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「世界陸上、やってるな」と思っていましたが、大阪に暮らしていて、あまり大会が盛り上がっているとは思えず、しかも連日の猛暑、まったく行く気がしませんでした。ところが、友人から「きょうのVIP席、チケット2枚あるんだけど」と話を聞いて、急きょ行ってみることに。もらったチケットはなんと5列目!かなりの良席です。テレビで見るのとは大違いの数々に、戸惑ったり驚いたりの連続でした。競技開始は19時30分。しかも最初の競技が、日本人アスリートとして数少ないメダル候補・室伏広治選手が出場するハンマー投げ決勝ということで、急いで競技場へ足を運びます。ところが、最初に入ろうとしたゲートで入場拒否。「このチケットは入口が違います」。急いでVIP席のゲートに回り込むと、再び「このチケットは入口が違います」...どーなってるの? 会場を回り込んで、競歩のように早足で歩くこと15分、やっと正規のゲートを見つけました。駅からゲートまでの全体的な案内図がないまま、たらいまわしにされて汗だく、かなりフラストレーションがたまりました。急いで席に向かうと、そこには空席にちゃっかり座る外国チームのスタッフの姿。「ここは僕の席です」と言って、丁重にどいていただきました。その席は、なんと前から5列目。前の列はスポンサー接待の席らしく、白髪の紳士と、スーツ姿の営業マン、秘書らしき女性らが一列に整然と座ってました。ゴールラインが目の前にあります。こんな感じ。会場の半分は空席が目立ちます。あれだけ事前に宣伝がされていたというのに...世界陸上を9日間するよりも、阪神タイガース9連戦や、高校野球の方がお客さんが入るのではないかと思うのです。関西人には、馴染みのないスポーツに金をかけて見に行くほどの甲斐性というか、好奇心がないのでしょうか。誘導はイマイチ、客は入らない、これでは五輪もサミット招致もうまくいかないはずです。それとも、ただただ暑すぎるのか...席についた時、すでにハンマー投げは始まっていました。室伏選手が投てきのサークルに入っていくと、会場には大きな声援と拍手がわきおこりました。室伏選手は胸板も厚くて、他の選手と遜色のない立派な体格ですが、自分の席からはかなり遠くに見えました。結局、室伏選手は6位に終わりました。勝ったのは、ベラルーシのイワン・チホン選手。ハンマーを投げた直後に叫ぶ姿が印象に残りました。「行けー!行ってくれ!」と叫んでいたのでしょうか。勝利への執着を感じさせました。表彰式。振り袖姿のコンパニオンが先導したり、メダルを運んだりします。彼女らも暑いだろうな、と思うのですが、この振り袖の趣味が非常に悪いのです。エメラルドグリーン、黄色、赤...普通の和服では考えられない、どぎつい色ばかり。和服本来の奥ゆかしい、上品な色が一切出てきません。世界に向けてアピールすべき場面で、これでは逆に日本文化の否定ではないかと思います。着物業界は怒らないのでしょうか。この日の競技は、ハンマー投げ、女子3000m障害、男子1500m準決勝、女子400m準決勝、男子三段跳び、男子10,000m、女子100m準決勝&決勝でした。どのタイミングでトラックを見ればいいのか、フィールドを見ればいいのかわからないまま、競技が進行していきます。場内のアナウンスは響いてよく聞こえません。馴染みのない客が見やすいような工夫は、必ずしも充分ではなかったように思います。それでも、テレビでは見られない面白さが随所にありました。一番顕著なのは、選手の体格です。たとえば、男子10,000mのアフリカ人選手のひょろっとした体、動物に例えるとキリンみたいです。女子400mのジャマイカの選手の足の長さに注目!彼らに比べると、日本のトラック選手の間には、努力だけでは埋めがたいような、遺伝子の違いを感じざるをえませんでした。まるでサラブレッドやチーターが、柴犬と競争しているような感じなのです。走り方も実にしなやかでリズミカル。体のバネを感じさせます。上半身の揺れや、体の上下動がなく、脚力が見事に推進力に換わっていました。写真は女子400m準決勝。最後尾が日本の丹野麻美選手です。見ていて面白かった競技は、男子10,000m、男子1,500m、女子100mです。男子1,500mは、見ていてすごい迫力とスピードです。しかも集団での競り合いが激しい!選手たちの上半身がたくましいのは、競り合いで負けないためなのでしょう。