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本日をもって再雇用を終了しました。再就職先が未定だから完全リタイアとなり、年金生活に突入するわけですが・・・・会社ではパソコンの業務データをサーバに移動し、個人データは削除して、つまり、この後は誰でも私のパソコンを使える状態にして、準備していた挨拶メールを発信したあとにパソコンを終了して机に仕舞って・・・・・・私の会社人としての仕事を納めた次第です。両親の介護も兼ねて、今夜、四国の田舎に帰るという慌しさで、リタイアの開放感も感慨も吹っ飛んでしまいます(トホホ)当分の間は、四国と神戸を行ったり来たりの生活が待っているわけで、年金生活が破綻する恐れがあるけど・・・・田舎に帰っても、インタネット環境はEモバイルの(例の)無料接続に頼るというお寒い環境なので、ブログ更新もままならないかも知れません。うまくいけば、ブログ更新ということで・・・サヨナラ、サヨナラ。(こうなったら、正規の通信料を払ってインタネット接続するしかないか)*******************************************************************************<10/2追記>田舎の自宅でEモバイルをクリックしたところ・・・「圏外」と表示が出た次第で、雛の地の悲哀を味わった大使であるが、これでひるむわけではないわけで、町の図書館にでかけて・・・・・無料PCで追記しております。というふうに、インタネット環境をボツボツと築いていますので・・・とりあえずご一報まで。あ 中央公民館にも無料PC見っけ♪
2010.09.30
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米英主導の強欲資本主義憎しが高じた大使はアングロサクソン・モデルの本質を知りたいということで、図書館で「アングロサクソン・モデルの本質」という本を借りてきたのです。第7章に「アングロサクソン・モデルの主役、投資銀行」とあるが、どうも敵の本丸はこのあたりにあるようですが・・・・リーマンショック以降は投資銀行などの戦犯はくたばっていたかと思ったが、どっこい今も健在のようです。貧乏人は相手にしない投資銀行は、グラミン銀行などマイクロファイナンスとは対極にあるもので、銀行というより証券会社にちかいもので、銀行などとまぎらわしい名前は止めて欲しいものである。すでにデファクトスタンダードとして大きい顔をしているこの投資銀行を衰退に追い込むにはどうすればいいのか?というスタンスで、この第7章に取り組む大使でおます。(読書の動機が不純では?)投資銀行は伝統的証券業務のほかにインベストメントバンキング業務を行っているが、それが今やグローバルスタンダードになっているそうで、何やらよくわからないが・・・・優良企業や機関投資家を顧客にしているので我々貧乏人とは、縁が無いのだろう。しかし、近年、高齢化が進展し・・・資産蓄積の厚い日欧の年金資金をいかに取り込むかが最重要課題として位置づけられているそうで・・・・年金生活者もうかうかできないようです。1997年から98年にかけてアジア、ロシア、ブラジルを舞台に通貨危機が起きたが、この一連の危機に大きく関わったのがヘッジファンドであった。現代のヘッジファンドは価格形成の歪みに着目して機敏に行動する点に特徴がある。そのため、ヘッジファンドの運用者にはトレーダー出身の者が多い。もともとのヘッジファンドは、ロングショート・ファンドやマーケットニュートラル・ファンドなどが主体で、売りと買いの両方の取引を同時に行うことによって、リスクをコントロールすることを眼目としていた。もう、このあたりの説明で頭が痛くなるが・・・・・要するにトレーダー出身の金持ちが非情な商いを行い、その儲けをタックスヘイブン(税金非難地)に貯めこむという倫理観のない商行為には違いないのだろう。小学生から株取引を教え、大量の金余りマネーを増発し、秒単位で瞬時に取引を行うアングロサクソンに対しては独仏などと共謀して対抗勢力を作りデファクトスタンダードを塗り替える必要があるけど・・・何をすればいいかわかりません。この本には、肝心なそこのところは述べていなかったのです(やや期待はずれでした)【アングロサクソン・モデルの本質】渡部亮著、ダイヤモンド社、2003年刊<内容紹介>より日本企業はアメリカン・マネジメントに染まろうとしている。はたしてこれが正解なのか、落とし穴はないのか。 <読む前の大使寸評>追って記入amazonアングロサクソン・モデルの本質
2010.09.28
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ちょうど「ジパング」を読破した大使は、中国に対する最終カードとして核抑止力にまで行き着くわけです。(中国も日米安保を睨んでカードをきっているはずだから)ちょっと旧聞になるけど、鳩山首相はたぶん沖縄で米軍関係者にこう言われたのである(内田先生からの伝聞ですが)「いや、どうしても出て行けとおっしゃるなら、われわれも沖縄から出て行きますよ。でもね、フェイクではあれ核抑止力がなくなった日本列島の国防について、あなた何かプランお持ちなんですか?核武装はおたくの国内事情からしてありえないでしょう。われわれだってそんなもの日本に許すわけにはゆかないし。『東アジア共同体』?おお、結構ですな。でもね、日米安保条約を維持したままの東アジア共同体構想なんか中国が呑みませんよ。ということは、あなたね、われわれが沖縄から出て行くというのは、日米関係は『これでおしまい』ということなんですよ。そのへんのことわかった上で、『国外』とかおしゃってたのかなあ・・・いや、そんな青い顔しないで。われわれだってヤクザじゃないんだ。いつまでも居座る気じゃないですよ。東アジアの軍事的緊張が緩和したらですね、いつでもおいとまする用意はある。その日をわれわれもあなたがたも待望していることに変わりはない、と。ですからね、日米手を取り合ってアジア全域が民主化される日をともに待ち望もうではありませんか。」そう聞かされて、「ふはあ」と深いため息をついたのではないか、と私は想像するのである。尖閣諸島問題で無茶苦茶な難くせを突きつける中国に対しては・・・・最終カードとして核抑止力まで揃えておく必要があるのが戦略的互恵関係ではないかと思い至るのです。ということで、核抑止についてパッカード元駐日米大使特別補佐官の弁を紹介します。ジョージ・パッカード元駐日米大使特別補佐官が回顧・展望する日米関係の50年より鳩山政権は同盟関係のコストが大きくなりすぎたと考えているのかもしれない。だが、今後、どうしたいのか、はっきりしない。 最終的に、「冷戦期のような曖昧な方便はなし。