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『人見知り』 shy正確にいえば、He’s shy (of people). となる。カメラ嫌いは、camera-shy だ。なぜジェンキンス氏がshy なのか、口が重いのか。朝鮮語が話せても日本語が話せないからか。それとも北朝鮮を意識してか。それとも根っからのa shy person なのか。言葉の不自由さは、この私がカバーすれば、特別企画ができるのではないか。今、佐渡のお土産屋で売れているのは、ジェンキンスさんのセンベイだという。リーダーシップ・ディベートセミナーでおすそわけした。この拉致被害者救済会のための広告塔となったジェンキンスさんは今やモテモテ。老木に花を咲かせている彼が、その「時分の花」が萎れない間にやりたい。彼に「真の花」を咲かせる突撃インタビューは今がチャンス。だから It’s time. なのだ。ちょっと気障っぽく聞こえるが、time を「潮時」に換えるともっとカッコ良くなる。It’s high time he stopped being shy.「まだその時期ではない」は、It’s low time.あの暗~いジェンキンスさんに再び会った。付き添いの本間さんの口添えで、気さくに会って頂いた。この日は、饒舌であった。「日本へきて、人の有難さが身にしみた。本当にしあわせ」と言った時に、ナニワ風に突っ込んだ。What more do you want? (他になにが欲しいねん)その時の氏の笑い顔が可愛かった。「ジェンキンスさんが笑った」と周囲もホッとした。私がかつてのNHKインタビューアーであったら、プロデューサーに、30分間英語だけで渡り合いたいと申し出たであろう。今は時代が変った。英語がエンターテイメントになった。私の出る幕はなくなった。It’s low time.いや、字幕を入れてもいいから、情報と共に英語を学ばせる(ナニワ英語の発想)潮時じゃないか。Is it high time?本日2回目の日記、年末のサービス
2007年12月31日
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『時は今』 It’s time.time に冠詞は要らない。よく耳にする口語表現だ。日本語のヤマトことばで言えば「ぼつぼつ」「いよいよ」「(さて)頃合いか」ぐらいか。It’s about time.でもよいが、そのあとで過去形が来る。It’s about time Sado people got started on a new venture.(もうぼちぼち佐渡の人たちもベンチャービジネスを手掛けてもいい頃だ)徳川四百年の多くを金山経済で支えた佐渡島の流刑の貴人たち、無宿人(流人ではない)、そして最近ではジェンキンス氏を温かく迎え入れてきたという誇りがある。そのプライドが時としてサディスティックになる。「新潟市なんか食わせてきたもんだ。今でこそ人口は6~7万人。しかし金山奉行所があった頃、小木(おぎ)だけでも10万人がいたのだ。とはいうものの(Having said that)、今は少子化が進み、若者の離島が進み、就職もなく、このままでは島がなくなるかも・・・」こういう心境をサド・マゾヒズムという。佐渡の人は気さくで、明るい。長浜荘で会った、酔狂な4人組(三浦、曽我、菊地、浪花)とは、ノリ過ぎたのか、来春の企画まで産まれた。ナニワ英語道企画:「トキは今」“ジェンキンス vs 松本道弘(元NHKインタビュアー)”が始まろうとしている。初代佐渡支部塾頭は、浪花氏(真野中学教頭)。なぜこうなったのか。今(12月20日の午前4時)、潮騒をBGMに炬燵の前でペンを走らせている。 流されて 潮騒 雷 酒 ブログ ナニワの英語 佐渡にも咲くなり私は雷が大好きだ。この島の冬のカミナリは中途半端ではない。停電なんかしょっちゅう。長浜荘の若旦那(三浦氏、やはりAB型)に一目惚れして、再び足を運んできた。島を守りたいという氏の気概に惚れたのだ。夜の宴会に連れてこられた3人はすべてナニワ英語道のブログを読んできているから、最初からノリがいい。その日のブログは私の教授時代のセクハラ発言。全員が大笑い・・・私も瞬時にその場に融け込んだ。佐渡の人は歴史的にみて、より国際交流に長けており、東京文化よりも大阪(ナニワ)文化に親しみを覚えるという。 今年、年頭の所感。来年は・・・
2007年12月31日
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『意地を示せ』 Prove yourself.岡山で英語先生向けのナニワ英語講座を開いた。今年ということで、テーマが日記になった。メリット・デメリットを徹底検証したところ、学校が生徒に日記をつけさせるのは、根性を鍛えさせるから、という意見が異彩を放った。日記とは事実やその時点での意見や思想を記録する手段で、後に参考とできるというプラグマチックな側面があるが、もっと本源的なものがある。それは人間力を鍛えることになる。オレはやるぞ!と掛け声をあげても一年続く人はほとんどいない。中には数日間でギブアップという三日坊主(quitters)がいる。「オレは意思が強い、きっと一年間当用日記をつける」という人がいたら、私はこんなハッパをかける。Prove yourself. か Show it. と。映画『シエーン』の悪漢J・Pなら、Prove it. というだろう。証明する。西洋文化は「顕」を重んじる。「幽」を重んじる日本人が、ディベートという証明のゲームを敬遠するわけがわかる。「信じてくれ、オレの眼を見ろ」といっても効果はない。I’ll prove myself. (結果で示す)といわなければ、相手にされない。Prove yourself a man. は「男の意地を示せ」だ。Be a man. と同じ。その日、私は日記の効用を、六角ロジックでまとめた。日記を写真にてブログで証明する。13才から今日まで毎日日記を続けてきた人間の意地だ。私の日記は日本語から始まった。国語力。これが英語力に結びついた。私の英語人生は日記から。
2007年12月30日
