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一昨日の6年生に続き、中新田小学校4年生の感想をいただきました。ありがとうございます。それぞれ長い文章の中の一部だけしか紹介できませんが。女子S.Sさん私は、理科があんまりスキじゃなかっけど、科学実験をしたら、科学が好きになりました。 女子T.Sさんはじめて「かがく」をして、「かがく」っておもしろいんだな~と思いました。おもしろ~い! 女子A.Yさん先生の言ったとおり、科学をきらいな人はいないと思います!家に帰ったら、お母さんとお父さんに作った道具を自慢しま~す! 男子Y.K君身近な科学を見つけてみたいです。 女子S.Oさん「光」の科学、すっごく…ふしぎで、楽しくて、きれいだったし、いろいろなことも発見できました。家に帰ったら、おうちの人に、さっそく教えたいと思います!科学がスゴク好きになりました。 女子M.Sさんいろんなことがわかり、科学って、楽しいなぁ~と思いました。中学で、科学をやるまで、今日おそわったことを、忘れません!!今日教わったことは、家族の人にも、伝えたいです!! 女子A.Iさん「光」って、すごいみりょくをもっているんですね。 女子H.Kさんわたしは、イタズラ大好きっ子なので、将来、科学の先生になろうと思います。 女子H.Iさん実験がはじまる前は、すごく「ドキドキ」していました。そして、ついに実験がはじまったら、すごく楽しくて、実験とか科学がすごくやってみたくなりました。ぜひ、家でやってみます。 ありがとうございます。差別するつもりじゃないのですが、印象に残った感想は、女子の方が多いんですよね。単に、文章力の問題かな?いや、女子の方が、この時期、感受性が強いのかな?やっぱりうれしかったのは、家でも早速、試してみるという子が多かったことです。これで、科学の輪が家庭に伝わっていったら、こりゃ楽しいですね。そして、学習する意欲の重要な要素に、楽しいことを、誰かに伝えたい、という気持ちであることが実証されたような気がします。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.30
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クリスマス会の企画をしていて、思い出しました。以前、我が家で、地区子ども会をしたときに、ありきたりのケーキではつまらないので、ケーキづくりもお楽しみにしてしまおう。小さな子も多いので、それじゃ、お菓子の家づくりをしようということになりました。 土台のスポンジとクリームはたっぷり用意して、トッピングは、子どもたちにお金を預けて、スーパーに買いに行かせました。 で、クリームまみれになりながらできたお菓子の家は、駄菓子がいっぱいついていました。記念撮影して、とても、楽しい(異常な)体験をさせていただきました。しばらく、ケーキを見たくなかったです。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.29
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科学の基礎は、言論の自由が保証された、ギリシャでこそ築かれました。実験教室で、子どもたちにも、話すのですが、ちょっとおかしいんじゃないか、という意見も、安心してのびのびと話せる環境でないと、学習の本当の進歩はありません。 民主主義の中で生まれたギリシャの学問が、いかにすごかったのかは、ギリシャでは、二千数百年以上前から、地球は丸いことはもちろん、地球の大きさ、や月までの距離、太陽までの距離まで計算していたことからもわかります。これは、エジプトでも、ヨーロッパでも、中国でも、つい近代まで、ギリシャの学問を学び直すまで、出てこなかったことからもわかります。 しかし、日本の社会、とくに、学校関係者の間で、本当に自由はあるんでしょうか?だいたい、イジメの事実を話せない、なんて、言論の自由があるはずがありません。どんなヒドイ話しでも、私はタブーを作ってはいけないと思っています。言論の自由は、思考の自由だけではありません。発言する表現の自由がつきものです。心の中で思うだけなら、中世の暗黒時代でも一応許されていました。表現こそが、自由の証なのです。 私も、もちろん反対ですが、核兵器についてにしろ、イジメの処理についてであれ、人権侵害のヒドイ発言であれ、発言すること自体は、保証されなければなりません。 学校が、対外的に発言することは、制約が必要でしょうが、内部での議論には、タブーを作るべきではありません。これが、学校の空気にモロに影響し、子どもたちの精神と意欲に関係します。 教育改革は、ぜひ、明るさの観点からも切り込んで欲しいと思います。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.29
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中新田小学校6年生からいただいた感想の一部をご紹介します。みんな、いいことしか書いてないので、おじさんは、謙虚に反省ができないじゃないですか!!その中でも、面白い部分をピックアップしました。 6年女子N.Aさん科学という名前は、聞いたことがあったけど、どんなふうにやるのかわからなかったけど、初めて科学に出会って、「こんなに楽しくて、おもしろくて、いたずら心」が芽生えたことがなかったので、これをきっかけに、いろいろなものに、挑戦したいと思います。本当に楽しかったでーす。ありがとうございました。新しい実験をたくさん考えてください。また来てください。たのしみです! 同女子S.Kさん「相澤先生って、おもしろくて、わかりやすく説明してくれるなぁ~」って思いました、 同女子H.Yさん科学の勉強を早くしてみたいです。 同女子M.Kさん科学はすごく”おもしろい”ことがわかりました。 同女子K.Mさん相澤先生が「実験はイタズラだ」と言ったときに、私はどういう事かわからなかったけど、相澤先生に教えてもらってくると、だんだん、わかってきました。あと、やっぱり、科学が好きな方は、笑顔がとても良いです。もちろん先生も。だから、その笑顔でがんばって下さいね。 同女子S.Kさん最初の相澤先生の話を聞いて「頭がいい人が科学をするのではなく、私みたいに頭が悪くても、科学を発見できるんだな。」と思って希望をもちました。 男子M.Y君先生の科学はとてもおもしろくて、あっという間に時間が過ぎてしまいました。 女子Y.Tさん相澤先生の科学が一番、今まで見た教室よりおもしろかったです。 男子T.I先生には、理科と科学の大きなちがいや、いろんなことをたくさん教えていただきました。 女子A.T私たちは、ドキドキして、最後が終わったら、なあんだ、もう終わっちゃったっていうかんじでした。 女子R.Oさん特に面白かったのは、電球の実験です。絶対光るワケがない、と思っていたのに、光ったのでびっくりしました。 女子M.Sさん私は、最初に、科学は、つまんなそうだなぁーと思っていたけど、実際に見てみると、意外におもしろそうで、実際に自分でやってみると、もっと面白そうだなぁーと思えるようになりました!!本当に、今日、科学の楽しさを教えてくれて、ありがとうございました。 女子K.Mさん科学て、難しそうだったけど、楽しみながら学べました。相澤先生のおかげです。電球を電子レンジで、チンする実験は、とても驚きました。科学に興味をもつことができ、うれしいです。 男子K.M君今回の実験を通じて、科学のおもしろさに気づくことができました。相澤先生は、中学か高校レベルの問題を、ぼくたちでも分かるようにていねいに説明していただいたので、最後まで、あきることなく、聞くことができました、これからは、自分からすすんで、いろんなことを調べようと思いました。 男子T.I君誠にありがとうございました。相澤先生のお言葉は、とてもためになりました。今までは、科学というと、TVでしか見たことがなかったので、あまり感心しませんでしたが、本日、相澤先生に見せてもらった、生の科学は理科の実験の時などに思い出すと思います。 私こそ、本当にありがとうございました。みんなのを紹介したいのですが、実験内容についての細かい感想は省かせてもらいました。それにしても、女子の反応が大きいことが意外ですね。女子にとって、食わず嫌いの科学が、実は、とってもオイシイものだと、知った感激は大きいのでしょう。こういう感想をもらうと、このおじさんも、生きてきた甲斐があったというものです。もう、思い残すことが無いですよ。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.28
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これから、中新田小学校に、最後の実験授業に行ってきます。最後は、3年生です。校長先生・教頭先生はじめ、職員の皆様、みんなに大変お世話になりました。本当に、良い機会を与えていただき、感謝いたしております。今日のテーマは、電気となかよくなろう、です。さ、気合いを入れて、ガンバルぞ。夜は、大崎市の自治組織づくりの会合です。
2006.11.28
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科学と政治は、分野が違うようでいて、実は密接な関係があります。科学的な知識というよりも、認識のパターンの違いです。 素直さは美徳として尊ばれています。しかし、科学は、素直に見ることからは、生まれてこないものです。不条理や矛盾も、「あるがままに」「素直に」受け取ること「あるがままに」理解すること与えられた条件をそのまま受け取ること受験体制が、少々おかしくても、それなりに秩序を保っていれば、これを前提に考えること天体の動きが不規則でも、地球を中心に、目に見えるままに、理解する法則を考えることイジメや戦争があっても、そういうものだ、と理解して法則をつくることできる子とできない子も、そういうものだ、という前提で子どもを見ること学校とはこういうものだ、と理解すること素直な、ありのままに見る認識パターンです。 これに対して、一見表面に表れていなくても、目には見えないけれど、その底に、隠れた普遍的な法則を仮定して、それに基づいて、社会を見る目を組み立て直すことここから、画期的な仮説が生まれます。革新的な政策が生まれます。 もちろん、現実から遊離した、勝手な妄想で社会を考えますと宗教になってしまいます。そこで、実験・検証があります。 科学的思考は、本質的に革新的なものを持っているように思われます。もちろん、世に言う「革新勢力」にも、保守的な部分はあり、「保守主義」にも革新的な部分があります。そういうレッテルにとらわれない、実質的な革新をすすめる意識のことです。 その意味で、私は政治運動をしているのかもしれません。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.27