核持ち込みはだめ。だけど核の傘は欲しい」と言うのだろうか。これでは、ますます理屈もスジも通らなくなる。今後軍事力を整備し、核武装、独自の核抑止を目指すつもりなら、現状のいざこざも、目的を実現するための合理的な道筋かもしれない。だが、そのような国内コンセンサスは微塵もない。むしろ、多くの人は核のない世界を支持している。だが、核のない世界に向かう過渡期において核抑止を維持していくのは不可欠だと考えられている。核の傘は国際安全保障秩序では依然として大きな役割を果たしている。モハメド・エルバラダイ前IAEA事務局長は、最近のCFRミーティングで、世界を「核保有国と核の傘を提供されている国」、「核を保有せず、核の傘にも入れてもらえない国」に二分し、核を開発するリスクがあるのは、自国の安全保障に不安を感じている「核を保有せず、核の傘にも入れてもらえない国」だと示唆している(フォーリン・アフェアーズ リポート2009年12月号。この点は、チャールズ・ファーガソンも2010年3月号の「核不拡散と原子力の平和利用は両立できるか」で同様の指摘をしている)。仮に、日本がいわゆる軍事力も持たずに、「核を保有せず、核の傘ももたない国」になればどうなるだろうか。現在の防衛力のままで、核武装している中国や北朝鮮に対する通常兵器抑止を形成できるはずはない。核攻撃に対する通常戦力抑止を構築できるのはおそらく世界でアメリカだけだし、通常戦力で抑止力を形成するには、やはり、アメリカとの軍事的協調が不可欠になる。「核を保有せず、核の傘も持たない国の安全保障上の不安」が、ソビエト、中国、フランス、イギリス、イスラエル、インド、パキスタン、そして北朝鮮を核開発へと向かわせたことは広く知られている。(ファーガソン) 現在も、イランが核開発に成功すれば、かつてと似たような核拡散の連鎖が起き、エジプト、サウジ、トルコなどの国が一気に核武装へと向かうと考えられている。この場合、ワシントンは、そうすることが有意義な国には、「われわれが核の傘を提供するから、核武装は試みないようにと」説得するつもりのようだ。(ファーガソン)これは、日本の現状を考えると皮肉なコントラストというしかない。つまり「核を保有せず、核の傘ももたない国」は戦略上有りえないと言われたわけで、鳩山首相ならずとも「ふはあ」と深いため息をついてしまいます。米国グレグソン国防次官補が日本に思いやり予算増額要求、カート・キャンベル国防次官補は短命首相を嘆く
2010.09.26
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BOOK OFFで「ジパング」シリーズ購入に踏み出した大使であるが、このたび全43巻を読破しました。全43巻だって!・・・・途中で飽きるか、それとも購買意欲が失せるかも?と思ったけど、止められなかったんですね♪ 「ジパング」シリーズ購入に踏み出し20巻まで購入したが、本棚に収まらず狭い部屋に散らかるではないか・・・・これはアカン。これはアカンということで、コミック喫茶なるものに初めて踏み込み、以降2回通って全43巻を読破したのです(良かったね)コミック喫茶の時間料金制は店によって違うのだが、ある店では5時間を選べば安かったのに3時間を選び、あげく超過料金を払わされ地団太踏んだ大使であるが(悔しいのだ)(ネタバレになるけど)原爆を交渉カードにして終戦工作に成功し、歴史を変えてしまうという荒唐無稽なお話なんですが・・・・・日米両軍の無駄な死を回避することになり、現実の歴史では無責任に戦争を継続した皇軍上層部を痛烈に批判するストーリーになっているのです。イージス艦「みらい」は米軍と皇軍の双方に歯向かったのですが、最後には撃沈され、また終戦工作の首謀ともいえる草加は大和轟沈の際の渦中に沈むのです。無駄な死を回避するという意味では戦いに勝利したという、かなり人間離れしたヒューマンストーリになっていました(漫画といってバカにできないのだ)「ジパング」購入に踏み出したけど
2010.09.25
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9/16オスプレイ配備で沖縄の「重要性」は蒸発するより オスプレイのスピードは従来のヘリコプターのおよそ1,5倍、航続距離も3700kmと、沖縄からなら北海道のどこへでも行けます。それどころか南はビルマ、マレーシア、インドネシア、パプア・ニューギニアに達し、中国の5分の4、モンゴルのほぼすべて、バイカル湖あたりから東のロシア・シベリアを網羅するほどです。そんなオスプレイでどこを攻めるつもりなんだ、沖縄をますます軍事化するのはやめろ、といきり立つのはちょっと待ってください。そんなに遠くまで飛べるなら、グアム・サイパンに置いてもいいはずです。これまでさんざん言われてきた「沖縄の地政学的優位性」は、オスプレイ配備によってあっさり無意味になるのです。さあ、日米の政府は、米海兵隊基地を沖縄に置く新しい理由を、どう見つくろうのでしょうか。あいかわらず「沖縄の地政学的優位性」を強調する「2010年度防衛白書」ウェブ版(こちら)には、その説明は見あたりません。思考停止状態と言っていいでしょう。海兵隊が今使っているヘリはベトナム戦争当時からのもので、いいかげん老朽化しています。順次オスプレイに切り替えることが決まっているので、オスプレイなしの海兵隊はありえないのです。もっとも、財政難で後継機種への切り替えを遅らせるとか、やめる(海兵隊の縮小につながる?)とかいう話が、ワシントンでは出ていますが。ウィキペディアのV-22 オスプレイで、その性能を見てみると、敵前上陸する海兵隊向きの兵器であることが、よくわかります。固定翼を併用するために、回転翼のみよりエンジンの単位出力当たり大きな揚力を得られる。また回転翼機より高い高度に上ることが可能である。また、海兵隊が使用する強襲揚陸艦などで使用できるよう、ローターと主翼は折りたたむことが可能となっている。サン・アントニオ級ドック型輸送揚陸艦ではヘリコプター甲板に4機・格納庫に1機の積載とヘリコプター甲板から同時に2機の発着が可能とされている。2007年9月にイラク配備のための輸送では、ワスプ級強襲揚陸艦「ワスプ」に10機が積載された。このオスプレイを沖縄に配備することは海兵隊にとって有力な戦力かも知れないが、池田さんが言うように「沖縄の地政学的優位性」は、オスプレイ配備によってあっさり無意味になるのです。そして、これが日本にとって抑止力となるという説明も難しいし、オスプレイ配備は日米安保に役立たないということでしょうね。事故の多さから試作段階においては「Widow Maker」(未亡人製造機)とも呼ばれたこともあったが、2009年の時点で技術的問題はほぼ解決しているそうだが・・・大丈夫?