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1992年 道治主義 1月 信貴山断食「我、日本の道とならん」 1月 第一回名古屋外大ディベート 「東京裁判でアメリカは日本に謝罪すべし」 2月 教育新聞の第一面に国際ディベート 学会が紹介される。3月19日に設立総会 3月 神話の国、宮崎で霊気学 「高千穂の 神が降る振る 春の雨」 3月 ラリー・キングと衛星インタビュー CNN Day Watchで1時間 4月「大和民族ユダヤ人説の謎を追う」出来! 5月 光村図書の「国語」に私のディベートの 記事が転載される。 5月 英文ヨミウリで「ディベート道論争」 6月 「神道経済」を発表。 7月 神道経済を求めて世界の旅、回教圏へ イラン→チュニス→カサブランカ→ マラケシュ→スエズ→タンジール→ アルヘシラス(スペイン)→ポルトガル →リスボンの一日→ロンドン→N.Y. → ワシントン→デンバー→デュランゴ→ デンバー→L.A. →ホノルル→ヒロ
2007年12月29日
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『自己責任』 on one’s own(続き)ちょっと話が変るが、最近横井純(ICEEの元チャンピオン)が率いる名古屋のある英語サークルに、横山(30才)という怪童が現われた。12才の時から私のテレビ(NHK)を観るように命令され、その後私の影を追ってきた男だ。同時通訳も見事なもの。秋田の佐藤直人(元ICEEチャンピオン)と好勝負になる。双方とも「私はこうして英語を学んだ」をボロボロになるまで読んでいる。海外経験がないのに、どちらもネイティブ並の英語を話す。名古屋の有段者級の仲間が驚いた。武道家でもある。用心棒をやったこともある。松本道弘の再来か。私と37才も違う。私がこの男の齢、30才近く年上の西山千を師と仰ぎ、全てを捨てて上京した。もし、こういう天才的な英語の使い手を、私の側で修行させれば、師 西山千が迫りくる私をどのように感じたか、師の深層心理に迫ることができるのでは、とそう考えたが、消えてしまった。私は部下を雇う経済的余裕はない。自分自身が雇えない人間で、恒久的に軍資金不足で悩んでいる。とすれば、本人が覚悟と、自分で食っていけるという生活力のある人間しか、私の部下に近づけない。師弟に金銭問題や雇用条件が入り込むと、必ずこじれ、決裂する。師の西山千と私の間には、一切金銭面のトラブルは生じなかった。どちらも米国大使館という刑務所、いや柵の中に囲われていたからだ。師は年金がもらえる正館員、私はいつクビにされてもいいテンプ。それだけの違いはあったとしても、師と私との関係は、極めて純粋なままであった。もし私に近づきたかったら、「センセ、交通費は出ますか」という質問などは絶対しないこと。Be on your own. (あくまで自己責任だぞ)
2007年12月28日
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『自己責任』 on one’s own自己をウィキペディア化すると、思考がよく飛ぶ。どんな分野にもリンクができる。引き出しが異常に多い私の編集者は大変だろうな。前日、自己責任とは accountability と訳したと思えば、「自己責任だよ」が You’re on your own. となり、「彼女は一匹狼だ」が、She’s on her own. となる。a lone wolf は「はぐれ狼」(ちょっと女々しい)、maverick は単に無所属、べつに逞しくはない。on one’s own なら自分の責任を自分の組織や他人に転嫁できないから、たのもしい。自己責任(accountability)が果せる人間こそ一匹狼なのだ。accountability は逃げられない責任のこと。切腹につながるから、名誉な行為でもある。今の政治家に欠けているのが、このaccountability 。「責任の所在をはっきりさせろ」「風通しをよくしろ」という場合、ネイティブは Improve accountability という離れ技を使う。日本人なら、かなりの英語の達人でもせいぜい increase accountability 止まりだ。improve の英語やまと言葉は make a difference 。すでにこのブログで述べた。(続く)
2007年12月27日
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『腹芸』 haragei(続き)ハラのある上司は、「これはいいチャンスだ、一生この部下はオレから離れない」とニンマリ笑う。ここまで恥をしのんで頼んだ相手をハラで・・・頭でなくて・・・受け止めてくれた上司は一生の恩人となるからだ。失うもの以上に、得るものが多い。これがハラの交渉。このハラは訳せない。太っ腹な人物は、英語では big 。それだけ。更に big-hearted ぐらいだ。big-stomached という表現はない。直訳すれば、ビール腹、中年太りと解釈される。ハラは「空」なのだ。この「空」をリーダーの器と考えると、it になる。「腹」が「it」。そう。それが判ったのが『itがわかれば英語がわかる』に着手し始めた66歳の頃だ。He’s got it. のit は what it takes 。このitは「徳」あるいは人間の磁石的な資質のことである。この謎のit を無意識に使う“芸”が腹芸だ。art であってscience でないから、ハラゲイの検定試験はない。検定試験では定義できないが、いつの間にか日本の社会でリーダーとなった人は、haragei practioner と呼ぶことにした。Haragei は私のライフワーク。Wikipedia にも私の名前がよく出ている。
2007年12月26日
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『腹芸』 harageiハラゲイはthe art of belly と訳されているが、意味不明。ハラは英訳できない。だからハラ(腹、胆、肝)の英語はhara。部下が上司に、50万円貸して欲しいという。「女房がパチンコ依存症で、サラ金に手をだしたのか」「娘の中絶?整形手術?まさか、この年末に、どの友人にも見離されたやつ。しかも訳が言えない。なんかの病気をうつされてて、緊急の治療費が要るのか」ハラのある上司は、そんな忖度もしない。「わかった、明朝とりにこい。理由は聞かん」これがハラ。ハラの小さな上司は、部下を叱る、理由を聞く。「何に使うのか、まず事情(ワケ)を話せ」と筋を通させる。しかし、<それなら頼まない>とブチ切れて(snap back)、部下を失うリスクもある。そして、失際に・・・部下を失う。あんな部下だったとは、と怒りが消えない。(続く)
2007年12月25日
