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◆取り調べ適正化『取調官』制でプロの誇りを 佐藤隆夫(元群馬県警生活安全部長)opinion(2008/3/13 朝日新聞)より抜粋 富山県のごうかん冤罪事件や鹿児島県の選挙違反無罪判決を受け、警察庁が捜査上の問題点を検証し、取り調べ適正化指針をまとめた。・・・警察庁は重大な不祥事や不適正な事件処理といった問題が起こるたび、都道府県の警察本部に詳細な報告をさせ、具体的な対応を指示している。そうした指導は常に適正であったのか。両県警とともに、警察庁も反省のステージに潔く首を並べるべきだ。 「適正化指針」の内容にも疑問がある。 指針では、被疑者の体に触れることや尊厳を害する言動などは監督の対象となる行為と既定している。・・・ 被疑者への侮辱や暴行が逆効果でしかないのは、まともな捜査員には常識だ。捜査員は限られた時間で供述を得るために、被疑者の語る人生に粘り強く耳を傾け、自らの心に秘めた傷さえさらけ出し、お互いの心の回路を築くことに集中する。・・・ そもそも、取り調べ中の問題行動は、知識の不足や監視の目がないから起きるのではない。個々の捜査員の資質、能力に起因したところで起きるのである。監察の強化などで一律に縛りつけても、現場を萎縮させるだけだ。透視鏡などによる監視も、取り調べのプロセスで不可欠な「凝縮した空間」の形成を妨げ、捜査員を追い込むだけでしかない。 いまは、操作部門に配属されると、ほぼ自動的に取り調べも担当する。その結果、操作能力は高くても性格的に取り調べに向かない捜査員が混在している。強引で不適切な取り調べを防ぐためには、玉石混交の状態を改める「選別」と「ふさわしい処遇」の実施こそが必要なのだ。 具体的には、メンタルテストや実務評価などで、人格・能力ともに備えた捜査員を選抜し、一般の捜査員より格上の扱いを受ける「取調官」を新設して指定するなら、選ばれた自覚とプロとしての誇りを植え付けることができ、取り調べに向かない捜査員も排除できる。 管理ばかり強めても士気を低下させるだけであり、逆効果でしかない。そのことに気づくべきだ。◆私の視点佐藤隆夫(元群馬県警生活安全部長)2006/12/2朝日新聞 この国の人々は、こと冤罪問題に関しては、「次世代(将来世代)に引き継がない」云々より、「現冤罪被害者全員の救出」を急務と考えているように思います。 自分も今は、「第二・第三の石川さんを生み出さない」と言っている場合ではなく、石川さんご本人の解放が最優先課題と考えているくちです。 はたして、「取り調べのプロ」の後継者を養成することで、間に合うのかどうか、ぜひお尋ねしたいところではあります。*関連ニュース冤罪劇:「証人の椅子 徳島ラジオ商殺し」--「劇工房 橋の会」来月上演 /茨城 (毎日新聞 2008年5月12日 地方版)とろうのおの中島虎彦歌集より手も足も出ない頚椎損傷で狼藉だけはたらかずにすんでます車いすが免罪符になるはずもなく酷評なども甘んじて受けるガンジーの無抵抗主義はやらなくなっても胸に燦然(さんぜん)とある
March 31, 2008
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相手の生きかたに責任をもつとは(恋愛他己責任論)(泉鏡花『風流線』より)136/19438%表示 大サイズ画面「まあ、御覧なさいまし。」・・・ 標題に、 救小屋非人控 馬之部 と先づ読まれたのである。・・・ 子丑寅卯と書く、・・・恐らく是は救小屋に養はれる人々の、干支を部類分にしたのであらう。・・・やがて発見したのは、辰、虎などの類がなく、熊、鹿などの種類のあること。・・・137/19438%表示 大サイズ画面「見て、幸之助さん。巨山はね、養ふ人を、内緒で皆畜生にして、其を楽にして居るのです。・・・これを見た時の私の驚き。・・・活きた仏といはれる人の、名も、行も懐かしくつて、一緒に働いて見たいばかりに、看護婦にでもなつた気で、縁付いたのが悪かつたの。慈善だの、どうのつて、婦人が生意気なからですよ。・・・138/19438%表示 大サイズ画面 暫時して否、否、否。