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今日は、午後から郊外のショッピングセンターへ行った。何日か前にオープンしたばかりの大型店である。そのオープンを記念したセールが明日まで行なわれているのだ。このセールが実に安い。他店でのセールで「これは安い」と感じる価格の更に半額ぐらいの価格設定なのだ。しかもセール期間中に売り切れることがないよう、充分な個数を用意してのセールのようである。よくセールの広告を見て買いに行ったら、そのほとんどが売り切れで無駄足になった…なんてことがないのは有り難い。悔いを残すことなく、買おうと思っていた日用雑貨を買い揃えることができた。ヾ(@^▽^@)ノ
2011/04/30
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2011/04/29
今日も午後から日課の散歩を行なう。本日は南に向かうコースを予定していた。が、今にも降り出しそうな黒い雲が南の空に見えたので急遽コース変更。西へ向かうコースとなった。このところ連続して西に向かうコースである。先日から万歩計で歩数を計測するも、たいした歩数には達しない。もっとも歩数を稼ぐのが目的ではないので、それは無問題だが。仕事柄、PCに向かいっぱなしとなるため、この日課は実にいい気分転換になっている。考えをまとめるのにも役立っているし、多少は健康にもいいはずである。
2011/04/28
今日の夕方のニュースを見ていて知ったのだが、某電力会社が被災者への賠償金の上限を定めるように政府に働きかけたという。耳を疑った。彼らは、自分たちの立場がわかっているのだろうか。被災者のことを考えたら、とてもそんなことは言えないだろうに。いや、口が裂けても言ってはいけないのだ。確かに企業としては上限を定めたいだろう。そうしないと企業としての将来的な展望は望めないからだ。しかし、今はそんなことを主張すべき時ではない。ギリギリ潰れない範囲で、持てる資金の全てを被災者への賠償に充てるべきなのだ。それに上限を定めるなど持っての他である。犯罪者が自首したのだから自分の受ける懲役に上限を設けたいと働きかけるようなものだ。素人目に見ても、それがどれだけナンセンスな主張かわかろう。謝罪したからいいとでも思っているのだろうか?もしそうだとしたら救いようのない馬鹿ばっかりである。賠償がある程度済むまでは、利潤だの何だのと言える立場にないことをもっと自覚すべきである。企業としての主張は、それが済んでからでも遅くはない。冷静に考えれば、誰でもわかりそうなことだ。それすらわからないとは…つくづく某電力会社経営陣の愚かさを実感した。こんな経営陣に東日本の電力を任せていいのか?不安が増したのはいうまでもない。
2011/04/27
レトルトカレーで近所に売ってないものがある。ネット通販で売ってないか捜したらメーカー直販があった。しかし、それは10個ひと箱での販売だった。一度買って食べてみて美味しかったら10個も買おう。口に合うかどうも定かでない食品を10個も買う馬鹿はいない。やむなく捜索範囲を広げたが、いまだに見つからない。小口の小売りをして購入者を増やすという、当たり前のことをしないメーカーに腹を立てている。
2011/04/26
雨上がりの気持ちのいい空。どこまでも青く澄んだ空。そんな空を見て心洗われたのは久しぶりである。日々こうあって欲しいと願いたくなる爽やかな空であった。
2011/04/25
今日はホビー系ブログを更新する予定だったのだが、所用で順延。近日中に更新するつもりでいる。このホビー系ブログ、更新するネタに困らないよう、余暇を利用して模型を組んだりしている。完成した模型のストックもかなりな数に昇る。その反面、撮影する時間がなかなか取れない。当然である。製作していたら手が塞がっている訳で、撮影している時間は確保できない。逆に撮影時間を確保したら、製作時間がなくなる。あちらを立てれば、こちらが立たず状態なのだ。しかも組んでから時間の経ったアイテムでは、当の昔にモチベーションが下がっており、仮に撮影時間が確保できても文面で難産となるのは必至だろう。うまくいかないものである。
2011/04/24
