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なにか04年の締めの言葉でも書こうかと思ったのだが、よく考えたらほとんどのこれを読む人が05年にいるわけで。新年の晴れやかな空気のなか、辛気臭い昨年の反省なんか読んでもしゃーないわな。 えー、そんなわけで、05年の目標でも書いときます。 整理整頓。 なかなか小学生みたいでいいですな。このサイトの過去ログなんかもまとめたいなあ、と思っております。ではではみなさん、よいお年を。05年は3日くらいから稼働しますです。はい。
2004/12/31
嵐のような年末の忙しさがやっとピークを超え、現在はゆるゆると時間が流れている。ただ相変わらずノーミソは疲弊しきっていて、あんまり「考える」という作業に従事してくれない。ぴよぴよ。 ほら気がつくと「ぴよぴよ」とか書いてるし。 ここ4~5日、忙しい時は忙しい時でネットに逃げている日もあって、日記書いたりトップ変更したり他の方のサイトでコメントつけてたりはしていた。その間に仕事してたら、おそらくとっくに帰って寝れていたか過労死してたかのどっちかだろう。 なんかまーどっちでもいーやーとか思っちゃうんだけどね。あはは。ぴよ。 今年も残り少なくなってきて、いよいよ年末年始の休みが近づいてきた。 休みのうちにやらなきゃいけないことは、・忘年会2発・新年会2発・領収書の精算・読んどこうと思った本を読む 柳田邦男の脳死もの 町田智浩のアメリカもの (なんかまだほかにあるような気がするが考えるの面倒なので保留)・大型液晶TVとHD&DVDレコーダー購入 けっこう忙しい気がしてきた。 予定がある、ということは嬉しいことなのかもしれないが、未来が決まっているというのは悲しいことのような気もする。 まあ上記の予定も「やらない」という選択肢もあるわけで、そういう意味では「決まって」はいないわけなのだけども、「未来」というものに「予定」という規則性を求めてしまうのは、それがないことによる不安を理由にどーたらこーたら。あーもーそういうこと考えるのも面倒くさい(疲れてるなあ)。 探し物とかもいたってどうでもよくはなってきたわけだが、とりあえず探し中。ぴよぴよぴよ。今年はもう1回くらいは更新する。と思う。コメントつけてくださってる皆様。読んでますよー。掲示板に来ていただいてる皆様。レス書く気力がないだけですよー。
2004/12/26
呆れるくらい忙しいなか、考えていることがある。 先般、沖縄国際大学で開催されたイベント「NO FLY ZONE」(本部サイトなのだが、04年12月23日17時45分現在繋がらない)についてだ。(追記/12月24日7時ちょうど、まだ繋がらない) このイベントは04年8月13日に起きた米軍ヘリ沖国大墜落事件をキッカケにして、同大のすぐ横にある普天間基地の早期移転・撤去を目指すために同大OBが中心となって開催された。 モンゴル800など県内出身の有名アーティストが無償で参加し、イベント会場となった同大グラウンドには約5000人が集まったそうだ(イベントの詳報を伝える琉球新報のサイトはこちら)。 イベント自体は12月19日に終了。 今後、またこういうイベントが開催されるかは不明だとのこと。 イベントの主旨、伝えたいメッセージはいたってシンプルである。 いわく。「住宅地のど真ん中に米軍基地がある実情は異常だ。この上を飛ぶな」 ということにつきよう。 通常私はこういう政治性のあるイベントにはまったく興味がない。 しかしこのイベントは親愛なる大野先生が深く関わり、かつ一時期ずいぶん熱心に聞いていたモンパチが参加することもあってそこそこ注目していた。 そもそも沖縄の米軍基地に関することは、ウヨクを自称するものには避けて通れない問題であり、その存在の経緯と今後の展望については、イラクや靖国問題などよりよほど真摯に検討すべき課題である(こういったことに優先順位はつけらんないんだけどね)。 そうした流れもあって「イベントはどうなったのかな」と思っていたが、イベント自体は無事終了したものの、(まあこうしたイベント・集会にはよくあることなのだが)終わったあとにいくつかの反省点、問題点が噴出しているようだ。 その問題点をザッと記すと(0)イベントが「一般コンサート(A)」と「政治集会(B)」の中間的位置にあったために生じた問題 上記に収斂されるのだが、細かいところを見ていけば(A-1)一般コンサートだと思って参加した観客が、有名アーティストの出番が終わると早々に帰ってしまった(イベントの主旨である「メッセージ」が伝わったかどうか不明)(A-2)イベント運営の中心が学生ボランティアだったために、一般コンサートに比べるとどうしても「仕切り」に不備/拙さが残った点(観客誘導などで参加者から不満が出ているサイトを見かけた)(B-1)真剣に基地撤去を望む、旧来の政治集会を想定してきた高齢の参加者たちへのフォロー(B-2)従来の政治集会にはない(しかし一般コンサートでは当然の)持ち物検査や移動の禁止、撮影や録音の規制に対する不満 まあこんなところか。 