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ガール・スカウトの歌集のなかに、Make New Friends but Keep the Old;One is silver and the other gold. 新しい友達を作ろう、でも古い友も大事にしよう:前者は銀、後者は金。。。と言うような意味の歌がある。私には、20年、30年、40年と付き合ってる人が、日本にもアメリカにもヨーロッパにもいるが、しょっちゅう会うわけではない。ひどい人になると、20年ぶりとかいう事もあるが、時というのは不思議なしろもの。。。数分後には、最後にあった日の感覚に戻るから面白い。この数週間は、グレッグの絵の仕事の手伝いであちこち奔走したが、そのおかげで友達になったリナがいる。毎週、金曜日の朝8時になると判で押したようにドアベルがなるが、それが、そのリナである。毎夏ラグナ・ビーチで開催されるアートフェスティバルで、私はグレッグのブースの店番をし、リナは、ドーセントといって、場内、客を引き連れ作品の説明をして歩くガイドだったが、ただそれだけの関係であった。ところが、まるで神様が「友達になりなさい」とでも言うように、グレッグの作品を引き取りに行った先であい、翌日、銀行であったり、その翌日もあったり三日連続に顔を合わせたので「こりゃ友達にならないって、手はないわね」と笑い出して、毎週金曜日に、一緒に早歩きをすることになった。兎に角、気があうのである。今朝もすたすたと山道を1時間半ばかり歩いてきた。彼女は1940年生まれだから、私より二つ上であるが、そのエネルギーは、若者にも負けない。数日前の夜は、昔のピアノの生徒の舞台を見てきたのだが、ウィルとその妹とは、10年ぶりの再会であった。成長期の子供の10年は目覚しく、見てわかるかな?と思ったが、全く問題なかった。「わ~、ヒロコ、ありがとう、本当に来てくれたんだ!」と、ハグされたが、10年前には、私のあごの辺にウィルの頭があったのに、今は私の頭が、彼のあごの辺になっていた。ウィルは家族に有名人を二人もつ家庭にいるので、自分のアイデンティティーを確保することに、もがいているようであったが、厳しい世界を選んだものである。そして、昨日は、この30年来付き合っている、皆様もおなじみのマリアンが、「ちょっと早めだけど、旅の前にヒロコのバースデー祝いにお昼をごちそうする」と言って、レストランに連れてってくれた。彼女には、超・に超がつく富豪の未亡人の友達がいて、毎年かのじょが2ヶ月くらいのクルーズに招待してくれるのであるが、二月から二ヶ月かけて、ハワイ、フィージー、ニュージーランド、オーストラリア、長崎、プサンとか、兎に角あちこち行くらしい。去年は、メキシコ経由パナマ方面その前の年は、地中海とヨーロッパを航海している。マリアンは一銭も払わないそうだから、すごい友達もいるものである。「あら、長崎は私と一緒にいったから、今回はあなたのガイドで市内案内が出来るるわねえ。長崎に行ったら、どこに一番行きたい?と聞いたら「チャンポン!のあるレストラン」といったので、大爆笑。二人共、色気より食い気の年になってる。実はその数日前も、古い友達に朝食をごちそうになっているのだが、それぞれに、楽しく心おきなく語り合うことのできる人達で、まさに金と銀。そして、銀も、時と友に金になって行くのである。
2010.01.30
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Teenage girl rescued 15 days after quake is stable大震災後15日たった今、ティーンエージの女の子が無事救出された。By VIVIAN SEQUERA and BEN FOX, Associated Press Writers Vivian SequeraAnd Ben Fox, Associated Press Writers 26 mins ago共同通信:ビビアン・セケラ、ベン・フォックス著PORT-AU-PRINCE, Haiti: A 16-year-old girl pulled from the rubble more than two weeks after a deadly earthquake was in stable condition Thursday, able to eat yogurt and mashed vegetables to the surprise of doctors, who said her survival was medically inexplicable.ポート・オー;プリンス、ハイチ:大震災から二週間以上たった木曜日、16歳の女の子がしっかりした状態で救出され、ヨーグルトや野菜を潰したものを食べたので医者達がおどろいている。このようなサバイバルは、医学上説明できない事件だと語った。★★こういうことがあるのですよ。だから、すぐ諦めてはいけないのです。
2010.01.28
