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たまにはメロウにいきます。 某所の日記につけたコメントのタイトルに使った「ファントム・ペイン」。 もともとは医学用語で、事故や戦争などで無くなってしまった手足が、存在しないはずなのに発する「痛み」のことだ。「幻肢痛」ともいう。 私がこの言葉を知ったのは第三舞台の10年間封印公演であった(この公演をもって「第三舞台」での芝居は2011年まで10年間の封印となる)。知った時には公演チケットは売り切れており、本屋で戯曲を買って帰った。先般、公演DVDを注文したところである。 作・演出を担当した鴻上尚史は「ファントム・ペイン」の意味を、「かつては語られていたのに、もう語られなくなってしまった言葉たち」に読み取っている。例えば貴方が友人同士で旅に出たとする。その旅の思い出は後々にわたってそれぞれの心の中で息づいており、いずれ機会があればまたその友人と、あるいは別の知り合いと、あるいは恋人や伴侶と、その思い出話で盛り上がるだろう。 学生時代の思い出はどうか。 同窓会で語ることもあるだろうし、私が10月2日の日記で書いたように、ずいぶん経ってからふと思い立ち、こうしてウェブログとして日の目を見ることもある。 では「別れてしまった恋人との思い出」はどうだろう。 今の恋人に話すと角が立つし、友人に話しても嫌みになる。かつてあれほど心を弾ませ、幸福と祝福に包まれていた「恋人たちの言葉」は、誰にも語られなくなって静かに、静かに封印されている。そうした「言葉」はどこに行くのか。どのようにしてしまい込まれているのか。 それが封印公演、「ファントム・ペイン」のテーマだった。 (これがもう入り組んでいてわかりにくいわけだが) そんなわけで小沢健二である(え?)。実は先日、先述の10月2日の日記を読んだ知り合いから「聞いてみろ」と言われてCDを送ってもらった。そこに入っていたナンバーのなかで、『さよならなんて云えないよ』(この曲についてもそのうち何か書くと思う)と並んでとても気に入っている『恋しくて』という曲がある。まあ聞けば過日の日記との共通点はわかってもらえるのだが、ともかくここでは『恋しくて』である。 幸せな時は不思議な力に 守られてるとも気づかずに けど もう一回と願うならば それは複雑なあやとりのようで 寒い夏の朝に ひとりきりの部屋で 呑みこまれてゆく魔法のようなもの 感じてる 長すぎる春と知りながら 僕らは何度も逢い酒を飲んで 2人でよく観た映画はなぜだか シリアルママとか蛇拳とか そんなことの全て 僕らが見た光 眩しすぎて生々しくて痛むよ とりあえず いつもいつも君が恋しくて 泣きたくなるわけなんてないよ 思い出すたび なにか胸につっかえてるだけ Baby! baby!! (小沢健二『恋しくて』) シングルは1997年7月、『Buddy』とともに両面シングルとしてリリースした切ないラブソングである。曲中には「別れた」だとか「終わった」だとか、直接的な文言はまったく出てこない。それなのに歌詞を読めば「ああ、別れた恋人のことを想っているのだな」とわかる仕組みになっている。 全体的に眈々とした感情を抑えたメロディラインながら、ただひと言、1番と2番、それぞれサビメロディの後に挿入される「ベイビィ!」という言葉だけがシャウトされる。「痛み」を発した声が表現されているのだ。バックメロディに比して必要以上に小さく、語りかけるように歌われる詞が、最後のシャウトを対照的に、効果的に浮き上がらせている。小沢健二流に言えば「終わった恋の言葉」は「いつも泣きたくなるわけなんてない/思い出すたびなにか胸につっかえてるだけ」と、これまた「恋の話そのもの」ではなく、その周縁で語られる。たったひと言、「ベイビィ!」という届かない呼び掛けを除いて。 全般的に小沢健二の歌詞に込められた想いを分析するのは、骨が折れる。それは上掲歌詞にも「シリアルママ」だとか「蛇拳」だとかいう、いわゆる小沢らしい現代風の照れ隠しにも似たキャッチーな単語がちりばめられていることからもわかるように、「本当の気持ち」、「伝えたい想い」なるものが常に、巧妙なレトリックと修辞に隠されているからだ。 ただわかるのは、英語もドイツ語も堪能だった彼が日本の小沢ファンのために書き下ろしたこの歌詞のなかには、甘く切ない、想い出すたびにそれこそ「胸につっかえる」ような気持ちを、それが「ある」とわかっていれば探し出せるように各曲の各所に忍び込ませている、ということだ。「終わった恋の痛み」というのは、語られない言葉のなかに潜んでいる。誰かにダラダラボロボロと話してしまえば、その重みはいくばくか和らぐかもしれない。しかしそれが簡単にはできないからこそ、胸の奥で「ファントム・ペイン」となって発せられる痛み。泣きたくなるほどではなく、遠くでわずかに響く鐘のような、重くて切ないその痛みは、語られなかった言葉たちはどこに行くのか。 戯曲『ファントム・ペイン』を著した鴻上尚史は書く。「演劇は涙を拭くハンカチにはなりえても、その涙の原因を取り除くことはできない」と。演劇にしても音楽にしても、映画にしても文学にしても、切なく悲しい想いを消すことはできない。「その想いと言葉を抱いて、明日も生きていくんだなあ」と、とりあえずまあ立つか、と。歩くか、と。忘れさせるわけでもなく、傷つけるわけでもなく、語られなくなった想いと言葉を昇華させる。 探し物はまだ見つかっていない。Baby!!
2004/11/30
鳩さん宛の返信を後回しにしつつ(正直すいません)、本日は雑感更新。 なんつーかまあ、日々イラク関係のニュースは入ってくるわけなんだけども。 制圧作戦で2000人死亡 ザルカウィ組織幹部拘束 【カイロ25日共同】イラク暫定政府のダウード国務相(治安担当)は25日の記者会見で、米軍とイラク軍部隊によるファルージャでの制圧作戦で、これまで少なくとも2085人が死亡し、1600人以上を拘束したと述べた。 国務相は犠牲者の内訳を明らかにしなかったが、米軍はこれまで米兵の死者を58人と発表しているため、大半が武装勢力やイラクの民間人とみられる。 国務相はまた、イラクでのテロや攻撃の首謀者とされるヨルダン人、ザルカウィ容疑者率いる「イラク聖戦アルカイダ組織」の幹部が23日に北部モスルで拘束されたと述べた。名は「アブサイード」としか明らかにしておらず、組織内で果たした役割なども不明。(共同通信) - 11月26日0時50分更新 死亡者2085人、1600人以上拘束ねえ……。 で、その内訳は公表せず……と。どうせ大本営発表なんだから、「全部、武装勢力(米国務省表記で「レジスタンス」)でした」って発表すりゃいーのに(ヤケクソ)。 誰かこの内訳、知ってる人いないのかな。いるわけないよね。ははは。死体に「お前、武装勢力?」と聞くわけにゃいかんからねえ。死亡者2085人、そのうち、どれくらい武装勢力で、どれくらい無関係の民間人なのかは、カンケーない、と。スゲーな。そういう神経。 いっぽう町山智浩の日記で、共和党支持派のコラムニスト、アン・コールター女史が素敵な発言をしていたと知る。>「我々はやつらの国に攻め込んで、イスラム教徒を皆殺しにし、残りをキリスト教に改宗させ>なければならないのよ。> 我々は第二次大戦ではヒットラーとその閣僚だけを懲らしめるのではなく、ドイツ全土を>絨毯爆撃して一般市民を殺した。それが戦争ってものよ。今回も戦争なの。だからやる>しかないの。> 日本を爆撃して、原爆を落として、いっぱい殺したら日本人は羊みたいに従順になったわ」 以前在米の知り合いに、「そこそこ美人の田嶋陽子」と評されていた女だ。 上記の件、確認したら、「あー、先日FOX(極右で有名なTV局ね)で流れたよ」とのこと。 TVかよっ! スゲーな米国!
2004/11/29
(1)は27日の日記にあります。どうぞそちらからご参照ください。異常に長くて、もう校正とかできるわけもなく。>もちろん、文明の特性に優劣を付ける気はありませんが、しかし、長生きする個体が、短命の個体に優る>何らかの要因があるように、文明に関しても同様の事が言え、少なくとも長生きする秘訣を学ぶ事こそ重>要であると考えるのであります。 文意には首肯するのですが、例がよくない。生物学の世界で、例えばゾウガメや丹頂鶴の生態研究が人間の医学的考察にほとんど役に立たないのと同じです。我々が他文明から学ぶべきは「長生きの秘訣」ではありません。その理屈だと「切腹文化」はどうなってしまうのでしょうか。ひとつの文化、政権を終わらせた「明治維新」は?>文明の特性などという物は、虚学の学問の対象には成り得ても、実学的にあまり利益があるとは思えませ>ん。そもそも分析的に文明の特性を完全に捉える等という事は、人間には無理でしょう。 これもムチャです。『文明論之概略』を記した福沢諭吉が聞いたら鼻血ブーでしょう。一身独立して一国独立す、は虚学だったのですか? 諭吉ともども「実学的にあまり利益があるとは思えません」、「文明の特性を完全に捉える等という事は、人間には無理でしょう」と切り捨ててよいのならば、それはそれでひとつの「覚悟」と言えなくもないですが……。その論理に賛成してくれる人は少ないと思いますよ。それこそまさに、「紙幣なんて紙切れにすぎない」という論理です。私はそれはそれで一知見として尊重しますが、たぶん諭吉が聞いたら怒ると思います。>哲学的にはなるほど、価値相対主義が主流でしょう。昔からそうです。哲学という学問は。ただ単に、>東方への視野が広がった為に、キリスト教以外の価値も認めようという認識になっていますが、いわ>ゆる地中海世界が「世界」であった時代には、哲学は、その中で、価値の相対性を保っていたはずです。 がびーん。 上記のあたりは、非常に傲慢な感じがして大変申し訳ないのだけれども、興味が続くのであれば哲学史を学んでみてください、としか言いようがありません。鳩さんにはちょっと信じられないかもしれないのですが、文化における価値相対主義が「主流」となったのは、哲学界でもほんのここ40~50年の話なのです。 大航海時代を経ても、帝国主義時代を経ても、ベトナム戦争を超えてさえ、(哲学界を含む)人間社会で「文化(価値)相対主義」が主流となったことはなかった。う~ん、信じられません? 信じられませんよねえ。私もたぶん論敵から指摘されたら、そんなことあるかいボケ、と言っていたでしょう。だからこれは本を読んでいただくか、鳩さんご自身が「この人がこう言っているのなら」と思う方に直接聞いてもらうしかないとも思うのです。 ですからこれはもうほとんどROM向けの「説明」になってしまうのですが、一応書いてみます。 例えばですね、米軍がファルージャやナジャフにガンガン空爆をする。その映像を街行く人々に見せつつ、「どう思いますか?」とレポーターが聞いたりする。すると、「アメリカの言い分もわかるが、イラク人の心情にも考慮すべきだ」とか、普通の人が言ったりしますよね? こういうことを言う人は、実は昔からいることはいました。それこそソクラテスとかプラトンの時代から、「ギリシャ人の言うこともわかるし、ローマ人の理屈もわかるよね」という人はいた。 しかし、(これが文化相対主義の決定的なポイントのひとつなのですが)、同じ事象でも「ギリシャ人に見える景色」と「ローマ人に見える景色」は、違うものだ、と、こう主張する人はほとんどいなかった。「見え方が違うのだから、価値基準が違う。だからそれに優劣は付けられない」という考え方をする人は、哲学の世界でもほとんどいなかったのです。 これまた例えを持ってきますが、例えばイラクでモスクがバンバカ爆撃されている。その映像が世界中に配信される。米国人にとっても日本人にとっても、「モスク」が持つ神聖性や象徴性はいまいち理解できない。民家だってオフィスビルだって「建物」という括りでは一緒じゃないか。そう思うのですが、CBSのダン・ラザーあたりが「これはイスラム教圏ではやってはならない、重大な【戒】となります」と言われると、ははあ、そうなんだ。そりゃイカンことをしたなあ。と思うのでしょう? 確かに同じ「建物への爆撃」でも、「単なる高層マンション」と「伊勢神宮」だったら、腹の立ち方も違うわなあ。うんわかるわかる、と。 つまり「敬虔なイスラム教徒のイラク人」が見るのと、「中産階級サラリーマンでロマン派ウヨク日本人の私」が見るのと、同じ「モスク爆撃」でも見え方がまったく違うわけです。