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安部譲二さんが、イジメについての新聞の取材に「タフになれ。」「死ぬな。」「人生の最終ラウンドまで立っていろ」「人生はいつでも、どんなときでも、『それから』なんだから」って語っていました。 今朝も、イジメ、教員の資質…、…。それにしても、もっと違う角度からの、分析は無いものか?日本のマスコミは、勧善懲悪しか能がないのか。単純に、校長先生や教員を悪者に演出して良いのだろうか?それで、何か、改善点が生まれるのだろうか? 考えてみよう、私たちが子どもの頃を。イジメは日常的にあったでしょう。イジメこそが、子どもの生活の土台ですらあったと思います。 寅さんは、小学低学年のときは、イジメられて、女の子に慰められていました。高学年になってから、それに反発して、徒競走で見返すことに、全力を傾けました。これが、すべてと言っていいくらいでした。 中学時代、バスケ部でしたが、いつも「チクショー」「チクショー」と言ってました。先輩からの、しごきや、罵声。名監督であった教師の言葉も結構キツイものでした。ボールもぶつけられました。 教師の資質?昔から、ろくでもない先生がいることは、子ども心にもわかって、みんなでバカにしていました。 昔の子どもは、純朴だったなんて、とんでもない話しです。もっともっと露骨なイジメはありました。こういうもんだって思ってました。 決して、イジメを許すわけでも、教師を許すわけでもありません。しかし、今後も人間が人間である限り、この世からイジメは無くなるはずがありません。無くならないのなら、イジメに直面することを前提に、教育は行われなければならないと思います。ヒドい大人に出会うことも含めて。 バイキンを無くそうとするのも大切ですが、清潔な環境ばかりになると、免疫力が衰えて、いざと言うときに、重病にかかってしまいます。 もしかして、近頃、問題が多発しているのは、イジメが多くなっているというよりも、免疫力が低下していることの表れかもしれません。子どもたちよ、そして、先生に皆さん、タフになりましょう。 それにしても、問題の学校のPTAや地域は何をしているんだ。こういう時こそ、学校を守るために、あなたたちは存在していたんじゃないんか?先生が当事者になり、矢面に立っているんだから、これをカバーするには、地域が間に入るべきでしょう。こういう時に、体を張って学校を、そして生徒を守ってこそ、地域は学校から、信頼を得られるのです。 絶好のチャンスをつぶしているとしか思えません!(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.31
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またまた、イジメ、隠蔽、責任逃れ。全く、ウザイ話しです。 社会は、教師としての資質を問題にします。もちろん、先生の「善意」は基本中の基本です。でも、この世の中、民主主義も含めて、システムとして成り立っているから善意が生きていると思いませんか? 今の三権分立のシステムがなくて、江戸時代のような独裁も可能な社会なら、殿様の、「善意」に頼って、「善政」をしてもらうしかないわけです。当時の殿様や役人が、今の知事や役人より、善意の人だったかもしれません。でも、やっぱり、今のシステムの方が良いわけです。 何を言いたいんでしょう。そうそう、先生が自己保身を図るために、隠蔽するのが有利になるシステムじゃなくて、自己保身を図るためには、地域にオープンになるシステムを作らなくてはならないということです。 オープンにしていった方が、退職金ももらえて、老後も安泰で、逆に、隠蔽したら、地域から追放。 このためには、地域の人々に採用されているシステムが必要ですよね。やっぱりコミュニティスクールだ。校長は、地域の人がアタマを下げてスカウトしてくるのだ。 保護者・生徒・地域が、「お客様」になってないのが、今の学校の最大の問題だと思います。今の先生にとっての「お客さん」であり、「上司」は、県であり、文科省です。 こりゃ、おかしくなるわさ。 地域が先生を採用すれば、問題教師が出ても、採用にあたっての目がなかった、ってことになる。どこの業界だって、採用してみなくちゃ、本性はわからないんだ。 あ、今度は気をつけよう。お引き取りください。または、別に地域に行ってください、ってもんです。 ケ、ケ、またまた、仕事がたまってるのに、脱線してこんなことを書いてしまった。 マジメに仕事をするぞ。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.30
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ヤフーニュースの丸写しになりますが、感激したもので。 北関東の私立高校に通う3年の男子生徒(18)が、毎日新聞に「時間割では『世界史』となっていたが、授業内容は『現代社会』だった」と「告発」を寄せたそうです。 、「先生は『金を稼ぐために何をやってもいいというのはおかしい。社会のルールではやってはいけないことだ』と話していたのに、受験のためには何をやってもいいというのと同じではないか」と批判しています。 受験を控えた同級生らは「問題が発覚したら補習を受けなければいけなくなるので発覚してほしくない」と話しているといい、高校生も「その気持ちも分かる」と微妙な心境をのぞかせる。それでも「教える立場の先生たちがそういうことをやっていて一体何を教えるんだと言いたい」と語った。 だそうです!! 皆さん、拍手したいと思いませんか?この高校生に。こういう学生をもった学校は、誇りに思うべきです。パチパチパチ。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.30
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科学実験 と 青少年健全育成のための大人の研修会。これって、結びつきます?普通は、くっつきませんよね。でも、この間、寅さんは引き受けたんです。 夜、公民館で、地区の健全育成の偉い人たちを前に、実験道具(野菜や果物、卵など)を、ズラーっと並べて、白衣を着て登場しました。 私には、もちろん、筋書きはしっかり見えていました。でも、科学寅さんを呼んでくれた当番の方、そして、この計画をOKした会長さん。偉いでしょう。なかなかのもんです!心より拍手をいたします。(勝手に、もう) 随時、参加された、寅さんより年配の方々と対話をしながらすすめましたが、感想として「自分のアタマの固さがよくわかった」と多くの方がおっしゃってくださいました。そして、自分が小学校から、「優等生」できてしまったのが、道を誤った元凶だと、嘆かれた方がいました。そのせいで、今、生活の中での楽しみの発見も少ないと。 でもね、そこで、寅さんは、すかさず、「良いお仲間を見つけることです。」良い仲間とは、意見を同じくする友だちではなくて、考え方が、アレ?っていう人のことです。そして、権威主義でなく、何でもフランクに話し合える人たちです。 そういうグループでは、必ず、自分では気づかなかったことで意見や予想の違いが生まれます。それでこそ、それを確かめたり、解決する動機が生まれてくるのです。 見方の違う友だちこそ、お宝ですと。 そして、面白いことを仕入れてきたら、あの人たちに話してやろう、と思えると、情報を受け取る意欲が断然違ってきます。とにかく、学問や科学は、社会的な存在なんです。 ってね。 でも、考えてみれば、学校なんて、そもそも、そういう「良い友だち」がいっぱいいるところ。だからこそ、面白い。「みんなちがって、みんないい」、を地でいくところ。 のはずなんだけど。今の受験体制は、勉強を個人のものにしてしまっています。本来、体験すべき学問には、民主的な環境が必要なこともなあんにも、体験せずに、「我のための学問」「他人に勝ための学問」だけ身につけて、巣立っていくんだなあ。 本当の動機は、「人のための学問」であり、「みんなで楽しむ科学」なのだ!! て、再確認した夜でした。風邪気味だったのを押して、講演をバリバリして気分良く帰ってきたら、偏頭痛の発作でした。好事魔多し。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.29
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被害を受けた受験生が可哀想?ぜ~んぜん大丈夫。だって、世界史で、日本史を勉強できるし、英語だって、数学だって勉強できるじゃないですか?科学史だって学べます。もちろん、現代国語から、古文まで。 いかようにも、アレンジできるじゃないですか。外部者の戯言のように聞こえるでしょうが、今まで、丸ごと誤魔化していたことを考えれば、関連づけて勉強できるだけで、御の字じゃないでしょうか?もし、世界史の資格?(こんなものがるとすれば)をもった先生が教えなければならないとすれば、その教師が監督をしながら、ゲストティーチャーとして、いろんな教科の先生が、入れ替わり立ち替わり、関連ポイントを話していけばいいのです。歴史や社会と結びつかない学問なんて、存在しませんから。 だから、受験勉強の差し支えがあるなんて、ほとんど無いはずです。と、ノー天気な寅さんは、ニタニタと考えてしまうのです。 だいたいにおいて、学習指導要領の範囲なんて、人間が学びたいことの、何分の一も無いのです。指導要領の何倍も広く、深く教えますという高校こそこれから求められていると思うんだけどなあ。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.29
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学校の人気を高めたいのなら、名声を高めるよりももっと安上がりで、持続効果の高いものがあります。学校への不満を無くすことです。人は、満足には鈍感で、不満には敏感です。 良いサービスを新たに創るよりもマイナスを無くす方が、効果は絶大です。 これ、商売の基本。このためには、生徒や保護者が、何に不満を持っているのか知らなければなりません。人は必ず不満をもっています。もし、不満がつかめていなければ、それは、学校側の怠慢なのです。良いことをプラスするのは、たいへんですが、マイナスを修正するのは、比較的簡単です。かえって、経費も節約になることが多いです。継続的にマイナスを無くす変化を続けているとその学校への信頼は、見違えるように高まります。そして、いつの間にか、新しい学校が創られているのです。 なあんて、学校を経営している気分で書いちゃいました。所詮、お偉い校長先生には、商売感覚って言っても無理でしょうね。本当の意味のアタマを低くする意味は、わからないでしょうから。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.28
