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Herryさんの書き込みで思い出した事です:我が家には、電子レンジが二つあるのですが、一つは、いにしえのだもので、高熱だと中側の壁が溶ける危険せいがあるしろもの。それで料理し終わったものを保温して置くだけの為に使ってます。去年そのレンジに入れた料理を感謝祭のディナーに出し忘れたので、今年はちゃんと「忘れるな」と、張り紙をしておきましたから、大丈夫だったのです。ところが、昨日のブログに写真を載せながら、「ところであのクリームド・オニオンは人気があって、きれいさっぱりなくなったのだろう。今年は私の口に入らなかったと思っていました。そして今朝「あれ?あの深い入れ物はどこだろう?」なんとなく嫌な予感を胸にいだきながら探しまわったら、オーブンの棚の奥のほうに入っていたのです。私の口どころか誰の口にも入らなかったわけですよ。娘の好物なので、折角めんどくさい思いをして作ったのに、出し忘れてました!! ガチョ~~ン!で、ここに、ひろさんに頼まれた、そのクリームド・オニオンのレシピを入れます。私の料理はいつもアバウトですからね、量としてはここに写ってるくらいのパール・オニオンを使ってください。(ラッキョウにするのよりちょっと大きめの玉ねぎ)これを茹でて、ホワイト・ソースと混ぜ、パセリで飾る!それだけです。ホワイト・ソースは、同じ量のバターと小麦粉に、ミルクか出来ればブイヨンを溶かしたスープでルーをつくって、塩、胡椒で味付け、弱火でとろとろ液体で伸ばすだけです。味見をしながら、適当にほかの調味料をいれたらどうでしょう?隠し味として、ちょっとお醤油か、ウースター・ソースを数滴たらすこともありますし、イタリアン調味料を振り掛けることもあります。もっと美味しくしたかったら生クリームを使えばよいのです。★小さな玉ねぎの皮を剥くのに何時間もかかるので、熱湯に玉ねぎをそのまま入れてちょっと煮立たせると、旨くむけます。トマトの皮をむく容量ね。ロースト・ビーフ(私はプライム・リブを使います)ビーフに、塩、コショウ、好みでみじん切りのにんにくをまぶし 小麦粉で、完璧にシールします。つまりもれなく外側を粉 で閉じるわけ。油側を上にして器にいれる。 肉の用意はそれだけ。 問題は、オーブンです: 1.500度(F)で20分、オーブンの中を極暑に しておく 2.肉をいれ、450度で30分ローストします。 3.温度を保温程度の低温にして1時間そのまま。 これだけです。 秘密は、いったんローストをオーブンにいれたら、 絶対に開けないこと。肉が分厚く、ミディアムにした かったら、#2と#3を少し伸ばせばいいでしょう。
2008.11.30
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ふぅ~!やっぱり歳ですね。あまり散らかったまま寝るのが好きでないので、90%片付けて、熱いお風呂にゆっくりつかって寝たもので、今朝はいつもより二時間も遅く目がさめました。疲れる筈です、殆ど座ることもなく一日中たち続けでお料理していたからでしょう。人が集まる日になるとグレッグは本当に子供と同じで、私がテーブル・セットをしたり、料理中、もうはしゃいじゃって、ちょうしっぱずれの歌を歌ったり、踊ったり「もっと塩をいれたら?」とか、「焼きすぎないように」とか、キッチンに余計な口出しをしにくるので、一日中私から怒鳴られっぱなし。その時だけしおれて「くそ婆」とかぶつぶついっては、庭に出るのですが、数分すると忘れて、「ばあさん、どれどれ、味見してやる」というあんばい。 さて、毎度の事ながら、前夫からメールが来て、「七面鳥(丸焼き)持ってくるから」と言うのですが、去年は、最後の最後まで一人から、二人になり、前日には、皆キャンセルすることになり、そのつもりで用意しておいたら、当日になって三人で現れたりでスケジュールが変わってばかり。あてにならないので、今年は必ずターキーを持ってくることを約束させました。すると案の定、1時間前になって電話!「もう一人連れてきて良いかな」もうぎゅうぎゅう詰めのテーブルにまた一人前追加で、ナイフを置く場所もないくらい。最終的には14人でした。毎年みえるタケさん夫婦の奥さんが、日本に里帰り中でしたが、親戚ご一家がいらして下さって嬉しかったです。ご主人は脳外科のお医者さんですから、嫁のイリナと話がはずんでいました。(初めての方に、イリナも医者です)日本では、もう12年以上のベテランのドクターですが、今年から二年、カリフォルニアの大学病院で研究に取り組んでいらっしゃるそうです。体中から「善人」のエネルギーを発散させていらっしゃるドクターです。奥様も気さくな方だしお子達もお行儀がよくて可愛いかったです。娘と息子夫婦は三人ともとっても仲良しで、来月は三人で休みを利用して、北の方に旅をする計画をしていました。親として、きょうだいが仲良くしてくれるのは、本当に嬉しいものです。私は一人ひそかに、分かれた夫とも友達でいられることや、遠くから来てくれる子供達や友達がいること、この不景気でも食べられる事に感謝をしました。★もっと、写真をごらんになりたい方は、ミクシィのアルバムをどうぞ。http://mixi.jp/list_album.pl
2008.11.29
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先週、「来る月曜の9AM~5PMまで、あなたの隣組の電元設備を新しいものにかえる工事をしますから、その間電気は使えませんのでご注意ください」というメールを受け取り、PCの保存をする、冷蔵庫は開けない、ガレージのドアを手動にする・・・とかの注意事項が書いてありました。さて、グレッグはいないで静かだから、洗濯してアイロンでもかけようと思ってもかけられるはずはない。朝の9時~夕方の5時といっても、多分その間の数時間だけだろうとたかをくくっていたら、工事に困難を来たして、9AMから8PMまでかかり、実に11時間も電気が使えなかったのです。テレビもステレオもパソコンも使えないわけだから、今日はたっぷり本を読めると思いましたが、沢山することがあります。「あ、そうだ、生徒に日本語の辞書を買いにいく約束したっけ」と思い出し車の鍵をもったとたんに、ガレージのドアは、オートであきません。手動にすれば車を出して、また家の中側でしめて、玄関から出なければならなく、面倒になり翌日にのばしました。1時には生徒が来る筈。今何時だろう?と時計をみても消えてます。それで、応接間まで電池仕掛けの時計を見に行き、まだ数時間あることを確認して、生徒のレッスンのしたくをしようと二階に上がれば、パソコンは使えないわけです。仕方がないから、手書きでやっているうちに時間がきました。(パソコンならものの20分もあれば、終わるのに・・・数時間もかかりました) 急に涼しくなったので、生徒用にミニ・ヒーターを入れようと思っても、これもだめ。曇っているので、ちょっと暗い感じだけど灯りはつけられません。生徒には、前もってらせてあったので、問題はなかったのですが、さて、テスト用の鉛筆を削ろうとおもっても鉛筆削りも使えないわけです。ヒーターがだめなら、せめて熱いお茶をだしてあげようと、お湯を沸かしたくてもこれまた駄目。ガスレンジでもオート点火はマッチが必要となります。そうこうしてるうちに、生徒は帰りグレッグが帰宅しました。「チェ!ガレージ・ドアのリモコンが、もう、壊れちゃった!買い換えたばかりだってのに」と文句を言ったのですが、家中キャンドルなのを見て、やっと電気工事のことを思い出しました。「寒いよ、ヒーターつけてくれ」「停電だからつかない」「だって、ガス・ヒーターじゃないか」「点火も、サーモスも電気だから駄目なの」「え?そうなの?」とは、グレッグらしい質問。それで、家中ろうそくの灯りでソファーにねっころがって電池ラジオを聴いていたのですが、なかなか平和でよいものです。それにしても、いかに現代人は電気に頼っているか思い知らされた一日でした。 ★11時間の停電だったら、あなたは何をしますか?さて、私は、これからパンプキン・パイを作ります。