この、現代ではほとんど常識となったような「ものの見方」が、哲学の世界ですら「常識」となったのはほんのここ40~50年、一般に膾炙したのはここ20~30年のことなのです。 なぜそんなことがわかるかというと、20世紀中盤を代表するといっても過言ではない思想家のひとり、ジャン・ポール・サルトル(1905~1980年)というオッサンでさえ、上記の認識論は持ち得ていなかったことが「証拠」として挙がっています。 ちょうど少し前のログで「アルジェリア独立戦争」(1954~1962年)のことがチラッと出てきたので説明するのですが、サルトルはこの戦争について、独立を狙う武装勢力側を支持しました。「フランスの帝国主義的支配に対抗する、民族自決を主張するゲリラたちの言い分は圧倒的に正しい!」と主張した。つまり、内戦を含む「戦争」においては、どちらかに必ず「正義」があると確信していた。サルトルでさえ、いやサルトルですら、「相対的」ではなく「絶対的」に判断していたわけです(ちなみにサルトルはその基準を「歴史」に置いていました。「歴史が彼らを正義と認めるだろう」と)。 これはベトナム戦争時の米国側にも、もちろんホーチミンらにも言えることです。米国人たちは「自分たちはドミノ理論によるアカの跋扈を防ぐための正しい戦いをしている」と、今考えると冗談みたいな理由で枯れ葉剤を平気で巻いていた。当然、同じ理屈で今でも彼らはいわゆる「ヒロシマ」、「ナガサキ」を正当化しています。死ねといいたひ。 さておき。そのいっぽうでサルトルは、当時盟友であり、ともにナチス占領下でレジスタンスとして戦ったアルベール・カミュ(1913~1960)というオッサンを、アルジェリア独立戦争の時に激しく非難します。カミュは当時、「アルジェリア人の民族自決の志もわかるが、フランス人の帝国主義的知見もわかる。私にはどっちが【より正義か】なんて判断は下せない」と発言していました。当時隆盛を極めていたフランス思想界で、ほぼ孤立無援で。 それに対してサルトルは、「キミは知識人としての階級的責務を怠った。キミがキミ自身であり続けたいのであるならば、どちらかが正義だと判断すべきだ。キミは(かつてフランス人としてナチスと戦った時とは)変化すべきことを恐れたのだ!」と、知的誠実さにおいて断罪したわけですな。で、ま、これも将来的にはこの時のサルトルの態度・思想はレヴィ・ストロースによって木っ端微塵にされるわけですが、それはここでは置いておきます。 で、ですね。上記のような、まあ「哲学史」と呼んでいいのかよくわかりませんが、思想史については、知っていても知らなくてもいいことです。鳩さんのように「専門ではない」と、「好きではない」という意味なのでしょうが、そういう方に対して別に知っているからといって威張るつもりもない。この点について、「だから間違っている。お前の論理は全般的に間違いだ」と声高に主張する気もありません。鳩さんのログに一定以上の価値を認めています(だからこそこんなに長々お返事を書いているわけですが)。 ウェブログの利点は、特に詳しいわけでもなく様々なことを言えることだと考えていますし、事実私だって聞きかじりの生齧りで思想を語っています。そもそもイラクにおける占領統治を語る上で、上記のような思想論議がそれほど重大なファクターになるとは思えないし、第一私より詳しい方が出てきて「お前(ショータ)の思想史の理解、まったく見当外れ」とか言われてしまうかもしれません。 じゃあなんでこんなことを長々語ったのかといわれると、まあそれが私が好きな分野でもあるし、実はこうした思想的観点から考えると、イラクでの米国の占領統治はまったく、少しも、1ミリも弁護の余地がない「暴力的侵略侵攻占領政策」にほかならないわけです。 私はGHQによる日本占領統治計画が大嫌いですし、それ以前の東京大空襲、広島・長崎への原爆投下について、思想的にはいかなる「正義」もないし、正当性もない。微塵もない。そう断言します。そのためには、キッシンジャーやらブレジンスキーやらの論理を「文明論」と言祝ぎ、「思想」として担ぎ上げる行為には熱心に反論せねばならんのです。 そんなわけで、「思想的」な部分についての反論は取り急ぎここまでとします。 続いて「実践的」な部分への返信となるわけですが、さすがに長く書き過ぎてちょっと疲れました。というか、誰かこれ、最後まで読むのか? まあいいや。締め切りを破って伸ばすのは得意技なので、実践的な部分については、う~ん、なんとか今週中には書きたいな、と思っています。 最後に。>「とことん話し合い、それが決裂すれば、一気に叩きのめすべし。正当な理由無く、刀を抜いてはならぬが、>又、正当な理由無く刀を納めてもならぬ。」「正当」という文言は、勝者のものだけではありません。それを我々日本国民は、大東亜戦争で学んだはずでしょう。 願わくば、鳩さんのこれからの学識が曇り無きものであるよう、僭越ながらお祈り申し上げます。
2004/11/28
>鳩さん いやいやどうも、後回しにしてしまって申し訳ありません。 このログから見出した方は「なんのこっちゃかわからん」となりますので、顛末をザッと説明いたしますと、キッカケは当サイトにある11月13日と14日の日記にあります。 流れとしては、(1)当サイトの13日と14日の日記をアップ(2)コメント欄にて反論多数(3)そのなかで鳩さん向けにはショータが18日の日記で再反論(4)鳩さんが質問への回答と再々反論を自身のサイトの24日と25日の日記に掲載(5)そしてこの日記へ こんな感じ。時間がある方は辿ってみてみてください。 さてさて。まず何から書いたらいいものか。 取り急ぎ、私は哲学者ではありません。現代思想に興味があっていろいろ本を読んだりしていますが、いわゆる一般的に哲学者と言われている中島義道とか西周とかヴィトゲンシュタインとか(土屋賢二とか(笑))、そういう人々の著作を読んだことはありますが、体系立てて哲学史を学んだ事も無ければ、「人間はなんのために生まれ、どこへ行くのか!」などと悩んだことも、ここ15年くらいありません。 このブログは、私よりも10倍以上哲学を含む現代思想に詳しい方々が、私が認識している限り最低3名以上読んでいますので、「哲学者へ」などと私宛てに書かれた文章を見ると、「あいつが哲学ぅ?」と激しいツッコミが来る可能性があるので正直困ります。くわー、言い訳っぽい。逃げ腰っぽい。 さてそのうえで。>貴下は私の哲学的文明論に関する無知を非難されました。しかし、私は、哲学的文明論>は、専門ではないと言っていましたね。 正直、「そんなもん私だって専門ぢゃないがな(涙)」と思っているのですが、上記について、それをどうわかってもらえるか、というのをどうやって説明するか、というので激しく悩んでしまいました。 というのも、私が「読んでますか?」と問い掛けたエドワード・サイードは一般的に「哲学者」とは言われないし、代表作である『オリエンタリズム』は「哲学書」としては括られていない。レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』も同じです。 例えばサイードはエルサレムで生まれて後に米国籍を取得し、キリスト教徒を親に持つ、コロンビア大学教授のパレスチナ人です。そうした複雑な履歴を持つ人が世界の「アイデンティティ」や認識論、人種論、民族論、戦争論などを語ることが「哲学」といい得るのか。あるいはレヴィ=ストロースは文化人類学者で、じゃあ文化人類学者の仕事ってどんなのよ? となると、近代以降は南米のジャングルやアフリカのサバンナの奥地にある部族に分け入って、一緒に生活してみてその文化状況を調査する、ということなわけで。極めて地味で、だからこそすぐれて実践的な学問ではあるわけです。 こりゃもう試しに鳩さんが在学されてる学校の文化人類学や史学、社会学の先生に(絶対に知らないわけはないので)「エドワード・サイードやレヴィ=ストロースが考察した仕事は哲学なのでしょうか?」と聞いてもらうしかないかなあ、などとも考えていました。 ところが、「じゃあ哲学ってなんだ?」という話になった時に、辞書で調べてみると>世界・人生などの根本原理を追求する学問。(中略)知識の体系としての諸学の根底を>なすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を>含む。 とか書いてある。 むううう。なるほど。私にはサイードもストロースも、例えばマルクスもソシュールもフーコーもラカンもバルトも「哲学者」だと言われるとムチャクチャ違和感あるのですが……。うーむ。しかしデカルトやヘーゲルなら「哲学者」と言ってもシックリくるなあ。ルソーやニーチェもそう呼べるか。ベンサムやサルトルはボーダーラインかな。などと悩みだしたらもう止まらない。 上記に登場した思想家たちは、ほぼ全員「認識論、論理学、存在論、倫理学、美学」について、一人残らず歴史に残る書物を書いています。私は辞書至上主義者ではないですが、一応そこに書かれている認識は尊重することにしています。その辞書に「認識論、存在論は哲学に含まれる」と書いてある。つまり、「この世界を認識するにあたり、切り取り線を入れるもの」を「哲学」と言ってもいい、と。 するってーと、小林よしのりはどうなんだ? 橋爪大三郎は? 呉智英は???? 実際には経済学、法学、文学、政治学、経営学、史学、社会学、心理学、全部まったく違うもんなのに、「ああ文系ね?」と括られるような違和感と申しましょうか。 こんなふうにあれこれ悩みつつ「どうレスするかなあ」なんて悩んでいたのですが、鳩さんの返信を読み進めていくうちに、なんとなくですが文意が読み取れてきました。>キッシンジャーやブレジンスキーの文明論の方がはるかに現実的であると思いますが、こ>れらは貴下の文明論の範疇には入らないのですかな。 あー、なるほど。ポンっ(←膝を叩く音)。キッシンジャーもブレジンスキーも、米国の元大統領補佐官で、いわゆる国際政治学者ですよね。ようするに舛添要一とかハマコーとかの立ち位置が一番近いわけで。なるほどキッシンジャーやブレジンスキーに比べてみれば、確かに私が挙げた思想家たちは、揃いも揃って「哲学的」であることは認めます。はいはい、納得。 つまり鳩さんは、国際政治や軍事・外交を語るにあたり、元政治家が語る「実践的政治論・思想論」をより重きと判断し、「理論的政治論・思想論」は「参考程度にしましょ」と言ってるわけですね? オッケー了解。パラダイムが完全完璧に違ったわけですな。 やっと私、スタート地点に立ったことを認めまして、周回遅れですいません。と、まず謝っておきまして、それならそれで書き方やら考え方やらが変わってくるわけです。例えば。>キッシンジャーやブレジンスキーの文明論の方がはるかに現実的であると思いますが、こ>れらは貴下の文明論の範疇には入らないのですかな。 入りません(キッパリ)。私はキッシンジャーのそれも、ブレジンスキーのそれも、「文明論」と呼ぶには値しないと考えています。私は↓こういう語り口、思想を「文明論」とは認めない。>Q:ソ連が、軍事介入はアメリカのアフガニスタンへの秘密工作と戦うために正当であると名言した時、>だれもその言い分を信じなかった。しかし、それは基本的に真実を含んでいたのですね。今、何か後>悔するところはないのですか?>>ブ:何を後悔しろと?秘密作戦はすばらしいアイディアだった。結果として、ソ連をアフガンの罠へと引>き寄せたのだ。それを後悔しろと?ソ連が公式に国境線を越えた日に、私はカーター大統領へ、こう手>紙を書いた。「今、ソ連に彼らのベトナム戦争を始めさせるチャンスを得ました。」事実、それからほぼ>10年に渡って、モスクワは自国の政府の手に負えない戦争を遂行しなければならなくなった。対立>はソ連帝国を混乱におとしいれ、最終的に崩壊をもたらした。>>Q:イスラム原理主義を支持したことも、未来のテロリストに武器と助言を与えたことも後悔していな>いのですね。>>ブ:世界史にとって、一番大事なのは何か。タリバンと、ソ連帝国の崩壊のどちらが大事だ? 訳のわか>らんイスラム教徒と、中央ヨーロッパの解放・冷戦の終結のどちらだ?>>Q:訳の解らないイスラム教徒?しかし、イスラム原理主義は現在、世界の脅威の代表であると繰りか>えし言われているのですが。