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我が家には古くて分厚いアルバムが何冊かあったが、その中に結婚写真ばかりのものがあった。祖母に聞いたら、「奥様は顔が広いから娘の結婚相手を紹介していただけませんかと聞かれてね、一人二人紹介してるうちにこんなになっちゃった」と言うわけで、交際が広く世話好きだった祖母はどうやら趣味として仲人を沢山やったらしい。写真は五、六十組あったように覚えてる。趣味としてと言った理由だが、当時の祖母は華族から大富豪に嫁いだ妻で、金銭的な報酬など全く求めていなかったからである。その内の一組は、祖母の家にいた住み込みのお手伝いさんMで、出入りしていた腕利きの大工さんと一緒にしたとかだったが戦争で世の中が逆転し、祖母が間借り生活になった時、Mさん達は海に近い実家の大きな土地に家を建て、更に機械部品工場を建て経済的にもどんどん豊かになっていった。私が高校生になったころ「二泊三日で千葉に海水浴に行こう」と母がいったので、貧乏育ちでしっかり者の私が「お母さまはすぐ遊ぶことばかり考えるんだから、今月は電話代も払えないけど、どうしようって私に相談したばかりじゃないの、そんな余裕ないでしょ!」と呆れて答えると、「大丈夫、電車賃だけあればいいの。うちにいたMさんが隠居所を新築したからいつでも泊りに来てくださいっていうから、行ってみよう」という事だった。Mさんの家に着くと、「ま~おじょうちゃま。しばらく振りでございます」と母の事を言ったので、笑ってしまったが、「風の便りで皆さまご苦労なさってると聞いてます、どうぞどうぞ、遠慮しないでゆっくりしていってください」と、ご主人とMさんが大歓迎してくれ、新しい畳と白木の良い香りのする小さな別棟に案内された。日当たりのよい縁側付きの大きな部屋に台所も風呂場もトイレもついているもので腕利きの大工ならではの建物であった。夕食の時に、「今こんなに幸せな生活ができるのも、奥様(私の祖母)にこんな働き者で良い嫁を紹介していただいたからで感謝してます」と、旦那さんが言うと、「いや、反対だよお父ちゃん、お父ちゃんみたいに正直者で何でもできる人を紹介してくれたんだもの」というMさんを見て、お見合いというのも悪くはないのだなとも思ったりした。今では誰も聞かなくなったが、アメリカに来た当時「日本人は見合い結婚だときいてるが、あなたも見合い結婚か」とか、「アメリカ人との結婚に反対されなかったか」とよく聞かれたものである。考えてみれば、祖父母、両親、従兄も見合い結婚であったし、別にそれが不思議だとも思わなかったから「一般的にはまだそのようでも、だんだん自由になって来て私達は恋愛結婚ですよ」と答えたが、考えたら一回だけ、お見合いを断ったことがある。戦後、ながい間借り生活からやっと抜け出て小さな家を買った後も、我々は全員で働いて協力しなれば食べていけなかった期間があり、母はフルタイムで働き同居していた従兄も私もバイトで稼ぎ少しでも負担を軽くすることに協力していたし、祖母は海軍の恩給の他に着物を縫ったり、和歌、謡、小鼓などを教えていたのだが、その頃よく訪ねて見えた昔の学友のなかに平岡さんという方がいて、私がお茶を出した時に「孫のヒロコです」と紹介された。何度目かの訪問の時、彼女の孫の話になった。「孫が最近アメリカ留学から戻ってきたのですが、人前でヘラヘラ笑って自分の意見もなくペコペコする日本の女には興味ないなどと生意気なことを申しますのよ」と言い、それに対して祖母が「誰の前でも怖気ずズバズバ自分の意見をいうヒロコみたいなのもいますよ」と言うと、「わたくしも同じ事を考えておりました。お背もたかく朗らかで話題も広く・・・お写真いただけますでしょうか」という事で、つまり互いの孫達に見合いをさせようという事であった。ところが写真などと言われても、和服もなく洋服も普段着くらいで慌てたわけで、たまたま成人式用に新調したスーツがあったので、それで写真を撮ることになり、従兄がちょっかいをだして。「ついでに、この電気のかさも被っていけよ」と帽子を私の頭に乗せ、それが見合い写真となった暫く経って平岡さんがやってきた時、私は留守をしていたのだが、祖母が言った。「平岡さんのお孫さんね、あなたに興味があるらしいわよ。168センチか?フン、この女なら会ってやっても良いって言ったんですって、どうする?」というので、「あってやっても良いだと?そんな男こちらから断る!」というと、祖母はパン!と膝を叩いて、「よう言った!それでこそ私の孫!落ちぶれたといえども西郷がごときに馬鹿にされてたまるか!」といった。そう、平岡さんは西郷隆盛の弟西郷従道の娘であった。祖母曰く、その昔西郷家は祖母直径の原田家よりずっと下級の侍だったそうだが明治維新で逆転したと言う。私は爆笑し「おばあちゃんの話は、いつも歴史のひとこまだね」といったが、今アメリカに暮らす私は82歳になっていて「これって、本当の話だったのだろうか?」とウィキペディアで調べてみたら、ちゃんと西郷従道の次女として平岡栄子という名が記してあった。(祖母のアルバムにあった写真です。平岡家にとついだので、私は平岡さんのおばさまとお呼びしてましたが、西郷隆盛にしろ従道にしろ眉毛が濃くて、平岡のおば様の眉毛もとても濃かったです。祖母は戦争で本当に全部なくしたので、鼓も質屋にいれたりしました。それを聞いたクラスメート達が助けてくださり、この平岡さんは、鼓をくださいました。この事は雑誌には書いてありません。)
