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昨日は、快晴のスキー教室となりました。生徒は、中級・上級クラス、初級・中級クラス、 初心者・初級クラスに分かれて楽しみました。初心者クラスは、スキー場のインストラクターに教えていただきました。 まず、スキー板をつける所からです。 次にスキーを付けて歩く事、ボーゲンで滑ることなどを 丁寧に教えていただきました。 初級クラスは、ボーゲンから始めて、体育の先生が担当しました。 初級クラスは、中級ゲレンデで滑っていました。 次に中級クラスは、ボーゲンからシュテムまでで、学園長が担当しました。 中級クラスは、午後には上級ゲレンデへ行ったりしてすべっていました。午前10時半頃から2時まで(昼食1時間)各クラスに分かれて滑り、 2時から3時半まで自由時間です。初心者クラスの人も自由時間には強引に中級ゲレンデへ行って滑っていました。もちろん、何度も転んでは起き、起きては転んでいました。全員本当に楽しんでいました。多くの生徒が「また来たい」と言っていました。2月に来る事ができるかなあ? <こころ> 人気ブログランキングに参加しています。
2007.01.31
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不登校に対するどんなに良い対処の方法をとっても、 親が覚悟を決めなければ実行できません。どのような覚悟かといいますと、 「私の子どもは、(しばらくの間)学校へ行かなくてもいいのだ」という強い覚悟と、 子どもを信頼することです。 「私の子ども。絶対に大丈夫。」と、子どもを徹底的に信頼することです。「登校拒否」の子どもに、親や教師が接する上で重要なことは、 「学校へ行く」あるいは「学校」と言う言葉を出さないことです。学校と言う言葉はださないけれど、「勉強」と言う言葉は使って構いません。 何故なら、人間は一生勉強の連続ですから。 学校だけが勉強の場ではありません。 生きるための勉強が必要なのです。本来学校は、家庭教育の後に、さらに子どもの人間性を、 人間の長所、特技・特徴を見つけ、磨くところです。 これもダメ、あれもダメでは、人間が萎縮してしまいます。 自信の持てない、夢のない、展望の持てない人間になってしまいます。子ども(子どもだけではないですね)は、 否定する言葉を使わないで、ほめなければいけません。 褒められることで自信を持ちます。悪いことをした場合には、「愛情をもった叱り」と「諭す事」が必要です。現在の家庭や学校は、いや日本社会は、「褒めること」と「愛情をもった叱り」、「諭す事」 が行われていないのです。 これでは人間は育ちません。このように接していきますと、 必ず子どもの「心の傷」は癒されるはずです。 傷が深ければ深いほど、時間はかかります。 しかし、必ず回復します。<こころ> 人気ブログランキングに参加しています。
2007.01.31
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以下の文章は、どんぐり向方学園学園長(中野昌俊)の著書 「心ゆたかな教育:君が必要なんだ」から引用したものです。 登校拒否(不登校)児童が12万人、13万人になっています。 十数年前は、「登校拒否」の言葉がよく使われましたが、いつの頃からか「不登校」という言葉に変わってきました。私は、現在のような知識の詰め込みを中心とした教育をする学校ならば、「登校拒否」の方が適していると考えています。積極的に学校へ行かないことの方が、子どもにプラスになる場合があると思います。いじめ等にあって、学校へ行かないことで、自らの命をまもることもあるのです。ここでは、敢えて「登校拒否」の言葉を使います。児童・生徒のことを真剣に考え、悩み苦しんでいる教師がいることは、承知しています。多くの(?)教師が現状に疑問をもっていると思います。発言できない職員会議、雑用の多さから児童と一緒に過ごす機会が少ない、などの問題があるでしょう。 しかし、現在の制度でもトップである校長が変われば学校が変わるのです。子どもたちは、すき好んで「登校拒否」したり、「荒れている」わけではないのです。心から話せる相手がいない、不満をぶつける相手がいないのです。どんな子どもも素晴らしい可能性を秘めています。親や教師である大人が、特に親が子どもを見捨てたらお終いなのです。嘘やごまかしをしなければ、子どもは心を開いてくれると思います。 まず、最も基本的な点を明らかにしておく必要があります。「登校拒否」は病気ではありません。おそらく、多くの親および教師の方々は、子どもが「登校拒否」になりますと、病院の精神・神経科へ行くことを考えるかと思います。これは、正しくありません。理由は、「登校拒否」は病気ではないからです。もし、精神・神経科へ通い続ければ、本当に精神的な病気にさせられてしまうかもわかりません。ではカウンセラーへ行くことはどうでしょうか?「『登校拒否』は病気ではない」との考えをもっているカウンセラーの場合には有効な場合があります。そのようなカウンセラーでも、親が覚悟を決めなければ効果は現れません。「登校拒否」は、病気でなければなんでしょうか? 心が怪我をしている(傷を負っている)のです。腕の骨を折った場合、傷口を広げたり、腕を使ったりしますか?そんなことをする人は、一人もいませんね。それは、誰が見ても「骨折」と分るからですね。しかし、残念ながら「心の傷」は、他人(第三者)には目にみえません。ここに、「登校拒否」を誤解する原因があるのです。周りの人々は、子どもが悲鳴をあげても、傷を負っていると認識しないのです。「登校拒否」に対処する最良の方法は、 種々働きかけをしながら、静かに子どもを「見守る」ことなのです。学校の教師は(地位が高ければ高い程?)、学校へ出てくることを強くいいます。多くの親はそれに負けて(親自身も教師と同様に考えている場合が多い)、子どもの「心の傷」を深くします。 (次回につづく)<こころ> 人気ブログランキングに参加しています。
2007.01.30
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明日は恒例のスキー教室です。今年は、3年生も全員受験が終わりましたので、 3年生も行く事になりました。場所は、ヘブンス園原です。昨年もここを使いました。広いなかなかいいスキー場です。明日は学園長もスキーに行くそうです。学園長は、生徒の中級クラスを受け持つのだそうです。高齢(?)ですが、元気にすべります。 年齢の割には以外と上手(?)だそうです。生徒の中にも上手な子がいたり、 初めての子がいたり、いろいろです。昨年は、スキー板の先端をくっつけるボーゲンができなくて、 何度やっても逆ハの字(先端が開いてしまう)になってしまう子がいました。 しかし、一日が終わる頃には、何とかできるようになって、 初心者コースを滑っていました。 <こころ> 人気ブログランキングへ
2007.01.29
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今日の午後は、1、2年生は漢字検定の学習、 3年生は卒業記念製作について話し合いを持ちました。今年の卒業生は6名です。その6名の最後の生徒が28日に高校入試の受験をしてきました。 「どうだった?」試験を受けた感想を聞きますと、 「まずまずかなあ」との返事でした。合格してくれると、全員合格が決まります。この3年生の卒業記念の製作を何にするかを3年生が考えています。一つの案は、中庭にベランダをつくることなのだそうです。地域の人の助けを借りて作りたい、との希望です。何とか作れるように支援したいと、こころは考えています。 <こころ> 人気ブログランキングへ
