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『邯鄲(かんたん)の夢(ゆめ)』 『邯鄲の夢』[=枕]1.「枕中記」の故事:邯鄲で盧生(ろせい)が見た栄華の夢のこと。2.派生して、枕をして眠ること。人の世の栄枯盛衰は儚いものだということ。類:●盧生の夢●黄梁(こうりょう)の一炊●一炊の夢●邯鄲の枕●邯鄲夢の枕●Pleasure and joy soon come and soon go.(悦楽は長くは続かない)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>故事:「枕中記」 貧乏で立身出世を望んでいた盧生という青年が、趙の都、邯鄲で呂翁という仙人から、栄華が意のままになるという枕を借り、転寝(うたたね)をしたところ、富貴を窮(きわ)めた50余年の夢を見たが、覚めてみると炊き掛けていた粟(あわ=黄梁)がまだ煮えないほどの短い間であった。出典:枕中記(ちんちゅうき) 中国の伝奇小説。唐の沈既済撰。李泌撰と題するものもある。「邯鄲(かんたん)一炊の夢」の故事を題材にしたもので、後世、文学の題材として好んで使われた。*********五六蔵が3日振りに解放された。どうせだから、「だるま」に寄ろうかということになった。豪勢でない肴(さかな)も乙(おつ)なものだという訳である。菜々と松吉を呼んでくるようにと三吉を迎えに走らせた。序(つい)でに、与太郎にも声を掛けるように言い付けた。三吉は、「またですかい?」と言いながらも、案外、この役が気に入っているようでもあった。>五六:たった3日だってのに、妙に懐(なつ)かしい気がしやすよ。うーん、この卯(う)の花も塩(しょ)っぱくって美味(うま)い。>八:鮭のなんとかだの、鮃(ひらめ)のどことかだの、上等なもんばっかり食ってやがって、口が肥えちまってるんじゃねえのか?>五六:八兄い、上等だから美味いとは限らねえですよ。あっしはこの通り山育ちでやすから、蛸(たこ)だ鮑(あわび)だなんていって出されたって、ちっとも美味いと感じねえんでやすよ。>八:蛸と鮑をおんなじように並べるなってんだ。>五六:だって、ちょいと火で炙(あぶ)ると、どっちもうねうねと身を捩(よじ)るじゃあありやせんか。>八:そりゃあ、「踊り食い」ってんだ。そんな贅沢な食い方したのか? この罰当たりめが。>五六:そんなこと言ったって、あの「さち」って方がやって呉れるんですから、仕方がないじゃぁありやせんか。>八:嗚呼(ああ)、猫の餌と珍味との違いが分からねえような男に、鮑なんか出すなってんだよな。おいらなら、先(ま)ず神棚に上げてから有り難くいただくぜ。>五六:蛸ってのは猫の餌なんですかい?>八:そうじゃあねえけどよ、鮑に比べりゃ餌みてえなもんだってことよ。いや、もしかすると、2つ並べたら、猫だって蹴飛ばすかも知れねえな。言うだろ? 猫跨(また)ぎって。>熊:何をほざいてやがるんだか。猫飯(ねこまんま)をお代わりする奴がそんな話をしたって、全然、それらしく聞こえねえぞ。>八:あれは、背中の皮とくっ付いちまうくらい腹が減ってたんだから、仕方がねえだろ。>熊:いっそのこと、毎日腹を空(す)かしてりゃあ、目刺しでも豪勢な肴になるかも知れねえな。>八:また芋の話か? その話はもう勘弁して呉れよ。考えただけでも腹が張ってくる。やがて、松吉と菜々が揃(そろ)って入ってきた。そして、2人の陰に隠れるようにして与太郎が顔を覗かせた。更に、お咲も、である。>咲:何よ、あたしに黙ってこそこそと、あんたたち何か悪いことでも始めようってんじゃないの?>熊:子供はすっこんでろ。>咲:なんですって? 訳も話さず、済まなかったの一言もなく、追い返すとはどういう了見(りょうけん)なのよ。そんな道理の通らない人たちの方がよっぽど大人気がないのと違うの?>八:まあまあ、今日はな、五六蔵がお大尽(だいじん)様のところから追い払われて戻ってきたお悔やみの会だからよ。>咲:何それ? 五六ちゃんがどうかしてたの?>八:ありゃ? 話してなかったっけ?>咲:聞いてなかったわよ、一切(いっさい)。>熊:そう言やあ暫(しばら)く出っ会(く)わさなかったが、知恵熱でも出してたのか?>咲:赤ん坊じゃないんだから知恵熱なんて出す訳ないじゃない。ちょっとお腹(なか)の具合いが悪かっただけよ。>八:お咲坊、真逆(まさか)、梅なんか食ったんじゃねえだろうな?>咲:五六ちゃんじゃあるまいし、そんな馬鹿なことする訳ないじゃないの。>五六:馬鹿なこととはご挨拶でやすねえ。一応は、供養(くよう)ってことになってるんでやすからね。>松:そんなことよりよ、五六蔵。一黒屋の爺さんに懐(なつ)かれた感想はどうだよ?>五六:爺さんに好かれたってなあ・・・>咲:ちょ、ちょっと、どういうこと? 一黒屋って、あの一黒屋なの?>松:そうさ。凄(すげ)えだろ?>咲:ねね、五六ちゃん、懐かれたってどういうことなの?>五六:倅(せがれ)になっちゃ呉れねえかって頭を下げられたんでさあ。でも、断りやしたけどね。>咲:あんたどうして「謹(つつ)んでお請(う)けいたします」って言わなかったのよ。一黒屋よ一黒屋。そこいらのちんけなお店(たな)とは違うのよ。>五六:そりゃあそうでやしょうが・・・>咲:どうしてあたしに一言相談して呉れなかったのよ。>五六:だって、寝泊りさせられて、一歩も出さしちゃ呉れやせんでしたからね。>八:そういうお咲坊だって寝込んでたんだろ? お相子(あいこ)じゃねえか。>咲:それはそうだけど、悔しいわね。もしもよ、もしも五六ちゃんが一黒屋さんの跡取りになったら、あたしお嫁さんになってあげても良かったんだけどな。それでね、あたしは山吹色の力を借りて杉田の家を再興させるの。父上も悲願が叶(かな)って大喜びよね。それからそれから、小間物も扱(あつか)うようにしちゃおうかな。ほら、本郷の生駒屋さんとだって懇意(こんい)だし、何かと重宝(ちょうほう)でしょ? 着物と小間物って対(つい)みたいなものだもんね。流行(はや)るわよ。>八:お咲坊。さっきも言ったけどよ、五六蔵は断っちまったの。その話はもうお終(しま)い。>咲:そんなあ。あたしが寝てる間に物凄い話があって、あたしと関係ないうちにもう終わっちゃったっていうこと? ・・・なんだか虚(むな)し過ぎよ。一頻(ひとしき)りの大騒ぎの後、与太郎が、自分はなんのために呼ばれたのかと尋ねた。>八:あ、いけねえいけねえ、すっかり忘れちまうとこだった。・・・お咲坊、もしかすると、まだ全部済んだって訳じゃねえかも知れねえぜ。>咲:五六ちゃんの次が与太郎さんだって言うの? まるっきり違うじゃないの。>八:倅の話じゃねえんだよ。・・・一黒屋のご隠居がだな、青物を売りてえって言い出したんだよ。>咲:呉服問屋が青物? 本気なの?>八:本気も本気。これっぽっちもいかれちゃいねえ。小間物じゃなくって残念だったな。>咲:それで、与太郎さんが養子になるの?>与:そんなこと急に言われたって、あたいは困っちゃいます。>八:そうじゃねえって。与太郎に青物のいろはを教わろうっていうことだよ。>与:ご隠居さんって幾つなんですか?>八:今度還暦(かんれき)だって言ってたからもう60だ。それがどうした?>与:青物だけを相手に10年もやってれば嫌でも身に付くようになりますが・・・>八:10年だと? そんなに掛かるのか?>与:掛かりっ切りで、ですよ。呉服と半々ってことだと、もっとです。それに、ものを覚えようとするのには、年を取り過ぎてるんじゃないですか?>八:そうさなあ。やっと覚えたのにおっ死(ち)んじまうんじゃ役に立たねえわな。>五六:それじゃあ、やっぱり与太郎さんが倅になっちまうのが一番良いんじゃありやせんか?>与:あたいなんか・・・>熊:そんなことは後から決めれば良いことだよ。与太郎、お前ぇ、ご隠居さんと旅に出ることはできるか?>与:旅ですか? あたい1人で?>熊:四郎が一緒だ。下野(しもつけ)辺りに行って、道々青物のことを講釈(こうしゃく)してやって欲しいんだ。>与:講釈なんてあたいには・・・>熊:売り物になりそうな大根とか葱(ねぎ)とかを作ってる人と知り合いになれれば良いんだよ。尤(もっと)も、今の仕事を休めねえってんなら、この話、断ってきてやるがな。>与:あ、いえ、休むのも、辞(や)めちゃうのだって、そう大変なことじゃないんです。代わりは大勢いますから。でも、あたいがそんな大店(おおだな)の商(あきな)いに口を出すなんて・・・>八:そんなの気にするほどのことじゃねえと、おいらは思うんだけどな。お前ぇは唯(ただ)、美味いもん食って、あちこちの名所を見物(けんぶつ)してくりゃ良いの。>与:だって、あたいのこと推挙(すいきょ)して呉れたんでしょ?>八:こんな話を三吉が切り出さなきゃおいらが行けたってのによ。・・・やい、与太郎。宿場宿場で必ず名産物を見繕うように、しっかり見張っとけよ。>与:なんの話です?>熊:こいつ、てっきり自分が行けるものと思ってたんだ。大損扱(こ)いたと思っていやがる。・・・ま、あんまり深く考えずに、骨休めのつもりで行ってこい。>与:はあ。なんだか良く分かりませんが、行っても良いかなって気になってきました。>八:ちぇっ。与太郎が断ったら、またおいらにお鉢が回ってくるかと思ったんだがな。>熊:親方が行って欲しくねえと思ってなさるんだから、止(や)めとけ。>八:そんなこと一言も言ってねえじゃねえか。>熊:言ったも同然だろ? そのくらい察しろよ。>八:そうか? それじゃあ仕方ねえな。ま、宜しく頼むぜ、な、与太郎。>与:はあ。>咲:ねえねえ、あたしもご隠居様に会わせて呉れるんでしょう?>熊:お前ぇ、何か企(たくら)んでねえか?>咲:べ、別に。>八:自分だけ取り入ろうってったって駄目だぜ。まあ、お夏ちゃんと一緒なら連れてってやらねえでもねえがな。・・・あれ? そう言えば、お夏ちゃんはどうしたんだ?>咲:今日は来ないわよ。>八:どうして?>咲:お父上がちょっとした発作(ほっさ)を起こしちゃってね。寝ずの看病をしてたの。おしかさんが、あたしに代わって呉れないかって頼みに来たのよ。お夏ちゃんは今頃家で高鼾(いびき)よ。>八:お夏ちゃんが鼾なんか掻くもんか。うちの母ちゃんじゃあるまいし。>熊:・・・だがよ、そんなこと言って、お咲坊だって具合いが悪かったんじゃねえのか?>咲:あたしのはどうってことないのよ。ほら、もうこんなに元気。・・・もしかして、心配して呉れたの?>熊:ば、馬鹿なことを言ってんじゃねえ。>五六:とか言いながら、暖簾(のれん)を仕舞うまで付き合ったりしちゃうんでしょ?>熊:余計なことばっかり言ってるんじゃねえ。おいらは飲みたいから飲むし、居たいから居るだけだ。(つづく)---≪HOME≫
2007.10.31
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『邯鄲(かんたん)の歩(あゆ)み』『邯鄲の歩み』自分の本分を忘れて無闇に他人を真似(まね)たりしていると、中途半端なことになり、真似しようとしたことだけでなく、本分の方まで駄目になってしまうということ。故事:「荘子-秋水」 中国、燕(えん)の田舎者が、趙(ちょう)の都・邯鄲の人々の洗練された歩き方を真似ようとして身に付かず、その上自分の歩き方を忘れて、腹這(はらば)って帰った。*********「弥次さん喜多さんのように旅をしないか」と誘われて、八兵衛が嫌と言う筈(はず)はない。なんといっても、路銀(ろぎん)の一切(いっさい)は与志兵衛持ちなのだ。広い湯に浸(つ)かり、ご当地の味を堪能(たんのう)しながら地酒を酌(く)み交(か)わすとなれば、八兵衛でなくともそそられる。>八:行く行く、行きやすぜ、親方。行っても良いんですよね?>源:ああ。理由はどうあれ、本人の気持ちに任(まか)せるって、ご隠居さんと約束しちまったからな。>八:うっひょーっ、嬉しいー。海のものに山のもの、それにお酒ですか? 堪(たま)りやせん。>与志:そうですか、そうまで喜ばれてしまうと、こっちまで楽しくなりますね。>八:それで、どちらへ行きなさるんですか? やっぱり、お伊勢様ですかい?>与志:源五郎さんには説明したんですけれど、お伊勢様にはもう何度も行ってますからね。>八:それじゃあ、もう少し足を伸ばして、出雲(いずも)の国辺りでやすか?>与志:それも悪くはないんですが、あまり遠いところだと、月日が掛かり過ぎますからね。>八:そんなこたぁ気にしねえでも良いんですよ。・・・ねえ親方。三月や半年くらいならどうってことはねえですよね?>源:ああ、構わねえよ。3年でも10年でも好きなだけ旅してくるが良い。その頃には五六蔵やら三吉・四郎も一人前になってるだろうからよ。>八:へ? ・・・ってことは、なんですかい? おいらの戻るとこはねえってことですかい?>源:そうは言ってねえさ。半端(はんぱ)な下請(う)け仕事くらいになら回してやる。>八:ちょ、ちょっと待ってくださいやし。そんなんだったら、おいら行けませんや。おいら、親方から見放されちまったらどうやって生きてって良いのか分からねえでやすからね。・・・ご隠居様、折角(せっかく)なんですけど、そんな訳でやすから、おいら、行けやせん。>与志:まあまあ、そう早合点して貰っては困ります。誰が三月も掛かるところへ行くと言いましたか?>八:それじゃあ・・・>与志:下野(しもつけ)の辺りでどうでしょう? 良い「晒(さら)し」と「紬(つむぎ)」があるんですよ。>八:下野ですって? こりゃまた随分と手近なとこにしやしたねえ。>与志:ですが、これなら、八兵衛さんも行けるでしょう?>八:下野なら、なんてことねえですね。・・・おい四郎、お前ぇ、確かあっちの方だって言ってたよな?>四:はい。おいらの里はもう少し北の方です。真岡(もおか)と結城(ゆうき)の町に寄るとして、そうですね、のんびり歩いていっても、20日くらいのもんで帰って来られます。>八:なんだいその、「もう帰ろう」と「行きましょう」ってのは?>与志:流石(さすが)にお詳しいですね。えーと、四郎さんでしたね? 道案内をしてくださいませんか?>四:へ? だって、お供は八兄いと、熊兄いなんでしょう?>熊:おいらは行かねえよ。それまで黙って聞いていた熊五郎が、やっと口を開いた。>八:なんだお前ぇ、冷てえな。おいらとお前ぇの仲じゃねえかよ。>熊:それとこれとは話が違うだろ。おいらは晒しや紬にゃ興味はねえし、酒や肴だっていつもの「だるま」ので十分だ。>八:ははあ、お前ぇ、あれだな? お咲坊に悪い虫が付くんじゃねえかって心配なんだな?>熊:勝手に邪推(じゃすい)するんじゃねえ。>八:大丈夫だって。あんな跳ねっ返り、集(たか)ろうっていう虫の方が逃げちまう。>与志:お咲さんというのは熊さんの好い人なんですか?>熊:と、とんでもねえ。おんなじ長屋に偶々(たまたま)住んでる小娘ですよ。>八:そんなこと言ってると、「子供扱いしないで!」とか言いながら現われるぞ。>熊:止(よ)せよ、本当に来たらどうする。・・・いずれにせよ、おいらは旅になんか出ねえからな。>八:お前ぇ、お伊勢様だったら行くとこだったんだろ?>熊:そりゃあ、死ぬまでに一度くらいは行っときてえがよ、今回はそのときじゃねえ。>八:じゃあ、こういうのはどうだ? 思い切って、日光の東照宮までお参りに行ってくる。>熊:うーん、権現(ごんげん)様か。確かに、悪い話じゃあねえが、やっぱり止しとくよ。四郎、お前ぇ行ってこい。序(つい)でに、親に顔でも見せて、安心させてきてやれ。>四:はあ。実家の方はどうでも構わないんですけど、ものの序でということでしたら、甘えさせて貰いたいです。>八:よし、決まった。それじゃあ、おいらと四郎で珍道中ってことだ。良うございますね、ご隠居。>三:差し出がましい思い付きなんでやすが・・・>八:なんだ?>三:青物の仕入れとかのことも、序でに考えてみたら良いんじゃねえかと思うんでやすが。>八:どういうことだ?>三:へい。青物を売ろうってことは決まりなんでしょう、ご隠居様? ・・・なら、それを安く流して呉れるところを見付けてきちまえば、出直す手間が省(はぶ)けるんじゃねえかと思ったんです。>熊:行き掛けの駄賃ってやつか?>八:おいらが話を纏めたら駄賃が貰えるのか? なら、おいら、やるぞ。>熊:そういう意味じゃねえっての。>三:それなら、青物に詳(くわ)しい与太郎さんを連れて行くのが筋ってもんなんじゃねえかと。>八:なんだと? 与太郎も連れて行くって言うのか? そしたらお供が3人になっちまうじゃねえか。>三:いいえ、八兄いが残れば、2人になります。>八:ご隠居様がこんなに乗り気になっていなさるってのに、おいらに残れって言うのか? そいつは、いくらなんでも殺生(せっしょう)なんじゃねえのか?>与志:成る程(なるほど)、三吉さんの思い付きも尤(もっと)もですねえ。楽しさを取るか実利を取るか選ばなければなりませんねえ。>八:ご隠居、真逆(まさか)・・・>与志:あたしは商売人ですからね、利があると聞いたら、引き下がれないんですよ。>八:そんなあ。糠喜びでやすか?>与志:まあ、がっかりしなさんな。・・・それではこうしましょう。宿場宿場で名物のものを毎日届けさせますよ。>八:本当ですかい? それなら言うことなしでやすよ。>四:・・・あの、下野には干瓢(かんぴょう)くらいしか名産がないんですけど。四郎の一言に、八兵衛は崩れ落ちた。「名産でなくとも、良さそうなものを見繕いますよ」という与志兵衛の言葉で、どうにか力を取り戻した。>八:こんなことなら、与太郎に付いて青物のいろはを教えて貰っとくんだったな。>熊:何を考えてやがる。付け焼き刃じゃ歯も立ちゃしねえよ。>八:歯が立たなくても、お供くらいならできただろう。>熊:生半可な知識じゃ、却(かえ)って頓珍漢になっちまう。>八:「下手の考え休むに似たり」ってことか?>熊:罷(まか)り間違って、2、3の青物の産地を言い当てたところで、土の質がどうかとか、種蒔きの時期がどうかとかまでは分からねえだろ?>八:おいら、食いもんのことなら、案外覚えられると思うんだけどな。>熊:お前ぇの西瓜(すいか)みてえな頭じゃ無理だろうよ。>八:例えばよ、3日も続けて芋を食ってりゃ違いが分かるようになるんじゃねえのか?>熊:食うことだけが楽しみのお前ぇに、そんな芸当ができるとは思わねえな。>八:そりゃそうだな。3食を3日間だと10回も続けて芋を食わなくちゃならねえんだもんな。>四:9回なんですけど。>八:五月蝿(うるせ)えな。おいらは3日に1回夜食を食うの。・・・しかし、間に蕎麦(そば)も食いてえし、目刺しだって欲しくなるかも知れねえもんな。・・・それによ、芋を食い過ぎると屁(へ)が出て臭(くせ)えしな。>熊:それに、「ああ、目刺しが食いてえ」なんて何十回も溜め息を吐(つ)いてちゃ、大工仕事にも障(さわ)るってもんだ。>八:上で「ぶつぶつ」、下から「ぶうぶう」か?>熊:汚(きたね)えなあ。与志兵衛に預けるのが四郎1人ということなら、仕事への支障もそれほどない。源五郎も一安心である。>源:ご隠居さん、それじゃあ、四郎と与太郎ってことで、決まりですね?>与志:まだお会いしてないからなんとも言えませんが、まあ、良いでしょう。八兵衛さんのお惚(とぼ)けを聞けないことには、ちょっとばかし後ろ髪を引かれますが。>源:そんなに八兵衛が気に入ったってんなら、嫁を見つけてやって、両養子にでもしちまえば良いじゃねえですか。>与志:残念ながら、倅(せがれ)にするんなら「楽しい男」より「頼もしい男」でないといけません。何しろ、結構な量になりますからね、千両箱が。>源:待ってくださいよ。実の娘さんが居なさるんでしょう? それに、そのご亭主が。>与志:ええ居ますよ。>源:それなのに、後から来た養子に譲(ゆず)るって言うんですかい?>与志:ええ、そうですよ。ですが、全部ではありません。8分2分というところでしょうか?>源:それじゃあ、娘さんがあんまり・・・>与志:大丈夫ですよ。あたしが育てたお店(たな)はまだまだ伸びますから。>源:へえ、そんなもんですかね。・・・まあ、俺たちには関わりのないことですけどね。>与志:まあ、そう冷たくなさらずとも良いではありませんか。>源:いいえ。この際はっきりさせときやしょう。八も含めて、一黒屋さんのところへ行く者は居りやせん。勿論、五六蔵も家へ帰らして貰いやす。良いですね?>与志:待ってください。五六蔵さんに青い梅でも食べられたら、あたしゃ無念で、死んでも死に切れませんよ。>源:あいつは、梅の十個くらいじゃあ死にゃあしません。>与志:そうでしょうか?>源:そりゃあ、あっしとかご隠居さんが真似したら危ないかも知れませんよ。ですが、五六蔵は根っからの山育ちなんです。ご心配は、全くのお門違いですよ。(つづく)---≪HOME≫
2007.10.30
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『可愛(かわ)い子には旅(たび)をさせよ』 『可愛い子には旅をさせよ』子供が可愛いのであれば、甘やかしてばかりではなく、逆に世の中の辛(つら)さを経験させることだ。類:●Spare the rod and spoil the child.(鞭を惜しむと子供をだめにする)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典> *********翌日から、増築の下準備が始まった。打ち合わせの段階では、飲食は一切なし。昼食も、あやから持たされたものを食べる。そういう決まりになった。>八:親方あ、お八(や)つ(14時ころ)にお茶とちょっとした甘いものくらいなら、強請(ねだ)っても良いですよね?>源:そりゃあ、向こうが好意でして呉れることなら仕方ねえが、過剰なのは俺が断るからな。当然、酒は駄目だ。>八:へーい。>源:それからな、暫くは力仕事じゃなく図面引きだけだから、お八つもなしだ。>八:そんなあ・・・>熊:何を駄々っ子みてえなこと言ってやがる。これまで何十軒とやってきたのと変わりねえことだぞ。大店だから例外だなんて考えてる訳じゃねえだろ?>八:でもよ、おいらの勘だがよ、ここのご隠居は人を持て成したくて仕様がねえんだ。それでよ、こっちは食いたくて仕様がねえ。お互いに望んでることなら、お前ぇ、願ったり叶ったりじゃねえか。>熊:そういうことじゃねえんだよ。けじめだよ、けじめ。客として来てるときは出されたものに手を伸ばしても良い。だがな、今はよ、雇われた仕事をしているときじゃねえか。>八:昨夜(ゆうべ)のおいらと今のおいらには、違いなんかねえのにな。>熊:だから、昨夜とは立場が違うの。>八:じゃあよ、こういうことなら構わねえんだよな。雇い主のご隠居さんから、「食べなさい、飲みなさい」って命令されたら、雇われてるおいらは、本当は遠慮してるんだけど、渋々飲み食いしねえ訳にはいかねえ。・・・どうだ?>熊:そりゃあ、なんだ・・・>源:ごちゃごちゃ屁理屈ばっかり並べてるんじゃねえ。雇い主の命令だろうがなんだろうが、道理から外れてることは、俺が許さねえ。分かったか。源五郎の耳には、「倅にしたかった」という与志兵衛の声が残っていた。真剣であることは分かっていた。しかしそれ以前に、家族ある者を養子に迎えたいなどという、浅墓(あさはか)さが許せなかった。>八:なあ熊、親方ったらよ、何もあそこまできっちりやることもねえって思わねえか?>熊:親心に決まってんじゃねえか。お前ぇの目は、酒と魚くらいでそんなに曇っちまうもんなのか?>八:おいらの目が曇ってるだと? 冗談じゃねえや。ちゃあんと、徳利に「寒梅」書いてあったのだって見えてらい。>熊:だから言ってるんじゃねえか。それを、食いもんに目が眩(くら)んでるって言うんだ。>八:そうなのか?>熊:親方にはな、おいらたちの浅い考えとは違う深あい計算が出来上がっていなさるのよ。>八:計算って?>熊:さあな。・・・ひょっとすると、身寄りのねえ与太郎を縁付けてやろうっていう魂胆なんじゃねえかと、おいらは踏んでるんだがな。どうだ? 悪い話じゃねえだろ?>八:そりゃあ悪くはねえけどよ、与太郎ばっかり好い思いをするんじゃ、おいらは納得(なっとく)いかねえな。>熊:お前ぇ、腹がねえなあ。>八:腹ぐらいあるさ。それも飛びっ切りの腹がよ。見ろ、ぐうぐう鳴って昼飯を催促してやがる。>熊:その腹じゃねえよ。肝っ玉のことだ。>八:そういう意味か。まあ良いや。・・・そんなことよりよ、ご隠居が倅にしてえのは、五六蔵や親方みてえに、どっちかってえと腕っ節の強い奴なんじゃねえのか?>熊:ほう、なるほど。一理あるな。・・・じゃあよ、もっと先のことでよ、ゆくゆく八も独立するようになるから、そんなときには今日のことを思い出せよって、そういう有り難い思(おぼ)し召(めし)しだ。うん、それに違えねえ。>八:そうか。おいらもいよいよ一本立ちか。>熊:直ぐにってことじゃねえよ。まだまだ先のことだ。お前ぇ、まだ嫁も貰ってねえじゃねえか。>八:そうか。嫁だな? ・・・あっ、そうか。分かったぞ。なあ、おいら思うんだがよ、姐(あね)さんが今内緒で進めてるっていう祝言(しゅうげん)話ってのは、もしかするとおいらのかも知れねえな?>熊:そんなことはあるかよ。おいらとかお前ぇだったら、何も内緒にしとく必要なんかねえじゃねえか。>八:突然嫁を連れてきて驚かすとかじゃねえのか?>熊:おいらは兎も角、お前ぇは相手なんかどんなおかちめんこだって飛び付くからな。>八:蛙かなんかみたいに言うな。熊五郎と八兵衛は与志兵衛から離しておいた方が良いなと、源五郎は考えていた。特に八兵衛がであるが、餌に釣られて、旅の供(とも)になどなってしまわぬとも限らない。折の悪いことに、世間では、「弥次郎兵衛」と「喜多八」がお伊勢参りに出掛けるとかいう道中記(享和2年刊は品川~箱根)が評判になっている。暇と銭を持て余している大店のの隠居あたりにとっては、いかにも、真似てみたくなるような旅である。>源:ご隠居さん。もしかして、「膝栗毛」って本を読んでみたりしてやいませんか?>与志:おや、源五郎さんも滑稽本をお読みになるんですね。>源:あっしら大工が読むのはせいぜい瓦版くらいのもんですよ。でも、これだけ評判になっていれば、噂が立ちますからね。>与志:そうですか。読んでみると、これがなんとも面白いものなんです。お伊勢参りのうちの箱根までしか行ってませんから、まだまだ先は続くようなんです。次が待ち遠しいですねえ。>源:ご隠居さん、五六蔵のことなんでやすが、弥次さん喜多さんのどっちかにしようなんて、考えてやしませんよね?>与志:と、と、とんでもないです。五六蔵さんが滑稽本の登場人物になんかなる道理がないじゃありませんか。>源:ですが、そもそもは、瓦版の『コロ助物語』の登場人物なんでしょ?>与志:そ、それは理屈というものです。そのときはそのとき、今は今です。>源:ご隠居。何か隠してますね? もう良いでしょう、正直なところを聞かしちゃ貰えませんか?>与志:敵(かな)いませんねえ、源五郎さんには。与志兵衛は、周りに他の者がいないのを確かめるように見回し、それが確認できるとゆっくり喋り始めた。>与志:「膝栗毛」が引き金になったというのは事実です。ですが、あたしと五六蔵さんとでは、あんな2人旅にはなりようがありませんから、真似とかそういうことじゃないのは、お分かりいただけますよね? それに、今更伊勢参りでもありませんよ。松阪木綿(もめん)を仕入れに行くついでにしょっちゅう行きますから。目と鼻の先ですからね。>源:そうでやすか。じゃあ・・・>与志:お恥ずかしい話ですが、「通俗西遊記」(★)みたいなことをしてみたかったんです。>源:なんですか、そいつは?>与志:唐の国(からのくに)の書物を訳したものですよ。>源:なんでまたそんな変梃(へんてこ)なものになんかなろうと思いなすったんで?>与志:「膝栗毛」とそっくりで、3匹の供を連れて、神社まで旅をする話なんですよ。>源:3匹だなんて、「桃太郎」みたいですね。>与志:はは。そんな言われようをするんじゃないかと思いましたよ。だから、です。だから「西遊記」を元にしてですね、3匹でなく2人で行こうと決めたんです。尊(とうと)いお坊様じゃなく呉服屋の隠居が、お経を貰いにではなく反物(たんもの)を買い付けに行こうってことです。それには、2人の力自慢というのが非常に似つかわしいのです。>源:ははあ、正(まさ)しく、黄門様ですね。>与志:そうですとも。仁徳の人、光圀公ですよ。どうです? 凄いでしょう?>源:凄いでしょうってったって、あっしはお供なんかしたくありやせんからねえ。それに、五六蔵だって、行かせやしません。>与志:そこですよ、問題は。・・・だから、ぐっと望みを引き下げて、膝栗毛式の珍道中で我慢しようかと考え始めています。>源:真逆(まさか)・・・>与志:はい。その通り、八兵衛さんです。それに、熊さんも。>源:駄目ですよ。>与志:そうあっさりと断らなくとも・・・>源:いいえ。五六蔵とあっしが駄目なら、八と熊ですか? 随分と勝手過ぎやしませんか?>与志:でも、お二方に断られたら、次の候補に替えなければならないでしょう?>源:替える相手が間違ってるでしょう? 身内のもんのあとに、その身内のもんって考え方がいけません。そいつは甘いですぜ、ご隠居。あっしの親父がこんなとこに居合わせたら「青物」の話だって「乾物」とか「酒」に替わるんじゃねえかって、怒り出しますぜ。増築の仕事だってご破算ですよ。>与志:それも、承知している積もりです。ですが、特に八兵衛さんのあの質(たち)が、「膝栗毛」にぴったりなんですよ。そうは思いませんか、源五郎さん?>源:そりゃあ、あっしだって、一九(いっく)っていう人がうちの2人を知ってて書いたんじゃねえかって、勘繰(かんぐ)りたくなるほどですよ。ですけど、それはそれです。今あいつらを連れていかれちゃあ、うちの仕事が成り立たねえんです。>与志:それでは、こうしましょう。旅に出ている間は、大工仕事をしていることにして、換算してその料金をお支払いします。>源:そんな簡単な話じゃあねえんですよ。仕事ってもんは次々入ってくるもんなんです。ご隠居さんのとこだけに掛かりっ切りになってなんかいられねえんですよ。>与志:そうですか。・・・それなら、こう考えてください。「大切な弟子2人に、世の中の別の側面を見させてやる」って。見聞(けんぶん)を広めてやれば何かと当人の人生に役立つとは思いませんか?>源:そりゃあ、そんな風に言われたら、あっしだって弟子が可愛いですよ。手元で大工仕事だけをさせとけば良いなんて、言い切れやしませんよ。>与志:それでこそ、わたしが見込んだ源五郎さんです。>源:止してくださいよ。飽くまでも、反対だっていう気持ちは変わらねえんですからね。本人が行きてえって言うんなら許すってことですからね。>与志:十分ですとも。本文の参考:通俗西遊記(つうぞくさいゆうき) 西遊記の訳本。宝暦8年(1758)。口木山人ら訳。後に、三世河竹新七の歌舞伎「通俗西遊記」(明治11年・1878初演)などに影響した。(上に戻る)
2007.10.29
