森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2018.08.07
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森鷗外は小説家としてよく知られているが、本職は陸軍の軍医であった。
軍医としても高位に上り詰めた人である。
若き日の森鷗外は、軍医の仕事をきちんとこなした上に、睡眠時間を削り、文学活動にあてていた。
そうした努力によって、彼は軍医としてより先に文学者として有名になった。
しかし、その名声のために、周囲の中傷、ねたみを買い、東京の近衛師団軍医部長という要職にあったが、小倉の第12師団軍医部長に転任させられたという。左遷されたのである。
当時、森鷗外は38歳だった。普通の人なら、こんな屈辱的な目にあわされるとやけになって酒でもあおり、周りの人に不平不満をぶちまけるだろう。凡人ならぬエリートならなおさら、これまで築いてきた出世の道は絶たれた。もはや将来はないと絶望の淵に落ちるだろう。
しかし、鷗外は周囲のあざけりの目を受けながらも、敢然としていっそう勉学に取り組んだ。
挫折をバネにしたのである。
この不遇の時代の勉学が、後に大文豪の名声を決定づける傑作を次々に生む基礎となり、原動力となったのである。


ロシアの大作家ドストエフスキーも若い頃、大変な危機に直面した経験を持っている。
政治運動に関わり、死刑を宣告されたのだ。処刑の日、あわや銃殺という直前に恩赦が出された。
死刑は免れたものの、その後数年、シベリアに流刑された。
死の1歩手前に立たされた経験、そして数年に及ぶ流刑は挫折どころか、普通なら精神に異常をきたすか、生きる意志も奪われてしまうほどの強烈な衝撃である。
しかしドストエフスキーはそれに耐え抜き、さらに自らの体験を内面で深め、哲学にまで高め、後に世界的名作の数々を生み出していったのです。

2人とも自分を襲った過酷な運命に対して、絶望し、すべてをあきらめ、投げ出してしまいたくなる時も当然あったであろう。しかし結果的には、彼らは運命の深刻さにとらわれたままにならず、その中で自分がなすべきこと見出して実行した。
挫折や人生の危機を乗り越えるなかで、自分たちを高めていったのです。
(心の危機管理術 岡本常男 現代書林 158ページより引用)

森田先生は、このことについて次のように述べられている。
 「運命は堪え忍ぶにおよばぬ。耐え忍んでも、忍ばなくても結果は同様である。
われわれはただ運命を切り開いていくべきである。

そして運命を堪え忍ばずに、貧乏と苦痛とに泣いた。
苦痛の激しい時は、泣き、叫びながら、それでも、歌や俳句や、随筆を書かずにはいられなかった。
その病中に書かれたものは、ずいぶんの大部であり、それが生活の資にもなった。
子規は不幸のどん底にありながら、運命を堪え忍ばずに、実に運命を切り開いていったと言う事は、できないだろうか。これが安心立命であるまいか」
(森田全集第5巻 261ページより引用)






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Last updated  2018.08.07 06:51:21
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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