あ、そうだ。「お断り」として書いておくが、これだけ偉そうに書いているが、なにせ私、参加してないもので、このイベントに関するレポートをいくつか読んだだけで書いている。「わかったふうに書くな」と言われればその通りだ。悪いか。 ここまでのログを見て、おそらくこのサイトにいらっしゃる方は2通りの反応があると思われる。ひとつは「イベントの上っ面をなぞっただけで深いことは何も書いてないじゃないか」という批判。これには「わかったように批判だけ書くなボケ」という文句も含まれるだろう。 もうひとつは「へー、こういうイベントがあったのか」と、ヘリ墜落事件そのものに対してもそれほど問題意識を感じていない方だ。 この2つの感じ方をするそれぞれのタイプの人々、双方の距離はそうとう深い。 その深さこそが、最大の問題点である。 本土(沖縄以外の日本)に住む人々にとって、普天間基地がいま現在どういう状況にあるのか。周辺の人々がどういう生活をしているのか。米軍ヘリが落ちたことにより生活はどう変わり、どのような保障や展望があるのか。それらはハッキリ書いてしまえばどうでもいい。自分の生活に関わりが感じられないからである。 いっぽう政治運動の常套手段として、その運動の担い手達には「これは我々だけの問題ではない。貴方達の問題でもあるのだ」という手法がある。薬害エイズや水俣病、いま話題になっている劣化ウランの問題などもそうなのだが(そして多くは実際に広く日本国民全体の問題でもあったりするのだが)、「運動」を普遍化し、国民全体を巻き込んでムーブメントにする、という方法である。 つまり、今回の「NO FLY ZONE」というイベントに関わった多くの人々にとっては、あくまでその沖国大周辺、宜野湾市の地域的な問題を、どう全国的な関心事にするのか、というのがポイントになっているわけだ。 しかし、この沖国大・宜野湾市から提起された問題は、(あくまで発展すれば、であるが)かえってそうした種類の普遍化を避けているようにも見える。 私は宜野湾市における普天間基地移転問題の構図について、オウムが道場を移転する時の、移転先の住民から反対運動が起こったことに共通点を感じている。「ウチの村に来るな。他所へ行け」というアレである。麻原の長女が入学する学校でも、PTAからの反発があったと記憶している。 翻って見て今回のイベントタイトルである「NO FLY ZONE」というのは「この上は飛ぶなよ」という意味だ。あえて意地の悪い読み方をするならば、どこか別の地域に行くならよいよと言っているわけである。 どういうことかというと、私はこれは、大野先生がおっしゃるような「平和運動」ではなく、「地域安全運動」なのではないか、と感じているのだ(だから悪い、とかダメだ、というつもりは毛頭ない)。 オウムと地域住民の対立は、人権派・革新派に踏み絵を踏ませる問題であった。 しかし、基地移転問題は、保守派に踏み絵を踏ませることになるだろう。 この問題についてはちょっとまだ考え中の部分があって、うまくまとまっていないまま取り合えず書いている。私自身の思考的な結論もまだ出ていない。ただ、大野先生も関わる今回の沖国大イベントの目的は、どうやらもっと手前の部分が争点であるらしい。 基地(早期)移転の賛成や反対を問う以前に、「ここ、沖縄県宜野湾市には、こういう問題がありますよ。それを知っておいてください」という、告知・宣伝的要素が最大の目的であったようだ。今回脳味噌が未整理のままの私が、とりあえず書いてみようと思ったのは、あ、知らせるのが目的であるならサイトで書くことですでに何らかの意味があるのかな、と思った次第である。 沖縄県宜野湾市では、米軍基地の隣に街があり、学校があり、人が住んでいます。 探し物はまだ見つかっていない。 03年4月28日、現職市長の逮捕・辞任に伴い、普天間基地のある宜野湾で改選市長選が行なわれた。最大の争点は基地移転問題。当選したのは共産党、沖縄社会大衆党、社民党、民主党の推薦を得た革新系新人の伊波洋一氏だ。伊波氏は「(現在普天間基地の移転先予定地である)名護市辺野古沖への移転反対」を掲げて当選した。 移設作業が20年以上かかることは実質的な「放置」だとし、かつ基地被害の拡大・環境破壊をもたらすものだとして、米軍基地の国外分散、機能移設による早期返還→普天間基地閉鎖を訴えたうえでの当選である。 