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ディベートは術でなくてはならない、道であってはならないという、あの脳学者の反論が火をつけた。発火点となった、この反論は、一過性のものではない。大都会(とくに関東圏)では、英語道という考え方に根強い不信感がある。とくに、アメリカ型のディベート技術を身につけた人たち(全てのESSメンバーがそうではないが)は、<道>という考え方に抵抗を感じるようだ。そんなことを知ったうえで、私は説き続けている。反論されるとファイトが湧く。オウム(今はアレフ)の上祐氏はアメリカ型のディベートの達人であった。その脳学者から影響を受けていただけに、知的技術は実にすぐれている。洗脳が巧い。だから、反対側の論客を脱洗脳する技も長けている。私は宗教を好まない、あくまで精神主義者だ。敢えていえば多神教、汎神教に近い思想の持ち主だ。純日本人、いや縄文人間といってもいいかもしれない。日本人をすべてアメリカの教育と文化的価値観で洗脳しろというカルト流派に馴染むわけがない。そのアンチテーゼがナニワ英語道だ。剣は人を殺す武器、ディベートは、相手をロジックで倒す手段でしかないという西洋かぶれの人とは関わりたくない。
2008年11月30日
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(Mentor Diamondより) ロジックにうるさい英語らしい表現だ。AはBだが、Bは必ずしもAではない。「逆は真ならず」という場合に、doesn't meanが使われる。日本語では、この表現に含まれる「限定」の意味を理解しにくい。しかし、言葉の裏にある文化的背景を学ばなければ外国語を学ぶ意味がない。It doesn't follow that everyone should lean English as hard as I.「とは言うものの、みんなも私のように英語に熱中しろといっているわけではない」この「限定」(qualification)のロジックがわからないと、相手とのあいだにわだかまりが生じてしまう。たとえば、日本人に対して「エリートだけが英語をやればいい」と言うと、「あなたはエリートだから、あなた以外の日本人は英語をやらなくてもいいという意味ですか」と嫌味を言われてしまうことがある。この場合、英語のロジックで考えると、「私を除いて」という「限定」の意味がふくまれているのだが、日本語しか知らない人は、このロジックエラーに気づかない。ともに英語からロジックを学ぼう。 (つづきはこちらで)
2008年11月29日
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最近、私は、ディベート論と血液型気質から離れて("間"をおくだけだが)、かねて実践してきたソクラテス対話の理論化と、更なる追及に燃え始めた。学生同士の「遊び心」(playful spirit)のためのコンテスト・ディベート(大会ディベート)から離れ、教育者(父兄を初め)のための師弟間ディベートとしてのソクラテス対話(これなら六角ロジックによるサッカー・ディベートに近い)の普及に乗り出すことにした。なぜ今? 三つの事件が重なった。1.早期英語教育より、早期日本語ディベート教育に対する関心が高まってきた。ハビック夫妻と「おんな紘道館」構想が浮上し始めた。2.第58回全英連鹿児島大会(1400名参加)で、私が述べた早期日本語ディベート教育に対する関心が高まり、私と英語教師との"対話"(dialogue)の必要性が急速に高まった。3.私の教育哲学(educateとは押しつけず、引き出すこと)と美事に一致したシュタイナー教育が、debateよりdialogueだ(ジムという名の、シュタイナー教育のスポークスマン)と聞かされ、納得したこと。(友人のデボノ博士もディベートの限界を述べていた)。それが、桜島のマグマのように盛り上がり、全英連の先生方に、ディベートの前に、私が実践しているソクラテス対話(パワーポイントがない方が効果的)の必要性を説くことになった。
2008年11月28日