「最う、然うやつて、死んで了ふのが望だけれど、それでは一旦、兎も角も主人にした巨山に済みません。・・・ 長い内には、主人の心を改めさして、真個の慈善者にしなくつてはならないと、思ひます。 また生意気なやうですがね、神仏が悪魔になつては、どんなにか、世の中の道が廃りませう。 ああいふ風で、かうやつて、まあ宛然國中の、道徳の手本になつて居る巨山が、実際恐ろしい人非人と知れますと、・・・巨山一人の為ではない、何しても一心に、思直させなくてはならんのです。・・・ あとは秘されるものならば、神仏にも秘したい。最う此の帳面といひ、私たちの此の姿、其処にある行燈の、消えずに見るのも恥かしい、芍薬も清い花、汚はしくつてしぼみませう。」
March 29, 2008
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八切 人聞しましたところでは、今ではゲイが市民権をもってますけども、当時は最大の悪徳だったんで、柳田國男さんはこれをバラすぞというような圧力を受けまして、俺はいいけれども、折口信夫が可哀そうだからと言い、途端に民俗学の方へ行っちゃったそうです。あれだけ頭のいい人ですから、あの人が原住民史をやってくだされば、私ごときが生涯かけて前人未踏の途を手さぐり足さぐりやらなくても、まだ当時なら資料も多く残っていたことでしょう。次にやはり手がけられてやめられた白柳秀湖先生の場合は、ひとり娘さんがやはり人質みたいなことになってしまって、男親っていうのは娘がかわいいから、結局あの先生も、せっかくいいとこまで行ったんだけれども、プレッシャーをうけ、やむなく中止して右翼の評論家として亡くなられました。・・・自殺ということは何か・・・吉村昭っていうのが、作家というのは異常な者だと思われてるけれどもノーマルな者である、と東京新聞に書き、作家ノーマル説というのは、それから三浦朱門とかの連中が言い出したことなんで、だけどノーマルだったら作家になるなんてわけないですよ。アブノーマルだからこそ作家であるべきではないでしょうか。私は自分がそうなるだろうと。八切止夫は破滅型で全財産を研究に投じているので、この点は真剣です。
March 11, 2008
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確実な資料に基づいていいますが、戦争中に札幌で皮革商をしていた人は、津島の太鼓商と商売上の付き合いがありました。中央融和事業協会の愛知県の役員とも付き合っていました。太鼓商は、全国各地の皮革商と商取引があったのです。つまり、全国各地の部落の様子とか、皮革産業の実情などもよく知っていた、ということでもあります。トドやオットセイ、熊といった動物の毛皮は、本州でも良い商品となりましたから、関西方面から、かなりたくさんの皮革商人が北海道へ渡っています。 それから、北海道の場合には、もうひとつ問題があります。明治以後になりますと、屯田兵ではありませんが、農業移民というかたちで、全国各地の部落から主に道東地方を中心にして、かなりの人たちが移民をしています。農業移民というのは明治二〇年代から本格的になるのですが、そのころから広島とか岡山、北陸の石川、富山、あるいは奈良とか滋賀県とかから、たくさんの部落の人たちが移り住んでいます。 そういう人たちが形成した部落というものが、北海道にはあるのです。当時は、政府や各府県の行政から土地の購入費や半年間の生活費がわずかではありますが支給されました。ですから、こうした部落というのは明治以後に形成されたもの、といってよいでしょう。群馬県や東京の練馬の部落の人たちも移民していっている資料があります。ですから、北海道に部落はない、とはいえないわけです。しかし北海道は、東京とおなじで、先祖がどこで何をしていた者であるとか、前歴を問題にしないところですから、部落問題が意識されることはないかもしれません。ですが、札幌で皮革商の娘さんが相手から結婚を拒否された、という事件が一九八〇年代から散発的におきていますから、問題は死んでいないし、部落問題がまったくなくなっている、とはとうていいえません。 そうした北海道農業移民は、政策としては一九三一(昭和六)年まで続きます。以後は、一九三一年に始まる「満州事変」という中国に対する侵略戦争の過程で満州農業移民が政府から奨励されますが、その政策に受け継がれていきます。満州移民では、広島や熊本、長野県からはかなりたくさんの部落大衆が移民していっています。熊本県の来民開拓団の集団自決事件はよく知られている悲劇です。 あたたかい 心一つに とつがせる ぼやき川柳 NHK某ラジオ番組三月八日放送分より
