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いい天気だ。今日も土ひねりに親子が来られた。私自身の最近の心境が良くない。つい口をついて出た言葉の中に鋭いトゲを含んでいることを感じすぐに口を閉じたのだけど、小学校1年生の男の子の心には突き刺さったのだろう。土ひねりに対する心を注意をしたつもりが、泣かれてしまった。しまったと思ってはいたが、やはり伝わっていた。気を取り直し、深呼吸をして説明をし直したことで何とか、再度、作品作りにチャレンジしてくれた。彼なりの作品が出来上がり、ほっとした。帰り際に、車の中からずっと手を振ってくれるその少年の姿を見て何とか、良かったと胸をなで下ろすのだが、運気と言う見方も在るけれど、チョット、マイナス波動に包まれ気味な今日この頃である。
2007.04.30
人とは、もともと深く物事を考えるのは苦手なんだと思う。「思考停止」という言葉が有るけれど、本当に停止させている。意図的に、また、無意識的にそうしている。いろんな人といろんな議論をしていて思うことでもあり、また、自分自身でも今までのいろんな状況の中で、思い行動してきたことを考え直してもそうだけれど、今、ここに、居る、自分の視点でしか考えることが出来ない傾向性を持っている。小さな自分である。一番上の図であるが、人とは、時間と空間の十字架の中心に居て、マインド的にも、現実の中でも、その中心の自己の大きさが、その人の器の大きさを表現し得るモノだと思う。この十字架の中で、その自分というモノの広がり方には、いろんな種類や傾向性が有るだろう。この図を元に、自分自身を考えてみても、そのマインドの大きさは、時として、格段の違いを感じる。幼少の頃は必ずしも小さかったとは思えないところが有る。成長につれ、自と他を分かち空間面で小さくしていったところも有り、他者との葛藤などを経験することで、他者の視点も分かり、拡大している面も有るだろう。時間軸では、経験を重ねるにつれて次第に大きくなっていく所は有るだろう。しかし、自然状態のままだと、その器の大きさは、大きくできたとしてもとても小さなモノだと気づくことがある。他者、しかも先人達、しかも偉人達、彼等から学ぶということは、その器を大きくする最大の要素ともなるだろう。学び、体験を通して練り込み、自らの智慧としていく、このことは、読書の勧めともなるだろう。自分の目で見、実際に経験したことは、重要ではあるけれど、それだけでは不十分である。それは、狭い意味ながら、今ここに居る、自己の世界から出ることは出来ない。人は、どうしても、その場における利害関係で見る。その利害関係にもいろんな要素が有るが、その時間と空間、その場における利害で見る。しかし、考えてみれば分かることだけれど、時間を変え、立場(空間)を変えて見た時に、その自己の利害、そのプラスかマイナスかの見方に違いが出てくることは当然である。現実に、その場の自己の視点で見ればマイナスになることでも、大きな器から見ればプラスなことが有る。その逆も真なり。どうしても小さな器の中から物事を見がちであるけれど、時々立ち止まり、大きな器の中から見る努力をしなければならない。それは、偉人の視点、仏神の視点、そのような器をイメージしてその視点で見る努力をしなければ、本当の所は見えてこないと思う。どのような選択、どのような見方、どのような行動が、正しいのかが見えてこないだろう。案外時間軸での広がりが小さな傾向性を多くの人達が持っている。やりたいこと、したいこと、それを、今という時間だけに閉じこめると、それをしなければ損した気分になる。しかし、いろんな例を上げるまでもなく、その感情のままに行動して痛い目に遭った経験は数知れず有るでしょう。時間軸を拡大した時に、我が身にマイナスとして降りかかってくるコトが有る。これは、時間を未来に拡大した場合であるが、過去に拡大した時にも見えてくるものが有る。個人の認識でもそうだが、自分に対する仕打ち、その時点でだけで恨みに思う考えもあるが、もっと時間を拡大した時に案外自分自身の中にその原因がある場合が有る。また、その逆も有る。時間をもっと過去に拡大してみる必要も有る。たとえば、歴史認識の狭さである。先の戦争に対する見方は、その負け戦と、国民の受けた悲惨さ、プラス、東西冷戦下の思想戦の後遺症 (これは今も続いている)などから、そのインパクトの強さ故か、その時間認識しか持てないでいるようだ。その時の責任者に総てを押しつけて、分かっているように思っているけれど、なぜ、戦争に至ったのか、その状況は、他国との関係の中でどのように流れにあったのか、その時間軸と空間軸の流れを、可能な限り拡大してみない限り、真実は見えてこないだろう。負け戦から終戦後の状況だけの時間でしか見られない人に、歴史を論じる資格は無い。
2007.04.27