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世の中にはヘンな人がいる。英語を道、そしてディベートを道に結びつける人をカルト・リーダーと決めつけ、執拗に否定し、"脱会"(deprogram)させようと書き続けているある脳学者がその人だ。ナニワ英語道をカルト集団と勘違いしているその人は、ベスト・セラーの英語の使い手で、「ディベートは技術であって、道ではない」と言い続けている。オウムの脱会スキルが認められた、優秀な頭脳の持ち主で、氏の膨大な知識と肩書きで、読者をケムに巻く、カルト・リーダー的な存在だ。「もし」を使って反論しよう。もし、「論」が術でなければならないなら、「剣」も術でなくてはならず、剣道は論理的矛盾となる。花道も茶道も英語道も存在しない。剣は人を殺す武器であって、活人剣という概念も非論理的で矛盾となる。そして、活人語を唱える私は非論理の権化となる。思いきって、この英語がペラペラな博士に挑んでみようかと考えたが、ふと思考が止まった。…なぜか。
2008年11月27日
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アメリカ(次はニューヨーク)から2回目の電話があった時は、彼らの方ですでにシナリオができあがっていた。私が歴史家になっている。関ヶ原、武蔵と小次郎、刀剣の意義、武士道、その行方など、矢継ぎ早に私に質問が浴びせられるだろうという。会ったこともない相手と対談形式 ―― しかも三台のカメラに囲まれ歩きながら日本文化の紹介をするというのだから、緊張する。「日本語でしゃべらないと」という番組ではなく、すべて英語だ。よし、今日から酒は一切断つ。できれば女性にも近づかない。ましてや触れない。まるで熊を射る前夜のマタギ狩人のような心境だ。身を清め、この番組の成功一点に集中 ―― staying focused ――する。私はICEE(今年は12月7日)で、コミュニケーション英語の「お祭り」をはじめ、ランクは英語道二段でとどめてきた。創始者である私は受けたことはないから、feel guilty。そのために、私自身がICEEを受けるつもりで、決戦場に向うのだ。
2008年11月26日
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ヒストリー・チャンネルの電話を受けた日から一ヶ月ばかり、武蔵先生ならどうするかを意識して、毎日を武道家の生き方に切り変えた。宮本武蔵をこよなく愛され、尊敬されていた故大山倍達も、「私は、今、武蔵先生ならどう闘われるか、常にそう意識して工夫して生きています」と私に語られた。 日記に武蔵の独行道を書き写した。日本語と英語で書き写すことにより、武蔵になり切ろうとした。So that Musashi will grow into me. 日本では英語が使える機会はほとんどない。相手もいない。だから私が英語でアウトプットする数少ないチャンスの一つが日記である。日記に書き込むことにより、精神を集中させることができる。一筆入魂することにより、武蔵になり切る。
2008年11月25日
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カタにはまった考えでは、マンネリ打破はできない。何度海外へ行っても、いいネイティヴの先生から学んでも、英語は伸びない。英語難民が増えるばかり。私は人とどこが違うか。コツコツじゃなく背伸びした。「もしも武蔵が英語をすれば、松本道弘は勝てない」という哲学を座右の銘にしてきた。だから、Musashi-sensei is always watching my back. という意識で英語を学んでいる。だから、浅草をいつものゲタで散歩していた時に、デンバー(コロラド州)から、ヒストリー・チャンネルに出て、武士道と宮本武蔵について、番組に出てくれないかという依頼を受けた時は、日本のテレビ局でないから、血が騒ぐのだ。
2008年11月24日
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さて私は英語道七段。しかし、ヒストリー・チャンネルに挑む直前、これから死地に赴くのだから、身心共身軽にしようと考え、「無心英語」No-mind Englishを編み出し、自らを零段に変えた。ランクを捨てたのだ。一級や五級に自らを降格するのではなく、ゼロ段にするのだから、1ヶ月前からよほどの大きな心境の変化があった。68歳の英語名人に何が起こったのか?私の英語人生は、ifで始まっている。『IF思考』は、光文社の山田順編集長と何度も語り合った末、産まれたa babyだ。英語は、いくら早く始めても、いくら一所懸命やってもモノにはならない。発想の転換がいるのではないか、と考えたのだ。Think outside the box.