2010.09.23
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中国の報道官が「船長拘留は中国主権の侵害である」とチキンレースのようにトーンを一段上げて陳べているが・・・・この北朝鮮のようなレトリックの背景には、中国の管理者体制を維持しようという意志が伝わってくるのです。報道官の言に頭に血が上る大使であるが、仙谷官房長官が言うように「戦略的互恵関係を優先し、冷静に対処する」のが肝要なんでしょう。ここで、寺島実朗さんの「未来に対する歴史責任(2004年)」の一部を引用します。******************************************************************** 中国経済の高成長に関心を抱き、「中国関連のビジネスで一儲けを」という程度の意識で中国にかかわっている人は、やがて大きな失望に直面するであろう。中国は複雑で混沌としており、歴史軸が長い。中国が放つ文明文化の総体と向き合う気迫なくして、中国と向き合うことはできないのである。 近代史における日中関係史に関して、過剰な加害者意識を燃やし自虐的になることも、開き直って無責任になることも正しいとは思えない。過去の歴史に関して真摯に教訓を読み取ることも必要ではあるが、戦後生まれが人口の大半を占める時代に向けて、最も大切なのは未来志向の建設的な関係の構築である。少なくとも戦後生まれの日本人として責任をもって語りうるのは、21世紀の日本が近隣諸国にとって軍事的脅威にならないという意志である。そして、日本近代史の総括を心に、中国、さらにアジアとの相互信頼関係を構築していくことが、21世紀を生きる世代が担う責任である。 中国も経済開発の実績の中で、次第に大国意識を高めており、これまで「発展途上国」という自己認識を示してきていたが、2003年11月に訪米した温家宝首相は「平和的台頭」を意識し始めている。そうした空気を背景に、中国において「反日ナショナリズム」的動きが現れてきていることも事実である。尖閣諸島問題、東シナ海ガス開発など、両国間のナショナリズムを揺さぶる課題も待ち構えている。「売り言葉に買い言葉」的な不毛な緊張関係に吸い込まれていくことは避けねばならない。 日本の国際関係における最大の弱点は、近隣に信頼関係を確立していないことである。1902年から20年間の日英同盟、戦後は半世紀以上の日米同盟と20世紀の四分の三をアングロサクソンの国との2国間同盟で生きた日本は、アジアの国に中で特異ともいえる「脱亜入欧」志向を身に付け、「名誉白人的位置づけ」に自己満足する傾向を有す。米国との関係を同盟の機軸とするにせよ、アジアとの重層的連携関係の充実こそ21世紀の日本が目指すべき方向であり、その中核として中国との関係が重要であることは間違いない。 英国のインド支配の特色としてガンジーが指摘していたごとく、アングロサクソンのアジア支配は「分断統治」の歴史を積み上げてきた。内部対立を利用して支配力を高めるという方式であり、今日の米国がアジア内の対立要素を利して影響力を最大化する戦略を展開していることに引き継がれている。そのことは米国の欧州戦略がNATOやEUなど多国間のスキームを支援する形で展開されているのは対照的に、アジア戦略は2国間関係に分断され、マハティールのEAEC構想にせよ、日本が主導しようとしたアジア版IMF構想にせよ、米国が排除されるかもしれないアジアの連携を神経質に否定することからも明確である。 「米国のアジア戦略の最大の悪夢は日中同盟が形成されることである」という表現を何度も米国のアジア外交の研究者から聞いたことがあるが、簡単に日中同盟ができるほど日本の21世紀は単純ではないであろう。それでも、日中の次世代の責任として「分断統治」の呪縛を脱却し、主体的に相互信頼の基盤を構築しなければならない。日本人として注意深く自問せねばならないのは、日本自身がアジアの分断統治に加担する側に立ち続ける可能性はないかということである。 米国が選択している台湾と中国の分断の固定化(台湾の地位未定論への暗黙の支持)を「当面の日本の国益」とする欺瞞はやがて許されなくなうであろう。大中華圏の交流密度の高まりという新しい地平の彼方に、中国人自身の主体的な英知によって中台の紛争要素が解消されることを支援する側に日本が回ることが大切であろう。 アジアの中で「大中華圏の台頭」を脅威としないために、中国も次第にASEAN+3(日中韓)の枠組みへの参画に意欲を示し、TAC(東南アジア友好協力条約)にも署名し、東南アジアとの自由貿易協定にさえ積極的な姿勢をみせている。アジアの多国間協調の推進に日本がいかなる役割を果たしうるのか。おそらくこのテーマこそ21世紀の日本外交の宿命の課題となる。米国との同盟関係を維持しつつアジアに多角重層的な協調の基盤を構築することが日本の国益であろう。そのためには日本外交の基軸にアジアへの強い問題意識を据える必要がある。アジアの安全保障はアジアが主導して決めること。アジアの資金はまずはアジアに還流させること。大中華圏という視界の彼方に我々に問われているものが浮かび上がってくるのである。****************************************辺境意識に徹しきれず、ついヒートアップする大使ですが・・・・寺島さんの引用文を書き写して頭を冷やした大使でおます。(出典は「大中華圏」岩波書店です)アーミテージが言うように「中国は尖閣諸島で日本を試している」のかもしれないけど、更にいえば、中国は尖閣諸島で日米同盟を試しているはずである。日中関係は2国間関係では完結せず、必ずアメリカという要素が絡みついているはずであるが・・・・アメリカはいまのところ静観の構えのようです。日本政府は本日、思いやり予算から日本人労働者の人件費提供の一部を停止すると表明したそうですが・・・・日米中というトライアングルのなかで、日本政府は米中両睨みにもかかわらず,わりと冷静に筋を通していると思う次第です。なおアメリカの立場は尖閣諸島領有問題ウィキペディアによれば・・・・アメリカは、尖閣諸島に対する日本の「施政権」を認めているが「主権」を認めたわけではない、ただ、日本の施政下にある尖閣諸島が武力攻撃を受けた場合は(日米安保条約5条に基づき)共同防衛行動をとる、というものである。この見解は、クリントン政権時の1996年と、ブッシュ政権時の2004年に、米政府高官が示した見解と変わらないとされる。・・・・だそうです。司馬さんが漢民族を指して、私利私欲を追求するのにほとんど無制限な情熱を持ってる人たちが潜在的にたくさんいる民族と言っていたが・・・・この人たちを共産党政権がうまくコントロール?しているので世界は助かっていると、言えなくもないのが辛いところです。
