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図書館で『奇っ怪建築見聞』という本を手にしたのです。モノクロの写真や画像が多い本であるが、冒頭に水木しげるの漫画を配しているのが異色の構成である。【奇っ怪建築見聞】水木しげる、他著、角川書店(同朋舎)、2001年刊<商品レビュー>より狂える家、二重螺旋の塔、奇想建築、実在する幽霊屋敷、江戸の怪建築など好事家たちが誘う、妖しと怖し9つの旅。(アマゾン紹介文)<読む前の大使寸評>モノクロの写真や画像が多い本であるが、冒頭に水木しげるの漫画を配しているのが異色の構成である。rakuten奇っ怪建築見聞岩窟ホテル跡p62~64<死ぬまでに一度行きたい!> 死ぬまでに一度は訪れてみたいと思っていた建築物が、僕には二つあった。一つは福島県会津若松市にある飯盛山のさざえ堂。そしてもう一つが埼玉県比企郡吉見町にある岩窟ホテル。どちらも一般の建築物とは異なり、世界でも類を見ない珍しいものというところに興味を持っていたのである。 別に親の死に目を無視してでも見に行きたいという逼迫した状態ではなかったので、いずれ機会があったらと長いあいだ腰を上げないままでいた。それがいけなかったようだ。さざえ堂は今でも見学でき、見たいと思ってから後に三度ほど見学する機会に恵まれたが、岩窟ホテルは昭和62年を最後に閉鎖され、僕の希望は果たせぬままになってしまったのだ。 以来、岩窟ホテル内部を探検してみたいという要求は以前より増してしまった。「いつでも手に入るからいいや」と購入を先延ばしにしていた本が、絶版になったとたんに入手困難となり、無性にその本が欲しくなるということはよくある。僕の岩窟ホテル探検願望はちょうどそんな感じなのだ。 閉鎖されてから何度か岩窟ホテルの前に行ってみた。張り巡らされたフェンス越しから荒れるにまかされた外観を眺める。透視能力があるわけでもなく、いくら外観に熱い視線を投げかけても、その内部の様子はわからない。ただ、閉鎖される前に撮影されたガイドブックの写真を手がかりに想像する他なかった。 しかし、平成12年11月、ついにその念願を取材という形で果たすときがやってきたのである。<岩窟ホテル・高壮館とはなにか> …と、さざえだの夢だのと読者にはちっとも分からない話をしてしまったが、ここで岩窟ホテルについてのレクチャーをしておこう。 観光、ビジネス、カプセルなどと、ホテルと名のつく施設には利用者に応じていろいろとあるが、人を宿泊させる所であることに変わりはない。しかし、ホテルと名がついているにも関わらず、宿泊できないホテルがかつて日本にあった。 埼玉県比企郡吉見町にある岩窟ホテル・高壮館…これが日本でも、いや世界中でも唯一、宿泊施設として利用できないホテルなのである。 岩窟ホテルという名の通り、高壮館は切り立った崖に掘られた岩窟で、基本的には建物ではない。垂直になった岩肌を高壮館の正面とし、一階部分には二つの玄関、崖の中腹には窓やバルコニーがある。中に入ると、堀り進められた洞窟内にいくつかの部屋があり、階段を登れば崖の中腹にあるバルコニーへと出られるようになっている。一応、2階建てになっているのだ。『奇っ怪建築見聞』1
2019.11.30
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図書館で『奇っ怪建築見聞』という本を手にしたのです。モノクロの写真や画像が多い本であるが、冒頭に水木しげるの漫画を配しているのが異色の構成である。【奇っ怪建築見聞】水木しげる、他著、角川書店(同朋舎)、2001年刊<商品レビュー>より狂える家、二重螺旋の塔、奇想建築、実在する幽霊屋敷、江戸の怪建築など好事家たちが誘う、妖しと怖し9つの旅。(アマゾン紹介文)<読む前の大使寸評>モノクロの写真や画像が多い本であるが、冒頭に水木しげるの漫画を配しているのが異色の構成である。rakuten奇っ怪建築見聞中世に、二重螺旋の構造で塔を建てた宮大工がいたことに驚くわけでおます。p41~46<二重螺旋の塔、会津栄螺堂に上る> 18世紀末、会津若松に建立された旧正宗寺栄螺堂。 世にも珍しい二重螺旋構造を持つこの塔と、建築家毛綱毅氏との出会いは、20年ほど前になる。 毛綱氏は、こう語る。「三次元にありながら四次元。二重螺旋とはつまり、異界表現の構造である。その運動はDNAを刺激し、全国観音霊場の記憶を内部に凝縮する」 その特異な構造が持つを伺いながら、私は毛綱氏と実際に螺旋を歩くことにした。■天空に上昇する奇怪な仏堂 会津の栄螺堂は、会津若松の市街地を見下ろす飯盛山中腹にそそり立つ。見上げると、ひさしが渦を巻いて天に伸び上がるような感がある。まさしくと呼ぶにふさわしい。『神聖空間縁起』の「輪廻の廻堂 会津若松栄螺堂」の中で、毛綱氏はその特異な文体で次のように記している。国破れて山河あり、若松城の炎上に時代の終焉と己の生命の燃え尽きるのを重ねてみた少年達の無垢な感傷にふさわしからぬ異形の建築が、ここ飯盛山の中腹にはございますとぐろを巻いた六角のねじの塔。人呼んで栄螺堂 一般に「栄螺堂」といわれるのは、秩父・西国・東国の観音札所の本尊を写し、一堂に集めた巡礼堂のこと。螺旋状の堂内をぐるぐる回って上がりながら参拝するので。こう名付けられた。 一番最初の栄螺堂は、安永9年(1780)に建立された、本所五つ目の天恩山羅漢寺に造られた三匝堂。広重の『東都名所』や『江戸名所図会』、北斎の浮世絵にも描かれるほどの、江戸の名所中の名所であった。 三匝堂は、その構造から俗に「栄螺堂(江戸の人々は、それを「さざゐ堂」と訛った)」と呼ばれ、内部には一階に秩父、二階に坂東、三階に西国、それぞれ三十三番札所の観音像があり、一番上の大きな観音像と合わせて、全部で百体の観音像が安置されていた。ぐるぐると回りながら「巡礼」を終えると、富士山が見渡せる見晴らし台に出るのである。 その後、関東周辺にいくつか建てられたが、現存するのは群馬県太田市の曹源寺、埼玉県児玉町の成身院、青森県弘前市の蘭庭院と会津若松の四つである。そのうち会津若松を除く他の三つが本所の三匝堂とほぼ同じ形式であり、会津の栄螺堂だけが、二重螺旋の階段を持つ非常に特殊な建物となっている。 毛綱氏によれば、栄螺堂も含めた怪建築は、徳川五代将軍綱吉による巨大ケンネル「犬屋敷」を皮切りとして、享保時代に入ると目立って建てられるようになったという。なぜこの時代に、それらが出現したのだろう。 人間には異界をのぞきたいという、根源的な願望がある。享保年間は人口が爆発的に増加し、都市部が傍聴せざるを得なくなった時代。それまでは、都市を囲む自然が水平空間の「異界」として存在していた。しかし都市の拡大、自然の減少により、都市内部に垂直空間としての異界…怪建築を持ち込んだ。「栄螺堂も、そのひとつです」 と毛綱氏は解く。 そして二重螺旋。赤と青の螺旋が二本、からみあってグルグル回る、あの理髪店のシンボルといえばわありやすいだろうか。二重螺旋の階段はレオナルド・ダ・ヴィンチの素描にあり、バロック建築にも実例が見られる。そこで、一説によれば会津栄螺堂の発想は、遠くダ・ヴィンチまで水脈をたどることができるのだという。「当時、すでに西欧の図書がもたらされているので、影響は当然考えられます。会津の栄螺堂を目の前にすると、二重螺旋のスケッチを目にした棟梁が刺激されて、腕まくりしている姿が見えるようではありませんか」
2019.11.30
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図書館で『藤井厚二の和風モダン』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくるとモノクロではあるが思いのほか写真と画像が多くてビジュアルである。【藤井厚二の和風モダン】谷藤史彦著、水声社、2019年刊<出版社>より昭和初期に西洋的な椅子の暮らしをとりいれつつ、日本の気候、風土にふさわしい和風住宅のあり方を探究し、環境工学の先駆者となった建築家のモノグラフ。その集大成として京都・大山崎に「聴竹居」(重要文化財)があり、また生地の福山・鞆の浦には「後山山荘」がのこされている。7月13日から9月8日まで目黒区美術館で開催される「太田喜二郎と藤井厚二ーー日本の光を追い求めた画家と建築家」展の関連書。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくるとモノクロではあるが思いのほか写真と画像が多くてビジュアルである。rakuten藤井厚二の和風モダンやや専門的になるが、もう少し見てみましょう。p111~113<起居様式>藤井は、起居様式についても独自の考え方をもち、椅子様式(腰掛式)と床座式(坐式)の併用が必要だとした。現代に適応する住宅として一般的には腰掛式と坐式とを併用するの必要があります。其の場合に両式の相違によりて一住宅内を全く二つに区分し、小住宅に於ても棟を分ち構造も意匠装飾も総て厳然たる区別を為すの頗る不合理であることは、「和風住宅と洋風住宅」の章に於て述べたる如くです。両式の設備は混用し、同一の用途の室に就いて腰掛式と坐式とが必用なる場合は、両式に対し別々に室を設けずして、一室内に両式の設備をなすべきです。 明治期の有力者の住宅においては、洋館と和館の両方を持つ方法をとり、同一の住宅内で併用を考える必要がなかった。藤井は、この考えを転換させ、同じ住宅内において椅子様式と床座式の併用方式を採用しようとした。 小泉和子も述べるように、藤井は過去に建てた第二回住宅から第四回住宅までの三つの住宅のなかでそれを実践した。「まず完全なイス坐の部屋と、両式混用の部屋とを分けている。すなわち客室と書斎は、イス坐、老人の寝室は畳敷、居間は混用、食事室はイス坐の場合と混用の場合」を試みた。小泉は、「ユカ座とイス座を融合させる上で、いくつかのユニークな試みを行っている。すなわち、1.高いトコノマ、2.造りつけベンチ、3.段差のある床、4.玄関の腰掛である」として、藤井の併用の方法を挙げる。 藤井の不思議なところは、彼の受けて来た建築教育なり、竹中工務店での仕事の内容の基本は、西洋建築であったのにも関わらず、その志向性およびその趣味が和風建築にあったことである。そのために、彼の住宅は、床座式を基本としながらも、そこに椅子座式に相応しい様式を併用させる独自の方法を考え出したのであった。 一般的な日本趣味から考えれば、椅子座式の居間にそもそも床の間は不要と考えるであろうし、絵は壁に掛ければよいと考えるであろう。ところが、藤井は床の間こそが和風住宅の一大特徴であり、「室内に於ける精神上の慰安を求むる中心」であり、「室の構成に種々の面白い変化を与え」るもので、必用欠くべからざるものであるとした。 例えば、第四回住宅(1924年)は、木造平屋建で、玄関からすぐに居間兼食事室に入り、東に応接間、西にベランダ、北に台所、西北に寝室などが続いている。応接間は、八平方メートル程の広さで、北角に高い床の間があり、それに並んで造付ベンチがある。床の間の袖壁の下半分は、採光のために吹き抜けとなり、床の高さは、ベンチ面よりも少し高く、掛物をかけられるものとし、ベンチおよび応接椅子に座ってバランスの良い高さに設定されている。ウン 我が家もごく一般的な和洋折衷の様式であり、腰掛式と坐式とを併用して建てられているのです。でも、藤井厚二がこの様式を昭和初期に提唱したのがすごいのでしょうね。『藤井厚二の和風モダン』1
2019.11.30
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図書館で『藤井厚二の和風モダン』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくるとモノクロではあるが思いのほか写真と画像が多くてビジュアルである。【藤井厚二の和風モダン】谷藤史彦著、水声社、2019年刊<出版社>より昭和初期に西洋的な椅子の暮らしをとりいれつつ、日本の気候、風土にふさわしい和風住宅のあり方を探究し、環境工学の先駆者となった建築家のモノグラフ。その集大成として京都・大山崎に「聴竹居」(重要文化財)があり、また生地の福山・鞆の浦には「後山山荘」がのこされている。7月13日から9月8日まで目黒区美術館で開催される「太田喜二郎と藤井厚二ーー日本の光を追い求めた画家と建築家」展の関連書。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくるとモノクロではあるが思いのほか写真と画像が多くてビジュアルである。rakuten藤井厚二の和風モダンこの本の冒頭に藤井厚二と鞆別荘の紹介が載っているので、見てみましょう。p13~16<1 崩壊寸前の鞆別荘> それは一通のメールから始まった。旧知の竹中工務店の松隈章から、広島県福山市内の鞆の浦に藤井厚二ゆかりの建物があるとの情報が寄せられたのである。早速に私の所属する近代建築の研究団体のメンバーたちとともに現場を訪ねたのは、2009(平成21)年11月16日のことであった。 当然ながら鞆の浦には何度も行っていたのだが、後山の中腹の医王寺付近には一、二度しか足を延ばしたことはなく、ましてやその北隣の鬱蒼とした木々に隠れたところに古い建物(鞆別荘)があろうなどとは思ってもみなかった。 敷地を支える堅牢な美しい石垣をすり抜けて石段を登っていくと、少し現代的な木製の門構えが見えてきた。特に門扉は、目線の高さのところに短冊ほどのスリットが複数入った1枚板状のもので、明らかにモダニズムの洗礼を受けたデザインだと感じた。 われわれは胸が高鳴るのを感じていた。しかし敷地内に足を踏み入れると、そこは瓦礫の山となっていて、呆然と眺めるしかなかった。周りを囲む大きな木々の落葉は、屋根を覆い尽し、時間とともに腐食を進ませ、雨水の浸透を許し、構造を脆弱にさせ、大方の崩壊につながっていた。 辛うじて残っている部分も傷みがひどく、あとは時間の問題というところであった。われわれは、その残っている建物のなかで縁側(サンルーム)の部分に注目した。それは観るからに藤井厚二(1888-1938)の名作、京都・大山崎の聴竹居と瓜二つのように感じたからである。早々に中に入ると、天井が網代で、そこに開閉式の換気口があり、内壁が和紙張りであるという事実が見えてきた。 いずれも藤井厚二の特徴とするものばかりで、興奮を抑えながら採寸をはじめた。ここからは、一緒に調査に入った宮地巧の報告をもとに少し詳しく見ていきたい。 主屋の建物は、柱梁構造の在来工法による木造平屋建てだが、崩壊した状況では全体の間取りは良くわからなかった。その屋根は、大屋根と下屋の二層構造で、大屋根がセメント瓦葺きで、下屋がいぶし瓦となっていた。 屋根のセメント瓦も、コンクリートの断熱性の高さを知っている藤井ならではの使い方のように思われるが、いぶし瓦に比べて防水性、耐久性で劣るゆえに建物の寿命を縮めたと考えられる。小屋裏を高くして外壁に土壁を使い、屋根にも葺土を使っていた様子が窺え、室内の熱環境を研究、実験していた藤井らしい手法のように思われた。昨今ではナショナリズムの高揚もあってか、漢詩の素養などというものは見る影もないようであるが・・・臍が曲がった太子としては、あえてその漢詩に注目するわけでおます。瀟湘八景にふれたあたりを、見てみましょう。p23~26瀟湘八景図<2 豊かな鞆別荘の景観> 鞆八景「鞆八景」は、「瀟湘八景」を本歌とする、鞆の浦を歌う漢詩である。「瀟湘八景」とは、北宋の宗テキが描いた中国湖南省の洞庭湖のある瀟湘の画題で、「山市晴嵐、漁村夕照、遠浦帰帆、瀟湘夜雨、洞庭秋月、平沙落雁、江天暮雪、煙寺晩鐘」のことをいう。日本では、近江八景や金沢八景など各地の八景を選び親しまれている画題である。与一右衛門は、それに倣って次のような漢詩「鞆八景」にしている。 鞆八景 賽嶺暮雪 離庵夜雨 鳥口晴嵐 平港帰帆 園寺梵鐘 鴎岩遊禽 神原夕照 水島秋月 与一右衛門は、この「鞆八景」に従って日本画家に絵を描かせようとしていたのではないかと考えられる。これにもう少し詳しく説明を加えた次のような現代文にするとその景色が浮かんでうるであろう。 日暮れの賽嶺に雪が降り 人里離れた庵の夜に寂しく雨が降る 仙酔島の鳥の口が霞に煙り 平港に帆かけ舟が戻ってくる 円福寺の鐘が鳴り 皇后島近くの鴎島に鳥たちが遊ぶ 走島の神原港が夕焼けに染まり 水島の灘に秋の月が上る ここに出てくる賽嶺や鳥ノ口、平港、円福寺、鴎島、神原という地名は鞆別荘の周辺のもので、四季折々の瀬戸内の豊かな自然をとり込もうとしていたことが分かる。寂しい鞆別荘からは、鞆港や平港への船の出入り、仙酔島の鳥ノ口や鴎島、走島の神原港を臨むことができる。円福寺の鐘が鳴り、鳥たちが遊び、空が夕焼けに染まる。 やがて少し離れた賽嶺に雪が降り、遠くの水島の灘に月の出る光景が浮かぶのである。与一右衛門が別荘に住み始めて約二十年の歳月が経っていて、すでに鞆の風景が彼の血となり肉となっていたのであろう。目を閉じていても、光景が浮かび、耳を澄ますと鳥のさえずりが聞こえ、潮の香りさえしていたと思われる。ウーム 南宋に対する趣味的な態度が甘いというか・・・浅田次郎の影響も大きいのだろうか?
2019.11.29
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図書館で『天子蒙塵(四)』という本を手にしたのです。この本は、どうゆう訳か図書館予約システムでは借りられなかったのだが・・・とうとう図書館内で手にしたのです、ラッキー♪【天子蒙塵(四)】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より満洲でラストエンペラー・溥儀が皇帝に復位しようとしている。そんななか、新京憲兵隊将校が女をさらって脱走する事件が発生。欧州から帰還した張学良は、上海に襲い来る刺客たちを返り討ちにしていた。一方、日本では東亜連盟を構想する石原莞爾が関東軍内で存在感を増しつつあり、日中戦争突入を前に、日本と中国の思惑が複雑に絡み合う。満洲に生きる道を見いだそうとする正太と修の運命は。長い漂泊の末、二人の天子は再び歴史の表舞台へと飛び出してゆく。<読む前の大使寸評>この本は、どうゆう訳か図書館予約システムでは借りられなかったのだが・・・とうとう図書館内で手にしたのです、ラッキー♪rakuten天子蒙塵(四)冒頭の語り口をちょっとだけ、見てみましょう。p7~9<五十九> 冬の陽光がちりちりと肌を焼く。 目に見えぬほど小さな黴菌どもが、ひとたまりもなく揮発してゆく。 ペスト。コレラ。チフス。天然痘。結核。スペイン風邪。さあ、これでもか。みんなくたばれ。 接見のない日は、正午に起床したあと下ばき1枚の姿で日光浴をする。いつの間にか習慣になった。睡眠時間を奪う御前中の接見はよほどの急用であるから、ほぼ正確な日課と言ってもよかった。 もっとも、今の私に急用などあるはずはない。万事において執政閣下の意思は、後回しでもかまわないからである。場合によっては決裁の署名すらも。 それでも週に一度、たいていは月曜の早朝に、その「急用」とやらが入る。御前太監が寝台の下にかしこまって、こう言うのである。「万歳爺におかせられましては、天機うるわしくおめざめにござりまする。ただいま梁文秀様が急用にて参内なされました。いかがいたしましょうや」 どれほど睡かろうと機嫌が悪かろうと、私は「召見」と応じねばならない。先帝光緒陛下の寵臣であった梁文秀は、私の師フであり、小宮廷では唯一と言える無私の人だった。すなわち、私自身の力ではもういかんともしがたく、なるようにしかならぬと誰もが考えている国家の、彼は良心であった。どれほど睡かろうと機嫌が悪かろうと、良心を拒むことはできない。 太監たちが床に這いつくばってカーテンを開け、両脇から掛け蒲団をそろそろと剥がして、私の体を獰猛な陽光に晒す。 着替え。整髪。薄い髯をていねいにあたる。みずから手を使うのは、歯磨きと洗面だけである。玉体がすりへらぬよう、なるべく動いてはならぬという日常生活のきめごとは、この氷に鎖された北の都の監獄めいた宮廷にも生きていた。紫禁城の暮らしとどこも変わらず。 なすがままにされながら、いつも同じことを考える。三皇五帝の神の時代を経て、初めて龍玉を禅譲された兎王は、身を粉にして黄河の治水に打ちこんだのではなかったか。歩きに歩き、働きづめに働き、頭頂も踵もすりへって、ついには身が偏枯してしまうほどに。 そうした中華皇帝が、いつから動かざるものとされたのか私は知らない。「昨ーッ! 万歳爺、お出ましになられます」 太監が両膝をついて出御を告げる。梁文秀は古式に則った三キ九叩頭の礼で私を迎える。 彼の挙措は老いるほど優雅になってゆく。私の足元に三度ひざまづき、九度額を床にこすりつける。老躯にはよほど応える動作であろうに、それはまるで儀式というより舞うがごとくであった。 そのつど感心しつつ思う。若き日の彼は西太后様の御前に叩頭したのだ、と。毎朝こうして、光緒陛下に礼を尽したのだ、と。ウーム 愛新覚羅溥儀が第一人称で語る小説なのか・・・まるでベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『ラスト・エンペラー』を彷彿とするではないか。『天子蒙塵(3)』3:満州国のメカニズム『天子蒙塵(3)』2:ヌルハチ公神話を語る主人公『天子蒙塵(3)』1:ヌルハチの伝説『天子蒙塵(2)』1:馬占山が張作霖を回顧するあたり『天子蒙塵(1)』3:天津の日本租界『天子蒙塵(1)』2:浅田治郎独占インタビュー『天子蒙塵(1)』1:序章の語り口
2019.11.29
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「建築」でしょうか♪<市立図書館>・天子蒙塵(四)・いい加減に目を覚まさんかい、日本人!<大学図書館>・藤井厚二の和風モダン・奇っ怪建築見聞図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【天子蒙塵(四)】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より満洲でラストエンペラー・溥儀が皇帝に復位しようとしている。そんななか、新京憲兵隊将校が女をさらって脱走する事件が発生。欧州から帰還した張学良は、上海に襲い来る刺客たちを返り討ちにしていた。一方、日本では東亜連盟を構想する石原莞爾が関東軍内で存在感を増しつつあり、日中戦争突入を前に、日本と中国の思惑が複雑に絡み合う。満洲に生きる道を見いだそうとする正太と修の運命は。長い漂泊の末、二人の天子は再び歴史の表舞台へと飛び出してゆく。<読む前の大使寸評>この本は、どうゆう訳か図書館予約システムでは借りられなかったのだが・・・とうとう図書館内で手にしたのです、ラッキー♪rakuten天子蒙塵(四)【いい加減に目を覚まさんかい、日本人!】百田尚樹×ケント・ギルバート著、祥伝社、2017年刊<「BOOK」データベース>より『今こそ、韓国に謝ろう』の百田尚樹と『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』のケント・ギルバートが大激論!これでいいのか日本<読む前の大使寸評>おお 売れ筋のお二人による大激論ってか・・・これは興味深いでぇ。rakutenいい加減に目を覚まさんかい、日本人!【藤井厚二の和風モダン】谷藤史彦著、水声社、2019年刊<出版社>より昭和初期に西洋的な椅子の暮らしをとりいれつつ、日本の気候、風土にふさわしい和風住宅のあり方を探究し、環境工学の先駆者となった建築家のモノグラフ。その集大成として京都・大山崎に「聴竹居」(重要文化財)があり、また生地の福山・鞆の浦には「後山山荘」がのこされている。7月13日から9月8日まで目黒区美術館で開催される「太田喜二郎と藤井厚二ーー日本の光を追い求めた画家と建築家」展の関連書。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくるとモノクロではあるが思いのほか写真と画像が多くてビジュアルである。rakuten藤井厚二の和風モダン【奇っ怪建築見聞】水木しげる、他著、角川書店(同朋舎)、2001年刊<商品レビュー>より狂える家、二重螺旋の塔、奇想建築、実在する幽霊屋敷、江戸の怪建築など好事家たちが誘う、妖しと怖し9つの旅。(アマゾン紹介文)<読む前の大使寸評>モノクロの写真や画像が多い本であるが、冒頭に水木しげるの漫画を配しているのが異色の構成である。rakuten奇っ怪建築見聞************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き409
2019.11.28
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『海峡は越えられるか』という本を手にしたのです。これは父の蔵書から引き継いだ1冊であるが・・・1997年にこの本が刊行されて以降、状況はさほど変わっていないようです。ナショナリズムを超えて和解することは難しいということなんでしょうか。【海峡は越えられるか】 網野善彦櫻井よしこ×金両基著、中央公論社、1997年刊<「BOOK」データベース>より慰安婦問題から征韓論まで、両国の近代に横たわる多くの論点を、タブーを恐れず、事実にのみ基づいて20時間徹底討論。 <大使寸評>父の蔵書を引きつぐものであるが、1997年にこの本が刊行されて以降、状況はさほど変わっていないようです。ナショナリズムを超えて和解することは難しいということなんでしょうか。Amazon海峡は越えられるか「Part2 征韓論から日韓併合までを検証する」の中で日中韓の関係を、見てみましょう。p171~175<日清戦争の宣戦布告に見る日本と清国の大義名分> 櫻井:甲申政変後、閔妃が王朝内での力を増していくなかで、朝鮮は清国により強く傾いていきます。気弱な王よりも力が強く、義父の大院君と烈しい憎しみの戦いを演じた閔妃が、ますます日本を退け、ロシアに接近したのは、身内との骨肉の争いが大きな要因のひとつだったと言えると思います。 それにしても疑問も残ります。朝鮮半島の歴史を振り返ると、二百回近い中国側からの侵略が繰り返されています。宗主国の大明国も清国も決して甘い統治に終始したわけではありません。過酷な取り立てが何度も繰り返されて、悲しさ、苦しさ、悔しさに涙を流しながら耐えた李王朝ならびに国民の歴史があります。 それでもなお、中国側、清国に従おうという気持ちと、開国をして開化しなければならないと思いつつもあくまで日本には反発する気持ちが強いのです。この違いを生ましめるものはなんでしょう。 日清戦争のときに清国は、「朝鮮半島は二百年にわたるわが属領である。だから守らなければならない」という態度でした。日本は反対に、朝鮮半島を一国の独立した国とすべきだという論で立ち向かいました。二つの国の狭間にあって、朝鮮がなぜ清国へと傾くのあ、そのへんの心理的な事情を私は知りたいと思うのです。金:朝鮮王朝は清国の傘の下にあり、清国を宗主国として外交関係を持っていましたが、国があり国王がいて、国民がいたわけで、植民地ではなあった。19世紀に入ってからは、櫻井さんが言ったように属国とか属領といった言葉がつかわれるような力関係にあったことは事実です。 朝鮮王朝を清国寄りにした大きな原因は、日本への信頼感が芽生えなかったことでしょうね。征韓論もありましたし、日本は何を考えているかわからない、という不信感を抱いてしまった。日本人は、今でもそうですが、国際関係において、本音と建前の落差が多きすぎる。金玉均のケースでそれが立証された、ということじゃないですか。(中略) 経済的な基盤はないのに自惚れだけはたくさんある。現代の韓国批判をする日本の人たちの言葉によく出てくるのは、その部分でしょう。教育だけは目一杯したんですよ。櫻井:とくに両班はそうですよね。金:科挙という今日で言えば国の上級国家公務員試験に合格しなければ政府の官位にはつけなかったのです。もちろん両班の家門だけに科挙の受験資格が与えられましたが、江戸幕府のように官位を世襲させることはなかった。国民の人口比例からしても、平均的な文化水準は高かった。 少し前の時代に遡って、元が侵入してきたときも、八万大蔵経の版木を彫って国を守ろうとした。それは国宝で残っていますが、武力で戦うより平和の理念で仏に頼ったり、知識に頼る傾向が強かった。外国から何度も武力による侵略を受けた歴史を持っているのに軍備力に頼る方向には向かわなかったのです。 一方、そういう両班たちの搾取によって、国内経済が乱れてくる。経済が乱れれば国政も乱れます。現に、農民運動が盛んになって、1894年に東学党の乱という大規模な暴動が起こる。朝鮮王朝の政府軍だけで抑えきれないので、清国に応援を頼む。日本には軍隊の派遣は頼まない。 日本は要請がなかったので、公使館や日本人を守るという名目で、近代化された1万に近い日本軍を、勝手に仁川に上陸させます。そのために1万の兵は必要ないですから、明らかにこれはパワーゲームにかけた戦略的展開ですね。櫻井:一気に日清間の緊張が高まるわけですね。金:日本軍も農民軍と戦います。日本軍が来なくても、あるいは鎮圧出来たのかもしれませんが、いずれにせよ、日本軍が東学党の乱を鎮める大きな力になったことは確かです。俗に東学党の乱は日本軍によって抑え込まれたというのはそのことです。櫻井:日本は、列強の脅威に戦々恐々として、軍備を磨いてきたわけですから。そこで力を発揮出来たのですね。金:日本側も「なんだ、清国の軍事力なんてたいしたことない」と実感した。そして、東学党の乱がきっかけで日清戦争に突入するわけです。 仁川のそばの豊島沖に停泊していた清国の艦隊に、日本が奇襲攻撃をかけ、その後に宣戦布告した。いわば、パールハーバー型の第一号です。これは日本ではあまり知られていまあせんね。前に言ったように、日清戦争が朝鮮半島で行われたことすら、ほとんど知られないんですから。 そして日本が勝つ。当時の国際社会の評価では、清国のパワーをもってすれば日本に負けるはずはないという見方をしていたのが、日本が奇襲攻撃で勝利を収めた。もっとも、この時には、後のパールハーバーと違って、奇襲攻撃をしたという理由をもって日本が批判されませんでしたが。ウン こういう史実を語り合うことが歴史認識なんだけど、過激なナショナリズムが聞く耳をなくすのでしょうね。