あっというまに4月も下旬である。先月半ばからの1ヶ月半、混乱と慌ただしさの中にあったように思う。ようやく日常は普段の様相を取り戻し(少しずつではあるが)元の状態に戻りつつある。もちろん、まだまだ元通りとはいかないこともたくさんある。出版関係もそうである。印刷会社や製版会社が節電に協力しているため、中小の取り引き先は大幅に早目の進行を強いられている。これは大手の取り引き先のスケジュールを優先させるためだ。そのしわ寄せは編集のみならず、書き手にまで及んでいる。少なくとも私はその影響を大きく受けている。そのせいか、ひと月の生活リズムが大きく変わった。まだ慣れないせいもあって、どうにも居心地が悪い。肉体的にも精神的にもどこかで無理をしている感じがあるのだ。着実に疲れが蓄積されているというべきか。こんな状態を続けて身体にいい訳がない。さて身体が現状に慣れるのが先か?はたまた蓄積された疲れに健康が侵食されるのが先か?かなり際どい競争になりそうである。
2011/04/23
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2011/04/22
朝イチで病院へ行った。ひと月近く前に出してもらった薬がそろそろなくなるからだ。例の血流をよくする薬である。幸い暖かくなって来て症状がおさまったので、今手元にある分を飲み終えたらおしまいとなった。次の冬が来てまた症状が出たら処方するかどうか検討するとのこと。何にしても毎食後に飲む薬がなくなるのは助かる。定期的に飲む薬があると、飲み忘れないように神経が張り詰めた状態になる。結果、食事も落ち着いて食べていられない。やはり飲む薬は少なければ少ないほどいいのだ。とりあえず予定外の出費はひとつだけ減ったものの、新たな予定外の出費に頭を悩ませる日々である。
2011/04/21
迷った時、私は基本に帰るというか、原点に立ち戻るようにしている。「何を当たり前のことを」と笑わないで欲しい。いや、今笑った人こそ、同じようにすべきなのだ。人は経験があればあるほど、背負うものが増える。多くのものを背負った人は、それを失うことを嫌う。だから基本に帰ったり、原点に立ち戻れないのだ。そのまま無理を重ねても、失わずに済むとは限らないというのに…結果が変わらないのならば、今失うも将来失うも同じことだ。むしろ将来失う方がダメージが大きくなる可能性がある。それなら今失った方が取り戻す時間があるのではないだろうか?そう、ほんの少しの勇気があれば、道は修正できるのだ。それゆえに私は基本に帰ることを恐れない。必要なら何度でも立ち戻ろう。
2011/04/20
暁を覚えない季節、睡魔にやられっ放しである。少し油断をすると即睡魔の波状攻撃を受けるのだ。もちろん、この睡魔はそれほど強力ではない。数刻頑張れば乗り切れる眠気である。むしろ問題なのは、波状攻撃の方だ。繰り返し来る眠気の波を乗り切る方が大変なのである。頑張って眠気を乗り切って安心している時に次の眠気が襲いかかるのだ。この波状攻撃は眠るまで続く。つまり頑張って起きている限り、繰り返されるのである。太刀打ちできる訳がない。やはり素直に睡眠を摂るのが最良の選択かもしれない。
2011/04/19
そのうち使うつもりで購入したまま、置いてあった充電式の電池と充電器一式。開封して充電するだけの状態に準備したものの、機を逃してそのままになっていた。先日思い立って充電しようとしたが、何処にしまい込んだものかマニュアルが見つからない。通電のLEDはついているものの、充電完了で消えるタイプではなかったはずなので、充電時間がわからずに充電すると過充電になる恐れがあった。困った。このままでは、充電できない。一晩悩んだ末に、ダメ元でweb上を調べてみた。そのものズバリはなかったものの、同じ品物を使っている人のブログを発見。そこには、充電に要する所用時間が書かれていた。助かった。あやうくマニュアルが発掘されるまで充電できないところだった。
2011/04/18
最近、夜が早い。その分、朝も早い訳だが。言うまでもなく、これは規則正しい生活をしている証拠である。加えて(昨日の日記にも書いたように)カロリー計算をして食生活にも気を配るようになった。しかも散歩を日課としている。実に健康的な生活を送っている。その甲斐あって、あまり風邪をひかなくなった気がする。やはり、そういった小さな積み重ねが大切なのだ。
2011/04/17