この2,3日のニュースを聞いていると、全部共通していますね。一言で切ってしまうと、どういう言葉になるでしょうか。アメリカでの32人の銃殺、長崎市長の襲撃・・・・今日、判決が下りた事件も有りました。見ていて感じたことは、「責任転嫁」何事も他人のせい、環境のせい、自分は、この行動は、正当である。いま、ここにいる、自分の立場で考える。短くて狭い世界に住んでいる。そこでの判断が全てであるとする考え方である。人間は、時間と空間の交差する十字架の中心に居ます。その自分が小さくなっている。社会全体、地球全体が小さな自分を抱えている。そこから押し出されたウミが今出ているだけだろう。
2007.04.19
剣道は、人を切るための訓練なんでしょうか。柔道、合気道、空手道は、相手をたたきのめす為の術を学ぶものでしょうか。武道は、道がつくいじょう精神的なモノが同時に有ります。私も柔道をやっていますが、習いたての時には、確かに、その表面的な結果の所しか見ていなくて単に強くなることだけを考えていました。しかし、時間を経て経験を積むごとにその武力の持っている魔力と同時に、その限界にも気づくようになります。そして、その武力以上に強いモノは、心の力であることに気づき、その心の方向性とそのエネルギーこそが、武力を越えた力であることを知るようになります。確かに、現代では、その力に象徴される、お金や権力、地位などが重要視され、その結果を手に入れるために奔走することが当然の事のように思われています。だから、この知事のような愚かな発言がなされるのでしょうけれど、その心の持っている力を無視してはいけません。村上ファンドやホリエモンは、その心を無視したために崩壊したのです。武術のようなスポーツにも経済活動にも政治にも軍事にも、全て、通じる法則です。結果だけを出せば良いような考え方は、ある意味、動物以下の発想だと思います。全てのものには、道が有ります。過程が有ります。思いがあり、行為があり、結果が出ます。そして、その結果が出て、それを見て思うのです。そして繰り返し次なる結果を出そうと努力します。その結果、勝敗のみに止まっていては、道は出来てきません。歩いていかなければならないのです。より素晴らしい世界へ歩いていかなければならないのです。その目には見えにくい精神的なモノを無視した発言には、愚かしさを感じます。あまりにも動物的な発想です。「平和を守るために人殺しの練習をしている。」という発言を聞いて、私は涙が出てきました。自衛官や警察官の持っている精神性を低く見ているのでしょう。もちろんそのような人もいるでしょう。しかし、このようなことわざが有ります。「人は自分を見るように人を見る」もちろん考え違いをしている人達に対してきつい意見述べることも大切ですが、一般論としてそのように決めつけてしまうことには問題が有ります。この知事がどのような人か知りませんが、いろんな職業を見た時に、本人の心の中を見るのと同じように見たのでしょう。その本人の精神性の低さを証明しているのかもしれません。おそらく、彼の政治手腕も結果至上主義的な所が有るのでしょう。
2007.04.04
埼玉県の上田清司知事は2日、県の新規採用職員就任式の式辞の中で、仕事に対する使命感の一例として「自衛官は大変だ。平和を守るために人殺しの練習をしている。『国民の生命と財産を守るために頑張って下さい』と褒めたたえないといけない」と述べたそうだ。この発言のニュースを聞いて、正直ショックを受けた。どうしようも無く悲しくなってしまった。式後、上田知事は記者団に「殺傷という言葉を使えば良かったかもしれない。分かりやすくなり過ぎて、きつい言葉となった」と釈明したらしいけれど、同じコトだ。この知事の言葉も「フラクタルの森」で考えると、単純に片目だけで見ている。言い換えると思考停止している。深く考えることが出来ないでいる。結果として出てくる現象しか見ようとしていない。フラクタルの森で再三言っているように、この論理で行くと、「企業の目的は利潤追求であり、その為に人々は仕事をしている」という論理になる。真理は、「企業の目的は社旗貢献に有り、その結果としての利潤追求が有る」社会のお役に立ちたい、家族の為にお役に立ちたい。その自分の存在意義を自己確認したくて働いているのです。自衛官の人達も国民の生命と財産、その正義を守るために働こうとしているはずです。確かに、その為には、他者を殺傷するようなこともしなければならない場合も有るでしょう。これは、警察官も一緒です。誰であれ、積極的に人を殺生するようなこと好んでするわけではありません。誰であれ、したくはないはずです。武道でも一緒です。空手でも柔道でも何でもそうでしょうが、相手をたたきのめすためにやっているのではないのです。結果として、表面的には、うち倒したり、たたきのめすように見える部分が有りますが、本来は、自己鍛錬の為にやっていることです。他者という存在を借りて、自己鍛錬の為にしているコトです。このようなことを書くと、きれい事を言っているように思われる方もいるでしょう。確かにその通りかもしれません。現実に、結果至上主義で生きている人は多い。ホリエモンや村上氏のように、結果を出さなければ意味が無いと見るような人達も多いでしょう。