2019.11.28
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「KFC、551 vs たこ焼き」・・・何のこっちゃ?言い換えるとケンタッキー、551の豚まん、たこ焼き更に言い換えるとアメリカ産チェーン店、関西生れの豚まんチェーン、関西生れの粉もんということになるが・・・お値段もほぼ拮抗していて、手元不如意の太子もどれを選ぶか悩ましいのである。ところで、たこ焼きのチェーン店展開は何ゆえに存在しないのか?暇な太子は、この経済的疑問を解明しようと思い立ったのです(暇なこっちゃ)SNS情報に誘われてたこ焼き店に行列ができるなんて・・・まるで東京みたいな光景がナサケナイと言うか、気に食わないのである。2019/11/26ミシュラン掲載たこ焼き店より 飲食店の格付けで知られるミシュランガイドに掲載されたことがあり、外国人観光客にも人気の大阪のたこ焼き店が、売り上げの一部を申告していなかったとして、店の運営会社などが大阪国税局から1億4000万円余りの所得隠しを指摘されたことがわかりました。 所得隠しを指摘されたのは、大阪 梅田のたこ焼き店「はなだこ」の運営会社「芭食サービス」と、関連会社の合わせて3社です。 JR大阪駅近くのガード下にある「はなだこ」は、飲食店の格付けで知られるミシュランガイドに安い価格で質の高い料理を出す「ビブグルマン」として掲載されたことがあり、多くの外国人観光客が訪れる人気店です。 関係者によりますと、レジの記録を消すなどして売り上げの一部を申告せず、法人税や消費税の支払いを免れていたほか、従業員の給与の源泉所得税の一部も納めていなかったということです。大阪国税局は去年4月までの5年間に1億4000万円余りの所得隠しを指摘し、重加算税を含むおよそ8000万円を追徴課税したということです。「はなだこ」の運営会社は取材に対し「税務調査の内容については答えられない」としています。1億円脱税の店も大阪のソウルフードとも言える「粉もん」の代表格「たこ焼き」は、外国人観光客の急増に伴って売り上げが伸びていますが、去年、別の店も脱税で摘発されています。摘発されたのは大阪城公園にあった、たこ焼きの売店で、平成28年までの3年間に5億円以上を売り上げましたが、税務申告を全くしていませんでした。売店の店主は、1億3200万円余りを脱税した罪に問われ、有罪判決を受けました。裁判の中で店主は「外国人観光客が増えてからは1日に数十万円、多い時には数百万円が手元に残るときもあった」と話していました。「粉もん自体が疑われるのは悲しい」所得隠しが明らかになった「はなだこ」は、26日も営業していて、訪れた客からは金額への驚きや、適正な納税を求める声が聞かれました。サンフランシスコから旅行で来たという49歳のアメリカ人の男性は「1億4000万円という額はとても大きく感じます。きちんとモラルを持ってほしいと思います」と話していました。また大阪市の30代の会社員の男性は「ニュースを見て、きょう初めて、ここのたこ焼きを買いに来ました。税金はきちんと申告すべきだと思いました」と話していました。兵庫県西宮市の60代の女性は「おいしいと聞いていたので、きょう初めて娘と来ました。大阪のソウルフードで納税されていなかったと聞いて悲しいですし、食べるのも気が重くなります」と話していました。東京から来た36歳の会社員の男性は「大阪出身なので以前からこの店には来ていました。味はおいしいので、まっとうな商売をしてほしいと思います。去年も別のたこ焼き店で脱税が発覚したので粉もん自体が疑われるのは悲しいです」と話していました。 大阪のソウルフードとも言える「たこ焼き」の店がこのていたらく・・・庶民とはかけはなれた確信犯ではないか。 『KFC、551 vs たこ焼き』1
2019.11.27
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朝日新聞の記事をスクラップしているのだが・・・(もうすぐ終わる紙の本)シリーズについても、デジタル記事も残しておこうと思ったのです。スクラップとWebデータとで重複保管になるのだが、ま~いいか。・・・この(もうすぐ終わる紙の本)記事が伝える地獄の予兆も恐ろしいのである。2019年11月26日誰もが作家、地獄の予兆 想像できないノイジーな世界へより紙の本がなくなると、どんな世界になるのだろうか。 本や雑誌の新刊も、図書館にある過去の書物も、すべて電子化される。絶版本はなくなり、インターネットで発表された文章も、すべて画面が記録される。人類の知の遺産がデジタル情報に一元化され、永久保存される――。 「先駆者は壮大なビジョンを語った。しかしどうもそれはできそうもない現実を見せつけられている」。そう語るのは、電子出版の日本でのパイオニア・萩野正昭(73)だ。電子出版社「ボイジャー」の創業者だ。「本から音が出たら、映像が出たらすごいという発想でやってきた」。デジタルの無限の可能性という開発初期の高揚は、しかしいま、別のものになっている。 「30巻の全集が電子媒体に収まるという、置き場所の利便はありますよ。だけど……」、デジタル最大の利点と思われた記録性、永続性について、ことはそう簡単ではないことがわかってきた。 「たとえば米サンフランシスコのインターネットアーカイブは、ネット上に出たあらゆるページをコピーし、残すことを標榜していた。いま、それが滞っている」。更新されるページが幾何級数的に増え、追いつかないのだという。 萩野はレーザーディスクのソフト開発に携わった。いま、レーザーディスクで過去作品を鑑賞するのは難しい。ハードの技術革新で過去のソフトのコレクションが無駄になるのを、わたしたちはいくらも経験している。逆に、「任意のページを瞬時に開く、素朴で確実な機能。いわばバージョンアップしない機能」(萩野)が、じつは紙の本の最大の売りだ。 日本の電子書籍市場は拡大を続けるが、世界一の米国では陰りが見える(全米出版社協会調べ)。 萩野は、いま、片岡義男の全作品を次々電子化している。文化の支え手を自任する出版社は、もはや紙の全集など出したがらない。単行本だけではなく、雑誌に書いた記事スクラップの詰まった重い段ボール箱が片岡から届けられ、次々に電子化している。読者に資金を募ってのプロジェクトだ。「私たちは電子出版だけにできることを粛々としていく」というパイオニアの気概だ。 紙の本が人間社会にもたらしたものは「読者の誕生」だった。識字率の向上と、それで可能になった工場、軍隊、学校は、資本主義、国家、近代的個人を生んだ。 一方、ネットや電子書籍などは、人間に何をもたらすのか。それは「書き手の誕生」だろう。 だれでも書き手になれる時代は、マスメディアなど必要としない時代でもある。「既存の大メディアはフェイクばかり」。トランプ大統領ばりの主張は一定程度、説得力をもって受け止められる。なにせその傍証の書き手はネットで“無限”に見つかるのだから。 「だれでも作家になれるデジタルの福音は、悪貨が良貨を駆逐する地獄の予兆でもある。想像もできないノイジーな世界を、我々は覚悟しなければならない」=敬称略(近藤康太郎)
2019.11.27
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大学図書館に予約していた『百花』という本を、待つこと5ヵ月でゲットしたのです。いま『そしてバトンは渡された』という本を読んでいるところだが、『そしてバトンは渡された』の場合は特異な両親、『百花』の場合は認知症の母・・・ともに幸せとは縁遠いような家族であるが、なぜか幸せなお話しである。【百花】川村元気著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より大晦日、実家に帰ると母がいなかった。息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。それは母が息子を忘れていく、始まりの日だった。認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、泉は母との思い出を蘇らせていく。ふたりで生きてきた親子には、どうしても消し去ることができない“事件”があった。母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。あのとき「一度、母を失った」ことを。泉は封印されていた過去に、手をのばすー。現代において、失われていくもの、残り続けるものとは何か。すべてを忘れていく母が、思い出させてくれたこととは何か。<読む前の大使寸評>いま『そしてバトンは渡された』という本を読んでいるところだが、『そしてバトンは渡された』の場合は特異な両親、『百花』の場合は認知症の母・・・ともに幸せとは縁遠いような家族であるが、なぜか幸せなお話しである。<図書館予約:(6/14予約、11/19受取)>rakuten百花この本の冒頭の語り口をちょっとだけ、見てみましょう。p3~6<1> ドアを明けると、黄色の空が広がっていた。 雲ひとつないが、太陽も見当たらない。わたしは坂を下り、突き当りの角を左に曲がる。急がなくては。泉がもうすぐ来るのだ。同じくらいの大きさの一軒家が、ゆるやかな坂道に沿って連なっている。 どこの家からか、ピアノの音が聞こえてきた。シューマンのトロイメライ。何度も2小節目で引っかかる。そうか、今日はピアノレッスンの日だった。美久ちゃん、ファとレを丁寧に弾いて。いけない、もうレッスンが始まる時間だ。でも、その前に行かなくては。どこに? どこにわたしは向かっているのか。ああそうだ。駅前のスーパーマーケットだ。今夜、泉が来る。あの子の好きな、ハヤシライスと甘い卵焼きを作ってあげるのだ。大きなトマトも添えて。マヨネーズ、まだあったかな? 念のために買っておかなきゃ。 そろそろ泉が駅につく時間だ。早く買い物をすませなくては。急ぎ足で行こう。靴底がアスファルトの坂道をたたく音が、誰もいない夕方の通りにひびいている。目の前にブランコが見えた。さっきまで子どもが遊んでいたのだろうか。さびたチェーンが揺れている。急な階段の脇にある小さな公園。使い込まれたすべり台、シーソーとブランコ。長い下り坂の先には線路があって、赤い電車が音もなく走っていく。たんぽぽ色の空の下に、敷きつめられるように建てられた団地があった。その先にあるはずの海は、かすんでいてよく見えない。百合子、どうするんだ。振り返ると父がいた。落ちついて、ちゃんと考えるのよ。母がハンカチで目をぬぐう。 (中略) * 家に帰ると、母がいなかった。 古びた一軒家の玄関で靴を脱ぎながら、葛西泉は母を呼んだ。暗い廊下に声が響き、先に見える居間の電気も消えていた。二階にもひとけはなく、家の中は冷え切っていて外よりも寒く感じた。泉はダウンジャケットのファスナーを上げる。温かさ期待して液から歩いてきた体が震えていた。 台所に向かう。生臭い匂いが鼻をつく。母が夕食の支度をしているはずの場所は空っぽだ。蛍光灯をつけると、小ぶりなシンクには汚れた食器やグラスが積み重なっていた。ガスコンロの上には、白菜が残った鍋がそのまま置かれていいる。几帳面な母にしては珍しい。母はこまめに洗い物をする人だった。 幼い頃、母が体調を崩して寝込んだ時だけ泉は食器を洗った。小学校から帰るとすぐ、台所に椅子を持ち込んで背伸びをしながらスポンジを泡立てた。たまにしか洗わないのに、たいそうな仕事をしたかのように報告する泉に「すごいね泉、ありがとう」と母はベッドから身を起こして言った。いま読んでいる『そしてバトンは渡された』です。【そしてバトンは渡された】瀬尾まいこ著、文芸春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も名字が変わった森宮優子、十七歳。だが、彼女はいつも愛されていた。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作。<読む前の大使寸評>図書館予約1036位ってか、1年近く待つんやろか?・・・・11/15大学図書館で見っけ♪<図書館予約:(4/19予約、11/15大学図書館で見っけ)>rakutenそしてバトンは渡された
2019.11.26
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図書館で『三谷幸喜 創作を語る』という本を、手にしたのです。おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・三谷さんのコメディの原点が見えるかも。【三谷幸喜 創作を語る】三谷幸喜著、講談社、2013年刊<「BOOK」データベース>より「新しいこと」「おもしろいこと」ばかり考える希代のクリエイターの頭の中身。『古畑任三郎』から『清須会議』まで制作の舞台裏を語る。<読む前の大使寸評>おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・三谷さんのコメディの原点が見えるかも。rakuten三谷幸喜 創作を語る芸人から作家に転じた松野大介さんであるが・・・その松野さんが、三谷さんのハウツー創作を語っているので、見てみましょう。p246~249<おわりに:松野大介> それから時は一気に10年を超える。 40代の私は小説家としていい時も悪い時も経て、これが売れなければ最後の小説となるかもしれない本を書くため、出版社の社員用の保養所に缶詰になっていた。出かける場所などないので、執筆に疲れた夜はテレビを観るしかないのに、電波の状態が悪かった。 テレビの横に一本のビデオテープがあった。背に『古畑任三郎』と書かれ、10話分くらい録画されてあるらしい。ある作家が缶詰状態の執筆で退屈になると予想して持参し、置いてったのだろう。ミステリー作家かもしれませんね。 執筆に疲れ、ビールで酔った私は布団にくるまり、過去に何度も観た第1シーズンをエンドレスで観続けた。ド田舎の一室で、いつしか涙がこぼれた。タレントや作家とやることをコロコロ変えている私とは対照的に…三谷さんは物心ついたときから映画やドラマが大好きで、常に自分の物語を空想しては書き連ね、そして舞台、ドラマ、映画をひたすら書き続けている作家だった。それは嫉妬の類の感情ではなく、感動していたのだと思う。 私はその後はタレントや芸人にインタビューする記事も書くようになった。やがて「三谷さんに聞きたい!」と思うようになった。「はじめに」で触れた夕刊紙の日刊ゲンダイにて三田にさんに2ヵ月のインタビュー連載をさせてもらったのは、マンション前の遭遇から19年ぶり! なのに、51歳(当時)の三谷さんは、昔よりも気さくに接してくれた。私はそんなに年数が空いた気がしなかった。 私と映画やアメリカのコメディドラマの好みが合ったし、「こういうドラマの創り方は…」といちいち説明しなくても私が理解できるから、その面で三谷さんも話しやすかっただろうと思う。 本書に、某女優についての話で「共通言語」という言葉がでる。“撮影時に説明しなくてもシーンや台詞のおもしろさをわかってくれる役者さんは僕との共通言語を持っている”という意味だが、私も三谷さんとの“共通する笑いの趣味”を持ち合わせていた気がした。話は懐かしい“ダメ出し時代”にも及び、楽しい時間が過ぎた。 取材後、「松野さんの名前は記事にどう載るんですか?」と聞かれた。「記事の最後に(聞き手=松野大介)と載せたいんですが」と私が言うと、笑顔で続けた。「相手が松野さんだから僕が話したってことを書いてくださいよ」「じゃ1回目の冒頭にそう書きますか」「毎回書いてくださいよ~」 と語尾を伸ばした。“三谷は頼めばどこでも話してくれる”と思われるのがイヤだと言った。私の名前を出そうと気遣ってくれたところも少しあるかもしれない(ないかもしれない)。 その連載を読んだ講談社の編集者から「三谷さんの創作の本を出したい」とオファーがきた。インタビューと構成は私で、私の“聞く力”と筆力に着目してくれてもいた。その話を三谷さんの事務所に入れ、ずいぶん経ってから、三谷さん本人から電話があった。「僕は、乗らないんですよ」 気さくだがストレートに言われた言葉は、気乗りしない、という意味だった。「プライベートな話もしたのはあの夕刊紙だからよかったと思うんですよ」 私は、夕刊紙の連載を本にするのではなく、講談社のノンフィクションの編集はプライベートなことにいっさい興味がなく創作の話を中心にあらためてインタビューさせていただくことになる、さらにオレの聞く力や書き方にも注目してくれていると伝えた。「それなら、やってもいかな」ウン この本が生まれる前のエピソードが興味深いですね♪昨今では又吉直樹さんが本を出して芥川賞をとったりしたが・・・芸人が本を出すということでは松野さんが先行していたわけで、ある意味パイオニアであったのかも。三谷さんの対談本には『むかつく二人』なんてのがあるけど・・・これなんかは出版社の企画そのものなんでしょうね。(蛇足だった?)【むかつく二人】三谷幸喜×清水ミチコ著、幻冬舎、2007年刊<「BOOK」データベース>より映画、舞台、テレビの話題から、カラオケ、グルメに内輪の話まで。丑年蟹座の脚本家と、子年水瓶座のタレントの丁々発止、縦横無尽な会話に笑いが止まらない。<読む前の大使寸評>達人の域に達したお二人であるが、むかつくような本音トークが見られるかも・・・・ええやんけ♪なお、この本は2005年4月~11月放送分を加筆再構成して作られたとのこと。amazonむかつく二人『三谷幸喜 創作を語る』3:大ヒット映画『THE有頂天ホテル』『三谷幸喜 創作を語る』2:日芸での修業エピソード『三谷幸喜 創作を語る』1:この本の冒頭
2019.11.26
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図書館で『三谷幸喜 創作を語る』という本を、手にしたのです。おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・三谷さんのコメディの原点が見えるかも。【三谷幸喜 創作を語る】三谷幸喜著、講談社、2013年刊<「BOOK」データベース>より「新しいこと」「おもしろいこと」ばかり考える希代のクリエイターの頭の中身。『古畑任三郎』から『清須会議』まで制作の舞台裏を語る。<読む前の大使寸評>おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・三谷さんのコメディの原点が見えるかも。rakuten三谷幸喜 創作を語る三谷さんの大ヒット映画『THE有頂天ホテル』について、見てみましょう。インタビュアーは松野大介さんです。p174~178<15 THE有頂天ホテル> 監督3作目にして、大ヒット映画が生れた。きらびやかなホテルに集結したオールスターキャストという話題性もあり、日本のオリジナル映画としては異例の興行成績を収める。 三谷:台本を書いている時点での僕のイメージは、古びた小さなホテルだったんですね。だから、小劇場に出てるような、メジャーじゃないけどうまい役者さんを起用して、地味だけどおもしろい作品を創りたいなと思ってた。単館ロードショー的な。最初はそんな感じだったんです。Q:それがなぜ、あんなにド派手できらびやかなホテルが舞台に変わったんですか。三谷:イメージキャストといって、この役はこの俳優さんのイメージと、メジャーな俳優さんの名前をたくさん書いて渡したら、ほとんどの俳優がOKになっちゃった。すんごいオールスターキャストですよ。これだけの俳優さんが出るからには、舞台も大きなホテルにしたくなるし、そうなるともっともっと予算をかけて撮影しようということになり、僕が考えていたよりも企画がでかくなってって。Q:そういった意味では前作からさらにというか、はるかに豪華なセットと出演陣になった。三谷:前の2本は、芝居作品と自分の実体験で、僕の趣味の延長線上みたいな作品だったのに『有頂天…』はいつの間にか大作になった。結果的にすごくお客さんが入ってくれたのは、そういうううに持っていったプロデューサーの勝利だと思います。僕自身のテイストとは違うけど、細部にいたるまでオールスターキャストでお祭り的な感じ。映画がキラキラしてる。タイトルは、『グランド・ホテル』と『有頂天時代』と、共に1930年代のモノクロのアメリカ映画に由来している。大晦日の夜から年明けまでの2時間、ホテル・アバンティに居合わせた人々の人間模様を描いた。文字どおり“グランド・ホテル”形式である。 登場人物は、ホテル従業員17名/客15名/芸能人16名/その他8名総勢56名とされる。 その配役は、主役のホテルマン役所広司、ベルボーイに香取慎吾、メイドに松たか子、客の政治家に佐藤浩市、客の演歌歌手に西田敏行、ホテルに出入りする娼婦に篠原涼子、さらに唐沢寿明、津川雅彦、戸田恵子、原田美枝子、生瀬勝久、伊東四朗、オダギリジョー、角野卓造、麻生久美子、YOU、寺島進、悲鳴を上げる女に高島彩…など名を羅列しただけで長くなるのですべては書かない。様々な人々が入れ代わり立ち代り現れて悩みや喜びや決意を持って各自の大晦日を送る。(中略)Q:すごいヒットですよね。ヒットして、何か変わりましたか三谷:この映画から、僕の映画に対するスタンスが変わったんです。前2作は僕自身が楽しめればいいとも思ってたけど、これだけのお客さんが入ったことで、これからは日本中の人が楽しめる映画を創ろうと思うようになった。 本当に自分がおもしろいと思えるものは舞台でやればいいわけで、映画は大勢の人が楽しめるものを創る。今の自分がそういう仕事をやらせてもらえる土壌にいるのなら、それえをやらなきゃいけない気がした。楽しみに待ってくれるお客さんが大勢できたわけですから。そのためにはどういう題材を選んで、どういうキャスティングにするかを考えていこうと。 興行的にはすごくて、当時は邦画の歴代興行成績ベスト10に入った。他にランクされてるのは『踊る大捜査線THE MOVIE』のようにドラマの映画化とかマンガの映画化が多い。そうではなく、オリジナル映画で上位って邦画ではあんまりない。これ自慢。Q:今回もさらに長回しが多用されてますけど、三谷さんは監督と同時に編集権もあるわけですよね三谷:編集マンは別にいるけれど、今の日本映画では、ふつうは監督が編集に立ち会うんじゃないかな。Q:北野武監督のエッセー集に、編集マンから「こういう編集はありえない」と言われて、編集については闘ったという話がある。編集との闘いは三谷さんの場合はないんですか?三谷:長回しのシーンだから編集そのものがない(笑)。『有頂天…』はほぼ全シーンを“ワンシーン・ワンカット”にしたんですよ。それこそ編集のしようがない。シーンとシーンを機械的に繋げていくだけだから。でも、だからこそ編集の上野聡一さんと議論というかモメました。「申し訳ないけど、これは商品にならない。映画とはいえない。人前に出せるレベルになってません」 そこまで言われた。上野さんは信頼できる人なんで、結構言うことは正しいんです。「でもこれは脚本を書く時から僕の頭にあった手法だし、その手法で撮り、シーンを繋いだので、仮に商品になってないと言われても、これ以外の形はない」 僕の意見に対し、上野さんは、「長回しのシーンでも、編集によってカットバックみたいなことも出来るので、そうして映画にリズムを作りたい」とも言ってきた。『THE有頂天ホテル』の2年後に『ザ・マジックアワー』が作られたが、太子は『ザ・マジックアワー』の映画美術に注目していたので、紹介します。観た当時は、三谷幸喜監督Who? という感じだったのですが。【ザ・マジックアワー】三谷幸喜監督、 2008年制作、H24.2.25観賞<大使寸評>種田の美術を見るつもりで、この映画をチョイスしたわけですが・・・・・内容は映画作りのようなお話になっており、「嘘から出たまこと」とでも申しましょうか。♪goo映画ザ・マジックアワー見る人を「嘘の街」に誘う『三谷幸喜 創作を語る』2:日芸での修業エピソード『三谷幸喜 創作を語る』1:この本の冒頭
2019.11.25
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図書館で『三谷幸喜 創作を語る』という本を、手にしたのです。おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・三谷さんのコメディの原点が見えるかも。【三谷幸喜 創作を語る】三谷幸喜著、講談社、2013年刊<「BOOK」データベース>より「新しいこと」「おもしろいこと」ばかり考える希代のクリエイターの頭の中身。『古畑任三郎』から『清須会議』まで制作の舞台裏を語る。<読む前の大使寸評>おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・三谷さんのコメディの原点が見えるかも。rakuten三谷幸喜 創作を語る日芸(日本大学芸術学部)での修業エピソードあたりを、見てみましょう。インタビュアーは松野大介さんです。p40~45<12人の優しい日本人> 『やっぱり猫が好き』に携わっていた1990年前後は、三谷さん主宰の劇団の知名度が徐々に上がっていった時期と重なる。劇作家としてのブレイク作品の話に入る前に、日大学芸術学部時代に劇団を結成した経緯を簡単に振り返ってもらった。 Q:話はぐっとさかのぼりますが、日芸での劇団結成の話からお願いします。三谷:日芸に入る前の僕は、高校時代に8ミリと編集機材を使い、音楽も入れて映画を創ってた。いわゆる自主映画ですね。でも他の映画マニアと、僕が撮る映画は全然違うものだったんですよ。他のアマチュアの映画は15分か20分の映像表現。僕の映画は台詞の多い芝居撮ってて50分もあったんです。Q:芝居の中継みたいな感じですか?三谷:実はそういう映画を一度だけ『ぴあフィルムフェスティバル』に応募した。結果は、まったく相手にされず。下手なカメラワークで台詞を言う人を撮ってるだけで50分だから、誰が見ても飽きる。その時に、自分は映像じゃなくて、ストーリーと台詞が好きなんだとはっきりわかった。 だから日芸は映画学科じゃなくて演劇学科に入ったんです。でも僕が在籍した演劇科の当時の戯曲コースは芝居の歴史のお勉強ばかり。他の演出や舞台美術や演技コースはみんなで協力して芝居の発表会をやれるんだけど、戯曲コースだけは参加できない。だから芝居をやるために仕方なく自分で劇団を作ることにしたんです。Q:さらに話はさかのぼりますが、もともと子供時代から芝居を創りたい気持ちはあったんですか?三谷:僕の脚本や演出の原点は“ひとり遊び”かな。小学生の頃はオモチャの「35分1 ミリタリーミニチュアシリーズ」っていう戦車や、兵隊たちを何百体と集めてた。大人が飾って楽しむような兵士のフィギュアをかなり持ってて、僕はそのフィギュアを動かしながら、自分で空想したストーリーを冒頭から再現したりしてた。 兵隊の人形しかないから、どんな物語も兵隊に演じさせてた。だから人形を使ったひとり遊びが僕の原点というかルーツで、人形遊びがそのまま劇団になっていくんです。Q:ベースは自分と何百体の兵隊人形。それが大学で現実となると。三谷:最初は、先輩の劇団の手伝いをしてたんですけどね。当時はアングラが主流だから「昭和月影斜」って劇団で、唐十郎さんの赤テントのイメージに近いかな。もともとハリウッド映画が大好きで演劇を学び始めた僕は、アングラの芝居があまりにもつらくてすぐ辞めた。 でも「集まって、稽古して、本番を迎えて、終わって打ち上げ」ってプロセスは気に入った。映画の『大脱走』が子供の頃から好き。集団が団結して何かに挑戦したり戦ったりするストーリー。『七人の侍』もそう。 そんな好きな物語の設定と、みんなが集まって劇団を結成し芝居を創っていくという流れが重なって、芝居は楽しいなと思った。「どうせなら自分のやりたいことをやろう!」と自分の劇団を結成する。それが『東京サンシャインボーイズ』です。Q:「はじめに」で触れたんですが、若い芸人のオレにダメ出ししてた当時は、大学を卒業されたばかりで劇団もまだ知名度が低かったんですよね三谷:西村雅彦とか、後に劇団を引っ張っていくようなメンバーはまだ入ってない。旗揚げメンバーは僕の同級生と後輩と、その後輩の友達、高校時代の友達と寄せ集めです。 僕には矛盾があるんですよ。観るほうでは“集団で何かをやる”という設定の映画が好きなのに、一人っ子でひとり遊びばかりしていた僕自身は“集団で何かをやる”ことに向いてない(笑)。そんな僕が自分の劇団を持つのは矛盾している。この矛盾が僕の永遠の課題なんです。僕はみんなを引っ張っていくリーダータイプでも、稽古の後にみんなを飲みに連れてくような兄貴キャラでもない。本当は脚本に専念したかったんだけど…僕が作った劇団だから仕方なく座長をやってました。Q:矛盾は三谷さんのテーマみたいで、この後も出てきそうですね。最初は演出してなかったんですか。三谷:最初、演出家は別にいたので、脚本だけ書いてたんです。客席100人ほどの小劇場で公演をやってた。当時は、つかこうへいさんの全盛期で、野田秀樹さんがガーッと出てきてた頃で、日芸の大学内にある他の劇団員は、だいたいつかさんや野田さんに憧れていた。僕は興味をそそられなくて。ハリウッド映画みたいなものを芝居でやりたかったから。(中略)Q:三谷さんが目指すハリウッド的なコメディを、日本のメジャーな役者さんが演ってたわけですか。三谷:だから僕も、『昔のハリウッド映画のようなオシャレなコメディをやりたい』と考えて、台本を書いては小劇場で公演したんですけど、そんな芝居は他の劇団と違いすぎてまったくお客さんが入らず、話題にもならない。僕の同世代の劇団は世間から認められてるのに、僕の『サンシャイン…』だけ誰にも相手にされないし、劇評すらどこにも載らない。 でも、さっきお話した『やっぱり猫が好き』でドラマ脚本家デビューした後くらいからかな、『東京サンシャインボーイズ』の公演にもお客さんが入りだしたんですよ。(中略)三谷:僕は『12人の怒れる男』を観たのが10歳の時なんですけど大爆笑してしまった。だって大の大人が12人も集まって、自分のことでもない事件をものすごく真剣に議論している様子がおかしくて。『12人の怒れる男』を笑って観る10歳の子供なんてそうはいないと思っている。 その時に“自分はコメディが好きなんだ!”と気づいたんです。ついでに言うと、『オーシャンと11人の仲間』や『テキサスと5人の仲間』や黒澤監督『七人の侍』と、僕の好きな映画は人数がタイトルに入って、集団が主役で、彼らがチームを組んで何かに挑戦したり戦ったりするストーリー。さっき触れた『大脱走』には数字は入ってないけど、同じ場所で展開する設定も好きだから“コメディ・密室もの・群集劇”と、この三つが後々の僕の作品の大事な要素になっていった。 そして、この三つの要素が詰まったのが『12人の優しい日本人』という、劇団初の一幕ものなんです。『三谷幸喜 創作を語る』1