2007.01.29
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昨日から友だち十数名で鳳来寺山の表参道にある 桔梗屋に泊まって宴会となりました。 大分遅れた新年会です。しし鍋(猪鍋)をおいしくいただきました。桔梗屋の本家は、松尾芭蕉が泊まったこともある由緒あるお宿だそうです。近くに芭蕉の句碑がありました。 夜着ひとつ 祈出して旅寝かなもう一つの句碑は仁王門の近くにあります。 こがらしに 岩吹きとがる 杉間かなまた、表参道から千数百段の石段を登った本堂から奥の院へ向う山道沿いには 高野ほうきが沢山自生していて、種を飛ばさんばかりなっていました。本堂、東照宮へは、道路ができていますので、車で近くまで行く事ができます。駐車場から4、5分で東照宮につきます。鳳来寺には、家康の生母が家康誕生を 願って祈ったと言われる東照宮があります。東照宮の横の山道を登って行きますと、 20分くらいで鷹打ち場にでます。 今日は鷹打ち場までいって戻ってきました。鳳来寺山には、樹齢300年以上の杉が沢山あります。仁王門を過ぎた辺りに樹齢800年と言われる傘杉があります。幹周囲7.5m、樹高60mで、現存する杉では一番高い杉だそうです。 杉以外にも古木が沢山あります。一度訪ねては如何でしょうか。 <こころ> 人気ブログランキングへ
2007.01.28
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今日は土曜日ですので、生徒達は、起きるのも遅めです。もちろん、早く起きる子は、いつもと同じように7時半頃起きて来ます。金曜日と土曜日の夜は、談話室で11時までテレビを観る事ができます。通常は、10時までです。しかし、特別に映画などがあって許可が得られた場合には 映画の終了まで観る事もできます。多くの子どもは、朝9時から9時半頃に起きます。起きて来て何をするか、といいますと、 寮の談話室でテレビを見ている子、 学校の図書室へ来てパソコンをする子、 職員室へ来て日直のスタッフと話をする子 学校の体育館で遊ぶ子 学校周辺で遊ぶ子いろいろですね。中には以前ありましたように、新野まで歩いて行くこともあるのです。 <こころ>
2007.01.27
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人は、よく「忙しい!」と言う言葉を使います。同じ「忙しい!」の言葉でも、その内容は人によって異なります。人が「忙しい!」と言う場合、 その内面には「俺は(私は)こんなにも仕事をやっている。」ことを 分かって欲しい、知って欲しい心があるように思いますが如何でしょうか。さらに、何かの仕事を期限までに間に合わなかった理由(言い訳)に、 「忙しかったから」と言う言葉を使いますね。 どれだけ忙しかったか、 どれだけの仕事量、なすべきことがあったのかは、本人しか知らない。「忙しい」の言葉を聞いた人は、 「忙しくて大変だな」と思います。結局は、「忙しい」の言葉は、 「私を認めて欲しい言葉」あるいは 「出来ない/出来なかった弁解の言葉」と言えるように思います。忙しい!、と言う程忙しくなく、 忙しい!と言って忙しさ・仕事(やるべきこと)が消えるわけでもないのですね。本当に忙しい時は、 「忙しい!」と言っていられないように思いますが如何でしょうか。 <こころ>
2007.01.27
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今日の午後の体験学習の時間は、「堆肥」を畑にまきます。畑で野菜を作ったり、田んぼで稲を育てたりするには肥料が必要です。植物、野菜の主要栄養素は、窒素(N)、リン酸(P)、カリウム(K)です。この栄養分は、土壌に含まれています。しかし、植物が吸収しますから、補給しないとなくなっていきます。その補給するものが「肥料」なのですね。その肥料をどのような形で補給するか。 天然の有機物を使うか化学合成肥料を使うか、ということになります。化学合成肥料は、速効性がありますが、結局は塩分が生じてきます。有機天然肥料(堆肥)は、遅効生ですが、塩分は生じず、循環型の肥料となります。堆肥の最高のモノは、山の腐葉土です。昔の人は、縄文の昔から、有機天然肥料を使って作物を作ってきたのです。自然に優しい、人に優しい肥料です。どんぐり向方学園ではできる限り堆肥を使っています。先日、農協から堆肥を買うことにしました。今日はその堆肥を畑にまく作業をするのです。同時に、堆肥の学習をする予定です。生徒たちは、どんな学習をしてくれるかな。こころは、楽しみです。<こころ>
2007.01.26
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相田みつをさんの本(「生きていてよかった」)で読んだものです。 セトモノと セトモノと ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう どっちか やわらかければ だいじょうぶ やわらかいこころをもちましょう そういうわたしは いつも セトモノ みつを固いものどうしがぶつかれば、どちらも壊れる。柔らかい心に、人は和む。年をとれば、頭が固くなり、柔らかい心を失う。こころは、 常に柔らかい心を持っている人になりたいなあ、と思います。<こころ>
2007.01.25
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今日の午後は選択授業です。選択授業は、音楽(楽器演奏)、体育(インディアカ)、家庭科(料理作り)、 技術に関わることを生徒がグループに分かれて実施するものです。技術のグループは二つに分かれています。 一つはベランダを作るグループ もう一つは、凧上げ用のたこを作り調べるグループです。ベランダを作りグループは、模型作りが大体終わり、 これから実際にベランダを作る作業に取りかかります。柱、床板、手すりなどをどのように作るかを考えます。地域の方(専門家)に教えていただいて作って行く事になります。今日は地域の方に来ていただいて、作業を進めます。まずは、使用する道具、材料など、どんなものが必要かを考えさせます。さあ、どんな風に考えてくれるかな。 <こころ>
2007.01.25
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相田みつをさんの本で読んだ気がします。間違っているかも知れません。抑えがあればねじれて育ち、抑えがなければ真直ぐ育つ。抑えのない大きな天空。こころは、日本社会は抑えが強すぎるなあ、と思います。 <こころ>
2007.01.24
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1月12日に凍りダイコンをつくりました。その後一週間程は、冷える日が続いたのですが、 最近は、暖かい日が続きダイコンが凍らない日が続いています。それでも一本のわらに10個程度つけた輪切りのダイコンは、 少しづつ萎縮して小さくなって来ています。一番外側部分は、既に直径10cm程度だったものが、4、5cmにまでなっています。しかし、わらの中の方にある輪切りダイコンはまだ大きい状態です。昨日も今朝も零下2度です。これではダイコンは十分に凍ってくれません。でも少しづつ水分は飛んでいるようです。いつ出来上がるかな。 <こころ>