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『知らぬが仏』 Not knowing doesn’t hurt.(続き)「あれは妹」「あれはベッドで健康体操さ」と“とぼける”(play dumb)のも、思いやりの一つ。事実を追求して真実を失うというヘマはO型はやらない。大らか。だからどの組織体でもハラのあるO型のリーダーがいる。O型は酸素。A型が集まると相互監視が行届いた嫉妬深い秘密結社ができあがり、メタンガスが発生し、会員は窒息する。弘道館(今の紘道館)にもこんな時代があった。人間関係では知って知らぬことにするハラがいる。turn a blind eye to ~という行為こそハラ、そして勇気。こんなハラが英訳できようか。このハラが駆使できる大物の芸当をハラ芸という。「ハラのある男は女の過去を問わず」は紘道館館長ブログで最も好評なフラッシュである。
2007年12月24日
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『知らぬが仏』 Not knowing doesn’t hurt.ある夫婦喧嘩は携帯電話から始まった。A型の女房がO型の夫の携帯メッセージを盗み見して、浮気を発見し、問い詰める。夫は詫びず、こっそりケータイを覗いた妻を責める。こうなればドロ沼。A妻はケータイをぶった切り、投げつける。O夫は、形式的に謝ったが、次はもっとばれないような完全犯罪をやる。その論理がAには通じない。Oの論理でいえば、「知らんぷりしておけば(英語で言えば look the other way)、問題は自然に消滅する。身心の呵責に耐えられず自供するかもしれない。相手の秘密を知ろうとしないのが、相手への思いやりだ・・・それが信頼感だ」ということになる。完璧主義のAには、それが耐えられない。眠れない。A型の私にはよ~く判る。食物がノドを通らない。許せないと悶々とした日が続く。浮気があったかなかったか、はっきりさせたいのがA。潔癖性と小心性が同居する。Oは「知らぬが仏」は決して悪いことではない、人間関係はお互いが疑り深くなればなるほどこじれてる。「知らぬが仏」を決め込めばいいではないか。Ignorance is bliss. は真面目に辞書をひきながら英語を勉強した日本人なら誰でもしっているが、日常会話では、Not knowing doesn’t hurt. の方がより口語的である。doesn’t を can’tで置き換え強調することもできる。よく耳にする。だから男の浮気はたとえ見つかっても、女に告白せず、嘘をつき通せという人がいる。(続く)
2007年12月23日
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『みそぎ(禊) give more of yourselfみそぎ(禊)は、和英辞典によると、a purification ceremony, ablutions となっている。しかし、その言葉のシンボルがイメージできないと使えない。ある人がセクハラで訴えられた。冤罪だとあとで判明した。しかし、どうもしっくりこない。その訴えた人が、そして訴えないさいとそそのかした陰の人が、「みそぎ」をすませていないからだ。みんなの前で、「ご本人に恥をかかせたのは私でした。ごめんなさい。」と謝罪すれば、本人も周囲も癒される。日本人にはこういう自己犠牲的な儀式が必要だ。とくに私のような古い人間には、こういう「身削ぎ」は欠かせない処世術である。身を削ぐことは、恥を忍ぶ愛である。self-sacrificial love である。つまりgive (more of) yourself のことだ。more の中に自己犠牲が入る。面子にこだわる小人にはできない芸当だ。君子は面子にこだわらず堂々と謝する。辞書の purification や ablution(カトリックの清浄式、沐浴)では使えない。瀬戸内寂聴が『秘花』の中で「みそぎ」を巧みに使っている。世阿弥の男色関係を知っていた、女の恋人は夫婦(めおと)となってもしばらく床を一緒にしない。homosexualityの関係があったことを妻となる女に知られていることを知っている世阿弥の方でも、女に近づかない。お互いに気遣って、性的関係に至らない。瀬戸内氏は、このcritical pause(「魔に化ける間」と訳したい)を「みそぎ」と表現している。さすが、と私は唸ってしまった。相手に対する思いやり、それに自責の念を込めたら、そこにはどうしても「間」が必要になってくる。この繊細な愛は身を削ぐ self-sacrificing love としか表現できない。もっといい適訳があれば、紘道館へ来館されて教えて頂きたい。協力者には何らかの薄謝を考えている。サウナ券一枚、できればご一緒に。・・・要らないか?いや、何らかのみそぎの方法を他に考えてみるか。
2007年12月22日
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『翳り』 sadness(続き)また話がそれた。これじゃウィキペディアにならない。何の話だったか。そう、翳り。「彼女には翳りがある」という場合、She has history. という。冠詞は要らない。彼女は人に語れない過去がある・・・そこに暗さがある。冠詞がなければ取るに足らない過去・・・なのに、それがいまだにチラついている。それが history 。history のある女は、どこか、不義理をしている。禁じられた恋をしながらも、相手をかばっている。人を訴えず、自分を責め恨んでいる。それが翳り。どこかに自分だけが背負い込んだguilt(後ろめたさ)がある。その翳りが彼女をより一層蠱惑(こわく)的にさせる。朧月夜の美とでも言おうか。幽玄に近い、darkness 。これをどう英訳していいものか悩んでいたが、映画『Adaptation』でピンときた。欧米人はsadness を使う。I see sadness in your eyes.これだ!と思った。sadness なら、アメリカ人も日常会話でよく使う。同時通訳の天才 西山千なら、文章にさえすれば、「翳り」という難訳語でもきっとsadnessと訳されるだろう。トポロジー(位相幾何学)手を染め始めて、ようやく西山名人に近づいてきた。名人の死後も、私は子犬のようについていく。トポロジーの世界では△も○も同じになる。美も醜も同じ。読者でも美しい。・・・一言多かったか。とりあえず、トポロジーは役に立つということだけは言っておきたい。また「とりあえず」。“Let me suffice it here to say topology works.”