最近カロリー計算に凝っている。切欠は健康診断の時、医者からもらったカロリー表だった。健康診断を受けた人全員に配っているらしい。転ばぬ先の杖で、このカロリー表を目安にして食生活を送ってみようと思い立つ。もちろん、最初は面倒だった。だが、続けていくうちに面白くなってきた。1日に摂取する目安とされている数値の中に三食を収めるのは、パズル的な楽しさというか、知的ゲームの趣きがある。これが実に楽しいのだ。医者からもらったカロリー表だけでは載ってない食材も多いため、信頼できそうなデータをweb上で調べて付け加えた。この作業も手間がかかる反面、実に興味深い。意外な食材が低カロリーだったり、逆に低カロリーっぽい食材が実は高カロリーだったり…無論、この調べたデータを活かせば、自身の健康にも繋がるのだ。まさに一石二鳥とは、このことではないか。そんな訳でカロリー計算を楽しんでいる今日この頃である。
2011/04/16
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2011/04/15
本来ここはアフィリエイト用に始めたブログだが、気がつけば一番更新しているブログとなっている。だが、それも潮時かもしれない。新しい機能が追加されるに伴って、あまり役に立たない機能が廃止されるならわかる。しかし、ブログのブログたる所以ともいえる機能を廃止するに至って、ここを使うメリットが薄れたように思う。「現在トラックバックを使ってないやつが言うな」と反論する輩もいよう。笑わせてくれる。使っている使っていないは関係ないのだ。大切なのは、ブログとして当たり前の機能が揃っているかどうかなのである。例えばラジオ付きCDプレーヤーを買ったとしよう。ラジオは使わないとしてもCDしか聴けなかったら文句を言うであろう?それと同じことだ。少なくともトラックバックというブログに必須の機能があるから使っている人まで有無を言わせずに廃止というのは乱暴以外の何物でもない。5月以降の新規登録に限ってトラックバック廃止といった具合にするとか、ユーザーの判断で選べるようにするとかできたのではないか。あまりに思慮不足な決定を不愉快に思う。
2011/04/14
このブログ、トラックバックがなくなるらしい。所謂ブログの最大の特徴であるトラックバックを切り捨てるとは、随分と思い切ったことをするものだ。要は迷惑トラックバックへの対処機能を追加するよりは、トラックバック機能を廃止した方が容易ということなのだろう。だが、果たしてそれは正しい選択なのだろうか?確かにトラックバックを使いこなせている人は少なく、迷惑トラックバックは多い。しかし、世の中にはトラックバックを介してのみ繋がれるブログも存在する。そうしたブログの大半は一方的なトラックバックを嫌う。つまりこちら側もトラックバックを受け入れなければ、先方へトラックバックできないのだ。そういった繋がりを重視する利用者は、ブログの引っ越しを検討するだろう。鳴り物入りで始まったリンクスが結局のところ上手く活かせず尻窄みで終わったように、トラックバックを欠いたブログも終焉へ向かうように思えてならない。ある日突然、宣伝メールに紛れて「ブログサービス提供の終了」が告げられる日が来るとも限らないのだ。そうなる前にブログの引っ越しを検討するべきかもしれない。
2011/04/13
日々の生活は習慣の上に成り立っている。習慣なくして日々の生活は成り立たない。ひとつ習慣が欠けただけで、何ともいえない居心地の悪さを感じるのは、そのためだ。このブログを定期的に読んでいる(或いは個人的に親しい)方は御存知だろうが、私は毎日の散歩を日課にしている。散歩中に見聞きすることから学ぶこともあれば、アイデアを練ったりまとめたりもする。もちろん、健康上の理由というのもあるが。この散歩はすっかり日課として定着しており、できないと生活時間の配分が狂ってしまう。今日は、まさにその状態だった。北からの風が強かったため、大事を取って外出を控えたのだ。無論、外出を控えるほどの危険性はない。しかし、用心に越したことはないだろう。最後に身を守るのは、自分自身の危機管理意識なのだ。
2011/04/12
眼鏡が壊れた。作業をしていて下を向いたらポロっとパーツが落ちたのだ。壊れた部分は「クリングスの足」と呼ばれる部分。取れた個所を見る限り、どうやら金属疲労で取れたようである。だが、この部分に負担をかけた覚えはなく、また何度も調整したこともない。全く疲労するような使い方はしていないのだ。たぶんフレームがはずれだったのだろう。こればかりは運が悪かったと思うしかない。調べると猛者はいるもので、自分で修理可能らしい。しかし、その方法は「ロウ付け」か「溶接」とのこと。流石に私の手には余るので、近いうちに眼鏡店へ行こうと思っている。
2011/04/11