2007.01.24
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昨日は、図面を描く日でした。今日は、その図面に基づいて実際に木と竹でそりを作りました。作り始めて計画を変更したチーム、予定通り図面に従って作ったチーム。4チームそれぞれに考えて進めていました。当然のことですが、 よく作業をする子、 見ているだけの子、 近くで別の遊びをしている子 いろいろいます。一つのチームは、どうしても大きな(長い)そりを作りたい、ということで、長いそりを作っていました。まだ完成していないのですが、大きなそりを作ったチームの子たちは 「イカダみたいになっちゃった」などと言っていました。しかし、スタッフの知恵を借りながら、 本当にいろいろ考えて作っていました。これまでにも度々使っていますから、 ノコギリも上手に使い、木や竹をまっすぐに切っていました。完成が楽しみです。(^_^) <こころ>
2007.01.23
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今日から3日間は、午後はそり作りです。ハイジではないですが、手作りのそりを作ろうということになりました。今日は、そりの話し、見本(写真・絵)などを見て 自分達が作るそりのイメージ図、簡単な図面を書く事です。4つの班に分かれてそれぞれがイメージ図を書きました。みんな楽しそうにしていました。基本的な材料は全員(各グループ)同じなのです。その同じものでどのようなものを作るか、ということなのですね。ちなみに、共通の基本材料は、 竹2m;3本、木10cmx2m;3本です。さて、どんなそりができますでしょうかねえ。こころは、楽しみです。 <こころ>
2007.01.22
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今日は向方地域の「生き生き大作戦」の一環として木の伐採をするのです。道路わきの木々などの枝打ち、伐採などをするものです。これをすると少し道路周辺が明るくなります。どんぐりの職員も参加します。 <こころ>
2007.01.22
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遅くなりましたが、19日(金)に行われた百人一首大会のことを書きたいと思います。この百人一首大会は、天龍中学が全校生徒参加による恒例の行事です。その行事に今年はどんぐり向方学園の中学生も参加させていただいたものです。両校の中学生が入り交じって2つのチームに分かれて取り札の枚数を競う「源平合戦」方式で大戦しました。どんぐり向方学園の生徒も真剣に取り組み、よく頑張りました。どんぐり向方学園の生徒も 「覚えた句はほとんど拾えた。」 「他校の生徒と競ったことで、おもしろかった。」 などと話していました。これからももっと2つの中学校が交流できるとうれしいな、と思います。 <こころ>
2007.01.21
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日常会話の中で、 「あの人は器(うつわ)が大きい」とか 「器が小さい」とかの言葉を聞く事があります。古の書には、「君子は器ならず」の言葉があります。 この意味は、 器は、その使い道が限定されています。 つまり、一つの用にたつだけで他には使えない。しかし、人の働きが限定されることなく、広々と自由でありたい、との考えなんだそうです。こころは、一つだけに使える器でなく、 働きが限定されない人間になりたいなあと思います。<こころ>
2007.01.21
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長い人生の戒め(いましめ)に3つあると言います。 若い頃は色(異性)を戒め、 壮年期は争いを戒め、 老年期は欲(名誉欲、地位欲等)を戒めるのだそうです。異性、争い、欲。簡単なようで、何れも難しいことばかり。<こころ>
2007.01.20
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学園長が、誰に言うともなく話している言葉、 こころに話してくれた言葉、 あるいはどこかで話した言葉を書き留めてみました。以下は学園長の独り言です。「人は人を悪く言うほど偉くないんだよな。」そう言っている己は、つい人を悪く言ってしまう。悪くいった言葉が、自分に戻ってくることがわかっているのに・・・。今、出来なくていいんだよ。 わからなくていいんだよ。 知らなくていいんだよ。出来ない、わからない、知らない だから勉強するんだよ。 人間一生勉強だからね。人の批評(批判)、計画(案)の批評(批判)は簡単なんだ。しかし、一つの計画(案)を出すことは中々むつかしい。批評(批判)されている人、 「その人」にも必ず「自身の真心と他人(ひと)への思いやり」がある。ただ、「メンツと欲」が強すぎるだけ。「メンツと欲」を捨てれば楽になるけれど、人間はそれを捨てられない。 私は人間だからそれを捨てられないが、弱くすることはできる。「真心と思いやり」は「人間学」の基本。「真心と思いやり」を、 親に示せば「孝行」となり、 友に示せば「信義」(信頼)となり、 人に示せば「礼儀」となり、 社会に示せば「正義」となる。しかし、私は人間だから、十分にできていない。「人間学」の実践は難しいなあ。<こころ>
2007.01.19
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先日、小学2年生の子を持つ母親から 小学校の算数の足し算引き算の教え方を知らされ、びっくりしました。 どのような教え方かといいますと、手の指を使うのです。 学校の先生は、「手の指が足らなくなったら足の指を使いなさい。」と「指導」しているというのです。 いつ頃からこのように指を使って計算するようになったのでしょうか? この方法では、算数(計算)はますますできなくなるのではないでしょうか? 幼児期(初期)の算数で大事なことは、「繰り上がりと繰り下がり」です。その重要な時期に指を使って計算していては おそらく「繰り上がり・繰り下がり」は十分に理解されていないでしょう。この「繰り上がり・繰り下がり」が十分に理解されていなければ、次の掛け算、割算も十分に理解されず、さらに分数・少数計算も十分に理解できないままに終わってしまいます。 さらに大事なことは、「繰り上がり・繰り下がり計算」を手を使わずに自分の頭の中で行うことは、 脳の前頭葉の働きを高めることになるのです。 つまり、手指を使った計算よりも、頭の中で計算処理することによって脳を十分に使います。 脳の前頭葉の一部(前頭連合野又は前頭前野)は、短期記憶に深いかかわりがあり、 その中の一種にワーキングメモリー(作業記憶)と呼ばれるものがあります。 ワーキングメモリーというのは、状況の変化の流れを数分程度貯蔵するもので、 事象の知覚、談話の理解、推理や計算の課題など、種々な活動・課題を遂行するに必要なものです。 この記憶は、長期記憶から取り出される情報も含み、 状況の理解や作業の遂行に必要な前提となる記憶が能動的に形成されるのです。 このような指を使った算数計算の奨励は、子どもの脳の発達を悪くし、 結局は与えられたものを受け入れる安易な方法をとる子どもを育てることにつながるように思います。 小学校における算数計算に指を使う指導は改めた方がいいですよね。<こころ>
