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【追記】No.4急に出かけることになりました。二日ほど留守します。では♪【追記】No.3楽天広場の定期メンテナンスがあるそうです。 [日時] 2004年8月3日 1時00分~2004年8月3日11時00分この時間にシステムを停止して、「デザイン機能を大きくバージョンアップ!」するのでしょう。またしばらく不安定になるかもしれませんね。スタイルシートが使えるといいのですが、そういう改変ではないようです。新機能の変更点で既にわかっていて、私が影響を受けるところは、「3 タイトルの画像の高さが最大『150pixel→90pixel』となります。」という箇所です。「現在登録されている画像の高さが90pixelを超え」ている人は、上下が自動的にカットされます。幻泉館の看板画像を見たところ、高さが90ピクセル(90ドット)を超えていたので、89ピクセルに縮小した画像に差し替えました。看板が少し小さくなったんですよ。タイトルに自前の自前の画像を使っている方は、とりあえず同様の作業をするか、画像を他のものに差し替えた方がよろしいでしょう。編集ページのトップにでで~んと書いてある「デザイン機能を大きくバージョンアップ!」にある、「>>新機能と変更点についてはこちらからご確認ください。 」を御覧くださいな。【追記】No.2「朝まで生テレビ」をちらりと見る。「激論! 日本のプロ野球が滅亡する?!」古田選手まで出ているのだが、あんまり激論になっていない。本当に滅びるぞ、こりゃ。日拓ホームが名指しで非難されている。宣伝のために球団を所有し、一年間で売り飛ばした会社だ。1973年の日拓ホームフライヤーズ。クラウンライターライオンズは二年間だけ存在して、江川投手をドラフト指名して消えてしまった。そういう会社と一緒にするなと、ライブドアの社長さんが言っている。放送と通信がこれから急激に変わってしまうことだけは確かだ。放送は地上波がデジタル化してどうなるんだ。通信は番組コンテンツを充実させて、放送を駆逐するのかもしれない。二宮清純さんが言うように、日本にスポーツ文化はない。中学高校の部活動や大学体育会、そして大手広告代理店がその芽を摘んでいるのだろう。Jリーグには、日本に新しくスポーツ文化を育てる光明も見えた。かつて一緒に「八月の濡れた砂」を歌った男が、韓日ワールドカップの時よくメディアに登場していた。しかし、彼らが大儲けをした後、結局草も生えないような荒れ地だけが残っているのではないだろうな。【追記】No.1ここ数日間撮っていた夕陽画像、フィルム分を現像に出してきました。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]chappiさんが学生時代にいたサークルでは、コンサートの最後に「天使のハンマー」を歌っていたそうです。テーマソングのようになっていたのですね。なかなかかっこいいです。私がいたサークルでは、飲み会の最後に「八月の濡れた砂」を歌っていました。高田馬場の「水車」というお好み焼き屋さんや、「ニュー浅草」という居酒屋さんです。ああ、先輩が酔っ払ってふらつき鉄板に手をついて、掌をジュッと焼いてしまったことがあったなあ。かっこ悪いですね。「八月の濡れた砂」は井上陽水さんと結婚した石川セリさんが歌っていました。そう、若者に言っても通じない「いたれりつくせり石川セリ」の石川セリさんです。この人は少年ドラマシリーズ『つぶやき岩の秘密』のテーマソング「遠い海の記憶」も歌っているので、実はかなりファンの多い隠れた「夏歌手」なのではないでしょうか。もちろん「八月の濡れた砂」は、藤田敏八監督の映画『八月の濡れた砂』(1971年)の主題歌です。「みどりぶた」こと故林美雄アナウンサーがパック・イン・ミュージックで毎週かけていたのを聴いたのだと思います。高校生の時にこの映画と曲を知りました。実際に映画を観たのは高校を出て上京してからです。十代の不安といらだち、大人に対する憤り、こんなものがもやもやと膨らんでいって爆発する様子が痛々しくて、観るのが少しつらい映画でした。今も石川セリさんの歌を聴くと胸が痛みます。監督のビンパチさんも、主演の広瀬昌助さんも、林美雄さんも亡くなってしまいました。 ♪ 私の海を まっ赤に染めて ♪ 夕日が血潮を 流しているの ♪ あの夏の 光と影は ♪ どこへ行ってしまったのまるで「サークル歌」のようになっていたのは、私たちのサークルが、この映画の脚本家が学生時代に作ったサークルだったからです。彼らは私たちのように8ミリでくだらない青春映画を撮っていたのではありません。16ミリの機材を借りて、大分県で火力発電所建設反対運動のドキュメンタリー映画を作っていたのです。佐藤忠男さんの書いた『日本記録映像史』にも登場する、その映画は『ぶんご夏』というタイトルでした。その大先輩は鬼才として知られ、監督作品として残した映画はごくわずかですが、数多くの映像作品に脚本家として参加しました。1992年に54歳で亡くなりました。名前を大和屋竺といいます。 ♪ 悲しみさえも 焼きつくされた ♪ 私の夏は 明日もつづく「八月の濡れた砂」(A面) 歌:石川セリ 作詞:吉岡オサム 作曲:むつひろし 編曲:秋葉洋「小さな日曜日」(B面) 歌:石川セリ 作詞:山川啓介 作曲・編曲:樋口康雄『八月の濡れた砂』 (1971年 日活) 監督:藤田敏八 脚本:藤田敏八 峰尾基三 大和屋竺 出演:広瀬昌助 村野武範 中沢直人 藤田みどり テレサ野田 渡辺文雄 地井武男 隅田和世
2004.07.31
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【追記】No.5昨年の11月14日付日録にコメントを付けてくださった方がいて驚きました。さらにタイトル「馬鹿いわないで!」にも驚きました。うん、確かに馬鹿ばっかり言ってるのよ。でも、いきなりはあんまりだなあ。あなたはどこのお利口さんなの。コメント本文を読んでさらに驚きました。 > 馬鹿いわないで! 悪女さん > > 確かに黒部のトンネルは歌うにはまずいよ、しかしねぇ > あのトンネル掘った人の事も考えてよ、ねっ。 (7月30日16時38分)脈絡のない大声でタイトルを書いてくださったわりには、言いたいことがわからないのです。「ねっ」と言われてもなあ。苦労してトンネルを掘ったのだから、そこで紅白歌合戦の中継を行うことを批判したり、からかったりしてはいけないということなのでしょうか。馬鹿ばっかり書いていることをネットで公開してるんだから、その馬鹿部分は大いに批判してくれてかまわんのですが、どこが馬鹿なのか私にはまったくわからないんです。私が馬鹿だからでしょうか。 ♪ いやんばか~ん うふん ♪ そこはおへそなの~【追記】No.4かすかに残る紙芝居屋さんの記憶では、商品はおせんべいでした。えびせんを薄く大きく作ったようなおせんべい。それにソースのようなものを刷毛で塗っていました。自分で食べた記憶はないのです。黄金バットの「うわっはっはっは~!」を聞いたような気もするのですが、それは亡き親父様が真似してくれたものかもしれません。【追記】No.3私には「かみしばい屋のあのオヤジ」の記憶は、ほとんどありません。私は国道1号線沿いの、地方都市の下町で生まれました。裏通りを物売りのおじさんがよくやってきました。でも、かみしばい屋さんはもうあまり来なくなっていました。幼稚園のころに、まさに田園のただ中に引っ越したので、それからは子供相手の細かな物売りを見かけることなどほとんどなくなりました。水飴売りのおじさんがいました。透明な飴を練って空気を混ぜこみ、きれいな白い色にします。一番白くなった人はもう一本。こんなことを楽しんでいたのは、昭和二十年代生まれの従姉ちゃんたちでした。私はまだオミソだったのです。実はそんな風に人と競うことが苦手でもありました。駄菓子をあまり買わなかったということもあります。角の「やなぎ屋」に行って、月刊雑誌の付録を袋に詰めたものを買う方が好きでした。付録も別冊のマンガなのです。神社のお祭りの時も、お菓子より古雑誌を買っていたものです。ただ、記憶にはないけれど、カバヤのキャラメルは好きだったようです。唯一好きだった、売りに来るお菓子は「トラマメ」でした。そう呼んでましたけど、本当のトラマメではなくて、赤エンドウを塩ゆでしたものでしょうね。円錐形の筒に入れて一杯5円とかだったのだと思います。【追記】No.2夕陽写真、別テイクです。こちらはPENTAXによる撮影。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.1台風の影響か、雲が東から西にすごい勢いで流れていく。いきなりシャワーのような雨が降ったり、お日様が照ったり、めちゃくちゃなお天気でした。夕方少し晴れ間が出たので、浜へ行ってみました。お月様写真もございます。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]ベルウッドの復刻版CDで、岩井宏さんの『30才』。これはアナログ盤を抱えたままデジタル変換しようと思っていたのだが、ずっと延ばし延ばしにしているうちに、ベルウッドが復刻してくれたのであります。岩井さんは70年代初めに高田渡さんの横でバンジョーを弾いていた人という印象。高田渡・加川良・岩井宏で「三バカトリオ」などと言っていました。こうやって書いてみると、名前が三文字トリオなんですな。ピート・シーガーのような、ロングネックのバンジョー。中津川フォークジャンボリーのライブ盤に入っている「かみしばい」は好きな曲だった。 ♪ かみしばい かみしばい ♪ かみしばい屋のあのオヤジは もういない ♪ 古い自転車に ちっちゃな劇場積んで ♪ ジンジャカやって来る ♪ ニッキ飴を買って ぼくらは夢中にしゃぶる ♪ 二本目を狙ってギターでバンジョーのフレーズのまねをしてみるのだが、どうも雰囲気が出ない。結局この曲やりたさに安物のバンジョーを買ってみたりしたこともあります。もう手元にはありません。自分のアルバムを作ったら引退するのだと言っていたそうで、岩井さんはこの『30才』というアルバムを残して、プロであることをやめた。加川良さん、中川イサトさんと一緒に録音した、静かなアルバムである。岩井さんが亡くなっていたのを知ったのは数年前のこと。病気だと思っていたのだが、交通事故なんだそうな。お酒を飲んだ帰り道に自転車で転び、そこへ車がやってきたのだという。2000年のことだそうです。岩井さんも酒で亡くなったようなものなんだなあ。「昼休み」もCDで聴きたいなと思います。岩井宏『30才』(オリジナル 1973年)1. 小さな歯車2. ほおずき市3. 放浪者の子守唄4. 路地5. かみしばい6. 道草7. 赤ん坊さんよ負けるなよ8. 屋根裏部屋9. 春のつむぎ歌10. 30才 価格:1700円(悪税込み)
2004.07.30
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【追記】No.6ふと夕刊を見ると、NHK総合テレビ11:15p.m.からの『夢・音楽館』はハワイアン。ゲストはKONISHIKIとゴンチチ。ハワイアンでKONISHIKIというと、なんだかIsrael Kamakawiwo'ole(イズラエル・カマカヴィウォオレ)のことをやってくれそうな気がする。そりゃ偏見か?でも、一応チェック。「IZ」ね。【追記】No.5社会保険庁職員が本来の業務以外で年金加入者の個人情報を閲覧していた件で、493人が処分されたそうだ。処分者が出ていないのは、奈良、島根、熊本の三県のみ。といっても、外部への情報漏洩の事実は確認できなかったとして、国家公務員法違反には問われていない。セキュリティとは、かくも脆いものなのである。たった一人の不心得者がいるだけでも、一旦デジタルデータが洩れてしまえば、その情報は自由に市場を流通してしまう。以前総務省の面の皮が厚そうな大臣が絶対大丈夫と豪語していたが、本当に大丈夫なんかね。二十年前に科学技術庁長官が原発は絶対安全だなどと言っていたのを思い出す。そりゃ「安全神話」じゃないだろう。単なるウソなのだ。【追記】No.4ちょっと捜し物をしていたら、古川豪さんのページに「豪の写真館」がありました。「豪の写真館」「introduction」の最下段にある中山ラビさんとか、75年の「春一番」とか、すごいです。風太さんやちっちゃいおっちゃん・宮里ひろしさんも若者であります。【追記】No.3これも夕陽画像みたいなものですな。今年の春一番初日、渡さんの前に登場した南正人さん。すごい存在感でした。【追記】No.228日の夕陽画像追加。pentaxで撮った方です。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.128日の夕陽画像です。とりあえずcontaxで撮った方だけ。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]ベルウッドの復刻盤。南正人さんの『ファーストアルバム』です。『回帰線』の方が早いですよね。今年の春一番に出てましたけど、ビジュアル的にもインパクトありましたなあ。このアルバムはほぼキャラメルママだというのが不思議。日本のヒッピーです。『南正人 ファーストアルバム』1. いやな長雨2. 午前4時10分前3. 紫陽花4. ア・ウィーク5. 愛のふきだまり6. ブギ7. 五月の雨8. 家へ帰ろう9. レイジィー・ブルー(オリジナルアルバム 1973年)
2004.07.29
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【追記】No.1昨日27日の夕方浜に出たのですが、雲が出てきて夕陽が見えませんでした。今日28日はもう少しきれいに見えたのですが、それは深夜に作業します。ほんの少しだけ更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]さよなら、らもさん。
2004.07.28
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【追記】No.2鶴巻町に下宿していたころ、夏場は外へ出る時も熱気がこもらないように窓を開けていました。部屋に帰ると、私のベッドに近所の猫がよく寝ていました。快適だったんでしょうな。最初は驚きました。90年代に沼袋の部屋で同じように窓を開けて外出していたら、天井にびっしり羽蟻がとまっていてぎょっとしました。今思えば、人間が入り込まなくて良かったなと思います。【追記】No.1フィルムで撮った夕日画像をDPEに出してきました。撮影数回分です。粒子は荒いのですが、やっぱり色はフィルムで撮った方が良いように思います。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]なんでもいいから夏の俳句を作ってくれという無茶な話があったので、即座にひねり出しました。マジメに短詩型文学をやってる方に申し訳ない。あんまりなので第一句を自主規制。 ☆★□■○ 熱風とどろく 室外機風流ですなあ。違う、違う、蒸し暑かったんです、東京の夏。エアコンはおろか扇風機なんぞも持っていなかったので、窓を開けて寝るのです。でも、隣の建物のエアコンの室外機が動くと、余計に暑くなるのです。寝苦しい夜でした。下の画像は以前アップしたものです。70年代の早稲田鶴巻町。大隈講堂の裏にある劇研のアトリエや文房具屋さんを左手に見て、神楽坂の方へ数分の間てくてく歩きます。左手の街路樹は中央分離帯です。都電の跡なんでしょうか。鶴巻小学校の裏辺りに下宿していました。ある時新聞を読んでびっくり。すぐそばの別の下宿にいた学生が捕まっているのです。暑くて寝苦しいので、小学校のプールに生ゴミを投げ込んだのだそうです。なんちゅう馬鹿者じゃ。なんだけど、その気持ちは少しわかりました。
2004.07.27