2008.11.26
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昨日、感謝祭の食材の買出しをすませ、家の片付けもほぼ終わり、グレッグが友達の家にとまりで遊びにいったのでひまがあります。今朝ネット新聞でみつけた共同通信のマリア・ガルッシ記者著;「ターミナル#2」を住みかにしている日本人。という面白い記事を訳してのせましょう。`The Terminal 2'? Japanese man makes airport homeMEXICO CITY; Hiroshi Nohara is on a layover at the Mexico City airport. It has lasted almost three months, and he has no plans to leaveFor reasons he can't explain, the Japanese man has been in Terminal 1 of the Benito Juarez International Airport since Sept. 2, surviving off donations from fast-food restaurants and passengers and sleeping in a chair.At first, he frightened passengers, and airport authorities asked the Japanese Embassy to investigate why the foul-smelling man refused to leave. Now, he's somewhat of a celebrity, capturing Mexico's collective imagination with nearly daily television news reports on his life at the food court.Tourists stop to pose with him for photographs or get an autograph.The Tokyo native flew into Mexico with a tourist visa and a return ticket home, but he never left the airport. In an interview Thursday alongside the airport McDonald's, he said he had no motive for his extended stay and doesn't know how much longer he'll remain.メキシコ市:ノハラ・ヒロシさんは、メキシコ空港で乗り継ぎの筈であるが、かれこれ三ヶ月もたつのに一向に飛び立つ様子がない。本人も説明不可能な理由で、9月2日から、ベニト・フアレズ国際航空にて一人の日本人の男性が、乗客や構内のレストランなどで物乞いをし、椅子で寝て、住みついている。最初の頃は乗客に恐れられていたので、係員が日本大使館に、この異臭を放す男が何故(目的地に)飛ばないのか調査を求めたが、今ではちょっとした名物男となり、メキシコのテレビ局が毎日のように彼の日常生活を放映している。ツーリストも、一緒に写真をとったりサインをしてもらったりしだした。東京出身のこの男は、ツーリスト・ビザでメキシコに来たのだが、一向に飛び立つ気配はない。構内のマクドナルド前でとったインタビューによると、何故空港にとどまることにしたのか、別に特別な意味もなく、いつまでいるかもわからないと言う。★何ですかこれ?こういう日本人がいるのですね。また、マスコミの 行動も一緒に写真をとったりサインを求めたるするツーリストってのも信じられないことですね。
2008.11.24
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日本でも明治、大正、昭和初期の写真をもっていらっしゃる方は大勢いるでしょう。しかし昨日の写真もそうですが、大叔父が明治時代からカメラを持っていたおかげで我が家には、写真館以外の写真も沢山残ってます。ここに、鮮明ではないけど、ちょっと面白い写真があります。一般日本人が西洋文化を取り入れようとしている経過が良く分かる写真です。沢山の看板がかかっていて、左から欧米刺繍研究会刺繍と図案発行所フランス刺繍と書いてあり、もう一つのは読めませんが、興味深かったのは、この写真をハガキとして使ってあったことです。つまりこの裏側に住所が書いてあり、祖父宛になって、切手がはってあったのです。これは百年後の今まで気づきませんでした。こういうアイディアが出るのは、やはり洋行帰りの人だと思うのですよ。西洋で見たものをまねしてみたのでしょう。この場合は、知り合いの写真をうつして送ってきたわけですが、絵葉書などのアイディアは、以外にこんなところから始まったのかもしれませんね。『篤姫』では、天しょう院にアメリカからミシンが送られるシーンがありますが、新しいもの好きだった祖母も、ミシンをもっており、母とその姉(ドイツに留学したおば)との服は全部自分で縫っていたのです。ですからここに入れた写真の姉妹の服は、祖母の作品です。味噌っ歯の写真は母で、自宅の応接間で写したもの。大正から昭和の世に移る時代で、姉妹ふたりで立ってる写真は、もう昭和初期に入った頃でしょう。この二人は洋服の方が多かったですね。家族で写した写真をごらんになれば一目瞭然ですが、母達は両親が可なり年取ってからの子供です。母は祖母が40近く祖父は50に近いころ生まれてます。この写真では祖母だけが着物ですから、この数日お見せした写真集だけでも日本の移り変わりをお楽しめいただけたでしょう。こうしてみると、「明治は遠くなりにけり」なんていうより、結構身近に感じませんか? 私は徳川時代に育った人の娘(祖母)の昔話を聞いて育ったわけですから、これで何故私がテレビの篤姫シリーズを楽しんでいるか、お分かりになったでしょう。ともすれば、私の死後はゴミ箱に行くであろう写真を皆様におすそわけ出来てうれしかったです。最後に、昭和の戦争中にうまれた私の写真を入れて終わりとします。(あのみそっぱの女の子が私の母となります)(謡と鼓を教えて私を育ててくれた祖母を喜ばせるために私も仕舞などを、ちょいとやりました)★今夜は、グレッグの絵が出てる本のサイン会・パーティーがあるので、ロスまで出かけ、明日から感謝祭の用意がはじまりますので、暫くブログは休みます。一番、時間がかかるのは、掃除です、あはは。普段なまけてるので、散らかり放題ですからね。そして、メニューを書き出し、食材の買出しね。感謝祭の様子などをカメラにおさめておきますからお楽しみに!でh、ごきげんよう。★追伸:書き込みへの返信はいたします。