2007.01.18
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もうあれから12年になるのですね。私は、12年前の2月10日、11日に 本山地区に腹話術人形をもって1人で出かけました。 本山南小学校などで子どもたちと遊びました。12年前の2月10日は非常に寒かったことを覚えています。外で立ち話をしていると寒くて震えるくらいでした。あの寒い状況の中で、公園や運動場で、テントなどで生活している人が大勢いました。本当に大変な生活だと実感しました。 <こころ>
2007.01.17
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先週の金曜日(12日)に凍り(凍み)ダイコンを作りましたが、 その後気温も零下の日が続き順調に経過しています。外側の方が水分が抜けて、しわがよってきています。このまま気温が低い状態が続くでしょうから、 予定通りの凍りダイコンができることでしょう。気温が低くならない、凍らない地域では干しダイコンを作っていますね。考え方としては干しダイコンと同じ部類になるのでしょうが、 ダイコンの保存食としてはいいものですね。 <こころ>
2007.01.16
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昨年秋(11月中旬)、広汎性発達障害の診断を受けた子が体験入学をして、 その後本入学となっています。入学後、彼は他の子と同じように普通に生活しています。授業も特に問題はなく、歩き廻るでもなく、 本当に普通に生活しています。もちろん、前籍校であまり授業を受けていませんので 現在の彼の学力は低いです。が、勉強する意欲は普通に持っていますので、 どんぐり学園で学校生活するのに問題はないのです。中学1年生ですが、正の数、負の数が全くといっていいほどわかっていません。ですから、最初から教える必要があります。 彼の理解力は普通以上です。ですから、何故前籍校で授業が受けられなかったのか不思議です。また、彼は野球が大好きで、よくスタッフあるいは友だちととキャッチボールをしています。将来は、野球の選手になりたいのだそうです。ソフトバンクフォークスに入りたいのだそうです。こんな感じの子が、現在の公立小中学校には大勢いるのではないでしょうか。本当は普通に生活できるのに、 外に追いやられてしまった子が以外と大勢いるのではないでしょうか。こころは、そんな子が心配です。 <こころ>
2007.01.16
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どんぐり向方学園は、1週間の体験入学を義務づけています。この1週間で生徒・保護者と学校の受け入れ側が、お互いを知る機会です。本人がどんぐりに入りたい、ここで過ごしたいと判断した場合には、 殆ど100%が本入学となっていて、その後も順調に過ぎています。これまでに、親が強引に連れて来た子は、殆どがうまく行っていないのです。 親が強引に連れてきた子は、これまで数人います。 その殆どが、2日ともたずに途中で帰っています。 中には、本人がその気で来たのに、 体育館に入ってバスケットコートを見た途端にフラッシュバックで 急きょ帰った子もいます。 最初は来る事に積極的ではなかったけれど、 こちらで生活している間に馴染んできた子もいます。昨日、中学2年生の子が体験入学で入って来ました。今週木曜日にも中学2年の子が見学に来ます。この子達が馴染んでくれるといいな、ってこころは思っています。見守るしかできないこころは、じれったい気もしますが、 こればかりはどうにもなりませんね。 <こころ>
2007.01.15
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人は誰もが他の人から認められたいと思っています。 人が最初に接する一番小さな社会は、家族。その家族の中で、父、母、子は夫々の立場で存在感を求めています。父は父として、母は母として、子は子として。子は、家庭の中で「必要な子」であることを求めています。父と母は家庭内で「威厳」と「暖かさ」をもって、家族一人ひとりの存在感を高めるようにしています。その存在感を感じる第一歩は、家族の団らん。その次の社会の中での存在感は、隣人・地域、学校、職場となりますね。人は、社会の中で認められて、人の上に立つ地位につくと、態度が横柄になったり、傲慢になったりする人がいます。社会における地位は、人間が人と人との交わりをスムースに進むように作っただけなのに、 その地位を自分の人間的な力と錯覚するのです。 その結果、横柄な態度をとったり、傲慢になったりする。地位とは、天の位に対して地の位ですね。つまり、その人の人間性を高めるために、試練を与えるために、天が授けた位(地位)なのですね。人は、個人としてはどんな人も皆対等・平等であるはずなのに、 それを忘れて「偉くなった」と錯覚する。人を指示・指図する地位についたということは、 上に述べたように、自分をさらに磨く為(人間性を高める為に)、徳を積むことができるように 地位を与えてくれたもの、のはずであるのに・・・。人は、どんな人も優れた才能を必ず持っています。その才能を十分に発揮できていないだけなのです。それまで生きてきた中で、不幸にして自分の才能に気付いていないだけなのです。1千億個(1兆個とも言われている)もある脳細胞が、大部分使われずに眠っているのです。「僕(私)はダメな人間だ。」と思う心で、 また逆に「俺(私)は偉い。」と思う心で、脳細胞は眠ってしまう。「自分は偉い」と強く思う人は「傲慢な心」を強く持ち、 その人は逆に劣等感(自分はダメな人間と思う心)も強く持つでしょうね。世の中には「年上の人、同年代の人、年下の人」がいるだけなのですね。 古の聖人は、「年上の人(年輩者)には安心されるように、同輩には信頼され、年少者には慕われるような人間になりたい」と。 本当にそんな人間になりたいものだと思います。 <mnこころ>
2007.01.15
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学園長がよく言っていることですが、 子どもをダメにする最も簡単な方法は、 「子どもの言い分を聞き入れて、子どもの言いなりになって、子どもが好きな事/好きなものを与えつづけること。」だそうです。このようにすると、子どもは何でも自分の思い通りになりますから、家庭の中で子どもが王様になるのですね。一人っ子政策時代の中国の子どもがそうなっています。また、現在の日本の親(保護者)も似たような状況となっているのではないでしょうか。「甘やかす」という言葉は、英語にはないそうです。欧米では、「甘やかす」ことはないそうです。例えば、子どもがニンジンあるいはピーマン等の野菜が嫌いで母親が作った料理を食べないとします。そうしますと、欧米では食べるまで同じ野菜を料理するのだそうです。また、おもちゃが欲しいと言って子どもが泣くとします。 そんな時、欧米の親は子どもを泣かせて置きます。そうしますと、子どもは学習するのですね。 この親は泣いても効果がない、食べないと料理が変わらない、とね。子どもが、ある時期まで、「受験・就職レール」という 親の敷いたレールの上を与えられるままに走り、自分の思い通りに過ごしてきたとします。そうして、ある時期(中学、高校、大学あるいは就職後、さらには出産、子育て時期)から思い通りに行かなくなることがあります。 こんな時期に、家庭のこと、勉強の事、いじめ あど何かのキッカケで嫌なことが続くと 不登校や「荒れ」が来るのですね。一方、 結婚して子どもが自分の思い通りにならないと、若い親たちは「幼児虐待」となるのですね。若い母親父親は、自分の思うようになる子どもを望みます。 しかし、子どもは人間で意志がありますから、言う事を聞かないことがあるのですね。 思い通りに行かない男の子の虐待が多くなるのです。 「しつけ」という虐待ですね。 現在の世代では、30代、40代半ばくらいまでが、「レールの上を走らされた子」であることを考えますと、現在の「幼児虐待」の遠因は、十代の「荒れ」と基本的に同じであるように思いますが如何でしょうか。これは、子どもの頃に親が子どもの言いなりになり、「嫌な事」、「手伝い」等をさせずに、「勉強」だけさせてきた50代以上の親の責任が大きいでしょうね。 「大人が変われば子どもは変わる」のです。 <こころ>
