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昨日は、岡崎嘉平太記念財団の2007年度奨学生の記念植樹が行われた。全日空がバックアップして運営されているが、ニュースで流れた如く、トラブルで少し遅れてしまった。もう1便遅れていると中止になっていた可能性もあった。しかし、何とか2時間遅れでoowasanに到着。無事、桜の植樹を行うことが出来た。今年は、中国から2人、ベトナムから1人、タイから1人、そして、東大に通っていたミャンマーのケイさんの5人の参加である。ケイさんは、もう吉備中央町に3回目。今年、国に帰国されるということ。嘉平太さんの墓参のおりに感極まって涙を流されていたそうだ。今回、前に比べてスリムになっていたこともあってか、別人のようにも見えた。目の輝きも違っており、こんなに美人だったのかという印象である。今回、初めて土ひねり体験もしていただき、今回の窯で焼き上げる事になっている。嘉平太さんの「信はたて糸、愛はよこ糸、おりなせ人の世を美しく」という言葉に関連させて土ひねりの説明をさせていただいた。器作りも、社会作りも法則は同じである。口べたな私であるのでうまく伝えられたか不安ではある。そして、夕方、食事会に招待していただき、毎月レポートを発表されているというのでその場で一緒に聞かせてもらった。みんな日本語が堪能である。堪能だけでなく、その文章の完璧さに、つい、私の日本語の先生になってくださいと言ってしまった。それぞれに、各国から特に優秀な生徒が選抜されているいるという。国際交流、相互理解、将来の平和な国際社会構築のためにも、このような地道な活動が実を結ぶ時が来るのだろう。つい、私が世界中につくりたいと思っている「フラクタルの森」の宣伝もしてしまった。真に相互理解するためにも、もっと分かり易く、具体的な形で提示出来るように磨き上げなければと思いつつ、いずれにしても、知り合う時間と空間の積み重ねが、良い方向へと導いてくれるモノと信じている。いっぱい学び、いっぱいいろんな経験を重ね、良い肥やしとして戴けたら、岡崎嘉平太さんの思いも、全日空の支援も完成を見ることになるのだろう。
2007.05.28
死刑廃止論■悟性の中身光市母子殺人事件の弁護団に21人ついているそうだ。TVで法廷の映像が有り、面々を映し出していた。死刑反対論者達という事である。なんて、愚かな人達なんだろうと思いながらしげしげと見ていたけれど、あの弁護士達は、なぜ、死刑制度に反対なのか?今一度、客観的にその死刑について考えてみたい。1人の弁護士がTVで説明していたけれど、彼等は、「人の命は、地球よりも思い」とでも思っているのだろうか。司法の場は、「正義」というキーワードを抜きには語れない場である。人が人の命を奪うということは、どのような場合でも許されることでは無いと考えているのかもしれない。そのように判断することが、彼等の正義かもしれない。当然ながら、犯人に荷担し、悪を守りたいと思ってでは無いだろう。、では、その人の命とは、何であるのか?人間とは、どんな存在であるのか?そのこと、その前提となる要素を知らなければ、本当に正しく判断ができる訳がない。それは、フラクタルの森の中の「悟性の森」に埋めるべき内容である。いつ・・・・・時間認識(死後の世界が、有るか無いか?)どこで・・・・空間認識(目に見えない世界が、有るか無いか?) その時空を統べる法則は、如何に?誰が・・・・・主体(自分とは、何か?)、何を・・・・・客体(他者とは、人生とは、何か?) 人間とは、何か?どのような目的と使命が与えられているのか?この前提条件が違うと、当然の事ながら、その「正義」も違ったものにならざるを得ない。弁護士諸君の、その思想の中身を知りたい。その宗教観を知りたい。その、自身の持っている正義を全面に押し出して仕事をする以上、当然の責務だと思う。■死刑制度賛成私自身は、死刑制度に反対するものではない。賛成である。では、なぜ賛成なのか?1.犯罪の抑止力として2.反省のためのきっかけ(悟性・感性・知性の森、それぞれに対するモノが必要) 見方、思い方、やり方が、どう間違っていたのか?3.