2010.09.23
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朝飯前にレンタサイクルで琵琶湖の水郷を巡ってきました。近江八幡のビジネスホテルで書いています。有休休暇が大量に余っているので・・・・当日の朝に宿を電話予約するという行き当たりバッタリのプチ旅行というわけです。これから神戸に帰るのですが、帰ってから写真アップの予定です。彦根に途中下車するかも?***********************************************************************前言を訂正します。彦根はもっと東に位置するので、途中下車は有りえません。なにしろ、関西圏のはしっこなので、彦根とか長浜とか近江八幡の位置関係に疎いもんで。JRの駅から八幡神社に向かう途中の町並みには、近江商人の栄華がしのばれます。町並み八幡堀は市民の清掃活動でよみがえったそうです。手漕ぎの和船で約1時間の水郷めぐりが、やはりメーンイベントになります。水郷めぐり1このあたりが観光パンフレットに載っている名所です。春には右岸にサクラ、左岸にナノハナとなるそうですが、いま夏だもんね。水郷めぐり2
2010.09.22
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なぜ買収ファンドが調査報道NPOを資金支援するのか?調査報道が無償で生まれるとは、いくら経済オンチの大使でも思っていないのだが。ファンドとNPOとは、言わば水と油のようなものであるが・・・・株式資本主義が吹き荒れるアメリカでは、それが繋がるんですね。牧野洋の「ジャーナリズムは死んだか」より日本では「ハゲタカ」と見なされることも多い買収ファンド。利益ではなく公益を目標に掲げる民間非営利団体(NPO)の設立を支援することがあるだろうか。 そんな事例がアメリカのメディア業界にはある「調査報道なくしてジャーナリズムとは言えません。SDUTが調査報道から撤退したら、読者の信頼を失いかねません」「調査報道が重要だということは分かるけれども、あまりにコストがかかる。今は非常事態だから、悠長な事は言っていられない」「名案があります。工夫すれば、コスト削減を実現しながら、調査報道の灯をともし続けることも可能です」 35年の新聞記者経験を持つベテランであるハーンが提案したのは、調査報道班のスピンオフ(分離・独立)だった。具体的には、(1)ハーンは調査報道班を引き連れてSDUTを飛び出し、NPO「ウォッチドッグ・インスティテュート(WI)」を創設する(2)プラチナムはWIの創設資金を拠出する(3)SDUTはWIから調査報道記事の供給を受ける――といった内容だ。新聞社が調査報道部門をNPOとしてスピンオフし、そのNPOに調査報道をアウトソース(業務委託)している形になっているからだ。しかも、主な資金源は買収ファンドである。調査報道については、SDUTとWIは相互補完関係にある。SDUTはWIに対して調査報道をアウトソース(業務委託)することで、紙面のクオリティーを維持する。一方、WIは独自の調査報道の成果を自らのウェブサイト上に加えて、有力地元紙を通じて公表できる。(幸せにも)ファンドや寄付文化が未熟な日本では、このような資金援助は起こらないとは思うけど・・・・愛国者法で縛られるアメリカで、コスト削減で苦労しながら、ジャーナリストは頑張っていると思います。それに引き換え、日本の大手メディアはどうなんでしょうね?調査報道は公共サービスというのが、凄いですね。 調査報道は公共サービス(パブリックサービス)――。アメリカでは、調査報道を手掛けるジャーナリストは、国民に奉仕する公務員や政治家と同類と見なされることが多い。 権力を監視するのは、納税者であり有権者でもある国民だ。しかし、監視するためには、権力が何をやっているのか知る必要がある。ここで活躍するのが、公開情報を徹底分析するなどで権力の動向を調べ、公表する調査報道だ。
2010.09.20
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バイオ燃料の原料といえば、サトウキビとかトウモロコシが先行しているけど・・・・食料からバイオ燃料というのは、チョットひっかかりますね。かといって、セルロースからバイオ燃料というのは転換効率が悪すぎるようです。藻を使うバイオ燃料はオイルメジャーや日本のメーカーがチャレンジしているようで、かなり有望のようです。とにかくモンサント社のようないかがわしいメーカーがいないので、気分よく技術競争を競ってほしいものです。最強のバイオ燃料、「藻」より化石資源に頼らない燃料として、バイオ燃料が定着してきた。しかし、高等植物を使う今のやり方では限界がある。面積当たりの収穫量が少なく、水も無駄に使うからだ。その解決策として、藻を使うバイオ燃料の開発が始まった。面積当たりの収量が現在の3~40倍と大きく、水もあまり使わない。ただし実用化するには原価を低減することが必要だ。CO2吸収と組み合わせるなどの工夫を模索している。ボトリオコッカス第1回:化学品メーカーが開発に着手 第2回:大量の燃料が採れる 第3回:コストはまだ高い 第4回:開放型のレースウエイ型が本命に 第5回:シュード、ボトリオで決まりなのか 藻を栽培して燃料を作るという技術が、生物学の段階から、エンジニアリングの段階に進んだ。オランダShell社、米 Exxon Mobil社といったオイルメジ ャー、米Dow Chemical社のような化学品メーカーが既に開発に着手。Exxon Mobil社は6億米ドルを超える額を投資するという力の入れようだ。米国には約200社のバイオベンチャーがあり、藻の栽培、燃料化にリスクマネーが殺到している。 自動車関連のメーカーで先頭を走っているのは日本のデンソーだろう。既に基礎研究室内で藻の培養を進めている(図1)。シュードコリシスチス*、ボトリオコッカス*という、現在最も注目される藻を2種類とも手掛けている。