2019.11.25
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朝日新聞の記事をスクラップしているのだが・・・(シンギュラリティーにっぽん)シリーズについても、デジタル記事も残しておこうと思ったのです。スクラップとWebデータとで重複保管になるのだが、ま~いいか。・・・この(シンギュラリティーにっぽん)記事が伝える個人データの安易な使い回しも恐ろしいのである。更に、政府が計画している「マイナンバーカード提示でポイント還元(期間限定)」という甘い罠も・・・尻の毛までむしられるような怖さがあります。(大使、思い過ごしでは)個人情報とは何か。就活生の内定辞退率を企業に販売していた「リクナビ問題」は突きつける。より便利な世界を求めることで、知らぬ間に個人データが共有される。この見えない支配から逃れられないのだろうか。(牛尾梓、大津智義) 東京都内の私立大4年の男子学生(22)は驚いた。「就活のために登録した情報が全く関係のないものと結びついていたなんて」 内定を得た今年6月まで、就活情報サイト「リクナビ」に登録していた。リクナビのサイトを開くときはもちろん、検索などで日常的に使っていた閲覧ソフトを専門会社で分析してもらったところ、57サイトでの閲覧情報がリクナビ側から見られる状態になっていた。飲食店や不動産業者など、就活と関係ないと思われるものばかりだった。 リクナビを運営するリクルートキャリアは8月、内定辞退率の第三者提供に学生の同意を得ていなかったなどとして、個人情報保護委員会の勧告と指導を受けたが、その対象には外部サイトとの結びつきは含まれていない。一体、何が起きていたのか。 利用者がウェブページを閲覧すると、サイト側が訪れた人を識別するために「クッキー」という目印を端末側につける。昨年3月に辞退率を契約企業へ提供するサービスを始めたリクナビは、今年2月までクッキー情報を集めて辞退率を算出していた。クッキーには氏名が含まれず「個人情報」とはみなされない。 とはいえ、契約企業が最終的に個人を特定できなければ、辞退率を求める意味はない。その仕掛けとして、就職説明会後などに就活生に記入させる企業のアンケートサイトをつくり、そこにリクナビのサイトと同じ「タグ」を埋め込むことにした。 このタグは、幅広いサイトに点在する同一のクッキー情報をつなげる役目を果たす。今回のケースでは、アンケートに答えた学生に企業側が独自のIDを付け、クッキー情報と照らし合わせて個人を特定していた。 辞退率を購入した企業の一つは打ち明ける。「アンケートページにさえ誘導できれば、より精緻なデータが取れると提案された」 問題はここから。データ管理サービス会社「データサイン」(東京)と協力して朝日新聞が調べたところ、リクナビや企業アンケートのサイトに埋め込まれていたものと同じタグが9月時点で、1106の外部サイトでも見つかった。中にはネット通販や消費者金融のサイトもあった。 リクナビに登録する約80万人の就活生がこれらのサイトを訪れると、氏名や住所、メールアドレス、学校名などリクナビに登録された個人情報と、外部サイトの閲覧履歴が結びつけられる状態だったことになる。 この外部サイトからの情報も、辞退率算出に使われていたのか。リクルートキャリアは取材に、正式に提携していた「外資就活ドットコム」を除き、「外部サイトの情報は一切使っていない」(広報)と答えた。 しかし、データサインの太田祐一社長は「広告やマーケティングに使うタグを就活サービスと一緒くたにして使っていたことが分かる。人生の中で重要な情報を広告と同じように扱ったことは、ずさんとも言える」と疑問を呈する。■リクナビ側の「クッキー」焦点 保護委のリクナビへの調査は今も続いている。最大の焦点は、そもそもクッキーが個人情報に当たるのではないか、という点だ。 クッキーを使った2月までのリクナビ側と契約企業との情報のやり取りに、保護委は注目している。クッキーには氏名が含まれないとはいえ、情報のやり取りの中で氏名が結びつく仕組みがあれば「個人情報」として扱うべきケースがあるかもしれないからだ。 保護委は、学生の実名などが記載されたデータベース情報とクッキー情報が関連づけられたり、個人を特定するために参照した痕跡が残っていたりしないかなど、リクナビ側のサーバーを調べているという。 保護委と並行して調査しているのが厚生労働省だ。9月には職業安定法に基づく指導に踏み切った。 「学生にとってリクナビに登録しないと就活が難しくなる。プラットフォームを提供するという優越的な立場を利用して、就活生からの同意を得ていた可能性がある」(担当者) リクナビが辞退率を予想した裏には、辞退率をほしがる契約企業の存在がある。トヨタ自動車や三菱電機など34社が、年400万~500万円払って辞退率を購入した。多くは「合否判定には使っていない」と説明するが、保護委や厚労省は契約企業側の調査も続けている。 リクナビ側、契約企業の双方が、ネット上の個人データを使って辞退率を売買するビジネスモデルへのリスクを軽視していたのはなぜか。■ネット広告では常識 「すべてのクッキー情報を結びつけるのは、広告やマーケティングでは当たり前。私たちはそのおかげで便利なサービス提供を受けている」 データサイエンティストでもある星野崇宏・慶応大教授の考え方はネット広告業界の「常識」でもある。 ネット広告の最大の特徴は、利用者ごとに出し分けるターゲティング広告だ。それを武器にネット広告は急成長、その規模は昨年1.8兆円に迫り、今年にも地上波テレビを抜いて全媒体の頂点に立つ勢いだ。 閲覧履歴や検索履歴、ネット通販による購買履歴を集めるだけではない。その広告に対して、見た人がどんな反応をしたのかというデータさえも使い尽くす。 ネット広告の世界で圧倒的な力を持つのが米巨大IT企業のグーグルだ。検索や地図など、グーグルの無料サービスを提供することと引き換えに得るデータを約2400項目に細分化し、ターゲティングの精度を上げてきたとされる。 しかし、欧州連合(EU)が昨年施行した一般データ保護規則(GDPR)が、氏名などを含まないクッキー情報も個人情報として保護する姿勢を明確化するなど、個人情報を巡る権利意識は高まる一方だ。 そこで多くの企業は「個人情報を扱うリスク」を取らずにターゲティング広告の効果を上げられないか、さらなる知恵を絞る。辞退率が販売された問題は、その延長線上に現れた氷山の一角なのかもしれない。 テクノロジーの進歩に伴う便利さと手を携え、新たなルーラー(支配者)が世界中のネットユーザーの前に姿をみせている。【シンギュラリティー】:人工知能(AI)が人間を超えるまで技術が進むタイミング。社会が加速度的な変化を遂げることを指すこともある。変化に伴って「見えないルーラー(支配者)」も世界に現れ始めている。(シンギュラリティーにっぽん)個人データ結びつけ使いつくす2019.11.24
2019.11.25
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「KFC、551 vs たこ焼き」・・・何のこっちゃ?言い換えるとケンタッキー、551の豚まん、たこ焼き更に言い換えるとアメリカ産チェーン店、関西生れの豚まんチェーン、関西生れの粉もんということになるが・・・お値段もほぼ拮抗していて、手元不如意の太子もどれを選ぶか悩ましいのである。ところで、たこ焼きのチェーン店展開は何ゆえに存在しないのか?暇な太子は、この経済的疑問を解明しようと思い立ったのです(暇なこっちゃ) たこ焼きにチェーン店が無いかといえば、実はあるのです。 いずれも地域限定の姉妹店という規模で、ゼロサム志向で日本一を目指すようなアホがいないことが・・・せめてもの救いでしょうか。大阪・地元民が愛する”たこ焼き”店10選!美味しいお店を厳選しましたより「大阪に旅行に行くなら、名物の大阪のたこ焼きを食べたい!」そんなあなたのために、地元の人がよく行くおすすめ大阪たこ焼き店を調査しました。TAKOPA(TAKOYAKI PARK)たこ焼きにうるさい大阪人が自信をもっておすすめする有名たこ焼き店6店舗が一挙に集結した、たこ焼き尽くしのフードテーマパークです。会津屋・くくる・甲賀流・玉屋など、当記事掲載のお店もあります。各店の味を一度に楽しめるので、ぜひ6店舗の食べ比べをしてみてくださいね♪551の豚まんも見てみましょう。大阪人にとって「551蓬莱の豚まん」はいったい何なのかより 大阪に引っ越してきて4年近くなるのだが、ようやく大阪にとって「551蓬莱の豚まん」がどういう存在なのか分かってきた気がする。 たとえば、一日出歩いて少し疲れた帰り道。「疲れた。もう今日の夕飯は簡単なもので済まそう」という気分の時に駅前にちょうどよく「551蓬莱」のお店があった時、「よし! 夕飯は551の豚まんにしよう!」と思うことによってテンションが一気に上がる感じ。 あるいは、家に友達が遊びに来た時に、「551買って来たよー」と言われた時の、友達に対して感じる「こいつ分かってるわー! 最高の友達!」という気持ち。 ぜいたくなグルメというような存在ではなくて、あくまで日常の中にありつつグッと幸福感をもたらしてくれるもの。身近なごちそう。それが「551蓬莱の豚まん」ではないだろうか。どうでしょうか。「551蓬莱」には有名なCMシリーズがあって、お笑い芸人のなるみちゃんと、株式会社蓬莱の取締役常務である田中一昭さんという方が主に出演しているものなのだが、「551蓬莱の豚まん」がある時は最高で、ない時はものすごい辛い、という気持ちをストイックなまでにシンプルに表現した内容になっている。 いかにも大阪と言う感じでちょっと大げさな表現のだが、「551がある時」、テンションが上がるというのは間違いではないのだ。チェーン店展開といえば、『ファウンダー』にマクドのケースが見られたが・・・まあ、すさまじいのです。【ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ】ジョン・リー・ハンコック監督、2016年米制作、H29.8.22鑑賞<movie.walker作品情報>よりカリフォルニア州南部の小さなハンバーガーショップ、マクドナルドを世界最大のファーストフードチェーンへと成長させた男、レイ・クロックの実話を描く人間ドラマ。創業者であるマクドナルド兄弟とミキサーのセールスマンだったレイとの出会いから、両者の対立まで、成功の陰にあったダークな側面までも映し出す。レイをマイケル・キートンが演じる。<観る前の大使寸評>封切り映画を観るのは『シン・ゴジラ』を観て以来のことではないか…手元不如意の大使のチョイスは、それだけ厳選されているわけでおます。movie.walkerファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ
2019.11.24
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朝日新聞の吉岡記者といえば、チャイナウォッチャーとして個人的に注目しているわけで・・・・その論調は骨太で、かつ生産的である。中国経済がらみで好き勝手に吹きまくる経済評論家連中より、よっぽどしっかりしていると思うわけです。朝日のコラム「多事奏論」に吉岡桂子記者の記事を見かけたので紹介します。*****************************************************************************2019年11月23日(多事奏論)中国の買う力 世界を揺さぶるより 晩秋の上海で、フランスのマクロン大統領は中国の習近平国家主席とワイングラスを傾けていた。買う力を外交力に使おうと習氏の肝いりで昨年から始まった、国際輸入博覧会の主賓としての訪中である。 ふたりが会場で試飲した赤ワイン、ブルゴーニュのシャトー・コルトン・グランセイなどはさっそく中国で話題を集めている。つまみに仏産の牛肉が添えられていた。 習氏への手土産は、赤ワインの最高峰ともいわれるロマネ・コンティ。故トウ小平氏が進めた改革開放元年とされる1978年もので、ネットで検索すると1本数百万円。香りすら縁のない値段だった。中国メディアは「美食外交」と持ち上げる。 6日まで3日間の滞在でまとめた商談を思えば、安いものかもしれない。航空機を売り込んだほか、仏20社が鶏、牛やブタの肉を中国に輸出する許可を得た。フォアグラやブタの〇液も手続きを進める。中国は農産物を米国との交渉の武器にもしている。14億人の胃袋は国際政治を動かす。 * 10年ほど前、当時の仏大統領サルコジ氏がチベット問題に口をはさみ、中国政府から猛烈な怒りをかったことを思い出した。北京五輪を機に中国の人権問題に懸念が高まった時期だった。中国は首脳会談に応じなくなり、仏企業は商談から外された。そのうち、欧州は債務危機に襲われ、中国マネーの存在感が高まっていく。 輸入博では米国企業の姿も目立った。クアルコム、フェイスブック、ゼネラル・モーターズ、テスラ……。190を数え、国別で最多。安全保障上の懸念から中国経済と関係を断つ「デカップリング」が関係者の間で語られるなかでも、巨大市場を手放せない経済の現実を見せつける。 輸入博が閉幕した10日夜。ネット通販最大手アリババ集団が翌日の「独身の日」の24時間セールを控えて、前夜祭を盛り上げていた。舞台には米国の歌手テイラー・スウィフトさんが登場。日本の声優花澤香菜さんはキティちゃんの着ぐるみと一緒に歌って踊る。東京五輪のマスコット2体も現れ、PRに努めた。五輪を観戦する旅行商品も用意された。 11年目を迎えたセールの売り上げは今年、日本円にして4兆円を超える。日本の小売り最大手イオンの半年分をたった1日でたたき出した。セールの輸入額を国別でみると日本が首位。美容器具のヤーマンを筆頭に、花王、紙おむつのムーニーがブランドベストテンに入った。2位は米国。アップルのiPhoneも好調だった。ロシアやアジアの企業も売り込みに必死だ。 * 香港やウイグル問題で、中国政府の強硬な対応が続く。マクロン氏も香港について対話を促したという。だが、習氏の耳にどれほど届いただろうか。発言はむしろ激しさを増している。中国の言論や人権の問題は10年前より明らかに悪くなっているのに、先進国の世論の影響力は落ちている。 中国の輸入額は2兆ドル(約220兆円)を超えて首位米国に迫る。軍事力の脈絡で語られがちな米国の覇権だが、買う力の存在は大きい。相手国の雇用に直結するからだ。「お客様は神様」とすれば、中国の消費者は市場で強い発言力を持つ「神様」に近づいているのかもしれない。意に沿わない広告や発言には、市場から干しあげられるお仕置きを受けかねない。最近も仏などの高級ブランドが香港や台湾の表記をめぐって猛反発を浴びて謝罪に追い込まれた。 中国の人々が豊かになり、消費を楽しむことを制する権利は誰にもないし、できない。ただ、巨大な独裁国家の消費者は世界をどこへ導くのか。個人の好みにとどまらず、中国の国策に沿った声を発して、多様な価値や歴史観をも買い取っていくのか。 アリババのセールの舞台をつんざく歓声に包まれながら、市場を揺さぶる大きなうねりの行方を案じた。(編集委員)*****************************************************************************多事奏論一覧に吉岡記者の中国論が載っています。<吉岡桂子記者の渾身記事31>:2019年10月26日<吉岡桂子記者の渾身記事30>:2019年9月29日
2019.11.24
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<吉岡桂子記者の渾身記事31>朝日新聞の吉岡記者といえば、チャイナウォッチャーとして個人的に注目しているわけで・・・・その論調は骨太で、かつ生産的である。中国経済がらみで好き勝手に吹きまくる経済評論家連中より、よっぽどしっかりしていると思うわけです。朝日のコラム「多事奏論」に吉岡桂子記者の記事を見かけたので紹介します。*****************************************************************************2019年10月26日(多事奏論)改革派の研究所閉鎖 中国の弾圧、ひとごとでないより 中国で四半世紀あまりの歴史を持つ民間シンクタンク「天則経済研究所」が今夏、閉鎖に追い込まれた。トウ小平氏が進めた改革開放の波に乗って生まれた、自由と民間の活力を信じる知の交差点だった。習近平体制下での改革派知識人への弾圧は、とどまるところを知らない。 創設者の一人で名誉理事長を務める茅于軾さん(90)はどうしているだろう。 北京特派員時代から取材で通った北京の自宅に訪ねた。中国共産党・政府の要人が執務する中南海に近い住宅街に、妻趙燕玲さんと暮らす。鉄道技術者として次官級まで出世した父から受け継いだ部長楼(大臣楼)とも呼ばれる瀟洒なアパートである。 * 「江沢民の時代も胡錦濤の時代も生き残ったが、とうとう閉鎖されたよ」。茅さんは静かに笑う。少し耳が遠くなった夫の代わりに、妻の趙さんが付け加える。「この取材はだめなの。ごめんなさいね」 「その話は別の所でしたから大丈夫です。元気そうで安心しました」。中国は米国につぐ第2位の経済大国として世界に大きな影響力を持つ。その成長の減速が目立つ局面で、政策への異論を封じ、多様性を失っていく姿は非常に心配だ。 ソファに座って世間話をしながら、研究所の歴史を思いおこす。茅さんらは市場経済への改革を目指し、国有企業の改革や民間企業の育成を訴えてきた。自由と法治こそ経済の活力の基盤とみて、国家権力による介入の抑制や、言論や集会の自由をふくむ健全な市民社会の必要性も主張した。環境問題や農村の貧困の解決に取り組むNGOを支援したり、言論弾圧を受けた知識人の解放を呼びかけたりすることもあった。 一党独裁下の中国では、政経不可分である。経済政策の提言も、必ず政治の岩盤にぶつかる。当局とは常に緊張関係にあった。研究所は10カ所以上、引っ越した。家主の忖度(そんたく)もあれば、当局の圧力もあった。 習体制下で抑圧は増す。研究所のメンバーの講演会や出版、集会ができなくなり、17年には研究所のサイトまで閉鎖された。権力者の功罪を是々非々で評価すべきだとして「毛沢東を普通の人に戻そう」という著作がある茅さんだが、毛批判も完全に封じられた。そして、研究所が閉鎖される。 関係者によれば、主要メンバーが、習氏に終身国家主席への道を開いた憲法改正を批判する意見を発表したことが最後の一押しになった、とみられている。 「茅老90」という写真集をくださった。90歳の誕生日に仲間が編んでくれたそうだ。 ページをめくりながら、橋梁技術の第一人者、茅以昇の顔を見つけた。中華人民共和国建国70周年の記念番組や展覧会で偉人の一人として紹介されていた伯父だ。日本との戦争中は日本軍に爆撃されたインフラを守るのが父や伯父の仕事だった。 その家系は茅さんに、知識人を罵倒した文化大革命では辛酸を与えたが、高級な住まいと他の人よりも少しだけ広い言論の空間も残した。だが、中華人民共和国の歴史よりも長く、時代の荒波を生き抜いてきた「茅老」の口すらいま、封じられている。 * ひとごとだろうか。 中国史を研究する北海道大学の教授が9月から中国で拘束されている。理由が判然とせず、日本の学界に衝撃が走る。中国への出張をとりやめる動きも広がっている。内政は外交と地続きだ。国家の安全を理由に中国内で自由や人権に配慮せず、敵視する相手を力ずくで封じ込める姿勢を見てきたからだ。高度な自治を認めた「一国二制度」の揺らぎに直面し、激しいデモを続ける香港の人々にも共通する恐怖である。 日中関係は改善の基調にあるという。習氏も来春、来日する予定だ。ならば今こそ、日本政府は中国の言論や人権の問題に目を向け、意見を言うべきだ。それは、日本人の安全にも深くつながっている。(編集委員)*****************************************************************************多事奏論一覧に吉岡記者の中国論が載っています。<吉岡桂子記者の渾身記事30>:2019年9月29日<吉岡桂子記者の渾身記事29>:2019年8月31日
2019.11.24
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図書館で『日本人の住まい』という本を、手にしたのです。おお 宮本常一さんの説く日本建築ってか・・・これは期待できそうやでぇ♪【日本人の住まい】宮本常一著、農山漁村文化協会、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本人の住まいのかたちは、どのようにして形成されてきたのだろう。それは日本各地の暮らし方や生産のあり方、家族のかたちの変遷とどのように結びついてきたのだろうか。たとえば土間の広い家と狭い家があるのはなぜか。仏壇は住まいのかたちにどのような影響を与えたか。土間の家と高床の高はどのようにして結びついていったのか。カマドとイロリは炊事法や家の構造とともにどう変遷したのか。庶民の住まいに便所や風呂ができるのはいつごろからか。広範な全国に及ぶフィールドワークの見聞と体験を通して日本の民家を庶民の「生きる場」という視点から見続けた宮本常一の刺激的な民家論。<読む前の大使寸評>おお 宮本常一さんの説く日本建築ってか・・・これは期待できそうやでぇ♪rakuten日本人の住まい「第1部 日本人の住まいはどのように変わってきたか」で団地を、見てみましょう。p36~38<戦後社会と団地> 昭和20年に戦争がすんでから今日までの間の移り変わりの激しさは、驚きの目を見張るものがあります。その中でも一番変わったのは住まいと服装です。住まいが様式化したことと、服装が洋風化したことは、戦前の写真と比べて見るとよくわかります。 住まいの場合は、その建て方が変わったばかりでなく、サラリーマン生活者が増えてきたことから、その人たちだけが集まって住むベッドタウンが発生してきました。サラリーマンたちは戦前までは思い思いに郊外電車の沿線などに土地を求めて家を造り、半ばいなかふうな生活を楽しみながら、官庁や会社へ通っていました。 そしてその家の建て方などには、多分に郷里の風を残していたため、その家を見て「あなたは何県から来た人ですね」と聞くと、大抵「そうです」と答えてくれるほどの特徴が見られたものです。つまり、それぞれの好みの家を造っていたわけですが、戦後になると、方々に同じような型の家を集団的に建てた、いわゆる団地ができました。そして団地が郊外の村の中で一つの特殊性社会をつくってきました。 このような現象は、戦前にないこともなかったのです。しかし、戦前の場合は、会社とか官庁などがその従業員のために建てたもので、社宅とか官舎などとよばれていました。ところが戦後の団地は、勤め先がみんな違っているのです。その団地がコンクリートのアパートの様式をとるようになってきたものもたくさんあります。 家賃を安くするために、都会の中央からかなり離れた郊外に、この団地は造られました。東京・大阪・名古屋・神戸・横浜などの大都会の付近を飛行機で飛んで見ると、そうしたコンクリート・アパートの団地をよく見かけます。ずいぶん広い面積を占めています。このような大都会でないところ、中都会の郊外を歩くと、山を削って平らにした一戸建ちの住まいの集まった団地を見ます。等間隔にほぼ同じような大きさの家が並んでおり、道などまっすぐに、しかも広くとっているのが特徴です。 これはそのまま日本の社会の大きな変化を物語るものです。戦前までは、大企業の発達は今日に比べるとそれほどはなはだしくはなかったし、官公吏の数もそれほど多くはありませんでした。しかし戦後には官公庁の規模拡大や企業のめざましい発展がありました。そのことを物語ってくれるのは、大学の増設です。(中略) そして団地が都市郊外の新しい風景として登場してきたのも、また当然のことであったといえます。 ところで、新しい団地社会が形成され始めてくると、いろいろの問題が多くなってきます。いままでまったく知らなかった人びとが突然一ヶ所に集まって住むことになると、その人たちがどのような過去を持ち、どのような気心の人であるかもよくわかりません。お互いがいつも多少ずつ警戒した気持ちでいなければなりません。 住まいそのものも閉鎖的で、農家のような解放性はありません。それはまたそこに育つものの心を閉ざし始めています。最近小学校や中学の児童・生徒に引っ込み思案の子供が急にふえていますが、そういう子供は一戸建ての住宅団地にもっとも多く見られるということです。団地といえば2DKが想起される太子であるが、nDKとか間取りに関しては、2DKと京町屋にも、取り上げています。『日本人の住まい』2:土間住まいと床住まい『日本人の住まい』1:消えていく縁側
2019.11.23
