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よくニュースで「各地の話題」として取り上げられる、火渡り神事。護摩木を燃やした後の燃え殻の上を素足で歩くシーンがよく出てきます。今回、その神事の一部始終を見て、その上で是非体験しようと思い、行くことにしました。この日、神事が行われるのは、滋賀県野洲市の菅原神社です。JR野洲駅から「木部循環」と書かれたバスに乗り換えて10分、「江部」バス停から5分ほど歩いたところにあります。このバスが1時間に1本しか走らないという貴重な足。開始時間ならびに神事の申し込みの締め切り(午前10時)に間に合うためには9時半発のバスに乗る必要がありました。行きのバスには、観光客らしき人は2~3人程度に見えました。本当に、あの有名な神事は行われているのか、心配になりました。が、神社に近づくと、車で来ている人の数が多く、すでに境内は多くの人で賑わっていました。入口右手に、その火渡り神事の受付があります。さあ、申し込もうかと思ったら、受付の横に大きな看板が立っていました。そこには「火渡り神事希望者必読のルール」が書かれていました。一、遊びではなく厳格な神事である一、申し込みは自由であるが自己責任である一、神威を信じ精神を統一して歩くこと一、話の種子にするために歩くのは邪心である一、神事に傷害保険はない自己負担一、酒気は天神が喜ばない行為である …よく読んで納得の上、申し込んでくださいん?これはひょっとして自分は4番目に該当してしまうのではないか、とたじろぎました。追い討ちをかけるように、「火渡り神事への参加は自己責任でお願いします」とのアナウンスが流れます。が、目の前で明らかに観光で来たおばちゃん達がガンガン申し込んでいるのを見て、「この人たちには負けられない」と変な敵愾心を燃やして申し込むことにしました。先着150名。住所と電話番号、名前を書いて、1500円払えばOK。引き換えに「足型守」(あしがたふ)を授かりました。午前10時になると、神事が始まります。ここからしばらくは神事らしく、神楽の奉納や祝詞奏上、玉串奉天、来賓の挨拶などがあります。ユニークなのは、国家鎮護から商売繁盛、無病息災まで、様々な祈願の特別串や護摩木を一気に焼くところ。今年は乾燥しているせいか、きれいな白い煙が上がりました。火の勢いが激しく、この燃えかすの上を歩くのは、とてつもなく熱そう...さらに、宮司からのあいさつでは「ここの火渡り神事は、他と違って、水をかけたりしません。中途半端な気持ちでは決して参加しないでください」とダメ押しのように言われました。大丈夫かなぁ。この神事では、宮司が大活躍です。境内のアナウンスによると、この宮司さんは伊勢神宮や日吉大社などといった名門神社で約30年修行を続けて、地元の神社に戻ってきたということです。そのせいか、荒行に対する免疫があるというか、気合の入り方がすごい。何のウォームアップもなく冷たい水をかぶり(寒水行)、他の参加者に先駆けて火渡りをします。さてさて、2時間に及ぶ神事の最後に、火渡りが行われます。護摩木の燃え殻は、幅3m、長さ4m(くらいだったと思います)の広さに整えられます。深さは10センチあるでしょうか。燃え殻から火が出ることはありませんが、ところどころから煙がシュワッと出ています。先頭を切って宮司が渡りました。続いて、地元の氏子をはじめとした150人の参加者が次々と渡っていきます。最初は受け付け順に渡っていきますが、途中からは全く関係なくなります。僕はグズグズしているうちに、最後に近い順番になってしまいました。素足になり、ズボンの裾をひざ下までまくり上げて列に加わります。この日は気温が低く、日差しは暖かいのですが、足元を通り抜ける風は冷たかったです。境内の小さな砂利石も、足の裏にめりこんで、じんわりと痛みます。さて、自分の番がやってきました。神職からは「下を見ないで、まっすぐ前を向いて歩いてください。背中をたたいたら、スタートしてください」と指示されました。まもなく、ドン、と背中をたたかれます。アドバイスのとおり、前を見て3歩進んだところで、足の裏が急激に熱くなりました。思わず「アチッ!アチッ!」と叫んでしまいました。本当に熱かったです。そう、僕は手の皮が薄いのか、敏感なのか、熱いものを触るのが苦手です。それが足の裏についてもそうなのかもしれないと感じました。あるいは、精神統一がまだまだ足りないのかもしれません。燃え殻を渡った先には、ちょうど両足が乗るくらいの大きな硯があります。足の裏についた炭を落として、硯にのり、自分の持ってきた「足型守」に乗ります。自分の名前の両脇に足を乗せます。手形ならぬ足形です。うーん、ちょっと美しくないですねぇ。自分の足形の入った「足型守」を居間か寝室に飾れば、その年の無病息災がかなうといいます。あまり部屋の景観にはよろしくないような気がしますが、とりあえず寝室に置こうかと思います。足形をとったところで、あとは境内の脇にある冷水で黒ずんだ足の裏を洗います。この冷水がまた冷たい!持ってきたタオルでふいて、靴をはくときには、足の指がすっかりかじかんでました。お祭りが終わったのは12時半。最寄り駅に向かう一時間に一本のバスは12時37分発ということで、そそくさと神社を後にしました。バスに乗って一息つくと、熱さと冷たさと、砂利の食い込みに耐えた足の裏にはジンジンとした鈍い痛みを感じました。が、気がつけば、昨夜からうっすらと感じていたのどの痛みが取れていました。
2007年02月25日
