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泉州エリア(特に岸和田以南)のトランクルーム(レンタル収納スペース)と言えば、約90%が野晒しの「屋外型」コンテナですが、弊社「トランクルーム貝塚」は数少ない「屋内型(ビルトイン)」トランクルームなのです。国道や府道沿いに無人で管理人のいない「コンテナ」がめっきり増えたのが、それを正に表しています。弊社の「屋内型トランクルーム」では夏でも室温が26℃くらいまでで、冬でも10℃です。年間の温度差がそれほどなく、荷物へのダメージが少ないというのが実は1番の特徴だったのです。残念ながら、弊社戦略として「日本最安値(平米賃料)」を前面に押し出していますが、本当のところはこういう「品質」にも目を向けて欲しかったのです。しかし未だにこの事実(弊社は「屋外型」ではなく「屋内型」)を知らずに、電話してきたり見学に来られたりする方が多いのに驚かされます・・・もう12年も経っているのに。自分ではトランクルームというのが相当普及していると思うのは、明らかに自分の思い上がりです。まだまだ、殆ど世間に知られていないというのが真実だろうと思います。もっと謙虚にならなければ・・・(反省)。トランクルームビジネスは東京23区や大阪市内といったマンションが多い都会型ビジネスですので、広い一戸建てが多い田舎では流行らないのは普通に考えれば誰でも分かります。住居面積に制限があり収納に困ってるマンション住まいの方が、トランクルームの主なお客さんだったのです。一戸建てだと何処かに荷物が置けるので、わざわざお金を払ってまで貸倉庫(トランクルーム)を借りる必要はサラサラないのです。特に泉州ネイティブの住環境は敷地面積100坪というのが普通サイズですから、残念ながら弊社の近隣周辺にはトランクルーム需要がなかったのです・・・(涙)。過去12年間トランクルームを営んできて、それこそ公私とも色んな人と喋ってきても、未だに「トランクルームって何?」という根本的な質問も結構多いのです。おそらく、トランクルーム、不動産、スタジオ、卓球場、自習室、過去の織物業関連、地元商工会議所関連、プライベートなど新旧含めて実際会って直接喋ったのは、少なく見積もって1日2人として2×365×12=8760人ですので、5000人は軽く超えているでしょう。これに契約率が低い不動産のオファーも含めた電話やメールだけの新規オファーを含めれば、10倍の5万人は軽く超えているはずです・・・それほど過去12年間は(今でも)、毎日、毎日初めての人との出会いや電話(メール)ばかりだったのです・・・織物時代は今のようなエンドユーザー相手ではなく、BtoBビジネスで付き合う人間関係も限定されていたのと大違いです。まァしかし、これだけ多くの人と会うと、名刺を印刷屋に頼んでいると間に合いません。キャッチコピーやデザインや肩書きなど、しょっちゅう変わりますし量も多いからです。自分で臨機応変に名刺を作ることによって、上手に対応できるのです。自分でパソコンで名刺を作る事によって、IT技術がアップし応用でフライヤーも簡単に作ることが出来ました。名刺を自分で作ることによって、大幅にコスト削減に貢献できたのです。まだ頭の柔らかい20代のサラリーマン時代も毎年1000人と名刺交換していた訳ですが、頭が固くなった5,60代になっても、こんな事を続けるというのは確かにボケ防止になっているのかもしれません・・・(笑)。しかし、この「場数を踏む」繰り返しによって多少「胆力」が付き、どんな人間が来てもビビるどころか、楽しみに変ってしまったのです・・・(笑)。多くの人は初めての人と喋る時は緊張するものですが、単に場数を踏んでいないだけの事です。誰でも、そういう立場に置かれれば慣れてくるものです・・・要は慣れです。過去にNHKや読売テレビや関西テレビに出ましたが、このお陰で自分でも驚くほど全く緊張しませんでした・・・(笑)。仕事で無意識にアンチエイジング(ボケ防止)になっている事に加え、毎朝1時間の両手両足を使うドラム練習でもアンチエイジングになっているのか・・・・?楽しく頭(仕事)と身体(ドラム)の両方でアンチエイジングして、100歳まで生きるという目標もこれで達成しそうかな・・・(笑)。高校オーケストラ部時代は、クラシックでは当たり前ですが譜面を見ながらトランペットを吹いていました。言ってみれば、左脳(言語力、論理的に考える力、計算力、物事の分析力)の訓練です。社会人になってから、多くの人と出会いによって右脳(直感力、音楽力、図形力、全体を見渡す力、空間認知力)の方が発達したように思います。今のドラムレッスンでは、譜面を見ないで右脳中心のフィーリングで叩いています。過去の自分の経歴を分析すると、これで現状の説明が付くのです・・・(笑)。という事で、まだまだトランクルームの使い方が知られていないので、あの手この手で普及(告知)活動を再度開始したいと思います。エンドユーザーに対しては、この楽天ブログだけでなく、トランクルーム、不動産、スタジオ、卓球場、自習室の各ホームページ、フェイスブック、ツイッター、LINEといったネット(デジタル)戦略をSEO対策を考え相互リンクしあいながら更に強化したいと思います。そしてアナログ戦略として、貝塚市を含めた近隣の岸和田、熊取、泉佐野の3市1町にある同業者である不動産屋を、宅建協会、全日といった所属団体に関係なく実際に回ろうと思います。同じ宅建協会の方々とは新年会や総会でお会いしますが、なかなかジックリ話す時間もありません。やはり人間、フェイスツーフェイスで話さないと分り合えません。実際に訪問して、不動産業界の情報交換だけでなくトランクルームの使い方(新築やリフォーム時の家財道具の短期保管)をジックリ説明しようと思います。顔見知りの不動産屋もあれば、全く知らない(新規の)業者も多いですが、そこは飛び込み営業です。事前調査でトランクルーム需要の可能性の有無や弊社仲介ビジネスにプラスになるかどうかの判断の上、おそらく全部で200~300社くらいに絞り込まれるかもしれません。しかし言ってみればこれって、ドブ板戦略、不動産屋「行脚」です。ここで経営者の「行動力」が問われます。賢い人ほど考えすぎて、1歩も踏み出せないケースが多いようです。実際のビジネスは頭だけで解決出来るほど甘くはありません・・・これまでの経験上、それなりに考えたら即行動です・・・そして、必ず壁にぶち当たりますので、そこでまた考え、戦略を修正変更してまた行動・・・これの繰り返しで、だんだん精度が上がり練り上がってくるのです。まァ、多くの場合そういう過程を踏むわけで、ゴチャゴチャ言わず(考えず)に例えばドラムが上手になりたかったら先ずスティックを握ること、ウインドサーフィンが上手くなりたかったら先ず道具をもってビーチへ行くこと、空手が強くなりたかったら先ず道場へ通うこと・・・先ず行動ありきです。不動産以外のトランクルームや音楽スタジオや卓球場や自習室はデジタル戦略で種を撒き、お客さんが弊社まで足を運んでくれる「待ちの営業」ですが、不動産は外に出て行くリアルでアナログティックな「攻めの営業」です。12年前のトランクルームへの転業時に、実は既に不動産屋と引越し業者を一通りトランクルームの営業で回っていたのです(弊社が不動産屋を開業する前に)。「トランクルーム業者が初めて営業に来た!」という当時新鮮な気持ちで受け入れられたと思いますが、今回は同じ不動産屋として訪問し、不動産業界の情報交換だけで無くトランクルームのセールスにポイントを置くのです。そのついでに「音楽スタジオ」「卓球場」「自習室」の話題もチャッカリしますが・・・(笑)。単なる不動産屋の表敬訪問ならスルーされる可能性も高いですが、弊社の場合貝塚市に特化した不動産情報を持っていますし「トランクルーム」という強力な武器がありますので、アポ無し訪問でも何らかの手応えはあるでしょう・・・そして3市1町の不動産屋「回り」で更なる手応えを掴めば、南は岬町北は堺市まで不動産屋「行脚」を継続して行きたいと思います。この一連の行動(セールス活動)は絶対無駄にならず、絶対何らかのオファーが来ると信じているのでした・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.30
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これまで何回か「スタジオで演劇の稽古をしたい・・・」というオファーを頂いてます。思わず「え?」と答えてしまいましたが、よくよく考えてみるとバンドの練習だけでなくダンスの練習も出来る広いスタジオなので、演劇?でもイケるでしょう・・・と、再び「大丈夫ですよ」と改めて答えました(笑)。以前、トランクルームで舞台の大道具小道具の保管というお客さんがおられたのを思い出しましたが、東京だけでなく大阪でもそういった場所があるんですねェ・・・当初弊社「スタジオ0724」のユーザーさんの予想は「60%音楽、30%ダンス、10%だんじり鳴り物」でしたが、大きく外れ「90%音楽、10%ダンス」という結果でした。2尺5寸の大太鼓が入るように、わざわざ割高でしたが別注で2枚の防音ドアを作りましたが、結局無駄に終わってしまいました・・・(涙)。結婚式の2次会の練習とか、一般の和太鼓といった使い方もごく僅かですがありますが、これに加え「演劇」の練習というニッチマーケットが潜んでいたんですねェ・・・そう言えば、高校や大学でも「演劇部」があったというのを思い出しました。大学の演劇部が大学近くの公園で発声練習をしているのを見たことがありますが、チョット異様な光景でした。集団で早口言葉を大声で叫んでいるではありませんか・・・今なら、近所迷惑になるかも知れません。普通の音楽スタジオなら平均7,8畳しか広さがありませんし、楽器や機材がありますので演劇の練習どころではありません。ところが、弊社スタジオの場合は22畳も広さがありますので、そういった演劇練習にも対応できるのです。併設のトランクルームに大道具や小道具を保管し、スタジオに持ち込んでの練習もできますので、正に一石二鳥です。こんな音楽スタジオって、日本で弊社だけか。これまでトランクルームにドラムセットを保管して、スタジオでそれを引っ張り出して練習するというパターンがありますが、それと考え方は同じです。大きな道具(楽器)ほど持ち運びは大変ですし、途中事故でも起こしたら大変です。以前、大きく重そうで高そうなチューバの練習(吹奏楽団)に来られたお客さんから値段が200万円と聞いてビックリしました。そんなの、落としたら大変です・・・という事で、世の中にどのような潜在需要があるのかという確たる予想も無くトランクルームや音楽スタジオを始めた訳ですが、実際やってからイロンナ事がワカッテきたというのが正直なところです。ラーメン屋やうどん屋を始めるなら、最初からどんなお客さんが来るのか明らかにワカッテいますが(ラーメン屋でうどんを注文するお客さんはいません)、トランクルームや音楽スタジオは単なるハコで、ある程度契約で規制があるものの、工夫さえすれば受け入れられる範囲が広がるのです。予想できないオファーこそ、ビジネスの面白さと言えるでしょう。これまで1~2畳が殆どというトランクルーム業界の常識を覆す10~15畳の部屋を用意し、音楽スタジオも多くが7,8畳が殆どという常識を覆す3倍の広さの22畳という広さにした事が、ビジネスの広がりを可能にしたのでしょう。トランクルームと営業用倉庫の「中間のサイズ」である10~15畳が世の中に殆どなかったのと、地価の高い都会に集中している音楽スタジオは広い部屋では坪効率(坪売り上げ)が悪いのでしょう。10~15畳の広いトランクルームは自宅の建て替えや海外転勤のお客さんからの要望で、1軒分の荷物量は大変多いので小さい部屋を4つも5つも借りるのは効率が悪いですし、22畳の音楽スタジオを作ったキッカケは泉州エリアでバンドだけで集客出来ないだろうと(ダンスのお客さんも取り込もう)いうリスク分散が発端でした。そういった「スキ間」を狙った、地価の安い貝塚でのローカルエリア戦略が当たったのだろうと思います。そしてトランクルームや音楽スタジオだけでなく、不動産屋や卓球場や自習室も「部外者」として新規参入しましたので、こういった業界の常識に囚われ無いフレッシュな発想が功を奏したのかも知れません・・・12年前に織物業からトランクルームの転業した要因の一つに、長年繊維業界にドップリ浸かっていたらせいぜい織機を変えるくらいしか出来ず、大きなグローバル化の波の変化に対応出来ないだろうという危機感からでした。要は同じ業界(仕事、人間関係)に長年ドップリ浸かっていたら、知らず知らずのうちに思考回路が細く狭くなってしまうので、意識的に広げる(転職&転業、再構築)必要があると思うのです。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.29