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テレビの氷点を見てしまった。確かに、ドラマとしては、引き込まれるものがあります。しかし、底辺に流れる原罪意識は、人を力づけるものだろうか?キリスト教の贖罪につながれば良いというのだろうが、それにしても、もともと悪いという意識は、人の力を奪うものだと思う。キリストも、人は「神の子」であり、神の国は、一人ひとりの心のなかにあると言っている。人の中に、神の光を見いだす小説こそ、必要に思う。しかし、三浦綾子さんのテーマも必要としている人もいることも確かだ。まあ、芸術に、効能を求めるのも邪道ですね。こういう世界ということで、楽しみましょう。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.25
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前回は、不本意ながら、批判めいた文を書いちゃいましたが、教育を再生させるのは、あれこれ建前を論議すればするほど、本質から遠ざかるような気がします。 新しいシステムを上乗せする方向ではなく、殻を脱ぎ捨てる方向に、健全の糸口があるのだと思います。 学力向上にしろ、愛国心にしろ、先生の評価制度にしろ、「こうあらねばならない」という思いが、押しつけられれば、られるほど、逆効果になるのが、人間というものです。 エデュケーションというものは、教え込むものではなくて、「引き出す」ものであるはずです。引き出すための手だてを尽くすわけです。そのためには、圧倒的な自由の空気が必要です。 教育関係者の、保護者も含めて、鎧を脱がせる施策こそ必要です。いや、施策では、もともとうまくいかないかもしれません。一人の体面を気にせぬ、ほとばしる情熱・愛情こそが突破口になるものです。 そして、本当の勝利は、見栄・体面・固定観念を捨てたところに輝くのです。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.25
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寅さんの身近な学校でも、イジメ等の問題が起きています。(全国津々浦々です)近々、PTAでも検討会が行われます。問題は、休み時間、教師の目の届かないところで行われています。当たり前と言えば、当たり前です。教師の目の前で公然と為されたら、もう末期症状ですもんね。 で、常々、疑問だったのですが、休み時間に、どうして先生は教室にいないのでしょうか?もちろん、次の授業の準備はあるでしょう。しかし、一々職員室に戻らなくても教室で準備ができるようにもできるはずです。何か、休み時間には、職員室でお茶を飲むのが暗黙の約束事になっている気がします。 労働者には、休み時間、昼休みも含めて、休む権利があります。寅さんも、だからこそ、休み時間に子どもたちと接しているボランティアを学校に導入したいものだと運動しています。 しかし、ちょっと待て、という意見もいただきました。実は、教師は、地方公務員として、休み時間にも働かなければならない義務があるというのです。学校での「休み時間」は、教師にとっては休息の時間ではなく、立派な勤務時間なのです。昼休み時間もそうです。朝八時から午後四時までは、全力をあげて、子どもを守るために、全霊を尽くさなければならないのです。 ですから、教師の目の届かない、休み時間に行われたイジメだ、という言い訳は根本的に通用しないのです。私は、現実的に、先生方に超人的な仕事をしてください、とは言いたくありません。しかし、責任はあるわけです。だったら、ボランティアを導入したらどうでしょうか?って言いたいのです。 そして、それにしても、もっと子どもと接してください。子どもと遊んでください。子どもと遊ぶことを、子どもに媚びを売っているように考える「プロの先生」もいます。そういう先生は、生徒とは、教科の授業でしか、接点を持たないでよいと考えているわけで、明らかに、職務怠慢を行っているのです。 教師は、学力向上させて、なんぼ、ではなくて、子どもと接して、なんぼ、のはずです。 でも実は、これは、「義務」でも何でもなく、教師の資質をもつ人は、黙ってても、子どもと接してしまうはずです。だからこそ教師になったはずです。もし、子どもと接することが負担なら、資質が無いと去っていただいた方がお互いのためです。ぜひ、予備校の講師か、ビデオ講師、本の執筆でもしていただきたいものです。教育問題解決は、シンプルに考えたいものです。子どもが好きかどうか、です。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.24
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学校に出前をしますと、その場でアンケートをもらうのですが、ときどき、後から、学校側からまとめて感想文を送って下さることがあります。ほとんどの子が、とても活き活きして、躍動した文を書いてくれます。と同時に、しばしば、いかにも模範文のモデルを先生が示し、その型に忠実に沿った文を送ってよこすクラスもあります。 先生の意図もわかりますが、もらう方とすれば、全く興ざめです。でも、こういうクラスの中にも、自分の文章を書いてくる子もいます。こういう子には、もう、抱きしめて、ほおずりしたくなるものです。 ある大学の教授に聞いたのですが、大学生でも、「模範解答」なるものを想定して、それに、みんな、合わせようとすることが多いそうです。レポートなどを出すと、誰かの作ったのを真似したがるのです。 「みんなで渡る模範解答」です。大学教授の中には、こんな模範解答を、まとめて不合格にすると便利でいい、と考えている人もいるそうです。そうすると、「模範」からはずれて、「ひとりで渡った」解答の方がたいてい合格の可能性が高くなります。これでは、模範解答を写した学生は、「要領が良い」のでもなんでもありません。 事前に、教授がそのことを宣言しても、「みんなで渡れば」は多いそうです。テストに落ちるのも、たとえ、地獄に堕ちるのも、「みんなで落ちれば怖くない」と思っているのでしょう。 そして、この精神構造を培ってきた日本の教育は、根深いものがあるんですね。 私の科学実験授業は、先にも書きましたが、「間違うことは素晴らしい」というメッセージで貫かれています。人と違う意見こそ、お宝なのです。 それなのに、個性の無い感想をもらうとガッカリしちゃいます。まだまだ、メッセージが伝わってないなあ。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.24
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担任の先生が勉強が大事だ、というのは当然です。が、外部の人間が、別な角度から、話すととっても効果的であることが、先の手紙からも読み取れると思います。これは、私の手柄話ではなく、当然の戦術としてもっと利用されるべきものだと思うのです。 親の言うことを聞かない子どもも、他人からの一言で、グっとくることが多いものです。なぜなら、子どもは自分の親よりも、他人に対してより強く「社会」を感じているからです。この他人の言うことは聞かざるをえないという、子どもの心理は、学校を大きな家庭だと考えると、同様に利用価値があると思われます。担任の先生や学校という環境は、ある意味、母親や家庭と同じ、甘えられる対象です。どうしても言うことを聞かない子どもたちに、刺激を与える機会として外部の人間を使うことは、理にかなったことだと思います。あらかじめゲストティーチャーと打合せをし、うまく連携しておけば、担任の先生が伝えたいことを、代わって効果的に伝えることができるでしょう。 もちろん、教育の主体は、担任の先生であり、親であるのですが、ある種のなれ合いが発生した場合には、外部の一言が先生の百回の小言より効果的なことを思い出してください。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.23
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またまた、3年の男の子からです。 きのうの科学のあそびはとてもおもしろかったです。遊びと言うよりも、勉強になりました。一番びっくりしたのは、レンジの中に電球を入れて電気を入れると光る科学です。科学のおもしろさや、ぜんぜん理科と違うというのもわかりました。ぼくも相澤先生みたいにおもしろ科学をつくってみたいです。 理科との違いに気づいてくれて、こちらこそ、うれしいです。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.23
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小学3年生の女の子から、お手紙をいただきました。 相澤先生へ今日は、燃やす実験やシュポシュポという実験を教えてくれてどうもありがとうございます。私がおもしろかったのは、紙コップのプリズムです。光をあててみると、むらさきや青やオレンジや黄緑や赤の色が見えてとてもきれいでした。別な光に当てると、また、別にすごくきれいでした。ほかに、ガスばくはつは、びっくりして、シュポシュポはマシュマロを大きくして、生クリームも大きくしたことがびっくりしました。わたしも大学生になったら、科学者になりたいと思いました。それから、科学のことがいろいろわかってとてもうれしかったし、楽しかったし、びっくりもしてとてもわかったです。科学をもっと知って、相澤先生みたいに楽しい科学あそびを実験してみたいです。大学がとても楽しみです。早く大学生になって科学に入りたいです。 だそうです。私こそ、ありがたいことです。うれしいことです。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.23