>>ブ:ナンセンスだ。西側諸国は、イスラムに関してグローバルな規模の政策を持つといわれるが、ばか>げている。グローバルなイスラムなど存在しない。イスラムを、デマや感情を差し引いて理性的に見た>まえ。15億の信者をもつ世界の主要な宗教だが、サウジアラビアの原理主義と穏健派のモロッコとパ>キスタンの軍国主義、西側寄りのエジプトと中央アジアの世俗主義、これらのどこに共通点があると言>うのか。キリスト教国家の共通点以上のものは何もない。http://www.ne.jp/asahi/home/enviro/news/peace/blum-Jより抜粋引用。 私の括りでは、これは「国際政治学者が語った文明に関する評価」です。 例えば私がここで、「少年法ってもう時代遅れだよねー、チョー遅いって感じぃ(はぁと)」とか書いたら、鳩さんはそれを「法律論」と呼べますか? さらに言えば、>有限なる文明を図る物差しは、唯一つ、歴史的連続性につきると思います。 そんなバカな。そりゃあんまりです。歴史学も文化人類学も、社会学も無視してしまうことになる。ただただ長く続いていればいいとして、そこに例えば「英国王室」や「天皇家」を入れるとするならば、つまり(平安期の皇室と現在の天皇家の差異に見られるような)形態、様式の変化を認めるのならば、チグリス・ユーフラテス川を抱えるイラクの文明が「世界一」になってしまいます。 イラクの文明を「途中で切れている」とするならば、世界の史学者、人類学者、社会学者は、「だったら天皇家だって切れとるやんけ」と批判してくるでしょう。怜悧な史学的観点から見て、中東の一部地域で昔ながらの生活している人々と、「皇室」のそれと、文化的連続性を比べてみると同等かそれ以下としか判断できないはずです。 私はロマン派ウヨクを自認していますが、「文明を図る物差し」として天皇家を利用する論理には首肯しかねます。 誤解してほしくないのは、私は「歴史的連続性」に価値を見出すことを否定しているわけではない、ということです。日本文化の歴史、皇室の歴史、それらは日本人にとってとても大切なものであるし、その連続性に自らの「生」を位置づけることによって、おのおのが生き甲斐や誇りを持つ事は、掛け値なしに素晴らしいことだと思っています(これを「歴史に位置付くアイデンティティの獲得」といふ)。 しかし、それが「文明を図る唯ひとつの物差し」だと言われると、それにはとうてい首肯できない。この地球には、「歴史を持たない文明(冷たい社会)」が数多く存在し、我々と同じように生き甲斐や誇りを持って生活している。それらに対して、我々は常に謙虚であらねばならない。なぜなら私達のような「西洋近代社会」からの視線は、どう言い逃れようとも「独善」であり「偏見」であり「まなざしの暴力」にほかならないから。 それこそが、レヴィ・ストロースが『悲しき熱帯』(と『野生の思考』)で説いた知見なのです。
2004/11/27
ちょっと今日は私的にイライラしている事件が勃発しまくり、仕事する気がなくなったので、サイトのレス書いておりました。JSF.さんとナナシィさん宛てにレス書いて適当と思われる場所に付けておきましたので、ご参照ください。 鳩さん宛ては明日にでも時間を見つけて。見つかんなかったら明後日以降になります。遅れてすいません。 それからわざわざ知り合いが電話で教えてくれたんですが、『現代の戦争被害』(岩波新書・小池政行著)なる本が、このサイトの一連のログとほぼ同じことを、新書らしく丁寧に詳しく書いているとの情報をいただきました。 現在前書きと「イラク」というパートを読んだのですが、ほとんど同じ……....._| ̄|○ 最初から「これ読んで」で終わっていたんか、と思うとかなり愕然とします。。。が、、、ま、一応続けます。ヒマな方は書店で見てみてくださいまし。上掲書は初刷り2004年8月となってまして、脱稿時の7月中旬までのデータで計算し、かつ数字の比較方法は「民間人死者」と「米兵サイドの死者数」ですから、それなりに違いはあるんですけどね。 正直ビックリしました。8月て。つか読んどけよ>俺
2004/11/26
どうにも今日もお返事滞りそうです。なんだかんだで皆さんにお返しするのは軽く見積もっても一時間以上かかりそうで、寝るまでにその時間を取れなそうな気が。いやー、申し訳ないです。土曜日には必ず。まあ急ぐものでもありませんから、気長にお待ちくださいまし。 そんなわけで本日はまだまだお仕事。むうう、終わらぬ。二日酔いで午前中仕事にならなかったのが痛かった(自業自得)。
2004/11/25
本日はちょっと遅くなりましたので、いただいたコメントへのご返答は明日以降になります。よろしくです。 いやもうワイン入っちゃっていい気分で。あはは。
2004/11/24
「 戯曲」という文学の一分野がある。 「小説」、「評論」、「紀行文」などと並んで確立された文学体系もしっかりとあったりするのだけども、ハッキリいって現代ではあまり人気はない。 世の中に本好きは山ほどいるけれども、そのなかのさらなる変態を抽出しようと思ったら、「戯曲、好き?」と聞いてみよう。あいや、「好きだ」と答えたらすなわち可、というわけではない。むしろ「嫌いだよ。だってシェイクスピア以降、戯曲の発展というのは英国における劇場型観賞性の終焉と映画の登場によるアウラの消失によってドータラコータラ」などと語り始めたとしたら、そいつはクロだ。真っ黒だ。「本好き」のなかでもさらにやっかいな「文学好き」というやつである。 個人的には、あまり深いつき合いをしないほうがいい、と忠告しておく。精神の根っこのほうに病を抱えている可能性が強い。ああ私とかねよく言われるようん余計なお世話。 さて、そんな戯曲の分野では、健全な一般市民である皆さんも名前は聞いたことがあるであろう、ウィリアム・シェイクスピアというオッサンが第一人者として知られている。信じられないことではあるが、ハリウッドを抱える米国劇作家陣たちは、「ただシェイクスピアを生み出した」というだけで英国に敬意を持ち、また、英国は英国で「ただシェイクスピアが英国人だったから」というだけで、世界中の劇作家界に対して威張り散らすことができているのである。 そんな偉大すぎるシェイクスピアの話はここではいったん置いといて。 戯曲界に圧倒的な権勢でもって君臨するシェイクスピアの作品群に対して、ほんの一時期ではあるが、「シェイクスピアを超えた」とされる人気を獲得した作品があったりする。 それが『ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケット1953)という近代戯曲だ。演劇界では『リア王』や『ハムレット』、『ロミジュリ』に並んでバイブルとして称されており、現在までそれこそ星の数ほどの劇団が演じてきている。 演劇界では知らない人はいないほどの有名な作品なれど、内容に関しては驚くほど知られていないので、以下にザッと紹介する。<開幕> 2人の男がベンチに座っている。男達は「ゴドー」という人物を待っている。するとそこに少年がやってきて、「ゴドーさんは来られないって」と告げる。「じゃあ行くか」「ああ、行こう」<ここで第一幕終了><第二幕> 再び男達がゴドーを待っている。 また少年がやってきて、「ゴドーさんは今日も来られないって」と告げる。「じゃあ行くか」「ああ、行こう」<幕> これだけ。 なんか自分で書いててもムチャクチャ退屈で不条理な気がするが(実際不条理劇なわけなんだけども)、原作がそうなんだから仕方がない。近代劇作家たちはこの退屈な作品に、「どうやって待っているか」、「何を待っているか」という2点にアレンジを加えることによって、さまざまなかたちでこの作品を盛り上げていった。 カンのいい方ならばもう気づいているかもしれないが、この「何かを待ち続ける」という行為における、「その【何か】とはなにか?」「どうやって待ち続けるか?」 という2点を問い、描くことは、まさに「人生」を描くことに繋がるのだ。 多くの作家たちは「ゴドー」を「ゴッド」と意訳し、神を待ち続ける人々の心象風景に着目した。またある人々は「行こう」と言いながら幕が下がるまで動かない2人の男に着目し、人は待ち続けることしかできない、と理解した。 日本ではいとうせいこうという天才が『ゴドーは待たれながら』とゴドー側の心理と葛藤を舞台にし、鴻上尚史という天才は作中で「ゴドーはやってまいりました」(それも2人も!)と、あえてゴドーを登場させてこの物語にケリをつけてみせた。(それはどちらの作品も、「待つことの手段を浪費し尽くした現代」への強烈なオマージュだった) 貴方は何を、どういうふうにして待っていますか? 探し物は「待つ」ことで見つかるのかどうか思案中。 最近になって、サミュエル・ベケットは第二次大戦中、ナチから身柄を隠すために屋根裏で2年以上、友人と2人で「待ち」続けていたことが判明したそうだ。彼が待っていたものが判明したことで、『ゴドーを待ちながら』への関心は少し和らいだという。
2004/11/23
言い切ってみました>タイトル さてさて、昨晩まででおおかたの仕事は一息ついて、時間を見つけてこのサイトの更新でもしようかなあ、なんて考えていたら。義母さんからケータイに電話がかかってきて、どうも伯父さんが倒れたらしく、すでにCCUに入っていて、一両日中に生命維持装置を外すかどうか、という状況だと伝えられた。 えらいこっちゃと病院に行ってみると、病室には親戚一同集まっていて、ちょうどレヴィ=ストロースを読み返していた私は「あ、この人は交叉イトコでこっちは…」なんて比較的冷静に考えていた次第。 結局主治医が帰っちゃったので結論は先送り。 なんというか。現代では自分の死期すら自分だけでは決められないのだなあ、などと今更のことを実感した。明日は友引だから通夜は出せないという話題がでたのだけど、そういうもんなの? なんで? 御存じの方、教えてください。 さてさて『ウヨクは数字と英語に弱い』にいただいたレスへのレスである。その前に、このログから読み始めた方もいらっしゃるだろうからザッとここまでの流れを確認しておきたい。 キッカケは当サイトにある11月13日の日記と、14日の日記。ま、ちょっと読んでもらったほうが早いのだけれども、要旨はザッと以下のような感じである。「IRAQ BODY COUNT」というサイトによると、どうも米英軍によるイラク攻撃開始から数えて、「民間人の死者」が激増しているらしい(現在は11月12日までの累計まで表示されており、最小で1万4454人、最大で1万6604人)。 これはいくらなんでも多すぎる。フセイン圧制からの開放や大量破壊兵器疑惑、国際テロ組織への支援など、まあ「戦争の大義」はいろいろあったのだろうが、それにしたって多すぎない? というのが13日と14日の日記を書くことになった動機である。 米国国務省が発表した資料によると、03年一年間の「国際テロ」による民間人死者は625人だという。その数字の約25倍。つまり来年からいきなり「国際テロ死者がゼロ」になったとして(なるわきゃないが)、25年ぶんの死者がいきなりイラク侵攻によって発生してしまったわけだ。 また、上記については「開戦自体は反対であったが、占領統治政策自体は反対していない」とする立場もあろうかと思う。そうした方々にとっては、「イラク戦争」の前半部、フセイン政権打倒戦までの死者まで組み込まれてはたまらないだろう。 そのような方のために、調べました。ブッシュの「戦闘終了宣言」である5月1日時点での死者数である。「IRAQ BODY COUNT」によれば、5月2日時記録は最小2180人 最大2653人とのこと。 これを計算すると、 03年5月1日~11月12日のイラク民間人死者数最小1万2274人 最大1万3893人 となる。ちなみに上記はあくまで「報道された死者数」であり、ファルージャなどにはメディアが入っていないわけだからして、当然計上されていない。凄い数だねしかし。625人の22年分とちょっとか。 これが例えば、ファルージャ掃討戦を含む一連の「国際テロ組織撲滅作戦」により、「毎年100名ほどの死者を減らすことに成功した」と仮定しよう。ま、私は増えるような気がするが、あえてそこは措く。昨年一年間で625人の民間人国際テロ死者が、毎年100人ずつ減った対策を講じたとして、それが1万3893人の民間人死者を出してもペイするためには、およそ138年間テロが減り続けなければならないわけだ。