犯罪者にコストを掛け過ぎない(コストをかけることで社会が良くなるなら別) 悪くならないなら別そして、死刑の方法だが、電気椅子にしろ何にしろ、直接手を下す人にとっての影響を考えると、今ひとつ良い方法では無いのかもしれない。今、思いついたのだが、「餓死」という選択はどうだろう。独房に拘束し、食事を与えないのである。私も2回、断食をしたことが有るけれど、3日目が一番苦しかった。それを越えるとそれほどのことは無い。水を与えるかどうかの問題も有るが、反省のためにも良い方法かもしれない。以前、池田小学校で児童数名を殺して死刑になった人がいる。彼には、自殺願望的なところも有っただろう。捨てぜりふをはきながら、安楽死させてもらったようである。■阿鼻叫喚地獄しかし、実際に色々考えてみると、「死」についての知識が一番大切だろう。不思議なご縁で、霊的な体験を色々としてきたけれど、死後の世界の事を考えると、この死刑問題やその犯罪に対する考え方も一挙に解決する。幽霊話が有るように、死んだら総てが終わる訳では無い。死ねば総てが終わると、この弁護士の人達や、犯罪者は、おそらく、そのような見方をしているのだろうけれど、どっこい、そうでは無い。この弁護士達と犯罪者は、おそらく、鬱と躁の関係の如く蛇行している現象であろう。(結局、同類であるが故に同じ側に立っている現象だと思う)思考停止し、何も考えようとしなければ、そのような答えにもなるだろうが、最近、江原氏とかTVで活躍して、死んでも終わりじゃ無いことを知らせてくれている。私の近くに似たような能力を持った知り合いも多い。世間にもいっぱいそのような人はいるだろう。イエス様も、お釈迦様も、孔子様も、ムハンマドも、プラトンも、ソクラテスも、教えてくれていることである。多くの人を自我我欲のままに殺して機嫌良く死刑になった人間は、今、どうなっているだろう。私が、今までに知り得た情報からすると、相当の苦しみの中におかれている事が想像できる。原因と結果の法則から、フラクタルの森で考えても、論理的な説明も可能だ。現実には、阿鼻叫喚地獄とか言われるように、本来の正しき自己を取り戻した視点から見ると並大抵の苦しみではないようだ。想像を絶するその苦しみは、その犯罪がとても割に合うモノではでは無いことを証明している。生きている時に本質的に反省できる事のありがたさ、その功徳は並大抵ではないようだ。■「霊との対話」最近、読んだ本でとても参考になった本が有る。翻訳者は、私も面識の有る方で、浅岡夢二氏。私の友人で岡山大学でフランス語の先生をしていた藤井氏が亡くなった事がきっかけで引き合わせていただいた。中央大学に移ってからの同僚だったそうだが、彼の岡山での「お別れ会」の時に私の備前焼を使ってくれたことが縁で、銀座での展示会の時に会いに来ていただいた。1800年代にフランスで活躍した、アラン・カルディックの「霊との対話 天国と地獄」(幸福の科学出版)という本である。霊との対話は、これも、3年ほど前に無くなった友人、穐山氏を通じて彼と出会った当時私自身も経験していたことである。この本に有るような体系化したものではなく、私たちへのアドバイスが中心だったが、霊的世界が私たちの周りを常に取り巻いていることを実感するのには十分な体験だった。(危険な所も有るので一時期だけで中止した)江原氏がTV番組でやっているような「天国からの手紙」に近いモノである。犯罪者や、いろんな心境の人達の死後すぐの報告書である。是非、一読をお勧めしたい。「霊との対話」amazonで検索すれば出てきます。
2007.05.24