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ブログ友達にSimonさんという方がいらっしゃいます。博識があり歴史に詳しい方で、色々な事を教えてくださいますが、昨夜驚いたことに、私の祖祖父のデータを探し出したものを送ってくださいました。祖母から色々聞いてはいましたが、何時生まれ、何時死んだのかはっきり知らなかったのです。大審院というのは、今の最高裁の前の名前らしいのですが、「偉い人だったのよ」位しか知りませんでした。(以前お見せした事のある写真です)******************************原田種成 はるだ‐たねなり様は、(1841‐1903)明治初期時代の司法官でいらっしゃいました。天保(てんぽう)12年のお生まれ。肥前佐賀藩士として戊辰(ぼしん)戦争で奥羽各地を転戦なされました。 維新後は司法省におはいりになられ、判事、大審院評定官を経て、 明治24年大審院部長となられました。明治36年12月3日ご逝去遊ばされました。享年63歳。以上の様にご了解申し上げて宜しいでしょうか。*******************************これを読んだ後で、もっと知りたくなり、調べて見たら見覚えのある字で、祖祖父が大隈重信氏宛てに書いたものが見つかったのです。祖母の生前中、「お父様からいただいた自筆の手紙があるのよ」と、戦争中も肌身離さず持って逃げたのでしょう、毛筆の手紙をみせてくれたことがありますが、その署名と同じ字だったので、感激しました。私の人生も、最後のチャプターにはいってきたので、先祖の事などに興味を持ち始めています。ハイテクも、ここまでになると便利というか、恐ろしいというか、隠し事も出来ない世の中ですね。
2010.01.27
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昨夜は、グレッグの母親のベティーの87の誕生祝で、家族で回転すし屋にいってきた。デイブが生きていたころは、6人だったので我々はいつも別の車で後をつけたのだが今回は一台の車におさまった。ベティーが、数ヶ月ぶりの外食で浮き浮きしていたのだが「誰かが一人かけてるなあ」と、弟がポツリと漏らした言葉で、車内が静まった。「お母さんの誕生日にそんな事いわないでよ!」と、弟の嫁さんが言ったのだが、「デイブのスピリットは今ここに皆と一緒に楽しんでるんだよ」とグレッグが、私みたいな事をいったので驚いた。やはり長く一緒に住んでいると彼も私に感化されるらしい。私は、ずっと無言でいた。実はこのブログを書こうと思った理由は、外食の事でも、誕生日の事でもスピリットの事でもなく法的な遺書の事である。問題はデイブが二度目の脳腫瘍の手術で入院中に起きた。最初の手術後は、可なりしっかりしていたデイブの頭が、急に自分が誰だか分からないほどおかしくなってしまったのである。どの道治る見込みはないといわれていた手術だったが失敗した結果であろう。二人は結婚40年以上になるのだが、その間ベティーは生活費から、お小遣いから、もろもろの出費を全部デイブに頼り切っていたので、その日から食べるものを買うお金もどこにあるか知らなかったのである。従って、10月からさしあたってデイブのヘルパー、掃除人に払う費用はおろか、家の維持費から食費まで全部グレッグと弟が出した。デイブはミリオネアーであったのに、亡くなったとたん人を雇う事も出来なくなってしまったのである。そのためにグレッグと弟で交代にデイブや、一人では何もできないベティーと二匹の犬の面倒を見なければならなくなった分けだ。そういうわけで、画家で時間が自由なグレッグが借り出され、日参して芝をかったり、買い物、洗濯、犬の散歩、料理から全部おさんどんをやるハメになった。私は嫁ではないが、食事をつくってグレッグに持たせている。兄弟で、遺書のありかを探し回ったらしいが見つからず、デイブの弁護士に問い合わせたら、「遺書のない場合は、先ず、ベティーに行って、ベティーの死後はデイブの兄弟に行く」といわれたらしい。実はデイブはベティーより16も年下だったので、心臓病の妻より先立つとは思わなかったのだろう。プライベートな話であるから、ここでやめておくが、結果から言うと、弁護士が遺書のコピーを見つけた事により、弟が管理するようになり、やっと問題が解決した事もあって、やっと安心して外食してきたのだが、皆様に申し上げたい。人生一寸先は闇。ここにあげたように、誰がいつ逝くかわからない。残った人が困らないように、きちんと遺書をかいて、公証人のサインをもらっておく事をお勧めする。私は、15年前にきちんと済ませ、グレッグや子供達にもどこに書類があるか、大きな品物の振り分けも記しパスワードも全部教えてある。遺書は、必ずコピーを弁護士なり、金庫なり、信用できる人にわたしておくとよいだろう。こうしておくと、安心である。つまり、これは人のためだけでなく、自分自身のためなのである。
2010.01.25
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何だか、毎日出かけることが多いので、このビデオをお楽しみになっていてください。そのままにしておくと、次々に色んなのが出てきます。http://video.yahoo.com/network/100284668?v=6777877&l=3774749
2010.01.25
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「ヒロコー、来てごらん、裏の大木グッサリと折れてゲートがふさがれてるよ」というのでバルコニーに出ると、それだけではなく、びわの木も根元からポッキリ折れてたのです。我々の寝室の横だというのに、二人共ぐっすり寝ていて、ぜんぜん気が付きませんでしたから、竜巻など起こっても寝てるでしょう。今朝その折れたびわの木の上で、ピーウィーが遊んでいたので「ピーウィー、おいで!」と呼んだら、風のごとくピューウと数秒後にはバルコニーの私の足元に来ました。ミクシィに入れたビデオは、昨日のですが、雨の中、ドアの前に後ろ足で立って、「餌はまだ?」というように家の中を覗いてましたので、片手で写してみました。ドアを開けたときに音で驚いてバックアップしましたが、呼ぶとすぐに来ましたよ。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1395547069&owner_id=376602