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【追記】No.1月曜の午後5時ごろ浜に行ってきました。日曜と同様に西の空はすっかり雲に覆われて、夕焼けにはなりません。東は青空で、西は真っ暗。6時ごろ雨が降ってきました。それでも、BBQびとたちがいます。この浜は水泳よりも、バーベキューや花火で賑わうのですね。そう、それになんといっても夕焼け。更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]2003年10月8日付の幻泉館日録@楽天「隅田川乱一 / 空飛ぶキノコ」にトラックバックを付けて、『喜劇新思想大系』が出てるよと教えてくださった方がいます。ありがとうございました。早速買いました。リッチな製本で印刷もきれいです。箱が筒型なのが惜しまれます。判型も、この価格ならせめてA5判にしてほしかったなと思います。山上たつひこさんは私たちマンガ好き少年にとっては、『光る風』(1970年)の人でありました。その人がどうも変なギャグマンガを書いているらしいという話を聞いたのが1972年。あれよあれよという間に『がきデカ』(1974年)で大ブレイクしてしまいました。実際にうわさのマンガ『喜劇新思想大系』を読んだのは、こまわり君に笑い転げた後です。これは少年誌には載らないよなあ。表紙に使われているのは、収録されている「至上の愛」の扉絵です。一応レスリングの絵なのですが。ページをめくると、日大相撲部出身の三味線師匠近松亀丸と、写楽の大首絵の顔をした玉三郎とのベッドシーンなのである。1ページ4コマの中で「CIDER '73」に乗ってアクロバティックに絡む。あの多羅尾伴内(大滝詠一)さんの三矢サイダーCMソングです。「あなたがじいんと」「くるっときはン」「わたしも」「じいんと」「くるんでえす」「サイダーーッ!」『がきデカ』では少年誌の制約もあってさらにシュールな世界に突入していくのだが、『喜劇新思想大系』ではまだ身体が現実に近い。もっとも、現実の筋肉からのデフォルメが感じられるのは、『がきデカ』同様に男性の肉体だけである。手塚治虫さんの円い描線に、劇画のタッチを持ち込むことで異化効果を生み出す。山上さんは意識的に描いていたはずである。これが70年代のマンガということなのだろう。つげ義春さん、佐々木マキさん、林静一さん。このあたりが私が実感する70年代のアバンギャルドなマンガ家さんなのだが、描線は旧来のマンガ+劇画の枠内にとどまっているように思う。大友克洋さんは実際には70年代に登場しているのだが、彼がブレイクした1980年からは、70年代のマンガの実験とは、ずいぶん世界が違う。大友克洋さんと高野文子さんがほぼ同時に登場しているのだから、80年代がカスだったなどとはとても言えない。そういえば、あの記録的連載マンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の秋元治さんは、最初「山止たつひこ」と名乗ってましたね。「山上さんならわかってくれると思った」と言っていたそうですが、私もクレームは意外に感じたものです。『喜劇新思想大系 完全版 上巻』フリースタイル刊四六判上製箱入り本文698p定価:3675円(悪税込み)
2004.07.26
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【追記】No.3思い出しました。不二家ルック・チョコレートのCMにウォーカー・ブラザーズが出てました。オバQの時間のCMを見てたのかな。そいういえば、なぜ小枝のCMで小山田圭吾君が女装していたのだろう。わからない。小技じゃないですよ。【追記】No.2それで、行ってきましたよ、コンビニ。ここに越してきたころは周囲がたんぼだけだったのに、今はコンビニが何軒もあるのです。ブックオフやその類似店もあるので、立ち読みして涼んできました。ロッテ「ガーナ ミルク」「ガーナ セミスイート」明治「ハイミルク」「ブラック」グリコ「プリッツ」「ポッキー」不二家「ルック チョコレート」森永「小枝」復刻パッケージが懐かしくてドカンと買ってきました。なんだか遠足みたい。あやしいおやじだなあ。今夜は食べませんよ。冷蔵庫に入れておいて、ひと夏かけて食べることにしましょう。【追記】No.1日曜の午後6時ごろ浜に行ってきました。西の空はすっかり雲に覆われて、夕焼けにはなりません。明日は雨かな。もう暗くなっているのに、泳いでいる人達がいました。ポルトガル語を話していました。堤防の上には、おそらくタガログ語を話している人達。日曜日を家族で楽しんでいるのです。カイトサーフィンの人達もいました。夕陽が好き![I Love Sunset!]私にとって犬といえばエル君です。いわば「The Dog」。エルは私がまだ幼稚園にも上がらないころ、もらわれてきました。その夜はずっとクーンクーンとないていたのでかわいそうに思ったものです。そのころよくいた、柴犬とスピッツの雑種でした。一緒に育ったんですね。小学校1年生の時の教科書(学図版)に、そっくりな「エル」という犬が出てきたのでとてもうれしかった覚えがあります。先日コンビニで復刻版のお菓子を見かけました。あ、ロッテのガーナチョコ!これこれ、ガーナチョコが私にとってのチョコレート、「The Chocolate」なんです。元々そんなに駄菓子屋さんでお菓子を買ったりしなかったのですが、こんなに立派なチョコレートを自分で買うなどと、おそれおおいことでありました。従姉ちゃんのおこぼれをいただくのです。ロッテのサイトで、CM曲のメロディをオルゴールの音で流しています。[カカオはロッテ] ♪ 小さな瞳 夢見るチョコレートいいメロディですね。タイトルは「小さな瞳」というのだそうです。日曜日の昼、従姉ちゃんの見る「ロッテ 歌のアルバム」の時に流れていたCMです。googleで検索するとビリー・バンバンの歌でCDに入っているようですが、最初に聴いたのは誰が歌っていたのかしら。浜口庫之助さんの曲ですね。ところで、明治製菓といったような他の会社のチョコレートはダメだったかというと、もちろんけっしてそのようなことはございません。そういったものをいただけば、ニコニコしておりました。 ♪ チョッコレート チョッコレート ♪ チョコレートは明治こちらは「いずみたく」さんの曲。ロッテといい、明治といい、なんだか哀愁を感じるメロディですね。ほろ苦さといったようなところを意識したのでしょうか。明治のチョコレートはタイガースのプレゼント・キャンペーンがあったので、女の子たちが一所懸命買っていたのを覚えています。ところで大学生になってから、このCMソングの替え歌を野球の応援で歌ったような覚えがあります。「チョッコレート」の部分を「ちょっとこれ」に置き換えた歌です。明治大学との試合の時に歌うのです。いけませんね。法政大学にあの江川卓投手がいた時代で、法政大学との対戦の時はめちゃくちゃな内容の替え歌を歌いましたが、それは書きません。ああ、野球部の岡田選手、ア式蹴球部の岡田選手、どちらも今ではプロチームの監督さんになってしまいました。
2004.07.25
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【追記】No.3書き忘れてました。上々颱風は「シャンシャン・タイフーン」と読みます。90年代前半には、JAL以外にもメジャー仕事がありました。関口宏さんの番組のエンディングに「銀の琴の糸のように」が使われました。住友生命のCM ♪ど~くしんじだ~い~♪ メンバーがステージ衣裳で出てました。「守ってあげる」という曲です。CDは、CMで使われた部分は ♪ま~もってあげ~る~♪となっています。高畑勲監督『平成狸合戦ぽんぽこ』の音楽を担当しました。ぽんぽこ愛のテーマ「アジアのこの街で」エンド・テーマ「いつでも誰かが」ライブがとても楽しいので、ぜひ一度ナマでご覧になってください。CDには入っていませんが、ザ・フォーク・クルセダーズの「フォークル節」替え歌で始まるメンバー紹介は、何が飛び出してくるかわかりません。「張子の虎」2番の歌詞を引用しておきます。 ♪ 張子の虎 ホーイホイ ♪ 張子の虎 ホーイホイ ♪ ヘイ アンクルサム ♪ 尻尾に火がついてる ♪ ヘイ アンクルサム ♪ 最後のあがきだね ♪ 黒い腹をかかえて ヨタヨタ歩き ♪ おまえのいくとこ 必ずわざわいが起る ♪ 張子の虎 張子の虎さ【追記】No.2え~、上々颱風はそれなりにヒット曲もあるし、意外にテレビに出ていたりするのですが、どうもいまひとつ知名度が低いようですね。テレビ番組で曲のイントロだけ使われるなんてことも多いんですよ。以前「食わず嫌い選手権」といったような番組で、「いよぉ~、ポンッ!」だけ使ってましたっけ。ひさびさに本館より蔵出しいたします。上々颱風は昨年の日録に2回登場していました。[2003年2月25日付日録より]-------------------------------音楽板の怪人きりぽんさん(仮名♂年齢不詳)が教えてくれた、上々颱風出演番組を録画。「テント2003 公園通りで会いましょう」「愛より青い海」は何年ぶりに聴いたろうか。もう十年以上経っちまいましたが、JALのCMで使われたという大ヒット曲だぜ。やっぱ知らない?太鼓のヒダノ修一さんと共演「八十日間亜州一周」。ワタクシの好きな曲です。上々颱風祭りでは、仕掛け物を動かす大きな曲でした。韓国スルギトゥンの鳴り物なんぞが似合います。数年見ていなかったので、ちょっと年取ったね、同世代。紅龍はますます異形の怪僧風に。最後にEarth Wind & Fireの"Fantasy"を上々颱風版で演奏。本当はぴーひゃらと笛なんぞ入れたいところだな。ゴトやんがいなくなったのが惜しまれる。再生装置が貧弱なので、太鼓の重低音が響いてこない。やっぱ上々颱風はナマがいいんだなす。スタジオ観客のおばちゃんたちがノリノリなのが悔しいっす。[2003年7月7日付日録より]-------------------------------もう八年も経つのか、ミュージカル『阿国』を観にいったのは。日曜深夜のBS2でそれを放映するというので、録画準備。以前の放送の時はテープの長さを間違えて失敗したのではないかしら。どうしてこの時期に?と思って検索したら、あら、またやるんじゃないですか。上々颱風のCDも出てる。そう、このミュージカルは木の実ナナさんの当たり舞台なんですが、音楽を上々颱風が担当しているんです。というより、楽曲はおおむね上々の曲の替え歌なんです。バンドのメンバーが出雲阿国一座の面々に扮して、劇中で演奏したり歌ったりします。だから、観客の中の上々颱風ファンだけ、いつものコンサートの要領で踊ったり歌ったりしちゃうんで、異様な観劇風景となるのでございます。あらま、7/8(火)からじゃん。行けないなあ。とりあえず、CD発注!歌舞伎の祖、出雲の阿国が四条河原で 「かぶき踊り」を 始めてから今年で400年にあたるんだそうです。【追記】No.1千本浜の夕日画像を追加しました。さきほどアップしたのはPENTAXで写した画像、追加分はCONTAXで、フォルダを分けました。縦横比も色合いもだいぶ違います。夕陽が好き![I Love Sunset!]毛沢東さんがモスクワの共産党労働者等代表者会議で「米帝は張子の虎」と演説したのは1957年。立教大学の長嶋茂雄選手が読売巨人軍と入団契約を結ぶ直前のことであります。もちろん私は赤ん坊だったので、そんなこと知りません。どういうわけか浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件の原因となった、「米帝は日中共同の敵」もセットで思い出します。これは1960年のことです。同時代というよりも歴史的知識として知っていた「張子の虎」なんですが、80年代初頭に「紅龍&ひまわりシスターズ」が歌にしました。坂上紅龍という1955年生まれの若者が、バンジョーの弦を張り替えて三線のように弾いていました。ド派手な衣装を着た小さな女の子二人が歌っていました。このバンドは1979年にライブ活動を開始し、横浜寿町「鎮魂と共生の祭り」、光州事件一周年の追悼コンサート、高知県窪川町での反原発「生命のフェスティバル」といったさまざまな祭りに参加しました。80年代後半にバンドは「上々颱風」と名前を変え、新たに参加したエミちゃんの庄内弁での語りでますます不思議な雰囲気を醸し出すようになりました。そう、上々颱風の話なんですわ。知らない間に上々颱風のアルバムが出ていたので注文しました。ライブ行ってないとダメだなあ。amazonでは扱っていないようなので、ゆうげい社から直販。「上々颱風アーカイブス」と銘打った、懐かし音源アルバム2枚です。一枚は『上々颱風JIROKICHI DAYS 1988』。90年のメジャーデビュー前にライブで人気が出たころの音源ですな。それでも、もう16年も経ってしまったんだ。高円寺JIROKICHIにお客さんが入りきらず、外で聴いている人もいたそうな。もう一枚は上々颱風の前身バンド、紅龍&ひまわりシスターズの音源。実はこれが聴きたかった。80年代初頭に売っていたカセット『アジアが一番』に、未発表のライブ音源やスタジオ録を付け足したものであります。今の上々颱風に残っているメンバーはリーダーの紅龍さんとボーカルの西川郷子さんだけ。80年代に「ムヒ」のテレビCMにちらりと出ていたと思うのだが、調べてもわからない。あら、上々颱風の情報を探していたら、HONZIさんのサイトが見つかったわ。googleでヒットしたところはリンク切れてたんです。[honzi]上々颱風のサイトはこちら。[上々颱風 公式サイト]『上々颱風JIROKICHI DAYS 1988』1. 上々颱風のテーマ2. 張子の虎3. カラスかねもん勘三郎4. 仏の顔もIt's All Right5. 上海我愛イ尓 (字が出ない)6. 美は乱調にあり7. ハイ・ハイ・ハイ8. 踊りゃんせ9. 町工場の女の子10. ヨコスカ・バーニング・ナイト11. ヨコスカ・マンボ12. チャイナタウン・シャッフル『アジアが一番』紅龍&ひまわりシスターズ1. レボリューション音頭2. 張子の虎3. 気分はセントウ!4. ヨコスカ・バーニング・ナイト5. しぶ茶でcha cha cha6. 春風は河を渡る7. お囃子~ひまわりシスターズのテーマ8. 本気節9. 波と風
2004.07.24
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【追記】No.4夕方浜に出ました。やけにBBQびとが多いなあと思ったら、今日は土曜日なんですね。ただいまアジアカップをテレビ観戦中です。重慶での反日感情はすごそうだなあ。夕陽が好き![I Love Sunset!]【追記】No.3 ♪ 小さいころ 母さんと ♪ 西瓜売りに 行ったっけこれは誰の何という曲だったかしら。たぶん「コッキーポップ」でかかっていたのだと思う。どちらかというと苦手な曲が多い番組だったのだが、「オールナイト・ニッポン」を待ちながらよく聴いたので、時々心に残るフレーズがあるのだ。隣町の叔父さんからスイカを貰ったので思い出したのです。素人が作ったものなのに、このスイカが大きくて甘いんですわ♪【追記】No.2「男おいどん」の歌がありましたなあ。女の人がのったらのったら歌ってました。歌詞に「ラーメンライス」なんかが出てきました。あれは誰の何という曲だったんでしょうか。もちろん遠藤賢司さん(「ラーメンライスで乾杯」)でも、かぐや姫(「田中君じゃないか」)でもありません。【追記】No.1夕方六時ごろ、ふと気づくと太陽がきれい。霞のような雲がかかっているので、赤い月のようなお日様。これは海へ行かねばと車を走らせると、雲が濃くなってどんどんお日様が薄くなっていく。海岸に着いた時には、もうすっかり太陽は見えなくなってしまった。のみならず、雨までぱらぱらと降り出す。ノミ……かゆい。信号待ちでなんとかうっすらと写ったお日様と、寒々しい、でも蒸し暑い海岸です。猫のノミがひどいので廊下にガーガー掃除機をかけていたら、ふと目に入った本です。講談社漫画文庫版『男おいどん』1~9巻奥付では1976年12月~1977年8月発行です。毎月一冊ずつ出ていたんですね。吉祥寺駅公園口を出たところにある「ブックスいずみ」で買ったものが多いはずです。何度かあった漫画文庫ブームの最初のシリーズだと思います。『男おいどん』が週刊少年マガジンに連載されたのは、1971年5月9日号から1973年8月5日号。私が中学生高校生の時です。それを大学生になってから、東京で四畳半暮らしをしながら毎月買っていたのです。このマンガに関しては、私よりずっと語るのにふさわしい人物を知っております。北九州から青雲の志を抱いて上京し、ずっと同じ大四畳半で青春をすごした、男おいどん君です。私なんぞはその気になればすぐ実家に帰れちゃったりしたので、あんまり多くを語る資格がございません。最後の一コマにある言葉を引用するにとどめましょう。 > ここは おいどんの四畳半 > おいどんが 青春の夢と希望と涙と > いっしょにいるところ > トリさんもいる パンツもある > サルマタケもはえている > 守り神も だまって見おろしている > そうだ ここは おいどんの四畳半‥‥
2004.07.23