ラスト1周に入ったところで靴が脱げる選手も。男子10,000mは、トラックを25周するわけですが、最後の3周の駆け引きが実に激しいのです。5人の先頭集団から、まずケニアの選手が仕掛けます。本命のエチオピアの選手2人がついていき、3人に。続いてエチオピアの若手が仕掛けて、エチオピア勢2人のデッドヒート。最後はベテランのベケレ選手が、まるで1500mの選手のような猛スピードで後続を振り切りました。「どこにそんな力が残っていたの?」というほどの速さ。驚きを通り越して笑ってしまいました。女子100m決勝は大激戦! 5人が同着したようにも見えました。いったい誰が勝ったのか、見ている誰もがわからず、選手たちも電光掲示板を見つめて、会場はしばし時が止まったよう。競馬の写真判定待ちのような感じです。結局、勝ったのはジャマイカのキャンベル選手。ウイニングランで近づいてきたときに見えた、足のたくましさ!すごい迫力でした。競技が終わったのは午後10時40分。前列の接待席は、ハイライトの女子100mを見ることなく帰っていきました。オッサンがそろいもそろって、何を見に来たのでしょうか。実にもったいない。世界陸上の特等席は、発見がたくさん、運営に対するツッコミもたくさんでした。実際に行ってみなければ知らなかったことばかり。ともあれ、チケットを譲ってくれた友人に、感謝、感謝です!
2007年08月27日
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四国の中心にある渓谷、大歩危・小歩危。大股で歩いても小股で歩いても危険、という意味をもつ、険しい土地です。自然がとにかく豊かで、付近を流れる吉野川は透明。酷暑が続く中、ラフティングにはもってこいの条件が重なり、祖谷のかずら橋と合わせて、大阪からの日帰り旅をしてみました。新大阪駅を出る、7時46分発のひかり。岡山で、中村行き特急「南風」に乗り換えます。大歩危に着いたのは10時38分。大歩危駅は、映画「スタンド・バイ・ミー」のような、圧倒的な自然と線路との調和が印象に残ります。★かずら橋へ★大歩危駅10時52分発のかずら橋行きシャトルバスに乗車。このシャトルバス、今年から運行されている、とても便利な路線だと思うのですが、あいにく車内はガラガラです。20分あまりで、かずら橋バス停につきました。バス停からかずら橋までは、5、6分ほど坂を下りていきます。マイカーやバスで来た観光客が多く、橋を渡るのに列ができていました。かずら橋は、弘法大師が訪れた際につくられたとも、讃岐屋島の戦いに敗れた平家の落人が源氏の追手から逃れられるように、断ち切りやすい橋をつくったとも言われています。標高1,000m以上の高山に自生する直径8cmのシラクチカズラを使って作られます。昔は太いかずらを使っていましたが、今は細いかずらがほとんどで、ワイヤーで補強しながら、3年に一度かけかえられます。すぐ隣に、コンクリの橋があるので、かずら橋はあくまでも観光向けです。かずら橋の通行料は1回500円。片道通行です。全長45m、幅2mと、それほど大きな橋とは言えませんが、これが結構恐ろしいのです。足場は鉄道の細い枕木があるだけで、足元はスカスカ。14m下の岩場がよく見えます。しかも、よろけたときに支えになるはずの手すり部分もぐにゃっとたわむので、全く頼りになりません。そのうえ、オッサンが「揺れてないと面白くないやろ」とばかりに、橋をわっさわっさと揺すります。さすがに、これには悲鳴が上がっていました。渡ったあと、少し歩くと琵琶の滝があります。ここだけ、周囲より一段と涼しくなってました。マイナスイオンを一身に浴びます。水もスッキリ透明!地元名産のメニューで昼食をとりました。「祖谷そば」そばがきを細く切り落としたようなそば。麺というよりも、荒削りで細いマカロニみたい。「でこまわし」味噌田楽。左から、じゃがいも・豆腐・こんにゃくの順。大きさがダイナミックです。「アマゴの塩焼き」地元の人によると、これは養殖ものだそうです。アマゴはてんぷらで食べたほうがおいしいそうです。かずら橋からは13時ちょうど発の、阿波池田行きバスに乗車。13時25分に大歩危駅に到着。★ラフティング@大歩危★13時30分、大歩危駅にラフティングツアーの主催する、モンベルのドライバーさんが、迎えに来てくれました。ここからモンベル岩原店へは約10分の道のりです。濡れてもいい運動靴、水着着用。