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新聞では随分前に発表されていたことだが、見落としており、最近知ったのだが、東京穀物取引所の銘柄が、板寄からザラ場に変更されるとのこと。取引所側は投資家を呼び込もうとしているのだが、私個人としては板寄を利用した手法であったので、この発表には、随分と戸惑っている。出来高も細っているようなので、取引所が危機感を持っているのであろうが、以前から業界の浄化に尽力すれば、こんなことにはならなかったとも言えるので、順番が逆のような気がしないでもない。
2007.04.19
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しかしながら、デイトレを含めた短期トレードでは、空売りもするのでバブルの絶頂期にトレードを始めようが、03年の株式相場が大底を打ったような相場付きであろうが、収益に大きな差はない。つまり、単年度辺りの収益も安定してあげられる。そして、考えてもみて欲しい、人のライフサイクルで、40年単位がどれくらい現実的だというのだ。つまり、40年間手を付けずにいられる人間がどれほどいられるか疑問であり、いざ必要となって、評価損をしていたら、目も当てられないのではないだろうか。そして、40年もの期間をあげたのはシステムトレードで言う「カーブフィッティング」を意図的にしたものであり、それをするなら、パフォーマンスは幾らでも出来るのだ。そして、その理由は、著者自身が、机上の空論であると自覚しているとしか思えない。実に、姑息である。
2007.04.18
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『真っ当な株式投資』の中で、板倉氏は次のように述べている。 「過去40年間弱の東証一部市場における年平均株価上昇率は7%台です。 つまり、この期間、ずっとインデックスに投資していたら7%台の年間利回りを達成できたということなのです。一見すると小さな利回りに見えるかもしれませんが、40年間で通してみると、なんと40年前の投資資金が17倍になるほどの大きな利回りです。そして、ここがポイントですが、この利回りは数年間だけで実現されたものではなく、40年間継続してはじめて実現された利回りなのです」よく、長期派の人間が、姑息にも優位性を証明するために何十年もの期間をあげることがある。板倉氏の場合は、40年を持ち出した。しかしながら、89年のバブルの絶頂期に投資を始めたらどうであろうか。40年の半分もの時間が経過しながら、未だにそのころの50%の価格にも達していないのである。つまり、長期投資は、タイミングに拠って、その収益にバラツキがあることが現実なのだ。これは、フェアではない。
2007.04.17
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3.「そもそも損をする可能性が大きいこと」では、「そもそも」株式市場が何のためにあるのであろうか? オプション倶楽部のレターの抜粋に以下のような記述があった。株式市場は巨大な「カジノ」であることを理解する必要があります。 株式市場には「発行市場」と「流通市場」がありますが、この「発行市場」を英語では primary market (プライマリーマーケット)といいます。 primary とは「第一義的な」という意味です。株式市場設立の「第一義的な」目的は産業界に資本を供給することにあります。産業界はどこから必要な資本を調達しているかといえば他ならぬ「投資家」からです。皮肉に聞こえるかもしれませんが、株式市場の目的は現金を絶えず投資家から奪っておきながら、投資家が笑顔でまた戻ってくるように仕向けることです。投資家をカジノプレーヤー(カジノの顧客)と考えると、株式市場はカジノと全く同じではありませんか。一般投資家の多くは株式市場の「カモ」でしかないのです。多くの罠が仕掛けられているといっていいでしょう。ファンダメンタルズに基づく企業価値はしばしば株価との間に大きなギャップを作ります。これに着目した投資法が「バリュー投資」と言われるものです。株価ではなく価値に基づいて、割高を売り割安を買う手法です。これの難しさは、株価と利益の相関関係はしばしば大きく崩れるということ、そして、「価値」を算出するのに前提となる「投資家が入手する」数字にしばしば誤魔化しや間違いがあることです。要するに、一般投資家はここでもカモにされている可能性が高いのです。引用終わり上の記述の通り、長期投資とは、産業界が一般投資家から毟り取るための方便と言うことが分かると思う。確かに、DTで損をする可能性までは否定しない。だが、だからと言って、それが長期投資が「損をする可能性」が、DTより低いという根拠にはならないのである。寧ろ、値動きを分析してパターン化し、それを元にトレードした方が、再現性がある分、個人にとって優位のように思えるのは、私だけであろうか?
2007.04.16
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2.「ゼロサムゲーム」とある。ゼロサムは、それ程良くないことなのであろうか?ゼロサム市場は、所得の移転なだけであって、市場参加者全体で言えば、プラスにもマイナスにもならない。よく、勝者が敗者から毟り取る、かのように喧伝するが、市場参加は自己責任である以上、それを承知で参加しているのであって、それが容認出来なければ、初めから市場に参加すべきではないのである。 また、私から言わせて貰うと、株式市場は信用取引や先物、あるいはOPなどの制度が現物の量に対して整備されていないので、「ゼロサム」ですらないのが実態なのだ。長期投資派の人間は、投資とは企業価値に資金を投ずる経済行為なので、企業価値が高まれば、誰もが勝てる「プラスサム」、つまり「Win-Win」の関係が、株式市場で、長期投資派が占めれば、それが成り立つと主張する。しかしながら、逆も真なりで、コモディティーと違い、企業価値と言うような実体が無く、曖昧なものが売買の対象となると言うことは、企業価値がなくなると「Lose-Lose」の関係も成り立つ可能性もあるということで、「ゼロサム」なら所得の移転で済むものが、「プラスサム」では富の消失が起こってしまうのである。つまり、市場参加者全体が負け組が成り立つ。果たして、どちらが良いのであろうか?