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六分儀を失ったので、角幡さんは北極星と月と移動時間だけをたよりに備品デポ地点を目指すのであるが・・・そのサバイバル感覚を、スマホを持たない太子としては賞賛するわけです。・・・ということで、以前の記事の一部を復刻してみます。2018.12.01極夜 記憶の彼方へ~角幡唯介の旅~より 厳冬の北極圏で何か月も太陽が昇らない「極夜」。探検家・角幡唯介は、この暗闇と極寒の世界をたった一人で旅をした。自撮りカメラの映像と肉声でつづる壮絶な旅の記録! 厳冬の北極圏で何か月も太陽が昇らない「極夜」。探検家・角幡唯介は、この暗闇と極寒の世界をたった一人で旅をした。猛烈な吹雪に襲われて方角を知るすべを失い、食料が底を尽き生死の境をさまよう。 壮絶なサバイバルが繰り広げられた「極夜」の世界で、角幡は何を見たのか? 自撮りカメラには、極限の状態に置かれた人間の生々しい姿と肉声、そして人類のはるかな記憶に回帰していく探検家の思索の跡が収められていた。 出発早々に六分儀を失ったので、角幡さんは北極星と月と移動時間だけをたよりに備品デポ地点を目指すのですが、この自撮りレポートはほぼ全篇が暗い地底のような光景が続くのです。それだけに、冬至を過ぎて、地平線上に太陽が顔を出したときの感激がよく伝わったのです。相棒のソリ犬は精神安定剤の役目をはたす存在でもあったが、最悪状況では殺して食べることも考えていたと、サラっと語っていました。しかしまあ、角幡唯介の辞書には絶望という言葉は存在しないのか?あるいは危機に対してある種の鈍感モードに切り替わるのか? まあ、凄いわ。(孤独なサバイバルを耐える鈍感さがあり、自分の危機を客観視できる)・・・ということで、早速『極夜行』という本を図書館に借出し予約したのです。イラチな大使でおます。予約状況を見ると、入手できるのは半年後というところでしょうか。【極夜行】角幡唯介著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>よりひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だったー。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/02予約、副本7、予約93)>rakuten極夜行この『極夜行』という作品は、2018年度の本屋大賞を受賞しています。
2019.11.23
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台湾史研究所の呉叡人さんがインタビューで「150年の英国統治下培った共同体意識、運動通じて政治化」と説いているので、紹介します。(11/21デジタル朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも) 香港市民の大規模な抗議運動は、本格化して5カ月を過ぎてもやむ気配がなく、激しさを増している。香港と同様、中国の大きな圧力に日々さらされる台湾から、この運動に強い関心を寄せてきたのが呉叡人さんだ。そこに見て取れるのは、英国の植民地だった歴史の中で培われた「香港ナショナリズム」であると指摘する。Q:香港の現状について積極的に発言していますが、関わり始めたのは最近のことなんですね。A:始まりは2012年。中国国民としての愛国心を育てる『国民教育』の導入に反対する運動が香港で起きました。そこで香港の月刊誌に頼まれ、ナショナリズム論の視点から文章を書きました。 中国が近代の国民国家として形成される過程で、肝心な時期は19世紀末から1945年までです。だがこの間、台湾は日本の植民地、香港は英国の植民地で、中国ではなかった。中国からみると両者は『遅れてきた中国人』。『中国人性(チャイニーズネス)』が足りない、改造の必要があると。そこで香港では、上からの国民形成として国民教育を施そうとした。そんな視点を示しました。 ■ ■Q:でも、中国への帰属意識が強まったわけではなく……。A:2014年初め、香港大学学生会の雑誌『学苑』の特集タイトルを見て驚きました。『香港民族 命運自決』だったのです。私の研究対象は歴史上のナショナリズムでしたが、これは、新たに生まれつつある香港ナショナリズムです。後に私自身も『学苑』に寄稿し、それを含むいくつかの論文を集めた『香港民族論』が香港で同年9月に出版されました。行政長官の普通選挙を求めた雨傘運動が同じ時期に起こって、爆発的に売れました。Q:つい20年ほど前まで植民地だったのにナショナリズム?A:植民地の境界は列強の覇権争いの結果で不自然なものです。アフリカの多くの国境が直線でしょう。でも、植民地が長く続けばその中でアイデンティティーが形成されます。香港も同じ。150年の英国統治が一つの共同体を形成しました。そして近年の運動が共同体意識を政治化したわけです。Q:香港という共同体ですか。A:英国は香港に、高水準の自治権を与えました。独自の通貨があり、パスポートを発行し、国際組織に加盟できる。唯一欠けていた要素は市民の参政権です。 英国は1950年代、香港を参政権がある完全な自治領に移行させようとしました。ところが中国が反対し、周恩来首相は香港を攻めると警告した。97年の中国への返還直前になって英国は香港の民主化に着手し、区議選を導入しましたが、遅すぎました。返還後は香港基本法の下で厳しく制限された選挙になっています。未完のネーションなのです。若者がネーションを意識するのは偶然ではありません。以上が香港ナショナリズム出現の長期的要因です。Q:では、短期的な要因は。A:中国の強引なやり方です。一国二制度のもとで香港市民がイメージしていたのは連邦制でした。外交と国防は北京に任せ、ほかは自分が統治すると。しかし北京には容認できない。中央が全てを管理統制し、香港をもっと統合する方向です。だから強い反発が香港側から出てきた。今の運動のきっかけになった逃亡犯条例改正案は法律上の中国との統合。最後の一押しですね。香港の法治が崩れるとの危機感が噴き出した。Q:ナショナリズム形成過程を台湾と比べるとどう違いますか。A:台湾は80年代の民主化を経て、参政権の行使を通じてアイデンティティーを強めました。自分の運命は自分で選ぶという意識です。香港は参政権がないので、闘争を通じてアイデンティティーを固めていきます。雨傘運動もそうした自己決定権の追求です。それが香港ネーションというパズルの最後のピースなのです。 私の香港ネーション論は、香港の学者から人種主義だと批判されました。若者と違って40~50代の学者には受け入れ難かった。ただ、これは人種主義じゃない。自由、法治、多元主義などの価値を認めれば『香港人』です。もっとも、5年経った今は香港人という言葉をみな口にしていますよ。 ■ ■Q:この5年間にも香港社会に変化があったわけですね。A:香港ナショナリズムが広がると同時に、中国への態度が変わりました。香港の学連(大学生の団体)はもともと、中国の民主化が香港民主化の条件で、両者は一体だと考えていました。しかし雨傘運動の後、学連は急速に香港独立派へと変容します。Q:だから天安門事件の集会に参加しなくなったのですね。中国への関心がなくなった?A:絶望したのです。さかのぼれば1980年代、香港の知識人は中国共産党内のリベラル派にかけていた。天安門事件で失望しても中国の民主化運動を支援し続けました。ただその後、中国の民主化はどうも見込みがなさそうだ、という考えが浸透してきたのです。 日常生活での摩擦もあります。中国からの新移民が100万人を超え、香港の人口の1割以上です。彼らが公営住宅の割り当てや公的医療サービスを圧迫していると非難されている。中国からの買い物客が香港で日用品、食品を買い占め、問題化している。二つの異質な社会を無理やり融合させる動きと、それへの反発が生じているわけです。Q:台湾での香港問題への強い関心も以前はなかったことです。A:この4ヶ月は過去40年を合わせたより関心が強い。台湾はオランダ、清、日本、そして戦後に大陸から来た国民党と、言わば外来政権が統治した数百年の歴史を持ち、民主化で一つの解決をみました。とはいえ民主化は経済発展を保証しない。冷戦期にあった米国の保護もない。台湾経済の未来は中国にありました。当時の李登輝政権が抑えようにも台湾企業は中国の強い磁場に吸い込まれ、中国に依存する構造ができました。 その後の中国は経済力で台湾政治に影響を及ぼしています。中国資本が入り、抵抗も起きた。2016年の総統選で民進党の蔡英文氏が勝利するまでの流れは、明らかに中国への反発が背景にある。Q:だからこそ、香港の現状にも共感しうるわけですね。A:2014年は台湾で対中接近策に反対するひまわり学生運動があり、すぐ後に香港で雨傘運動が起き、双方に交流がありました。中国の圧力に直面して運命を共にする意識は当時、学生や市民団体に限られましたが、今、香港の自由への闘いは台湾社会全体の意識を変えています。 香港警察の暴力はとても見ていられない。台湾でも大規模デモが2回あり、各大学には香港を応援するレノン・ウォール(応援メッセージの貼り紙をする壁)ができた。香港の運動の前線が台湾まで延びて来ているように感じます。 ■ ■Q:結局は中国とどう向き合うか、という問題ですね。A:中国への幻想を諦めるべきです。『香港に真の一国二制度を』とよく言いますが、幻想です。中国は中央集権を志向する。分権につながる方向はありえない。 二つ目は経済の幻想。簡単に金もうけできる時期は終わった。中国経済は下り坂です。三つ目は『中国は覇権を唱えない』という幻想。そんなわけはない。資本を蓄積すれば必然的に外へのドライブがかかる。政治的要因もあります。19世紀末の欧州は労働運動が起きて内部に対立を抱え、対外膨張で矛盾を緩和しました。 中国もその古典的な道をたどっている。民主政治でないため国内矛盾を解決する方法がなく、抑圧するしかない。治安維持費が国防費を上回っている状況です。だから外へ向かう。それが『一帯一路』です。でも日本の中国観には戦後の親中メンタリティーが残っているでしょう?。Q:いや、それはもう少数だと思いますけどねえ。A:どうでしょう。共産党の革命を高く評価し、東アジア現代史を中国の視点で見ていませんか。台湾もその視点で見ていませんか。『中国の脅威』は右派言論がつくる虚構だと思っていませんか。 日本の、特にリベラル派は中国に対する自前の理論、新たな論述を打ち出さなくては。欧州や米国の中国観は変わっています。国際政治とは、難しい現実に直面し、選択を迫られるものなのです。(聞き手 機動特派員・村上太輝夫) *呉叡人:1962年生まれ。米シカゴ大博士。2003~04年に早大客員講師。専門は比較政治など。来年、みすず書房から論文集を刊行する予定。(インタビュー)香港ナショナリズム呉叡人2019.11.21この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR14に収めておきます。
2019.11.22
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大学図書館で『そしてバトンは渡された』という本を、手にしたのです。おお 市図書館に予約している本を見っけ…わりとよくあるのです♪【そしてバトンは渡された】瀬尾まいこ著、文芸春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も名字が変わった森宮優子、十七歳。だが、彼女はいつも愛されていた。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作。<読む前の大使寸評>図書館予約1036位ってか、1年近く待つんやろか?・・・・11/15大学図書館で見っけ♪<図書館予約:(4/19予約、11/15大学図書館で見っけ)>rakutenそしてバトンは渡されたこの本の冒頭の語り口をちょっとだけ、見てみましょう。p4~6<第1章 1> 困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど、適当なものは見当たらない。いつものことながら、この状況に申し訳なくなってしまう。「その明るさは悪くないとは思うけど、困ったことやつらいことは話さないと伝わらないわよ」 真ん前の席に座った向井先生が言った。 二年生最後の進路相談。教壇の前に設置された机を挟んで、担任の先生と向かい合わせで話す。いつもは狭苦しい教室も、二人だとずいぶん広く感じる。 困ったこともつらいこともない私がどう答えるべきか迷っていると、「言いたくないことは言わなくてもいいけど、家庭での様子も把握しておきたいからね。ね、森宮さん」 と先生は言った。「森宮…。そう森宮です」「森宮」と呼びかけられ、苗字を唱えるように言う私を、先生はいぶかしげな顔で見た。まだ自分の苗字すらあやふやだなんてと思っているのだろう。「ああ、あれですよ。友達や周りの人は、私のこと優子って呼ぶから、苗字がぴんと来なくて」 私が本当の理由を述べると、「ああ、そうね。優子はいい名前だもんね」と先生は軽くうなづいた。 優子はありきたりで平凡な名前でありながら、いい名前であるのは事実だ。17年生きてきて、つくづくそう思う。響きがいいし、耳になじみやすいというのもあるけど、「優子」の最大の長所は、どんな苗字ともしっくりくるところだ。 生れた時、私は水戸優子だった。その後、田中優子となり、泉ヶ原優子を経て、現在森宮優子を名乗っている。名付けた人物は近くにはいないから、どういう思いで付けられた名前かはわからない。でも、優子は長い苗字とも短い苗字とも、たいそうな苗字ともシンプルな苗字とも合う名前ではある。「いろいろ経験してきた分、名前どおり、森宮さんは優しいところはあるものね」「はあ…」 苗字だけはころころ変わってはいるけど、たいした経験はしていないし、私はとりたてて優しいわけでもない。だけど、普段ほめることのない向井先生が言ってくれているのだ。私はひとまず「ありがとうございます」と礼を述べておいた。「でも、どこか森宮さんには物足りなさを感じるのよね。腹を割っていないというか、一歩引いている部分があるというか」「はあ…」 「何か思うところあるんだったら話してみたら? そのために教師がいるんだから」「そう、ですよね」 なにでも話すようにと、昔から何度も私は先生たちに言われてきた。タンニンだけじゃない。保健の先生やスクールカウンセラーの先生までが、こまめに私に声をかけてくれた。先生たちは、いつだって私が悩みを打ち明けるのを待っているのだ。私に必用なのは、悩みだ、悩み。 これだけ手を広げて受け止めようとしてくれているのに、何もないのでは申し訳ない。こういうときのために、悲惨な出来事の一つくらい持ち合わせておかないといけないな。とりあえず悩みをでっちあげてこの場を乗り切ろうかと思ったけど、鋭い向井先生には見透かれてしまうだろう。困っていることを挙げるとすれば、まさにこういうときだ。「2019年本屋大賞」が決定しました! 【大賞】瀬尾まいこさん『そして、バトンは渡された』で「2019年本屋大賞」の全貌が見られます。
2019.11.22
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図書館で『日本人の住まい』という本を、手にしたのです。おお 宮本常一さんの説く日本建築ってか・・・これは期待できそうやでぇ♪【日本人の住まい】宮本常一著、農山漁村文化協会、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本人の住まいのかたちは、どのようにして形成されてきたのだろう。それは日本各地の暮らし方や生産のあり方、家族のかたちの変遷とどのように結びついてきたのだろうか。たとえば土間の広い家と狭い家があるのはなぜか。仏壇は住まいのかたちにどのような影響を与えたか。土間の家と高床の高はどのようにして結びついていったのか。カマドとイロリは炊事法や家の構造とともにどう変遷したのか。庶民の住まいに便所や風呂ができるのはいつごろからか。広範な全国に及ぶフィールドワークの見聞と体験を通して日本の民家を庶民の「生きる場」という視点から見続けた宮本常一の刺激的な民家論。<読む前の大使寸評>おお 宮本常一さんの説く日本建築ってか・・・これは期待できそうやでぇ♪rakuten日本人の住まい登呂遺跡「第1部 日本人の住まいはどのように変わってきたか」の冒頭を、見てみましょう。p10~12<土間住まいと床住まい> 静岡市の南に登呂というところがあります。昭和24、5年頃ここから2000年近くまえの水田のあとや住居のあとが掘り出されて新聞をにぎあわせましたが、いまそこが公園のようになっていて、たくさんの観光客がおとずれています。 さて、登呂にはいま、昔の家はこうであっただろうと、想像して建てられた家があります。それは地下から掘り出された住居あとから想像して建てられたものです。住居あとは長円形の小さな堤にとりかこまれていて、その内側に柱穴や炉のあとがあります。人びとは地面の上にワラやムシロのようなものを敷いて、そこで寝たり起きたりし、炉の火にあたったり、煮たきをして、暮らしをたてていたものでありましょう。 登呂にかぎりません。そのほかの地方でも2000年以上の古い住居のあとが掘り出されることがありますが、大抵は住むところを掘りくぼめて、竪穴式になっているか、または登呂のようにまわりに小さな堤を築いたものが多いのです。そして土間の上に住んでいたことがわかります。 いまこんな家はほとんどなくなっています。ところが明治の始め頃までは竪穴式になっていなくても、土間にもみがらやワラを敷き、その上にムシロなどを敷いて暮らしていた家は多かったのです。 新潟など六割までは土間住まいの家であったといいますし、長野県の乗鞍岳のふもとで調べたところでは、明治5年頃までは村の名主や重立ち百姓の家を除いてはすべて土間住まいであったということです。また、中国地方の山中でもいまから200年まえには庄屋・組頭の家を除いてはすべて土間住まいであったということです。だから江戸時代の終わり頃までは登呂の2000年まえの住居とあまりちがっていない家に住んでいた者が多かったと思います。 それでは日本人は土間住まいがあたりまえだったかというと、床住まいも古くからおこなわれていたようです。古墳の中から出る埴輪の家など見ると高い床をもったものがいくつもあり、また絵にもそういうものがあります。平安時代の宮廷の絵などを見ましても、すべて床の上で暮らしていて土間はありません。(中略) つまり、日本にはずっと古い時代から土間住まいと床住まいの二つの様式があったものと思われます。そしてこれを地域的に大きく二つに分けて、北の寒い方には土間住まいが多く、南の暖かい方には床住まいが多かったといってよかったのではないかと思います。 登呂の家を見ると屋根が地面まで葺き下げになっていて、壁がありません。屋根だけの家なのです。竪穴式で屋根を葺いただけの家はいまから20年余りまえには樺太や千島のギリヤーク、オロッコなどの間にたくさん見られました。中は暖かいけれど暗いのが欠点でした。家の中に十分明りが入ってくるようにするには、柱を建て壁をつけ、壁に窓をつけることです。人びとはそういう家を工夫するようになりました。『日本人の住まい』1
2019.11.21
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図書館で『日本人の住まい』という本を、手にしたのです。おお 宮本常一さんの説く日本建築ってか・・・これは期待できそうやでぇ♪【日本人の住まい】宮本常一著、農山漁村文化協会、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本人の住まいのかたちは、どのようにして形成されてきたのだろう。それは日本各地の暮らし方や生産のあり方、家族のかたちの変遷とどのように結びついてきたのだろうか。たとえば土間の広い家と狭い家があるのはなぜか。仏壇は住まいのかたちにどのような影響を与えたか。土間の家と高床の高はどのようにして結びついていったのか。カマドとイロリは炊事法や家の構造とともにどう変遷したのか。庶民の住まいに便所や風呂ができるのはいつごろからか。広範な全国に及ぶフィールドワークの見聞と体験を通して日本の民家を庶民の「生きる場」という視点から見続けた宮本常一の刺激的な民家論。<読む前の大使寸評>おお 宮本常一さんの説く日本建築ってか・・・これは期待できそうやでぇ♪rakuten日本人の住まい「第1部 日本人の住まいはどのように変わってきたか」から縁側について、見てみましょう。p31~33<消えていく縁側> 日本の民家の面白さは縁側のあることだと思います。縁側はよいものです。大抵南側についていて、夏は家の軒のために日陰になっていて涼しく、冬は日が当って日なたぼっこができます。ばあさんがそこで糸をつむいだり、孫を遊ばせたり、行商人がやって来てそこで商品を広げたり、近所の人がやって来て腰をかけて話し合ったり、こんないいものはありません。 私など旅をしていて、多くのよい知人をもつことができたのは、縁側があったからではないかと思います。村を歩いていると、どこかの家の縁側で2、3人集まって話をしています。 もし縁側がなかったらどうであろうと思います。「ごめんください」といって入っていって話を聞くというようなことは、だれかの招待状でももらって行かなければ、実にむずかしいことです。ところが縁側にはそのような閉鎖的なものはないのです。しかも縁側をもつ民家というのは日本だけではないでしょうか。 ところで日本の民家には昔から縁側があったかというと、そうでもなさそうです。もともとは宮廷建築の中にありました。家の回りに縁をめぐらし、縁には手すりのついているものがすくなくありません。そうした縁が一般の民家にも用いられるようになったのは、いまから800年前頃からと思われます。 その頃まず一般の民家は小さいものが多く、中には竪穴式の家もあったのです。「信貴山縁起絵巻」や「粉河寺縁起絵巻」の中にそれを見ることができます。しかしその同じ頃、地方の土豪たち、長者といわれる人たちの家には縁側がついています。しかもその縁には手すりはついていませんから、今日の民家の縁とほぼおなじようなものになっていたわけです。 ところで村の中を歩いてみると、今日のようにサラリーマン式住宅の発達する前までは、民家に玄関のついているものと、ついていないものがありました。玄関のついているものはほんのわずかです。そういう家は武士か神主、名主、庄屋などの家で、一般の農家には玄関はつけられませんでした。長崎県の対馬というところは、村に郷士とよばれる武士の多かったところで、玄関のある家がたくさんありました。それでそういう家はすぐ郷士の家とわかるわけです。 普通の人は土間の方から入りますが、大切なお客は玄関から入るわけです。玄関のない民家では縁側から上がります。いまでも農村では坊さんたちは縁側から上がるところが多いのです。 日本中を歩いてみると、民家のすべてに縁があるかといえば、ないところもすくなくありません。雪の多い北陸や東北地方には、縁のない家も多いのです。これは雪を防ぐためであったと思われます。 また近畿地方のように雪も少なく、暖かいところにも、縁のない家の多い村を見かけることがあります。これは昔そのあたりを治めていた大名の税金の取り立てがはなはだしく、窓にまで税金をかけたためだといわれています。縁を造るとどうしても窓が広くなります。それで縁をつけなかったというのです。縁側といえば、ずばり『「縁側」の思想』という本がお奨めです。【「縁側」の思想】ジェフリー・ムーサス著、祥伝社、2008年刊<著者について>より現代建築の観点から日本の伝統建築に魅せられ、京都を拠点として町家の修復を中心に、寺修復や戸建て住宅の設計など国内外で活躍。自身も自ら改築した町家に暮らす。京都大学、関西大学などで非常勤講師を務める。朝日放送系『大改造!!劇的ビフォーアフター』に出演、町家や江戸時代の蔵などのリフォームを行なった。<読む前の大使寸評>大使が注文建築に要求したのは、縁側付きの日本間をひとつ設けるというものだったけど・・・「縁側」の心地よさに、外国人も気づいていたようですね♪amazon「縁側」の思想
2019.11.21
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図書館で『三谷幸喜 創作を語る』という本を、手にしたのです。おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・三谷さんのコメディの原点が見えるかも。【三谷幸喜 創作を語る】三谷幸喜著、講談社、2013年刊<「BOOK」データベース>より「新しいこと」「おもしろいこと」ばかり考える希代のクリエイターの頭の中身。『古畑任三郎』から『清須会議』まで制作の舞台裏を語る。<読む前の大使寸評>おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・三谷さんのコメディの原点が見えるかも。rakuten三谷幸喜 創作を語るこの本の冒頭から、見てみましょう。インタビュアーは松野大介さんです。p16~19<1 やっぱり猫が好き> Q:脚本家デビューの前に、もともとは放送作家からスタートしたわけですよね。三谷:日芸(日本大学芸術学部)在学中に放送作家を始めたんです。大学の掲示板に“放送作家募集”の貼り紙があったので、オクタゴンという作家の事務所に入ったけど、最初はアルバイトみたいなもん。Q:どんな番組ですか。三谷:『エッ! うそーホント!』(日本テレビ)って番組の時は、海外にある変わった風習をクイズにして、解答者が「これは本当か? 嘘か?」を当てるんだけど、僕は実際にある世界の風習を探すより、逆の“いかにも風習にありそうな嘘”を作るほうが楽しかったんですよ。 番組会議では、作家が各自作ったネタを順番に発表して、スタッフが「本当だ!」「嘘だ!」と当てるという、番組同様にシミュレーションする。うまく騙せたり盛り上がったりしたネタを採用してた。でも僕は、番組に採用されるより、自分が面白いと思うほうに筆が走ってしまって…。 たとえば、「南太平洋の▲▲島の住民は脱皮する。砂浜には人間の脱皮した抜け殻が落ちている」とか。すると一斉にみんなから「嘘だ!」「嘘だ!」と。3年も問題を作ってたけど、1回も採用されなかった。Q:採用されないんですか。ギャラは出るんですか?三谷:それでも貰えたから、心苦しくて…。『お笑いマンガ道場』(日本テレビ)や『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』(フジテレビ)にも参加したけど、クイズは苦手で、逆にコントのような仕事は楽しかったな。お芝居みたいに会話中心に書くわけだから僕向きだった。Q:当時からテレビマンというより脚本家寄りだったみたいですね三谷:ギャラは大学在学中に結成した劇団の資金にほとんどつぎ込んでたので、貰えるのはありがたかったけど、自分に合ってない仕事ばかり。だからその後、放送作家の事務所を辞めて、脚本家の水谷龍二さんの下で脚本家見習いになったんです。 バラエティ番組でしたけど『やすきよ笑って日曜日』(テレビ朝日)でコントレオナルドさんのコントやコント山口君と竹田君のコーナーを書かせてもらった。それで山・竹さんのお二人と親しくなって、道頓堀のストリップ劇場でコントをやるのを見に通った。とにかく笑えた。それから山・竹さんと一緒にコントを50本ほど作った。座付き作家ですね。コントは台詞があって、お芝居と同じだから楽しかったです。(中略)当時の三谷さんは20代半ば。自身が座長を務める劇団「東京サンシャインボーイズ」はまったく人気が出ず、細々と活動していたというが、その話はのちほど語ってもらうとして、そんな時期にあるドラマと出会う三谷:深夜にたまたまテレビをつけたら、すごく僕好みの深夜ドラマをやっていたんですよ。それが『やっぱり猫が好き』(フジテレビ)。 なんておもしろいんだろう! と思った。もたいまさこさん、室井滋さん、小林聡美さんの3人で、セットの部屋だけでストーリーが繰り広げられるコメディドラマ。僕が創りたいのはこういうドラマだ! と思ったくらい。三谷さんが監督した近作『記憶にございません!』をつけておきます。【記憶にございません!】三谷幸喜監督、2019年制作、2019.10.07鑑賞<movie.walker作品情報>より『ラヂオの時間』などで知られる脚本家、三谷幸喜の映画監督8作目となるオリジナル作品。国民から嫌われ、史上最低の支持率を叩き出した総理大臣が記憶喪失になったことから巻き起こる騒動を描いたコメディ。主演の中井貴一ほか、ディーン・フジオカ、石田ゆり子、佐藤浩市など豪華キャストが脇を固める。<大使寸評>美男美女でもあるディーン・フジオカと小池栄子が有能なスタッフとして掛け合うシーンが、硬軟取り混ぜて太子好みであった♪裏を知りつくしてシニカルなディーンが変化球であるなら、記憶喪失の首相の青臭い生真面目さが直球のように見えるわけで・・・硬軟取り混ぜたお話しになっています。栄子さんは直球派として首相をサポートするわけだが、爽やかである。官房長官役の草刈さんが、いかにもフィクサーの役柄をコミカルに演じています。その他、石田ゆり子、斉藤由貴、木村佳乃、吉田羊、佐藤浩市など・・・豪華キャストである。シニア割引でも1200円と値上げされて、封切り映画は厳選せざるを得ないのだが・・・さにあれば、爽やかな喜劇こそ最適なんでしょうね。movie.walker記憶にございません!