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自分自身の心(精神力)を育てよう 冷静に人を客観的に見る事が出来るように務めてみよう 其れには-----------------------------------『あなたを助けるふりをして、他人に対する否定的な感情をあなたに 抱かせようとする人物には気をつけましょう。 自分の利益を図ろうとしているに違いないからです。』 あなたに協力をするふりをして、実は自分の利益を追うことしか頭に ないような人に、だまされてはいけません。 他人からのアドバイスには耳を傾け、その心遣いに感謝をしたあとで 自分にとって何が一番良いのかについて、結論を出すようにすること です。アドバイスがあなたの人生の計画に沿うものであれば、それに 従いましょう。そうでなければ、ためらわずに無視しましょう。 あなたにとって、何が一番良いのかを知っている人は、世界中でたっ た一人しかいません。それはあなたなのです。 『最も鋭敏な心とは、経験によって研ぎ澄まされた心です。』 実際の経験を伴わない理屈だけの知識は、向けるべき対象がない大量 のエネルギーのようなものです。焦点が定まっていなければ、エネル ギーを有益な目的に向けて注ぐことは困難なのです。 “ 知識 ” というエネルギーは、“ 経験 ” というレンズを通して “ 最も素晴らしい恩恵をもたらす活動 ” という目的に向けて注が なくてはなりません。 新しい概念を学んだり、まだ試されたことのないアイディアが浮かん だら、実行する前に、その応用法について徹底的に考えてみる習慣を つけましょう。 様々な可能性を考慮した上でなお、それが良いアイディアだと思えた ら ―― 行動に移しましょう。 『速やかに決断が下せるのは、心が明敏であること意味します。』 成功者には優れた決断力があります。決断に苦しみ、大きなチャンス を逃してしまうことはありません。適切な情報を集め、代替となり得 る案についても助言者の意見を交えながら検討した後に決断を下し、 実行に移すのです。 優柔不断でいると、さらに悪い一種の停滞状態を招き、その案件は留 保されたままになり、あなたやあなたの属する組織が、取り返しのつ かない損害を受けることになりかねないのです。 なかなか決断を下せない時は、“ 取り消すことのできない決断など まずないのだ ”ということを思い出しましょう。後になって自分の 決断が間違っていたことに気づいたら、軌道修正して先へ進めばよい のです。 『自分の心を自分で支配すれば、 他人の心によってあなたが支配されることなどないのです。』 心は、最も強力な武器です。心は、外部の力によって支配されたり抑 制されたりすることなど絶対にありません。最初それがどんなに圧倒 的なものに思えたとしても、外部の力に心が抑えつけられることなど ないのです。 歴史を振り返ると、これまで多くの専制君主が自分に背く者を支配し ようとしてきましたが、いつも最終的に支配者は、武力による脅しよ りも、イマジネーションの力の方が、はるかに強力なのだということ を悟ったのです。 ヴィクトール・ユゴー[訳注]も言ったように、 「軍隊の侵攻に抵抗はできても、実行すべき時が到来した思想に抵抗 することはできない」のです。 [訳注]ヴィクトール・ユゴー(1802~1885) フランスの詩人・作家。『レ・ミゼラブル』の著者。
2007.10.28
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『枯(か)れ木(き)も山(やま)の賑(にぎ)わい』『枯れ木も山の賑わい』枯れた木でも山に趣を添えるくらいの役には立つものである。つまらないものでも無いよりは益しである。類:●枯れ木も山の飾り●枯れ木も森の賑やかし●餓鬼も人数(にんじゅ)●A bad bush is better than the open field.(ひどい茂みも何も無い野原よりまし)●Anything is better than nothing.(何もないよりはあった方がまし)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>*********一黒屋与志兵衛は、相当な持て成し上手(じょうず)である。鬼瓦のような仏頂面をしている源五郎でさえ、終いには恵比寿か大黒のような顔付きになっていた。>源:ご隠居さん、話は尽きねえんですが、あんまり長居する訳にはいかねえんですよ。>与志:なあに、どうせ明日からうちで仕事をするんでしょう? 昼過ぎからにすれば宜(よろ)しいじゃないですか?>源:そうもいかねえですよ。日が高いのにまだ寝てるなんてったら、母ちゃんに蹴飛ばされやす。>与志:それなら、ここにお泊りになったら如何です? こっちは一向に構いはしませんから。>八:なるほど。そいつは良いや。流石(さすが)ご隠居、伊達(だて)に長生きしていねえや。酸いも甘いもご存じでいなさる。>与志:そう言う八兵衛さんも、世の中の機微(きび)に通じていらっしゃる。>八:おいらがですかい? そりゃあ黍団子(きびだんご)なら吉備(きび)の国でしょう? 黍餅(きびもち)なら越前(えちぜん)だ。そのくらい常識ってもんですとも。>与志:ほう。黍餅を知っていなさるのですか? 八兵衛さん、意外と隅に置けませんね。>熊:ご隠居様。こいつは、食いもんのこととなると、知らなくてもいいようなことまで知ってるんですよ。>与志:ほっほ、そうですか。それにしても、黍餅とは懐(なつ)かしいです。私はね、越後の生まれでして、越前に嫁(とつ)いでいた伯母(おば)の土産(みやげ)の黍餅が格別に好きでした。>八:大店(おおだな)のご隠居ともあろう方が黍餅じゃあ、いくらなんでも情けなさ過ぎやしやせんか? 越後にゃあ美味い銀舎利が在るじゃあありませんか。>与志:生まれ付いての大店って訳じゃあないんですよ。・・・口減らしで奉公に出されたようなものです。五六蔵さんと似たようなものですね。>五六:だからご隠居、あっしは勘当(かんどう)されたんですって。何度言やあ分かるんですか。>与志:分かってますとも。態(わざ)と憎まれ口を叩いてきたんでしょう?>五六:だから、あれは、文士の先生の捏(で)っち上げだってんですよ。>与志:分かってます分かってます。>五六:本当に分かってるんですかねえ?酒が入っていると、言葉尻ばかりを捉(とら)えてゆくもので、話題がとんでもない方向に転がっていってしまう。源五郎が折を見計らって「そろそろ失礼しやすよ」と切り出すが、与志兵衛は知ってか知らずか、話をはぐらかし続けている。>源:ご隠居。もう、飲めねえ。帰らして貰いやすぜ。>与志:おや、豪傑(ごうけつ)の源五郎さんはお酒に弱いんですか?>源:豪傑? そんなこと誰から聞きなすったんで?>与志:昔っから知っていますとも。本郷の生駒屋さんでのことも、木場の衣笠屋さんでのこともです。>八:ええっ? 知ってなさるんですか?>熊:五六蔵、お前ぇまた余計なことをべらべらと・・・>五六:あっしじゃあありやせんって。>与志:こんな隠居所に引っ込んではいますが、世の中の評判は寄り集まってくるもんですよ。・・・言ったでしょう? 客が次々やってきて世間話をしていくって。>八:へえ、こりゃ大したもんだわ。でも、おいらが内房のご隠居さんと臭(くさ)い仲だってことは知らないでしょ?>与志:え? あの石部金吉(いしべきんきち)とお知り合いなんですか?>八:巧(うま)いねえ、「臭い仲」だから「お尻合い」だってよ。>熊:下品な駄洒落(だじゃれ)なんか言ってんじゃねえ。>与志:迂闊(うかつ)でしたね。八兵衛さんのことは殆(ほとん)どなんにも知らないんですよ。>八:なんだ、そうなんですか。寂しいでやすねえ。>与志:ですが、源五郎さんのことは詳しいですよ。昨年「静(しずか)」という名前の赤ちゃんに恵まれて、丁度1年が過ぎたところでしたね? それから、ご内儀の「あや」さんは、実は、源五郎さんに内緒で、ある人の祝言(しゅうげん)話を進めているそうですよ。・・・おや、これは、あまり言ってはいけないことでしたね。>熊:ご隠居さん、いくらなんでも、本人が知らないことまで知ってるってのは、尋常じゃありませんぜ。>与志:あの、正直に言ってしまいますが、実は、源五郎さんも倅にしてみたかったんです。案の定である。>八:親方ぁ、こりゃあ、青物の件もなんとか巧く運ぶように、面倒見ねえ訳にいかなくなりやしたね。>源:そんなこと大工の俺たちが立ち入る話じゃねえ。>八:ご隠居のお供をして日光街道とか甲州街道を旅するってのはどうですか?>源:大工仕事を放っぽり出してそんなことができるか。>八:名前を「佐々木源三郎」かなんかに変えてみちゃどうです?>源:俺は一介(いっかい)の大工なんだぞ、苗字なんか名乗ってたらしょっ引かれるだろ。・・・もう付き合い切れねえ。俺は帰る。こちとら昨日っから寝不足なんだ、お前ぇらの世迷言(よまいごと)になんか付き合ってられるか。>五六:あ、あの、親方。あっしも連れて帰ってお呉んなさい。>源:お前ぇはもう暫(しばら)く厄介になってろ。>五六:そんなあ・・・与志兵衛は、去っていく源五郎の背中を見送りながら大きな溜め息を漏(も)らした。落胆がありありと窺(うかが)えた。>与志:客を見送るのはいつだって寂しいものです。それが、倅にしたかった源五郎さんでは尚更(なおさら)です。>八:まだ五六蔵がいるじゃありやせんか。親方から、ここに住む許しも出たことですし。>与志:そうですよね。五六蔵さんがいますからね。それに仕事が始まれば、源五郎さんとも毎日会える訳ですからね。>八:そうですとも。それに、おいらや熊の野郎も来ますから。>与志:はは。それはそれで賑(にぎ)やかで結構なことですかねえ。>八:尤(もっと)も、三吉や四郎じゃ、気の利いた話もできねえから、刺身の妻くらいの役にしかならねえでしょうけど。>三:細切り大根だって、立派に手間隙(てまひま)掛けた料理でしょうに。>八:まあそうだよな。付いてねえと、主役の刺身が引き立たねえ。なんかの役には立ってるってことだな。>与志:それに比べて源五郎さんは、例えば「鮃(ひらめ)の縁側」というところですか。>八:なんですかい? その、「白髪(しらが)で縁側」ってのは。なんだかうらぶれちまっちゃいませんか?>四:八兄い、鮃ですよヒラメ。鰭(ひれ)の辺りの肉のことを「縁側」って言うんです。貴重なものですよ。>八:そうなのか? 世の中には、おいらが知らねえ食い物もあるんだな。>熊:下(くだ)らねえことに感動してるんじゃねえ。>八:ねえご隠居さん。親方が鮃なら、五六蔵はなんでやすかねえ?>与志:それは、なんと言っても鰹(かつお)でしょう。それも、青葉の頃の「初鰹」。「目に青葉山不如帰(ほととぎす)・・・」>八:なんですかそれ?>与志:聞いたことありませんか? 山口素堂という俳人の句ですよ。今くらいの季節の素晴らしさを詠んだものです。>八:へえ。不如帰も食えるんですか?>与志:食べ物を並べた句ではありませんよ。・・・ほんと、面白い方ですね、八兵衛さんは。>八:それほどでも・・・>熊:誉められてるんじゃねえっての。刻限は5つ(20時頃)になろうという頃だった。茶屋の方が一段落着いたさちが、徳利と肴(さかな)を持ってきた。>与志:皆さんは源五郎さんと違って、まだ居てくださるんでしょう?>八:勿論ですとも。刻限だってまだ宵の口、腹の方だってまだ序の口でさあ。>熊:調子が良いことばかり言ってるなってんだ。腹を壊しても知らねえからな。>八:大丈夫だって。>与志:それは良うございました。取って置きの肴をお持ちしましたので。鮭の酒浸(びた)しです。>八:へえ。噂には聞いてやしたが、食べるのは初めてでやす。>熊:ほんとに聞いたことがあるのか? 江戸じゃあ殆(ほとん)ど見掛けねえぞ。>与志:ほう、熊さんでしたね? 熊さんも中々良いところを突いてきますね。酒浸しは、越後は村上藩の「喜っ川(きっかわ)」というところのものが最高でして・・・与志兵衛は、村上の塩引き鮭がどうの、季節の魚がどうのと、説明し始めた。>八:なんだか、魚の話ばっかりでやすね。いっそのこと、青物なんか止(や)めにして、魚を商っちゃどうです?>与志:はは。魚だって構いやしませんけど、着物に臭いが移ってしまいますからね。ちょっと具合が良くないんです。>八:やっぱり。・・・もしかして、ご隠居は、青物にはそれほど詳しくないんじゃねえですか?>与志:魚に比べてしまうと、素人も同然ですね、確かに。>三:そんなんで良いんですか?>与志:道楽(どうらく)の積もりですから、それほど困りはしませんよ。>八:おいらの長屋にね、匂いを嗅いだだけでどこの産か分かるっていう青物売りがいるんですけど、使ってみる気はありやせんか?>熊:おい、八、勝手に決めるなよ。>八:良いんだよ。どうせ与太郎は、おいらの申し出を断れやしねえんだからよ。>与志:そんな凄いお人がいらっしゃるんですか? 是非お目に掛かりたいですね。>八:「お目に掛かる」だなんて勿体ねえですよ。直ぐにでも、犬っころかなんかみてえに引っ立ててきやすよ。でも、あんまり期待しねえでくださいよ。ちょっと見には寝惚けた茄子(なすび)みてえな顔してるんですから。>与志:はは。面白い喩えですね。分かりました。明日でも明後日でも、お好きな刻限に来るように伝えてください。>八:承知しやした。但(ただ)し、くれぐれも念を押しときやすが、客あしらいとか力仕事とかはからっきしですからね。>与志:良いですとも。>八:尤も、茄子の隣に突っ立ってりゃ、茄子売りの役にくらいは立つでしょうがね。>熊:どういう言われようだ。いくら名前通りの与太郎だからって、何もそこまで落とすこともあるめえに。
2007.10.27
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『枯(か)れ木(き)に花(はな)』 『枯れ木に花』1.枯れた筈の木に花が咲くということで、衰え果てていた筈のものが、再び栄える時を迎えること。2.望んでも不可能なこと。転じて、本来、不可能と思われることが不思議な力によって実現すること。3.実際とは違った嘘や作り事を話して、もっともらしく他人を騙すこと。類:●炒(い)り豆に花[が咲く]●死灰復(また)燃ゆ●老い木に花*********柳町の現場は昼食前に方(かた)が付いてしまった。昼飯をゆっくり取って、木っ端(こっぱ)を片付けたりするにしても、8つ半(15時頃)には済んでしまう。>八:ねえ親方、一黒屋さんで五六蔵がどんな風にしてるのか見に行ってみたいんですが、良いですよね?>源:ああ。俺も行っておきたかったところだ。>八:え? 親方も行くんですかい?>源:なんだ、不都合なことでもあるのか?>八:いえ、別に何も・・・>熊:ははあ、お前ぇ。>八:な、なんだよ。>熊:真っ昼間っから酒を出されて風呂まで貰ってきたっていう、棟梁に肖(あやか)れるかも知らねえなんて、皮算用(かわざんよう)してやがるんだろう。>八:な、なんで分かった?>熊:お前ねえ、もう少し惚(とぼ)けてみちゃあどうなんだ?>八:あ、そうか。ついつい。根が正直なもんだからな。>源:どうでも良いが、一番の用事は五六蔵の様子を見てくるってことだからな。そこのところを弁(わきま)えておけよ。>八:流石(さすが)親方、話が分かる。>源:煽(おだ)てたってなんにも出ねえぞ。>八:良いですよ。どうせ出して貰うんだったら、お大尽(だいじん)様のところから山海の珍味やら菊の水やらを出して貰いますから。八兵衛は、昼間から酒を飲めるものと信じ切っていた。顔にこそ出さなかったが、三吉と四郎も、密かに期待を掛けていた。>三:ねえ親方、一黒屋のご隠居さんって、どんなお人なんですか?>源:さあな。俺はそういう方にはあんまり詳(くわ)しくねえからな。・・・ただ、親父(おやじ)の話だと、呉服屋の仲間内じゃあ評判は悪くねえみてえだな。>三:阿漕(あこぎ)なことはやってねえってことですね?>四:阿漕どころか、正義の味方みたいだってことですよ。>八:真逆(まさか)、越後の縮緬(ちりめん)問屋の隠居とかいって、悪者を懲(こ)らしめながら、全国を行脚(あんぎゃ)するんじゃねえだろうな?>四:おや、八兄い良く知ってますね。>八:冗談だろ? 黄門様(※)じゃあるまいし。>四:実際、少なからず黄門様に気触(かぶ)れているらしいですよ。>熊:ははあ。なんだか少しずつ見えてきたぞ。>八:何がだ?>熊:本当のところはよ、欲しいのは「倅(せがれ)」じゃなくって、「供(とも)の者」かも知れねえってことだ。>八:お供って、お前ぇ、助さん角さんか?>三:渥美五六之進ってとこですかい?>八:それじゃあよ、もしかすると、もう1人欲しがってるかも知れねえな? 佐々木八三郎かなんかをよ。>熊:お前ぇは止(や)めとけ。>八:なんでだ? 面白(おもしろ)そうじゃねえかよ。>熊:お前ぇ、ちゃんちゃんばらばらになったらどうするんだ? 真っ先にお陀仏になるのが目に見えてるじゃねえか。>八:おいおい脅かすなよ。そんなんだったら、おいら、きっぱりとお断り申し上げるぜ。>三:ご馳走(ちそう)と引き換えでもですかい?>八:うーん。難しいところだな。>熊:どこが難しいだと? お前ぇ、食い物の方が命より大事なのか?>八:さあ、物にも拠(よ)るかな?>熊:呆(あき)れ果てたね。呆れ過ぎて、呆れが宙返りするぜ。「死んで花実が咲くものか」ってんだ、覚えときやがれ。程なく、一行は一黒屋の隠居所に到着した。五六蔵が何やら大立ち回りの講釈を打(ぶ)っており、それを聞きながらにこにこ笑っている白髪の男がいる。誰がどう見ても「善人」以外の何者でもない。>三:あの、勝手に寄らせて貰いやしたが。>五六:おお。三吉じゃねえか。柳町はもう片付いたのかい?>三:兄貴、何を暢気(のんき)に構えてるんですか。親方や兄いたちも来てるんですぜ。>五六:お、親方もか?>与志:皆さんお揃(そろ)いで? おお、これはこれは。ささ、こちらへどうぞ、お上がりくださいまし。座には、煮た貝と焼いた魚が並んでいた。2人ではとても食べ切れる量ではない。>八:他にお客さんの予定でもあるんでやすか?>与志:そういう訳じゃないんですよ。ここは「来る者は拒まず」の隠居所ですから、入れ替わり立ち代わり顔を見せては、世間話をしていくんです。目の前に何か並んでいないと殺風景(さっぷうけい)ですから。>八:はあ、来るか来ねえか分からねえのに、いつも何かを並べてるんですか?>与志:今日は格別ですけどね。なんせ、五六蔵さんがいて、もしかすると、源五郎さんや皆さんが来るかも知れないですからね。・・・もしかするとそろそろ来るかなって思ってたところです。>八:するってえと、おいらたちのために用意して貰ったって受け取っても良い訳ですよね?>与志:そうですとも、勿論。ささ、箸(はし)をお付けください。>八:咽喉(のど)を湿(しめ)らすものもありやすか?>熊:こら、八。端たねえぞ。>八:だってよ、五六蔵にばかし好い思いをさせとくのは癪(しゃく)じゃねえか。>与志:良いんですよ。幾らでもありますから、どうか、遠慮なさらずに言ってください。・・・おーい、ちょいと燗(かん)を付けちゃ呉れないかね?奥の方から「はあい」という、女の声が聞こえてきた。やがて、盆に銚子を乗せて現われた女は、手際(てぎわ)良く酒を注(つ)ぎ、器用な手付きで焼き魚をひょいとひっくり返した。>八:あの、お内儀(かみ)さんでやすか?>与志:いえいえ。これは、「さち」と申しまして、すぐ裏手で料理茶屋を営(いとな)んでおります。>さち:さちでございます。お客様がたくさんいると、俄然(がぜん)張り切っちゃいますよ。>八:その茶屋の女将(おかみ)さんがどうしてこんなとこで油を売ってるんでやすか?>与志:そういう訳じゃあないんですよ。言ってみれば、ここはその茶屋の奥の間みたいなものなんですよ。>八:それじゃあ、お足(あし)を払わなくちゃならねえんですかい? それじゃあ・・・>与志:そんなことはありませんから、ご安心ください。孟嘗君(※)(もうしょうくん)ではありませんが食客(しょっかく)をたくさん持てるということは幸いです。>八:蝸牛(かたつむり)の触角(しょっかく)みてえなもんですか? おいらは2本も持ってりゃ十分だと思いやすが。今度ばかりは、熊五郎にも四郎にも分からない話だった。与志兵衛1人が、子供のように笑い転げていた。>源:あの、一黒屋さん。五六蔵を倅に迎えてえとかって話でやすが・・・>与志:ええ、そう願っていたんですが、五六蔵さんに断られてしまいました。>源:それじゃあ、この話は引っ込めていただけるんでやすね?>与志:仕方ありません。嫌だというものを無理矢理にというのは、私の生き様(よう)に反しますからね。>源:そうでやすか。これで一安心いたしやした。>与志:なんでしたら、源五郎親方が私の倅になってくだすっても良いんですけれど。>源:ご、ご冗談も休み休み言ってくださいよ。>与志:そうでしたね、揄(からか)ってはいけませんね。ささ、飲んでください。お騒がせしたお詫(わ)びです。>八:ねえ、ご隠居さん。>与志:なんですか? ええと・・・>八:八兵衛です。・・・ご隠居さんっていう割りには、まだまだ若いですよね。>与志:そんなことはありませんよ。来年にはもう赤いちゃんちゃんこを着なきゃなりません。>熊:ってことは、還暦(かんれき)でやすね? 60と1歳ってことだ。>八:そうは見えねえですよ。・・・どうです、倅が欲しいってんなら、いっそのことご自分でもう一頑張りしてみるってのは?>与志:何を言い出すかと思えば、八兵衛さん、そんなことはとてもとても。>八:何を仰(おっしゃ)います。聞くところに因れば、神君(しんくん)家康公が水戸様を授かったのだって60歳だったそうじゃありませんか、まだまだどうしてどうして。>与志:八兵衛さん、長年連れ添った愚妻に先立たれまして、頑張ろうにも頑張れないことですよ。>八:あれ? だってさっきの人、あれでしょ? 「大商人は色を好む」っていう。>熊:だから、「英雄」だっての。>与志:先ほどから違うって言ってるではありませんか。あれは、以前私の元でお店(たな)を大きくするのに尽くして呉れていた者です。身を粉(こ)にして働いて、良く我慢(がまん)(して呉れました。>八:そんなら、気心(きごころ)も知れてるんじゃねえですか。>与志:それはそうではあるんですけど・・・。なんですよ、まあ、気持ちが萎(な)えているといいますか、そんなようなものです。一度枯れてしまった木には、もう花は咲かんのです。>八:そうですか? なんだかそれじゃあ寂しいでやすね。・・・いえね、ちょいと小耳に挟んだ話なんでやすがね、何とかいう薬種問屋で、回春(かいしゅん)の薬ができたとか言ってやしたぜ。名前は、ええと・・・>四:「倍櫓(ばいやぐら)」とかって言ってました。>熊:お前ぇ、そんな話どっから仕入れて来るんだ? まったく以って、解(げ)せねえな。(つづく)---≪HOME≫※お詫び: 時代考証を誤っています。講談『水戸黄門漫遊記』(講談師:玉田玉知)が、「水戸黄門仁徳録」などを元にして作られたのは明治以降だそうです。安積澹泊(あさかたんぱく)佐々十竹(ささじっちく)らの学者に「格さん」「助さん」という名前を充てたのもその頃だと言われています。 人物:水戸光圀(みとみつくに) 江戸初期水戸藩2代藩主。頼房の三男。寛永5年(1628)~元禄13年(1700)。幼名千代松。名は徳亮、光圀、字は子竜。号は日新斎、梅里など。藩制創業を継ぎ、「大日本史」の編纂、勧農政策、藩士の規律・士風の高揚に努めた。兄の子を嗣子として家督を譲った。後世講談師により「水戸黄門漫遊記」が作られた。(上1へ戻る)本文の参考・人物:孟嘗君(もうしょうくん) 中国、戦国時代の斉の王族。斉・魏・秦の宰相となった。?~前279頃。姓は田(でん)、名は文(ぶん)。各地の有為の士を食客として数千人も養い、勢力を振るった。楚の春申君、趙の平原君、魏の信陵君とともに戦国末の四君の一人。(上2へ戻る)
2007.10.26
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『画龍点睛(がりょうてんせい)』『画龍点睛』最後に大切な部分を付け加えて、ものごとを完全に仕上げること。ものごとの眼目、中心となる大切なところ。完璧なものにするための、最後の仕上げ。類:●竜を画いて睛を点ず故事:「歴代名画記-七・張僧」「安楽寺四白竜、不点眼睛。毎云、点睛即飛去」 中国(梁)の張僧(ちょうそうよう)が、金陵の安楽寺の壁に竜の絵を描き、最後に瞳を書き入れたら、忽ち竜が天に飛び去った。出典:歴代名画記(れきだいめいがき) 晩唐。853年頃。張彦遠(げんえん)。中国の従来の画論画史を大集成したもの。*********五六蔵が与志兵衛に対して、己(おのれ)の志(こころざし)を滔々(とうとう)と語っていた頃、八兵衛は「腹減ったー」と溜(た)め息を吐(つ)いていた。>八:親方あ、なんか食いもんを出して貰うって訳にいきやせんか?>源:お前な、五六蔵がどういう目に遭(あ)わされてるか分からねえってのに、良く飯なんか食えるな?>八:そりゃあおいらだって心配ですよ。ですが、心配すればするほど腹が減るんですよ。おいらの腹の造(つく)りは格別なんでやすかねえ?>源:そんな道理があるか。・・・もう半時(はんとき=約1時間)もすりゃあ戻ってくるから、大人しく待っていやがれ。>八:半時もでやすか? 乾涸(ひから)びちまいますよ。>熊:勝手に乾涸びてろ。・・・ねえ親方、棟梁はほんとに何も聞いてなかったんでやすか?>源:そうらしい。もっとしっかりして貰いてえもんだぜ、まったく。>熊:一黒屋さんも、名の通ったお人でしょうから、変な真似(まね)はしてないでしょうけど。>八:分からねえぞ。だって考えてもみろ、寝込みを襲ったり、文(ふみ)を石ころに包(くる)んで投げ付けたりするのが正面(まとも)なお人か?>熊:そりゃあそうだろうけどよ・・・>八:やくざ紛(まが)いの番頭とか手代がいるとしたって、ちょいと酷(ひど)過ぎやしねえか?>松:真逆(まさか)、淡路屋んとこの権太とかいう野郎じゃあるまいし。そうそう悪い番頭ばかりはいねえだろ。>八:何を言ってやがる。店主が隠居した後の番頭なんてものは、揃いも揃って業突く張りだって相場は決まってる。>熊:お前ぇ、豪(えら)く喧嘩腰だな?>八:人間、腹が減ると気が立ってくるものなの。>源:分かった分かった。食わしてやるから、もう少し穏(おだ)やかにしてろ。八兵衛は、あやがよそってきた丼飯に齧(かぶ)り付いた。>源:それにしても、なんで五六蔵なんだ? 俺だったら、手が掛からなそうな四郎を選ぶけどな。>八:唸(うな)るほど銭を持ってる人ってのは、何を考えてるか分からないもんでやすね。やっぱり、臍(へそ)が曲がってるんでしょうね。きっと、旋毛(つむじ)も曲がってますぜ。>熊:・・・あれ? そういえば、四郎はどうした?>三:あっ、いけねえ。すっかり忘れてた。>八:同格の三吉に忘れられるとはな。四郎の奴、よっぽど影が薄いんだな。>熊:笑い事じゃねえぞ。三吉、呼びに行ってやれ。>三:へい。>八:道に迷うなよ。三吉が走り去って間もなく、源蔵が戻ってきた。表情はそれほど重苦しくない。>棟:今帰ったぞ。・・・おや? 松吉まで来てたのか?>松:へい。これでも一応義理の弟でやすから。>棟:そう言えばそうだったな。>源:五六蔵はどうしたんだ? 連れ帰っちゃこなかったのか?>棟:ああ。渡して呉れなかった。・・・というよりも、泣き付かれちまったから、無理強(じ)いはしてこなかった。>源:泣き付くって? 襤褸雑巾(ぼろぞうきん)みてえになるまでこき使われてなんかいねえんだろうな?>棟:ああ。八兵衛が食ってる猫飯(ねこまんま)とは大違いの、豪勢な朝飯を出されてたよ。>八:なんでやすってぇ? 豪勢な飯? 聞き捨てなりませんね。>源:お前ぇは黙って猫飯を食ってろ。・・・親父。ってことは、酷い扱いを受けてる訳じゃねえんだな?>棟:ああ。「息子にしてえ」だとさ。>源:なんだと? ・・・息子だあ?>松:なんてことに・・・>棟:五六蔵が「誂(あつら)え向きの倅(せがれ)」像なんだとよ。例の瓦版のときっからの。>熊:「コロ助物語」でやすか?>棟:ああ、そうだ。一黒屋さんの話を聞いてたら、なんだか途中っから馬鹿馬鹿しくなっちまってな、五六蔵に「暫(しばら)く厄介になっていろ」って言っちまったんだ。>源:あのなあ・・・>棟:まあ良いだろう? どうせ、柳町は今日で終(しま)いなんだ、明日っから一黒屋へ行くことになるんだからよ。>八:そうすると、五六蔵の野郎は、今日一日狡(ずる)休みってことになるんですか? 贅沢なもん食って、「倅や」なんて猫撫で声掛けられて。>源:今日だけだ。大目に見てやろう。>八:ああ、なんでおいらじゃなかったんだろうな? おいらなら即答で「倅になりやす」って答えちまうだろうな。>源:それで? 五六蔵はそのことについてなんとか言ってたのかい?>棟:ああ。お前ぇらにも聞かしてやりたかったねえ。俺(おりゃ)あ、五六蔵のことを見直したぜ。>源:なんだって宣(のたま)いやがった?>棟:「田舎の父と母をこの上なく愛して居り、捨て台詞(ぜりふ)して村を後にしたことを悔(く)いている。故郷に錦を飾ろうなどと大それたことは考えていないが、ここに御座(おわ)す棟梁のご指導の元、一端(いっぱし)の大工となることこそ、罪滅ぼしの道と心得ています」と、こう来たもんだ。>八:棟梁、話を作ったりしちゃいませんか?>棟:何を言う。出任せでこんな話を言ったからって、俺になんの得になる?>八:でも、五六蔵の奴の口から「愛して居り」だとか「御座す」なんて言葉が出てくるとは思えねえんですがね。>棟:はは。そのくらいは脚色(きゃくしき)させて貰っても良かろう? 「親への罪滅ぼし」っていう大筋は変わらねえんだからよ。>八:なるほど、脚色でやすね。>熊:五六蔵がねえ・・・>源:まあ良い。要は、倅になんかなるつもりはねえっとことだな。>棟:お前ねえ、もうちょっと感慨とか感激ってもんがねえのか?>源:当たり前のことを言っただけだろう? それだけじゃねえか。>棟:かあっ、こいつには心ってもんがねえのかね? こんな冷血漢に育てちまって俺は悲しいよ。>源:ほざいてやがれ。・・・さ、さっさと飯食って出掛けようぜ。>棟:ははあ、お前ぇ、自分の名前が出てこなかったもんで、やっかんでやがるんだろう?>源:そんなんじゃねえって。>棟:ああそうだ。肝心なことを漏(も)らしちまったぜ。「あのまんまちんぴらを続けてたら、曾(ひい)爺ちゃんの死に目にも会えなかったし、田舎の敷居だって跨(また)がしちゃ貰えなかった。源五郎親方には一方(ひとかた)ならず世話になった。」 そう言ってやがった。>源:そうか。源五郎とて、弟子から有り難がられて嫌な気はしない。にやけた顔を弟子たちに見られるのも癪(しゃく)なので、仏頂面で「四郎が来たら出掛けるぞ」と言って、自室へ引っ込んだ。そこへやってきた三吉と四郎は、尋ねる機会も与えられないまま、追い立てられるように朝食を食べ、尻を叩かれて現場へと向かった。>八:しかし驚いたよなあ。五六蔵を倅にしてえなんていうとち狂ったお人がいるもんなんだなあ。>熊:そりゃあ、「蓼(たで)食う虫も好き好き」だからな。>八:なんだ「建具(たてぐ)に虫」って? 呉服屋の隠居とは関係ねえじゃねえか。建具のことなら松つぁんに言えってんだ。>松:「建具」じゃねえよ、「蓼」だ。それに、飾り職と建具師はな、殆(ほとん)ど関わりはねえの。>八:そうなのか? おいらまた、いつも半次と連(つる)んでるから、引手(ひきで)金具でも細工してるのかと思ってたぜ。>松:襖(ふすま)の引手に銀(しろがね)を被(かぶ)せる話なんか聞いたこともねえ。そんな成金(なりきん)がいるもんならお目に掛かってみてえもんだぜ。>八:五六蔵を訪(たず)ねていけば、その成金に会えるぜ。なんてったって、「倅の弟」なんだからよ。>松:だから、五六蔵は断(ことわ)ったって言ってんだろ。況(ま)して俺は、唯の喧嘩仲間だ。そんな変な爺さんとは、これっぽっちも関わりはねえし、金輪際関わりたくもねえ。>八:でもよ、「金に糸目は付けねえ」ってんだぜ。飾り箪笥だろうが、五月飾りだろうが作っちまえば買い取って呉れるぞ。>松:五月人形なんか誰が作るかよ。>八:そうか? ・・・ならよ、いつものように簪(かんざし)を作れば良い。大店(おおだな)のご隠居ならよ、色女の1人や2人、必ずいるだろうからよ。>熊:そんなの分かるもんか。>八:昔っから良く言うじゃねえか。「大商人(おおあきんど)は色を好む」ってよ。>熊:それを言うんなら「英雄」だ。それにご隠居って言うくらいだからもう好い年なんだろ? 松つぁんの出る幕はねえよ。>松:仮に罷(まか)り間違って注文があったとしても、おいら手を抜いて数だけ揃(そろ)えるなんてことはできねえからな。生半可なものなんか作って、そいつがおいらの作だなんて触れ回られたら、おいらの腕を見込んでくだすってる常客さんたちに申し訳が立たねえ。>八:常客さんたちにだって、違いなんか分からねえんじゃねえのか?>松:だからお前ぇは浅墓(あさはか)だってんだ。作るのは職人だが、見るのはお客さんたちだ。>八:当たり前ぇのことじゃねえか。>松:そうじゃねえよ。できた物を見定めるのはそれを使う者だってことなのさ。つまり、作った者より買う者の方が優(すぐ)れてるって訳だ。それが物の道理ってことよ。>八:「もの」ばっかりで、何がなんだか、益々分からなくなっちまったじゃねえかよ。