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都会のビルの中にある音楽スタジオやライブハウスで、階下や階上から「うるさい!」というクレームが来たという話を最近よく聞きます。大体、ヘビメタ(ハードロック)系の音楽をガンガン演奏するか、何百人もの観客が踊り出して、音圧やドンドンという床への振動でビル全体が揺れているようです・・・そりゃ、最初からビルオーナー側もそういうジャンルの店子さんが入ると想定していれば、それなりの対策を建設当初からしているかも知れませんが、建築コストとの兼ね合いでなかなか現実問題難しいと思います。ビルの地下にある場合は未だマシですが、10階建てのビルで真ん中辺りの4階や5階にスタジオやライブハウスがあって防音や防振対策に失敗すると、上下階から苦情の嵐になるのは目に見えています。クレームが出た場合、素直に謝って音量を落とすか、再度防音と防振対策を施すしかありません。最悪、閉店撤退という事例も聞いたことがあります。それほど、近隣に音が漏れないようにし振動が伝わらないようにするのが、音楽スタジオ経営側の最低必要条件です。しかし、これがホント難しいのです。防音&防振対策はこれで100%保証します・・・という業者側の保証はありません。殆どの場合は既存の建物に防音工事をするわけですが、これが千差万別。建物構造(鉄筋RC、鉄骨造、木造)や何階建てか、築年数、他の入居者状況、周囲の環境(都会か田舎か?)、用途地域は(時間帯別「規制値」の違いあり)?・・・勿論、更地から鉄筋RC造建物を建築すればコストが掛かりますが、ほぼ完璧に対策できるかも知れませんが、それがビジネス的に採算が合うかどうかは別問題ですが・・・多くの音楽スタジオモデルは、便利な都会の駅近のビルのワンフロアを借り切って、3~5室のスタジオを作るようですが、防音&防振対策に失敗すると目も当てられません。というのは、不動産賃貸借契約で解約時に「原状回復」が義務づけられているからです。工事に何千万円もかかり、解約で撤退となれば元の状態に戻すのに、また何千万円も掛かるかもしれません。そんなシュミレーションをすれば、結局「やっぱり、止めとこ・・・」という事になるのです。それほど防音や防振に関してシビアにならないとビジネスになりません。不動産仲介の仕事でも、ダンススタジオをしたい(何処かの建物を借りたい)というオファーが時々あります。大体、既に何処かでダンススタジオを経営されていて(賃貸で)、ドンドンという振動でビルを追い出されたというケースが多いようです。貸す方も借りる方も契約前に、実際どれくらい振動がするのか分からないというのが正直なところです。そして、いざオープンすると、想像以上に振動で建物が揺れて「こりゃダメだ・・・」となる訳です。建物オーナー側も防音や防振対策を施していないケースも多く、賃借人側のスタジオも経験値が少ないようで、何人でどんなダンスを踊ればどれ位響くのか?が分っていないようです。双方あまり分っていないまま賃貸借契約をする・・・そりゃ、トラブルになるのは明らかです。そういうケースを過去10年で何回も見てきました。それほど、防音と防振工事は難しいのです・・・普通の工務店やハウスメーカーでは到底出来ない特殊工事だったのです。今、音楽スタジオを経営できているのも、織物時代に防音と防振に散々苦労したからです。音に関しては、工場の壁の厚みを一般住宅の2倍のALC壁100ミリにして、開口部は2重にしました。1階は無窓にして、2階は採光が必要でしたので、2重サッシにしました。その他、湿気対策として建物周囲に地下60センチ+地上60センチの外から断熱材を施工したり、織物工場としては当たり前の付帯設備なんですが、単に倉庫やトランクルームとして使うならもう完全にオーバースペックだったのです・・・(笑)。何十機もあった吸気や排気のダクトの内張に全て断熱材を施工し、1番の音源である2階にあったコンプレッサー室をオーディオ経験のアイデアで音と振動(共振)を防ぎました。織機の振動に関しては、1台1台深さ70センチで一回り大きくコンクリート床を掘り下げ、そこに特殊な鉄製の防振架台を設置して、中に生コンを注入して何十個もある強化スプリングバネで何トンもある織機を浮かすという完全に床とは縁を切った方法で、完全に織機の床に伝わる振動を抑えました。この防振対策だけで合計何千万円も掛かりました・・・(涙)。しかしこの対策をする事によって、織物工場が24時間稼働できた訳です。こういった過去の工業的な防音と防振対策の経験が、音楽スタジオの音響的な防音と防振対策に役立っているのは言うまでもありません。幸い巡り会えた優秀な防音専門工事会社も、値段と品質で弊社と折り合えた事がラッキーさを後押ししました。こういった防音と防振対策を「スタジオ0724」に施しましたが、更にスタジオの場所がトランクルーム貝塚「別館1階」のど真ん中ですので、周囲が上(2階)がトランクルームの部屋ですので、音や振動の漏れようが無かったのです。更に更に、周囲の家とは隣接していません。こんな条件的に整ったスタジオは無いと思います。だから弊社スタジオで、ヘビメタをガンガン演奏しても、ダンスでいくらドンドン踊っても何とも無いのでした。という事で、約30年前に夜も寝れない日が続くほどホント苦労した織物工場の防音と防振の経験が、今のスタジオビジネスに役立つとは夢にも思いませんでした。「人生、無駄なモノは一つも無い」というのは、正にこの事を言うのだろうと思います・・・(涙)。しかし、何でヘビメタ(ハードロック)対応が気になるのか・・・?何を隠そう、私はヘビメタ大好き人間だからです・・・(笑)。ちょうど私が高1の1972年にディープパープルが発表した名盤「マシンヘッド」に衝撃を受けてから、シカゴ一辺倒からハードロックにも目を向けるようになったのです。かれこれ、40数年間も飽きもせずにハードロックを毎日聴いている事になります・・・(笑)。それ程私にとってハードロックが心の底から好きなのです。知らない人から見たら、一種のヘンタイです・・・(笑)。なので、ヘビメタバンドさんにドンドンスタジオに来て欲しいのです。40年ぶりにドラムを再開すると同時に、弊社ドラムレッスンに自らお金を支払って受講していますが、今正にレッドツェペリンのtrampled under footを練習しているところなのです・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.28
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弊社トランクルームの売り上げが数年前から下がってきています。171室ほぼ100%満室経営だったのが、ここに来て雲行きが怪しくなったのです。12年前のオープンから最初の6ヶ月はホント集客に苦労しましたが(当初他社の織物工場で1年半働いた)、その後は割と順調に推移してきました。ところが、2012,3年からお客さんが減ってくるではありませんか・・・(驚)。これには、ホント驚きましたねェ・・・一体、何故???自分なりに分析すると、1.トランクルーム業者や不動産業者が地主を煽って、コンテナ型トランクルームの設置を提案して激増した。2.関東ではコンビニの2階にトランクルームを設置した付加価値型コンビニが出現(関西では2階にスポーツジムを併設したのが多くなってきた)。3.鉄道会社が線路を高架にして、その下に従来の駐車場ではなくトランクルームを設置するケースが目立ってきた。4.バブル期に京都に学生向けワンルームマンションが多くできたが、学生数がその頃の半分になり、空室対策としてトランクルームにコンバージョンするケースが増えてきた。5.大阪市内のオフィス街の築30年以上前の古いビルが、トランクルームにコンバージョンするケースも増えてきた。6.一部クリーニング店が保管サービスをしだした。7.一部大手引越業者がトランクルーム保管をしだした。8.ネット小口保管の新規参入。異業種からの参入が相次ぎ、今正にボーダーレスの戦いになってきたようです。今はどんな業界でも、このボーダーレスです。最も競争が激しい飲食業界でもハンバーガー店がフライドチキンを売ったり、逆にフライドチキン店がハンバーガーを売ったり、コーヒー一つとっても、スーパーやコンビニ、従来の喫茶店やアメリカ生まれのカフェチェーン等々、外食、中食入り乱れて、これでもかという正に戦国状態です・・・普通の人でもせいぜい1日にコーヒー3、4杯程度なのに、1日に10杯飲ませる気なのか・・・?同じようなことが日本のファッション業界や自動車産業にも家電業界にも言えることで、家に沢山服が眠ってメルカリでドンドン古い服を売っている一方、ドンドン新しい服を買わせるような仕組みに我々国民が知らず知らずのうちに飲み込まれているような気がしますし、90%以上の時間は駐車場に置いている(展示している?)車を、新車中古車含めてドンドン売ろうとしていますし、スマホ時代に1日に10時間以上もテレビを見ている人が少ないのに、4Kや8Kだと言って新しいテレビを売りまくる家電業界に疑問を抱かざるをえません・・・もう要らないと言っているのに、これでもかとモノを売っている・・・正に、物販業界はビジネス戦争を超えて、もはやハチャメチャな状態になっているような気がします。日本は資源が何も無い国ですから、もっと日本人の頭脳を活かした基礎研究やメーカーがもっとが頑張っていかないと立ちゆかないと思います。残念ながら私にはそんな賢い頭脳が無かったので、織物業も途中で断念せざるをえませんでしたし、転業によって自分が出来る範囲のトランクルームや不動産といった仕事をせざるをえませんでしたが・・・(涙)。しかし、このハチャメチャな状態が、ある意味日本経済を活性化させているのでしょう・・・まァ、こういったボーダーレスの戦いを挑まれたら、これを黙って見ている訳にはいきません。「空手に先手無し」の通り、相手から攻撃してきたのですから、あとは反撃しかありません。なので、ここ2年間でトランクルーム内に音楽スタジオ、レンタル自習室、卓球場の3つの異業種(分野)に参入した訳です。トランクルーム内に3つの違った業態のビジネスを展開することによって、再度トランクルームを認識してもらおうという戦略です。言葉を代えれば、「切り口」を変えたのです。トランクルームのネット戦略(SEO対策)はヤリ尽しましたので、これ以上努力しても無駄だったのです。ならば、どうするか?座して死を待つ訳にもいきませんので、「やり方」を変えただけです。20代の建築金物メーカーの営業マン時代に私独自の新規開拓として、建材部門で施工販売していたビル用ピクチャーレール(長さ4M)を1M~2Mに切ってパック詰めして従来の問屋を通さず直接画材ルートに販売にしたり、園芸ルート用としてイタリアから輸入して全く売れず長期不良在庫になっていた園芸ポットを百貨店ルートにギフト用として直接販売したり、金物問屋ルート(経由)でスチールラックをホームセンター向けの定番でボチボチ販売していたのを、工具商社ルートで同じホームセンタールートの非定番のチラシ商品でカラーを変えて大量に販売したりベビー部門のベビーカーを販売したりしていたのと同じ発想です。戦略を変えず、そのまま何回突撃しても撃沈するだけです。言ってみれば、頭を切り換えるだけの事ですが・・・そういう意味でトランクルームの周囲に、既にある不動産業のネットワークに3つの新しいビジネスを加え、計4つのビジネスでトランクルーム包囲網を作ろうと考えたのです。トランクルームは基本的に地域密着型ビジネスですが、「安くて安全」であれば商圏が広がります。弊社の場合、約50%が貝塚市、岸和田市、熊取町、泉佐野市の近隣3市1町ですが、あと約40%が大阪市内と堺市からで、残り10%は東京、京都、奈良、和歌山、兵庫といった一見関係なさそうなエリアからです。4つのビジネスの商圏がトランクルームと被っているところがミソなんです。トランクルームを4つ違った包囲網で囲み、互いにリンクしまくろうという魂胆だったのです・・・(笑)。特にその中でも不動産業界のネットワークが大きいですねェ・・・同じ不動産屋でも仲介だけで無く、新築やリフォーム事業に力を入れているところも多く、そういう同業者からのトランクルームのオファーがあるのです。当然12年もトランクルームを営んでいると、いつの間にか大阪でも老舗になってしまい、新築物件を扱う大手ハスメーカーからも声が掛かるようになりました。賃貸マンションと違ってトランクルームにはリピーター客も結構多いですし、弊社の「元お客さん」の口コミの広がりもバカに出来ません。これなんです・・・内容は兎も角、何でも長くヤッテいると、目に見えないメリットが滲み出てくるんですねェ・・・(笑)。私のダラダラと長くやってきた空手、ウインドサーフィン、音楽、英語・・・も正にそうです(笑)。途中で完全に止めたら、それでオワリです・・・何のメリットもありません。中断して、期間をおいて再開はOKです。ジム(スポーツクラブ)通いも20年くらい、ジャスコスペース、熊取ひまわりドーム、貝塚体育館、コナミ、ジョイフィットと20年間も中断しながらもアチコチとフラフラ通ってきたことが、空手やウインドの基礎体力(ベース)になっていたのだろうと思います。20年間ダラダラジム通いをしていなかったら、空手もウインドも何も無かった訳です。スペースやコナミやジョイでヒップホップやファンクといったダンスレッスンも入っていましたので、音楽スタジオの中にダンスOKという発想が生まれたのでしょう・・・(笑)。あと、サカイ引越センターさんとアリさんマークの引越社さんとの業務提携も大きいですねェ・・・過去12年、イロンナ引越業者さんを見てきましたが、この2社は「価格と品質」で群を抜いていますので、互いにお客さんを紹介しようという業務提携に至ったのです。この2社と弊社を使う事が、お客さんにとって大きなメリットになるからです。という事で、あの手この手でトランクルーム事業を死守しようと頑張っていますが、世の中の動きが速いですから、それに応じたビジネスを今後もアレコレ考えていきたいと思います。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.26
