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何だか疲れたな、やる気がでないな、と思ったらちょっと遠回りして家に帰ることにしています。船に乗ってヨーロッパ側の出先から船でアジア側に渡り、バスに乗り換えて今度はボスポラス大橋を渡ってヨーロッパ側の自宅へ。なんてことが可能なのも、イスタンブルならでは。雨や霧でなければ少々寒くても、船の外甲板に座って景色を眺めていると、ここにいられる幸せを再認識できて、またやる気がでてくるのです。 金閣湾から旧市街の夕景 旧市街とアジアサイドを結ぶ船からアジア側 左がヨーロッパ右がアジア イスタンブルは、海で2つに分けられています。ボスポラス海峡(イスタンブルボアズ)でアジア側(アナドルヤカス)とヨーロッパ側(アヴルパヤカス)。更に、中心に近いヨーロッパ側は金閣湾(ハリチ)で旧市街と新市街に分かれています。スルタンアフメット地区のある半島はマルマラ海に向けて張り出しているので、概ね、アジア側と旧市街の間にある海はマルマラ海で、アジア側と新市街の間にある海はボスポラス海峡になります。ボスポラス海峡をジグザグと進むボスポラスクルーズは一日がかりになるので特別なお出かけという感じですが、金閣湾をジグザグ進む船や、アジアサイドとヨーロッパサイドを結んでいる定期便は地上を走るバスの海版という感じで気軽に使えます。 船を降りて、海沿いの道を釣り人たちを眺めながら散歩するも良し、船から岸辺に立ち並ぶ100年物の家々を眺めるも良し...
2007.02.28
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今年の冬はトルコでも暖冬だったのですが、乾燥しているせいか、それとも暖房や車の排気ガスのせいで空気が悪いからか、毎年秋口から春先までのどの調子が悪いというのをよくききます。私も、風邪をひくと変な咳がなかなか抜けません。トルコに来て以来、ごほごほ咳き込んでいると、”ナーネ リモン(ミントとレモンを沸かしたもの)とか、ウフラムール(リンデン茶)を飲めと言われます。トルコでは、ミント(ナネ)、オレガノ(ケキク)、リンデン(ウフラムル)、ローズヒップ(クシュブルヌ)、オリーブの葉(ゼイティンヤプラウ)...といった乾燥ハーブをよく使います。料理だけではなくお茶にしたり、オリーブオイルにつけてパックにしたり...。飲むと確かに少し楽になるような気はするものの、もともと、きつい香りやぼんやりとした味があまり好きではないので、私はハーブティーは苦手で敬遠していました。ところが、風邪が治って咳だけが残っていたある日、用事があって友達の家に行ったところ、好きなのを入れなさい、と、いろいろな花や葉っぱの混じった袋とマグカップを手渡されたのです。袋の中には何だかよくわからないものも含めて10種類以上の花だの葉っぱだのが混じって入っていました。適当に選んで入れてみると、今までティーバックで飲んでいたものに比べると、ずっとはっきりした味で美味しい上に、なおかつ、乾いた状態ではしわくちゃの物体がお湯の中で開いたお花になってぷかぷかと浮かんでいるではありませんか。かわい~かわい~ バラの花 レモンの皮 ハイビスカスそれ以来、ティーパックではないハーブティーにはまっています。飲みにくいのだけれどガラスのマグカップにするとプカーっと浮いてくる花やお茶の色が楽しめます。バラ(ギュル)、りんご(エルマ)、シナモン(タルチン)、セージ(アダチャユ)、カモミール(パパティア)、ハイビスカス(これはトルコでも同じくハイビスカス)、ショウガ(ゼンジフィル)、丁子(カランフィル)そしてもちろん、ナネとウフラムルと10種類くらいを瓶に入れて、その日の気分でマイブレンドティーを楽しんでいます。 上の写真は、私がいろいろなお茶を仕入れに行ったエジプシャンバザール(ムスルチャルシュス)のお店と、そのお店の特製咳止めブレンド。
2007.02.27
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サルデスの遺跡は、Sartという村にあります。パムッカレからイズミルに向かう幹線道路(といっても2車線)から500メートルほど入った所に古代の町の遺跡が復元されています。左の写真の学校は、古代のものとは思えないほど(復元しすぎという気も...)ですが、裏に続く商業施設の跡などはやはり2000年の時を感じさせてくれます。 右の写真の山の中腹辺りに古代劇場がまだ埋まっているのだそうです。夥しい数の遺跡が残るトルコでは、ほとんどの遺跡が発掘中です。何十年も続く発掘作業...何百年もかけて埋まったものを掘り出すのも簡単ではないですね。そういうこともあってか、他の三つの会衆の遺跡はまとまった形を成していません。スミルナは現代のイズミル市の下にあり、近代的な町の中に突然ローマ時代の列柱が並んでいたりしてなかなか興味深いですが。フィラデルフィアはアラシェヒル、テアテラはアクヒサルの場所にあったようです。