2008年11月23日
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AB型はスパイダー ~その2~ (紘道館館長ブログより) 久しぶりに、他流派の血液型分析から学んでみようと、『「ふーん、AB型だ」って言うな!』を買った。心理研究家の御瀧政子が書いている。おもしろい。「どの血液型にも爆発はあるもので、ガマンを溜め込んでキレるA型が典型です。感情を表に出すO型は活火山ですから、噴火などしょっちゅうかもしれません。AB型の場合は恋愛感情が爆発することがあります。...... 省略 ...... それよりもAB型らしいのは、正義感の爆発といえそうです」(P.46)ふむふむ。ついそんな感じもする。ブログを避けていた私にブログの火をつけてくれた春日氏(前出)を思い出して、頷いてしまう。フィーリングを捨て、ロジックという眼鏡をかけてみよう。たとえば次のセリフ。「同じように言葉遣いにたけた田中真紀子衆議院議員もB型です。要するに、ひと言多いのですね。これはB型の大きな特徴です」(P.55)さて、この言葉に、二箇所間違いがあります。 ★つづきは紘道館館長ブログで⇒こちら
2008年11月22日
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今年最後の紘道館は12月7日。場所は五反田のインサイト・ラーニング(紘道館HPでお申し込みください)に決まった。年に一度のお祭り型の検定試験(Inter-Cultural English Exchange)を開催する。 「お祭り」とは何か。なぜムキ出しの闘争心ではなく、"遊び心"(playful spirit)だと、英語のコミュニケーション能力がグンと伸びるのか。初めての方も気楽に体験学習して頂きたい。お祭り後、私の方から最新のTIMEの読み方(いずれTIME CLUBに移行する予定)と、History Channel(放映は来年2月末)出演の裏話をする予定。忘年会を兼ねての、今年最後の集会になるので、是非、友人をお誘い合わせの上、ご参加ください。
2008年11月21日
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繰り返すが、『成功を約束するIF思考』(光文社刊、11月20日発売予定)は、英語に強くなりたい人を対象にしたものではない。「if武蔵が英語に挑めば、松本道弘は勝てない」という切り込みは、多くの読者にとり、知ったことではないかもしれない。それでいい。しかし、読者の方でもそれぞれの分野できっと、真似(role-play)してみたい鑑(role model)をお持ちだろう。その人にifをくっつけてみればそれでよい。きっともっとたくましく、一層若々しくなり(grow younger)、後悔しない人生が送れるはずだ。
2008年11月20日
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『成功を約束するIF思考』脱稿間際に、「身につまされる」はtouchingが適訳だと考え、慌てて詰め込むことにしたがもう遅い。これが私の人生なのか。歳をとっているヒマがない。きのうの武蔵より今日の武蔵、今日の武蔵より、明日の武蔵。私はこの言葉が大好きだ。「もしも武蔵が英語をやれば...」と思案し続けた私が求めているのは、この道(みち)=Grow youngerである。瞬間を大切にする生き様だ。Ifが私を変えた。読者も変る。『成功を約束するIF思考』(光文社刊、11月20日発売予定)、ぜひ、勧めたい。『成功を約束するIF思考』(光文社刊)
2008年11月19日
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(紘道館館長ブログより) AB型はスパイダー ~その1~ AB型は、いつも夢を見て、現実から逃避している。ビジネスをしてもすぐに空中へ飛ぶ。しかし、ポイと投げ出すところがあり、いつも着地が悪い。どうも大きな仕事は任せられない。リーダーではなく、参謀役にとどまるべきだろう。AB型リーダーの部下は悲惨だ。ここまでは私のリサーチに基づいた意見だ。私は他者の本からの引用はせず、自分でリサーチをして、できるだけ明確に結論を書くディベーターだ。だから、ロジックを重んじ、できるだけ不明瞭な点は省くことにしている。このように私は自分自身をクールに突き離すこともある。書いている自分の分析に酔ってはならないと、戒めるのがディベーターの姿勢だ。世阿弥から影響を受けた。他書からも学び、参考にする。他流派を否定はしない。(武蔵の「風の巻」からヒント)しかし、中には引用にうるさい作家がいる。AB型はメルヘンを好むと書いた時、この分野のパイオニアである故能見氏からクレームがついた。メルヘンという言葉を使ったのは私だ、と言い出したのだ。 ★つづきは紘道館館長ブログで⇒こちら
2008年11月18日