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このところ、卓球場に毎日問い合わせが来ています。それも、理由がテレビを見たから・・・だと。2月に関西テレビ「よ~いドン!(となりの人間国宝さん)」に出演したときは、一言も卓球場の事は言っていないのに・・・実は卓球場もカメラを回していましたが放映の段階で殆どカットされて卓球場も映っていませんでしたが、地元で「トランクルームの中に音楽スタジオあるんやて・・・」が広がり、2次的な口コミで「実は、卓球場もあるらしいでェ・・・」と広めてくれたようです。正に、噂が噂を呼ぶ・・・これが、口コミの効果です。口コミもマイナスな事だとイヤですが、こんな噂は大歓迎です・・・(笑)。地元貝塚では、昨年JR東貝塚駅近くに日本生命野球部の本拠地が移転してきて、強豪女子卓球部も一緒に移転して来たのを機に、貝塚市は1964年東京オリンピックでニチボー貝塚バレー部が主体となった日本女子バレーが優勝してから「バレーボールの町」でしたが、「卓球のまち」に変更し宣言したようです。そんな関係で、貝塚市総合体育館は卓球愛好家で一杯です。しかし、お隣の岸和田市の方がもっと卓球が盛んなようです。と言うのも、岸和田市は体育館だけで無く各校区にある地域会館でも卓球クラブがあり、数えてみると40くらいあり、何処も会員が一杯で新たな募集はしていないようです。フライヤー持参し、約半分くらいの地域会館にリサーチに行って実感しました。しかし何故今、全国的に卓球ブームなんでしょうか?1番に挙げられるのは2年後の2020年東京オリンピックに、日本の男女とも10代が優勝する可能性が極めて高い事があると思います。こんな競技は他には無いと思います。それと、これまで卓球はチョット暗いイメージで、男で「卓球が趣味だ」と言っても女の子にモテることは少なかったです。それが、今は「卓球が趣味だ」と言うとモテるかどうかは知りませんが、堂々と言えるようになったのです。世の中変わりました・・・(笑)。30数年前のウインドサーフィンが世界中で大流行した時はウインドサーフィンやっていると言うと「カッコいいね!」と言われましたが、今は「何それ?サーフィン?」と言われる始末・・・(笑)。時の流れは残酷です。その他の卓球人気の原因を考えると、1.雨の日でもデキる。2.手軽(ラケットとボールだけで出来る)。3.都会のオフィスやオシャレなレストラン&バーに卓球台を置きだした。4.体力があまり要らない(シニア世代が多い)。5.老若男女の差があまりない。6.スマホ時代にフィットしたゲーム構造を持っている。しかし、弊社「貝塚卓球センター」の場合、少し事情が違うようです。というのは、卓球愛好者の90%は公立体育館でプレイしているようで、広い体育館で格納庫から卓球台を引っ張り出して並べていますが、弊社の場合非常に珍しい「完全個室制」です。たぶん大阪では弊社くらいだけでしょう。まァ分かり易く言えば、11畳のトランクルーム(野晒しのコンテナでは無く、屋内型ビルトイン)の部屋3室に1台づつ卓球台をポンと置いているだけです。卓球愛好者の中でも、①超初心者 ②競技者 ③ファミリー ④仲間 ⑤アベックといった5つのグループは大勢の人に見られるのはイヤなのです。あくまでも、自分達だけで楽しみたいのです。これまでに無かった新しいスタイルでもある「完全個室制」が、そういう方達に支持されていたのです。新しい需要を開拓したと言えばチョット大袈裟ですが、自分的にはそうだと信じたいと思います・・・(笑)。それと、マシンを使ったレシーブ練習やサーブ練習といった100球も使う卓球プレイは体育館ではボールがアチコチ飛びすぎて拾うのが大変です。みなさん、駆け足でボールを拾いに行きますので、転ぶと骨折の可能性があります。弊社卓球場は個室なので、ボールが飛び散りません。拾うのが楽なんです。コレなんです。ユーザーさんの多くがシニア世代なので、このスタイルが涙が出るほど嬉しいのです・・・という事で、ビジネスでも趣味でも「ブームの波に乗る」のが大事だと思いますが、特にビジネスはブームの最中から後半に乗ったら命取りです。弊社も織物時代は、100年に一度の「革新織機」エアージェットを織物工場を新築してまで何億という投資をしましたが、バブル前年の1987年(円高不況時)にまだエアージェットが殆ど普及していない時期に導入して織機も建物も安く買う事ができ(何千万円も節約)、2006年の廃業時(リーマンショックの2年前)は北京オリンピック前の好景気に沸く中国に織機を高く転売できました。私は株の売買は殆どしませんが、正に安く買って高く売り抜いたのです・・・(笑)。今考えると、これが人生最大の2つの決断(新規導入と撤退)だったと思います。半年タイミングがズレていたら収益を圧迫し、1年ズレていたら完全にアウトでした・・・(汗)。そしてもう一つ大きなポイントが、1986年までのエアージェット織機の回転数(1分間)が350~400回転だったのが(旧型のシャットル織機で120~140回転くらい)、一挙に650~750回転と大幅に生産性がアップした事も見逃せませんでした。しかもこれには裏話があり、弊社はエアージェット織機のメーカーは「変形筬(おさ)」の開発で後れを取って劣勢だった当時泉州織物産地でシェア10%しかなかった「トヨタ(豊田自動織機)」を選択し、当時弊社が100%委託生産(賃織り)をしていた取引先の伊藤忠が代理店をしていたシェア90%の「津田駒工業」ではありませんでした。品質に直結するバックローラーが2本(津田駒は1本)というトヨタに、織布業というメーカーの立場としてどうしても拘りたかったのです。4,50年続いた委託生産を切られる覚悟の品質を重視した苦渋の選択でしたが、当時の織物課長の「機械部隊とは関係ないよ・・・」という懐の深さでビジネスに何の影響もありませんでした・・・(涙)。私の人生で、これほど感謝したことはありません。この課長の下で育った部下に、その後ジーンズメーカーのエドウインや伊藤忠ファッションシステムの社長を輩出したのも納得です。この元課長とは今でも年賀状のやり取りをしていますし、ラインも繋がっています・・・(笑)。こうしてトヨタのエアージェットを使い熟し、品質的にも業界内でもソコソコの評価を頂いた事が長く委託生産を受注できた原因であろうと、正にトヨタさん感謝、感謝です・・・(涙)。しかし、それは織機に関してだけの事で、何でもトヨタ一辺倒ではなくその辺は厳しく評価し、フォークリフトはコマツ、車は日産シーマを選んだのでした・・・(笑)。今回の卓球場もタイミング的には、未だ頂点(2020年東京オリンピック?)に達する前だと思いますので、昨年11月オープンはジャストタイミングだったと思います。またビジネス的にも卓球場は、既に公共体育館が90%牛耳っていますので、まさか更地から卓球場を建設して新規参入する人はいないと思いますし、大企業もアパレル分野は別にしてインフラビジネスに参入するとは思われませんので、当分ライバルが新たに現れる可能性は低いと思います。卓球は新しいスポーツだったウインドサーフィンと違って、昔からそれなりに根強い人気のスポーツなので、上下の波はそれ程無いと思います。民間ビジネスは公共事業と違って先の「撤退」まで考えてプランを練りますので、万一失敗しても卓球台を転売してトランクルームの部屋に戻すだけです。イヤ、将棋と一緒で、もう卓球場の「次の深耕策」と「その次の新しいビジネス」を考えつつありますが・・・(笑)。しかし、先日も娘夫婦と4人で交代で卓球を楽しみましたが、これまたオモシロイ。適度な運動でワイワイガヤガヤと、正にファミリースポーツ(ピンポン)といった感じです。盆や正月に娘3ファミリーが揃えば大人8人で充分楽しめますし、孫4人も成長すればもっと楽しくなります・・・こういう身近な卓球場の楽しみ方(使い方)を、これからモットモット普及させていきたいと思うのです・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.24
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昨日は大阪キタのビルボードライブ大阪に、「CTA(California Transit Authority)」のライブを見に行きました。CTAは元シカゴのオリジナルメンバーであるダニー・セラフィン(ドラム)が中心となり、その後同じく元メンバーのビル・チャンプリン(キーボード&ボーカル)が加わり、シカゴ初期のナンバーを演奏するのがメインのバンドです。シカゴ初期のナンバーとは、オリジナルメンバー7人が揃ったアルバム1~7枚目あたりの曲です。丁度私が多感な中高生の頃で、毎月の少ない小遣いを叩いてアルバムを買い、1973年の大阪厚生年金会館での来日時は未だ地下鉄を乗ったことがありませんでしたので、1人で難波駅から1時間掛けて歩いてチケットを買いにそしてコンサートを見に行った・・・という思い出もあり、もう70歳オーバーであろうダニーの必死の?ドラミングを見ると泣けてきました。もうダニーやチャンプリンの演奏や歌はどうでも良いのです。彼らを見ただけで、もうお役目終了です・・・(笑)。2,3年前のディープ・パープルの高音が出なくなったイアン・ギランを見た時と正に一緒です。今回の来日サプライズとして、故テリー・キャス(ギター)の後釜として8枚目から加入したドニー・デイカスが演奏と歌を披露しました。最初、何処のジイサンかな?と思いましたが、ドニーと紹介されビックリ。しかし、こっちもパンチパーマから禿げに激変してますから・・・(笑)。40年前の金髪ロン毛の面影は全くありませんが、ギターを弾くときのあの独特のノリは変わっていないようです・・・予約日開始時間のジャストに電話予約しましたので、舞台から2番目のテーブルでど真ん中の席を確保しました。いつものように、同じテーブルになった4人は全くの初対面でしたが、直ぐに打ち解けました。やはり、同じ「シカゴファン」という絆は強しです。単にシカゴが好きと言うより、シカゴ愛と言っても過言ではありません。お隣の男性も高校1年で1973年のシカゴライブに行っているという奇遇です。1973年来日時は東京2日間公演で、大阪は3日間公演だったのです!「オーキニ!」と連呼するシカゴメンバーが如何に大阪が好きだったか・・・彼と同じ日だったかも知れません。こうなると、ライブが終われば単にサヨウナラでは済まされません・・・(笑)。早速、連絡先交換となった訳です。今は便利な時代でフェイスブックで簡単に繋がります。これで彼と彼のシカゴ仲間と繋がりました。人生、どう転ぶか?分からないところがオモシロイですねェ・・・(笑)。何と1番前のテーブルの軍団が彼の仲間だそうで、ライブ終了後記念撮影を撮り、その後は一部はもう1回セカンドステージを見に行き、一部は帰路につきましたが、興奮冷めやらぬヒマな私を含めた3人は飲み会をしようという事で居酒屋に突入しました。さっきまで全く知らないオッサン同士だったのに、居酒屋で大いに盛り上がるとは・・・何とも不思議な光景です(笑)。それも、みんな50オーバーです。趣味の力はホント強いです。趣味の純粋で打算的な面が無いのがイイのです。打算的な面が多い特に目的の無い異業種交流会なんて白けるだけで、時間の無駄で割に合わないと思うのは私だけでしょうか・・・?早速、関西シカゴファンクラブ?(関西ピーターセテラ会)に入会させてもらいました・・・(笑)。6月辺りに、私の入会記念飲み会を開催してくれるようです。カラオケに行くと、何十曲とシカゴオンパレードだそうです。コリャ、楽しみです。普通の飲み会やファミリーでカラオケに行ってシカゴを歌うと白けてしまいますから・・・(笑)。このメンバーの皆さん筋金入りのファンで、ホント驚かされます。今回CTAは初来日ですが、ホンモノの「シカゴ」のライブは皆さんほぼ毎回何十年と皆勤だそうです。アメリカまで追いかけている方もおられます。シカゴは今年結成51周年で計36枚のアルバムを出していて、みなさんどのアルバムにどの曲が入っているか、誰の作詞で誰の作曲かが頭に入っているようです・・・(驚)。私はせいぜい17くらいまでが何となく頭に入っているくらいですが・・・(笑)。またシカゴが来日した時にマネージャーから連絡が入り、日本のどこのレストランがお勧めかと聞かれ事もあるそうです・・・(驚)。その他、オフレコ情報もイロイロ・・・(笑)。このファンクラブの中心には無理ですが、末席になら在籍させてもらおうかと・・・(笑)。しかし、シカゴのデビューアルバムから13枚目くらいまでの10年間(1969年~1979年)くらい1番熱心に聴きました。当時は日本の音楽シーンは和洋楽入り乱れて群雄割拠の時代で、子供からシニアまで聴いていた歌謡曲全盛時代に変化が現れ、当時我々中高生から大学生は洋楽が流行だし、当時の深夜音楽ラジオ「ヤングリクエスト」の週間ベスト10がほぼ100%が洋楽だったのです。当時シカゴの「FREE」やレッドツエペリンの「移民の歌」なんか、連続何週も1位だったのです・・・あんな過激な歌が中高生の間で大流行だったなんて信じられますか?ちょうど歌謡曲や演歌と同じくらい勢力を誇っていたGS(グループサウンズ)ブームが去り、GS同志の集合合併で模索していた頃に、日本のフォークソングという新たな勢力が流行出しました。と同時に、ディープパープルやレッドツエペリンといったプログレ系ハードロックの勢いが急速に力を持ってきた時期とも重なります。それから2,3年後ユーミンや山下達郎といったニューミュージックとカテゴリーにも若者は目を向き出しました。