2010.01.22
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電話が鳴った、「こちらは水道局です水は人間にはなくてならない大事なものです、皆様節水にご協力ください」と言うのである。南カリフォルニアは雨が少ないことで知れているのだが、あまりにも長いこと渇水期が続いたために、去年の夏頃から節水の警告が来て外回りの水撒きは週に二度に限定され水道を出しっぱなしで食器を洗うなとか、シャワーも数分にしろとかのお達しが来た。私は、戦後の日本で育っているので節水は慣れたもの、米のとぎしるもとっておいて植木にやるしシャワーのお湯が出るまでの水をバケツにいれといたりする。ところが、筆頭の電話は豪雨の続く真っ只中に来たのだからあきれてしまった。いわゆるロボ・コールといって、録音テープなのであるが、恐らくこの嵐の前から用意しておいたものであろう。この一週間、待ちに待った雨が来たのは良いが、あちこちで土砂崩れを起こしてる大豪雨であり、しかも1週間も続いているから、なんと間の抜けたタイミングであろうと苦笑いをした。「おい、ヒロコ、裏に幸せな雀・湖ができたぞ!」とグレッグがはしゃいでいたが、裏庭も、横庭も、深い水溜りが出来ている。(住所がハッピー・スパローなので、直訳すると幸せな雀なのです)遠くの山々も深い積雪で「一年分の水ができた」と言ってるのだから、節水も終わっただろうと思って、どうどうとバスタブにつかっていた矢先の電話だった。46年も住めば、もう慣れっこになっているが、アメリカには、時々、この水道局のようなとぼけたところがある。
2010.01.22
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グレッグがアーチストですので、毎日のようにアートに関するメールがきますが、今回のは、楽しいアート・ショーの写真です。ハイチの地震よりずっと前に展示されていたものらしく、[私たちの団体もこれをまねして、ハイチへの食料寄付ショーをやったらどうだろう?」というノートが着いてきました。ここに使った缶詰も全部、低所得の家族に寄付したようです。お楽しみください。
2010.01.19
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いや、たいしたことじゃないのですよ。グレッグの展覧会などの用意がととのったので、心に余裕ができて、ひょいと考えたら、この数年、パソコンばかり使っていて。手書きの手紙が私の生活からなくなりつつあることに気付いたのです。アイルランドにいるジュリーやらフランスに嫁いだ娘の高校の同級生から、毎年カードがくるのですが去年もクリスマスにびっしりと手書きで近況をしたためたカードが来て、忘れかけていた人間味が頭をもたげ出したので、この数日、久々に寝室にあるデスクに向かい50通くらい手書きで返信をしてみたのです。 このデスクはベランダや、裏庭が見られるように置いてあるので、毎朝餌をねだりにくる、リスのピーウィーやら、そのひまわりの種を盗み食いにくる、野鳥の数々を見ながら、お茶をのみながら、なんとものどかな、平和な気分になって、ひとり一人に返事を書いたのです。世の中がハイテク化するたびに、人間らしさが薄れ、どんどんロボットに近くなるような気がしてきました。「ああ、この静けさ、人間であることの楽しみを忘れるところだったこれからは、なるべく手紙を書こう」などと、自分に言い聞かせたのですが、さて、どのくらい続くだろうか?★9月に拾ってきたピーウィーが、あの時の二倍のサイズになっていて、毎朝、ガラスドアの前に立ち上がって、餌をねだります。最初は赤ん坊だったので、何も知らずに出したものを全部その場で食べていましたが、そのうち他の土リスをみていたのか、口にほおばって、どこかに隠しにいくようになりました。
2010.01.18
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グレッグの展覧会のスケジュールがどかどか。。。。入ってるので、秘書の私は大忙しです。先週終わったショーの作品をとりにサン・ワン・カピストラノに行き、今朝も一つのショーが終わったので、ラグナ・ビーチに行き、来月は2日に始まる”Segundo de Febrero” 二月二日というタイトルのショーがテキサスのサン・アントニオであるので、昨日は荷造りで、郵送しました。さらに、2月6日から28日までは、彼のコレクション+新作の個展が、ロス・アンゼルスであるので、その仕度を全部私がやってます。彼は、母親の面倒をみにいったり、次の作品を描いたり、大忙し、月曜には、もう一つ終わったショーの作品をポモナまでとりに行きますが、一点売れたので嬉しい旅です。2月14日のバレンタインデーから、7月の半ばまで、パサディナ(ローズパレードで有名な町)の美術館で、大々的なショーがあり、彼も大きな作品を3点だしてるので、その手続きのオフィスワークがあります。又、Western Regionといって、アメリカ西側の11州で行われるコンテストにも入選が決まったので、その作品をサンディエゴまで届けにいかなけらばなりません。詳細はこちらで。(このブログも私が受け持ってます)LINKのEXHIBITION SCHEDULE をクリックすると、彼の展示のスケジュール、場所などがでてきます。http://greggstonegallery.blogspot.com/それで、ブログも不規則になります・・・・・・よろしく・・・・・・
2010.01.16