2024.06.30
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一寸先は闇ということばがぴったりの事件がありました。昨日はグレッグが描き終えた二枚の絵をFramer(額にいれる)に持っていき、その帰りにメキシカンのテイクアウトの美味しい店があるから、と連れてってくれたのはいいのですけどね、ものすごい人の列。「人気があるのね」というと、いつもこんな具合だとのこと。待つこと20分、やっとドア近くまで進んだ時に、バッシーン!と物凄い大きな音とともに、角の柱にSUVが突っ込み、太い柱を曲げてしまったのですよ。私たちは本の一メートルくらいしか離れていなかったので、ちょっとハンドルを右に回していたら、即死したでしょう。若い男の子でしたけど、おそらくバックにギアーをするの忘れてアクセル踏んで、間違ったのに気づいて慌ててブレーキをふんだつもりが、アクセルを床まで踏んだのではないかとおもいます。あまりにも、一瞬の事だったし、コンクリートのバリアがある駐車場だから、まさかそれを乗り越えてくるなどとは誰も想像しませんよね。でも、二人とも、というか待ってた人全員あっけにとられて誰も怖がってはいませんでした。でも、『死』というのは、このようにいつも「生」と隣り合っているのですね。こういうのは、きおつけようもない事故ですね。柱の前にいるのは、この店の経営者のようです。二人とも、自分達のことより、この若いメキシカンの男の子、どうなるだろう?この柱は、屋根をささえているものですから、ものすごい修理代でしょうからね。追伸:つい先週、葬儀屋をよんで私の埋葬の準備をしていたばかりだったのですよ。82歳ですから、準備だけしておきたいので。。。でも、まだ生きろという意味なんでしょうね。
2024.06.05
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今朝、私の住んでいる地域用のチャットルームに「皆さん、家の外側やブロック毎に防犯カメラをつけましょう」という書き込みがあり、彼女の防犯カメラに数個のポリ袋を抱えてうろついている男が写っていた。家宅侵入を防ぐため、こういう人をみたらすぐに警察に通報してほしいという内容だった。近頃増えているホームレスではないかと想像し、せつなくなると同時に戦後の日本を思い出した。昭和20年頃の日本はホームレスや物乞いが大勢いたがそれは戦争があったからで、疎開しても家を借りられる人はラッキーであった。ある日、二歳と四歳くらいの幼児が庭にやって来て突然タップダンスのように踊り出したのをはっきり覚えている。私自身その子達位の歳であったから一体何事が起っているのだろうと驚いて、台所にいた母を呼ぶとエプロンで手を拭きながら母が縁側にやって来て「あら、お母さんは?」と聞いた。その子達が振り向いたほうを見ると母親らしい女性がぱっと門の横に隠れた。「おなかが空いてるのね。ちょっとまってね・・・」といって母は台所に戻り、外米と押し麦を混ぜたおにぎりを三個作って縁側に戻り「お母さんにもあげなさい」と言って手渡した母の目が濡れていた。「ありがとうございます。ありがとうございます!」とその子達の母親は何度もお辞儀をして、子供たちにもお辞儀をさせて去っていった。白米は軍隊に行ってしまったので国民たちは配給のまずい外米と押し麦などが主で白米は特別な時だけしか食べられなかったが、住所もないため配給券さえもらえなかった人々は、この親子のように物乞いをするしかなかった。そういう人達も、田畑や漁業のある地方を放浪してたから生き延びたのだろうが都会だったら栄養失調で餓死したであろう。そんな時代でも我が家にはいつも食べ物があったし、不思議な事にお手伝いさんがいたので、中学生になった頃「戦後の事ちょっと聞いていい?私をかわいがってくれたトシさんとか、キミさんとか覚えてるけど、あのお金がなかった時代に、どうして我が家には食べ物があって、お手伝いさんがいたの?」と聞いたことがあるが、母や祖母は着物や指輪、ネックレス、帯留めなどを食べ物と交換したといった。「口減らしと言って食べるのにも困っていた家族は食事つきで寝る場所があるだけでも喜んで娘を奉公に出したの、とくに家ではお嫁入り先を紹介してあげたしね」と言った。戦争が故の経済破壊が作り出した悲劇の一つであった。我が借家は駿河湾の真ん前にあったので浜辺がよくみえた。戦後は時々どこからか流れて来た男達が流木でキャンプファイヤーをし、その周りで野宿をしていたが汽車やバスに乗るお金もなかったのだろう。昼間は分厚い本を読んで口論をしていたから教授とか学生達だったのかもしれない。