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必修漏れは、生徒へのニーズに応え、学校の名声を高めるためと言われています。しかし、本当にそうでしょうか?大きな誤解があるように思います。 うちの息子の通っている古川高校でも「情報」の履修もれがありました。でも、うちの息子は、1年ですが、情報はやりたいと言っています。 また、宿題が多く、自分なりの勉強をする時間が無いと嘆いています。 うちの息子は、オヤジに似てか、マイペース。自分で、高校受験間際まで、商業簿記の勉強をしてました。経営コンサルタントになると、自分でカリキュラムを組んで勉強しています。こういう息子にとって、手取り足取りの受験指導は、邪魔ものです。 かく言う、寅さんも、学校には一切頼らずに受験勉強したと自信をもって言えます。逆に、頼る環境じゃなかったから、自分で勉強できたんだと本当に感謝しています。私は、昔の、の~んびりした環境をイメージして、息子に古川高校をすすめたのです。 高校は、合格実績を出して、人気を高めなければならない?本当にそうだろうか?顧客のニーズをとらえ損なっているのではないか?顧客である生徒や保護者のニーズを、矮小化して、バカにしているのではないか? 生徒は、本心から、良い人生を送りたいと思っています。もうとっくに、目先の受験だけが、人生の生死を分けるなんて信じていません。もし、本心から信じているのなら、可哀想ですが、惨めな人生しか、待っていないでしょう。 百歩譲って、受験に特化するとしてもですよ。やっぱり、修羅場に強いのは、人間力を鍛えた生徒です。人間力は、本当の学力・学問する力、好奇心・科学する力が培います。大きな人生観が培います。あえて、「麦踏み」をしてくれることこそ、受験サービスではないですか? そして、本当に「良い学校」は、口コミで人から人へ伝えられ、必ずその学校は、「繁盛」します。 もし、高校が、「商売」のために、脱法行為をしているのなら、「もっと真剣に商売しろ」と言いたいです。真剣に、顧客の隠れたニーズを探るべきです。表面的な要望に欺されてはなりません。どの子も、本心では、より良くなりたい。より素晴らしい人間になりたいと、心から思っているのです。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.28
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実は、ここ数日、偏頭痛の発作を起こしまして、寝込み状態でした。でも、専門医に診察・治療いただきまして、もう大丈夫です。地域振興課の皆様には、御迷惑をおかけしました。 本日午後、青少年健全育成の大会に義理と人情?で参加してきました。そこでの基調講演ですが、講師の先生が曰く、「眠らないでください。」「学生は20分、社会人は40分。役員の方は60分はもつでしょうから、60分は良い時間です。」 私は、唖然としてしまいました。講師は、聴衆を飽きさせないで、集中させるのが務めだと思うのです。 眠らないで聞きなさい、という言葉には、教育は、ガマンして聞くものだ、という意味が込められています。本当にそうでしょうか? 私は、商人あがりですので、どうしても、「あきない」を考えます。教育にも、「あきない」教育が必要なのではないでしょうか? もし、大半の受講生が眠気を催した場合、それは、受講生が悪いのか?講師が悪いのか? もちろん、双方でしょうが、一般業界でも同じわけです。でも、もし、お客が悪いということのみに注目していたら、そのお店なり、役者のレベルは、上がりっこないわけです。 眠たい生徒の目も開かせてやるぞ、という意識で講義を作っていただきたいと思います。これを、教育や子育ても専門の教授がやっちゃってるんですから、がっかりです。 本日の午前中は、清滝地区公民館で、ペットロケット教室をしてきました。ロケット作りに入る前の、実験シリーズはより充実したと自画自賛します。しかし、小学校2年生が中心のメンバーに短時間で作り上げさせるには、あらかじめ、羽根などのパーツを作ってあげておいた方が良かったと反省しています。また、道具の用意の確認も怠っていました。道具不足がネックとなっていました。反省しています。すべて、楽勝だと思うところに油断が生まれるんだなあ。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.28
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どうも、先生方に、社会の動きに対する無力感があるように思えます。現場が尊重されず、意見も聞かれないこと政治も、保護者も、常に教師を批判的に見ています。評価されない世界で、主張を発信することは、特に発信し続けることは、相当難しいことだと思います。 しかし、私は、逆説ですが、こういう現状だからこそ、教育現場からの光が、社会を動かす原動力になりうると思うのです。 今、社会は新しい生き方のモデルを探しまわっています。実は、誰もが自信をもって、こういう生き方をすれば間違いない、なんて、大それたことを言えない状況です。 でも、子どもには、身近に、目指すべきモデルが必要です。子どもは、必ず、影響を受けます。そして、子どもから影響を最も受けるのが、親であり、大人です。 ポイントは、子どもの口を通じて、メッセージを社会に伝えるのです。先生が直接、語ってはダメです。 子どもは、感激したこと、自慢したいこと、すなわち、本当に得られた知識や知恵は必ず親や大人に語ります。もし、語る習慣がついていなかったら、まず、子どもたちに「これをお父さん、お母さんに話したら、ビックリすると思うよ」とか、「このクイズを出したら、とっても盛り上がるよ」「これをお母さんに話したら、喜ばれるよ」というようなことを、ジャンジャン伝えるのです。テレビのお役立ち番組と同じように。 そういう習慣がついたところで、子どもに、あるべき人間の姿を感動的に伝えてやるのです。そうすれば、必ず、親まで届きます。 ペーパーで直接、親にメッセージを伝えるのも必要です。しかし、残念ながら、社会は教師の言葉に対して、斜めに構えて聞いています。 それよりも、一番確かなのは、生身の子どもが、語る言葉です。子どもが発する真理の言葉は、何倍にもなって、相乗効果を発します。 ペーパーに向けているエネルギーを子どもにもたせる「おみやげメッセージ」に変えてみませんか?教師こそが社会を変える一番大きなポジションにいることを再発見することでしょう。 勝手な意見すみません。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.24
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いよいよ中新田小学校での、科学実験教室シリーズが開幕です。今日は、ピカピカの1年生約100名。とっても元気良かったです。9グループに分けました。1年生に科学なんて、と思われるかもしれません。たしかに、論理的思考能力は期待できませんし、そこに焦点を当てるべきでもないでしょう。でも、「楽しさ」「夢中になる体験」だけは、OKだと思います。この体験が、潜在意識に残って、将来、なぜか、科学に心が動く子どもになってもらったらそれだけで大成功じゃないでしょうか? いつもの、ドライアイスですが、導入部分に、結構いろんな実験を入れました。PTA行事でもなく、1年生に、ドライアイスのフルコースを体験させるのは、始めての経験です。でも、10名ほどのお母さんがお手伝いに来てくださいました。とっても、とっても助かりました。本当にありがとうございました。 外でのロケットは、悪天候のため、中止でした。残念。でも、その残念感が、次回へのエネルギーになるんだ。 とにかく、十分イケルことが実証されました。明日は、5年生に、宇宙と分子・原子というマクロとミクロの世界への招待をします。 我が家のみんなが風邪をひいたのですが、私だけ生き残っていました。「家族の縁を切らなくちゃ」と言ってたのですが残念ながら、私もアタマが痛いよ。ムムム。明日は、高清水町でも、ある。大切な書類もいっぱい書かなくちゃ。やば、やば。醸室の事務員さんの平塚さんに、一発で、不調を見抜かれてしまった。やば、やば。元気が取り柄の寅さんです。運勢が、獅子座が一番悪かった。最悪でこのくらいか。こりゃラッキー 昨日、スライム教室を講師させていただいた、大宮児童センターで、職員さんがスライム時計を自主的に作って、にらめっこしてました。スライムをペットボトルに入れるのが大変だったのですが、彼女は、ペットボトルの中で、スライムを作るという発想の大転換を指摘してくれました。なるほど。天動説から地動説です。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.24
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学芸会は、人の心を動かす、すごいパワーをもっています。あの可愛い子どもたちに、真剣に何か訴えられたら、大人は、もうメロメロです。 昨日、一昨日は、学芸会のところが多かったでしょう。寅さんは、クラブ活動を指導している箟岳小学校という100名ほどの小さな、学校に行ってきました。 小さな体育館ですが、地域の人が、わが子の出番だけでなく、全員の成長を暖かく見守っている様子がよくわかりました。それにしても、1年生の可愛いこと。ロリコンになっちゃってもいいかな? てなくらい可愛い子どもたちに、訴えられたら、もう何もかもなく、OK、OKてなもんです。 先生や学校に提案なんですが、学芸会の戦略的な意味をもっと、追求した方がいいと思います。学校評価制度が導入されようとしています。外部からどう見えるか、というのも、必要悪?として、キッチリとらえるべきです。 学芸会は、外部への攻撃的、発信拠点です。 これをうまく使えば、学校への協力体制の機運をあっという間に盛り上げることも、絶対可能です。 出し物は、学年ごとに任せてあるのでしょうが、学校全体としての、戦略を考え、何を地域に訴えかけるのか、ということを吟味して、かかれば、そして、地域の方々をお招きして、校長先生が、外交努力をすれば、相当大きな、デモンストレーションになります。 とにかく、校長先生が言いたいことを、子どもたちの口や行動を通して、言わせるのです。 午後は、大崎市古川の秋祭り。大名行列もありました。寅さんは、展示ブースで、実験コーナー。まあまあ、PRできたと喜んでおります。JCや、地域振興課の方々、ごくろうさまでした。 本日は、学校がお休みなので、児童館が大忙し。寅さんも、大宮児童センターで、ドロリン魔法学校を開いてきました、 一昨日の岩出山での、ドライアイスで魔法学校の写真をご紹介します。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.23