2008.11.22
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これは、青山の祖母の家で、4,5歳の叔父が写っていますから大正です。それでも、圧倒的に着物が多いですね。今の根津美術館の隣にありましたから、母達が子供の頃は根津さんと遊んでいました。祖母たちは、青山通りに面した建物を沢山貸していて、パーティー好きな祖母は、年に数回店子達を全員招いて、餅つき大会とか、豆まき、桃の節句、端午の節句とか、やったそうで、これはそういう集まりのときの一枚で、金物やとか、自転車やとか、氷やとかいろんな商人たちの奥さん連です。女性連が台所で食事のしたくをしてるあいだ、殿方たちは、大広間で飲んでいるという具合でした。その頃の一般市民たちは、まだそういうパーティーなど知らない時代でクリエーティブだった祖母はゲームなども、いろんな趣向をこらしていたので、皆、ここにくるのを心待ちにしていたみたいです。祖父母は「一皮向けば、人間は皆おなじ。心が肝心」といって、決して自分の生い立ちをひけらかしたりしなかったし、こうやって店子家族と楽しむ事も頻繁にやっていたので、皆に慕われていました。
2008.11.21
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祖母たちの家は東京の青山にあったのですが、これは、母方祖父の父親、(私のひいじいさん)のお葬式なんです。今のように、霊柩車が無かった時代ですから、おみこしのように、担いだのですね。数枚だけ載せます。おみこしの後ろには、沢山の馬車が続いてます、恐らく参列者が乗ってるのでしょう。人力車が止まって、行列をみてるのが、分かります。(数枚だけのせます)その頃の青山通りを見てください。驚いたことに肉やがあり、(鶏肉ですが)その手前には、草津温泉というお風呂やがあります。お寺の斎場の向かって右にいる軍服の人達は、息子達や甥達で、左は祖祖母、祖母や最後までつきそっていた、看護婦が制服でたっているのが見えます。白無垢なのが目立ちますね。
2008.11.21
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昨日は中休みして、アメリカの話題をいれましたが今日は、また、明治に後戻り。祖母たちの親戚とか友達の写真集をおみせしましょう。日本がだんだんモダンになってゆく過程がわかると思います。軍国主義だった日本の象徴として、下の左から二番目の写真の男の子は、軍服のデザインの服をきてます。他のは全部写真館のだと思いますがこの写真はどうやら、大叔父のカメラで撮った祖母のいえの庭のようです。女の子一人に二人の男の子で祖母の家で撮った写真ですから、祖母のお姉さんとその子供達(母の従兄弟たち)でしょう。この軍服の長男が、やがて東大を出て国鉄副総裁から参議院議員になった人です。上の右端の女性の髪形、、、まるで時代劇の鬘みたいですが、全部本物だから、あの時代はまだ江戸時代の名残がありますね。下の右から二番目は、祖母の娘時代だと思うのですが、それぞれに、違う髪形でおもしろいです。まだまだ大人も子供も和服が多い時代ですね。
2008.11.19
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ブログを読んでいらっしゃる方は気づかれないでしょうが、先週は、三箇所で同時にグレッグのアート展が終わり、作品を取りに行ってました。一番遠くのは、ロスアンゼルス近辺だったので、娘と昼食のランデブーをし、「食後一時間ばかり散歩しない?」と、誘われて忙しくて出来なかった散歩をしてきました。娘のスタジオは、シャーマンオークという場所にありますが賑やかな通りには、大きなビルや、ショッピング・センターがあるのに、すぐ裏が住宅街になっているのには、驚きました。古い町で、大きな並木通りになっており、散歩するのに、もってこいです。バーバンクもこの辺も、映画やテレビのスタジオが連なっているので、ショー関係の仕事をする人が大勢住んでいます。レストランの壁には、食べに来たスターの写真が飾ってあるところも沢山あります。この辺に住んでいるのでしょう。「この前、ケンジのお守りをしてくれたから、私のおごり」と、娘が払ってくれ、ご機嫌で帰ってきました。そして今日は、お友達のフミコさんと、お食事。日本語で話すのですが、英語の生活をしていると、日本語がもつれてしまうことがあります。今年の夏日本に行ったときも、スラスラ出るまでに、二日かかりました。帰国すると、とたんに英語モードに切り替わるので、その内の、数時間を日本語にするのが大変です。でもお互いに英語も分かるので、英語とごちゃまぜにしても大丈夫。こういうお友達がいるのは、うれしいことです。
2008.11.19
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永い鎖国で井の中の蛙だった日本が、明治維新にはいって、堰を切って流れ出したような洪水のように政府はモダン革命にかかり、若い男女を(とくに男)留学生としてだしました。無論これは日本が始まってから初めてというわけではありません。平安時代の前からでも、優秀な若者は中国へ学びに出されていたわけですから。それが、徳川の鎖国でパタリと止まってしまったわけです。無論、表向きに鎖国と言っても船で、外国に行ってる人もいたと思うのですよ。ジョン万次郎の場合は漁船が難破して漂流していた時アメリカ人に救助されたわけですが、中には冒険好きな人もいたはずです。私、一人の考えですが、浦島太郎などのような物語も恐らく、そういう一人が船で沖縄(琉球)に行ったのではないかと思うのです。りゅうきゅうは、りゅうぐうに聞こえますし、乙姫さまのドレスをみても、髪形をみても、昔の琉球に見えてしかたがないのです。そして気候もよく食べ物も豊富な琉球で、楽しく暮し、ある日気がついたら、もう、半世紀以上もたっていて急に自分の両親や村がなつかしくなって帰ってみたら、もう跡形もなく知ってる人もいなかった。というようなことから、御伽噺を作ったような気がしてならないのです。(戦後埼玉の浦和に住んでいたので、浦和のおじさまとよんでいましたが、この人は、ケンブリッジだったか、オックスフォードだったか 卒業しています) まあ、私の祖母の兄弟も、明治の中ごろに、アメリカ(カメラの研究)と、イギリス(計量器の研究)に留学生として出されています。写真はイギリスの留学した大叔父、アメリカのカルテックスを卒業した大叔父は一生独身だったので、子孫がいません。写真も、私のアルバムには入ってませんが、サンフランシスコの大地震にあってます。その頃、チョコレートをよく送ってくれたそうで、母が「おっちょこりんのおじ様」とよんでいたので、それだけは、覚えてますが、本当の名前は忘れました。そのおじがカメラを持って帰ってきたので、我が家には明治時代からカメラがあったのです。(母がまだ、ティーンの頃ですが、この叔母が許されない結婚から中国に駆け落ちをしたのですが、祖母の親戚が満鉄の副総裁をしていたために、すぐに捕まり、帰国、結婚を許され、夫婦でドイツに留学し、その夫と離婚後、アメリカ空軍仕官と再婚して、アメリカにきました。若くして未亡人になったとき、銀行に勤務。そのクライエントがマルタ人で、その人と再婚してマルタ島に移り、彼が心臓麻痺でなくなってまたサンフランシスコに戻り、今度は黒人と再婚しましたから、4回の結婚は4人とも違う人種です。この叔母が、ドイツ語と英語を堪能にはなしました。劇的な人です)昭和になって、実母の姉(サンフランシスコで亡くなる)が、出産後子供を祖母に預けて夫婦でモダン・バレーの研究にドイツに留学し、帰国後、舞踊研究所を開きましたが、戦争で全焼してしまいました。その頃は、ピアニストや画家、作家達も留学をしていました。幕末に日本を逃げ出した侍達の中には牛島さんのようにカリフォルニアでポテト・キングとなって、政治的なパワーを手にした方もいます。このように、今の日本の背景には、篤姫時代の頃から始まった、隠れたパイオニア達が大勢いるのです。