市内の命運を分け、基地移転問題に重要な指針をもたらすであろうと注目されたこの選挙の投票率は55.5%。まあ少ないわな。<以下参考>http://plaza.rakuten.co.jp/tohno/diary/200412200000/http://plaza.rakuten.co.jp/tohno/diary/200412210000/http://plaza.rakuten.co.jp/tohno/diary/200412150000/http://www.okinawatimes.co.jp/spe/kaizu20020703.htmlhttp://akamine-seiken.naha.okinawa.jp/data/03.04.28.htm
2004/12/23
仕事が終わらなくてテンパっている。 結局マイバースデーの24時間は、会社から半径30mの外には出なかった。悲しひ。雑記などをチラチラと。あ、そだ。どなたかが当サイトを「はてなアンテナ」に登録した模様。はてなのロボットがバスバスきてます。いやまったく問題ないんだけど。 しかしやってもやっても終わらないのう。>仕事 いい加減飽きてきた。ので更新。 私の思想というか思考というか、世界の切り取り方、ものの見方に最も影響を与えた本のなかの1冊である『寝ながら学べる構造主義』(文春新書・内田樹著)が、5万冊しか刷っていないことを知る。ガーン。やっぱり「思想」というのは徹底的にマイナーだということを思い知らされて、しばし仕事する気が飛んだほどだ。(全然関係ない話だが、さっき某所に送る企画書を作っていて、「先入観」と打って変換したら「千乳感」と出た。むしろやる気出たね。仕事ね。ナイスPC)(と、思ったらフリーズした。PCもいっぱいいっぱいらしい。少し同情)『どすこい。』(京極夏彦)、『臨場』(横山秀夫)読了。どんなに忙しくても昼飯だけはキチンと取るようにしているわけだけども、その時にセコセコ読み進めていた2冊が読み終わった。今は『評論家入門』(小谷野敦)を読んでいる。 上掲2冊は質のよいフィクション。やっぱり小説はいいねえ。『評論家入門』は半分啓蒙書、半分エッセイ。 本日は冬至。一年で一番夜が長い日です。 柚子湯に入りつつ、星空を眺めませう。 探し物はまだ見つかっていない。今年はもうちょい更新しよう。でもあと2~3回になる予感。あちゃー。2月に沖縄行きます。関係各所、ヨロシク!
2004/12/21
そして明後日から1年で2番目に忙しい1週間が始まります。 死ぬっちゅの。 というわけで見に来てくれてる方、ごめんなさい。面白いこともためになることも書けず、自爆すらできずにオチなく終わります。あうううう。
2004/12/19
今週から1年で一番忙しい時期がスタートしました。おそらくサイトを覗くことすらできないほど忙しい毎日になると思います。いやはやなんとも。 お越し頂いている皆様には大感謝です。どうぞごゆっくりしていってくださいまし。管理もテキトーになるとは思いますが、まあ何かあったら書き込み禁止の瀧澤君がどうにかしてくれるでしょう。どうやって対処するのか知らんけど。 以下雑記。 時間を見つけて京極堂の『どすこい。』文庫判を読んでます。 いやー、やっぱ京極夏彦は天才だなあ。 ブログでの中傷に関して。 別にいいんぢゃないかなあ。腹に据えかねる人は自分でサイト開いて反論すればいいわけだし。なんだか小林よしのりに対して「似顔絵を醜く書くのは反則だ」と言っている人達と同じような気がする。パンチ力が強いのは反則ではないし、それでコメント欄を閉めるのも反則ではないわけで。 年末年始はゆっくりする予定です。領収書の精算とかしなきゃなあ。経理のオネーチャンに怒られまくりです。はい。すんません。頑張ります。 さあ仕事頑張ろう。
2004/12/13
「貴方、最近評判悪いですよ」 まあ要約すると、上記のようなメールをいただいた。 文面を読んだだけではどこの誰にどう評判が悪いのかサッパリわからないが、このブログの私書箱に来たものだから、このサイトに書かれた内容が、どこかの方々に面白くないのだろう。 いただいたのは熱心に読んでくださっている方のようで、同一アドレスからの受信は3通目となる。返事を書いたことはないので、こちらが反応するのはこのログが初めてだ。 私は匿名でなにか意見を言いたい、という方々の気持ちがよくわかる。事実、ここで使っている「ショータ」というハンドルも本名ではないし、実名ではとても書けないような内容をいくつか、匿名をいいことに書き散らかしてきている。 