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昨夜、古川第三小学校のPTAの方と、2分の1成人式の科学実験の進め方について、話し合いました。私は、「目に見えないものを想像をこらして見る楽しさ」をテーマに空気があることを実感する実験から始まって、原子という粒つぶから、世の中は、本当にできているのか、という問題を解く実験、そして、今度は、地球の大きさと宇宙船地球号の環境の問題、最後は、目に見えない、光や電磁波の美しい世界へという流れです。 いわば、子どもたちの「世界」を広げてやろうという企画です。 しかし、残念なことに、時間が実質30分しか無いことが判明しまいした。考えてみれば、当然と言えば、当然だったのですが、いつも、2時間くらいでやっている寅さんは、ついつい欲張ってしまいます。また、これまた当然ですが、材料費にかけられる予算がキビシイ。 でも、制限があればあるほど、物事は進歩していくというもの。30分から、長くて40分の中に、生涯印象に残る実験を、演出してあげるつもりです。 ところで、一昨日書いた、「人は同じように思いこみたくなる」に森の声さんが、トラックバックしてくださいました。私も、同感で、本当はそれを続けて書こうと思っていたところです。ぜひ、一読を。 今日も、一日、分刻みの勝負です。では、良い一日を。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.22
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岩出山小学校での科学教室から、帰ってきました。演目?は、私の十八番のドライアイスです。岩出山小は、今年で、実質3年目なんで、よく飽きないで、私を呼んでくれると感謝してます。1年目は、スコーレハウスで2年目は、公民館みたいなところで、今年、始めて学校の体育館でした。やっぱり学校はいいですね。広くて。 BGMを忘れるというミスを犯しましたが、まあ、いいや。2時間という時間があったので、じっくりフルコースでできました。実際は、2時間半になっちゃて、片付け終わって3時間、すみません。校庭で飛ばした、1段式ロケットが、口をドライアイスの欠片にふさがれて、グィーンとカーブしていってしまいました。しかし、2段式ロケットは、青空に向かって、真っすぐに飛んでいきました。セットに6気圧を超えたので、ちょっと心配だったのですが、ともかく事故もなく、めでたしめでたし。 色麻町の清水小のPTA役員さん方も、視察に来られました。ありがとうございます。岩小の役員の皆様、そして、校長先生はじめ、職員の皆様、お世話になりました。ありがとうございます。 反応も上々、写真をとってもらったので、後でアップしますね。これから、NPO支援センターでの懇談会に出席してきます。>(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.21
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人間は、一人一人みんな違います。それなのに、「人間てこうだ」「ああだ」って、法則で、この世を決めつけたいという欲望を、人間はもっています。 カエルだって、アリンコだって、一匹として同じものは無い。その違いには注意せずに、カエルはこうだ、アリとはこういうものだ、ということに、まず意識がいってしまう。 もしかして、いや、たぶん、いや、絶対、H2Oという水の分子だって、一つ一つ違うんだ。ところが、人間は、「水っていうのは」で、全部まとめて確定をしたい。 あえて言えば、水っていうのは、というモノは、実在をしません。存在しているのは、アタマの中だけ。数学の直線とか、平行とか、円とか、虚数と同じようなモノ。現実には、面積の無い線はなく、純粋なゼロもありません。 科学の法則もそういうものです。しかるに、一つ、二つの事件が起きると、「学校とは」「教委とは」「先生は」と様々な画一化がなされ、法則が発表されます。 寅さんは、ここにイジメが生まれる源を感じます。科学実験をしても、一つや二つの実験から、法則を説明するなんて、本来できないのです。全く科学的ではないのです。それを理科では、簡単にやっちゃいます。ご教訓を垂れてしまうのです。 そうとばかりも言えないよ、と反論できる風土こそを教育は大切にしなければ。 たとえば、地域との連携が大切だ、となれば、連携しないのが、後ろ指をさされる風潮。協力しない家庭が村八分にされる「○○運動」イジメを無くそうといいながら、別のイジメを生み出していく。 元を断たなきゃダメなんです。人間は、黙って放っておくと、怠惰な脳味噌が、すべて同じに認識してしまう。違いを許さなくなります。これに抵抗することこそ、教育の真骨頂だと思うのです。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。) 昔、伊達政宗が居城にした城跡に立っている岩出山小学校に下見に行ってきました。行ってよかった。どこから入るのかわからんかった。街のリズムが、一つ古川とは違う。ああいうリズムの中で、そだっている子どもたちなんだなあ。ところで、隣りの高校の生徒が、来る子も来る子もデレっと男女手をつないで歩いて来ます。ウワー、これを何と評価したらいいんだ。しかも、化粧の下手くそなこと、城下町の雰囲気と全くのミスマッチ!!!
2006.10.20
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お陰様で、子ども家庭課と話しも全体にうまくいきました。あとは、教育委員会に仁義を通す。それから、月曜日の児童センターに準備もOK.今、中学校の文化祭PTAの準備。で、いよいよこれから、明日の科学実験の準備です。よし、と。会場の岩出山小学校に行ってこようっと。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.20
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寅さんには、10才違いの叔母がいます。10才ですから、昔、一緒に歩くと、背の高い寅さんとは姉弟みたいでした。女子校の演劇部で、小学生の寅さんも、一緒に、部室に上がり込んでいました。その影響で、寅さんも男子校の演劇部に入ってしまったようなもんです。で、器用な上に、人にものをあげるのが大好き。実家の味の「しそ巻」を作っているうちに、自宅がお店になってしまいました。 とにかく、そのPR方法がハチャメチャで面白い。元気を無くしたとき、おばさんの顔を見ると、何でもできるような気がしてきます。仙台のニュースに出たので、記事を、記念に貼らせてもらいました。トップページの下の方です。全国宅配します。(信用ある人だけに。)私の名前を使って結構ですから、試しに、電話をかけて、注文してみてください。その面白さと、中味のダイミックさに、元気をもらうこと間違いなしです。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.20
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国際交流基金で、草の根レベルの国際交流に対して、旅費を補助する助成案内を出しています。当NPOでも、韓国出身の金さんが、精力的に交流活動をすすめています。日本人以上に、地域に貢献しています。ぜひ、彼女の夢を叶えてあげたいもんだ。検討しよう。これも、メモです。ここに書いておくと、実現していくパワーがありそうですから。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.20
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先日、仙台市児童・生徒理科作品展を見てきました。仙台市内の150ある小中学校からの出展ですから、すごいものがあります。総出品点、800ほど。いかにも、大人の入れ智恵だと思われるのもありますが、(それもOKだと、寅さんは思います)素朴で新鮮な「はてな」もいっぱいありました。これを見た子どもは、さらにいろんな刺激を受けるでしょう。 ぜひ、大崎地区のフェスティバルを開きたいものです。 想像しただけでも楽しいものがあります。忘れないように、ここにメモをしておきます。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.20
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世の中には、いろんな真実があります。また、自分にも、いろんな自分があります。どれも、本当の自分です。今日は、どの自分にしましょうか?毎日、新しい自分を着たいと思います。着るんじゃなくて、昨日の服を脱ぐのです。 誰でも、最高の宝石のような自分を抱えています。その自分を輝かせましょう。 昨日の自分は、もう、既に、先入観になってしまっています。今日は今日なのです。子どもも、昨日の子どもと違うのです。 「天動説」が「地動説」への意識変換は人々の「先入観」との戦いだと言っても過言ではありません。また,「偉い科学者がそう言ったから,教科書にそう書いてあるから、間違いがないはずだ」とかの考えも,社会の発展を著しく阻害してきました。「裸の王様」なのに、人々からひんしゅくを買いたがらないがために,「王様の服はすばらしい」と同調する「偉い学者」が実は、ほとんどの人々の実体です。 寅さんも、打倒、昨日の自分で今日ガンバルぞ。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)なぎなた読みって知ってます?句読点の場所によって、意味が変わる言葉です。たとえば、乳癌は、男性にも稀ながら見つかります。 → 乳癌は、男性に、もまれながら見つかります。みんな、燃えろ!本気になって。 → みんなもエロ本、気になって。あの丘まで、かけていくわよ。 → あのオカマ、出かけて行くわよ。(しろくま君のホームページより)
2006.10.20