ピチピチのウェットのようなシャツをもらって、更衣室で着替えます。ヘルメットとパドルを借りた後、ラフティング中の安全確保のため、15?20分レクチャーを受けます。パドルの持ち方や、川に流されたときの姿勢、ひものつかまり方などなど。ひととおり理解したところで、バスに乗り込み、上流に向かいます。半日コースのラフティングの行程はおよそ4km。4ヶ所の瀬を下ります。水量も多すぎず、少なすぎず、適量。天気は晴れ。実に穏やかなコンディションです。早速川に入ると、少しひやっとするくらいで、気持ちいい! ゴムボートの縁に座って、全身を使ってパドルを漕ぐわけですが、背筋フル活用です。およそ1時間あまり、ゴムボートから飛び込んだり、泳いだり、少しの間、童心に返りました。きれいで冷たい川に体を浸し、すっかりデトックスです。上がったあとは、ザッとシャワーを浴びて、スッキリしました。16時40分には、雄大な風景を眺めながら、ベンチで高知県特製のアイスクリン(アイスクリームのこと)を食べてました。再びドライバーさんに大歩危駅まで送ってもらい、17時51分発の特急「南風」に乗車。多度津乗り換え、高松へ。19時28分に到着。讃岐うどんをたくさんいただきました。高松から大阪に戻るための終電は、21時43分発のマリンライナーに乗ること。22時38分に到着。22時54分発の「のぞみ」で新大阪へ。一日フルに動き回って体はヘトヘトでしたが、充実感が残りました。
2007年08月26日
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街の中心から離れたところにありながら、一日一組しかお客をとらず、予約が難しいという敷居の高い茶懐石のお店が、京都にあります。「大原・卯庵」。茶室から掛軸、器まで、すべてが人間国宝クラスの「ほんまもん」ばかり、というすごい世界を体験することができました。今回、友人を介して、京都の老舗履物店の若旦那さま主催の会に入れていただきました。参加者は自分を含めて8人。スタート時間は午後1時。京都駅から車で40~50分、大原に向かう途中の道を少し入ったところ、山に囲まれた土地に、お店はひっそりとありました。卯庵には、本格的な茶事のコースと、比較的カジュアルな茶懐石の2つのコースがあります。きょうは後者のコース。まずは控え室に通されて、鞄を置き、衣服を整えます。続いて、待合で、地元の新鮮な水を一杯。この水を使って、本日の料理を作っています、と説明がありました。「用意ができました」と案内をいただき、草履を履いて、露地を歩き、食事の部屋に通されます。部屋のあちこちに「卯庵」にちなんで、うさぎのオブジェが各所に見られます。釘隠し、引き手、欄間などなど。床の間には、北大路魯山人が書いたという「寒山拾得」の掛け軸がかかっていました。寒山拾得とは中国の唐の時代の末期、天台山の国清寺に住んでいた2人の隠者のこと。よく画題として用いられます。座布団に座ると、まず、お酒がでてきます。北大路魯山人がつくった織部の徳利などが出てきます。お猪口は、各自でセレクト。僕は、人間国宝・清水卯一の師匠の...(ああ、名前を忘れてしまった!)、粉引のお猪口を選びました。器が素晴らしいというだけで、お酒もより一層おいしく感じられるというものです。さて、お食事はまず、八寸。これは珍しい、穴子の刺身。椀物は鱧とまつたけの出会いもん。人生最大の岩牡蠣!五島でとれたものです。豪快な「海のミルク」です。食事が中盤まで進んだところで、茶室へ案内されます。20年前に日本一の数奇屋大工に発注したという茶室ですが、4畳半の広さがありながら、部屋は暗くなってます。ご主人によると、利休好みにしたといいます。ここから先は撮影禁止。茶室の掛軸は、江戸初期の著名な文化プロデューサー、本阿弥光悦の直筆のもの。お茶碗は、江戸時代の楽茶碗が主茶碗、人間国宝の作品が替茶碗として出てきました。茶杓は蟻腰といってグラマーに折れ曲がった、珍しい茶杓が使われます。こういう「ほんまもん」が、当たり前のように、スッと目の前に出されます。こういうときに、きちんとリアクションが取れるかどうか、道具を用意する側の演出意図を汲み取れるかどうか、亭主と話を深めることができるかどうか、教養が試される場面です。干菓子と抹茶をいただきながらも、緊張する時間でした。食事は後半の部に移り、場所も大きな囲炉裏のある部屋に移りました。まず出てきたのは、うなぎの白焼きと蒲焼。四万十川でとれた天然もの。