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今も、FOXインターネット・ニュースを聴きながら脱稿を急いでいる。If you give up, they give up. という耳に入った英語が気になる。ふと画面を見ると、一匹の猿が、首に縄を巻きつけ、木から飛び降り、首つり自殺をした。やらせだと思うが、それほどglobal warming(地球温暖化)が進んでいるのだぞというメッセージだ。数人のキャスターが、身につまされますね、と同じ形容詞を使っている。その英語がTouchingである。スキンシップ(touchy-feely)は、英語ではphysical touchingのことだが、本文の中でも「身につまされる」の解説には、そこまで触れることができなかったもどかしさがある。
2008年11月17日
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今朝、つけっぱなしにしていたFOX(インターネット・ニュース)で眼を覚ました。ふと画面を見ると、蛇信仰を続けている謎のキリスト教信者の話だ。Service(礼拝)Saturday(土曜日)、そしてSnake Handling(蛇とたわむれる)という活字がスクリーンの中で躍っている。武士道のS-wordだ。ブログですでに述べたThe S-word is the soul of Samurai. のSグループだ。自己犠牲(self-sacrifice)の精神でサムライが君主に仕える(serve)覚悟が葉隠精神とすれば、大山倍達やヒクソン・グレーシーが求める武蔵の武士道は、死に方ではなく生き方なのだ。カッコよく死ぬことではなく、カッコよく生きることである。英語道においても同じ。たかが英語、されど英語だ。英語から、そして英語のif思考から、自己発見する、そして自己開発することが多い。
2008年11月16日
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深夜に三島由紀夫特集をYouTube動画で観た。自著の最終編を書き上げてから、死路に発ったという。ひょっとしたら三島の死は計画されていた(ならば文学死)のではないか。それが硬骨(もののふ)の「粋」なのか。私を悩まし続けているのはこの点(つまりifの覚悟か、whenの自然体か)というその境目だ。人生そのものは、異種格闘技ではないか。だから「なんでもあり(バーリ・トウード)」の試合が芸術とされるのだ。映画や芝居の舞台ではない。リングの上で勝敗や生死が決定される実話なのだ。手元に『対訳 五輪書』(The Book of Five Rings)がある。もうすぐ、ヒストリー・チャンネルが取材にくる。もし、私の英語がまずければ、ネイティヴ英語に吹きかえられる。これほどの失態はない。英語武蔵にとり万死に値する屈辱になる。すべて今朝の夢につながっている。
2008年11月15日
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今朝の夢も、内容は忘れたが、親子が命を賭けて闘うという凄惨なものであった。なぜこんな夢を見たのか。いったいこの夢は現実とつながっているのか。その前日、『新潮45』11月号(リニューアル記念号)を読んでいた。武蔵に惚れたヒクソン・グレーシー(無敵のブラジル人格闘家)が、日本人に「武士道」を教えている。油断は心理的動揺を誘う――そこに死が待っている、と。年末になると、三島由紀夫の憂国志からの誘いが毎年のようにくる。私は三島由紀夫が好きだった。惚れた。かなり私の人生も狂わされた。しかし、百パーセント尊敬するかとなると、うーんと考え込んでしまう。その迷いがwhenとifの違いにあることに気づかせてくれたのが、本書(『成功を約束するIF思考』光文社刊)の企画だ。Whenとは、その時がくれば平然と死を選ぶ(葉隠の教え)。日頃から覚悟ができているはずだから、ifでもある。同じく昨夜YouTubeで、英語でしゃべるベンジャミン・フルフォード(death threatsと闘っているという)を観た。青い眼のサムライがそこにいた。
2008年11月14日
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『成功を約束するIF思考』(11月20日発売予定)に火がついてから、ペンが熱くなり止らなくなった。『IF思考』の原稿(最終ゲラ)を光文社の山田順編集長に手渡す前夜に夢を見た。現実はwhenだが、夢はifの世界なので、信じられないiffyな事件が重なる。内容は忘れたが、まだ夢の中でifを書き続けていた。そもそも、私の英語人生はifで始まった。もし、「武蔵が英語を始めたら......? 私は勝てない...」とこれまで言い続けてきた。ifがwhen(現実)に戻る。Whenとifを切り離す人はリアリスト(realists)。Whenとifの区別がつかない人は、ロマンチスト(romantics)。私の狂気は、宮本武蔵に負うところが多い。武蔵先生――空手バカ一代の故大山倍達もいつも武蔵先生と敬称で呼んでおられた――が、いつも私の背後におられると意識すれば、私の英語(日本刀)までも私の言動に目を光らせているような気がする。もうすぐニューヨークからくるHistory Channel取材班から私がインタビューされる。National Geographicがドキュメンタリー『サムライの秘密』で私を武蔵について語らせたときからか、いつの間にか英語で武士道を語る第一人者に祭り上げられてしまった。
2008年11月13日