2007.04.15
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1.「社会への価値提供がない」とある。実践者なら分かるが、流動性の無い市場程、怖ろしいものはない。自分が思った通りに買ったり、損切り出来ないと、幾ら理論的な投資法と喧伝しても、机上の空論でしかない。その市場に厚みを増しているのが、デイトレードやスウィングトレードと呼ばれる、短期トレードなのだ。例えば、著者が言うように、長期投資派だけで市場が占められる市場だと仮定しよう。極端に言うと、企業業績によって買い気配だけ、あるいは売り気配だけになって誰も売買が成立しない状況になってしまうのだ。何も、長期投資を否定しているのではない。ただ、一つの思惑、一つの思想だけで市場参加をするのは、極端な現象になって現れ、それが実態経済に悪影響を及ぼすのだと言いたい。
2007.04.14
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最近真っ当な株式投資と言うような書籍を知った。長期投資を勧めたものだが、姑息な手段として自論の優位性を説明するのに、デイトレードの問題を挙げている。主に、次の三つだ。1.社会への価値提供がないこと2.ゼロサムゲームであること3.そもそも損をする可能性が大きいこと一つ一つ反論していきたいと思う。
2007.04.13
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兵士や警察官、あるいは消防士は、よく訓練をする。その訓練も、通常の職務に比較すると過剰なものが殆どではないだろうか。しかしながら、その訓練は不必要なものだろうか?何万分の一かの確率の事象が発生した時の為に、訓練するのである。不必要な訳がない。 トレードでの損切りも同じ様なものである。あのノーベル賞学者のいたLTCMですら、その何万分の一かの事象のために破綻した。その損切り規定がない長期分散投資戦略は、構造的な欠陥を孕んでいるとしか言えない。
2007.04.12
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以前、大学の先輩から投資信託を勧められるままに購入したことがある。流石、後輩へは個別株は勧められなかったのだろう。ノルマもあって、投資信託というところで、お茶を濁したのだと思う。しかしながら、時期が悪かった。購入したのは、89年の秋のことである。この様に、幾ら長期分散投資が過去の統計上有効であっても、90年代のバブル崩壊後の長期的な不調では有効ではないのである。
2007.04.11
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株式市況が活況を帯びてくると、様々な株式投資本が世に出て来る。そんな株本に書いてあるやり方をしても、儲けられることは、先ず無いであろう。もし、あったとしても、そんな数千円しか売られていない本には載せられるものでは無いからだ。そんな本に乗せられて、株式投資を始めて、虎の子の資産を目減りさせるくらいなら、確かに、インデックスに連動したファンドを購入するのも、一つの手ではある。それが、先日書いた、「一理」なのだ。
2007.04.10
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バートン・マルキールが提唱した理論。価格の予測は不可能なんで、銘柄の分散と長期買い持ちに徹するというやり方だ。それを突き詰めると、銘柄選択なんて面倒だし、貧乏人には銘柄の分散も出来ないから、いっそのこと市場平均に連動すファンドを買って持っていろと、マルキールは主張する。確かに、一理はある。されど、一理でしかない。
2007.04.09
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相場をし始めたばかりは、相場を見立てるテクニカル分析ばかりに関心が集中する。ある意味、仕方のないことだが。暫く経つと、今度は具体的な売買法に関心が移る。その期間が長いのだ。次に、資金管理法に目覚め、最後に落ち着くのは、自分の決めたルールに従う精神力が、最も重要だと気が付くようになる。そして、それを話しても、誰も信じてくれなくなる。
2007.04.06
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もう一つ、ビジネスとしての投機、あるいは投資をする場合重要になってくるのは、損失をどのように捉えるかである。人間、神様でない限り、的中率100%などは有得ない。でも、人間と言う者は、普段は論理的でも、一面では非論理に流されやすく、昔から、何とか罫線や何とか指標にころりとだまされたりする。つまり、的中率や予測の精度を上げようと、神の領域に立向かおうとするのだ。しかし、本当に重要なのは、予測法ではなく、どのようになったら仕掛け、どうなった損切ったり、益出しするのかと言う具体的な売買ルール、つまり建て玉法であり、破産を避け、利益総額を伸ばす資金(ポジション量)管理法などである。簡単に言ってしまうと、言い訳せずに損切りが出来たり、利益を出したりする時に、調子に乗って資金全部を一回のトレードに注ぎ込んだりしない、自己抑制力がそなわっているか、それが重要なものなのである。
2007.04.05
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私がしていることは、投資ではなく投機である。相場の本質を理解していると、素人のように投資と投機とは違う、と自分のしていることを、さも高尚な経済行為と思いたがるが、殆ど株式投資は間違いなく投機である。あるいは、競馬のようにギャンブリングと勘違いして、損失を出すのも仕方がないことだと思っている節があるのだ。実は、私の親類も、昨年、ライブドアショックの呷りで、1000万円ほどの評価損を出したのだ。つまり、損切りが出来なかったのである。投機をしていると、ビジネスとしてのそれと、ギャンブリングとしてのそれの決定的な違いは、偶然に左右されるリスクへの対処に違い思われる。ギャンブリングとして捉えているのなら、偶然に左右されことは諦めるが、ビジネスとして捉えるのなら、偶然に左右されることは諦めの対象には成り得ない。コントロールしようとすることを考えるのである。
2007.04.04
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