2019.11.20
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図書館で『今昔妖怪大鑑』という本を、手にしたのです。全ページがカラー画像のビジュアル本であるが・・・妖怪関連の絵画、素材にかける著者の拘りがすごい♪【今昔妖怪大鑑】湯本豪一著、パイインターナショナル、2013年刊<「BOOK」データベース>より版本、瓦版、豆本、着物、刺子半纏、帯、頭巾、手拭、印篭、根付、鍔、小柄、煙管、焼き物、土人形、変わり絵、かるた、メンコ、双六、幻灯ガラス絵、映画ポスター、肉筆紙芝居、神戸人形、駄菓子屋のおもちゃ、扇子、絵馬、納札、団扇絵ほか多数。図版総数400超堂々開陳!<読む前の大使寸評>全ページがカラー画像のビジュアル本であるが・・・妖怪関連の絵画、素材にかける著者の拘りがすごい♪rakuten今昔妖怪大鑑「第1章 絵巻 妖怪の競演」から、見てみましょう。p7~11<1 百鬼夜行絵巻> 百鬼夜行絵巻とは、さまざまな妖怪たちが闇のなかを列をなしてどこかへ向かう様子、気ままに跳梁する姿を描いたもの。現存する最古の百鬼夜行絵巻は大徳寺真珠庵に伝えられる土佐光信筆といわれるもので、美術的価値も高く、国の重要文化財に指定されている。 この絵巻は江戸時代より前の百鬼夜行絵巻で確認できる唯一のもので、百鬼夜行絵巻を語るときには必ず言及される。現在、江戸時代に描かれた百鬼夜行絵巻は数多く残るが、大半は真珠庵系の絵柄である。描き継がれるうちに登場する妖怪の順番が変化したり、新たな妖怪が入ったりいているものも多々ある。 百鬼夜行絵巻のなかには、土佐派や狩野派の一流の絵師が描いたと思われるものから拙い筆致の作品まで幅広く存在し、裾野の広さを裏付けている。いっぽうで真珠庵系とはまったく絵柄の異なった種類のものも存在しており、いくつかの系統があったと思われるが、その全容の解明は今後の課題といえよう。 百鬼夜行絵巻の絵柄は他の妖怪絵巻にも引用されているが、明治時代以降も描かれ、パロディ化された作品なども登場している。先日読んだ『にっぽん妖怪地図』という本にも百鬼夜行絵巻(真珠庵蔵)が載っていたが、今回のこの本でも巻頭に取り上げて詳しく紹介されていた。
2019.11.20
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「民俗学」でしょうか♪<市立図書館>・三谷幸喜 創作を語る・百花<大学図書館>・今昔妖怪大鑑・日本人の住まい図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【三谷幸喜 創作を語る】三谷幸喜著、講談社、2013年刊<「BOOK」データベース>より「新しいこと」「おもしろいこと」ばかり考える希代のクリエイターの頭の中身。『古畑任三郎』から『清須会議』まで制作の舞台裏を語る。<読む前の大使寸評>おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・三谷さんのコメディの原点が見えるかも。rakuten三谷幸喜 創作を語る【百花】川村元気著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より大晦日、実家に帰ると母がいなかった。息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。それは母が息子を忘れていく、始まりの日だった。認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、泉は母との思い出を蘇らせていく。ふたりで生きてきた親子には、どうしても消し去ることができない“事件”があった。母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。あのとき「一度、母を失った」ことを。泉は封印されていた過去に、手をのばすー。現代において、失われていくもの、残り続けるものとは何か。すべてを忘れていく母が、思い出させてくれたこととは何か。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/14予約、11/19受取)>rakuten百花【今昔妖怪大鑑】湯本豪一著、パイインターナショナル、2013年刊<「BOOK」データベース>より版本、瓦版、豆本、着物、刺子半纏、帯、頭巾、手拭、印篭、根付、鍔、小柄、煙管、焼き物、土人形、変わり絵、かるた、メンコ、双六、幻灯ガラス絵、映画ポスター、肉筆紙芝居、神戸人形、駄菓子屋のおもちゃ、扇子、絵馬、納札、団扇絵ほか多数。図版総数400超堂々開陳!<読む前の大使寸評>全ページがカラー画像のビジュアル本であるが・・・妖怪関連の絵画、素材にかける著者の拘りがすごい♪rakuten今昔妖怪大鑑【日本人の住まい】宮本常一著、農山漁村文化協会、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本人の住まいのかたちは、どのようにして形成されてきたのだろう。それは日本各地の暮らし方や生産のあり方、家族のかたちの変遷とどのように結びついてきたのだろうか。たとえば土間の広い家と狭い家があるのはなぜか。仏壇は住まいのかたちにどのような影響を与えたか。土間の家と高床の高はどのようにして結びついていったのか。カマドとイロリは炊事法や家の構造とともにどう変遷したのか。庶民の住まいに便所や風呂ができるのはいつごろからか。広範な全国に及ぶフィールドワークの見聞と体験を通して日本の民家を庶民の「生きる場」という視点から見続けた宮本常一の刺激的な民家論。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten日本人の住まい************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き408
2019.11.19
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<浅田次郎の世界R19>『竜宮城と七夕さま』を読んだところだが・・・これまで読んできた、浅田さんの本を並べてみます。(*印はJAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化したシリーズ)・長く高い壁(2018年刊)・『日中戦争前夜 絡み合う思惑』インタビュー(2018年)*竜宮城と七夕さま(2017年刊)・『天子蒙塵』浅田治郎独占インタビュー(2016年)・帰郷(2016年刊)・獅子吼(2016年刊)・わが心のジェニファー(2015年刊)・ブラック オア ホワイト(2015年刊)・日本の「運命」について語ろう(2015年刊)*パリわずらい江戸わずらい(2014年刊)・五郎治殿御始末(2014年刊)・かわいい自分には旅をさせよ(2013年刊)・君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい(2011年刊)*アイム・ファイン(2010年刊)・ま、いいか (2009年刊)・ハッピー・リタイアメント(2009年刊)・大人の実力(2009年刊)・草原からの使者(2009年刊)・浅田次郎とめぐる中国の旅(2008年刊)・月島慕情(2007年刊)*つばさよつばさ(2007年刊)・すべての愛について(2006年刊)・歴史・小説・人生(2005年刊)・ひとは情熱がなければ生きていけない(2004年刊)・歩兵の本領(2004年刊)・姫椿(2001年刊)・鉄道員(2000年刊)・地下鉄に乗って(1999年刊)R19:『草原からの使者』を追加『長く高い壁』2:軍隊はタテばかりでヨコがない『長く高い壁』1:張飛嶺守備隊の編成『日中戦争前夜 絡み合う思惑』インタビュー『竜宮城と七夕さま』3:玄奘三蔵と大雁塔『竜宮城と七夕さま』2:中国の「簡体字」『竜宮城と七夕さま』1:中国人の体型の変化『帰郷』2:鉄の沈黙『帰郷』1:帰郷『獅子吼』:象。駱駝。孔雀。ライオン。猿。河馬。遥かな西山から渡ってくるそれらの声『わが心のジェニファー』1:日本へのひとり旅を命じられた日系人ラリー『わが心のジェニファー』2:日本の原則『ブラック オア ホワイト』:エリート商社マンの告解『日本の「運命」について語ろう』1:アヘン戦争に対応できなかった科挙制度『日本の「運命」について語ろう』2:漢族と満州族(清)の違い『日本の「運命」について語ろう』3:徳川と愛新覚羅を比べて『日本の「運命」について語ろう』4:日本人と中国人の違い『日本の「運命」について語ろう』5:日露戦争の戦果『パリわずらい江戸わずらい』1:夕焼け小焼け『パリわずらい江戸わずらい』2:おまわりさんは、どこ?『パリわずらい江戸わずらい』3:パリわずらい江戸わずらい『パリわずらい江戸わずらい』4:イタリアン・クライシス『五郎治殿御始末』:明治維新時の侍たちの短篇六篇『かわいい自分には旅をさせよ』1:『蒼穹の昴』を旅する『かわいい自分には旅をさせよ』2:自衛隊絡みの話『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』1:英雄の足跡『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』2:浅田さんの読書遍歴『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』3:英雄の足跡(続き)『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』4:小説家という聖職『アイム・ファイン』1:すばらしい記憶『アイム・ファイン』2:ポップコーン幻想『ま、いっか』1:日本語の未来『ま、いっか』2:ま、いっか『ま、いっか』3:小説家の読書熱『ハッピー・リタイアメント』:ご褒美のような天下り『大人の実力』1:四角い家に住んで失ったもの『大人の実力』2:この本の構成について『草原からの使者』1:星条旗よ永遠なれ『浅田次郎とめぐる中国の旅』1:紫禁城『浅田次郎とめぐる中国の旅』2:康有為のSF世界『浅田次郎とめぐる中国の旅』3:『中原の虹』『月島慕情』1:雪鰻『月島慕情』2:シューシャインボーイ『つばさよつばさ』1:燕迷、ほか『すべての愛について』1:山本一力との対談『すべての愛について』2:阿川佐和子との対談『すべての愛について』3:森まゆみとの対談『歴史・小説・人生』1:『蒼穹の昴』『歴史・小説・人生』2:岩井志麻子さんとの対談『歴史・小説・人生』3:宮部みゆきさんとの対談『歴史・小説・人生』4:陳舜臣さんとの対談『歴史・小説・人生』5:張作霖について『歴史・小説・人生』6:森永卓郎さんとの対談『歴史・小説・人生』7:陳舜臣さんとの対談(続き)『歴史・小説・人生』8:龍王=天命はどこに?『歴史・小説・人生』9:高橋克彦さんとの対談『歴史・小説・人生』10:宮部みゆきさんとの対談(続き)『ひとは情熱がなければ生きていけない』1:自衛隊での生活『ひとは情熱がなければ生きていけない』2:漢籍に惹かれる浅田さん『ひとは情熱がなければ生きていけない』3:「破滅」への衝動『ひとは情熱がなければ生きていけない』4:映画『鉄道員』を語る鉄道員:珠玉の短篇8作品地下鉄に乗って:満州に出征する父を目撃し<『草原からの使者』>図書館で『草原からの使者』という文庫本を、手にしたのです。おお 浅田さんの短篇集ではないか♪ 2009年刊というようなエアーポケットに落ち込み、今まで見つからなかったのかも。【草原からの使者】浅田次郎著、徳間書店、2009年刊<「BOOK」データベース>より議員秘書が語る総裁選の裏に隠された秘密、若くして財閥を継承した御曹司の苦悩、高名な大馬主が競馬場で出会った謎の老人、アメリカ人の元大佐が語る“もうひとつの退役”-各界の名士が集う秘密サロン「沙高樓」で、私はまたしても彼らの数奇な運命に耳を傾けることになった…。驚愕と戦慄!玲瓏たる筆致で描かれた浅田次郎版百物語。【目次】宰相の器/終身名誉会員/草原からの使者/星条旗よ永遠なれ<読む前の大使寸評>おお 浅田さんの短篇集ではないか♪ 2009年刊というようなエアーポケットに落ち込み、今まで見つからなかったのかも。rakuten草原からの使者
2019.11.19
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昨日、暇な太子は神戸マラソンの応援に繰り出したのです。マラソンレースといえば、以前は出走するものだったけど・・・今では応援というていたらくで(汗)3時間台ランナーたちの体形は絞られてまんな~。このコース最後の登りで、ここからは沿道の応援がなくて走りに専念するコース設定になっています。
2019.11.18
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<図書館予約の軌跡202>『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・樹木希林『一切なりゆき』(2/27予約、副本17、予約613)現在7位・伊坂幸太郎『フーガはユーガ』(7/24予約、副本34、予約462)現在213位・伊坂幸太郎『クジラアタマの王様』(7/31予約、副本1、予約197)現在81位・デービッド・アトキンソン『日本人の勝算』(8/20予約、副本14、予約157)現在67位・上田岳弘『キュー』(8/26予約、副本3、予約15)現在4位・劉慈欣『三体』(9/09予約、副本8、予約179)現在112位・森絵都『カザアナ』(9/21予約、副本11、予約109)現在64位・呉善花『韓国を蝕む儒教の怨念』(10/02予約、副本3、予約56)現在37位・橘玲「上級国民/下級国民」(10/24予約、副本16、予約283)現在240位・川上弘美『某』(10/27予約、副本7、予約70)現在54位・ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(11/13予約、副本19、予約534)現在522位・金子勝『平成経済 衰退の本質』(11/17予約、副本6、予約18)現在16位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・吉荒夕記『バンクシー』・柳美里『ねこのおうち』・有馬哲夫『原発・正力・CIA』・橋本治『黄金夜界』・有川ひろ『倒れるときは前のめりふたたび』:図書館未収蔵・中園成生『日本捕鯨史』・高野秀行「ワセダ三畳青春記」・高樹のぶ子『アジアに浸る』・書物の破壊の世界史・つげ義春『ガロ 1968 前衛マンガの試行と軌跡』・メカニズムの事典・ディック『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』:図書館未収蔵・天子蒙塵 (四):11/27西図書館で見っけ。・ヘミングウェイで学ぶ英文法:図書館未収蔵・内澤旬子『ストーカーとの七00日戦争』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・八画文化会館vol.6 総力特集:レトロピア岐阜:図書館未収蔵・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・Coloring in Wadaland―和田誠カラー作品集:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』:芸工大に収蔵・阿刀田高『裏声で歌へ君が代』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・禁じられた歌(田)<予約分受取:10/05以降> ・五日市哲雄『もの忘れと記憶の科学』(9/24予約、10/05受取)・多和田葉子「献灯使」(12/09予約、10/13受取)・多和田葉子『容疑者の夜行列車』(10/11予約、10/17受取)・落合淳思『漢字の字形』(9/20予約、10/22受取)・阿辻哲次『漢字再入門』(10/15予約、10/22受取)・日本が売られる(2/05予約、10/26受取)・『AI VS.教科書が読めない子どもたち』(2/22予約、10/26受取)・グレゴリ青山『薄幸日和』(10/30予約、11/04受取)・はすみとしこ『そうだ難民しよう!』(11/02予約、11/07受取)・そしてバトンは渡された(4/19予約、11/15大学図書館で見っけ)・川村元気『百花』(6/14予約、19受取)【一切なりゆき】樹木希林著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」心に沁みる希林流生き方のエッセンス!【目次】第1章 生きること/第2章 家族のこと/第3章 病いのこと、カラダのこと/第4章 仕事のこと/第5章 女のこと、男のこと/第6章 出演作品のこと<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/27予約、副本17、予約613)>rakuten一切なりゆき【フーガはユーガ】伊坂幸太郎著、実業之日本社、2018年刊<「BOOK」データベース>より常盤優我は仙台市のファミレスで一人の男に語り出す。双子の弟・風我のこと、決して幸せでなかった子供時代のこと、そして、彼ら兄弟だけの特別な「アレ」のこと。僕たちは双子で、僕たちは不運で、だけど僕たちは、手強い。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本34、予約462)>rakutenフーガはユーガ【クジラアタマの王様】伊坂幸太郎著、NHK出版、2019年刊<「BOOK」データベース>より製菓会社に寄せられた一本のクレーム電話。広報部員・岸はその事後対応をすればよい…はずだった。訪ねてきた男の存在によって、岸の日常は思いもよらない事態へと一気に加速していく。不可思議な感覚、人々の集まる広場、巨獣、投げる矢、動かない鳥。打ち勝つべき現実とは、いったい何か。巧みな仕掛けと、エンターテインメントの王道を貫いたストーリーによって、伊坂幸太郎の小説が新たな魅力を放つ。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/31予約、副本1、予約197)>rakutenクジラアタマの王様【日本人の勝算】デービッド・アトキンソン著、東洋経済新報社、2019年刊<「BOOK」データベース>より在日30年、日本を愛する伝説のアナリスト×外国人エコノミスト118人だから書けた!大変革時代の生存戦略。【目次】第1章 人口減少を直視せよー今という「最後のチャンス」を逃すな/第2章 資本主義をアップデートせよー「高付加価値・高所得経済」への転換/第3章 海外市場を目指せー日本は「輸出できるもの」の宝庫だ/第4章 企業規模を拡大せよー「日本人の底力」は大企業でこそ生きる/第5章 最低賃金を引き上げよー「正当な評価」は人を動かす/第6章 生産性を高めよー日本は「賃上げショック」で生まれ変わる/第7章 人材育成トレーニングを「強制」せよー「大人の学び」は制度で増やせる<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/20予約、副本14、予約157)>rakuten日本人の勝算【キュー】上田岳弘著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より前世に太陽と同じ温度で焼け死んだと話す少女が同級生だった「僕」は、この惑星で平凡な医師として生きていたが、いきなり「等国」なる組織に拉致された。彼らによれば、対立する「錐国」との間で世界の趨勢を巡り争っており、その中心には長年寝たきりとなっている祖父がいるという。その祖父が突然快復し失踪、どうやら私の恋人を見つけたらしい。一方、はるか未来に目を覚ました自称天才の男は迎えに来た渋い声の異郷の友人と共に、“予定された未来”の最後の可能性にかけるため南へ向かい、途中、神をも畏れぬ塔を作り重力に抗おうとしたニムロッドの調べが鳴り響く。時空を超えた二つの世界が交差するとき、すべては完成する…?<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/26予約、副本3、予約15)>rakutenキュー【三体】劉慈欣著、早川書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。数十年後。ナノテク素材の研究者・汪森(ワン・ミャオ)は、ある会議に招集され、世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。その陰に見え隠れする学術団体“科学フロンティア”への潜入を引き受けた彼を、科学的にありえない怪現象“ゴースト・カウントダウン”が襲う。そして汪森が入り込む、三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?アジア圏の作品として初のヒューゴー賞長篇部門に輝いた、現代中国最大のヒット作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/09予約、副本8、予約179)>rakuten三体【カザアナ】森絵都著、朝日新聞出版、2019年刊<「BOOK」データベース>より平安の昔、石や虫など自然と通じ合う力を持った風穴たちが、女院八条院様と長閑に暮らしておりました。以来850年余。国の規制が強まり監視ドローン飛び交う空のもと、カザアナの女性に出会ったあの日から、中学生・里宇とその家族のささやかな冒険がはじまったのです。異能の庭師たちとタフに生きる家族が監視社会化の進む閉塞した時代に風穴を空ける!心弾むエンターテインメント。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/21予約、副本11、予約109)>rakutenカザアナ【韓国を蝕む儒教の怨念】呉善花著、小学館、2019年刊<「BOOK」データベース>より「不可逆的に最終合意」したはずの慰安婦問題をひっくり返したかと思えば、韓国の最高裁は、すでに日韓基本条約で解決済みの徴用工裁判で日本企業に対し、賠償判決を出す。一方で、文在寅大統領は中国、北朝鮮に擦り寄り、反日を加速させている。日本と韓国の関係は戦後最悪の状態にある。普通の日本人の感覚からすれば、まったく理解できない。いったいなぜなのか。ヒントは、反日主義にしなければならなかった韓国の歴史にある。それが現代にまで続き、自壊の道を辿っているのだ。韓国出身の著者がその謎を史実に基づき解き明かす。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/02予約、副本3、予約56)>rakuten韓国を蝕む儒教の怨念【上級国民/下級国民】橘玲著、小学館、2019年刊<「BOOK」データベース>より「下級国民」を待ち受けるのは、共同体からも性愛からも排除されるという“残酷な運命”。一方でそれらを独占する少数の「上級国民」たち。ベストセラー『言ってはいけない』の著者があぶり出す、世界レベルで急速に進行する分断の正体。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/24予約、副本16、予約283)>amazon上級国民/下級国民【某】川上弘美著、小学館、2019年刊<「BOOK」データベース>より名前も記憶もお金も持たない某は、丹羽ハルカ(16歳)に擬態することに決めた。変遷し続ける“誰でもない者”はついに仲間に出会うー。愛と未来をめぐる、破格の最新長編。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/27予約、副本7、予約70)>rakuten某【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】ブレイディみかこ著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/13予約、副本19、予約546)>rakutenぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー【平成経済 衰退の本質】金子勝著、岩波書店、2019年刊<「BOOK」データベース>よりバブルとバブルの崩壊から始まった平成時代。マクロ経済政策も、構造改革も、「失われた20年」を克服できないどころか、症状を悪化させてきた。セーフティーネット概念の革新、反グローバリズム、長期停滞、脱原発成長論などをキー概念に、一貫して未来を先取りした政策提案を行ってきた著者による30年の痛烈な総括。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/17予約、副本6、予約18)>rakuten平成経済 衰退の本質【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡201予約分受取目録R19好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。
2019.11.18
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元世銀総裁のロバート・ゼーリックさんがインタビューで「国際協調への誘い、ムダではなかった、中国は成長支えた」と説いているので、紹介します。(11/16デジタル朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも) 冷戦後、米国は開かれた世界市場に中国を取り込むことで、共存共栄できると信じた。期待はいま幻滅へと変わり、激しい対中強硬論にかき消されがちだ。米国は、判断を誤ったのだろうか? かつて中国に「責任ある利害共有者」として国際協調の枠組みに加わるよう求め、米中関係のレールを敷いた立役者に聞いた。Q:米国の国務副長官だった2005年の演説で、中国に「責任ある利害共有者(ステークホルダー)」になるよう求めましたね。中国に友好的に関与し続ける方針を示した、と一般的に受け止められましたが、その真意は?A:私の演説は、当時の胡錦濤国家主席に近い鄭必堅・改革開放フォーラム理事長が唱えた『中国の平和的台頭』への、米側からの回答でした。もちろん、中国が他国とあつれきを起こさずに成長するのは大歓迎です。 とはいえ、そうなる期待にただ自国の運命をゆだねているわけにはいかない。よく誤解されますが、私は何も『中国はすでに責任ある利害共有者である』と言明したわけではありません。そうなるべく行動せよ、と中国に呼びかけたのです。Q:しかし昨年、米議会の諮問機関は、「米国の対中政策はこの数十年間、関与を続ければ中国は自由で責任ある国になるとの期待に基づいていたが、期待はムダだった」と結論づけました。A:いま米国には『押しの強い態度』を良しとするムードがみなぎっています。『関与は失敗だった! もう中国とは協力できない』と。中国と対決せねばという態度しかなく、具体的な成果が求められる『政策』とはいえません。ただ石を投げて相手をののしればいい、というものではないのです。 そもそも、『ムダ』という認定自体、事実の裏付けがない。核不拡散や大量破壊兵器の管理、環境問題、イランや北朝鮮への対処など、協力の利点が目に見えた例はたくさんあります。中国の経常黒字はゼロに近づき、為替操作もしていない。08年のリーマン危機後、財政出動で世界の成長を支えたのも中国。協力が互恵をもたらさなかったとみるのは誤りです。Q:世界銀行総裁として中国の改革派を後押ししていました。しかし、習近平国家主席は強権的な統治にカジを切りました。A:習近平体制下で中国が圧制の傾向を強めたことは確かです。国家主席に就任した習氏は、『最優先事項は何ですか』と尋ねた私に『8668万人の共産党員です』と答えました。 1949年の建国以来変わらず共産党は人民の『前衛』として指導する立場にあり、その強化が最優先だ――。そんな彼の本心が伝わってきました。 それでも、米中が共通の利益を見いだすことはできる。硬軟織り交ぜた多次元のアプローチが必要です。日本や韓国、豪州、インドなどの同盟国や友好国と連携し、中国国内で変化をもたらしてくれる勢力とも連携しなければならない。確かなことは、トランプ大統領がやっているように、関税だけでは全く解決しないということです。 ■ ■Q:中国が国内から崩れるリスクはないのですか。A:中国経済の成長が頓挫すれば世界の重大な脅威です。中所得国から高所得国への発展過程は困難を伴います。世銀総裁時代に1960年時点で中所得国だった101の国・地域を検証しましたが、2008年に高所得国になっていたのはわずか13。 科学技術で先端に立つ中国ですが、自由な議論や意見表明が制限された社会で技術革新が続くかわかりません。環境問題、全国的には低い教育水準、高齢化など多くの課題があります。日本は高齢化社会に達する前に豊かになりましたが、中国はまだです。不確実な先行きを考えれば、市民生活に直結した分野で中国に協力する必要はあるのです。Q:台頭する中国に、具体的にどう向き合うべきですか。A:中国側の問題は大きく六つあります。(1)知的財産侵害などを含む市場アクセスの問題(2)産業補助金などの国家資本主義(3)安全保障に関わる先端技術(4)巨大経済圏構想『一帯一路』(5)強権的な対外政策(6)少数民族の人権や民主化の抑圧。これらはウィンウィンで解決できる可能性があります。経済発展に伴って中国企業自らが知財保護を求め、国有企業への産業補助金も中国の民間部門は問題視しています。Q:とはいえ、簡単には解決できない問題もあります。A:最も難しいのが安全保障に関わる技術です。主要国間の競争はビッグデータをどう分析して使うかに焦点が移り、摩擦もそこに集中する。次世代通信規格『5G』を巡る懸念も理解できます。ただ中国を恐れるあまり、米国などが『信用できない中国にデータは一切使わせない』という傾向を強めれば、世界はデータを巡って分断される。 ■ ■Q:人権や民主化問題では香港の反政府デモの動向も焦点です。A:香港は実に危険な状況です。香港政府は宗主国だった英国から統治の仕方を学びましたが、政治指導者としては振る舞ってきませんでした。中国政府に従順で、市民の心情とは遊離しています。典型が住宅問題。高騰して家が持てず、家庭を築けない若い世代にいらだちが蓄積していた。『逃亡犯条例』への市民の反発も読み誤った。大勢で来て粉ミルクを買いあさるなど、中国という巨大な圧力にさらされる市民の心理に政府はもっと注意を払うべきだった。Q:事態の打開へ、米国にできることはあるのですか。A:米国はもっと早く行動すべきでした。米中に実効性のある関係が築けていたら、私はきっとこうしたでしょう。目立たないように北京に赴く。『米国は一国二制度を受け入れている。香港に関する主権変更も求めない』と伝える。『中国がより前向きな一歩を踏み出さなければ統制はますます利かなくなる』と警告する。香港行政長官の交代や、逃亡犯条例や住宅政策の見直し、警察の暴力防止などで大胆な提案をする。Q:米国は、中国の対外政策について米主導の秩序に挑む「現状変更勢力」とみなし、警戒感を隠していません。A:南シナ海での中国軍の活動をみるまでもなく、中国は以前から自国権益を強引に主張していました。米国がとるべき道は、同盟国と連携して何を優先すべきか決めることです。中国が東シナ海で強引な主張をすれば、日米が『毅然とした行動』で越えてはならぬ一線を示せば良い。 米中にとってウィンウィンの結果となり、対立を解決できる分岐点、衝突を回避しつつ守るべきものは守る分岐点はどこか。それを見据えて政策をうまく組み合わせることが重要なのです。 ■ ■Q:米中通商協議は現在、米農産物の輸入拡大などを柱とする「第1段階の合意」の日程も流動的になっている状況ですが、今後の動きをどうみていますか。A:トランプ氏が農業分野などで暫定的な合意をまとめても驚きません。為替操作の禁止も含まれるでしょうが、中国はもう為替操作をしていません。トランプ氏は史上最大の偉業だと言うでしょうが、国内政治向けの宣伝です。トランプ氏にとって、貿易は経済問題というよりも政治姿勢を示すシンボルにすぎない。短期的な取引の観点でしかとらえていません。 トランプ氏のコア支持層は、『これまで米国はカモにされすぎた。トランプはいいディール(取引)をしている』と言うかもしれません。でも、トランプ氏が中国とまとめようとしているディールは、結局は農産物の輸入を以前の水準まで戻せるかどうかが焦点です。中国は米国には報復関税をかける一方で、米国以外の国には関税を下げている。これを成果と呼べるのでしょうか。トランプ氏の通商政策は、国際的な協調の枠組みを壊すだけでなく、米国の国益そのものを害している。Q:中国に対抗すべき当の米国の民主主義そのものがきしんでいませんか。A:米国には中国のような『中核的な指導者』はいません。あるのは『統治の仕組み』。議会、裁判所、州政府、地方の首長、民間セクター。米国の革新的な動きはそこで起きています。だから米国のシステムには回復力があり、権力のチェック・アンド・バランスもあります。むしろ心配なのは、脆弱な国際社会のシステムです。Q:中国の台頭でシステムが揺らいでいるということですか。A:今ある国際システムを壊さないことが米中双方の利益です。中国は国際システムを都合良く利用し、さらに『一帯一路』のような自国流システムも築きつつあります。しかし、最も問題なのは、トランプ政権が国際システムを葬り去ろうとしていることです。 安全保障で米国が支援をする国際的な枠組みが弱体化すれば、日本、韓国、東南アジアはどうすればいいか。多くの国々が針路を改めて検討しなければならなくなる。現代の『朝貢体制』、中国が支配する秩序はだれも望んでいないでしょう。(聞き手・青山直篤、沢村亙) *ロバート・ゼーリック:1953年生まれ。2001~05年、米ブッシュ政権の通商代表として貿易自由化を推進。国務副長官を経て、07~12年に世界銀行総裁。(インタビュー)米中の共存共栄は幻かロバート・ゼーリック2019.11.16この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR14に収めておきます。