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昨日は、寅さんの事務所がある、醸室(かむろ)に古川第一小学校5年生の有志が、見学に来ました。で、あらかじめ、質問事項を考えてきたようなのですが、それが、本当の面白さからは、ちょっとズレたものが多かったのです。 子どもたちに責任はありません。「緒絶姫は、本当にいたのか」はいいのですが、緒絶姫ってどんな性格?誕生日はいつ?何が好き?などなど、大体において、醸室にとって、緒絶姫伝説は、本筋ではありませんし、そこから得られるモノもそんなに多くはありません。もちろん、観光の素材として、商工業者が、宣伝しているので、当然、注目されます。しかし、痛し痒しですが、せっかくの時間を緒絶姫の研究に多くを費やすのは、私から見ると、もったいない、と言わざるをえません。(ただし、今回、私も、もう一度、緒絶姫の資料をあたって、ずいぶん勉強になりました) これは、私どもの反省でもあるのですが、やはり、子どもたちに研究テーマを全面的に任すのではなく、こちらから、面白くて、オイシイ水のありかを示して、誘導してやる必要はあると思いました。 ここ、醸室を中心として古川の旧市街としては、商業の歴史ですし、そのスタートは、伊達の殿様との関係からでしょう。そして、米の生産と流通、そして、それを通じての人々の暮らし、その栄光と幕末に向けての没落、米、単品経済の問題点など。さらに、中心商店街の地盤低下とその活性化策としての醸室です。 観光施設は、やはり、自分たちのセールスポイントを事前にまとめて、教育関係者に渡しておく必要があります。 ところで、先日の古川第三小学校の二分の一成人式は、大成功でした。(寅さんの実験ばかりでなく)PTAの方々の意気込みが、もたらしたものだと、つくづく思います。後ほど、詳しくコメントしたいと思いますが、とにかく、皆様ごくろうさまでした。 本日は、午前と午後と、アートリュミエール教室(フィルムステンドグラス)をTERAKOYAホールで開いています。どちらも定員一杯の人気です。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.23
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今日は、中新田小学校の4年生に、「光の世界へ ようこそ」という授業をしてきました。虫眼鏡カメラから、偏光板、アンテナ、虹の世界と高校でも習わない世界を紹介してしまいました。アンケートは取らなかったのですが、最後に、おとなしい女の子が、そっと片付けを手伝ってくれながら、「おもしろかったよ」って、言ってくれたのが、うれしかったです。 さて、明日は、古川第三小学校4年生の二分の一成人式寅さんの持ち時間は、35分です。児童と保護者にとっての、記念になる実験ができるでしょうか? これから、原稿を書きたいと思います。 ※まず、みんなが予想を間違う実験をします。間違うことは、とっても良いことです。 間違うのは、ひとの教えに頼らないで、自分のアタマで考えているからです。もし、お子さんが、いつも間違わなくなったら、お母さん、心配しましょう。自分で考えるアタマのスイッチが切れて、大人の言うことをただ、聞いていればいいとある意味、アタマを怠けさせる習慣がついたのかもしれません。 自分で考えたら、間違うのが当たり前です。よく、「考えないから間違うんだよ」と叱りますが、あれは違います。考えるから、間違うのです。 物事を見る場合、考えれば考えるほど、いろんな見方ができるのが当たり前なのです。科学の歴史を見れば、間違いや失敗ばかりの道路を歩いてきたことがわかります。 失敗を繰り返した科学者は、当時の最高の頭脳をもった人たちです。科学は試行錯誤するものであって、間違いや失敗こそがお宝だ、というのが、科学なのです。科学するとは、正しい答えを覚えることではありません。いっぱい考えるクセを学ぶことなのです。 しかし、子どもたちは、考える努力をする前に、答えを先に覚えてしまいます。ですから、私は、実は大切なことなんだけど、意外に教科書や参考書にのっていなくて、たいてい間違うだろうと思う問題を探し出してくるのです。 たとえば、あなたも挑戦してみてください。 ※また、ここで、意見が二つに分かれる実験たいてい、意見が半分に分かれます。で、話合いの中で、なるほどな~、もっともだよな、という意見を聞くと、予想を変える子がでます。 いわゆる説得力のある子がいるんですね。私も思わず、そうかもしれない、と思ってしまうほどです。 でも、答えは、実験してみれば、冷たく一つです。 「え~?」「やったー!」両方の歓声があがります。間違った方は、もちろん悔しがりはしますが、「へえ~、そうなんだ!」という感激の気持ちの方が大きくなります。 実は、話し合えば、話し合うほど、それぞれの論理に磨きがかかるんです。で、子どもたちは、そのすばらしい「理論」を展開した子を尊敬の気持ちで見ることはあっても、見下したり、バカにしたりする気にはならないものです。 違った意見を言ってくれるので、実験がとても楽しくなったのです。それぞれがヒーローになります。 こういうことの繰り返しによって、考え方のポイント、予想の立て方に慣れていくのです。 これを参考書で、最初から、答えを覚えてしまうのとは、子どもたちへの意味合いは、全然、月とスッポン違います。 でも、子どもたちは、間違うことをおそれます。いっぱい手を挙げる子も、挙げない子も、みんな間違うのを恥だと思っています。 もちろん、先生の中には、「間違ってもいいんだよ」と発言を促そうとされるでしょう。でも、そう言われても、雰囲気というか、空気が許さないのです。 テストで丸をもらうことが、「良いこと」だとすっかり信じ切ってしまってるんですね。そして、正しいことを言ったり、行動をしたりしないと「良くないこと」「自分を認めてもらえないこと」と思ってしまってるんです。多くの子が。 不登校の子と何人か、おつきあいをさせてもらってきました。私の体験からだけでも、その子たちの特徴は、ハッキリしてました。 科学好きなイタズラッ子とは、全く対照的な、マジメで正義感の強い子です。ものごとを「~すべきだ」「~してはいけない」という枠組みで強くとらえていました。 ですから、普通に言って、「とっても良い子」なのです。お父さん・お母さんの教育の成果ですねえ、と拍手してやりたい子どもたちです。 しかし、そこに落とし穴があったのですね。本当に、自分で考えて、自分で失敗を繰り返して身につけた「良い考え」ではなかったのです。知らず知らずに、親からしみ込まされた、ロボット頭脳になっていたのです。 彼らが、本当に、自分のアタマを取り戻すまでに、とても長い時間と苦しみを通らなければなりません。 やはり、子どもは、いっぱいイタズラをして、いっぱい失敗をしていっぱい間違って、転び方を学んでいくのが、健康ですね。柔道だって、受け身から覚えなければいけないんですから。 この話しを一昨年、自分で命を絶ってしまったN君への、追悼として捧げます。不登校の子のお父さん・お母さん方は、全く立派な、尊敬申し上げる方々ばかりです。そこに、この世の矛盾と不思議さを思わずにはいられません。 さて、この世は、つまらない世界でしょうか?ものの見方、つまりその人のアンテナによっては、つまらない世界ですが、アンテナをちょっと変えると、素晴らしい虹の世界だということを、皆さんにプレゼントとして、最後にお見せしたいと思います。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.20
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今日は、会議の日でした。午前中は、大崎市総合計画策定に係わる市民検討会議。寅さんは、教育・文化部会の委員です。とても、良い機会なのですが、参加した委員は6名だけ。教育畑ばかりでもなく、議論の的も絞れず、何か、一流のフレンチレストランの厨房で、目玉焼きを作ってしまった印象です。この会議が、どのように役立つのか、文科省の例のヤラセじゃないですが、行政のアリバイかもしれませんが、もう、そんな悠長なことを言ってる状況でもありません。金が無い時ほど、智恵が出ると言う言葉を信じて、叡智を集めたいと思います。 午後は、仙台で、ヤングジョブスポットの「親と子のための自立支援フォーラム」に事例発表と討論会です。予想以上に大規模なものでした。主催者の準備だけで、たいへんだあ。そして、金がある行政のやることは違うなあ。 総合司会に、東北放送のアナウンサーまで。 でも、そもそも、当TERAKOYAは、「自立支援」とは、ちょっと違う。どこまで、参考になるだろうか、まあ、やるだけやろう、って感じでした。「おおさき100KM徒歩の旅」等での、高校生・大学性ボランティアの活躍とOK-Netウィークエンドはてなクラブの目的と実績さらに、寅さんの科学実験教室のモットーと意義を持ち時間10分の間に、写真をどんどん写して説明しました。練習していかなかったので、だいぶ詰まりましたが、写真が語ってくれたようです。 いろんな方から、話しをかけられました。PRと人脈づくりにはなったと思います。 しかし、肝心の自立支援としての今日お集まりのお母さん方には、的外れだったかもしれません。何せ、一歩の踏みだしができないお子さんをお持ちなのですから。 それにしても、フリースクールでは、一日中「遊んで」いるというのは事情をアタマでは理解できても、悩ましいことであります。同じ遊びにしても、遊びとしての「学問」や「科学」をすればどんなにか、充実感があるだろうに。真の教育者がそばについているとは思えない。 スタッフの人材が、資金面もあり、充実しずらいのも頷ける。しかし、行政の予算の配分の問題で、現場の最前線にこそ、金がいくようにすればもっともっと効果が高まるだろうに。 今、頑張っておられる多くの民間フリースクールのスタッフの方々の、ボランティア精神には、アタマが下がります。しかし、何と言っても、方法論が欠けています。最近、本当の意味の専門的なスクールもできていますので、そのギャップも大きくなってきています。淘汰の時代が来るのでしょう。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.18