考え違いをしている自衛官や警察官も、もちろん居るでしょう。もちろん、考え違いをしている、知事も居ることでしょう。もちろん、自衛官になられている方達のその職に就いた動機も、当然、様々なモノが有ると思います。どんな職業でもそうですが、その意識の高まりは、その職場の中で育まれ、培われていくものです。そうであるのに、この知事のこの言葉は、一体なんでしょうか。NHK大河ドラマの「風林火山」の中で、武田晴信が山本勘助に、戦に勝つための奥義を述べよと命じられ、それに対して「戦わないことです」と言ったシーンが有りましたが、まさしく名言だと思います。戦わないための方法は色々有るでしょう。しかし、歴史上、戦はいつの時代にも有ります。これからも有るでしょう。実際に武器を使わざるをえないような事態も想定されます。それをしない場合は、他者に吸収されるしかない状況となるでしょう。武器を使っても、敗者になれば、勝者に吸収され、勢力圏に取り込まれるか、属国となるか、その国自体に吸収されることになります。先の大戦では、日本は、アメリカに負け、アメリカの勢力圏に取り込まれています。客観的に見るとそのようになります。結果として、アメリカの文化を取り入れてさらなる進化をしているという事は、大きな目から見ると、敗戦もしかたのなかった面が有るのかもしれません。日米両方の国民の気持ちになって考えても、話し合いだけで当時抱えていた諸問題を解決出来無かったでしょう。雌雄を決する必要が有ったと見るべきかもしれません。多くの犠牲と悲しみがともなわざるを得なかったのは、それぞれの国民の総意として仕方が無かった面が有るのでしょう。この敗戦が、アメリカに対してだったから良かった面が有ります。これがソ連に対してだったらどうだったでしょう。もし、ソ連が相手であって負けた場合、現在の北朝鮮や中国のような状況下に置かれることになっていたはずです。中国は、開放政策を採って安価な労働力と、その市場としてのの大きさ故に復活してきていますけれど、日本も韓国と共に北朝鮮のような過酷な状況下に追いやられていた可能性が有ります。(過去、共産党は、日本をソ連圏に組み入れようと努力していた。)この場合、結果論では有りますが、戦わなければどのような犠牲を払うことになったでしょうか。どのような時代になろうとも、戦争という危機は常につきまとうでしょう。皮相な平和主義者の言葉は、あまりにも無責任です。誰であれ、本当は戦いたくは無い。しかし、戦わなければならないコトも有るのは、真実です。しかし、軍備、軍事力というのは、国民の財産、生命、正義を守る為に有るのですが、無用の戦を避けるためにも有るのです。ソ連は、過去、日露戦争に勝利したコトも歯止めになっていたのかもしれませんが、日本の戦力が無くなったと見るや、平和条約を無視して責めてきました。中国大陸では、ソ連に追い立てられて残留孤児が出るような結末です。捕虜になった人達は、シベリヤ抑留で多くの方が亡くなりました。アメリカに占領されていなかったら、ソ連は日本まで責めてきたでしょう。軍隊としての訓練は、そのような防波堤としての役目が有ります。殺し方、殺傷の仕方を学び訓練しているわけでは有りません。平和を守るための訓練をしているのです。戦わずして勝つための、武力訓練をしているのです。そのためには、精神的な修養が必要です。剣術、剣道は、人を切るための訓練なんでしょうか。「平和を守るために人殺しの練習をしている。」という発言を聞いて、私は涙が出てきました。土下座をして謝るべきです。この知事がどのような人か知りませんが、その思想の中身に問題が有るのでしょう。前の柳沢大臣の、女性は子どもを産む機械という失言とは全く違って、大きな問題を含んでいます。
2007.04.02
今日は、朝から窯を開けお客様を待って作品を出した。偶然にもいろんな方が来てくださって夕方まであっという間に過ぎていった。夕方には、知人の方から家族全員食事に招待されて倉敷に行った。バイキング形式の食事だったが、子ども達は大喜びである。「袖すりあうも他生の縁」ということわざがあるが、このご夫婦とのご縁は前世での深いご縁が在るからなのかもしれない。なにかと私たちの家族に感心を向けてくださり、ことあるごとに声をかけてくださる。元校長先生の奥様と定年退職されてコーラスなどの趣味の中に人生の意義を見いだそうとされているご主人である。その理知的な会話の中で、私も刺激を受けてぺらぺらとしゃべるのであるが、わがかみさんから見ると、私のテンションは相当に高いらしい。お酒を戴くせいもあって仕方がないとも思っているが、極力下げるように努力はしているつもりである。しかし、我がコトのように子ども達の成長を楽しみにしてくださっていることは、有り難い。子ども達も他者とのつき合いの中で、素直にその好意に甘え、自然体での関係を学んでいるようである。
2007.04.01

2007.04.01
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