だから別に、「貴方、最近評判悪いですよ」というメールを送ってきてくれた方を責めるつもりは私にはない。ただ、そうですか。わざわざありがとうございました。以外の返事が書けそうもない。よかったら次はコメント欄でどうぞ。その時はできれば「誰に評判が悪いのか」も教えてくださいね。と書き加えることはできそうだが、おそらく答えは返ってこないだろう。 追い詰めるのもなんなんで、そういうことは気にしません。 面倒くさい話を少し。「近代」という思想は、「個人」という構成単位を基本に据えている。少なくともここ日本では、人それぞれみな平等に権利と考えを持ち、表現の自由と思想の自由を国家により保障されている(この場合「国民」というのが正しい)。これが規制されているのは、憲法上は一部の裁判官と、皇族のみということになっている。おそらくそのどちらも、このブログは見てないだろう。たぶん。 元来、近代主義が規定する「個人」とは、徹底的に孤独で強い意志を持った存在だとされている。「共同体」や「神」や「歴史」から引き剥がされ、ひとり原野で佇む存在だということだ。 ニーチェというオッサンは、そうでないやつはブタだ、と言い放った(正確には「畜群」)。 石原慎太郎というオッサンは、「狼は生き、ブタは死ね」と書いた(正確には戯曲『狼生きろ豚は死ね』)。 いま、素直に私は「そんな殺生な」と思う。誰も彼もニーチェや石原慎太郎みたいには生きられないし、そんな個人ばかりで構成された社会は息苦しい。疲れちまうよ。 知り合いにひとり、おそらく広いネット社会でも最強に近いと思われる近代主義者がいる。ホモでショタコンなのがタマにキズだが、頭はいい。論理的な会話でその人を言い負かしたことは、もう付き合いは3年以上になるが、ただの1度もない。「貴方、最近評判悪いですよ」「誰に?」「みんなに」 こういう会話は非常にバカバカしいとは思うが、実はけっこう相手を傷つけるのには有効だったりする。そして、そんな会話に傷つくほうも傷つけるほうも、ホンマモンの近代主義者が目の前に現われれば平伏せざるをえない。かの人はひとり原野に立ち、孤高に耐えて唯物の弁証に尽くしているわけだから、ま、しゃーない。最近私は、そういう場合には「そんな殺生な」と言うようにしている。ウェルテルみたいに悩むのは、人生で一回くらいで充分だ。 探し物はまだ見つかってはいない。本棚に柄谷行人の『日本近代文学の起源』がある。3~4年前に紀伊国屋で買ったのだが、最初の15ページほど読んで頭痛がしてきたのでそれ以上読んでない。ちょっぴり悲しいが、ああ、俺は愚鈍でよかったなあ、と思ったことは1度や2度ではない。ブゥブゥ。
2004/12/11
ありゃ。秋の季語だったか(謎)。 忙し過ぎて息が止まりそうな毎日だというのに、忘年会のお誘いを3カ所ほどからいただく。行きたい。行けない。行っちゃおうかな。行ったら逝っちゃうな。しくしくしく。 再び現実逃避全開で、しばらく楽天関係のサイトを巡ってみた。ここしばらく拘っていた「戦争反対」関連のトピックスはぼちぼち終わりそうだ。つけるべきレスはつけたし、書くべきことはだいたい書いた。あとはお返事があればそれに適時応対していくことになるわけだが、私は「この返事がないぞ」とかいった追い討ちとか追求とかがあまり好きではないので、たぶんこれで終わるだろう。たぶんね。 誰だって面倒くさいのは嫌なもんだ。レスは義務ではないし、ネット議論なんて嫌になったらすぐやめるべきだと思っている。 まあお返事いただけばそれには答える準備はあるけれども、いまザッと読み返してみたがそれほど穴があるわけでもなさそうな感じ。あるとしたら国際法における違法性阻却事由に関してくらいだろうか。これについて詳しい方から突っ込まれるとちょっと自信がないけれども、ま、詳しい方が出てきたらひっくり返るのはどんなカテゴリーでも同じかと諦めている。 再反論が無理そうだったら訂正すりゃいいし、いけそうだったら調べて勉強すりゃいいだけの話しだ。そうたいした問題でもない。 ネット上の問題なんてーのはその程度なはずなのに、相変わらずずいぶんと熱くなる人が多い。本当に、どこか悪いんじゃないか、と心配したくなるような文章も見かけた。まあ余計なお世話なんだけどね。 思えば01年の秋、9.11論争の時には私も「心情としてはやるせないが、国益を考えたら米国についていくしかない」という趣旨で論陣を張っていた。まさか世論や国際情勢が、たった3年で今のように変わるとは想像もしてなかったが、いま、私はその「変わった空気」に反論を唱えている。つくづくひねくれもんだなあ。 北朝鮮の遺骨が偽物だったことについて少し。 