2007.10.25
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『烏(からす)に反哺(はんぽ)の孝(こう)あり』『烏に反哺の孝あり』烏は親鳥に養われた恩を親鳥の口に餌をふくませて返すと言われるところから、鳥や獣でさえも育てて貰った恩に報いるものだということ。類:●烏は親の養いを育(はぐく)み返す●烏哺(うほ)出典1:「本草綱目-禽部・慈烏」「長則反哺六十日、可謂慈孝矣」出典2:「十六国春秋」「烏有反哺之義、必有遠人感恵而来者」出典1:本草綱目(ほんぞうこうもく) 本草書(薬学の書)。中国、明の李時珍(りじちん)。万暦6年(1578)成立。52巻。「本草」および梁の陶弘景の「名医別録」などの本草書を整理し、薬の正名を「綱」、釈名を「目」とし、薬となる品目千八百余種を分類し、産地・形状・処方などを記したもの。日本には慶長12年(1607)に伝来し、本草学に大きな影響を与えた。出典2:十六国春秋(じゅうろくこくしゅんじゅう) 史書。中国、北魏の崔鴻(さいこう)撰。102巻。「芸文類聚」などに既に引用されているが、現行百巻本は明(みん)の屠喬・孫項琳の偽書。前趙録に始まり北燕録に終わる五胡十六国の歴史を記したもの。*********三吉に叩き起こされて、八兵衛はご機嫌斜めである。「今日から忙しくなる」と頭では分かっていたけれど、半端な量の酒では酔い具合も浅く、すっかり目が冴えてしまって朝方までもぞもぞしていたのである。>八:やい三吉、なんだってこんな朝っぱらから起こしに来るんだ。まだ6つ半(7時頃)にもなってねえじゃねえか。>三:そんなこと言われたって、大変なんでやすから・・・>熊:五六蔵がどうしたとか言ってたな? ちゃんと話してみろ。>三:へい。五六蔵兄貴がいなくなっちまったんで。>八:なんだと? 真逆、夜逃げじゃねえだろうな?>熊:そうじゃねえだろうよ。なあ三吉、梅を食って腹を壊(こわ)したとかじゃねえのか? 厠に篭もってるとか、そういうことじゃねえのか?>八:そうか、確か今時だもんな、一太郎とかいうやつの命日はよ。>三:違いますって。投げ文があったんです。>熊:投げ文? ・・・ってことは、勾引(かどわ)かしか?>八:五六蔵なんか勾引かしてどうしようってんだ? 強請(ゆす)ろうったって鼻血も出やしねえ?>熊:勾引かす方が命懸けなんじゃねえのか? ・・・で? なんて書いてあった?>三:本人も了解した上だから、心配するなってことでやす。>八:なあんだ。それなら何にも心配することなんかねえじゃねえか。態々(わざわざ)こんな刻限に起こすなよな。おいら寝直すぜ。>熊:待てったら、八。本当にそれで良いと思うのか?>八:なんでだ? 大方、行き先もその文に書いてあるんだろ?>三:それが、書いてねえんです。書いてあったら真っ先にそこに行って事情を聞いてきてますって。>八:なるほど。そりゃそうだな。・・・ってことは、何か? 五六蔵は無理矢理引き摺っていかれたかも知れねえってことか?>三:だから初めっから言ってるじゃねえですか、いなくなっちゃったって。>熊:こりゃあ困ったな。・・・仕方がねえ。兎も角親方んところへ行って、どう動くか決めようぜ。>八:そんなこと言ってたって、今日から物凄く忙しくなるんだろ?>熊:仕事と五六蔵とどっちが大事だと思ってるんだ? 下手をすると命に関わるかも知れねえんだぞ。>八:どっちのだ? 勾引かした方か? 勾引かされた方か?3人は急いで源五郎の家へと向かった。3人は気付かなかったが、五六蔵という名を聞いて跳ね起きた菜々と松吉が、戸口のところで聞き耳を立てていた。>松:おい、今の、五六蔵のことだよな?>菜:ええ、確かに五六兄ちゃんのことを話してたわ。真逆とは思うけど、気になる話よね。>松:それにしてもよ、拘引かすなら、若い娘とか、大店の跡継ぎとか、余所に幾らでもいるじゃねえか。>菜:そうよね。身代金が目的なら五六兄ちゃんでなくたって良いわよね。>松:それによ、何もあんなごつい野郎じゃなくたって良いじゃねえか。暴れるし、手向かうし。火の中の栗を拾うようなもんだろ?>菜:そりゃあそうでしょうけど、五六兄ちゃんだって人の子よ。大勢に囲まれたら手も足も出ないわよ。>松:そうか。そうだったな。おいら、ついつい、五六蔵は普通の人間じゃねえって思ってた。>菜:鬼や物の怪(もののけ)みたいに言わないでよ。あたしだって同じ親から生まれたんだから。・・・ねえ、「了解した上で」っていうのは、本当のことなのかしら?>松:本当であって貰いてえよな。>菜:親方のところに話を聞きに行って貰えない?>松:おいらがか? 忙しいんだけどな。>菜:何よ。仕事と身内(みうち)とどっちが大事だっていうのよ。>松:おいおい、熊さんみてえなことを言うなよ。分かってんだろ? いくら何だって、家族を見捨てるような情(なさ)けのねえ冷血漢じゃあねえよ。ということで、松吉も熊五郎たちの後を追い掛けて、源五郎のところへ向かった。>八:なんだよ、松つぁんも来ちまったのか?>松:長屋の前であんな大声で五六蔵の話をしてりゃ、菜々のやつが聞きつけねえ訳ねえじゃねえか。>八:あ、そっか。すっかり忘れてたぜ。奈々ちゃんは妹だっけな。松つぁんの嫁になったときから五六蔵との縁はなくなったのかと勘違いしてたぜ。>松:お前ぇ、本気で言ってるのか?>八:冗談に決まってんだろ? 兄妹は死ぬまで兄妹だし、親子は離れ離れでも親子だもんな、へへへ。>松:こいつほんとに分かってんのかね。・・・そんなことより、親方に会わせてくれよ。もしものことがあったら、菜々のやつがあんまり可哀相だからよ。>八:おうおう、女房思いの良い旦那だこと。>松:茶化すんじゃねえや。悔しかったらお前ぇも早く嫁を貰えってんだ。>八:何をーっ?>熊:まあまあ、それくらいにしとけよ。口喧嘩は飲んだ席だけにしとけ。源五郎は茶を啜りながら考え込んでいた。口をへの字に曲げて、眉間に縦皺(たてじわ)を寄せていると、鬼が怒っている風にも見えた。>三:親方、兄いたちを呼んで参りやした。それから、松吉さんも。>源:ああ、松吉。お前ぇも来ちまったか。騒がせちまって済まねえな。>松:何も親方が頭を下げる必要なんかありませんよ。詫(わ)びなきゃならねえのはどっちかってえと身内であるおいらの方なんですから。>源:そうか。それじゃあお前ぇもここで待ってて呉れ。今、親父に訳を聞きに行かせてる。>八:もしかして、五六蔵がどこに行ったのか分かったんでやすか?>熊:別の投げ文かなんかが来たんですか?>源:いや、そうじゃあねえんだ。まあ、こいつを読んでみろ。>熊:二つありますね?>源:片一方は昨夜(ゆうべ)親父が持ち帰ってきたものだ。>熊:持ち帰ったって、一黒屋さんのところからでやすか? ・・・どれどれ。>八:なんて書いてある?>熊:こっちには「当人了解の上」だがら心配するなって書いてあるな。それで、こっちはと・・・。なんだとぉ?>八:どうした? 身代金でも要求してあるのか?>熊:そうじゃねえ。・・・親方、こいつを寄越したのは一黒屋さんなんですか?>源:ああ。困ったもんだ。>八:やい熊、早く読みやがれ。>熊:「大工一名を一黒屋隠居所に寝泊りさせるべきこと」だと。それが五六蔵だってこと、なんでやすね?>源:ああ。どうやら、初めっから五六蔵に目を付けていたようだって、そうは読めねえか?>熊:正(まさ)しく。>松:ねえ親方、その「一黒屋」って、あの一黒屋なんですか? あの大店の。>源:ああそうだ。だから不思議なんだ。なんで五六蔵なんだ?>八:それから、なんで呉服屋が青物なんだ?源蔵が戻るまで、成り行きを説明されて、松吉は尚更分からなくなってきていた。ただ、少なくとも、拘引かしではないということと、五六蔵が無事であるようだということは分かった。そんな頃、一黒屋隠居所では、源蔵と五六蔵に向かって、一黒屋与志兵衛が経緯を説明していた。>与志:あたしは前の女房との間に娘しか居りませんで、倅(せがれ)に恵まれないまま、あれに死なれてしまいました。一代でここまで築き上げて、娘夫婦に任せてしまうと、無性(むしょう)に倅が欲しくなりましてな。>棟:ですが、立派な婿殿がいらっしゃるじゃあありませんか。>与志:はあ、確かに婿は居ります。ですが、飽くまでも、娘の亭主であって、あたしの倅ではないのですよ。棟梁くらいの年になられればお分かりでしょう。婿と倅は違うのです。>棟:そりゃあ確かに、うちの嫁は娘じゃあありませんが。うちの婆さんは倅よりも嫁を我が子のように扱っております。>与志:中には、棟梁のように、そういう立派なお内儀をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。ですが、あたしはそうはなれんのです。五六蔵さんのことを知ってからというもの、自分の倅に欲しくて欲しくてどうしようもなくなってしまったのです。>五六:あっしが、でやすか?>与志:そうです。お前さんです。他の男どもじゃあ駄目なんです。>五六:あっしなんか、何の取り柄も持ち合わせちゃあいませんが。>与志:そんなことあるもんですか。お前さんは、あたしにとっては、理想的な倅なんです。>棟:一黒屋さん。いったいどこで五六蔵をお知りになったんですか?>与志:丁度一年ほど経ちましょうか? とある読売りを読みましてね。>五六:それって、「コロ助物語」でやすか?>与志:そうです。それですよ。あたしゃあ、すっかり惚れ込んじまったんです、「コロ助」という主人公の姿に。>五六:だって、ありゃあ捏(でっ)ち上げですぜ。元の話からじゃあ、提灯と釣鐘ほどの違いがありやす。>与志:それも調べてあります。文士の先生方にも、野崎屋という読売りの店主にも事情は聞いてあります。ついでに春日(かすが)屋の仙六という手代さんにまで問い質(ただ)してきてるんです。>五六:だったら・・・>与志:だからこそ、ですよ。それからというもの、お前さんが取り掛かってる現場の近くをうろついたり、「だるま」でしたよね、あの縄暖簾の奥の方に陣取ってみたり、ずっとお前さんを追い掛けていたんです。>五六:そいつは気が付きやせんでした。>与志:お前さんを見ているうちに、あたしの考えが間違いじゃなかったと確信しました。そして、梅の実が膨らみ始める季節になると、もう居ても立ってもいられなくなりましてな。あたしの目が届かないところで青梅を10個食べてしまうんじゃないかと、もう冷や冷やものでした。>五六:止してくださいよ。梅くらいでくたばりゃしないんですから。>与志:それはそうでしょうが、親心というのでしょうか、承知していても心配になってしまうものでして。>五六:そいつは身に余る光栄なんではありやすが、あっしには、離れているとはいえ、ちゃあんと両親と、爺ちゃん婆ちゃんと、それに、曾(ひい)婆ちゃんが健在なんです。どこぞの家の倅になることなんかできやしませんよ。>与志:そうでしょうとも。お前さんはそういう、人並み以上の人情の持ち主だ。理(り)の上では分かるんです。ですが・・・>五六:いいや、ご隠居さん。ですがも春日もありませんや。犬が後足で砂を掛けるみたいにしておん出てきちまったからこそ、田舎の親父やお袋に罪滅ぼししねえと、町中を歩くのだって気が引けるんでやす。今のあっしは、ここに居なさる棟梁と、その跡継ぎである親方とに付いて、一端(いっぱし)の大工になるってことがそれだと思ってるんでやす。
2007.10.24
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『痒(かゆ)いところに手が届(とど)く』 『痒いところに手が届く』細かい所まで気が付いて十分に配慮が行き届いている。類:●至れり尽くせり●気が利く*********棟梁(源蔵)が戻ってきたのは、5つ半(21時頃)になろうとする刻限だった。源五郎が「初っ端から随分綿密な下打ち合わせだな」と、詳細を聞こうとしたら、源蔵は唯(ただ)首を横に2度振った。>棟:仕事の話はできなかった。>源:なんだって? だって、出掛けてったのは朝方だぜ。こんな刻限まで、どこか別のところをほっつき歩いてたってのか?>棟:そうじゃねえ。ちゃんと「一黒屋」さんと一緒にいたさ。相馬の親っさんと一緒にな。>源:どういうことだ?>棟:それがよ、「先ずあたしがどんな人間なのかをお話しましょう」と、こう来た訳だ。>源:なるほど。一代であれだけのお店を築いたお人だ、自慢話もしたかろう。ま、俺も少しは興味がある。>棟:まあ、生い立ちだの苦労話だのは、そのうち嫌でも聞かされるから脇へ置いとくとして、それからが大変だったんだ。>源:なんで親父を名指ししてきたかってことだろ?>棟:いいや。その話は一切話しちゃあ呉れなかった。「ちょっと訳ありで」の一点張りだ。>源:じゃあ・・・>棟:「棟梁も元締めも、こっちの方は行ける口ですよね?」だと。>源:こっちって、酒のことか? 真昼間(まっぴるま)っから。向こうだって店の切り盛りとかあるだろうに良いのかよ?>棟:「構いませんよ」ってさらりと言われちまった。ああまであっさりされちまうと断れることも断れなくなる。まったく、弱っちまったよ。「弱っちまった」と言いつつ満更(まんざら)でない顔付きをするのが、「酒飲み」の常である。>源:それで、丸々4刻(約8時間)もずっと飲んでたのか?>棟:ずっとじゃねえさ。庭の散歩に付き合わされたし、終(しま)いには湯まで借りてきた。だから、こんな具合に、べろべろにならずに済んでるんじゃねえか。ありゃあ相当客あしらいに慣れてるな。>源:やれやれ。・・・それで? これからどうしろって?>棟:ああ。今やってるところが片付き次第取り掛かって呉れ。でも、そう慌てなくても良いぞ。「西瓜(すいか)を並べられる頃にできあがれば良いですよ」って言ってた。>源:西瓜か・・・。親父、もしかして、嵌(は)められたんじゃねえだろうな?>棟:どういうことだ?>源:確かに西瓜の最盛期は6月(今の7月)頃だろうが、早生(わせ)は梅雨(つゆ)の頃出回り始めるのと違うのか?>棟:おい、脅(おど)かすなよ。半月もねえってことか? そんなんじゃ間に合う訳ねえじゃねえか。>源:真逆(まさか)な。変な勘繰(かんぐ)りをしちまって済まねえ。忘れて呉れ。>棟:まあ、半日一緒にいた感じでは、そう意地が悪そうな人とは思えなかったからな。埒(らち)の明かないことを話していても、堂々巡りになるだけだと、源蔵はさっさと寝てしまった。源五郎は、「何故(なぜ)うちを名指してきた?」と考え始め、可能性を一つ一つ潰し始めてしまった。最後に3つまで絞(しぼ)られたところで、やっと目を瞑(つぶ)ったが、疾(と)うに8つ(2時頃)を過ぎていた。>三:大変だ大変だぁーっ。親方ぁ、起きてくださーい。>雅:おや三吉、若いもんがこんな早起きとは感心だね。>三:大女将(おおおかみ)さん、それどころじゃねえんで。五六蔵兄貴が、大変なんです。>雅:どうしたい? 青梅にはまだ早かろうに。>三:へ、へい。梅じゃあねえんです。それが、見当たらねえんです。>雅:大方、どっかで飲み過ぎて、店の土間かなんかで眠りこけてるんだろうよ。>三:それが、どうやら違うみてえなんで。・・・実は、こんなものが。>雅:なんだい? 投げ文かい?>三:へい。石ころに包(くる)んでありまして。見てくださいよ、このたん瘤(こぶ)。>雅:おや、また一段と男前が上がったじゃないか。>三:冗談は止(よ)してくださいよ。・・・そんなことより、親方だ。親方ぁーっ。>源:朝っぱらから素っ頓狂(すっとんきょう)な声を張り上げてるんじゃねえ。こちとら寝不足なんだ。>三:済みません。何しろ事が事ですんで。>源:何事だ?>三:へい。まずこの投げ文を読んでみてください。>源:投げ文だと? どれ・・・文(ふみ)にはこう書かれていた。「ごろざう殿をお預かり致しそろ。当人りょうかいの上のことなれば、ごしんぱい無用にねがひたくそろ。」>源:なんだこりゃ? 五六蔵が納得(なっとく)の上で連れて行かれただと? どういうことなんだ?>三:さあ。>源:お前ぇたちは昨夜(ゆうべ)一緒じゃなかったのか?>三:最初のとこは一緒でしたが、熊兄いと八兄いが「明日っから忙しくなるからこれくらいにしとこう」って言うもんで、早目に切り上げやした。それっきりです。>源:このことは熊と八には報(しら)せたのか?>三:いいえ。ここに真っ先に来ましたんで。>源:それじゃあ叩き起こしてこい。但(ただ)し、事を大事(おおごと)にするなよ。ここに書いてある通り、本人が了解の上ってことなら、騒ぐだけ馬鹿馬鹿しいからな。三吉は脱兎(だっと)の如く駆(か)けていった。源五郎は、一応報告だけでもということで、居間で茶を飲んでいる源蔵のところへ行った。>源:親父、ちょっとこれを見てくれ。>棟:五六蔵のことか? 今、お雅から聞いたが、とんだことにならなきゃ良いがな。>源:まあ、五六蔵もあの図体(ずうたい)だから、いざとなったら自分でなんとでもできるだろうが、でも、心配は心配だよな。>棟:・・・おや?>源:どうかしたか?>棟:いや、この字、どっかで・・・。ああっ、分かったぜ。>源:何がどう分かったってんだよ。>棟:ちょっと待ってろ。源蔵は、寝所に戻って、二つに折り畳まれた紙を持ってきた。>源:こりゃなんだい?>棟:字を比べてみろ。そっくりだから。>源:ほんとだ。こりゃあ同じ手だな。誰なんだい?>棟:昨日俺が会いに行った人のだ。>源:「一黒屋」さんかい?>棟:そうだ。・・・読んでみろ。>源:なになに? 「大工げんざう殿。一黒屋増築のこと。一つ、費用は言い値(ね)にて申し受けそろ。一つ、期限は特にさだめずていねいな仕事を希望しそろ。一つ、大工一名を一黒屋隠居所に寝泊りさせるべきこと。なほ、人選はこちらの勝手にお任せねがひたくそろ。」だと? なんだこりゃ?>棟:俺も、相当酔っ払っちまってたから、碌(ろく)に目を通しもしねえで、持ち帰ってきちまったって訳だ。>源:それじゃあ何か? 五六蔵を勾引(かどわ)かしたのは一黒屋だって言うのか?>棟:「勾引(かどわ)かした」じゃねえだろ。ちゃんとここに書いてある。>源:俺に断(ことわ)りもなしにか? どっか可笑しいとは思わねえのか?>棟:可笑しいには違いねえけどよ、銭と期限のことを、ここまで下手(したて)に出られちゃあ、ちょっとしたことは飲んでやらねえ訳にいかんだろ。>源:ちょっとしたことか? 人身売買みてえなもんじゃねえかよ。下手(へた)をすりゃ、下僕(げぼく)みてえに扱(こ)き使われてるかも知れねえんだぞ。もしそうだったら、不憫(ふびん)で不憫で。その頃。一黒屋与志兵衛の隠居所では、五六蔵の前に山海の珍味が豪勢に並んでいた。目を白黒させている五六蔵に向かって、与志兵衛はにっこり笑って「さあお食べ」と言った。>五六:あの、大旦那。>与志:大旦那は止してくださいよ、くすぐったくなるじゃありませんか。お店(たな)のことは娘婿に任せてしまって、悠悠自適の毎日なんですから。>五六:それじゃあ、「ご隠居」さん。>与志:はいはい。なんでしょう?>五六:どうしてあっしに、こんな贅沢(ぜいたく)なものを出してくださるんで?>与志:どうしてって、別に特別な意味はありませんよ。ここに遊びに来る方には皆に同じようなものをお出ししてます。>五六:それにしても、朝っぱらからこんなに・・・>与志:多過ぎましたか? それじゃあ減らしますか?>五六:い、いえ。このくらいの量なんかぺろりでやすよ。それに、「据え膳食わぬは男の恥」って言うじゃねえですか。>与志:ちょっと違うようですが。>五六:そうですか? 済いやせん、学がなくって。こんな下品なもんにこんな豪勢な料理じゃあ、なんだか申し訳ねえようで。>与志:遠慮なんか止してくださいよ。自分の家のように思ってくだされば良いんです。それから、あたしのことも祖父とか、差し支(つか)えなければ「父」とかと思ってくだされば尚のこと有り難いんですが。>五六:そ、そんな滅相もねえ。というか、勿体(もったい)ねえですよ。>与志:そうですか・・・。でも、そういう気持ちになったらいつでもそう呼んで呉れて良いですからね。それから、何か欲しいものがあったら、「さち」という者がいますから、なんでも言い付けてくださいね。決して不自由な思いはさせませんから。>五六:はあ。・・・それはそうと、あっしの親方はこんなことになってるの分かってるんですよね?>与志:勿論ですとも。昨夜、棟梁にちゃあんと、書面で渡してありますからね。>五六:それなら間違いないですね。流石(さすが)ご隠居さん、手回しが良いや。それに細かいところにまで気が配ってある。やっぱり大店を切り盛りしてきた人は違いやすねえ。
2007.10.23
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『鴨(かも)が葱(ねぎ)を背負(しょ)って来る』 『鴨が葱を背負って来る』鴨が葱まで背負ってわざわざやって来たのですぐに鴨鍋が食べられるという意味で、相手の行動があまりにもこちらの思惑通りで、こんな好都合はないという状況。類:●思う壺*********正月のどたばたが嘘のように、何事もない日々が続いていた。相馬屋の親っさんは、あれ以来、耳が遠いことを自認し、話し合いには書面や半紙を介するようになっていた。何しろ、寺社奉行所の与力(家島網綱)が直々(じきじき)に頭を下げにきたのである。滅多にあることではない貴重(きちょう)な機会を、殆(ほとん)ど何も聞き取れずに遣り過ごしてしまったのだ。>熊:なあ八よ。若年寄の話、あれっきりとんと聞かなくなっちまったな?>八:あんまり悔しくって、頓死(とんし)したんじゃねえのか?>熊:何を寝ぼけたこと言ってやがる。それくらいでくたばるようじゃ政(まつりごと)なんかできやしねえよ。>八:それもそうだな。・・・なあ熊よ。それはそうと、元締めの親っさん、近頃やけに腰が低いんじゃねえか?>熊:お前ぇも気が付いたか? 確か一昨日(おととい)からだよな?>八:家島様のときはかっちんこちんに固まってたけど、あんときとは別みてえだな。>熊:親方なら何か聞いてるかな? 一段落着いたら聞きにいってみねえか?>八:止(よ)せよ。そうでなくたって忙しいってのによ。また変梃(へんてこ)なことに巻き込まれでもしたらどうするんだよ。>熊:おや、珍しい。いつもならお前ぇの方が「何か起きねえかなあ」って言い出すのによ。>八:それはそれ、これはこれだよ。>熊:けどよ、お前ぇが言うほど忙しいとは、おいらにゃあ思えねえんだがな。>八:お前ぇ知らねえのか? 今朝なんかな、あの棟梁が大慌てだったんだぞ。>熊:お前ぇ、また盗み聞きしたのか?>八:そんな人聞きの悪い言い方するなよ。聞こえちまったんだよ、厠(かわや)へ行くとき。>熊:また厠かよ。まったく、よくよく厠に縁があるみてえだな。>八:放(ほ)っとけ。>熊:それで? 棟梁はどんなことで慌ててたんだ?>八:それがよ、どこぞの大店(おおだな)から、大掛かりな建て増しの話がきてるんだとよ。>熊:結構なことじゃねえか。どんどんやってやろうじゃねえか。>八:それがな、あの棟梁でさえそんな話聞いたこともねえっていうことらしいんだ。>熊:なんだ? 前代未聞の大仕事ってことか?>八:違うんだ。>熊:じゃあなんだってんだよ。じれってえな。早く吐きやがれ。八兵衛が聞いた話というのは、こういうものだった。どこぞの呉服屋が、相馬屋の親っさんを通して、棟梁を名指(なざ)ししてきたというのである。仕事の内容というのが、「野菜の小売りをする」ための増築だという。>熊:なんだと? 呉服屋が青物(あおもの)だあ?>八:それがよ、商売替えじゃなくって、両方一緒にやりてえってことなんだ。>熊:その建て増しをうちでやるってことなのか?>八:そうよ。「源五郎に任せた」って言ってたぜ。>熊:ってことは、おいらたちだけで、それをやれってことか?>八:そういうこと。梅雨(つゆ)の前の五月(さつき)晴れ時期はよ、書き入れ時だろ? みんな大変みてえなんだ。>熊:そんなこと言ったって、厄介仕事をみんな押し付けられちゃあ、困るよな。>八:しょうがねえだろ。弟子を一番多く抱えてるのがうちの親方なんだからよ。>熊:五六蔵に、三吉四郎か? あいつら、3人纏(まと)めてどうにか一人前ってとこじゃねえか。>八:だろ? だからこれから忙しくなるんだよ。>熊:それじゃあ、棟梁はそれで相馬の親っさんと連れ立って出掛けたのか?>八:そういうこと。>熊:じゃあよ、親っさんがあんな態度を取ってるってことは、よっぽどの大店だってことなんじゃねえのか?>八:おいらにそこまで聞くなよ。着物だ帯だなんて、おいらにゃ縁のねえもんだもんな。>熊:そりゃあ、おいらだっておんなじだけどよ。名前くらい聞かなかったのかよ。>八:えーと、「糸屑(いとくず)屋」なんてのあるか?>熊:お前ぇに聞こうとしたおいらが馬鹿だった。もう良いから、さっさと片付けちまおう。忙しくなるんだからよ。>八:あ、思い出した。「一黒屋」ってのなら、あったよな?>熊:なんだと? お前ぇ「一黒屋」ってったら、大店も大店、飛ぶ鳥も落とすってくらいの大店だぞ。>八:確か、引き札のとき名前が出てたっけな。・・・けどよ、着物でどうやって鳥を捕まえるんだ?>熊:そうじゃねえって。そのくらい勢いがあるってことだよ。>八:ふうん。・・・てことは、相馬の親っさんはそれでびびってやがったのか。ふん、なんて肝の小さい爺(じじ)いだ。>熊:お前ぇ、碌(ろく)に知らねえからそんなことを言ってられるんだよ。お咲坊とかお夏坊が聞いたら引っ繰り返るぞ。>八:大袈裟(おおげさ)だな。お咲坊なら分かるが、お夏ちゃんはそんな端(はし)たない格好なんかするもんか。さあ大変である。「一黒屋」は、今では押しも押されもせぬ大店である。下手(へた)な仕事はできない。そして、更に難問なのは、呉服に野菜という取り合わせである。>八:おいら思うんだけどよ。魚じゃなくて良かったよな。着物に臭(にお)いが移って物凄いことになっちまうもんな。>熊:当たり前ぇだ。頭が変になったんじゃねえかって、客の方が逃げちまう。>八:でもよ、韮(にら)とか大蒜(にんにく)は臭うぞ。どうするんだ?>熊:遠いとこに置くしかねえな。>八:風下(かざしも)になったら?>熊:仕切り板だけじゃなくって、部屋みたいにしちまうしかねえのかな?>八:青物を部屋の中で売るのか? 泥とかで、とんでもねえことになっちまうんじゃねえのか?>熊:そうだよなあ。・・・うーん、困ったな。>八:ここは一つ、玄人(くろうと)に聞いてみるとするか?>熊:玄人って、もしかして・・・>八:決まってんじゃねえか、与太郎よ。>熊:なんだか、頼りねえ玄人だな。熊五郎たちは、予(あらかじ)め決めてあった今日の区切りまでを済ませてから、源五郎に尋ねてみた。>源:ああ、そのことか。詳しいことは親父(おやじ)が帰ってきてからじゃねえとなんとも言えねえが、難しい話であることは間違いねえな。>熊:それじゃあ、八が盗み聞きしたのって、事実なんでやすね?>八:だから、違うっての。厠に・・・>源:怒りやしねえよ。あんな大声で喚(わめ)いてりゃ誰の耳にだって入るってもんだ。>八:相馬の親っさんだけは聞こえなかったかも知れませんがねえ。>熊:こら、止せ。>源:八兵衛、人の身体の悪いとこを揄(からか)ったりするもんじゃねえぞ。>八:「口は禍(わざわい)の門」でやすよね。母ちゃんからしょっちゅう言われてやすから。もう、耳に胼胝(たこ)でやす。>源:分かってるんなら良い。諄(くど)くは言わねえ。・・・しかし、なんで青物なんだろうな? 大人しく着物だけを商(あきな)ってりゃ良いじゃねえか、なあ?>熊:もしかしたらって思うんでやすが・・・>源:なんだ? 言ってみろ。>熊:着物ってもんは、毎日買うもんじゃねえですよね。>源:そりゃあそうだ。汚れたら洗うし、破れれば継ぎを当てる。自慢じゃねえがこの半纏(はんてん)だってもう3年は着てる。>熊:そうですよね。一方、青物はどうです? 毎日じゃないにしろ、3日と空(あ)けずに買うでしょう? そこが狙いですよ。>八:どう狙うんだ? おいらにゃさっぱり分からねえな。>源:つまりこういうことか? 元々「一黒屋」は、安いものをたくさん売るってことで繁盛してきた。高級呉服とは違って、夕飯のおかずを買うくらいの気持ちで買えるってことだよな? ということは、店に来てさえ呉れれば、少なくとも1品くらいは買っていく。そういうことか?>熊:そんなとこなんじゃねえかと。>源:ふむ。有り得ない話じゃねえな。もし本当にそういう目論見(もくろみ)があるってんなら、相当の切れ者か、然もなきゃ単なる山師(やまし)か、だな。>八:どういうことでやすか?>源:青物は、釣りの餌(えさ)ってことよ。>八:魚の?>源:例えれば、お客たちってのは、口をぱくぱくやりながら寄ってくる池の鯉(こい)ってとこだな。餌に騙(だま)されて寄ってきたけど、気が付いてみると、買わされたのは青物じゃなくって着物だったってことだ。>熊:賑(にぎ)わってりゃ、覗いてみようかなってのが江戸の庶民の人情ですもんね。>源:正(まさ)に、「鴨が葱を背負って来る」だな。>八:そりゃあ違いますぜ、親方。背負って来るんじゃなくって、鴨が葱を買いに来て、背負って帰るんでしょ?(つづく)---≪HOME≫
2007.10.22
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自分の可能性探しそれを探す一つの方法は---------------------------『真実は、偏見のない心でそれを探し求めている人にとっては、 見つけやすいものなのです。』 “ チョコレート・チップ・クッキーの父 ” ウォーリー・エイモス[訳注]は、「心は、パラシュートと同じで、 それを開いたときに最高の働きをする」という格言を好んでよく引用 していました。 可能性に向けて心を開き、情報を客観的に分析し、個人的な好き嫌い や先入観を捨てて物事を判断すれば、他人が見落としていた素晴らし い真実に気づくはずです。逆に、狭い心でいると、人生がもたらす最 も素晴らしいものを手に入れ損なってしまうのです。 真実を疑問視したり、自分の信念に固執するあまり真実を歪曲しよう としている自分に気づいたら、 「なぜそれほどにこの情報を受け入れたくないのだろうか?」 「自分は今、論理的な考え方をしているだろうか? それとも感情的になって判断が鈍っているだけなのだろうか?」 と自問してみましょう。 あなたが行ってしまう可能性のある大きな間違いとは、自分自身を納 得させて、間違った真実を受け入れようとしてしまうことです。他人 をだますことは良くありませんが、自分自身をだませば必ず大きな災 難に見舞われます。 [訳注]ウォーリー・エイモス アメリカのフロリダ州生まれ。両親のもとで育てられた後、12歳の 頃からマンハッタンに住む叔母と暮らす。ホテルの見習いからスター トし様々な職業を経た後、1975年『フェイマス・エイモス・クッ キーズ』を設立。 『自分の心を自分でしっかり掌握していれば、 成功することができます。』---------------------------------------- あなたの心が、あなたの最も貴重な財産であることは、疑う余地のな いことです。形ある財産をすべて失ったとしても、身につけた知識を 奪われることはありません。知識があれば、また新たに財産を築き、 新しい家を建て、欲しいものを何でも買うことができます。 誰もあなたの思考を支配することはできないのです。どんなにひどい 圧制者であろうと、あなたが応じない限り、あなたの思考を統制する ことはできないのです。 自分の心は自分で支配するという決断を意図的に行い、心を積極的・ 建設的思考で満たしてゆくとき、あなたは自分の人生を支配しつつあ るのです。あなたの心の中で優位を占める思考が、あなたが人生から 得るものを決定づけるのです。 --------------------------------------『偏狭な心でいると、幸運に出会っても、つまずくだけです。』 経験を積んでいない人の目には、晶洞[訳注]もただの岩としか映ら ないでしょう。しかし訓練された地質学者は、晶洞の中に美しい結晶 体が潜んでいることを知っています。 心を閉ざし、新しい可能性を探ることを拒否する人にも、同じような ことが当てはまります。 “ 人生の最大のチャンスも、たいていは、晶洞のように一見普通の 何の変哲もない姿をしている ” ものです。 惰性で意味のない行動を繰り返し、成り行き任せの人生を送るような 人間になってはいけません。例えば、職場に行くのでも新しい道を 通ってみたり、ジグソーパズルをやってみたり、テレビを見る代わ りに新聞を読んでみたり、昼休みの時間に美術館を訪れてみたりす れば、あなたの思考のプロセスが刺激を受け、新しい可能性に向け て心を開くことに役立つのです。 [訳注]昌洞(しょうどう) 鉱床または岩石中の空洞。普通、その内部に鉱物の自形結晶(その鉱 物固有の結晶面が発達しているもの)が並んでいるものをいう。