2008.11.17
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篤姫が江戸に入るころ、日本ではいよいよ海軍が出来てくるのですが、鹿児島、大分、あたりの侍の多くは海軍の軍人として訓練を始めます。私の先祖は皆九州出身ですからね、いきおい海軍がおおく、父方の祖父は少将、母方は大佐で、日露戦争体験者です。父は中佐でした。父の兵学校時代のアルバムは、父の再婚した家の方にあるはずです。私の手元には母方の祖父の写真が一杯のこっているので、今日は、その内の何枚かお見せしましょう。明治時代の呉の軍港だとおもいます。佐世保の可能性もありますが、ご存知のかたはお知らせください。外国人と写ってるのは、インドネシアの国王一家を船に招待したものと、シンガポールの国王一家を招待したときの写真です。祖父はこの船の艦長をしていました。★娘にあげた、祖父の式刀が、フーシャピンクの部屋の壁に飾ってありました。
2008.11.17
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「鹿鳴館ってなに?」高校くらいになった時に、祖母にきいたことがあります。戦争で東京の家を焼け出されてから、疎開先を転々としていて、やっと、カリフォルニアに嫁いでいた叔母の仕送りで、世田谷に小さな、小さな家を買ったときに、どこに保管してあったのか四冊の古いアルバムを見せてくれたのです。そのアルバムの一冊が、めぐりめぐって私のところにあるので、この数日前から載せてる写真があるわけですが、その中に一枚、女性がウェディングドレスのようなものを着た写真があります。○○長官夫婦と祖母の字で書き添えてありますが、明治時代の鹿鳴館での写真です。ウェディング・ドレスとも知らずに着ていたのでしょう。「ロクメイカンと言うのはね、外国からの偉い国賓を正式に招いた場所で、舞踏会とか祝日に使ったりした場所」「で、おばあちゃんも行ったことある?」「そりゃ、ありますよ。宮様達の中には、その頃はまだ珍しいロイヤル・デコルテを着ていらっしゃる方もいたのよ」 と言って見せてくれた一枚が、ここに載せた写真ですが、マーガレットのような花がスカートの部分に縫いつけられていて、真ん中に電気がついたそうで、それが綺麗だったと言いました。今考えると、なんか安っぽいクリスマス・ツリー見たいで、おかしくなります。しかしその時代では大変な驚きで見られたことでしょう。
2008.11.16
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篤姫の話を書いたついでに、ブログのお友達に明治維新前なら、本当のお姫様達だった方々の写真を一枚だけお見せしましょうね。明治時代の祖母のクラス・メート(十二人全員います)この中には無論、私を育ててくれた祖母もいます。それこそ篤姫物語にでてくる人々の子孫が殆どで、幕末の頃、両親はお互いに敵同士だった人もいる訳です。祖母の話によると、本妻の娘と妾の娘と同じクラスにいるケースが沢山あって、その場合着物から態度からはっきり違いが分かるようになっていたのだそうです。つまり、徳川、伊達、西郷本家の娘は、毎日、とっかえ、ひっかえ最高の着物を着て登校したのにたいし、妾の娘は、年中地味な着物で女中のように控えめであった、と聞きました。「でもね、妾の娘達のほうが勉強が出来たし、人間も出来ていたから、私は、妾の娘の方と友達になったのよ。父親が同じでもどうして、こうも違う扱いをされるのかしら, 不公平だって思ってたのよ」ということで、我が家には、西郷隆盛のお妾さんの娘がよく祖母を訪ねて来ましたから、私もよく覚えてます。眉毛が濃く、太く、西郷どんによく似ていらっしゃいました。伊達さんも、本家のお姫様は白痴に近かったそうで、学校には来ずお妾さんの娘(やすこさん)と仲良しでした。「本家の妹、見る?」と、やすこさんにそそのかされて、見に行ったときちょうどお琴のレッスンの時間だったそうです。その様子を話してくれましたが、ここでは控えておきましょう。「やすこさんは、上のクラスだったけど、オツムがずば抜けて良くてクラスで一番の成績でね、私を妹のようにかわいがってくれたのよ。よく一緒にパーティーをやったわ」とのことです。妾の娘といっても、パーティーとなると、結構百人近く招いてそれは、盛大にやったものらしいです。私が物心ついたころは、もうお亡くなりになっていたので、写真しか見たことありません。歴史も、こういう裏話を聞くと面白いでしょう?
2008.11.14
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「ちょっと、失礼いたしますが、あなた日本の方?」ある日、本当にひょんなことで、ルーシーという白人の顔をした婦人にスーパーで、日本語で声をかけられたのが、始まりです。ルーシーが「お茶にいらっしゃいません?」と、招待してくれて彼女の家に行ったら、家中日本の骨董品だらけだった事から私自身のルーツが、もこもこと目覚めてきたようです。ルーシーは、日本生まれで日本育ち。英語が私より下手な理由はそこにありました。たしか、ノールウェイ人だったと思いますが「私の祖父が、勝さんや、山本権兵衛さんのアドバイザーとして、日本の海軍を一緒につくったのよ」と言うのです。「そういえば、その権兵衛さんが、祖母の又従兄弟だったそうです」と言う話から、話がどんどん広がって行ったわけです。ちなみに東郷平八郎は父方の祖父の又従兄弟だったと父から聞きました。そういえば、なんとなく似てます。それから又、暫くたって、今は亡き母が日本から来たときに、サンフランシスコにいる母の姉を訪ねていった帰りに、古いアルバムと祖父の海軍の式刀を持ってきたのです。「お姉さまが(私の叔母)こんなものあっても仕方がないから日本にもって帰る?って、いうから持ってきたのだけど、重いしあなたほしい?」と、なんか汚らしいアルバムを見せてくれました。戦争で焼け出されたときに、アルバムだけは持ち歩いたようで、その中に祖母の華族女学校時代の写真やら、祖父が軍艦の艦長だった時代の写真が満載されていたのです。ですから、明治時代の軍港や船の写真がいっぱい載ってます。刀は、私もいらないので刀を集めてる娘にあげました。恐らく、その頃でしょうか、私が日本の歴史に興味を見せ始めたのは。そして、それ以来、イイさんは、井伊直弼、カツさんは勝海舟、サイゴーさんは、西郷隆盛だという繋がりが出てきたのです。そういうわけで、この篤姫シリーズを特に興味深く見るようになりました。私の先祖が、この物語にどのように関連しているのだろうと、想像しては楽しんでいるのです。この右側は、私のひいじいさんですが、大久保さんと同じユニフォーム(五七の桐の紋)を着ています。