シュードでは慶應義塾大学、中央大学、京都大学と組む一方で、ボトリオでは筑波大学と組んでおり、国内の主要プレーヤーをほぼ押さえた。 問題はエネルギでなくお金の収支である。国内の耕作放棄地約30万haでボトリオを育て、BDFを作った場合の売価は155円/Lになる。ナタネでは 500円/L、アブラヤシでは714円/Lだからバイオ燃料の中では既に競争力がある。唯一、廃食用油を原料としたBDFは72~87円/Lで、これには勝てない。ただし、こうした廃食用油はボランティアが集めてくれ、回収費用が掛からないことを前提に原価を計算している。 もちろん、化石燃料と競争しなくては存在価値は薄い。化石燃料から作ったディーゼル燃料は110円/Lを超える程度だから、あと一息のコスト削減が必要だ。デンソーの試算によるとコストの内訳は大きい方から減価償却、人件費、抽出、収穫、培養の順であるという。人件費の内訳は油の抽出、収穫、培養の順だ 栽培する施設については様々な提案がある。周回路型のプールを作り、パドルで水を循環させる「レースウエイ型」、透明な管の中に藻を含んだ水を流す「チューブラー型」、薄い水槽を並べたような「パネル型」の3種にまとまりつつある(表)。栽培施設としては、開放型のレースウエイ型が本命のようです。
2010.09.19
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普天間問題を抱えた日本の、民主党の総裁選最中という空白期を狙ったように、更に言えば、9/18の柳条湖事件79周年の直前という絶妙なタイミングで・・・・・尖閣諸島で中国漁船衝突事件が起きましたね。アーミテージさんが言うように「中国は尖閣諸島で日本を試している」のかもしれないけど、では、アメリカの抑止力に期待すべきなのか?・・・・難問ですね。前原(新)外務大臣は「中国脅威論」が持論とのことで頼もしいけど(ちょっと怖いが)・・・・いち国民としては、新内閣には冷静で毅然とした対応を期待しております。尖閣諸島中国漁船衝突事件9/17時点のウィキペディアより 読売新聞は社説で、『中国は海底資源の存在が明らかになった1970年代から尖閣諸島の領有権を主張し、それを90年代からの「反日・愛国」教育で国民に浸透させてきた。尖閣問題で「政府は弱腰」との印象を与えれば、国内経済格差などへの不平や不満に“引火”し、中国国民の矛先が共産党指導部に向けられかねない――。そんな懸念もあって、中国政府は今回、日本に高圧的な態度をとっているのだろう。だが、それは明らかに筋が違う話だ。』と指摘した[13]。 2010年9月15日、仙谷由人官房長官はブッシュ米政権で国務副長官リチャード・アーミテージ氏と首相官邸で会談し、「中国は尖閣諸島で日本を試している」と指摘した[14]。また、アーミテージ氏は中国の東シナ海での活動活発化について「西沙、南沙両諸島の領有権問題でベトナム、マレーシア、フィリピン、台湾に警告する意味合いも強いのではないか」と分析した[14]。自民党の外交・国防部会が2010年9月15日に開かれ、中国側が丹羽宇一郎・駐中国大使を夜中も含めて5度も呼び出したことに対して、佐藤正久国防部会長は「外交的には極めて無礼だ」と反発[10]。山本一太参院政審会長は中国の海洋進出の先例を挙げ、「何かあるとエスカレートさせて最後は中国が実をとる。注意しないとかなり大きな問題になる」と指摘した[10]。 最近の中国の動きは傲慢としか思えないので・・・・私の東アジア共同体構想から中国が抜けて「アジア辺境連合」に落ち着くのもやむをえないところでしょうね(笑)在日米軍は朝鮮有事、台湾有事に対する抑止力と言われるが、この漁船衝突事件に接して、つい日米安保とか抑止力について考えてしまうのです。「常時駐留なき安保」論より「海兵隊が沖縄から出て行ったら尖閣諸島はどうなると思う。次の日から尖閣諸島に中国の旗が立つだろう」と米政府高官が言っていると、朝日新聞5日付の船橋洋一主筆が書いているが、これこそ典型的な"抑止力"を御印籠とした対日恫喝で、彼も言うように「尖閣列島を守るのはまずは日本の自衛隊と海上保安庁が果たすべき役割」であるし、大体、仮に中国が尖閣を支配しようとしても米国が中国との軍事紛争突入を賭けてその防衛のために出動する予定があるのかどうかも定かでない。ところで・・・・中国反日暴動のトリックとは?によれば、「反日は、人民に唯一出来うる共産党への抗議運動なのだ、見かけは反日だが。日本政府は、このトリックに引っかかってはならない。」・・・だそうです。ややこしいですね。 「中国は日本を試している」 尖閣漁船衝突 アーミテージ氏指摘
2010.09.17
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老いた農耕牛と老夫婦が慶尚北道の山里の四季を通じて、ゆっくりと描かれています。春先の山里に咲きこぼれるレンギョウ(ケナリ)とツツジ(チンダルレ)、そして晩秋の葉を落とした木々をバックに牛が荷車を引く景色がきれいです。牛のまつごに、ハラボジが鼻輪を外して、長い労働から解放するところでは・・・イラチな私も思わず涙が出ました。この映画の英語のタイトルがOLD PARTNERとなっているが、いいタイトルではないですか。ハングル版のDVDでもいいので買って帰ろうかと思った映画でしたが、日本でのアンコール上映でやっと観ることができたのです。イ・チョンニョル監督が3年余りかけて作った監督第1作で、韓国では、「牛の鈴症候群」と言われるほど大ヒットしたドキュメンタリー映画だそうです。固定カメラとワイヤレスマイクで撮影したそうだが・・・・少ないセリフが、なかなかいいですね。「アイゴー 私には優しい言葉もかけてくれない」「この牛が死ねば、私の重労働も無くなるのに」老牛と爺さんと婆さんが3角関係みたいになっていて、婆さんがぼやきまくるけど爺さんは、この牛がかわいいんですね。でも、ののしりながらも、実は優しいのが彼の地の婆さんなのかもしれません。パル、パル(急げ、急げ)が身上の彼の地の人も、こういう「遅いこと」に癒されるのでしょうね。この感覚は万国共通のものかも知れないけど。なお、この映画は某アジュンマの日記に触発され、わざわざ十三(ジュウソウ)まで遠出して観たものでおます。『牛の鈴音』公式HP
2010.09.16