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関西の味覚を象徴するものと言えば、あっさり味のうどん。讃岐うどんは、関西の味というと語弊がありますが、あっさり味うどんの代表格とも言えるものです。人気店が営業している土曜日、うどんがおいしく感じられる寒さなどの条件がそろい、この日、讃岐うどん巡りを決行しました。だしの旨さだけでなく、麺の食感や、店ごとに異なる注文方法など、多くの発見が待っていました。1杯100円~250円ながら、豊かで奥行きの深い世界が待っていました。できたてのうどんを食べるには、午前中が勝負です。大阪から最もスムーズに高松に行けるルートを探しました。早朝から車で行くという方法もありますが、体力的な面と、瀬戸大橋の高い通行料を考えて、鉄道+レンタカーを選択しました。午前7時30分新大阪発の「のぞみ」に乗車、岡山で「マリンライナー」に乗り換えて、9時16分に高松着。高松からはレンタカーを利用しました。地図でもわかりにくいうどん店に行くには、電車やバスなどの公共交通機関では不便だし、タクシーを使うとお金がかかります。ということで、レンタカーを借りることにしました。ただし、カーナビ搭載が絶対必要条件です。事前に「麺通団のさぬきうどんのめぐり方」(西日本出版社)を読みました。このガイドは店内のイラストや注文の仕方、店周辺の地図がとてもわかりやすく掲載されていました。これなら初心者でも迷わずに店に行き、段取りを間違えずに注文できます。この本には"初心者向け黄金モデルコース"のプランニングが特集されています。これが回転時間や、各お店の位置関係、定休日をもとに非常によく練られたものだったので、これに自分なりのアレンジを加えました。1)がもう 場所がとてもわかりにくいのですが、お店の何倍もある広い駐車場があって、早くも行列ができていました。かけうどん(小)を注文。ごわっとした麺。だしがあっさりとして、あっという間に平らげました。2)田村 地味な看板。ちょうど間が良くて、お客さんの少ない時間帯でした。しょうゆうどん(小)を注文。麺がもちっとした食感でかなりしっかりしています。しょうゆうどんは磯辺焼きを食べているような感覚。かけうどんは、魚のだしが効いてます。すりおろしのしょうががピッタリ。お店のご主人の屈託のない笑顔が非常に印象に残りました。3)山越 讃岐うどんのランドマーク的なお店。かまたまうどん発祥の地です。さすがに行列が50m近くあって、一番長かったです。かまたまは、自分がたまごをうどんに絡ませなかったために、パッとしない味になってしまいました。反省。だしの方は、マイルド。うどんとだしの調和が取れていました。 このへんで、かなり満腹になってきました。だしを飲んだからかな?4)中村 「食べた瞬間に麺が消える」という食感は、本当でした。細くてやわらかい麺、「田村」で味わった魚の風味が効いただし。おいしかった!この4軒をまわったところで午後1時。かなり満腹だったので、ここで腹ごなしにと、金比羅宮に行きました。785段の石段をのぼり、本宮へ。1年ぶりの参拝です。前回参拝したときに購入した、幸せの黄色いお守り、持ってくるのを忘れてしまいました...こんぴらさんを下りても、ぜんぜんお腹が空かない。それなのに、ふもとの土産物屋で「しょうゆソフトクリーム」を好奇心で買ってしまいました。最初の印象は普通のソフトクリームですが、後味でしょうゆの香りがたってきます。でも甘さと矛盾がない。非常に面白い味でした。というわけで、結局、5軒目には行かずに、讃岐うどん巡りをストップしました。塩入温泉でゆっくりと湯につかってから、まっすぐ大阪に戻りました。新大阪に着いたのは午後7時30分。ちょうどぴったり12時間の日帰り旅行でした。たかが、うどん、されど、うどん。讃岐うどんひとつで麺の固さ、食感、だしなど、とても豊かなバリエーションがあることがわかりました。どのうどんもキャラが立っていて、何度でも行きたくなるような魅力がありました(あえて2つ選ぶなら、田村と中村です)。今回は初めてだったので、また次回、よりディープに行ってみたいと思います!
2007年02月24日
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今年に入って熊野詣をしたことで、「今年は神社巡りの年」にすることにしました。神社の由来や、その信仰を知ることは、日本のルーツを探ることに近いのではないかと思います。そこで、「日本のルーツを探る旅」第2弾として、宮崎県の高千穂に行くことにしました。高千穂は「天孫降臨」(てんそんこうりん)、つまり日本建国の神々が降り立ったという神話の里です。夜神楽最終日・3連休・たまったマイレージと要素がそろったことで、この日に行くことにしました。神話の里にふさわしい、景色、自然の造形を見ることができました。高千穂には、高千穂峡・高千穂神社・天岩戸神社・国見が丘と、「神話の里」と呼ぶにふさわしい不思議な地形と美しい自然、清らかな雰囲気を持った神社があります。そのひとつひとつを車(レンタカー)でまわりました。☆高千穂峡☆高千穂の中心部から少し坂を下がったところに、高千穂峡はあります。観光用駐車場は料金500円。駐車場の近くにはボート乗り場があります。今回は一人旅なのでパスしましたが、渓谷の中をボートで動くのは眺めも面白く、楽しそう。高千穂峡は、アコーデオンの蛇腹状の岩面がとても独特です。これは約12万年前と9万年前に、阿蘇山から流れ出た溶岩が急激に冷やされたためにできたもので、柱状節理と呼ぶのだそうです。自然現象とは言え、このような特殊な形の岩を見るのは初めてです。岩清水の両脇に切り立った崖、崖の上から糸のように流れ出る「真名井の滝」など、確かに神秘的な雰囲気があります。滝の近くには「鬼の力石」という、高さ3mはあろうかという巨大な岩があって、注連縄で飾られていました。さすが、神話の里です。☆高千穂神社☆高千穂峡を上がっていくと、高千穂神社があります。1200年以上の歴史があると言われています。境内には、樹齢800年を超える秩父杉や、1つの根元から2本の杉が生えている夫婦杉などの巨木が立ち並び、静かでひんやりとした空気に包まれています。社殿は国の重要文化財に指定されています。