スポ少の柔道の指導を初めて2年がたつ。小学生の息子に付き合って昔の黄ばんだ柔道着を引っ張り出し、40年近くのブランクを越えて始めたのだが、週に一度だけど、良い運動になっている。今日は、中心になってくれている先生と寝技の模範演技を見せるということで久々に本気で勝負をした。相手は、手を抜いてくれていたのかもしれないが、なかなかイイ線を行っていたように思う。しかし、相当に息はあがってしまった。立ち技でも試合をしたい衝動に駆られるが、歳の事を考えるとやめておいた方が無難だろう。子ども達に教えていて学んだ事がある。高校時代にやっていたのだが、昔は、単に強くなりたい一心でがむしゃらにやっていたけれどフラクタルの森で言うところの思考停止状態のままやっていたと思う。最初の頃、体は覚えていて動くのだが、教えようとして、説明しようとして、はじめて、言葉に出来ないことをさとる。そこで、柔道の本を買い、勉強し直して、どうやって教えれば良いのかを考え、実際に説明しようとすると、ここでも陰陽を意識することで違ってくることが分かる。もちろん、心技体の事についてもだが、単に、勝負の事についても、常に両目で見るという視点があると相当な違いが有るだろう。昔、今のような視点が有ると、もっと強くなっていただろうと思う。世界大会を見ていても、日本の柔道は、しっかり組むことにこだわっているが、外国の選手のように、組まなくても勝負を掛けられるような意識も必要だろう。どうしても伝家の宝刀に頼りたい気持ちは分かるけれど、侍は、小刀もさしている。視点を少しずらすことも大切なのだろう。軍隊は、戦うことが仕事のように思われるが、戦わずに勝つという視点も、とても大切だと思う。心技体、総て充実していると、無用な挑発はして来られないし、暴走することも無いだろう。単眼でしか見られない人は、単純に好戦的であったり、戦争反対、軍備反対と、単純に平和論者であったりするのかもしれない。
2007.05.22
昨日、TV番組で中国の女性の透視力の実験などをしていた。その番組を見ていて、昔のことを思い出した。私も、小さな頃から超能力とかに関心があり、日本でもユリゲラーなどが話題になるその前から自分自身でも訓練していたことが有る。トランプを使っての透視力と、サイコロを使っての念動力が中心だった。トランプは、カードを裏にして置いてハート、スペード、ダイア、クラブのどれであるかを当てるのだ。サイコロは、一つの数を決めその目が出てくる確立を見るという事を繰り返していた。20代の頃だっただろうか、集中してやっていた時期がある。今、その頃の記憶として残っているのは、普通の2倍の確率で出来るまでになっていたことだ。トランプは、4分の1の確率が2分の1に、サイコロは、6分の1の確率が3分の1になっていた。今思えば不思議なのだが、当時は、当然の事のようにも感じていた。そして、ある時、友人の家で、そのトランプの実験をした時である。100%正解したのである。しかも、私は、一度もそのカードに触れることなくである。さらに、その数字まで頭に浮かんできて、それも言い当てることが出来た。とても興味深いのは、その後である。その数日後、そのコトを思い返していた時に、インスピレーションが降りてきた。その内容は、「すごさに心を合わさずに素晴らしさに心を合わせなさい」という言葉であった。不思議だけれど、私は、その言葉に納得し、その後30年そのようなことから遠ざかっている。その当時は、単に自分自身が「思った」と理解していたが、どうやら違ったようだ。啓示的に降りてきた言葉だったようである。昨夜のTV番組で、その透視能力がどのような仕組みで成されるのか、いろんな学者さんがしゃべっていたけれど、フラクタルの森で言うとするならば、陰と陽の陽の片方部分での説明でしかない。このような超能力と言われるようなことも、霊的な世界の認識無く説明は不可能であろう。それは、私の数年前に亡くなった友人にチャネリング能力が有り、それも一時のことであるが、霊界通信を盛んにやっていたことが有る。その時の経験からすると、あのような超能力と言われることも、あの世の霊的存在たちの助力やインスピレーションが有って可能なのだ。という事は、そのような能力も、神のごとき力だけでは無いかもしれないのだ。単に、自分の守護霊、潜在する意識でやっているだけかもしれない。悪霊の力を借りてやっているかもしれないのである。いずれにせよ、友人とのチャネリングでも体験したことだけれど、超能力的なすごさばかりに関心が行っていると、足をすくわれることになる。天狗になり、結果だけを重視しがちになり、総ての素晴らしきことを産み出す種の部分を腐らせる危険がある。