2007年12月21日
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『翳り』 sadness私はよくいう、「ぼくは翳りのある女が好きでね、君はぼくには明る過ぎる」。こういうジョークが受ける。かつて、私が教授をしていたころ、よくきわどいジョークを教室で使ったものだ。ある生徒は、「松本先生の失言録」というのを作っていたという。「私が政治に出ない理由は簡単。必ずセクハラ発言をするから」という、これなども語録に入りそうだ。ある日、業を煮やして、生徒を叱ったことがある。「それでもきみらは外大生か。外大なんか日本に要らないんだ。もっと英語の背景にある文化を学べ、ディベートする勇気はないのか・・・」ここまでは良かった。このあとの発言がいけない。「お前は、キンタマがあるのか・・・」と怒鳴った。シ~ン。放課後、一人の男子学生が私のところに来て言う。「センセイ、女子学生にキンタマはありませんよ」「ああ、そうか・・・」それでおしまい。名古屋外大も結局、長居できなかった。やっぱり私は、教授なんかより旅人。(続く)
2007年12月20日
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『(僕には君は)もったいない』 I don’t deserve you.(続き)さて、このThe name of the game. の訳は誰の口からも出なかった。その時、アメリカ人の同時通訳者の一人(名前は聞いていない)が、「勝負は腹芸で決まる」と答え、私を驚かせた。決まっているのだ。スコット氏の「もったいない」という解答でわかるように、ネイティブから日本語を学ぶこともある。「もったいない」の英語は?と聞くのはやめてほしい。センテンスにして、言って欲しい。肩書が立派過ぎる人を雇うわけにはいかない、という時にも使える。「あなたのような優秀な人材は、わが社では使いこなせる部署がありませんので・・・」と断る時にも、We don’t deserve you. でよい。You’re overqualified. といえば、相手を傷つける。「あなたの才能は私にはもったいない」とへり下った方がよい。deserve は英語のやまと言葉。一本の映画を観れば、一回は耳にする動詞だ。「蓼食う虫も好き好き」もThey deserve each other. で、「お互い似た者夫婦だ」という場合でも They deserve each other.。ある意味で、和英辞典よりも、英和難訳辞典の方が近道かもしれない。
2007年12月19日
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『(僕には君は)もったいない』 I don’t deserve you.映画『Firewall』の中でハリソン・フォードが女房にいう。I don’t deserve you.女は、No, you don’t.この会話の字幕が、「僕は人生で一番しあわせ」となっていた。しらけた。字幕翻訳はなんでもありなんだな。I don’t deserve you. が「しあわせ」なら、No, you don’t. をどう訳せばつじつまが合うんだろう。この質問を、大阪のある会合で投げた。私の講演は一方的ではない。あくまでソクラテス対話でいく。聴衆に交わる。「I don’t deserve you. はどう訳すか」と、一人一人の眼を見ながら、フロアを歩いていく。沈黙・・・。その中で一人のアメリカ人(リーダーシップ・ディベートに参加した、ゴードン・スコット先生)が、「ぼくには君はもったいない」とたどたどしい日本語で答えた。正解!意外にネイティブの方が日本語の本質を知っている場合もある。かつて私がサイマルで講演した時に、The name of the game in Japan is haragei. と言って、これをどう日本語に訳すか、と聞いたことがある。かつて師匠の西山千氏にも訊ねられたことがあり、簡単には和訳できない、難訳語の一つである。こういう言葉を「読める辞書にする」というのが「日米口語」の狙いであった。初心を忘れた。(続く)
2007年12月18日
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『やっぱり』 I knew it.やっぱり(I knew it.)という人は、学者の風上におけない。ずるい。しかし、「やっぱり」とディベーターの私が言う場合には、根拠がある。宮崎県の焼畑で有名な椎葉村では今でもヒエやアワを育てている。柳田国男が焼畑に関心を示し、椎葉村を訪れている。私も昨年、椎葉村の民家で一泊して、調査をした。雑穀をそのままにする縄文文化では、餓死は生じない。奄美大島も米や野菜中心の農業時代は潤っていたが、当時薩摩藩(島津家)の政事で、ただ黒砂糖は儲かるからという経済的理由だけで、サトウキビ栽培を専業とさせたから、サトウキビ奴隷や餓死者が増えたのだ。蘇鉄地獄はこの頃起こった。儲かるという資本主義的発想・・・自由競争原理もその中に含まれる・・・は、貧富の差を増大させ、餓死を招く。今の小泉・竹中経済政策のツケを見ても一目瞭然だ。弥生思考の限界は、縄文思考で打破すべきだろう。清貧(poor but honest)の思想を思い起こすべきだ。弥生はタテ more(奪)、縄文はヨコで less(譲)。村にmore思想が入ると、tipping pointが起こり、百姓一揆が避けられなくなる。私がやっぱり(I knew it.)というにも根拠がある。ただ、軍資金(路銀)を使って漫然と民俗学の旅を続けているわけではない。
2007年12月17日
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『どっちにころんでも』 Dammed if you do, dammed if you don’t.(続き)「先生にいいましたね、通訳はできてあたりまえ。ストレスがたまってまいります。できなかったら、こてんぱんにやられて、もっとストレスがたまる。どっちへころんでも、いやな仕事ですね。その時、ぼくは Dammed if you do, dammed if you don’t. という英語表現を使いましたね。<そうだよ>と日本語で返されましたが、先生はあまりslangyな表現は好きじゃなかったようで、反応はなかったですよね」・ ・・沈黙・・・じっとこちらを眺めている。暫くして、触覚をペロペロと舐めだした。師が黙っていると、こちらがしゃべりたくなる。相手が磁石でこちらが電池になる。師弟関係だから甘えることもあっていいだろう。人はハングリーなほど一所懸命がんばる。通訳者から文筆者に変わった私。物書きはお金には恵まれないもの。しかしお金が入ると、ペンが鈍る。あちら立てれば、こちら立たず・・・こういうのがdilemma。be caught on the horn of a dilemma というが、人生はままならないものだ。例会報告を更新⇒紘道館12月例会今月の例会、ICEEにて