2007.10.21
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きっかけは何でも良いんです--------------------------------『ひと固まりのアイスクリームをチョコレートに浸して “ エスキモーパイ ”と名付けた人は、たった5秒のイマジネーシ ョンから創り出されたアイディアで巨万の富を築きました。』 神秘的な心のメカニズムについては、今ようやく解明され始めている ところですが、成功者は、自分の利益のために “ クリエイティヴ・ ヴィジョン ”を働かせる方法を、ずっと前から知っていたのです。 “ 斬新 ” なアイディアの多くは、実は、既知の製品やアイディア 同士を組み合わせたものにすぎないのです。けれども、そのような組 み合わせが、気の利いたネーミングやマーケティングに裏打ちされる ことによって、巨額の富をもたらすことがあるのです。 イマジネーションをかきたてる確実な手順があります。 ジェイムズ・ウェブ・ヤング[訳注]は、その著書『A Technique for Producing Ideas(アイディアを生み出すためのテクニック)』の中で 5つのステップを取り上げています。それは次の通りです。1.適切な情報を集める2.心の中で情報を様々な角度から徹底的に分析・検討する3.潜在意識の中で眠っていたアイディアについて具体的に考えてみる4.アイディアがひらめいた時の「わかった!」と思う瞬間を認識する5.ひらめいたアイディアを明確にし、さらに発展させることによって その内容を実践的なものにする このテクニックは役に立ちます。未解決のままになっている問題の解 決法を見つけたい時に、ぜひ試してみましょう。 [訳注]ジェイムズ・ウェブ・ヤング(1886-1973) アメリカのケンタッキー州生まれ。幾つかの仕事を経た後、世界最大 手の広告代理店、J・ウォルター・トンプソンへ入社。優秀な広告マ ンとして敏腕をふるった。------------------------------------- 『クラレンス・ソンダーズ[訳注]は、セルフサービス方式のカフェ テリアからヒントを得たアイディアを食料品の店に採り入れ、その 店を “ ピグリー・ウィグリー ” と名づけ、巨万の富を築きまし た。イマジネーションは、利益を生むのです!』 現在、アメリカに多くのチェーン店を持つスーパーマーケットである “ ピグリー・ウィグリー ” の創立者、クラレンス・ソンダーズは、 あるカフェテリアを訪れたときに、その店で使っていたセルフサービ ス方式を、食料品の販売店に採り入れるというアイディアを思いつき ました。その当時の彼は、町の小さな食料品店の一従業員にすぎませ んでした。 当初、専門家はクラレンスのアイディアをあざ笑っていたのですが、 彼は、絶対に良いアイディアだと固く信じていました。ソンダーズは 粘り強く努力し、“ セルフサービス方式を食料品販売のビジネスに 採り入れる ” というアイディアを実現することによって、 “ スーパーマーケットの父 ” と呼ばれるまでになりました。 “ 素晴らしいアイディアがあるだけでは成功できない ”というのは 多くの場合真実です。アイディアを実行するにあたっては、初めにア イディアを思いついた時と同じだけの、あるいはそれ以上の “ イマ ジネーション ” を要します。しかし、研究家によると、とても素晴 らしいアイディアを思いついた場合は、それが良いアイディアである ことが直観的にわかるようになるといっています。 自分の中にひらめいたものが良いアイディアであると確信できたら、 人から何といわれようと、あきらめてはいけません。 あなたのアイディアの価値が認められる時が、いつか必ず訪れます。 [訳注]クレランス・ソンダーズ 1916年、アメリカのテネシー州メンフィスに、アメリカで初めて のセルフサービス式食料品店“ ピグリー・ウィグリー ” を創立。 店内で客が買い物かごを持ち歩いて買いたい商品を自由に選択する方 式は、当時は目新しく画期的なシステムだった。 ちなみに彼はこのアイディアで特許も取得している。1953年没。
2007.10.20
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『亀(かめ)の甲(こう)より年の功(こう)』 (2002/04/15)『亀の甲より年の功』[=劫]「劫」は極めて長い時間のこと。「甲(こう)」を同音の「劫」にかけて言った言葉。人間にとって大切なことは年劫を経ることだ。長年の経験は尊(とうと)いものである。類:●The older, the wiser. ●Years bring wisdom.●Sense comes with age.(分別は年と共につくものだ)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>参考:この諺が成立したのは、「甲(かふ)」と「劫(こふ)」のような、開音(かいおん)と合音(ごうおん)の区別が失われた江戸時代以後と考えられる。*********さて、「蜥蜴(とかげ)の尻尾切り」をするように仕向けるのはどうすべきか、ということである。のんびりしていては、総元締めが決めた期限に間に合わない。>熊:ご隠居様、時(とき)がないからずばっと聞いちゃいますが、若年寄にどうやって「尻尾切り」をさせるんでやすか?>内:まあ、あたしに任(まか)せといてくださいな。>八:あ、分かった、上様に言うんでしょう?>内:八つぁん、そんなことをしたら大事(おおごと)になるって言ってるじゃないですか。>八:大奥のことを言わないでおけば、なんてことねえでしょ?>内:今回はなんでもなくたって、やがて大事になるでしょうね。なんといっても、大奥の不祥事は即(すなわ)ち上様の不始末ですから。>八:若年寄とかご老中とか、お城ん中の人たちのことでしょ? そんなこと、知ったこっちゃありませんや。>内:まあ、そう言いなさいますな。>熊:そうだよ、八。もう関わっちまったんだから、終(しま)いまで面倒を見ようじゃねえか。>八:おいらは親方と棟梁が無事なら良いの。後は野となれ山となれだ。>咲:八つぁんって冷たいのね。あたしは最後まで混ざるわよ。>熊:お咲坊は止(や)めとけったら。>内:まあ良いではありませんか。お咲さんもお夏さんも頼りになります。・・・ねえ、八つぁん。昔馴染みのお福の方様が悪いことに巻き込まれようとしているんですよ。ここで「知らん振り」では男が廃(すた)るんじゃありませんか?>八:おいら別に、廃(すた)れて困るような「男」なんか持ち合わせちゃいやせんから。>内:はは。随分投げ遣りに言いましたね。では、こうしましょう。八つぁんには別のことを頼みましょうか。>八:別のって、どんなことですかい?>内:間もなくここに、ある男が来ます。年回りは、お前さんと同じくらいです。その人の話し相手になってやってください。>八:唯(ただ)話をしてやってれば良いんですかい?>内:はい。ずっととは言いません。春には遠くへ行かなければならないそうですから、それまでの間だけです。>八:そんなんで良いんですか? >内:だって仕方がないじゃありませんか、八つぁんは政(まつりごと)のことなど「知ったこっちゃない」って言うんですから。>八:そりゃあそうですよ。若年寄が1人いなくなろうと、ご老中が新しい人に代わろうと、おいらたちにはなんのお零(こぼ)れもねえですからね。精々(せいぜい)お堀の水が臭(にお)わなくなるとか、真っ直ぐな道が普請(ふしん)されるとか、そんなとこでしょ?>内:なるほど。一理ありますね。・・・件(くだん)の男というのは、青山というお人なんですが、今みたいな話をすると殊(こと)の外(ほか)お喜びになるんです。>八:青山様ってえと、お武家様ですか?>内:とっても気さくな方です。>三:・・・あの? もしかしてその青山様って、皿屋敷の青山様とは全く関わりはありませんよね?>内:あちらは青山主膳(しゅぜん)といって、お旗本(はたもと)ですから、一切関わりはありませんよ。勿論(もちろん)、お菊さんも平塚の宿(しゅく)の人だそうですから、全くなんでもありません。>三:悪いもんを思い出させないでくださいよね、ご隠居様。昨日から変なことばかりで、おいら気弱になってるんですから。そんな無駄話に逸(そ)れていこうとしていたところへ、女中が顔を覗かせ、「青山様がお出(い)でになりました」と告げた。案内されてきたのは確かに、八兵衛たちとそれほど変わらない年恰好(としかっこう)の武士だった。>内:青山様、どうぞこちらへ。身分がどうのなどという余計な話はご無用に願いますよ。>青:また戯言(ざれごと)を。来た早々私の頑迷(がんめい)さを論(あげつら)わずとも良いではありませんか。見れば、梅の精の如きうら若い乙女たちまで居るというのに、恥を掻かさないでいただきたいですな。>内:はっは。・・・こういうお人ですよ。話が合いそうでしょう、八つぁん?>八:へい。でもね、こっちの方はどうでも良いんですがね、ご隠居。小豆(しょうど)の旦那と比べたら、なんだかもっと上の方みたいで、おいら粗相(そそう)しちまうんじゃねえかって、ちょっと落ち着かねえですね。>内:青山様。この人は八兵衛さんと申しまして、大工を生業(なりわい)としておりますが、然(さ)るお方とも親しい、不思議な人です。案外話が合うと思いますよ。>青:なに、あのお方と? ほう、それは面白(おもしろ)い。八兵衛とやら、苦しゅうない、近(ちこ)う。>八:へ、へい。・・・なんだか調子が狂っちまいますね。>青:そうか? まあそのうち慣れよう。>八:そうでやすね。・・・それじゃあ、青山様はご隠居のところに暫(しばら)く泊まりなさるんでやすか?>青:そのつもりじゃ。ちと、相談事もあるでな。・・・のうご老体。>内:そのことなのですが、実は、相談事は八つぁんが聞いて呉れるというのです。・・・そうですよね、八つぁん?>八:銭と女以外のことでやしたら、大方のことはなんとかしやしょう。>青:ほう、そうか。・・・成る程、面白い。あのお方が気に入るのも尤(もっと)もである。青山は一行の面構(つらがま)えを一通り見回して、少し物足りなそうではあったが、内房に何か考えがあるのだろうと信じて、話してみることにした。「それでは」と、八兵衛に向かって仔細(しさい)を話し始めた。内容はこうである。嘗(かつ)て寺社奉行所で勤めていた時分に配下だった者が、思わぬ難癖(なんくせ)を付けられて困っている。唯、その言い分というのが、政道に照らし合わせてみれば、確かに罪と取れないこともない。普通なら揉(も)み消してしまえることなのだが、今回のことには幕府の要職にある者が絡(から)んでいるらしい。咎(とが)というのは皆が当たり前のこととして慣例的に行なわれてきたことであり、突き詰めれば全員が罪人ということにもなり兼ねない。そもそも、その1人の与力だけが、何故(なぜ)槍玉に上がったのか、そこからして納得(なっとく)がいかない。>内:ねえ、小豆様。寺社奉行所の与力とは誰のことを指しているのか、お分かりですね?>小:やはり、拙者(せっしゃ)の弟なのですか?>青:なんと。こちらのお役人が、家島(いえじま)の兄者(あにじゃ)なのですか?>八:するってえと、「幕府の要職の或る人」ってのは、堀田摂津守(せっつのかみ)でやすね?>青:なんだお前たち。大工などが何故そのように、幕府の内情の如き微妙な事どもを言い当てられるのだ?>八:まだ有りますぜ。このことに関しちゃあ、大奥のお方様たちの色遊びや縄張り争い、それに、坊様たちの布施(ふせ)集めのことまで絡(から)んでる。そうでしょ?>青:うむ。儂(わし)もそのことは考えて居った。・・・しかし驚いた。>八:そうでやしょう? おいらなんか、もう、青山様が女中に連れられてこの部屋に顔を見せた途端(とたん)に、ぴぃんと来ちまいましたからね。きっと、おいらのことを必要としていなさるってね。それに、こういう微妙なことは、おいらみたいな一見暢気(のんき)そうな野郎の方が巧く立ち回れるんですよ。・・・ねえ、ご隠居。ご隠居もそう思うでしょう?>内:はいはい。やっぱり青山様にを救えるのは八つぁんしかいませんね。>八:その通り。やっぱりご隠居は良いこと言うわ。・・・で? おいら一体何をしてあげたら良いんでしょうかねえ?>内:そうですねえ。青山様に摂津守とお会いになることをお薦(すす)めしてはどうです?>八:そんなんで良いんですか? ・・・それに、それじゃあおいらの出る幕がないじゃありませんか。>内:大丈夫ですって。坊さんのお頭(つむ)をぽかりとやるようにできれば良いんでしょう?>八:ええまあ、そりゃあ、そうでやすがね。なんだか、物足りねえな。・・・例えばですよ。そうですね、摂津守の向こうっ面に拳固(げんこ)をお見舞いするとか・・・>内:お城の中の人たちとは関わりたくなかったんでしょう?>八:そんなの、昔の話じゃねえですか、ね、ちょっとくらい混ぜて貰っても良いでしょ?>内:駄目(だめ)ですよ。・・・少なくとも、今回は駄目です。もしかすると、お福の方様のときには、出張(でば)って貰うかも知れませんけど。>八:ほんとですね? 今の言葉、忘れないでお呉んなさいよ。熊五郎たちは、呆(あき)れ返って八兵衛の様子を見守っていた。「掌(てのひら)を返す」というのは、正(まさ)にこういうことである。尤も、視点を替えれば、内房老人の手の内に 丸め込まれたということである。この場合、八兵衛の好い加減さよりも、内房の言葉の巧みさの方を誉(ほ)めるべきなのだろう。>内:忠裕(ただやす)殿。お願いできますかな?>青:そんなことで済むのでしょうか?>内:いいえ。残念ながら済みはしますまい。ただ、摂津守が正(まさ)に今為(な)さんとしていることを阻止(そし)できるのです。恐らく怒りも心頭(しんとう)に発することでしょう。>青:そうですね。怒りは平常心を失わすものですからな。やがて襤褸(ぼろ)も出しましょう。>熊:・・・あの、できることでしたら、明後日(あさって)までに親方の濡れ衣(ぎぬ)を晴らしたいんですが。>内:その点はご安心なさい。摂津守も尻尾を掴(つか)まれる訳にいかないでしょうから、さっさと手を引くことでしょう。家島様の一件は「不問」ということになるでしょうから、撫道(ぶどう)を糾弾(きゅうだん)していただけるよう、青山様から口添えして貰いましょう。>熊:そこまでしていただけるんでやすか?>内:青山様、良う御座いますな?>青:無論(むろん)です。そもそも政事のごたごたが元なのですからね。遺憾(いかん)なきように取り計らいましょう。それに、この者たちには、また何かと働いて貰わねばならないようですからね。>熊:ご高配、忝(かたじけな)いことでやす。>内:八つぁんには、腹の探り合いみたいで、まどろっこしいでしょうけど、まあ、我慢してくださいね。>八:微妙なことなんでやしょう? 仕方ねえじゃありませんか。>内:分かって呉れますか?>八:だって、厄年(やくどし)ってものは本人より弟子に降り掛かるもんでしょ? 親方のためならエンヤコラ(※)でやすよ。ま、気長に行きやしょう。>熊:弟子じゃなくって、親だっての。(第13章の完・つづく)---≪HOME≫※お詫び:時代考証を誤っています。「父ちゃんのためならエンヤコラ」は、丸山(三輪)明宏さんの『ヨイトマケの唄』昭和40年(1965)の歌詞であり、1802年当時「エンヤコラ」という言葉があったとしても、このような文脈で使われていたとは思われません。
2007.10.19
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「目線を合わせたら熱意が伝わった」私はカウンセラーの仕事をしています。あるとき小学校の先生を前に「通常学級の中にも、LD,ADHD、高機能自閉症という発達障害の子どもがいることがわかってきました・・・」と、私は話を始めたのですが、とうとう終わりまで聞き手の顔を見て話すことができませんでした。たまに目線を落としてみても“今日は参加者が少ないなー・・”とか、“あっ、あの人寝ちゃった・・・”しばらくしてまた目線を落としてみると“あっもう一人寝た”“またもう一人・・・”と次々に寝てしまうのです。“何で寝るの・・・研修中よ! 起きなさい!”“もう・・・チョーク投げちゃうぞ!”と心の中で叫んでいました。話を終えると校長先生が「いやぁ、今日は寝ている人が多くてすみませんでしたね・・・」「いいえ。皆さんお疲れなんですね」「ところで、緒方さん天井にアスベストでも着いていましたか?」「ええ・・・?」「いや、上を向いて話をされるから・・・ハ、ハ、ハー」きついひと言でした。その夜は、一人98円の缶チューハイを開けました。話し方教室で、初めて実習をしたとき、「緒方真理です」と自己紹介をすると、「どこを見て話をしているんですか? 話は聞かれる前に見られているんです」と先生に教えていただきました。それからは、“聞き手の顔を見て話をしようと”心に決めました。そのかいがあって、先日の研修会では「落ち着きのない子どもには、ADHDの傾向があることがあります。ADHDは例えて言えば、ブレーキの効きにくい車のようなもの。早く気がついて対応してあげれば、力を発揮できるんですよ」と、聞き手の顔を見ながら自然体で目線を合わせて話をすることができました。研修終了後、「いやーお話が上手ですね」(えっ、そんなこと言われたの初めて)「しっかり見ながら話してくれたので、内容がスーッと入ってきました」「ほんとうですか?・・・」「今日教えていただいたことさっそく学校でやってみます」ああ、よかった・・・天にも昇るような気持ちでした。その晩は5千円のワインを開けました。生まれて初めて、人前で話すのが楽しいと感じました。自分が自分じゃないみたい。「目線を合わせると話と一緒に熱意も伝わる」ということを実感いたしました。これからも「ADHDなどの子どもの接し方」を聞き手一人ひとりに伝えていきます。 (平成19年7月話し方教室修了式スピーチより一部抜粋)■今日のポイント「目は口ほどに物を言い」───────────────────────────────────目の力を効果的に活かそうスピーチをするときに困るのが目のやり場ではないでしょうか。たくさんの人に見られていると思うと、その視線に負けてつい伏し目勝ちになります。下を向く人、天井を見つめる人、横を見る人、様々なタイプがあります。しかし、自分の顔をみず、ソッポをみて話をされたのでは聞き手はよい感じを持ちません。以前にもご紹介しましたが聞き手はあなたの敵ではないのです。あなたの味方であり、友だちであり、“頑張れよ”とみな励ましてくれているのです。だから自分も親しみをこめ、笑顔を浮かべて聞き手を見つめることです。緊張のあまり、親の仇にでもあったかのようなこわい顔をして話をする人もいますが、これも好ましくありません。話をしているとしきりにうなずいて聞いてくださる人が必ずいます。そういう方を早く見つけて、その人に話しかけるようにしますと心が落ちつきます。ただ始めから終わりまで、その人だけを見つめていたのでは他に人がシラケます。そこで気持ちが落ちついたら会場の前から後ろ、真ん中から斜めというように、全体をS字型でも反対のZ型でもいいですから順番に見廻します。この時に目だけをキョロキョロ動かすのも不自然です。顔と体を一緒に向けて見るようにします。そしてうれしい話のときにはうれしそうな輝いた目と表情、悲しい話しのときには目と顔を少し伏せた悲しそうな表情、真剣なときにはキッとした目つき、考えるときには中天に目を向ける・・・など、目と表情を活き活きと効果的に使うことです。聞き手をひきつけるスピーチは、目と表情と言葉と声が必ず一体になっています。目の力を効果的に使いましょう。
2007.10.18
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「腹式呼吸が私をかえた」会議で私の発言の順番が近づいてきます。「アァ・・・どうしよう。もう心臓が破裂しそう・・・」朝礼のスピーチ当番が近づいてきます。「モ・・・憂うつ。明日お腹か頭痛で休んじゃおかな・・・」「嫌い、怖い、苦手」この3つがすっかり定着して逃げ回ってばかりいました。私の異常さはもしかして先祖からのもの・・・それほどひどいものでした。身体はこんなに縦、横に立派なのに・・・「くやしい!!」と思っていました。これではいけないと思い、教室に通うことにしました。教室で「あがりを抑えるのに効果的なのが“腹式呼吸”ですよ・・・」と教えていただきました。息を吐くことで“副交感神経”に働いて気持ちを落ち着かせてくれるそうです。「息を吐くことが大切なんだ・・・」だったら私にもできる。即実行です。私は「1日、1回、30秒」を20回に分けて繰り返し練習することにしました。電車の中やお風呂の中、歩きながらでも「スーハー」「スーハー」と、とにかく練習を続けました。お陰様で今では間違いなく生活の一部になりました。そして、なんとその効果が現れたのです。いつもより特に念入りに腹式呼吸をして臨んだ教室の実習のときでした。なんと教室の代表に選ばれたのです。思わず叫んでしまいました。「ウソ・・!! 信じられない・・・もう本当に・・・」私は充分な準備をして、場数を踏む。その延長線上に「腹式呼吸」があると思います。これからも継続して腹式呼吸を続けます。そして逃げ回ることなく、人前で堂々とスピーチをしてまいります。 (平成19年6月『話し方教室』修了式成果発表コンクールより一部抜粋)■ 今日のポイント「腹式呼吸で気持ちを落ち着ける」──────────────────────────────────深呼吸をすればぐっと落ち着く私たち人間には感情があります。この感情は以外に厄介なもので、自分の思いどおりにならないことがあります。朝起きたときに、取り立ててなんの理由もないのに、なんとなく気が重かったり、不機嫌だったり。そんなつもりはないのに、ついつい家族に八つ当たりしてあとで後悔しても、なぜ自分がそのような行動をとってしまったのかよくわからない・・・。人間の感情は自分のものでありながら、理性で操作するのがとても難しいものです。「スピーチするのが怖い」というのも、これに似ています。頭のなかの理性では「大勢の人の前で話をしたからといって命をとられるわけでもない。何も恐れるものはない」とわかっていても、怖いという感情、あがるという現象を抑えることができません。このような場合に、自分でコントロールできる効果的で簡単な方法があります。その方法とは、朝起きて気分が晴れなかったとしても「今日はいい天気で、気分がいいな」と言って、「ワッハッハ!」と大声で笑うのです。何もおもしろいことがないのに笑えるか! という人もいらっしゃるかもしれませんが、とにかく一度やってみてください。無理やりでもなんでもいいので、とにかく大きな声で「ワッハッハ!」です。3,4回繰り返してやっていると、意外なことに気分が軽くなってくるのを感じます。これは脳の理性が体に笑えという指令を出すことで、感情のほうもつられて笑っている時の状態になるからです。理性と感情との間に行動を入れることで、感情をコントロールすることができます。無理にでも大声で笑ったり笑顔を作ったりすれば、感情が行動とともなって明るくほぐれてくるのです。スピーチであがるときも、これと同じです。理性でいくら「怖いことは何もない」とわかっていてもあがりそうなら、行動を起こしてみましょう。このときに効果的なのが深呼吸です。それも腹式呼吸。自分が話す直前になったら、大きく息を吸ってお腹を膨らませます。吸いきったところで1・2秒数え、それからゆっくりと息を吐き出します。このときに、お腹が背中にくっつくくらいまでへこませます。5秒くらいかけて吸い、10秒くらいの長さでゆっくり吐き出します。これを何度か繰り返すうちに、自然と気分が落ち着いて、あがりかけていた気持ちも収まってきます。そしてもうひとつ。緊張でガチガチに固くなっている肩をほぐすのも効果的。腹式呼吸のあと、肩を何度か上下に動かしてみます。肩を上にあげて、ストンと落とす。肩を前後に回す。これで肩がほぐれてくれば、体に入っていた無駄な力が抜けて、気持ちもリラックスしてきます。気分を静めるもっとも効果的な方法ですから、ぜひ試してみてください。
2007.10.17
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『剃刀(かみそり)の刃(は)を渡(わた)る』 『剃刀の刃を渡る』失敗したら大怪我をするような、危険な行動をすることの喩え。類:●刀の刃を歩む●薄氷を踏む●氷を歩む●氷を踏む*********正月2日、朝。三吉と四郎が迎えに行くと、小豆内海は身繕(みづくろ)いを済ませ、無精髭も剃り、すっきりした顔で待ち受けていた。腫(は)れぼったかった赤ら顔から酒気が失せているせいか、昨晩より幾歳か若返ったように見受けられた。>小:内房のご老人は、矢張り、風体(ふうてい)とか姿勢に煩(うるさ)いのであろうな?>三:ご隠居さんがですか? いいえ。全然でやす。>小:しかし、上様にご意見なさるほどのお方、下手な格好なぞしては伺えまい。>三:「ご意見番」とは言われてやすが、結局は、旅籠(はたご)の隠居ですぜ。気にしなくても大丈夫ですって。>小:そうか? ・・・しかし、なんとも、心配ではあるな。>四:小豆様。昨夜、八兄いが「臭い仲」って言ったの覚えてらっしゃいますか?>小:どういう間柄なのだ? 真逆・・・>四:いえ、大したものじゃあないんです。八兄いが厠(かわや)を借りに行ったら、偶々(たまたま)開けた雪隠(せっちん)にご隠居がしゃがんでらしたそうなんです。それだけですよ。>小:それで、「臭い仲」なのか? 八兄いというその方(ほう)らの上役はまったく変わって居るのう。>三:ですがね、雪隠で鉢合わせしてから、世間話をし始めたら、豪(えら)く気に入られちまって、今でも月に2、3遍はお茶を飲みに行くんですぜ。>小:ほう、それは凄い。>四:そんなご隠居ですから、どうぞ、お気兼ねなくお振る舞いください。>小:そうか。それなら、一安心だが。>三:でも、お侍(さむらい)様には厳しいかも知れませんぜ。びしいーっと、やられるかも知れませんねえ。>四:こら、三吉。折角(せっかく)緊張を解(ほぐ)そうとしてるのに、それじゃあ元の木阿弥じゃねか。>三:済みません、旦那。揶(からか)っただけですって。八兄いが一緒に居れば、いつだってにっこにこなんですから。>小:意外に、頼りになる上役なのだな、八兄いというのは。>三:ご冗談でしょ。内房の旅籠には、熊五郎八兵衛以下、五六蔵、太助、与太郎、そしてお咲とお夏が勢揃いしていた。旅籠だけに、広い部屋なら幾らでもある。内房老人は、「至福」と言わんばかりに顔を綻(ほころ)ばせていた。>内:正月2日から、賑(にぎ)やかで結構ですね。隠居の年寄りのところになんか、そうそう客など来るもんじゃないんですがねえ。なんだか、盆と正月が一緒に来たようです。>八:ご隠居、お盆がこんな寒いときだったら、ご先祖様の霊も寒くて適(かな)わねえじゃねえですか?>内:ほっほっ。喩(たと)えですよ。嬉しいことが2倍来たということです。>八:なあんだ、そういうことですか。おいらまた、正月にも魂が戻ってくるんじゃねえかとはらはらしちまいましたよ。>内:魂というものは、季節や刻限に関係なくそこいらにあるものです。盆に限ったものじゃないんですよ。>与:そうですよ、八兵衛さん。三吉さんたちは、お菊さんを見てきたってことですから。>八:なんだいそりゃ? 菊人形は秋だろ?>内:・・・なるほど、皿屋敷ですね。そう言えば、小豆内海の役宅は番町でしたね。八つぁん、中々面白い芝居ですよ。肝の細い人には、それどころじゃないんでしょうけどね。>八:ああ皿屋敷って、女の幽霊の話ですよね? おいら、どうも駄目なんですよね。>内:おや、八つぁんは幽霊が苦手なんですか?>八:いやあ、お化けくらいなんてことありませんや。おいらが怖いのは、恨みを持った女ですよ。どうにも始末が悪い。>内:おや、女好きの八つぁんにしては珍しいことを言い出したもんですねえ。どういう風の吹き回しです?>八:お福ちゃんっていう「禍(わざわい)の元」が居たっていう、そんな下らねえ話ですよ。>内:はて、お福さんですか? つい最近聞いた名前ですね。>八:そうでやすか。そいつは奇遇ですね。似たような名前なら幾らでもありますからね。>内:そうですね。私が聞いた話は、大奥のお福の方ですから、関係ある筈はありませんよね。>八:な、なんでやすって?>熊:ご、ご隠居。真逆そのお福様ってのが、今回の一件に絡(から)んでるなんて訳はありませんよね?内房老人が聞いてきた話では、どこぞの寺の住職と密通しているという話だった。大奥のお方様たちは、代参(だいまい)りという名目で寺社を訪れ、小姓やら住職を侍(はべ)らせて、大いに息抜きをしているというのである。中でも最も派手に振る舞っているのがお福の方で、その奔放さたるや目に余るものがあると、こういうことである。>熊:そいつは、あのお福ちゃんに違いねえ。>八:もしかして、堀田なんとかって若年寄と関係あるなんてことはねえですよね?>内:なんと? 撫道の後ろに付いているのは摂津守だというんですか?>熊:そうだって言ってました。>内:うーむ。これは・・・・>熊:微妙な問題になってきちまいましたね。>八:ご隠居までそんな渋い顔なさらねえでくださいよ。なあに、ご隠居の手に掛かれば若い年寄りの1人や2人、ちょちょいのちょいでしょ? なんてったって、年寄りの年季が違いますもんね。そこへ、小豆たち3人がやってきた。小豆は畏(かしこ)まり、内房の前に、まるで潰(つぶ)れた蛙のように平伏した。>内:まあまあ小豆様、お手をお上げくださいまし。町人相手にそのように遜(へりくだ)らなくても良いではありませんか。>小:そうは申せど、ご老体は上様ご昵懇(じっこん)のお方。武家も同然、いや、それ以上のお方です故。>内:そう持ち上げなくても良いではありませんか。ここは役所でもお城でもなんでもないんですから。>小:しかし・・・>内:しかしも案山子(かかし)もありません。黙ってお従いなさい。>小:は、ははあっ。>内:それがいけないって言うんですよ。まあ、直ぐに改めろとは言いませんから、もっと、お気楽になさいまし。・・・そんなことより、摂津守のことを聞かせてください。>小:はっ、なんなりとお尋ねくださりませ。拙者にお答えできることでありますれば、包み隠さず申し上げ奉りまする。予(あらかじ)め予想していたが、それにしても酷(ひど)過ぎる凶状の数々だった。鼻の利く者はどこにでも居るということなのだろうか? それとも、類は友を呼ぶの言葉通り、集まってくる悪人はそこら中に居るということなのだろうか?名前を挙げようとすれば、疑わしい者だけでも、錚々(そうそう)たる顔触れである。今のところ、直接的には、やくざ者との繋がりは見られないが、末端では、間違いなくたくさんの「親分さん」たちが蠢(うごめ)いているのだろう。>八:ねえご隠居。堀田って人が、とんでもなく悪い野郎だってことは分かるんですけど、生臭坊主なんか使って、いったい何をしようとしてるんでやすかね?>内:味方を増やそうとしているのでしょうね。>八:味方って、若年寄って肩書きがあれば幾らでも味方なんか居るでしょう? それに、役職を決めてるのは上様なんだから、考えようによっちゃ上様だって、仲間ってことになりゃあしませんか?>内:はは。八つぁんにしちゃ珍しく、理路整然としたことを言いなすったね。・・・ですが、ちょっとだけ勘違いしてます。上様は特別なお方で、誰の味方もしません。そういうものなんです。>八:はあ? なんだかさっぱり分かりませんが。>内:分からなくても良いんです。・・・そんなことより、肝心なのは、誰を味方に付けようと画策しているかということです。>八:誰なんで?>内:八つぁんの良く知っている、お福の方なんじゃないかと思います。>八:お福ちゃんなんですか? だって、元々はおいらんとこの近所に住んでた町娘ですぜ。>内:出自がどうかなんていうことは関係ありませんよ。要は、今のお福の方がどれだけ力を持っているかということです。>八:そりゃあ、昔っから物凄い力持ちではありやしたが?>熊:そういう意味じゃねえって。つまりだな、どれだけのお侍を顎(あご)で使えるかってことだ。>八:なんだと? お福ちゃんが顎の力も強かったのなんて、お前ぇ良く知ってるな。おいら全然知らなかったぜ。>熊:そうじゃねえって。命令しただけで、お侍さんを使うってことだよ。>八:するってえと何かい? お福ちゃんってそんなに偉くなっちまってるってことなのかい?>熊:そういうことなんだろうな。>内:まあ、町内で暮らすあなたがたにお城の在(あ)りようなど、耳にすることもないでしょうね。況(ま)して、大奥の事情は、表向きには秘密になっていますからね。>八:へえ、そんなもんなんですかね? ・・・でも、上様のお手が付いたってだけで、どうしてそんなに偉くなれるんです?>熊:真逆、お世継ぎを生んだってことじゃねえですよね。>内:お子は産んでおられるが、姫様だそうです。ただ、どうしたことか、上様はこの姫様が殊の外お気に入りのようで、度々お福の方にお声掛けをなさる。周りの人たちは、お福の方を粗末には扱えなくなる。そういうことで、自然と取り巻きが増えてくるんですよ。>八:でも、さっきご隠居が言ったような、不埒なことをしてるんでしょ? 駄目じゃねえですか。>内:堀田のような者が、自分の味方に抱き込もうとして、「蜜(みつ)の味」を覚えさせるんです。見方によっては、被害者なのかも知れませんね。>八:そんなこと言ったって、悪いことをしてるには違いねえんでしょう? 上様に言って叱って貰った方が良いんじゃねえですかい?>内:そう簡単には行かないんですよ、八つぁん。>八:ご隠居ならそんな面倒なことじゃねえでしょう? なんならおいらから斉(なり)ちゃんに言っても良いですよ。>内:お福の方一人じゃ済まなくなるんですよ。例えばですよ、同じような「蜜」を舐めたことのあるお方様たち全員がお仕置きを受けることになったらどうします? お方様の中にはお大名の姫様だっていらっしゃるんですよ。それらが裏で図(はか)って「将軍家転覆」でも企ててみなさい。そうでなくても参勤交代に泣かされている藩は無数にあるんですからね、あっという間に戦国の世の中に逆戻りです。>八:喩(たと)え話ですよね。そんなことになる筈なんかある訳ないじゃないですか、ねえ。ご隠居もお人が悪い。>内:夢物語を話している訳じゃないのです。1つ歯車が狂うととんでもない方向へと転がり始めてしまう。幕府というものは、いつの世でも、そういう風に危なげに在(あ)るものなのです。>八:ってことはですよ、お福ちゃんについては、おいそれとは手を出せねえってことでやすか?>内:今のところは様子を見るしかなさそうですね。>八:それじゃあ、布団を引っ被って寝てる親方たちはどうなるんです?>内:そうですね、撫道とその徒党を懲らしめるくらいなら然したる問題はないでしょう。堀田にとって撫道どものことは、いつでも切れる「蜥蜴(とかげ)の尻尾」でしょうからね。>八:するってえと、お福ちゃんの方は、切れると墜落しちまうってことで、「凧(たこ)の尻尾」でやしょうかね?(つづく)---≪HOME≫
