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頭蓋骨の裏あたりがジクジクしている。きっともうすぐサボテンか何かが生えてくるのではないか。 少し前、本サイト宛にメールをいただいていた。 私の書いた7/31日の日記、特に以下の部分について、>それよりも私は、宮沢賢治も中原中也も知らない、読んだこともないような人たち>が、自作の詩をHPに書き上げ、それを公開することによって、書いた人のギスギス>ざらざらした心が少しでも丸くなることのほうに、よっぽど「詩の未来」を見た。>>それがただ「寂しいから、誰かに構って欲しいから」という願いのみで綴られたもの>でもまったく構わない。むしろウェルカム。詩を書き、それを不特定多数に見せるこ>とでちょっぴり心のギザギザが取れて丸くなる。それこそが「詩の本義」になる可能>性を強く秘めている。「それは宮台真司が言うところの“表現から表出へ”ということですね?」 とのこと。わざわざありがとうございます。で、宮台ですか。つか宮台かよ。 宮台真司という社会学者については今のところ私には偏見があり、正直なところ『援交から天皇へ』と『M2』(宮崎哲哉との対談本)しか読んでない。知り合いにファンというか通読している人がいるので、「どんなことを言っているのか」というのはちょこっと知っている程度だ。 いろいろとネットを検索してみて、「表出」=何かを表わすことで、表わした人間がカタルシス(感情浄化)を得ることができる(できた)こと「表現」=何かを表わすことで、それを受け取った人間がその何かを理解し、影響されること ま、だいたい上記のような意味だと知る。もともとはルーマンの社会システム理論の用語だそうだ。なに? そんなことも知らんで書いてたのか? ええそうですそのとおり。どうもすいません。 宮台本人が語っているのか、宮台の著作から引っ張ってきた誰かが語っていたのかは知らないが(少なくとも鴻上尚史は「また聞きで」と注釈をつけて上記のように解説していた)、インターネット上の文章はえてして「表出」一辺倒になりやすい、というところまで分析しているとのこと。それが「いいこと」なのか「悪いこと」なのかの判断は、いろいろなところで留保されている。 大変興味深いところなのだけれども、どうもネタ本である宮台の著作を読む気がしなくて、そこから論考が強制終了したまんまになっている。『これが答えだ!』、『絶望から出発しよう!』、『サイファ 覚醒せよ!』あたりに上記の回答が書いてあるらしいところまではわかっているんだが。 できれば「自意識」と引っ掛けて書いてあると嬉しいんだけどね。 いかなる相手でも(例え相手がビンラディンでも)、「それについて語られていること」に関して一冊も読まずに論評することは、流儀に反するのでやらない。ので、「表出」については保留状態が続いている次第。興味がある人は読んでみて私に解説してください。ちょっとやる気を失い中なので、探し物はまた今度ね。
2004/10/07
やあ皆さんごぶさたです。ショータです。 仕事の荒波に揉まれているうちに、気付けば10月に入ってました。 やっと終わって抜け殻のようになり、家でボケーっとしつつ過ごしている毎日を過ごしております。いやー充実してるなー。 皆様のほうは何かお変わりありました? ああそう。それは大変でしたね。 でもってこちらは更新をサボってた時期に何かニュースがあったかというとそうでもなく、世間はいろいろと動いているようですが、私のほうは別に代わり映えしない毎日で。いいことです。日々平穏が一番。 そんなわけで、まったりとした日々が続いているわけだけれども、変わらず「何か書いてねえか?」と見に来てくれる方々もあるようなので、ま、ボチボチ更新します。今日はあってももう1回かな。これからまた歯医者だよ。ヤレヤレ。
2004/10/05
