「愛着障害」を起こしたままで対人関係を維持することはとても困難である。
しかし「愛着障害」はその後修復が可能であるという。
共感的で安定した、支えとなってくれる第三者とのあいだで愛着を育み、愛着の傷を修復し、最終的なゴールとして母親との関係も安定したものにしていくというのが現実的である。
まずは、母親から適度に距離をとって、中立的だが、思いやりを持った存在との関係において、自分の中の不安定な愛着を克服していく。
信頼でき、関心や価値観をある程度共有し、何でも話すことができる存在に安全基地を見出し、受け止められることで、この作業を進めていくのだ。
集談会の仲間であってもいいし、パートナーであってもいいし、師であってもいいが、思いやりとともに、いつも変わらない安定性をある程度備えていることが必要になる。
医師やカウンセラーのような専門家についても、同じことが言える。
親から適度に距離を取るためにも、また、自分で自分の問題に取り組み、それを乗り越えていくためにも、そうした存在の支えが不可欠だ。安全基地によってバックアップされるからこそ、人は新たな可能性に挑戦してみようと思えるし、課題を克服し、自立を成し遂げることもできる。
安全基地となって支えてくれるパートナーに出会えた人は幸運だと言える。
ただ、せっかく良いパートナーに出会っても、それを安定した関係に育んでいくことができなければ、散々相手の愛情や献身を無駄遣いしただけで最後は、ギクシャクした関係となって終わるということにもなりかねない。
愛情は相互的なものだということを忘れず、自分だけが一方的に甘えるのではなく、自分も相手の安全基地になるように努力することが大切だ。
それによって、いっそう相手はあなたの安全基地となってくれるからだ。
愛着が不安定な人では、つい甘えが出て依存しすぎたり、感情的になりやすいのだ。
特に自分の弱点を指摘されたりすると、自分を責めていると受け取ってしまい関係自体がギクシャクすることにもつながる。
(母という病 岡田尊司 ポプラ新書 283頁より引用)
私の場合は、集談会の中で安全基地となる人を何人も見つけてきた。
そういう人は、自分の悩みやグチをよく聞いてくれる。
傾聴、受容と共感の気持ちを持った暖かい人ばかりであった。
例外もあったが、基本的には否定や非難されることはほとんどない。
困った時は親身になって相談に乗ってくれた。
そういう後ろ盾があれば、心の中にゆとりが生まれてくる。
困った時は、集談会で知り合った仲間に相談してみようという気持ちになった。
それが会社での人間関係の中に生きてくるのである。
安全基地となる人は1人ではない。 3人ぐらいはいたほうがよい。
そういう人は体験交流や懇親会、集談会を離れた支部の1泊学習会などで発見できた。
井の中の蛙状態ではなかなか心の安全基地の見つけることができないのではないかと思う。
思い切って、懇親会、 1泊学習会、支部の1泊研修会などに積極的に参加することが大切であると思う。
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