2007.02.26
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1世紀のペルガモンは、トルコ西部のベルガマ市にあります。現在トルコ第三の都市、イズミル(1世紀のスミルナがあった所)から車で一時間ほど、小高い山に挟まれた山間の街です。地の利を活かして古代の町は、見晴らしの良い丘の上に造られており、アクロポリスからは現在のベルガマ市が見晴らせます。山の傾斜に合わせてか、ここの古代劇場の傾斜はとても急で、高所恐怖症の私など、どんなに素晴らしい演劇でもここに座ったら下の舞台を眺められないだろうと思うほどです。 市の西側にはアスクレピオンの遺跡もあり、サナトリウムというか病院というか...の遺跡が残っています。写真では夕景で何も見えませんが。
2007.02.25
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「...なまぬるく、熱くも冷たくもないので...口から吐き出そうとしている。」(啓示の書3章16節)と言われたラオデキア会衆。もちろん行いに対して言われた言葉ですが、この表現になったのもなるほどな、と思わせる場所にあります。パムッカレの石灰棚を作る要因になった温泉は、源泉でも40度を越す程度なのです。パムッカレの石灰棚を流れるお湯は熱くも冷たくもない、生ぬるいものです。 実は、聖書時代のラオデキアの遺跡はデニズリ市街から6キロほど行った所にある丘の上にあります。現在も発掘が続けられています。上の写真は、パムッカレの石灰棚の上にあるヒエラポリスの遺跡です。これは少し時代の下がった、リキア時代の遺跡です。
2007.02.24
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使徒パウロが3年近く滞在し、啓示の書の宛先に指定された七つの会衆の一つ、エフェソス。現在訪れることのできる遺跡からも非常に豊かで繁栄した都市だったのは明らかで、エフェソスの会衆に宛てた手紙の中で物質主義や不道徳に関して度々触れられているように、当時のエフェソスに暮らすクリスチャンにとってその二点が立ち向かうべき誘惑の元であったであろうことが窺えます。 現在のエフェスの遺跡を象徴する壮麗な図書館、色とりどりの大理石やモザイクで飾られた道、何万人も収容できる大劇場、下水設備のある「近代的な」町であった証しのトイレ... トルコ西部に数多く残っているギリシャローマ時代の遺跡の中でも、最も整った遺跡で、当時の都市の造りが垣間見え、大理石の道を歩いたり、トイレに座ってみたり、劇場の舞台で歌を歌ってみたり...2000年近く前の様子を黙想する助けになる遺跡だと思います。しかし、どれほど繁栄しても時が経てば野の花が咲き乱れる...自然は強いですね。
2007.02.23
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シリンは、2000年の秋にトルコ南東部のヴァンで産まれました。彼女の初めての冒険は、3ヶ月くらいになった頃。お父さんとお母さんを離れてイスタンブルの伯父さんの所にもらわれてくることになったのです。2時間の飛行時間を、何故か鳥篭に入れられて飛ぶことになったシリンは、もちろん我慢できず、籠から飛び出し飛行機の中を走り回ったのだそうです。きっと、うんと不安だったのだろうと思うのですが...今ではすっかりたくましく育ち、何かして欲しいときにはじっと見つめるだけでほとんどのものを手にすることができるのです。でも万が一それで駄目なら声高に主張する。万万が一、それでも駄目なら泣き落とす...なんていうテクニックを身につけ、姫としての立場を不動のものにしているのです。 でも本当は、こんな風に両手をそろえてお願いされたら、喚いたり泣いたりしなくてもめろめろなんだけど...名前に相応しく可愛くお願いする術も知っているのでした。sirin (シリン)は可愛い、愛らしいという意味で女の子の名前にも使われます。sirincik(シリンジック)と-cikが付くとーーちゃん、といった感じになります。かわいこちゃん、て何だか嫌だけど...人の名前の後に付けてよく使います*どちらもsは髭のついたsです。