今までいただいたうなぎとは、歯ごたえがまったく違います。感激!つづいて、猪肉の味噌?焼きご飯はスッポンの雑炊でした。最初はあつあつで、少しずつさめてくると、とろーりとした食感が出てきます。コラーゲンたっぷり。山椒か黒胡椒をかけると、不思議なくらいにおかわりを重ねてしまいます。また、最初に食事をした部屋に戻って、デザート。桃のスムージーのような感じ。ブランデーが少し入ってます。器はもちろんバカラのグラス!眼福プラス満腹で、心身ともに充足感にあふれました。畳の上に寝転がりたい衝動をおさえるのに必死でした。最後のトドメは男性用アサガオ便器。北大路魯山人が自ら作ったという陶器が使われていました。すべてのサービスがおわって、お店を出たのは午後5時前。晩御飯はどうしたらいいのやら...日本の伝統工芸の多くや、数寄屋建築は、利休の茶の湯から発展してきたものです。卯庵の茶室、しつらい、器、料理、いずれも絶妙そのもの。彼らが提供するサービスにどれだけ感じて反応できるかで、桃山時代以降の歴史や文化に対する自分の教養が試されます。そうは言ってもテストではないので、リラックスした雰囲気のなかで、お店で文化的な香りを味わうのです。知れば知るほど面白くて、奥行きが深い。一緒に行く人と知識を深めることもできるし、感動を共有することもできます。とても知的な食事を満喫することができました。
2007年08月24日
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奈良県南部にある大台ケ原は、年間降雨量5000ミリと世界有数の雨量を誇ります。最寄り駅まで1時間半はかかるという人里離れたロケーションで、コケの多い林、水量豊かな渓流など、手つかずの自然に満ちたところです。この大台ケ原に入ることが許されるのは、4月中旬から11月末まで。(冬はドライブウェイが閉鎖されてしまいます)大台ケ原のトレッキングには東コースと西コースがあります。東コースは、初心者向けて、一番の名所、絶壁の大蛇?(だいじゃくら)などがあります。これに対して西コースは霧などで道に迷いやすく、ベテラン向けといわれます。ところが、西コースは9月から日本初の登山者の利用調整が行われ、2週間前までに入山申請を出さなくてはいけません。この雨の多い場所で、2週間前に予約を入れるのは覚悟が必要です。1)晴天予報の週末、2)予約なしで入れる最後の機会、3)街は酷暑、という3条件が重なり、西大台コースに行ってみることにしました。大台ケ原へは、近鉄上市駅からバスで1時間40分、あるいは自家用車で向かいます。バスの時間にとらわれないように、ということで、今回はレンタカーを選択しました。午前8時20分に大阪を出発。途中、大台ケ原ドライブウェイからの景色が、実に素晴らしい! クーラーも不要で窓を全開にして走りました。結局、お盆の渋滞に巻き込まれながら、現地に着いたのは11時30分でした。まずは大台ケ原ビジターセンターで情報収集。腹ごしらえと水分確保をしたうえで、12時ちょうど、西大台のコースに入りました。いきなり現れるのは、9月からの利用調整を示す看板。早めに来ておいてよかった~分岐が現れます。どっちに行けばいいのかわからないまま、左を選択。しばらく坂を下りていくと、巨大な岩がゴロゴロと積み重なる場所に。雨が降ると、ここを水が流れるのでしょうか?平坦な道に出て安心。涼しくて、空気がおいしい! 何度でも深呼吸したくなります。ところどころに沢があります。透き通って、ひんやりとしていました。鉄の橋がかかるところも。この鉄はどうやって運んできたのでしょう? 午後1時40分、目的地の「展望台」に到着です。展望台といっても、大台ケ原ドライブウエイほど見晴らしが良いわけではありません。20分ほど休憩して出発です。中間点の「開拓分岐」から、しばらく平坦な道が続きます。沢をわたると、青々とした苔がこんもりと覆う倒木。京都の寺では見られないような濃い緑色です。後半の道は上り坂が続きます。時折、足跡がなくなり、どれが道なのかわかりにくくなります。すれ違う人影もまばらで、ちょっと不安になります。それにしても、植生に詳しくないのが残念! このコースには、ブナの原生林やヤブレガサの谷、バイケイソウの大群落があるのです。どれがなんだかわからないまま、涼しさとおいしい空気を満喫して、午後3時50分に駐車場に戻りました。帰りは再び大台ケ原ドライブウエイ。標高1500mの景色は素晴らしかった!