2008.11.13
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カリフォルニアで日本の大河物語が見られるように なったのは、かれこれ30年くらい前のことですが、 いつも、土曜日なので、よくシリーズを見逃し、 どの一つも、完全に全部見たことがありません。 それで、いつの間にか、日本の番組を全く見なくなって 何十年かたってしまいました。ところが、つい最近たまたま チャンネルをクリックしていたときに「篤姫」の広告を 見たので、又見るようになりました。 しかし、やはり土曜日というのは、出かけることが多く、 だからと言って、我が家にはレコーダーもないので、 勢い、一週間、二週間と、飛ばしてみる事になります。 そういうわけで、ある日、日本のスーパー内にある本屋 の店先に「篤姫ガイド・ブック」の雑誌を見つけたときに、 買ってしまったのです。そこには、筋書きが書いてあった からです。何故、私がこんなに篤姫に興味があるかと言うと、 明治維新近くの物語で、知ってる人の名前が次々に出てくる からなのです。だから何? 歴史上の人物なら、誰だって しってるでしょ、と思われるでしょうが、私の場合はちょいと 違って、この物語に出てる人々の名前が、祖母の思い出に つながってなんとも懐かしいからなのです。 母や祖母は東京生まれですが、私の父方は、鹿児島と熊本出身、 母方は大分、佐賀出身です。父が戦地いいたとき、祖母と母と 従兄弟と静岡県の興津という海辺の町に疎開しました。 祖母の学友に「食べ物も豊富で気候も良い土地ですから、 是非いらっしゃい」と進められたからでした。 その方は松平さんと言い、西園寺公に嫁がれ興津には西園寺さん の座魚荘という御文庫があったので、子供の頃よく祖母と出 かけました。ですから、篤姫さんを直接知っていた徳川家の方と そうとも知らずにお話をしていたことになります。 両親が離婚して、私がアメリカに来るまで殆ど祖母と暮して いたので、祖母の学友達が我が家にみえると、ちいさな あばら家の、隣の部屋から、会話が筒抜けてきたものです。 祖母たちの会話は、娘時代の思い出とか、最近の状況とか なのですが、その中に出てくるのが、オオクマさん、イイさん ナリアキラサン、オオクボさん、サイゴーさん、カツさんだったり ダテさん、トクガワさん、○○の宮さんとか、この篤姫に 出てくる名前がいっぱいだったわけです。 ただし、子供の時代から聞いていた名前ですから、私には「音」 として記憶があるだけで、それが歴史上の人物だと気づいたのは ずっと大人になってからです。歴史など、興味なかった私は 中学、高校などで教科書を読んでも、左から右につつぬけでした から、「あれ?」と気づきだしたのはアメリカに来てからかも しれません。 (続く)
2008.11.12
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おなじみさんはご存知のように、我が家は、野菜や 果物の切りくずを庭に埋めるので、パパイアが自然に 木になって、実までつけたり、かぼちゃも、種から 3個も実をつけました。 茄子は、苗を一本買ってグレッグが鉢に植えたら、 毎年、二、三個の茄子をつけてくれるのです。あれ、 季節ごとにかれて終わって、ひっこぬくのだとばかり思って いたのですが、同じ苗が、もう、三年も続けて実を つけてくれてます。 パパイアは、中休みで、今年は実をつけませんでしたが このメロンを見てください。季節はずれなので、大きくは なりませんでしたが、いっちょまえに、メロンの形を しているのですよ。感謝祭がくるから、それまで冷蔵庫に 保管して、ほかの果物と一緒に飾ろうと思っています。 サボテンも、沢山実をつけて、ニ、三個たべました。 とげとげが、いっぱいで、めんどくさいので、 あとは、鳥と動物に食べさせました。 ドラゴン・フルーツより、あっさりして、あまい きゅうりのような味ですから、グレッグは食べません が、私は好きです。ただ、口の周りが真っ赤になる のがめんどう。
2008.11.12
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人間の命が終わった時の葬り方は、人それぞれに違います。私のひいおじいさんは、密封された棺に横たわったまま埋葬されたのですが、祖父母、父母は皆、骨壷のなかです。アメリカの義両親、義兄夫婦は、灰を海にばら撒きましたからお墓などありません。六、七年前に娘と日本に行ったとき、「ちょっと失礼」と、娘がわれわれから数分はなれて、あるお寺の池のほとりに立って、お祈りをしてるようだったので「何をしていたの?」と聞いたら、「Sの灰を一つまみ撒いてきた」と言うのです。Sと言うのは交通事故で亡くなった、ボーイフレンドですが、娘が彼の灰をロケットに入れて首からかけていたとは、誰も知らなかったのです。いつか一緒に日本に旅行しようと話し合っていたからその約束を叶えてあげたのだそうですが、ホロリとした一瞬でした。先週、娘の家に留守番に行ったとき、紫色のオフィスの壁にケンジの前の犬、ルペの写真が飾ってあり、その前にブルーのビロードの袋にはいった物が置いてあるのに気づきました。何だろう?と思ったら、ルペの首輪がその入れ物を囲んでいたので、はっ!としたのです。それには、「いつか又、虹の橋で会える日まで・・・・」と書いてありました。私は、「死」について、子供達にも自由に話しますが、「私が死んだら、お墓はいらないからね。灰を海に流してくれたらいいからね」と言ったとき、娘は、「一部を流しても、残りは私が行くところに一緒に行くのよ。だから日本に行ったら、マムのお母さんのお墓にチョコっとまいたり、ヨーロッパや、オーストラリアや、あちこち旅する時に、一緒に連れてってあげる」と、アニメ家らしい答え方をしましたが、ビロードの袋を見たときに、ドライに見えるのに、以外にセンチな子なんだな、とそんなことを思い出したのです。
2008.11.11
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(まずは、サンタ・アナの画廊で食事をしてロスへ、すっ飛ばし)昨夜は、サンタ・アナにあるスパージョン・ギャラリーで、お得意さんのクライエントと食事・パーティーと、ロスの画廊で行われた「しゃれこうべ展」五周年記念の掛け持ちで、両方のクライエントへのサービスでてんやわんや振り。ガソリンがちょっと値下がりしたせいか、土曜日の夜だというのに、ロス近辺のフリーウェイは渋滞だったので、閉店1時間前にすぺり込みセーフ。(土台が二個のしゃれこうべで、できてます)(子供達が、私はこれがすき、僕はこれと楽しんでました)なんせ、グレッグが始めた展覧会ですから、これだけは見逃せません。もうご存知の方は「又か!」と思われるので、スルーしてください。五年前、この画廊は倒産寸前でした。その時に、ここは、グラフィック・アートが主で若者の集まる画廊だから、「アーチストを集めてしゃれこうべにデザインをさせそれを展示したらどうだろう?」とグレッグが提案し、彼は50個の陶器のしゃれこうべを無料で提供したのです。それを、アーチストが買ってデザインし、展示し、売れたら画廊とアーチストが半々半という形でやったのです。そうしたら、前代未聞の満員御礼で、消防署が来るほどの人気。それから、ロスの大きな画廊に引越し今年で五周年になります。毎年メキシコの「死者の日」の祝いのあたりにこの展示会をするのですが、いつも大変な込みようです。600~800人来ます。年々、可なりクリエーティブな作品が増えてきていて、面白いですよ。あとで、作品のいくつかをグレッグのブログに入れるので、ご覧ください。明日くらいにしたのリンクを見てください。http://greggstonegallery.blogspot.com/