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200万円ですよ。200万円。あるところから助成金でもらえそうです。ま、こんな金、目じゃない、という人もいるでしょうけど。寅さんには、目のくらむ額です。携帯メールを使った、子育て情報ネットに、来年度使えるのです。研究費にも使えます。実は、寅さんの作ったOK-NetおよびTERAKOYAでは、昨年からPTAと連携して、学校の連絡網づくりを研究してきたのですが、いろんな壁があって、あと一歩前に進みませんでした。今、個人情報の保護のために、学校では連絡網が作れないのです。ところが、今こそ、緊急な連絡システムが必要なときは無いわけです。あれば、とても役に立つのは、わかりきったことなのに、いざ、取り組むとなると、誰も最後のフタを開けようとはしません。 いろいろ、寅さんは、痛い勉強をさせてもらいました。またまた、トライするなんて、アホ・間抜けですが、思い切って、もう一度だけ、「実験」してみようと思います。寅さんが、どれほどのオルガナイザーであるか、もう一度だけ試してみようと思います。 決して、人に頼ろうとしてはいけない。これが、今まで学んだことです。 成功するか、失敗するか、ご覧あれ。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.19
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「日本帝国海軍はなぜ敗れたか」(吉田俊雄)には、こう書かれています。「江田島の海軍兵学校にはじまって、海軍生活そのものの閉鎖性がエリートたちの視野を狭め、世間との隔離によって洞察力、想像力、バランス感覚を失わせた。世間智をもたないことで、人間形成の幅と奥行きを不足させた。」(P15) 一言でいうと、みな官僚的軍人になっちゃんだ。敵国、米軍の評価も高かった、初級指揮官は、素晴らしかったのです。しかし、その上の人たち、上級指揮官の素養や特別教育が全く不適切だったのです。今、教育している学生が、十年後、二十年後、重要なポストに登り、大切な舵取りをするときに、パワーを発揮する教育が欠けていたのです。それには、すぐ役立つ知識、技能では、日進月歩の時代に遅れてしまいます。長期的に役立つ教育とは、基礎的、原理的、戦略的、歴史的なものです。そうでなければ、すぐに役に立たないものになってしまいます。 時代の変化は、当時よりも現代の方が、その何倍も早い。ならば、なおさら、目先の技能よりも、原理的な思考能力に力を注ぎ込むべきだろう。それこそが、日本を守る要です。核武装よりも。 読書感想文でした。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)中新田公民館と児童館にPRに行ったのですが、玄関に入ろうとして、ファイルを落としてきたことに気づく。仕方がない。資料無しで、やっちゃいました。
2006.10.19
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「経験値」という考えというか、切り口があります。遊びや人間関係に時間を割けず「経験値」が乏しくなるとどうなるか。受験校で突然伸びが止まる優等生の話、聞きませんか?幼少期から家庭教師をつけて好成績を維持してきた同級生が、勉強せずに遊び惚けてきた連中に、高3や浪人で、彼らが勉強し始めるとドンドン追い抜かれ、たとえ東大に入っても卒業後の社会的成功の度合が低いということを。 寅さんも、高校3年の夏休み前まで、ほとんど勉強しませんでした。(自信をもって)でも、慶応に一発で受かってしまった。(自慢になるかどうかは、全くの疑問です。) 本当に、マジメに勉強してきた級友に「悪い」と思いましたね。(心底) 経験値が低いと、成績の良し悪しに関係なく「自分はダメ」という意識を持ちがちです。それがオタク増加に関係するという説があります。オタク研究の第一人者森川嘉一郎氏によればオタクとは「自分はダメ」という自意識ゆえにダメな人間にしか分からないものを享受できる存在だそうです。 文部省が90年代に導入した"ゆとり教育"は、私は経験値を上げる教育だと思って賛成しました。しかし、実際には知識教育を減らしただけで、経験値を上げるという肝心の目標が理解されませんでした。 学力を上げるだけなら、カリスマ講師に衛星通信講座なり、いや、NHK講座でもいいじゃないですか。最近の英語番組なんか、スゴイと思います。NHKもやればできる! 予備校と同じにすれば、確実に学力はつく。 じゃ、生身の先生は何のため?規律を教えるため? ってか!(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)仙台の本格的インドカレーに行ったとき、友人についつられて、「HOTにして」と言ってしまった!その時のウエーターの表情は残念ながら見ていない。一口食べて、インド人にHOTなんて言うんじゃなかったと後悔。 しかし自分も日本男児、負けてなるかと全部平らげた。日本の寿司屋さんが外人に、「さび効かして」といわれたらどうするだろうか。自分なら「コンニヤロー」とばかりに、思いっきりべっとりと入れて、涙をこぼしながら辛いと言えずにそのまま飲み込む姿を見て、溜飲を下げるだろう。「民族の誇り」?に挑戦するのも、良い経験である。
2006.10.19
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仙台の国際ホテルが、行き詰まっちゃいました。うちの妹が、式を挙げたところです。今、昔ながら?の豪華な式を挙げることが、どんどん少なくなってきています。 昔、なんでこんなアホな式ばかり流行るんだろう、ってバカにしていましたが、国民は、アホではありませんでした。しっかり、自分なりの自分らしい式を求めて動いています。 国民の賢さを侮ってはいけないとつくづく思います。学校では、あまり勉強していないかもしてませんが、社会に出てから、国民は猛烈に勉強してます。はみ出した問題の学生たちが、社会で自主的に学んでいることってすごいものがあります。 逆に、もし、今の体質の学校で、子どもたちが、規範を守って、みんな優等生になったら、その時こそ、日本は崩壊だと思いませんか? 寅さんの科学実験教室を申し込んできてくれる方々は、何も、単位をもらえるわけでもなく、儲かるわけでもありません。でも、なのです。スゴイと思いませんか?(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.19
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学力と規範意識の向上だって?解決が教員の資質向上?規範を教える?学校を評価する?こんなんで、解決できると思います?アホじゃないでしょうか? 教育学者や、お役人は、今まで何を研究してきたんでしょう。社会の構造変化との関係は、どう捉えているのでしょう。 これじゃ、老け顔を化粧でごまかすだけじゃないですか?問題を押し込めて、さらに悪化しますよ。 どこまで、国民をバカにしてるんだろう。無知蒙昧な国民や子どもを「指導」しなければ国民は、行き詰まると思ってるんだ。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)これから2週間、寅さんは、前歯が一本無い顔で、ニタニタ笑っています。おかしい?みんな慣れる、慣れるって。
2006.10.19
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打ち合わせで、小学校と中学校の職員室に行きました。あらためて、職員室の空気を吸うと、先生方の心臓の音が聞こえてきます。活き活きとして、全力を注ぎ込んで、立ち向かっている姿が感じられます。 考えてみれば、うちの女房みたいな、普通の勤め人に、こんな激務ができるわけがない、と思います。どうひいき目に見ても、普通の仕事より、エネルギーレベルが高いです。 こういう仕事をしてくれる人たちが、これだけいるということは、日本の本当に宝だと思います。教育改革は、「このお宝をどう活かすのか」という視点ですすめていかなくてはとんでもないことになると、心配です。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)そう言えば、学校には「ゴミ投げ当番」があります。東北人には、何の違和感もありません。
2006.10.18
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教師は役者である。これが寅さんの考えです。どんなに辛いことがあっても、子どもや保護者の前では、一定水準以上の笑顔と姿勢で通さなければならない、と思います。 いやいや、違う。「教師の素の人間性に触れあわせることが、教育だ、」という考えもあるでしょう。 でも、私は、俳優は役作りをしますが、演技の中に、その俳優の真実は、十分に表れるのものだと思います。と言うよりも、真実や素をさらけ出せない俳優は、名優では決してないと思うのです。 もちろん、醜い真実を表すことは、特に教育においては、御法度です。そうじゃなくて、誰でも、最高の側面をもっているのですから、そこに集中して、その真実の姿を俳優として、表現しきればいいのだと思います。 デズニーランドでは、ゴミ拾いのお兄さんも、「キャスト」と呼ばれます。掃除ひとつが、演技なのです。これがサービス業の原点だと思います。 演技の中に真実を表すことは、可能だと思います。 私は、実験授業が始まる前に、私の中の最高のキャラクターの一つである「フーテンの科学寅さん」に乗り移ってもらいます。で、授業中、寅さんに話してもらうのです。 歯を抜いてきました。痛みに堪えて、健気に書いている寅さんに激励の一票を。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)一昔前、電子辞書のCMで60代の男性が手紙を書きながら、「これなら分からない字があっても、すぐひけるんですよ!」と『金輪際』をひいていました。いったいどんな手紙を書いていたのか、いまだに気になります。
2006.10.18
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学校の先生は、頑張っているのだけれど、年々、パワーアップはしているのだけれど、社会が求めているスピードに全然ついていっていないのです。 経営分析は、よく分数で表されます。生徒募集や売上高は、前年比で表されますが、少子高齢化が進む中、前年比は意味をなさなくなってきています。量的拡大を前提とした分母ではなく、目標とする質を分母に置かなくてはなりません。 同じように、学校の常識を分母に置いていると、よく頑張っているな。年々良くなっているな、という感想になります。しかし、社会の要請している量と質を分母におくと、年々、学校は期待から遠ざかっているということになります。そのうち、破局がやってきます。 このギャップを埋めるのは、組織変革、ガラガラポンしかないと思います。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)ワープロで教頭先生と打とうとしたら、共闘先生と出ました。ウン、いい言葉だ。
2006.10.18