2007年08月12日
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比叡山延暦寺。天台宗の総本山です。788年、この地に最澄が開山していらい、日本の仏教史における中心的な存在です。山の上にあることから、夏はとりわけ涼しく、お盆のころのライトアップは、訪れるには絶好の機会です。酷暑で苦しむ今年はまさにピッタリということで、行ってみる事にしました。公共交通機関を使って比叡山へ行くには、JR湖西線の比叡山坂本駅からケーブルカーで上がる方法と、叡山電車の八瀬比叡山口からケーブルカーとロープウエーを乗り継いでいく方法の二つがあります。行きは最も早い前者の方法をとりました。坂本ケーブルで上がると、眼下に琵琶湖と周辺の町の夜景が広がります。僕のデジカメでは小さな光の粒になってしまうので、まぶたに焼きつけるようにじっと眺めました。都会の夜景と違って、周囲が暗い分だけ、明かりが鮮やかでした。標高800mのケーブル山頂駅に到達すると、やはりさすがに比叡山、ひんやりとしていました。根本中堂まで10分の徒歩が実に気持ちよかった!根本中堂は赤く照明があたっていました。京都のお寺のほんのりとしたライトアップと違って、カラフルで色がきつい。それはそれで、戦国時代「山法師」と呼ばれる僧兵を養い、時に権力と戦いつづけた、比叡山の激しい歴史を物語っているようにも感じました。根本中堂の正面には、1200年絶やすことなく燃え続けたご神火を種火にして移されたろうそくがきれいに並んでいました。内側で護摩行にいそしむ僧侶の姿を見ながら、根本中堂とライトアップについての説明が行われます。文珠楼や阿弥陀堂、東塔も、赤くライトアップされました。それにしても、照明が赤いですね。お寺のライトアップといえば、京都の青蓮院が人気ですが、あれくらい上品に照らしてくれるといいんですけどね...京都への戻りは、比叡山頂からバスを利用しました。運賃は750円。三条まで所要1時間ほどで、効率がよかったです。
2007年08月11日
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関西には「伊賀」とか「甲賀」といった、「賀」のつく地名がところどころにあります。これらは忍術と関わりの深い土地であったといいます。これは、戦国時代からの名残り。特に、甲賀は忍者屋敷が唯一残っているということで、一度行ってみたいと思っていました。忍者屋敷ホームページには「JR草津線甲南駅下車 約2km」と書いてあるものの、バス運行されているのか、わかりません。ということで、レンタカーで行きました。現場は県道から民家をぬって少し入ったところにあります。平屋建てのような低さですが、実は二階建て。ひなびた風情がいいですね。600円を払って入ると、ガイドさんが屋敷内のからくりを説明してくれました。この屋敷の名前は「甲賀流忍術屋敷」。「忍者」ではなくて「忍術」なんです。そこがポイント。忍者は要するに戦国時代のスパイ。暗殺者というイメージがありますが、実際にはそれほど人殺しをするわけではないのだそうです。この屋敷はおよそ300年前、江戸時代(元禄年間)に建てられたものですが、当時を思わせる仕掛けが屋敷内のところどころに残っています。たとえば、・刀を振り回せないように、天井までの高さが異様に低い中二階がある・少し力を入れるだけで壁が180度回転する「どんでん返し」・異様に重い引き戸・隙間に紙を入れれば、閉まっていたように見えた「からくり窓」から脱出できる・屋敷全体の地下に張り巡らされ、外につながっている地下通路などなどです。日本建築というと、書院造や数寄屋造、寝殿造、といった様式が基本ですが、忍者屋敷はそのどれにもあたりません。随所にちょっとした工夫が凝らされているのは、非常にユニークです。敵の襲撃を想定して、様々な逃げ道を想定しています。落とし穴の底に竹やりが刺さっているというような、ベトコンのトンネルのようなことはなく、陰湿で残忍なトラップがないのがよかったです。甲賀は、信楽焼の産地のすぐ近く。帰りがけに、たらこキューピーのように均一に並ぶたぬきを見ながら「陶芸の森」を見学しました。