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下呂にある野田屋の若女将はO型美人だ。美人? サービス(英語ではcompliment)やがな。「O型は、いったん言い出せば、引っ込みがつかなくなるんですか」と聞く。「ええ、まっすぐに言っちゃいます」「それじゃ、あんたのA型のご主人とケンカが絶えないでしょう」「絶えません。O型は謝罪が下手なんです。でも心の中では反省しているんですよ。ただそれが口に出せなくて(「B型が羨ましい」とは言わなかった)、あとで独りで落ち込むんです。A型の人以上に繊細で、心の中は膿んでいるのですよ」ええ、O型が繊細? おっと、これは失言。A型は反省が早い。ただ単にlip serviceだけだったりして。言葉遣いには慎重なA型は、「あの一言、言うべきじゃなかった」と、後までくよくよする。O型のストレートな発言でつけられた傷はいつまでも疼く。B型のように噴火すれば、すぐに癒されるのだが、A型はそうはいかない、気の毒な存在だ。B型が羨ましい。心の中は小馬鹿にしていたりして...。血液論議に疲れた。AB型に入るまで、少し「間」をとってみたい。
2008年11月12日
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権威のある人と対等に闘うには、それなりの人生経験とか見識のある人でないと、同じ土俵に立ってはならないというのは、お釈迦様の説く、「対機論法」(TPOにより論客相手を選ぶべきという考え方)に近い。伊佐氏が怒るのもある意味では正しい。いったん、反論したら、あとに引けないO型論法も間違ってはいない。ディベートは相手がいかに著名であっても、仮説をも、いや仮説だからこそ、疑う、というゲーム感覚は否定すべきでないからだ。これは、血液型の相違から生じた議論のすれ違いなのか。それとも環境決定論論争に譲るべきなのか、今の私にはわからない。
2008年11月11日
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B型の伊佐氏は、論争すれば火を吹く。ある時、茂木氏(この人は妥協のないA型論客)と二次会の席上で、正面衝突したかと思えば、私にも八つ当たりする。「松本さん、あんたともこれで最後だな。こんなわからずやが国際ディベート学会のメンバーなら、ぼくはもう来ない」。国際ディベート学会は思想団体ではない。学会の例会にディベートを用いるなど、設立趣旨はあくまで「もっとも学会らくしない学会」なのだ。ディベートぎらいが入ってもいい。私塾・紘道館が母胎だから、豪傑(うるさい論客)や野心家が集まる梁山泊のような雰囲気がある。いちいちムキになっていては、ディベートなどできない。その点、東大ESS部長の勇気あるジャブはそれなりに評価されるべきであろう。相手が悪かっただけだ。(つづく)
2008年11月10日
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「日本の司法は閉鎖的過ぎる。もっと開かなければ...」と伊佐氏はいつもの調子で、火を切られた。ところが、相手が悪い。後戻りのできないO型だ。たかが東大、されど東大。ESS部長という立場もある。「あのう、司法は開かなければいけないのですか」。……伊佐千尋氏の表情が一瞬怒りのそれに変った。「君ィ、もっと勉強してから反論したまえ」。相手が悪い。現場体験から語る論客には逆らわない方がいい。戸塚宏に体罰に関する教育・躾論をぶつけるようなものだ。陰険な雰囲気になった。B型の伊佐氏は、論争すれば火を吹く。(つづく)
2008年11月09日
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伊佐千尋。沖縄が生んだ天才的論客。ビジネス出身だが、ひょんなきっかけから陪審員として駆り出されて以来、数奇な人生を辿る。ベストセラーとなったノンフィクション小説『逆転』が映画化され、超有名人となる。冤罪を失くすために、日本でも陪審員制度の導入が必要だ、だからディベート教育が不可欠だと判断され、私とは呼吸が合った。国際ディベート学会にお招きしたことがある。ある日、ふらっと私のオフィスを訪問された。そこにたまたま美人東大ESS部長がいた。彼女はO型の論客で、猪突猛進するところがあった。東大で天皇制是非論を英語でやるので、私に審査を頼んできた。さて、この出会いが、BとOの対決に発展することになろうとは…… (その2へつづく)
2008年11月08日
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早期英語教育はlight。上から下へ注がれる。早期動機づけ教育はfire。下から上へ燃え上がる(flare up)もの。ハビック真由香先生(アメリカ人のご主人と同じくO型)は、子供たちをfire upさせるためのバイリンガル・サッカー・ディベートに目をつけておられる。さすが、O型。目標を決めたら一直線。火が点けば、いくら早くから英語教育を始めてもよい。英語は難しい言語だ。大学を出ても、社会でビジネスをしていても、まだまだTIMEという世界の英語情報誌が読めないのだ。英語はいくら早くから始めても早過ぎることはない――思考訓練さえできていれば。発想転換のためにまずディベートをしよう。日本語でも英語でもいい。考えることの喜びを味わおうではないか。Let the debate begin!