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ハイチ・ニュースBy ALEXANDER G. HIGGINS, Associated Press Writer Alexander G. Higgins, Associated Press Writer; 2 hrs 24 mins ago共同通信 2時間24分前著:アレキサンダー・ヒッギンズGENEVA; Rescue workers and relief goods started pouring into Haiti from around the world Thursday but aid groups were running into huge challenges trying to reach quake survivors trapped in the rubble or wandering homeless and hungry in the streets.ジュネーブ:木曜日、ハイチにレスキュー隊や、リリーフ・グッズが世界中からゾクゾクと集まりだしたのは良いがボランティアーの一行は大きな問題に突き当たった。それは、大震災後、まだガレキのしたに生き埋めになっている人々や、道にたむろしてる空腹のホームレスがいても、配達する道がないからである。Ship deliveries were impossible to Port-au-Prince because the Haitian capital's port was closed by damage. Its airport was open but strained to handle a flurry of incoming flights carrying experts and aid.ハイチの主な港であるポート・オゥ・プリンスが被害にあって閉鎖されてる為、船荷の配達も不可能であり、また空港は今のところ、多数の災害エキスパートやボランティアーを運び入れる機だけで精一杯である。Fearful of going near scores of quake-damaged buildings, Haitians stood or rested in the roads, slowing the transport of food and other crucial aid.瓦礫化した建物を恐れて近寄らないように、ハイチ人民が道端にたむろしているために食品や医療品を運送する車も動けない状態である。"It's chaos," U.N. humanitarian spokeswoman Elisabeth Byrs told The Associated Press. "It's a logistical nightmare."「大混乱!分かりきっている悪夢です」と国連のスポークスマン、エリザベス・バイヤーさんが、共同通信の記者に語った。
2010.01.14
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★昨日ハイチの地震のニュースを数時間後に知りました。まだ、どのくらいの被害があったか分からないそうです。おそらく、何十万人という被害者がでたと想像しますが私に出来ることと言えば、赤十字に寄付をすることだけです。皆ま様も千円でも百円でも寄付してあげてください。http://www.cnn.com/SPECIALS/2007/impact/廃れた国境の町・後編 この町が廃れた理由は、アメリカの経済不況の影響も少しはあるが、一番大きな理由はドラッグ・カーテル(麻薬組織団)の犯罪がのさばりはじめ、毎日のように撃ち合い殺し合いが続いてるためである。警察は何してるのだ?などというのは素人の考え。麻薬王は、メキシコの国家予算に近い資金を持っているから、汚職だらけである。ポリスも軍隊も政治家もも汚職、汚職で動いているような国であるから、正しくやろうとするリーダーは、次々に殺されてしまう。実際、今回も娼婦街でポリスがホームレスのような男から、しわくちゃのお金を没収してるのを自分の目でみたが、皆、見て見ないふりをして通り過ぎていた。それだけではない、彼らはアメリカ側の税関やらボーダー・パトロールの連中まで、ワイロで買収してしまう。撃ちあいが始まると、ツーリストまでが、流れ弾に当たるのか、めくらめっぽうに乱射して殺されるのか、兎に角、アメリカ人の被害者が増える一方だったので、アメリカ側も警告を発令したから恐れをなして人々は行かなくなった。車で行っても道をふさがれて集団強盗にあい、何から何までとられた後で首をバッサリ切られるようなことが続き、あちこちの、野原で首なしの死体がみつかっている。つい数週間前もアメリカ生まれのメキシコ系教師がドゥランゴという町出身の奥さんと、妻の実家を訪ねる旅にいったのだが、その町のレストランで食事中に教師はピストルで誘拐され、ギャングのエクセキューション・スタイルで、殺されたばかりである。テキサスのエルパソからの国境の町、フアレズでの去年一年の死者は、8年間のイラク戦争の戦死者を上回るとニュースで聞いた。グレッグは、とてつもない野次馬根性の持ち主なので、そういう時でもティファナにではいりしていたが、私は去年グレッグが美術コンテストのジャッジになって州から招かれるまで、ティファナや、エンセナダには、長いことご無沙汰をしていた。(注:治安の良いリゾートには去年の春いっているし、又行くだろう)そして、その時も一番ボロの車でまっぴるまを選んで有料道路で行った。機関銃をもった軍隊があちこちにいて守ってくれてるようだったが、彼らも100%信用はできない。この麻薬集団のために一番犠牲になってるのは、同じ国民であるが密告しても警官自身が汚職に染まってる場合、密告者も殺されてしまうので、おいそれと報告もしないために、悪事はどんどん増すばかり。悪いことにその集団はロビン・フッド的な面もあって貧乏な地域に学校や病院などを建てるので土着民に親しまれているから始末がわるいのである。麻薬の合法化をすれば一番手っ取り早い、と唱える政治家もいるが、それも問題である。この数ヶ月は、ティファナの撃ちあいは静まってるので、行ってきたのだが、いつになったら、私の知ってる平和な国境の町が戻ってくるのだろう。