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11月8日に、古川子育て支援ネットワークで福島玲子先生をお招きして、子育て講座を開きました。「親を選んできた子どもたち」という題でした。科学的には、何とも言えない世界ですが、科学とは別の世界で、私は、福島先生には、勝手に師事している者です。3年前でしょうか、4年前になるでしょうか、最初に先生の講義とお人柄、考え方をお聞きしたときの衝撃をまだありありと覚えています。その後、教員補助をしている時も、福島先生だったら、こんなとき何て言うだろうって、思ってきました。目指すべき学校運営も、シュタイナー学校が一つのモデルに、どうしてもなってしまいます。あ、そうです。福島先生は、シュタイナー教員養成ゼミをドイツで受けられてきたのです。 その話しの中で、「遊び方が決まっているおもちゃは、要らない」とおっしゃってました。いわゆる、「おもちゃ」らしい「おもちゃ」は、必要無いのです。子どもが想像の翼を広げられないのです。石ころひとつが、シンデレラになったり、継母になったりできるのが、子どものイメージの世界です。子どもの特性を活かしてあげることこそ、大切です。 この意味で、科学教育が、子どものファンタジーを育てればいいのですが、反対に、論理の世界に、早期に入り込んで、もっと大事なものを壊すことがないように、注意して、プログラムを組まなければならないと思わされました。 また、久々に、生き方を見直す、契機になったことも、(最近の日記の傾向)本当にありがたいことです。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.17
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寅さんは、世界旅行をしたいと、昔から思っています。未知の世界をこの目で見たい。 アホらしい、笑い話と思って聞いてください。 なんか、相対性理論や、量子論を読むと、4次元の世界はあるようです。4次元どころか、5次元、10次元と、人間の想像の世界を幾重にも超えた時空や宇宙が、この世には、というか、あの世には、というかあるようです。寅さんは、ぜひぜひ、見てみたい、体験してみたい、と思ってしまいます。 ちょうど、ここ数日、とっても忙しい。光速の世界には、及びはしませんが、行動のスピードを猛烈に高めたら、微妙に別の宇宙に入れるのではないか、って、勝手に、思って「走りに走ってみました。」まったくアホです。 でもね、確かに、そうしなかった場合に比べ、別の世界が生まれたと思います。 しかし、なぜだろう、この心の乾燥状態は。 走れば走るほど、さらに忙しくなっていく。それに、ポロポロ大切なものを落としていっているようです。 そんなときです。ふと、ひょんなことから、昔なつかし、カントリーのジョン・デンバー 「緑の風のアニー」を耳にしました。20年ぶりくらいでしょうか。美しい曲、アレンジ、綺麗な澄んだ声、感動せずにいられませんでした。 そして、確かに、ここには、今日の寅さんとは、別の宇宙があると気づいたのです。 そうです。別の世界を旅するには、スピードを上げるだけが能ではないのです。スピードは、直線的に別の世界に連れて行ってくれますが、精神の質を変えると、この3次元の時空に対して、いわば、平行移動するような形で別の世界に行けるのです。 寅さんにとっては、結構、大きくうれしい発見でしたが、こう文字に書いてみると、あったり前のこと。笑っちゃうことです。 でも、寅さんは、これから、簡単に別の宇宙への旅行ができると、今から、ウキウキ・ワクワクなのです。 おっと、遅くなりました。昨日の「プライド」につきまして、貴重なコメントありがとうございました。また、ランキングのクリックも、本当にありがとうございました。 仕事は、まだまだ溜まって、SOSを発信しているのですが、一旦、寝ます。おやすみなさい。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.16
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今月2日の日記に、「プライドを捨てる」必要を書きました。これに対し、様々な方から、「いかがなものか」という意見をいただきました。ありがとうございます。たしかに、言葉の表現が、誤解を生みやすいものだったと思います。プライドを大切にしている方には、納得し難いことだと思います。 プライドは、ある意味「人権」そのものとも言えます。存在意義とさえ言えます。3才の子から、その子のプライドを大切にしなければならないとも、言われます。 プライドを守る教育、プライドを育てる教育は、それこそ大切だと私も思います。 逆に、今の学校教育、特に、中高教育では、しばしば、プライドを傷つけてしまっていることが問題だと思います。本当のプライドをもっていれば、自殺はしないでしょう。 要は、プライドの質や深さの問題だと思うのです。人間は、社会に出れば、挫折はつきものです。浅いプライドを大切にしているとそれを壊されたとき、絶望します。 深いプライドは、少々の失敗を、いや、大きな失敗をも乗り越えさせます。本当のプライドを持たせるために、教育はあるのだとも言えます。本当のプライドは、どこにあるのでしょう。それは、生きる意味につながるものです。やはり、生きるとは何かという議論が教育・子育てには避けて通れないのだと思います。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.16
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昨日は、敷玉小学校3年生の皆さんに、PTA行事として科学実験教室を開かせていただきました。予定通りいかなかったところもありましたが、(電気パンが最後まで焼き上がらなかった)(なぜだ? 欲張って、たこ足配線だったから?)全部で30ほどの、実験イコール予想問題のうち9割は、計画通りいきました。(サンマ焼きと湯豆腐づくりはバッチリ) 最後は、実験を覗くのに、押すな押すなとなり、ケンカやケガが心配なほどで、統率の仕方に反省材料がありました。 アンケートを取らないでしまったのが、失敗です。「感想」はあまり信じないのですが、終わってから、あるお母さんが、「うちの息子が手をあげているのを見て、びっくりした。」とおっしゃって下さいました。「目の輝きが違う! 遊び感覚だからでしょうね」と言ってくださる方も。 有頂天になってしまってはいけませんが、こんな素敵なチャンスをいただけるこの仕事に、本当に感謝したいと思います。また、寅さんがやっている実験シリーズの基礎シナリオを書いてくださった板倉聖宣先生にも、心から感謝申し上げます。 ただ、昨日も、準備物、しかも、肝心貫目の準備の「両面テープ」を忘れてしまいました。いつの間にか、PTAさんで用意するものだと、私のアタマの中で変換が行われていたのです。書面というか、カルテを一つの実験ごとに、しっかり作って、企画の話し合いの経過を記録しておくことが、本当に重要だと身にしみました。 整理をガンバリます。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.15
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親父の体については、ご心配をお掛けしました。もう、ほとんど回復しました。ありがとうございます。もともと脳梗塞の障害が残っているのですが、金婚式に向けて、精神的にずいぶん気を張ってきたようです。ほっとしたのと、カラオケの音楽が現代的だったので、親父のリズムを狂わしてしまったのでしょう。一次会で、終わって自宅で、2次会をすべきでした。 でも、とても良い金婚式を行うことができました。長男として、女房ともども、安心しています。何せ、金が無く、文字通り、「気持ち」しかプレゼントできなかったのですが、そちらに全力を尽くしてみました。金が無いと智恵が出ます。 私のアタマは、徐々に回復しています。ご忠告をありがたく受け止め、ゆったりと進んでいきたいと思います。 それこそ、内科的には、原因不明なのですが、精神的に、どこかバランスが悪いことは、間違いありません。 近頃、私は、生き方の根本的な反省をしています。 小さいときから、精神的価値と物質的価値のどちらに重きを置くかと言われれば、躊躇せずに、物質的価値を選ぶ家風に育ってきました。私は、それに反発する意味で、相澤家に混乱を起こしてきたのですが、 口では、格好いい言葉を言いながら、本音の行動基準は、物質・金銭が主であることは明白です。もちろん、ほとんどの人が、行動基準は、いわば唯物論だと思います。しかし、教育者として、私は違うこともしゃべってきたのです。私の内部で、不統一があったのです。 また、そのそも、人生は「遊び」だ、というのが、私の根っこにありました。本来、遊びなのに、それを汚していまっているところに問題があるのだ、と思ってきました。しかし、この歳になって、ようやく「真・善・美」の世界があると感じるようになりました。 科学は条件をつけた「イタズラ」だ、というメッセージを子どもたちに発してきましたが、別の側面を強調した方が良いのではないか、と思いだしています。 私は、今、人間像の再構築を迫られています。 そして、親や教師の生き方そのものこそが、学習教材よりも重要なことは、申すまでもありません。子どもにどういう顔で会ったらいいのか、もう一度問い詰める時期だと思っています。 ところで、昨日の、南部コミュニティの親子ふれあいまつりは、主催者の方々の、情熱と裏腹に、参加者が少なく、残念でした。私のほかにも、講師がたくさんいたのですが、科学実験教室の途中で、料理教室への参加を(試食を)誘われるくらいです。 周知はされていたのですが、何が、問題なんだろう?コミュニティ活動は、難しいですね。単純にゲスト講師を招いて、イベントをするってだけでは、人は集まらないのでしょう。これを、あえてプラス面からみれば、「口が肥えてきた」とも言えます。ホントに魅力的な講座か、自分たちが、日頃取り組んできた流れがなければ足を運ばないレベルになったのでしょう。 住民意識を嘆くばかりでなく、活動のあり方のレベルアップの機会だと捉えたいものです。でも、必ず克服していけると、役員さん方をみて確信しました。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.13
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中華料理店で、金婚式が終わり、カラオケに行っていたら、親父が、目をむいて倒れてしまったのです。救急車を呼んで、事なきを得ましたが、年寄りにペースを合わせずに、無理をさせてしまったと反省しています。 これから、南部コミュニティセンターで、実験教室です。パソコンは、かろうじて、まだ動いています。
2006.11.12