イラクって国、138年後にあるのか??? こうなると、まがりなりにも国連の一加盟国の一国民としては、「それ、大失敗じゃない?」と声を上げざるをえない。まあどってことないサラリーマンである日本人が一人で「この戦争は失敗だ」と言ったって、日本政府も米国政府も国連も耳を貸すわきゃないとは思うが、どうもこの楽天サイトでは、「米軍主導のイラク侵攻は失敗ではない」、「米軍主導のイラク統治政策は失敗ではない」と主張している方がいるらしい。 じゃあその方々は、何をもって「失敗ではない」(「成功してる」とまで言ってる方がいらっしゃれば別途レスください)と言うのか? 何を根拠に「失敗ではない」と言うのか? というのが気になっている。そんな思いであちこち顔を出し、ここにご招待したりしていろいろ話を聞いて現在に至る、というのが現状である。 ここでJSF.さんという、「イラク戦争開戦も(ファルージャ掃討戦を含む)占領統治政策も、失敗ではない」と主張している方(たぶん。違ったらご指摘ください)がまあ無礼な招きに応じていらっしゃってくださり、大変興味深いことをおっしゃった。いわく、・「国際テロ」の定義がわからなければ比較は無意味だ という点である。なるほど一理ある。本日記では、上記に対する返答を示しつつ、JSF.さんへのレスを中心に組み立てていきたい。文意を明確にするため、一部レスの順序を入れ替えているところがあるので、その点ご容赦されたし。・「国際テロ」の定義とは 米国務省のレポートで、米国自身が「No one definition of terrorism has gained universal acceptance. 」と書いている。私も別に諸説あって構わないとは思うのだが、ここではその米国の所業の自己矛盾性について言及するわけだから、米国自身の定義を借りたい。いわく、「国際テロ」とは、>The term international terrorism means terrorism involving citizens or the territory of more than one country. (2つ以上の市民かもしくは領土を巻き込んだテロリズム) だそうだ。つまり「外国人が起こす」か、「外国人に対して起こすか」したテロのことである。 言うまでもないことだが、このたび再選を果たした米国ブッシュ大統領の重要な政権公約のひとつに「テロとの戦い」がある。9.11直後の国連総会での演説以降、ブッシュ大統領は「不変の4大公約」と銘打って、テロ対策に大いなる情熱と、多額の予算をつぎ込んでいる。 ブッシュ大統領が「テロとの戦い」という時の「テロ」とは、国際テロのことか? 国内テロのことか? まあここに疑問を持つ人は少ないと思うのだが、そういう方は以下を参照願いたい。Domestic terrorism is probably a more widespread phenomenon than international terrorism. Because international terrorism has a direct impact on US interests, it is the primary focus of this report. However, the report also describes, but does not provide statistics on, significant developments in domestic terrorism. まあここらへん、詳しく見たい方はぜひとも原文を読んでみてほしい。レポートの各部から、「国際テロをなんとかしないと、世界がメチャクチャになります。米国はそれに対し、頑張ってます!」という文意が読み取れる。 ちなみに米国大使館のサイトにはもっとハッキリと「国際テロ撲滅に向けた米国と世界の作戦行動」と書いてあったりするわけだけども。・現在イラクで亡くなっている人々は「国際テロ」の被害者か? これはまあJSF.さんご自身が「現在イラクで活動しているテロリストのほとんどが外人」と明言しているわけだからして、ここでは言及の余地はないかと思われる。一部報道では「ファルージャには外国人は100人ほどしか居なかった」とも言われているのだが。まあ米軍へのテロ攻撃については「外国人相手だから」ということで、どっちみち「国際テロ」になるのだけどもね。 というわけで、イラクで死んだ「民間人」のほとんどは、「国際テロ」、もしくは「米軍の攻撃」によって亡くなっている。こうなるわけだ。 ここでいったん、私のこれまでの調べものと考察における結論めいたものを書いておきたい。 米軍が現在のような都市制圧戦を含む作戦行動をしてきた結果、「民間人の死者」は昨年、一昨年に比べて激増している。「民間人の死者」という計量で見た場合、米軍のイラク侵攻と占領統治政策は失敗しているとしか判断できない。これに反論するためには2つしか方法はない。(1)米国政府が掲げてきた「テロとの戦い」という公約は、実は「民間人の死者を減らすため」ではなかった。あるいは(2)長期的に見れば現在の占領統治政策が、「民間人の死者を減らす」ために役立っている、このどちらかである(ま、「両方だ」でも構わない)。(1)について では聞きたい。何のためにテロ対策をしてるのか? それを示す義務がある。さらにいえば、米国はハッキリと世界に宣言すべきだ。「我々のテロ対策は、民間人死者を減らすために役には立ってません」と。(2)について では聞きたい。ファルージャ掃討戦を含む多くの作戦行動において、米軍中央司令官は「民間人の死者数は数えない」とハッキリと明言してしまっている。数を数えないで減らすも増やすもないだろう。「減る」というのであれば、ハッキリと数値を示すべきだ。 この双方の疑問に答えられないのであれば、米軍は以下の批判に晒されることになる。 米軍はただちに失敗を認め、責任者を更迭し、現在のような都市掃討戦を含む占領統治政策を見直すべきだ! わかってんのかコノヤロウ! こんな感じですな。ううむ長くなった。 13日と14日の日記にいただいたレスの個別の部分については、20日の日記にアップしておく。ぜひとも合わせてご覧下さい。
2004/11/21
この文章は、11月13日と14日の日記にいただいたレスへの個別の返答です。本旨については、21日の日記に帰属するとお考えください。よろしく。>JSF.さん>>米英軍のイラク侵攻および掃討作戦の結果、減ると思いますか? 増えると思いますか? >減るんじゃないの? ファルージャで1000人ばかしテロリストを殺したら 「減る」という根拠になっていません。そもそも「1000人テロリスト殺害」は大本営発表であるし、掃討戦は新たなテロリストを生み出している、というのが私の考えです。上記が根拠になるというのであれば、同じように「増えるんじゃないの? ファルージャで罪も無い民衆が山ほど犠牲になったんだし」 というのも同じように説得力を持ちます。違うのは「1000人」という数字があるかないかだけ。そしてその数字を出すべき責任は、言うまでもなく米軍にあります。>テロリストがモスクをテロる(民間人狙いの)は認めるが、アメリカ軍がモスクを>(防御火点となっている)を攻撃するのは駄目だというのか、 まず一点。誰か「テロリストの(モスクへの)攻撃は認める」と書いていますか? まずこれにお答えください。 次に、テロリストがやっているかやっていないかは、米軍の所業を弁護することにはまったくなりません。以前のログでも書いたように、例えばヤクザが銃撃戦で民間人を殺したとして、警察がそのヤクザを捕らえるために、民間人を殺してもいいなどという理屈は通りません。>テロリストの数が減ったわな、1000人ばかし(米軍主導のイラク侵攻および占領統治政策で)民間人犠牲者は増えたわな。1万6000人ばかし。>>そもそも米軍が開戦に踏み切り、ファルージャ侵攻を含む占領統治政策を続ける大きな要因のひとつに、>>国務省が提示するこの「国際テロ」なる数字を減らすため、ということがあると理解していたのですが。>何処に書いてあった? ふむ。意外なところにレスがつきました。そこに疑問がつくとは。「違う」というのであれば、根拠を示しつつ「なんのために米軍は開戦し、占領統治政策を続けているのか」を示してください。ま、「私は知らない」でも構いませんが。知らないなら「知らないけど賛成」になります。もちろんそれでも私は構いませんけどね。>>>サドルのマハディ軍が停戦に応じ武装解除している現状では、外国人勢力の方が数は上です。>>疑っているわけではありませんが、ソースください。>■サドル師派、武装解除へ 11日開始で基本合意>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041010-00000001-kyodo-int これは私の書き方が悪かったですね。申し訳ありません。 私が知りたいのは「マハディ軍が武装解除に応じている」という点ではなく、その後半部。「外国人勢力のほうが数は上です」の部分です。先日いただいた「4000~5000人」という報道でよろしいですか? JSF.さんご自身もあまり信じていなかったみたいですけども。>いいえ、私は開戦には反対でしたが失敗だったとは思っていません。>あれは湾岸戦争の続きですから、遅かれ早かれ行われていたでしょう。むしろ遅すぎたくらいか。 ?? なぜ「湾岸戦争の続き」だとしたら、開戦が「失敗ではない」になるのですか? その成功と失敗の判断基準はなんなのでしょうか?>ところで貴方は誘拐首切り殺人の外国人テロリストを「レジスタンスだ!」と言って見たり、>インドネシアの解放戦争に参加した旧日本兵をイラクの外国人テロリストと同列に扱って>見たり、どても気に入らない。 JSF.さんに「気に入られなかった」ことはとても残念ですが、引用は正確にお願いします。私は、「最大1万6439人の民間人死者数というのは、米軍が殺した数【だけ】ではない。その多くは(おそらく過半数以上は)イラクに跋扈するテロ組織(ま、私はレジスタンスと呼んでもいいと思うよ)がテロによって殺した数も含まれている」と書いたのであって、>誘拐首切り殺人の外国人テロリストを「レジスタンスだ!」などとは書いていません。上記が同じに見えるとしたら、そうとうな色眼鏡を掛けている、と判断せざるをえないのですが。JSF.さんはそのような偏見をお持ちなのですか?さらにいえば、>インドネシアの解放戦争に参加した旧日本兵をイラクの外国人テロリストと同列に扱って見たり なんのこっちゃ。 あまり自分の定義が絶対だと思わないほうがいいですよ。で、誰がどこで同列に扱ったというのか? 歪曲せずにキチンと引用で示せますか? ちなみにJSF.さんは>当時のオランダ軍にとってはテロリスト扱いだったよ。と書き、そののち、>だからそれはイラクでも同じ事。と書いているんですが。上記は撤回ですか? 訂正ですか?>cheicheiさんへ アルジェリアに関しての詳しいお話、大変参考になりました。 またぜひいらして、いろいろ教えてください。鳩さんへのレスは明日晩あたりになります。ではでは。
2004/11/20