考えてみると、私が世界中に作りたいと思っている「フラクタルの森」は、この二つの霊的な体験が背景に有ることも事実だ。陰・・・原因・・・素晴らしき種陽・・・結果・・・凄い成果(もちろん素晴らしさを含む)車でたとえてみよう高級車を乗り回している人がいる。その車は、高価でもあるが、素晴らしい乗り物でもあるだろう。しかし、それに乗っている人が、素晴らしいかどうかは、別である。高級車を乗り回していると誇らしくはあるが、そのことで自分自身も舞い上がっているとそれは、ピエロみたいでもあろう。自分自身を磨かないで、車だけを磨いているようなことである。凡人は、外見だけで見て判断し、その暗示にかかった目で、その中に乗っている人を見る。岡崎嘉平太さん(元全日空社長、日中友好の架け橋)の言葉で「人は姿を見、神は心を見る」というのがある。経済で言おう。ライブドアの時価総額は、凄いものがあった。しかし、そのホリエモンは、どうであろうか。仕事、経済を陰陽の両目で見ると、陰・・・・・マインド陽・・・・・スキルになる。スキルばかりに心を奪われて、マインドをないがしろにすると、確実に、いずれ足下がすくわれて、地獄に倒れることになる。原因と結果の法則からしても当然の理屈である。時間軸を来世(死後の霊的な世界)まで見通して考えたならば、マインド(素晴らしさ)を無視すると言うことは、究極の損得勘定から言って、割に合う話ではない。しかし、これは、私自身に言われているような気もするが、マインドとスキル、基本は、もちろんマインドではあるが、陰陽の片面、そのスキルも両目で見るべき大切な要素であることも事実だ。目的と目標と言っても良いだろう。目標も大切だ。動機が素晴らしくても、その成果を出せなければ、その意味を失う場合も有る。陽明学の「知行合一」の考え方であるが、行動に転化しないものは、本当の知識になっていないという事とも関連するだろう。結果を出せない、成功しない言い訳として、この陰陽の考え方を悪用すると、また、それも足下をすくわれる原因ともなるだろ。格差社会が問題視されているけれど、これなどは、そのような嫉妬の現れの部分も有る。成功者を引きずりおろすような論理が一般化すると、大変な社会が到来する。社会主義の世界がたどった道である。ホリエモンも村上ファンドも、スキル部分(陽)に重点があったけれど、マインド(陰)が完全に空っぽだったわけではない。ほんの少し、もう少し、正しき心の探究さえしておれば良かったのだと思う。フラクタルの森の「両目で見る」という事が、社会の、世界の常識となる事を夢見ている。
2007.05.16
今朝、一番下の娘が寝床に入り込んできて色々と私にちょっかいを出してきた。適当に相手していたのだが、ふと目に何かが入り込んだようで痛みを感じた。その痛みが、少し普通じゃないので目をこすらないように飛び起きて、洗面所で急いで目を洗ってみた。しかし、その痛みは、すぐに消えない。結局、一日中その痛みで涙を流し放しだった。朝、家内に目を見てもらったら2ミリらいのものがまぶたにくっついているという。コヨリやガーゼを使って取ってもらおうとしたが、取れない。結局、近くの救急病院に行ったのだが、眼科も無く担当医もいなくて岡山市か倉敷市に出ないとムリとの事。何とか我慢できるので様子を見て、明日の事にした。しかし、帰ってから、もう一度チャレンジしてもらった。今度は、綿棒でやってもらった。やっと取れた!その物を見ると、3方が鋭く尖ったトゲである。おそらく、昨日、山の中で立ち枯れかかった松の木を一本切って窯の所におろした時に持って帰ったのだろう。どの植物の物かは分からないけれど、風呂にも入っているし、不思議ではある。写真の取ってお見せすればと思ったが、つい、ゴミ箱に捨ててしまった。これまで、目の負傷は、今回で3回有るが、いずれも左目である。なぜ、左目ばかりなのだろう。これも不思議だ。左目は、陰の目である。感覚の目である。Bの目である。(Aではない)何かに気付きなさいというメッセージなのだろうか?私は、ちなみに右目タイプ(AB型)である。B型的な要素をないがしろにしている事への忠告かも???