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最近のイジメ問題の報道を見て、どう思われますか?私は、なぜか、以前、身を置いていた酒販業界をフラッシュバックしてました。中小の酒屋のオヤジが、自分たちの努力不足を棚に上げ、免許制の自由化に反対していた姿を。もっともらしい理由はいくらでもつきます。しかし、現実は、対面販売じゃないと未成年者が手をだしてしまうから。中小の店の生活権の問題。日本の伝統文化の問題。すべて、茶番でしたね。大型店でお酒も買えて、圧倒的に便利になりました。安くて品揃えもいいし、明るいスーパーのレジを通ってお酒を買うのに、未成年者は、恥ずかしくて、買い物かごにお酒は入れられません。対面販売というなら、薬屋さんでもお酒を売り出しています。だいたい、自動販売機でお酒を売っていたのは、一般小売店です。この酒販組合を中心とした業界が崩壊したのは、タイタニックの沈没くらいのスピードでした。 学校も組織疲労が、はっきりと表れています。もう、小手先で直せる次元じゃないと思います。社会が許さないでしょう。個々の先生がどうのこのという問題じゃなく、巨大なタイタニックが沈没しようとしています。その沈没するとき発生する渦巻きに、否応なく、すべての先生が巻き込まれます。これから、先生方は、自分の救命胴衣をしっかり準備して、荒海に放り出されても生きていける用意をしなければならないとものすごく直感します。努力の方向を学校を飛び抜けたレベルに置いておかないとこれからは、いけないでしょう。学校の論理に捕らわれては、後手後手になります。これからは、進むも地獄、動かぬも、地獄です。どうせ、地獄なら、進んで行った方が、収穫があり、未来が開けます。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)今日の運勢は、恋愛運が最高だとウキウキしてたら、メールに、「お誘い I LOVE YOU」がいっぱい来てた。
2006.10.17
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中学校PTAで主催する、子育て講演会のチラシを作ってたんですが、参加者を集めるために、印象的なコピーを一生懸命考えてました。で、この先生の話を聞けば、一発解決、みたいなチラシがほぼ出来上がっていました。 ところが、そこで、ブログ「森へ行こう」の篠さんの日記を読んでしまったのです。ガーン。ガラっと変えました。 どう変えたかって?森へいこうへジャン プ 篠さんの日記の最近一週間分の記事を読むと、盲点というか当たり前のことを思い起こさせてくれます。 で、どう直したかって?「お母さんのストレスを解消しましょう。」です。あっりがとうございます。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)TERAKOYAホールの「消火器」の文字は、子どもたちに、「火」の字がちょっと消されて、「消人器」になっています。
2006.10.17
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産業労働者は、自分の「労働」を商品化しています。と同じように、販売員も含めて、サービス員は、「感情」を商品化しているとも言えます。職場で、人と向き合ったとき、常に一定の理想とすべき「表情と身体による表現を作り出すために感情を管理する」必要に迫られるのです。買い手の支払う購入代金には、販売員の付加価値が含まれており、それが販売員の賃金になるのです。購入代金の一部には、相応のサービスとして、「しかるべき表情と身体による表現」も、当然のこととして含まれているのです。この論理からは、顧客のわがままな態度や、横柄な要求への反発も上司への反発も、顧客の前では、表現する権利をサービス員はもっていないのです。 これは、教師には、当てはまるのか?当てはまらないのか?あなたは、どう思いますか????(共感いただけました方は、クリックをお願いします。) ここで、自己レスです。こちらの日記にヒントがあることに気づきました。森へいこうへジャン プ明日、歯医者に行って、歯を抜く運命にある寅さんです。来客が、何の脈絡もなく、「総入れ歯」と言ったので、「総入れ歯?」って聞き返したら、「そう言えば」の間違いでした。
2006.10.17
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毎週、火曜日の朝、中学校の校門で、あいさつ運動をしています。健全育成委員会の委員長の寅さんは、(何が、健全だ!、自分が不健全なくせして!といつも思うのですが)率先して、立っています。今日は、日本晴れ。とっても気持ちがいい。子どもたちのあいさつも、いつもより元気がいい。隣りの小学校の児童もいっぱい通るので、児童の元気に逆に励ましを受けています。 でも、ふと、考えると、校門に、オヤジが地獄の門番みたいに、待ちかまえているって、異様です。 腕章をして、旗をもっているから、また、顔なじみだから、許されるのですが、 普通のおっさんに、街で「おはよう」って声を掛けられたら、今は、まず逃げますよね。そう、逃げるべきです。 今、善意で「おせっかい」をするには、しっかりとした身分証明か、予想以上の素敵なことしか、許されなくなっているのかな? PTAの広報部が、ニュースが発行できなく、ごたついています。一声かけてあげようかなあ?どうしようかなあ?(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.17
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Natureの論文に、植物は、「メタンをまき散らして地球温暖化に加担している」が発表されました。 一部引用すると、 大気中の温室効果ガスのかなりの部分は植物が原因だとわかった。植物が放出するメタンは、年間発生量全体の実に10~30%に相当するらしい。 この発見は意外なものだ。それは、植物がメタンを生成するのは酸素がない条件下のみであると考えられてきたからである。今回F Kepplerたちは、酸素の存在する普通の条件下でも、さまざまな植物がメタンを放出していることを見いだした。また、メタンは枯死した植物体からも出ているという。(中略) 今回の発見は、熱帯雨林上空に見られる大規模なメタン上昇流を説明できるかもしれない。Kepplerたちはまた、地球上の急速な森林破壊が大気中のメタン蓄積速度低下と関連しているのではないかとも考えている。「新たな森林は、CO2の吸収源として地球温暖化を抑止するのではなく、メタン放出によってかえって温暖化を促進するのではないかという不安を我々は抱えることとなった」とLoweは述べている。 何と、これじゃ、「地球温暖化防止のためには、森林を伐採すべきだ」という論理も成り立ちます。京都議定書もズタズタです。これから、いろんな議論や追試が行われるでしょう。面白くなってきました。科学は、いろんな見方がありうるという見本ですね。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.16
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寅さんは、金に困っています。ですから、もうかることなら、何でも手を出してしまいたい誘惑にフラフラ。実際、このNPO活動に参加したのも、お金の臭いがしたから。これも一面の真実。 でも、反面、お金が入ってくるというのは、それだけ、使ってもらっているということ。役だっているということ。お役に立ちたい。喜んでもらえる存在になりたい。これも、一面の真実。 寅さんは、何にでも興味をもち、すぐに夢中になります。ですから、いつも脱線につぐ脱線。でも、この世で、寅さんが役にたちそうなのは、やっぱり、科学教室が一番のようだ。 これに、賭けたいと思います。いろんな話が来ます。しかし、本筋からはずれたものは、ことごとく失敗してくれます。ですから、寅さんは、科学教室ができるのです。他で成功してたら、きっとやってないかも。 私のお師匠さんが、子どもを食い物にするアコギな商売はやめて、大企業から分捕る商売をしようと誘ってくれました。 しかし、金を払ってくれるのは、勲章みたいなもんです。自由主義の世の中、強制的に脅しで巻き上げているわけでもなく、「喜んで」出してもらっているわけで。 これって、正常な考えなんだろうか?学校にも、自由主義の波が押し寄せてきてますよね。そのうち学校の先生も、塾講師みたく、スカウトやトレード、年俸制が導入されるのも、バカげた話ではなくなってきているじゃないですか。教育とビジネスって、一体何なんだろう? おおっと、そう言っている間に、今、第三小学校から、またまた依頼が来ちゃいました。ありがたいことです。 全国に通用する実験教室にしたい。そして、行政や国のお金で、バンバン科学の楽しさを伝えたい。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.16
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興味・関心を惹かせるのが、教師の仕事だとすると、どうやって、好奇心をもたせるか、ということになるでしょう。これがわかりゃ、苦労しないですよね。 でも、ある意味、単純だと思うんですよ。ズレを作るんです。それもちょっとだけ。あれ?っていうもの。あんまりズレ過ぎていると、フィルターにひっかからなくなるから、微妙に、ちょっとだけ。 常に、子どもの予想や期待を、微妙に裏切るのです。 その意味で、いかにも「先生」らしい「先生」でいては、いけないと思います。服装にしても、「いかにも」、っていう人がいるでしょう。面白くも、何ともないですよ。 常に変化です。先生自身も、常に成長変化していることを、子どもに見せなくちゃ。 そう言えば、人間も、物理の慣性の法則がバッチリ効いていますね。一端やり出したことは、続けてしまうのです。変えようとすると、抵抗があります。抵抗勢力からだけでなく、本当の敵は、自分自身から。慣性の法則に打ち勝って、変化を与えるには、エネルギーが必要です。 やっぱり、元気・元気ですね。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.16
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ワープロでTERAKOYAメンバーの名前入力の時に「高泉(カタイズミ)」と入力したつもりだったのですが、画面を見てみると『他界済み』と変換されていました。 また、私のパソコンは、「父さん」と打つと、「倒産」と出てしまいます。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.16