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予告の言い訳を二つ。 その1.パソコンの調子が悪いです。メールがつながらなかったり、消えてしまう恐れがあります。 当面、緊急連絡は、電話にしてください。 その2.私の頭痛が続いています。群発性頭痛のようです。実験教室のときは、なぜか、大丈夫なのですが、終わったあと、ガタガタです。アタマが働きません。薬でごまかしています。 ついでに、その3.今日は、私の親父とおふくろの金婚式。我が家は一日中、酒盛りです。
2006.11.11
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先ほど、TERAKOYAの東さんの紹介で、美里町の教育相談員の千田先生とお会いしてきました。とても、感銘を受けましたので、ご紹介をしたいと思います。 今度、千田善明・家族と家庭相談室を 個人的に開設されました。お近くでお悩みの方、また、全国どこの方でも、ホームページも今度作られたので、相談に乗ってくださいます。 先生は、長いこと小学校の教員をされてこられ、平成14年から小牛田町青少年教育相談室の相談員になられ、小牛田町と南郷町が合併して美里町になってからも美里町青少年教育相談室相談員として引き続き仕事をされています。小学校の教員生活、現在の相談員の仕事を通して、不登校の児童、生徒のみなさんや、保護者の皆さんと共に解決の道を探って来られました。 最近は児童虐待の相談が激増してきてるそうです。 それは、それは、凄まじいそうです。 また、軽度発達障害のお子さんの指導、家族の悩みの解決、摂食障害の相談とジャンルが広がってきました。これらの問題解決の道を探る中で、「家族」が家族の機能を発揮できていない、機能不全を起こしているというケースがほとんどだということに気づかされたそうです。また、本来家族には問題解決の大きな力があることも実感させられてきました。そこで教育にかかわる問題を家族とのかかわりを中心に考えていく相談室を開設することにしたのです。 相談室の業務の内容は次の4つです。 相談活動情報活動学習会・講演会自助グループの立ち上げ相談は電話で予約をお願いします。または、ホームページhttp://www.fa-chida.jp/をご利用ください。 ぜひ、OK-Netの 相談部門を担っていただきたいと願っております。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.11
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今日の「ドライアイスで遊ぼう」も、まず成功したと思います。PTAの役員さんのお陰です。36名ほどの子どもと、その親という人数は、最もやりやすい環境とも言えます。感想で、あるお父さんが、「今までの行事で、一番面白かった」「子どもが活き活きしていた。目の色が違っていた、」と言ってくれました。 でも、私は、ちょっとひっかかるところがありました。選択予想問題を提示しても、手を挙げる子が少なかったのです。少ないと言っても、70%~80%ということです。しかし、今まで、100%近く、反応があったのに、なぜ、なんだろう。 一つは、マイクが使えなくて、私の肉声が届きにくかったからか?また、前の実験に気を取られている内に、たたみ掛けるように、次の質問で、ついて行けなかったのか?さらには、もともと、意思表示が苦手なクラスだったのか? 女の子が多いクラスだったのに、やたらに男子が目立ちました。手を挙げない子は、女子に多かったです。終わってから、「男子が多いクラスですね」と先生に話しかけたら、「いや、女子の方が多いです。」ということでした。 おとなしかった女子は、しっかり楽しめたのだろうか?終わってからの、感想の時間に、誰も手をあげませんでした。 これは、アンケートを回収するしかないでしょう。おとなしかったから、ダメだったというワケでもありません。意外と、しっかり認識してくれていることもあります。そこのところは、ベテランの先生でも、わかりにくいところです。 4年生という時期にもよるのだろうか?男子は、終了後も、私をとっつかまえては、あれこれ、聞いてきます。しかし、女子は誰も話しかけてきませんでした。 ついつい、元気の良い、男子にばかり話しかけていたことを反省しています。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.10
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最近の私の記事は、世間の批判に終始している。これは、ヤバイ兆候だ。 教育の目的は、いろいろあるけれど、深く・深く・ふかああああく、探ると、結局は、自分自身の修行にぶちあたる。 己が進化し、より純粋に、より美しくなっていかないものは、無意味でさえある。自己が、変化していく過程をここに書くはずでした。 もう一度、原点に戻り、自己の課題に向き合いたいと思います。今日も、全力を尽くし切るぞ。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.10
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真空と水素ガスでは、水素の方が「軽い」と言う中学生が、半数以上います。現代科学の基礎の基礎である、モノには、すべて重さがあるということ、これが認識できずに、大半が卒業していきます。 確かに、何も科学の教育をしないで、自然のままの人間に認識は、炎のように、上に登っていくものを見て、「軽さ」というものを「重さ」に対抗するものとして、存在すると思っていまうでしょう。 しかし、だからこそ、科学的認識の教育が必要なわけで、この基礎中の基礎の認識が身につかない科学の授業なんて、何をやってるんだ、って思いませんか? でも、そのお陰で、寅さんのお呼びがあるのですが。 今日は、はじめて、色麻町で実験教室をやってきます。 昨日は、低学年の子がほとんどの30名に、水ロケットづくり教室をしてきました。羽根は、全部、寅さんが作って持参しました。一昨日は、睡眠不足でした。ポンピングもなかなかハードで、アスレティック運動そのものです。公民館の館長さんが、泥だらけになってしまいました。3台の発射台があったから、何とかなったようなもんです。皆様、ご協力ありがとうございました。また、リサイクルセンターさんには、ペットボトルを選んで、取り分けていただいていまして、たいへん助かりました。ありがとうございます。 高学年の子には、工夫する余地をいっぱい残してあげたいものです。でも、昨日のところは、時間内に終わって、良かった良かった。 午後は、消防団の活動。夕方は、受験指導と敷玉小学校PTAさんとの打合せでした。備忘録として。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.10
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これも、寅さんならではの、独断だとお聞き下さい。成績表が、三者のコミュニケーションの唯一のツールとなっています。 もし、成績表が、本当は、学習意欲の無い子、興味・関心の無い子への、一種の脅し材料、つまり、外的動機付けとして使われるのならば、これは、教師の授業の腕を落とす元凶だと言わざるをえないと思います。 または、生徒をランクづけをし、選別をするための道具? いずれにしても、成績表は、現状では、学校を堕落させる元です。知識の習得や技術の習得にとって、現在の成績表は、必要不可欠のものではないでしょう。 それよりも、あれに注目をすることによって、そぎ落とされたものの中に、必要不可欠なお宝がいっぱいあります。そちらの弊害に注目して欲しい。 成績表やテストが意味をもつとすれば、それは、教師の教え方、指導方法や内容に対するチェックとしてです。ペーパーテストに頼らなくても、生徒の実態は、把握できないものでしょうか?生徒の実態把握なら、もっと生徒から、直接アンケートをとるべきです。 毎時間、今日の授業はどうだったか、先生の授業の点数をつけてもらうべきです。私は、冗談でなく、真剣にそう思います。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.09
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無理な注文だとは、わかっています。でも、寅さんくらいしか、言わないのかなあ。 昨日、中1の娘の三者面談に行ってきました。そこでも話題は、当然、成績の動きと生活指導と、志望校合格へ向けてのステップです。 これだけ? これが、三者で話すこと?教育とは、これだけなんでしょうか?教育は、深いとか、経験とか言いながら、結局は、進学へむけての成績でしかない、というのが本音なんですね。 教育とは、そんなもんじゃない、って思ってる寅さんが、アホなんだ、って思っちゃいます。が、違うはずだ。本来は、成績は二の次、三の次、各教科、好奇心をもって取り組んでいられるか。何に意欲を湧かせているか?新しい発見は何か?彼女の一番の発達上の課題は何か?親子関係の問題点は何か? いっぱいいっぱいあります。これを、成績に関することだけを三者で話し合えば、子どもは、結局、すべては「成績なんだ」って判断するでしょう。 こんな三者面談は、無い方が、子どものためだと思います。 これは、うちの担任を責めているのでは、決してありません。どこでも、こんなもんだと予想します。成績のことを話題にしないと、怒る保護者がほとんどでしょう。寅さんのような考えは、少数もいいところでしょう。 別の学校に入れたかったと、思った寅でした。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.09
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「面白い」教科書、読まずにはもったいない教科書って作れないでしょうか?学習指導要領の問題が叫ばれていますが、それと同じく、いや、それ以上に教科書の中味についてもゼロベースで、見直すべきだと思います。フィンランドといえば、世界で常にトップクラスの教育で有名ですが、教科書の厚さが、日本の教科書の 3 倍はあります。 日本では、教科書の文字数が多ければ、それだけ、試験勉強が難しくなると思われますが、そんなことはありません。 範囲が狭ければ、理解が制限されるのです。 たとえば、科学の世界では、地動説と同じく、原子論が、基礎の基礎です。これが、小学校には無いのは、かえって、難しくしています。 引力も教えられません。 地球一周を自動車を使わず、自転車で旅行しようというのと同じです。 良い授業や、好奇心あふれる子どもたちを創るには、幅広く、深い教科書が必要だと思います。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.08
