森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2018.04.24
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作家の三島由紀夫は、東大を出て大蔵省に入るほどの優秀な人であった。
しかし、晩年楯の会を結成し、若衆組を思わせる愛国集団での同性愛的な関係に傾倒し、ついには自衛隊への乱入と自決という事件を起こしている。常人には考えられない生涯であった。
その一端は幼少期からのいびつな育てられ方あったように思われる。

彼の祖父は、原敬内閣の懐刀などと言われ、福島県知事から樺太庁長官を務めた人物だった。
エネルギッシュな活動家であった。その後疑獄事件にからみ失脚している。
祖母は士族の出身で、気位と虚栄心に満ちていた。絶えずヒステリーを起こしていた。
そんな母親を罵倒する父親とのあいだで、夫婦喧嘩が絶えなかった。
そのうち祖父は、家に帰らなくなったので、実質祖母が家長の役割を果たしていた。

三島由紀夫の父親は一人っ子だった。父と母の険悪な関係の中で、いつも他人の顔色を伺い、自分の意志を持たない人間に育っていった。母親に依存して、自分の意見を述べるようなことはなかった。

無気力、無関心、無感動、無作法な人となりであった。
ただ学力は優秀であり、東大から、農商務省に入った。
しかし、その働きぶりは無気力そのもので、人望にも欠けていた。
三島由紀夫の母親は、開成中学の校長先生の娘であった。

そんな夫婦が姑と一つ屋根の下で暮らしていた。
その頃、三島家ではすべてが姑の指図によって回っていた。
夫婦の問題もすべて祖母の指図によっていた。
祖母は、三島由紀夫が生まれると、母親から子供を取り上げ、自分で育てようとした。
母親は3時間おきに母乳を与えるときだけ、面会を許された。
これはイスラエルのキブツの子育てを連想させる。
キブツでは子供は母親から引き離されて、保育士がまとめて育てていた。

偉大な作家三島由紀夫も同様だったのである。
祖母は孫の遊び相手にまで口を出して、男の子は危ないと言って、年上の女の子だけと遊ばせた。
のちに、男性的なものに強く固執することになる三島は、幼少期はまるで女の子のように育てられた。
情けないことに、こうした事態に母親はもちろん、父親も祖母に対して何も言えなかった。
また祖母に逆らって、妻や子どもを守るという精神的な強さはもともとなかったのだ。


その後、東大法学部から大蔵省に入省している。
夜は徹夜をしてまで小説を書いていたため、健康が危ぶまれた。
父親は日本一の作家になるという条件付きで、勤めを辞めることに同意した。
大蔵省に在籍したのは9ヶ月である。

三島由紀夫は、生まれてすぐに母親から切り離されて成育している。
愛着が形成されるという生まれてから1年6ヶ月間の部分が欠落しているのである。
また、父親が家を取り仕切っている自分の母親に全く頭が上がらず、父親として、わが子に接することができなかったと言うことが、三島由紀夫という歪な人間を作り上げたと断言せざるを得ない。
子供の成長にとっては、まずは母親が愛情を持って愛着の形成していく。
父親はその母親をサポートしながら、しつけや外に向かって活動力をつけるなどの役割を十分に果たすことが、子どもの生育にとっては不可欠であると考える。
(父という病 岡田尊司 ポプラ社 89ページから94ページ要旨引用)





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Last updated  2018.04.24 06:30:15
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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