2007.05.13
従軍慰安婦問題など、歴史認識における見方の違いが有る。その原因はどこにあるのだろう。最近見つけたサイトがおもしろくて時々見ているのだが、それぞれの意見が記録されている。http://www.youtube.com/watch?v=aBmvPETwfy0&mode=related&search=意見、考え方、見方・・・大きく見ていつも二つに分かれる。なぜなんだろう?従軍慰安婦については、私の見方も、当時、従軍「売春婦」が居たという認識である。元、憲兵隊だった叔父(品格もあり、知性もあり、信用に足る人物と私は見ていた)彼から直に聞いていたのだが、南京陥落の時も立ち会っている。(渡部昇一さんの説明と一緒である)慰安婦、要するに売春婦であるが、彼女らは相当の高給取りであったようだ 。それらの、報道を見るにつけ、冷静な怒りを伝えてくれていた。なぜ、そのようなウソを日本人が信じるのか信じられないでいたようだ。私もその真実は知らない。しかし、想像しても分かる事だけれど、世界中の戦地で、同じような状況下でどのような事が起こっていたのかと考えてみると、よっぽどの背景が無い限り、それほどの違いは無いはずである。元々、日本人が下劣で品格無く獣のごとき国民性を有しているなら、納得もしよう。しかし、客観的に見て、諸外国の国民性と比べてどうだろうか。元々、犯罪の発生率も低く、治安の良い土地柄である。そのような国で育った人達が戦時下とはいえ異常な環境の元であれ、人道に反する事を積極的に行ったり出来なかったのでは無いだろうか。その率は、犯罪の発生率と同じように低かったと考える。諸外国のそれと同じようなレベルをでは無かったと思う。そのように、私は、信じたい。人は、自分を見るように人を見るという。日本の歴史を悲観的に見る人達の多くが、己の心の中に、自分だったら、そのような状況下では、きっとそのようにすると思っているのかもしれない。日本の治安が、諸外国と同じように悪化している現状の背景には、そのような人達が増えていると言うことなのだろうか。安全な国「日本」が常識だった時代と、現代と、一体どこが違うのだろう。
2007.05.11
最近、この宇宙が陰と陽のデジタルで出来ているという事の確信をさらに深めている。一つは、人間の体の事。自律神経(意志とは無関係に作用する神経で、消化器・血管系・内分泌腺・生殖器などの不随意器官の機能を促進または抑制し調節する)にも二つあるようだ。交感神経と副交感神経との2系統があり、健康に大きく関わることを、今、本で読んでいる。適切に働くことで健康を維持出来るようだが、蛇行させると、それぞれの病気を引き起こすという事だ。もう一つは、何回も言ってきた事だが、コンピューターの基本動作を司る、0と1の2進法である。いつも使っているパソコンであるが、その二つの要素で、いろんな複雑なことがやってのけられるのである。その細かいことは理解出来ていないけれど、人工知能も出来るようだ。複雑な作業を高速でこなしている。もちろん、パソコンのする仕事と、この現象世界の複雑怪奇さとは比べものにならないけれど、なんだか、余分なことをそぎ落としていくと共通した法則の下で成されていることが見えるのかもしれない。IT技術の進歩を見ていると、同じ法則でこの宇宙も出来ていると思えてくる。他には、窯で陶磁器を焼く時の還元作用と酸化作用。微生物の働きにも、分解型と合成型が有るようだ。車の運転要素も、陰と陽である。ブレーキとアクセル。それぞれの、オンオフ。ハンドルもそうだ。左と右。素粒子と反粒子、フラクタル理論、生き物の目や手足が対を成している事。男と女。そして、コインの裏表。ペーパーの裏表。何らかの面を作ると同時に必ず裏面が出来る。化学物質も右手タイプと左手タイプが出来るという。心の作用も常に二つある。その選択を間違ったり、一方のみにこだわったりしていると不幸が来る。長所の影に短所あり。短所の影に長所あり。幸福を求めるならば、両目を開けていなければならない。仏教で言われる「中道の哲学」は、両目で見ながら適切に判断しなければならないことを言っているのかもしれない。
2007.05.08