2010.01.13
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(客がいません)(週末の昼時です。こんなの初めてです)私は、アメリカにきて46年目になる。メキシコの国境まで、120キロくらいの地点にすんでいて、遊びにもグレッグの展覧会にもちょくちょくメキシコ側に行くので、国境の町ティファナの移り変わりを知っている。半世紀前、小高い土の丘の上には、継ぎはぎの掘っ立て小屋が密集し、街中も街頭が全部壊れていて、噴水の水もなく、大勢の土着民の親子がツーリストにお金を乞うていた。汚水が公衆の道路に流れ出て、蚊や金蝿やゲジゲジがやたらと多かったが、その地面に新聞紙を敷いて安っぽい土産を売ってる人が、国境から街中までずっと肩摺り寄せて座っており、ツーリストでごった返していた。今では、その丘に行く道も舗装されオーシャンビューの大きな家が目立ち、立派なコンクリートのストーム・ドレインといって、突然の洪水などを海に流す河のような溝が出来、街頭にはちゃんと電球がついて、乞食がへった。それでもなお、人家やコマーシャルの下水も全部そのストーム・ドレインに流れるので、街中の蝿は思い無しかへったが、不衛生さが一箇所に集中されただけで、まだ近代化していない。そんな汚水で、水浴び洗濯をしているホームレスもいる。(半分の店はしまってました)ティファナは、サンディエゴあたりの学生達や、兵隊達が、週末にバーやナイトクラブなどに、はめを外しにいくので、レボリューションストリートなどは、日本の通勤列車の混雑であった。不夜城のように明け方までガンガン・ボリュームをあげた音楽や、DJが鳴らす警笛、客寄せのマイクロフォンがガーガーとうるさくて、会話もできなかったくらいである。ところが、今回行ったら、日曜日の午後で昔だったら大変な混雑で歩くのもままならなかった同じ場所は、閑古鳥がなく静けさで、メイン・ストリートの土産屋店や、レボリューション・ストリートも、シャッターを下ろしてる店が目立ち、ガラガラであった。上に書いた河の上にある橋の上の店など、開けてる人が10人くらいであったから、その廃れようが心に痛かった。(ここは、普段は両側に出店がぎっしり並んでますが、ごらんのとおり、パスクアルと、あと数人しか出してません)(これはグレッグの絵ですが、これが普通でした)「おい、ティファナに飯を食いに行こう」と、グレッグの「今すぐ病」が始まり、日曜日に付き合って来たのだが、乞食も数えるほどしか、いなくなっていた。いつもは、ゆっくりしか動けないほどの人ごみは、スカスカだったが、驚いた事にグレッグの描いた絵の主人公のパスクワルや、パブロがいて、我々をみると、両手を広げ身体中で喜んでくれ、どうしても私にプレゼントしたいといって、ブレスレットをくれたのだが、グレッグは二人に、「少ないが・・・」と、お金をあげていた。(続く)
2010.01.12
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Goth Girl娘がアニメ家だとういうのは、皆様ご存知だと思いますが、お友達のCDや本を宣伝をしてるうちに、娘の自慢もしたくなったので、今日は、娘の「趣味」のおすそわけです。アニメは専門ですが、娘は、バーチャル・ビデオゲームに一時夢中になっていました。その内にゲームのキャラクターを使って自分のアニメをつくるというコンテストが始まり、遊びとして作って参加しては、一位、二位、そしてついにグランプリまでとってました。そのたびに、最新のコンピューターを賞品としてもらっていたので、私にお古をくれますから、私の家にはラップトップが二台もあります。でも、使わないうちにバッテリーが駄目になったようで、豚に真珠。あはは。このミュージカルアニメ作品も、遊びでつくったものですが。音楽も自分で作曲し、楽器も殆ど全部自分でやってます。(一つの楽器ごとに録音してミックスするわけで、バンドのように聞こえますけど。。。)ボーカルとウクレレは友達が受け持ってます。物語の意味はぜんぜんわかりませんが(笑)いつも、ロック系の作曲が多いのに、これは、ハープシ・コードのバロークみたいなのが入っていて面白いと思いました。http://www.youtube.com/watch?v=So7x3FhgWcs&feature=PlayList&p=9CB6CD5CA8B02F69&index=14
2010.01.11
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ユーゴスラビアのジュリーが結婚前に訪ねてきたときの写真ですから、1998年のものです。私の座ってる写真と、ジュリーの写真をつなげると部屋の3分の2の幅がわかります。アンティークのミシンがあって、これで、洋服や、帽子などをつくり、編み物もします。グレッグのお母さんは絵の勉強にパリまで行った人なので、ポートレートなど上手で、この額にはいった、赤ん坊の絵は自作です。ここにおみせするのは、一室だけで、このような部屋が、もう一つあり、その部屋にもミシンがありますし、そこは、主に絵の具で目を描いたり、消えてる顔をきれいに書き直します。ポートレート・アーチストですから、それはお手の物。居間、応接間、廊下、台所にもディスプレイの棚がありますから、本当に、人形の館みたいです。どうして、50年も人形にエネルギーをかけるのか、その辺を聞いてみたいと思ってます。きっと、理由があると思うのですよ。ぽーとれーと