2008.11.10
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「おいヒロコ、夕食にでかけるぞ」グレッグのお得意の、今すぐが飛び出しました。「そんなこと聞いてなかったけど?しかも、さっきテークアウトの握り寿司を買って今夜はそれにするって言ったばかりでしょう?」「寿司は、あすの朝食にすればいい。デーブ(継父)の誕生祝だった」と言うわけで、お化粧もしないですっ飛んで、ニューポートビーチのファッション・アイランドという高級ショッピングセンターにあるレストランに行ってきたのですが、この不景気風の中、二階建ての駐車場は満員で、ぐるぐる回ってやっと、一箇所見つけたという按配です。オレンジ・カウンティーは、可なり裕福な人が住んでいるというのは知ってますが、駐車場がぎっしりというのはどういうことなんでしょう。その秘密は、レストランにあるようです。メキシカン・レストランだからです。経済不況になると、中華とメキシカン・レストラン、または、ファースト・フード(マクドや、ケンタッキー、ファミレス)が、一杯になるみたいです。景気のよいときは、ステーキ屋すし屋のカウンター1時間待ちなどというのも珍しくない場所なのです。われわれも週に一度、おすし屋に言ってた時代がありますが、今はもっぱら二ヶ月に一度の回転寿司。ピアノの生徒が、急に予算カットで16人から3人に減ってしまったから倹約に倹約を重ねる生活をしてます。大多数の皆さんが一緒に倹約してるのでしょう。そういうわけで、今朝は握り寿司の朝食になります。冷蔵庫の中にいれといたから、硬いだろうなあ。
2008.11.08
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芸術家というものは・・(セーターを着て、横向いてるのがグレッグ。かなり奥行きが深く 4つの部屋があります) (トイレを開けたら、バスタブに人魚が横たわっていて、(魚)ぎょっとしました) 日本語にしたら、芸術村になるのでしょうが、南カリフォルニアの海辺にラクナ・ビーチという小さな町があります。私はここに30年くらい住んでいたので、この町に来ると自分の家に戻って来たくらいほっとします。前夫も子供達もこの町で、小中高を出ていて、私はその高校で日本語の教師をやりましたから、知り合いが大勢います。無論昨夜も、大勢の顔見知りが画廊に入ってきて、ハグハグ、キスキスで、情報交換。(蟻みたい)毎月、第一木曜日は、この町でアートー・ウォークがあり、平日は夜になると閉鎖される町中の画廊が一斉にこの夜だけ開いて、まるで日本の縁日のように大勢の人が数キロあるコースト・ハイウェイなり、ダウンタウンの画廊にむらがります。この小さな町には、100以上の画廊があるのですよ。この夜は、それぞれに、ワインとかおつまみを用意する画廊が多いので、人々はワインを飲みながら、友達と逢いながら絵の鑑賞をして歩くわけです。グレッグの絵も二点ばかり飾ってあるので、経営者に促されて行って来ました。新聞記者も、美術館関係の人ももう顔なじみですが、グレッグは自分の絵を売りたくないので友達が声をかけるまでブスーっとした顔をしてました。「何で不機嫌な顔してるのっ?自分の絵の前にたって、もう少しにこやかにしてよ」と、経営者に言われて、「何も、自分がへいこらすることない。いやなら、帰るよ」と、もう爆発寸前。経営者も慌ててなだめてました。普通なら、画家というのは、画廊に頭をさげて日参しておいてもらうのでしょうが、彼の場合は絶対にそれをしません。「あっちが、売りたいんだから頼みに来ればよいのだ。売れたら5割とるのだから、客に笑顔ですすめるのは、画廊の仕事だ」という態度なんです。こういう人だから、売らないでも大勢に見せられる美術館とか市民会館のような展示場を好むわけなのですが、これだから、一生絵で食べることは出来ないでしょう。でもね、本当に彼の絵を愛してくれる人だったら聞かれる前に、値段を下げるし場合によっては、あげちゃう人です。
2008.11.07
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ミクシィでは、毎日ものすごい量の書き込みがあります。一部だけ選んでのせます★が私の返信です。世界の声を聞いてみてください。南仏泰子 フランスフランスもOBAMA氏ニュース一色です。 アメリカだけではなくて、やはりヒロコさんがおっしゃるように 世界に与える影響は計り知れないと思います。★ケニヤでも、日本の小浜というまちでも、フランスでも なんか、お祭り騒ぎのようですね。ブッシュのときは、こんなこと なかったのにねえ。 由香利 アメリカ昨夜のように感動した大統領選は初めてでした。 皆、泣いてましたね。特にアフリカン・アメリカンの人達はここまで来るのにどれだけ長居道のりだったと感じたことでしょう。 もちろん、感激ですが、歴史に残る一瞬で、Moment of Silenceという厳粛な感じさえしました。 ★歴史の一瞬をみたことにも、その奥深い意味にも感動してます。 ケネディーの暗殺、 ロケットの爆発、 NYのテロ事件、 それぞれに、その時、どこにいたか、はっきり覚えてる歴史上の 事件です。 人種差別は、どの国にもありますが、世界のリーダーだとか えばってる国にしては、情けないとおもっていたので、これで、 もう、人種差別の理由が、言い訳にならない時代にはいってきた とおもうのです。 グレープフルーツ アメリカ私は市民権がないので投票できませんでしたが、大統領確定の瞬間、感動の鳥肌がたちました。不思議なのですが、今朝仕事に行く時自分の中になんともいえぬ力があふれてくるのを感じすでに変化は始まっているのだと思いました。 ★数ある問題の解決には、長い嶮しい坂道を登ることになるだろうから 皆さんの協力を期待してるって、いってますが、彼は、とっても 正直で、考え深い人だとおもうのですよ。それに、質問することを 恥ずかしいとおもわないひと。。。これ、大事ですね。 あずーる アメリカ昨日は本当に興奮しましたね。 アメリカの、こんな大きな歴史変化の瞬間の証人ですよ、私達(大袈裟すぎ・爆) あの力強いスピーチを聞いて、本当にこの人で良かった、と確信を持ちました。 ★大抵の大統領や、副大統領のスピーチは、スピーチを書く専門家が いて、ただ、読むだけなんですが、オバマは、自分で、書くことで 有名なんですよ。だから、もっと、彼の考えがはっきりわかります。 考え深い人だとおもいます香林 日本オバマ大統領の勝利宣言を聴いている黒人の誇らしげな顔がとても印象的でまた喜びの涙を流している民衆を見ているとこちらまで貰泣きしてしまいます。 イラクからの撤退とかも速やかに行われて平和が訪れるといいですよね。 ★オバマは、無駄だらけの、イラク戦争をやめるといってますので、 おおいに期待しています。 奴隷としてアメリカに運ばれてきた時代から、231年もの 長い苦労の結果がこうなったわけですから、黒人だけでなく 差別反対者には、感無量だったのですよ。 