そして、まもなく世界中に大ブームを巻き起こしたディスコブーム(ソウル、ブラックミュージック)です・・・あと、AORやフュージョンミュージックも、この間のどこかで流行りましたねェ・・・この10年の音楽業界のことを書けば、論文を発表できるくらいココで書き切れないくらいイロンナ音楽が入り乱れていました。そんな中で、当時LPレコードが1ヶ月の小遣いと同じくらいの1枚2200円位しましたので、シカゴしか買えなかったのですが、大学生になってカセットデッキとオープンデッキという貧乏学生にとって強力なコピー(エアーチェック、ダビング)機器が出現したのです。と同時に、FMステレオ放送で音楽がジャンジャン掛かるようになり、レンタルレコードビジネスが活発化したのも追い風でした。ウインドサーフィンなどの遊びに金が掛かりすぎていた私にとって、正に渡りに船でした・・・(笑)。「こりゃ、これを使ってもっとイロンな音楽を聴かな損や!」とシカゴ一辺倒から多路線に方向転換(カセットテープにどんどんダビング)していったのです・・・ いずれにしても私の音楽ライフにとって、この青春時代に聴いた音楽に多大な影響を受け、ディスコ通いやバンド活動・・・就職や結婚をしても音楽だけは聴き続け、そして音楽スタジオ開業に至ったのだろうと思います。という事で、ライブ本番は勿論サイコーでしたが、ライブ前のテーブルでの会話やライブ後の飲み会・・・人生の楽しみとは、こういうモノだと思います。老後の楽しみが、また1つ増えました・・・(笑)。しかし、ダニーのドラミングを見つめていると、それに気づいたのか目が合ってニッコリ・・・ドニーのギターでも同じ事が。60オーバーのジイサンがこんな事で喜んでいるとはキモいか?ダニーは長らくスリンガーランドのドラムセットを使っていたのに、知らぬ間にDWに変わっています・・・(驚)。しかし考えてみると、4,50年前に流行ったシカゴの曲のコピーバンドが、大阪でほぼ満席(東京は80%だったらしい)という回顧マーケットは、本場アメリカとヨーロッパの一部だけだろうと思います。中国や韓国に行っても失敗するだけです。何故なら、4,50年前から自由主義国で当時の若者が自由に世界中の音楽を聴けたのは、日本とアメリカとヨーロッパくらいだけだからです。それほどアメリカの年季の入っているバンドにとって、日本は美味しいマーケットだったのです。しかし、これも後せいぜい10年か?1970年代に活躍したアーティストの多くが70歳オーバーですから・・・このビルボードライブ大阪でこれまでに、アルマッケイ&オールスターズ(EW&Fのギタリスト)、シャカタク、クール&ギャング、チャカカーン、スタイリスティックス・・・を聴いてきました。これから少なくとも5年間は、一生懸命ライブに通わなくては・・・(笑)。そうそう、7月にはさっそく稲垣潤一がありますねェ・・・シカゴのファーストアルバムが出たのが私がまだ中学1年でしたから、当時バリバリのファンだったのは3歳~10歳年上の高校生や大学生であったはずです。という事は、今の70歳前後のシニア世代が最もシカゴファンという事になりますねェ・・・そして、いつものように早めに大阪市内に出かけ、ミナミとキタの「ナウ」を肌で感じるようにしました。ミナミの心斎橋筋を歩くと半分以上が外国人ですが、キタの梅田や茶屋町周辺は多くが日本人なので安心し、同じ大阪でもこれほど違うとは正に驚きです・・・このインバウンド需要がいつまで続くか・・・?そればかりは誰にもワカリマセンが、先日アメ村の楽器店に中国人らしき高校生が買いに来ていましたら、そのうちライブハウスにもインバウンドが押し寄せるかも知れません。イヤ、もう既に誰かが仕掛けているかも知れません・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.21
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エンターテインメント(英: entertainment)とは、人々を楽しませる娯楽を言い、抽象的な意味をもつ言葉であるが、楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜き、レジャーなどが類語となっています。略称エンタメです。弊社の展開しているリハーサル音楽「スタジオ0724」も卓球場「貝塚卓球センター」も正にエンターテイメント事業です。1949年(昭和24年)に祖父が泉州の地場産業である織物製造業を創業してから2006年まで真面目に織物業を続けていましたが、一転トランクルーム賃貸業に方向転換しました。大阪府南部の泉州地域は昭和40年代まで農業と繊維産業(綿織物、タオル、毛布、綿糸、ニット)が主な産業でした。私が子供の頃は夏は朝2時頃から田んぼに行く耕運機の音がしていましたし、織物業は基本的に24時間操業で土曜日も仕事で日曜の正午まで仕事をしていたものです。という事は、泉州人というのは農業や織物業という「物づくり」に長らく従事していましたので、根は非常に真面目なんです。盆踊りとだんじり祭だけ羽目を外していたのでしょう・・・私が青年団の頃までは盆踊りも3日間で最終日は朝まで踊り明かしていましたし、だんじり祭りも朝から酒をあおって歌いながらノンビリと曳いていたものです・・・そういうエリアで長らく織物業を営んできて、トランクルーム賃貸業という訳の分らない商売に転業して、更に不動産屋も・・・更に更に音楽スタジオや、自習室や卓球場。ここまでくると支離滅裂、もう訳分かりません・・・(笑)。しかし順序を辿っていくと、支離滅裂でも何でもなく、至極当たり前で順当な考え方から変化して行っているんですねェ・・・2棟の織物工場を解体するのも大きな資金が必要なので、改造コンバージョンして未だ投資額が少ないトランクルームに転業 → ところが当初集客に苦労して、事務所でも出来る別の仕事を模索して不動産屋に辿り着く → 数年後トランクルームの競争が激化し、空室が目立ってくる → 空室対策ともう60歳なので老後の趣味を兼ねて音楽スタジオをトランクルーム内にオープン → 更にレンタル自習室と卓球場もオープンする一貫しているのは不動産仲介業は別にして、単に自社の資産である土地と建物(織物工場)をどう活かそうかとしているだけの事で、その利用の結果がトランクルームであり不動産屋であり、音楽スタジオ、自習室、卓球場だったのです。単に土地や建物を他人に貸すだけなら、運営側の業者に利益を吸い取られ儲からないどころかノウハウも蓄積できませんし、借り手が無くなれば自分では何もする事が出来なので慌てふためく結果となります。他人に絶対オープンしない独自のノウハウの蓄積こそが大事だと、親父から伝授された子供時代を含めた過去40年の織物時代に身をもって体感しました。これこそが、企業規模や属性(経営者、サラリーマン、年齢、男女、老若、国籍、出自)や業界を超えた、社会を「生き抜く術」だと思うのです。弊社の場合、あくまでも「自社運営」に拘っていてお客さんであるエンドユーザーを分散しているのがミソで、借り手であるお客さんが多少離れていっても(減っても)ナンの問題もありません。というか、事業の分散化と更にその先のエンドユーザーを分散化する事によって、月々の売り上げが倍増も半減もしませんが、せいぜいプラスマイナス5%くらいです。オーナー経営者にとって、売り上げの安定化は「心の安定化」に繋がりますから・・・(笑)。しかし、トランクルームと不動産屋を営んでいて2年前に音楽スタジオをオープンさせてから、イロイロ驚いたことがありましたねェ・・・1番ビックリしたのが、ライブハウスの方が見学と宣伝を兼ねて弊社スタジオに来られたのですが、自己紹介で名刺交換するわけですが、ある担当の方は真面目に本名ではなく「カタカナの愛称」で言ってくるんですねェ・・・最初、冗談かと思いました・・・(笑)。一般ビジネスでは考えられません。しかし、そういう業界なんだと、ヘンに納得した自分がいましたが。無理やりでも、対応しなきゃ・・・と。そう言えば、スポーツクラブのタイムテーブルに書いてあるレッスン担当の名前に、ダンス系は単にKとか、HITOMIとか本名か愛称か分らないないのを思い出しました。同じビジネスにも、「お堅い」業界から「柔らかい」業界まであるのだと。まァ音楽業界とダンス業界は、普通のビジネスとは相当違うなァ・・・というフンドシの紐を締めるに丁度イイ経験でした(笑)。いずれにしても、日本の全産業で多勢を占めると思われる大手企業を中心としたメーカーと輸出入業と卸売業と小売り業という実店舗もネット販売を含めての広い意味での「物品販売」とは違う、トランクルームと不動産仲介業、音楽スタジオ、卓球場、自習室という大手が参入しない(出来ない、したくない)地方のニッチマーケットである「レンタル業」「仲介業」を営んでいる訳です。戦後日本経済のメインプレーヤーだった製造業が激減して、大手企業を中心にその分「人、モノ、金」の多くがサービス産業に移行してしまい、末端での物品販売の競争が年々激化しています。その意味で、ドンドン店が替わるのは不動産仲介業の仕事が永遠に無くなることはありませんし、そのような競争に巻き込まれずに済んでいると思います。という事で、「人はエンターテイメント無しでは生きていけない」という誰かの言葉どおり、人は誰しもストレス抱えて生きており、傷つき疲れた人は癒やしを求めるモノです。企業間競争で、相当数のサラリーマンが精神的に追い詰められている事が予想できますし、彼らの矛先が弊社のスタジオや卓球場に向いてくれればイイのですが・・・そういう意味で、2年前からビジネスとして取り組んでいる「音楽スタジオ」と「卓球場」は方向性として決して間違いはなかったと信じるのでした・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.19
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昨日は堺市栂文化会館に、鳳高校オーケストラ部第37回定期演奏会に行ってきました。20年ぶりくらいでしょうか・・・・?同期のM君と待ち合わせて、期待を胸にルンルンで行きました。1つ後輩の森島先生がまだオケ部の顧問で頑張っているので安心です。彼と40年ぶりくらいにエントランスで会いました。えらくスマートになっているのにビックリ。彼が顧問でいる限り、あと4年は鳳オケ部も安泰です・・・(笑)。今回の定期演奏会は4月なので、新3年生と新2年生の2学年だけの演奏会です。それでも、彼らの演奏はお世辞抜きで感動させてもらいました・・・(涙)。4,50人の集団演奏で、あれだけ演奏をピタッと揃えるには至難の業です。それを難なく演奏するのですから・・・我々の頃より遙かにレベルが上です。自分たちが如何にエエ加減だったか、反省させられます・・・(笑)。聞くところによると、運営は殆ど学生主体で顧問はあまり関わっていないようです。それでも、あの演奏レベルとは・・・逆にあまり勉強していないんじゃないかと心配します(笑)。鳳オケ部の歴史の始まりは、戦後初代顧問の立川先生が私財を投げ打って弦楽器(バイオリンやビオラ)を大量に購入してからと聞いています。その創部期の昭和20年代の頃は、当時日本で最も有名な大阪フィルの指揮者・朝比奈隆氏も来校しテレビ出演し結構盛んだったようですが、その後我々の昭和40年代後半はどん底の低迷期でブラバンに分割しようかという議論もありました。卒業した大学生や浪人の先輩らにもお願いして演奏会の助っ人に来てもらい(学生服を着てもらい)、我々も卒業まで引退せずに頑張って何とかこの難局を切り抜けました。今思い起こせば、ちょうど立川先生の病気療養中と重なり、高校生なりに「復帰された時のことを考えれば、そんな事は絶対出来なだろう・・・」という気持ちだったのだろうと思います。その苦難の歴史を森島君も知っているので、右後ろで学生と一緒にトロンボーンをソッと吹いているのか・・・(笑)。その数年後、部員も増え100人規模になってマスコミにも取り上げられるほど盛り上がりました。その後は、大阪府で3校しかないオーケストラ部という事や、10年ほど前から単位制になって府下全域からオケ部に憧れていた学生が集まっているようで、それなりの規模を維持して現在に至っているようです。我々の頃に鳳オケ部は、陵南中学と上野芝中学という全国的にも有名だった吹奏楽部出身者が大半で、高1の時点でみんな上手に楽器を演奏していたのです。それだけでなく、女子はだいたいピアノが弾けましたので、今で言う「二刀流」です。当時サッカー部も吹奏楽部もなかった貝塚三中出身の何も楽器が出来ない私にとって、これは相当ショッキングな出来事で、ラグビー部から転部してきた私にとってスタートで大きく出遅れてしまったのです・・・(涙)。振り返って、弊社スタジオに来られる高校軽音部の人達も2年生になると、結構演奏の上手さに驚かされます。そうなんです。今の若い子は器用なんです。弊社スタジオでも、ヒップホップのキッズダンスで小学生低学年の子も来られますが、ダンスが上手い、上手い・・・私もこれまでスポーツクラブのファンクやヒップホップクラスに好きで入ってダンスしてましたが、このフィーリングを掴むのは無理です・・・(笑)盆踊りとディスコダンスのヤリすぎです・・・(笑)。今時の若い子は・・・というのは訂正させて頂きます(笑)。という事で、久しぶりに感動させてもらいました・・・(笑)。オーケストラ部は4,50人の団体でクラシック中心で、弊社スタジオに来られる高校生は4,5人の少人数のバンドでロックやポップスと、同じ音楽でも真逆のジャンルですが「MUSICを楽しむ」という意味で同じです。どちらも「青春の感動」を求めて音楽をヤッテいるのです。若いってイイなァ・・・と夢だけ見させて頂きました(笑)。鳳も他校の軽音楽部に当たるフォークソング部がありますが、まだ一度も弊社スタジオに来てもらっていません。是非、チャンスがあれば来て欲しいと思います。私達の頃からオケ部を卒業すると、大学のオケ部に入部したり音楽大学に進学する人も多く、その後社会人になってからもアマチュア団体で活躍する人も多かったですし、一部プロで活躍されている方もおられます。相当数の鳳オケ部OB・OGがクラシック音楽に関わっていると思われます。私もスタジオ経営をする際、スタジオ経営に関し全くのズブの素人でしたが、たまたま同期の1人が某有名音楽専門学校の幹部でしたので、工事や設備のハード面は自分で解決しましたがソフト面で彼のアドバイスにホントだいぶ助けられました。正に、ラッキーとしか言い様がありません・・・(涙)。クラシック音楽業界以外に、貝塚のスイングガイズオーケストラ創業者で関西ジャズ界の重鎮で有名なプロサックス奏者の私もよく知る中野さん、日本一の音楽スタジオのチェーン店(複数のライブハウスも経営)ベースオントップの創業社長で日本の音楽業界であまりにも有名で私も尊敬する水守さんも鳳出身で、結構日本の音楽業界で先輩鳳OBが頑張っているのです。鳳の大阪一広い敷地面積で緑も多く自然に囲まれユッタリした環境が、音楽に寛容な土壌を生み出すのでしょうか・・・?にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.16