2007.02.22
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チグリス川はトルコ語でDicle、ハサンケイフは、チグリス川に面した小さな村です。川に面して11世紀から18世紀にかけての色々な様式の建築物が残る興味深い所です。ディヤルバクルとマルディン県のミディヤットを繋ぐ道ができた今は、ディヤルバクルから一時間ほどの所にあるバトマンから車で40分くらいで行けます。峻厳なミディヤット山脈を南側の背景に持ち、西から北に向かって蛇行しながら流れるチグリス川の懐に抱かれるような形のハサンケイフがいつ頃から街として存在していたのかははっきりしていませんが、古代オリエント文明発祥の地の北端、チグリス川という大動脈に面しているという位置条件と、5千個近くもあるという岩に開いた多くの穴が穴居時代の住居としての性格を示しているということから、有史以前からの存在を主張する説は多いものの、証拠は見つかっていません。 現在のハサンケイフの場所に城塞が造られたのは4世紀、ビザンツ帝国のコンスタンティヌス大帝の命によるものでした。ササン朝ペルシャとローマ帝国の争奪地域となっていた小アジア南東部の守りの拠点として、チグリス川に臨む幾つかの要衝に築いた城砦の一つだったのです。 12~13世紀にはトルコ系オウズ族の氏族の一つARTUKLU朝の中心として栄えました。マルディンのウルジャミのミナレットとそっくりのミナレットは当時のものです。 今、建設中のダムが完成した暁にはハサンケイフは水没することになっています。規模をかえる等の調整や歴史的な遺物を移転する等の救済計画が行われているという話ですが、どうなることでしょう。峻厳な山襞の狭間を縫って流れるチグリスに抱かれたかのような小さな村が、できる限り残って欲しいなと願うのみです。 とはいえ、人の活動の結果多くのものが失われ、又築かれてきた営みが歴史というものなのでしょうか。参考文献:Burhan Zengin, Hasankeyf Tarihi ve Tarihi Eserleri, Istanbul, 2001
2007.02.21
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トルコ共和国のイスタンブルに住んでいます。 私は一応人間のDilbend、相棒のヴァン猫シリンと一緒にトルコのこと、トルコ語のこと等書いていきたいと思っています。 Dilbendは私にとってのトルコを意味する言葉で、シリンは可愛い、愛らしいといった意味です。 他の人が見たら、とても可愛らしいとは思えないかもしれないほど、すっかり大きくなったシリンだけど、私にとってはいつまでも愛らしいのです。(夜中にお腹にのられたり、遊びがエスカレートしてがぶがぶ噛みつかれたり、日本から空輸している貴重な食材を食べ尽くされると...だけど) トルコに来て最初のうちは、本当に迷っていました。一ブロックが大きいので一本道を間違えただけでも戻るのに相当かかり、迷わず行けば歩いて20分ほどの学校から戻るのに何時間もかかったこともあります。元々すごい方向音痴なのに加え、まだトルコ語がよくわからなかったこと、更には知らなくても知らないといえず親切にも適当に道を教えてくださるトルコの方々のお陰で、毎日迷子、迷子ダイエットに成功したほどでした。もっとも、迷わなくなって久しい今は、美味だけどカロリーも高いトルコ料理のおかげもあり、すっかり元に戻ってしまいましたが... 今も、知らない所ではやはり迷いますが、大分、土地勘がついてきたのと、言葉ができるようになってきたお陰で、何とかなるようになりました。 最近は、確信犯的な迷子になることが多いです。知らない小道に迷い込んでみたり、のったことのないバスに乗って行ったことのない地区に行ってみたり。危険にならないようにだけ注意しながら、迷子遊びもしています。 Dilbendの本業は学生、トルコ語学科の博士課程でトルコ語を専門に学んでいます。 トルコ語-日本語の翻訳、通訳等の仕事もしています。メールでお気軽にお問い合わせください。 シリンの本業は、姫。我が家の姫として君臨し、人間達をニャ-の一言で意のままに動かしています。副業は、猫だけに寝ることかな。 こんな私たちですが、よろしくお願いします。
2007.02.21
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