2007.01.14
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人は、日常会話の中で、あるいは親は子に対して、 「私はあなたを理解しているよ」とか「あなたをわかっているよ」あるいは 「あなたを受け入れているよ」などの言葉を使います。以前、フリースクールの頃の生徒が、次のような事を言っていました。 「親は、話を聞いてくれるが、俺の事をわかってくれない。」「人をわかる」とはどういうことでしょうか。 学園長は、以前こころに話してくれました。 「人をわかるとは、その人の『気持ち』をわかること、ですよ。」 さらに、「子どもをしかるのでなく、諭すことが大切ですよ。」 ってね。人は、気持ちをわかってもらえれると、 「自分をわかってくれた。」と思うのではないでしょうか。 「ありのままを受け入れる」ことは何と難しい事か、を感じています。 「ありのままを受け入れている」つもりでいて、実際は(心の奥底で)、 「このようになって欲しいな」との思いが有りますね。 その結果、子あるいは相手(他人)の愚痴、批判が言葉となってしまいます。 人の教育は、人/子どものありのままを受け入れ、その子の良さを認める事から始まるのではないでしょうか。 最近の親や教師は、子の良さを認める/見つける前に、自分の型を持っていて、その型にはめようとしているように感じます。 これでは、その型に入る事を嫌がる子どもにとっては、苦痛で仕方がないですね。親・教師は、そのことを強く理解・認識する必要があるように思います。人には必ず良い点と悪い点があります。 人は、良い点が目立つようになれば、悪い点は目立たなくなると思います。良い事をほめると子どもは喜びます。 子どもの良い点を見つける「ゲーム」をするといいですね。(^_^) <こころ>
2007.01.13
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今日午後1時半から始めた凍り大根作りは、3時前に終わりました。生徒達は、真剣に取り組みました。もちろん、中には時々遊んでいる子もいるのですよ。大根の皮を剥く子、輪切りにする子、煮て柔らかくなった大根を藁に通す子などに分かれて凍り大根作りをしました。凍り大根の作り方は既に書きましたが、また書きます。大根を皮剥き器で、長い状態で先に皮を剥いて、それから輪切りにしました。輪切りにしたものを大根が柔らかくなるまで煮ました。柔らかくなった大根を先の尖った細い竹に、 柔らかくなった輪切りにした大根を順番に通します。竹の後ろに藁を付けておいて竹を引くと藁が大根に通るのです。それを竹などに吊るして水分がなくなるまで干しておきます。乾燥すると出来上がりです。大根が凍る程冷えてくれるといいのだけれどねえ。 <こころ>
2007.01.12
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今日は、凍り大根作りです。昨年末に作る予定でしたが、気温が高すぎてできなかったのです。最近は零下5度くらいの日が続いていますので、凍り大根もできそうです。今日の凍り大根は、合計150本くらいの大根を使う予定です。時間は1時半から始めて、予定では3時から3時半には終わる予定です。作り方の概略は、 まず大根を水で洗って皮を剥きます。 皮を剥いた大根を輪切りにします。 皮をむいた輪切りにした大根を茹でます。 茹でた大根を藁に通して吊るします。 一本の藁に10個くらい通します。 この大根が凍って水分が蒸発すると出来上がりです。この凍り大根、中々美味しいです。 <こころ>
2007.01.12
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新年になって、7日から8日に降った雪がまだ残っています。その残った雪で雪遊びしていました。斜面に雪が残ったところが沢山あるのですが、 そこで、そり遊びをしていました。雪が降ると、生徒達は、 雪合戦をしたり、そり遊びをして遊びます。来週22日から24日は、雪遊びできるように、 そりを作ろうということになりました。 自分のそりを作るのです。何故3日もかけるかといいますと、 まずどんなそりを作るか計画を立てます。 図面を描くのですね。 それから実際に作る作業に入ります。ですから、3日間とっています。さあ、どんなそりができるか楽しみです。 <こころ>
2007.01.11
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今朝、ブログ訪問者が1万人を越す事ができました。7月9日スタートした時は、どのくらい来ていただけるのか不安でした。しかし、約半年で1万人に達することができました。ご訪問下さったみなさん、本当にありがとうございます。これからもどんぐり向方学園の生徒の様子を中心にブログを書いて行きたいと思います。皆さん、今後ともよろしくお願い致します。 <こころ>
2007.01.10
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いじめをなくす方法は、ただ一つあります。その唯一の方法は、すべてをオープンにすることなのです。大人社会でも子ども社会でもどんな社会でもひとがいるところでは残念ながらいじめがあるのですね。寂しいことです。しかし、いじめのない社会を作る事はできるのです。いじめは悪い事です。このことは、いじめている本人が一番よくわかっています。ですから、こどもであれ、大人であれ、いじめている子(人)は、いじめられている子(人)に 「誰かに言うともっとひどいいじめをするぞ」と脅迫するのです。脅迫された子(人)は、もっとひどいことをされると恐いから何も言えなくなるのです。しかし、本当はちがうのです。勇気をだして誰かに告げることで、自らが救われるのです。誰かに虐められていることを人に告げてすべてをオープンにする。この場合、大人・社会がいじめを容認しない態度が必須になります。一般に悪い事をする人は、人が見ていないと信じているから悪い事をするのです。例えが悪いかもしれませんが、泥棒も一緒です。多くの人が見ているところで、どろぼうをする人はいないですね。いじめもも同じです。大人であろうと、子どもであろうと、見ていない、わからないと思うからいじめるのです。大人が、いじめをなくす、との決意で子どもと一緒に全員が見ていることを徹底することです。子どものいじめは、子どもがかかわらないとなおりません。子ども一人ひとりが監視役になることなのです。子ども社会で「ちくる」という言葉があります。これは、悪い事をしている事が人に、大人に知られることを恐れることから来ているのです。これは、「ちくる」でなく「報告である」ことを徹底することなのです。どんぐり向方学園では、「ちくる」の言葉はなくなっています。学園長が生徒達の前で、「いじめられた事を話すことは、報告であって、『ちくる』のではない。だから安心して報告してください。」と話しました。生徒達は報告に来るようになっています。こころは、一日も早くいじめが世の中からなくなることを願っています。 <こころ>