2007年12月16日
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『やっぱり』 I knew it.(続き)「やっぱり」のitが入るのは、どこかに理由があるからだ。この地方の人たちは、カマキリの雪予想を信じている。数メートルの深雪のときは、卵のうは高いところにあり、雪が降ったあとも小さなカマキリが無数にはしゃいでいるという。カマキリを見て、「やっぱり」・・・これも I knew it. Because mantis knew it.『どっちにころんでも』 Dammed if you do, dammed if you don’t.カマキリに触れると、浅草プラザホテルでの師弟対談を想いだす。冷黙と寡黙とのヘンな対談だった。「今、こうしてセンセ(カマキリ)の前で、チビリチビリ日本酒を飲んでいますが、これでも若い時はもてたんですよ」・ ・・沈黙・・・。「独りはお淋しいでしょうから、と生花をホテルの私の部屋へ運んでくれた女性もいたんですよ」・ ・・沈黙・・・。「今はもういません。そんな女はいません。〈先生面倒みましょうか〉といって近づいてくる女性は、私をあとで、セクハラで訴える下心をもった女ばかりで油断ができません」・ ・・沈黙・・・。「もう私の相手は、カマキリいやセンセだけです」・ ・・沈黙・・・。どうやら聞いていない、さっきからさかんに前肢を舌でペロペロ舐めている。まるで猫。(続く) 本日、ワールドフォーラムにて南出弁護士とのセミナーがあります。時間がある方は是非足を運んで頂きたい。詳細⇒ワ-ルド・フォ-ラム12月例会のご案内
2007年12月15日
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『やっぱり』 I knew it.「とりあえず」という質問で師の霊が乗り移り、そこへ「千の風」を耳にしたから、泣いたのだ。悲しいから泣いたのではない。涙が出たから、悲しくなった。なぜか判らない。越後湯沢駅へ着いた。雪。雪国。「やっぱり」。「こんなのは、どう英訳すれば・・・」という質問が飛び込んできそうなので、答えておこう。I knew it.米国人は「アイヌうーエッ(ト)」、英国人は「アイニューイッ(ト)」。うるさい読者なら、なぜ「it」かとからんでくるだろう。『itがわかれば英語がわかる』を読んでから質問しろ、といいたくなる。師 西山千が気が短くなったのは、同時通訳者なんだからなんでも瞬間に答えてくれると、安易に考える周囲に対する反発からだろう。翻訳も通訳もそんな安易なもんじゃない。とくに word for word の答えを求めている間は、英語がものにできない。英語は単語からシンボル、そしてイメージへ広げていかなければ身につかない。「やっぱりそうか」は、That explains it.「やっぱり雪が降っていた」の「やっぱり」は、I knew it.。雪国の宿『高平』は、川端康成が3年にわたり・・・出入りはしたが・・・『雪国』を書き上げた旅館である。たとえ上野駅はさほど寒くなかったとしても、ここ(標高400M)では雪が降っているだろう、と想像したところで不思議ではない。(続く)紘道館館長ブログを更新⇒館長ブログ 明日、ワールドフォーラムにて南出弁護士とのセミナーがあります。時間がある方は是非足を運んで頂きたい。詳細⇒ワ-ルド・フォ-ラム12月例会のご案内
2007年12月14日
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『自然体』 go with the flow(続き)英会話になると、中国人や韓国人に勝てないのは何故か。変化球に弱くなった日本人。筆記試験なら、問題傾向、対策ができるからだろうか。ICEEが敬遠されるのは、準備ができない・・・準備しても無駄・・・からだろう。自然体で臨むのがお祭りだ。審査員の1人のジェニファー・ボリオは、Go with the flow. が「自然体」に近いという。川の流れのように・・・これは私の執筆哲学だ。書く、話す・・・その心は流れである水の心だ。Go with the flow of water. のことだ。たしかに、この表現はよく耳にする。ネイティブに、この英語を使ってみよう。Let’s go with the flow. と。きっとニンマリする。もしピンとこなかったら、相手はモグリのガイジン(書いている本人も意味がわからん)か、パスポートを持っているが、ポルトガルかスペイン系の非ネイティブ白人だろう。皮膚が白かったらガイジン講師として雇えるという時代は過ぎた。肌の色が黒でも、黄色(アジア系)でも、緑色(病人?)でも英語にナチュラルなリズムのある人ならホンモノとして通用する時代になった。NOVAを引き継いだGコミュニケーションも go with the flow の精神を失えば、同じ憂き目に会う。
2007年12月13日