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「この科学法則を覚えなさい」「この方程式に数字を当てはめて、解きなさい」と言われて、科学が好きになるでしょうか? いや、もっと興味をもたせるように、いろんな面白いトピックを入れながら、授業をしてます、という先生もいるでしょう。 しかし、たとえ、テレビで見るような、え~??! っていう 驚くような科学変化を見せられても、それは、科学のトピックとしての、「知識」の在庫にしかならないと思います。 そして、そういうのは、考えるノーミソの刺激にはならず。そして、そして、何より、つまんないのです。そりゃ、マジックショーを見せられれば面白いとは思います。でも、それは、考える楽しさではないのです。 学校では、自分のアタマで考える機会は、驚くほど少ない。皆無と言っていい学校・学級もあります。 そりゃ、見方によっては、あれも「考えさせている」これも「考えさせている」と言えるでしょう。 しかし、「よい子はこう考えるべきだ」というモデルの無い、意見が分かれて当然で、どっちとも言い難い問題やどんな突飛なことを発言しても、バカにされたり、イジメの対象とならない安心感のある、真の意味の「自由な」討論は、ほとんど見たことがありません。 学習だけではありません。生活指導も、自分のアタマで、こうすべきだと、いろんな角度から、考えさせているでしょうか?結論先にありき、じゃないでしょうか?なぜ、制服や鞄のデザインが細かいところまで同じでないといけないのか考えて、子どもたちは、行動をしているでしょうか? 部活動では、なぜ、この練習をこのタイミングでするべきなのか、考えさせているでしょうか?ノーミソは、先輩との人間関係だけに、集団の中のポジショニングにばかり使われているんじゃないでしょうか? 人間の脳細胞は、使わないと滅びます。義務教育9年間、そして、高校・大学と12年間~16年間、放置されてきた自分で考えるノーミソは、完璧に殺されて社会に放り出されるのです。 特に、この教育環境に適応した、優等生や秀才は、知識を記憶する脳は、発達しても自分で考える脳は、再起不能のはずです。 ゆとり教育の失敗は、量を減らしたことにあるのでは無いと思います。質を変えなかったことが失敗の原因だったのだと寅さんは、主張します。自分のアタマで考える教育は、時間がかかります。だから、取り扱いには、「ゆとり」が必要です。 しかし、質を従来の「記憶」と「従順」を主にしたまま、量だけを減らすしか、思いつかなかった教育現場が、よってたかって、その良さの部分もつぶしてしまったのです。 子どもは、自分のアタマを使うとき、始めて、学校に来る意義と学問の楽しさ、そして、人生の楽しさも体感するのだと思います。 子どものノーミソを殺さない学校を創りたいものです。もちろん、この意味で、真剣に授業改革に取り組んでおられる先生方は、大勢いらっしゃいます。敬意と拍手と応援のメッセージを贈らせていただきます。陰ながら、先生のお手伝いをさせていただきますよ!何なりとお気軽にお申し付けください。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.07
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イジメにしろ、履修問題にしろ、私たちは、大きな盲点をもっているのではないでしょうか? それは、生徒・子どもたちの気持ちです。意識・希望です。イジメは、ある意味、ケンカです。喧嘩なら、双方の言い分を丁寧に聞いてあげるべきです。残念ながら、亡くなった子の言い分は、直接は聞けません。遺書や周囲の証言によります。しかし、イジメた側の子にも、言い分は、必ずあるのです。そして、間接的にイジメた大勢の子にも。 イジメは、絶対悪だから、言い訳の余地は無いというのでしょうか?教師や教育委員会などの大人の談話しか聞こえてきません。現実的には、子どもをマスコミに晒すことの危険性は承知しています。 しかし、姿勢として、イジメた子どもの心にヒダを感じ取ろうというものは、欠けていると思うのです。イジメの解決においても、上からの押しつけを寅さんは、感じてしまいます。 また、履修問題も、生徒は一体どう考えているのか、ということを深く追求してもらいたいものだと思います。だって、主役は生徒なんです。学習指導要領が、まずありきになっていますが、指導要領も生徒のためのものです。良い教育は、大人が決めるものなんでしょうか? これは、寅さんの独断かと思いますが、何が良い教育かどうかは、子どもが選択するかどうかにかかっていると思います。反論が来ることは、十分承知しています。しかし、寅さんは、本当に良い教育が子どもたちに喜ばれないはずがない、と信じています。いくら、大人が「これは、良い」と確信していても、子どもが選択をしないなら、何某かの欠陥があると認識するべきだと思います。 これは、逆も真なりではありません。「子どもに選択されるものが、すべて良い教育である」のは間違いです。対偶は、「真」ですが、「子どもに選択されないものは、真の良い教育ではない。」と、寅さんは思っています。 いや、子どもが嫌がってもさせなければならないものがある。と主張される方もいるでしょう。ここが議論のポイントになるかと思います。 サダム・フセインの裁判の報道を見て、イラク国民の気持ちの報道、アラブ民族の気持ちの報道が欧米諸国からのメッセージに比べて、少ないのが、本末転倒だと思います。 サダムは、本当に死刑にされるべき悪人なのか?いろんな見方がありえるはずです。自然科学の結論は、政治色が無いので、すんなり決まると思えるでしょうが、とんでもなく、議論が必要です。自然科学でさえ、いろんな立場の議論が必要なのですから、社会問題の場合は、その何倍も必要なはずです。表面的に見れば、サダム・イラクは「悪」ですが、100年、200年単位の歴史で見れば、「悪」は、欧米であると言えるでしょう。その流れで言えば、フセインこそ、英雄なのです。 フセインの立場に立った主張、イラク国民の立場に立った報道、近隣国の立場に立った報道が、日本のマスコミは、圧倒的に不足していると思います。ちっぽけな、知識から、単一の正義感を振り回すことこそ、危険極まりません。 イジメにしても、まず熱血正義感から、ズバっと指導、というのは、大いなる「悪」をもたらします。それは、言論の自由が封殺されるからです。どんな立場の人も、思ったことを発言できなければならない。正義のためならば、少々、勇み足があっても致し方がないというのは、民主主義の発展のためにも、学問の発展のためにも教育の発展のためにも、百害あって一利なしだと思います。 たとえば、拉致問題でも、北朝鮮「悪」一辺倒です。私も、もちろん、そう思いますが、だからこそ、コワイものがあります。反対側からの見方をしっかりとらえなくては、物事を認識しているとは言えないからです。北を非難したければ、それ相応の相手の主張も聞くべきです。表面的な報道はもちろんされていますが、まだまだ浅いにではないか、と感じます。北の弁論が深められなければ、第二・第三の北が生まれる危険を防ぐ教訓が得られないからです。国民の真の幸せを歪めてしまう可能性があるからです。 回り道でも、議論での多角的な問題分析により、はじめて、人の「心」を変えることができると思います。正義や教育の押しつけは、心を阻害すると、寅は考えます。何かを主張するときは、必ず反対の意見の立場も考慮すること、このクセを教育現場から、日本に定着させたいものです。 もし、よろしければ、ご意見ください。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.06
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ところで、今日の午前中のNHKテレビで、巨大ペットボトル水ロケットの挑戦やってましたね。残念ながら、失敗しちゃいましたが、科学寅さんの二段式ロケットも最初は失敗の連続でした。でも、5度目の挑戦で、成功したときは、大喜びというよりは、腰を抜かしました。だって、あまり高く上がって、何と、雨雲の中に入っちゃったんですから。 あのリーダー、不登校だったのが、科学教室で、生き返ったんですね。何がその子の転機になるかわかりません。 明日、古川第四小学校3年生に科学教室をします。9時半から12時まで、「科学への扉」飽きさせないで引っ張っていけるでしょうか? 明日の私のテーマは、子どもの好奇心を「引き出す」ことです。寅さんが、教え込むんじゃなくて、意見をいっぱい「引き出せる」か?子どもたちが、自己主張を存分にしたと満足できるかどうか?これに賭けようと思います。 いわゆる「エデュケーション」に挑戦だ。今、シコシコ紙コップ108個の準備に追われています。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.05