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日本一人負けの円高だそうだが・・・・この裏にはアングロサクソンの陰謀が潜んでいるのではないかと反米で経済オンチの大使は類推(邪推?)するんですが、たぶん思い過ごしなんでしょうね。だけど、「暴走する資本主義」はアングロサクソンが牽引していることだけは確かなわけで・・・・世界に災厄を振りまいているアングロサクソン・モデルの本質を知りたいのです。市井のオジサンが、それを知ってどうなるわけではないが・・・・「新自由主義的資本主義」がデファクトスタンダードに陥ってしまい、それが避けられないとはあまりにも知恵がなさすぎないか!ということですね。アングロサクソンとか市場原理でwebで検索していたら、松岡正剛の「アングロサクソン・モデルの本質」評がヒットしました。アングロサクソン・モデルの本質より 本書でアングロサクソン・モデルと言っているのは、むろん英米の資本主義のモデルのことを言う。いまではまとめて株主資本主義とか、新自由主義的資本主義とかと呼ぶか、もしくはイギリス型のアングロサクソン・モデルと、アメリカ的でWASP型のアングロアメリカン・モデルとを分けるのだが、本書では一括されている。アングロサクソン・モデルはしばしば限界状況をきたし、それをそのたびなんとかくぐり抜けてきたというべきなのである。それがついにはエンロン事件やリーマン・ショックにまで至ったのだ。 まあ、古い歴史の話はともかくとして、その後の現代資本主義における「イギリス問題」を見てみても、アングロサクソン・モデルがしばしば限界状況をきたすということは、決してめずらしいことではなかった。たとえば多国籍企業の時代でも、70年代から80年代にかけてのスタフグレーション(景気後退とインフレの同時進行)の時代でも、もっと言うなら大恐慌の時代でも、そういう症状をあらわしていた。 それらの症状が90年代以降は、たんにディレギュレーション(規制緩和)とリストラクチャリング(事業再編)とグローバリゼーション(経済管理の標準化)によって、乗り越えられようとしていたか、あるいはごまかされていたとも言えるわけである。ということは、ディレギュレーションとリストラクチャリングとグローバリゼーションの掛け声は、アングロサクソン・モデルの“ぼろ隠し”だったとも言えるわけだった。 いいかえれば、ドイツや日本では労使共同的であるから、経営の透明性や説明の明示性が劣り、そのかわりに親方日の丸やアライアンスが発達したということになる。逆にアングロサクソン・モデルでは、事態と機能を分解したのだから、それならつねに経営者や担当者の説明責任(アカウンタビリティ)が求められるわけである。 こういった特色群があるということは、アングロサクソン・モデルにおける「会社という法人」が、実はきわめて擬制的であるということを物語っている。ハイエク(1337夜)やフリードマン(1338夜)を擁したシカゴ学派などでは、会社というものははなはだフィクショナルなもので、取引関係者相互の「契約の束」(nexus)にすぎないという見解さえまかり通っていた。株式は国民通貨ではないし、銀行の負債でもない。また確定的な利子も付かない。それなのに株式会社は名状しがたい情報価値の評価の上下左右を媒介に、現代貨幣の本質である「無からつくる通貨」(fiat money)の可能性をもってしまったのである。 実はここにこそ、アングロサクソン・モデルがつくりだした最も強力で最も理不尽な「株式資本主義」と「市場原理型資本主義」と、そして「暴走する資本主義」というものの特徴があらわれていた。ヘッジファンドというような倫理観のない商取引を生んだ経済モデルとは何なのか?株式嫌いで経済オンチの大使は、目下のところアングロサクソンが諸悪の根源と思っているので・・・・・この本を図書館で借りて、鋭意研究したいと思っている次第です。
2010.09.14
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「・・・・〇△と違うで」「お♪ 関西弁やんか」話が込み入ってきて、我々の英語ではらちがあかないので通訳を要望したところ・・・・出てきたのが関西弁の李さん(女性)でした。もう仕事で韓国に行くことも無くなったが、いたんですね 関西弁の通訳が。非正規の庶務スタッフとして従事しているようだが、日本語ができるので必要に応じて通訳として働いていたようです。鶴橋でも働いたことがあったそうで、そのせいか、彼女の日本語は関西弁なんですね。仕事上の会話の内容はシビアなんですが・・・「そんなに怖い顔で話さんといて、そんなん私に言われても」そらそうや、通訳の彼女に怒っているわけではないのだ。・・・・この関西弁には、かなり癒されました。というわけで、慰労の飲み会に誘ったりしました。仕事では苦労したが・・・・キムさんといい、李さんといい通訳には、良い思い出ばっかりでおました。『地図の上 朝鮮半島に 黒々と 墨を塗りつつ 秋風を聴く』韓国併合のニュースを聞いた石川啄木が詠んだ歌です。
2010.09.11
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最近の報道によれば、ゴーマン中国などのファンドが、日本の山林に目をつけて密かに買収を進めているそうですね。(エライコッチャ)空路、中国や朝鮮半島から日本に帰ってくると、緑に覆われた山国であることを実感するほど恵まれた自然環境であるが・・・・林野庁や山林地主であっても、この自然環境がタダで維持できると考えていないはずですね。でも、日本の山林の売買に関して規制が無いとのことで、山林保護施策を見るかぎり、恵まれた自然環境に感謝しているとは思えないのです。【日本の「水源林」が狙われている】によれば、2008年頃にはファンドの買収があったようです。(売った地主は口に出さないから、真相は表ざたにならないかも?)日本の「水源林」が狙われているより疲弊する地方が「買い時」 山林買収が進む原因は様々である。我が国の場合、直接的には山林が不当に安いからだ。林地の価格は十七年連続の下落で、一九七〇年代半ばの水準より安い。立木価格も八〇年代以降、二十五年以上にわたって下がり続けている。まともに山を管理・営林しようとすればとても採算は合わない。だが、安い山林を購入後、皆伐し、非合法だがその後の植林を放棄すれば、木材利益が見込める。