2019.11.18
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<『草原からの使者』>図書館で『草原からの使者』という文庫本を、手にしたのです。おお 浅田さんの短篇集ではないか♪ 2009年刊というようなエアーポケットに落ち込み、今まで見つからなかったのかも。【草原からの使者】浅田次郎著、徳間書店、2009年刊<「BOOK」データベース>より議員秘書が語る総裁選の裏に隠された秘密、若くして財閥を継承した御曹司の苦悩、高名な大馬主が競馬場で出会った謎の老人、アメリカ人の元大佐が語る“もうひとつの退役”-各界の名士が集う秘密サロン「沙高樓」で、私はまたしても彼らの数奇な運命に耳を傾けることになった…。驚愕と戦慄!玲瓏たる筆致で描かれた浅田次郎版百物語。【目次】宰相の器/終身名誉会員/草原からの使者/星条旗よ永遠なれ<読む前の大使寸評>おお 浅田さんの短篇集ではないか♪ 2009年刊というようなエアーポケットに落ち込み、今まで見つからなかったのかも。rakuten草原からの使者「星条旗よ永遠なれ」。主人公はニッポン占領時のGIという異色の1篇ですが、その語り口を見てみましょう。p240~242<星条旗よ永遠なれ> 孫。はい、孫は6人もいます。ここだけの話ですけれど、実はひ孫も2人。 何もそんなに愕くことはないでしょう。「10歳若くみせろ」は、アメリカ国民の合言葉です。私の場合、20歳ぐらい若く見える自信はありますがね。 ということは・・・そうです。あの不幸な第二次世界大戦も、合衆国軍人として経験しているのですよ。ウエスト・ポイントを卒業したのは1945年の6月ですから、たった2ヶ月だけですけれども、マッカーサー軍の一員としてフィリピンに駐留し、従軍章も授与されました。 日本に来たのは9月、占領軍の第1陣といってもいいでしょう。もちろん当時は日本語など何ひとつわからなかったのですが、その年のうちに今の奥さんと知り合って、翌年にベイビーができたので結婚しました。そんなわけで、日本語が急に上達したのです。 こういうケースはべつに珍しくはないけれど、ふつうは奥さんのほうが英語を覚えるもので、アメリカ兵が日本語を話せるようにはならないですね。つまり、私はそれくらい奥さんを愛していたということ。 だって、考えてもみてくださいな。ついこの間まで戦争をしていたアメリカ兵と結婚するなんて、それだけでも奥さんは後ろ指を指されるわけでしょう。だから私は、せめて奥さんをアメリカ人にはせずに、私ができるだけ日本人になろうとしたのです。 奥さんの名はハルコ。スプリングではなくて、晴れた空の晴子さん。アメリカ人は言いづらいので、「ハル」と呼びます。 ハルコさんと結婚したことで、私の予定もずいぶん変わりました。というよりも、当分の間は帰国せずにGHQ勤務、というのが結婚を許可する軍の条件だったのですね。誰だって長いこと海外に駐留するのはいやですから、日本人のガール・フレンドがいるという噂がたてば、上官のほうからそういう条件を持ち出したものでした。 2年間勤務すればハルコさんを連れて帰国できる、という話だったのですが、実のところはそうもいかなかった。なぜかというと、その2年の間に私が日本語をすっかり覚えていまったから。 当時は通訳の少ないことがGHQの悩みの種だったのです。日経二世の兵隊は大活躍しましたが、数に限りがある。そこで大学出の日本人なら役に立つだろうとというわけで大募集したのはいいが、いざ面接してみると「グッド・モーニング」がせいぜいでした。そりゃあそうですよ。敵性語は高等教育でも教えられていないし、少し歳上の人たちは忘れてしまっているんですからね。読み書きはいくらかできても、会話となると彼らはからきしでした。 そんなわけで、私は帰国予定の3年目からは立派な通訳要員です。いつまでたっても帰れるわけがありません。ましてやGHQのお偉方は南部出身の差別主義者が多かったので、生粋の白人将校である私は司令部付を命ぜられて大忙しでした。 アメリカ大使館の向かいにあった将校宿舎に寝泊りして、週末だけハルコさんの待つ立川のキャンプに帰るという毎日です。 ダグラス・マッカーサー。知っているも何も、私のボスですよ。もちろん尊敬しています。永遠に。
2019.11.17
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図書館で『宇宙建築』というビジュアル本を、手にしたのです。おお 月や火星への移住計画について、大学の建築学科や企業が真面目に論じていることが、SFチックやでぇ♪【宇宙建築】土谷純一×十亀昭人著、東海大学出版部、2019年刊<商品の説明>よりシリーズ2巻目の本書では1巻目に引き続き、宇宙建築賞の第3回「月面基地」、第4回「火星基地」の入賞作品を取り上げるとともに、審査員の作品に関する解説や、宇宙建築に関わる研究者などの対談も掲載する。<読む前の大使寸評>おお 月や火星への移住計画について、大学の建築学科や企業が真面目に論じていることが、SFチックやでぇ♪amazon宇宙建築火星への移住といえば・・・もうSFの世界ではないか♪p52~53<DIG + DEPOSIT:宮本英昭> ■地球をバックアップする 見透せない未来に向けて、この地球の存在とそこに息吹く神秘の存在証明を、地球外の地に預託depositする。 壮大なビジョンで動き出した本プロジェクトでは、人間の居住地を建設するだけでなく、地球上で栄枯盛衰してきたあらゆる人間文明の軌跡を刻んだ資料や、奇蹟としかいいようのない生命の歴史物語を紡ぐ動植物の遺伝情報を、保存し、アーカイブしてゆく。段階的に建設される施設には、移住する人々が地球からの植物の種子や動物の生殖細胞を持参し、「地球のアーカイブ」を少しずつ完成させていく。 いつか地球を復元する必要が生じたとき、火星に預託されていた「アーカイブ」が引き出され、新しい地球の未来を描く原料となる。 カテナという天然の陥没構造を利用して、地下に横穴式の住居群を作成するというアイデアが提案されています。火星に居住する上で難点となるのが、厳しい放射線環境と温度環境ですが、地下に居住環境を設置することで火星レゴリスの持つ高い放射性遮蔽効率と熱容量を利用することができ、安全な空間を作成できるとするものです。 アイデアが明瞭でプレゼンテーションの完成度も高いため、審査委員の強い支持を集めました。 近年の科学探査で得られた知見が背景にうまく取り入れられている点も、評価されました。たとえば中緯度帯の地下に氷が広く存在する可能性が指摘されていることから、その氷を放射線の遮蔽や採光に利用することを想定していたり、火星リゴレスの化学組成の特徴を生かし、自由な造形を可能にするコンクリートを作成することなどが提案されています。 具体的な建設地点として中緯度帯のフレゲソン・カテナが挙げられていますが、この地域は数キロメートル程度の幅で直線状にくぼんだ地形が広がっている場所ですから、確かに提案されている横穴式の構造を作るのに適した地形と言えるでしょう。 将来の都市建設まで視野に入れ、いくつもの構造に増殖する発展性も記載されています。こうした構造が必用とされる背景として、人類文明や地球生命DNAなど地球上の活動をアーカイブ化して火星に持ち込み、いわば地球のバックアップを作成するのだ、という主張も興味深く拝見しました。以前に読んだ『火星で生きる』という本にも移住が語られています。【火星で生きる】スティーブン・ペトラネック著、朝日出版社、2018年刊<「BOOK」データベース>より 2027年、流線形の宇宙船が火星に降りていくーいまや問題は火星に「行く」ことから、そこでどう「暮らす」かへと移った。 イーロン・マスク、ジェフ・ベゾス、マーズワンといった民間プレーヤーが宇宙をめぐって激しく開発競争を展開するなか、新型ロケットやテラフォーミング技術など、火星移住に向けた準備は着々と進んでいる。駆り立てるのは地球の危機と人類の探求心。数々の科学誌編集長を歴任したジャーナリストが、宇宙開発史から環境的・経済的な実現可能性まで、「最後のフロンティア」火星の先にある人類の未来を活写する。<読む前の大使寸評>表紙にTED Booksとシリーズ名が見えるとおり、いかにもアメリカの本でんな。…と、言いつつも借りた反米の大使でおます。rakuten火星で生きる『火星で生きる』6:イーロン・マスクの火星入植構想p76~78『火星で生きる』5:第8章「ゴールドラッシュの再来」p172~177『火星で生きる』4:第6章「火星で生きる」p86~89『火星で生きる』3:民営化する宇宙開発競走p38~43『火星で生きる』2:夢の続きp13~15『火星で生きる』1:イントロダクション 夢p8~10火星に取り残された宇宙飛行士のサバイバル・ドラマとしては『オデッセイ』を観たがお奨めです。『宇宙建築』1
2019.11.17
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図書館で『宇宙建築』というビジュアル本を、手にしたのです。おお 月や火星への移住計画について、大学の建築学科や企業が真面目に論じていることが、SFチックやでぇ♪【宇宙建築】土谷純一×十亀昭人著、東海大学出版部、2019年刊<商品の説明>よりシリーズ2巻目の本書では1巻目に引き続き、宇宙建築賞の第3回「月面基地」、第4回「火星基地」の入賞作品を取り上げるとともに、審査員の作品に関する解説や、宇宙建築に関わる研究者などの対談も掲載する。<読む前の大使寸評>おお 月や火星への移住計画について、大学の建築学科や企業が真面目に論じていることが、SFチックやでぇ♪amazon宇宙建築オニール・シリンダー構想「宇宙建築の展望」として大貫、春山、大野、佐々島、高橋、諸氏の座談を、見てみましょう。p41~45<スペースコロニーへの挑戦> 鈴:早速ですが、今の時点(2019年5月)で、まずホットな話題として、先週のジェフ・ベゾスがスペースコロニーの提案をしたニュースがあるのですが、そのあたりのことから話を進められればと思います。暁:あれは驚きましたね。大:私もニュースで見ただけなのですが、詳細はどんな感じでしたでしょうか?鈴:本来の目的だった有人月面着陸機ブルームーンの大きなモックアップが披露されて詳細が発表されたのも興味深かったんですが、私が注目したのは、彼らが描いたスペースコロニーの紹介ですね。1970年代にプリンストン大学のジェラルド・K・オニールが発表したオニール・シリンダー構想と似ていて、人工重力を発生させ、何百万人もの人が住むという壮大なものです。やっぱり来たか、という感じでした。大野さんは人工重力の提案で第4回の宇宙建築賞に入選されていますね。大:そうですね。おそらくこの本にも掲載されているのかと思いますが、火星での人工重力施設の提案を行っています。高:大野さんはいつから宇宙建築に興味を持たれていたのですか?大:自分は子どもの頃から宇宙が好きでいつもこのようなことを考えていました。鹿島建設では日ごろ地上建築の設計を行っているのですが、ありがたいことに最近は上司から段々と認知されて来ていまして、「仕事にしていいよ。宇宙関係で会いたい人がいたら誰でも会ってきていいから」とまで言われています。鈴:すごいですね! 恵まれた環境ですよ。全:確かに!春:でも最近そういう建設関連の会社が、月探査や月開発を見越した研究などに取り組むことも増えてきましたよね。確かJAXAで考えている宇宙のAVATER Xの企画などでも、大林や大成などが参加していたかと思います。暁:竹中や清水は私の上司も所属している向井千秋さんのスペースコロニーセンターにも参画していますね。大:鹿島も数年前からお世話になっています。技術研究所では自動化建設機械によって月面に有人拠点を建設するための研究を行っています。鈴:イーロン・マスクやジェフ・ベゾスの宇宙居住や持続可能な宇宙経済開発のビジョン、政府主導で目指しているいくつかの月開発の動きなどがありますが、いよいよ日本の総合建設会社(ゼネコン)が活躍する時代が来たと言えそうですね。(中略)<宇宙建築への展望> 鈴:あともうひとつ、キーワードとして挙げておきたいのがSDGs(持続可能な開発のための2030アジェンダ)ですね。これは持続可能な未来のために国連が定めた国際社会共通の17の目標ですが、宇宙居住についてもSDGsの観点が必用だと思います。資源の枯渇や、人口爆発、食糧不足、環境汚染などの解決として始まった宇宙開発の当初の理念があると思うのですが、宇宙開発はSDGsの17の目標に貢献していると言えます。春:そういったいくつかの問題解決に宇宙開発が貢献するという位置づけとともに、私はひとつ大きなゴールを決めて、それに向かって本当に必要な技術を集約させていくという事も必用だと思っています。 最近、宇宙飛行士の向井千秋さんと話していたときに、小さな技術のステップバイステップだけでは、人はいつまで経っても宇宙に住めないんじゃないか、そこに必用なのは月面都市のような大きな目標を決めて、そこから遡って今、そのために必用な技術開発を進めていくことなんじゃないかということを議論しました。
2019.11.16
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図書館で『ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)』という本を、手にしたのです。おお ゆるかわアートってか・・・太子のツボが疼くのでおます♪【ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)】雑誌、新潮社、2019年刊<出版社>より全世界の「KAWAII」もの好きのみなさま、お待たせしました。来年の東京五輪より一足早く、2025年の大阪・関西万博より何足も早く、誌上「ゆるかわアート万博」の開催を、ここに宣言いたします!<読む前の大使寸評>おお ゆるかわアートってか・・・太子のツボが疼くのでおます♪shinchoshaゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)「02 もう一つのゆるかわ大国:板倉聖哲」で韓国の民画を、見てみましょう。p58~61<変幻自在な民画の楽しみ> つづきまして、韓国のゆるかわを見てゆきましょう。そもそも韓国は、もう一つのゆるかわ大国と言っていい。嘘だと思ったら、柳宗悦が創設した東京駒場の日本民芸館に行ってみてください。民画など朝鮮半島の美術が並ぶ一部屋があって、ゆるかわなものがいつでも見られますから。 もともと高麗・朝鮮の美術は、高麗時代に制作された高麗仏画にせよ高麗青磁にせよ、朝鮮王朝の山水画にせよ、中国を規範とする要素が非常に強く、それが正統的な表現として君臨していた。その一方で、民間にはとても愛らしい、親密な表現が残っており、両者が文化の階層性の中で各々展開していたと考えられる。 ところが韓国の美術史で扱う対象もまず仏画・青磁・山水画などで、民間絵画は漏れ落ちてしまっていました。そんな民間の絵を「民画」と呼び、率先して評価した人物が柳宗悦だったんですよね。 元々「民画」は大津絵のような民衆的絵画を指すのに柳が作った言葉でしたが、韓国で失われようとしていた表現を、柳が初めて美の俎上に載せたことは、やはり特筆すべきと思います。 そしてその背景には、正統的な表現と民間的な表現の垣根が低い日本ならではの、ゆるかわ的感性があったと言っていいでしょう。(中略)≪虎図≫ さて、東洋パビリオンのフィナーレは、バリバリの民画≪虎図≫に飾ってもらおうと思います。これは柳とともに民芸運動を推し進めた工芸作家の芹沢桂介が買った作品。朝鮮絵画の虎も、江戸時代の画家たちにずいぶん影響を与えていますが、さすがにここまではじけた表現はしていない。でも、ゆるかわですか、これ? ちょっと自分の感覚に自信が持てませんけど(笑)、「民画の世界へ、ようこそ!」って感じで、いかがでしょう。『ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)』1
2019.11.16
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図書館で『ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)』という本を、手にしたのです。おお ゆるかわアートってか・・・太子のツボが疼くのでおます♪【ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)】雑誌、新潮社、2019年刊<出版社>より全世界の「KAWAII」もの好きのみなさま、お待たせしました。来年の東京五輪より一足早く、2025年の大阪・関西万博より何足も早く、誌上「ゆるかわアート万博」の開催を、ここに宣言いたします!<読む前の大使寸評>おお ゆるかわアートってか・・・太子のツボが疼くのでおます♪shinchoshaゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)「01 庶民から上様まで『これでいいのだ』」で矢島新×金子信久の対談を、見てみましょう。p30~31<「ふにゃかわ」で行こう!> ≪つきしま絵巻≫矢島:「古」「拙」という言葉が出たところで、ぐっと時代を遡り、「ゆるかわ」の歴史を辿り直してみましょうか。奈良時代の≪絵因果経≫の絵をうまいという人もいますが、どうですか? おそらく写経生のような書の専門家が描いた絵で、むしろ素人的なところが魅力かなと私は思うんですけど。金子:奈良時代は絵の遺品があまりに少なくて、スタンダードなレベルが分からない。当時の人はこれを見てどう思ったんでしょう。矢島:分かったら面白いけどね。いずれにしろ、意識してゆるく描いているわけじゃなく、結果として素朴味が残ったんだろうと思います。金子:意図してかわいく描いたものと意図せずそう見えちゃうものがごっちゃになって、いまはとにかく面白ければいいみたいな風潮があるから、こうした絵の魅力はどこから来るんだろうと考えることは、すごく大事なことだと思いますね。矢島:時代をくだって平安朝の≪源氏物語絵巻≫も、引目鉤鼻が私はかわいいと思うんだけど、授業でそう言い張っても学生さんに賛成してもらえないので(笑)、一気に飛んで室町時代の絵入本『かるかや』と≪つきしま絵巻≫を挙げます。これなら文句ないでしょう。 16世紀のほぼ同時期の絵だと思いますけど、この2作は性格がちょっと違うんじゃないかな。『かるかや』は一生懸命描きながら、通常で言われるところの技術がなくて素朴な絵になっているんだろうと。≪つきしま≫の絵描きはね、自分のスタイルに自信を持っている気がするんですよ。 この絵巻は結構長いですけども、それなりに安定したスタイルを貫いているし、意外とためらいのない描線にも見えます。素朴味を意図したとまで言えるかは分からないですけど、ちょっとそんな匂いがする。金子:物語絵って、極論を言えばストーリーを説明するための記号でもいい。必用最小限の形で、ここに人間がいると分かればいい。そうした作画を繰り返していく中で、プロの描き方とは違う、ある種「ゆるかわ」な描き方に落ち着いていくという想像もできます。矢島:16世紀は「わび」の美意識が確立してくる時代でしょう。茶の湯の「わび」ってすごく高尚なイイメージで語られるけど、素朴を愛するという部分が大きいですよね。それまでずっと「唐物」という中国の完璧な美の光線を、日本は浴びてきたわけですよ。それゆえ逆説的に、ひびや染みがあったりとか、不完全なものを良しとする価値観の転換がおきた。 『かるかや』や≪つきしま≫のような表現が、それと同じ時代に出てくるっていうのがとても面白い。一方に狩野永徳が信長や秀吉のために描いた豪華な障壁画とかがあって、一方にこうした素朴絵を愛する人たちもいたわけです。金子:私は「素朴」っていう概念そのものが、必然的に相対的なものだと思います。それゆえ、私にとって「素朴」は悩みの塊でもありまして。『かるかや』や≪つきしま≫も、現代人の目から見ればめちゃくちゃいいですよ。
2019.11.16
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「手当り次第」でしょうか♪<市立図書館>・草原からの使者・ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)<大学図書館>・そしてバトンは渡された・宇宙建築図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【草原からの使者】浅田次郎著、徳間書店、2009年刊<「BOOK」データベース>より議員秘書が語る総裁選の裏に隠された秘密、若くして財閥を継承した御曹司の苦悩、高名な大馬主が競馬場で出会った謎の老人、アメリカ人の元大佐が語る“もうひとつの退役”-各界の名士が集う秘密サロン「沙高樓」で、私はまたしても彼らの数奇な運命に耳を傾けることになった…。驚愕と戦慄!玲瓏たる筆致で描かれた浅田次郎版百物語。【目次】宰相の器/終身名誉会員/草原からの使者/星条旗よ永遠なれ<読む前の大使寸評>おお 浅田さんの短篇集ではないか♪ 2009年刊というようなエアーポケットに落ち込み、今まで見つからなかったのかも。rakuten草原からの使者【ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)】雑誌、新潮社、2019年刊<出版社>より全世界の「KAWAII」もの好きのみなさま、お待たせしました。来年の東京五輪より一足早く、2025年の大阪・関西万博より何足も早く、誌上「ゆるかわアート万博」の開催を、ここに宣言いたします!<読む前の大使寸評>おお ゆるかわアートってか・・・太子のツボが疼くのでおます♪shinchoshaゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)【そしてバトンは渡された】瀬尾まいこ著、文芸春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も名字が変わった森宮優子、十七歳。だが、彼女はいつも愛されていた。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作。<読む前の大使寸評>図書館予約1036位ってか、1年近く待つんやろか?・・・・11/15大学図書館で見っけ♪<図書館予約:(4/19予約、11/15大学図書館で見っけ)>rakutenそしてバトンは渡された【宇宙建築】土谷純一×十亀昭人著、東海大学出版部、2019年刊<商品の説明>よりシリーズ2巻目の本書では1巻目に引き続き、宇宙建築賞の第3回「月面基地」、第4回「火星基地」の入賞作品を取り上げるとともに、審査員の作品に関する解説や、宇宙建築に関わる研究者などの対談も掲載する。<読む前の大使寸評>おお 月や火星への移住計画について、大学の建築学科や企業が真面目に論じていることが、SFチックやでぇ♪amazon宇宙建築************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き407
2019.11.15
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日本語学者の金田一秀穂さんがオピニオン欄で「やさしさだけでいい?」と説いているので、紹介します。(金田一さんのオピニオンを11/14デジタル朝日から転記しました)外国人抜きでは成り立たなくなった日本社会。たどたどしい日本語はさほど珍しくなくなった。外国人との共生が叫ばれる中、日本語を学ぶことについて考えた。■「やさしさ」だけでいい? 金田一秀穂さん(日本語学者) 最近は、「やさしい日本語」が注目されています。 東京五輪を前に急増する訪日観光客や在留労働者向けに使いましょうと自治体などが呼びかけています。 ことばの大きな役割は情報伝達ということです。今、日本には日本語を母語としない多くの人々が暮らしていますが、全員が日本語を十分に使えるわけではありません。「やさしい日本語」がその真価を発揮するのは、地震や台風といった災害時です。 日本は災害大国で、外国人はどこにいても被災者になる可能性があります。阪神淡路大震災や東日本大震災では、多くの外国人が亡くなり、避難所で日本語が理解できず、苦労した人もいました。災害時の言葉は人命に直結するからこそ「やさしい日本語」が求められるのです。 ただ、日本語をやさしくするのは容易ではありません。80年代に当時の国立国語研究所の野元菊雄所長が、外国人向けに「簡約日本語」を提唱したことがありますが、一般の人たちからの評判がやたら悪く、普及しませんでした。 外国人が増えれば、状況は変わるかもしれません。私が働く学校のアジアや欧米の留学生たちの共通語はすでに「やさしい日本語」です。共通の言葉が日本語だからです。そこから私たちが思いもよらなかった新しい表現が生まれ、日本語の潜在能力を引き出す可能性があります。 言葉とは、常に移り変わりゆくものです。時代によってその意味や使い方が変わることは避けられません。例えば、「はずい(恥ずかしい)」「キモい(気持ち悪い)」といった短縮言葉が生まれたのは、情報伝達の効率化が一因とされます。 「食べさせていただきます」や「コンビニさん」といった過度な言葉の「丁寧化」が最近目立つのは、円滑な人間関係を維持するための知恵ではないかと感じます。こうした変化は、言葉が「生きている」証拠といえます。 日本語の「やさしさ」や「わかりやすさ」の追求もこうした変化の一環ですが、私は疑問を感じます。「ワンフレーズ政治」と言われた小泉純一郎首相の頃から政治家の言葉は、やさしくなり、分かりやすくなりましたが、思考の深みはなくなりました。 言葉は、通じればいいというコミュニケーションの道具である以前に、私たちが考えたり、感じたり、判断したりするための道具です。多くの語彙、複雑な言葉があるからこそ、すぐれた政治や哲学を作り出すことができるのです。 難しい言葉は敬遠し、ただ「やさしさ」を目指す。こんな「やさしい」日本語が広がってしまうと、日本人の思考力や感受性がおそろしく粗雑で雑駁なものになってしまうでしょう。(聞き手・諏訪和仁) *金田一秀穂:1953年生まれ。杏林大学教授。国内外で日本語を教え、テレビにも出演。「おとなの日本語」など著書多数。(オピニオン)にほんごをまなぶ金田一秀穂2019.11.14この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR14に収めておきます。
2019.11.15
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図書館で『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』という長いタイトルの本を、手にしたのです。おお 表紙全体がこの本のタイトルではないか♪ ちょっとやりすぎではないかと思うが強烈な「掴み」ではある。【「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本】山下泰平著、柏書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より漱石・鴎外を人気で圧倒しながら今では知名度ゼロの“明治娯楽物語”。その規格外の世界をよみがえらせる。朝日新聞&ジブリも注目する異才が描く、ネオ文学案内。<読む前の大使寸評>おお 表紙全体がこの本のタイトルではないか♪ ちょっとやりすぎではないかと思うが強烈な「掴み」ではある。rakuten「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本「第4章 地獄に落ちそうな勇士ども」から緒方力丸を、見てみましょう。p127~129<若き山田一族の秀作「緒方力丸物語」> 次に紹介するのは光り輝くヤクザが悪徳キリスト教団を討ち滅ぼす物語だ。 明治42~43年にかけて刊行された『緒方力丸弘行』『魔風軍藤太』『黒姫山の旗揚』『浪花の大潮』『後の大潮』の五部作で、書名をいちいち書くのも煩雑だから、ここではまとめて『緒方力丸物語』と呼ぶことにする。 さしあたり『緒方力丸物語』の作者について紹介したいところなのだが、実はこの作品、誰が作ったものなのかすらはっきり言うことはできない。 クレジット上では、玉田玉秀斎が講演し、前半は中尾甚三郎、後半は山田唯夫が速記者となっている。この三名の作者は、何度か登場している立川文庫と関係が深い。立川文庫は一世を風靡した少年少女向けの講談速記本で、そのシリーズ発刊数は約200巻にも及ぶ。それだけ続いたことからも分かるように、立川文庫は売れに売れ、長く読み継がれた。現代の日本における知名度も、講談速記本の中では抜群だ。 立川文庫を執筆したのは、今でいうところの創作集団である。玉田玉秀斎がブレーン、玉秀斎の後妻である山田敬がプロデューサーとなり、敬の連れ子たちが執筆するというスタイルであった。山田唯夫は敬の連れ子の一人、彼にとっては玉田玉秀斎は義理の父にあたる。 中尾甚三郎というのは、おそらく創作集団の一員であった中尾享だろう。海軍中佐の次男で東京麹町の産まれ、正則中学から早稲田大学に入ったが、どうも面白くなく学校を中退してしまい、大阪までやってきたという人物で、それなりに小説なども読み、書き物もしていたようだ。 『緒方力丸物語』の速記者が、前後半で中尾甚三郎から山田唯夫に変わっている理由は謎だ。当初から共作していたのか、まだ書き手として未熟であった中尾甚三郎が原稿を放り出したため、その後を山田唯夫が引き継いだのかは推測するしかない。 以上のような理由から、この物語を誰が書いたのか、断定することはできない。とりあえずここでは、山田一族が書き上げたとしておこう。 書かれた時期も、『緒方力丸物語』を理解するための重要な要素だ。『緒方力丸物語』は、立川文庫が登場する2年前に出版されており、山田一族の修業時代ともいうべき期間に当たる。『緒方力丸物語』は後に立川文庫の作者として名を馳せる山田一族による、若き日の才能の煌きともいうべき作品なのである。ウーム カバヤ文庫なら読んだことがあるのだが、一世を風靡した立川文庫とやらは見たことがないのです。・・・古本屋で探すしかないで。『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人が…』1