2007.10.15
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『果報(かほう)は寝(ね)て待(ま)て』 『果報は寝て待て』幸運はそのうち自然とやって来るから気長に待つべきだということ。焦らないで待っていれば、良い報(しら)せはいつか必ずやって来る。類:●待ては甘露の日和あり●Everything comes to those who wait.●The net of the sleeper catches fish.(寝ている人の網に魚が懸かる)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>*********罷免(ひめん)という話まで持ち出されては、小豆内海(しょうどうつみ)も、心中穏やかではない。相手が、いくら町人どもとはいっても、男7人に囲まれては手も足も出ない。それに、案外、酔いが回ってきてもいた。>八:旦那の話に出てきたその若年寄というのは、いったいどういうお方なんですか?>小:将軍家の取り巻きだ。>八:へ? 斉(なり)ちゃんの?>小:なんと? 上様のことを、さも親しそうにそのような呼び方をするな。この罰(ばち)当たり目が。>八:へへーんだ、罰なんか当たるもんですかっての。・・・そんなことより、その「お気に入り」は、もしかして、悪いお人なんですかい?>小:儂(わし)の口から言うのもなんだが、相当な悪(わる)だ。大奥や寺社とも繋(つな)がって居る。>八:うへえ、大奥ですかい? こりゃあ駄目だ。おいらもう、手を引かして貰いやす。>熊:何を言ってやがる。将軍様が怖くもねえお前ぇが、どうして大奥と聞いただけで怖じ気付くんだ?>八:怖じ気付いてる訳じゃねえんだよ。なんてんだろうな、おいらは、女の人には刃向かわねえって、決めてるんだ。>熊:なんだと?>八:だってよ、昔、近所のお福ちゃんの飴玉をくすねたことがあったんだがよ、向こう半年も盗人呼ばわりされたんだぞ。辻て会うたんびにおいら、飴玉を1個ずつ買わされたんだ。まったく、女って生きもんはよ、1のことに仕返しするのに1じゃ気が済まねえで、その上、腹の虫が治まらなきゃ、一生涯だって仕返しし続けるんだ。>熊:そりゃあお前ぇ、相手が悪かっただけだろ。お福ちゃんならおいらも知ってるけど、利口なやつなら、端(はな)っから関わろうなんて思わねえよ。>咲:そんな物凄い人なの? お福さんって。>熊:ああ。長持(ながもち)を5つくらい積んで駆けてくる大八車みてえな女だ。近寄ったら跳ね飛ばされちまう。>咲:体付きが?>熊:それがよ、見た目は定吉んとこのお杉ちゃんと大して違わねえってんだから不思議だよな。>八:お福ちゃんの話はもうもうそれくらいにして呉れよ。「噂をしたら影」なんてことになったらどうするんだよ。>熊:そんな都合良く現われるもんか。・・・たしかお福ちゃんは、年季が明けてからどっかへ嫁に行ったんじゃなかったか?>八:嫁になんか行くもんか。お前ぇ、なんにも知らねえんだな。>熊:なんだよ。でも、もう何年も見掛けてねえぞ。>八:だからよ、・・・。恐れ多くも、お、大奥に居るんだとよ。>熊:なんだと? 将軍様はどっかとち狂ってるんじゃねえのか?>八:だろ? ・・・折角、厄介払いできたと思って安心してるとこへ、大奥の話だろ? おいら、「一抜けたぁ」だ。お福のことを知っている熊五郎には、八兵衛の気持ちが分からぬでもなかった。しかし、若年寄1人を懲らしめようとするだけで、大奥に関わろう筈もなし、況(ま)してその中の特別な1人と面と向かう筈など、殆ど在り得ない。皆で寄って集(たか)って宥(なだ)め賺(すか)し、どうにか八兵衛を落ち着かせた。>八:まあ、考えてみればそれもそうだよな。いくらその若年寄が繋がってるってったって、今回のことは大奥なんかよりもお寺の方が、よっぽど関係が深いもんな。>三:そうでやすよ、八兄い。坊さんってったら揃いも揃って男でやすから、まったくもって障(さわ)りも何もありませんよね。>四:当の若年寄ご本人も男ですから、言うまでもなく、大丈夫ですよね。>八:そうだな。男ばっかりなら怖いものなんか1つもありゃしねえよな。よーし、この件は、どーんと八兵衛さんに任せときなさい。>三:その調子その調子。>熊:おいお前ら、八をあんまり調子付かせるんじゃねえぞ。後の始末に困る。>八:何を言う。おいら抜きじゃ転がる車も転がり出しゃしねえだろ?小豆の背後で糸を引いていた若年寄は、堀田という家の出で、代々摂津守(せっつのかみ)を務(つと)める者だった。上役への取り入り方が巧く、おべっか・賄賂・女と、使えるものならなんでも使ってきたという。胡麻擂(す)りで出世してきたということは、周りにそれを喜ぶ上役が蔓延(はびこ)っているということである。熊五郎は、話が途方もない広がりを見せ始めたので、前途に不安を覚えた。「これはちょっとやそっとじゃあ片付かない」しかし、総元締めから申し渡された期限はあと3日。実質、丸2日と半日しか残されていないのだ。>熊:ねえ、小豆様。こんな話を持ち出して申し訳ねえんですが、おいらたちの仲間になっちゃ呉れませんか?>小:なんと? つまり、当初の話通りということか?>熊:違いますよ。おいらたちは別に仕事に溢(あぶ)れてる訳じゃねえですし、小豆様が出世なさるって話も捏(でっ)ち上げなんです。>小:なんと。・・・いや、矢張りそうか。そんなことじゃないかと思った。>熊:もう一度お聞きしやす。仲間になっちゃあ呉れやせんか?>八:おい熊、こんな使えそうもねえ飲んだくれを仲間にしたって仕様がねえんじゃねえのか?>熊:お前、ご本人の前で、よくずけずけと言えるもんだな。>八:こういう性分なの。>熊:性格は仕方ねえとしても、これから力になって貰おうってお方をそんな風に言うもんじゃねえ。>八:本当に力になるんならな。>熊:止せったら。>小:・・・いや、構わん。そう言われても仕方のない男だよ、儂は。おべっかも使えない、財産がある訳でもない、もし女があっても上役に渡すくらいなら自分のものにしたい。これじゃあ鮗(うだつ)が上がらないのも当然だ。>咲:小豆様。それが分かれば十分なんじゃありませんか?>小:分かったからと、どうなるものでもない。>咲:違いますよ。自分の立っている位置が分かったということは、もうそこより悪い方へは行かないということです。そうじゃありませんか?>小:そうなの、だろうか? ・・・お主のような娘に諭(さと)されようとはな。>咲:あら、申し訳ありません。差し出がましい口を利いてしまいました。>小:とんでもない。儂には、お主が如来のように見えて居るわ。>八:お咲坊、天女の次は如来様だとよ。まったく、世の中の男どもはいったいどこに目を付けてるんだろうな?>咲:八つぁん!>八:はは。ちょいとばかし調子に乗り過ぎたか? ・・・なあ四郎、小豆の旦那みたいなのを「解脱(げだつ)」っていうのかな?>四:ちょっと違うようですが、煩悩(ぼんのう)のことを「盆の法事」とかって言ってる人よりはよっぽど近いようです。>八:なんだお前ぇ、あん時は寝てたんじゃなかったのか?>四:寝てました。さっき、番町へ向かいがてら三吉から聞かされたときは、腹の皮が捩(よじ)れるかと思いました。>八:お前ぇ、もしかして、おいらのことを馬鹿にしてるのか?>四:滅相もありません。大受けするほど気の利いたことを仰ったんですよ、八兄いは。>八:そうか? そんなに気が利いてたか? そうかそうか・・・武士たるものが大工どもの仲間になぞなってどうするのかと、最後まで抗(あらが)い続けていた「体面への執着」がぽろりと落ちた。>小:なんだか、お主たちの話を聞いていると、出世とか妻帯とかに躍起(やっき)になっている自分が、矮小(わいしょう)な存在に思えてくる。>熊:仲間になっていただけるんでやすね?>小:儂はこれまで、潔(いさぎよ)い一生とは、1つの目標だけに向かって形(なり)振り構わず邁進(まいしん)するものとばかり考えて居った。同僚は皆競争相手で、如何に有力な伝手(つて)を手に入れるかで、将来が違ってくるとな。・・・しかし、気付かぬうちに変わってしまっていたのだ。手を差し伸べてくれていた同僚の手を打ち払い、有力者からは良いように捨て駒にされる。そんな男に成り下がって居った。現状にしがみ付いて、「安定こそが潔し」と考える男にな。>熊:小豆様・・・>小:済まん。酒を食らって愚痴を垂れるようじゃ、老い先も知れたものだな。そうよな。どうせ短い人生なら、お主らに賭けてみるのも悪い選択ではないな。一生に一度くらいは良い転機が向こうの方から訪れるときがあるものだ。>熊:有り難う御座います。>八:あーあ、また、むさ苦しいのが増えちまったか。>小:それで、拙者はこれからどうすれば良いのだ?>熊:今日のところは一旦お帰りください。>小:帰っても良いのか? もしかするとこのまま、彼(か)のお方のところへ駆け込むかも知れぬのだぞ?>熊:そんなことなさる道理はありませんや。>小:どうしてそう言い切れるのだ?>熊:そんなの口じゃあ説明できませんや。四郎、お前ぇはどう思う?>四:へい。夕刻にお屋敷の木戸から出てきた小豆様より、すっきりしたお顔をしてるように思います。・・・こんな答えで良う御座いましょうか?>小:まったく、お主らという者どもは・・・>熊:それでは、明日、早い時間にお迎えを遣りますので、ご同道ください。何分にも、お年寄りは朝がお早いものですんで。>小:お年寄りとは?>熊:内房のご隠居様です。>小:なんと。あの煩型(うるさがた)のか? 先ほどその如来様が言っていた「後ろ盾」というのは、内房老人のことなのか?>熊:まあ、そう思ってくれても構わねえですし、もっと別のを出して欲しいってんなら、そうもいたしましょう。>八:おいらの友達なんですぜ。凄いでしょ? 「臭(くさ)い仲」ってやつで。小豆は、千鳥足にもならず、真っ直ぐ歩いて帰っていった。夜道を素面(しらふ)同然で歩くなど随分久し振りだと、北叟笑(ほくそえ)んでしまっていた。若年寄からの呼び出しにどきどきさせられることもなく、今夜はぐっすり眠れそうだと考えていた。もしかすると、明朝目覚めたとき、自分が別の人間になっているのじゃないかと、信じ込みたい気分だった。>八:なあ、熊よ。小豆の旦那を仲間に引っ張り込むなんて、お夏ちゃんの筋書きにはなかったじゃねえかよ。>熊:まあ堅いことを言うな。要は、寝正月を決め込んでる親方と、棟梁とに難が及ばねえようにすりゃ良いんだろ?>八:本当に大丈夫なんだろうな?>熊:多分な。>八:多分なじゃ困るじゃねえかよ。布団を引っ被ってる親方だって、それこそ「枕を高くして眠れねえ」ってもんだよ。>熊:分かってるよ。・・・けどよ、この一件はよ、一筋縄じゃあいかねえぞ。なんてったって、若年寄だからな。下手をすりゃあ、おいらたち全員の首が飛ぶんだぞ。>八:真逆。高(たか)が「爺(じじ)いと呼ぶにはちょっと早い年寄り」だろ? なんてこたあねえやな。>熊:「若年寄」ってのはだな、ご老中の直ぐ下の役職の名前だってんだ。>八:なんだそうなのか? おいらまた、いつか大きくなれるって夢を持ったまま年食っちまった人なのかと思ったぜ。そうか、そりゃあ良かったな。大きくなるどころか、偉くなっちまったじゃねえか。長く待ってりゃ良いこともあるってことだよな?>熊:そういうことなじゃねえだろ。
2007.10.14
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『イマジネーションは “ 心の作業場 ” です。 自己実現へ向けた、すべての計画は、そこで形作られます。』 何か価値あるものを形作る場合は、まず最初に心の中でそれを作って みなければなりません。あなたの心には物理的な限界がありません。 だから、あなたの “ 心の作業場 ” では、今までには存在しなかっ た物事についても、それを視覚化することが可能なのです。 アルバート・アインシュタイン[訳注]は、「光線にまたがって世界 の果てまで行くとしたら、宇宙がどのように見えるのだろう」と考え ていたそうです。そうして相対性理論が生まれ、それを証明するため の公式を考え出したのです。 イマジネーションを駆使して、困難な問題の解決法・新しいアイディ ア・目標を達成した自分の姿などを視覚化することは、あなたにもで きるのです。 [訳注]アルバート・アインシュタイン(1879-1955) 物理学者。ドイツのウルム生まれ。チューリヒのスイス連邦工科大学 で物理と数学を専攻。 卒業後、スイス特許局技師の職に就く(1902~1909)。 1905年より学術誌『物理学月報』に特殊相対性理論を含む理論物 理学の三つの論文を発表する。 1921年、光電効果の法則と理論物理学の分野の研究で、ノーベル 物理学賞を受賞。『物事のより良い進め方を知っているのなら、 あなたのアイディアは巨万の富に値するかもしれません。』 いかなる種類のビジネスであれ、そこで最も有用となるアイディアは “利益につながるアイディア”や “経費の削減につながるアイディア”や “ 時間の節約や仕事のやり方の改善につながるアイディア ”です。 どんなに些細であっても、“ 改善 ”を行うことは、正しい方向への 一歩となるのです。物事を改善するチャンスに敏感であることは、積 極的心構えの作用の一つです。可能性に期待するのではなく、リスク にばかり気を取られているようでは、チャンスについて創造的に考え ることなどとても無理なのです。 自分の業務の進め方を改善する方法や、より速く・より良く・より経 済的に製品を生産する方法を模索する場合は、必ず詳細な検討を行う ようにしましょう。そして、リスクを最小限に抑えつつ、可能性に注 目することです。 『心は、働かせることによってのみ成長するもので、 何もしないでいると退化してしまうのです。』 規則正しく運動することによって肉体が鍛えられるように、常に強い 心を保つためには、規則正しく働かせることが必要なのです。自己の 成長のための計画の中には、“ 知的な刺激をたくさん受ける ”こと を必ず盛り込んでおきましょう。 イマジネーションや、視覚化の脳力を伸ばす一番良い方法は、読書を することです。本を読んでいるうちに、心の中で言葉をイメージに置 き換えていくようになります。そのイメージが、本の内容を深く理解 する上での助けとなるのです。 熱心な読書家になりましょう。新聞・専門誌・自己開発の類の書・小 説などを読みましょう。すべてあなたの知識を豊かにするだけでなく 視覚化の脳力や、イマジネーションを効果的に働かせる脳力を育てる のに役立ちます。
2007.10.13
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『壁(かべ)に耳(みみ)』 『壁に耳』どこで誰に聞かれているか分からないぞという戒め。密談などは、えてして漏れ易いものだということ。 例:「壁に耳あり障子に目あり」類:●壁に耳岩に口●耳は壁を伝う●壁に耳垣に目口●石に耳あり●徳利に口あり鍋に耳あり●藪に目[=耳]●壁の物言う世●垣に耳●昼には目あり夜には耳あり●Walls have ears.●Hedges have eyes and walls have ears.(壁に耳あり障子に目あり)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>*********宴会の用意はどうにか整っていた。「おく瀬」という名の静かな料亭の座敷である。但(ただ)し、元手(もとで)が少ないので、酌婦と芸者は自前(じまえ)である。次の間には、熊五郎、八兵衛、五六蔵、そして太助が控(ひか)えて、聞き耳を立てていた。太助は、「料理が余ったら折(おり)に詰めて持ち帰っても良いか」と、しつこく食い下がった。>四:小豆(しょうど)様。綺麗所のお色直しが整(ととの)いますまで、軽く一献(いっこん)受けてくださいませんか?>小:お、そうか? 待ち遠しいのう。「跳(は)ねっ返り」のう・・・>三:ささ、おいらからもお一つ。>小:この店は初めてだが、中々良いところであるな。・・・というよりも、料亭というものは須(すべか)らく良いものだな。肴(さかな)は華美(かび)で美味(うま)いし、酒も上等、おまけに女がいるとなれば、こんな至福はない。>与:あの、正直を言いますが、あたいはこんなお店のお座敷に来るのって初めてです。なんだか落ち着きませんね。>小:はは。然(さ)もあろう。ゆくゆくは金回りも良くなろうから、儂(わし)が嫌と言うほど連れてきてやろう。>与:それはそれは、有り難う御座います。何回か来ていれば慣れるものでしょうか?>小:慣れるとも。儂だって、初めはおどおどして居った。>三:へえ、小豆殿がですか? そん時もあの坊様とお2人で?>小:いや、そうではないがな。>四:あ、分かりやしたぜ。あの坊様に小豆様がご出世なさるって耳打ちしたお方でしょ?>小:まあ、そんなようなところだ。>三:するってえと、そのお人ってのは、小豆様よりも上の方ってことですよね?>小:まあ、そうとも言うかな?>四:どちら様なんですか?小豆は、四郎の問いに答えそうになったが、既(すんで)のところで思い留まった。余程きつく言われていたのだろう。ただ、普通なら「何故そのようなことを詮索する?」と訝(いぶか)りそうなものだが、目の前の酒肴(しゅこう)に気が行っていたせいか、まったく無頓着(むとんじゃく)に言い訳なんかをし始めた。>小:ここでは名を申す訳にはいかんのだ。>四:よっぽど怖いお人なんですか? うちの親方なんか凄(すご)いですよ、拳固(げんこ)で叩(はた)くと、人様が3間(げん:約5.5メートル)は吹っ飛ぶんです。>小:怖いお方には違いないが、剛力とかそういう怖さとは少し違うな。>三:分かった。剣の腕が立つんでやしょう? 下手(へた)なことをしたら「切り捨てご免」ってんでやすね?>小:腕も立つには違いないが、真逆(まさか)な、儂とて武士の端くれ、切り捨てご免とは行くまいよ。>四:出世が取り消しになっちゃうとか、ですか?>小:彼(か)のお方には、そのような権限はない。唯(ただ)、耳が聡(さと)いということは確かであるがな。>三:真逆、次の間とか縁(えん)の下とかに、手下を忍び込ませたりしてるんじゃねえでしょうねえ。>小:そんな、戦乱の頃ではないのだから、忍びを飼っているところなど、在(あ)ろう筈もなかろう。>与:・・・ということはですよ、別に何も怖いことなんかないんじゃないですか?>小:そうではないのだ。なんというか、どうした訳か、話が筒抜けなのだ。>四:どういうことなんでしょうねえ? お化けでも手懐(なず)けてて、教えて貰うんでしょうか?>三:止せやい。ここまで来てさっきのを蒸し返すなよ。>四:はは。御免御免。悪気はないんだ。>小:いや、もしかすると、そのようなことなのじゃないかと、儂も疑(うたぐ)っていたところだ。>四:じょ、冗談でしょう?>三:おいらが恐がりだからって、からかってるんですよね?>小:いや、儂は至って真剣だよ。大工風情(ふぜい)を苛(いじ)めたとて、少しも嬉しくないからな。>四:じゃあなんですかい? あの床(とこ)の間の辺りにお菊さんが浮かんでて、おいらたちが何を喋(しゃべ)ったのかを、後でそのお人に報(し)らせに行くっていうんですか?>小:有り得る。>三:や、止(や)めてくださいったら。おいらなんだか気味が悪くなってきやがったぜ。>小:儂が撫道(ぶどう)と会って、どんなことを話していたか、あのお方は逐一ご存知なのだ。・・・だから、言えないのだ。>四:小豆様がここでおいらたちと一緒に居ることを知らなくてもですかい?>小:さあどうであろう? しかし、知れてしまう見込みがあるうちは、黙(だま)っているに越したことはない。>与:あまり無理強いして、小豆様を困らせてもなんですから、そう言う話はもうお終(しま)いにしましょう。>三:そうだな。そろそろ用意はできたかな? ・・・おーい、花はまだかー?「はーい」といって、襖(ふすま)が開いた。なるほど、武家の娘風ではあるが、ちょっとだけ派手目な着物を身に着けている。小豆の目がきらりと輝いた。>咲:なんだか難しそうな話をなさってるから、入るには入れないじゃありませんか。お待たせいたしました、咲に御座います。>小:おお、咲と申すか? 可愛いのう。ほんに可愛いのう・・・>咲:お武家様、・・・いえ、お役人様、でしたわね。一人前の女に向かって「可愛い」は貶(けな)し言葉で御座いますよ。>小:おおそうかそうか、拗(す)ねた顔も美しいのう。ささ、もそっと近(ちこ)う。>咲:はいはい。さ、どうぞ。・・・それはそうと、縁の下の忍びだとか、床の間の幽霊だとか、一体(いったい)何を話していらしたんですか?四:それはおいらから説明しましょう。いつものことながら、四郎は話を要領よく手短に纏(まと)めて説明してみせた。小豆は止める機会も失って、逆に、吸い込まれるように、頷(うなず)きながら聞き入ってしまっていた。>咲:お役人様。お役人様はお人が良過ぎるんですよ。>小:どういうことだ?>咲:決まってるじゃありませんか。そのお坊様がご報告申し上げてるのか、然もなきゃ、芸子や仲居が小遣い稼ぎに請(う)け負っていることですよ。>小:そのようなこと、なぜ分かる?>咲:だって、先(せん)だって、このあたし自身が頼まれましたもの。勿論(もちろん)、別のお武家様のときですけどね。結構良いお手当てになるんですよ。>小:そ、そのようなことをあのお方がする筈は・・・>咲:だから、人が良過ぎますって。どこのどういう偉い方だかは知りませんがね、手駒みたいに使っておきながら、貴方様のことを信じていないっていう証(あかし)じゃありませんか。ほんの少し勘の良い人なら、自分が良いように操(あやつ)られてるんだって気が付きますよ。>小:お、お前、この儂を愚弄(ぐろう)するのか?>咲:あら御免なさい。あたしったら、いつもこんな風にずけずけ言い過ぎて失敗するのよね。お一つやって、ご機嫌を直してくださいませ。>小:うーむ。少し考えさせては呉れぬか?>咲:何をで御座いますか?>小:・・・そういえば、確かに、いつも1人だけ妙に愛想の良過ぎる女中がいたな。>咲:・・・でしょう? 間違いないわよ。お役人様、絶対騙(だま)されてます。・・・あたし、同情しちゃいますぅ。>小:ということは、撫道の奴もぐるなのか?>咲:生臭坊主を信じる方が間違ってます。考えてもみてくださいませ。お役人と坊主が夜(よ)な夜などんちゃん騒ぎをしてるっていうのが知れて、世間が取り沙汰(ざた)するのは、坊主じゃなくて、お役人様だけなんですよ。>小:そんなことはあるまい。誘ってきたのは坊主の方なのだから。>咲:それじゃあ伺(うかが)いますが、「坊主が放蕩三昧(ほうとうざんまい)」なんて瓦版に書いて売れますか?>小:どうあろう?>三:おいらは買いませんね。>与:あたいも。>咲:仕組まれたんですよ。お役人様は程なく誰かに見付かって、色狂いだ賂(まいない)だと騒がれて免職ですね。嗚呼(ああ)可哀相。>小:止さぬか。>咲:あたし、心配してるんですよ。・・・そろそろ、潮時だと思いませんか? 今ならまだ間に合います。>小:そ、そうであろうか?>咲:大丈夫ですって。あたしが付いています。こう見えても、結構良い後ろ盾が付いてるんですから。>小:後ろ盾?>咲:あら? 疑ってらっしゃるんですか? これでも、武家の娘ですよ。ちょっとした伝手くらい持ってなきゃ、大手を振って料亭などに出入りしませんって。>小:お前真逆、目付けの?>咲:とんでもないですよ。あたしは唯の、浪人の娘。誰かを貶(おとし)めようなんて、況(ま)して誰かを懲らしめようなんて了見は、これっぽっちも持っちゃいません。>小:仏に掛けてか?>咲:仏様にだって神様にだって誓えますよ。・・・ささ、もうお気持ちの決まりも付いてきたでしょう? もうちょっとお召し上がって、お心を和(やわ)らげてくださいませ。元々根の強い質ではない小豆は、ほろ酔いということも手伝って、良いようにお咲の話に丸め込まれた。こういう男は特に、一度蹌踉(よろめ)くと、坂道を転げるように術中に嵌(は)まり込んでしまうものらしい。これまでの経緯を騙り始め、終いには、お咲の膝に縋(すが)って泣き崩れた。>咲:ねえ四郎さん。もう良いんじゃないかしら?>四:そうですね。呼びましょうか? ・・・八兄い、熊兄い、どうぞ。>八:なんだか色仕掛けとはちょっと違ってたけど、結果はおんなじだから、ま、良いか。>熊:小豆の旦那、あの、申し訳ねえんですが、その小娘の膝を解放してやっちゃあ呉れやせんか?>咲:ま、熊さんったら。焼き餅?>熊:お前ぇは黙ってろってんだ。さて、八、どうして呉れようか?>八:先ず最初においらがぽかりと1つ殴るから、後はお前ぇに任すよ。>熊:お前ねえ・・・。見届け人がいねえと罪になるって言い出したのはお前ぇだぞ。>八:そうだっけ? そうだったな。大工が役人を殴ってるとこなんか覗(のぞ)き見られたら、口止め料がたんまり掛かっちまうもんな。>熊:銭の話じゃねえだろう。
2007.10.12