■日本の精神性の柱聖徳太子の「十七条憲法」に最近興味が有る。言葉が難しくて分かりにくいのだけれど、要約するとそこに流れている精神の柱は、どうやら、「儒教」と「仏教」と「神道」の三つの教訓を柱としているようだ。私は歴史は門外漢だが、日本とは何か?日本の精神性の柱はどこに有るのか?と考えた時に、どうやら、その原点はここに有るような気がしてならない。その後の武家政治もこの精神性が有って、成り立ってきたのではないだろうか。「武士道」を考えると、その儒教、仏教、神道の持っている世界観を背景にして、その美学が熟成されてきたように思う。聖徳太子は、皇室の出であり、当然の事ながら神道の中心に居た人である。その人が、儒教や仏教の教えを取り入れて日本の国造りをしてきたという事は、その第一条が「和」というキーワードから始まるように、とても寛容で謙虚な姿勢を持っていたと考えられる。以前、ある雑誌で読んだことがあるのだが、神道には儀式は有るが、教義が無いので、法律で規定されている「宗教」には当てはまらないという意見も有るようだ。しかし、神道には「随(かんながら)神」という言葉が有る。その意味も難しそうではあるが、神人合一型の宗教であり、この世で偉かった人は神さまになり、常に私たちの周囲は、神々に見守られているというような世界観のようだ。その視点から、孔子や仏陀の教え、その教義に学び、さらなる多神教の国家としてきたことが、基本的に「和の国」としての国造りの原因となったのだろう。また、鎖国の江戸時代でさえ、その識字率の高さや、その文化水準の高さを諸外国から驚きの目で見られていた原因がそこに有るのではないだろうか。日本という国家が建国以来、そのような天皇家(神道)を中心として、日本の背骨としてきたことがどのような時代であっても、時の為政者達が論語を学び、仏教を学び、その民にも教育してきたことが原因であったと思う。大きな視野で日本の歴史を見る時に、天皇家の果たした役目がどれだけ偉大なものだったかが分かる。■各国の持っている柱フラクタルの森で考えると、その社会、国家を作っている要素の原因部分は、結局は、その思想、宗教に有る。その悟性の中身を占めるもので決まる。日本はこのように、背骨部分、その土台部分には神道、儒教、仏教が有る。一時、明治維新後、富国強兵の為に「廃仏毀釈」といって仏教と神道を分離して神道だけを中心とした国造りをし戦争に突入したけれど、長い時代、大きくは三つの宗教観によって、その日本の国民性は作られてきた。中国も朝鮮半島も基本的には、日本と同じ精神性を持っていたはずだけれど、マルクス・レーニン教という唯物論に席巻され、無宗教という世界観に染まった人達が、日本よりはるかに多く住んでいる。その精神性の柱に、無宗教があるそこに入っているのは、マルクス教であり、その変化系の主体思想が中心なのだろう。そのような悟性を持っているのだろう。日本の憲法を改正するにしても、第九条は大きな争点になるだろう。しかし、憲法がその国の根幹部分を規定するとなると、その精神性をどこに求めるべきであるのか?このことは、しっかり考えなければならない。現憲法でも曲がりなりに、天皇家(神道)がその精神のよりどころとされている。今まで通り、神道を中心とするのか、民主主義という大衆の支配する論理を中心とするのか、分岐点に差しかかっている可能性も有る。アメリカは、キリスト教を中心としながらも民主主義の支配する国だろう。キリスト教と言っても、日本の仏教と同じく形骸化し、その教義が何であるのか、自分教的に翻訳し、または無視している。結局の所、大衆の多数決の支配する国家であろう。日本には幸いなことに象徴としての天皇家が有る。アメリカの大統領は就任式に聖書に手を載せて宣誓するようだけれど、あくまでも、偶像(本)である。国内が大きく揺れている時に、天皇陛下がお言葉を出されると治めることが出来るが(226事件など)、聖書は言葉を発してくれない。司祭が聖書の言葉を発してくれたとしても、日本国憲法の九条の如く解釈はどこに行くか分からない。それだけのアメリカ国民の支持も無い。■憲法にどのような悟性をいれられるのか民主主義の多数意見の長所も有るが、その欠点も同時に有ることを認めなければならないだろう。どちらにせよ、その憲法の中に、はっきりした形でその精神性のよりどころを、なお、はっきりした形でその文言を入れなければならないだろうと思う。フラクタルの森で証明できるように、その社会の基盤は、その精神性、その思想、宗教によって100%決まる。その悟性の空間を埋める、その内容を、はっきりした形で示さなければならないのではないだろうか。それは、いつ、どこで、誰が、何を、の内容である。時間、空間、主体、客体、の内容である。私たち(主体)は、どこ(時間と空間)から来てどのような世界(時間と空間)の中で生きているのか?この世界で起きている事件、出来事(客体)は、いったい何なのか?私たち(主体)は、なぜこの時間と空間の中に放り出され、なぜ生きているのか?この世で起きる出来事(客体)に対してどのように対処すべきなのか?そして、私たち(主体)は、一体どこ(時間と空間)に行くのか?真理を求め、正しき心の探究が不可欠です。世界を知り、自分自身を知らなければ、素晴らしく生きることは出来ない。素晴らしい憲法を持つことも出来ない。
2007.05.07