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教育問題を解決するのに、大きな制度変更は要らないと思います。 制度変更ではなく、意識変更をさせる仕掛けがあればいいと思うのです。学校や教育の問題は、「つながりの無さ」から生まれています。制度的なつながりではありません。意識の上でのつながりです。 先生は、生徒の親を「自分の身内」と見ているでしょうか?保護者は、先生を「うちの先生」「おらが先生」と意識しているでしょうか?そして、お互い、相手を笑顔でイメージできてるでしょうか?ほとんどできていないと思います。なぜなら、過去に、本心をさらけ出したために、ヒドイ仕打ちをうけたトラウマをかかえているから。 一体、望ましい教育とは、どんなものを言うのでしょうか。そのことを色々と考えてゆくと、日本社会の現状を改革する方法を考えているのではないかと錯覚するほど、重なり合った問題だということがわかります。 どんなに優れた組織、システム、考え方でも、それを担う人々が閉鎖的な社会を形成してしまうと、いつか停滞し、道を間違えて、腐敗を始めるものです。これは、相手の顔が、笑顔が思い浮かばなくなったとき、起こってくるものだと思います。また、思い浮かぶ顔の数が少なくなったとき、危険性が増します。多くの顔、いろんな顔が思い浮かべば思い浮かぶほど、そして、それらを抱きしめられるほど、健全度は増します。 多くの集団が、権威主義になり、初代の指導者を仰いでいる内に段々マンネリ化して停滞し、時代遅れになり、機能しなくなります。つまり、優れた教育は、人々の流動的で開放的な接触の中で生まれてくるものだと思います。 先に書いた立ち直った中学校は、毎月のように父母が自由に見学できる期間をもうけているそうです。(公立の中学です。)いろんな改革案が議論されていますが、特別な変更はする必要がないと思います。その代わり、(1)父母や地域の参観を日頃から自由にする。(少なくても、毎月可能な期間を設ける。)(2)教育方法に関して、先生と父母の懇談会、討論会を設ける。(一方的な説明会に終わらせない)(3)そこで話された問題や新たに提言したいことなどに関して、MLを作る。だけで、良いと思います。過去から蓄積された、相手をコワイと思う、トラウマを消し去るためです。相手を理解することこそが、トラウマを消す手段だと思います。「お化けかと思えば、」なのです。 日本の教育に決定的に欠けているのは、科学的認識論です。相手の認識フィルターを意識できないので、議論をするということがほとんどできていません。 例えば、履修不足問題にしても大学受験のニーズに応えるのか、または、学校の経営を優先させるのか、子どもの健全育成を優先させるのか、この土台の話し合いをしないで、対策ばかり考えているから、おかしなことになるのです。 もしかしたら、進学校と普通の高校?は、別に原理で動いていいのかもしれません。そこから議論が、始まります。ここではまず価値観が異なることを、お互いに認めるべきです。価値観の異なるときは、そもそも議論にはなりません。 価値観が異なるというときは、じっくりと語り合うのであって、議論にしてはいけないのです。よくよく語り合って、お互いの立場を乗り越える道が見つかるものです。 はっきり言えば、学校も保護者も、真の「大人」になっていないのです。多様な価値観を懐に収める大人になることが教育の目的に一つとすると学校や先生自体が、さらに自己育成をしなければなりません。もちろん、保護者も。当然です。そのためには、いろんな考え方の違う人の話しを聞くことです。 最初は、イヤでも、聞いて聞いて聞きまくっていると、だんだん拒絶反応がなくなってきます。心理的に受け入れられるときが来るものです。 勿論、無理矢理一方の価値観を押しつけて、一致したつもりになって議論を始めてもダメです。相手の価値観を聞くときは、対等でなければなりません。 優れた教育で成功している親御さんは、おしなべてお子さんとの接し方は3歳とか5歳から、対等な話し方をしています。 人の価値観を大切にすることや、冷静な議論の仕方を実際にやってみせることができれば、その他のことは子どもが真似て、自分で解決していくものだと思います。 つまるところ、何を言いたかったのか????何か自分でもわかんなくなってきましたが、多くの価値観を受け入れる「丸い人格」をつくろうということです。この人格づくりを、組織も個人も、学校という場をつかって、励みましょうということでした。ちょっとおかしいなと思う人も、みんな身内だって思えるように。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.05
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寅さんは、いろんな学校・学級を回っています。それぞれ、風土というか、空気が違います。実験授業をする前に、「今度はどんな学級だろう、」って、予想を立てます。 学校の風土のリトマス試験紙は、寅さんはこう見ています。 別の時間に、授業参観させてもらいます。で、授業を見ます。子どもたちが、自発的に、ドンドン意見を言えているかどうか、です。質問をしているかどうかです。 子どもたちは、最初から、学習に消極的だったなんてことはありません。本来の子どもは、とっても、活発に質問をします。 よく言われますが、日本の教育は、欧米の教育から見ると、とても奇妙であることが多いようです。 日本には、口に出して言ってはいけない「お約束」があって、先生も生徒も、暗黙の内にそれを守っていると言うのです。 例えば、授業時間には質問をしてはいけないとか、友達にも本心を言ってはいけないとかです。 教育とは生徒に質問をさせて、考えさせることだとも言えます。自分で考えるように育てないと、社会に出てから自分で自分の人生を構築できなくなる可能性があるからです。しかし、日本では、質問をさせると授業が遅れるとか、上手に答えられないと先生が恥をかくとか、そんな理由から敬遠されることもあるようです。 このような教育をしていたら、将来日本を背負わなければならない子ども達を、健全に育てることはできません。 子どもは 自分が、一生懸命に考えて、どう考えても正しいと思うことが、認められなかったとき、そう言う話をしてはいけないのだと、自分を抑えることを学びます。 日本人が、論理的にものを考えることが苦手だと言われます。しかしそれは、先天的な性質などではなくて、学校教育が、そうさせているのかもしれません。 最近文部科学省からの発表で、学校の問題児は、家庭に原因がある場合が多いと言っていました。それはそうかもしれません。しかし、家庭に原因があって生まれた問題児でも、学校の先生がしっかりしていれば立派に教育できることも事実なのです。 最近、学校の先生を非難するマスコミが多いので、先生を大事にすべきだ、と主張しましたが、その反面、確かに、先生次第で、学校は変わるのです。 ある中学は、3年前には窓ガラスがなかったと言います。それが、今、日本にこんなに素晴らしい教育の場があるのかというほど、生き生きとした学校になっています。生徒がはつらつとしていて、先生に盛んに質問をして、自主的に考えて、活動しています。実は、3年前から教師を殆ど入れ替えたそうです。教師は、特に小学校や中学校では、本当に子どもの人生に決定的な影響を与える存在です。本当に適性のある人だけになってほしいものです。 しかし、本来、適性をもった人が、病んでしまうのが今の学校かもしれません。 もともと、先生は、精神的に悩みやすい職業です。先生のための心理カウンセラーを置くべきです。先生をもっともっと大事にすべきです。地域の愛情で丸ごと包み込んでしまいましょう。物心ともに、サポートしましょう。「投資効果」は、必ずあります。そんなことをじっくりと考え、子ども達に質の高い教育を受けさせるためには、地域の父兄が、もっと教育に関心を持って団結する必要があります。PTA活動が、日本は活発だと言えるのでしょうか?閉鎖社会に力を貸しているだけだとしたら、本末転倒の努力です。 私は、オープンシステムこそが、組織も個人も健康を守る、キーポイントだと思います。つながり、形の上でのつながりではなく、意識の中でのつながりを網の目のように張ること。これこそ、先生の意識を健全にする防御ネットだと思います。これについては、次のページで。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.05
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今日、TERAKOYAで、古川第三小学校6年のPTAさんと、ヒミツの相談をしました。卒業記念事業についてです。それこそ、内容は、「ヒミツ」なのですが、役員さんの中に、寅さんが以前からお世話になってきた臼井さんがいらっしゃいました。 ふり返れば、5年前、科学塾を自宅で開いていた私に、はじめて、学校行事に講師として招いてくれて、一緒に企画を練りに練り科学寅さんの誕生のキッカケを創ってくださった方です。 あの時の、底抜けに明るい発想で、みんなで、魔法学校の衣装を着ましょう!演出を凝らして、子どもたちを喜ばしてあげましょう!という「行け行けドンドン」がなければ、今の寅さんは、なかったのです。あの時の大成功が、私をドップリこの世界に浸らせてくれたからです。 その時の上のお兄ちゃんは、すでに中学生。弟さんが、今度卒業なんだ。 あらためて、あの時、こんなことしましたねえ。あれもやりましたねえ、って、話しになりました。 一人の役員さんの声がけで、一人のおっさんの運命も、また、あれに引き続き、大勢の子どもたちがいろんな場所で科学講座を受けるチャンスも創ったのです。すごいことだと思います。 ぜひ、恩返しをしたいと思います。ありがたいことです。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.04
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驚きのある受験指導が、今日の私のテーマでした。珍しく、受験指導員になってしまいました。 数学は、数の並びの不思議。そこから、最小公倍数の考え方と求め方を教えました。トランプ遊びもしました。昨日は、地球の実際の大きさを測る計算作業をさせました。宇宙旅行の計算もさせました。 英語は、英語の歴史から入りました。読み方や文法の基礎をグレートブリテン島を中心とした歴史のドラマの流れで教えてみました。 最後に、暗記作業では、超スピード学習法を伝授して、不規則動詞を全部秒速でクリアさせました。自分のノーミソをほめてやらせました。自分の能力に驚いてくれたようです。 私は受験指導のプロではありません。受験業界には、それなりの目の付け所、勘所があるでしょう。寅さんは、科学教室のノリですすむしかありません。 瀬名秀明さんによれば、(『パラサイト・イブ』でデビュー。薬学博士でもあります。)科学とは「驚きを驚きとして認めた後、その驚異を理性的に考え、理解しようと努める姿勢」のことだそうです。 まずその発端に「驚き」という、ひどく人間的な情動があるのです。 科学とは違いますが、驚きは受験生にとっても生命線だと思います。情動に働きかけないものは、理解も、記憶もできないのではないかと思うのからです。 同じ1+1=2の式でも、そこに、いろんな思いを込めることができるか、いろんなイメージを浮かべることができるか、これが、ポイントだと思いました。 しばらくぶりの、受験指導、ひとまず無事、まあまあ満足して終了することができました。 自分へのご褒美。何にしよう。今度は、高校生のカップルが指導を受けに来るようです。え~~、何~、どういう顔してやればいいんだ!(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.04
