・と感心させられました。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.02.06
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