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【追記】No.4ブッシュがテロだと決めつけるのは、そりゃヤクザのシノギと一緒です。インネンつけて戦争をしかける。まさにならず者国家の所業です。「テロ」という言葉を恣意的に遣ってるのだから、そんな枠組みに入りこんではいかんですよ。日本の民主主義が脆いのは、レジスタンスの経験がないからだと言われますね。ニッポンという枠組みでは常に侵略者の側にいたということでしょう。ヨーロッパの例を持ち出すまでもなく、八路軍、三一独立運動、ベトコンといった動きをテロと呼ぶのは、紛れもなく侵略者の視点です。【追記】No.3かゆいです。暑いので、ものすごい勢いでノミが増えているようです。枕元にマグカップを置いていたら、ノミが浮かんでいました。跳びこんでしまったのですね。おやおやと思っていたら、もう一匹跳び込みました。二匹目にはぞっとしました。洗面所に水を張ってそこにカップのノミどもを流し込んだら、そこにもまた一匹跳び込んできました。夜中にシーツの上でじっと目を凝らしていると、また数匹つかまえました。ただでさえ寝苦しいのに、深夜ノミと格闘です。暑苦しい右翼の街宣社ですが、幻泉館地方の右翼に思想的背景はないようです。オレたちはうるさいんだぞとアピールしておくのが普段のお仕事。インネンつけて金を脅しとるというシノギで暮らしているようです。たとえば竣工期限の迫った公共事業の工事現場へ行って作業の妨害をする。邪魔されたくなかったら金を出せよということです。寄生虫みたいなものです。【追記】No.2光化学スモッグ注意報が出た日の夕方。雲が厚くて夕日が見えず、人影も少ない。それでも一人で海を眺める人がいた。【追記】No.1夏見還さんのレスにあった、右翼芸人(?)鳥肌実さんのサイトです。音がうるさいので気をつけてください。[鳥肌実 公式ホームページ]空はどんよりと曇っているのだが、放送塔のスピーカーから光化学スモッグ注意報が流れる。風がないのだろう。湿度が高くて蒸し暑い。線路の反対側から、小林旭さんの歌が聞こえてくる。すごい音量なんじゃないか。右翼の街宣車だ。このあたりの街宣車は旭さんや鶴田浩二さんの歌を流していることが多い。「出征兵士を送る歌」は時々かかる。なんだか勇ましい感じがして好きなんだろう。ところが、「昭和維新の歌」がまったくかからないんだなあ。これは前から不思議。 ♪ 汨羅の淵に波騒ぎ ♪ 巫山の雲は乱れ飛ぶ汨羅江は中国湖南省の北東部の川で、湘江に注いでいる。楚の屈原が投身したことによって名高い。「巫山の雲雨」も楚の話。懐王が昼寝して巫山の神女に遇った夢を見た故事から、男女の情のこまやかなことのたとえとして用いられる。また、男女の情事そのものを指すことがある。つまり、「昭和維新の歌」冒頭の意味は、「自殺者が相次ぎ、男女の間は乱れ切っておるぞ」ということになる。そりゃ無理だ。街宣車の右翼には言葉の意味がわからない。一番の後半は簡単です。 ♪ 混濁の世に我立てば ♪ 義憤に燃えて血潮湧く悲憤慷慨、清廉なる「我」は熱血漢なのでございます。だから、二番なんてなかなかいいですよ、財閥批判です。 ♪ 財閥富を誇れども ♪ 社稷を思う心なし日本で最大の財閥はどなたの一族だったのか、作詞者に尋ねてみたい気がします。「維新」とは、右翼による「革命」のことです。明治維新は戊辰戦争という内戦によって達成した革命でした。主に西日本の雄藩と、東北諸藩の間の戦争です。第二次世界大戦とは桁が違うのですが、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争は戦没者の数がほぼ同じで、どれも一万人余りなのだそうです。日清戦争は戦死者よりも病没者の方がずっと多いので、実際の戦死者は戊辰戦争、西南戦争という激しい革命戦争によって明治維新が成ったのだということになります。維新戦争で敗れた東軍(佐幕側)の戦死者は会津藩が群を抜いて多く、以下幕府軍、仙台藩、水戸藩と続きます。白虎隊の地で今も薩長新政府に対する反感を耳にするのは、戦争の記憶が残っているからでしょう。金融恐慌以降、汨羅の淵の波を騒がせ、身売りが相次いだのも、この地方ではなかったでしょうか。鈴木清順監督『けんかえれじい』(1966年)吉田喜重監督『戒厳令』(1973年)こんな映画を見て、北一輝のことを調べたことがあるのです。直接「昭和維新の歌」に惹かれたわけではございません。
2004.07.22
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【追記】No.3リンダ・ロンシュタットさんがラスベガスのショーでトラブりましたね。あはは、がんばれや、みたいなニュースなんですが、リンダさんの画像を見てびっくり。え、これがリンダ・ロンシュタット?7月1日付日録「ノーブラ」のところで引用したジャケット写真の印象が強いので、驚きました。子狸みたいでかわいかったのになあ。他人様のことは言えない、諸行無常……。なんだかアルコール依存症のようでもあります。L・ロンシュタット、ムーア監督称賛の歌でショー降板【追記】No.2土用丑の日でしたね、みなさん鰻召し上がりました?夏見還さんが「うなぎランキング1位」のおいしい画像をアップしています。ううむ、たまらんのぉ。電通のサイトでは、平賀源内さんに「コピー賞」が贈られていました。[電通 古今東西広告館]【追記】No.1本館掲示板の方で、戸川純さんも歌ってましたよというご指摘をいただきました。そういえば聴いたことがあるような気もします。ふと気づいたのですが、「蘇州夜曲」をカバーしている人は、80年代的な名前が多いようです。70年代以前には、年寄りの懐メロだったのでしょうか。「蘇州夜曲」は1940年の服部メロディ。とても美しい曲なのだが、この異国情緒は歪んだものではないかという留保が心の中に残る。言ってみれば、大陸浪人的ロマン主義そのもの。なんだか危ないなあと思う。寒山寺(ハンシャンスー)は「蘇州夜曲」のおかげで日本人観光客が多いのだという。作曲者服部良一さんはこの曲をかなり気に入っていたようですね。1993年1月に85歳で亡くなりましたが、本人の希望で告別式には「蘇州夜曲」が流されたそうです。 ♪ 髪に飾ろか 接吻しよか ♪ 君が手折りし 桃の花 ♪ 涙ぐむよな おぼろの月に ♪ 鐘が鳴ります 寒山寺なんとなくhonziさんのアルバムを買う。「honji」じゃなくて、「honzi」になってました。わざとガジェットな雰囲気を出しているようなアルバム。ジンタッタと、サーカス、メリーゴーランド、手風琴。春一番でコーラス付けてる声は聞きましたが、メインだと矢野顕子さんを静かにした感じ。戸川純さんのようなところもあります。「蘇州夜曲」をやってくれてます。この曲はいろんな人がやってるんですよね。ミュージシャンズ・チューンとでも呼ぶべき曲なんでしょう。自分でやりたくなる。googleで検索したら、一覧を作っている人がいました。李香蘭さん、渡辺はま子さんに始まって、もちろん美空ひばりさん。おお、EPOさん、渡辺美里さん、内田勘太郎さん。なんと池田理代子さんまで歌っています。[蘇州夜曲]あら、リストに上々颱風が入ってませんな。コンサートでは、サトちゃん(西川郷子さん)の高い声の聴かせどころでございます。 ♪ 君がみ胸に 抱かれて聞くは ♪ 夢の船唄 鳥の唄
2004.07.21
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【追記】No.4私の出身高校は、今日の県大会の試合で負けたようだ。試合相手の高校は甲子園の常連なので、健闘したようだ。2年生投手君、暑かっただろうな。午後急に雲が出てきて、空が暗くなった。あ、雨が降ってるわ。お、すごい降りだ。わ、雷鳴ってる。埃のにおいがする。いい雨だけど、外の人はみんな濡れてるわ。下の画像は昨日、20日の西の空です。【追記】No.3猫ノミが大量発生。うう、かゆい。暑い、かゆい。足首ぼろぼろです。ただいまちからいいっぱい掃除機をかけました。外猫がうろうろしてるんで、例年になく大量発生したんですな。この暑さのせいもあるのか?スズメバチも気をつけないと。今度刺されると危ないんです。【追記】No.28ミリフィルムによる映画作りは、今の若者にはピンと来ないでしょうね。学校の黒板の大きさ程度になら拡大して映写できるので、ビデオよりも本格的な映画の雰囲気が手軽に実現できるのです。夕暮れの中で校舎の壁にゲリラ上映できないものかなどとも考えました。電源と音の問題があるので、実行には移せませんでした。8ミリの場合、フィルムに光学的に録音するサウンドトラックはなかったのではないかと思います。フィルムに磁気帯を付けてあってそれに録音できるものがありましたが、私たちのグループのカメラや映写機は対応していませんでした。したがって、音の再生はテープレコーダーを使うことになります。オープンリールのしっかりしたデッキを持っていたので、音は悪くないんです。ところが、映写機のフィルム走行速度は安定していないので、「せーの」で映写と音声再生を始めても、音と画面がどんどんずれていていきます。映写機は強力なライトを使うので、かなり熱を出して、モーターの回転速度が変わってしまうのです。一方、テープの走行速度は安定しているので、テープデッキの方から映写機の速度を制御するという仕組みの装置がありました。録音テープに制御用のパルス音を打ち込んでおくタイプや、再生しながら映写機の速度を調節するタイプがありました。われらが山百合の伝説は、この最後の方式で再生しました。これがねえ、やっぱり音と絵がずれるですよ。早稲田祭の期間中繰り返して上映したのですが、最後の上映の時は、どんどん音がずれていって、ちょっと涙が出ました。フィルムの編集作業はとても楽しいものなのですが、この録音にはどのグループも大変苦労しました。多少は器材がいじれるということで、私はいろいろなグループの作業を手伝わされました。この年の秋、早稲田祭の前には、そんなことをしてあちこち泊まり歩いていました。お礼の食事とお風呂はうれしかったのですが、一人でぐっすり眠りたいなと思いました。早稲田祭最終日には、持ち込んだ器材を利用して身内の大カラオケ大会を行いました。私の場合はレコードに合わせて歌うことができないので、ギターの弾き語りで「プカプカ」を歌いました。【追記】No.1そういえば、私たちのおもちゃのような映画作りにも、早稲田や高田馬場の町はずいぶん快く協力してくれました。病院に出かけていって、入院しているシーンを撮りたいので撮影させてくれと言ったりしたのです。他のグループの映画作りの時には、高校の授業シーンが必要になったので、放課後の都立戸山高校におしかけました。学校と交渉するのは面倒なので、その辺にいた戸山高校の生徒に呼びかけて出演してもらい、教室を勝手に占領して撮影を済ませてしまいました。今だったらすぐに見つかって追い出されてしまうでしょう。もうずいぶん御無沙汰していますが、高田馬場も僕を育ててくれた街です。学生時代の夏休み、突然8ミリで映画を撮るぞということになって、長野県は中条村へでかけました。主人公を演じる男の実家です。主人公は不治の病にかかった恋人のために、独りで山に登って山百合を採ろうとして、谷に落ち死んでしまうのであります。まあ悲しい。虫倉山という山で、登山のシーンなどを撮影しました。撮影で丸一日つかって、翌日は木崎湖へ遊びに行きました。タクシーの運転手さんに言われるまま、神田ロッジなるバンガローに泊まりましたが、他にお客さんのいないさびれたところで、私たちはまあボラれたのだと思います。当然バカンスでの出会いなんぞなく小さなキャンプファイアーを囲んで、男5人で一升瓶の酒を飲み、大声で歌を歌いました。それで一番盛り上がったのが、「マイム・マイム」でした。歌詞はよくわからないので、口三味線みたいなものです。これ、いつまでもぐるぐる踊ってられるんですね。この曲がイスラエル民謡で、「マイム」が水の意だということは知っていたのですが、本当はどんな歌なんだろう。ちょっと気になったので検索してみました。いろいろヒットします。この曲、人気があるんですね。マイムマイム講座マイム・マイムの謎
2004.07.20
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【追記】No.3歯医者さんに行ってきました。奥歯の根元にぐるりと貼ってあった接着剤のような樹脂が剥がれたのです。痛くもなんともない。小学校では、夏休みの前にここを治療しておきなさいよという指導の紙が出たな。歯医者さんが混雑する時でもありますね。歯医者さんはあんまり縁がなかったけど、小学校も高学年になると、目が悪くなってきました。「姉さん先生」に、幻ちゃんは夜星を眺めなさいと言われて、うれしかった覚えがあります。過去日録、何回か夏休みのことを書いてますね。2003年09月01日「さようなら 永遠の夏休み」2003年12月4日「絵の中のぼくの村 Village Of Dreams」【追記】No.2海の日の、浜の写真をアップしました。夕陽が好き![I Love Sunset!]夏休みというのは、小学生のものなのだ。『つぶやき岩の秘密』なんてのもあるから中学生も混ぜてやってもいいが、やっぱり小学校の夏休み。水木しげるさんの言うように、人は子供時代を幸せに生きるために生まれてくる。そのいちばんの時間が夏休みだ。退屈ということがなくなったのはいつだったかしら。小学校高学年の夏休みかな。それ以来、退屈な思いをしたことがないかもしれない。いつも何かしらやることがたくさんあって、どれもやりきれない、ずっとそんな感じだった。じりじり照りつける夏の日差しの中に百日草が咲いていて、イチモンジセセリがとまっている。地味な花と蝶を眺めていると、足下の岩からギラリと光る蜥蜴が顔を出す。毎日毎日変わらぬ風景。退屈な風景。幸せな風景。もうそんな時間は戻ってこないので、どたばたと浜へ車を走らせる。18日の日曜日は、夕方浜へ出た。雲が多くて日の入りが見えないのが残念。公園の西のはずれからドラムの音が聞こえてくる。フュージョンバンドのようだが、サンタナの「哀愁のヨーロッパ」なんぞも演奏している。こういうのは、やってる方が楽しいのだよね。BBQびとなども集まって、かなりなにぎわい。カメラびとたちは西の空を眺めてうっとり。19日の月曜日は、私にしては珍しく午前中から浜へ出た。これがびっくり。海水浴客がかなりいるのだ。今の千本浜には、「海の家」はない。車の中で着替えて、あのシャワーで海水を流す。砂浜ではないし、急深なので危ないし、いわゆる海水浴客はいないと思いこんでいた。ところが、かなりの家族連れが浜辺で水遊びをしているのだ。かき氷やアイスもよく売れているようだった。【追記】No.1昨日の浜の写真をアップしました。雲が出て、日没は見られませんでした。夕陽が好き![I Love Sunset!]拓郎さんの若書きとも言える「夏休み」だが、妙に心に残る。それは30年以上も前に失われた風景を歌った曲なのである。 ♪ 麦わら帽子はもう消えた ♪ たんぼの蛙はもう消えた ♪ それでも待ってる 夏休み特にあの二番が秀逸。ふっとある人を思い出したり、あるいは幻の女性を思い浮かべたりする。 ♪ 姉さん先生もういない ♪ きれいな先生もういない ♪ それでも待ってる 夏休み 麦わら帽子も、たんぼの蛙も、姉さん先生も、もういなくなってしまった。でも、僕は毎晩絵日記をつけているのだ。
2004.07.19