今日で連休も終わり。明日から子ども達もいつもの学校生活が始まる。私もそろそろ作品作りに没頭しなければならないけれどなにぶん気が多くて一日中集中は出来ない。しかし、今日、体重を量ったら81キロを超えていた。目標77キロに設定しているので、ショック。中壷1個ぶんの重さだ。毎日一定の運動を心がけてはいるが、この数日はお客さんも多かったのと、チェンソーも壊れていて、山から倒木などの切り出しも出来ずつい放漫経営に陥っていた。昨日からの雨のせいで、あちこちの草があっという間に伸び始めた。ついこの間までは霜崩れの土の処理で運動できていたがこれからは、草との競争である。
2007.05.06
憲法改正が話題になっている。護憲、改憲、色々ある。TVのニュースを聞いていて改憲派の人の言葉の中に「思考停止」しないで考えるべきだという言葉が有った。私も改憲派ではある。同じ言葉がキーワードになると考えていたので、正直言ってビックリした。同感である。思考停止とは、時間と空間の十字の図で言うと、時間軸に対しても空間軸に対しても、非常に狭いと言うことだ。要するに、器が小さな状態で見ている。時間軸・・・・過去に対しても未来に対しても思考停止状態である。現状のまま、将来、世界状況の変化に中でどのように自衛隊が扱われていくのか?あたかも、道路交通法での最高速度規制のようだ。制限速度が決められてはいるが、現状に即していなくて10キロプラスアルファーは容認してくれているようだ。本来このようなダブルスタンスは良くない。規則は有るけれど、破るのが当然であるような風潮を創り出す。過去の反省・・・過去、軍部の暴走を抑えきれなかった背景に、明治憲法下での不備の部分が有ったという事を聞いたことが有る。憲法の不備を言えば、現状の9条ほどの不備は無い。空間軸・・・・過去の世界の歴史とも関わるが、歴史を語る時にとは、紛争、戦争を抜きにしては語れない現実が有る。隣接する国や地域が、発展し拡張している時に、必ず、他者との間に軋轢が生じる。紛争は、必ず利害の相克から始まる。その利害の相克にも、陰と陽がある。思想と経済。経済環境は、国境を越え結びつきが強い状況になってきたけれど、思想をからめると簡単に利害の対立は、エスカレートする環境下に有る。アメリカと日本。日本は、敗戦後アメリカの属国になり、今の憲法を押しつけられたけれど、その下で、その長所を活かしここまでの経済大国になった。その途中で、朝鮮戦争、東西冷戦もあり、アメリカが日本の力を骨抜きにしようとしたにもかかわらず、再軍備をさせなければならないような状況が迫り、結局、自衛隊が今現に在る。大戦後、仮に、アメリカではなくソ連の属国になっていたとすればどうだろう。当然、北朝鮮のようになっていると言うことだ。今現在、具体的に紛争が起こっていないからと言って、安心出来ないことも事実だ。先の中国の反日暴動の事件のように、あのときは、ある程度コントロールされていたようだからひどいことにはならなかったけれど、一つ間違えば、中国にいた日本人達の多くが暴動の中で殺されるという事態もあり得た話である。そのようなコトは過去にも有った。仮に、アメリカが衰退し、アメリカが日本を守ってくれなくなったとすれば、どうすれば良いのか。中国は、経済発展を続け拡張していく中で、当然の如く、日本と利害の対立する局面が出てくる。経済の対立が起こり、思想の対立が先の暴動でも分かるように、元々在る。戦前のアメリカとの対立と同じように対峙する時に、どうなるだろうか。自衛隊も機能しないとすればどうなるだろうか?当然の如く、中国の属国となるしかない。その結果は、どのようになるだろうか。アメリカは、少なくとも民主主義の国である。多様な意見が許容され、切磋琢磨している。中国の属国になるという事は、中国共産党の思想に従わなければならないという事だ。その結果は、どうなる?軍事力は使わないほうがいいのは当然である。暴走させないためにも、しっかりと、管理できる法律が必要だろう。そして、隣国との紛争でも、そのような事態(暴動、虐殺)が起こらないようにするためにも、毅然とした態度の背景として、軍事力の整備も不可欠なことだと思う。明治維新の功労者達の中には、剣術の免許皆伝の者たちもいただろうが、竜馬を始め、人を殺してはいない場合が多いようだ。中途半端な腕で、思考停止状態の人達が多くの人の命をあやめていたのではないだろうか。マインドとスキル、陰と陽、両方が充実していると、他者からつけ込まれるスキは無い。仮に紛争化したとしても、正しい姿勢における毅然とした態度と、よく訓練された武力が在れば、そのマインドの下に管理されるならば、自他共に大きな被害を出さずに紛争の終息をはかれるはずである。よって、現状の中途半端なままで憲法を放置することなく、しっかりした議論のうえで憲法の改正をすべきである。
2007.05.03
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