白木の鳥居や、これまた重要文化財の狛犬など、アプローチから本殿まで、清らかな空気に満ちていました。この日は建国記念日ということで、「建国まつり」の主催者が神事に参加していました。☆天岩戸神社☆天岩戸神社は、高千穂の中心部から約7kmと、少し離れたところにあります。この神社は神話で有名な岩戸隠れの地として知られています。その神話をダイジェストで言うと、こういうことです。「太陽の神・アマテラスが、スサノオノミコトの悪行に耐えかねて、岩屋戸(洞窟)の奥に隠れてしまった。太陽の神が隠れてしまったので、世界は暗闇になってしまった。困った八百万(やおよろず)の神が天安河原に集まって相談した結果、岩戸の前で宴会をすることにした。その宴で、天鈿女命(アマノウズメノミコト)が胸元もあらわに面白おかしく舞ったことで盛り上がったところ、アマテラスが岩戸を少し開けた。そのとき、手力雄命(タヂカラノオノミコト)がアマテラスを外に連れ出し、この世に光を戻した」社務所で申し込めば、その岩戸のあったという場所を見学することができます。と言っても、天岩戸は、遥拝所から見て、細い岩戸川をはさんで対岸のがけ下。そこは神域とされていて、神官も立ち入ることができません。案内役の神官の説明を聞いても、それがどこなのか、はっきりと特定することはできませんでした。でも、うっそうと茂る木々、切り立った崖、静けさの中で聞こえる川のせせらぎが、この地をスピリチャルなものにしています。社殿は西本宮のみ。境内には立派なオガタマ(招霊)の木が立っています。高千穂の夜神楽で使われる鈴の形は、このオガタマの木の実を模して造られたと言います。常緑樹で、品の良さを感じさせてくれます。もうひとつ、古代銀杏の木が立っていて、こちらは非常に珍しいのだそうです。このような貴重なご神木があるのも、由緒ある神社の重要な構成要素のひとつではないかと思います。天岩戸神社から歩いて10分弱、先ほどの神話で、八百万の神が打ち合わせをしたという、天安河原に向かいました。透き通った岩戸川、高千穂峡でも見た柱状節理の岩の横を通ると、この地の神秘性が増してきます。そして、鳥居のある洞窟に突き当たります。それが天安河原です。鳥居の周りには無数の石積みがあり、霊感のない自分にとっても、ここはとても霊の強い場所ではないかと思われました。☆国見が丘☆標高513mの丘にあります。やはり高千穂の中心から10分余りでしょうか。駐車スペースはありますが、小さな売店が一軒、頂上に碑が立ってベンチが点在しているほかには、とても静かでのどかな場所でした。ここからは高千穂の町や阿蘇山など、360度見渡すことができます。10月~11月頃の早朝には雲海が見渡せると言う、絶景の地です。国見ヶ丘の名前の由来は、神武天皇の孫の建盤竜命(たていわたつのみこと)が九州統制の折、この丘から周囲を眺めたという伝説にあります。確かに、ここから日の出を見たら、絶景かも。元旦の朝は初日の出を見ようと、多くの人が訪れるのだそうです。天孫降臨の地と言われる神話が生まれるのも不思議ではないと思いました。(参考:http://www.komisen.net/shinwa.htm)天岩戸神社は、伊勢神宮や、熊野三社がそうだったように、原生林と切り立った崖や岩、透き通った水といった、人間の力ではなしえない圧倒的な自然のそばにあります。神社と自然崇拝には密接な関係があることが、この神話の里でも証明されたように思いました。そんな環境の中に身をおくだけで、心洗われるような気持ちになりました。
2007年02月11日
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「神話の里・高千穂」のひとつの大きな特徴が高千穂の夜神楽です。天岩戸(あまのいわと)に隠れた天照大神を外に出すために天鈿女命(あめのうずめのみこと)が岩戸の前で調子良く面白く舞ったのが始まりだとされています。国の重要無形民俗文化財に指定され、毎年11月末から2月まで、高千穂町内の19の地区で行われます。その地区の氏神様を神楽宿に招き、収穫感謝・鎮魂儀礼・豊穣余祝などの祈りをこめて、夕方から翌朝まで三十三番の神楽が奉納されます。この日は、高千穂夜神楽の最終日。高千穂の中心街から10kmあまり離れた上田原(かんたばる)地区で行われました。節分と立春を過ぎているため、この日の夜神楽は「春告祭」と呼ばれるそうです。夜神楽が行われることはわかっているものの、具体的な行き方や開始時間がわからないまま、町に着きました。とりあえず高千穂駅に行き、お土産屋さんにさしてあったパンフレットを参考に現地へ行くことにしました。お店のお姉さんは、「近くに行けば、看板が出ているはず。もう始まっているかもしれないし、明るいうちに下見をしておいた方がいいわよ。面白くなるのは深夜になってからだし...」とアドバイスしてくれました。会場(神楽宿と言います)は、国道325号線から少しはずれたところにありました。看板はたったひとつなので、見逃すとわかりません。駐車場は乾いた田んぼ。でも少しだけぬかるみが残っています。晴れててよかった。雨の日の場合はセダンだと出られないかも。でも、あぜ道を走るので、大型車は不向き。入口には「熊野権現神社」の幟が2本立っています。夜神楽ができるように民家を改装してました。建具を外して、開けっ放し、完全なオープンカフェ状態です。中央の部屋に大きな祭壇が設けられて、その前で神楽ができるように注連縄で「神庭」(こうにわ)というゾーンをつくり、天蓋を下げていました。夜神楽が行われる間、この神庭は神聖な空間と考えられ、女性が入ることは厳しく禁じられているということです。中央の部屋の正面の土間には小さめの緑の祭壇がありました。そこに手足をしばられた猪が横たわっていました。ちょっとびっくり。最初に訪ねた時は午後3時半ごろ。まだ少しずつ準備をしているような感じでした。