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【追記】No.4高校野球の県大会が始まったようだ。私の出身校は現在4回前半終了で4-2と勝っている。暑いだろうなあ。結構遠くまで冷房の利いたバスにのるので、この野球応援で毎年風邪をひいていたのだ。さて、私も出かけてきますか。【追記】No.3巴里雀さんのおかげで思い出しました。2003年11月15日付日録で、この話を書いていたのでした。小椋佳「海辺の恋」(1974年)楽天さん、サイト内検索機能を付けてほしいのです。もう何書いたかわらからなくなっちゃいました。【追記】No.2げげっ、気づいてなかった。世間様は三連休なんですか、そうですか。非国民なんで、この三日間の休みは日曜日だけです。もっとも、あんまりまじめに働いてないですね。昼間から海岸をぶらぶらしているのです。顔が日焼けしたそうで、指摘されて恥ずかしかったです。ところで1970年7月18日は、光化学スモッグ発生の日なんだそうです。【追記】No.1はい、こちらは「見張り塔からずっと」。夏休み初日の土曜日です。県庁所在地のどかな市では37度まで上がったそうです。のんびり市も蒸し暑かった~。でも、風と波が強くて海に入るのは危険です。波打ち際で海に入っているのは数人だけでした。急深の浜なので、監視員も気を抜けないでしょう。BBQびとが一組。海本番は、これからです。友部正人さんの歌では死んだくせに吉祥寺の町をうろうろ歩いている金子光晴さんですが、たいした詩人です。貘さんと一緒にテレビに出て、禿頭をぺちゃりと叩いていた、あのおっさんです。山之口貘という詩人は、高田渡さんに教えてもらいました。金子光晴という詩人は、永島慎二さんに教えてもらいました。永島慎二さんの『若者たち』は、ある漫画家の部屋に芸術家志望の青年たちが転がりこんでくる話です。どちらかというとダメオ君たちの集まりです。当然ながら貧乏です。1974年にNHK銀河テレビ小説で「黄色い涙」というタイトルでドラマになりました。あれ、これは以前書いた覚えがありますな。その中で、詩を書かない詩人が何気なくつぶやくように朗読するのです。 > 束縛されて手も足も出ない > うつろな青春。 > こまかい気づかい故に、僕は > 自分の生涯をふいにした。 > > ああ、心がただ一すじに打ち込める > そんな時代は、ふたたび来ないものか?ランボーの「いちばん高い塔の歌」、その金子光晴訳です。永島さん、よくまあ金子訳を選んでくれたものです。詩の翻訳とは、結局訳者がどのような詩人であるかにかかってくるものです。この詩が気になってしかたがないので、私は数種類の翻訳を読み比べて、金子訳ランボー詩集を買いました。もちろん堀口大學訳や小林秀雄訳をどうこう言えるわけではありません。ストレートに響いたのが、金子訳だったのです。高校生になっていたのかな。
2004.07.18
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【追記】No.4金子光晴『女たちへのエレジー』に「洗面器」という詩があります。楽天広場リンク先のMドングリさんが金子光晴の中でいちばん好きな詩だと、引用しています。07月17日(土) 洗面器僭越ではございますが、金子さんがその詩に付けた前書きを私が引用させていただきます。いわば「解答編」。--------------------------------------------------僕は長年のあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思ってゐた。ところが、爪哇人たちは、それに羊(カンピン)や魚(イカン)や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたへて、花咲く合歓木の木陰でお客を待つてゐるし、その洗面器にまたがって広東の女たちは、嫖客の目の前で不浄をきよめ、しゃぼりしやぼりとさびしい音を立てて尿をする。--------------------------------------------------爪哇人はジャワ人、嫖客とは遊女と遊ぶ客、つまり買春者のことです。洗面器であるはずの道具が鍋として用いられる。洗面器であるはずの道具で、娼婦は客の目の前で局所を洗い、そのまま中へ放尿する。この猥雑さは実にたくましいものですが、詩人はこの音のさびしさを聞けと歌っているのです。> 人の生のつづくかぎり> 耳よ。おぬしは聴くべし。>> 洗面器のなかの> 音のさびしさを。「しゃぼりしやぼりとさびしい音」を。【追記】No.3坂田さんのアルバムをamazonで検索してみると、『MOOKO(蒙古)』『Silent Plankton 』あたりが入手できなくなっている。買おうかなと思った時に買っておかないと手に入らなくなるものが多いですね。残念。【追記】No.2追記No.1を書いてテレビをつけたら、驚きました。NEWS23金曜深夜便は高円寺JIROKICHI、なんと山下洋輔さんが出てきて演奏しています。三十周年なんですね。【追記】No.1枚数が少ないですが、浜の写真と保線区の夕陽をアップしました。夕陽が好き![I Love Sunset!]坂田さんのサックスが聴きたくなって、山下洋輔トリオのアルバムなど引っ張り出す。1975年6月6日西ドイツ、ハイデルベルク・ジャズフェスティバルのライブ盤。『山下洋輔トリオ/キアズマ』(1976年)山下洋輔(p)坂田明(as)森山威男(ds)1. ダブル・ヘリックス2. ニタ3. キアズマ4. ホース・トリップ5. イントロ・ハチ6. ハチ長谷邦夫さんの『漫画に愛を叫んだ男たち』に描かれていた山下トリオは1972年のヨーロッパツアー。衝撃的登場だったらしい。この時は既に人気グループとして評価が定まっていた。サックスの音が好きなので、やっぱり坂田さんが入っている演奏の方が好きです。ミジンコ好きのちっちゃいおっちゃん、すごいパワーだなあ。まぎれもなくフリージャズなんだけど、今聴くと、変な言い方だけど、実にきちっとしている。音量と音の数がものすごいのだが、放埒な印象は受けないんだな。ベースがいないトリオなんだけど、いわば「空」のリズムにしっかり乗って演奏しているのが聞こえるんだと思う。半端な弦楽器ばかりちょこちょこ集まってきたけど、本当はサックス演奏してみたいんですわ。ただ、しっかりと練習場所を確保しなければならないからなあ。ソプラノサックスなんか吹いたら、夜泣きそばと間違えられそう。ところで、アルバムタイトルになっている「キアズマ」。これは「chiasma」です。リーダーズ英和辞典を引いてみると、こう出ています。 >【解】 《特に視神経の》交差 >【発生】 染色体交差, キアズマ染色体交差という意味で付けたようですね。
2004.07.17
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【追記】No.3浜に寄ると、見張り用の台と小屋ができていた。(正式名称を知らない)自己責任云々の看板があったところだろう。これで夏休みの準備が完了といったところなんでしょう。ビキニのお姉さん二人と、何度も波にさらわれそうだった父子連れが海に入ってたいたが、他の人達は身体を焼いているだけだった。本格的なシーズン前に力いっぱい焼いておくんですね。【追記】No.2ROOTS MUSICの廉価版DVDは第三弾のシリーズがリリースされた模様。11「佐渡山 豊」12「南 佳孝」14「ビリー・バンバン」15「トラ・トラ・トラ 2002」No.13は欠番なのかな。No.15は2002年12月に沖縄で行なわれたライブ。CS で放映したのに気づかなかった。出演は以下のメンバー。源天 with You See遠藤ミチロウ三上 寛佐渡山 豊 with ローリー中山ラビ頭脳警察【追記】No.1昨日の夕陽画像です。日没までいることができませんでしたが、また少しずつ日が短くなってきましたね。一人で太鼓を叩いている人がいました。いい音でした。ひさびさに更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]「恋の」というのは、あらゆる語をポップにしてしまう不思議な連体修飾語です。 「恋のクレラップ」 (痩身法みたい) 「恋の英和辞典」 (ジャクソン5の「ABC」とか、パクリの「123」とか) (「恋のディクショナリー」なんて歌があったかも) 「恋の勧進帳」 (ああ、もっと叩いて!)でも、さすがにそぐわない語もありますな。 「恋の葬儀場」これはいけません。実際はあるんだろうけど、ちょっとね。こういう場合は「雨の」でどうだろう。対義語のような、類義語のような。ついでに葬儀場をあやしげなカタカナ言葉に置き換えると、しめっぽいけどポップです。 「雨のメモリアルホール」そういうことを言おうとしていたのではなかった。チューニングなんです。二音を比べてどちらが高いとか低いはわかりますが、絶対音感はありません。多少訓練すれば、能力は向上するのでしょうが、それほど困らないのでほうっております。赤ん坊の泣き声は「A」だよと聞いたことがありますが、本当でしょうか。個体差がありそうなんだがなあ。中学1年生で初めてギターを買ってもらったときは、本当にギター本体だけでした。もちろん弦は付いてましたよ。音叉や調子笛がなかったので、例のオルガンで音を合わせました。初めてなので、とても大変だったんです。なんといっても足踏み式のオルガンです。足でギコギコやりながら左手でキーを一つ押さえます。右手でギターの弦を一本鳴らします。左手で弦を巻くと、オルガンの音が切れます。右手で弦を巻くと、爪弾くことができません。なおかつ、本来の弦の張りの強さがわかっていませんから、オクターブずれても最初は気づかないんです。それで、テレビのギター教室が調弦用に音を出してくれる時、一緒に合わせるのです。不便なんで、すぐに音叉を買いました。おもしろいんですよね、音叉。二股の部分をどこかにぶつけて振動させたまま、下の球になっているところをなにかにくっつけると、その物が「A」の音で鳴ってくれます。いろいろ鳴らして遊びました。もちろん人間の頭もOKです。ヤマハのマークは、この音叉を3つ組み合わせたものでしたね。普通はギターのボディに音叉を付けて鳴らすのですが、5弦の真ん中、つまり12フレットのところに押しつけてチューニングするなんてのも開発しました。鳴らしながら巻いていって、音が大きくなったところが合っているんですね。雑誌に「アジャガ」という調弦器の広告が載っていてすごく気になっていたんですが、結局買いませんでした。金属片を振動させて、それが一番大きく振れるところが合ったところになっているのだと思います。目で見て調弦できるのはいいなあと思っていました。チューニングメーターを買ったのは、80年代半ばだと思います。ギター専用チューナーで、どの弦を合わせるかスイッチを切り換えます。昔のテスター同様に本当に針が振れて表示されます。他の音を拾ってしまうので、アコースティックの場合は静かな場所でないと調弦できません。もう20年も前の代物なんですな。なぜか9Vのあの四角い電池を使うというのも、不便です。電圧が必要だったんでしょうね。箱に入れる時に電源スイッチが動いてしまうことがあるという、決定的な設計ミスがありました。買う時にお店の人が注意してくれました。それで、昨夜のことですが、ふと気づくとスイッチが入れっぱなしになっていて、電池が終わっていたのです。あらま。今は安くていいものがいろいろ出ているようなので、一つ買ってみることにしました。ずっと眠っていたウクレレを引っ張り出してきたので、そのチューニングにもそのまま使えるようなものにしようと思います。
2004.07.16
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【追記】No.3事務所のLANが死んでいた。これでは仕事にならない。ハブが壊れたらしい。しかたがないので買いに出た。あぢぃ。8ポートのスイッチングハブも、2千円程度で買えるようになったんだ。(いつと比べてるんだ)忘れていたポイントで買い物が済んでしまった。ついでにちょっと足を伸ばして、音叉500円ナリと006P電池100円ナリを買ってくる。今夜こそ弩級28号君で夜泣きするぞ、と。【追記】No.2ひさびさに母艦機の電源を入れたので、環境が新鮮。ハードディスクの中にはまだ見ていない映像がたくさん詰まっていた。「佐渡山豊&中山ラビ」などと題したライブの録画を夜中に眺める。フジの「フォーク・デイズ」らしい。不思議な組み合わせだなあと思ったら、先に佐渡山さんがHONJIと出てくる。あ、HONJIさん?二人でステージだが、サポートのHONJIさんが実にいい。佐渡山さんが一時期より若返ってみえるのは、茶色い長髪にしたせい?かぶってるのかしらん。途中でラビさんが入って「十九の春」。バイオリンはピチカート奏法。後半がラビ組をしたがえてラビさん。露出度の高い衣装を自分で笑ってる。最後に全員で佐渡山さん訳の「風に吹かれて」。歌が合わないのは、まあご愛嬌。なかなか楽しかったです。HONJIというのは、「本地」さんなんでしょうか。気になったのでgoogleしてみる。結局わからなかったのですが、1997年のHONJIさんの写真が別人のようで驚きました。http://www.funny.co.jp/jun-boh/topics.html【追記】No.1朝日の中で美容体操をする……違う、身繕いをするヒナ。左足をひっかけているタオルは、オルガンに掛けてあるのです。うちの2階のサンルーム、つまりヒナのワンダーランドには、オルガンが置いてあります。もう何年弾いてないんだろう。ちょっと洗濯物を置いておいたりするのに便利です。幻子心母がずっと小学校の教員をしていたので、練習用に置いてあったんですね。あ、もちろん足踏み式のリードオルガンですよ、パイプオルガンのわけがない。風琴という言葉は風情があっていいですな。この楽器は滅びつつあるんでしょうか。小学校一年生の時に、学校で『ねことオルガン』という本を借りました。とても好きな本で、最後にノラおじさんがノラちび猫の幸せを願って立ち去るところなど、何度読んでも泣いてしまうのです。誰が書いた本か知りたくてgoogle検索して驚きました。「楽天広場(日記・ブログ):日記 番組構成師の部屋」がヒットします。あら、izumatsuさん、書いてました?と思ったら、私が付けたレスでした。な~んだ。もちろん著者はすぐにわかりました。今西祐行さんという方の作品です。ノラおじさんは人に飼われていたことがあるので、いまひとつさえないノラねこです。おじさんは偶然出会ったチビねこに、飼ってくれそうな家庭をさがします。少女が弾くオルガンの聞こえる家、それがおじさんの心に描かれる幸せの象徴なんです。当時は家でネコを飼うことがありませんでした。私は柴犬とスピッツの雑種、エル君と一緒に育っていました。だから、ネコのイメージはこの本で刷り込まれたように思います。おなかを空かせたチビねこが、空に浮かぶ三日月を秋刀魚だと思って欲しがるので、ネコは秋刀魚が好きなんだと思い込んでしまいました。後年うちにチビ君というネコがやってきて、冷凍物の秋刀魚には見向きもしなかったので驚きました。新鮮な生の秋刀魚は大好きだったんですけどね。amazonで検索したところ、『ねことオルガン』は品切れ本でした。残念。
2004.07.15
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【追記】No.5「一房の葡萄」を何十年ぶりかに読んでみて、その上品な世界に驚きました。雑誌『赤い鳥』の時代、日本の社会の中での貧富の差はかなり大きかったのではないでしょうか。もちろん物語に描かれるのはその富裕層の方で、読むのも中産階級の子どもを想定しているように思います。小学生の時に図書館で吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』を借りて読みました。コペル君の精神的成長はともかく、生活環境の豊かさに驚きました。昭和初期の都市生活者の生活水準は悪くなかったのだなあと。もちろん、都市にも貧しい多数がいたのです。幻子心母は当時植民地だった台湾で生まれ、幼少時に引き揚げてきて横浜や東京の下町で暮らしていました。生麦あたりで潮干狩りができたというころです。高台に暮らす人達の暮らしは夢のようだったと言っています。生け垣に囲まれ、それほど広くはないけれど突き出た洋間があり、そこからピアノの音が聞こえてくる。ああ、こんなところで暮らせたらなあと思ったそうです。1970年代以降、日本人は自分が貧乏だと今もまだ日本の社会には中流幻想が生きているのでしょうか。けっして中産階級ではないのに、最下層ではないことに満足している多数の人々。もちろん、貧しさを他の国に輸出してしまい、みんなそこそこ豊かに暮らすことができているのです。【追記】No.4有島武郎「一房の葡萄」は青空文庫に入っていました。うかつなり。「一房のぶどう」で検索していたからヒットしなかったんですね。1920年(大正9年)「赤い鳥」に発表された童話だそうです。http://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card211.html> ジムというその子の持っている絵具は舶来の上等のもので、> 軽い木の箱の中に、十二種(いろ)の絵具が小さな墨のよ> うに四角な形にかためられて、二列にならんでいました。> どの色も美しかったが、とりわけて藍と洋紅とは喫驚(びっ> くり)するほど美しいものでした。舞台は横浜の山の手。「あんな絵具さえあれば僕だって海の景色を本当に海に見えるように描(か)いて見せるのになあと、自分の悪い絵具を恨みながら考えました」とあるので、海のイメージが残っていたのでしょう。それがおばかさんなことに、空と混ざってしまったようです。【追記】No.3今夜(日付は明日)楽天広場のメンテナスですね。> 2004年7月15日1時00分~2004年7月15日8時00分私の活動時間帯なので痛いわ。今夜はギターいじろう。