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大リーグ大谷の大活躍で、「二刀流」が脚光を浴びています。二刀流は言葉を換えれば「二足わらじ」とも言えます。人生で初めてこの「二刀流」がカッコいいなァと思ったのは、実はドラマーでありボーカリストのミュージシャン「つのだ☆ひろ」さんだったのです。高校時代テレビの音楽番組で「つのだひろとスペースバンド」の演奏を聴いてビックリ仰天・・・あまりの感動に腰を抜かしそうになりました。カッコいい!この一言です。顔はともかく、パワフルなドラミングをしながら上手に歌っているではありませんか!テレビから伝わる彼のドラムの音が、何とも言えない程私のハートを揺さぶったのです・・・(涙)。しかも、歌も上手い。その瞬間から今でも彼を尊敬しています。当時日本のミュージシャンのドラムはまだまだショボい音でした。丁度ビートルズ末期の1970年代前半の頃で、ドラムのリンゴスターがスネアのミュートにタオルか何か敷いて苦労しているというのを、当時の音楽雑誌ミュージックライフかライトミュージックで読んだ記憶がありますし、テクニックは素晴らしいですが私にとってグッと来る音ではありませんでした。そんな当時の状況下で、つのだのドラム音は正に「将来絶対ドラムを始めなきゃ!」という天から教示だったのです・・・(笑)。私はドラム叩きながら歌うのは無理ですが、プロミュージシャンではつのだ☆ひろ以外に故アイ髙野(カーナビーツ)、故カレン・カーペンター(カーペンターズ)、稲垣潤一、森高千里、ドン・ブリューワー(グランド・ファンク・レイルロード)、フィル・コリンズ・・・最近ではシシド・カフカと結構いますねェ・・・何故、彼らは二刀流を目指すのか・・・?例えば弊社「スタジオ0724」は、その前に「Music&Dance」という副題を付けています。これは、「リハーサル音楽スタジオですが、広い(22畳)のでダンスもデキまっせ!」という意思表示です。これって、正に二刀流の発想です。しかし実は、それでも未だ集客に不安だったので、地元泉州で盛んなだんじり祭の「鳴り物(お囃子)」の練習にも来てもらおうと、費用は割高でしたが直径2尺5寸の大太鼓が入るように幅広の防音ドアを別注で作っていたのです。私のビジネス全体では五刀流ですが、その中でもスタジオは更に細分化して「三刀流」を目指していたのです・・・(笑)。良く言えば。実態は、単なるリスク分散ですが・・・(笑)。それと同じように、二刀流の大谷もミュージシャンもリスク分散だと思います。バッターでダメならピッチャーでいこう、ピッチャーでダメならバッターでいこう、ドラマーでダメならボーカルでいこう、ボーカルでダメならドラマーでいこう・・・なんて。どちらもダメになった場合でも両方経験していますので、野球のコーチや監督で活躍できる可能性が高くなりすし、作曲や編曲などの音楽制作の裏方に回れる可能性があります。単なるバッターや単なるピッチャー、単なる歌手や単なるドラマーとの違いはココにあると思います。本当の現役はせいぜい30代までなので、50代60代それ以上までお金を稼ぐ事がデキる可能性に雲泥の差ができるのです。MR.BIGというアメリカのハードロックバンドがありますが、このバンド自分の担当楽器以外の楽器もソコソコ出来、ライブで入れ替わるパフォーマンスも見せるのです・・・(驚)。そりゃ、お客さん喜びますよねェ・・・こういう二刀流の使い方もあり、さすがアメリカのショービジネスは違うなと感心させられます。現役の時に二刀流で頑張ることによって、どちらも諦めない、どちらもガンバル・・・これが持っていた潜在能力を掘り起こすのだと思います。自己の知能も体力もフル活用するには、イロンナ事をやるのがイイという事です。誰でも、羨ましいほどそれぞれ素晴らしい能力を持っています。それ活かさないのは、眠っているのはあまりに勿体ない事だと思います。それを引き出すには、能力の範囲内で1本足打法より二刀流、二刀流より三刀流・・・という事だろうと思います。平たい言葉で言うと、高い目標を掲げて努力する事だと思います。本能のまま、欲張ったらイイのです・・・なかなか他人は人の才能や能力を見つけてくれません。自分で見つけ出すしかないのです。という事で、二刀流で頑張るメリットは、結果的にどちらが「主」になっても「従」になっても、互いに相乗(シナジー)効果を期待できると思うのです。私は五刀流(トランクルーム、不動産屋、音楽スタジオ、卓球場、自習室)で頑張っていますが、一見関係なさそうなお客さんでも、「あれ?こんなんヤッテはるんやね?」と違う分野に興味を持ってもらえるチャンスがあるのです。というか、事務所に最初に来て頂いたときに、こちらから宣伝しますから・・・(笑)。以下例を挙げると・スタジオに来られたお客さんが、自宅にドラムセットを置くのが邪魔なので、トランクルームを借りてくれた。・同業他社の不動産屋から、新築やリフォーム時のトランクルーム客を紹介してもらう。・不動産業界の関係で大手引越業者(サカイ、アリさん)と業務提携し、互いにお客さんを紹介し合っている。・卓球に来られたお客さんが、帰りにスタジオでカラオケを歌って帰る。・スタジオに来られた高校軽音部の高校生が、同じ高校の卓球部を紹介してくれた。・スタジオに来られた高校生が自習室を使ってくれた。・自習室は基本1日貸し、6時間貸しですが、大量の参考書や教科書を毎回持ち込むのが邪魔くさいので、トランクルームとして2ヶ月契約してくれた。・不動産の賃貸マンションを仲介したお客さんに、弊社トランクルームを借りてもらった。・シニア世代の卓球場のお客さんから相続の相談があった(不動産の売却のオファー)。・トランクルームにピアノを保管しているお客さんがバンドでスタジオを使ってくれた。・スタジオのお客さんが、時間が余ったので卓球をして帰った。通常1つだけの仕事だと、このようなシナジー効果が得られません。このクロスオーバー現象が本当の狙いで、5つの違った分野のビジネスを仕掛けたのです。顧客の年齢的な側面から見ると、5つのビジネスで小学低学年から80代まで広がっています。トランクルームは30~50代がメイン、音楽スタジオは10~20代がメイン、不動産は40~60代がメイン、卓球場は50~70代がメイン、自習室は10~20代がメイン。ビジネス的に大事なバランスが見事に取れているのです。やはり、偏るのは良くないのです。そしてこの5つのビジネスには、もうひとつある共通の重要なポイントがあったのです・・・これは決して公開しませんが(笑)。5つも仕事をしていると、分母である会員数(契約数)が増えれば増えるほど、年数を重ねれば重ねるほど、このシナジー効果がドンドン広がるようです・・・いくらネット社会になっても、やはり口コミが1番です。口コミが広がるには時間も掛かりますが、それがリピーターに繋がり、その輪がドンドン広がっていく・・・要は、長く営業を続ければ続けるほどメリットが出てくるという事です。結局、長く続けるにはお客さんが一番望んでいる「値段と品質」の向上に辿り着くのです。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.14
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弊社「スタジオ0724」の使い方を設置している防犯カメラで見ていると、寝転んでリラックスしている姿がよく映し出されます。スタジオは22畳の広さもありフローリングの土足厳禁です。更に私が毎日少なくとも1日2,3回は掃除機とモップでキレイに掃除し月1回はワックス掛けしていますので、寝転べて当たり前です。演奏に飽きたら、寝転びながら譜面を見ながらゴロゴロと打ち合わせ・・・こんな場面ばかりです・・・(笑)。もう完全にリラックスしているんでしょうねェ・・・まァ、こんな音楽スタジオって、聞いたことありません。最初防犯カメラで見たときに、目を疑いました。「一体、何をやっているのか?」と・・・(笑)。しかし、来るバンド、来るバンドが結構そんな光景でした・・・(驚)。今では、弊社スタジオではごく自然で当たり前の姿になってしまいましたが・・・(笑)。大体、音楽スタジオ(リハスタ)のイメージというのは、土足で上がり狭くゴチャゴチャして汚いというマイナスのイメージしかありませんでしたし、事実80~90%のお客さんの弊社スタジオ入り1歩目が従来のスタジオの真逆のイメージの「ひろ~い!キレイ!」という驚嘆の言葉です・・・(笑)。コレには、自分でも驚きます・・・(笑)。「他所は、どんな汚いんや!」とツッコみたくなります・・・(笑)。シニア層はいざ知らず、今の若い子はキレイ好きです。弊社スタジオ会員の50%が高校生で20%が20代というのは(70%が10代と20代)、その辺にも大いに理由がありそうです・・・初めから狙った訳ではありませんが、結果的にそうなっただけの事です。自分が元々キレイ好きだったというのもありますけどねェ・・・(笑)。イヤ、整理整頓、掃除というのはビジネスの基本ですから。更に大型エアコンや空気清浄機に加え、ロスナイ(全熱交換器)という冷暖房の熱エネルギーを排出せずに換気のみを行う換気扇をも完備していますので空調はほぼ完璧でしょう。音楽スタジオは防音&防振対策のため完全密閉状態ですので、ここまで空調管理が必要だったのです。いや、ココまでしているところは少ないでしょう・・・チトやり過ぎかも(笑)。いずれにしても、低料金の割にスゴク快適に過ごせる事間違いなしです。高校大学くらいから親父に、織物工場の掃除と注油を徹底的にさせられたのが身に染み込んでいるのでしょう・・・来る日も来る日も毎日、5,60台あった織機(30年以上前はシャットル織機)の掃除と注油を2時間もさせられました。通路と織機の両サイドと下のミジンを掃除し、注油はヘルドの真ん中から手を突っ込んでタペット(カム)の上に覆われているミジンを手で取ってからしますので、軍手でやっても手が油で汚れますし時間も掛かるのです。そこまで毎日すると、帽子を被っても頭は常に油臭く爪は油で黒くなってしまうのです。デート前はシャワーを入念に浴びていたのを思い出します・・・(笑)。まァダンスも出来る広い(22畳)音楽スタジオ経営に繋がったのも、中学生から洋楽ロックに嵌まり、高校オーケストラ部でクラシック、大学時代はジャズやフュージョンも聴きながらロックバンドやフォークバンドに参加しミナミのディスコに通い、その後ジャスコスペース→コナミスポーツ→ジョイフィットと20年間もスポーツクラブに通い、「両方の経験を積んだ」事が経営者になるには非常に有効だったように思います。独身の20代の頃から30年間もミナミやキタのライブハウスや外タレのコンサートに行きまくり、今でもずっとオーディオ関連に凝ったりと相当金を音楽関連に費やしてきました。軽く1000万円は超えているかも・・・(笑)。すべて道楽息子(オヤジ)の浪費でしたが、ここに来てスタジオ経営にプラスに転じてきてるのか・・・(笑)。人生を競争に例えれば、60歳定年をゴールと定め子供の頃から学校や塾だけに頼った勉強漬けにするには無理があり、日本人平均寿命の85歳くらいをゴールと定め幼少の頃から「親が勉強も遊びも含めた素晴らしい生き方の見本を見せる」方が理に適っているように思います。結局、いつの時代でも子供は親の背中を見て育ちますし、体格と知能は両親から受け継ぎそれ以上でも以下でもないからです。という事で、青少年期の家業の微塵の掃除と油差しが、寝転べるスタジオに繋がったのです。不思議と言えば不思議かもしれませんが、その間に私が「音楽好き少年」になった課程が省略されていますから、知らない人から見たら「え?ナンで?」という風に感じるのでしょうねェ・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.12