夜神楽のスタートが午後5時半であること、翌朝9時過ぎまで続くことなどを確認して、とりあえず会場を離れました。夜神楽に入る前に食事・防寒などの準備をするためです。再び訪れたのは午後6時前。受付で「ご神前」(現金のこと)を渡して、中に入りました。すでに夜神楽は始まっていて、多くの見学者でいっぱいでした。畳に座れるスペースは、神庭の周囲に4畳縦列と縁側くらい。当然のように立ち見です。やはりカメラオヤジはいいポジションをキープしてました。(その情報収集力と行動力は敬服に値しますが、周りの見学客を顧みずにカメラを振り回して視界をさえぎるのは、カメラマンとして失格だと思うのですが、気づかないものでしょうか?)。立ち見ゾーンには暖がとれるように炭が置かれてます。近くにいると暑すぎるくらい。夜神楽は、午後5時半から翌朝9時半すぎまでの約16時間、33番の神楽を「ほしゃ殿」が代わる代わる舞います。「ほしゃ殿」とは、神楽を舞う人のことで、奉仕者という意味から来ているそうです。夜神楽が33番なのは、観音様が33の化身により人々を救うという考え方から発しているそうです。さて、夜神楽はまだまだ序盤でした。神様をお迎えし、その場を祓い清める舞が奉納されていました。5番終わったところで、神事・直会(なおらい)があります。直会は、降臨された神々と住民が一体になる食事の儀式で、カッポ酒(焼酎)と煮物をいただきます。見学者や、儀式が終わってから「ふるまい」としてお裾分けをいただくことができました。後で、うどんや善哉なども振る舞っていただきました。会場の気温は外気と一緒でとても寒いので、非常にありがたかった!1番ごとの解説は他にゆずるとして、夜神楽の特徴や印象をまとめると、こんな感じです・神楽には、神面をつけて踊る「面神楽」と、面を着けない「素面舞」に分かれる。「面神楽」の方が動きが多彩で劇的。・神楽によって、鈴・榊・御幣・太刀・弓矢など、手に持つものが異なり、それがその神楽の願いや性格を表す。・神楽1番につき、登場する「ほしゃ殿」は2人~6人?くらい。「ほしゃ殿」は白い着物に白い袴姿。・「ほしゃ殿」は小学生くらいから還暦を越えたくらいの人まで、およそ20人がローテーションのように登場する。 (でもこれだけの数の踊りを覚えて、マスターするのは大変だと想像します)・「ほしゃ殿」は、次の演目の準備や、太鼓や笛の演奏、「ふるまい」の手伝いなど、ステージに上がらない間も忙しい。・一番多いリズムは「ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ、ドン」。バリエーションは多くない。最初は、供の舞が多いのですが、徐々にベテランが入ってきて、神楽の内容がしまってきます。深夜1時過ぎには、見学客がクラッカーを鳴らして、銃声を表現し、その結果として、(事前に準備された)猪が収穫として出てくる、という派手な場面もありました。自分は午前2時を過ぎたところで寒さと眠気が限界に達して、宿に帰りました。慣れている地元の人たちや、気合いの入った見学客は、まだしっかりと残っていました。翌朝、9時過ぎに再合流。最後の2番を拝見しました。実は、最も肝心の「岩戸五番」を見ることはできませんでした(早朝だったもので...)。この岩戸五番こそ、天照大神が隠れている天岩戸を探り当て、天鈿女命が舞うシーンがあって、これこそ高千穂の夜神楽のハイライトなのです。残念!これはまた別の機会に挑戦しようと思います。終わったのは、午前9時42分。「上田原神楽、バンザイ!」と万歳三唱してめでたく終了しました。天蓋にさがっていた切り絵を一枚いただき、お土産にしました。地元の方々の神楽にかける思いの強さや強靭なスタミナが印象に残りました。まさに「神話の里」ならではの夜神楽でした。
2007年02月10日
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2月6日、年に一度のお燈まつりにあわせて、神倉神社に近い熊野速玉大社と熊野那智大社に行くことにしました。1月に熊野本宮大社に行っているので、これで熊野三社すべてをお参りしたことになります。まさにインスタント熊野詣! この日はウイークデーのど真ん中で、会社で取れる休みはたった一日。日帰りでしかも夜には神倉神社に行かなくてはなりませんので、時間配分を気にしながらの行程となりました。ということで、最短で目的地に着くために、大阪からの往路はJRの特急「オーシャンビュー」で紀伊勝浦へ。さすが、その名の通り、白浜から紀伊勝浦までの車窓風景は、美しい海、リアス式海岸や、立ち並ぶ奇岩など、魅力のある景色が続きました。進行方向右側の窓側席がベストポジションです。9時22分発の特急で、12時30分の到着です。これが最短というのもなあ、という印象ですが、紀伊半島の地形は、海岸以外、山・山・山…鉄道や自動車が高速で走れる平地がほとんどないのです。昔、地理で教わった「日本は山がちな国土」という表現がピッタリなところです。紀伊勝浦からはレンタカーを借りました。もちろん、カーナビつき。深夜に大阪に戻るので、乗り捨てです。☆熊野那智大社紀伊勝浦から車で15分、熊野那智大社は山を少し上がったところにあります。「この先通行止め」と書かれた、みやげ物店のあざとい看板に見事にひっかかって、吸い込まれるように有料駐車場に入りました。熊野那智大社は那智の滝を祀る神社です。滝と神社の間には400段を超える石段があり、一度に両方を見ることはできません。まずは石段を下り、那智の滝を見に行きました。那智の滝は幅13m、落差133m。断崖絶壁を一気に流れ落ちる様は迫力満点!日本の三名瀑と言われるだけのことはあります。滝口には注連縄が張られているところに、滝を神として崇める、この地の特徴がくっきりと現れます。さらに300円の拝観料を払い、お滝拝所に上がると、さらに滝に近づけます。そこからは、滝つぼに虹がかかっているのが見えました。