2007年08月05日
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日本一の広さを誇る、十津川村。関西の秘境と言える、人里離れたロケーション。日帰りドライブは盛りだくさんの旅になりました。☆恐怖の「野猿」☆村の最北端にある谷瀬の吊り橋から最南端へ、細い国道を40分以上走った先に手動ロープウェー「野猿」があります。猿が木のつるをわたって行くさまに似ていることから、名づけられたそうです。これで川を渡ることができます。今は近くに橋があるので観光客向けの素朴なアトラクションです。見るよりもやってみないと、ということで早速一人乗りの籠に乗り込ました。自分でロープを手繰り寄せることによって前に進みます。純粋に腕力だけで進むわけです。最初は快調そのもの、スイスイ進んでいきます。が、そもそも腕力に自信があるわけではないので、中間地点より少し先に進んだところでUターンしました。ところが、復路のあと5mくらいのところで、突然、腕が疲れて動かなくなりました。目の前には次に乗り込もうと待ち構える親子連れ...全身から冷や汗が出てきました。まわりの景色を撮影するふりをして、時間稼ぎをしてみましたが、そんなことで腕力は回復してくれません。なんとか最後はボートをこぐような要領で、足と腰を総動員して、スタート地点まで戻りました。はぁ~しんどかった。本当の汗と冷や汗で全身汗でぐっしょりです。ロープが細かったので、人差し指の皮がむけました。もし野猿にトライしようという人は、軍手を持ってきたほうがいいかもしれません。☆これぞスピリチュアル!玉置神社☆「野猿」から10kmあまり、ほとんど対向車が来ない、ひっそりとした山道をひたすら登っていった先、標高1000mをこえたところに玉置神社があります。駐車場から境内まで、深い木立の中を約10分ほど歩きますが、これが実に気持ちいいのです。空気はきれいで、日陰では少しひんやりとするほど。歩くだけでかなりリフレッシュします。さらに進むと、境内が見えてきます。ひっそりと静かに鎮座する様子に圧倒されます。その存在感は大峰山寺や三徳山投入堂に似ています。それもそのはず、7世紀後半に大峰山が修験道の本拠地になってから、修験者の拠点として栄えたのだそうです。修験道の厳かな空気に満ちていました。玉置神社には、神武天皇が熊野に上陸したあと、八咫烏に導かれてこの地を訪れ、神宝を鎮めて武運を祈願した、という紀元前の言い伝えがあるほどの歴史があります。858年には神仏混淆となり、その後も天武天皇や後白河院などが参拝、弘法大師が修行したとも伝えられます。周囲には誰もいないので、柏手の音が周囲に響き渡ります。この玉置神社の雰囲気を神秘的にしているのは、樹齢3000年ともいわれる杉の巨木が境内に点在していることです。代表的なのが、神代杉(じんだいすぎ)。高さ28m、太さが胴まわり8.4m。周囲を柵で囲っているために、直接触れることはできませんが、とにかくずっしりとした存在感です。同時に圧倒的な生命力を感じます。そのすぐ近くにある、夫婦杉(めおとすぎ)。こちらも別れることがなさそうな(!)安定感と迫力です。このほかにも常立杉や磐余杉と名づけられた巨木があり、国の天然記念物に指定されています。広大とまでは言えない境内に、これだけ立派な杉が点在することに畏敬の気持ちすら生まれます。玉置神社の社務所も必見です。国の重要文化財に指定されていて、杉の一枚板に描かれた襖絵が有名です。行ったのが午後4時半ごろで、そろそろ閉めようかという時間でしたが、お願いして入れていただくことに。拝観料は300円です。襖絵を見た瞬間に「入ってよかった!」と実感。襖は樹齢600年前後に相当するという、現代ではありえないほど立派な一枚板が並びます。そこに鶴や鶏、松などの花鳥図が生き生きと描かれていました。(もちろん、撮影はフラッシュなしです)この襖絵ができたのは1745年頃、狩野派の絵師・橘保春らが描きました。これだけの一枚板に絵を描くというのはあまりにも大胆です。人里離れた山奥に、これだけ立派な神社があることは驚きです。杉の巨木と、生き生きとした襖絵...