2007.01.10
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お気に入りブログの一つである「流離う出張人の気まま日記」にかれていた 木精占いをやってみました。 私の守護樹はクリ(正義の樹)で、 相性のいい樹木は、ニレ、菩提樹、クルミ、クリ、だそうです。 <こころ>
2007.01.09
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1月19日に天龍中学との交流会で、百人一首大会を開催します。今日の午後はその練習です。3年生には、百人一首をよく覚えている生徒がいます。しかし、1、2年生には百人一首を沢山覚えている生徒はいないのです。普通程度に、5、6首がせいぜいかな?こころも、高校時代の古文の時間に全部覚えさせられました。しかし、今は殆ど忘れています。断片的に覚えているだけで、ダメですね。昨年、よく覚えている現3年生の子とカルタ取りをしましたが、 ダブルスコアの完敗でした。生徒達はどの程度覚えているかな。 あるいはどの程度新たに覚えられたかな? <こころ>
2007.01.09
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どんぐり向方学園は、今日から授業が始まります。受験と家庭の事情で戻れなかった生徒を除いて、 全員無事昨夜の内に戻って来ました。バスの予約をしていなかった生徒も夜11時半に無事寮に着きました。昨夜は、雪が凍って、道路は危ない状況でした。タクシーも雪道用の装備をして上まで上がってきてくれました。8時45分から全体集会をしました。学園長は、お気に入りブログの「あいみて日記」に書かれていた相田みつをさんの 「時はいのちだよ」 「『今』というこの時は、自分の一生の中のいっしゅん」を引用して、「時」の大切さを全体集会の挨拶の中で話しておりました。今日は1限目がロングホームルームで2限目から正常授業です。 <こころ>
2007.01.09
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明日からどんぐり向方学園の授業が始まります。ですから、今日午後になって生徒達が寮に帰ってきました。受験に関わる3年生の2人と 家庭の都合で今日戻らない2年生2人と1年生の1人を除いて 全員が戻ってきました。ある者は親の自家用車で、ある者はバスと電車(飯田線)で、 またある者は、新幹線と飯田線で帰ってきました。その帰寮に関して1、2トラブルが起きました。2人の生徒が電車とバスに遅れて村営バスに間に合わなくなったのです。 1人はお新宿ー飯田間のバスの予約をしてなかったために、 1時頃新宿についたのに16時40分まで待たなければならなくなりました。 平岡駅に着くのが22時55分です。 もう1人は、飯田でうたた寝していて(生徒の言)、電車に乗り遅れたのです。 そこで、学園長は、この2人に、「時」の大切さを認識させるために 「学園から迎えには行かないよ。」 「遅れた場合には、タクシーを使うか歩く以外に方法はないけどどうする?」 と問い合わせました。 二人とも当然「タクシー」と言います。 そのタクシー代は、毎月の生徒の小遣いから出る事になります。先日「あいみて日記」(お気に入りブログに登録)に、 あいだみつをさんの「時はいのちだよ」との内容の文章がありました。こころもみつをさんは大好きですので、この詩を知っていました。 こころは、生徒達にもこの「時はいのちだよ。」をわかって欲しいと願っています。学園長は「時」の大切さを、どのように教えたいのかなあ。何れにしても、生徒が無事に戻りましたことは喜ばしいことです。 (2人はまだ向方に向っている状況ですが)こころもほっとしています。(^_^) <こころ>
2007.01.08
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お気に入りブログの一つである「あいみて日記」に、 京都のお寺「永観堂 禅林寺」のことが書かれていました。私も10年以上も前に京都で会議があった時に、 銀閣寺と哲学の道、禅林寺へ行った事があります。そこで、昔のことで忘れていましたので、少し調べてみました。永観堂禅林寺の正式名称は、(しょうじゅらいごうさん むりょうじゅいん ぜんりんじ) 聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺 第七世法主永観律師にちなみ永観堂と通称される、となっています。創 建: 貞観五年(863)。清和天皇より「禅林寺」の勅額を賜う。宗 派:浄土宗西山禅林寺派宗 祖:法然上人(源空)、派 祖:西山上人(證空)称 名:南無阿弥陀佛ご本尊は「みかえり阿弥陀」と呼ばれて、お顔が横を向いています。その謂れをお寺のホームページより引用します。 永保2年(1082)、永観50歳のころである。2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、「永観、おそし」と声をかけられた。永観はその尊く、慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。 みな人を 渡さんと思う 心こそ 極楽に行く しるべなりけれ 永観律師お歌 (千載和歌集) 上の和歌は永観律師の作ですが、「みかえり阿弥陀如来」のお姿を現代風に解釈すると、次のようになろとお寺のホームページは、解説しています。・自分よりおくれる者たちを待つ姿勢。・自分自身の位置をかえりみる姿勢。・愛や情けをかける姿勢。・思いやり深く周囲をみつめる姿勢。・衆生とともに正しく前へ進むためのリーダーの把握のふりむき。 真正面からおびただしい人々の心を濃く受けとめても、なお正面にまわれない人びとのことを案じて、横をみかえらずにはいられない阿弥陀仏のみ心。 だそうです。この5項目、こころは考えさせられます。 <こころ>
2007.01.08
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昨日の大雪で、あたりは真っ白です。今朝、村の除雪車が道路を除雪してくれました。こころは、玄関周辺の除雪をしました。外気温は零下の温度ですが、除雪作業をすると、汗がでてきます。積雪量は20cmくらいでしょうか。除雪スコップで後ろから押す方法をとりますと、少し移動すると一杯になります。普通のスコップ程度の大きさのでやりますと、 横にはみでる雪のが多いくらいです。そこで、そのスコップの倍くらいの広さの 後ろから押すタイプのもので除雪したのですが、 そのスコップでも除雪する雪よりもはみ出る雪の方が多いのです。雪の量が多いから何れのものでもどんどんはみ出るのです。繰り返し、繰り返し、少しづつ除雪することが一番なのですね。昨日ほどではないですが、今もまだ雪が降り続いています。 <こころ>