カメレオン 日本麻生さんがしらけた顔で「だれが大統領になっても日本とアメリカの関係はかわりませんよ」と言っているのをテレビで見ていて、なんか情けなくなりました。 ★誰がなっても、日本との関係は変わらない?なんて認識不足なん でしょうね。オバマだったら、京都会議で、ブッシュと反対の 答えを出したでしょうし、仕事を他国に送らないで国内で やらせる会社の味方をしますからね、日本にもなんらかの影響が あるかもしれないわよね。 ふっこ 日本白人の投票者で 年齢が上の世代になると 政治的にではなく 差別的な投票が多かったらしいが 若い世代は オバマに投票した白人が多かったとニュースで観ました 世代交代していく中で 新しいアメリカが生まれていくのですね ★ま、人間は、同じ日本人同士でも差別したりしますから、 全くなくなることは無いのでしょうが、これで、公共での差別は なくなるでしょうし、黒人達の犯罪も10年くらいたって 振り返ってみたら、へってた!ということになりそうですね。 オバマが黒人達に自信と誇りをあたえて、彼らも教養をみにつけ 責任感をうえつけたら、どんどん、良い社会になるでしょう。 そう、祈ってます。 かぐら 日本テレビをずっとドキドキしながら見ていました本当に良かった、きっと世界中そう思ったと思います。 問題はこれからだけれど、地球に一筋の光が見えたような… そんな一瞬を感じて、私も感動涙しちゃいました★さすが、かぐらさんだ! (地球に一筋の光が見えたような)って、言い当ててる! 本当に、そういうエネルギーを感じますね。 ふくろう カナダFinally、America did right thingこれが私の感想ですやっと賢い選択をしたのです。 カナダ人たちも ホッケーの試合中にもアリーナの電光掲示板に選挙結果が表示され、 ウォーっと声が上がっていましたよ★CNNで、世界中の人が熱狂的に踊りあがって祝ってるのを見たときに アメリカが長い間、うずうずしていたさなぎが やっと殻を破って、外に出て、「さて、羽を乾かして、どこに とぼうか?どこが安全地帯だろうか?」と考えてるように思えた のですよ。 nomuaki ドイツ私だけでなく、世界中がアメリカの底力に震えたのではないでしょうか。 いまどきの先進国で、「国政を決める重要な選挙の投票に行列ができる」なんてことは、絶対にありえません。「政治は、政治家だけのものでなく国民のものだ」という「やる気」を有権者に与えるだけでも偉業だと思います。 これからが、彼の手腕の見せ所。心から期待しています。 ドイツも中国もロシアも日本も、こんな政治家が現れたら、世界が変わるのに・・・。 ★国民達にあれだけ、「やる気」を与えた候補者はいなかったと おもいます。投票日の行列を予想して、早期投票を促し、 それでも、2,3時間まちなんて、考えられないでしょう? まあ、イラクで、女性に投票権をあたえたときは、やはり長い 行列が出来たみたいですけどね。 オバマの人を動かす知恵、落ち着き。。。相手の立場を理解する心 これは、国のリーダーにとっておきの態度ですね。 ぽん 日本日本の井の中の蛙の私は、アメリカは人種のるつぼ。。。昔のような人種会差別はもう。。。。と考えが甘かったこと今回の大統領選の報道でしりました。 事前のアンケートと実際の投票とにギャップが出るという現象もあるとか。。 ニュースで白人の小さな子が黒人の大統領はいやだという発言をし横にいた母親が大慌てでそこ子を抑え込む。。という光景が報道され隠された『本音』があるんだと思いました。 でも昨日の現実は、多くの人が平等な心で投票されたんですよねよかったです、おめでとうございます。 でもこの結果が日本にとっても喜ばしいものなのかどかはまだ未知数だとかアハ 今帰国されている彼女と、こちらの仲の良いメンバーで集まってお会いしたんですよぉ~楽しかったです★アメリカが、まるで白人の国だとおもわせるように、白人達が ぎゅうじっていましたが、この国は、もともとインディアンの国。 そこに入りこんで彼らを隅っこにおしやって、えばってるのが 白人達ですからね。それを、我が物顔でここまで生きてきたわけ でしょう?231年前に黒人を奴隷としてつれてきてからの 黒人達の苦労は、なみなみならぬものです。彼らには字の読み書きも 禁じられていたのですよ。そして、二世紀強の間に、彼らは劣等で あるという全くでたらめなイメージを作り上げ、人々のDNAまでに刷 り込んでいたわけです。日本でも、エタといったり『部落民』という 形で、同じ日本人を差別していましたね。そのうそに気付き、文章に したりして社会に発表するような人は、暗殺されたり、阻害されたり していたわけです。そういう歴史があるから、オバマの当選は 意味深いのです。 ブラボー 日本おめでとう~~アメリカ昨日オバマ氏の演説をライブで聞いてました。(NHK) 同時通訳だからとても解りやすかった。 イラク撤退大賛成です演説を聞く限り、コレからのアメリカに大きな変化が興る事は確か! 日本人の私が聞いても納得。そして羨ましかった! アメリカ国民は自分達の手で新しい変革が起こせた訳だし、何よりも 強いリーダーシップを持った大統領が誕生したって事が羨ましい。 ケネディの再来か?と言われているらしいけど、私はそれ以上だと思う 彼の生きてきた道は決して楽ではなかったと思うから。。そして会場の オバマ氏を見る皆の目がキラキラしていて、信頼に満ちていたのが証。 日本で誰があんな目をしてリーダーを見る事があるでしょうか? 残念ながら今はまだ見た事がない。 誰か書いていたけど。。。麻生総理のオバマ氏に対するコメントは 何ともお粗末でした。ごめんなさい(≧∇≦)程度が知れますね~ 日本でも志高く、強いーダーシップの議員さん現れないでしょうか? でも、でも。。。官僚が支配している日本では同じなのかしら?(≧∇≦) ★日本の長い歴史で、強いリーダーシップのある人が現れても、(いる 筈なんですよ。女性かもしれないし、年老いた人かもしれない) バックグランドが、どうのこうの、縦横のつながりとか、そういう つまんないことで、黒幕にもみ消されてしまうのでしょう。 そういう人々をうまく動かす力があるオバマは、奇跡に近い賢さ だとおもうのです。無論、これが、100年前いえ、50年前でも 絶対にありえなかったから、タイミングのよさもありますけどね。 結局はね、これも、原因と結果のなすもの。白人達が自分達の利益 のために、奴隷をつれてきたり、アジア人やメキシカンを下僕に 使ったりしているうちに、その人たちがどんどん増えて、賢くなって いったわけでしょう?そして、「そういう事は、天に向かってつばを はいてるようなもので、結局は自分がよごれるのだよ。人種差別は 止めるべきだ」などという、リンカーンのようなリーダーは暗殺 されてしまう。。。。この繰り返しだったわね。島崎藤村も 部落民について書いたわよね「十戒」だっけか?名前は思い出せない けど、ああいう、暗い時代を通ってきたわよね。いまでこそ、「ヨン さま~」なんて、黄色い声を張り上げてる人がふえてきたけど、 私はそれを見て、なんとミーハーな、、、とは、決しておもわないので すよ。「国境を越えて、なんとl素晴らしいことだ」って、思うの です。 gagaga アメリカヒロ子さん 本当に本当にオバマが当選して良かったです。 ヒロ子さんがおっしゃるようにオバマは物事を冷静に、周りに惑わされない、流されない人ですよね。安心して国を任せられる人柄だと思います。 国民の為に一生懸命働いてくれる事でしょう!政治に興味の無い若い人たちを動かしたオバマのカリスマ性に感無量です。これから、アメリカは変わると信じています。 ★「アメリカは変わると信じています。」 つまり、ここに答えがあるのですよ。世界中の人があなたと同じことを 言ってる、信じている。。。。それが、一つの大きなエネルギーとなる のです。皆で、良くなろう。。。とする、そのエネルギーね。。 だから、オバマはMovementをつくってるって、言ってるで しょう?あれは、結局、人々の心を動かしてるわけです。