今は岩肌が露出していますが、かつては滝の周りにも原生林が生い茂っていたといいます。想像するにつけ、自然の厳しさ、雄大さが伝わってきます。熊野信仰と自然崇拝が一体であったことをひしひしと感じます。滝から熊野那智大社へ向かいます。ここの石段473段を上がるのは、健脚でないときついです。那智大社のすぐ隣には、天台宗のお寺、那智山青岸渡寺があります。本堂は1590年に創建された桃山様式の建築で、国の重要文化財です。那智大社とあまりにも隣接してるので、ここが神仏習合の地であることがわかります。那智大社は、本宮大社とは違って、朱色の社殿が鮮やかです。お参りをして、熊野詣の必須のおみやげ「午王神符」を購入しました。社殿の向かいには休憩所があって、標高500mから紀伊勝浦の町を見下ろすことができます。境内には、樹齢約850年の樟(くすのき)があります。太くて立派で強い生命力を感じさせます。なんと地面と接する部分が大きな空洞になっています。護摩木を購入し(300円)、願い事を書いて奉納すれば、中を通ることができます。もちろん、入ってみました。まるで胎内体験!(実際のところ、そんなのわかりませんが)少しは巨木の生命力をいただくことができたかもしれません。☆熊野速玉大社那智大社からは車で30分くらい、午後3時30分頃に着きました。お燈まつり当日で混んでいるかと思いきや、観光客の姿はそんなに目立ちませんでした。ただ、参道でまんじゅうを売っていたおばちゃんに「これから混むから、車はそのまま(参拝客用)駐車場にとめておいたほうがいいよ」とアドバイスしてもらいました。(確かにその通り、後で駐車スペースを探す車を何台も見ました)神門の手前には樹齢約1000年というナギの木がありました。存在感以上の、生命力を感じさせます。社殿は、那智大社と同じく鮮やかな朱色です。それほど広くありませんが、由緒ある神社ならではの清らかな雰囲気がありました。早速ここでも「午王神符」を購入。これで熊野三社の「牛王神符」をそろえて持つことができました!参拝をおえて、境内を出ると、「お燈まつり」に参加する上り子たちがパラパラと町に出てきていました。いよいよ、年に一度のビッグイベントが始まろうとしていました。熊野三山は、「熊野本宮大社:来世の救済」「熊野那智大社:現世の救済」「熊野速玉大社:過去の救済」に色分けされます。この三社に詣でることで心と体がよみがえり、人間本来の美しい姿に戻るとされています。中世から続く熊野詣を、電車とレンタカーを使って巡れば、2日で回れます。神社のもつ清らかな雰囲気と、周囲の豊かな自然の中に身をおくことで、日本人が古くから持っていた自然を尊敬する心を感じ、安らかな気持ちになりました。
2007年02月06日
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毎年2月6日の夜、和歌山県新宮市の神倉神社から、およそ2000人の真っ白な装束を着た男たちが、燃え盛るたいまつを手に538段の石段を一気に駆け下りるお祭りがあります。1400年以上の歴史を誇る、この「お燈まつり」。祭りの勇壮なことや、祭りの当日に女性が神社に入ることを禁じていること、鎌倉時代に築かれた石段の傾斜が急で駆け下りるのが困難なことなど、見どころ満載のお祭りです。午後4時、一度、神倉神社に上ってみました。538段の石段からなる参道は「中の地蔵」という中間地点を挟んで、上半分と下半分にわかれます。源頼朝の時代に「鎌倉積み」という方法で積まれた石段は、現代のまっ平らなものとは異なり、不規則でゴツゴツと上り(下り)づらくなっています。下半分の傾斜はスキー場の超上級者向け斜面と同じくらい(45度?)で、上から見ると、下の段が死角になって見えないようなところもありました。ここを上るのはロッククライミング的なスリルが少しあります。ここをゆっくりと上るだけで息が上がります。ここを超えると、上半分の石段はなだらかに感じます。神倉神社は巨大な岩「ゴトビキ岩」を祀ったものです。実際に行って見ると、小さな山にできた巨大なたんこぶのように見えます。どんな自然現象がこの巨岩を山上に運んだのか、本当に不思議です。おそらく、太古の昔の人も同じように思ったのでしょう、だからこそ、この岩は神様(熊野権現)が天から最初に降り立った霊地とみなして、信仰の対象にしたのです。このゴトビキ岩が熊野速玉大社のルーツであり、熊野信仰のはじまりだとされているのが一見しただけでわかります。そんな圧倒的な迫力がありました。一度下山して、社務所でアマチュアカメラマンとしての入山許可をもらいました。いい写真を撮るためではなく、祭のクライマックスを目の前で見るためです。1000円を払い、腕章を借りました。その際に、祭の参加者(=上り子)は、午後7時までに入山しなければなりませんが、それよりも1時間は早く撮影ポイント(スタート地点のすぐ上)にいるように、アドバイスをいただきました。***ここで「上り子」(のぼりこ)について、説明しておかなくてはなりません。上り子とは、当日夜、神倉神社に上り、松明を持って石段を駆け下りる男たちのことです。お燈まつりは神の火をいただく神事なので、心身ともに清らかでなくてはいけません。そこで、当日は朝から海で禊をしたり、入浴したりして、身を清めたうえで、白装束に荒縄を胴に(7 or 5 or 3回)巻きます。足元はわらじ。手には五角錐のたいまつを持ちます。当日の食事は白米に豆腐、かまぼこなど白いものしか食べません。祭りの当日、神倉神社が女人禁制なのは、男女の役割分担に基づくものです。上り子を送り出した女性は、闇の中で「おこもり」をして祈りをささげ、男たちが持ち帰ったご神火を家に迎える役割があるといいます。男たちはご神火を手にまっすぐ帰って家に火を灯し、女たちは「さかむかえ」という祝いの膳を用意して、家族で喜びを分かち合います。