2019.11.15
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図書館で『モース・コレクション』という大型ムックを、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・明治期の民具、家具など、また庶民の写真が満載である♪同種のモース本のなかでも、質、量ともにすぐれた1冊でおます。ところで帰って調べると、この本をかりたのは2度目であることが判明しました(またか)・・・で、(その3、4)としています。【モース・コレクション】国立民族学博物館編、小学館、1990年刊<「BOOK」データベース>よりムック本につきデータなし。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・明治期の民具、家具など、また庶民の写真が満載である♪同種のモース本のなかでも、質、量ともにすぐれた1冊でおます。rakutenモース・コレクションモースさんの土産話が述べられているので、見てみましょう。p42~43<モースの土産話:守屋毅> 1877年(明治10年)の晩秋、エドワード・シルヴェスター・モースは、最初の日本滞在を終えてアメリカに帰った。モースの住居は、アメリカの東海岸、ニューイングランドのセイラムにあった。ボストン近郊の古い港町である。 翌年の春、ふたたび日本に旅立つまでのあいだ、モースは、地元セイラムやボストンの学会・研究所からたびたび帰国報告が求められた。すでにモースは、若くしてニューイングランドの有名人であった。そのモースの土産話が多くの人々の関心を集めたのも当然である。 モース来日の当初の目的は、シャミセンガイの研究にあった。彼は日本から持ち帰った「生きたシャミセンガイ」の標本を見せて、聴衆を驚かせた。また、大森貝塚の発掘直後の帰国だったから、その出土物も話題になった。 しかしまたモースは、日本人の暮らしや文化についての、いわゆる民族学的な見聞を語った。人々もモースの異国譚を期待していたし、さらにモース自身が、わずか半年たらずの日本滞在中に民族学への関心を急速に深めていたからでもあった。モースは日本訪問をくりかえしながら、しだいに民族学者に変身していくのである。 セイラムのエセックス研究所の「年報」は、モースの帰国講演の様子を、そのつど、なまなましく伝えている。 あるときモースは、日本の「小さな漁師町の住民から、高度に教育を受けた宮廷人」にいたる人々の様子を話題にした。そして彼は「国中に散在する寺院や神社についても、写真を示して説明し」、さらに「日本人の民族性、彼らの衣裳、生活の様式」などにも言及して、その講演を結んだという。 また別の機会に、モースは「日本人が、竹と松といったまったくありふれた素材を装飾品に利用する方法、ごう普通の商売人が商品の陳列にみせるすぐれた趣味など、その民族の芸術的な手法」についてのうちとけた話をした。 このとき、モースは「ワラやキノコ、その他の材料で作った製品の見本」を示したという。「日本の庭や小道、門口、塀、そして住居の室内装飾も、また図示された」とも記録されている。 これらの講演にあたって、モースが「ワラやキノコ、その他の材料で作った製品の見本」を示したというのは、当面の話題からして、とりわけ注目すべきことであろう。それは、すでにこの時点で、モースの日本民具への評価がうかがえるからであり、しかもモースがはやくも民俗資料の収集を開始し、それをセイラムに持ち帰っていたことを物語っているからである。彼は、これらの講演を行ったエセックス研究所に、大量の和紙の標本を寄付したという。 のちにモース・コレクションと呼ばれるようになる日本民具の収集は、彼の最初の来日中からはじまっていたのである。『モース・コレクション』3:モースさん到来時の日米の状況『モース・コレクション』2:日本におけるモース・コレクションの研究p142~143『モース・コレクション』1:生命なきの力p141
2019.11.14
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・樹木希林『一切なりゆき』(2/27予約、副本17、予約613)現在39位・川村元気『百花』(6/14予約、副本10、予約196)現在5位・伊坂幸太郎『フーガはユーガ』(7/24予約、副本34、予約462)現在238位・伊坂幸太郎『クジラアタマの王様』(7/31予約、副本1、予約197)現在99位・デービッド・アトキンソン『日本人の勝算』(8/20予約、副本14、予約157)現在79位・上田岳弘『キュー』(8/26予約、副本3、予約15)現在6位・劉慈欣『三体』(9/09予約、副本8、予約179)現在131位・森絵都『カザアナ』(9/21予約、副本11、予約109)現在71位・呉善花『韓国を蝕む儒教の怨念』(10/02予約、副本3、予約56)現在40位・橘玲「上級国民/下級国民」(10/24予約、副本16、予約283)現在260位・川上弘美『某』(10/27予約、副本7、予約70)現在61位・ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(11/13予約、副本19、予約546)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・柳美里『ねこのおうち』・有馬哲夫『原発・正力・CIA』・橋本治『黄金夜界』・有川ひろ『倒れるときは前のめりふたたび』:図書館未収蔵・中園成生『日本捕鯨史』・高野秀行「ワセダ三畳青春記」・高樹のぶ子『アジアに浸る』・書物の破壊の世界史・つげ義春『ガロ 1968 前衛マンガの試行と軌跡』・メカニズムの事典・ディック『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』:図書館未収蔵・天子蒙塵 (四):図書館未収蔵・ヘミングウェイで学ぶ英文法:図書館未収蔵・内澤旬子『ストーカーとの七00日戦争』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・八画文化会館vol.6 総力特集:レトロピア岐阜:図書館未収蔵・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・Coloring in Wadaland―和田誠カラー作品集:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』:芸工大に収蔵・阿刀田高『裏声で歌へ君が代』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・禁じられた歌(田)<予約分受取:10/02以降> ・チャイナ・スタンダード(9/22予約、10/02受取)・五日市哲雄『もの忘れと記憶の科学』(9/24予約、10/05受取)・多和田葉子「献灯使」(12/09予約、10/13受取)・多和田葉子『容疑者の夜行列車』(10/11予約、10/17受取)・落合淳思『漢字の字形』(9/20予約、10/22受取)・阿辻哲次『漢字再入門』(10/15予約、10/22受取)・日本が売られる(2/05予約、10/26受取)・『AI VS.教科書が読めない子どもたち』(2/22予約、10/26受取)・グレゴリ青山『薄幸日和』(10/30予約、11/04受取)・はすみとしこ『そうだ難民しよう!』(11/02予約、11/07受取)・そしてバトンは渡された(4/19予約、11/15大学図書館で見っけ)【一切なりゆき】樹木希林著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より「求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから」心に沁みる希林流生き方のエッセンス!【目次】第1章 生きること/第2章 家族のこと/第3章 病いのこと、カラダのこと/第4章 仕事のこと/第5章 女のこと、男のこと/第6章 出演作品のこと<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/27予約、副本17、予約613)>rakuten一切なりゆき【百花】川村元気著、文藝春秋、2019年刊<「BOOK」データベース>より大晦日、実家に帰ると母がいなかった。息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。それは母が息子を忘れていく、始まりの日だった。認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、泉は母との思い出を蘇らせていく。ふたりで生きてきた親子には、どうしても消し去ることができない“事件”があった。母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。あのとき「一度、母を失った」ことを。泉は封印されていた過去に、手をのばすー。現代において、失われていくもの、残り続けるものとは何か。すべてを忘れていく母が、思い出させてくれたこととは何か。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/14予約、副本10、予約196)>rakuten百花【フーガはユーガ】伊坂幸太郎著、実業之日本社、2018年刊<「BOOK」データベース>より常盤優我は仙台市のファミレスで一人の男に語り出す。双子の弟・風我のこと、決して幸せでなかった子供時代のこと、そして、彼ら兄弟だけの特別な「アレ」のこと。僕たちは双子で、僕たちは不運で、だけど僕たちは、手強い。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本34、予約462)>rakutenフーガはユーガ【クジラアタマの王様】伊坂幸太郎著、NHK出版、2019年刊<「BOOK」データベース>より製菓会社に寄せられた一本のクレーム電話。広報部員・岸はその事後対応をすればよい…はずだった。訪ねてきた男の存在によって、岸の日常は思いもよらない事態へと一気に加速していく。不可思議な感覚、人々の集まる広場、巨獣、投げる矢、動かない鳥。打ち勝つべき現実とは、いったい何か。巧みな仕掛けと、エンターテインメントの王道を貫いたストーリーによって、伊坂幸太郎の小説が新たな魅力を放つ。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/31予約、副本1、予約197)>rakutenクジラアタマの王様【日本人の勝算】デービッド・アトキンソン著、東洋経済新報社、2019年刊<「BOOK」データベース>より在日30年、日本を愛する伝説のアナリスト×外国人エコノミスト118人だから書けた!大変革時代の生存戦略。【目次】第1章 人口減少を直視せよー今という「最後のチャンス」を逃すな/第2章 資本主義をアップデートせよー「高付加価値・高所得経済」への転換/第3章 海外市場を目指せー日本は「輸出できるもの」の宝庫だ/第4章 企業規模を拡大せよー「日本人の底力」は大企業でこそ生きる/第5章 最低賃金を引き上げよー「正当な評価」は人を動かす/第6章 生産性を高めよー日本は「賃上げショック」で生まれ変わる/第7章 人材育成トレーニングを「強制」せよー「大人の学び」は制度で増やせる<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/20予約、副本14、予約157)>rakuten日本人の勝算【キュー】上田岳弘著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より前世に太陽と同じ温度で焼け死んだと話す少女が同級生だった「僕」は、この惑星で平凡な医師として生きていたが、いきなり「等国」なる組織に拉致された。彼らによれば、対立する「錐国」との間で世界の趨勢を巡り争っており、その中心には長年寝たきりとなっている祖父がいるという。その祖父が突然快復し失踪、どうやら私の恋人を見つけたらしい。一方、はるか未来に目を覚ました自称天才の男は迎えに来た渋い声の異郷の友人と共に、“予定された未来”の最後の可能性にかけるため南へ向かい、途中、神をも畏れぬ塔を作り重力に抗おうとしたニムロッドの調べが鳴り響く。時空を超えた二つの世界が交差するとき、すべては完成する…?<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/26予約、副本3、予約15)>rakutenキュー【三体】劉慈欣著、早川書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。数十年後。ナノテク素材の研究者・汪森(ワン・ミャオ)は、ある会議に招集され、世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。その陰に見え隠れする学術団体“科学フロンティア”への潜入を引き受けた彼を、科学的にありえない怪現象“ゴースト・カウントダウン”が襲う。そして汪森が入り込む、三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?アジア圏の作品として初のヒューゴー賞長篇部門に輝いた、現代中国最大のヒット作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/09予約、副本8、予約179)>rakuten三体【カザアナ】森絵都著、朝日新聞出版、2019年刊<「BOOK」データベース>より平安の昔、石や虫など自然と通じ合う力を持った風穴たちが、女院八条院様と長閑に暮らしておりました。以来850年余。国の規制が強まり監視ドローン飛び交う空のもと、カザアナの女性に出会ったあの日から、中学生・里宇とその家族のささやかな冒険がはじまったのです。異能の庭師たちとタフに生きる家族が監視社会化の進む閉塞した時代に風穴を空ける!心弾むエンターテインメント。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/21予約、副本11、予約109)>rakutenカザアナ【韓国を蝕む儒教の怨念】呉善花著、小学館、2019年刊<「BOOK」データベース>より「不可逆的に最終合意」したはずの慰安婦問題をひっくり返したかと思えば、韓国の最高裁は、すでに日韓基本条約で解決済みの徴用工裁判で日本企業に対し、賠償判決を出す。一方で、文在寅大統領は中国、北朝鮮に擦り寄り、反日を加速させている。日本と韓国の関係は戦後最悪の状態にある。普通の日本人の感覚からすれば、まったく理解できない。いったいなぜなのか。ヒントは、反日主義にしなければならなかった韓国の歴史にある。それが現代にまで続き、自壊の道を辿っているのだ。韓国出身の著者がその謎を史実に基づき解き明かす。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/02予約、副本3、予約56)>rakuten韓国を蝕む儒教の怨念【上級国民/下級国民】橘玲著、小学館、2019年刊<「BOOK」データベース>より「下級国民」を待ち受けるのは、共同体からも性愛からも排除されるという“残酷な運命”。一方でそれらを独占する少数の「上級国民」たち。ベストセラー『言ってはいけない』の著者があぶり出す、世界レベルで急速に進行する分断の正体。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/24予約、副本16、予約283)>amazon上級国民/下級国民【某】川上弘美著、小学館、2019年刊<「BOOK」データベース>より名前も記憶もお金も持たない某は、丹羽ハルカ(16歳)に擬態することに決めた。変遷し続ける“誰でもない者”はついに仲間に出会うー。愛と未来をめぐる、破格の最新長編。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/27予約、副本7、予約70)>rakuten某【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】ブレイディみかこ著、新潮社、2019年刊<「BOOK」データベース>より大人の凝り固まった常識を、子どもたちは軽く飛び越えていく。世界の縮図のような「元・底辺中学校」での日常を描く、落涙必至のノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/13予約、副本19、予約546)>rakutenぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡200予約分受取目録R19好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。
2019.11.14
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図書館で『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』という長いタイトルの本を、手にしたのです。おお 表紙全体がこの本のタイトルではないか♪ ちょっとやりすぎではないかと思うが強烈な「掴み」ではある。【「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本】山下泰平著、柏書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より漱石・鴎外を人気で圧倒しながら今では知名度ゼロの“明治娯楽物語”。その規格外の世界をよみがえらせる。朝日新聞&ジブリも注目する異才が描く、ネオ文学案内。<読む前の大使寸評>おお 表紙全体がこの本のタイトルではないか♪ ちょっとやりすぎではないかと思うが強烈な「掴み」ではある。rakuten「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本「第2章 庶民が愛した」から信州小僧を、見てみましょう。p67~74<講談速記本「信州小僧」> 最後に紹介する松林伯海の講演による『信州小僧』(明治35年)には、インテリヤクザ軍夫ヒーローが登場する。残念ながら馬丁ではなく軍夫ではあるが、場丁と同じく、非戦闘員の主人公であることから、一連の馬丁作品とともに紹介する。 『信州小僧』は、講談速記本に属する作品だ。主人公は宮城半三、通称「信州小僧」と呼ばれる19歳の青年だ。信州小僧は壮士でありながら書生でもあり、侠客で軍人の卵でもある。(中略)■一心太助化現象 そうこうするうちに、日本軍にピンチが訪れる。日清戦争時、日本軍がとある地域を占領した際の話である。仙台出身の片腕の大尉が、仙台人を中心に構成される第二師団の軍夫を贔屓する。第二師団は民家をあてがわれているが、東京出身者が多い第一師団は野営で夜を過さなくてはならない。清国の寒さは厳しい。やがては凍死する者も出てくる。 こういうことが1週間も続くと、いよいよ我慢の限界、第一師団と第二師団の軍夫が衝突することとなる。荒れに荒れた数千の軍夫たちを、大尉はどうすることもできない。あわや乱戦、このままでは日本の勝利も危うしッ!という危機一髪の瞬間に、軍夫服を脱ぎ捨ててふんどし一丁で駆け付けたのが信州小僧であった。待った待った、この喧嘩、信州小僧が預かった。聞いて見りゃあ、どっちにも理のある同士の衝突だ、どっちを無理ともいわねえから、しばらく俺に預けてくんねぇ。(『信州小僧』62頁) と叫びながら、双方のド真ん中に大の字に寝転んでしまう。うちわの喧嘩に血を見るような、そんないらねえ捨てる命なら、国家の為に捨てなせぇ。それとも聞かずにやる気なら、この信州を血祭りに、殺してからやんなせぇ。サァ命はみんなに進ぜた。(同書62~63頁) その大胆不敵な行動と説得力のある言葉に、無頼決死の軍夫たちも驚いてしまった。流石は噂の信州小僧、年は若いが度胸がいい。小太りに太った真っ白い肌、おまけに左の腕には物凄い生首が生々しく「鮮血淋漓」の四字と並べて彫り付けてある。 その度胸と侠気に、軍夫たちは納得し喧嘩は無事に丸く収まってしまうわけだが、下手すれば凍え死にしてしまう厳寒の中、ふんどし一丁で説得にかかる信州小僧の行動は完全に狂っている。片腕の大尉の説得に応じなかった軍夫たちが、あっさり納得してしまうのも謎でしかない。現代人としては、どう解釈してよいのか迷うことだろうが、この場面にも無理がある。 実は大喧嘩の場に乗り込んで、大の字に寝転び「サァどうでもしろ、サァ殺すなら殺せッ」と絶叫するのは、明治の娯楽物語では定番の場面だ。ふんどし一丁で乗り込むというのもよくあるパターン、有名なものだと、『露西亜がこわいか』でも触れた一心太助の名場面がある。 ちょっとした行き違いから佃芝浦と魚河岸の魚屋たちが大喧嘩になった際、典型的な江戸っ子たる一心太助がやはり半纏を脱ぎ捨てるとふんどし一丁、双方の間に割って入りと大音上げて呼ばわった。太助の左の腕にはとある。 要するに信州小僧は、清国で一心太助と同じ行動をしている。ある作品の主人公が、別作品の名場面を演ずるというのは明治の娯楽物語でよくあることだ。ふんどし姿で啖呵を切ることも、定番シーンの再現にすぎない。 類似の事例として、清兵の死骸を食い続けたため凶悪な猛獣となった野犬を、信州小僧が退治するという場面もある。これも加藤清正の虎退治オマージュだ。
2019.11.14
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図書館で『モース・コレクション』という大型ムックを、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・明治期の民具、家具など、また庶民の写真が満載である♪同種のモース本のなかでも、質、量ともにすぐれた1冊でおます。ところで帰って調べると、この本をかりたのは2度目であることが判明しました(またか)・・・で、(その3)としています。【モース・コレクション】国立民族学博物館編、小学館、1990年刊<「BOOK」データベース>よりムック本につきデータなし。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・明治期の民具、家具など、また庶民の写真が満載である♪同種のモース本のなかでも、質、量ともにすぐれた1冊でおます。rakutenモース・コレクションモースさん到来時の日米の状況が述べられているので、見てみましょう。p109~122<19世紀の日本とアメリカ:園田英弘> エドワード・シルヴェスター・モースは1838年、アメリカ合衆国の東海岸にある港町のポートランドに生まれ、1925年にポートランドから南へ150キロほど離れたセイラムで没した。87年の生涯だった。 モースの生涯は、けっして波乱にみちたものではない。生涯の大半を、ニューイングランドと呼ばれるアメリカの東北部ですごし、大学教師や博物館の館長として研究者の静かな生活を送った。 しかし、モースが生きた時代はそうではない。人類の歴史としてはながらく続いてきた農業社会が終わり、工業社会に突入する時期にあたっていた。 観察と科学的合理的思考の権化であるモースは、この急速に変化しつつある世界のたぐいまれなる観察者・記録者として、私たちの前に現れた。(中略)■日本への道 19世紀の前半、西洋の多くの国にとって、日本は地球の裏側にある遠い存在であった。ここに、モースが生まれた年に出版された『地理概説』という本がある。日本については、「アジアの島々」というところにわずか9行の記述がある。ジャパンの島々は北緯31度から45度の間に横たわり、24万平方マイル、人口2500万人を擁すると考えられている。格段に大きく、もっとも重要な島はニホンと呼ばれ、その島の東側中央には首都の江戸があり、南のほうには宗教的首都のメアコがある。ニホンの北にはエゾがあり、ジャパンの皇帝に帰属している。 ジャパンとニホンの混同は、幕末までつづく誤解である。「メアコ」とあるのはミヤコつまり京都のことであろう。日本は、まだはるかに遠い存在であった。しかし、世界は急速に変化しつつあった。(中略) アメリカの日本遠征は、定期蒸気船航路が急速に定着し出した当時の時代を背景にしている。1851年5月、アメリカの国務長官ダニエル・ウェブスターは日本遠征にでかけるアメリカ海軍東インド艦隊の司令官オーリックにつぎの訓令を与えた。「外洋を行く蒸気船航路の連鎖の最後の環が完成される日は近い」。訓令の冒頭である。オーリックは途中で不都合があったので解任され、かわりに任命されたのがペリーである。 日本遠征の目的は、太平洋横断航路の寄港先と石炭の補給を確保するためであったが、これが大西洋の蒸気船航路の「成功」に裏打ちされていることはいうまでもない。(中略)■モースの見た日本 この大きな都市を見渡して、その向こうに江戸湾の海運を眺めた所は、誠に見事だった。煙突は一本もなく、かすんでさえもいない有様は、煙に汚れた米国の都会に比して、著しい対照であった(『日本その日その日』)。 モースの日本観察記録は克明であり、観察の正確さは凡百の日本見聞記の中では群をぬいている。そして、モースの日本を見る枠組みは、この引用文につきている。アメリカの工業化によってアメリカが失ってしまったものを、モースは明治の日本に見いだしているのである。「煙に汚れた米国の都市」に比べて、明治日本の都市はまだきれいである。 モースは明治10年、11~12年と、明治15~16年の3度、日本を観察する機会をもったが、いずれも明治10年代の日本であった。モースが見た日本は近代化をはじめたとはいえ、工業化以前の日本であった。人口の爆発的増加はなく、労働人口の多くは農業に従事していた。就業者の中で農業・林業・水産業などの第1次産業が5割を切るのは、日本では1930年のことであった。『モース・コレクション』2:日本におけるモース・コレクションの研究p142~143『モース・コレクション』1:生命なきの力p141
2019.11.13
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図書館で『AIが同僚』という本を、手にしたのです。この本は「日経ビックデータ」の連載記事をもとに構成されているので、企業寄りのスタンスかもしれないが・・・情報学のプロが説くAIは、果して夢の技術か悪夢なのか?興味深いのです。この本は2017年刊とやや古くなったが、そんなに陳腐化していないだろう。【AIが同僚】池上俊介×新井紀子著、日経BP、2017年刊<「BOOK」データベース>より経営・営業・販売・人事・クリエーティブ…職場でAIってどう使われるの?活用実例が満載!「2020年、AIと働く未来は確実に明るい」<読む前の大使寸評>この本は「日経ビックデータ」の連載記事をもとに構成されているので、企業寄りのスタンスかもしれないが・・・情報学のプロが説くAIは、果して夢の技術か悪夢なのか?興味深いのです。rakutenAIが同僚かつて写真フィルムを商っていた富士フィルムが、AIとどう対峙するか見てみましょう。p159~161<環境変化を見据えた仕込が必用:古森重隆CEO> どんな企業にも本業がある。だが昨今それが永久不滅とはいえなくなった。 日本を代表する産業である自動車も例外ではない。今後、本格的にEV(電気自動車)が普及すれば、今の自動車とはかなり異なったモノになり、日本企業群が一定のシェアを握るという構図が一変する可能性がある。 我が社は、2000年代前半に本業の喪失を経験した。銀鉛を使った感光材料である写真フィルムは発明から200年近い歴史があったが、わずか5年ほどで市場があっという間に消滅した。「他社にやられるなら、自分たちでやる」。当社は、タコが自らの足を食うように、当時のフィルムカメラと匹敵する画質のデジタルカメラを先頭を切って開発した。 最初の数年はうまくいった。デジカメのトップメーカーとしてシェアが30%以上あり、写真フィルムの売り上げが減少する分はかなりカバーできた。だが、カメラ、電機メーアーが次々と市場に参入すると、競争激化で価格が急速に下落していった。そして一時は1億台を超えていたデジカメ市場も今はスマホに浸食されてその規模は3分の1以下に減少してしまった。現在、主戦場は高級機の市場に移っている。 10年、20年先に社会がどう変わるのか。その変化のなかで「自分たちがやれそうなことで何を手掛ければ、生き残れるのか」。どの企業も先行きについて真剣に考えざるを得ない。 足元ではⅠoT、AIの到来を環境変化として考えないといけない。ⅠoT時代に合った自社のキー技術は何か。我々の場合は化学や材料技術、ソフト、メカトロニクス、エレクトロニクスなどの複合技術を持っている。これらの総合力で、何ができるかだ。 もちろん単に今持つ技術で考えるだけでは十分ではなく、将来の環境変化を予測した技術の「仕込み」が必用になる。我々が手掛けている再生医療がそうであるように「仕込み」とは将来の市場拡大を見据えた投資だ。 米国では、一つの技術の役割が終われば、その会社の寿命は終わり、新しい技術を持つ会社が取って代わればいいとの考えが一般的だ。私はそうは思わない。企業には研究開発・生産・営業・業務スタッフという優れた人材がいる。この人材が他の経営資源と相まって商品を作り出す。各会社はそういう優れた価値を持っているのだ。 一つの製品が廃れたからといって、企業そのものが終わるのはもったいない。「企業はゴーイングコンサーン」。人や組織、技術、企業文化などの優れた資産を生かせば、新しい価値を見つけることができる。価値を創造し続ける装置としての機能が、企業にはある。企業サイドだけでなく広く俯瞰してみると(インタビュー)AIのわなという視野が開くのです。『AIが同僚』2:夢の技術か悪夢なのか?『AIが同僚』1:「AIが同僚」時代の働き方
2019.11.13