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なぜ、先生には、世の中の変化が見えないんだろう?これは、一般人の素朴な疑問だと思います。マーケティングの基礎は、人間は、自分の都合の悪いことは、見てても見えないという前提でスタートします。人はもともと盲目なのです。これをガッチリと認識しておかないと、氷山にぶつかります。 ベテランの先生ほど、心の病にかかっている方が多いというのも、実は、このせいだと思います。原因は過去の成功体験なのです。成功体験には、もちろん、いい面もあります。困難を乗り越える自信を生み出します。 しかし、一方、成功体験は、「非常に心地よいハッピーなもの」だけに、脳ミソに、ハッピーな結果とそれをもたらした方法が、セットで刷り込まれてしまうのです。 そして、脳ミソは、麻薬患者と同じで、一度うまくいった同じやり方で、次もやろうとするのです。そうすれば、子どもも親も喜ぶと思ってしまうのです。私は、教育のプロだと思うプライドが、「子どものために」という善意で、同じことを繰り返してしまうのです。 一般に、変化に対応出来ない人は、変化を見ないわけでも、見ることができないわけでもないのです。見ようとしても、見えないのです。過去の成功体験というフィルターがかかっているのです。フィルターを通して世間を見ると、変化が消えているのです。ですから、本人は一生懸命のつもりでも、ズレが生まれてくるのです。 特に、自分の身近なことほど、客観的な判断はできなくなります。自分だけの言い訳がいっぱい出てくるからです。たとえば、自分の授業の善し悪しは、絶対に自分ではわかりません。長年の経験で、自分はわかる、という人こそ、ドツボにはまっています。 自分ではわからないんだ、という前提に立って、検証する仕組みを作っている人と、自分はプロだ。子どもの反応なんて、直感でわかる、と思っている人には、雲泥の差が現れます。 これは、マーケティングの理論、厳しい現実の生存競争から生み出された理論の基本中の基本です。 過去、大型店が出店しだした時、中小の小売店は、大型店の資金力のせいで、お客を奪われたと思いこんでいました。自分の努力不足を認めないで。しかし、店の大小が問題ではないことは、コンビニの成功が雄弁に物語っています。NHKのプロジェクトXでも出ましたが、セブンイレブン・ジャパンの船出は、全くのド素人集団の発想だったのです。 日々、売上が減っていっている状況にもかかわらず、大多数のパパママストアは、商売のプロというプライドの下、お客の変化に、真正面から向き合いませんでした。同じ枠組みから、抜け出せませんでした。 先生には、「売上」も、棒グラフで叱咤激励されるノルマもありません。言い訳は、いくらでもつきます。生徒や親の変化を嘆くことが許されるのです。 人間は、もともと原因を他に転嫁するものなのです。自分は玄人だという人ほど、「お客のために」と言って、自分の都合を押しつけるのです。 今こそ、過去の経験や常識に染まっていない純粋さが必要なのです。素人の強さが必要です。新しいことを始めるときには、「勉強」してはいけません。「勉強」は、過去の経験の積み重ねをなぞる作業がほとんどです。ですから、勉強すればするほど、制約条件が出てきて身動きができなくなります。 新しいことをするときは、勉強をするんじゃなくて、「仮説」を立てることです。そして、仮説は勉強からは出て来ないのです。仮説とは、まだわかっていないことに、こうではないか、と仮定することだから。 アンケートや市場調査も、あてになりません。人は、今ないものについては、答えられません。人は、自分の本心を自分でもわかりません。目の前の環境にばかり目を向けても、その外の様子はつかめません。 こういう環境の激変のときは、みんなが反対することは、たいてい成功し、みんながいいということは、たいてい失敗するものです。 今は、どんなに良いことでも、続けていると、すぐに飽きられ、質の低下と見られます。現状維持するためには、絶えず進化していかなくてはいけません。常に一歩先をリードして、はじめて変化無しと見られ、信頼が築かれ、学校や先生へのロイヤリティが高まるのです。ロイヤリティこそ、すべてを順調に回転させる、組織のゴールです。 思いついた時、書かないと、二度と書けなくなるので、本日、何回目かな、投稿しちゃいました。全く、自分勝手な都合です。では、では。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.15
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文科省やPTA、教育委員会を、学校や先生方は意識していると思います。しかし、本当に意識してライバルとしなければならないのは、実は、セブンイレブンやディズニーだと、寅さんは思います。 日本の先生は、世界一だと寅さんは、心底思っています。しかし所詮、教育は、社会の海に浮かんでいる船だとすれば、日本という社会の海は、世界一難しい波なのです。 良い悪いではなく、国民は、セブンイレブンのサービスやディズニーのサービスを経験してしまっています。あれが、サービスというものの、スタンダードになってしまっているのです。 この意識は、深層心理にへばりついてしまっています。 そして、日本の消費者は、超むずかしい!!多様化していると言われていますが、常にたくさんの価値観が同居しているのではなく、実は、超画一社会で、右と言えば、みんな右でありながら、超短期に、需要というか方向がコロコロ変わる世界一難しい消費動向の国なのです。 日本の消費者の最大の特徴は、「わがまま」で「矛盾」しているところにあります。とにかく、理屈通りにはいかないのです。 スーパーでは、新鮮さにこだわる一方で、カット野菜も買うのです。 ファッションのブランド品は、いかに安く買ったかを自慢するのに、低価格の衣料量販店の洋服は、いかに品質が良くても、量販店で買ったのがわかるのを嫌がります。 とにかく、一筋縄ではいかないのです。 社会は、学校に対してもっともらしいことを言ってきますが、実は、矛盾だらけ、わがまま放題なのです。 これを否定すべきことだと見るか、乗りこなすべき波だと捉えるか、すべての分かれ道だと思います。 ここで、ポイントとなるのは、「子どものため」「親のため」という専門家としての見方ではなく、「子どもの立場で」「親の立場で」考えられるか、ということです。 「子どものために」と考えるときは、どうしても自分の過去の経験がもとになってしまいます。子どもに対する決めつけや思い込みが、入ってしまいます。それに対して、「子どもの立場で」考えると自分の経験をいったん否定しなければなりません。どちらも子どものことを考えているように見えて、決定的な違いがここにあります。 わかったようなことを、プロの先生方に言ってしまい、すいません。しかし、流通業や消費者を相手に、真剣勝負をしているところでは、これが、生死を日々分けているのです。教育界が今後、自由競争の世界に突入するとすれば、いや、制度的に変化しなくても、世間は、すべてこの常識で動いているということを前提として判断しなくては、コミュニケーションの断絶が起こってしまうのです。 これは、良い悪いの基準とは別の問題だと思います。同じ真理を伝えるにも、相手によって、話し方を変えなければなりませんが、それと同じだと思います。 とにかく、何を言いたいかと言いますと、日々、過去の経験を捨てなければならないということです。その代わりに、大胆な仮説を立てて、それを検証するという科学の姿勢に向かうべきだといういことです。 長くなりまして、すみません。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.15
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学校の中の立場と、外の立場を行ったり来たりした寅さんは、どうして、内と外で、こうも見方が変わるのだろうと、思っちゃいます。さらには、優秀な先生が、どうして世間の見方に気づかないのだろうって。 なあるほど、と気づいたことがありますので、書いちゃいます。セブン&アイ・ホールディング会長の鈴木敏文さんが、よく挙げる例ですが、車を運転するとき、一年中、車内温度を25度に設定するとします。春先に外気温が25度に上がったら、ものすごく暑く感じます。しかし、車内では、同じ温度なのに、セーターを着てもさほど暑く感じません。逆に夏は、気温が25度まで下がったら肌寒いのですが、車内ではTシャツ1枚で大丈夫なのです。 つまり、車内という閉ざされた空間での感じ方は、車外という開かれた環境についてはまったく通じないということです。これは、学校という閉ざされた空間と社会の感じ方の違いにも言えることではないでしょうか。学校は、何も変化をしていなくても、何も悪いことをしていなくても、社会の環境が変化していると、外からは、全く違った印象で捉えられるのです。同じイメージを維持するためには、逆に常に変化し続けなければならないのです。で、実社会は、この変転極まりない皮膚感覚で動いているのです。 「だから、社会が悪い、保護者が悪い、生徒が悪い」と言えるのかどうか、ということです。 よく、先生方は、自分たちは教育のプロであると、おっしゃいます。確かに、大切なことです。でも、それが、この通り教えれば、指導すれば間違いがない。これが最善だ、となってしまっては、本来の意図するようには、受け取ってもらえなくなるのです。しばしば、プロ意識は、素人の感覚を捨て去ってしまう傾向があります。 専門家になればなるほど、素人の一般社会の皮膚感覚を忘れないように、意識的に努力しなければならないと思います。ということは、どちらかと言うと、プロになど、なろうとせずに、偉大な素人でい続けようとすることこそ、大切で難しいことと言えるのではないでしょうか? そう言う「ド素人」の科学寅さんも、小さな成功に、ウハウハしてしまい、科学教育のプロだなんて、思ってしまったら、その瞬間から、浮いてしまう危険性があります。注意しよう、注意しよう。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.15
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この世で一番長生きするのは、「先生」なんですって。どうして? ずうずうしいから?もちろん、それは肉体の長生きではないですよ。魂の話です。子どもたちに伝えた素敵な話は、きっと彼らの心に残るでしょう。そして、彼らが大きくなったら、それをまた、子どもや孫に伝えていくんです。その時その瞬間に、先生はその中に間違いなく、生きているんです。そうなんだ、永遠の魂は存在するんだ。ライブドアのような、物質的な財産は、いつか失われます。しかし、僕たちが作っていく財産は、決して腐らないんです。 もしかして、太古から続く、「教え」「伝える」ことの原点はそういうことかもしれませんね。 何て、教師業は、素晴らしいんだろう。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.15