2010.01.10
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グレッグの母親は、人形のコレクションをするだけではなく、ダメージを受けた人形をきれいに直すのも趣味で、大小約2万の人形をもっており、家中に飾ってあるのだが、一番大きな部屋はまるで人形の博物館のようである。継父のデイブが生きていたころは、彼も、押入れを改造してショーケースにしたり、ガレージで、人形の手足をつくったり、コンベンションに一緒に行ったりネットでアンティークの人形を購入したりして手伝っていた。ある日、彼らを訪ねた時に、「最近、陶器で出来た日本製のキューピーを買ったんだ。一応信用できる筋から購入したもので、第二次世界大戦前のものだというが、本当か見てくれないか?」と見せてくれたものだが、古い新聞紙に包まれていたので、開けて見た。すると、(集特大念記)と、横書きの文章が右から左にかいてあり、漢字も戦後略字になる前のであったから、その由、説明し、「この新聞から鑑定すると、戦前のものであることは確かね」と言って、よろこばれたのだが、その時のデイブの話によると、一つ$7,000もする人形もあって、全部で$1,000,000.00の価値があるそうだが、今年87歳になる母親が亡くなったら一体どうする気だろう?と余計な事を考えた。昨日パソコンの保存写真を整理していたら、その時、写したイメージが出てきたので、まだお葬式の計画もないらしい、今は亡きデイブの思い出として書いてみた。
2010.01.09
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昨日の小説家・音楽家・友達二人のブログに、 ジャスミンHAWAIIさんからの書き込みがありました。ここに、お詫びとともに、載せますので、お読みください。HIROKOさん、ありがとうございます!私の写真がいきなりあってびっくりしてしまいました(笑)あの、ただ、CDのコラボはジョージではなくて、ブルース・シマブクロなんです。(ちなみにおにいさんの名前はジェイクです)あと、これは重要じゃないのですが、私はピアノを20年教えていて、生徒は今55人です。とにかく、宣伝してくださってありがとうございます、感謝です♪とのことです・・・・・・
2010.01.08
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(去年我が家にみえた、千代さん)ブログをやり初めて、もう5年くらいになるかしら?チャットからはじめたのですが、今ではブログ専門です。その間に、可なり色んな方とお会いしました。そして、今日はカリフォルニアの我が家にもいらしたお二人をご紹介いたします。私がそもそもブログを始めたきっかけは、ホノルルにお住まいのピアニストの千代さんなのです。私が本を出版した時に、近所に住んでいらした、○野さんという方が、「楽天に僕の友達の娘さんの友達がブログやっているのですが、ヒロコさんもそこでブログを始めて宣伝為さったらどうでしょう」という事ではじめたのです。それで、初めて見たブログが千代さんのだったわけです。千代さんはもう、12年以上ピアノを教えていて、たしか生徒も50人いるはず。私の最盛期と同じ人数です。私はもう35年教えてますが、経済不況でどんどん減ってしまいました。その、千代さんの二つめのCDが出ましたので、ご紹介します。彼女は癒し系の自作自演をします。今回は、ウクレレで有名な、ジョージ・島袋さんとの珍しいコラボです。キャノンやら、タケダの子守唄の編曲もありますが、後は彼女の作品です。寝椅子にすわって、のんびりしたい時にぴったりのCD.こちらでごらん下さい。http://www.chiyomusic.com/アメリカ在住の方へは、LAの三省堂のTorrance店以外は、直接、千代さんにコンタクトいただくしかないので、chiyomusic@hawaii.rr.com へお問合せいただければと思います。 もう一人は、利美・A・Kayakiさんで、彼女とは古い友達。サン・フランシスコ近辺にいる私の従姉から紹介されました。日本でも20冊くらい出版してるベテラン。今回、英語で「グリーン・ティー・リビング」という題で、いうなれば「おばあちゃんの知恵」みたいな、ハウツー本を出版しました。昔から日本に伝わる習慣やら、エコ生活ヒント、経済的且つ、安全な化粧品などの作り方が書いてありますから、英語圏の方で、お子さん(とくに娘さん)のいらっしゃる方に「日本の知恵」として、ギフトにぴったりです。http://greentealiving.com/
2010.01.08
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奇跡だとは思わない・後編JKとグレッグは、中学生時代から良いことも悪いことも一緒にやった悪ガキ仲間で、グレッグ曰く「家族より大事な人間」であったから、彼がICUで生死をさまよってるというニュースを受け取った時は可なりのショックであった。JKは肺全体に悪性の感染が広がっていたという。JKは喘息を患っている上に、失業した途端にとっくにやめていたタバコを吸い出した事もあって、ゼーゼー肩で息をしていたので、「命を縮める気?タバコを即やめなさい!」と叱ったのだが、軽い欝も手伝って、なかなか止められなかった。失業と共に健保も無くなり、法律で次の仕事が見つかるまで継続できるコブラ保険があっても掛け金を払う収入がないから無理であり、薬を買うことも医者に行くことも出来なかったのだ。タバコを買う金がるなら、薬を買えばよいと考えるのは健全な人間のことで、欝になった人には一服が一時のユーフォリアなのである。