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『自然体』 go with the flow日米口語になかった、難訳語の一つである『自然体で』をDon’t fight it.が近いといった。Be natural. は日本人好みだが、これではネイティブに通じない。Be yourself. なら、ネイティブはうなずく。しかし、それは誤解。日本の社会は西洋のロジックでは動かない。「だれもいません」「君がいるじゃないか」・・・これがネイティブ・ロジック。ただし日本での滞在期間の長いネイティブは、日本語がわかっているので、この英語に違和感を感じない。日本語ペラペラ・・・もうすでにネイティブでない。日本に何十年もいるガイジンは、すでにネイティブでない。英語武蔵はディベートを捨てたガイジンを相手にしない。辞書編集者としても警戒する。武蔵はドライなのだ。国際結婚などするはずがない。こんなことを書けばハーフから攻撃されそうなので掲示板を出さない。武蔵に敵が多いことは知っている。だからICEEというお祭り型の検定試験は、いまでも敬遠される。まず、1、松本道弘が怖い 2、英語のオーラルテストが怖い 3、見知らぬ人とマンツーマン(英語ではface to faceかone on one)で対決するなんて・・・名前を隠してネットの中でなら闘えるが・・・と縮んでしまう。今回も数が少なかった。「試験ではない、お祭りだ」とブログで呼びかけても効果なし。日本の英語学習者はほとんどが対人恐怖症になった。YouTubeで阿波踊りの動画を流したが、やはり喋る阿呆より、見る阿呆を選んでしまう。(続く)紘道館館長ブログを更新⇒館長ブログ
2007年12月12日
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『当たる』 work別れても好きな人・・・(血液型)A型別れたら別の人・・・B型一緒にいるうちは好きな人・・・O型離れている方が好きな人・・・AB型ふと東北新幹線の中で窓から雪景色を見ながら考えついた。越後湯沢の高平旅館で映画『雪国』を観ただけに余韻が残っている。男と女の恋なんて、血液型より環境によるものではないだろうか。「血液型分析は当たる」という時の「当たる」は英語でどう表現すればいいのか。答えは簡単「work」である。The theory of character by blood types works.このworkは便利な動詞だ。ちょっと練習してみよう。「そのスタミナドリンクは効く」The energy drink works.では、ディベーターである私は、私が得意とする血液型分析に挑戦してみよう。My blood-type theory does’t work. という立場から、ちょっとだけ思考を遊ばせてみる・・・仮説というゲームだ。「もし雪国に生まれた人は雪に耐え忍ぶなら、恋にも耐え忍ぶ」という仮説はどうか。川端康成の『雪国』はその証拠になる。川端康成が三年にわたって・・・ずっと投宿していたわけではないが・・・『雪国』を書いた時に、モデルにした芸者の写真が一室に展示されている。映画では芸者の松栄(岸恵子が演じた)・・・どう考えてもあのホットで一途な恋は雪国特有の気質のように思える。数年間待ち続ける忍ぶ恋なんて東京ではまず考えられないだろう・・・血液型に関わらず。かといって、どちらもバカげていて信用しない、というネクラ(すでにこのブログで教えた・・・そうcynics)でもない。私のディベート道の狙いは、バランス思考(中庸)を求めることだ。遺伝(血液型)か環境(血液型分析否定論)かという論争は、西洋では、a nature or nurture(氏か育ちか)debateと呼ばれ、普遍的な論争となっている。このディベートであってもAかBにこだわっている間は、ディベート術の罠にはまってしまう。私のディベート・バランス思考論でいけば、AもBもである。だからAとBが引っ張り合い(ディベートしあい)その中庸を求めるものである。リーダーシップ・ディベート講座は、磁石的人間の育成にある。北極と南極がなれれば地球も磁石も存在しない。ディベート道に敵はいない。敵は自分の中にある。ディベート道はネアカの勧めである。名古屋外大時代の教え子からメールが届いた。最近このブログを知って連絡してくれたらしい。嬉しいものだ。ブログが縁をつないでくれる時代。彼のブログ⇒がっきー塾長の心の「つばさ」
2007年12月11日
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『とりあえず』 I just ・・・(続き)思考を混乱させる質問ばかりが集中する。その時は西山先生が私に憑依する。「知りません」と答えるか、それとも文脈を聞き出し、間をとって解説するか。とりあえず、ビール。Just a beer for now.とりあえず、これだけは言っておく。I just want to say this.とりあえず、あなたにも払っていただかねば・・・。I need you to pay as a rule. (just as a rule of formality)とりあえず、ありがとう。Well, thanks.とりあえず、それだけ。Just that.とりあえず、大学だけは卒業した。I (just) managed to get out of college.とりあえず今はホッとしている。I can breathe easy (just for now).とりあえずこれでやっていけるだろう。This will get you through this for the time being.「日米口語」の見出しの、for the time being はほとんど使えない。45点ぐらいか。just を巧く使って、それでもまだ80点。とりあえずレッスンはここまで。That ‘s all there is to it for now.もっと簡単に、That’s it for now.(とりあえずここまで) 佐渡の海
2007年12月10日
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『とりあえず』 I just ・・・「先生、泣いてるのね」歩盃(ポパイ)のママが言う。(しまった、涙が周囲にばれたか)男は、めったに人に涙を見せるものではない。いかん、上野さんがカラオケで歌った『千の風になって』で亡き師に思い馳せたとしても、そういつまでもメソメソしていられない。決してそこまでセンチメンタルな私ではない。風のように消えた、西山千師匠の死を悲しむ前に、涙がこぼれただけのこと。先に泣けてきた。そうしたら悲しくなった。ロジックを使うと I cried first, I felt sad second.となる。または、I was sad, because I cried. となり、因果関係がぼけてる。何が因果でまた悲しくなったのか、越後湯沢へ向う新幹線の窓から、雪景色を見ながら反芻した。そういえば昨夜、K氏から「とりあえずカンパイ・・・。ところで先生、『とりあえず』というのは英語でどういうのですか」という質問を受けて、ムッとした。この3日間、大阪、京都でのパフォーマンスに続き、帰京後続けて瀕死のICEEを再建せんとハッスルし過ぎて、風邪気味でもありノドをやられて、頭が痛かった時だ。私は語気を強めて答えた。「そういう質問をしたら、西山千先生だったら、大声で叱られるだろう。 一つ一つの質問は、よしなさい。 文章にして言いなさい。 文脈がないと英語に訳せません 」K氏も「すみません」と謝ったが、なぜ叱られたかわからなはずだ。講演のあとで頭がくたくたになったあとの英単語の質問ほど怒らせるものはない。西山名人ゆずりだ。その前の日も京都でこんな質問を受けた。「現世利益はどう訳せば・・・」という。すぐに pragmatic consequencesと訳しても、必ず異論が出る。酒がまずくなる。(続く)ジェンキンスさんとの写真・・・佐渡は暖かい