熊野信仰の奥深さをひしひしと感じました。☆温泉「泉湯」☆十津川村では「源泉掛け流し」以外は温泉と認めない、というストイックなルールがあります。これなら安心して純粋な温泉を楽しむことができます。村には「湯泉地」「上湯」「十津川」の3つの温泉があり、それぞれ泉質が違います。今回は時間の都合で、「湯泉地」(とうせんじ)温泉の公衆浴場、泉湯のみに立寄りました。この湯泉地温泉、古くは1581年に戦国時代の武将、佐久間信盛が訪れたという記録が残っているほどの歴史があります。源泉温度が60度と高いので、恐る恐る湯船に入ってみると、これがなんとも良い湯加減で気持ちいいのです。同時に入っていた地元のおじさんは「水入れ過ぎや」とボソッと言ってましたが、自分にとっては本当にちょうど良い感じでした。とてもスッキリしました。関西の秘境、一日強行軍の旅、帰り道も、山道をくねくねと走りました。道幅の狭いところあり、山道あり、これがなかなかしんどいのです。大阪に戻ったのは午後11時ですが、着くとさすがにぐったりときました。が、自然を満喫し、温泉に癒され、とても良い一日で、心地よい疲れでもありました。
2007年08月04日
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日本一広い村といえば、奈良県十津川村です。そのスケールの大きさは、都市に住む自分にとってはケタ外れです。たとえば、・村の中心から最寄り駅まで車で1時間以上!・温泉は「源泉かけ流し」のみ!・コンビニなし!・普通自動車の対面通行が難しいほどの狭い国道が延々と続くまさに関西の秘境です。この日、村が誇るもうひとつの日本一、「谷瀬の吊り橋」で夜に行われる「揺れ太鼓」を見るために、大阪から片道3時間、うち半分近くが山道という日帰りドライブ強行軍の旅に出かけました。午前10時30分、大阪市内を出発。カーナビの指示の通りに、渋滞もなくスイスイと進み、最初の目的地には午後1時過ぎには着きました。ただ、着くまでには山をひとつ越え、対面通行が難しい国道を進んでいかなくてはなりません。衝突を避けるための注意がとりわけ必要で、到着すると少しぐったりします。☆日本一!谷瀬の吊り橋☆まず到着したのは、谷瀬の吊り橋です。長さ297m、高さ54m、日本一の吊り橋として有名です。夜のイベントの前に一度渡っておくことにしました。「20人以上が同時に渡ってはいけない」という横断幕が緊張を誘います。橋は真ん中に板が渡されて、板の両脇から真下が見えます。高所恐怖症にはたまらない光景が足下に広がります。時折吹く横風に、橋がゆらっとする瞬間があり、恐怖を増幅させます。自分も高いところは得意でないので、風が吹くと結構ビビりました。慣れている地元の住民や、高いところも平気だという人はスイスイと歩いていきますが、横風を受けるたびに「ひえー」という女性の悲鳴が聞こえてきます。中には、ご主人と息子さんがスイスイと渡ってしまったために、ひとり恐怖に耐えて涙を流しながら橋を渡る奥様もいらっしゃいました。一度渡ると、帰りは少し慣れます。この細い板の上をバイクで渡ってしまうという猛者が地元にはいるそうです。もしバランスを崩したら,,,と考えるとゾッとします。☆揺れ太鼓その恐怖の橋の上で、和太鼓を披露するという勇敢なイベントが、夜7時から行われました。「橋」にひっかけて、毎年8月4日に、地元の太鼓倶楽部のメンバーが日頃の練習の成果を披露します。和太鼓は大きいのが5台、演目に応じて小さな太鼓3台と銅鑼が登場しました。まさに「揺れ太鼓」、演奏のボルテージがあがると、橋が激しく揺れます。「橋の上で動揺して叩けなくなるんじゃないか」と見ている方が心配してしまいますが、彼らにとっては慣れたもの、全くそのような素振りはなく、一心不乱で緊張感のある音が一帯にこだましていました。演奏は約20分で終了しました。終わると、橋の下でキャンプをしている人たちからも拍手が聞こえてきました。十津川村の圧倒的な自然と和太鼓が心地よく融合したユニークなイベントでした。
2007年08月04日
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