森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2016.11.04
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私は人生の醍醐味は2つあると思う。

心の底から湧きあがってくる喜びはどんな時に感じることができるのか。
刹那的快楽ではなくしばらくは継続する喜びはどんな時に感じることができるのか。

一つは今までできなかったことができるようになった時。
さらに課題や目標を持って挑戦して達成できた時。
鉄棒で逆上がりができなかった時、腕の筋肉を鍛えて体を持ち上げられるようになり、はじめてできるようになった時はうれしかった。
これでみんなと同じになったと思った。自信が出てきたことを思い出す。

またはじめてトライアスロンに挑戦して完走できた時もうれしかった。
出場までの2年間の練習が苦しかっただけにその喜びは格別であった。


もう一つは、他人に感動や喜びを与えた時。
相手が感動の涙を流してくれた時に、自分もその人以上に感動することができる。
生きていてよかった。人生捨てたものではない。
望外のうれしいこともあるのだと思うのはこんな時だ。

先日対人恐怖症でずっと悩まれておられた方から手紙をいただいた。
その手紙には、私のような何もしゃべれない人間でも、集談会で受け入れてもらえた。
「今のままのあなたでいいんですよ」と受け入れてもらえたことが今現在大変心の支えになっていると書いてあった。
私はその人は現在別の集談会に参加されていたので、うっかりお名前と顔を忘れてしまっていた。でもその方にとっては、その時の私の対応が心の中に生きていて、私の言葉に支えられて前向きに生きているということを聞いて私の方が感激してしまった。

私の田舎の住職さんがこんな話をしてくださった。
昔は姥捨て山があって、飢饉などの時口減らしのために老人を山奥に捨てに行ったそうだ。
ある息子さんがお母さんを籠に入れて姥捨て山に行きました。

息子さんは思いました。
「木の枝をたどってまた家に戻ってこようとしているのではないか。気丈な母親でも最後は自分のことしか考えていないのだな」
そのうち、山奥の姥捨て山に着いたそうです。
母親が言うには、「いよいよお別れじゃ。身体に気をつけるんだよ。帰る時は小枝を落して目印にしておいたからそれを頼りに、無事に家に帰っておくれ」
それを聞いて若者は泣き崩れました。

自分の命を引き換えにしても自分のことを気にかけてくれている。

このようなケースはめったにあることではありません。
でも自分の生活の範囲内で感動を味わうことは人間にとって必要なことではないのか。
人の役に立つことを見つけて実行に移し、お互いに小さな感動を味わってみる。
このことが、人生の醍醐味を味わうことにつながるのではないかと思います。





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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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