そのため、投資目的の不動産会社が、経営の立ち行かなくなった山林所有者から山を購入し、立木だけを伐採して山を放置するといったケースが各地で増加している。 山林買収のさらなる動機は「水」だ。世界の水需給が逼迫していく中、水資源の源である森林資源、すなわち水源林を確保しようとする動きが各国で活発化している。特に中国ではペットボトルの水に対する需要が急速に伸びており、九七~二〇〇四年の間に需要は四倍、年間消費量は九十八億リットルにまで拡大した。水メジャーやウオーター・バロンズ(水男爵)と呼ばれる大手水企業は水源地の利権獲得のための買収活動を世界各地で展開中だ。ウオーター・ファンドと呼ばれる水資源事業への投資マネーの流入もここ数年急増している。こうした世界的潮流の中で、我が国の不当に安い山林が「買い」だと目されているのだ。つまり、国の森林資源について、誰が、どこを、何の目的で所有しているのか、国として現状を把握する仕組みがないのである。国土調査や土地利用規制は国土交通省、森林行政一般は林野庁、地下水を含む環境行政一般は環境省、このほか厚生労働省、経済産業省など、森林資源や地下水を含む水資源の保全に関しては所管が複数の官庁に分かれており、包括的な行政が行われていない。現行法の骨格は、かつて国産木材の需要が高く、林業経営が盛んだったころに制定されたものだ。林業家の経営難、不在村地主の増加などによる現下の間伐放棄や植林放棄の急増は、立法当時からすれば想定外であり、そうした行為を強く是正できる法制度にはなっていない。短期の私的利潤をグローバルに追求する思惑から、日本の森林や地下水を守るためのルール整備は、ほとんど手つかずといっていい。ましてや、農地以外は土地の転売自体を規制する法律さえないのが実態だ。民法は「土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ。」(第二百七条)と定めている。つまり、誰でも地権者になれば「地下水も温泉も自分のものだ」と主張できる可能性がある。森林は誰のものだろう?山林地主だけのものではないはずですね。山林は公けのものという理念が今こそ求められていると思うのです。公けのものということは規制と公的資金投入を伴うということでしょう。山林に対する旧態依然の法律は、ゴーマン中国のファンドなんかを当然として想定していないが、水源保護、自然保護の為に待った無しの規制が求められています。ゴーマン中国のちょっかいを規制策定の好機ととらえるべきだと思うのです。
2010.09.10
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有休をとり、幸せな午前中をボケーとやりすごしていたら・・・・なにやら空気が乾いて爽やかである。よし 走りにでよう♪(このあたりに動物的なヒラメキがあるのです)今頃、ひなたを走っていたら・・・・アホちゃうか?と思われるのでは?でも、アホやからということで、久々に練習コースに繰り出したのです。「こんなに楽でええんやろか?筋肉はん。」「ええんちゃうの 心肺はん」このところの練習不足で、我が筋肉と心肺になまけ癖がついていたようです。(そうは いくか!)風は爽やかだが、やはりひなたは暑いのです まだ。ということで日陰で休憩をとりながら、ヘロヘロでゴールした大使でおます。【業務連絡】6/27 12'07" 22'18" 36'30" 43'42"(曇)7/23 13'24" 24'49" 39'05" 46'27"(晴)8/07 12'52" 24'05" 38'42" 46'10"(晴)9/09 12'38" 24'15" 38'32" 46'11"(快晴)
2010.09.09
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うっそうとした台湾ヒノキの植林の中をトロッコ軌道が続いています。大木の切り株が見えるが・・・・日本統治時代に切ったものでしょうね。ある夏の日、敦(8歳)は急死した台湾人の父親の遺灰を届けるために、弟の凱(6歳)と日本人の母親・夕美子と、東京から台湾東部・花蓮の近くにある小さな村にやって来た。台湾人のお爺さんと日本生まれの二人の孫が台湾の山林を背景に、繰り広げるお話なんですが・・・・日本語を話し、日本精神で培養されたような台湾の高齢者は、戦後に日本に捨てられたとの思いが募るようです。監督は丁寧で淡々としたペースで、すでに定型となったような両国の関係を紡ぎだしていますが、先刻承知の私には、ややくどいように感じたのですが・・・・お話よりも、台湾の山林の美しさを見るだけで納得するのでした。ヤシ科の樹木も混じる濃い緑色の山林は、一目で日本のものでないことがわかるが・・・その山林の中に混じる家屋との取り合わせがなんともいい感じなんですね。オーシ 今度、台湾に行くなら東部の花蓮あたりにしよう♪・・・・とまあ、私にとっては、台湾の山林とリー・ピンビン撮影監督が主役であり、川口監督にとっては、あまりいい観客になっていなかったようです(笑)トロッコ公式サイトより日本の原風景のような愛おしい情景を撮り上げたのは、ホウ・シャオシェン作品で名高いリー・ピンビン。近年は『空気人形』(是枝裕和監督)や、公開が控えている話題作『ノルウェイの森』(トラン・アン・ユン監督)など、国境を越えて活躍している。ところで「トロッコ」に触発されて、司馬さんの「台湾紀行」を読んでいるんですが・・・・戦後台湾に関する歴史認識としては、次のような1文が台湾オンチの大使にヒットしました。日本が降伏した。連合国軍最高司令官(マッカーサー)は、中国大陸・台湾の日本軍に対し、中国戦区最高司令官(蒋介石)に降伏するように命じた。当時、蒋介石は重慶にいた。かれは先発として陳儀を台湾に派遣した。陳儀はかって福建省の主席時代、一省を汚職まみれにした札付きのアジア型の政客で、在任2年間、台湾を私物化し、搾れるだけのものをふところに入れた。陳儀の部下は一兵にいたるまで小陳儀で、中国における過去の王朝軍と同様、私的私欲しかなく、また征服軍として台湾人を無数に殺戮した。陳儀は、通敵の疑いで1950年、銃殺されたが、陳儀以降も台湾の被征服的事情がつづいた。私はこの夜、李登輝氏に招かれていた。途中、蒋介石の巨大な銅像の前をすぎた。銅像の基壇に、「天下為公」とあったのは、冗談のような気がした。すでにふれたことだが、中国の王権が公であったことは一度もなく、毛沢東、蒋介石でも、かれらにとって権力は私物だった。国民党の圧制下、台湾人は「アメリカは日本に二発の原子爆弾を投下したが、台湾には“蒋介石”を投下した」というブラックジョークを陰で語ったそうです。日本占領には、周到な準備をしたアメリカだが、台湾に対していかに無頓着であったかということで・・・・・その無頓着さが戦後台湾の悲劇を生んだのでしょうね。台湾特捜百貨店台湾人生【台湾取材レポート】老台北・蔡焜燦氏に聞く 第1弾