手に馴染んだものは手放しがたい。今使っているマウスもそうである。同じメーカーの同じ製品が製造されていれば(或いは入手可能なら)何も問題はない。だが、そうはいかないのが周辺機器の世界だ。発売から何年もしないで製造終了は日常茶飯事である。後継機種を捜すも存在しなかったり、色がなかったり…このデザイン・この色・この機能…と3拍子揃って選んでいるのである。それが受け継がれないで、何が後継機種だ。似たデザインと似た色のマウスを他のメーカーで見つけて買ったが、機能の劣るマウスを使う気にはなれず、いまだに手に馴染んだマウスを使っている。幸い壊れた訳ではなく、使い込んだせいでクリックボタンの辺りの塗装が落ちてきた程度である。塗り直すことは可能だが、塗装し直すと手にした時のフィット感が変わりそうで、できずにいる。困ったものである。
2011/04/10
明日は、選挙である。市議会議員と県議会議員の投票がある。ある野党の候補者から選挙ハガキがきた。かつては与党だった、あの野党である。ちなみに他の党は、ひとつとして選挙ハガキを送ってきていない。(公職選挙法によると)選挙ハガキは、郵便料金が免除されるという。だが、その選挙ハガキの印刷料金や紙代はかかる訳で。何やら「無料なら使わなければ損」と考えているようで大変不愉快に感じた。即ち、有権者の血税も「使わなければ損」と考えられそうで恐い。そういう考え方をしている候補者に市政や県政を委ねようとは思わない。そんな無駄使いするぐらいなら(たとえ金額的に少しであっても)震災の被災者に寄付したらよいのではないか…と思う。
2011/04/09
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2011/04/08
計画停電が10日まで実施されないことになった。このためかはわからないが、心なしか街行く人々の顔色が明るく見える。予定が立てられない計画停電に翻弄されて疲れ果てた人々にほんの一瞬(ひととき)の安らぎが訪れたのかもしれない。たとえほんの一瞬(ひととき)であったとしても、それは喜ばしいことだ。辛い気持ちや苦しい表情は、他人に伝播する。長期化すれば、被災者の心に追い討ちをかけることにもなりかねない。だからこそ、被災地以外の人々は、笑顔でいなければいけないのだ。それもひとつの応援方法である。
2011/04/07
日課の散歩ついでに申し訳程度の花見。たったそれだけのことでも、こんなに心和むとは。なんだかんだいって日本人なんだなと思う。ただ花を愛でるだけなのに自粛だ何だと言ってる馬鹿に言いたい。「非国民」と。
2011/04/06
面目ないっ!二日続けて時間切れである。とにかくこのところ立て込んでいるのだ。それもこれも土壇場で実施を見合わせる計画停電のためである。万が一実施された時のことを考えて早め早めの進行を強いられているのだ。このため全然予定が立たない。目の前のことを順番に片付けることに追われているのだ。それゆえ、本日もまともな更新ができない。だが誰よりも私自身が悔しく思っていることを理解して欲しい。
2011/04/05
残念っ。久々の時間切れである。まぁ、こういう日もあるってことで…
2011/04/04
時々何年か前に自分が好きだった映画やドラマを観返すようにしている。当時と同じように心震えたなら合格。もしそれが退屈だったら要注意である。心が曇った証拠かもしれない。間違っても時の流れで変わったからなんて思ってはいけない。それは「逃げ」である。変わらぬ感動を味わえるように心を磨いておこう。明日のために…
2011/04/03
全国的に広がる自粛ムード。あたかもやんごとなきお方が亡くなって全国民が喪に服すが如く。何かおかしくないだろうか?確かに大勢の人が亡くなった。その総数はひとりのやんごとなきお方が亡くなるより遥かに大勢だ。だが、それにしても今の自粛ムードは変な気がする。何か見て見ぬ振りをするための自粛に思えてならないのだ。もちろん馬鹿騒ぎは控えた方がいい。そんなことはいうまでもない。しかし、だからといって全部が全部自粛する必要はあるのか?否。そんな必要はない。むしろこんな時期だからこそ、明るい気分にさせてくれるものが必要であろう。それゆえに自粛というのは、行き過ぎた反応に感じられる。何でもかんでも自粛すればいいというのは、大間違いなのだ。むしろ行動を萎縮させてしまいかねない。逆に自粛しないことで多くの人を元気付け、生活を活性化させて欲しい。それが復活への第一歩に繋がるのだから。
2011/04/02
(更新休止日につき、本日の更新はなし)
2011/04/01
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