反面、私の喘息は原因を自分で見つけ、それをなくしてから殆ど無くなり薬が3か月分残っていたのでJKにあげた。保険がないと一月三万円以上もする薬でJKも使っていたものだった。彼は、その薬が切れた頃発作を起こし自分で病院に駆けつけて意識を失ったらしい。「もう駄目らしいから、僕はさよならをしてきた。ヒロコのあの奇跡のウーガ・ブーガやって見るか?」と、グレッグが言った。ウーガ・ブーガとは、(アーブラ、カダブラに匹敵する言葉)私のヒーリング・パワーのことを茶化してよぶ彼の言葉であるが、その時の彼にしてみれば、親友のJKを死なせたくない一心で、藁をもつかむ想いだったのだろう。「ウーガ・ブーガなんて信じないって言ったくせに」と言ったら、「害になるわけでもなし、どうせ死ぬらしいから、やってくれ」というので、私は家族の一員だと偽ってJKに会いに病院にいった。JKは自力で息が出来なかった為、ライフサポートや酸素吸入器に繋がっていた。看護婦に「話しかけてもいいですか?」と聞いたら「話しても、どこを触ってもいいですよ」と言ったので、JKの耳元で「ヒロコよ。今から新しいエネルギーを足の裏から吹き込むから悪いエネルギーと入れ替えて体全体に行くように想像しなさいね。早く治って毎年のようにクリスマス・ディナーに来なきゃ駄目よ」とささやくと、JKの目がカッと開き、眼球は上まぶたの下に入って白目だけになったが、反応があったと見た。(注:その時まで目も開かなかったそうである)次にJKの両足の裏に私の両親指をあて、全神経を集中させ祈りと共に親指で5分くらい軽くマッサージをした。それだけである。氷のように冷たい足だった。私は二度、JKを見舞ったが、家族でないことがばれたので、二度行ったきりで、二度目には身体中むくんでいて、火のように熱かった。「生きるとおもうか?」と帰宅した私に飛びつくようにグレッグが聞いた。「生きる!」と、私は答えた。そう信じたのは私一人であった。(結果から見て、恐らく、JK自身も信じていたのだと思う)数日後、ドクターは手術をしても無駄だろうが、出来るだけやってみるということで、特に悪い方の肺を切り取りIVで抗生物質を流し込んでみたが2週間後も薬の効き目が無く意識は戻らず、死は時間の問題であるからと、家族会議でライフ・サポートを外すことに決め、家族と親友のグレッグが集まり「最後の別れ」をし、ライフサポートを外した。「ヒロコのウーガ・ブーガは、やっぱり駄目だったね」と言った。「そう思うなら駄目ね。本当に彼を生かせたい?」「当然だろう!」「ライフ・サポート外してもまだ生きてるんでしょ?」「生きてる内にはいるかなあ?無意識で虫の息で自然死を待ってるだけだ」「無意識だって、誰がわかるの?虫の息ってことは、まだ生きてるわけだから、聞こえる筈。この世は全て見えるエネルギーと見えないエネルギーのコンビネーションで出来てるのよ。にんげんは魂と肉体と両方あって生きてるのよ。魂は今JKの周りでどうしようかと、うろたえてる筈。これこれ、こうこう、あなたがやって御覧なさい。絶対に生きかえると信じて心をこめて、やってごらんなさい」いつもは、馬鹿にして茶化すグレッグが、真剣になって私の秘伝を聞いていた。初めてのことであった。もう死を待つのみだ、という事で病院側では、家族以外の誰でも見舞える許可を出したが、折り悪く、水道管の破裂で我が家が洪水になり、修理で私は家から出られ無かったのでグレッグ一人で毎日、毎日病院に通って、私に言われたように手を握ったり、足をさすったりしながらJKに話しかけ、家でも寝る前に二人で手をつないで祈った。「今日、きっと目を開けてると思う。話すかもよ。今急にそう感じた」と私が言ったとおり、病院からグレッグが電話をしてきた。「目を開けた!僕が分かるかときいたら、Jグレッグ・ストーンって答えたよ」と興奮していた。翌日は「腹減ったって言った!まだまだ死にたくないって言った」と、いちいち報告してきた。その日からどんどん回復を始めたJKが電話で話せるようになった時に私は電話をした。可なりしっかりした声であった。「これこれ、うんぬん・・・、私は今日までがんばったから、これからは自分の瞑想で自分の細胞をコントロールするの、やってごらんなさい」と言って、受話器を置いた。まだ歩けないが、JKは今では起き上がることも、自分で食事をすることも出来、グレッグが電話しても「映画を見てる途中だから、又明日にしてくれ」とも言うようになり、リカバリー・ホームに移る日も遠くないようである。秘伝と大袈裟に書いたが、べつに大したことではなく、まだ死にたく無い、又はその時期ではない本人に「生きたい」「生きるぞ」という心を植えつけるだけである。強い未来の「希望」を持たせ自治の力を奮い起こすだけであるから、やろうと思えば誰にでも出来るはずである。無論、ケースバイケースで誰でもが蘇生するわけではない。その際、ヒーラーは無我、無欲の境地にならなければいけない。つまり雑念がないことが肝心。ただそれだけである。又決してヒーラーが治している訳ではなく、ドクターの治療と共に、本人が治そうとして治しているのであるから、間違っても「自分が治した」等と自惚れてはいけない。つまり、ヒーラーというのは、本人に治そうとするエネルギー(意欲)を与えるだけであり、本人自身の魂やビジュアリゼーションの努力が細胞をネガティブからポジティブに変化させ治療を良い結果に導いているのだと信じているので、私は奇跡だとは思わない。(★これは私の体験談であり科学的証明など無いことですからコピーや転載はしないで下さい。ただ、私の人生において、このような経験を何度もしているだけです。読みたい方が読みにくるのは、かまいません。ヒロコ・ファルケンシュタイン)
2010.01.06