忙し過ぎるぜ。 私には高校の頃、ちょっと調子に乗っていた時期がある。 部活の顧問の命令で当時の連れ(♂)と体育祭の後片づけに駆り出されている時、後輩の女の子2人組みが声を掛けてきた。「一緒に写真撮ってくれませんか?」と言う。 はいはいー、断るわけがない。通りがかった隣のクラスのヤツにシャッターを頼み、4人の写真を撮ってもらった。「片づけ終わったら今日部活ないからさ、俺らと遊びに行かない?」 スゲー自然に口からでた。2対2でちょうどいいなあ、なんて思っていたが、その子たちは遊びには行けません。もう1人友達がいます。その子とも先輩達と一緒に写真を撮らせてもらえませんか、と言う。 う、うん。いいよ。どこにいるの? ひとりの子が「いいってよー」と校舎の裏に呼びに行く。 出てきたのは知っている子だった。校内では有名な、心臓に重い病気を持っている子。成人するまでは生きられないだろう、と莫迦でお喋りな教師が言っていた子。いつも顔が紫色で、腫れぼったい感じ。決して走ることができないと聞いていた子だ。 校内で何度か見かけたことがある。正直、避けていた。 その子はゆっくり、ゆっくり歩いてきて、私達の前で少し笑った。「ありがとうございます」 小さい声でその子はいった。声を聞いたのは初めてだった。少し上ずっていた気がするけども、優しい上品な声だった。相変わらず顔は紫色だったし、腫れぼったかった。 私達はその子を間に挟み、精一杯笑った。両側から2人でその子と肩を組んで、「ほらほら、笑ってー」と言う連れ。カメラを構える2人の女の子達は、「いいなー」と声を上げていた。 写真を撮り終えると、その子達は「本当にありがとうございました。部活、頑張ってくださいね。今度遊んでください」 と言って、ゆっくり、ゆっくり歩く子と一緒に校舎に戻っていった。 連れと2人で顔を見合わせた。あの子達、俺らのどっちが目当てだったんかなあ。そんな話を、夕日を見ながら、俺だ、いや俺だろと笑いながらしばらく続けていた。 確か3日後くらいだったと思う。部室で弁当を食べていたら、その子達がやってきた。その時の写真を焼き増しして渡しにきたという。どれも比較的、ちゃんと写っていた。女の子達はブレザー、俺達はジャージ。バックは夕日に赤く染まったグラウンドと片づけ途中の散らかったテント。 5人で昼休み中ずっと、くだらない話しをした。 それから1カ月たち、2カ月たち。その子達のことはもちろん覚えていたけど、特に気にかけていたわけじゃなかった。とても忙しかったからね。ただ病気の子を校内で見なくなったな、とは思っていた。 私達の卒業式を迎えた春。校舎を出ると、久しぶりに会うその子達がいた。最初に声を掛けてきた2人だけだった。「もしよかったら、ボタン、くれませんか?」 その時、私達のボタンは残っていなかった。ブレザーだったからひとり2つしかなかったし、まあ部活のおかげだろうが私達はそれなりに人気があった。どうしようか迷ったが、ま、とっといても仕方ないだろってことで、連れと2人でネクタイを外して、「これでいい?」と渡した。「いいんですか? ありがとうございます!」 もうひとりの子はどうしたの? とは、聞いていない。なんとなく聞きたくなかった。嫌な予感がしたからだ。気付けばあの部室の雑談から卒業式までの半年、校内で一度もその子を見かけたことはなかったし。「自慢しようね!」 そういって、パタパタとその子達は校舎のほうへ走っていった。ゆっくり、ゆっくり歩く必要は、もうなかった。 以上はすべて実話であって、だからこそ格別ドラマチックなわけではない。私と連れと、一緒に写真を撮った病気の子があれからどうなったのか、本当に知らないし、今では知る術もない。 できるなら生きてて、元気になって、当時の写真を今の旦那さんに見せながら、「こんなのに憧れてたんだよー、趣味悪かったよねー」なんて笑っていてほしい。私が持っている写真は、たぶん実家の押し入れにある。最後に出して見たのは6~7年前か。 グラウンドに影が伸び、周囲が真っ赤に染まったいい写真だった。 探し物はまだ見つかっていない。
2004/10/02