お燈まつりは火の恵みに感謝するお祭りなんですね。***午後6時、また石段を登り、祭りが始まるまで、カメラマンの近くで待機です。今年が暖冬でよかった?。午後7時近くになると、上り子が「わっしょーい」という掛け声とともに、石段をあがってきます。暗闇の中に白装束がぼんやりと見えます。上り子は、神倉神社の山上鳥居の門の内側に入って、神火がやってくるのを待ちます。上り子はおよそ2000人!この敷地に入りきるのか、心配になります。その年の一番乗りを目指す、地元の若者たちは、スタートダッシュができるよう、門が閉まる直前に敷地に入れるように待ち構えます。門の近くでは血気盛んな上り子が派手にケンカしてます。荒々しいお祭りになってきました。午後7時半、ほら貝の音が響き(これが味わいのある音なんです)、大松明についたご神火が見えると、上り子達も「おおーっ」と歓声を上げます。まるで競馬のファンファーレを聴いたあとのファンの反応みたいな感じ。ボルテージが上がっていきます。介錯に守られながら、大松明は一度、「中の地蔵」まで降り、上り子代表の持つ松明に点火したあと、再び山上鳥居に入ります。ご神火が、約2000人の上り子の松明に移されていきます。たいまつの煙がもうもうと立ちます。暗闇に包まれていた山が一気にオレンジ色に染まります。寒かった空気が少し温まります。鳥居の下の門、つまりスタートラインでは、ポールポジションを取りたい上り子たちと、20人近い介錯との激しいせめぎあい。介錯は長い棒を使って、豪快に仕切っていきます。上り子のポジション争いのため、門がなかなか閉まりません。競馬にたとえると、門が閉まったところで「各馬ゲートイン完了!」。門をおさえていた介錯が離れたあと、門が開きます。それまでの間、ざわめきが少し静かになり、緊張が走りました。門が開くと、一番乗りを目指す上り子たちが一気に飛び出していきます。わらじなので、それほどダッシュできないのではないかと思いましたが、かなり速い!門から石段下の鳥居まで、歩いて5分かかったところを、1分足らずで駆け降りていくのだそうです。当然、急な坂と不規則な足場で、捻挫や骨折に見舞われる上り子が続出。でも祭りのときはテンションが高くて、痛さを忘れる人も多いのだとか。一番乗りを目指す人たち以外はゆっくりと門を出て行きます。一般参加型マラソンのスタートのようです。親子連れでゆっくりと降りていく人や、事前に参加申し込みをした観光客など、いろいろです。やはり2000人というのはかなりの人数で、坂の下から上まで、燃え盛る松明の火で、オレンジ色の帯が山にできていました。新宮節に「山は火の滝、くだり竜」という歌詞がありますが、まさにイメージぴったりのシーンでした。上り子が全員門を出た後、「アマチュアカメラマン」の自分もゆっくりと石段を降りました。なにせ真っ暗で足元がよく見えませんから。途中の「中の地蔵」で、足をくじいた上り子数人がぐったりとしていました。本当に痛そう。でも、介錯たちは「今年は少ないな」とつぶやいてました。社務所で腕章を返したのが、午後9時前でした。ここからの帰りがしんどかった!さんざん歩いた後で、新宮?紀伊勝浦?白浜?みなべの区間は、長い長い山道を走らなくてはいけません。午後9時半に出て、午前1時に大阪に着きましたが、着いたときには、集中力が限界に近づいてました。でも、このお祭りは見に行って本当によかった!日本人の信仰の原点を見るような気がしました。山・自然・火を崇める。キリストやイスラムのような一神教とは違った多様性と、自然に対するリスペクトに満ちたところが、自分にとって非常にしっくりとくる感じがしました。
2007年02月06日
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御田植祭りの中で「西日本三大奇祭」と言われる、おんだ祭り。場所は、飛鳥寺の近く、飛鳥坐(あすかいます)神社。西暦829年に現在の地に移されたという歴史のある神社です。五穀豊穣と子孫繁栄を祈るこのお祭りは、歴史を感じさせないほど、大らかなユーモアに満ちたものでした。そんなに有名な祭りでもないだろうと油断していたら、さにあらず。橿原神宮前駅からのバス乗り場には、通常の路線バスに乗り切れない客10人ほどがいました。いったいどんなすごい祭りなのかと思うくらい、大変な賑わいでした。飛鳥坐神社に着いても、その賑わいは増す一方で、おそらく200人くらいが適当なキャパシティではないかというところに、1000人近い人が来ていたのではないかと思います。前の人がしゃがまないので、見られない人が続出。特にカメラオヤジが異常に多く、ずいぶん早い時間から場所取りをしていたようです。後から来た人も他の観客を押しのけ、立派な一眼レフで撮影開始。撮った写真をいったいどうするのでしょうか。さて、祭りは祝詞奏上や玉串奉天などの神事の後、祭りは天狗と翁が、牛に鋤を引かせます。ところが牛は逃げ出そうとしたり、さぼろうとしたりします。そのさまがほほえましいです。田が鋤き終わると、宮司が苗に見立てた松の葉で田植えをします。その松の葉が並べられた後、参拝客に撒かれました。お神楽をはさんで、第二部では、天狗とおたふくの結婚式から新婚初夜の夫婦和合、出産までが演じられます。新郎が巨根をふりまわしたり、和合の場面では翁が観客の視線をわざとさえぎったり、おたふくがオーバーに恥ずかしがったりと、ベタベタなまでの寸劇が展開されます。和合が終わって、おたふくの股間を拭くために使われた紙(福の神ならぬ拭くの紙)が観客に向かって投げられました。受け取った人は、その年、子宝に恵まれるのだそうです。ほんまかいな。まあとにかく、おしくらまんじゅうをしながら、民俗的な儀式を拝見した、という感じです。明るく健康的な下ネタに、ドタバタコメディ。お笑いの原点を見るような、わかりやすくて、ほのぼのとした、日曜の午後のお祭りでした。でも、子供にはどうやって説明するんだろう?