全ッ然仕事が終わらないでやんの。あははは。もう笑うしかね。 とりあえずいただいているレスへのキチンとした返答は早くて明日の夜、まあ明後日の夜までには、とは考えております。頑張ろう。俺、頑張ろう。 で、作製する返答はそれなりに時間をかけようとは思っているのですが、その前にいくつか確認を取れれば取りたいなあ、と思っている点が。もしよろしければまた戻ってくるまでに応えていただけていると、以降のやり取りがスムーズになるんじゃないかな、と思っております。>JSF.さん「国際テロの定義」、見つけときました。というか、けっこうサックリ書いてあったんで、JSF,さんももう見つけてらっしゃるのでは? 引用しときます。以下『PATTERNS OF Global Terrorism 2003』より引用。Definitions No one definition of terrorism has gained universal acceptance. For the purposes of this report, however, we have chosen the definition of terrorism contained in Title 22 of the United States Code, Section 2656f(d). That statute contains the following definitions: The term terrorism means premeditated, politically motivated violence perpetrated against noncombatant1 targets by subnational groups or clandestine agents, usually intended to influence an audience. The term international terrorism means terrorism involving citizens or the territory of more than one country. The term terrorist group means any group practicing, or that has significant subgroups that practice, international terrorism. The US Government has employed this definition of terrorism for statistical and analytical purposes since 1983. Domestic terrorism is probably a more widespread phenomenon than international terrorism. Because international terrorism has a direct impact on US interests, it is the primary focus of this report. However, the report also describes, but does not provide statistics on, significant developments in domestic terrorism. 引用終了http://www.state.gov/s/ct/rls/pgtrpt/2003/31880.htm 見つけた時は笑った。思いっきり見出しに「Definitions(=定義)」って書いてあんだもん。上記サイトには「イラクでのテロは国際テロか?」ってのについてもいろいろと書いてあります。まあどう考えても「国際テロ」ですな。 最初自分でシコシコ訳してたんだけど、最後のセンテンス、「widespread」の意味がとれなくて。なんで「domestic」のほうが「international」よりも「wide」やねん、と小一時間悩みました。自分の英語力の低さが憎い。 と、いうわけで、>私は11年前の日本政府へのテロ報告書での定義しか知らないから、貴方に聞いている 上記とほとんど一緒のようです。>全てのテロを含めた数値を探してくれば? 私は知らないが。 上記は必要なくなりました。と、思う。 定義付けも済んだので、>定義自体を理解せずに数字を弄んでも無意味だよ。貴方のやっていることはそういう事。 625人(03年年間国際テロ死者数)と1万6000人(イラク開戦以降の民間人累計死者数)の比較はそこそこ有効のようです。上記「定義」を参照のうえ、【ご意見が変わるような箇所があれば】、以下も含めて指摘しといてください。 って思ったら。開戦には反対してらしたとか。う~む、これは微妙な表現だなあ。 では「現状で判断して、あの時点での開戦は失敗だった」というのはご同意いただけますか? あともう一点。開戦に失敗、と言及するのと、占領統治政策が失敗、と言及するのとでは微妙に私のスタンスも違うし(ホントに微妙だが)、出すべき数字も変わってきます。「占領統治政策の失敗」について言及するのなら、(開戦以来の)1万6000人ではなくて、「5月1日の戦闘終了宣言以降~現在までの民間人死者数」で比較しときますね(計算自体は終わってます。けっこうな数になります)。 それから本論から外れるであろう枝葉末節部分のレスをば少しだけ。>テロリストがモスクをテロる(民間人狙いの)は認めるが、 認めてません(涙)。どっちもダメ、が私のスタンスです。 人殺しが別の人を殺しながら逃げたからといって、それを追いかける警官が別の人を殺しながら追いかけてもいいというわけではないというのと同様です。>それが唯一の理由であり動機であったと書いてあったのか? 私は「大きな要因のひとつ」と書いています。 で、どこにであれ「唯一の理由であり動機」と書いてある必要はありません(涙)。>>たとえ「10万人以下」であっても、ほかに「1万人以下」という方法>>があるかもしれないのに、即時「8万人死亡」の予測による強行作戦>>を実施されたら、そりゃ「何やってんだボケ」と思います。>ああ、何言ってるんだ。死者の総数で比較していたのはお前が先だろうが。>なにやり方なんか気にしてるんだ。お前は日記で、単純に死者の数を比べてただろうが。「数十~数百万人」<「10万人以下」<「8万人死亡」<「1万人以下」 上記も思い切り「単純に死者の数を比」べています。 数字を気にするから、それに付随する「やり方」を気にしているのです。 残りは長くなるので、また。よろしくご検討くださいまし。>鳩さん 申し訳ないですが、気になりすぎることがあって以降のレスが書けません。 えー、鳩さんは『オリエンタリズム』(エドワード・サイード)、もしくは『悲しき熱帯』(クロード・レヴィ=ストロース)、どちらでも構いませんが、読まれたことはありますか? 大変申し訳ないのですが確認をとらせてください。読まれたうえでああ書かれているのか、読まれていないでああ書かれているのかで、レスするうえで大きくスタンスが変わってくるのです。すいませんが、ひとつよろしくお願いします(「読め」と言っているわけではありませんが、もし未読のようであれば検索してレビューだけでも読まれていたほうがいいと思います)。>そのほかいらしてくださっている方々 本当に申し訳ありませんが、ほとんど読んでるヒマもなく。戻ってからじっくりと読みますです。あと「統一教会がどうとかこうとか」のメール、マジ勘弁。知らんっちゅーの。 というわけで、再び明後日くらいまで潜行。よろしくお願いします。ブクブクブク。オマケ>ブッシュ 演説がジョンソン大統領の時と似てきたゾイ。
2004/11/19
この日記は11月14日の日記にいただいたレスへの返答となっております。詳しい流れはそちらをご参照ください。>鳩さん さて、レスをお待たせしたわりにはまだ少し悩んでいる部分があります。いっそ「サイードもストロースも読まないで【未開】だ【文明】だ語るんじゃない」と書いてしまおうかとも思ったのですが、それも無責任のような気がするし、正直に書きますと、鳩さんが主にどのようなスタンスで米国の侵攻戦を支持しているのかわかっていない部分もあるからです。 まずですね、一応私が理解している部分から書きます。>テロリストといえども、兵站を無視して行動する事は出来ません。弾が無くなれば>買わなければいけないし、人員の補給だって必要です。 ファルージャにはザルカウィ一派の司令部があったようですね。CNNの画像で見た限りでは、三日もあれば再建できそうな「司令部」でした。こ、こんなところを抑えるために街をひとつ壊滅させたのかよ……と、正直絶句しました。 鳩さんはここ以下でも掃討戦の「効果」について説明してくださっていますが、それでどれくらいの「テロの減少」が見込める、と考えているのでしょうか? それは数字で表わせますか? それとも、そういうこと自体を考えてはいけないのでしょうか?「どれくらい減るのかなんてわからんよ」というのであれば、それはそれで結構です。「数的効果がわからないまま支持している」ということさえ納得しているのであれば、ね。>たとえテロで死ぬ人間が同じ数であったにせよ、>単発的なテロは、統治に与える影響は小さいのです。「同じ」ではありません。「死ぬ人数」が「25倍」になっているから問題にしているのです。 さらに一点。例えば現在、チェチェンでは民族独立運動が盛んに叫ばれておりますが、ロシア政府はこれを武力弾圧すべく動いています。「統治」の面から考えて、鳩さんはロシア政府がチェチェン独立派を皆殺しにしたほうがいい、とお考えですか? またチベットでは根強い独立運動が叫ばれております。これもシナ政府が人民軍の戦車でもって踏みにじることを、「統治」の面から考えて、よしとしますか? さて、上記へのご返答は別途いただくとして、懸案の「文明論」です。 まず>>現代の戦略も戦術も、もっと算盤勘定に長けているものだと認識しておりました。>>軍隊上層部というのは、曲がりなりにも各国のエリートがなるものだと思っていた>>ので(ああ権威主義さ)。それなのに、数量的計算ひとつ提示してくれないのはな>>ぜなんでしょうか。テロ対策の究極の「戦略目的」というのは「民間人死者を減ら>>すこと」ではないのですか? その可否判断はどうしてるの? という話しです。>私はそうは思いません。未開の十人よりは、文明化された五人の方が>将来的には、良いと思います。「国民」としての「意思」を有し、外部に表明出来る>能力を持った国家こそ、一人前の国家ですから。 私の読解力が乏しいのか、上記はサッパリ意味が掴めません。「テロ対策の戦略目的」は、「民間人死者を減らすこと」ではなく、「未開の十人より文明化された五人を残すこと」だという主張なのでしょうか?? まず「未開」という概念についてですが、これは前述に紹介したレヴィ・ストロースとサイードの仕事により、「西洋社会が暴力的に規定した一方的な幻想でしかない」ということに、少なくとも学術の分野ではなっています。それを否定できるほどのアイデアを鳩さんはお持ちなのでしょうか。 鳩さんは>統治というものに対しての無用の哲学的省察はむしろ害であるというローマ人>的な道徳律がありまして、統治はマキャベリズムに基づかなければ成し得ない>という基本方針は崩しようが無いからであります。という補足を入れてらっしゃいますが、私は「オリエンタリズム」や「文化相対主義」が哲学的考察であり、害であるという言説を聞いたことがありません(サルトルが「ブルジョワ・テクノクラートにすぎない」と批判した、というのなら読んだことがありますが)。 失礼ながら、鳩さんが信奉されている「ローマ人的な道徳律」、「マキャベリズム」なるものを説明してくださいませんか? 私の知る限り、マキャベリズムが説いているのは同文化内、同共同体内での君主論であり統治論であると理解していました。そしてそれは「方法論」であると同時に、正当性、正統性を兼ね備える必要があるとも。 それがなぜ、国連や米国が、まったく異なるイスラム文化圏であるイラクに持ち込み、敷衍し、「統治には犠牲が必要だから」という手前勝手な押し付けに正当性と正統性を持ちうるのか。私にはよくわかりません。 続いて後半部も謎です。なぜ「国民」、「国家」の概念がここに登場するのかサッパリわからない。一見するに福沢諭吉の近代論文明論あたりを参考にされているのかと思うのですが、ここでそんな「幻想」を持ち出して、何の意味があるのでしょうか?近代に想像し、創造された「国民国家」なる概念が、現在のイラクとアメリカと国連の関係性を語るのに、どのような手段となるのでしょうか? 大変お手数ですが、ぜひともご教授ください。 ああ、それから最後に。>文化的生活を志向する人間の本性を説明する事が出来ない。 自分たちも含めた「西洋文化」だけが「文化」だと思わないほうがいいですよ。 端的に言えば、最新の軍備でファルージャを破壊し、最新の爆撃機でモスクに空爆を加えている米軍は、紛れもなく「文化的生活」の破壊者です。米軍は自分たちの文化で、イラク人たちの文化を、取り返しのつかないほどに破壊しているのです。鳩さんの「文明論」では、この事象をどう説明するのでしょうか? とにかく「強いものが勝ちルール」?