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野菜に、サンマに、豆腐。缶詰に、ビール。一升瓶。電子レンジに、スプーン、割り箸。牛乳、ジュース。昨日、実験会場に持ち込んだ「材料」の一部です。テーブルにゴタゴタ並んでいます。並んでいるというより、放り出されています。「何?これ? トーフ、どうすの?」会場に来た子どもたちは、 材料にとりついて、歓声を上げます。 さらに、寅さんは、早めに来た子どもたちに、次々用事を頼みます。「これに水汲んできて。」「外から葉っぱもってきて」「これ、並べて」 そして、始まったら、「好きなところに座っていいよ。」「好きな姿勢でいていいよ。寝転がってもいいよ。」「それより、あぶないと思ったら、逃げるのも自由だからね。」 寅さんは、ものぐさです。どうしても、整理ができません。寅さんがいる部屋は、おもちゃ箱にすぐなっちゃいます。 で、実験に出かけるときも、関係ありそうなものを、ドバドバ積み込みます。昨日も、1時間半の実験のために、衣装整理箱で、4個分くらいの道具?を持ち込みまして、それを、ぶちまけます。 これらを計算して、やっているのですよ、と言えば格好良いのですが、意識しているわけではなかったのですが、後から考えると、それなりに、意味があったと思います。 それは、子どもたちのアタマを、一瞬、真っ白にして、リセットして、集中させるのです。勉強という意識から、学校でのお勉強スタイルから、飛び抜けさせてしまうのです。 大きな声で、注意するより、常識の枠を崩すと、すーっと、話が吸い込まれていきます。微妙に、子どもの期待や予想の裏・裏といくんです。 寅さんは、ズボラだったので、自然体がズレていたのですが、自己正当化をすれば、こんなことになるのかなあ。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.15
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寝ようと思ったのですが、思いついたので、書いちゃいます。寅さんは、実験のとき、誰か一人の子をターゲットにして、語りかけます。 できるだけ、よそ行きの言葉を使わないように、気をつけてしゃべっています。「みなさ~ん」なんて、叫ぶのは、誰も聞いてくれないですよね。 大勢に対しても、一人に語りかけるようにするのは、結構修行がいることです。でも、その方が、確実に、多くの子どもたちに響きます。 中学校の健全育成委員長の寅さんは、毎週火曜日に、校門の前で、あいさつ運動をしています。その時も、漠然と大勢に「おはようございます」なんて言うよりも、特定の子に向かって、普通の口調で(しかし、大きな声で)あいさつを投げてやると、返事が返る率が高くなるんですね。他の子からの返事率も高まります。 とっくに常識だという先輩もいらっしゃると思いますが、 あなたの何かのお役に立てばと思い書いちゃいました。寅さん自身のためでもあります。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.14
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きのうは、結局、ブログの書き込みができなかったす。午前中は、小牛田地区公民館で、低学年中心の子どもたちと実験・実験。ひさしぶりに、ハチャメチャっぽい活動。いやー、統率が取れないと、お叱りを受けるかと、内心、心配したんだけど、思いの外、評価が大人にも高かったので、妙に、エヘンエヘン。 お昼は、TERAKOYAのパソコン部会と戦略会議。携帯メールを使った、子育てネットを作ろうとしています。その席上、寅さんの実験の様子を動画で取り、ネットで配信するプランも飛び出しました。イヤー、どうしましょう。 午後は、雑務に次ぐ雑務。夜は、TERAKOYAホールで開催中の、ミュージカルの後始末でした。 おやすみなさい。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.14
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日本・中国・英国の小中学校の先生を比較調査した国際基督教大の藤田教授によると生徒指導や教科指導、教科の知識、学級づくり、部活動指導の5項目について生徒指導では「自信がある」と言い切った先生が日本では6%だったが、英国は47%、中国は73%。「やや自信がある」を加えても日本は55%。英国は92%、中国は98%。 このほかの項目でも、「自信がある」と答えたのは中国が53~80%、英国が33~78%に対し、日本は8~11%で、どの項目も際だって低かったようです。 この数字を見て、日本の先生は、ダメだと思いますか?私は、逆に、日本の先生の質の高さに、誇らしさを感じます。だって、外国では、3時には、「はい、サヨナラ」と帰っちゃうんですよ。そういうのが、当然の中で、「自信がある」のです。日本ほど、生徒に心配りをしているはずがないと思います。 質が高いからこそ、自分の自己評価が低いのです。満足していない証拠です。ただ、いずれにしろ、自己肯定感が低いのは、大問題です。日常の行動すべてが、それに引きずられるからです。 我々、国民は、先生の自己評価を高める支援をしてあげることこそ、最も費用対効果の高い、教育再生の特効薬であることを知るべきです!ってなこと、寅さん以外、誰か言っていないかなあ。 うぬぼれでいいのです。いや、本当に、先生はアタマがいいし、人もいい。そして、超マジメです。こういう人がうぬぼれないで、誰が、うぬぼれることができるでしょう。 もちろん、これは、心の中の秘密としてもっていることです。外に言いふらしたら、日本では、コテンコテンです。でも、心の内に、自己満足をしっかりもっていてこそ、生徒にも余裕をもって接しられるし、思いやりも持てるのです。リラックスもできます。そして、 リラックスは、万病に効く薬です。 残念ながら、日本の社会では、先生は、ほめられることは期待薄ですから、自分で自分をほめるしかないでしょう。唯我独尊、ジコチュウ・バンザイこれも、子どものためです!(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.13
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教師をバッシングする風潮がありますが、科学寅さんが肌で感じる先生の問題は、「いい人」であるから生まれてくる問題であって、ある意味、チョイワル人間であったなら、解決できそうなことが多いと思います。 たとえば、イジメの問題にしても、「イジメの存在を隠そうとしている」なんて、指摘されてますがあれは、問題を起こす子の更正を考えているから、ああいう態度になってしまうのです。 ワル教師なら、問題児は、即、警察です。学校の中であろうと、社会で起きたことは、「犯罪」なのだ。と突き放してしまうべきです。 しかし、悪人をも愛す「いい先生」は、曖昧な態度を取らざるをえない。 おかしな主張の保護者に対しても、ズケズケとモノを言う。一部から猛反発を食らうでしょうが、本当は、全体としてそれが効果がある。そういう「ワル教師」が、必要です。と言うか、実は、当たり前の人間の姿なのですが。 しかし、「いい人」に対して、あなたは、いい人だから、だめだ。もっとワルになれ! とは言えないでしょう。(本当は、そう言ってあげればいいのです。)「もっと楽にして、言いたいことを言っていいよ」と圧力を減らす方向でしか、解決は無いと思います。 それを、社会は、よってたかって、先生への圧力を高める方向で、解決しようとしている。これは、悲劇であり、なぜ、もっと先生たちが怒らないのか、と不思議です。でも、そこを、じっと堪え、内に耐えてしまうところが、「いい人」なのです。 今、日本社会の良識が問われていると思います。モノ言わぬ「いい人」たちに、社会のヒズミの責任を全部負わせてしまっていいのか。せめて、先生たちの苦労を認めよう。認めるとはどういうことか。大人の認めとは、給与を上げることです。それを給与を引き下げるとは、何たることだろう。 これで、教育再生とは、人間の言う言葉だろうかと思います。 先生は、利を求めてはいけない、なんて、非人間的なことを土台にするからすべてゆがんでくるのです。善意は、利益の上に咲く花です。せめて、頑張れば頑張っただけのものがなければ。日本は、少なくとも、資本主義社会でしょう。 非人間的な教育者モデルに押し込められた教師が、ゆがんだ子どもや、親を皮肉なことに作ってしまうのだと思います。 少なくとも、少なくとも、こういう議論を堂々とできるくらい言論の自由が教育界や学校になきゃいけない。科学の進歩の必要条件でもあります。なぜ、再生論議に現場の意見を聞かないんだろう。現場への不信感が出発なら、末期症状としか言いようがないと思います。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.13
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ゆとり教育の見直しがなされていますが、先生たちには、逆に、ゆとりこそが必要だと、科学寅さんは主張します。批判されるべき先生も確かにいますが、大多数の先生は、世間の想像以上に頑張っています。毎朝6時半には家を出て、帰宅は夜の9時近くという先生方がたくさん居ます。補習、生徒指導、教材研究、そして部活など、先生は本当に多忙です。しかも、企業では考えられないようなアナログな環境です。例えば、パソコンがないので個人持ちです。教科指導以外の事務処理がたくさんあります。同じ公務員でも役所などの一般公務員と教育公務員とでは全く違います。だいたい、役人のような態度や言動をしたら、すぐに問題になってしまいます。 科学寅さんにとっての活動の生命線は、自主研究の時間です。図書館に行き、イベントに行き、実験に明け暮れます。教える仕事というものは、その何倍も学習する必要があるのです。良い教師を育てたければ、自由時間を与えなければなりません。 これを、遊びに使うんじゃないか、なあんて、疑いの目で見る世間が嘆かわしいのです。遊んだっていいじゃないですか?今こそ、先生も人間に帰るべきです。遊びを知らない先生こそ、問題だと、指摘されてるじゃないですか。 それに、先生方の研修は、ほとんど自由の無い強制研修です。押しつけです。「勉強しろ」と言われてやる気が出なくなるのは、子どもも大人も同じです。 研修は、すべて、自主研修にすべきです。世界では、ほとんどがそうです。 そもそも教師が、自主的に学問する姿勢が無かったら、子どもに学問の楽しさを教えられるわけがないじゃないですか。 日本の企業の復活は、厳しいリストラの成果ですが、教育界のリストラは、先生に、さらにプラス何をさせるか、ではなく何をさせないか、という引き算の発想が必要です。 まず、中学教師の部活の指導は、やめさせるべきです。授業に専念させるべきです。教師は、生徒の小間使いではありません。 ちょっと方向転換してしまいました。でも、先生に注文つけるよりも、先に重要なことに気づいちゃったのです。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.12