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『禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如し』『禍福は糾える縄の如し』禍(わざわい)が福になったり、福が禍の元になったりして、この世の幸不幸は繰り返す。幸と不幸は縄を縒(よ)り合わせたように表裏をなすものだ。類:●塞翁が馬 出典:「史記-南越伝」「因禍為福、成敗之転、譬若糾乢」*********与太郎と三吉・四郎の3人で、小豆内海(しょうどうつみ)の屋敷を調べてみようということになった。番町(ばんちょう)の辺りだという。>三:おいらこんな遠くまで来たことねえよ。置いてけ堀になんかしねえでお呉れよね。>四:何が遠くなもんか、外堀の橋を1本渡っただけじゃないか。>三:そんなこと言ったってよ、おいら始めての土地ってものがからきしだからよ。それに番町と言やあ、あれだろ?>四:1枚、2枚・・・か? はは。ありゃあ作り話だろ?>三:作り話にしたって、気色(きしょく)の良いもんじゃねえには違いねえだろ?>与:あの、皿屋敷のお話は、実話を元にしてるってことですが。>三:止(よ)せやい。怖がらそうってったって、その手にゃ乗らねえぞ。>与:本当ですって。>四:与太郎さんも人が悪いですね。日が暮れようとしてるとこに、そんな話を持ち出すもんじゃありませんよ。>与:最初に言い出したのは三吉さんですよ。>三:もう良いから別の話をしようじゃねえか、な。>与:四谷左門町のお岩さん(※)のとかですか?>三:止せったら。もっと下世話(げせわ)な話はねえのかよ。食いもんの話とか銭の話とかよ。>与:ないこともないんですけど、もう着きましたんで。・・・ここが小豆内海の役宅です。>四:はあ、思ったほど立派じゃあないですね。まだ下っ端(ぱ)ということでしょうか?>三:大方、酒や女に注(つ)ぎ込んじまったんだろ。どうれ、ちょいと覗いてみようか。三吉が木戸を押そうとした丁度そのとき、赤ら顔の侍(さむらい)がその戸を通って出てきた。男は中を覗こうとしている3人と鉢合わせした形になり、大袈裟に飛び退(の)いた。>小:な、何者だ。こ、ここを普請奉行所役人小豆内海の役宅と知っての狼藉(ろうぜき)か?>三:狼藉って、おいらたちはなんにもしちゃあいませんけど。なあ?>与:はい。あたいたちは小豆様ってのがどういうお人なのか、見てみたいなって思っただけです。ねえ?>四:その通りです。名にし負(お)う名士・小豆内海様ってのはどういうお宅にお住まいで、どういうお人柄なのか、ちょっとばかし興味を持ちまして。>小:儂(わし)が名士か? そのような話、どこから出ていると申すのだ?>与:ということは、あなた様が小豆様で? >四:実はですね、おいらたちが住まっている近くのお寺の坊様が、「ご立派なお武家様だ」と申されましたので。>三:そりゃあもう、べた褒(ぼ)めで。>与:それで、なんでも、遠からずご出世遊ばして、巧くすると、普請仕事の按排(あんばい)を牛耳(ぎゅうじ)りなさるとか。>小:そのような噂、儂は聞いておらん。当人の存ぜぬことを、寺の坊主ごときがどうして知る由(よし)がある?>四:そりゃあきっと、あのお坊様が、上役の方とか、力の有りなさるお方と懇意にしてるせいなんじゃないですか?>小:ははあ、成る程な。その坊主、撫道(ぶどう)と申さなかったか?>三:へい。その通りでやす。ちょっとがめつい坊様ですが。>小:然(さ)もあろう。・・・して? うぬらは、何者じゃ?>四:あいや、これは失礼をば致しました。手前どもは、詰まらない大工の下っ端の者でやす。兄弟子から、小豆様とお近付きになれたら、普請仕事を斡旋(あっせん)して貰えるかもしれないと言われまして。>小:大工か。そうか、普請仕事をの。優遇をの・・・。>三:勿論、見返りなしって訳じゃあありやせん。>小:見返りとな?>三:へい。坊様に伺ったところじゃあ、無類のお酒好き。そして、それに輪を掛けて女性(にょしょう)がお好きだとか。>小:女が居るのか?>三:勿論でございますとも。・・・ただまあ、なんと申しましょうか、ご浪人の娘なもので、ちょいとばかし跳(は)ねっ返りなところがありやして。>小:なに、跳ねっ返りとな。うむ。気に入った。いつ会わせて呉れるのだ?>三:小豆様がお望みでしたら、今直(す)ぐにでも。>小:そうか? それは良い。丁度酒の買い置きが切れたので、求めに行こうかと思ったところだ。よしよし、さ、参ろうか。>四:あのお、くれぐれも普請の斡旋の件を、良しなにお願い申し上げます。>小:分かっておる。それよりも女じゃ。年は幾つになる? 容姿はどうじゃ?小豆は、いそいそと3人の後を付いてきた。それでは宴の準備を整えますからと、与太郎が先触れに走った。行き先はお夏たちが喧喧囂囂(けんけんごうごう)やっている親方の家である。予定していた段取りよりとんとんと運んでしまったので、お咲は慌てるかも知れないが、折角の機会を無駄にしては勿体無い。一方、三吉と四郎は、なるべく小豆を足止めすべく、こんな話を切り出した。>四:あの、小豆様。この辺に皿屋敷があるってのは本当でやすか?>小:なんなのだ? 薮から棒に。>四:へい。実はですね、こいつが「あんな作り話を怖がるやつは肝がよっぽど小せえんだな」なんて言いますもんで。>小:ほう、そちたちは、あれが作り話と信じておるのだな?>四:真逆(まさか)、旦那、実話だなんて仰るんじゃないでしょうね?>小:儂をなんだと思っておる? 普請方の職に就(つ)いて25年、ずっと番町に暮らしておるのだぞ。その儂が実話だと申すのだ。努々(ゆめゆめ)疑うこと勿(なか)れ。>三:それじゃあ旦那、なんですかい? この番町に井戸とか屋敷とかが残ってるって言うんですかい?>小:無論。どうしてもということなら、割れた皿とて見せてやれるが。>四:お揶(からか)いになっちゃ困ります。>小:信じぬと申すのか? なれば付いてくるが良い。案内(あない)して進ぜよう。宴の前の一興。楽しみは先に延ばすものだと言うからな。>四:曰(いわ)くもなんにもない井戸をそうだって騙(かた)ってる訳じゃないでしょうねえ?>小:ふふ、行ってみれば分かる。そこだけ気が冷たくなっていて、背筋まで凍(こお)るようである。今更止そうなどと言い出しても許さぬからな。元来怖じ気(け)易い質(たち)の三吉は気が気じゃない。四郎の奴はとんでもない話をでっち上げたと、むかっ腹(ぱら)さえ立てている。>小:「皿屋敷」というのは、実は当て字でな、本来は「更屋敷」といって、将軍家から拝領した家屋を一旦更地(さらち)にして建て替えたもののことだったのだよ。うぬら下賎(げせん)の者にこんな話をしても分からんだろうがな。>四:どなたのお住まいだったんです?>小:播磨守(はりまのかみ)青山様の、である。>四:その青山様はどうなすったんですか?>小:誰も住んでおらぬことからも分かろうが、お家は断絶。今時では覚えている者など、まずは居るまいな。>四:将軍様から可愛がられなすったのに。却(かえ)って、屋敷なんか貰わなければ良かったのにねえ。人の運不運なんてものは、分からねえもので御座いますね。>小:それだから面白いのよ。・・・弟ばかりが認められて、ずうっと日陰者のような扱われ方をしておった儂が、やっと出世するか。実(まこと)、運なぞどこから降ってくるか分からぬものだな。>四:そうしておいらたちもお零(こぼ)れに預かれる。嬉しい限りで御座います。>小:そうかそうか。うぬらに喜ばれるのも、悪い気はせぬな。なにしろ、これから長い付き合いになりそうだからな。>四:お見捨てになりませんよう、お願い致しますよ。>小:それは、うぬらの心持ち次第よな。・・・さて、着いたぞ。ここが「更屋敷」だ。四郎はそれほど感じなかったようだが、三吉は異様な空気を感じ取ったらしい。酷く狼狽(うろた)えて、「おいらが悪う御座いました。もう十分でやす」を連発した。小豆は「然もあろう然もあろう」と、至極満足そうに一々を説明して回り、「井戸を覗いてみぬか?」まで言い出すほどだった。>三:旦那、そろそろ準備もできているでしょうから、ひとつ、向かってみることにしちゃあどうでしょう?>小:なんだ、もう良いのか? てんで意気地がないな。良かろう。大工風情を甚振(いたぶ)っても詮(せん)無きことだからな。では、参ろうか。>三:ああ助かった。こんな怪しげなところなんか、とっととおさらばしましょうよ。>四:どうだ三の字、番町を舐(な)めて掛かるからこんなことになるんだ。身に染みただろう。>三:ああ身に染みた。・・・覚えてろよ。今回のことが済んだらきっと酷(ひど)い目に会わせてやるからな。与太郎が橋のところまで出迎えに来ていた。少々心細そうだった。>与:どこで何をなすってたんで? すっぽかされちまったかと思いましたよ。>小:そう言うな。こやつらが皿屋敷を見たいと申すでな。案内してきたのだ。>与:え? そんな羨(うらや)ましいことをして貰ってたんですか?>三:どこが羨ましいってんだよ? 背骨のとこを冷たい汗がつつーっと走るんだぞ。代わって貰いたかったぜ。>与:それは無理ですよ。だって三吉さん、一人じゃ帰り着けないじゃありませんか。>三:そりゃあそうだがよぅ・・・。こんな方向音痴に産んでくれた両親を怨むぜ。>四:そんなことを言いなさんなって。そのお陰で、滅多(めった)に見られないものを拝(おが)めたんだからよ。>与:そうですよ。あたいなんかあんまり一所懸命走ったんで気持ち悪くなっちゃいました。大汗の上に脂汗ですよ。>三:あーあ。おいら、元旦だってんで、何か福が来るに違ぇねえと思って早起きしたってのによ。豆はぶつけられる、酒を取り上げられて遣(つか)いに出される、そんでもって、駄目押しに肝が潰れる思いまでさせられたんだぜ。まったく、散々だぜ。これで、計画が駄目になったなんてったら、おいらもう仏様を信心しねえぞ。>小:計画とはどういう計画だ?>三:あ、い、いえね、小豆様のご愛顧を賜(たまわ)るってことでやすよ。もしご機嫌を損ねでもしたら、手柄どころか勘当され兼ねねえですからね。そんなことになったら、一生浮かばれませんや。首でも括(くく)って化けて出るかも知れやせん。>小:安心せい。儂はそちらのことを、存外気に入って居る故。福を齎(もたら)してやっても良いと思うて居る。(つづく)---≪HOME≫※お詫び:時代考証を誤っています。「東海道四谷怪談(鶴屋南北)」の初演は文政8年(1825)ですので、この物語の時代・享和2年(1802)には、まだ影も形もありません。(上に戻る)蛇足:皿屋敷(さらやしき) 江戸で最初に上演されたのは宝暦8年(1758)馬場文耕の「皿屋敷弁疑録」だったという。評判を取ったのは明和2年(1765)市村座の歌舞伎「女夫星逢夜小町 (めおとぼしあうよこまち)」だった。舞台はいずれも番町である。しかし、ルーツは別にあるらしい。享保5年(1720)京都榊山四郎十郎座の歌舞伎狂言で、「播州評判錦皿九枚館」と題されて上演されている。更に、元禄2年(1689)刊のノンフィクション「本朝故事因縁集」には、「雲州・松江皿屋敷」というものまで記録されている。「うんしゅう」→「ばんしゅう」→「ばんちょう」と変化してきたとも考えられている。現代人には岡本綺堂の「番町皿屋敷」大正5年(1916)の印象が強いからついつい「番町が本家」と考えてしまいがちだが、どうやらそうではないらしい。
2007.10.11
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『金(かね)は天下(てんか)の回(まわ)りもの』『金は天下の回りもの』[=回り持ち]金銭は一つ所にばかり留まっている訳ではない。仮令(たとえ)今多くの金銭を持っていてもやがてはそれを失い、逆に今ない者にもやがては回ってくるだろうということ。類:●Money comes and goes.<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>*********お夏は、養生所も「だるま」も正月休みということで、暇を持て余していた。お咲が迎えに行くと、待ってましたとばかりに、飛び出してきた。>咲:お父上の方は良いの?>夏:良いの良いの。おしかさんに任せとけば、その方が却(かえ)って喜ぶのよね。>咲:取られちゃったって気はしない? あんた父上っ子だから。>夏:あたしが? ご冗談。書物を読む時間が出来て物凄く嬉しいわよ。>咲:とかなんとか言っちゃって、養生所への送り迎えは、おしかさんにはさせてない癖に。>夏:なによ。正月早々、いやに絡(から)むわね。・・・ははあ、またなんか面白いことがあったんでしょう?>咲:あら、分かった?>夏:あんた、良いことがあると、変に勿体(もったい)振って、眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せたような顔をするのよね。>咲:へへ。>夏:で? 何があったの?>咲:親方たちが豆撒(ま)きの鬼になったの知ってる?>夏:いつ? 何処で?>咲:毘沙門様。今朝方ね。>夏:なんですって? それじゃ、あたしたちが挨拶した直ぐ後じゃないのよ。あー、もう少し張り付いてれば良かった。>咲:あたしはばっちり見ちゃったもんね。>夏:見たい見たい。もう一回やって呉れるように頼んでみてよ。>咲:来年まで待つのね。来年は本厄だから、大々的にやるかもね。>夏:来年までなんか待てる訳ないじゃないの。お夏は、親方にもう一度やって呉れるように直談判(じかだんぱん)するのだと息巻いた。そんなお夏に、お咲は本題の方を切り出した。>咲:お夏ちゃん。あのね、面白いことって豆撒きのことじゃないのよ。>夏:え? これ以上に面白いことがあるの? 教えて教えて。>咲:悪事を企(たくら)むお坊さんがいるのよね。>夏:お坊さん? お坊さんにどんな悪事があるってのよ。>咲:お寺の乗っ取り。>夏:えー? 仏様に仕える人がそんなこと考えてて良いの?>咲:だから、懲(こ)らしめちゃおうってんじゃないのよ。>夏:抹香(まっこう)臭いのって苦手だな。罰(ばち)が当たったりしない?>咲:何言ってるの。悪人は悪人なのよ。仏様だって生臭坊主になんか味方しないわよ。そうでしょ?>夏:それもそうね。・・・それで? あたしは何をやればいいの?>咲:筋書きを書く人だって。>夏:ええ? そんな事やらせて貰っても良いの? 凄いことになったって知らないんだから。>咲:でも、正直な話、大方の流れは決まっちゃってるのよね。あのせっかちこの上ない内房のご隠居さんが絡んでるんだもの。おちおち御節(おせち)も突付いてられないわよ。>夏:ご隠居さんが? そりゃ大変だ。それじゃあ早速経緯(いきさつ)を教えて貰わなきゃね。お咲たちが戻ると、源五郎はまた奥に引っ込んでしまっていた。源蔵も、3合立て続けに飲んだせいか、すっかり酔ってしまい、「後は任せたからな」と言い置いて引き上げてしまったという。>八:なあ熊よ。厄は本人より親の方に降り掛かるってのは本当なんだな。>熊:だから、それを食い止めようとして、態々(わざわざ)お夏坊にまで出張(でば)ってきて貰ったんじゃねえか。>夏:あたしが来たからにはもう大丈夫よ。悪事を企(たくら)む人なんか、ぎゅうっと縛り上げて、ぐうの音(ね)も出ないようにしちゃうんだから。>八:待ってました、お夏ちゃん。>熊:大丈夫かよ。のっけから大風呂敷を広げるやつにゃあ碌(ろく)なもんはいねえぞ。>夏:これまでにあたしが、いつそんなことをしましたかっての。要は、緻密且つ大胆に、よ。三吉の話し振りも、3度目ともなると板に付いてくる。先の2回に比べてかなり短時間で説明を終えた。>夏:ふうん。普請方の小豆内海と寺社与力の家島網綱ね。弟の方は今のところ真っ白ね。厄介(やっかい)なのは、色狂いの兄の方、・・・なんだけど、悪事の片棒を担ぐには、なんだかちょっと物足りないわね。>熊:物足りねえって、お前ぇ、こっちまで一緒になってやらかそうってんじゃねえんだから、そんな言い方はねえだろう。>夏:こういうことはね、向こうの立場になって考えるのも必要なの。>熊:そういうもんかね。>夏:あたしだったら、いつまでも埒(らち)が明かない色惚(ぼ)けじゃなくて、もっと違う伝手(つて)を使うわね。>熊:小豆の家族とか、同僚とかのことか?>夏:うーん。それも悪くないんだけど、ちょっと違うわね。>熊:それじゃあ誰なんだ? 真逆(まさか)内房のご隠居とかお奉行様とかってんじゃねえだろうな。>夏:真逆。そんな人たちを連れ出したら、折角(せっかく)出てきた鼠が巣に引っ込んじゃうじゃない。>咲:じゃあ誰なのよ。さっさと言いなさいよ。>夏:それはお咲ちゃんのお仕事よ。>咲:あたし? なによ。あんた、訳知りみたいな顔して、何も思い付かないんでしょう。あたしに調べ回れってことなんでしょ?>夏:違うわよ。・・・それじゃあ、さて問答(もんどう)です。撫道に小豆を紹介したのは誰でしょうか? そして、そいつには、どんな目論見(もくろみ)があるのでしょうか?>熊:そんなの分かる道理がねえじゃねえか。>夏:そう? 料亭の料理とか、芸子さんが目的じゃない人だとは思わない?>熊:銭だ。>夏:そう。表立ったことは小豆にやらせて、話が纏(まと)まったら小豆なんかよりたくさん・・・>八:でもよ、表立ってねえんなら、見付けられねえんじゃねえのか?>夏:そうかしら? 小豆本人に聞けば直ぐに分かるんじゃないの?>八:なるほど。流石(さすが)お夏ちゃん、冴えてるぅ。>熊:まあ待てよ。仮にもお役人だぞ、はいそうですかって教えて呉れる訳はねえだろう。>夏:だからさ、小豆って人、よっぽどの色好みなんでしょう? それに、滅法(めっぽう)お酒に弱い。>咲:真逆あんた・・・>夏:そう、その真逆よ。「いろじかけ」。だから、お咲ちゃんの出番だって訳。面白そうな筋書きでしょ?>八:うんうん、これは相当に面白い。>咲:あのねえ。>熊:面白いとか面白くねえとか、そういうことじゃねえぞ。「色仕掛け」だなんて、そんなこと15のガキにさせることじゃねえ。>咲:誰がガキですって? 熊さん、この正月で16よ、16。子供扱いしないで。>熊:そんなこと、今ここで拘(こだわ)ることじゃねえだろ。>咲:大事なことよ。馬鹿にしないで。・・・あたし、やる。>夏:決まりね。>熊:お前らねえ・・・。後の祭りになったって知らねえからな。縁側で静をあやしていたあやが、徐(おもむろ)に声を掛けてきた。>あや:あら、面白そうじゃない。わたしも一役買っちゃおうかしら?>熊:あ、姐(あね)さんまで。>あや:お正月の3箇日(さんがにち)だけのことなんでしょう? 家事も大変じゃないし、ちょっとくらいなら、ね?>熊:親方が聞いたら泣きますぜ。>あや:寝正月だそうだから、気が付きゃしないわよ。・・・ねえ、静。静は、きゃっきゃと笑い返した。もしかすると、名前に似ないお転婆(てんば)になるかもしれない。>あや:まあ、軽口(かるくち)はさて置き、「色仕掛け」をするのにも先立つものが必要でしょ?>夏:そう、障(さわ)りがあるとしたらそこなのよね。当てがなければ内房のお爺ちゃんに頼もうかと思うんだけど。>あや:頼めばなんとかして呉れるかも知れないけど、面倒でしょ? わたしが出すわ。>夏:良いの?>熊:姐さん、何もそこまで・・・>あや:確か、厄落としの代金って1分(=約2万円)だったわよね。元々出さなきゃならなかったものなんだもの。使ってちょうだい。これじゃ足りないっていうんなら、もう少しなら用立ててあげられるわ。>夏:十分よ。「見せ金」みたいなもんだもの。どうも有り難う。>あや:とんでもない。元はといえば、お布施(ふせ)をけちろうなんてしたから、こんなことになったんだものね。こんなもので厄が落とせるなら、安いものよ。お坊様の祈願なんかより、よっぽどご利益(りやく)がありそうだものね。>五六:済いやせん。あっしがみみっちいばっかりに。>あや:みみっちいのはお坊様の方よ。巧くお布施をせしめた積もりでしょうけど、その騙(だま)した小銭が回り回って、自分の首を締めるだなんて、夢にも思わないでしょうね。>夏:あやさん、話せるぅ。俄然やる気が出てきちゃった。>五六:ようし、こうなったらどうあっても、撫道の野郎、すってんてんにしてやるぞ。>熊:五六蔵、銭金のことばっかり拘(こだわ)るんじゃねえよ。飽くまでも、悪人退治なんだからな。>五六:へい。心掛けやす。>八:・・・なあ。考えたんだけどよ、肝心なとこでは、ご隠居か誰かに立ち合って貰わなきゃいけねえよな?>熊:おや、お前ぇにしちゃあ、随分と気回しができた物言いだな。>八:あたぼうよ。見届け人がいねえとこでぽかりとやったら、罪になるだろう。>熊:またそれかよ。>八:それに、巧くすりゃ、褒美(ほうび)だって出るかも知れねえしよ。>熊:だから、銭金にばっかり拘るなって、今さっき言ったばかりだろ。
2007.10.10
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『金(かね)の切れ目が縁(えん)の切れ目』 『金の切れ目が縁の切れ目』金銭面での利益がもう見込めなくなった時が人間としての付き合いも終わる時だということ。金銭で成り立っている関係は、金銭がなくなれば終わるということ。類:●利を以って合う者は窮禍患害に迫って相棄つ●When poverty comes in at the door, love flies out at the window.<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>*********新任の総元締め・相馬屋の親っさんは、着任初っ端(しょっぱな)の寄り合いに源五郎たちがけちを付けたと、お冠(かんむり)だった。経緯(いきさつ)を聞いて「そんなことがあったのか」と、源蔵とあやは目を丸くした。お雅はげたげたと笑い出した。>相:笑い事じゃないぞ、お雅。年寄りたちは保守的な者が多い。疑いを招くような行動は良いものではない。分かっておるのか? 源五郎。>源:へい。申し訳ありやせん。ですが・・・>相:言わんでも良い。・・・そりゃあ、お前らとは長い付き合いで、源五郎が父親に負けず劣らぬ堅物(かたぶつ)だということは、重々承知している。年寄りたちが疑(うたぐ)っているような疾(やま)しい考えがあろう筈ないことも分かっている。しかしだ。しかし、こんなことになってしまった以上、身の潔白を証明する確たる証(あかし)を見せて貰わんと、年寄りどもが納得せんのだ。分かるな?>源:へ、へい。しかし・・・>相:まあ待て。今ここでわしが聞いても、なんにもならん。明明後日(しあさって)、町の元締め連の前で申し述べて貰うことにしよう。良いな。>源:4日の日ですか?>棟:相馬屋さん、それじゃあ、あんまりにも・・・>相:御託(ごたく)なんか並べてないで、さっさと行動を起こした方が良いぞ。・・・源蔵、下手をしたら、お前さんも寄り合いに出られないようになるかもしれないんだからね。>棟:待っとくんなさいよ、親っさん。>相:総元締めになって初めて関わる進退が、源蔵の除籍なんてことにならなきゃいいんだがね。それじゃあ、せいぜい頑張っとくれよ。あーあ、正月早々・・・総元締めは、言いたいことだけを一方的に言って帰ってしまった。というよりも、源五郎や源蔵の声が良く聞こえなかったから、というのが事実だったようだけれども。>八:まったく、勝手な爺ぃですね。>源:お前ぇたち、聞いてやがったのか?>熊:済みません、立ち聞きなんて端たないことしやして。なんてったって、あの剣幕でしたから。>八:ですが、親方、安心しててくださいまし。おいらたちがちょちょいのちょいで片付けちまいやすから。>源:そう簡単に運ぶかよ。>八:大丈夫ですって。この八兵衛に任せとけば大丈夫ですって。ま、大船に乗った積もりでいてください。>棟:なあ源五郎、どうでも良いんだが、最初からちゃんと話して呉れねえか? 親っさんの話しっ振りを聞いただけじゃ、さっぱり経緯が掴めねえ。豆撒きの鬼をやったくらいで、俺はどうして寄り合いに出られねえ身になっちまうんだ?>雅:あたしも聞きたいね。どんな風に面白いことをして、どんな訳で相馬屋さんが泡食ってるのかをね。>棟:そんな悠長なこと言ってるんじゃねえ。>雅:馬鹿馬鹿しい、高々(たかだか)鬼の真似をしたくらいで。元々鬼瓦なんだからって言ってやればそれで済んじまうようなことだろ?>棟:男社会はそんな一筋縄で行くようなもんじゃねえのよ。>雅:はあそういうもんで御座いますか? それではどうぞ勝手になさってください。女どもはせいぜい、笑い転げながら見守ってましょう。ねえ、静(しずか)。幼い静にも、お雅の言葉が分かったのだろうか、あやの膝の上できゃっきゃと笑って見せた。あやは、心強いお雅の態度に引っ張られるようにして、気分が軽くなってきていた。八兵衛などより、お雅の方がよっぽど頼りになりそうに思えた。>棟:兎も角、話を聞こうじゃねえか。・・・と、その前に、3合ばかし飲ませて貰おうか。とても素面(しらふ)じゃ聞いてられそうもねえからな。>八:それじゃあ、四郎、お前が説明しろ。>四:あの、済みません。ちょいと寝惚けてて、所々抜けちまってますんで、今日のところは三吉にやらしといてください。>八:なんだよ、起きてるのに聞こえてねえなんて、耳が遠い相馬屋さんより質(たち)が悪いじゃねえか。三吉の説明はしどろもどろだったが、どうにか筋の通った説明ができた。>棟:なるほど。お前ぇたちが銭を取りに戻らなかったのは、坊さんに巧く丸め込まれたからだってことで大目に見よう。だがな、揃いも揃ってうちの半纏を着たまんま大勢の人の前に出たのは軽率だったな。>源:済まねえ。>棟:するってえとだ、問題になってるのは鬼をやったことじゃなくって、本来払うべき厄落としの代金を只にさせたことと、普請方の役人との贈収賄(ぞうしゅうわい)に関わりを持ったことだな。>源:関わりなんか持つもんか。>棟:分かってるよ。俺は分かってる。だが、元締め衆はそうは見て呉れなかった。そういうことだろ?>源:そんなこと言ったって、俺はその坊さんと役人が怪しい関係だなんて知らなかったんだからよ。>棟:知ってたか知らなかったかなんて、もう今となっちゃ関係ねえんだよ。今は知っちまったんだからな。>源:まったく。だから俺は、お裁きとか政(まつりごと)を話し合いの席で解決しようってやつらが嫌いなんだ。証、証、証か。もっと俺のことを信用しろってんだ。>雅:馬鹿だねこの子は。>源:なんだよ、母ちゃん。>雅:世の中、悪事を働くやつなんてのは、大方が「出来心」なのさ。尻に敷かれっ放しだった大人しいご亭主とか、これまで一度だって逆らったことのない真面目な番頭さんとか、代々仕え続けていた筈の一徹なご家老だったり。そうだろ?>源:そりゃあ、屁理屈ってもんだ。>雅:いいや違うね。それを「屁理屈」に仕立てといた方が楽なお奉行様か、将軍様か、然もなきゃお偉い学者先生が言い触らしてる「理屈」さ。>八:・・・あの、おいらたちにはそんな難しい話をされてもどうもなんないんですけど。>雅:そうだね。今度八つぁんのとこに斉(なり)ちゃん様が訪ねてきたら聞いとくと良い。>熊:じょ、冗談じゃありませんや。そんなのあの方に言ったって埒(らち)の明かないことじゃありやせんか。>雅:そうだね。あたしもちょっとばかし言い過ぎたかね。韓非子(かんぴし)さんとか孔子(こうし)さんとかが生きてたら是非とも聞いてみたかったけどねえ。>八:誰ですか、それ? 干瓢(かんぴょう)と香香(こうこ)を発明したお人ですか?話は、それじゃあどういう方向へ持っていけば良いのかということになった。大人しく聞いていた与太郎が「撫道が次の手に進めないようにできれば良いんですけど」と呟(つぶや)いた。>咲:それよ。>八:なにがそれなんだ? 手と足を縛っちまえば良いのか?>咲:そうじゃなくて、小豆なんとかって人が弟の家島って人との仲を取り持たなければ良いんでしょう? だったら、その小豆の行動を見張ってて、悪さをしようとしたら捕まえて閉じ込めちゃえば良いのよ。>熊:待てよ。そんなのんびりしてたら、4日に間に合わねえんじゃねえのか?>咲:・・・それもそうね。それじゃあ駄目ね。>太:いや、そうでもないかもしれませんよ。>八:どういうことだ?>太:撫道って人は、まだ家島様に会ったことがないんでしょう? だったら、別の人が会ったって分からないんじゃないですか? なんなら、おいらが一緒に行ってご馳走を鱈腹(たらふく)・・・>熊:太助、お前ぇの言いてえことは分かる。だがなあ、いくらなんでも・・・>八:まったくおいら以上に食い意地が張ってやがる。>熊:撫道とは昼間に会ったばかりだろ? お前ぇの顔は割れちまってる。ばればれじゃねえか。>太:それはそうですが・・・。じゃあ、こういうのはどうです? おいらは瓦版売りですから、どなたとどういう付き合いをしていても可笑しくありません。寺社奉行所の与力のところにしょっちゅう聞き込みに行ってて、下っ引きみたいにして働いてるって。>八:お前ねえ、そうまでしてご馳走に有り付きてえのか?>太:当たり前ですよ。>八:あんなに雑煮を食って苦しくねえのか?>太:正直、今は苦しいです。でも、それとこれとは話が違いますから。源蔵たちには、なんの話か良く分からなかったが、息子たちがしようとしていることの方向性が、なんとなく分かってきたようで、兎や角(とやかく)言わずに任せてみようという気になっていた。>八:さてと。それじゃあ、実際には、どういう風にして坊さんを懲らしめれば良い?>五六:こんなのはどうでしょう? 銭に拘(こだわ)るやつには、銭のことで懲らしめるのが一番利く。>熊:ほほう。中々洒落たことを言うじゃねえか。面白そうだな。>五六:でしょう? 太助さんが食って食って食い尽くしちまえば、撫道の野郎、手も足も出なくなるって寸法でやすよ。>八:なるほどな。銭が底を突けば悪さをしようにも味方を雇っておけねえって訳か。そもそも銭で作った間柄ほど壊れ易いもんはねえからな。>熊:巧く行くかな?>五六:さあ? こっから先は熊兄いたちで考えてくださいよ。あっしにはここまでが精一杯でやすよ。>八:おいらに任しときな。>熊:止めとけ。お前ぇに任せとくと碌なことになりゃしねえ。>八:誰が、おいらが筋書きを書くなんて言った?>熊:そういう意味で言ったんじゃねえのか?>八:違う違う。こういう事は頭の良いお夏ちゃんに頼むのが一番だって言おうとしたんじゃねえか。そんでもってよ、おいらたちは最後の最後に坊さんのお頭(つむ)をぽかりと・・・>熊:またそれかよ。
2007.10.09
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『蟹(かに)は甲羅(こうら)に似せて穴を掘る』『蟹は甲羅に似せて穴を掘る』蟹は自分の甲羅の大きさに合わせて穴を掘るものだということから、人は自分の力量や身分に応じた言動をするものだということ。また、人はそれ相応の願望を持つものだ。*********三吉が戻ったのは、未(ひつじ)の刻(=8つ・14時頃)になろうとする刻限だった。太助の他に与太郎も一緒だった。>八:おうおうやっと戻ってきたか。どこかで迷ってるんじゃねえかと心配してたぜ。>五六:お前ぇ、真逆(まさか)、本当に迷ってた訳じゃねえだろうな。>三:当たり前ですよ。>熊:でもよ、高々長屋まで行って帰ってくるのに1時(とき)半も懸かるか?>三:太助さんは留守にしてたんですって。内房のご隠居さんのところへ行ってたんだそうです。おいらのせいじゃありませんや。>熊:ご隠居のところ? そうか。疑(うたぐ)ったりして悪かったな。酒も飲まず、雑煮(ぞうに)も食わず、ご苦労だった。>三:あ、忘れてました。お昼だったんですよね。・・・おいらの分は残ってるでしょうか?>熊:大丈夫だよ。ちゃあんと残して貰ってある。>三:ああ良かった。お屠蘇(とそ)を取り上げられた上に昼飯抜きじゃあ身が持ちませんや。・・・あ、それから、話に付き合わせちゃったんで、与太郎さんも食べてないんです。それから、太助さんは?>太:はい。余計にあるようなら、おいらも戴きたいんですけど・・・>八:なんだよ、旅籠のご隠居ともあろう人が、雑煮の1杯も振る舞って呉れなかったのか?>太:いえ、戴きましたよ。ですが、ここまで歩いてくるうちに消えてなくなっちゃったようなんです。>八:まったく、お前ぇの腹は力士並みだな。もう辞めてから随分経つんだろうによ。>太:だって、旅籠の雑煮ってのがまた、洒落(しゃれ)てるってのか、ちんまりしてるってのか、透き通った汁の中に丸餅が2つ沈んでるだけでして。あれじゃあ、養生所のご飯の方がまだ増しってもんですよ。>八:へえ、丸餅ねえ。ここいらじゃあんまり見掛けねえな。確かに、そいつは変わってるな。>五六:あれですよ、八兄い、「精進(しょうじん)料理」とかっていうやつなんじゃねえですか?>八:なんだそりゃ?>五六:元は、お坊さんが食べてたものらしいんですが、器にほんのちょこっと盛り付けるんだそうですぜ。なんとかいう食道楽の人が、身体に良いとか言い始めたとかで、「通」とか「粋」とかって持て囃(はや)してるそうですよ。>八:坊様の食い物をか? おいらにゃ理解出来ねえ。おいらは腹八分目が一番良いと思うんだけどな。・・・なあ太助、坊様の真似をして、少しは偉くなったか?>太:雑煮1杯くらいで偉くなれる訳なんかないじゃあありませんか。>八:それもそうだな。食いもんにそれだけ欲が残ってちゃあ、いつまで経っても「解脱(げだつ)が上がらねえ」な。>太:八兵衛さん。あの、そういう風には言わないと思うんですけど。>八:そうか? 「盆の法事から解放されねえ」だっけ?>五六:それって、もっと違うと思うんですけど。四郎にでも聞いてみちゃあどうです?>三:おや、四郎のやつ、随分大人しいと思ったら寝てやがるじゃねえですか。>八:食うもん食って、飲むもん飲んで、満足したら昼寝をする。まったく、羨ましいくらい幸せな生き方だな。見ろよ、これ以上なんにも要らねえって面(つら)してやがるぜ。>三:まったく幸せなやつですよ。起こしやしょうか?>熊:まあ良いだろ。お前ぇたちが雑煮を食い終わるまで寝かしといてやれ。正月だからな、少しくらい大目に見てやろう。三吉は雑煮を肴(さかな)にして酒を飲み、太助は3度お代わりをした。与太郎は具として使われた野菜の産地を、一々説明してみせた。>八:へえ、伊達(だて)に野菜売りをやってる訳じゃねえんだな。味で分かるのか?>与:味だったり、色形だったり、匂いだったりですね。>八:おいらにゃどれもこれも一緒にしか見えねえけどな。>与:八つぁんだって、毎日見てれば分かるようになりますよ。>八:おいらがか? おいらは良いよ。何処の産か知らなくても、食って美味けりゃ十分だ。知らねえ方が幸せってこともあるだろ?>太:おいらもそう思う。・・・お代わりっ。>咲:太助さん、4杯目よ。そのくらいにしたら? ご隠居のところのと合わせるともう5杯も食べたことになるのよ。>太:おいらの腹は八分目じゃなくて十分目にならないと満足しないんですよ。こんな良い機会滅多にありませんから。>咲:お腹(なか)を壊したって知らないから。>太:仮令(たとえ)今晩腹痛(はらいた)を起こしたって、おいら、今が幸せならそれで良いんです。>咲:あら、太助さんにしては珍しく勢い込んでるわね。>太:おいら、人に自慢にできることなんかなんにもありませんし、夢とかがある訳じゃないんですけど、物を食べるってことに関しちゃあ、並みじゃない「執念」みたいなものを持ってるんです。>八:それならおいらだって十分持ってるぞ。>咲:八つぁんのは食い意地が張ってるだけでしょ?>八:太助のは違うのか?>太:ええ違うんです。他にできることがないってところが肝心なんです。・・・おいら、自分のことは分かってますから。>与:それを言うんなら、あたいだってなんにもありませんが。>太:とんでもない。与太郎さんは釣り銭の勘定だってちゃんとできるし、野菜の産地だってみんな分かるじゃないですか。それに、下っ引きの仕事だって上手にこなしてる。>与:でも、それほど人のためになってる訳じゃあ・・・>太:おいらにとって、食べることがたった1つの自慢事なんです。人より余計に食べられるって意味じゃあないんです。例えばこういうことです。食べるためなら嫌な力仕事も苦にならないし、人に頭を下げるのだって悔しくないんです。それを拠り所にすることで、どうにか生きていられるんです。>八:そんな大袈裟なもんでもねえだろうに。>太:いいえ大袈裟です。普通の人なら、家族に財産を残すとか、後世に名を残すとかってことを拠り所にするもんなんでしょうけど、おいらにはそんなことさえ高嶺(たかね)の花で、痴(おこ)がましくて・・・>熊:なあ、太助。お前には人並み以上の背の高さってもんがあるだろ? 瓦版売りができるのもそのお陰じゃねえか。それだって立派な長所だぞ。>太:はあ。そんなこともありますが、背の高さには泣かされることの方が多かったから。>八:雑煮のお代わり1つでこんな話になるとはな。お咲坊、良いからもう1杯貰ってきてやりな。>四:あの、ついでにおいらにもください。太助さんの話を聞いてたら、他人事じゃないような気になっちゃいまして。>八:なんだ四郎、起きてたのか?>熊:お前ぇみてえに痩せてる者(もん)は食い物以外のことに希望を持つべきだな。>四:はは、ご尤も。お代わりは良いとして、そんなことより、お坊さんと普請方の役人のことはどうなってるんですか?>八:ああそうだったな。太助、何か知ってることあるか?>三:その話は、おいらがもう聞きました。太助さんはお雑煮を食べてて貰って、おいらが間違ったことを言ったら訂正して貰うってことにしましょう。三吉が小豆(しょうど)と家島の話を説明した。所々を与太郎に助言して貰って、どうにか正確に伝えられた。>八:なるほど。そうすると、その寺社奉行所の与力が狙いだったってことだな。>三:そのようです。>熊:話しっ振りだと、撫道坊主はまだ家島様とは会ってないようだな。>太:はい。ご隠居もそう言ってました。「今のうちに手を打っておいた方が良いな」って。>熊:そうだな。意地汚い兄のせいで、汚職の疑いなんか掛けられちゃ堪(たま)らねえもんな。>八:悪い噂ってのはあっという間に伝わっちまうからな。急ぐに越したことはねえな。>八:しかしよ、その小豆とかいう役人も可笑しな人だねえ。肩書きを棒に振っても良いと思うくらい女が好きだってのに、酒に飲まれて、一度も手を出せずにいるのか?>太:「可笑しな人」くらいじゃ済まされませんよ。>八:おや、珍しく怒ったね? そんなに不純な下心が許せねえのか?>太:いえ。そうじゃなくて、宴会をしながら途中で寝ちゃうってことです。鍋や刺身が勿体ないじゃないですか。>八:またそれかよ。>太:おいらをそこに呼んで呉れてりゃ、一切合財(いっさいがっさい)食べ尽くしてしまうんですけどねえ。>八:怒ってる次元が違ってんじゃねえのか?>熊:まあ良いじゃねえか。密会の席に踏み込むようなことになったら、心行くまで食わしてやろうじゃねえか。>太:きっとですよ。約束しましたからね。>八:まったく、安いもんだな。>太:実は、うちは代々そんなような家なんです。劇的に変われなんて言わないでくださいね。無理ですから。>八:なるほど、家鴨(あひる)の子は家鴨。鳶とか鷹とか、況(ま)して白鳥にはなれねえってことか。それも生き方だな。>熊:何をしみじみ言ってやがる。先ずは内房老人の話の裏付けと、撫道の動向を調べようということになった。どうせなら、この三箇日のうちに片付けてしまいたい。さて行動に移そうかという段になって、腰を上げようとしたところに来客があった。源五郎に会わせろと、豪(えら)い剣幕だという。相馬屋の主人である。つい先頃、田原の父つぁんの後を任されたばかりであり、正月の酒がちょっとばかし過ぎていて、呂律(ろれつ)が巧く回っていなかった。>八:相馬屋の親爺(おやじ)が怒ってるって? どういうことだ?>熊:真逆、見られたんじゃねえだろうな。>四:有り得ますよ。相馬屋さんは毘沙門様とじゃ目と鼻の先ですから。>八:親方も大変だねえ。あの親爺ったら耳が遠いから、一々大声を張り上げなきゃならねえ。苦労するねえ。>熊:お前ねえ、おいらたちにも直接関わりのあることなんだぞ。もっと真剣になれってんだ。>八:こいつはおいらの性分(しょうぶん)なの。高潔な白鳥になれってったって、そいつぁあ無理ってもんよ。