2007.01.08
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京都の銀閣寺は、室町時代の8代将軍足利義政が建てたものです。以前から、金閣寺の金箔に対して、 銀閣寺は銀箔が張られていたという考えと 銀箔は張られていなかったとの考えがありました。しかし、今回専門家の調査で、 漆塗りの建物で銀箔でなかったとの通説通りの結果となったのです。2階外壁の白漆に池の反射光が映って銀色の輝きとなったようです。今回、2階軒の雨に当たらない部分から試料をとって、 エックス元素分析などの結果、銀は確認されなかったそうです。銀閣の呼び名は江戸時代以降の呼び名だそうです。有名な北山の金閣寺が金泊を張ってあることから、 銀閣寺も銀箔が張られていたとの考えもありました。こころは、銀閣寺も金閣寺も行ったことがありますが、 銀閣寺は落ち着いた感じのいいところですね。 こころは、銀閣寺の方が落ち着きます。 <こころ>
2007.01.07
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今日は、朝から雪です。朝7時頃は3cm程度でしたのに、今はもう5、6cmになっています。朝、近くの高齢のおばさんが雪かきをしていました。私も玄関周辺の雪を除きました。今日のは粉雪で作業はしやすかったです。この向方では、今日のように雪がつもる日にちは一冬で10日程度です。しかし、積もった雪が解けた後で凍る事が多いのです。車の運転は、雪の日よりも、雪が凍った道が恐いです。特に下り坂を気をつけないといけないですね。 <こころ>
2007.01.07
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今日の向方は雪が朝になって雨に変わって、 道路はシャーベット状です。滑りやすい道路です。気をつけなくては。今日は御神酒について考えてみたいと思います。 「御神酒をいただく」と尊敬語でいう理由がわかったのです。尊敬語を使うのは、『神の霊力を賜るもの』とする考えからなのだそうです。神代の昔より、「おおみき」「みき」というのは、神に献るお酒のことです。 ”おみきあがらぬ神はない”の言葉/諺があるそうです。 これは、お酒は神様に必ず差し上げるものですが、 人もまた誰もがいただくものだったからだそうです。御神酒は神と人とを一体にむすび、人と人とを和合させる霊妙な力をもっているそうです。だから、御神酒は家族で、あるいはみなさんでいただくのですね。これらのことは、こころは、初めて知りました。 <こころ>
2007.01.06
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冬祭りで有名な坂部地区は、長野県、愛知県、静岡県の県境に位置しています。天龍川の西側の急斜面に、現在約20戸が点在する小さな集落です。神原村坂部地区でしたが、昭和31年に平岡村と合併して天龍村となりました。神原村の役場は、向方地区にありました。ですから、坂部地区で役場に勤める方は、 片道2時間程もかかる山道を歩いて役場に勤めていたそうです。昔は「左閑辺(さかんべ)」と呼んでいたそうです。この地名は木曽義仲が名付けたと言われています。江戸時代に坂部となり、石高45石2斗3升の村でした。石器時代、縄文時代に人が生活していたことも明らかになっています。冬祭りは、正長元年(1428)、「子孫繁栄当郷永く成就すべし」とのことで、 神楽が執行されたと言われています。この祭の次第は、伝承により執り行われているそうです。冬祭は、三河の花祭りと遠山谷の霜月祭りとともに湯立ての神事が行われています。以前は、霜月24日に行われていたそうですが、 現在は正月4日の夕刻から5日の正午まで行われています。祭に携わる者は、祭り当日早朝(現在は午後と聞いています)、 天龍川で身を浄めて祭に参加します。 <こころ>
2007.01.05
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今日、地域のおじさんがどんぐり学園を訪ねてくれました。年賀状をだしましたら、そのお礼だといって訪ねてくれたのです。話の中で、その方が、ふっと話してくれました。お茶は濃い、苦いお茶をだすのがよい、と。何故でしょうか?濃いお茶は、「また来い」の意味があるのだそうです。ですから、訪ねてくれた方には また来て欲しいから、濃いお茶をだすのがいいのだそうです。みなさん、御存じでしたか私は知りませんでした。こころは大変勉強になりましたよ。(^_^) <こころ>
2007.01.04
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昨日は、向方のおきよめ祭りで古い知人とばったりあって、 遅くまで飲んでしまいました。 軽い二日酔いだあ!今日は坂部の冬祭りです。いつもコメントをいただいている方が、 フユの意味を調べてくれました。(昨日のコメントをお読み下さい)今日午後(3時頃)、この祭に関わる男性全員が、 生まれた時の状態で天龍川に入って身を浄めます。浄めた身体で祭に参加するのだそうです。 湯立て神楽ですから、舞う場所は湯立ての廻りで舞います。 今日の夜10時頃かなあ、花の舞という子どもの舞があります。 その舞が終わった後で、参加者(参会者)全員が 「かやせ、かやせ、きよめてかやせ」といって、 見知らぬ人も肩を組んで踊り(?)ます。 これが前半のクライマックスになります。それから、 翌日(朝7時頃かなあ)鬼が出て来て、 大きな木のまさかりで火のついたたいまつの火を切ります。 ここが祭の最高の見せ場、クライマックスになっています。新聞などにはこの鬼の舞が写真に出ています。 平岡駅にもこの鬼の像が立っています。坂部地区は、民俗学の宝庫と言われています。有名な熊谷家伝記があります。坂部地区は、源氏の熊谷家と平家の関家が 長年仲良く暮らしている土地なのだそうです。また、向方には武田信玄の流れをくむ、武田菱の家紋をもつ家もあります。 旧神原村の坂部、向方、大河内は本当に歴史を感じさせる土地です。興味のある方は、是非お越しください。こころは、みなさんのお越しをお待ちしています。 <こころ>
2007.01.04
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今日昼頃、こころは向方に帰ってきました。やはり向方は寒いです。今日の向方は雨です。せっかくのお祭りの日なのにねえ。お祭は、夕方からです。一時中断していたそうですが、再度復活したとのことです。昔は、夜通し踊ったそうです。しかし、住民の高齢化等で、最近は夜半頃には終わります。明日は坂部の冬祭りですが、坂部は夜通し踊ります。坂部にはゆべしでお世話になっている方もいますので、 夕方からでかける予定です。この地の正月は、祭一色です。 <こころ>
2007.01.03
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昨日は朝から箱根駅伝を観ていました。1区の東海大、5区の順天堂大の選手、すごいですね。早稲田も久々にいい順位にいますね。今日も箱根駅伝を観ています。どんぐり向方学園の生徒も、2月に天龍村主催の梅花駅伝があります。昨年初めて参加しました。体育の先生は、昨年マラソンがあって生徒が参加出来そうならば、 あちこちに参加して生徒を走ることに連れて行っています。坂道の多い学校の近くの道を殆ど毎日走っています。今年は、昨年のタイムを相当縮めそうです。だって、ほとんど毎日練習していますからね。その結果は、きっとでることでしょう。 <こころ>