童話の中で盗まれた絵具はchappiさんが教えてくれました。藍色と赤い色だそうです。>「一房のぶどう」の中の色は、藍色と赤い色だったようでした。【追記】No.2有島武郎「一房のぶどう」では、絵具を盗んだのだったか。あれは、何色の絵具だったろう。きれいな空いろではなかったかな。好きな話だったのに、覚えていない。【追記】No.1最後にクレヨン(crayon)を使ったのはいつのことだったかしら。こいつで線描しておいて、水彩絵具で色を付けるなんてことをやった覚えがある。それ以来かな。むやみに色数の多いのを持ってるやつがいて、ちょっとうらやましかった。似たようなものにパステル(pastel)がありますが、たぶん私は使ったことがありません。で、「クレパス」と言えばわかりますよね、有名なあの話です。南こうせつとかぐや姫の「神田川」。 ♪ あなたはもう捨てたのかしら ♪ 二十四色のクレパス買ってクレパスというのは1925年(大正14)年、櫻商會(現在のサクラクレパス)が開発・発売した商品で、サクラクレパスの商標名だそうです。クレヨンのように色が画用紙に固定し、パステルのように軟らかく、色を混ぜたり重ね塗りしたりすることができるというウリで、こういう名前にしたんですね。天下のNHKでは登録商標が御法度だったので、「クレパス」を「クレヨン」に変えて歌えと言われた話。彼らが「クレヨン」に変えて歌ったのかどうか、私は知りません。山口百恵さんは「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤な車」に変えて歌ってましたね。クレヨン社という人たちがいましたな。「地球のうた」買ったと思います。なんとなくgoogle検索してみたら、ちゃんとオフィシャルサイトができていました。[クレヨン社ってまだいたの?]というサイト名がよろしいと思いました。はっぴいえんど『風街ろまん』(1971年)1. 抱きしめたい2. 空いろのくれよん3. 風をあつめて4. 暗闇坂むささび変化5. はいからはくち6. はいから・びゅーちふる7. 夏なんです8. 花いちもんめ9. あしたてんきになあれ10. 颱風11. 春らんまん12. 愛餓をはっぴいえんどのアルバムはLP時代に長いこと通称「ゆでめん」のファーストアルバムしか持っていなかったので、そちらの印象の方が強いのです。ステージで、なんだかつまらなそうに歌う人達。『風街ろまん』は思いっきりやってくれてますね。「空いろのくれよん」の、あの大瀧詠一さんのあやしげなヨーデルがとても好きです。ファースト「ゆでめん」では松本隆さんと細野晴臣さんのバンドというイメージが強いのですが、セカンド『風街ろまん』では、日本のビートルズと言われてもまあ納得できます。この水準のアルバムがあと何枚か続いていたらなあと思います。そっか、「空いろのくれよん」と「風をあつめて」は続けて入ってるんだよな。あんまり大きな声で言いたくないけど、すごいアルバムだわ。「夏なんです」はB面の一曲目だった。
2004.07.14
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【追記】No.5やっぱり幻泉館地方も梅雨明けしたらしい。夕方少し散歩して、空を眺めた。夏休みの空だよ。【追記】No.4関東甲信と近畿地方が梅雨明けしたそうですね。幻泉館地方はまだ梅雨明けお預けなんですが、本当に明けてないのかね。すごい湿度と熱気で、わたしゃ使い物になりません。さっき事務所の近くに救急車来てました。たいしたことはなさそうで、みんな動きがゆっくりしているように見えます。【追記】No.38ビット機の時代は、メーカーがめちゃくちゃをやっていた時代です。それだけにおもしろいこともいろいろあったのですが、夢を振りまいてはユーザを切り捨てていました。商用ネットはまだ生まれておらず、音響カプラで試験運用のパソコン通信につないでいました。私はなぜかアスキーが嫌いだったので、工学社が運営していたテレスターに接続していました。安いカプラを使っていたので接続中に音を立てるとノイズとして拾ってしまい、通信データが化けました。アメリカのCompuServeの真似をしたNiftyServeが生まれた時は、とても嬉しかったものです。モデムを買って通信エラーがなくなった時にも感動したものです。ぷーたろうになったので、Niftyの掲示板でミドル英二さんの会社から仕事をもらったりしました。これが80年代。通信環境も今思えばひどいもので、しつこいですがPCメーカーは詐欺みたいな売り方をしていました。家庭でインターネットが常時接続できるようになり、ちゃんと使えるPCが十万円を切る価格で買えるようになって、やっとPCがまともな商品になったと言えるのではないでしょうか。つまり、ごく最近のことです。【追記】No.2私がPCを初めていじったのは、NECのPC-8801です。爆発的に売れたPC-8801mk2です。5インチドライブを付けた8ビット機。1984年のことです。あら、二十年経っちゃった。8ビットパソコンより先にワープロ専用機が出ていたのですが、その「かな漢字変換」に感動して、どうしても自分で欲しくなりました。それで自分でも買うことにしました。富士通のFM-77という機種です。普通の人はそういうことをしません。DOSの時代は各社のパソコンでソフトの互換性がまったくありませんから、同じようにPC-88シリーズを買えばいろいろ便利だったのです。つくづくオルターナティブな生きかたをしてしまってるなと思います。それも、NEC-PC8801のライバル機種、富士通FM-7にしておけばまだいいものを、FM-77という3.5インチドライブを搭載した機種を買うことに決めました。なおかつ、オプションの400ラインカードというものも買いました。FM-7の解像度に不満があったからです。上位機種のFM-11や日立のS1も素敵だと思いましたが、市販ソフトが皆無に近いというのが不安だったのです。そっちを選択していれば、バリバリのプログラマになっていたかもしれませんね。当時はソフトバンクから、各社のPCに合わせた「Oh! PC」「Oh! FM」「Oh! MZ」などという雑誌が出ていました。この中で「Oh! FM」が群を抜いて面白かったのです。ユーザーの本音のようなものが一番反映されていました。真理ちゃんと呼ばれる、女性の編集長だったと思います。ところが、この3.5インチドライブと、微妙な互換性のためにかなり苦労をすることになりました。3.5インチフロッピーの信頼性が低かったんです。腹をたてて、ユーザ団体を即席に作ったりしました。高校生ぐらいのメンバーと、三十歳近いワタクシ。メーカーやソフトハウスに抗議の手紙を出したりしたんですよ。なんて、いくらでも書くことはあるのですが。【追記】No.1日ごろ使っているノートPCの具合が悪くなったので、どたばたしています。それで、パソコン史について書こうと思ったんですが、どうも今ひとつ気持ちが盛り上がらないんですな。私の場合はエディタと辞書引きソフトとブラウザ、この3点セットがないと何もできません。ぼぉっとしているだけです。それはそれで素敵なんですが。ちょっとなあ、選挙の結果が気持ち悪いんです。自民党の複製みたいな政党がもう一つできたような気がします。総選挙が行なわれたら、再編成が行なわれるのでしょう。今回の参議院議員選挙では、高校の同級生が当選しました。あ、そうなんだあという感じ。昔の知り合いで議員になった人がいて、私より少し年上だったり年下だったりするのですが、市民運動で有名な人だったりするので、それほどの感慨はありませんでした。でも、高校の同級生だとちょっと感慨があります。そうかあ。そんな年齢になっちまったんだなあと。ビル・ゲイツ(Bill Gates)、西和彦、孫正義。時代の寵児であったお三方です。お金儲けのうまいお金持ちです。1955年10月28日1956年2月10日1957年8月11日これはそのお三方の誕生日です。みんな同い年ぐらいかなあと思って調べてみたら少しずつ違うのですが、でも同世代ですね、私と。あはは、えらい違いだ。初めから自分で金儲けするつもりで、成功した方々です。うん、話がつながらない。タイトルもウソですね。
2004.07.13
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【追記】No.1『百年の孤独』を原作とした寺山修司監督の『さらば箱舟』(1984年)は、結局マルケスに認められることはなかったようですね。原田芳雄さんが亡霊を演じていました。芳雄ちゃんは鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)でもそんな役でしたね。黒木和雄監督の『竜馬暗殺』(1974年)や『祭りの準備』(1975年)では生きている人間の役ですが、死の影は非常に濃かったと思います。かなり強引に引っ張りましたな。この夏、黒木監督の新作、『父と暮らせば』が公開されます。井上ひさしさんの戯曲が原作。黒木監督としては『TOMORROW/明日』(1988年)『美しい夏キリシマ』(2003年)に続く戦争レクイエム三部作の完結編となります。庶民の日常と戦争を静かに描いた反戦映画ですね。芳雄ちゃんはまた幽霊の役です。ひさびさに岩波ホールへ見に行こうかと思っています。『父と暮らせば』オフィシャルホームページ昨夜選挙戦最後の党首演説をテレビでちらりと見た。公明党神崎代表がすごかった。「百年ビクともしない年金法を作り上げました!」平気でウソをつく人だな。マルケスだったか。「百年経ったら、その意味わかる」いや、百年も要らない。あっという間にバレるウソだろ。
2004.07.12
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【追記】No.2さあ、投票行ってくるか。私の場合は戦争か平和か、つまり護憲が投票基準です。今思えば、選挙制度の改革も、「二大政党」のかけ声も、憲法改悪の準備でした。そんなことはさせない。砂つぶのような一票ですが、ささやかな意思表示はしておきます。【追記】No.1普段もっとも稼働時間の長いノートPCのビデオカードが急に不安定になった。しばらく電源を切っておいたら安定したのだが、ヒヤリとした。あわててデータのバックアップをとる。ずいぶんひさしぶりにデスクトップ機を立ち上げた。今となってはCPUが少し遅かったりするのだが、取り柄はハードディスク。120GBを二台積んであるので、LAN経由でノートPCのデータをコピーした。デジカメで撮りためた画像ファイルがメイン。夕陽のへぼ写真はなくなってもしかたがないが、春一番コンサートの画像は、アフターダークの部分を含めて、とてもたいせつなものなのです。デスクトップ機にはもう一つ取り柄がありました。ナナオ(EIZO)のディスプレイがつないであるのです。ノートPCの液晶画面では縞が入ってしまうような色の変化も、きれいに映してくれます。しばらくほうっておいた母艦機にあやまらないと。ごめんね。吉田拓郎さんに「土地に柵する馬鹿がいる」という曲があります。レコードには入らなかったでしょうか。ほぼデイブ・ブルーベック(Dave Blubeck)の「テイク・ファイブ」そのまんまです。四分の五拍子という変則リズムに、ポール・デズモンド(Paul Desmond)のアルト・サックスが入っていくとぞくぞくします。少し前に何かのCMでも使っていたと思いますが、1950年代の名曲です。メロディは少し違いますが、この曲想にそのまんま詞を載せた感じ。 ♪ 土地に柵する 馬鹿がいるラブソングの権化みたいな拓郎さんも、こんな反戦歌を歌っていたのですね。1966年(昭和41年)、吉田拓郎さんはこの曲で日本コロンビアのフォーク・コンテストに出場し、全国3位となりました。雑誌「平凡パンチ」は「和製ボブ・ディラン」と賞賛したそうです。広島フォーク村を始める二年前のことです。今日のニュースで、この曲のことを思い出しました。国際司法裁判所は、イスラエルがヨルダン川西岸などに建設中の分離壁を国際法違反だと断じ、取り壊すべきだと勧告しました。判事15人のうちこの勧告に反対したのは米国出身の判事1人だけです。イスラエル側の主張は「テロから国民を守るために建設している」というものでしたが、アメリカ出身の判事以外には、完全に否定されました。そこに暮らしていたパレスチナ人の土地をとりあげ、彼らを追い出して建設しているのです。アメリカはこの勧告に猛反発し、バウチャー報道官は米国主導の「ロードマップ」に従って和平を目指す当事者の努力を「妨げる」恐れがあると、的外れな批難をしています。いま中東で何が起こっているのかわかりやすい見本ですね。アメリカは俺様案に沿っていない平和交渉など認めないそうですが、国際的には孤立しているのです。
2004.07.11
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【追記】No.6雨がやんで少しだけ晴れ間が見えたので、浜に出てみました。お天気は悪いのに、カップルや家族連れをたくさんみかけました。土曜日の午後なんですね。この後もっとずっと晴れ間が広がったようです。残念。【追記】No.5また読売のあの人なんですが。古田選手が会って話をしたいと言っているがという記者の質問に、「無礼者!」。なんと名言の多い人なんだ、す・て・き♪「野球協約にそんなこと書いていない。会う義務なんてない。」おお、野球協約。なんだか知らないけど、読売はこれが大好きなんだよな。思えば1978年、法政大学卒業後作新学院職員の資格で野球留学していた江川卓選手を、「空白の一日」で獲得しようとした、あの事件。たとえば天皇の国事行為によって好きな時期に国会を解散してしまう内閣に似ている。法の精神はまったく理解していないってことね。【追記】No.4少し前のことなのですが、[computer]の外来語表記が2種類ありました。どういうわけか、一般的にいわゆる文系の文章だと「コンピューター」、いわゆる理系の文章だと「コンピュータ」でした。これを不思議に思っていたところ、急に外来語の最後に音引きを付けない表記が広まってしまいました。「プリンタ」「コントローラ」といった表記です。これに従うと、カウンターカルチャーは「カウンタカルチャ」になってしまいます。気持ち悪いなあ。でも、「コンピュータ」と書いてある文書中でも「キ」とか「ユーザ」は出てきませんね。こんないいかげんな話はあるものか、どこか適当な会社が自分のところで勝手に規則を作ったのだろうと思い込んでいました。それでふと思いついてgoogleで検索してみたところ、根拠がわかりました。JIS規格なんだそうです。はは、JIS規格で原稿書いたり校正したりしたことなんかなかったので、全然知りませんでした。新・闘わないプログラマ No.311 「音引き」しかし、わかりにくい「原則」です。3音以上という根拠はどこから来たのでしょう。実にあやしい。内閣告示による「外来語の表記」と矛盾しているようです。あれ?原則に従うと、やっぱり「カウンタカルチャ」になってしまうわ。【追記】No.3せっかくだから、お茶のおまけを引っ張り出してきました。これは日本むかし話の登場人物たち。 [桃太郎] [浦島太郎] [一寸法師] [金太郎] [花咲かじいさん] [かぐや姫]それぞれ人形と、裏がクリーナーになっているマットの携帯ストラップがあります。私はいわゆるコレクターではないので、全部揃えたなんてのはこれぐらいのものです。そのうちどこかの子供にでもあげましょう。そういえば、非楽天広場の相互リンク先で幻泉館を「玉手箱的読み物」と紹介していただいたのですが……さて?時代錯誤的ということでしょうか。【追記】No.2鶴見俊輔さんに『限界芸術論』という本があります。ずいぶん昔に読んだものだし今手元に本が見当たらないのですが、「芸術」を鮮やかに三種類に分類していたと記憶しています。「純粋芸術」「大衆芸術」「限界芸術」純粋芸術のいちばんわかりやすい例が、日本におけるクラシック音楽でしょうか。専門的芸術家と、ある程度の訓練を積んで知識も持った享受者がいます。大衆芸術はやはり専門的芸術家が供給するのですが、享受者は大衆です。限界芸術は生活との領域が未可分で、供給側と享受者も区分があいまいです。記憶違いがあるかもしれません。鶴見さんの意図は芸術を解放することにあったのだと思います。私の場合はカウンターカルチャーのイメージを、この限界芸術に重ね合わせていました。BEGINの比嘉栄昇さんが一五一会を手に持って、音楽とは本来生活に密着した、誰でも簡単に楽しめるものだと語っていた、あの感じです。別に模倣でかまわないのです。ポロンと弦を鳴らし、今日の喜びを自分の言葉で歌う。これが最も身近な、そして具体的な限界芸術、つまりカウンターカルチャーのイメージなんです。