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図書館に予約していた『そうだ難民しよう!』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。薄い絵本のような本でありあてが外れたが、あて外れは予約本ゲットの際によくあるのです。【そうだ難民しよう!】はすみとしこ著、青林堂、2015年刊<「BOOK」データベース>より自称「被害者」「弱者」たちの実態を暴く!!はすみとしこの初イラスト&コラム集!【目次】そうだ在日しよう!/そうだ日本人しよう!/無国籍女王/そうだ被害者しよう!/そうだ慰安婦しよう!/オレたち朝鮮進駐軍/永遠のベビイ/バッカスおばさん/私の帰化した理由/シーシェパード、喋れない秘密〔ほか〕<読む前の大使寸評>薄い絵本のような本でありあてが外れたが、あて外れは予約本ゲットの際によくあるのです。<図書館予約:(11/02予約、11/07受取)>rakutenそうだ難民しよう!この本の冒頭から、見てみましょう。p4~7<そうだ在日しよう!」> 「通称名」という在日特権が存在する。在日は犯罪を犯しても日本人風の偽名(通称名)で報道され、実名報道はされないことが多い。一方、日本人は犯罪を犯せば容赦なく実名報道されてしまう。これを「特権」と言わずして何と言うべきか。 イラストの女性が持つ「緑色の何か」は、彼らの祖国のパスポート。彼らは日本人ではなく、日本国内に居住する「外国人旅行者」に過ぎない。 アダ〇トビデオの〇部などには「見てはいけないもの」として、モ〇イク処理がほどこされる。従来、在日の持つパスポートも「見てはいけないもの」として扱われてきたことから、このイラストでも配慮してモ〇イク処理をほどこした。<そうだ日本人しよう!」> 海外に行くと「TOKYO」「KYOTO」など、日本語の名前の店を目にすることがある。経営者が日本人なのかな?と思ったら大間違い。大抵がコリアンである。 海外では「日本」というブランドの評価は高い。日本人は正直で嘘をつかない。サービスは一流、商品は高品質というイメージなのだ。しかしそのブランド力は、先人たちが真面目にコツコツと働いてきてくれたお陰であり、遺産なのである。決して縁もゆかりもない外国人が軽々と拝借して良いものではない。 米国では買春施設のことを「マッサージパーラー」と呼ぶが、「マッサージパーラー・トーキョー」という店がニューヨークに実在していた。もちろん在籍する女性の大半がコリアンであったことは言うまでもない。中には「シー・シェパード云々」など納得できる章立てもありました。p22~25<シー・シェパード、喋れない秘密> シー・シェパードは喋らない。それは彼らがそういう契約を交わしているからだ。喋るとボロが出る。 シー・シェパードの活動に参加している末端のメンバーはなかなかの小金持ちで、キャンペーン参加費用の他に、交通費や滞在費、食費など全て自腹で支払っているという。こんなに支払いながらも、どんな事をされても言われても、決して反応してはならないという契約書を書かされているのだ。正にドM、もしくは狂信者である。 イラストの人物には実在のモデルがいる.男子は「マイコー」、女性は「メリッサ」。メリッサは2013年、和歌山県太地町にイルカ漁を妨害に来ていたチームのリーダーで、テキサス親父のお気に入りでもある。<実績はゼロ> シー・シェパードが今までどれだけの寄付金を集めたかは知らないが、どれだけの海洋生物を救ってきたかは明確に答えることができる。答えはゼロだ。 彼らのやっていることは正に私の大嫌いな「被害者ビジネス」の一つで、架空の「被害者」をでっちあげて、寄付金を巻き上げている。実際は鯨の数は年々増加傾向にあり、むしろ海の生態系を壊している。鯨の餌となるアジやイワシの絶対数が減り、価格が高騰し、高級食材となる日も近いだろう。 イラストの男性の名前は「ワトソン」。シー・シェパードの創設者だ。女性の名前は「キッス」。2014年、フェロー諸島にてテキサス親父の演説に吹き出してしまった女性だ。決してワトソン君のワイフではない。「商業捕鯨の再開について」水産庁HPを覗いてみました。商業捕鯨の再開についてより7月1日からの商業捕鯨の再開についてお知らせします。1.基本的考え方(1) 商業捕鯨に関する我が国の立場(※1) (ア) 我が国は、科学的根拠に基づいて水産資源を持続的に利用するとの基本姿勢の下、7月1日から商業捕鯨を再開します。 (イ) 商業捕鯨の対象海域は、我が国の領海及び排他的経済水域に限定し、南極海・南半球では調査を含め捕獲は行いません。(2) 科学的根拠に基づく捕獲可能量の算出 (ア) IWC(国際捕鯨委員会)が開発・採択した科学的算出方法(※2)に沿って実施します。 (イ) この算出方法は、100年間捕獲を継続しても資源に悪影響を与えないとIWC科学委員会が認めた極めて保守的なものです。 (ウ) この方法で算出される捕獲可能量は推定資源量の1%以下(※3)となります。※3 日本沿岸の他の水産資源に適用される算出方法の場合、漁獲可能量は推定資源量の3~30%程度。 (エ) 外国科学者によるレビューを経て、捕獲可能量を算出しました。2.商業捕鯨の捕獲枠の設定科学的算出方法によって得られた捕獲可能量から、本年実施された(ア)調査による捕獲数、(イ)定置網による混獲数、(ウ)国による留保分を控除して、本年7月1日から12月31日までの捕獲枠を設定しました。(令和元年7月1日~12月31日)・ミンククジラ(母船式・沿岸捕鯨) 52頭・ニタリクジラ(母船式) 150頭・イワシクジラ(母船式) 25頭『そうだ難民しよう!』1
2019.11.12
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図書館に予約していた『そうだ難民しよう!』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。薄い絵本のような本でありあてが外れたが、あて外れは予約本ゲットの際によくあるのです。【そうだ難民しよう!】はすみとしこ著、青林堂、2015年刊<「BOOK」データベース>より自称「被害者」「弱者」たちの実態を暴く!!はすみとしこの初イラスト&コラム集!【目次】そうだ在日しよう!/そうだ日本人しよう!/無国籍女王/そうだ被害者しよう!/そうだ慰安婦しよう!/オレたち朝鮮進駐軍/永遠のベビイ/バッカスおばさん/私の帰化した理由/シーシェパード、喋れない秘密〔ほか〕<読む前の大使寸評>薄い絵本のような本でありあてが外れたが、あて外れは予約本ゲットの際によくあるのです。<図書館予約:(11/02予約、11/07受取)>rakutenそうだ難民しよう!著者のネット炎上のいきさつを、見てみましょう。p46~50<温泉から帰ってくるといきなり「有名人」> いや~びっくりしています。今でも本当に世間で騒がれているのかってときどき思います。でも本の発売が決まったらいきなりアマゾンで上位ランキング、ああやっぱり本当なんだと(笑)。ちなみにあのイラストをアップロードしたのは9月10日。発表していきなり注目されたということではありません。それどころか、最初は大した反応もなく、炎上したころには描いたことすら忘れていたくらいです。 安保法制反対活動家の「あり得ないでしょ」のツイートで大騒ぎになったころ、実は福島の山奥に旅行中でした。9月30日から2泊3日、のんびり温泉に浸かっていました。私はスマホ、タブレットの類を持っておらず、インターネットは自宅のデスクトップせんもん。で、旅行から帰ってきて、Facebookで友達のメッセージをチェックすると、いつもはせいぜい数件あのが何十件も! 皆「大丈夫?」「大丈夫?」って。中には「大丈夫、僕がいるよ」みたいなものもありました(笑)。(中略)<絵は独学、始まりはニコニコの手書きMAD> 絵は昔から独学で学びながら描いていました。ネットでの公開は、ニコニコ動画で手書きのMADをやりだしたのが始まりです。政治にも関心を持っていて、関連の動画を見ていましたが、テレビ、新聞、雑誌で情報収集する一方、自分では何も発言していませんでした。発信していたのはアニメ系の手書きMADだけでした。(中略)<難民問題の絵を描いた動機> あの絵を描いてアップロードする前、9月の初めに難民の記事をいろいろ読んで「この人たち何かおかしいな」と思ったんです。難民の定義、広義も狭義もあるけれど、日本は政治難民しか受け入れていないはずです。だからテレビ、新聞、ラジオでやっているヨーロッパに殺到している難民って、経済難民であって、とても政治難民とは言えません。 日本でも報道され話題になりましたが、故意に難民を転ばしたり、蹴ったりした女性のテレビカメラマン。「どけ、どけ、難民様のお通りだい」みたいになっているのに疑問を感じ、私の中で大きな不満になったとあの絵がパッと私の中で浮かんだんです。理屈はありません。なんで〇〇にしたの、なんでこの文言にしたの、と皆さん聞かれるのですが、他の人はともかく、私は自分の中に降りてくるんです。あるいは夢に出てくる。完成した文字入りの絵が降りて来る。私はその絵のとおりに出力してくだけなのです。だから「なんで女の子なの」と言われても困ってしまうんです…。ウン 絵が降りて来るってか・・・その絵にプロパガンダのような文言が添えられるのが変わっているけど。でも、偽装難民非難という趣旨でアップロードしたら、火に油を注ぐようなものだぜ。著者のプロパガンダの良し悪しは別にして・・・著者のわりと古びたネット環境が、携帯を持たない主義の太子と同じなので、親近感が湧くのでおます(汗)。
2019.11.12
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図書館で『AIが同僚』という本を、手にしたのです。この本は「日経ビックデータ」の連載記事をもとに構成されているので、企業寄りのスタンスかもしれないが・・・情報学のプロが説くAIは、果して夢の技術か悪夢なのか?興味深いのです。この本は2017年刊とやや古くなったが、そんなに陳腐化していないだろう。【AIが同僚】池上俊介×新井紀子著、日経BP、2017年刊<「BOOK」データベース>より経営・営業・販売・人事・クリエーティブ…職場でAIってどう使われるの?活用実例が満載!「2020年、AIと働く未来は確実に明るい」<読む前の大使寸評>この本は「日経ビックデータ」の連載記事をもとに構成されているので、企業寄りのスタンスかもしれないが・・・情報学のプロが説くAIは、果して夢の技術か悪夢なのか?興味深いのです。rakutenAIが同僚AIは、果して夢の技術か悪夢なのか? そのあたりを見てみましょう。p28~31AIが進化する世界に人間は受動的に向き合うのか、それとも能動的に向き合うのか。結論から言うと、能動的に向き合うべきだ。これを象徴する2つのワークショップを紹介しよう。<AIに対して受動的だとディストピア、能動的ならユートピア> 一つ目は、13年に開催された「未来の結婚~Marry Me! 2050」というワークショップである。これは、技術が進化する2050年の結婚をあえて批判的にデザインした作品をつくってみるというワークショップである。このワークショップで、ある学生が「2050年にはビッグデータとDNAの分析により、生れた瞬間に結婚相手が決まっている」という世界観を構想した作品を提示した。 2つ目は、世界的なデザイン・コンサルティング・ファームIDEO社を創業したトム・ケリー氏が著わした『クリエイティブ・マインドセット想像力・好奇心・勇気が目覚める脅威の思考法』(日経BP社)の出版を記念したワークショップである。 この基調講演でケリー氏は「日本は世界でいちばんクリエーティブな国だと思われているのに、日本人だけがそう思っていない」と語り、同書で解説しているような思考法を実践した日本人ゲストスピーカーが登場した。そのうちの一人は、自分自身の容姿に自信がなあったが、ソーシャルメディアとゲーミフィケーションという新しいテクノロジーを能動的に活用して結婚相手を見つけた。 この2つのワークショップから垣間見えた世界観の格差は何だろうか。両者の違いは私たちがAIをはじめとする新しいテクノロジーに対して受動的に活用するか、あるいは能動的に活用するかの差である。 これらの事例から多くの読者が感じたように、受動的な世界からはディストピアが、能動的な世界からはユートピアが想起される。私たち人間が、同僚としてAIと働くための最初のヒントは、いかに「AIに対して能動的に付加価値を創出していけるか」ということになるだろう。 AIは、与えられた問題を解くことは得意だ。しかし、解くべき価値のある問題を見つけることはできない。問題を見つけることこそが、人間の仕事にとなる。開放的な創造の3段階目の「楽しませる」という能力は、「他人への効用とは何か」ということを抽出する力であり、社会の課題を発見する力と置き換えて考えれば分かりやすいだろう。人間の認知力こそは、最強のⅠoTであり、センサーであり、市場ニーズを発見するための装置なのである。『AIが同僚』1
2019.11.12
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図書館で『AIが同僚』という本を、手にしたのです。この本は「日経ビックデータ」の連載記事をもとに構成されているので、企業寄りのスタンスかもしれないが・・・情報学のプロが説くAIは、果して夢の技術か悪夢なのか?興味深いのです。この本は2017年刊とやや古くなったが、そんなに陳腐化していないだろう。【AIが同僚】池上俊介×新井紀子著、日経BP、2017年刊<「BOOK」データベース>より経営・営業・販売・人事・クリエーティブ…職場でAIってどう使われるの?活用実例が満載!「2020年、AIと働く未来は確実に明るい」<読む前の大使寸評>この本は「日経ビックデータ」の連載記事をもとに構成されているので、企業寄りのスタンスかもしれないが・・・情報学のプロが説くAIは、果して夢の技術か悪夢なのか?興味深いのです。rakutenAIが同僚AIが同僚時代の職場を、覗いてみましょう。p54~57<「AIが同僚」時代の働き方が議論に> 日本の労働人口の49%が人工知能(AI)やロボットなどで代替可能になる…野村総合研究所(NRI)の未来創発センターは2015年12月に、このような試算を公表した。 英オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授およびカール・ベネディクト・フレイ博士との共同研究によって、国内601種類の職業を対象として、AIやロボットなどで代替される確率を試算したものだ。 この試算の数字から考えると、将来は多くの職場で、同僚としてAIと働くことになると予想される。ここでは、この研究を実施した背景や試算を公表した後の反響、「AIが同僚」となる時代に向けて企業が取り組むべきおとなどを説明する。<社会変化に伴う新たなイノベーション機会を考える> NRIの未来創発センターでは、2030年の日本の姿を考える研究に取り組んでいる。同年に顕在化する社会問題の一つに「労働力不足」が挙げられる。 日本では人口減が叫ばれて久しい。社会の維持・発展を見据えた場合に、特に課題となるのは労働力人口の減少である。労働政策研究・研修機構の推計によれば、30年の労働人口は、14年の6587万人から、経済ゼロ成長・労働参加現状シナリオで5800万人に減少すると見込まれている。 こううした労働力不足が顕在化する将来を見据えた際に、私たち日本人には大きく2つの選択肢がある。一つは、労働力が不足する社会を維持するために、社会全体のサービスレベルを縮小させ、しなやかに縮んでいく社会を目指すこと。ただし、これを好ましい状況だと思う人は、ほとんどいないだろう。こうした状況を回避するためには、もう一つの選択肢、すなわち何らかの手段で労働力を補っていかなければならない。 労働力を補う可能性として、外国人労働者や高齢者・女性活用といった労働力の量的な補完、そしてAIやロボットといった技術の活用によって労働生産性を高める質的な補完の2種類が考えられる。そこでNRIでは、労働力の質的に補完するという考えから、現在の職業をAIやロボットで代替する可能性を推計することで、どの程度の労働力を補うことができるのかを検討し、仮にそれらの技術で代替が進んだ場合に企業や政府、社会はどのように変わっていくのかという未来社会を描くということに取り組んだ。 NRIのアプローチは、「なくなる仕事」を打ち出すことで危機感をあおることではない。労働力不足社会における新しいイノベーションの機会創出という観点で研究を行っている。 研究チームは「労働力が不足すると社会の前提条件や制約条件が変わり、その結果として企業やしゃかいにとって新しい事業機会が生まれてくるのではないか」という課題意識を抱えている。これを示す事例を紹介しよう。(中略) 「職業の約半分がAIやロボット等によって代替できる」というニュースは、我々チームの予想をはるかに超えて世の中を駆け巡った。寄せられた反応は、大きく3種類に分けられる。 まず就業者個人を中心として、自分自身の職業がリストに含まれているかをチェックし、主として自分の職業の代替可能性が妥当であるかについて、SNSを含めて様々な感想を発信していただいた。今回の分析結果は、「代替される可能性を技術的な側面だけ」から産出したものだが、「消える仕事・消えない仕事」という言葉が一人歩きした結果として、「技術面以外も含めて、実際に消える可能性」だと捉えられる傾向があった。このため、「机上の空論である」といったご批判も見受けられた。 公表した試算は、機械学習の結果であって個別の妥当性を人間が検証していない。空論ではないが、机上の計算であることに違いない。正確な発信を尽す必要性を痛感した次第である。
2019.11.11
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「近代史」でしょうか♪<市立図書館>・そうだ難民しよう!・AIが同僚<大学図書館>・モース・コレクション・「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【そうだ難民しよう!】はすみとしこ著、青林堂、2015年刊<「BOOK」データベース>より自称「被害者」「弱者」たちの実態を暴く!!はすみとしこの初イラスト&コラム集!【目次】そうだ在日しよう!/そうだ日本人しよう!/無国籍女王/そうだ被害者しよう!/そうだ慰安婦しよう!/オレたち朝鮮進駐軍/永遠のベビイ/バッカスおばさん/私の帰化した理由/シーシェパード、喋れない秘密〔ほか〕<読む前の大使寸評>薄い絵本のような本でありあてが外れたが、あて外れは予約本ゲットの際によくあるおです。<図書館予約:(11/02予約、11/07受取)>rakutenそうだ難民しよう!【AIが同僚】池上俊介×新井紀子著、日経BP、2017年刊<「BOOK」データベース>より経営・営業・販売・人事・クリエーティブ…職場でAIってどう使われるの?活用実例が満載!「2020年、AIと働く未来は確実に明るい」<読む前の大使寸評>この本は「日経ビックデータ」の連載記事をもとに構成されているので、企業寄りのスタンスかもしれないが・・・情報学のプロが説くAIは、果して夢の技術か悪夢なのか?興味深いのです。rakutenAIが同僚【モース・コレクション】国立民族学博物館編、小学館、1990年刊<「BOOK」データベース>よりムック本につきデータなし。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・明治期の民具、家具など、また庶民の写真が満載である♪同種のモース本のなかでも、質、量ともにすぐれた1冊でおます。rakutenモース・コレクション【「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本】山下泰平著、柏書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より漱石・鴎外を人気で圧倒しながら今では知名度ゼロの“明治娯楽物語”。その規格外の世界をよみがえらせる。朝日新聞&ジブリも注目する異才が描く、ネオ文学案内。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き406
2019.11.11
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先日、テレビ放映で『小さいおうち』を観たのだが・・・戦中の空気が伝わるような時代考証に驚嘆したのです。大使の場合、山田監督の人情劇もさることながら、そのリアリズムに注目するのです。大使が観た山田作品やネット記事について集めてみました。・『少年寅次郎』(2019年)・家族はつらいよ3(2018年)・家族はつらいよ2(2017年)・家族はつらいよ(2016年)・小さいおうち(2013年)・東京家族(2012年)・おとうと(2010年)・隠し剣鬼の爪(2004年)・たそがれ清兵衛(2002年)・神戸で寅さんに合ったR3:『少年寅次郎』を追記 <『少年寅次郎』>土曜日放映の連続NHKドラマ『少年寅次郎』を観ているのだが、寅次郎の出生の秘密や当時の時代考証が興味深いのです。それから、寅次郎の恥多き人生というか、他人に知られたくないコンプレックスはどのようにして育まれてきたのかも気になるわけです。・・・ということで、鑑賞フォームを作ってみました。井上真央“寅さんの世界観”に感動「永遠にここでお芝居できる」『少年寅次郎』10・19スタートより井上真央主演の『土曜ドラマ「少年寅次郎」』(NHK総合)が10月19日(土)にスタートする。今月行われた試写会には、井上をはじめ、毎熊克哉、泉澤祐希、岸井ゆきの、藤原颯音が出席し、作品への思いを語った。 本作は、山田洋次監督が小説で描いた映画「男はつらいよ」シリーズの主人公・車寅次郎の少年時代をドラマ化。映画では描かれていない寅次郎の出生の秘密から子供時代、思春期を描く。寅次郎の育ての親・車光子を井上、寅次郎の父・平造を毎熊、子供時代の寅次郎を藤原が演じる。脚本は岡田惠和、語りは原由子が担当する。(中略) 役作りについては「聖母のようなさくらさん(倍賞千恵子)を彷彿させる母親にしたかったんですが、映画を見れば見るほど倍賞さんにはかなわないですし、それがプレッシャーで…。優しさを持ちつつ、ちゃきちゃきした下町のお母さんにしようと思いました。あとは現場で子供たちと会った感覚を大事に、寅ちゃんにお母さんにしてもらいました」と。ネタバレになるが・・・羽振りのいい母親に会って辛い目に遭ういうというところが、何だか『エデンの東』を彷彿とさせるわけで・・・どこにでもあるお話なんですね。【妻よ薔薇のように 家族はつらいよ3】山田洋次監督、2018年制作<fashion-press情報>より『家族はつらいよ』は、50年以上にわたり、常にその時代に生きる“家族”を撮り続けてきた山田洋次が、国民的映画「男はつらいよ」シリーズ終了後20年ぶりに製作した喜劇映画。2017年5月に公開された『家族はつらいよ2』は、「男はつらいよ」48作、「学校」4作、「虹をつかむ男」2作につづき、山田洋次16年ぶりのシリーズ化となり話題を集めた。そんな人気を受けて、決定した続編、第3弾『妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII』の製作。本作では、妻の反乱で、“あのドタバタ一家”に史上最大のピンチが訪れる。<観る前の大使寸評>あのドタバタ一家に史上最大のピンチが訪れるってか・・・封切館で観るか、半年後に二本立て館で観るか、迷っております。fashion-press家族はつらいよ3【家族はつらいよ2】山田洋次監督、2017年制作、H29.10.04観賞<Movie Walker作品情報>より巨匠・山田洋次監督によるホームコメディの第2弾。熟年離婚の危機を乗り越えた平田家の面々が新たな騒動に巻き込まれるさまがつづられる。一家の主である周造を橋爪功、その妻・富子を吉行和子が演じるなど、個性派キャストが再集結。一家に新たな騒動を引き起こす周造の同級生・丸田を小林稔侍が演じる。<大使寸評>このまえ「家族はつらいよ1」を見たとき、シリーズ化が予感されたのだが…やはり、その2が出たか♪「家族はつらいよ」シリーズは、同じ庶民シリーズではあるが寅さんとはテイストというか、文体が違うのである。とにかく、監督のあのお年で…新しい文体でシリーズものを創るという精神年齢の若さに驚くのです。Movie Walker家族はつらいよ2【家族はつらいよ】山田洋次監督、2016年制作、H28.8.14観賞<Movie Walker作品情報>より巨匠・山田洋次監督が『男はつらいよ』シリーズ以来ひさびさに手がけるコメディ。突然の両親の離婚問題に揺れる子供たちら8人が繰り広げる騒動を描き出す。橋爪功と吉行和子が離婚の危機を迎えた熟年夫婦を演じるほか、西村雅彦、夏川結衣といった『東京家族』で一家を演じた8人のキャストが再集結し、別の家族を演じている。<大使寸評>この映画の中に小津さんの「東京家族」が劇中劇のように出てくるわけで・・・山田さんの映画としては「東京家族」その2のような作りになっています。今回のはコメディタッチで、よく笑わせてもらったが・・・もしかして「家族はつらいよ」シリーズ化を狙っているのかも?♪Movie Walker家族はつらいよ【小さいおうち】山田洋次監督、2013年制作、2015年3月1日テレビで鑑賞<movie.walker解説>より第143回直木賞に輝いた中島京子の同名ベストセラー小説を、名匠・山田洋次監督が映画化したミステリアスなドラマ。とある一家で起きた恋愛事件の行方を見守った1人の女中。60年後、彼女がつづったノートを手にした青年によってその出来事が紐解かれていくさまが描かれる。女中を黒木華、一家の若奥様を松たか子が演じる。<大使寸評>雇い主に対するたったひとつの背信を抱えて、その女中は生涯を終えたのです。彼女の生き方を定めたのは、女中という雇用環境と戦争という時代背景があったわけで・・・結婚するには、社会的環境が整っていなかったと言うべきか?movie.walker小さいおうち【東京家族】山田洋次監督、2012年制作<作品情報>小津安二郎監督の不朽の名作『東京物語』をモチーフに、山田洋次監督が現代の家族像を描くヒューマン・ドラマ。子供たちに会うために東京へやってきた老夫婦の姿を通して、家族の絆を映し出す。老夫婦に橋爪功と吉行和子、長男を西村雅彦、次男を妻夫木聡が演じるなど、新旧実力派たちが多数顔をあわせた。<大使寸評>最後のクレジット画面で、監督は山田洋次となっていたが、うかつにも山田監督の作品であることを失念したままで観た映画でした。(何しろ2本立て1000円なので、飛び込みで観にいったりするもんで―笑)この作品は小津安二郎監督へのオマージュとのことであるが・・・小津監督風に現代の『東京物語』を描いて見事な結果をだしていると思ったのです。こんな自然体の演技は、実は入念に計画されて演技しているはずではないか?・・・・監督の厳しい注文があって、役者がきっちりと応えたのでしょうね。どの役者もうまかったが、大使の一押しは吉行和子かな♪Movie.Walker東京家族東京家族予告編【おとうと】山田洋次監督、2010年制作<movie.walker解説>より名匠、山田洋次監督が「十五才 学校IV」以来10年ぶりに手がけた現代劇。吉永小百合と笑福亭鶴瓶が姉弟に扮し、切っても切れない彼らの深い絆を、姉の娘の視点から描き出す。<大使寸評>笑福亭鶴瓶の演技が忘れ難い。movie.walkerおとうと【隠し剣鬼の爪】山田洋次監督、2004年制作、10月3日観賞<goo映画解説>より幕末の東北。海坂藩の平侍、片桐宗蔵(永瀬正敏)は、母と妹の志乃、女中のきえ(松たか子)と、貧しくも笑顔の絶えない日々を送っていた。やがて母が亡くなり、志乃ときえは嫁入りしていった。ある日宗蔵は、きえが嫁ぎ先で酷い扱いを受けて寝込んでいることを知り、やつれ果てたきえを背負い連れ帰る。その頃、藩に大事件が起きた。かつて、宗蔵と同じ剣の師範に学んだ狭間弥市郎が、謀反を起こしたのだ。宗蔵は、山奥の牢から逃亡した弥市郎を切るように命じられる…。<大使寸評>永瀬正敏が実際に月代を剃ったそうだが、先日のNHK番組で山田洋次監督がその役者根性を称えていた。このNHK番組を見たので、大学図書館でDVDを観たわけですが・・・・この映画を観るのは二度目であることに気付いたのです。題名がうろ覚えだったので、てっきり初めてだと勘違いしていた大使でした(大使、大丈夫?)明治維新以前はかくありなんというリアルな時代考証がたまりませんね。特に東北のサムライ連中が洋式兵法の訓練に励むシーンが面白い♪goo映画隠し剣鬼の爪【たそがれ清兵衛】山田洋次監督、2002年制作<Movie.Walkerストーリー>より幕末、庄内・海坂藩の下級藩士・井口清兵衛は、妻に先立たれた後、幼いふたりの娘と年老いた母の世話、そして借金返済の内職の為に、御蔵役の勤めを終えるとすぐに帰宅することから、仲間から”たそがれ清兵衛“とあだ名されていた。ある日、かつて想いを寄せていた幼なじみで、酒乱の夫・甲田に離縁された朋江の危難を救ったことから、剣の腕が立つことを知られた彼は、藩命により上意討ちの手に選ばれてしまう。秘めていた想いを朋江に打ち明け、一刀流の剣客・余吾の屋敷を訪れた清兵衛は、壮絶な戦いの末に余吾を倒す。<大使寸評>サムライとは何か?という問いに答えるリアリズムの極致ともいえる作品だと思う。そのリアリズムにより 現在より連続的に繋がる過去の日本人を見たような気がするし、自分が過去にタイムスリップしたら 周りの景色はさもありなんと思えるほどである。スーパーリアリズムの作品だから手抜き無し!なので注意して見れば驚嘆する拘りが、随所に見られる。(・屋内の斬合いで 余吾が瞬間 梁との間合いをチェックする上目使い ・目釘を外し小太刀を分解し研ぐシーンなどがあった)時代劇にしろ、SFにしろ、スーパーリアリズムであれば それだけで感激する私です。時代を読む目を持ちながら出世よりも家族を大切に思う清兵衛が、貧乏クジのような 時代錯誤的な藩命を受け、それを成し遂げるのが凄いところだ。幕末では、サムライにとってそんなに意味を持たない剣術の素養がある清兵衛だが、現在であれば、国体の剣道で上位クラスの達人だろう。下級サラリーマンだが、特技が全日本クラスというところが凡人と違うところか。Movie.Walkerたそがれ清兵衛<神戸で寅さんに合った>初詣でには、行ったり行かなかったりする大使であるが・・・阪神大震災の慰霊には、ほぼ毎年東遊園地に出かけているのです。昨日、市役所の展望フロアから見た東遊園地です。竹灯篭を間近に見ます。ところで、今年は、そごう神戸店で寅さんに合ったのです。全国を巡っていた山田洋次監督50周年記念展が慰霊の日に合わせて、神戸で始まっています。50周年記念展にあわせ、山田洋次監督が神戸訪問より 阪神大震災直後の神戸市長田区で映画「男はつらいよ」のシリーズ最終作を撮影した山田洋次監督(82)の監督50周年記念展が16日、そごう神戸店(神戸市中央区)で始まった。 この日、会場を訪れた山田監督は、被災地の現状について、「立派なビルが立ち並んでいるが、ビルに囲まれた生活で満足されているのだろうか」と述べ、地元の人たちを気遣った「男はつらいよ 寅次郎紅の花」(1995年12月公開)で、寅さんは長田区のパン店を訪れる。そのモデルとなったのが、長田区の「くららべーかりー」だ。経営する石倉泰三さん(61)は、映画に登場した看板を現在も店内に飾っており、今回の記念展に展示用に貸し出した。この会場は撮影禁止なんだが、「くるまや」の居間だけは撮影OKとなっています。映画で毎回見ているので、この居間には皆さん見覚えがありますね。寅さん48作の最後に、神戸ロケを敢行した山田監督、寅さんに感謝です♪なかなか、見所の多い展示である。学校シリーズは4作もあったようだが、大使は1作も見てなかったのです。山田監督の作画では社会問題は、はまり過ぎて見たくない気がしていた大使なんですね。でも藤沢作品3部作で、山田作品鑑賞を再開しているわけです。最近は「おとうと」、「東京家族」を見たが・・・社会問題を手がけても違和感がなくて、監督も82歳ともなれば円熟してきたようですね♪(なんか見方が難しい大使である―笑)笑いと泣きを心得た手法が鼻につかないでもないが・・・立ち位置が常に弱者の側にあることに、敬意を表したいのです。
2019.11.11
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土曜日放映の連続NHKドラマ『少年寅次郎』を観ているのだが、寅次郎の出生の秘密や当時の時代考証が興味深いのです。それから、寅次郎の恥多き人生というか、他人に知られたくないコンプレックスはどのようにして育まれてきたのかも気になるわけです。・・・ということで、鑑賞フォームを作ってみました。井上真央“寅さんの世界観”に感動「永遠にここでお芝居できる」『少年寅次郎』10・19スタートより井上真央主演の『土曜ドラマ「少年寅次郎」』(NHK総合)が10月19日(土)にスタートする。今月行われた試写会には、井上をはじめ、毎熊克哉、泉澤祐希、岸井ゆきの、藤原颯音が出席し、作品への思いを語った。 本作は、山田洋次監督が小説で描いた映画「男はつらいよ」シリーズの主人公・車寅次郎の少年時代をドラマ化。映画では描かれていない寅次郎の出生の秘密から子供時代、思春期を描く。寅次郎の育ての親・車光子を井上、寅次郎の父・平造を毎熊、子供時代の寅次郎を藤原が演じる。脚本は岡田惠和、語りは原由子が担当する。(中略) 役作りについては「聖母のようなさくらさん(倍賞千恵子)を彷彿させる母親にしたかったんですが、映画を見れば見るほど倍賞さんにはかなわないですし、それがプレッシャーで…。優しさを持ちつつ、ちゃきちゃきした下町のお母さんにしようと思いました。あとは現場で子供たちと会った感覚を大事に、寅ちゃんにお母さんにしてもらいました」と。ネタバレになるが・・・羽振りのいい母親を探しだし辛い目に会ういうというところが、何だか『エデンの東』を彷彿とさせるわけで・・・どこにでもあるお話なんですね。
2019.11.10
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