何を考えてるんだかわからん、という意見を多々見かけたが、そんなもん「何とか誤魔化したい」しか考えてないに決まってるではないか。やり方が子供っぽすぎるというだけで。 北朝鮮の誤算は、日本のDNA判定技術を過小評価していたことだ。この点は日本側にもミスがある。実務者協議以前も含めて、初期報道では「焼いた遺骨では判定は難しい」とされていた。日本側の目的は北朝鮮の嘘を暴く事ではない。横田めぐみさんに関する「事実」を北朝鮮に出させることだ。そのためには、事前に「我々はこれだけの技術を持っている。だから偽物を出してもダメだよ」と衆知徹底すべきであった。 今さら北朝鮮に「嘘つき」というレッテルが一枚増えたところで、相手は痛くもかゆくもないし、こちらが得るものは少ない。どうにかして北朝鮮側に、「事実」を出すと得だよ、と思わせる交渉をしなければならない。 探し物はまだ見つかっていない。ちょっと眠くなってきた。
2004/12/10
浅利慶太という劇作家がいて、有名なところでは(具体的には日本演劇界とかね)とことん有名で、無名なところではとことん無名である。まあ所属する分野が戯曲界であるし、もうずいぶんと御歳を召してらっしゃるから、この先大注目されることは少なかろう。 興味がある人にはいまさら過ぎる話であり、興味がない人は「だから?」と思うような話ではあるが、この浅利慶太氏、「劇団四季」の主催者であり旗揚げ以来の脚本・演出担当。石原慎太郎氏や小沢征爾氏、故江藤淳氏らの若い頃からのマブダチである。 で、そういう玄人好みする作家が好きだったりするのが変態の変態たる所以であって、いわゆる本格的な「本の虫」たち(リアル変態は年に500冊とか読むらしい。変態め)には遠く及ばないものの、いちおう履歴書には「趣味/読書」と書く程度には本好きな私は、この浅利慶太が書くものが好きだったりする。 その最新エッセイ集に『時の光の中で』(文藝春秋刊)があり、現在モソモソと読んでいる最中。そのなかにとても印象的な説話があったので簡単に紹介したい。 浅利氏が1963年11月、天下の日生劇場で昭和天皇とドイツ連邦共和国(西ドイツのことね)のリュプケ大統領を招いての公演を仕切った時の話だ。当時世界最高峰であった「ベルリン・ドイツ・オペラ」を招聘しての公演で(ドイツ人はいつでも「自分たちのオペラが世界最高だ」と主張する)、その時の演目のひとつである『フィガロの結婚』で「スザンナ(ソプラノパート)」を歌ったエリカ・ケート氏が、雑談のなかで各国語の比較論を浅利氏に語ったそうだ。 いわく。 イタリア語は歌に向く言葉。 フランス語は愛を語る言葉。 ドイツ語は詩をつくる言葉。 スペイン語は祈りを捧げる言葉。「シェイクスピアが聞いたら怒り出しそうだが」という前置きを置いて、 英語は商売をする言葉。「独ソ戦終結からまだそう年月が経ってない状況での、ドイツ人である彼女の分析であるから」(大意)と浅利氏は断りを入れつつ、 ロシア語は人を呪う言葉。 そして最後に浅利氏は質問する。「では日本語は?」「人を敬う言葉です」 日本語を解さない、あるオペラ歌手の感性をして「人を敬う」と感じせしめた日本語を操り、現在ネット上ではさまざまな誹謗中傷罵詈雑言が飛び交っていたりする。私はそれを一概には否定しない。火事とケンカは江戸の華。それで現実社会の鬱憤やしがらみがほんの少しでも解消されるなら、どんどんやればいいんじゃないかな、とも思う。 しかし、ソシュールやバルトの指摘を待つまでもなく、人の思考というものは母語により大きく規制される。母語によってのみ思考は形成される、とさえ言える。「人を敬う」と評されたイディオム(idiome=「言葉」から「民族/国家」といった政治的要素を排した純粋言語概念)を持つ「日本語」は、ネット上で交わされることは本当に少ない。 探し物はまだ見つかっていない。 追記)12月は更新が著しく滞る予定。ま、気長に待ってくだせい。
2004/12/08
このログはおおむね鳩さんへのご返信となります。 はてさて怒濤の12月に入り、相変わらず忙しさにドライブがかかった状態で七転八倒しておるわけでして、ああもう、なんかもう。マンマミーヤ。 そんなわけで現実逃避でネットに逃げています。 探し物はなんですかぁ~♪ 見つけにくいものですかぁ~♪(壊)>鳩さん どうも大変お待たせして申し訳ありません。忙しかったのと面倒くさかったのと、あともうひとつ。いただいたお返事にどういう方向で返すべきか迷っていた、ということが挙げられます。 ずいぶんアレコレ考え込んだのですが、ま、それほど悩んでもしゃーないなと思い直し、取り急ぎ書き始めることにしました。