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大リーグの大谷選手が投打で大活躍です。所謂「二刀流」で頑張っているのです・・・野球に関して言うと、高校野球くらいまではエースで4番バッターというのはよくありましたが、プロ野球では聞いたことがありませんでした。それほど、プロ野球ではピッチングにもバッティングにも両方に成績を残す事が至難の業だという事でしょう。ピッチングもバッティングもどちらも諦めない・・・どちらもガンバルという事です。殆ど100%のプロ野球の選手は、打つか投げるかのどちらかに専念しなければ生き残れないのです。どちらかに専念したとしても、殆ど100%のプロ野球選手は成績を残せず30代までに球界を去らざるを得ない非常に厳しい業界です。その後の長い人生をどうするのか・・・と「野球人」を心配したくなります。振り返って、一般ビジネスで言うと、プロ野球のように投打のどちらかに偏る「1本足打法」ではリスクがあります。宮本武蔵も二刀流で有名です。「使えるモノは全て使おう」という趣旨で、片手だけなく両手に刀を持って戦うというスタイルですが、本意は片手で太刀を遣えるようになるには訓練が必要で、そのため稽古の時には二刀をそれぞれの手に持ち、片手で振ることに慣れるようにする為の二刀流だと言われています。だとすると、空手にも通じるモノがあります。ボクシングはパンチ(手技)だけでキック(足技)ありませんが、空手にはパンチもキックもあります。実践ではキック禁止というルールはありませんので、空手は理にかなった格闘技と言えるかもしれません。正にあるモノを全部使おうという趣旨が空手です。更に沖縄空手では「取手(とりて)」という関節技があり、相手に致命傷を負わせず降参させてその場から逃げる去るというのが理想という紳士的な面も持ち合わせています。相手を怪我負わせば、自分も相手も社会的にダメージを受けますから・・・一般サラリーマンでも最近は副業OKという勤務先が増えてます。副業OKな企業はイロンナ意図が見え隠れしますが、社員にすればチャンスです。大きな顔で「二刀流」で活躍できるのですから・・・裏を返せば、副業で「自分が社外で通用するか?」という自分の本当の実力を知るチャンスです。「案外出来るじゃん・・・」と自信を付ければ転職のチャンスですし、他社はそんな有能な人材を見逃しません。「やっぱり、俺は外で通用しないなァ・・・」となれば会社にしがみつく術を磨くか、再チャレンジを目指しスキルを磨くか・・・?時間帯は別にして本業と副業をやることによって、頭と身体は2種類の仕事をするわけですから、それだけで身体の芯から活性化出来ると思うのです。私はトランクルーム、不動産屋、音楽スタジオ、卓球場、自習室と5つの仕事を一人で掛け持ちしていますが、常に頭の中が活性化して楽しいですよ・・・(笑)。5つの仕事をこなすのは、それぞれの仕事のフィールドワーク以外に、時には経理マン、ペンキ屋、大工さん、ポスティングボーイ、IT(ホームページ、ブログ、SNS更新)担当、宣伝部長、プリント(印刷)屋さんに「変身」する必要がありますが・・・(笑)。所謂、ホリエモンが最近言っている「多動力」っていう奴です。何のことはない、昔から製造現場で1つのことしか出来ない「単能工」に対し、イロイロできる「多能工」の事です。何もそれぞれのプロになる必要はサラサラ無く、直接エンドユーザー向けの仕事ですから業者からのクレームは一切ありませんので気楽ですし、多少のミスはOKです。これが「エンドユーザー直」ビジネスの大きな利点です。織物時代は正反対のプロの業者間だけの商売でしたから、どうしてもオーバースペックの品質と納期を追いかけざるをえませんでしたので、ロスの多いこと、多いこと・・・結局、繊維業界の流通が長い分、実需の何倍もの「仮需」というのを業界で作り出し、業者間でリスク分散化していたからです。業界のカラクリを知ってしまうと、冷静に自分のポジションを分析できます。これからどうすべきか?自己改革して前に進むべきか? それとも計画的に撤退すべきか?サラリーマンとて同じです。会社の実態を知ってしまえば、エリートコースを目指すか? このまま会社にしがみつくか? 転職を意識するか?織物時代は月産20万メートルの工場をパート含めて年間355日24時間エンドレス稼働していましたので、早出の工員(織布)、タイイング(つなぎ)、エンジニア(保全修理)、荷作り、ワインダー巻き、検反、営業、経理、糸と織物の受け渡し、フォークリフト作業、経て替えの下準備(サイジング、経通し)、パソコン管理、織物設計・・・と織物生産に関する全てを熟していました。私のショーモナイ自慢ですが、当時月産20万メートルの工場経営者でここまで現場に関わっている(出来る)人間は、日本で私1人くらいだろうという自負です・・・(笑)。月産10万メートルなら、いるかも知れませんが。もし、いるなら名乗り出て下さい・・・謝罪と訂正しますから(笑)。20年くらい前に主要取引先の伊藤忠の紹介で中国上海から繊維の公司の幹部が弊社工場に見学に来ましたが、実情を話すと目を白黒させて「日本には負けます・・・」とシッポを巻いて帰って行きました・・・(笑)。当時は肉体とデスクワークの比率が7:3くらいで、身体的には3,40代でも相当キツかったですが、60オーバーの私でも今の5つの仕事をしても肉体的にも精神的にも当時の10分の1くらいのプレッシャーなのでデキているのです。ある意味、49歳で織物業からトランクルームに転業したのがベストチョイスでベストタイミングだったのかと思います。今思えば、肉体的にも精神的にも織物業を続けるのは49歳が限界ギリギリだったのです。まァ、今の5つの仕事はイロンナ味が楽しめて実にオモロイです・・・(笑)。不動産以外は、大手が参入しない(できない、したくない)儲けの少ないニッチマーケットです。どれも堺市以外の泉州エリアでは、これといって強力なライバル(競合)が存在しません。というか、ライバルそのものが殆どいません・・・(笑)。弊社以外に民間では音楽スタジオは2軒、自習室はゼロです。トランクルームは「屋外型」のコンテナタイプが増えましたが、そもそも弊社のような「屋内型」とは競争になりませんし、同じ「屋内型」がライバルになる訳ですが、弊社の「日本最安値」に恐れをなして?そもそもこちらの泉州エリアに殆ど参入してきません。そうなんです・・・スタッフを雇わず人件費を掛けずに5つの仕事を兼業することによって、それぞれの「低価格戦略」が大きな武器になっているのです。唯一不動産だけが法律で決まった仲介手数料(報酬額)が決まっていますので、うちだけ安くする訳にいかないのです。大阪府全体を見ると人口だけでなく大学や大手企業が大阪市内や堺市に集中しており、各駅の乗降客数を見ても生活動線的に高石市以南の泉州エリアでビジネスをする事自体そもそも難しかったのです・・・しかし12年前まで「織物業1本」で、本当にシンドかった・・・10月から3月までの「10先、1-3」は綿織物の春夏ファッションの生産期のシーズンインでしたが、4月から9月までの「4-6,7-9」はシーズンオフです。シーズンだと黙っていてもソコソコ値段が良い注文が入りましたが、シーズンオフだと大阪本町の繊維街を駆けずり回っても値段の安い注文しか取れませんでした。廃業前10年間はダラダラと工賃相場が下がり気味で、他業界に先駆けて繊維業界のグローバル化が始まったせいで、注文そのものが海外に行ってしまったケースも多かったです。しかし、このシーズンの「高低差」が身体に悪いんですねェ・・・そこそこ高い工賃の仕事を受注できれば「俺の人生は成功や!」と喜び、何も仕事がなければ「オレの人生おしまいだ~」と嘆く・・・経営者はサラリーマンと違って孤独なモノで、ビジネス上の不平や不満、その逆も決して人に言えません。人に相談が出来なのです。一人で考え判断し、結果は全て自分で責任を取り、全て自己の中で解決しなければならないのです。それがオーナー経営者の現実です。サラリーマンの家に生まれていたらヨカッタなァ・・・と思う時もありましたが、それは自分の運命として諦めるしかないと、サラリーマンを辞めた29歳の時に腹を括りました。そもそも受注最小単位が織機1台1ヶ月なので、大きなシーズン(景気)の波は2回ですが、小さな波が12回もやってくるのです・・・毎日、毎日、来る日も、来る日も・・・明日の仕事の心配をしていたのです。銀行からの借金を背負って、不動産担保を取られるだけでなく経営者として個人の連帯保証までしていましたし、取引商社の委託生産(賃織り)でしたので、商社に対しても個人保証をしていたのです・・・日本の中小零細企業の経営者はアメリカと違って、銀行に借金があったり下請け生産なら現実問題として、ここまで経営者が追い詰められるのです。契約書に実印を押すときの手の震えは、オーナー経営者のみ味わう感覚で息子の専務には決して分りません。私が41歳の正に厄年の年に社長であった親父が亡くなり、早く経営者になってしまったお陰でイロイロ経験させてもらいました・・・(笑)。やはり親が生きているとどうしても甘えてしまうものですし、親がいなくなってその有り難みが身に染みました・・・(涙)。しかし親が早く亡くなった経験を通じて、後継者はそこからスタートしていては遅いということです。親が居る時から「自分一人でやるんだ・・・」という気概を持って実際ヤッテいなければ事業承継はズムーズにいきません。たまたま父親が病弱でしたので、小中学生から織物現場に入り大学生の頃には親父に代って現場仕事を1人前に熟すだけでなく、村や親戚の付き合いも「家の代表」として出かけていました。今思えば、イヤでイヤで仕方がありませんでしたが、「ボクがやらなしゃーない・・・」という「諦めの境地」が幼心にあったのでしょうねェ・・・夏目漱石の「則天去私」にも似た、これもある意味、運命的で親父が上手に言外で私にした帝王学だったかもしれません・・・そんな織物時代の反省として競合が多くリスクの高い「物販」ではなく、織物工場を活かした「レンタル業」であるトランクルームへの転業と同時に、無借金経営にして中間業者を排除したエンドユーザー直のビジネススタイルに大きく舵を切ったのです・・・織物は広い意味でファッション業界(他に資材織物もあり)で「衣食住」の1つですが、ネットや実店舗含め大小のメーカーや商社が入り乱れる業界で、あまりにも競争が激しすぎます。そんな物販業界に、今更零細企業が参入しても何れ潰されると・・・まァしかし、織物時代のような事をズッとやっていると、身体に悪いはずです。年間通してこんな不安定な受注ビジネススタイル1本では、身体を徐々に蝕むだけです。シーズンオフにいくら頑張っても、ダメなモノはダメなんです・・・サラリーマンでも、入社した会社でいくら頑張ってもダメなモノはダメなんです。しかし、落胆することはサラサラありません。病気になるくらいなら、キッパリと辞めればイイだけの事です。世の中には、いくらでも会社がありますし、日本は自由主義社会なので自分で起業する事もできますから・・・今は5つのビジネスをやることによって、年間それほど高低差はありません。トランクルームは年末から4月までがシーズンで、音楽スタジオは冬がシーズンで夏はシーズンオフ気味で、不動産動向は波が激しく先が全く読めません・・・自習室は11月から3月までがシーズンで、卓球場はまだ始めて半年なのでこれからです。私の趣味のウインドサーフィンは冬がシーズンオフで、夏だけシーズンなので丁度イイのです・・・(笑)。まァ、どの仕事も良い時も悪い時もあり、その時々に良い仕事に注力して悪い仕事は忘れるようにすると、心の平安が保てます・・・(笑)。誰しも生身の人間ですから、周りの環境や自分の心身のコンディションによって心が左右され、1つの事をそれほど頑張れるモノではありません・・・注意散漫、危機分散化、多角経営、ダボハゼ商法、中途半端・・・大いに結構。これが「心の平安」に繋がるのです。なので、1つより2つ、2つより3つなんですねェ・・・身体と能力の範囲内で仕事の数を1つでも増やすことが、心身のコンディションの安定化に繋がるように思うのです・・・という事で、ビジネスもプライベートも1つの事だけに固執せず囚われず、常にアンテナを広げて頭をフレッシュに保つ事が何より大事だと思うのです・・・実は年初に、トランクルーム内に「もう一つ」新しいビジネスを立ち上げる予定だったのですが、諸事情があり取り敢えず断念しました。「六刀流」はさすがに、ヤリ過ぎですよね・・・(笑)。でも、その新しいビジネスは泉州では「ライバルなし」で大手が参入しないニッチビジネスですので、タイミングを見計らってヤルかも知れませんので今温めているところです・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.11