2008.11.07
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昨夜はグレッグと二人でテレビの前に釘付けで開票を見ていて、オバマ大統領という字幕がスクリーンに出た途端に、とめどもなく涙があふれました。今朝も、ブログに何を書こうかと、考え続けましたが「やっと殻を破ったアメリカ」「夜明け前」「新時代の始まり」「日の出」等など、タイトルが次々に頭に浮かんできても、あまりの興奮に脳の方が空回りをして、落ち着かないので暫く考えてみます。それでも一つ、言いたかったのは、アメリカが人種偏見の殻をやっと自由に脱ぎ始めたという空気を体中で感じたことです。私がアメリカに来たのは1964年ですが、1950年代の始めに、母の姉にあたる叔母が生活のために進駐軍のGHQで通訳などをやっていたとき、米軍の空軍士官と結婚してカリフォルニアの北に移り住みました。叔母は戦前17歳でドイツに留学したのですが、ドイツ語と英語を流暢にはなしました。その話はまた、テレビの「篤姫シリーズ」にからんで思い出した話を書くときにでもしましょう。叔母は、アメリカではアンと呼ばれていました。アンが始めてアメリカの土地を踏んだときには、まだ場所によっては公衆の乗り物や、休憩所、出入り口、飲料水道、等が白人用と有色人種用とに分かれていたのですよ。私が来た頃には、さすがになくなっていましたが、まだまだ偏見はあったようです。今回の大統領選挙でも、オバマが黒人だということだけで、投票しなかった人は大勢いる筈ですが、白人の投票なしでは選ばれ無かったわけですから、いかに世の中が変わってきたか分かります。しかし、オバマが選ばれたことによって、世界中に与えるアメリカの印象が大幅に変わることは間違いありません。しかも、ポジティブな変化だと思います。アメリカが失いつつあった、世界の信用を挽回する時がきたように感じるのは、私だけではないでしょう。★写真は、娘がオバマに寄付したときにもらった、ステッカーで「これ、持ってく?」と、くれたものです。
2008.11.05
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「早くしろ」と、グレッグにせきたてられて、投票所に指定されてる図書館に行って来ました。アラブ系、ラテン系、白人系、アジア系と、さまざまな顔の人が投票所にならんでいましたが、この辺には黒人は数人しかいません。人数はいつもと同じくらいで、10人待ちだったかな。アメリカの投票は、カウンティーといって、郡ごとに投票用紙が違います。それは、地方の役員、つまり、町会議員、市会議員、教育委員、裁判長などの投票と重なるからです。その上、イニシャチブといって、法律、規律なども、州、郡、市、町で違うものもあるからです。たとえば、路上電車を設置するかしないかという問題は、その地区だけに限られます。無論、投票用紙(といっても、コンピューターですが)のトップには、大統領候補者の名前があり、州議員、市会議員と言う風になってますから、今回は6,7ページありました。終わると、写真の左にあるような投票しました、というステッカーをくれて、おしまいです。★さて、今夜の8時に全国の投票場が閉鎖されて結果報告が始まります。あと、7時間!!!!★投票所に入ったとたん、グレッグが、「あの~、マケインの投票は明日ですよね?」などのじょうだんを、大声で言ったので、あちこちから、クスクスという笑い声が聞こえて来ましたが、こういう思いもよらないことを、時々やらかすので、ヒヤリとします。マケイン側の人が聞いたら、怒りかねないからです。★h写真の投票説明書は、5,6ヶ国語で書いてあります。 日本語はありません
2008.11.05
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まずはただいま。昨夜遅くなりましたが、やっぱり自分のベッドで寝たいので娘とバトンタッチして帰宅しました。この歳になると、夜の運転はあまりしたくないのですが、昼間の渋滞とちがい、フリーウェイはすかすかで、なんと気分が良いことでしょう。130キロくらいで、すいすい飛ばして、一時間で家に着きました。つまり娘の家から130キロなんですね。娘の家にいる間、本を読もうと思って3冊持っていったのですが、ケンジが体すりすり、顔なめなめ、尻尾ふりふりで落ち着いて読めず、CNNのニュースばかりみてました。今回の大統領選挙については、書きたいことが山とあって何から書いたらよいのか、まごついてます。その1つとして、矢張りまだ人種差別が根強く残ってることです。選挙も最終戦に入ってくると、汚らしい宣伝の電話、テレビのコマーシャル、散らし、噂、メールが増えます。その99%が、白人崇拝者(KKKのたぐい)の仕業で教養の無い人達、英語が不自由な人達、脅しの効く年寄り等を目的にして、ありとあらゆる手を使ってオバマを倒そうとしています。オバマの成功は、インターネットをうまく利用し、あまり人種偏見など関係なくなってる若者を動かしたことにあるようで、投票権申請は歴史上最高の記録を示してます。この方法の秘訣は、マケイン側が馬鹿にしていたオバマの履歴の1つ、コミュニティー・オーガナイザーにあると、私は見ます。コミュニティー・オーガナイザーは、草の根グループようなもので、社会の下から動かすやり方ですから、一見目立たない小さなことに見えますが、私はそう思いません。社会の底辺でうごめいている人々を動かせるほど強い力はないと思うのです。ピラミッドでも、どんな建築物でも土台(基礎)がしっかりしていなかったら上を支えることは無理です。オバマは、今まで社会から忘れられてた人々に新しい、息吹を吹き込んだように思います。そういう人が動き出したら凄いことになります。上の上の上の人達は、それに気づかないのです。中国の毛沢東をみてごらんなさい、アルゼンチン人のチェ・ゲバラを見て御覧なさい、フランス人のジョーン・ダーク(ジャンヌ・ダルク)を見てごらんなさい、皆、社会の底辺でうごめいていた人々を動かしています。今までもアメリカにはオバマのようなリーダーは大勢いたのですよ。ただし、白人崇拝の力が圧倒的に強かったので、皆知られずに消されたりしていたのです。世界中で知られてるリーダーの一人にマーティン・ルーサー・キング博士がいます。ピラミッドの上で、甘い汁を吸っている人達が目を覚ますときが来たように感じます。あなたに、アメリカの投票権があるならば、噂や、脅しにまけず、マケインでもオバマでも、あなたの信ずる候補者に一票いれてください。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=983440208&owner_id=376602(ミクシィのほうには、ビデオをいれました。&がはいってると、リンクができないのでコピペしてみてください)
2008.11.03
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