まず多分に思想的な部分に関しては、11月27日と28日に書いた通りでして、いま読み返してみると全体的に若干ポイントがズレているような気もするんですが、まあ部分的にはほぼフォローできていると思われます。 こちらでは以下の現実的な部分に関して、論難を試みてみたいと思います。>三日で再建可能なテロリストの司令部、とおっしゃいましたが、それを落とすのがどれだけ重要な事か分>かりませんか。テロ活動は、機動力が重要なので、強固な要塞を持つ必要もありませんが、別に強固な>要塞であろうと、弾薬が無く、強兵の少ない拠点なら、攻撃する必要は無い。(最も、予防占領なら価値>があるかもしれませんが、それは今回の攻撃とは趣旨が違うので割愛します。) これはもう何度も同じ趣旨のことを繰り返し書くしかないのですが、例えばファルージャ掃討戦が、戦術上どれほどの成果をあげたか、というのは私に対しての本質的な反論にはならないのです。これはJSF.さん宛の反論にも書いたことなのですが、「殺したから減ったのは間違いない」ってそんなムチャクチャな。減ったうえで効果はどうなのか。払った犠牲に対しての効率はどうなのか。そこを勘案せねば、それこそ皮算用でしょう。「殺したから減った。減ったんだから少なくなるだろ」なんて予想は、予想とは呼びません。国連特別顧問のブラヒミも(まあ私はこの人はあまり信用してないんですが)、「(イラクの治安情勢は)めちゃめちゃだ」、「米国と(イラク暫定政府首相の)アラウィ氏は、敵とみなす50人を殺害することで新たな500人を抵抗運動に追いやっている」と語っています。(ソースはここね) で。これまた何度でも書きますけども、現実的な効率勘案をできるような材料を、本来出すべきところが出していないわけですよ。ファルージャ掃討戦を含めた米軍主導の占領統治政策で、イラクの民間人はどれくらい死んだのか。少なくとも私は知らない。鳩さんもおそらく知らない。小泉首相も知らされていないでしょう。 そうした「効率、勘定を知らされていないうえでなお賛成」とするための理由は2つしかありません。(1)そんな数字は知らされても意味がない(から、知らなくてもいい)、(2)きっと米軍が計算しているだろうから自分は気にしなくてもいい このどちらかです。(1)なら「なんで?」と問わねばならないし、(2)ならあまりに無責任でしょう、と糾弾せねばなりません(まあ面倒なのでそんなことはしないけど)。 それが、11月18日の日記のコメント欄で瀧澤さんが指摘したように、例えば国会における小泉のように、「建て前だろうがなんだろうが支持しなくちゃいけない」という事情があれば話しは別です。哀れな純一郎君は北朝鮮政策や輸出入産業経済、それにそれこそまさに世界のパワーポリティクスなどを考えて、「対米追従路線」を選んだ(この決断が果たして「本当に得なのか?」というのは一考の余地あり)。純一郎君は凡庸ではあるけれど、鹿児島の知覧特攻平和会館で涙するくらいの人間ではあるわけです。一応忸怩たる思いがあるはず(だと信じる)。 現実社会における私にしたって家庭を守る義務がありますから、日本の財政事情がドル相場に大きく依存している事情も踏まえて、日米間の厚い信頼が続くことを祈念せざるをえない。実際業務に大きく関わる一分野が、米国市場抜きでは決して語れない産業だったりもします。 しかし、ネットで書く日記や誰かの日記につけるコメントでは、私はそうした現実問題のしがらみからは、ある程度距離をおけると考えています。完全には不可能ではあるけれども、私は私が感じたように、信じるところに拠って判断し、その考えをここに書くことができる。 そうした事情を勘案するに、私がアメ公どもの国策や心情、それが悪化することによって降り掛かるであろう、我が国への経済的不利益は、非常に軽んじられます。日米間の信頼関係悪化にともない北米市場での日本製品ボイコットが発生。だから? 横田・厚木・岩国・三沢各米軍基地の規模縮小により北朝鮮有事のさいの緊急攻撃力が低下した。それがなにか? 日米安保大幅改定、在日米軍撤退。バンザーイ! とっとと神州から出て行けコノヤロー! ってなもんです(重ねていいますが、現実存在の私はそんなこと間違っても主張しませんよ)。>私の道義としては、いかなる理由であれ、テロを起こす人間は屑だと思っています。しかし、追い詰めら>れてそういう方法をとる人もいるでしょう。そういう人間は、排除され、始末される事でこそ、報われる。>チェチェンでも、バサエフ派のようなテロリストは全員処刑すべきだと思いますが、義勇軍として戦ってい>る、他のチェチェン人を道義的に非難する事は出来ない。 鳩さんが上記でおっしゃっている「道義」は、辞書的な意味での(「人のふみ行なうべき正しい道、道理」)道義ではありません。