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このところ、ドラムレッスンの無料見学会に何人も訪れて来ています。不思議と、小中学生男子が多いですねェ・・・幼稚園児のお父さんからもオファーがありましたが、バスドラムのペダルに足が届かないので、小学校3年くらいになってから、また連絡下さいと丁重にお断りしました・・・(笑)。「子供の頃からドラムを習いたい・・・」という潜在需要が泉州エリアにあるんですねェ・・・(驚)。大昔から泉州エリアにあるだんじり祭りの「太鼓文化」のDNAが根底にあるのか・・・?あの「ドーン!」という重低音の大太鼓の響きと「トコトン、トコトン・・・」という鳴り物のリズムが、赤ちゃんの頃から染みついているのでしょうか・・・?しかしドラムって、第一カッコイイじゃないですか!コレですね・・・始めるキッカケに1番多いのが。私もドラムや空手を始めるキッカケがそうでしたから・・・(笑)。男の子はいつの時代でも、カッコイイものに憧れるモノです。しかし、何でも若いうちから始めるのが1番です。私も20歳の頃に中古のドラムセットを買って、自宅で1年半の経験があったからこそ60歳で割とスムーズにリ・スタート出来たのだろうと思います。それでも、目標は「なんちゃってドラマー」ですが・・・(笑)。小中学生の参加でドラムレッスン生も、小学生から60代まで年齢層が幅広く男女の比率も半々くらいになりました。人数も15人に増えました。年末までに30人が目標で、今はレッスン日は月曜がメインで水曜にもたまに開講している程度ですが、年末には月曜と水曜の昼から夜までがドラムレッスンのスタジオ予約がパンパンになっていることでしょう・・・(笑)。小中学生は吸収も早いので、5年後には彼らも相当上手くなって、泉州の高校軽音部を引っ張っている存在になっているかも知れません。そうなってくれれば、ナンとも嬉しい限りです・・・(涙)。やはりバンドの要はドラマ-です。ドラマーがしっかりリズムを刻めば、その他のパートが演奏しやすくバンド全体が盛り上がりますが、ドラムのリズムが狂えばバンド全体がガタガタになります。そういう意味で、ドラマーを養成することに大いに意義があるのです。ドラムはだんじりの鳴り物の小太鼓と一緒で、小太鼓が刻むリズムが狂えば、大太鼓もアドリブ(フィルイン)を効かせなくなり、笛や鉦も合わせられず鳴り物全体がガタガタになるモノです・・・やはり鳴り物チームも、正に音楽のバンドですから・・・2,3年前に、地元名越の小太鼓担当の高校生に「iPhoneのメトロノームアプリをイヤホンで聴きながら小太鼓を叩いたらどうや?」とアドバイスしましたが・・・遅いスピードならまだ誤魔化せますが、4番のスピードが速い駆け足になるとボロが出てアドリブどころかタイミングを合わせるのが精一杯で、よくある単調な「ドン、ドン、ドン・・・」としか叩けません。これじゃ、大太鼓の醍醐味(リードギターのアドリブみたいなもの)を味わえませんし、聴いている方も何もオモシロくありません。今では信じられないエピソードですが、小学校低学年の頃(50数年前)に初めて大太鼓を宮入本番で叩いたのですが、宮入直前の直線100メートルを全速力でだんじりが疾走するのですが、鳴り物のスピードも1番(ゆっくり=歩き)から4番(駆け足=刻み)に早くなるのはイイのですが、小太鼓のオッチャン(当時40歳くらい)だけでなく、鉦も笛も興奮してムチャクチャ(各自勝手にバラバラに)叩いてしまうのです・・・(笑)。見事、チンチンバラバラといった感じでした。昔はそれで良かったのです。道路はアスファルトではなく地道で凸凹なので、滅多にだんじりが走ることはありませんでしたから・・・(笑)。そして当時の名越のだんじりは大正時代に岸和田大工町から買った中古のだんじりで、一度も大修理をしていませんでしたので、文字通りだんじり全体がガタガタでした。それが凸凹道を疾走するのですから、だんじりの中は四本柱がグラグラし震度7くらいの揺れの中叩いているのと同じだったのです・・・(笑)。屋根には本物の大工さんが踊るどこではなく、文字通り大屋根にしがみついていました・・・(笑)。当時今のように小太鼓を四本柱に金具で固定するという発想は何処の町もなく、小屋根の下の空洞に小太鼓を置いて叩いていましたが、名越のだんじりだけ二重見送りでしたのでそういったスペースも無く、更に大屋根の枡合いの彫り物が深い事もあり頭上スペースも狭く、「名だんじり(彫り物が深く細かい&二重見送り)」の元に、鳴り物スペースが大いに犠牲になっていたのです・・・(涙)。更に昔の名越のだんじりは「カラクリだんじり」の名残で、小屋根を後ろにずらして大屋根を下げる為に「摺り出し鼻」にレール跡があり、その為に小屋根にハシゴが付いていなかったのです。その為に、屋根の上に登るには鳴り物のところから上がるしかなく、鳴り物スペースは何時も混雑していたのでした・・・(笑)。昭和40年代後半に根来で初めて修理をした時に、小屋根にハシゴが付いた時は正に感動モノでした・・・(笑)。今までチョット下に落ちる恐怖と戦いながら鳴り物スペースから小屋根に登っていたのが、専用ハシゴが付いて楽に登れるのですから・・・(笑)。何でも不便さを味わうと、標準の有り難みが分かるものです・・・とにかく前の名越のだんじりは明治30年代に岸和田大工町が新調し、大正時代に名越がそれを購入して昭和40年代まで70年間何も修理をしないままだったという事です。しかし、小学生の私は「これじゃメンドイ(恥ずかしい=泉州の方言)・・・少なくとも、みんな(大太鼓、小太鼓、笛、鉦)合わせんと・・・・」と心底思い、何年も掛かって鳴り物改革に取り組んだのでした・・・その改革の要が小太鼓だったのです。それを応援してくれたのが、当時10歳以上年上の青年団だった2人の兄ちゃんでした(今は70代)。2人は「トオル君、好きなようにせ~よ・・・ゴチャゴチャおっさん言うて来たら、守っちゃるさかい・・・」が心強い言葉でした・・・(涙)。やはり、応援する人がいなければ小学生でも村祭りの改革は無理だったのです・・・という事で、いつものように日本昔話が長くなりましたが、まァ私自身、地元の7,80年代ロックのコピーバンドのドラマー加入が希望ですが、スタジオのお客さんのバンド(ジャンルや年齢に関係なく)で「今日はドラマーが急遽休みなので、ドラマ-としてチョット入ってくれませんか?」というオファーにも対応出来ればイイなァ・・・と思います(笑)。10年後に4人の孫娘達のガールズバンドで、「おじいちゃん、ちょっとドラムで入ってくれヘンかな?」と言われれば、待ってましたとばかりにホイホイと助っ人として喜んで参加しますが・・・(笑)。その為に、趣味と実益を兼ねて毎朝1時間ほどドラムの練習をしているのです・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.09
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毎週火曜日10:00~12:00までの2時間、「スタジオ0724」でボランティアで空手を教えています。教えると言うより、週1回運動することによって自分の健康を維持していると言った方イイかも知れません・・・(笑)。いずれにしても、スタジオでこれまで学んだ空手の技を無償で提供しています。最近ふと気づいたのですが、空手って改めて健康にもイイなと思うのです。60超えて空手のやり過ぎは身体に悪いですが、適当?にすればこれほど合理的な老後の健康法はないのです。以下列挙すると、1.肛門の周りの括約筋を鍛えられる2.体幹がシッカリする3.空手の呼吸法(息吹)と4つの効果4.型の練習が全身運動になる1は基本の突きや受けの立ち方で「三戦(サンチン)立ち」というのがありますが、これは肛門をキュッと締めるのです。この立ち方は通信教育やYOU TUBEでは決して学べません。空手の独学の限界は既にこの辺からあるのです。老後の身体全体の筋肉が弱る中で、普段意識しない肛門の周りの括約筋が弱るとお漏らしの原因になります。これを防ぐ意味で、基本稽古でこの立ち方をするのです。普通の人で普通の生活を送っていれば、肛門周辺の筋肉を使うことも意識することもありませんので、弱るのは当たり前です。ところが、空手をやっている者にとって当たり前の事で、ごく普通に稽古の一環としてやっています。そんな些細な事が、老人になって「大きな差」がつくとは・・・正に驚きです(笑)。女性が多い老人ホームで、ウンコ漏らしたらカッコ悪いでしょうねェ・・・(笑)。オムツ無しで、老人ホームを闊歩したいものです・・・(笑)。2は空手の稽古では上半身下半身左右満遍なく鍛えますので、更に身体の前後を意識しますので体幹が鍛えられるのは言うまでもありません。基本稽古の前に入念なヨガ的な要素も取り入れたストレッチを十分行いますので、自分の身体の特徴(ウイークポイント)を掴んでもらうのです。普段、右が強い(寄り)とか分りませんから・・・私の稽古前のストレッチでは、普段あまり使わない身体の裏(背)面と下半身を重点的にしています。やはり人間というのは、心身ともにバランスが1番肝心だと思うのです・・・そういう意味で、普段から右利きの私は意識して左手でマウスを操作したり箸を持ったり歯を磨いたり、新聞やネットニュースでも国内の政治経済だけでなく海外の動向にも注意するようにしています。時間的にも金銭的にも制約される中、私は読売新聞だけ取ってネットでは日経新聞と東洋経済を読み、既存のお客さんだけと付き合うのではなく、5つの仕事を掛け持ちする事によって毎日新しい(初めての)オファーや初めての出会いがあり、それが常に頭をフレッシュ(ニュートラル)にするのかと思うのです・・・新しい人との出会いによって、良いものは吸収し、互いに共感すれば輪が更に広がります・・・それが好循環を生むのか?20代の建築金物メーカーの営業マン時代、若かったのでドンドン外に出て新規開拓に勤しんでいましたが(年間約1000人と名刺交換)、それが自分の成長源でした。仕事の質を上げるためには「分母(新規顧客開拓)を増やす」という考え方は、このサラリーマン時代に養われました。織物時代にバブル崩壊後の大不況とグローバル化で、4,50年続いて安定していた総合商社100%委託加工(賃織り)から不安定な複数の繊維専門商社へと大きく受注スタイルに変えざるを得なくなり、転業後は2棟の織物工場を1,2階とも全てトランクルームにコンバージョンし、音楽スタジオを敢えて大型化しバンドだけでなくダンスのお客さんも取り込む(会員数を出来るだけ増やす)ような戦略に至ったのです。まァしかし今は、足で稼ぐ溝板営業的なハードな事も出来ませんし、そんなアナログティックな営業だけでは通用しない時代です。今は体力的にも時代的にもネット中心の仕掛け(集客、種まき)で、不動産の仕事以外は基本的に「待ちの営業」です。昔はお客さんを探しにドンドン外に出かけていましたが、今はお客さんがわざわざ弊社まで足を運んでくれるのです・・・(涙)。と言うか、外に出かけるのを辞めました。不動産の仕事でも、敢えて片道15分以内の地理的にも歴史的にも人脈的にも割と熟知して得意な物件に限定しています(地域密着型FPコンサルティング仲介)。まァ60オーバーのジイサンが、音楽スタジオや自習室のツイッターで高校生とやり取りするのも人が見たらキモチワルイですが、今時の高校生の実態を知るには必要不可欠で実にオモシロイですよ・・・(笑)。まァ、毎日刺激的な事の連続(積み重ね)が、新しい発想やアイデアを生み出すような気がします・・・つい1,2年前の営業ノートを読み返してみると、「こんな事を考えていたのか!?」と自分でも驚くほど、今とは違った考え方をしていたのに驚かされます・・・(笑)。それほど時代の変化が激しく、自分もそれに合わせて変っていったのだろうと思います・・・まァ、いつまでも同じような仕事を同じような人達としていては、いつまで経っても新しい発想やアイデアは生まれませんし時代に取り残されます。サラリーマンなら降格や左遷や解雇で済みますが、我々零細企業経営者は倒産や廃業に直結します。また運動の方も週1のボランティア空手に加え、毎日1時間のドラムでバランスの良い全身運動になっていますし、夏はウインドサーフィンをする事によってストレスがぶっ飛びます。強風のウインドは短時間に疲れますので、これからは孫達と2人乗り出来る大型のウインドサーフィン付SUP(パドルボード)で微風でもユックリ海で遊べるようにしたいものです・・・まァ、この「普段から意識」というのが大事で、これで寿命が10年は延びると本気で信じているのです・・・まァ空手の稽古と言っても、実は健康に重きを置いたストレッチにも力を入れているのです。空手の基本の突きや蹴りの稽古も体幹がシッカリしていないとパワーが相手に伝わりません。正中線を中心とした回転運動と体重移動で突きや蹴りをするのですが、体幹をシッカリさせて両手両足を使うドラムにも非常に有効だったのです・・・空手がドラムに応用できたという事です。3の鼻から一気に吸って口からユックリ吐くという空手の呼吸法(息吹)は、何年か前に日本でも流行った俳優の美木良介さんが考案したと言われる「ロングブレスダイエット」によく似ていますが、我々空手をやっている者にとって大昔からやっていたのです。流派によって息の強弱はありますが、基本的な考え方の丹田を意識するという意味で同じです。息吹には ①呼吸を整える ②筋肉をしなやかにする ③精神集中 ④自律神経を整える という4つの効果があると言われていますが、その他人によってストレス発散やダイエット効果を期待できるかも知れません。それほど、この息吹の効果は大きいと言えるでしょう・・・我々空手をやっている者にとって、特に何の意識もせずにヤッテきましたが、年取ってこれほど効果があるとは正に驚きです。確かに大学空手部時代の現役の頃は、組手の飛び込み練習で両方の踵がガクガクでしたが、年取ってからボチボチやるのは丁度イイという事でしょう。4の空手の型の練習ですが、これも上半身下半身左右バランスよく動かします。100年以上も前から空手の攻撃や防御のエッセンスを1,2分にまとめた動きですから、当然動きは格闘技そのものですが、全身運動としても非常に効果的です。その他私は起床後1時間以内に、ストレッチと筋トレをまとめた運動を15分間するのですが、もうかれこれ30年ほど続けています。細かい内容をたまに変更するのですが、2ヶ月前から拳立て伏せ20回とスクワット30回をメニューに加えました。年取ってくると身体全身の筋肉が衰えるのですが、特に肩と胸と上腕と足が細くなってくるのが老人の特徴です。この拳立て伏せとスクワットをするだけで、見た目だけでもちょっとマシになります・・・(笑)。それは冗談ですが、この2つの運動の本来の狙いは「気力の充実と集中力の養成」です。普通の腕立て伏せだけでもシンドイのに、拳立て伏せはリストと肘にミシミシというくらい過剰な負荷が掛かります。拳立てとスクワットをスタートする時点で、「ヨッシャー!」という気合いが要るのです。それが、気力の充実と集中力の養成に繋がるのです。普段の社会人生活で、そんな事をする人は殆どいませんが、カラテマンだけがやっているのです・・・それと付け加えるのを忘れましたが、「開脚」による足腰の強化です。ここ1,2年足を180度に開く「開脚ストレッチ」が話題になっていますが、我々空手愛好家は蹴り強化の為に日常的にこのストレッチを稽古前に入念にしています。私は180度開くのは無理ですが15分くらい入念にストレッチすれば、170度くらい足を開いて頭と胸が床にペタンと付きます。というか、これが最低デキないと強い上段回し蹴りは無理ですから。という事で、空手を「生涯空手」と捉える事によって、非常に健康になると思うのです。試合による勝ち負けに拘らず、ロングスパンで空手の稽古に励めば、得るものは大きいと思います。スポーツクラブ(ジム)では格闘技系エクササイズが盛んですが、身体の内部を強化するという意味で本物の空手とはこの辺のところが大きく違います。シニア世代がこれから残された時間を有効に使うためにも、空手を本格的に学ぶ価値は十分にあると思うのです。沖縄空手は一般的な突きと蹴りと型の空手に加え、武器(棒、ヌンチャク、サイ、トンファ、ウエーク)練習も取り入れバラエティに富んでいますので、決して飽きることはないのです。私が割と元気なジイサンなのは、正に空手の効用か・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.03