2004/11/18
ちょっと想い出したので追記です。>もちろん取るべきオプションのなかで、被害者最小で最善の方法での「北朝鮮即>刻解放作戦」が実施されるなら、もろ手をあげて大賛成します 上記部分なんですが、正直なところ、「なぜ軍事進攻による北朝鮮即刻解放作戦」が展開されないかというと、ぶっちゃけ「命の値段の差」にある、と私は理解しています。自衛隊を行かせたくないな、と思うのは、残酷な話だけど北朝鮮人よりも自衛隊員の命のほうが「高い」と思っているから。米軍が侵攻しないのは、米国政府が、北朝鮮人よりも米国人の命のほうが「高い」と思っているから。 まあ「高い」を「大切だ」に置き換えてもいいんですが、そういう理由なんでしょう。 そして幾人かの国会議員が、北朝鮮内で飢餓により北朝鮮人がバタバタ死んでいても、拉致被害者奪還のカードとして「経済封鎖辞さず」と主張しているのは、「日本人拉致被害者の命は、飢餓で死ぬ北朝鮮人よりも大切だ」と認識しているからだ、と考えています。 そして私は、そういう理屈には首肯します。なぜなら私は日本人だから。日本人拉致被害者に対して、より多くの「痛み」を、北朝鮮人よりも共有できてしまうから。 そうして導き出される論理の上では、例えサマワでどれほど好評を受けていようとも、私は自衛隊は帰ってくるべきだと思う。それはとても残酷な話だけども、少なくとも私にとっては「イラク人」の命よりも、「自衛隊員」の命のほうが「高い」と思ってしまうから。 こうした「命の値段の差」による冷酷な感情を、いま命がけで掃討戦を展開する軍隊の主力であり、かつその作戦を支持する一般米国人たちは、完全ではないけれど乗り越えているわけで。その点は、偉いなあ、と素直に思っています。自国人である米兵が死ぬことも覚悟のうえで、一応は「イラク人のテロ被害者を減らすため」と頑張る。そういう政策を打ち出している大統領を支持している。女子供にも銃を向け、毎夜恐怖のうちに過ごし、罪が無いかもしれない青年を疑惑のうちに殺さざるを得ない。あるいは殺される、不具者になる、精神を患う。それが明日は我が息子に振り掛かるかもしれない。それでも支持する。それはどれほどかはわかりませんが、イラクの人々に対する「情」の部分があり、また「覚悟」でもあると思っています。それが将来、例えば「ベトナム」のように、歴史という名の元に断罪されるかもしれないのに。 こう考えてしまう私の感情を、世界の人々は「そんなのは当たり前の話しであり、そう思わないお前は平和ボケだ」と罵るかもしれない。それはまあ、そうです。認めざるを得ない。私は平和ボケです。将来もし、私の息子が「自衛隊に入り、他国人のための盾になりたい」と言えば、私は立派だと思い、とてもとても誇らしく思うけれども、止めてしまうから。私は私にとって、「最もより痛みが共有できる」家族たちの命が、なにより「高い」と思うから。 イラクに派遣されている自衛隊員の方々とそのご家族に、私は限りない敬意を持っています。それは平和ボケの私にはとてもできない立派なことだから。 探し物は、サイトが盛り上がってきたので手一杯。そして明日より仕事で手一杯。大変大変恐縮ですが、4~5日空白があるかもしれません。まったく面目ない。
2004/11/16
昨日と一昨日の日記に対するコメントを依然募集中。読んで欲しいな、という方々には周知しているので、おそらくレスが少ないのは「レスに値しない」と切り捨てられているか、「読む気がしない」ということなのか、「まだ読んでいない」ということなのだろう。ネットの周知期間としてはアップ以来26時間というのは長いのか短いのかよくわからないが、ともあれ、テーマ内で浮上するよう昨日の日記をアゲておいた。イチャモンがきたらヤだなあ。 あっ、すでにレスいただいた方には大変感謝しております。ありがたく読ませていただいております。ぜひこれからもよろしく。あんまり政治思想とか語りませんけども。それでよければ。<表題について> これまでいくつか、ある「テーマ」について日記を書いてきたわけだが、そこには当たり前の話しだが、それぞれのテーマに沿って書かれた最新の日記タイトルが並んでいたりする。 それらの日記は約2週間ほどそこに記され、そのうち沈む。それぞれ各人のサイトには残るのだろうが、そこに読者からコメントが付く事は非常に少ない。これは自身で日記を書き始めてよくわかるのだが、いくら思い入れの強い文章を書いても、それが多くの人に読まれるのはまあ「テーマ」に載っている2週間ほど。これでも長いほうで、たいていは数日前の日記が読まれることはほとんどないと言っても過言ではないだろう。 楽天に限らず、ブログを公開している人の99.9%は「多くの人に読んで欲しい」と思って日記を書いているはずだ。メモ代わり、愚痴こぼし、特定の人や政治団体に向けてのメッセージ、アフェリエイトに代表する金もうけ、完全なる自己完結などを目的にしたものも多々あろうが、それならブログの体裁をとる必要はあまりないし、まあ自然と読む人自体も減っていくだろう。 で。だ。実質読まれなくなった「日記」、「ことば」たちは、ただ「読んで欲しい」という思いとともに、この広大な電子の空間に静かに貯まっている。それはまるで静謐な、忘れ去られた都市の図書館のように、「ことば」とそれに乗せた「思い」が佇んでいる。 ただサイトの管理者たちだけがその所在を知り、ある日思い返して自分のサイトを遡ってクリックするまで、静かにその「思い」は留まり続けるわけだ。WWWの開始以来、どれほどの「ことば」、どれだけの「思い」が、風すらに晒されることなく佇んでいるのだろうか。 もしかしたらそのなかに、私の探し物があるかもしれないなあ、なんて思いつつボンヤリしてました。本日よりめでたく激務ウィーク突入。あー、ビール飲みてえ。
2004/11/15
好みのタイプはちょっと童顔、中身シッカリ、お喋りよりはおとなしめ、本が好き、アウトドアよりインドア系というショータです。どうもこんつわ。なんだか殺伐としそうな感じがしているので、なんとなく書いてみました。えへ。 よく見るサイトはうーさー教授のところ。制服はブレザーが好み。あとは女性が書いてる日記サイトもよく見に行きますな。彼氏さんとのやり取りなどを女性側の視点から読むのは新鮮です。そうそう、デートの時は政治思想とか近代主義の話しとか一切しません。当たり前だっちゅの。もし感想を求められたらサラッと。これだね。くーっ。 僕と夜明けのコーヒーを飲みながらポスト構造主義について語らないかい(死)。 さて。ここからは昨日の日記をまず読んでからどうぞ。「レスほしい、検証願いたい」と書いておいて、実際書いたら反論かよ、という苦言は耳が痛いです。どうもすみません。ただどれもよく読むとそれほど対立点はないように思えます。先日のログがそれほどトンチンカンなことを書いているわけではなかったことにちょっとホッとしています。いやまだわからんけども。 時間があれば「米国の経済的算盤勘定」なんてのも考えてみたかったのですが(かかった軍事費+復興援助費用+損失人員+イラクおよび周辺国民への国威低下+予想される増加テロ対策費:期待できる石油利権等々)、ま、予想どおりといったら予想どおりなのですが昨日の「民間人の死者数のみ」の段階でたくさんの方に見ていただき、レスもいただいているので、昨日のものだけで手一杯になりそうです。上記はどなたか時間のある方、面白いと思うので考えてみてください。利権を手にするであろう米国一国ですら収支決算が合わない気が。 あ、私は今回の件がひと通り片づいたらまたしばらく政治思想関連の話しは書きませんので。 それと、「イラク死者数は10万人」と書いている英論文があるようです。医学誌に発表された学術論文に反論するほどの用意はもちろん私にはないのですが(ああ権威主義さ)、軍・民は分けてほしかったなあ、と。ただこの数字をどう扱っていいかはまだ思案中。上記サイトには私が引用した「IRAQ BODY COUNT」サイトへの言及もあります。ま、ご一読してみてください。統計学を使ったらしいけども、数的信頼性の判断は各人で。しかし10万人かあ……。 というわけで、レスが長くなったのでこちらで書きます。>某S氏さん はじめまして。こんにちは。>>「もしも」を許すのであれば、米軍がここまで関与しなければイラクは内戦に突入していたかもしれない。>フセイン政権がどのようにして政権を運営していたか少しでも知っていれば>この様な意見は出てこないと思いますが。 お察しの通り、私はフセイン政権下の状況にあまり詳しくありません。ご面倒ではありましょうが、よろしければ詳しいサイトなり本をご紹介ください。時間はかかりますが勉強します。 で、おっしゃる意味が少しわかりづらいので確認したいのですが、私のログからの引用部分を勘案するに、「フセイン政権が続く限り、イラクでは内戦にはなりようがなかった」ということでしょうか? それが(たとえサイードの語るオリエンタリズムであったとしても)事実と資料と歴史に基づいたご推察であるならば、ある程度それを提示していただければ「内戦になったかもしれない」という部分は削除して考えてもらって構いません。ログの本旨はあまり変わりませんので。>敵であるイラン兵ならともかく、自国民であるクルド人に毒ガス使って大量虐殺できる様な独裁者ですから。 「自国民(でも異民族)を大量虐殺できるような独裁者がいたから、内戦に突入した可能性はない」というご指摘なのでしょうか??? 本文中にある「ハラブジャ事件」に関しては、このサイトによると「フセインがやった」と断定するには至っていないようですが、同サイトによると1984年(古いなあ)のMajnunでの虐殺はどうやらフセインの仕業ということで確定しているとのこと(私自身は確認していません)。それらの凄惨な事件の詳細はいずれイラク新政府の法廷で明らかになっていくでしょうが、極東軍事裁判のようになるのではないかな、と少し懸念しています。 さておき、(ここから某S氏さん宛てとは少しズレます)実は私、フセインがどれほどクルド人を辛辣に弾圧したか、という点にはあまり拘っていません。イラン-イラク戦争当時から数えると(些か長過ぎるスパンですが)数万単位での死者はでているだろうし、フセイン政権が続けばこの先も弾圧され続けていただろう、という予測も立てています。それがトルコ政府ほどに苛烈かどうかはさておいて。 しかし、それ(クルド人弾圧)が米英軍イラク侵攻の(法的、倫理的、国際政治的)免罪符になるとは思っていません。近代国家における対外国家主権のありようは、その国家が特定人種・民族(の個人主権)を弾圧したからという理由で、(法的には、「必要な手続きを踏まずに」)踏みにじられていいものではない、と理解しているからです(これは某S氏さんが「免罪符になる、と主張している」という意味ではありませんのでご注意を。あくまで私の私論です。おそらくこの部分は某S氏さんにも同意いただけると思っています)。 そのうえで、「開戦時(03年3月)の国際情勢をかんがみるにあたり、ひょっとしたら米英軍が進攻していなければ、民間人死者は1年半ばかりで1万6000人を超えることはなかったのではないか? よしんば超えたとしても、現在懸念されるような【国際テロ】が増加する危険性は【現在よりは】少なかったのではないか?」と考えているわけです。「そうではない」というのであれば、できれば反駁に足る、説得力のある数字や事実のデータが欲しいな、と。この点、先の日記のログでは意図が掴み辛かった、そんなことは書いていなかっただろ、という苦言は甘受いたします。>10号館さん ご無沙汰しておりました。お元気そうでなによりです。仕事が忙しくなっておざなりになっておりました。実はいまもいつ沈むか見当もつきません。その場合はどうかご寛恕を(別記/過日にありました「ブッシュ大嫌い」の日記、楽しく拝見しました)。 さて、失礼ではあると思いますが、このあとにあるHydrationさん(はじめまして)とレスをまとめさせていただきます(「レジスタンス」と「テロリスト」については、言葉の持っているイメージの違いですので個々人で意見がわかれていいと思います)。 