それは「エゴ」です。私も鳩さんも含め、大多数の日本人は平和で安寧とした生活を送っている。「くだらねー」とは思いながらも政府の政策は近隣諸国との決定的な対立を避けているし、突然失業してもまずいまの日本で生命の危険を感ずるほどの経済状況にはなりません。経済システム上においても政治システム上においても、破滅的な独裁者が近々生まれる可能性は非常に低い。 そうした状況に置かれている私や鳩さんにとって、民衆への恐怖によって体制を揺さぶろうとする「テロ」という行為は、憎むべき、根絶すべき手段であることは間違いありません。そもそも日本に生まれてある程度の教育を受け、そのうえで自前のパソコンで飽食のすえにネットなんかやっている人間が、テロリズムに賛成するなんざ百万年早いと言われるでしょう。ごもっとも。 しかし、それはどこまでいってもどう考えても、「エゴ」でしかないことを自覚すべきです。「私はいまの生活が守りたいから反対する」と。なぜならそれは、一抹の「自分が窮鼠の立場になったら」という想像力を担保するならば当然だからです。 「いや自分が反体制の立場に立ち、ゲリラになった時は、粛々と処刑される覚悟はある」などと言ってもまったく無意味です。「自分はこうありたい」というのこそエゴであって、そこには自分が処刑されたあとの政治状況や守るべきもの、目的などが完全に後回しにされている。 鳩さんの理屈を進めると、高杉晋作も桂小五郎も西郷隆盛も大久保利通も「屑」になってしまいます。それじゃあマズいでしょう? 論理的に高杉晋作とバサエフを分け隔てるものはほとんどありません。逆に、末尾で鳩さんが語った「同情します」というひと言。これこそが「道義」なのです。>さて以前、私は米軍の「戦術的ミスは否定しない」と言ったと思いますが、モスクを空爆する事、聖職者>の買収があまり進んでいない事等は、これに該当すると考えます。しかし、ファルージャ攻撃という既定>事実があれば、兵力の逐次投入という戦略上もっともやってはならない事はさけるべきであり、今回、集>中的に兵力を投入して街を破壊したのは、戦略上の次善策であると考えています。 米国の戦略目的はあくまで「イラクに平和をもたらすこと」です。ついでにいえば、「イラクに【米国が望んだかたちでの】平和がもたらすこと」。ここを間違えてはいけません。それについては私は大いに異論があるのですが、それはここでは措きましょう。 戦術的な話をします。 ファルージャは米国の占領作戦によって武装勢力が追い払われました。あとは廃虚が残ってああメデタシメデタシ。というわけにはいかんでしょう。今回投入した海兵隊たちを、そのままファルージャに駐留させておくわけにはいきません。他地域の鎮圧が後手に回る結果になる。かといってでは今後ファルージャの治安維持はどうするのか? 21万6000人の避難民はどうなる? もうすぐ気温は氷点下です。めちゃくちゃにした市街の封鎖を解いて、「さあ帰っていいよ」と言うつもりでしょうか? これはファルージャだけではありません。モスルでもそう。バクダッドですら似たような状況です。賛成派はここんところの現実的な対応策は考えているのでしょうか? 考えている、というのであれば作戦プランをどうぞ教えてください。>それとも、砂漠の道路を寸断して、兵糧攻めにしたほうが良いとでもおっしゃるのでしょうか。こちらの方こ>そ、彼我の消耗は著しい物となりましょう。 誰もそんなことは主張しません。民間人の犠牲者が多過ぎるから、やり方を変えろ、と書いています。果たして今回、都市包囲戦をするほどの必要があったのか? なかったのか? 鳩さんはそうした議論を読んだことがありますか? 私はありません。すべて米軍が独断で決めている。そういうやり方が納得いかないし、異議を申し立てているのです。>そもそも、今回の攻撃において、米軍が破った陸戦法規という物があるのでしょうか。私が知る限り、あ>のモスクでの米海兵隊員による、降伏勧告無しの射殺が唯一、軍法会議で取り上げられるべき事件だ>と思っています。その他にあれば、教えて頂きたい。当方の無知は承知でお願い致します。 話しの流れで、どう「そもそも」となるのかがイマイチ理解できませんが、瑣末なところでは以下のようなニュースが入ってきているようですね。◆イラクでの虐待事実、また明るみに=国防情報局長が次官に報告-米http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041208-00000166-jij-int◆米海軍も拘束イラク人虐待か、ネット上に写真提供http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041204-00000312-yom-int 上記に加えて、私はファルージャ掃討戦については、まず制圧戦を開始する直前に郊外の病院を占拠したことがジュネーヴ条約に引っ掛かると考えています。