2007.10.08
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『鼎(かなえ)の軽重(けいちょう)を問(と)う』『鼎の軽重を問う』1.統治者を軽んじ、これを滅ぼして天下を取ろうとすること。転じて、上位の人の実力を疑って地位を覆(くつがえ)し奪おうとすること。2.また単に、その人の価値や能力を疑うこと。故事:「春秋左伝-宣公3年」 周の定王の時、楚の荘王が周室の伝国の宝器である九鼎の大小、軽重を問うた。出典:春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん) 30巻。「春秋」の解説書。魯国の左丘明(さきゅうめい)の著というが明らかでない。単に「左氏伝」「左伝」とも呼ばれる。春秋の注釈書は3つあり、ほかに「公羊伝」「穀梁(こくりょう)伝」がある。*********源五郎は、「俺は寝正月(ねしょうがつ)にする」と言って、奥へ引っ込んでしまった。三箇日(さんがにち)は寝て過ごすから、飲みたい者は勝手に来て手酌(てじゃく)で飲めということである。五六蔵たちにとっては、願ってもない申し出であった。できることなら、泊まり込んでしまいたいくらいである。>五六:親方ったら、ちょっと心配し過ぎじゃねえですか?>八:厄年(やくどし)のことをか?>五六:坊様のことですよ。坊さんなんてものは盆と正月にしか縁のねえものでやすからね。>三:そうですよ。お咲ちゃんが心配するほどのことじゃねえですよ。誰が好んで大工と坊主を結び付けたりしますかってんですよ、ねえ?>四:それを言うなら、坊主と普請方(ふしんかた)だって結び付かないんだけどね。>三:一体(いったい)どういうところで、結び付くんでやすかねえ?>四:やっぱり、双方に利害が見込める何かがあったんでしょうね。>八:・・・なるほど、そういうことか。>五六:何か思い当たりやしたか?>八:坊様たちってのは、盆と正月以外はやることがねえんだろ? 暇な間の食い扶持(ぶち)をなんとかしなきゃならねえ。だから、普請方の役人に頼んで、力仕事を世話して貰ってるんだ。どうだ、どんぴしゃだろう?>三:八兄い、なんだか違うような気がするんですけど。>八:なんだ? 違うのか?>五六:へい。まったく頓珍漢(とんちんかん)でやす。>四:そもそもお坊様たちが、盆暮れ以外暇だっていう考え方からして間違ってます。>八:なんだ四郎、お前ぇ、坊主に親戚でも居るのか?>四:いいえ、とんでもない。親戚一同揃いも揃って干瓢(かんぴょう)で食ってます。・・・ですが、近所に寺がありましたから、どんなに大変か分かってますよ。>八:大変な訳はねえだろう。木魚(もくぎょ)叩いて、ごにょごにょ唱えてるだけだろ?>四:それだけじゃありませんよ。先ず、朝は寅の刻(4時頃)に起きて、朝食の前に掃除とか座禅をするんです。>八:寅の刻だと? まだ暗い中じゃねえか。うちの母ちゃんがいくら早起きだってったって、そんな頃にゃあ起きねえぞ。・・・それに、朝飯の前に掃除するなんて、どうかしてるんじゃねえのか? 人間はな、物を食わなきゃ動けねえものなんだぞ。>四:それは八兄いだけですよ。>八:それで? 朝飯は何時(なんどき)に食うんだ?>四:辰の刻(8時頃)でしょうか?>八:寅、卯、辰・・・、起きてから2刻(約4時間)の間なんにも食わねえってことか? 拷問(ごうもん)だな。>四:朝食が済んだら、掃き掃除に拭き掃除、それに畑仕事。そして、お昼御飯を食べてから、座禅に読経(どきょう)、写経する人もいるそうです。>八:なんだか全然自由が利かねえんだな。>四:毎日が修行ですから。>八:あの撫道(ぶどう)とかいう坊様もそうやって修行してるのかね。そんなんじゃあ、銭とか色とかに逃げ込みたくもならあな。>四:でも、それをしないと、偉いお坊さんにはなれません。一切(いっさい)の欲を忘れることが「解脱(げだつ)」なんですから。>八:なんだその「げだつ」ってのは? 「鮗(うだつ)が上がらねえ」の仲間か?>四:「煩悩(ぼんのう)」から解放されることです。>八:益々分からなくなっちまったじゃねえか。まあ、そんなことはどうでも良いや。それじゃあよ、その、撫道って坊様は、銭への欲が残ってるから、偉い坊様じゃねえってことだよな?>四:そういうことでしょうね。>八:じゃあよ。懲(こ)らしめちゃっても良いってことだよな?>熊:お前ぇ、また余計なことを遣らかそうってんじゃねえだろうな?>八:当ったりぃっ。五六蔵は、ぶつけられた豆の恨みとばかり、大乗り気である。お咲も面白がり、「あたしも混ざる」と言い始めた。>八:それで、お咲坊? 相手の普請方の役人ってのは、何処(どこ)のどいつなんだ?>咲:そこまでは知らないわよ。あたしだって太助さんから聞いたばかりなんだから。>八:太助か・・・。おい三吉。お前ぇ、太助を呼びに行ってこい。>三:またおいらですかい?>八:お前ぇは、笊(ざる)みたいに飲みやがるから、酒が勿体ねえんだよ。>三:分かりましたよ。行ってくりゃ良いんでしょ?>五六:いくらなんでも、長屋までなら迷わねえだろうな?>三:当たり前ですよ。まあ、任しといてお呉んなさい。しかし、太助は長屋には居なかった。与太郎の話では、内房正道の旅籠(はたご)へ行ったという。方向音痴の三吉が内房の家まで行くことは、無謀なことである。下手をすると、今日のうちに帰れないということにもなり兼ねない。ということで、与太郎のところで、太助の帰りを待つことにした。>三:なあ与太郎さん。お前ぇさん、あの撫道っていう坊さんのこと、前から知ってたのかい?>与:ええ、聞いてましたよ。この頃特に羽振りを利かしてるって評判です。>三:羽振りって、芸者を揚(あ)げたり、肉(しし)の鍋物を突付いたりするのか?>与:ご本人は手を付けないそうですけど、お相手の方が・・・>三:普請方の役人っていう人かい?>与:小豆(しょうど)とかという人らしいんですけど、この人がまた無類(むるい)飛び切りの女好きときてるそうで。>三:食い気より色気かね?>与:尤(もっと)も、芸子さんたちからは相手にされてないそうですけど。満腹になると直(す)ぐ寝ちゃうんだそうです。>三:食べなきゃ良いじゃねえか、なあ?>与:それが、ちょっとでも酒が入ると、若い時分の飲み方に戻っちゃうらしいんです。酒に飲まれるっていうやつですね。>三:ちっとも懲りんえのか?>与:ええ、全然。>三:そんなんじゃあ、飲ませてる方の坊さんだって、何のためにご接待してるんだか分からねえんじゃねえのか?>与:そう思うでしょ? ところが違うんです。裏には裏があるんですよ。>三:なんだいその裏ってのは?>与:小豆内海(うつみ)というお人の弟に、家島網綱(いえじまあみつな)という方がいらしてですね・・・>三:なんだなんだ? 姓が違うじゃねえかよ。>与:ええ、3男坊とかで、小さい時分に養子に出されてたらしいんです。そいで、その家島さんってのが、兄とは月と鼈(すっぽん)の良くできた方で、賄賂(わいろ)は取らない妻女以外の女には見向きもしないというから不思議なもんですね。>三:へえ、「氏より育ち」か・・・。それで?>与:弟さんの役職が、寺社奉行所の与力(よりき)だそうなんです。>三:ははあ、読めたぞ。お寺への見回りとかの日取りを前もって聞いといて、寺の中で賭博(とばく)でもやろうってんだろ。>与:そうじゃないみたいです。いくら銭金に卑(いや)しいといっても、賭博をするとなればやくざ者が首を突っ込んできますからね。>三:そうか、成る程(なるほど)。美味しいところを全部持っていかれちまうもんな。>与:そういうことです。それに、撫道というお坊様は銭金以外のことは、結構正面(まとも)な人らしいですよ。>三:そうか? それじゃあ、なんでそうまでして寺社方の与力に近付こうとするんだ?>与:さあ? そこまでは、あたいには分かりません。与太郎のところで1刻(とき)ほど待ったろうか。やっと太助が戻ってきて、与太郎の部屋の戸を開けた。>太:あれえ、三吉さんじゃあありませんか。どうして与太郎さんのところに?>三:お前さんを迎えに来たんだよ。そんで、ご隠居さんのところに行ってるって聞いたんだけど、ほれ、知っての通りおいら相当な方向音痴だろ? ここで待たせて貰ってたって訳よ。>太:なあるほど。それで? おいらにどんな御用で?>三:あの撫道って坊さんのことだよ。普通の坊さんがどうして寺社方の与力に近付こうって訳なんだ? ご隠居さんからなんか聞いてきたんだろ? 教えて呉れよ。>太:はあ。ご隠居さんの言うことにゃあ、ご住職が本山(ほんざん)から大層な額の布施(ふせ)を要求されてるみたいなんです。人伝(ひとづて)なんですが、ご隠居のところへも相談があったそうです。>三:するってえと何かい? 撫道って坊さんは、住職のために金の工面(くめん)とか、然(さ)もなきゃ、本山への口添えとか、そういう善意から役人を抱き込もうとしてるってのか?>太:一見そう受け取れますね。>与:太助どん、「一見」ってどういうことです? 本当のところは違うんですか?>太:ご隠居さんは違うだろうって言ってました。その辺のところは、与太郎さんやお咲さんに力を借りて確かめなくちゃならないかなって言ってました。>三:何をどう確かめるってんだい?>太:ご住職をね、追い出そうっていう魂胆(こんたん)らしいんです。>三:自分が住職に取って代わるってことか?>太:はい。ご住職に布施を要求してるのは本山なんじゃなく、撫道さんの息が掛かったごく少数の人のようなんです。>三:寺が建て替えられるような額を、ごく少数の人でってことか? そりゃあ凄(すげ)え。・・・成る程、それに比べたら、直ぐに酔い潰れちゃう人への酒代なんて高が知れてるわな。
2007.10.07
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『瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず』 『瓜田に履を納れず』瓜畑では屈むと瓜を盗むと疑われるので、履が脱げても履き直すなという意味から、疑われ易いことはするなということ。参考:「文選-古楽府・君子行」「君子防未然、不処嫌疑間、瓜田不納履、李下不整冠」から出た語。類:●瓜田の履●瓜田李下(りか)●李下に冠を整(ただ)さず出典:古楽府(こがふ) 唐代に作られた新しい楽府に対し、六朝以前の古い楽府をいう。「楽府(がふ)」は、民間で歌われていた歌謡のことで、詩人が作った「詩」と区別されてこう呼ばれた。 *********効果があるかどうか分からない「厄(やく)落とし」に1分(ぶ)もの大枚(たいまい)を吹っ掛けられた源五郎たちは、勘定高い坊さんの申し出を受けて、「豆撒(ま)きの鬼」の役をすることになった。>熊:姐(あね)さんを連れてきてなくて良かったですね。>源:あいつならまだ良い。親父と母ちゃんに見られたら、生涯お笑い種(ぐさ)にされてたとこだ。>八:お夏ちゃんたちが帰った後で良かったぜ。こんなとこ見られたら百年の恋も冷(さ)めちまう。>熊:誰が誰に恋してるって? へっ、ちゃんちゃら可笑しい。>八:なんだよ。お前ぇだって、お咲坊にこんな姿を見られたくねえだろ?>熊:おいらは別に、構わねえさ。親方のためだ。恥だなんて言ってられるかよ。>八:粋がってやがるな、まったく。・・・それにしても痛えな。あいつら本気になって投げてるんじゃねえか?>熊:何が「仏事神事の類(たぐい)」だよ。こちとら親の仇(かたき)でもなんでもねえってんだ、なあ。>三:まあまあ。ここは親方のためでやすから。>八:三吉、おいら、お前ぇのこと一生恨(うら)むからな。50文(もん)のとこで手を打っとけば良かったんだ。>三:だって、親方と五六蔵兄貴の2人だけって訳にもいかないでしょ? 丸々1分払うか、ちょっとだけ恥ずかしい思いをして只(ただ)にするか、どっちかしかねえじゃありませんか。>八:こんな情けねえ思いをするんだったら、おいらは1分払う方をお薦(すす)めしてたね。>三:じゃあ八兄いが払ってくださるってんですか?>八:あいや、おいらにゃそんな銭はねえからよ・・・>三:ね? そうでしょう? 背に腹は変えられねえって奴ですよ。こんなことなら一度戻って、費用を調達(ちょうたつ)してから出直すべきだったと、6人は後悔していた。豆など直ぐになくなりそうなものなのだが、何故か、新しい1升枡(ます)を抱えた年男(としおとこ)たちが、入れ替わり立ち代わり登場するのだ。更に、興(きょう)が乗ってきた参詣(さんけい)客の中には、小銭を投げる者まで出てきた。坊さんにとっては思う壺だが、投げ付けられる者にとっては、危険極まりない。豆撒きは、悠に四半時(=約30分)続いて、漸(ようや)く終わった。>八:あーっ、まったく酷(ひで)え目に会いやしたね、親方。>熊:お怪我(けが)なんぞはしてねえですか?>源:お前ぇたちが居たから幾らか分散したけど、1人だったら、今頃顔中が腫(は)れ上がって二目(ふため)と見られねえような面(つら)になってたかも知れねえ。>八:自慢のお顔が、ですかい?>源:冷やかすんじゃねえったら。それじゃなくても、恥ずかしさで顔から火が出るようだってのに。>熊:知り合いが居なかったことを願うばかりでやすね。>源:ああ。万が一、元締め衆にでも知れたら、大目玉だろうな。>熊:厄祓(やくばら)いの代金と交換の決まりだったなんて、口が裂けても言えませんよね。>咲:なにそれ? そんな訳なの?>熊:な、なんだよお前ぇ。驚かすんじゃねえよ。>咲:聞いちゃったもんね。あやさんにご注進(ちゅうしん)しちゃおうっと。>熊:ま、待てよ。半分は物の弾(はず)みなんだからよ。こっちから掛け合った訳じゃねえんだから。>咲:あら、どっちが先だって後だって、とどの詰まりは同じことなんだもの。斟酌(しんしゃく)の余地はないわね。>八:なあ、お咲坊。>咲:なあに八つぁん?>八:斟酌ってなんだ? 新茶の仲間か?>咲:つまらないこと言ってないで、さ、行きましょ。>熊:何処へだ?>咲:そりゃあ決まってるじゃない。親方のお宅へよ。>熊:お前ぇ、真逆(まさか)、姐さんに?>咲:その真逆よ。あやさんに年頭(ねんとう)のご挨拶(あいさつ)にね。それから、新年会でしょ?>八:流石(さすが)お咲坊、話が分かる。>咲:でも、ご報告はちゃあんとしますからね。それからと・・・>熊:次はなんだ?>咲:ええと、与太郎さんと太助さんが居たんだけど、どうしたのかしら?>熊:あいつらも来てたのか?>咲:ええ。瓦版(かわらばん)のねた探しですって。賑(にぎ)わうところには何かあるだろうからって。それから、ここのなんとかいうお坊さんから話を聞くことになってるんですってよ。>熊:なんだと? もしかして、さっきの勘定高い坊様じゃねえのか?>咲:なんでも、ちょっと変わった方らしいわ。別に、肉(しし)を食べるとか色を好むとかそういったものじゃないんだけど、「相当な生臭(なまぐさ)」って評判よ。>熊:もしかして、おいらたちのことを瓦版に書こうってことじゃぁねえよな?>咲:物凄く笑い転げてたから、有り得るわね。八つぁん目掛(めが)けてお捻(ひね)りを投げてたけど、気が付かなかった?>八:なんだと? おいらに投げて呉れたものが、あの坊様のものになっちまうのか? 取り返してこねえと。>熊:そんな小銭のことなんか放っとけ。このままだと、親方の評判が地に墜(お)ちちまう、ってことの方が肝心なんだぞ。>八:あ、そうか。この際小銭になんか構っちゃいられねえってことだな。捻(ね)じ込むにしろなんにしろ、厄祓いの祈祷(きとう)をしに行かなければならなかったので、お咲共々本堂へと向かった。案の定(じょう)、例の坊さんに太助たちが張り付いて、あれこれ質問している。>太:それで、撫道(ぶどう)様。中老という僧階から老僧に上がるのって、どのくらい大変なんですか?>撫:そうですな、大きな声では言えないのですが、まあ、寺を建て替えるくらいの金銭が必要、とでも申しておきましょうか?>太:へえ、それは凄いですね。お布施(ふせ)ってそういうところで使われるんですか。あっ、この件は書かない方が良さそうですね。・・・今日はどうもありがとうございました。出来上がりましたら、先にお持ちしますので。>撫:こちらこそ・・・。おや? 先ほどの鬼の役の・・・>八:太助、さっきの豆撒きの件は書かねえで呉れよな。>太:あっ、八兵衛さん。ぷっ。おっかしかったなあ。きっと、大受けですよ。>八:だから書くなっての。>太:そんな勿体ない。そこいらの黄表紙本なんかよりよっぽど面白かったですよ。>撫:・・・あの、お知り合いで?撫道というその坊さんは、「寺の格を上げるために相当額のお布施を本山に上げなければならないのです」と、言い訳がましく語った。勿論(もちろん)、どこまで真実かまでは、言っている本人でないと分からないが。>源:それじゃあ、厄祓いをしていただきましょうか?>撫:はい。よう御座いますとも。但(ただ)し、予(あらかじ)め言っておきますが、お祓いの後のお札(ふだ)は別代金ですからね。>源:なんだと? あんな目に遭(あ)わせといて、そのくらい負(ま)からねえってのか?>撫:はあ。管轄(かんかつ)が違うのですよ。お祓いは拙僧(せっそう)、お札は某(なにがし)、絵馬(えま)は某という具合いで。>八:そのくらいなんとでもなるんじゃねえですか?>撫:それがどうも、拙僧は下位の者ですので。>熊:なんだか嘘(うそ)臭いな。>撫:何を仰(おっしゃ)いますのやら。「信じる者は救われる(※)」と申すではありませんか。>八:やっぱり、なんだか丸め込まれてるような気がしちまうな。結局、特上のお札ということで、1朱(5千円)ふんだくられた。太助の瓦版には、匿名(とくめい)とはいえ、鬼の絵姿が描かれるそうだし、年明け第一弾としては、決して良い始まり方ではなかった。一行は、些(いささ)かしょんぼりして、源五郎の家に戻り、御節(おせち)でも突付きながら飲み始めようということになった。>咲:取り越し苦労なら良いんだけど、あのお坊さんと関わったのは、良くないことだったような気がして仕方ないのよね。>八:どういうことだ?>咲:うーん、巧く言えないんだけど、なんとなく。>八:女の勘ってやつか?>咲:そんなようなもの。・・・与太郎さんから聞いた噂(うわさ)だと、妙なところと繋(つな)がりがあるみたいなのよ。>熊:妙なところ? 役人か?>咲:ええ。普請(ふしん)方のお役人。>熊:何ぃ? 普請方と生臭坊主と大工だと? まるで仕組まれたみてえな図式だな。>八:高々豆撒きの鬼をやっただけだぞ。>熊:だがよ、悪く解釈すると、普請方に取り入る橋渡しをあの坊様に頼んだってことになり兼ねねえぞ。>八:止(よ)せやい。勘繰(かんぐ)り過ぎだよ。>咲:そうよね。考え過ぎよね。・・・確かに、疑われるたねの1つではあるけどね。>源:この話はもうこれくらいにしようぜ。頭痛がしてきた。>八:まったく、厄落としに行って厄介事(やっかいごと)を貰ってきちまうとはねえ。
2007.10.06
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『桂(かつら)を折(お)る』『桂を折る』昔の中国の試験制度から出た言葉で、官吏登用試験に文章生が及第すること。故事:「晋書-郤幀伝」 晋の郤幀(げきしん)が科挙に合格したとき、武帝の問いに答えて、「これは僅かに桂の一枝を折ったに過ぎません」と言ったという。★「桂」は、日本で言うところの「木犀(もくせい)」のこと。 *********年が改まった。享和2年(1802)である。皆が歳を1つずつ重ね。源五郎に至っては、41歳の前厄(まえやく)ということになった。正月早々、厄祓(やくばら)いはどうする、家内安全はどうすると、当人よりも親や弟子たちの方が心配する始末だった。>熊:ねえ親方、今年の初詣は厄落としにでも行きやすか? おいらたちもお供(とも)しやすぜ。>源:何を言ってやがる。常日頃から鬼瓦(おにがわら)呼ばわりしときながら、今更厄祓いか? 好い加減にしろってんだ。>熊:そんなことを言いやしても、厄ってもんは、当人よりも親に降り掛かるって話でやすから、気を付けとくに越したことはねえですよ。>源:それなら、降り掛かる側の親父(おやじ)と母ちゃんに行かせときゃ良い。>熊:それはないですよ、厄年なのは親方なんですから。>源:面倒臭えなあ。毘沙門(びしゃもん)さんとか八幡(はちまん)さんじゃ祓って呉れねえんだろ?>熊:さあ。どうでやしょうか? 多分やって呉れると思いやすよ。>源:そうか? それなら良いか。俺はまた西新井とか川崎にじゃねえと駄目なのかと思い込んでたぜ。>八:毘沙門様って、戦(いくさ)の神様じゃなかったですか? 男の子が強くなりますようにって。親方がこれ以上強くなっちまったら大事(おおごと)ですぜ。>熊:確かに。そりゃあ困るな。>源:何を頓珍漢(とんちんかん)なこと言ってやがる。>八:水天宮様なんかの方が良いんじゃんえですか?>熊:そりゃあ安産祈願だろう。親方には縁のねえところだ。>八:そうか。じゃあ天神様ならどうだ?>熊:大工が学問の祈願をしたって仕様がねえだろう。>源:もうそれくらいにしとけ。さ、毘沙門さんに行くぞ。五六蔵、三吉、四郎も連れ立って6人で、詣(もう)で客で賑(にぎ)わう毘沙門様へと向かった。>八:正月ってえと、淡路屋の太郎兵衛とか、丹波の英二とか、その筋のもんばかりと関わりやしたねえ。>熊:今年は何事も起こらなきゃ良いですね。>源:そうそう騒ぎばかり起きちゃ困る。なんてったって、俺たちは只(ただ)の大工なんだからな。>八:喧嘩っ早い二助と出食わさなきゃ良いんだがな。>熊:止せよ。噂をすると影が・・・。来やがったぜ。>二:こりゃあ親方、それに熊と八とその他のみんな、明けましてお目出度うございやす。>五:あっしらはその他大勢でやすか?>二:まあまあ、そう熱くなりなさんなって。おいら、今年から性格を改めるって誓ってきたんだからよ。>熊:どういうことだ?>二:ああ。売り言葉を直ぐに買っちまって、これまで随分と酷(ひど)い目に会ってきたからな。もっと堪(こら)えるようにしようと思ってな。>熊:そりゃあ良いこったな。へえ。自分からそこに思い当たるなんざ、大したもんじゃねえか。>二:まあな。おいらも好い年だし、そろそろ落ち着いて、身でも固めなくちゃならねえと思ってよ。>八:なんだなんだ? 聞き捨(ず)てならねえぞ。お前ぇ、もう目星(めぼし)は付けてあるのか?>二:そりゃあまだだがよ。>八:なあんだ。良かった。脅かすなよな、まったく。>二:人間、そう思い込んで努(つと)めてりゃあそうなるもんだろ?>八:どうだか。殊(こと)にお前ぇの場合はな。>二:どういうことだよ。喧嘩を売ってるのか? 上等じゃねえか。>熊:二助、それがいけねえって言うんだよ。全然懲(こ)りてねえじゃねえか。>二:あ。そうだよな。温厚に温厚にと。・・・じゃあな八公。親方、ご免なすって。二助は、直ぐそこで商家の小僧にぶつかり、「気を付けろい」と怒鳴り付けたあと、懐手(ふところで)のまま、鼻歌を歌いながら去っていった。>八:ありゃあ駄目だな。>熊:まったく。でもよ、今年は二助も騒動を起こさなかったし、幸先(さいさき)好いんじゃねえか?>八:そうだな。・・・親方、それじゃあ、早速(さっそく)厄祓いを済ましちまいましょうか。>源:ああ。そうするとするか。本堂へ向かおうとしたところ、ぽんぽんと、熊五郎の肩を叩く者があった。熊五郎が振り向いてみると、鹿之助とおしか、それにお夏が立っていた。>鹿:よう、初詣でかい?>熊:おう、鹿之助。お前ぇたちもかい? おしかさん、お目出度う。>しか:親方、明けましてお目出度うございます。その節はどうもお世話になりました。>源:なあに。俺はあやのやつに好いように使われただけさ。>鹿:源五郎殿、お陰を持ちまして、無事祝言(しゅうげん)も済みました。父も殊の外(ほか)おしかを気に入ってまして、下手をすると、私よりべったりの状態です。少々焼けてしまいます。>源:ま、そのくらいの方が巧く回るだろう。稚児(やや)でもできたら、もっと放って置かれるようになる。>しか:まあ。親方ったら、気が早い。>熊:そうでもねえかも知れねえぞ。なあ、鹿之助?>鹿:私は直ぐにでも欲しいがな。>熊:お父上に取られるより、稚児に取られた方が増しか?>鹿:別にそういう訳からではない。>熊:はは。・・・でも、家族が増えたら増えたで、出るもんは出るからな。小役人の扶持(ふち)で食わしてやれるのか?>鹿:そこのところは大丈夫だ。先(せん)だって加増されたからな。>熊:なんだと? 昇進したのか?>鹿:暮れにな。ちょっとした試験があって、まあ良い成績を修(おさ)めたのでな。>熊:そうか。そりゃあ良かったじゃねえか。これで、安心して子作りに励めるな。>しか:まあ。>熊:お夏坊も縄暖簾(なわのれん)の女中なんかしなくても済むんじゃねえのか?>夏:あたしは辞(や)める気なんか更々ないわ。だって、常連さんたちが泣くでしょ?>八:おいらなんか真っ先に泣き喚(わめ)くね。>夏:ほらね。・・・それに、父上の病気のこともあるし。>鹿:そのくらいこっちでなんとでもするって言ってるんだけどな。>夏:言い出したら引き下がらないって、みんな分かってるでしょ?>熊:まあな。源五郎の厄祓いがあるからといって、鹿之助たちと別れた。「親方が厄祓い?」と、お夏は大仰(おおぎょう)に驚いて見せ、源五郎は恥ずかしげに苦笑した。厄落としの料金は1分(約2万円)だと言われて、源五郎は仰(の)け反(ぞ)った。人の弱みに付け込むとはこのことである。かと言って、手ぶらで帰る訳にも行かない。「この、足元を見やがって」と捻(ね)じ込もうとしたが、その前に、係りの坊さんから先手を打たれた。>坊:間もなく、豆撒(ま)きが始まるのですが、如何でしょう。豆をぶつけられる鬼の役が居ると、尚一層盛り上がると思うのです。もし、お引き受け願えれば、1朱(=約5千円)にお負けいたしましょう。>五:なんだと? 親方に豆をぶつけるだと? そんな失礼なことをよくも・・・>坊:何も本気で投げる訳ではありません。唯(ただ)の仏事神事の類(たぐい)ですよ。・・・なんでしたら、そちらさんも似つかわしいお顔のようです。ご一緒していただけたら、50文(=約千円)にいたしましょう。>八:そりゃあ良い。五六蔵も出ろ出ろ。>三:いっそのこと、6人で出るからお代の方を只(ただ)にして貰うってのはどうです?>坊:ほう、こちら様はまた中々ご商(あきな)いごとがお上手ですな。良う御座います。お受けいたしましょう。>八:坊様、あんた本当にお坊様か? どこぞの商家の番頭さんみてえですぜ。>坊:それは失礼な。拙僧(せっそう)、こう見えましても、身延山(みのぶさん)にて然(しか)るべき修行を修めてきております。>八:はは。冗談だよ。頼むから、そんな難しい話をしねえでお呉んなさいよ。>熊:おいらたちまで出るのか?>三:親方のためですよ、熊兄い。親方1人にそんな恥ずかしいことをさせる訳にもいかないでしょう?>熊:それを言うなら、親方の変わりに、残りの5人で引き受けるのが筋ってもんだろ。>坊:それでは困ります。こちら様が一等鬼の役に適してらっしゃいますから。参詣者の評判も一段と違いましょう。もし、相当な評判が出るようでしたら、来年の本厄、再来年の後厄のときにもお出で願えれば、同様にいたします。>熊:なんだか良いように騙(だま)されてるような気がするな。>坊:滅相も御座いません。そちら様は只同然でお祓いが受けられる。こちらはお布施(ふせ)や賽銭(さいせん)が増える。どちらにとっても良い話ではありませんか。>八:本当に、尊(とうと)い坊様なのかよ?