仕事場に缶詰めになっているため、私自身についての新たなニュースは何もなし。しいてあげれば腐敗度が進行したくらいだろうか。タバコの吸いすぎで肺が痛い。10月2日に友人の結婚式があるのだが、参加できるか微妙になってきた。 28日の日記で書いた>(あ)男と女がセックスに及ぶときの機微と認識差について に関して少し。 私は一生女性側の認識はわからないし、そのことについて「共感する」と言うことはできない。ぼんやりと今まで付き合ってきた女の子達の証言を思い出し、それを繋ぎあわせて「こういうもんじゃないかな?」という認識はあるけれど、それだって統計学的に考えればとても信頼性を獲得できる数値ではなし。****以下余談**** 統計学においては、ある集団の平均認識を取り出す場合、母集団に対して(1)無作為に抽出、(2)標本誤差4%を目指すとして一千万分の216件と言われている。ちなみに誤差1%を目指すとなると一千万分の3456件。超大雑把に言えば、まあ地域間格差を考慮して首都圏近郊に住む適齢期の女性を一千万人とした場合(てきとう)、216人に聞いてみないと4%の誤差を許容した結果すらわからんわけだ。 そんな人数に聞いたことはないし、仮に聞くにしたって私もさすがに好みの女性以外に「セックスについてどう思っている?」なんて聞く気はしない(聞いたとしても「私の好みの女性が対象」という作為が入る)。そもそも相手だってその時々のシチュエーションや感情に左右されるから、本心を言っているかどうかは微妙だろう(この場合は「私にツーショットで聞かれている場面が多いだろうから」という意味ね)。 どう考えても「無作為」とは遠く離れるわなあ。****余談終了***** まあそう考えると、巷間で言われているほとんどの女性認識、男性認識というのは「信用ならない」ということになってしまうわけで、まあ実際信用ならないわけだけれども、それじゃ話が終わっちゃうので無理やり進める。「男女のセックスにおける認識差と機微」についてね。 認識差については、「男と女という区分けでは、思ってるほど変わらないんじゃね?」というのが今のところ私の認識だ。けどまあこれは誤解を招く言い方だし(信じられないことだが、「女にも性欲がある」とかいう理屈で強姦の正当性を訴えるヤツがいる。阿呆か)、私自身誤解しているところもあろうから、これ以上の解説はやめておく。 ちなみに私の場合、「男だから」とか「女だから」とかいう前に、その人の家族構成とか家庭環境などを聞いて判断することにしている(いくら私でも、好みの女性に対していきなり「セックスについてどう思ってますか?」とは聞かない。いきなり聞いてもちゃんと答えてくれないしね)。女性相手の場合は父親との関係を重視しているので、男性の場合は母親との関係をポイントにして判断してみてはどうだろう(誰に言ってんだ俺は)。 えー……。どうですか?(だから誰に何を(ry) もちろん一番参考になるのは、それまでどういうタイプの男と付き合ってきたかってところなんだけれどもね。特に美化された部分と許せなかった部分かなあ。ま、それらを聞いたからといってわかる部分はほんの少しだし、それでその人のことをどれくらい「分かったつもりになるか」というのが、一番曲者なわけだけれども。 で、機微については……。秘密だ(笑)。これまで私がどういう機微に注意してきたかは、口説いてきた女性しか知らない部分だからねえ。こんなところで書いちゃ失礼でしょ。わははは。そりゃ貴方、私の青春時代には、なにせバブルの残滓がありましたから。いろいろ笑える工夫してきましたがな。将来娘ができたら(絶対溺愛する。確信あり。できるなら、そういう私の態度に呆れながらも付き合ってくれるような娘希望)、こっそり「こういうことを言う男には気をつけろ」と伝えるよ。 ここまで書いて、この日記を書くキッカケになった「のちにレイプだと女性側に言われるような性交渉」については一切触れてないことに気がついた。幸い言われたことないからわからんなあ……。「機微」により多く関係してくるのだろうけど、行為のあとにレイプだ、と言われるような性交渉は、機微もヘッタクレもないような気もする。楽しいのにねえ、機微。 と、青春時代を振り返りながら探し物を探している。楽しいことしか覚えてないなあ。将来80歳とか100歳まで生きたとしても、死ぬ直前に振り返る思い出の7割から8割は、10代から20代にかけての経験だろう。とは藤井フミヤの言葉。読んでる方で10代~20代の方、どうせなら楽しい青春を謳歌してくだせい。余計なお世話だが、貴方たちの「いま」が輝いていることを切に願う。
2004/10/01
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