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「スタジオ0724」(トランクルーム貝塚 別館1F 貝塚市名越661 072-446-0798)の会員数ももうすぐ800人に手が届きそうになりましたが、約50%が高校生です。それ以外は20%が20代、20%が30代から70代で、10%が音楽以外のダンス系といったところです。オヤジバンドと言われる40代以上(約10%)が苦戦?(少ない)しているのが意外でした。スタジオ経営として最大顧客ゾーンの高校生をメインにして、高校卒業後も大学や社会人になっても弊社スタジオを利用することによってバンド活動をやめないようにしてもらうのが最大の戦略なのは言うまでもありません。上手くいけば、5年、10年、20年、30年・・・とスタジオに通ってくれるのです。もしかして、うちのスタジオから有名なプロミュージシャンが生まれるかも知れません。イヤ、可能性は十分にあると思いますねェ・・・ビジネスをやっていく上で最も大事なリピーターを増やす事こそがポイントなのです。同じ高校生を対象にしたビジネスでは学習塾や予備校がありますが、せいぜい2,3年通ってもらったら終わりでリピーターになり得ませんし、少子化にもかかわらず同業者が多すぎて競争が激しすぎます。しかし、この学習業界も世界的に見渡しても企業として成り立っているのは日本だけで、不思議と言えば不思議な珍現象で、加熱しすぎた日本の受験競争社会というのもありますが、日本の公(学校)教育のお粗末さの裏返しで、世界中にその恥をまき散らしているようなモノです。織物時代は毎月新しい素材や組織(織り方)を追いかけ、息つく間もありませんでした。残念ながら、毎年同じ織物というリピートはありませんでした。やはり、ビジネス(仕事)は競争ですし、ライバルが多ければ正に戦争ですから。一般的なビジネスというのは、大体そういうモンです。そういう意味で、スタジオ経営はある意味「天国」です。防音と防振がキチンとしたスタジオを作り低料金システムを考えれば、それほど努力しなくてもリピーターのお客さんがやって来ます。ただ経営者が音楽が好きでなかったり(好き過ぎても、これまた問題?)、場所を他人から借りたり、他に本業がなかったり、人(専属スタッフ)を雇えばなかなか厳しいビジネスでしょうねェ・・・音楽が嫌いなのに、スタジオで一儲けしようという単なるスケベ心だけでは、大きな火傷を負うだけです。と言うか、リハスタ1店舗で儲けようとすること自体、そもそも発想が間違っているかも知れません・・・(笑)。赤字覚悟で、趣味と割り切れるくらいでないと・・・(笑)。趣味みたいなモノですから毎日遊んでいるような罪悪感があり、「こんなコトをいつまでもヤッテいてはダメだ・・・もっと真面な仕事に精を出さねば・・・」と、これが逆に不動産仲介営業に拍車が掛かるのです・・・(笑)。まァスタジオでは、高校生に力を入れてリピーターを増やすのが第一ですが、約10%のオヤジバンドの「てこ入れ」も重要だと考えます。1980年代後半に起こったバンドブームの時に高校生や大学生だった40代半ばから50代前半の人達がオヤジバンドの主流です。ちょうど第2次ベビーブーマー(団塊ジュニア)の世代と重なります。今、高校生の間ではバンドブームです。何故か・・・?そうなんです。高校生の親世代(40~50代)が、1980年代のバンドブームに青春時代を送っていたのです。子供は絶対親から影響を受けるモノです・・・親が音楽好きであれば、子供はほぼ100%音楽が好きでしょう。その第2次ベビーブーマーの親世代は、戦後生まれた団塊の世代(昭和22~24年生まれ)です。団塊の世代と言えば、正に青春時代がGS(グループサウンズ)世代で、ビートルズやベンチャーズの影響をモロにウケています。お爺ちゃんがGS世代、お父さんがバンドブーム・・・もうこうなると、孫はバンドをするしかないでしょう・・・(笑)。やはり、これから起こりうる社会現象やビジネスシーンを考える(想像、予想)には、それまでの時代背景や歴史を振り返るしかないと思うのです。若い人は戦後の歴史を本で勉強するしかありませんが、我々の世代は身をもって経験していますので、同じ土俵でビジネスの競争をする場合我々は多少有利かも知れません・・・(笑)。私は団塊の世代から10年ほどズレて生まれましたが、うちの3人の娘達も楽器こそピアノしかしませんでしたが、全員音楽好きです。10年ズレたお陰で、洋楽ロックに加えて、ブラックミュージック(ファンク、ソウル、ディスコ)やフュージョン、レゲエ、日本のフォークの影響も大きく受けています。それどころかディスコミュージックに付随するダンスも大流行しましたので、団塊の世代のモンキーダンスとは違ったダンス文化にも大きく影響しました。我々世代が踊っていたサタデーナイトフィーバーやソウルトレインのディスコダンスは、今では一般的なヒップホップやファンクといったダンスのルーツ的なダンスと言えるかもしれません。そりゃ、家でもレコードやCDを掛けて、車でも必ずカーステで音楽が鳴っていましたから好きなのは当たり前です。3歳の孫娘達もスタジオで、アンパンマンやウルトラセブンの音楽を掛けて歌って踊っていますから・・・(笑)。まァその音楽好きの親の中でも楽器をやっていれば、かなりの確率で子供は楽器を手にします。そんなモンです。うちのスタジオが出来たのを機に、スタジオで親子で楽器をプレイするのも珍しくありません。子供が中学や高校で軽音学部に入ったのを機に、お父さんも久しぶりにギターを手にする・・・というシーンをごく普通に目にするのです。ナンと!素晴らしい光景じゃ無いですか!卓球場と同じく、スタジオで遊ぶことによって親子の絆が深まるのです・・・(涙)。我ながら、何という素晴らしいビジネスをしているのかと感心します・・・(笑)。戦後から自由主義国で、世界的に圧倒的なシェアの持つ楽器や機材メーカーが多かった日本ならではの現象でしょう。1980年代まで社会主義や共産主義国だった、旧ソ連や東欧や中国や韓国には絶対あり得ないビジネスです。そういった国の5,60代以上の人達の青春時代は、自由に外国の音楽を聴けなかったのですから・・・しかし東欧や旧ソ連だけは、地理的にも近い西欧からチョロチョロ洋楽が電波で漏れていたようで、それを必死の当時の若者は聴いていたのが、マイケル・ジャクソンが社会主義崩壊後のルーマニア公演で大成功を納め、その後嘗て7,80年代に活躍したミュージシャンが雪崩を打って東欧や旧ソ連にライブツアーに出かけましたが、それを仕掛けたプロモーターの気持ちもよく分かります・・・(笑)。中国や韓国はそういった話は全く聞きませので、西欧とは距離的にも遠いですし今の北朝鮮のように当時は西欧の文化とは完全に遮断されていたようですねェ・・・という事で、このゾーンの元ミュージシャンに弊社スタジオをキッカケに、楽器を再び手に取って欲しいのです。その手応えを2年のスタジオ経営で、ジワジワと実感しつつあります・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.02
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先日2泊3日で三重県の伊勢志摩エリアの鳥羽温泉でマッタリしてきました。国内の温泉は3年ぶりです。やはり、温泉はイイですねェ・・・本当にユックリします。今回も「露天風呂付客室」に泊まりました。部屋に露天風呂があるのです。部屋に風呂があると、1日に10回は浸かってしまいます・・・(笑)。これがイイんですねェ・・・堪りません。ハワイの高級ホテルやコンドミニアムでは決して味わう事のできない、日本ならでは快感です・・・(涙)。この「露天風呂付き」の良さを味わうと、もうこれまでの温泉には泊まれません・・・(笑)。今でも殆どの温泉旅館の風呂は大浴場だけで、これだと1日に2回くらいしか行く気になりません。着替えて遠方まで(違う階に)行かなければなりませんので・・・今回2泊した部屋は、部屋内と露天の2つ風呂がありました。眺望もオーシャンビューで抜群でした。料理も地元で採れた新鮮な魚介類中心で、美味しい事、美味しい事・・・欲を言えばキリがありませんが、来年もハワイ・ロングステイの後、対照的なこの温泉旅館でマッタリしたいと思います。これまでの伊勢志摩の温泉旅行では伊勢神宮やおかげ横丁が定番でしたが、今回はそれに加え初めて伊勢シーパラダイスとスペイン村に遊びに行きました。ジェットコースターは60歳以上乗れないという規制がありましたので、残念ながら乗れませんでした。スプラッシュモンセラーやアミーゴバルーンでも顔が引きつりそうになりましたので、ピネレーだったら確実に失禁と気絶しているでしょう・・・(笑)。お金まで出してあんな恐ろしい乗り物に乗るなんて、とても信じられません・・・(笑)。強風荒波の中猛スピードで滑走(プレーニング)するウインドサーフィンは殆ど快感ですが(限界を超えると恐怖心が芽生える)、それは風と波を見ながら自分自身で操作(運転)しているからです。他人や機械が操作したり作った環境では、どうしても信用出来ないという感情が恐怖心を煽るのでしょうか・・・?長らく会社経営をしてきて自分自身で会社をコントロールするのは多少の荒波や恐怖は平気ですが、他人が経営する会社でサラリーマンとして働くのは会社や社長をどうしても信用できないので怖いという体質が身体の根底にあるのか・・・(笑)。フラメンコも見ましたが、数年前にスペイン旅行の本場で見たフラメンコとの違いがよく分りました・・・(笑)。やはり身体の芯から感動を覚えた本場でのカブリツキには敵いません。昔ミナミのライブハウス「ルイ」で、目の前50センチのぶりつきでチャーのギターをよく聴きましたが、感動で全身が痙攣しそうになりました・・・(笑)。という事で、モノが溢れた世の中で、もう欲しいモノもあまりなく、今回の温泉旅行という「コト消費」に至った訳ですが、今日本の温泉旅館で「露天風呂付客室温泉」が付加価値も高く、結構人気になっていますが、部屋に露天風呂を設置するのは相当設備投資が掛かるのは素人の私でも分ります。しかし、それをしなければ生き残るのは難しいところまで、日本のお客さんの要望が高くなってきているのです。鳥羽エリアの温泉街でも、ところどころ温泉やホテルが倒産してガランとしているところがいくつもありました。需要に対して供給が多すぎるのか、外国人観光客も皆無でした。しかし最近日本も海外から注目されて海外旅行者が急増していますし、こういった地方の温泉街もこれからはそういったインバウンド需要に十分対応出来ると思いますし、露天風呂付客室までしなくても外国人向けにこれまでの日本的な和室+大浴場というスタイルで十分勝負できると思うのです。これまで行きも帰りも同じ西名阪経由で帰りは松坂で遊んでいましたが、今回は行きは西名阪で帰りは海を見ながら帰ろうということで、南下して鷲尾から串本、白浜と紀伊半島を時計回りに海沿いを走りました。行きの高速道路ばかりだと早いですが味気なく、帰りの国道42号線は寄り道をしながらで遅いですが、何故か「旅している」という実感が湧きますねェ・・・これって、人生そのものです。若い頃はどちらかと言うと最短コースで突っ走ってきましたが、これからは今回の旅の後半戦のように寄り道をしながら一歩一歩味わって行きたいと思います・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2018.04.01
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