2010.09.06
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「ハートロッカー」がアカデミー賞受賞作品だということで観にいったが・・・・・(大使、遅れていますよ)なにしろ、くだんの2本立て館に見に行くので、封切りより、およそ半年は遅れるんです。ところで、その感想なんですが・・・・・観るぶんには迫力のある面白い映画ではあるが、これが年間最優秀作品なのか?ほかにいい作品は無かったの?と肩すかしを食らった感じでした。マッチョな戦争映画ではあるが、これが年間最優秀作品とはね。爆弾処理班の兵士のスリリングな処理を描くことで、戦争の一面が見えてくるが・・・・この映画は仁義無き戦争に対して疑問をはさむわけでなく、兵士の人間ばなれした度胸と生理的なスリルを描いているだけでないの?そして、戦意高揚のプロパガンダ映画とは言い切れないが、言外にアメリカの戦争を肯定しているんでしょうね。「父親たちの星条旗」などは、戦争を突き放して見る視点があったが・・・・イラクやアフガニスタンの戦争には大儀があると言いたいのだろうか?ハリウッドの審美眼も落ちたものだと言うか・・・・戦意高揚映画を選ぶようなら,国際的な映画賞という看板は下ろして欲しいものです。(大使 見方が堅いのでは?)最近のアカデミー賞に幻滅していた大使であるが、今回のアカデミー賞受賞作品で駄目を押したようです。第82回アカデミー賞の作品賞:「ハートロッカー」「ハートロッカー」公式サイト 3D映画・・・・何それ?ハリウッドが売り出し中の迫力のある(こけおどしの)映画だそうです。見たことがないな~ 知らんな~(大使、遅れていますよ)ほう3D騒ぎが映画をダメにする9つの理由とあるように…newsweekでも3D映画を嫌っています。とことん、ハリウッドに幻滅している大使であるが・・・・ハリウッド発の「男性嫌悪映画」を観ればマッチョな映画に辟易したハリウッドもあるので、アメリカの揺り戻しに期待したいものです。
2010.09.04
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総理大臣を選ぶに等しい選挙が始まるけど、党員以外は手も出せないし・・・豪腕の小沢さんひとりに日本が振り回されるようで、すっきりしないのです。このクソ暑いのに・・・・建前と本音を使い分ける政治家のレトリックに、ややうんざり、ややバテ気味の大使であるが危機論者を排して、スーパークールな倫理を追求する内田先生の最新エントリー2題を聴いては如何でしょうか。8/31縮み行く世界より一昨日の高橋源一郎さん、渋谷陽一さんとの鼎談の最後の方のテーマは「シュリンクしてゆく社会で、市民はどんなふうにすれば尊厳を持って、かつ愉快に生きてゆくことができるか」ということであった。経済成長が止まったらもうおしまいだとか、人口がこれ以上減ったらもうおしまいだとか、国際社会でこれ以上侮られたらもうおしまいだ、とか「もうおしまいだ」的なワーディングで危機を論じる人がいる。たいへんに多い。私はこういう語り口は危険だと思う。 与えられた状況でベストを尽くすしかない。「経済成長が止まったらおしまいだ」と言っている人は経済成長が止まった時点で、自分はもう何の役にも立たない。何の政策も提言できない。何のビジョンも提示できないと宣言している。だって、「おしまい」というのは、政策提言もビジョンもプロジェクトもとにかく生産的なことは「なんにもできない」状況を指すからである。そのときにまだ次々と効果的な「打つ手」が思いつくようであるなら、それは「おしまい」の定義に悖る。実際には人口が減ろうと、経済成長が終わろうと、国際社会で侮りを受けようと、それでも私たちは生きていかなければならない。生きてゆかなければならない以上、「それでも自尊感情を保ち、気分よく生きるためにはどうすればいいか」という問いに知的資源を投じるのは生産的なことだ。高橋さんとそういう話をした。9/1スーパークールな一夕より医学者、とくにフロントラインにいる臨床医には「イラチ」が多い。つねに待ったなしの現場で診断し、治療をし、またサイエンスの最新情報を絶えずモニターているわけであるから、勢い「イラチ」化することは止めがたいのである。あと、「にべもない」人も多いですね。判定の言葉を濁らせたり、相手のプライドを斟酌したり、「よいしょ」してサバいたりという、私など文系人間が得意とする「にべ」(ってなんだろう)的なものは、「待ったなし」の現場ではあまり(ほとんど)配慮されない。前線にいる医師や看護師が次々と感染症で倒れるような現場で医療に従事している「未来の自分」を想定したその上で、彼は「どうせ死ぬなら犬死にはしたくない」と言っているのである。このワークショップの場にいて、幸いそのカタストロフを生き延びた諸君がいれば、ぜひ「私や私の仲間たちの死」から少しでも有用な情報を回収してほしいと言っているのである。「自分が感染し、まずくすると死ぬことを勘定に入れた上で感染症対策を論じている医師」のスーパークールな倫理性に私はちょっと感動してしまったのである。私が危機論者を好かないのは、彼らが危機の到来のときに「逃げる」ことを経験的に知っているからである。整合性、無謬性と省益でにっちもさっちも行かない官僚どもを、総理大臣がどう使いこなすかという政治状況のなか・・・・政局も大事ではあるが、貧しくても「それでも自尊感情を保ち、気分よく生きるためにはどうすればいいか」という問いに知的資源を投じて欲しいものです。「与えられた状況でベストを尽くすしかない」という前向きで簡明なお説に、ハタと膝を打つことしきりで、膝が腫れています(ウソ)
2010.09.01
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