2007年02月04日
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「関西にいるうちに、一度は祇園で花街体験をしてみたい」という夢がついに叶いました! 伝統未来塾の特別授業という形で、お茶屋さんで舌鼓を打ちながら楽しい時間を過ごすことができました。しかも、この日は年に1度のスペシャル・デーで、特別な出し物がたくさん見られました。満足、満足!この日の会場は、祇園甲部のお茶屋さん「桝梅」。ここは舞妓さんが暮らし働く「置屋」の機能と、お客さんが遊ぶ「お茶屋」の機能の両面を兼ね備えています。あの大石内蔵助が通ったという「一力」はお茶屋の機能しかありません。さて、桝梅は、祇園の中心通り、花見小路のすぐ近くにありました。門の右上に小さく「お茶屋」の板がかかっていました。入口からほどよく打ち水がされて、雰囲気満点です。まず、体験の前に、花街の仕組みや客としての心がけなどについて、解説をいただきました。・京都には5つの花街がありますが、どこかひとつの花街に通い始めたら、浮気することはできません。・「芸者」はNGワード!この単語を使うだけで、花街に通う資格がなくなります。舞妓さん、あるいは芸妓さんと呼ばなくてはいけません。・舞妓さんは、デビューから4~5年目まで。デビューは10代半ば以降がほとんどです。カツラは使わず、地毛で髪を結います。そのため、一度髪を結ったら、1週間は洗うことができません(夏は5日)。・舞妓さんの中でも、1年目はかんざしからこめかみに花がプラプラと下がるものを使います。新人の襟は赤く、経歴を重ねていくにつれて白くなっていきます。・舞妓さんは、正式に芸妓さんになる前に「襟かえ」といって、置屋でお礼奉公をします。・芸妓さんは、島田のカツラを使い、衣裳は自前。生活は自立していますが、夜遅くまで働いて、午前中は踊りやお茶の稽古があります。それぞれ一ヶ月に7回は行くそうです。・結婚したら、即退職。花街は「いちげんさんお断り」の世界です。信頼で成り立っている仕組みなので、それを壊すような言動を慎むことが求められます。酒癖が悪かったり、他人の悪口を言ったり、口が軽かったりすると、本人だけでなく、紹介してくれた人の評判に傷がつきますし、結果として遠ざけられていきます。お金はかかりますが、お金がすべてではなく、客としてのマナーや教養が求められます。その代わり、客として定着すれば、サービスは「あ・うん」の呼吸で行われ、支払いは後日請求なので手ぶらで気楽に行くことができます。この日、節分の日は、花街にとって特別な日です。芸妓さんが2~3人一組で仮装して、お座敷をまわり、寸劇や踊りを披露する「お化け」が行われるのです。節分の厄落としのために行われている風習だということです。確かに、花見小路にはカメラマンが何人かいて、仮装した芸妓さんたちをパチパチと撮っていました。宴席は午後6時に始まりました。地方さん(三味線2人)と芸妓さん1人で1曲、次に舞妓さん2人が登場して1曲「祇園小唄」を舞っていただきました。さすがに祇園小唄は2回ほど聴いたことがあって、「月はおぼろに東山~」などと口ずさむことができました。さて、そうこうしているうちに、早速、一組目のお化けが登場しました。しきたりとして、「お化け」が登場したら、拍手喝采で迎えます。出し物が終わったところで、盛大に拍手! さっきまで寸劇を披露していた「お化け」が近づいてきますので、お酒をいただいたり、差し上げたりします。芸妓さんがすごいのは、差し出されたお酒を必ず一気に飲み干していたことです。踊ったり演技をしてはお酒をぐいっと飲んで、次のお座敷へ回って行く。これを夜中まで繰り返すのですから、大変な体力とアルコール分解能力があると言えます。お茶屋は場所としての機能だけなので、食事は近所の料理屋さんが厨房でつくったり、仕出しの弁当を持ってきてもらったりします。今回は、お料理屋さん(“たん熊”さんでした)がお茶屋の台所でつくった暖かいものをいただきました。なんとも贅沢な体験です。食事をいただき、きれいな舞妓さんや芸妓さんにお酒をいただくと、さすがに気分上々になってきます。いやー、きょうはいい日だ、という感じ。そうこうしているうちに、また次のお化けがやってきます。食事・お酒・お化けが交互にどんどん出てきます。「金色夜叉」をベースにしながら、ライフカードのCMのアイディアをパクって、「愛」「お金」「勉強」と書かれたトランプの中からひとつをお客さんに選ばせて、選ばれたストーリーだけを演じたり、「たらこキューピー」を踊りの中に加えたり、殺陣のシーンの最後にQUEENの「We will Rock you」をもってきて盛り上げたり。それぞれ凝った趣向のものばかりでした。この日、祇園甲部では7組のお化けがいたそうですが、このうち5組を見ることができました。結構忙しく、あっという間に3時間半が過ぎました。