医師の不当な拘束が多々あったようですし、これは「兵卒の違反」ではなく、作戦本部も承知のうえでの国際法違反ですから、どうするつもりなんだろう、と愚考しておりますけれども。それと11月上旬にずいぶん派手な空爆をしたらしいですが、それで診療所や救急車が「まったく傷ついていない」って主張は可能なんでしょうか? あまりに左がかったサイトばかりが引っ掛かったんで引用はしませんが、まあずいぶんムチャな掃討作戦だったことは異論がないのでは? それとこれは書き方とその文章の受け取り方の問題になりますが、上記の鳩さんの書きようだと、「ハーグ条約に則ってれば何をやっても構わない」というふうに受け取られかねないので注意したほうがいいと思いますよ。まあ余計なお世話なんですけどね。 ま、「そもそも」を言い出すならイラク占領自体が国際法違反なわけで、国連はそこのところを曖昧にするつもりなんでしょうけどね。ひでー話だ。
2004/12/07
何をしているかというと、ずっとデスクに座って地味~に仕事しているわけで、ほとんど外にも出ずに当然ヒマなんかなく、イライラしながら「帰りてぇー」と唸っているショータです。あうううううぅ。 頭使うログとか書けないっての。そんなヒマあったら寝るっての。 どうにも長めの更新は週末まで無理っぽいです。ので、しばらく止まると思われますので、そこんとこよろしゅうに。なんか年末が近づくにつれ、こういうこと増えるんだろうなあ。 あとまあ私が忙しいのとはまったく関係ない話なんですが。==========(引用開始)============求刑上回る懲役18年 実子2人に性的虐待の男に判決 未成年の実の娘2人に長年性的虐待を繰り返したうえ、2人が保護された児童相談所の玄関ガラスを割って侵入したとして強姦(ごうかん)と建造物侵入などの罪に問われた大阪府東大阪市の男(48)に対する判決が30日、大阪地裁であった。朝山芳史裁判長は「最も信頼すべき父親から究極の性的虐待を受け、2人の屈辱感、悲しみ、無力感は筆舌に尽くしがたい。求刑は軽すぎる」として、求刑を3年上回る懲役18年を言い渡した。 判決によると、男は98年ごろから長女に性的関係を強要。01年からは包丁で脅すなどして次女にも性的虐待を繰り返した。さらに、04年春に2人が保護されていた児童相談所に包丁を持って現れ、玄関のガラスを割って侵入した。 母親が病気のため、2人は誰にも相談できなかった。長女は次女への暴行をやめさせる代わりに暴力を一時1人で受け、現在も心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされているという。 朝山裁判長は「検察官の求刑は尊重すべきだが、これ以上の悪質な事件は想定できず、刑の相場は存在しない」と指摘。複数の強姦罪を併合加重した場合の最高刑である懲役20年に近い同18年が相当と判断した。 性犯罪をめぐっては、重罰化をめざす刑法改正案が今国会で審議されている。単独の事件で強姦罪に問われた場合の法定刑の上限を懲役15年から同20年に引き上げるなどの内容が盛り込まれている。 (11/30 22:13) http://www.asahi.com/national/update/1130/038.htmlより=============(引用終了)================ 別の新聞報道によると、最初に強姦された時、長女は11歳だった。 で、各メディアは地裁判決が出ても精神鑑定になる可能性があるから容疑者の名前は書かないわけだ。確認したとこでは、朝日、讀売、産経、共同の配信記事(web版)は「無職男」もしくは「父親」。>長女は次女への暴行をやめさせる代わりに暴力を一時1人で受け、現在も心的外傷後ス>トレス障害(PTSD)に悩まされているという。 この親父を吊るせ。「復讐権」を国家より取り戻すことを望む。少なくともこうした事件に関しては復讐権を担保されるべき。もしくは市中引き回しのうえ磔獄門と島流し復活。畢竟、魔女狩りもケースバイケースってことだな。この親父がどこかで生きていることで、ふたりの娘の精神的回復の阻害要因になる可能性が1%でもあるなら、いますぐ吊るせ。近代法治、ダセー限界見せてんじゃないよ。
2004/12/01
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