特にお盆のころは、漁村ではトマトやキュウリ、ナスなどに足をつけたものをお供えものとして浜辺にずらりと並べたから、そういうものを食べていたし、お茶などを与える近所の人もいた。鍵をかける家などなかったし夜中は大人の有志が、夕食後は私も属する子供会が順番に拍子木を鳴らし「ひのよ~じん。火の用心!」とユニソンで叫びながら近所をまわったものである。つまり市民全体で防犯、防火運動をしホームレスに対しても親切であった。田舎は貧富の差も少なく皆が貧乏であったから助け合い精神もみなぎっていたし犯罪も少なかったのだと思う。東京に戻った頃から都会にはスリ、押し売り、ゆすり、万引きなどの犯罪が多いことを知り家に鍵をかけるのは当たり前になった。人を疑わない田舎の人たちが都会で簡単に騙されるいやな時代にはいり、私自身何度も被害者になったことが私をずる賢くしてくれ、そういう時代が無駄を出さずresourcefulでサバイバルに強い人間に育ててくれたから『貧乏は買ってでもしろ』という意味もよくわかる。結婚して先ず住んだ1960年代のホノルルでも、ワイキキのように犯罪の多い場所と安全な場所があって、我々が住んでいたマノアの辺りは治安もよかったし、現在住んでるオレンジカウンティーでも30年前は治安がよく、車や家の鍵をかけ忘れても無事だった。更に70年代くらいまでは、低所得者でもクレジットが良ければ安い家が買えたし、最低賃金でも夫婦共稼ぎならアパートを借りて最低限の生活ができた。因みに、ホノルルでは私の時給が90セントで前夫は$1.10だったが生活できた。ところが現在は、働けど働けど家など買えない大学卒が大勢いる。これはハイテクのオートメ化や企業の経営者側の欲と政治のせいであろうが、その政治を操る大統領や議員を選ぶのは国民であるから我々にも責任がある。筆頭の話に戻るが、ホームレスが増えている事は急に起きた分けではなく何年かの政治の積み重ねで物価と収入の比例が狂ってきている証拠であろう。例えば60年代のガソリンは1ガロン11セント、家賃は$30前後、今はガソリン40倍~家賃100倍になってるのに連邦の最低賃金は$7.25で8倍だから低所得者が暮らせるわけがない。ホームレスが増えるのも当然である。そんな事を考えながら用足しにでかけたら、郵便局前に「助けて下さい」という表示と赤ん坊を抱えた女性がバラの花を売っていたので「はやく仕事が見つかるといいわね」と言って一本買ってきた。貧困者の増加を感ずる最近である。
2024.06.02
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昨日は、トランプ裁判判決の二日目で、「今日は判決があるだろう」と思ってテレビをつけっぱなしにしていたんですよね。こういうときリタイアーしてる自分は自由があっていいなあ、と思うんですけどね、年取ってるでしょう?だから、昼寝もよくするのですよ。たまたま、前の晩二時に目覚めて、それきり二度寝ができなかったから、テレビを消してうとうとしてたら、その内に寝ちゃったんです。携帯のLINEの音で目覚めてテキストを見ると「アメリカは有罪判決でも大統領候補者続けられるんだって?」と日本にいる弟からじゃないですか!「え?何?有罪?」とテレビをつけて見ると、もう蜂の巣をつついたような騒ぎ、折角その瞬間をみたくてつけっぱなしにしていたのに、見逃しました。こんなドジが増えてきてます。そうなんです、アメリカは連邦(全国)と、州の法律があって大統領の選挙くらい連邦で同じ法律だとおもうでしょう?それが、違うんです。去年コロラド州だったかで、「あまりにも沢山違法なことをしてるトランプなんか、投票用紙に載せない事にしよう」みたいな事になって、大問題になったのですよ。勿論、結局は載せることになったんですけど、今度はオハイオ州で、その敵討ちのように「バイデンの名前を載せないと州会議で決めた」というニュースが流れて又、すごいことになって、それも結局は載せる事になったんですけどね、なにかおかしいと思いません?今回は大統領だった人が裁判で有罪になってもし投獄になったとしても大統領候補者として選挙運動4を続けられるのか、又は当選したら大統領になれるのかという質問ですけどね、両方とも、Yesなんです。これもおかしいと思いません?ところが、もしトランプが投獄され、それでも大統領に当選したとしたらどうなるか?というと、連邦の違法で逮捕された場合は大統領として自分を免罪釈放できるのですが、州の違法で逮捕され州の監獄にいる場合は自分を免罪釈放できないのです。その場合は州知事が権利をもってるんですよ。変だと思いません?更に、投獄されたら勿論投票権利はなくしますけど、ニューヨークでは有罪でも牢屋にいなかったら投票できるのですよ。それも変だとおもいません?とにかく、こんなのはほんの一部、もっともっとデモクラシーの理屈にあわないことが沢山ありますよ。
2024.06.01
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