2007年12月09日
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(続き)三船久蔵氏は、書道にも長け、将棋は3段の腕前で頭脳明晰、柔道の力学を物理的に解明されていた。・・・倒す倒されるは、つまるところ力学である・・・三船柔道の極意は「球」だ。その中心に重心があるから、どちらの方向へ傾いても倒れない。まるでカマキリだ。特に、三船十段の寝技を見ると、食物を捕獲するカマキリとそっくりである。絶対に相手を逃がさない。柔が剛を制している。三船箴言の中にある。「攻撃は最大の防御。柔よく剛を和す。」柔よく剛を和すとはお見事。これにも降参する。すでに、私の六角ロジックの中には、三船名人の「重心」が加えられている。合気道の元祖、植芝盛平氏は、その「空」を「澄み切り」と呼んだ。英語道名人(柔道は、三船名人の将棋と同じ参段だが)の私が考え求めているのが「空」である。そこから発せられる言葉は、日本語であれ英語であれ、“空語”である。沈黙が、言挙する寸前のtipping point が「空語」である。腹芸(harageiは、ウイキペディアで引けば、私の名前と中味の一部が引用されている)の中の言葉は、沈黙と区別がつかぬもので、languageとsilence(non-verbal)の中間の言葉がある。「空語」は11月15日、東北へ旅立つ3日前に私の造語とし、日記に記しておいた。
2007年12月08日
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『空』(くう)は ether真空の空とは、空っぽではない・・・何かがつまっている状態だ。だからvoid(ゼロ)と訳されると西洋人に誤解されやすい。サッカー・ディベートでは「空」の役割が一番重要で、リーダー格はこの「空」がつとまる人のことである、とトレーナーコースでは必ず強調する。ether(エーテル)は、ピラミッドの頂点に生じるオーラのようなもの。ピラミッド・パワーの頂点にキルリアン写真で見えるのはether だ。このetherは私がナショナルジオグラフィックの「サムライの秘密」で使った言葉だ。etherial(幽玄)は、この世とあの世との中間に漂う〈霊〉のようなもので、南方熊楠も柳田国男も・・・折口信夫はもちろんのこと・・・気になる存在だ。私は武道家のはしくれ、目に見えない「霊的で高貴な存在」にしびれることがある。私は柔道参段、小兵であった。軽量級ならオリンピックに出られる、と街の道場主におだてられたが、その頃から柔道に対する熱は醒めていた。柔道はスポーツになったが、私の夢は小説『姿三四郎』のモデルになった西郷四郎、そしてあの天才柔道家、三船久蔵十段であった。なかんずく、あの三船久蔵名人の空気投げ(隈落とし)にはしびれた。相手の力を利用して倒す、あの技の冴え、力学!私より小兵で天下無敵だった。私が尊敬する名人・師はすべて眼が美しい。熊楠、西山千、三島由紀夫、そして永遠のロールモデルの三船久蔵。猫も眼が好きだ。私は猫に借りがある。よく猫を宙に投げては、彼の重心(gravitational center)のとり方を研究したものだ。三船名人の技を久慈市の三船十段記念館のビデオで観た時は、驚いた。私の技どころではない。内股で宙に浮いたが、身体をひねり、ふわっと畳の上に立ったことがあった。相手の方が崩れていた。自慢じゃないが、研究熱心な私は猫のように身体をくねらす術を実践して、ある柔道部の主将に投げられながらも、倒れなかったことがある。それで満足していたが、三船名人なら、投げにきた相手を、逆に他の投げ技で一本取っていただろう。あのスピード、あの裏技。日本の柔道がスポーツ化して失ったものが、この久慈市の記念館に残っていた。(続く)必見!伝説の武道家 三船久蔵十段⇒三船久蔵十段 youtube明日より開始!第1回 ディベート・トレーナー養成講座。まだ参加できます⇒国際ディベート学会 ディベート・トレーナー養成講座画像は「柔道、弟の篤弘と」。
2007年12月07日
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『メッカ』 be home toメッカは、日米口語によれば、Mecca。「憧れの土地」「憧れて集まってくる場所」と解説している。Paris is a mecca for・・・という構文がある。まぁ、55点ぐらいか。英語は正しい。しかしめったに使われない。そしてリスクがある。イスラム圏の人が、「サンフランシスコはホモのメッカだ」という表現は適切でない、と声高らかに異を唱える。30年前は、a meccaで良かった。時代が流れれば、辞書も変るべきだ・・・ウイキペディア的発想。では、最近の英語は?TIME(207年12月3日)はこんな英語を見出しに使っている。Swat used to be a magnet for tourists.(p.20)なるほど磁石にすれば、問題にならない。私の勧めは、10年ぐらい前からbe home to ~である。TIMEや多くのネイティブは、Swat Valley is home to tourists. のような無難な表現を好むだろう。home は惹きつける磁石のようなもの。house は電池のように移動が容易である。エネルギーの差は歴然としている。I’m home to you. You’re home to me. という仲になれば、そう簡単に別れない。世の中がせちがらくなってきている。house が増え、homeが減ってきた。Kodokan is home to lonely hearts.