March 10, 2008
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「徒然王子」(2008年3月7日朝刊掲載)より ハナの肌の色が濃いのも、彫りが深いのも、カゴシマの夫の血筋を引いているからではないか。薩摩隼人(さつまはやと)の遠い祖先は黒潮に乗って、東南アジアからやってきた縄文人で、その血筋を引く彼らは濃い顔をしている。ハナはその遺伝子を受け継いだに違いない、と思った。この子は先祖返りをしたのだ。 (2008年4月24日朝刊掲載) ――このあたりにはヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトやクシナダヒメノミコトが祀(まつ)られた神社もあります。一帯を開拓したのは武蔵一族で、もともとはイズモの出身だったんです。ヤマトタケルも東征の途中、ミツミネ山に登り、この国を産み落としたイザナギとイザナミに思いを馳(は)せたそうです。 ――そうですか。私の先祖はみんな戦う神々だったんだな。 ――チチブからスワへは歩いてゆけます。スワ大社に詣でたことはありますか? ――あります。タケミナカタノカミが祀られているところでしょう。 ――タケミナカタノカミは鉄に関係の深い神です。狩猟や武術にまつわる信仰を集めてきました。鍛冶屋(かじや)の神でもあります。タケミナカタノカミはオオクニヌシノミコトが国譲りをすることに反対し、スワに逃れてきたと『古事記』にあります。実は私の先祖もイズモの出身で、スワに移って来たんです。ここに来る前、私はスワで刀鍛冶をやっておったんですよ。 ――では、タケミナカタノカミと同じですね。代々、刀鍛冶だったんですか? ――先祖はそうでした。明治になってから、刀鍛冶は用済みになったので、しばらく途絶えておりました。私の父がイズモに修行に出まして、三代ぶりに復活したんです。私は跡を継ぎましたが、娘しかおりませんで、また私の代で途絶えることになります。鍛冶屋というのはずっと同じ場所にいられません。炭焼き と一緒に、各地を転々として暮らすものなんです。いい砂鉄の取れるところはそんなに多くはありません。それに鉄を鍛えるには大量の炭が要ります。両方が手に入るところに「たたら」が組まれますが、同じ場所で精錬できるのは四、五年、小さなたたらだと、一年も鉄を吹いたら、よそへ移りました。鍛冶屋が去ったあとは禿山(はげやま)になります。そこで焼き畑農業をやる人もいます。作る野菜を変えながら、五、六年、収穫を得ると、土地がやせるので、そのまま放置します。それから、二十年も経(た)つと、また元の雑木林や松林に戻るのです。
March 7, 2008
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とうない 芝居では「国姓爺合戦」で鄭成功を和唐内というが、加賀や能登では党内というのは騎馬系ではなく、平氏の者らをさしていうが、甲府北巨摩郡では猿飼をもいう。 党内というのは、埼玉県の狭山あたりでは武蔵七党と称するように集団を党とよんでいたから、その仲間をいう。つまり垣内カイトとか院内と呼ばれるのと同じことで吾々の庶民のご先祖さま。トウナイは「唐でない」が正しく、契丹系の者に使われ海洋渡来の八ではない。「八ゆえ十ないの隠し言葉」というのはひどい。芝居の「和藤内」みたいに、トウナイとは垣内と同じ意味でゲットー収容の非人間、つまり除外された者をさす言葉であり、ハチヤは八の民である。
March 3, 2008
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