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続けて、マーケティングの考えからです。断っておきますが、寅さんは、めちゃくちゃジコチューです。だからこそ、マーケティングが自分自身にガーンと響くのです。 営業マンの秘訣は何だか知ってますか?押して押して? 夜討ち朝駆け?それも、可愛げがあれば、まだしもですが、普通は、「ストーカー!」って言われますね。 営業の基本は、恋愛です。口説きです。スゴイ熱情をもってるのに、サッパリもてない人とどう見てもブサイクなのに、モテモテがいます。この違いは、どこから生まれるのでしょう。エネルギーがあればいいのではないのです。その方向なのです。 「お客に恋しろ」、は良く言われることですが、やみくもに口説けば言い訳がありません。たとえが悪いかもしれませんが、もし、石田純一が営業マンだったら、どんなアプローチをしてくると思いますか?強引に売り込まないでしょう。 同じように、もし、石田純一が先生だったら、どんな授業をするでしょう?教え込もうとしないでしょう。 生徒を口説くなんて、不謹慎な、ヤバイたとえですね。でも、そのヤバサを承知の上で、これからの先生は、口説き上手にならなければ、やっていけないと思うのです。 では、その口説きのコツは、何でしょう。マーケティングのセオリーから、書いていきたいと思います。 これから、町内の不幸のため、葬式に行ってきます。 そうそう、この度、寅さんは、大崎市の基本計画だっけかな?とにかく、計画を立てる委員に選ばれちゃいました。教育部会の座長みたいになるようです。とっても光栄だと思います。ガンバリますです。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.12
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マーケティングは、人間には盲点があること前提しています。人は見てても見えない部分が必ずあるのです。しかも、それ以上に問題なのは、本当は見ていないのに、人間の脳は、勝手に想像や解釈をして、欠けている情報をつなぎ合わせ、独自の現実を作ってしまうのです。 私たちは、常に自分の現実を疑って、基本枠組みを組み立て直すクセを持ち続けるべきです。 最も陥りやすい勝手な現実認識は、「自分本位」というワナです。人間はどうしても、私本意で世界を組み立ててしまいます。 どんな企業もこれを克服するために、マーケティングを導入しているのです。でも、会社なら、これを忘れると企業業績でモロに跳ね返ってきますので、ある程度チェックはききます。 ところが、「教育」の場合、子どもの都合よりも大人の都合を押しつけることが、正義になってしまいます。子どもの立場に立つことが、とっても危ういのです。ここにこそ、教育危機の根っこがあります。(と、寅さんは、独断的に見ています。) これは、子どもに迎合することではなく、子どもが本来持っている、「良くなりたい」という気持ちを尊重することです。 簡単なチェック方法は、言葉の主語を「私」とか、「先生は」をやめ「子ども」を主語にするのです。つまるところ、子どもの立場でモノを考えることです。当然、子どもの動機を重視することです。そこから、必ず、画期的なブレイクスルーが生まれるはずです。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.12
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何か、また北朝鮮で、2回目の核実験をしたようですね。(誤報だったようです。)ところで、核「実験」の実験という言葉に、寅さんは、いつも違和感を感じます。実験=楽しいモノであるはずだから、核実験が実験という名で呼ばれるのが、悔しいのです。 そもそも、核開発が、科学の名に値するんだろうか?科学は、その根底に自由が、特に権威からの自由が含まれています。自由闊達に何でも議論できることが、科学の生命線です。核開発をしている北の「科学者」に自由があるはずがありません。権威への疑問をもつ余地もありません。北朝鮮の科学者は、寅さんが認識している「科学者」ではなく、ただの技術者、労働者です。 そして、真の自由の無いところでは、科学が発展するはずがなく、早晩、行き詰まるのは、明かです。 核開発や公害をまき散らす開発をしている科学者のことを指して、科学というものの限界や、行き詰まりを指摘する人もいます。それは、科学の精神を伝承せずに、技術だけを受け入れようとしてきたからです。 だけど、本当に北朝鮮だけを笑えるでしょうか?日本や普通の国の科学者も、現代は、会社の御用学者です。自由な研究を保証されているのは、極わずかしかないのではないか、と心配です。会社の利益の枠組みからは、外に出られないでしょう。 そういうところから、画期的な科学の成果が出るとは、普通、考えられません。また、自分の倫理基準から逸脱したことも、研究しなければならないかもしれません。そういう意味で、現代は、本当に科学の時代と言えるのかどうか。科学技術開発の時代とは言えるでしょうが、「科学」はしていないように思います。それに、科学は、その成果をわかりやすく人々に伝えようとするものです。ところが、現代の科学は、難しくなりすぎ、もう、素人が手を出す気力さえ、奪っています。でも、本当は、どんなに高度な技術でも、子どもにもわかりやすく伝える方法があるのです。そういうPRする意欲が科学界に乏しいと思われるのも、本来の科学が衰退しているのではないか、と思われる根拠です。 ちなみに、原子爆弾の「核実験」に対して、原子核物理学の言葉で言う「核実験」とは、加速器から取り出したエネルギーの高い粒子を原子核にぶつけて核反応を起こさせ、その様子から原子核の構造や特性を調べてゆく研究方法の事です。軍事目的の原子爆弾の性能テストである「核実験」と、純粋な原子核物理学の研究方法である「核実験」は、同じ名称で呼ばれてはいますが全く別のものです。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.11
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私は、実は、科学を専攻した人間ではありません。家業の卸売業を継ぐことを前提に、商学部に入りました。ですから、本当に専門的な、難しい問題を説明したり、解いたりすることはできません。ただ、マーケティングを研究をしまして、いわゆる行動科学を勉強しました。そして、認識するとは? 興味・関心をもつとはどういうことか?ということに、とても興味を惹かれました。 蛇足ですが、数学が好きだったもので、それを活かせる文系の入試ということで、慶応大学がピッタリでした。 経済学は人間の動きですから、文系とされていますが、数学と切っても切れない関係です。ほとんど理系と言える状態です。マクロ経済学は、人間モデルを単純化していますが、マーケティングのように、複雑な要素を考慮に入れるのは、日々、新しい科学を打ち立てているようなものです。 ところで、優秀な科学者とは、「むずかしい問題を解ける人」のように思われがちですが、実は、違うと思います。だって、この世のすべての問題に解答を与えるなんて、土台からありえないからです。そうじゃなくて、限定された「面白い問題」を見つける能力しかも、自分にも解けそうな、できるだけ簡単な問題そして、人にも喜んでもらえそうな問題を見つけ出す能力に優れている人のことだと思います。 うまく解けそうな問題だけを狙って、研究していけばいいのです。 私の感触では、「イヒっ」の感覚です。そう言えば、昔、旭化成だったっけかな?コマーシャルで、「イヒ」を使ってましたっけ。? 私の場合、自分自身がわからないことがわかる「楽しさ」ももちろんですが、子どもたちが目を輝かす瞬間を思い浮かべると、強烈に「イヒ」となってしまいます。この感覚は、きっとどの科学者も多かれ少なかれもっていて、みんなの顔を思い浮かべながら、「イヒ」っと言っていたに違いないと思います。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.11
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科学実験のネタのねらい目は、目で見えないモノです。想像の翼を広げて予想しなければならないものです。その想像が当たるとき、科学法則の凄さがわかり、関心が深まります。 たとえば、水に砂糖をとかすと、砂糖は溶けて、見えなくなってしまいます。素直な子は、砂糖は溶けてなくなったと考えます。または、とけて甘さに変わったと考えます。果たして、重さは何グラムになったでしょう。 見えなくなっても、モノは粒として、存在しているのだ、という認識はそう簡単にできるものではありません。塩水にしてもそうです。 また、空気の重さもそうです。たとえ、空気の重さを想像できたとしても、空気に浮く、水素ガスやヘリウムガスの重さを思い浮かべることは難しいものがあります。 どんなに、常識とズレていても、原子の粒で考えるといろんな実験の予想が当たるという体験は、とても貴重なものです。 実際、19世紀でも、原子論は、目に見えないのだから、それは仮説に過ぎないと、正当な科学と認められない時期や場所がありました。日本もそうです。 昔は、火の原子や、熱の原子もあると考えられていました。じゃ、それがあるとすれば、どんなことが考えられるか、また、無いことを証明するには、どんな実験をすればいいのか? 興味は尽きないですね。現代の量子論なんて、理屈はオイトイテ、とりあえず現象を説明する方程式だけを出しているようなもんですし。わからないことだらけです。想像の翼をもっともっと張るようにと、宇宙は呼びかけています。 本日は、南町北子ども会様、出前教室のお申し込み誠にありがとうございました。助成金で、豪華な実験がタダでできますよ~。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.10.10
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