2007.01.03
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前頭葉と言う言葉は最近よく聞かれるようになりました。幼児教育でもよく使われているでしょうね。脳の前頭葉は、霊長類で最もよく発達していて、 その中でも人間は一段とよく発達しています。 大脳の約30%を占めています。人間が人間らしく行動することを制御しているのが、前頭葉なのです。 ですから、人間が人間らしい行動をするには、 脳の前頭葉を発達させる事(使う事)が必要です。脳の前頭葉は、 認知機能つまり、行動の抑制、柔軟な思考、行動の企画・組織化などに関わっています。 前頭葉は、他の全ての大脳皮質の上位に位置して、行動の一般的な制御を行っています。人間は、未熟な脳の状態で誕生します。誕生後3歳くらいまでに生活に必要な最低限の脳の情報網(シナプス形成)が出来上がり、 3歳頃から10歳頃までに社会生活に必要な基本的な脳の情報網は出来上がります。この時期(10歳頃)までに人間生活に必要な情報(言語、食べる事、生活習慣など)を得ていない人は、人間の生活に必要な思考が十分にできない状態になるのです。そのことを示す例は、「狼に育てられて10歳頃に見出された少年」があります。 この少年は、言葉を話さず、いろんなしぐさは、狼と同じになっています。 発見後、この少年にいろんな人間生活上の言葉やしつけを教えました。 しかし、いろんなことを覚える事はほとんどできませんでした。 基本的なシナプス情報網が完成した時期に、最初から言葉や、生活習慣などを教えても、中々上達しないのです。 既に得ている人としての基本的なシステムの働きを磨く事はできても、 新たに基本的な情報網をつくることは難しいのです。幸いなことに、幼児期に長期間の閉じ込めなど特殊な例外を除いて殆ど全ての人は、最低限必要な人としての生活習慣を学習しています。基本的な情報網は出来上がっています。この基本的な情報網をさらにレベルアップすることは可能な状態にあります。ですから、この時期にいろんな情報を与えて、脳の情報網(シナプス形成)を発達させます。この時期(10歳頃まで)に子どもはいろんな学習をします。事の善悪(やっていい事、悪い事)、我慢する事等。前頭葉を発達させる最も重要なことは、幼児期・小児期に、 事の善悪を含め、種々の判断を行わせる事なのです。 この時期に、自分の思うがままに、 欲しいものが何でも手に入り、 何でも自分の希望が通る生活をすれば、 人は、我慢することを学習する機会がなくなってしまいます。ある物が欲しい場合、 子どもは泣いて親におどしをかけます。 この「泣き」に親が負ければ、子どもは「泣けばよい」と学習するのです。 家で行う事をすべて親が成す場合、 子どもは「親が何でもしてくれる」と学習します。そこで、子どもに「手伝い」をさせる意義があるのです。 自分の事は自分ですることを学ぶ必要があるのです。母親/父親の中には、本来子どもがなすべきことを、親がすべて行ってしまう親がいます。 これ は、子どもをダメにする見本になります。どんぐり学園の学園長は、 『子どもをダメにする最も簡単な方法は、幼児期から子どもの要求をすべて聞き入れて、且つ子どものするべきことを親が全てやってやることです。』と、よく話しています。 このような子育てをした場合には、 子どもは我慢することなく、何でも要求したことが自分の思い通りになり、 自分で何も行わない・考えない人間となり、人に依存する人間になるでしょう。 子どもが家の王様になるのです。このような子育てをしている親が時々(以外と多い?)いますよね。しかし、このことに気が付いた時に方針を改めれば子どもは必ず回復します。 その方法は、「自分がやられて嫌だと思う事は、相手にしむけない」を実施することですね。どんぐり向方学園は、これを実践しています。 そうしますと、子ども達は少しづつ改まっていきます。お父さん、お母さん、気が付いた時からでよいのです。気が付いた、そこから改めましょう。 <mnこころ>
2007.01.02
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皆様、明けましておめでとうございます。新年にあたって、どんぐり向方学園の体験学習の基本的な考えを述べてみたいと思います。どんぐり向方学園は、体験学習を重視しています。何故そのようなことをするのでしょうか? 1)聞いたことは忘れる。 2)見たことは思い出す。 3)体験したことは理解する。 4)気付いたことは身につく。通常の授業は、1と2までですね。体験学習は、3と4を行います。体験したことは、自分で理解することができ、 その体験の中で気が付いたことは自分のものとなります。 また、体験学習は、計画・企画と実行及び反省をします。これは社会の中で必須の事柄です。 ですから、どんぐり学園では、体験学習を重視しています。本の中だけで学習・勉強している人は、 頭の中でわかっていてもそれを実行できないのですね。 計画を立てることができなくては社会の中で生活できなくなってしまいます。最近の新聞で、 東大生の3割り程度の学生が、フリーターになる心配をしている、と出ていました。これは何故でしょうか? やはり、東大生は何となく不安なのではないでしょうか? 実際、実物、本物をしらない。 学校の勉強、試験ではいい点をとっても 人間として何が必要か、 生きる上で何が必要かが、十分にわかっていないことを、何となくわかっているのではないでしょうかですから、「将来フリーターになる」と不安があるのではないでしょうか?官僚として、これまでやってきたことをすることはできても、 会社の中で新たなことを考える事ができるのでしょうか?そんな不安が東大生の思いとなっているのではないでしょうか?昔の子どもは、東大生の子も遊びの中で、家の手伝いの中でいろんなことを体験し、 計画実行反省をして来ました。これが社会に出てからの目に見えない力となっていたのですね。これからの子どもは、日本はどのようになるのでしょうか?こころは、心配です。 <こころ>
2007.01.01
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2007年が始まりました。昨年は、沢山の方に私どものブログに来ていただき、 また沢山のコメントをいただきありがとうございました。感謝申し上げます。今年も、学園での子ども達の姿、行いを綴って参りたいと思います。どんぐり学園の生徒達は、素直で、感受性の強い子達です。こんな素晴らしい子に育ててくれたご両親、保護者の方々に感謝です。教育基本法も改められました。 教育はどのようになるのか、と心配する向きもあります。しかし、人が生きる上で必要な「読み書き計算」をわかるまで教え、 体験学習を重視する教育、 さらには「真心と思いややり」、人間として成すべきことを教える教育に 変わる事はない、変えられることはないと信じています。この教育が変わる時は、出来なくなる時は、 戦争に向う道あるいは戦争中となるでしょう。人は、体験し、実感し、そこから気付くことで自分の本当の知識、知恵となります。子どもの心を大切にして、 子ども達にいろんなことを体験、気付かせたいと考えています。今年もよろしくお願い致します。 <こころ>
2007.01.01
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