chappiさんは、いつも即興で歌っているようですよ。【追記】No.1しかしまあこんなへにょへにょ人間なので、サブカルチャーという言い方ぐらいがちょうどいいのでしょう。ココロはカウンター。「The Whole Earth Catalogue」の連中はすぐにインターネットに飛びつきました。WWWは、彼らがやろうとしていたことと親和性が高いんですね。だから、アメリカのインターネット(という言い方は変だけど)には、カウンターカルチャーの文化がなだれこみました。日本の場合は、ブッシュのポチの、さらにその番犬が多いみたいですね。いささかとほほな状況です。え~、暑いんで、ついついお茶のPETボトルなど買ってしまいます。どうせなら安売り店で、どうせならおまけ付きで。このあたりがおばちゃん体質のワタクシです。これは「お~い お茶」のおまけで、お茶犬とお茶猫。ちょっと前のやつですね。お茶犬がくっついてるのは中華饅、お茶猫がくっついてるのは桜餅です。結局PCバッグやカメラバッグのファスナーにじゃらじゃら付けたりしてます。幻泉館日録@楽天では、いつもテーマを「70年代サブカルチャー」に設定しています。書き込む時の儀式みたいなものですな。楽天広場でテーマというものがあるのを知って、なんとなく自分で作ったテーマです。正確には「70年代サブカルチャー URC, ELEC, ベルウッド」というテーマ名で、「URC, ELEC, ベルウッドといったところの音楽。 実際は60年代末からね♪ 映画や演劇もアリでしょ。」といういいかげんな説明を付けてあります。今となっては直したいのですが、後でいじることができません。仕様です。しようがない。URC云々はともかく、この「サブカルチャー」になんだか違和感を感じるのです。テーマを書き込んだ時は忘れていましたが、本当は「カウンターカルチャー」とか言いたかったのではないかしら。毎度おなじみ、「広辞苑」を引いてみます。 > カウンター‐カルチャー【counter-culture】 > →対抗文化。対抗文化よりカウンターカルチャーという方がわかりやすい気がしますな。しょうがない、「対抗文化」。 > たいこう‐ぶんか【対抗文化】 > (counterculture) 支配的な文化に対抗するもう一つ > の文化。1960年代のアメリカで、高度管理社会に抗し > て現れた。都市コロニー・コミューン・大学解放区を > 拠点に、反戦運動などを展開。おお、とっても偏ってる気がしますが、まあ、そうか。羽仁五郎さんの『都市の論理』を思い出しました。普通はもっとルーズに使うような気がします。ついつい「対抗文化」の次の語に目が行ってしまいました。「太公望」です。腹水、違う、覆水盆に返らず、「It is no use crying over spilt milk.」ですね。「あなた、出世したわね、ヨリ戻しましょうよ。」ここでお水をこぼしてみせた釣り好きが太公望さんですな。せっかくだから「リーダーズ英和辞典」も引いてみます。 > counter・culture > n 反[対抗]文化, カウンターカルチャー > 《体制的価値基準や慣習などに反抗する, > 特に 若者の文化》.そうそう、こんな感じ。「広辞苑」の方は、なんだか新解さんみたいな人の影を感じます。いや、「広辞苑」の方はもっと頑固な方針を貫いています。序文は現代かなづかいでも歴史的かなづかいでも矛盾がないように書かれています。形容動詞なんて品詞は認めていません。「国語」の辞書として品詞分類がいいかげんなのはダメだとよく指摘されますが、実は「国語」の品詞分類自体がいいかげんなんだから問題にならないということではないでしょうか。話を戻しますが、60年代末から70年代初頭は、大衆文化全般にカウンターカルチャーの雰囲気を持ったものが多かったということなのです。今「サブカル」という時には、その部分が抜け落ちてしまうのが悔しいなと思うのであります。
2004.07.10
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【追記】No.7書き忘れていた。毎日新聞の記事で、訪米中の自民党の山崎拓前副総裁の発言を読んだ。 > 次期衆院選は2007年夏に衆参同時選挙。 > 憲法改正を最大の争点に争われ、選挙後に自民・民主両党が > 大連立政権を組む可能性がある。可能性の話なのだが、つまり自民党と民主党の二大政党とは、憲法を殺すための大政翼賛会なのである。【追記】No.6なんだか数が合わないなあと思っていたら、PC用バッグの奥から出てきました。これこれ、安物だけど使いやすいモンブラン。紺の万年筆にはブルーブラックのインク、茶色の万年筆には赤のインクが入れてあります。細字なので、ちょっと赤を入れたりする時にも使えるのです。右の黒いやつはシャープペンです。下の画像と同じ世代で、数が合わないなと思ったらこちらのケースに入っていました。【追記】No.5暑いわ~。夏休みの空してる。このまま梅雨明けしちゃうんじゃないかという感じの暑さ。スーパーに寄ったらバナナが安かったんで買ってきました。皮をむいて、ラップでくるんで職場の冷蔵庫の冷凍室へ。後で冷凍バナナを食うのであります。【追記】No.4例の人名用漢字なんだが、法務省は市民の意見を尊重し、批判が集中した数十の漢字を削る方針なんだそうな。ん?法務省?あれは戸籍法施行規則を変更するための答申だったんですな。どうも変だと思った。法務省が漢字なんかいじっちゃいけません。元々戸籍法自体が不要な法律です。そう、戸籍なんて要りませんよ。あんなもの、差別以外の何に役立つんでしょうか。どうしても必要だというのなら、住民票をなくしなさい。そうすれば住基ネットも不要になる。要らないシステムや余分な役人を減らさないと、行政改革にならんでしょう。【追記】No.3 ♪ 僕の日記プラチナ 愛の日記プラチナ ♪ 誰にも言えない言葉 書いてしまったんだよ ♪ 僕だけの友達だよ マイプラチナジャニーズがプラチナ提供の番組をやってましたね。フォーリーブスが歌っていたのを覚えています。【追記】No.2「の~びた~り~、ちぢんだりのパイロット・ショート」「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」記憶に残るテレビCMも多かったです。今では万年筆だけではキツイんでしょうね。ボールペンもずいぶんいいものが出てますし、水性ボールペンも進化しました。下に貼った持ち物自慢画像も、そういうペンが混ざっています。そういえば80年代には、パーカーの万年筆を愛用していたのだった。安物なんだけど、ペン先がカリグラフ用のやつ。Gペンみたいな雰囲気の極端な線になるのね。それで字が下手なのをごまかそうとしたのでしょう。(巴里雀さんのレスで思い出しました。パーカーじゃありません、シェーファーです。インクが高いので使わなくなってしまいました。ペンはまだどこかに転がってるはずです。)【追記】No.1中学1年生になって自分の万年筆を持つというのは、なんだか大人になった気分でした。雑誌の年間購読予約でもらえるというのもありましたな。60年代末、中国では文化大革命の真っ最中でした。北京放送にハガキを出して、カレンダーや手帳をもらってよろこんでいる同級生がいました。毛沢東語録も見せびらかしてました。彼の万年筆は当然ながら中国製の「英雄」でした。安くていいんですが、インクの漏れがひどかったように思います。そうか、当時は「中国」と言えば台湾の国民党政権を指していました。大陸の中国は「中共」という奇妙な呼び方をしていました。英雄はもちろん中共製です。幻泉館周辺にまだ水田が広がっていたころ。私は町から引っ越してきた余所者で、家が専業農家だという同級生が多かったころです。昔の地主小作関係が生き続けていて、選挙などと言えば元庄屋の言いなりになっている家も多かったようです。いや、それから三十年以上経った今でも生きているようです。地主層では、戦争に負けたこと自体よりも、農地改革の方が歴史的事件だったようです。敗戦から進駐軍による占領初期の改革に、日本革命の代替物としての側面があったことは事実なのです。北京放送を聴いて「アメリカ帝国主義」とか「ソビエト修正主義裏切り者集団」などという言葉を遣ってみせても、親からたたきこまれた農地改革に対する恨みは、同級生の心の中に息づいていました。このあたりが変わらなくては、いくら元気のいいお兄ちゃんたちが暴れても、日本に革命は来ないべなあと、漠然と感じていました。夕方のおやつにモンブランを買った。ケーキではなくて、菓子パン。ずしりと質実剛健なパンがおいしいパン屋さんなのだが、先代が和菓子屋さんなので、餡ものの菓子パンなどもおいしいのです。あ、画像撮っておけばよかった。この名前はフランスの山「Mont Blanc」から採ったんでしょうね。アルプスの最高峰。イタリア側からだとモンテビアンコ「Monte Bianco」になるそうです。同じ名前ですね。万年雪が積もってるから「白山」。白峰山や白頭山も同様の命名でしょうか。今はいろいろ有名なモンブランがあるようですが、この前見つけたモンブラン。矛盾した形容詞blackを前に付けた、「ブラックモンブラン」というアイスがあるそうです。これ見たことないなあ。「バニラアイスクリームにチョコレートコーティングしてクッキークランチをつけたアイス」だそうです。ところで私は字が下手なんです。筆圧が強くて、カナクギ流。ノートは4Hというような鉛筆で書いてましたっけ。私たちのころは中学入学祝いで万年筆をもらい、高校入学祝いで腕時計をもらうといった習慣がありました。大人への階段ね。でも、どうも万年筆がうまく書けないのだなあ。インクひきずっちゃうし。ところが、学生時代に大学生協でモンブランの万年筆を衝動買いしたところ、とても使いやすいのです。すらすら書けて、なんだか字がうまくなったみたい。ブルーブラックのインクというのも、濃淡の味があっていいのね。残念ながら紛失してしまいましたが、あの安価なモンブランより書きやすい万年筆にはまだ出会っていません。イギリスのダンヒルに買収されたそうですが、ドイツの工芸品はいいなあと思います。通信販売だと扱えないところが多かったようですが、ぼちぼち増えてきたかな。http://www.pen-house.net/pen/montblanc/http://www.barockhaus.co.jp/2-montblanc.htm(リンク張ろうとしたら蹴られました。)前に書いたと思いますが、万年筆の発明とタイプライターの発明はほぼ同時期だったそうです。文章を書くのはタイプライター、署名をするのは万年筆。初めから役割がはっきりしていたのですね。万年筆は書いたときのタッチが文字に出るので、書道好きの日本人には文章を書くイメージがありますが、知的生産には向いてないんですよ。と、カナクギの遠ぼえでした。
2004.07.09
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【追記】No.3晴れたり曇ったり、忙しい梅雨空。7月8日午後6時半ごろ、事務所の窓からの眺めです。【追記】No.2せっかくだから、「新譜ジャーナル」1973年(昭和48年)7月号の内容をざっと見ておきましょうか。私は高校2年生、学校で志賀高原へ高原教室に出かけ、帰りに風邪をひいた暑い夏です。「ヤングギター」を買うことが多く、他の雑誌は本屋さんで立ち読みしていました。このころはもう「ヤングギター」も立ち読みかな。他に立ち読みで済ませていたのは「新譜ジャーナル」「ガッツ」「深夜放送ファン」「スイング・ジャーナル」あたりですね。以下敬称略。4色カラーグラビアは吉田拓郎、撮影は田村仁。1色グラビアが井上陽水、「加藤和彦とミカバンド」。4色カラー、カーリー・サイモン。1色グラビア、四人の会(岡林信康・加藤和彦・西岡たかし・端田宣彦)木田高介のハイ・テクニック・シリーズ。「AL KOOPERのニューヨーク・サウンドに挑戦」「PEACOCK LADY」のバンド譜。溝淵和雄のONE POINT GUITAR。井上陽水の「傘がない」。三橋一夫「今月のことば」は「フォークリポート裁判」。富澤一誠「特集ルポ・浮上するフォークシーン第3の個性」PART1 佐渡山豊PART2 はっぴいえんど、三上寛、なぎらけんいち、山平和彦、あがた森魚三橋一夫「ジュリー・フェリックス インタビュー」東理夫「ポール・サイモン物語」東理夫「今月の歌」読者の作詞作曲を添削するコーナー。ぐゎらん堂日記ほんやら堂日記高田渡 ワタルの「雑記帳」 上諏訪から<国道20号線>中川五郎のフォーク&トーク もちろんわいせつ裁判泉谷しげるの放談室コンサート評:井上陽水、デビッド・ボウイ他読み物記事はこんなものです。楽譜は「あのねのね」「ガロ」「ディランII」の特集。それ以外の1ページ1曲の曲名を挙げておきます。これが私の高校2年生の夏なんです。中川イサト「プロペラ市さえ町あれば通り1の2の3」本田路津子「この空の下で」チューリップ「心の旅」寺田十三夫「今日が終わって」(これはわかりません)キャロル「彼女は彼のもの」日暮らし「まちぼうけ ~佐渡を恋うる詩~」ノン・ノン「三つの花」(これもわかりません。女性トリオ)及川恒平「雨が降りそうだなあ」長野隆「カタコト列車」(IMOバンドです)由紀さおり「ルームライト」(詞)岡本おさみ・(曲)吉田拓郎・(編)木田高介カーペンターズ「SING」ドン・マクリーン「DREIDEL」T.REX「20TH CENTURY BOY」(二十世紀少年でんがな。)ジェイムス・テイラー「Nobody But You」【追記】No.1つい最近「ノーブラ」なんて書いたばかりなので、幻泉館主人はおっぱいフェチだと思われるんじゃないかしら。う~ん、どうなんだろう。もう少しほとぼりがさめてから書けばよかったのに……そうじゃない。砒素ミルクの被害者になったかもしれないという、母乳を知らない赤ん坊だったんです。その分、後々こだわっているやもしれませぬ。「おっぱい」っていい言葉ですね。母音の「お」に、促音「っ」、そして唇の破裂音で大きく口を開いて「ぱ」、最後に閉じる母音の「い」。ちからいっぱいおかあさんのおっぱいにしがみつく感じが込められていると思うのです。で、あくまでも大切なのは。おっぱい自体なんてものは存在しないんです。母と子、恋人どうしといった必ず関係性の中にあるんですね。だから、ウッディ・アレンの映画みたいにモノとしておっぱいが登場するものはあまり好きではありません。猫は寝る場所を決めると、ベッドメイキングをするかのように前足でふみふみという動作をします。これは小さな時にお母さんのおっぱいを飲んだ動作を繰り返しているのだと聞いたことがあります。本当かどうか知りませんが、説得力があって好きな話です。ヒナなんかはとても気楽な毎日を送っていますが、野良猫の生活は極めて苛酷です。きっと母猫に守ってもらった幸せな日々を思い出して、いい夢を見るのです。またかよと思われるかもしれませんが、またなんです。昨夜、ヒナが私の枕許の山をひっくりかえしてくれたので、古い「新譜ジャーナル」が何冊も出てきたのです。表紙が中川五郎さんと青木とも子さんでした。お、?つまり「25年目のおっぱい」ということです。 ♪ 25年目の夜に きみのおっぱいは ♪ ぼくのてのひらの中で ぐっすりおやすみこの曲ができる少し前の二人が「新譜ジャーナル」の表紙になっているんです。五郎さんたちが吉祥寺井の頭公園の近くに引っ越してきたころでしょう。 ♪ 11月の江戸川公園で ぼくははじめて ♪ きみの柔らかいおっぱいに このてでふれたんだ五郎さんは政治的な反戦歌を歌ってましたが、いちばん五郎さんらしいのは、普通のことばで普通の性を語ることのように思います。1973年7月号の「新譜ジャーナル」では、三橋一夫さんが「フォークリポート裁判」が始まったと書いています。この裁判の特徴は「芸術かワイセツか」を争うようなものではなく、普通の人がしゃべったり書いたりする自由の領域を争う裁判だったのです。五郎さんは、たぶんただおもしろがって「二人のラブジュース」を書いたのでしょう。警察や検察なんてものが寄ってたかって犯罪に仕立て上げようとしたことに、驚いたのではないでしょうか。 ♪ あのときのきみのおっぱいを いまもぼくはおぼえている ♪ そして帰りにぼくらは 猫を拾ったんだ
2004.07.08