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人々は思いもよらない、理屈にあわない不思議な事を「奇跡」という。つまり確率として、万、億に一つのような割で起こるような出来事を言うのだろう。ところが、私の人生にはそのようなことが数多く起こっているので私には、「奇跡」というより、まだ人間には理解しえない分野(次元)があるだけで、きっと全て説明の出来る事だと思われるのである。私は、強運の持ち主らしく、子供時代に遠泳中、鰯の大群や海へびの大移動に包まれたり、鮫の尾ひれを浮きの旗だと思って周りを泳いだ体験があり漁師たちに「そんな小さな体で無事で戻ってきたのが不思議なくらいだ」と驚愕された事が何度もある。まだ小学生時代の話であるが、大波でも一人で泳ぐような子だった。ティーン時代に初めてスキーをやった時、ストップが下手で危険至極だった。リフトでゲレンデのてっぺんに登り一人で下ってきた時にやっとうまくストップが出来て有頂天になったのだが、後ろを見たら腰を抜かしそうな絶壁だった事もある。ハワイ時代の不思議な話としては、ホテルのフロントカウンターで夜勤中の三人の一人,デイブが「誕生日に夜勤とはついいてない」と、こぼした時、三人同じ誕生日だったと知ったのだが、エドはフィリピンから、私は日本から来てまもなく、デイブはアメリカ人という三人が自分達の誕生日に同じフロントのカウンターで、同じ勤務時間に当たるなどとは天文学的数字の偶然さであった。カウアイ島では立ち入り禁止サインを無視した前夫が狭い、傾斜の急な泥の山道を車で下った途端に豪雨となり、土砂崩れで断崖から滑り落ちそうになったのを私のとっさの機転で助かったことがある。カリフォルニアでは、娘を助けようとして、後から四人の男が動かそうとしても微動だにしなかった岩を一人で持ち上げた事もある。ヨーロッパでの話もまだまだあるが、その多くは運の良さと科学的に説明の出来ることであって、私は奇跡だとは思わない。ところが、医者から「一週間の命」「半年の命」「もう助かる見込みはない」といわれた人々が、私がかかわったことで5年、7年、20年も生き続けたとなると「これはどういう事だろう?」と考えてしまう。つまり、説明のしようが難しいのである。病人達が何かの力で治ってしまったことだけは確かであるが、その「何か」が何なのかは分からない。例をあげると、日本の実母の場合がそうであった。「一週間の命だと医者が言うからすぐ来てください」という日本からの国際電話を受け取った翌日すっ飛んで行ったことがある。どうしてもその病院が気に入らずに、「それはちょっと!」と驚いて止める回りの人を無視してホメオパス病院に替えてしまった。喘息で半年入院し10種の薬を飲まされ副作用の副作用で悪化し続け、早く言えば、殺されてると思ったからだ。その一週間の命のはずだった母が、別の病院に移って二週間で退院しカリフォルニアまで遊びに飛んでこられる位良くなった。舅も5ヶ月の命と言われるほど意識不明が数ヶ月続いた重症の脳溢血にかかったが私の看病で言語障害にもならず、普通に話せ、麻痺もなく杖で歩けるようになり、その後7年も人生を楽しんだ。この時も強い睡眠薬を取り上げることで意識が戻ったというより、義父は年中寝ていたわけである。いい加減な医者もいたものである。また、医者がさじを投げ出した、すい臓癌末期の友達も、私を含んだ6人の友達と食事をし祈った日から二週間以内に癌が全く消え去り、20年後の今でも健在である。最近のケースでは膀胱癌の画家のガンも私と会話してハグした後でリミッションに入って消えてしまったらしい。そういう話をグレッグにしても、「皆、治療を受けていたわけで、ヒロコと会ったときはもう治る寸前だったのだ。たまたま、よいタイミングだから不思議に見えるだけだよ。ヒーリング・ハンドなんてあるもんか」と言うので私も「きっとそうね」といって、以後かれには言わないことにした。そのグレッグの態度がコロリと変る事件が去年(2009)の11月に起こったのだ。(続く)
2010.01.05
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まだ、グレッグの継父のデイブが亡くなってから、一週間しか経ってないのに、不謹慎にも縁起のよい夢を見てしまった。私はデイブに敬意を払うべく日本式に喪に服して新年の挨拶もせず謹んでいたのだが、不思議な家族で葬儀の計画もまだ出来てないと言うし、誰一人として悲しげな様子を見せず、何事も無かったように行動をしているので、ブログを始めることにした。その点、結婚してるわけでもないから、気楽である。出来るだけ毎日、家庭料理をグレッグに届けさせていれば感謝される立場にある。さて、夢の話だが、バックグランドに白い屏風が立っており、その前に黄金の敷物があり、白い羽のはえた赤いハートが宙に浮かんでいる。周りには紅白のデコレーションがしてあって、30周年記念という字が見えたのだ。つまり、グレッグと私がめぐり合った30周年の祝いらしい。参加者を見ると、中年になった娘と今のボーイフレンドや、息子夫婦や二人のティーン・エージャーがいる。つまり二人は私の孫らしい。乾杯をするところで目が覚めたのだが、私は来月で68歳になるから、最低85まで生きると言うことなのか?いずれにせよ、中々幸せで、縁起の良い夢であった。★マイミクのさくらさんから、毎年送られてくる博多の干支の鈴。子丑寅と、今年で三つになりました。なかなかチャーミングさくらさん、ありがとう。★クリスマス・カードを下さった方々、ギフトなどを送って下さった方々、裏側にメッセージを書いてくださった方々、ブログに書き込んで下さった方々、心からお礼を申し上げます。今年もよろしくお願い申し上げます。皆様の幸せを祈りつつ・・・・・2010年ヒロコ・ファルケンシュタイン
2010.01.04
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