2008年11月07日
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早期英語教育より、日本語による早期ディベート教育を勧めよと主張し始めてから数年になる。思考という次元でとらえれば、ディベートが先で、外国語はそれにくっついてくるのだ。要するに動機づけの問題だ。萌えない子供たちにいくら英語を早く詰め込んでも、父兄だけがハッスルするだけで、本人たちをシラけさせ、かえって逆効果になる。日本語ディベート教育で、子供たちを父兄と共に燃えさせることが先決ではないか。
2008年11月06日
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頭のいい人がサッカー・ディベートをするのか。それとも思考の立体化に役立つサッカー・ディベートが頭をよくするのか。ちらっと、ウィキペディアでディベートを引いてみた。日本語によるディベート教育では私が中興の祖であるかの扱いを受けている。六角ディベートで、アカデミック・ディベートから身を引いたとも報じられている。たしかに、私は実社会の人たちのために、ヘクサゴナル・ロジック(六角ロジック)をフル活用するサッカー・ディベートを、紘道館を中心に全国的に広げている。バイリンガル・ディベート(立命館の及川教授、天理大の吉川教授、そして斎藤准教授等と協同開発)は、西日本でも広がっている。完全にアカデミー界から身を引いたわけではない。
2008年11月05日
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和歌山大の斎藤久美子准教授より、こんな心温まるメールを頂いた。.…… 9月には白浜で毎年恒例の斎藤ゼミナールのディベート合宿も無事終わりました。例年「我が国は時価主義会計を廃止すべきである」を論題にしてやっておりましたら、実務界から最近の株安を受けて、そのような懇願が中川大臣になされてしまいました。サッカー・ディベートは学生の教育に非常に有効です。とりあえずお礼まで。今後ともよろしく ……。義理堅いO型女性。複式簿記は、ディベートによく似ていて危機管理に役立つという話題になれば、徹夜になる。東京の紘道館にも時々顔を出される、バイリンガル、サッカー・ディベートに参加される女論客。頭の回転がむちゃくちゃ速い。さすが斎藤道三の末裔。
2008年11月04日
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それから一週間経って、秋田で講演依頼を頼まれた。そこで知り合った国際教養大学(AIU)の教授たちから授業は4年間すべて英語で通していると聞かされて驚いた。10月13日、中島嶺雄AIU学長に会い、氏の教育哲学が私のそれと近いことを知って驚いた。翌日の英語講師(30名)を対象とする英語セミナーでは、「萌え」「粋」を英語で図解しながら説明した。絵日記で慣れているから、図解思考は私の得意とするところだ。この日のインスタント・ディベートは、マイケル・ラクトリン教授と私がお互いに反対の立場に立ち、agreed to disagreeした。論題は、 "Resolved that outsiders should outnumber insiders in Akita in the future." (将来、秋田市は、ウチ者(輪)よりソト者の数が優るようにすべきである)。秋田がこれほど燃えるとは思わなかった。雪国の生命が萌え(germinate)たのだ。今人気がうなぎのぼりといわれる国際教養大学が燃えた(flare up)からだろう。燃え盛る日はそう遠くはない。TIMEを読む人が増えるだろう。
2008年11月03日
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この10月6日に、「私がTIME大学(仮名)を設立するなら」という題のエッセイをたわむれに日記に書いた。今の大学では、TIME誌は読めないからだ。ある一流大学がTIMEを教材に使うことにしたらしいが、1冊で6ヵ月もかかったと聞く。発音記号を学び、音読でもやれば1冊で1年間もつことになる。週1回の雑誌を1年かけて…… これが今の大学生の――いや大学教授の――英語力だ。シンガポールでは、TIMEは単なる英語の週間雑誌であるのだ。TIME読者人口は、日本と互角という。TIMEが読めないのは、英語力というよりも、情報力、そして人間力であろう。大学という最後の楽園では、永遠にTIMEに追いつけない。英語は英語で読まなければならない。
2008年11月02日
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英語はリズムだ。武蔵は『五輪書』の中で拍子の重要性をくどくど説いている。この拍子を英訳すればrhythmだ。「間」とはリズムでもある。こんな初歩的なことは英語武蔵ともなれば第六感(sixth sense)で判る。SとS。Sは結びつく。他の英単語も、類は友を呼ぶ。私はこんな造語をつくった。Words of a sound flock together. The sword is the soul of samurai. こんなリズムのある表現は何度音読してもよい。憶えてしまって、忘れることのできないリスキーな英語もあるが、何度使っても、美しい響きと、内容のある英語は、音読して覚えてしまおう。もう一度。Words of a sound flock together. The sword is the soul of samurai.刀のswordからsをとればwordだ。剣道がswordmanshipなら、英語道はwordmanshipだ。このような造語能力のある人をwordsmith(これは正しい英語)という。英語道は? The word is the soul of samurai? これじゃピンとこない。sword-Englishでいこう。The sword-English is the soul of global samurai communicators. That's the way of English.
2008年11月01日
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