2007.10.05
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最近の政治家の発言はこれかな『河童(かっぱ)の屁(へ)』『河童の屁』1.その事を容易くできる、取るに足りないことだというたとえ。2.無味乾燥なこと。気が抜けて効き目のないこと。主に、美味くないお茶のことを言う。類:●朝飯前●屁の河童*********結局、娘の聡(さと)が婿を貰うのか嫁に出るのかの結論は、後回しにすることになった。当然のことながら、「八兵衛や熊五郎と夫婦になれたら面白いだろう」という聡の言葉は無視された。少なくとも、相手の男を選ぶ積もりはあるということなので、市毛大路郎は、千場道場の門弟たちと立ち合ってみることになった。>市:なんだか、間の抜けたような感じになってしまったな。>聡:父上、頑張ってぇ。それから、お相手の皆さんも頑張って。>市:これ、端(はし)たない。もう少ししとやかにしていなさい。>聡:だってあたし、剣術の試合を見るのって初めてなんだもの。わくわくしちゃう。>市:木刀とはいえ、打たれれば怪我をするのだからな、後ろで騒がれては、真剣な立会いが出来なくなるではないか。>聡:父上、それって「真剣じゃないのに真剣」っていう洒落(しゃれ)ですか?>市:止(よ)しなさいと言うのだ。・・・まったく、こんな野放図(のほうず)な娘に誰が育てたのだ。>純:あなたですよ。>市:純、そなたまでそんなことを言うのか?>純:だってそうじゃありませんか。どのような子に育てるのかは全て親の責任でしょう? ・・・確かに、一緒に居る時間が長いのは私です。ですが、お役目お役目といって、育児を回避してきたあなたの責任はもっと重いとお思いになりませんの?>市:そのようなこと、こんな場で言うことではなかろう。>純:いいえ、こんな場だからこそ言うのです。今後は私と同等に聡に対していただきます。そのお相手の殿方も然りです。>市:分かった。分かったからもうその位にしておきなさい。>聡:父上、少しは真剣みが戻ってきましたか?間延びしてしまって、だらけ気味だった門弟たちも、事情が分かるに従って、事の重大性が飲み込めてきたようだ。乗り気になれないものは、師範とは目を合わせないように俯(うつむ)いてしまった。>千:師範代。>猪:はっ。>千:お前が適当と思う者から指名して、市毛殿にお手合わせ願うように致せ。>猪:承知しました。・・・では、弓山と中谷、その順番で、立ち合い致すが良い。>弓:は、はい。しかし、手前のようなものが立ち合っては失礼に当たりませぬか?>猪:特に許す。胸を借りる積もりで、当たるが良い。>千:市毛殿、最初の2人はこの道場でも新参(しんざん)の者です。ですが、決して侮って出す訳ではありません。素養はあるのです。市毛殿には赤子の手を捻(ひね)るようなものでしょうが、2人は本気ですからな。「蛞蝓(なめくじ)にも角」です。>市:承知しております。獅子は兎を追うのにも全力を尽くすということですからな。>千:では、始めると致しましょうか?弓山も中谷もてんで相手にならず、大路郎の小手調べにもならなかった。>弓:流石(さすが)はご指南役だな。太刀筋が洗練されている。荒っぽい師範代とは一味違うな。>中:お主にそんなことが分かる筈なかろう。>弓:お主は正面(まとも)に面を食らって脳震盪を起こしたから分からなかったろうが、拙者が受けた胴などはするりと抜けるように決められてしまったではないか。ああやって斬られたら痛みもなく死ねるのかなと思ったくらいだ。>中:へえ、随分と誉めるね。信服(しんぷく)してしまったか?>弓:ああ。そんなようなものだ。続く者たちも、立て続けに2本取られてしまった。ここまでの6人は、手も足も出ない儘に終わっている。>千:師範代。50人全員を当たらせるという訳ではあるまい? 市毛殿とて、お疲れだろう。そろそろ本命を出したらどうだ?>猪:お言葉ですが、こちらとしても、早々に総崩れする訳にはいかないのです。道場の面子(めんつ)というものもありますから。>千:そんなことはどうでも良かろう。別に、道場破りという訳じゃないんだからな。>猪:宜しいのですか?>千:構わぬ。見てみなさい、銚子が出たがってうずうずしておる。>猪:分かりました。・・・竜之介、参れ。>竜:待ってました。いざ。例によって、竜之介は大声で、「上総の銚子竜ここに在りーっ」と吠えてから、大路郎と向かい合った。>市:ほう、威勢だけは良いようだな。しかし、その構えでは、腕前は大したこともあるまい。>千:市毛殿、そう、嘗めて掛かると痛い目に会いますよ。>市:承知。いざ。大路郎も今度ばかりは、少し勝手が違うようだった。竜之介は、若いということもあり、敏捷に跳ね回り、ともすると、大路郎の剣が追い付けないということも目立ち始めた。そんな大路郎の焦りに乗じて、竜之介が小手を1本決めた。「おお」という感嘆の声と、「きゃああっ」という聡の歓声が上がった。2本目も同じような立ち合いになり、矢張り、竜之介が小手を決めた。>千:それまで。>聡:きゃー、素敵いっ。父上から2本続けて取るなんて、とんでもなく強いのよね。ねえ、母上。>純:え? ええ。・・・驚いたわ。>千:市毛殿。銚子はやや荒削りではありますが、勘の良い男です。>市:完敗です。なんだかあれよあれよという間に引き摺り込まれてしまいました。私もまだまだ未熟者ですな。指南役だとか呼ばれて少々天狗になっていたのかもしれません。>千:市毛殿。万人に1人の逸材という者も居るものです。>市:その逸材を見出し、ここまで育て上げたのは、千場殿の手柄です。良い勉強を致し申した。>千:どうです? 銚子に、ちゃんとした直心影流を仕込んでみたいとは思われませんか?>市:は? 私がですか?>千:そうですとも。いや、別に婿にせよとかと申しているのでは在りませんよ。単純に、門徒として、教育なさる気はございませんかと、お尋ねしておるのです。>市:しかし、拙者は最早(もはや)一浪人に過ぎません。指南など到底・・・>千:市毛殿。ご覧の通り、当道場には50人の弟子が居ります。私が半分隠居状態ですので、猪ノ吉1人に50人は少し荷が重過ぎると思うのですよ。実はそう思って、近所に土地を用意してあるのです。そこに道場を建てて、師範を勤めていただけないものでしょうか?>市:そんな。なんの縁もない素浪人なのですよ。そんな拙者が、そこまでしていただく訳には参り申さん。>千:縁がない訳ではないではないですか。同じ流派を究めようとする同僚であり、その上、同じ女性(にょしょう)を奪い合った仲ではありませんか。>市:しかしそれは・・・>千:私がそうしたいのです。そんな期待をこの25年間、密かに抱いてきたのです。夢を、夢を叶えていただけませんか?>市:千場殿。・・・忝(かたじけ)ない。そんなお涙頂戴(ちょうだい)の場面を演じている傍(かたわ)らでは、竜之介を囲んで喜劇が幕を開けていた。>聡:竜之介様と仰るんですか? あたし、聡と申します。どうぞ、嫁に貰ってくださいませ。>竜:上総の銚子竜である。田舎侍(ざむらい)の4男坊にて、一生浮き草稼業を覚悟してここに在る身故、妻女など迎えられぬものと思って居ったが、ご師範の達(たっ)ての希望により、妻帯を命ぜられた上は、甘んじてその境遇に身を委(ゆだね)る所存(しょぞん)。>聡:きゃあ、嬉しい。旦那様、ご主人様、お館様、あなた。・・・なんとお呼びすれば宜しいかしら?>竜:上総の銚子竜である。>聡:・・・ですが、上総へはお帰りにならないのでしょう? それなのに「上総の銚子竜」様では可笑しいわ。>竜:うぐ。・・・それも尤も。>聡:後であたしが語呂が良さそうなのを見繕っておきますわ。>竜:そうか。良しなに頼む。>聡:・・・それにしても、竜之介様はお強いのね。>竜:お父上のことを悪く言う訳ではないが、あのくらいは朝飯前である。>聡:きゃあ、素敵。出世間違いなしね。祝言(しゅうげん)の日が待ち遠しいわ。そんなこととは露知らず、父の大路郎と母の純は、功次郎の情けにしんみり浸っていた。>千:丁度ここに、大工の源五郎殿たちも見えられていることです。新道場の建築をお願いしてしまっても宜しゅうございますな? こういうことになったのも源五郎殿のご利益(りやく)かもしれませんからな。>八:やったあ。親方、遺言も聞いてみるもんですねえ。>源:こら、調子に乗るんじゃねえ。>八:でも、大先生が良いと仰って呉れてるんでやすから、お言葉に甘えましょうよ。>千:そうしてくだされ。>源:でも、あっしたちは殊(こと)縁談の件に関しちゃあ、何一つ骨を折っちゃいやせんから。>熊:あの、親方、どうやらそうでもねえみてえですぜ。見てお呉んなさいよ、あのお2人、結構盛り上がってるみたいで・・・>市:なんと。 ・・・嗚呼(ああ)、なんと軽薄な。まったく、誰があんな娘に育ててしまったのだ?>純:だから、あなたです。>市:純。お前な。・・・もう良い。好きにさせなさい。>八:やったあ。万事(ばんじ)丸く納まりやしたね。終わってみりゃあなんのこたあねえ。ちょちょいのちょいでやしたね。>熊:おいらたちはなんにもやっちゃいねえじゃねえか。>八:良いんだよ。日頃から良いことしてると、神様も目を掛けてくださるってことよ。それがちょこっとせっかちに運んじまったんだって思っとけば良いんだよ。なんてったってお前ぇ、師走(しわす)だぞ。先生も走るくらいだから、神様もきっと忙(せわ)しくってよ、さっさと片付けちまいたかったんだな。>熊:先だって人から聞いた話じゃ、師走の走るって字は、離れるって意味で、帰省することらしいぞ。>八:そんなのどっちだっておんなじじゃねえか。きっと、神様も伊勢へ帰る間際(まぎわ)で慌ててたんだよ、な?>熊:伊勢じゃなくて出雲だっての。
2007.10.04
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■ 「エー・・・を取ったら昇進した」───────────────────────────────────先日上司から「オイ! 橋本君、君にはもう研修の講師を頼まないことにしたよ・・・」「エー・・・何でですか?・・・」「君は、エー・・・、ウー・・・が多いだろう。そのこでお客様からクレームがきているんだよ」「エー・・・、ほんとうですか」「ほら、またエー・・・と言ったろう。そういうやつには頼めないんだよ」それ以来一年以上も情けない気持ちで過ごさねばなりませんでした。教室の実習でも先生から「エー・・・は取ってください。言葉を言い切ってください。出そうになったら呑み込むように・・・」とアドバイスされました。それ以来「エー」は絶対出さないぞと決め、そのためにはしっかりと準備をすることにいたしました。そんな時です。会社でプレゼンの機会をいただきました。先生に、「最低30回は練習するように」と言われていましたので、31回練習しました。後輩にもリハーサルをし、聞いてもらいました。「今のどうだったかな?・・・」「橋本さん、エー・・・は3回、アノーは2回でした」「う・・ん5回も出ちゃったか・・・で本番では出さないように頑張るぞ!!]ついに本番がきました。45分間話をしました。研修から外すといった上司がニコニコしながら「橋本君、今日は素晴らしいプレゼンでした」「そうですか?」「エー・・・もアノー・・・も全然なかったじゃないですか・・・」「ありがとうございます」「ついては、研修担当部長を任せようと思うんだ」「ありがとうございます。頑張ります」お陰で昇進がかないました。これからも「エー」が出ないように努力しながら、お客様に喜ばれる研修をしていきます。 (平成19年5月『話し方教室』修了式成果発表コンクールより一部抜粋)■ 今日のポイント「ムダ言葉はいっさいいれない」───────────────────────────────────「エー、たいへん長らくお待たせいたしました。エー、ただ今から福田、増山ご両家の結婚披露宴を行います。 エー、ご両家の皆様、本日はまことにおめでとうございます。エー、お日柄もたいへんよろしく、エー、天候にも恵まれまして、最高の日ではないかと存じます。 エー、福ちゃん、花子さん、おめでとうございます。エー、けさがたはちょっと雨模様で、どうかなーと心配でしたが、エー、さいわいお天気になってよかったですね。 エー、私たち紹介いたします。エー、本日の司会をつとめさせていただきますのは、私、飯田と、隣はエー、工藤くんです・・・」これはある結婚披露宴で、式に入る前の司会者の言葉をそっくり文字にしたものです。わずか50秒ほどの間にエーが11回も出てきています。この人はこの後もエーを言い続け、開会の辞を述べ終わるまでに合計21回のエーを発声しました。この人のクセなのでしょうが、充分な準備をしていないと、「エー」「アノー」などのムダな言葉を連発することになります。これだけエーとかアノーという言葉がでると、スピーチはまったく聞きづらくなります。教室でも、はじめに自己紹介をしていただきますが、アイウエオが全部でてきて、一分間に27回も連発する人もいます。このエーとかアノーという言葉が入りますと、聞きづらいだけではなく、時間がとてもムダになります。3分間のスピーチでしたら1分くらいはこのムダな言葉にとられてしまい、残りの2分くらいでいい切らなくてはなりません。だから短いスピーチほど、ムダな言葉を省かなければいけないのです。では、なぜエーとかアノーという言葉が出てくるのでしょうか。原因は2つあります。ひとつは口ぐせ。もうひとつは準備不足です。エーとかアノーをよく使う人は、ふだんの会話の中でも無意識にエー、アノーを使っています。それがスピーチにも出てくるのです。ただ、口ぐせというのはなかなか直すことがむずかしく、ふだんから意識してとる努力をしないと直りません。一方、準備不足が原因の場合は、準備を完璧にすればムダな言葉は必ずとれます。先にご紹介した方のように、意識してとる努力をすることです。
2007.10.03
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『河童(かっぱ)の川流(かわなが)れ』『河童の川流れ』河童でも時に水に流されることがあるというところから、その道の名人、達人と言われる人でも時には失敗することもある。類:●猿も木から落ちる●弘法も筆の誤り●過ちは好む所にあり●Even Homer sometimes nods.(ホーマーすら時に居眠り[失策]をする)●No one is wise at all times.(四六時中賢明なものはいない)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>*********門弟に案内されてきたのは、矢張り、源五郎たちだった。静(しずか)を抱いたあやの後ろから現れた女性を見て、真っ先に市毛大路郎が反応した。>市:純(じゅん)。そなたが何故ここに?>純:「何故ここに?」ではありません。一人娘の夫を剣の腕前で決めるなどと、戯(たわ)けたことを仰るから、我慢ならずにこうして参ったのです。>市:何が戯けたことだ? そなただってそうして私と添ったのではないか。>純:それはそれです。・・・ええ勿論わたくしは満足しております。ですが、聡(さと)のこととは別です。>市:何がどう別だというのだ。>純:当時は娘の夫は家が決めるものでしたが、当世は勝手が違ってきているのです。聡の周りの娘たちを御覧なさい。好いた好かれたで一緒になるそうではありませんか。>市:そうは言ってもだな、我が家には我が家の方針というものがあるだろう。>純:浪人している武家にどんな方針があるというのですか?>市:そう浪人浪人と言うな。>純:あら、だって事実なんですもの、仕方がないじゃありませんか。・・・それに、序(つい)でだから言わせて頂きますがね、太平の世の中では、剣術は嗜(たしな)みであって、身を立てる材料にはなりません。>市:これ、そんなことを言うものではない。>純:本当のことを言って何がいけないのですか?>市:剣術道場で、「剣術は嗜みだ」などと言うなと申しておる。>純:あ。・・・これは、皆様、失言を致しました。どうも娘のこととなると、周りのことが見えなくなってしまいまして・・・>千:まあ良いではありませんか。奥方様の仰ったことにも一理あります。ここは、ご息女を交えて今一度話し合いなされるのが良いかと存じます。>市:千場殿。拙宅内の恥を曝してしまい、情けない限りです。どうやら今日のところは出直してきた方が良さそうです。>千:まあそう仰らず、この千場めに、お手伝いさせてくださいませ。先ほどまで軽い乱取りをしていた門下生たちは、手を止め、突っ立ったままこの騒動を見守っていた。功次郎が見回すと、一斉に壁際に引き下がり、指示を待つべく、神妙に正座した。>千:奥方様、それに、熊五郎殿の親方とお内儀様、どうぞ、こちらへお集まりください。それから、猪ノ吉、熊五郎殿とこちらへ来て、ご一同にご挨拶なさい。>市:千場殿、何もお弟子たちが居られるところでせずとも・・・>千:まあ、そう堅いことを仰いますな。追っ付け、ご息女もここに見えられますから。>純:聡も来るのですか?>千:はい。只今お迎えに伺っているところです。・・・ご挨拶が遅くなりました。千場功次郎で御座います。>純:市毛の家内の純で御座います。>千:存じております。・・・25年前に、拝顔致しております。>市:千場殿はな、件(くだん)の試合で唯一私から一本取ったお方だ。>純:あっ。>千:その節は、貴方様を愚弄するようなことをしてしまい、お詫びの言葉もありません。>純:・・・そうですか。やはり、ご立派な道場をお建てになられたのですね。>千:ここまで盛り立てたのは、婿の猪ノ吉の手柄です。私などは、今では隠居も同然。・・・唯(ただ)無鉄砲なだけだったあの頃が懐かしいようです。>純:そんなことを仰らないでください。職を失った市毛とは違うのですから、千場様には益々名を轟(とどろ)かせて頂かなくてはいけません。>千:はは。そのような大それたことなど望んでは居りませんよ。>純:なんの。曲形(まがりなり)にも指南役を務めるほどになった者から一本取ったお方ですもの。>千:いや、きっと、私の珍妙な型に戸惑いなさったたけのこと。「上手の手から水」というやつですよ。>市:そんなことは御座らん。千場殿の強さは、立ち会った拙者が一番分かっております。>熊:あの、皆様の譲り合いの精神ってやつは美しくて結構なんですが、それじゃあ切りがありませんや。親方たちがどうして奥方様とご一緒してるのか、その訳を聞かして頂けませんか?>純:そうでしたね。・・・どういうご縁かは分かりませんが、市毛が田原屋さんのご主人に頼み事をしてあるというので、どういう経緯(いきさつ)なのかと聞いて回っておりました。そうしたら、娘の聡の婿探しだというではありませんか。なんと早まったことをするのかと、更に足取りを追いまして、今朝ほどやっと源五郎様のところに行き着いたのです。そこへ、市毛が然(さ)る道場に出掛けたという報せが来ましたので、慌てて源五郎様に案内を願い出たのです。>熊:なあるほど。・・・で、親方?>源:なんだ?>熊:親方はどうしなさるお積もりなんですか?>源:俺たちが係(かかず)らっていても良いことなのかどうか決めて貰って、もうこれ以上出しゃばるなということなら、引き下がるべきだろうな。>熊:そうですよね。元々が田原の父つぁんの尻拭いですからね。しないで良いんならそれに越したことはねえですよね。>市:待て待て。それでは話が違う。>純:あなた! 大概になさいませ。ご自分で探せないものを昨日今日会ったばかりの源五郎様に委(ゆだ)ねようというのがそもそも筋違いだとはお思いになりませんか?>市:それはそうだが・・・>千:まあまあ、そう邪険になさらずとも良いではありませんか。少なくとも、拙者を市毛殿や奥方様と引き合わせてくださったのです。私は良い縁を取り持ってくれたと感謝しておるのです。>市:そうなのだよ、純。私の願いの半分はここでこうして叶ったのだ。ある意味では、田原殿に頼んだ甲斐(かい)があったというものだろう。>熊:いっそのこと、お嬢さんのお相手もここで見付かっちまえば、万万歳なんですがね。この道場には、おいらたちなんかと違って、家柄も腕も学問も文句なしのお相手が50人から居るんですからね。そうこうしているところへ、八兵衛たちが戻ってきた。連れてこられた市毛の娘は、見るからに若く、ともすると、お咲やお夏と変わらない年頃かも知れない。>聡:あら、母上までいらしたんですか? お揃いで結構なことね。>市:これ、無作法な。先ずこちらへ座って、ご一同にご挨拶せぬか。>聡:はーい。聡は、ちょこまかと走ってきて、母親の脇にすとんと座り、「聡です。お見知り置きを」と言い、にっこり笑った。>千:市毛殿、不躾(ぶしつけ)なことをお聞きするようですが、ご息女は幾つになられるのですか?>市:間もなく、数えの17になります。長いこと子宝に恵まれませんで、やっと生まれた娘なものですから、少々甘ったれに育ててしまいました。>千:差し出がましいようですが、婿探しの件はそれほど慌てなくとも良いのではないですか?>市:いや、拙者も間もなく50になろうとしております故、少しでも早くに婿を取り、男子を儲(もう)けさせ、市毛の名を継がせたいと思って居るのです。ご忠告は尤もなのでしょうが、我が家の事情故、干渉はご無用に願いたい。>八:あの。>市:何かな、八兵衛殿?>八:道々伺ったんでやすがね、お嬢様は婿を取るんじゃなくて嫁に出たいって仰ってるんですが。>市:なんと。本当なのか、聡。>聡:そうよ。だって、父上が家に居るようになってからこっち、母上が嬉しそうなんですもの。あたしがいなくなれば、夫婦水入らずで楽しくしていられるでしょ? あたしだって、お邪魔虫でいたくないくらいの分別はあるのよ。>純:まあ、この子ったら。>市:そのような本末が転倒したことを申すでない。武家は御家(おいえ)があってこそ。立派な殿御(とのご)を得て立派な後継ぎを生(な)すことだけ考えて居れば良いのだ。親夫婦のことがどうであろうと、子供はそのようなことを考えなくとも良い。>聡:あら。そんなことで良いんなら、10年くらい懸けて、ゆっくりと立派な殿御を探すわ。父上たちが亡くなったって市毛の血が絶える訳じゃないんだもの。>市:理屈を捏(こ)ねるのではない。>千:はっはっは。娘御に掛かっては、剣豪の市毛殿も形無しですな。>市:千場殿、笑い事ではありませんぞ。>八:そういうのを、「河豚は食いたし命は惜しし」って言うんですよね。>熊:お前ぇ、ほんと、食い物のこととなると、知らなくても良いようなことまで知ってるな。>八:だから言ってんだろ。分からないことがあったらこの「八兵衛殿」に聞けってよ。>熊:何を言ってやがる。「人は死して墓を残す」なんて言ってるやつがよ。>八:なんか間違ってたか?>熊:「虎は死して皮を残し人は死して名を残す」ってんだ。尤も、お前ぇなんぞには、残せる名誉も財産もねえだろうけどよ。>八:流石(さすが)の「八兵衛殿」だって、100遍に1遍くらい間違うさ。>聡:あはは。八兵衛さんって、面白い人ね。それから、相方(あいかた)の人も。>熊:「相方」って、おいら三味線弾きかなんかじゃあねえんですけど。>聡:言葉の文(あや)よ。・・・でも、お2人みたいな面白い人と夫婦(めおと)になれたら、一生楽しいでしょうね。>熊:からかうのは止(よ)してくださいよ。おいらたちだって二六時中(にろくじちゅう)頓珍漢(とんちんかん)なことをやってる訳じゃねえんですから。>八:何言ってやがる、大工は毎日トンテンカンやってるじゃねえか。(つづく)---≪HOME≫
2007.10.02
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『渇(かっ)すれども盗泉(とうせん)の水を飲まず』 『渇すれども盗泉の水を飲まず』[=食(くら)わず]いくら苦しく困っていても、不正、不義に汚れることを嫌い、身を慎むこと。故事:中国の孔子が「盗泉」という所を通った時、喉(のど)が渇いていたが、その地名の悪さを嫌ってそこの水を飲まなかった。類:●鷹は死すとも穂を摘まず●悪木盗泉出典:「淮南子-説山訓」「曾子立廉、不飲盗泉、所謂養志者也」 人物:孔子(こうし) 中国、春秋時代の学者、思想家。前551~前479。名は丘(きゅう)。字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)。儒教の開祖。魯の昌平郷陬邑(すうゆう=山東省曲阜県)の生まれ。最初司寇(しこう)として魯国に仕えたが、容れられず、辞して祖国を去り、多くの門人を引き連れて、約14年間、70余国を歴訪、遊説。聖王の道を総合大成し、「仁」を理想とする道徳主義を説いて、徳治政治を強調した。晩年は教育と著述に専念し、六経(易、書、詩、礼、楽、春秋)を選択編定したとされる。後世、文宣王と諡(おくりな)され、至聖として孔子廟(文廟ともいう)に祀られた。*********熊五郎は、旧友である猪ノ吉(いのきち)と再会の喜びに浸(ひた)る暇もなく、道場の上座(かみざ)近くに座らされた。猪ノ吉は「なんで熊五郎がこんな場面で?」というように訝(いぶか)しい表情をしたが、師範(しはん)に場を取り仕切られてしまって、切り出すこともできなかった。>千:市毛大路郎殿、ご無沙汰(ぶさた)を致しました。千場功次郎で御座います。いつぞやは名乗りもせず、手合わせ中に逃走してしまい、失礼をば仕(つかまつ)り申した。>市:千場功次郎殿と申されるのか? お探し申しましたぞ。漸(ようや)く会え申したな。>千:お腹立ちのことでしょう。許してくだされ。>市:腹立ちなど、疾(と)うの昔に忘れ申した。近頃では、間を裂かれた同志を恋うるような気持ちでいたくらいです。>千:そう言って頂けると、こちらとしても気が楽になります。・・・そこな熊五郎殿は、当道場の師範代であるわたしの義子(ぎし)の旧友であられる。今回の話が持ち込まれたのも、何かの縁、改めまして、お付き合い願えればと考えております。>市:縁とは異なものですな。できれば、野暮(やぼ)用など忘れて、一献(いっこん)酌(く)み交わしたいところです。>千:それは良い。早速用意させましょう。>熊:ちょっと待ってくださいまし、大(おお)先生。>千:何かね? 熊五郎殿。>熊:縁結びの件が落着(らくちゃく)しねえと、鬼瓦みてえな親方にどやされちまいます。後生(ごしょう)ですから、市毛様のご息女(そくじょ)の件を、早いとこ纏(まと)めちまってください。>千:そうか。そうであったな。熊五郎殿を困らせる訳にもいかぬな。・・・市毛殿、ご息女の件は、如何(いかが)なさるかな?>市:そうですな。まあ、この道場で決まるかどうかは分からぬが、試してみるのも一興(いっきょう)ですかな?>千:はは。腕前の方は、衰えてはいませんかな?>市:なんの。退任させられたからといって、そう易々と鈍(なま)ってしまうほど生半可(なまはんか)な鍛(きた)え方はしておりませぬよ。>千:それは頼もしい。当道場には、少し荒削りではあるが、中々の使い手が居りましてな、お眼鏡にさえ適(かな)えば、お好きなように引き回されても一向に構いませぬが?>市:ほう。腕が鳴りますな。>千:一応、念のため確認させていただきたいのですが、ご息女はご同席なさらずとも良いのですかな?>市:構いませぬ。予(あらかじ)め申し付けてありますから。>千:しかし、市毛殿が見事(みごと)ご妻女殿を勝ち取ったあの会場でも、ご本人が立ち会っておられたではありませぬか?>市:うむ。そう言われてしまうとそうするのが筋というものなのであろうが、この度(たび)は、人を募(つの)って大々的に催(もよお)すという訳ではありませぬからな。>千:形がどうの、体面(たいめん)がどうのということで言っているのではないのです。ご息女本人のお気持ちのことです。>市:ですから、それは了解させてあると・・・>千:市毛殿、25年前とは時勢というものが違っております。今時は、女子(おなご)の気持ちも察してあげないといけないような世の中なのです。連れていらっしゃいませ。>市:そうですか。ご指摘、忝(かたじけな)く受け申そう。大路郎が娘宛ての書簡を認(したた)め、家を知っている八兵衛が遣いに指名された。「お付き」は、庭掃き係の2人である。到着を待つ間、熊五郎はやっと猪ノ吉と話す機会に恵まれた。>猪:熊ちゃん、なんであんたがここに来るようなことになったんだい?>熊:元を糺(ただ)せば、総元締めが亡くなる前に引き受けなすったことだったんだ。「遺言(ゆごん)」みてえなもんだよ。>猪:その遺言がどうして熊ちゃんのとこに回ってくるんだ? そんなに偉(えら)くなっちまってるのかい?>熊:真逆(まさか)。おいらたちの親方の源五郎ってお人が、お偉いさんたちの間で、結びの神みてえに思われちまってるせいなんだ。見たら魂消(たまげ)るぜ、鬼瓦みてえな顔してるんだからよ。>猪:その親方の名代(みょうだい)ってことかい?>熊:そんな御大層なもんじゃねえさ。只(ただ)の使いっ走りよ。そもそも、今日は下打ち合わせだけの筈だったんだぜ。それをどこがどうした訳か、揃いも揃ってせっかちだらけでよ。あっという間に「さあお立ち会い」ってなもんよ。>猪:そうかい。そりゃあご苦労なこったな。>熊:「ご苦労な」って、それだけか? 止(や)めようとか、止めさせようとかって言い出さねえのか?>猪:なんでだ? 面白そうじゃねえか。こちとら太平過ぎて、くさくさしてたところだ。丁度良いじゃねえか。>熊:お前ねえ、事は人1人の婿取りの話なんだぞ。そんな調子で進めちまって良いのか?>猪:良いのかってったって、先方さんの望みなんだろ? 良いに決まってんじゃねえか。熊ちゃんだって、さっさと片付いちまった方が清々するだろ?>熊:そりゃあそうだが、なんだか、今一つ釈然(しゃくぜん)としねえんだよな。>猪:それならこうしちゃあどうだ? 婚儀が纏(まと)まるかどうかはご当人同士の話し合いに任(まか)せるってことにしとく。義父(おやじ)殿もそう言ってることだし。・・・まあ、熊ちゃんには悪いんだがな。>熊:その方がおいらも納得(なっとく)がいくぜ。けど、あの市毛様ってのは相当な堅物(かたぶつ)だぜ。>猪:そこは義父殿に丸め込んで貰うさ。あののらりくらりは天下一品だ。>熊:ああ。そいつはさっき見せて貰った。そりゃあ上手に銚子様を丸め込みなすった。>猪:はは。そうか。いっそのこと、商人にでもなっていたら、大儲けできていたかも知れねえって冗談話をするんだ。>熊:如何様師(いかさまし)だってできるぜ。>猪:幾らなんでも、そこまで零落(おちぶ)れやしねえがな。>熊:ご尤(もっと)も。そうなってたら、夜盗の小頭(こがしら)だもんな。>猪:止せやい。仮令(たとえ)道場が潰(つぶ)れたって、悪事になんか手を染めやしねえよ。同じ頃、功次郎と大次郎も似たような話をしていた。>千:市毛殿。差し出がましいことを聞くようですが、職を求めようという気は御座らんのですか?>市:この年じゃ、仕官(しかん)先など見付かろう筈もない。早々に隠居して、倹(つま)しく生きようかと思って居ります。>千:しかし、その腕前を只遊ばせておくのも勿体ない話です。>市:用心棒の口くらいならあろうが、兎角(とかく)用心棒を欲しがるところは、黒い影が付き纏うものですからな。>千:清廉な腕を汚すのは、如何かと思いますな。>市:零落れたとはいえ、指南役までした誇(ほこ)りというものがあります。木の根を毟(むし)って食おうとも、悪事になど荷担する積もりはあり申さん。>千:流石(さすが)は市毛殿。この千場、感服(かんぷく)仕(つかまつ)り申した。そこへ、1人の門弟が息急き切って走り込んできた。>男:た、大変です。門のところに人相の悪い男が来ています。一見武士ではないようなんですが、道場荒らしの類(たぐい)ではないかと思うんですが。>千:何? またか?>猪:私が見てきましょう。>熊:ちょ、ちょいと、待っとくんなさい。>猪:どうしたんだい、熊ちゃん?>熊:あの、もしかして、鬼瓦みてえな顔じゃぁありやせんでしたか?>男:正(まさ)しく。>熊:それから、おいらのと同じような半纏(はんてん)を着てませんでしたか?>男:そう言われると、そうかも知れぬ。・・・あ、それから、女人(にょにん)を2人連れていたような。>熊:赤ん坊を抱いてませんでしたか?>男:そのようでもあったな。>熊:間違いねえ。うちの親方だ。>猪:心配になって見にきたってことかい?>熊:そうみてえだ。あーあ、変なときに来て呉れたな。・・・いや、待てよ。良いところに来て呉れたのかな?>猪:益々面白くなってきたじゃねえか。役者が揃(そろ)ってきたぞ。・・・おい、丁重(ていちょう)にお迎え致せ。門弟は、現れたときと同様、ばたばたと慌(あわ)てて走っていった。>熊:ん? 待てよ。女の人を2人?(つづく)---≪HOME≫
2007.10.01
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