ご両名様とも「米軍と米国政府のやり口には憤懣やる方ないが、しかし、このまま放置するわけにもいかない、(テロリストを)潰さないよりは潰したほうがまだマシだ」という、いわゆる消極賛成派のご主張だと受け取りました(誤読しているようであれば訂正しますのでご呈示ください)。 おっしゃるご意見はまことに首肯すべき点があります。つい先日まで私自身、ほとんど同じような主張を持っておりました。米政府首脳や米軍関係者には、いろいろな意味で例えばソマリアの情勢が頭を巡っていることでしょう(もちろん差異点もありますが)。 で。(10番館さん)>ただ今の状態のイラクからアメリカが手を引くのは無責任でしょうね(今回のファルージャ戦などやり方に問題はありますが)。>おっしゃる通りもっと悲惨なことになる「内戦」を招く恐れがありますし。(Hydrationさん )>じゃあここでアメリカ軍やそのほかの軍隊がいなくなったら、イラク人の民主国家ができるのではなく、>テロリストの思いどおりの国家ができてしまうのですよね・・・。 米国主導による、開戦を含む占領統治政策が「民間人死者という観点から見ると」失敗だった、ということがわかれば、まあ昨日のログの役目は果たしてはいるんですが、さて、今後ですよね。 うーん。おっしゃることはよくわかるのですが、私には「強姦しといて子供ができて、じゃあ育てるしかないよな、育てりゃいいんだろ」というような感じがしてならないんですよね。それで強姦の罪が消えるわけでもないし、面倒みるしかない、という選択肢しかないわけじゃなし。 現状をかんがみるに、現在もまだモスクへの攻撃を含めたファルージャ掃討戦は続いているわけです。って、今日中にもファルージャは完全制圧してしまいそうですが、続いて「モスル南・西部が武装勢力によって占拠された」、という報道もある。米軍はどうするのか。こちらにも包囲掃討戦を仕掛けるのか。キリはあるのか。どこまでやるのか。 来年の新政府選挙を平穏に進めるために、という題目はまあわかるのですが、じゃあファルージャ占拠でどれだけ安全性が向上するのか、という議論は驚くほど少ない。少なくとも説得力のある数値をあげた「掃討戦支持派」の文章というのは見たことがありません。何度でも書きますが、「先の事はわからないから、とりあえず(掃討戦を)やってみる」というのでは、民間人の犠牲者が多過ぎる。「仕方ない」ではすまないくらい多いのではないか、と。 とりあえず即時一斉停戦(撤退まではあえて言わないが)、というオプションはあってもいいと思うんですよね。テロは続くと思うけれども、じゃあそのテロによる被害者は、掃討戦を完遂した場合よりも増えるのか? 減るのか? と、まあ昨日の日記の最初に戻っていくわけです。 これは暴論かもしれませんが、9.11直前のアフガンやソマリアなどは、かなり「現状で米軍が手を引いたような無政府国家状態」に近しいような気がします。モデルケースとして考えてもいいような気が。確かにそれぞれの国内はメチャクチャで、一般市民たちは現在なお窮状に喘いでいる状況です。どちらも国内テロは頻発し、国際テロ組織の巣窟となっている。悲惨だ。救いたい。原因を作ったり途中で逃げ出した大国どもは何してくれてんだ。そう思います。 が、しかし、そもそも論として米軍は「イラク国民を救うため」にイラク侵攻&占領統治政策を実施したわけではないし、そんな状況の国家は世界中にありながら、でも国際テロ死者数は9.11があった2001年でさえ3000人弱なわけですよ。それが米軍主導の侵攻&占領統治をしたらいきなり1万6000人以上という数字がでてきた。そこで算盤を弾いてみようか、と。 もちろんね、大前提の話しとして、私自身はテロが憎い。すげえ大嫌いです。こうしてビール飲みながらネットできる環境を潰されるかもしれない。大事な人が巻き添えになるかもしれない。そんなことになる前にテロ組織なるものは叩き潰してほしい。しかしやり方が稚拙で失敗して、かえって多くの、私のような民間人が死んでいるのではないかな? という話しです。はい。 引き続き、米軍の掃討戦支持派の方々、反論、ご指摘をお待ちしております。いまでも私は自分のログに自信がありません。こんな莫迦な算数、小学生だって気付く。なのにけっこうな知識人でも掃討戦に賛成していたりする。ひょっとして本当に頭のいい連中は、どこかで、「テロは怖い、嫌だ、潰すしかない、という感情論、感覚論で都市部への大規模なテロ組織掃討戦が支持され、実施され、それで民間人が巻き添えで死ぬのも含めて、無関係な死者総数が増える。それも全部込みでテロリストの術中に盲導されてるんだよ莫迦たちが」 とかいって笑っているような気も、恐ろしいですがするのです。 探し物はバタバタしててそれどころではなく。っていうか眠い。(11/15)ちょい改定
2004/11/14
いや私のことなんだけどね。>タイトル 私はそれほど英語が堪能ではないので、以下の訳出に間違いがある可能性があります。ご堪能な方、それも特に(例え「仕方がないから」といった【消極派】であれ)「イラク戦争賛成」、あるいは「ファルージャ掃討戦賛成」の方々で、「お前そりゃ違うよ」という方、ぜひとも訂正カ所があればご指摘ください。 以前からずっと、イラク掃討戦は算盤勘定が合うはずがない、とは思っていた。倫理的道徳的観点だけでなく、経済的、政治的、国際情勢的観点から見ても「おかしいよなあ……」と思っていたわけだ。それは「日本にとって」という立ち位置からはもちろんのこと、「世界にとって」、あるいは「米国にとって」でも同じような気がしていた。 で、新聞記事なんかでイラク内での死者数などがでるたびに、累計してみた場合、「国際テロ防止のために」というお題目で・イラク掃討戦を実施した場合(つまり現在ね)・イラク掃討戦を実施しなかった場合(これは架空ね)と、どちらが「世界」にとって得なのか、というのが気になっていたわけですよ。 日共か赤十字あたりが試算しねーかなーとズッと思ってたわけだが、まさか『赤旗』を定期購入してちくいちチェックするわけにもいかず。国会答弁あたりで取り上げられて、それを朝日あたりが社説で書かないかしら、とか思っていた。 私の見た限りではそうした種類の報道はいまのところなされていない。いずれ掃討戦が完全に終了したあたりで、アムネスティやユネスコなどが算出するのだろうが、気の早い私は、「死者数」だけでちょっと考えてみた。「IRAQ BODY COUNT」というサイトによると、11月8日までのデータで、米軍のイラク作戦開始以来、【民間人】のイラクでの死者数は最小で1万4304人、最大で1万6439人だそうだ。 多くね? 上記は誤解を招く書き方のような気がするので注釈を入れておくと、最大1万6439人の民間人死者数というのは、米軍が殺した数【だけ】ではない。その多くは(おそらく過半数以上は)イラクに跋扈するテロ組織(ま、私はレジスタンスと呼んでもいいと思うよ)がテロによって殺した数も含まれている。 ただいくら私が蒙昧でも、米英軍がイラクに侵攻しなければこれほどの死者数が計上されたとは思えないし、フセインが健在だったとしても、これほどの数の死者が発生するとは思えない。大量破壊兵器は無かったわけだし。 最大1万6439人の死者をだすためには、9.11レベルの(3000人規模の)テロが短期間に2回も3回も起こり、ついでに(捏造疑惑もあるらしい)ハラブジャ事件がもう2~3回発生しなければならない。いくらなんでもその予測にはちと無理がある。 参考までに、米国国務省が作製したレポートによると、2003年の一年間で、国際テロによる死者数は625人とのこと。2002年で725人。9.11があって数値が跳ね上がった2001年でも3000人弱なんですな。 ただかなり気になるのがこの「国際テロ」なる定義。例えば外務省のテロ概要サイトを見てみると、アルジェリアだけで2003年中に約490人の死者が出ていたりする。これは「国内テロ」だからカウントされないのか? アルジェリアなんてモロにイスラム原理主義過激派テロの温床なんだが。 で。だ。 ここでは「世界にとって」というまあいくぶん人権屋っぽい括りで考えてみるので、あえて政情不安定なイスラム諸国の「国内テロ」は見過ごすわけだが(米軍がイラクに侵攻しようとしまいとそう総数は変わらないと判断)、米国国務省が算出した数値による年間の国際テロ死者数は625人。で、いま「テロによる被害をなくそう」という題目で掃討戦をやっているイラクでの死者数が最大1万6439人(しつこいが11月8日までのカウントで現在進行形)。 多過ぎねえ? 現在大規模な掃討戦が行なわれているファルージャには、欧米メディアのカメラは1台たりとも入っていない。米軍の大本営発表を信じるしかないわけだ。数万人の民間人が残っていると言われているが、その市民らのどれくらいの割合がテロリストなのかは私には想像もつかない。だからして当然、いま現在テロリストでない民間人がどれくらい死んでいるのかも想像つかん。何人だ? 何十人だ? 何百人なんだよヲイ。 で。で。 国際テロの年間死者数が625人だとすると、「テロと戦うために」として始めた今回のイラク戦争で死んだ民間人を上回るためには、ザッとこの先25年ぶんのテロ被害死者を防いだ、としなければ「世界の民間人」にとっては算盤勘定が合わないのだが。 この先25年間、例えイラク掃討戦が終了して治安が回復したとして、「国際テロ」の死者数が減ると思う? 私には「増えるだろう」としか予想できないんだが。 これ、私の計算が恣意的で間違えているのか? それとも引用元の数字がおかしいのか?「今回の対テロ掃討戦」が、「世界の民間人」のために、あるいは「対テロ全般に関して」有益だった、と言い切れる方、ぜひとも反論、ご指摘、イチャモン(は困る)お待ちしております。今回のログ、正直あんまり自信がないので、しかるべき納得できそうな解釈があればあっという間に訂正し、謝罪します。だってこんな誰が考えても莫迦な数字になるはずがないんだもの。 21世紀の戦争ってもうちょっと算盤勘定を考えたもんじゃないの? 探し物はいまのところ保留中。二代目サボテンの名前はニュートンだった。(いま思い出した)
2004/11/13
試しに変えてみました。 どうでしょう。 なんつーか、少し見にくくなったような気も……。う~む。評判悪いようならまた変えます。=====(以下引用)===== 死刑囚達の記録だけを集めた本を読んだことがあります。裁判で死刑の判決をうけ、絞首台の階段を登るまでの、ある者にとっては短い、またある者にとっては長い“待っている”時間の記録です。 その中で、一人の男は、ある日急に花をいけ始めたのです。といっても、単に粗末な花ビンに、一輪の花をさしておくだけのものですが。そして、その日からその男は見違える程元気になったのです。死刑の直前、その男はその訳を尋ねた看守にこう語りました。「夜ねる時に、明日おきたら花ビンの水をとりかえる仕事がある。だから明日生きていける、そう思った」 これが物語なのです。花の美しさに心が洗われたのでも何でもない。ただ、自分の存在の意味付けに成功したこと。ここに物語があるのです。=====(引用終了)=====『鴻上尚史のごあいさつ1981-2004』(角川書店刊・鴻上尚史著) 鴻上が近代的な意味での「物語」というエクリチュールを知らないわけがない。で、知っていて上記のように書いているわけだ。これは20年以上前に、鴻上が脚本・演出を担当した「第三舞台」の第2回公演、『宇宙で眠るための方法について』という芝居を上演するにあたり、観客に「ご挨拶」として配ったものである。 キリスト教原理でもイスラム教原理でもよいのだけれども(もちろんこれらも立派な「物語」)、ただ、「花に水をやる」という行為だけでも「物語」となりうり、それは「生きる」という行為に文字通り花を添える。「しょせん、物語」と考えるか、「嗚呼偉大なり物語」と考えるか。 なんてことを考える秋雨の午後。はあ。仕事しよ。 探し物はまだ見つかっていないが、学生のころはサボテンを育てていた。名前はアインシュタイン。何か?(追記)トップ自由欄変更(一行しかないけど)。明朝を試してみました。読み辛くはなったけど雰囲気でてるので、ま、いいか。しかしこのページ編集作業、やり出したら止まらんなあ。。。