2007年12月06日
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『まさに(求めていた)本人』 the one時代が求めた人とは、the one のこと。the がつく。梅田という姓は多いが、あの梅田望夫という場合、the Umedaとtheがつく。パプティストのヨハネがヨルダン川にふらりと立ち寄ったナザレのイエス・キリストに向って、「あなたこそ私が求めていた人物です」と言った。英訳では You’re the one.となっていた。私が山奥の旅館で深夜執筆をしていた時、カマキリが眼の前に現れた。「ああ、西山先生!」と思わず声が出た。私のその時の感謝を英訳すると、You’re the one. You’re the Sen.とthe が重なる。学校の英文法では、最初に会ったカマキリは、a mantisで、次はthe mantisとtheに変るという。しかし、私にとり、故 西山師匠の化身として顕れたカマキリはthe mantisであって、a mantis(どこにでもいるカマキリの一匹)ではない。それから40日間、カゴに入れて二人は旅に出た。「維新の会」でも披露した。そして、同じ旅館のあじさいの茂みで解放した。私の手元で成仏させては申し訳ないので、心を鬼にして別れたのだ。その代わり、あれ以来会ったカマキリmantisesのどの一匹のカマキリ(a mantis)も、私の師を象徴化してくれる。the からaに戻って、心が広くなった。初めてこのブログを読んだ訪問者は吃天するだろう。「まるで禅問答じゃないか。これが辞書と呼べるのか」と。たしかにウイキペディアだからといって、飛躍は許されない。一応辞書なのだから。ようし、もっと心を引き締めて書く。
2007年12月05日
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(続き)『コツコツと』 slowly but surelyブッシュもこの英語のやまと言葉を好んでスピーチの中で使いまくった。「あせらずに」という場合でも、この表現で間に合う。「あせる」という日本語を辞書で引いても、使えない。状況(context)が肝腎だ。本がブレークするには、世の中の流れに乗ることだ。これをGladwell氏は「The Law of Context」と呼ぶ。「世の流れ」はcontextだ。私の同時通訳のコツは英語を捨て、英語のシンボルを捨て、英語のイメージを追うことだ。このイメージとは、文脈を追うこと。言葉を捨てて、意味だけを追うことです、故 西山千師匠は、紘道館で述べられた。ピッタリした言葉(適語)は、context(流れ)から離れて存在しないと同様、ベストセラーとなるには、世相の流れにのらなければならない。梅田氏はウエブ時代が産んだ若き寵児であろう。(続く)
2007年12月04日
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『世の中を変える』 make a difference in the world.「社会を良くする」はworldをsocietyに変えるだけでよい。人はchangeを使いたがるが、あまりロジカルではない。良い方向か、悪い方向か明示していないから不親切である。しかし日本語の中の「変える」には「良い方向」というメッセージが隠されている。「変える」=improve なのだ。だからといってimprove our society といえば、宮沢賢治もびっくりするだろう。「ぼくも37才で死ぬまでできなかったことを・・・よくもまあ君が、How dare you! 」と。「ブレイクする」は get a big break でもいいが、tipでもmake a big difference でもいい。私の好きな言葉は、東北人も好むだろうが、「一隅を照らす」という発想だ。目立たなくてもいい、はったりを慎み、コツコツと畑を耕すように、陰徳を積むことだ。
2007年12月03日
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(続き)『静観』 wait and seeこれを武道家は「残心」(これも一種のwait and seeか。Never let your guard down.とも)という。カマキリはこの「空気」をよく読んでいる。今流行だからとすぐに飛びつくダボハゼは、大きな勝負には勝てない。ここぞというところで勝負をかけるタイミングをカマキリは知っている。「待つ」のがカマキリの戦略だ。暫し静観(wait and see)。薩摩の示現流も、一発勝負だ。拍子(rhythms)を読むに敏感な武蔵も、一発で決める。私も影響を受けた。本を書くまで待つ。今書き始めた『西山千の風姿花伝』は、着想35年という古酒(クースー)だ。サッカーディベートのチームを編成する臨界点(critical mass)は15名(5人組チーム×3)としている。どんな組織でも長続きする(stick する)には、15名というのが私の組織力学だ。この数を下回ると、どんな組織でも益々エネルギーを失って崩壊する。その反対に15名を超えると、益々人が集まってくる。磁場(magnetic field)が生じるからだ。この15名のラインをcritical mass(やまと言葉では、盛り上り)、そしてMalcolm Gladwellはthe tipping pointと呼ぶ。tip とは、バランスをコロリと変える瞬時のことだ。How Little Things Can Make a Big Difference. がタイトルの解説(リード)になっている。「ちょっとしたことで状況がコロッと変る」と訳したが、まだしっくりこない。このmake a difference は「事態を改善する」「~を向上させる」という意味がある。(続く)いよいよ今度の土曜日より始動開始、第1回 ディベート・トレーナー養成講座。まだ若干名の参加余地有り⇒国際ディベート学会 ディベート・トレーナー養成講座
2007年12月02日
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『ブレークする(化ける)』 tipいつの間にかブレークする(break out)というカタカナ英語が使われるようになった。このベストセラーを産み出す、ブレーク現象の謎がどの出版社の社長にも掴めない。いつ、どんな事が、なぜ、どんな風に化けるのか、さっぱりわからないという。株価と同じ J.P.モルガンが同じことを言って、The only thing I know about stocks is that they FLUCTUATE.株はなぜ上がるのかわからん、わかっているのは変動するということだけだ、と。けだし名言。民族学の旅に出るには、スポンサーがいる(南方熊楠にもいた)。しかし、このブログを読んでいる人にはスポンサー候補はまずいない。ブロガーは概して、スポンサーになるよりスポンサーの欲しい人が多いから。余計なことを言った。戻る。4~5年前にアメリカでベストセラーになった話題の書『The Tipping Point』を急に買って読む気になった。ベストセラーはすぐには買わない。定着する(The stickiness)のを待って買う。血液型研究もブームが去ってから、本格的にのめり込んだ。(明日に続く)
2007年12月01日
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