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ご縁があって、中3の子、2人の受験指導をはじめました。数学ですが、分数、割り算、小数点、比例、メチャクチャです。よく、これまで、ガマンして授業を受けてきたね、って、ねぎらいの言葉をかけてしまいました。こりゃ、拷問だったろう。2次関数どころの話しじゃありません。 でも、こういう子が、相当いるのでしょう。学力向上が叫ばれていますが、こういう基礎の基礎が抜けている子の補修は、塾や家庭教師が穴埋めしてやるしか、ないんだろうなあ。中学校の先生の責任とは言えないでしょう。なら、小学校の先生の責任か。 うん、そうだよなあ。基礎の基礎が抜けたまま、中学校に上げてしまった。でも、なあ。現実的な忙しさを考えると、70%の責任としか言えないかも。 なら、現実的に、置いてけぼりの子は、どうすればいいんだ。地域から、補助の先生をいっぱい投入して、フォローをしてやるしかないと思います。 今日、一番心配だった、勉強アレルギーというか、トラウマの部分は、何とかクリアしたようです。数学とは、何なのか?数学が好きな人のノーミソは、どう違うのか、ということを解説したつもりです。明日、また来るので、いよいよ患部にメスを入れます。 とにかく、ご縁に感謝。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.03
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先日の講演会で、南修治さんのCDが紹介されました。中学生の気持ちを、こんなに言い表している詩もないじゃない?3つばかり曲を聴きましたが、うっすら涙をうかべているお母さんもいました。 わかってほしい愛されたいと求め続けたのにこんなに傷ついてしまったよ心の中の このやるせない思いを誰か抱きしめてくれるのならぼろぼろになって生きていくなんて何が楽しいものかひとりぼっちで生きていくなんて誰がすすんで選ぶものかわかってほしい、ただそれだけなんだ姿、形、言葉じゃないんだわかってほしいただそれだけなんだ心の叫びを聞いてほしい愛されたいと求め続けたのにこんなに傷ついてしまったよとがめられれば その言葉の数だけ心は痛んでいくばかり本当はこんなことはしたくないのにせずにはおれないのは何故ちょっとした勇気があればいいのに身体が動かないのは何故わかってほしいただそれだけなんだ心閉ざすそのわけをわかってほしいただそれだけなんだ強がり言ってるそのわけを愛されたいと求め続けたのにこんなに傷ついてしまったよ押さえきれない怒りと悲しみを誰かにぶつけてしまうのさ本当の自分を伝えられるものならば投げやりになることもなかっただろう共に泣いてくれる人が一人でもいたならば心を開くこともできただろうわかってほしいただそれだけなんだ悔しくてたまらないこの気持ちわかってほしいただそれだけなんだ悲しくてたまらないこの気持ち 南修治さんのHPがありますので、ぜひ、ご覧ください。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.03
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ニュース23に藤原和博さんが出られ、イジメ対策について語りました。見ました?最後に、「校長先生という立場から言いにくいけれど、いざとなったら、学校に来なくてもいい、」と言ってました。そして、「プライドを捨てる」ように、とも。 私は、このプライドというのが、くせ者だと、なあるほど、と思いました。プライドがあるから、親に話せないんですね。相談できないんですね。弱音をはけないんですね。 プライドを持て!というのは、多くの中学校の標語になってるんじゃないでしょうか?親も、プライドのために生活して、プライドのために教育しているんじゃないでしょうか? プライドを捨てさせる教育が必要なんだ!!誤解を招きやすい言葉ですが、「ちっぽけな」プライドを持たせない教育でしょうか。親子関係が、プライドをベースにできあがっているとこりゃ、相談できないですよね。 また、損得を超えた、いわば、バカになる教育も必要でしょう。人間は、黙っていれば、ちっぽけなプライドをもち、損得ばかり計算する傾向をもっています。それを、ぶちこわすのも、教育ではないでしょうか? へ、へ、なんて、私は逆説が好きなんだ。 でも、真の愛情とは、生きてるだけというか、あなたが存在しているだけで、私はとってもうれしい。という世界でしょう。 そこに、あなたが、才能があるから、とか立派だから、が、入ると、励ましが相手を殺してしまいます。 ああ、バカな親になろう。偉大なバカ親父に。バカかあちゃんバンザイ。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.02
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今日の中新田小学校2年生の「ドロリン・スライム研究所」では、後半、いろんな材料を提示して、子どもたちに自由に、オリジナルスライムを作らせます。 最後には、「食べるスライム」づくりに、みんな取り組むのですが、2~3人の子は、みんなにお構いなく「食べられない」スライム作りを続けています。こういう子も、後から、みんな食べ始めると、「ボクもやる」って言ってくるのは明白です。 普通なら、叱るところでしょうが、私は、彼らは、食べ物はどうでも良いくらいに、スライム研究に没頭しているのだ、と感心してしまいます。そして、彼らの研究の邪魔はしないようにしました。 実際、彼らの目には、友だちのことなんか、全然入っていないのです。 案の定、食べるスライム(ゼリー)ができて、食べ始めると「先生、ボクもやる」って来ます。残念ながら、本当に時間が無くなって、彼らは作ることはできませんでした。でも、彼らが、自分で選んで、スライム作りを続けたこと、そして、いっぱい面白いスライムを作ったことを誉め称えますと、(本心から、素晴らしいと思ったのです)文句を言わずに、彼らも感謝さえしてくれました。2年生ですよ。 私は、いろんな子がいていいと思うのです。 それにしても、かわいい子たちでした。「イタズラの極意」を真剣に聞いてくれました。 (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.02
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もし、自殺した子に、一人でも心を打ち明けられる大人がそばにいれば、決してこういうことは起きなかったでしょう。 昨夜、千葉喜久也先生の講演会を聞いて、ハタと気づきました。 悪者探しが続いて、誰かの欠点を指摘しあう空気がふくらんでいます。しかし、そうじゃないんだ。欠点をもつのは、人間の特徴。だから、人間は愛しいのだ。良い悪いも含めて、抱きしめる空気。これを家庭も学校も創ってきていたのか、ということ。 親も含めて、誰一人、その子の真の話し相手になれなかったことを恥じ入るべきです。そして、イジメている側の子も、同じ問題をかかえているものです。人を非難する相乗効果ではなく、人を理解する風土の不足を、マスコミは取り上げてもらいたいと思います。一番、ショックを受けているのは、親のはずです。だって、肝心のところで、心が通じていなかったのですから。この視点こそが、最も根本的だと思います。 この失敗を、全国の親に警鐘として鳴らすことこそ、供養だと言えるのではないでしょうか。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.02
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先日の「あるある大事典」で、片付けられないのは、脳の弱点のせいだ!という話しが出ました。ピンポン! ピンポン! 私は、散らかっていても気にならないタイプとゴチャゴチャ押し入れにぶち込んでしまうタイプ それぞれ、視野の狭さと空間認識力の弱さが原因のようです。すごく納得しました。さっそく、私なりのトレーニング開始。 目玉を意識的にあちこち動かすようにして、空間イメージをより拡大させようと意識してみました。 そうしたら、すぐに効果が出るではありませんか。見よ!寅さんの机の上。ビフォーア、アフターの世界です。 それにしても、今まで、気づかなかった。私は、自分でもADHDの傾向があると思い、集中力を自慢にさえ、していたのですが、見るべきモノも見えていないし、認識に盲点がいっぱいあるということは、やっぱり、居心地が悪い。 まだ、まとまってませんが、何か、この世界に認識論にもつながっているような気がします。 片方で、広い世界など要らないという自分の声。これも誘惑なんだなあ。 ともかく、明日使う実験道具が見つからないというのは、マズイ! (共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.01
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「思春期・反抗期の子どもたちを どう守ればいいのか?」というテーマで、今晩、講演会を行います。私じゃないですよ。東北福祉大学の千葉喜久也 先生です。大崎市では、何度も、どこでも、講演をなさっている実践型の先生です。 全く、中学生なんて、生命自体の危うさをもっているんですよね。昆虫の脱皮のときの危うさと同じみたいですね。心と身体が大きく脱皮するときですから、本人が意識すると否とに関わらず、生命の危険を背負っているわけです。 ところで、何人来るんだろう。主催者として、ここがアタマが痛い。 ところで、ところで、ここ二日、ブログを書いてストレスを発散できないほど、マジメに仕事をしてしまいました。仙台に何度も行き、書類を書き、いやー、それにしてもブログを書くのは、ストレス発散になるけれど、報告書や申請書の作文は、アタマが眠ってしまいます。 また、また、実験・実験の日々が続きます。天国です。生きているという実感をつかむ瞬間です。子どもたちを、バチっと揺さぶったという瞬間、これは、総理大臣になった瞬間よりも、生き甲斐のある時だと思います。本当にありがたいことです。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.01
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