2004/11/12
PLOのアラファト議長と『レイプオブナンキン』のアイリスチャンが亡くなった。どちらも政治思想や国際情勢に関心がなければ知らなくていい人だ。それよりも新潟で亡くなった片桐寅蔵さん(78)の死のほうが重要だとする向きもあり、それはそれで健全なんだろうなあ、と思う。同じ日本人だからね。私は柏崎に医療関係者の知り合いがいて、新潟中越地震についていろいろ聞き、心を痛めている。 イラクについてちょこっと。 9月14日の日記に書いたサイードの著作というのは、意外と読まれてないんだなあという印象。思想書であるから普通の人は読まないんだろうけども。読んでなくてもまったく構わないんだけども。読むといろんな意味で脳味噌がキリキリと締めつけられる感じがします。あまりお薦めしない。 それと、例えば戦時国際法やジュネーヴ条約、国連安保理決議などなど、まあいろいろあるのだけれども、多くの事例や法令を知っているからといって、その人の判断が正しいとは限らないわけで。もちろんより多くの情報をもって判断したほうが、より正確に近づけるということではあるのだけれどもね。 なんつーかまあ、「知らないクセに書くなよ」という感じの文句は嫌いなんだよね。思わず「お前だってそうたいしたもんでもないだろう」と書きたくなってしまう。前段の「サイードの著作云々」とは矛盾するかもしれないけれど。ま、調べた者の、苦労ゆえの「簡単にまとめてくれるなよ」って気持ちもわかるんだけども。「論争」がしたいのなら、自分にとっても有益な情報をもたらしてくれるような、有意義な【やり取り】ができる相手を選ぶべきです。(もちろん私は多くの方々にとって不適当であることは間違いないんだけどね) どうも最近の「論客」と呼ばれる方々は、そうじゃないような気がしてならない。知識や情報で圧倒し、折伏しようとしてるのではなかろうか。ま、私もそういう時期がかつてあったから大きなことは言えないが。 あ、いまの私? もちろん「この人、どんなこと考えてるのかなー?」とかいって、お年ごろの(なんじゃそりゃ)女性が彼氏とのやり取りや日々の生活を記している日記を読むのが大好きですよ。で、知りたいことや書いてほしいことがあればコメント付けます。めちゃめちゃ有意義ですがな。私にとって。(これをネットストーキングという。ぐわわ) 最近政治思想関連でボチボチと考えているのは、憲法改正は不要、イラクからの自衛隊即時撤退、日米地位協定改定、象徴天皇制護持、沖縄にカジノ特区設立、北朝鮮経済制裁実施あたり。 基本的に、戦後59年間、どのような状況であれ日本は平和に過ごしてきたわけで、そのおかげでいまこうしてビール飲みながらネットなどにふけることができるわけで。何に不満があるんだ? と。戦後民主主義バンザイ野郎になりつつあります。堕落してますな。ははは。 よくまあ「これでは日本が世界から莫迦にされる」とか「半人前国家だ」とか書かれているものを読むけれど、個人的経験から、「日本人だから」といって莫迦にされたことは一度たりともなく、また「半人前だ」と認識されているとはとても思えない。このまま、現状のまんまを未来に繋げていくこと。それで何が悪いのか。どこに不都合があるというのか。 とまれかくまれ。やっかいで複雑なことを、簡単に説明するのは大変難しい。 どうも私にはその能力が欠けているようだ。はあ、と嘆息しつつ、探し物を探す日記再開。もちろんまだ見つかっていないわけだ。
2004/11/11
「戦争反対」のテーマでネット上での知り合いがお二人、日記を書いていた。香田さんの斬首ビデオ関連で、イラク情勢に関してね。お一方のほうにはコメントまでつけてしまった。少し反省している。国際情勢に関すること、それも政治思想に関することというのは、えてして激しやすい。 これで荒れたらどう責任とれるというのか。 うむむ、しかしイラク関連。書いてみたくなるんだろうなあ。 気持ちはわかるんだけどね。正直、気乗りしない。論陣張ってもいいんだけども、う~~~む。。。 本音のところ、「国際復興支援という名前を借りて、強盗の片棒かついでイラクに乗り込んだんだろうが。今さらひとり殺されたからってグダグダ言うなよ。派遣を決めた時点でわかってたことじゃんかよ。民間人にだって犠牲者がでるだろうってことは、織り込み済みで国会通したんじゃないのかよ」という気持ちと、「なんでネットの日記でまでアメリカの考えに首肯してやんなきゃなんないんだ。あいつらは明確に自分たちの利益と利権のためにイラクで掃討戦をやってるわけで、それが失敗して反感かって混乱が助長してるんじゃないか」という気持ちと、まあいろいろあるわけで。 まあ論争になったらもう少し理路整然と書くけれども。なんというか。気乗りしないんだよね。だって現状どう考えても、イラクに自衛隊がいることに日本の国益が見出せるとは思えないし(算盤勘定が合うわけがない)、自衛隊には他にやるべき仕事、向けるべき関心事項が山ほどある。どうするよヲイ、新潟はもうすぐ雪だぞ。 で、そのことはこの俺にも、そしてイラクのことに関してうっかり日記を書いて熱い論争に巻き込まれつつある方々にも言えるのよ。向けるべき関心、やるべき仕事、楽しむべき娯楽、ほかにたくさんあるはずなんだよなあ……。はあ……。 論争、特にネット上の論争というのは、どちらか片方が「あんまり面白くない」と思ったら、即刻やめるべきです。娯楽以外のなにものでもないんだから。
2004/11/10
幾ヶ所に書いた通り、誠に残念ながらしばらくサイトを空けるハメになったので、予想されるご質問にあらかじめいくつか答えておきます。>数値を用いた厳密な予測、報告は、本来「進攻作戦支持派」が出すべきものだと考>えています。 上記に関して、「なぜか?」という点について。 近代軍隊は文民統制が基本理念であると考えております。私はイラク人でも米国人でもありませんが、国連加盟国の国民であり、かつこの作戦を支持する内閣を持つ国の国民でもあります。そうした国連が、日本国が、軍隊の作戦行動を支持し、かつ支援している場合、その軍隊の作戦行動と結果について、説明や論理的検証を求めたのであるならば、それが作戦上の機密条項に触れない限りは、説明する義務があると考えているからです。 それを「怠ってもいい」というのであれば、それなりの理屈を示していただきたい、と。 次です。>私はあまり変わらないか、もしくは増えるのではないか、と思っております。モスクへ>の公然の攻撃を含めた都市制圧戦で。 上記に関して、「なぜ増えると思うのか?」という点について。 私の感覚的・感情的判断での判断に拠ります。宗教の象徴的建造物への攻撃は、同宗教を信奉する方々にとって激しい痛みと屈辱を燃え上がらせるものであろうことが想像できます。私はそれほど熱心な神道の支持者ではありませんが、伊勢神宮や靖国神社、それに皇居が、「テロリストが中にいるという情報が有力だから」という理由で他国民を主体とした軍隊から戦闘機による空爆を受け、戦車により侵攻されたとしたら、かなりビリビリ来ます。お前なにしてくれるんだ、と。ましてや私が生まれ育った故郷、街並み、そして生家が同じような状況に陥ったら、ハッキリと声をあげるでしょう。ふざけるな、と。 そしてもしも、家族が「テロの疑い」という理由で拘束され、拷問を受け、あるいは殺されたとしたら。私は相手が米軍だろうが多国籍軍だろうが自衛隊だろうが、ゲリラとなって復讐のために戦います。 そうしたことが、イラクで、日常のように起こっているらしい。1万6000人(10万人と類推する学術論文もあり)×家族の身の上で起こっている。それが例えば、「テロとの戦いのために仕方がなかった」、あるいは「お前の家族はテロリストによって殺された。俺達駐留軍隊は悪くない」と説明されたとしても、私には納得できません。お前らは何をしに来たんだ。大量破壊兵器を探しに来たんじゃないのか。それはあったのか? なかったのか? 曲がりなりにも俺達の国の代表者は、「ない」と言い続けてきたではないか。俺の国はなんのために戦火に巻き込まれ、俺の家族は何のために殺されたのか? と問い、糾弾するでしょう。 そうした声は実際にイラク国内で巻き起こっていると想像します。そしてこれは前項にも関係してくるのですが、侵攻戦を開始し、掃討戦を含む占領統治政策を主導し続ける米軍からは、納得できる回答がおそらく出てこない。そもそも死者数すら数えないといっている。 JSF.さんは納得されますでしょうか? 納得する、という感情・感覚に、より多くの共感を覚えるのでしょうか? 自分の家族が、「死者」としてカウントされずに死んだとしても? 私は納得できません。例えそれが、武器庫が潰され、勢力間のネットワークが寸断されていた状況だとしても、なんとかして武器を手に入れようとします。RPGもAKもいらない、ただ爆発物を購入し(それはイラクでは比較的用意に手に入れられると想像します)、自分のクルマかもしくは盗んだクルマに載せて市内で爆破する、という手段に出るかもしれない。それは私には、無辜の民間人を巻き込むことはできないだろうけれど、親を殺され、嫁を殺され、子供を殺され、「天国に行けば溢れんばかりの水と、果物と、失った家族達に迎えられる」という教義を持つ宗教原理に結びついた人々ならば、可能ではないかと愚考しています。>5000人て共同と日本大使館。どうやって数えたんだ。JSF.さんはご存知ですか? >そして、そういう数値を使っての論評に意味があるとお考えですか?「数字を出せ、と言われたから出したのに、その言い草はなんだ」という点について。 ある組織なり、ある機関なりが調査し、公開された数字に対して、JSF.さんがおっしゃるように、「その定義がわからないから論評しようがない」という論理は一定の説得力があると思います。 確かに私は、米国務省が出した「国際テロ死者年間625人」という数字の定義がよくわからない。それに意味があるのか? とも実は思っています。さらに実を言うと、「その数字を減らすため」という米国の論理もよくわからない。数字自体がよくわからないのに、増やすも減らすもないだろ、と思う。だから知りたい。けど米国は教えてくれそうもない(国務省日本語サイトに、貴国が発表された資料にある、「国際テロ」の定義とは何か? 「国内テロ」との違いを明確にしつつご回答ください(大意)、とメールを出してみました。万が一返事が来たら公開します)。 そうなると、では何のために包囲掃討戦までやってるの? という話になりませんか。JSF.さんが米国務省が出した625人という数字の定義に疑いを差し挟むのは、まったく問題ないと思います。そのうえでそれに立脚する私のログに反論するのは非常に真っ当な方法だとも思う。 でもしかし、それは返す刀で米国務省の、ひいては米国政府の正当性というかお題目すらも斬ってはいませんか? 「テロによる累計民間人死者を減らす」というのは、米軍の、米国政府の(中長期であれ短期であれ)戦略目的にはないのでしょうか? そしてさらに、定義がよくわからないから、という理由で625人という数値を切り捨てるのならば、4000-5000人の外国人テロリストが侵入、というのも定義がよくわからない。どうやって数えたのか。どうやって判断したのか。ご存知でしたら教えてください。 以上です。ご面倒をおかけしますが、しばらく仕事に忙殺されております。何卒気を長く持たれるよう、よろしくお願いします。最長でも4~5日で戻ると思いますので。
2004/11/09
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