今日は宇野千代さんの言葉を紹介したい。
誰の心の中にも、自尊心と言うものは隠れている。
この自尊心があるために、人と人との関係が、なんとなく、ギクシャクすることがある。
自尊心というものが隠れている間は、何事も起こらないのに、一たび、ちょっとでも頭をもたげてくると、面倒なことが起こる。
そのことを知っている人は、その時、ちょっと自分の自尊心をよそへ持っていく。
人目のつかないところで、隠しておく。自尊心なんか持っていなかったようなふりをする。
それに、うまく成功すると、人と人とのあいだには、案外、何事も起こらない。
自尊心をちょっとどこかへ隠す、というのは、なんという便利なことであろうか。
(宇野千代 幸福の言葉 海竜社 98ページより引用)
これは森田理論で言うところの「かくあるべし」を前面に押し出したやり方であると思う。
人間は一旦言い出すと、その言葉にとらわれて、途中でその誤りに気づいても引っ込みがつかなくなる。
また、自分の頭で考えた理想や主義主張を相手に押し付けることがある。
その結果、自分と相手の間に亀裂が生じ、人間関係が悪化の一途をたどる。
理想や完全を追い求めて努力する生き方は尊い。
しかし理想主義や完全主義の立場から、現実、現状、事実を否定すると葛藤や苦悩が始まる。
「かくあるべし」に翻弄された人生は、苦難の人生の始まりである。
ではどうすればよいのか。
「かくあるべし」はこれまでの人生の中で作り上げてきたものであり、 完全にはなくすることはできない。しかし、努力することによって「かくあるべし」を減少させることができる。
「かくあるべし」の弊害を理解して、そういう方向に向かっているのかどうかが重要である。
その際、有効になるのが、事実をよく観察する。事実を両面感で見ることが欠かせない。
ごまかしたり、隠したりしないで事実のままに具体的・赤裸々に話す。
事実から出発する態度を身につける。事実に対しては、是非善悪の価値判断をしない。
「純な心」を大事に取り扱う。 「私メッセージ」の言動を身に付ける。
これらは、私が森田療法理論から学んだ方法であった。
これを一言で言えば、「事実本位」の生き方である。
これはたえず「かくあるべし」とのせめぎ合いであり、一生をかけて取り組むべき課題であると考えている。「かくあるべし」が強くなっていると思ったら、事実本位に立ち戻れる能力を身につけることが大切なのだと思う。
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