金子みすゞさんの童謡集に次のようなものがある。
お魚
海の魚はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛は牧場で飼われてる、
鯉もお池で麩を貰う。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたずら一つしないのに
こうして私に食べられる。
ほんとに魚はかわいそう。
土
こッつん こッつん
打たれる土は
よい畠になって
よい麦生むよ。
朝から晩まで
踏まれる土は
よい路になって
車を通すよ。
打たれぬ土は
踏まれぬ土は
要らない土か。
いえいえそれは
名のない草の
お宿をするよ。
金子みすゞさんの詩に共通しているのは、自然物の立場に自分の身を置いて、物事を眺めることができるということです。
こういう視点から発想できる人間はほとんどいません。
理性を身につけた人間は、自己中心的な欲望が暴走して、制御不能に陥っているのではないでしょうか。
金子さんの詩が私たちに優しく訴えかけているのは、人間中心の考え方はちょっと違うのではないのということだと思います。
金子さんは、この世にあるすべての動植物、鉱物に至るまで、すべて宇宙からもたらされたものです。
本来生きとし生けるものはみんな平等なはずだ。
人間が欲望にまかせて、他の存在を自由自在にコントロールしようとすることは間違っているのではないか。
この地球上に存在しているすべてのものは、それぞれに存在価値があるのではないの。
きっとすべての地球上にあるものは、その存在価値を高めて、自分の持てる能力を十分に発揮して生を全うしたい。他人の役にたつ存在として手をたずさえて生きていきたい。
きっとそう思いながら、存在しているはずですよ。
そういう思いで、次の詩を読んでみてください。
大漁
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。
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