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【追記】No.3今日は七夕なんですな。浜に出ると西の空は真っ暗な雲で覆われていましたが、東は晴れていました。のんびり市の夜空は明るいので、天の川はよく見えません。でも、なんとか晴れてくれるのかな。【追記】No.2昨日浜で見かけた鳩。なんとなくヒナに似てるのがいたのです。【追記】No.1ヒナのワンダーランドは普段入り口を閉ざしてあるのだが、開いているとおヒナ様が確実に入り込む。やたらに物を落として整地した後、妙な格好で寝るのであります。めちゃくちゃ暑いんですがね、ここ。北冬書房から出ている『幻燈』という雑誌は実に曲者で、新しい号がいつ出るのかさっぱりわからない。4号が出たのは2002年10月21日(お、国際反戦デー)らしい。『幻燈』3号『幻燈』4号この時は映画『蒸発旅日記』の記事がメインかな。夢幻堂さんから通信販売で買ったのだったかしら。今回の5号は本屋さんで見つけて買うことができた。奥付は2004年4月28日になっているのだが、北冬書房のサイトではまだその情報を見ることができない。どうなってるのかしら。『幻燈』5号は「特集<うらたじゅんの世界>」。この雑誌はベースとしては常に「つげ義春」なのだが、この「うらたじゅん」さんが本格的デビューをした場でもある。うらたさんはなつかしかったり、シュールだったり、明らかに「つげ義春」的なものを持った作家だ。巻頭掲載の三作品の中では、「渡難」が心に残った。二十歳の冬、「私」が与那国島でサトウキビ刈りをする話。石垣島で知り合ったナナと女二人で空き家に住み、毎日くたくたになるまで働く。夜中は寝袋の中で身体を動かして寒さをしのぐのだが、野菜を食い荒らすナメクジを退治するために起きなければならない。それでものどかだった民家でのキビ刈りが終わると、製糖工場直営の畑で働く。ヤマトから流れてきた若者たちが次々とケツを割るという苛酷な労働である。「私」は高熱を出して寝込んでしまう。サンシンの音が聞こえてくる。「ネエネエ がんばれよ! 死んじゃダメさ 命ど宝」与那国の話なのに、冷たい霧と雨と寒さに苦しむ。年が明けて1975年の正月に二十歳の冬を過ごしているので、私より少し上の世代だ。もちろんうらたさんの思い出話や自伝ではなく、作品である。それでも、設定は事実を元にしているようだし、生活そのものも経験を反映しているようだ。私よりほんの少し年上だが、この世代だとこういう暮らしをする若者は往時よりもかなり少なくなっていたのではないだろうか。いや、沖縄海洋博の年だ。中学を卒業して鳶職に就いた同級生が、沖縄で稼いでくると言っていた。復帰して三年目。おそろしい勢いでヤマトの資本が襲いかかっていった時期なんだろう。鳶になった同級生はその数年後に自殺した。寺の墓地へ墓参りに行くと彼の墓の横を通るので、その時だけ彼のことを思い出す。お。うらたさんのサイトでいくつか作品が読めます。http://www.ne.jp/asahi/jun/urata/
2004.07.07
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【追記】No.3言ってどうなるものでもないけど、蒸し暑い。べとべと。気分転換に浜へ行ってみたら、余計にべとべと。おまけに西の空にはどんよりと雲が。がっかりして戻ってきたら、お日様が出てきた。雲男かいな。晴れたり曇ったり雨が降ったり、毎日よくわからないお天気が続くのですが、とりあえず、暑い。【追記】No.2新聞で北朝鮮から元赤軍派よど号グループが帰ってくるかもしれないという記事を読んで思い出しました。1967年、京都で「裸のラリーズ」というバンドが生まれました。私はそのバンドの音に関して知ることはありません。リーダーの水谷孝さんは、南正人さんの傑作『回帰線』でギターを弾いています。「果てしない流れに咲く胸いっぱいの愛」は、実に楽しい大怪作です。当時の裸のラリーズは実質的には水谷孝さんの個人バンドだったようです。久保田麻琴さんが夕焼け楽団をやる前に、ベースを弾いて手伝ったりしたこともあるそうです。山口冨士夫さんやチャー坊(柴田和志)が参加し、そしてまた分裂して「村八分」ができます。このあたりのことはgoogleで検索すれば、詳しいサイトがあることでしょう。ラリーズのオリジナルメンバーの中でベースを弾いていた若林盛亮さんは同志社大学の学生で、70年のよど号ハイジャックに参加しました。裸のラリーズは、よど号ハイジャック犯がいたバンドとしても名高いのです。かつての仲間であった高沢皓司さんが『宿命』で描いているように、北朝鮮に飛んだ「あしたのジョー」たちは主体思想に完敗したようです。血の通わない声明を発表するのではなく、彼らには日朝関係の暗部を暴いてもらいたいと思います。【追記】No.1夜中に雷雨となる。あわてて窓を閉め、録画しておいた『ホテル・ハイビスカス』をぼぉっと観る。主役のガキ、失礼、美恵子ちゃんがいいですな。お母さん役が余貴美子さんだとは、しばらく気づかなかった。ベルウッドの覆刻盤ですが、「ザ・ディランII BOX」は不思議なセットになっています。「オリジナル・ザ・ディラン」(1974.4.25)「この世を悲しむ風来坊に捧ぐ」(1974.9.25)「時は過ぎて / ザ・ディラン II ライブ」(1975.5.10)この3枚のアルバムのセット。幻泉館日録に何度か登場している『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』(1972)は、URCから出たものなので当然入っていません。「オリジナル・ザ・ディラン」は、ディランIIから抜けた西岡恭蔵さんを迎えての同窓会的メンバー。武蔵野タンポポ団がぐゎらん堂に集まった人たちのセッションバンドだったのと同様、ディランはディランという店に集まった人たちのセッションバンドなんですね。「この世を悲しむ風来坊に捧ぐ」もサポートメンバーが多くて、音としては石田長生さんなんかが印象に残ります。高橋照幸さんの「追放の唄」や、細野晴臣さんの「恋は桃色」も入っていて、私が思い浮かべるディランIIとはちょっと違う感じのアルバムかもしれません。ディランIIというと、これは大塚まさじさんと永井ようさんのデュオなわけです。それは最後の「時は過ぎて」の方が、まさにディランIIという感じ。いずれも入手困難な盤だったので、この覆刻はとても嬉しいものです。それぞれのアルバムに関してはもっといろいろ書きたいことがあるのですが、とりあえずこんなボックスセットが出てますよということで。レア盤だったアルバムが3枚セットで4200円(悪税込)ナリ。お買い得ですよ、なんて。disc 1「オリジナル・ザ・ディラン」(1974年)1.悲しみの街2.五番街の恋人たち3.ねえ君4.魔女裁判5.ほら貝を語る6.俺達に明日はない7.魔法の舟で8.悲しみを抱いた汽車9.馬車曳き達の通る道disc 2「この世を悲しむ風来坊に捧ぐ」(1974年)1.女王様の恋2.妹のような君3.悲しみのセールスマン4.時は過ぎて5.風景6.巻き毛の娘7.追放の唄8.道端の石9.恋は桃色10.こよい君とdisc 3「時は過ぎて / ザ・ディラン II ライブ」(1975年)1.ガムをかんで2.子供達の朝3.茶色い帽子4.時は過ぎて5.君住む街6.プカプカ 7.淋しがりや8.その気になれば9.悲しみのセールスマン10.こんな月夜には11.サーカスにはピエロが
2004.07.06
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【追記】No.1おお、よく晴れたなあ。なんだけど、実はこの時雨が降っていました。いわゆる天気雨。蒸し暑いですが、空は夏休み。武蔵野タンポポ団は最初から伝説のバンドだった。1971年、吉祥寺「ぐゎらん堂」で飲んでいた渡さんとシバさんが、「今度の中津川ではジャグ・スタイルのセッション・バンドで参加しよう」と盛り上がったという話がそのまま実現した、夢のなりゆきバンド。最後の中津川フォークジャンボリー、メインステージでの演奏が『武蔵野タンポポ団の伝説』というアルバムにまとめられ、翌年発売された。高田渡、シバ、若林純夫、山本コータロー、村瀬雅美。一応こんな面々がオリジナルメンバーなのだが、セッションバンドだけあって、その都度いろいろなメンバーが参加していた。『武蔵野タンポポ団の伝説』では、他に友部正人、岩井宏、村上律、中川イサト、福岡風太(!)が参加している。1972年に武蔵野タンポポ団は地方公演などを続け、その年末に活動を終える。のんびり市にも来てくれたので、高校生の私は見にいきましたよ。カズーをぶーぶー吹いたり、硫酸瓶をぼっぼっと鳴らしたり、楽しそうに演奏してました。学校帰りに行ったので持っていたノートにサインをお願いしたら、シバさんは似顔絵入りで書いてくれました。あのノート、とっておけばよかったなあ。『春一番ライブ'72』にも、「あしたはきっと」と「カーカー」が武蔵野タンポポ団の名前で入っています。渡さんのアルバムでいとうたかおさんが歌っている「あしたはきっと」も、限りなく武蔵野タンポポ団に近いですね。で、今回の覆刻で嬉しかったのは、『もうひとつの伝説』が覆刻されたことです。ヤフオクで出品されても、値付けが高く跳ね上がるので、手が出ないのです。これも1972年の中津川フォークジャンボリーの音源です。ただしこちらは、メインステージではなくて、黒テントでの演奏。中津川フォークジャンボリーでは、メインステージの他にサブステージ(ロック)、サブステージ(フォーク)と、いろいろなところで演奏していたのです。当然メンバーも違いまして、岩井宏、村上律、中川イサト、福岡風太が抜けて、品川寿男が参加しています。渡さんやシバさんの持ち歌にみんなが参加するという形が多いですが、なんといってもタンポポ団らしいのは、やっぱり「サンフランシスコ湾ブルース」ではないかと思います。若林さんの付けた詞が、とても楽しいのです。 ♪ おいらを残して ♪ あの娘は行っちゃった ♪ 富士山のふもとまでえ、富士山のふもとってどこ?当然ながら我々はこれをのんびり市のつもりで聴いていました。 ♪ でも戻っておくれ ♪ 機嫌をなおして ♪ そして一緒に歩こよ ♪ 吉祥寺の町をね「武蔵野タンポポ団の伝説」(1972.8.10)1. サンフランシスコ湾ブルース2. 長屋の路地3. その朝4. 告別式5. しらみの旅6. もしも7. 朝8. ミッドナイト・スペシャル9. 淋しい気持ち「もうひとつの伝説」(1975.8.10)1. さびしい気持ちで~年齢 / 武蔵野タンポポ団2. サンフランシスコ湾ブルース / 武蔵野タンポポ団3. 告別式 / 武蔵野タンポポ団4. この世に住む家とてなく / 武蔵野タンポポ団5. 飛行機にらんで / 高田渡6. 夜風のブルース / 高田渡7. 頭をかかえる宇宙人 / 高田渡8. グッドナイト・ブルース / シバ9. からっかぜのブルース(もしもし)/ 友部正人
2004.07.05
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【追記】No.4WOWOWが無料放送の日であった。ドタバタと畑仕事に出る前に気づいて、『ホテル・ハイビスカス』を録画して出かける。ちょっと頭が欠けたのが残念。大汗かきました。暑いっすね。【追記】No.3夜中に大友克洋さんの『AKIRA』をやっていたので、ついつい全部見てしまう。そうか、アニメだとこういう話になっていたのか。『童夢』が1980年だったろうか。ということは、『ハイウェイスター』『さよならにっぽん』を読んだのは70年代ということになる。双葉社「漫画アクション」の作家さんだった。最初は日本人の顔をちゃんと描いたというところに惹かれたのでありました。綺譚社から出ていた作品集はどこに行ったかな。後で探そう。【追記】No.2土曜の昼下がり、浜に行くと「トライアスロン大会」の垂れ幕が下がっていた。堤防の上にパイプで柵が作ってあり、定間隔で番号が付いている。自転車を留めるところかな。競技をしている様子はないので、日曜日に開催らしい。カイトサーフィンも見えるし、海で泳いでいる男子中学生らしい集団もいた。本当にもうすぐ夏休み。【追記】No.1明けて7月4日はアメリカ合州国の独立記念日です。ジョージ W ブッシュという凡庸な人物がこの大国の大統領になった後しばらくの間、なにか非常に大きな劣等意識を抱いているように見えた。彼自身、ビジネスでも政治でも自分が無能であることを知っていたからである。他人から指摘されたくはないけどね。そこで彼は「Independence Day」(1996年)という娯楽映画の中にその解決策を見いだした。「そうだ、オレはあれになっちゃる!」地球を侵略せんとする異星人と戦う、マッチョな大統領。いよ、大統領! 宇宙一!ペルーの大統領になった日本人が銃を持ってみせたのと同様に、やたらに軍服を着たがり、そして異星人と戦う決意をしたのである。もちろんそんな異星人なんていやしない。そこで、自分が正確に覚えられないような地名の場所に暮らしている異教徒を血祭りに上げることにした。さいわい、アジア人の生命はWASPの五十分の一程度の重さしかないらしい。これで再選確実……ありゃ、ダメなのか?あだしごとはさておき、『ナッシュビル』のクライマックスには、ある悲劇が用意されています。でも、パンドラの箱に最後に残っていたという小さな「希望」が仕掛けてあります。このあたりが、アルトマンがアメリカの監督らしいところだと思います。スタッフ&キャストのリンクが充実した日本語サイトを見つけましたが、下の方にある「ユーザーコメント」は不正確なネタバレがあるので、ご覧にならない方がよろしいようです。ナッシュビル(1975)ロバート・アルトマン監督というのは非常に毀誉褒貶の激しい人で、その作品が嫌いな人は全然ダメなんでしょうな。私は大好きです。大御所なのに、なんだかカルトな雰囲気ね。まるでバラバラに見えるいろいろなエピソード。それぞれ勝手にささやかなドラマと格闘している人々の群れが、クライマックスで一つにまとまる。それが最も鮮やかに成功した大傑作が、『ナッシュビル』(1975年)だ(と私は思う)。公開時に見ていないので、後年テレビで見た。ところが、途中から何気なく見始めたので、どうにもちゃんと全部見たくなってしまった。ビデオを入手しようと思ったら、これが日本では出ていない。そこでアメリカから個人輸入で買ったのだ。今はamazon.co.jpで、そのアメリカ版ビデオを扱っている。検索したら、2本組みで1684円(悪税込)。大傑作ですから、安いものですよ(と私は思う)。これは音楽映画でもありまして、キース・キャラダインが自作自演で歌う「I'm Easy」なんて、本当にいい曲です。この弾き語りで主婦を誘惑してしまったりするのですが、なんだか納得できちゃいます。とにかく出演者が多いので、下のリンク先で見てください。すごい人がいろいろ出ています。Nashville (1975)カントリー&ウェスタンの大御所を演じるヘンリー・ギブソンさんは、『ブルースブラザーズ』(1980年)でネオナチのおっさんの役をやってた人ですね。美空ひばりとジョーン・バエズを足して2で割ったような歌姫役のロニー・ブレイクリーさんは、ヴィム・ヴェンダース監督の奥さんだった人。他にも、いろいろおもしろい人が出ています。
2004.07.04