この日は特別な日なので、お座敷はフル回転。部屋を開けなくてはなりませんでした。行ってみて思ったのは、やはり常連の方が圧倒的に楽しいだろうな、ということです。舞妓さんは常連を見つけると「あっ、△さん、来てくれはったの?」という具合にテンションは上がるし、話題に継続性があるから、深みがあって面白いし。彼女たちにとっても、経済的に豊かで知識のある常連さんは勉強になることも多いらしく、会って話すのがうれしいそうです。自分が期待(?)していた「こんぴらふねふね」や「虎拳」などのお座敷遊びは、次回のお楽しみとなりました。いつ次回があることやら...でも、とても楽しく、幻のようなひとときでした。ちなみに、このような花街の特別な夜は、この節分の日と、祇園祭の宵山の夜、午前0時30分~「手打ち」と言って、花街総出で盛り上げるのだそうです。中には入れなくても、見に行ってみようかな。
2007年02月03日
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きもの好きなら誰もが憧れるという、履き物専門店「ない藤」。履き物といっても、靴やサンダルではなく、草履や下駄、木履(ぽっくり)が専門。客の足に合わせた完全オーダーメイド制で、顧客にはお茶の家元や女優さんなどが名を連ねます。今回、伝統未来塾の授業に参加して、その深い履き物の世界の話を聞くことができました。やはりプロの職人さんの話は面白かった!今回、話を聞いたのは「ない藤」5代目の内藤誠治さん。去年5月に先代が亡くなって、後を継いだばかりです。「ない藤」のポリシーは「売らない・つくらない・捨てない」。最初の2つは逆説的に聞こえますが、「売らない」は売り手の論理を客に押しつけないという意味で、「つくらない」は客に合ったものしかつくらないという意味で使われるのだそうです。真っ白な草履や、東大寺のお水取りで僧侶が履く下駄など、様々な履き物を見せてくれました。側面に和紙を貼ったものや、漆を塗ったもの、全面に金箔が貼られたものなど、高い質感を感じさせるものばかり。これを履き物で使うなんて、もったいないように感じました。「ない藤」の履き物は鼻緒や台を修理して使い続けることができます。例えば、真っ白な草履が汚れてきて、すり減ってきたら、台を取り替え、漆を塗ると、全く別の草履に生まれ変わります。良いものを丁寧に長く使い続けることで、さらに価値が出てくるという好例です。内藤さんは、足を見ただけでその人の人生がある程度わかると言います。今まで見た最も美しい足は、岐阜の農村のおばあちゃんの足。その足に感動した内藤さんは「おばあちゃん、よく働いたんだね」と、しみじみ話しかけたのだそうです。逆に、とある令嬢の足は、あまりにもふにゃっと柔らかく、将来が案じられるということでした。顔の骨格と足の骨格にも関連があるのだそうです。先代は、顔を見ればその人の足がわかったと言います。その道を究めた職人ならではのエピソードですね。今から足を鍛えるにはどうしたらいいのでしょう? 「歩き出しの5歩でいいから、指先を感じて歩いてほしいということです。足の指先に力が入るようになれば、立ち上がるときによろめくことが少なくなります」「草履を履くと、所作がきれいになります」内藤さんは「履き物は3足で充分」と言います。1足目は「格調が高くて、自分が主役のとき」の真っ白な草履。2足目は「格調が高くて、自分が脇役に回るとき」の黒い草履。3足目は「格調が高くて、自分が気楽に履けるもの」。こうすれば、着物の色に合わせて何足も持たなくて済みます。履き物をつくる際には、どういう立場、どういう場面で使うかをはっきりさせること。色やデザインの好き嫌いではなく、格調の高さで選ぶこと。洋服のように好きな色で自己主張するのではなく、帯の格調を決めてから、着物、履き物を合わせていく、和服のコーディネートの仕方でいくとよいのだそうです。自己主張の欧米型と、周辺から調和させようとする日本型、足下のファッションにも文化の違いが出てくるようです。内藤さんは、今になって、先代の言うことが少しずつわかるようになってきたと言います。「履き物づくりは伝承でないといけない」。その美意識や精神性は、マニュアルでは伝わらないからです。履き物とは「家を出てから目的地まで自分を運ぶ仮の住まい」であり、「将来の自分のイメージ」を表すもの。そういう意識をもって履き物を選び、使ってほしいということでした。「ない藤」で注文すると、背丈や体重、体格と顔の形、用途など、事細かに聞かれ、完成までにおよそ1ヶ月かかるそうです。自分はあまり履き物に詳しくなかったのですが、つくり手の意識の高さに感銘を受けました。足下をおろそかにしてはいけない、と思いながら、汚れた靴をしんみり見つめてしまいました。
2007年02月03日
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