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【追記】No.6chappiさんお似合いの「カステラ一番」なんですが、あのキャラは何なのでしょうか。調べたら変遷がまとめてありました。文明堂 CM年鑑【追記】No.5敬愛するつげ義春さんの作品に、夜が本当にやってきてしまうのがある。「ねじ式」の系統の作品で、御本人なら夢をそのまま描いただけだと言いそうな話。夜が入ってくるのだ。「夜が掴む」【追記】No.4「日暮れのMEW」浜をうろうろしていた黒猫君です。【追記】No.3「夜明けのMEW」です。【追記】No.2「渡さん出てるよ~!」連絡をいただき、あわててテレビの電源を入れる。NEWS23の「金曜深夜便」です。筑紫哲也さんと「いせや」の2階で飲んでいる。だめじゃん、飲んじゃ。「自衛隊に入ろう」がテレビで流れたのは、画期的なことかもしれない。ただ、渡さんも言っていたけれど、たとえば今の若者がこの曲を歌うのは違うんじゃないかと思う。筑紫さんも渡さんも、見事によっぱっぴぃになっている。渡さん、目が危ない。渡さんのおうちが出てきたのはうれしかった。ネタになっている15Aのヒューズ!ああ、もっと見たい。渡さん、あんまり飲まない方がいいですよ。映画『タカダワタル的』は名古屋、京都、博多などで上映するようです。CD『タカダワタル的』はタワーレコードで扱いが始まりました。【追記】No.1昨日の夕方浜で見つけた掲示。遊泳期間がこんなに半端だとは知らなかった。でも、なんといっても「自己の責任」が光ってる。ちゃんとした物を売るのも大変なことなのだが、実体のないモノを売るのはさらに大変なんだろう。大量に宣伝費を遣って、需要を作り出すことになる。サントリーと資生堂は心に残るCMを数多く作ってきた。地上波をほとんど見なくなってしまったので今のテレビCM事情がわからないのだが、私などはテレビCMといえばこの二社を思い浮かべる。サントリーのウィスキーについては以前書いたことがありましたな。「お湯で割ったらアメリカン」その時レスに書いたように、小林亜星さんの「夜がくる」などは実にいい曲だった。ただ、この曲は「人間みな兄弟」というタイトルでも呼ばれているようだ。本来は曲ではなくて、それぞれのCMに付けられていたタイトルなのかしら。googleで検索したら、この曲の19種類のヴァージョンが入ったCDなんてのも見つけてしまった。『人間みな兄弟~夜がくる』1. オリジナル・ヴァージョン2. 口笛ヴァージョン3. ハーモニカ・ヴァージョン4. サックス・ヴァージョン5. 室内楽・オーボエ・ヴァージョン6. スキャット・ヴァージョン7. ウクレレ・ヴァージョン8. ピアノ・コンボ・ヴァージョン9. サルサ・ヴァージョン10. オルガン・ヴァージョン11. ギター・ヴァージョン12. トランペット・ヴァージョン13. スキャット・ア・カペラ・ヴァージョン14. ピアノ・ヴァージョン15. ピッチカート・ヴァージョン16. オーボエ・ヴァージョン17. ブラス・ヴァージョン18. レゲエ・ヴァージョン19. オルゴール・ヴァージョン いい曲なんだが、さすがにこれだけ続けて聴くのはキツイかもしれない。だから買わない。これはどうだろう。『琥珀色の時間 ~THE COLLECTION OF SUNTORY WHISKY CM~』1. 夜がくる(口笛バージョン) (小林亜星)2. ウイスキーが,お好きでしょ (石川さゆり)3. 落葉が雪に (布施明)4. シティ・コネクション (日野皓正)5. ダブル・ベース (ロン・カーター)6. J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV1009~アルマンド (チャバ・オンツァイ)7. いっそセレナーデ (平野孝幸)8. 口笛吹きと犬 (レディース・オーケストラ・ジャパン)9. 3 6 4 1 4 (ロン・カーター)10. 「マイ・フェア・レディ」~踊りあかそう (ロンドン・フィルム・フェスティバル・オーケストラ)11. ピアソラ/リペルタンゴ (デュエットゥ)12. コダーイ/無伴奏チェロソナタ 作品8~第1楽章 (マリア・クリーゲル)13. 夜がくる(オリジナル・バージョン) (サイラス・モズレー)サントリーCM楽曲集。入りと締めが「夜がくる」。癒し系(?)って、尻上がりで発音しない。amazonで検索していると、つい欲しくなるけど、ちょっと待て。こういうやつの方がお得じゃない?東陽片岡さんのイラストもエグイぜ。これ買おうかな。『コマソン マニア ヴィンテージCMソング コレクション』1. カステラ一番(文明堂)2. 雪印アイスクリームのうた(雪印乳業)〈ほのぼの編〉3. 明星即席ラーメンのうた(明星食品/ミッキー・カーチス)4. どこまでも行こう(ブリヂストン)5. 小さな瞳(ロッテ/ビリー・バンバン)6. 雪印ネオソフトのうた(雪印乳業)〈終わらない編〉7. パンシロンの歌(ロート製薬/天地総子)8. 明治チョコレート・テーマ(明治製菓/スリー・グレイセス)〈ふるさと編〉9. もくせいの花(日本生命/デューク・エイセス)10. ふりむかないで(ライオン/ハニー・ナイツ)〈感動編〉11. 雪印フレーバーランド・アイスクリーム(雪印乳業)12. 日立グループ企業編(日立の樹) (日立製作所/ヒデ夕木,朝コータロー,シンガーズ・スリー)13. サントリー・ローヤル90(サントリー)〈元気が出る編〉14. 雪印ミネラル牛乳(強くなろう,大きくなろう)(雪印乳業)15. レナウン ワンサカ娘(レナウン/弘田三枝子)〈さわやか編〉16. セキスイハウスの唄(積水ハウス/スリー・グレイセス)17. ライオン ブルーダイヤ(金銀パール プレゼント) (ライオン/小林亜星)〈しっとり編〉18. 人間みな兄弟(サントリー/サイラズ・モズレー)19. 人間みな兄弟(サントリー/レゲェ・ヴァージョン)20. 酒は大関(大関/加藤登紀子)〈笑っちゃう編〉21. 赤いキッス(カゴメ/はしだのりひこ&エンドレス)22. 引越のサカイ(仕事キッチリ)(サカイ引越センター/徳井優)〈フルコーラス編〉23. 赤いトラクター(ヤンマーディーゼル/小林旭)24. すごい男の唄(サントリー/三好鉄生)25. CCレモン(サントリー/チータ)26. 夜がくる(サントリー/マークHAMA)27. まあるいいのち(住友生命/イルカ)28. 夢一夜(資生堂/南こうせつ)29. ALWAYS(アサヒビール/柳ジョージ)いやいや、作家で選ばなきゃ。なら、『小林亜星CMソング・アンソロジー』、充実の62曲入り。量で勝負なら、『懐かしのCMソング大全』なんてのが、これは5集まで出てるのか?そうそう、浜口庫之助さんのメロディもおなじみです。ロールオーバー庫之助!って、こんなことやって遊んでると、すぐに「朝がくる」のだ。しかし、お正月にやってた「噂のCMガール」、どうして終わっちゃったのかな。高田純次さんの司会でだらだらと、毎年結構楽しく見てたのに。
2004.07.03
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【追記】No.5町の中を高校生が通っていく。今は夏休み前の期末試験らしい。のんびり市は人口のわりに高校が多い。旧制の時にできた県立の中学校、女学校、商業学校、工業学校、農業学校。国立高専や市立高校、他に私立も同じぐらいの校数あるのかな。ほとんどの学校が昔と制服が違うので、何がなんだかわからない。昔と変わらぬ風景に、今様の制服を着た高校生が歩いていると、パラレルワールドにさまよいこんだような気がしてくる。それでも、我が母校は相変わらず同じ制服。私の時は45人学級で女子が7人だったかな。今は男女の割合が同じぐらいになったそうなので、女子の黒い制服が目にいたかな。夏服はあまり特徴がないので、それも風景に消えてしまう。嫌いな学校で、早く出たいとばかり思っていたけれど、ボートの練習など見かけると応援したくなる。 東高~、 がんばっていきまっしょい!【追記】No.4夕方時間ができたので浜に行ってみたが、雲が出て今にも泣きそうな空になってしまった。残念。【追記】No.3朝日新聞のサイトに、「防衛参事官制度見直し」の続報が載っている。あの防衛庁長官は「よりよい文民統制」「本当の意味での文民統制」という言い方を繰り返しており、現在の参事官制度を廃止することに賛成なようだ。ウソをついてはいけない。それは文民統制の廃止である。制服組にとって、実に御しやすい木偶人形のような長官と言えるだろう。本来なら、海幕長は即解職となってもおかしくない。ウソを重ねた既成事実作りが効を奏したとも言える。既に軍部の暴走は始まっている。【追記】No.2ほお、ヨーロッパ選手権準決勝、ギリシャが勝ったんですなあ。そんなことより、驚いたのは朝日の報道だ。「防衛庁の文民統制、制服組見直し提案」背広組の言ってることなんか聞けるかよと、早くも暴走か。【追記】No.1夜中にテレビをつけたら、全英オープン、ウィンブルドン大会の中継をしていた。女子シングルス準決勝。17歳の新鋭シャラポアがダベンポートに逆転勝ちして決勝進出を決めた。ダベンポートが敵役みたいで、少しかわいそうな中継。いつだって時代は新しいスターを求めているんだろう。1997年に16歳で優勝したマルチナ・ヒンギスに次ぐ、史上2番目に若い決勝進出なんだそうな。以前BBCは毎年ウィンブルドン大会の前に年鑑のような雑誌を出していたのだが、今もあるのだろうか。同時進行で日本版制作の仕事をしたことがある。ナブラチロワが九連破なるかといった年。テニスのことなどまったく知らないので、翻訳のチェックには苦労した。前にも書いたことがあるだろうか、ひどい翻訳者がいたのだ。翻訳の日本語がおかしくて、意味をなさない。原文にあたると、いわゆる関係詞が出てくると文の構造がわからなくなるらしい。仮定法というものも知らないらしい。翻訳の実績はあまりないけれど、翻訳学校の教師であるというふれこみで、大出版社が連れてきた人物だ。その直しをしていて徹夜したのだが、コンタクトで目を傷つけてしまい、目が開かなくなった。しかたがないから、公園通りのパルコの上にある眼科まで、手探りで行ったのだ。ああ、また怒りがこみあげてきたぞ。その翻訳者というのは、当時よく新聞に「あなたならどう訳す?」みたいな広告を出していた、翻訳者養成通信添削をやっていたところのセンセイです。あれで食っていけるというのは、たいしたものだと思います。一日の終わりに線路際を歩いていると、寝台特急が通った。子供のころ、あの列車で九州に行ったことがあった。小学校5年生の夏休み。富士山登山口近くの小学校に泊まり込んだ、あの高原教室と同じ夏なんだ。思い出した。その少し前にプラ粘土が髪の毛に貼り付いてしまい、しかたなくハサミで髪を切ったので、真正面からみると円いハゲみたいになっていたのだ。そんなに気にしてなかったな。野球帽かなんか被ってたんだ。寝台特急「さくら」。ブルートレインという呼称はまだなかったと思う。山陽新幹線もなかった。鹿児島行きの「さくら」を、博多で降りたのか。父も母も、今の私よりずっと若かった。母が少女時代の一時期を過ごした唐津の海は、のんびり市の海よりずっときれいだった。砂浜にはやどかりがたくさんいた。学生時代に一人で再訪した時には、母の従弟が「開発が進んでしまって」と嘆いていたが、それでもまだきれいな海だった。『ブルー・トレイン』というアルバムがある。録音は1957年。ジョン・コルトレーンが自分の名前でブルーノートに残した唯一のアルバムだ。私はインパルス時代の、フリージャズに急接近していくコルトレーンが好きなのだが、しっかりしたハードバップのアルバムとして評価が高い。ブルーノートのコルトレーンで、ブルー・トレイン。本当にそれで付けたタイトルのはずだ。高校生のころ輸入盤で安く買って当たりだったアルバムに、キャノンボール・アダレイとジョン・コルトレーンが一緒にやってるのがあった。ジャケットには大砲と列車の絵が描いてあったと思う。あれは何というアルバムだったかな。後でちょっと探してみよう。もちろん『サムシン・エルス』じゃありませんよ。それならすぐわかる。
2004.07.02
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【追記】No.7駅近くのアーケード商店街「仲見世商店街」に行くと、七夕の飾り付けがしてあった。邪魔な気もするけど、やっぱり商店街はにぎやかな方がいい。おっと目を引いた飾り付けがあったのだが、これは棟方志功さんの「釈迦十大弟子」まんまだった。きれいに作ってあるのだが、意図がよくわからない。【追記】No.6「榎美沙子」をgoogle検索してみたんですが、今の様子はわかりませんね。代わりにと言ってはナニですが、小林万里子さんのインタビューを見つけました。 ♪ 朝起きたら ♪ 男の態度が変わってた~「朝起きたら」は1978年のヒット曲です。フェミドルに聞け! 、小林万里子さん【追記】No.5izumatsu氏がレスで書いてくれた、カーリー・サイモンの「よりセクシーなジャケット」は別のアルバムのような気がするのですが、私は『アンティシペイション』(1971年)を思い浮かべました。考えてみれば、「シースルー」なんてのも死語なんでしょうか。英語でも「see-through」で、中が透き通って見えるような服です。「スケスケルック」なんていう、身も蓋もない言い方もありました。カーリー・サイモンさんのジャケットはセクシーなの多いですね。ただ、70年代のものは男性に媚びるというより、非常に力強い印象を受けます。Carly SimonAnticipation(1971)【追記】No.4夜中にぼぉっとCSのJNNニュースを眺める。このごろ、テレビのニュースはこればっかり。そこでおや?「金さえあればいいってもんじゃないんだ、プロ野球は」ライブドアによる球団買収話に関する質問に対するナベツネ氏の回答の一部。おやおや?【追記】No.3集中豪雨の後きれいに晴れた、その夕方。午後6時45分、事務所の窓から。【追記】No.2私の好きなアルバムです。共通点は、すみません。まさに1972年、数多くの少年たちの胸をドキドキさせたであろう、カーリー・サイモンの『ノー・シークレッツ』。Carly SimonNo Secrets(1972)その数年後、日本ではノーブラの影も形もなくなったころに出た、リンダ・ロンシュタットの『風にさらわれた恋』(1976年)です。Linda RonstadtHasten Down the Wind(1976)【追記】No.1アメリカのカウンターカルチャーが輸入されて、いろいろな「ウーマンリブ」が盛り上がったのはもう少し前、60年代だったのではないかと思ってgoogleで検索してみた。山手線で幻を見た時ではなく、ドリフを見てばか笑いしていたころではないかと。でも、やはり1972年にノーブラが流行したらしい。1971年にノーブラ出現という言い方がされている。それが1972年にかなり広がったということだ。おしつけられた「女性」を拒否すべくノーブラが提唱されたのだが、この時の流行にそういう意味があったのかどうか、よくわからない。中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)の誕生は1972年だが、その衝撃的なマスコミへの登場は、かえって当時のフェミニズムを戯画化して収束に向かわせることになったのではないかと思う。同じ時代、非常に先端的な大衆文化を創り出していた雑誌『週刊少年マガジン』に「男おいどん」が連載された。(71年5月~73年8月)「大四畳半物語」から性描写を削った形の作品なのだが、むしろそのためにかえって悶々たる青年の四畳半世界が実感できた。これがわしらの青春時代なのであった。ところで「ノーブラ」というのは日本語でして、英語だと「braless」になります。「トップレス」は英語でも「topless」ですが、そりゃノーブラとは意味が違います。あっちこっちから変なDM来ますね。以前買い物をした、楽天市場にあるようなまともなショップからも、時々妙なのが来ます。わたし、ヌーブラ要らないんですが。普段からノーブラよ。そういえば、70年代前半って、ノーブラの女性が多かったように思います。高校生のころ、山の手線に乗っておりました。吊革を握って立っていたのですが、ふと横を見ると、シースルーのブラウスでノーブラのお姉さんが立っていました。(もちろん、ノーブランドのことを言っているのではございません。)え?丸見え?残念。オレ、正面見てなきゃダメじゃん。今でも鮮烈なイメージを抱いているのは、ちゃんと見ることができなかったのがよほど悔しかったんでしょうね。とてもきれいなシルエットだけが思い出として残っています。東京に出ればああいう人をよく見かけるのかと思ったら、けっしてそんなことはありませんでした。初期のドリフターズに英語の発音のレッスンというのがあった。いかりやさん扮する先生が、英単語の発音はその指示物の形を表現しなければならないという主旨のことを言って、生徒たちに「brassiere」と発音させるのである。手でその形を作りながら、ゆっくりと二つの山を発音する。こんなことがとてもおかしかった。小学校5年生、僕たちの高原教室は、富士山登山口近くにある小学校に泊まるというものだった。机と椅子を外に出した教室にみんなで眠るのだ。それぞれ家から一枚ずつ毛布を持ってきていて、二人一組で敷き毛布と掛け毛布にして同衾する。あいにく雨が続いたので、結局は毎日即席の演芸大会みたいになってしまった。それでクラスのひょうきん者5人ほどが、テレビで見て覚えたばかりのドリフターズを真似してくれたのだ。これがとてもおもしろかった。今考えると、ドリフターズだということを知りながら、視聴者は学校の授業を模した教師と生徒の演技を見ている。それを、本来は教室であったところをホールとした中で、さらに模擬教室を作り出し、小学生たちが、中学生の演技をしているドリフの演技をしている。非常に複雑な構造をしていた。(おいおい)しまった、こんなおもしろいものがあったのか。みんな家に帰ってから、ドリフの番組を見たことは言うまでもない。大規模な仕掛けを使った生放送怪物番組「8時だヨ!全員集合」が始まるのは1969年。その二年ほど前のことである。
2004.07.01
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