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江戸時代、幕府で将軍が交代するたびに、朝鮮通信使が日本にやってきてましたが、その際に必ず訪れたのが鞆の浦です。瀬戸内海の中央に位置していて、潮の流れの分かれ目にあたるため、昔は潮の満ち引きをを待つ「潮待ちの町」として多くの渡航客が立ち寄った港町です。この町から瀬戸内海を望む眺望は素晴らしく、朝鮮通信使は「日本一の形勝地」と絶賛していました。今でも古い町並みが残されていて、なつかしい雰囲気に満ちているといいます。370年前の漁法を今に伝える「鯛網」と、瀬戸内海で最も早い花火大会があるということで、行ってみました。鞆の浦は福山駅からバスで30分のところにあります。今回、「バスチケットつき鯛網観覧券」を事前に購入していて、本来観覧券のみで3000円かかるのが、往復のバス代込みで3000円。バス代は片道530円なので、かなりお得です。この日は、瀬戸内で最も早い花火「弁天島花火大会」が行われるということで、堤防には場所取りのビニールシートが所狭しと敷き詰められ、屋台の搬入の車がひっきりなしに走っていました。☆町を散策鯛網は午後1時30分~なので、その前後に町を散策しました。まずは、沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)→安国寺とまわります。平安時代や南北朝時代に創建された寺社で、小さいながらも歴史と風格を感じます。鞆の浦の良さを感じるのは、常夜燈から太田家住宅の一帯。細い路地に町家や蔵屋敷が並びます。通りに面した格子窓がいいですね。近くには、大正モダンの建物もあって、喫茶店になっていました。(もともとは、理髪店だったようです)坂を上って医王寺から町を見下ろしてみました。なかなか素晴らしい景観です。雑誌で見た、美しい朝焼けの写真も、この場所から撮影されたようです。ここでは、ボンネットバスがまだまだ現役です。町によく似合ってます。☆鯛網(たいあみ)いま、鞆の浦で力を入れている「観光鯛網」、370年前(江戸時代)の漁法をそのまま再現したものです。この鯛網が行われる期間が5月3日~27日。つまり、この日は最後の週末ということで、団体客も多く、2隻に300人以上の観光客が乗船しました。鯛網の乗り場は、鞆の浦から船で5分の仙酔島にあります。仙酔島は1周6kmの小さな島で、原生林が生い茂って、海水浴場があって、温泉があって、国民宿舎がある、というコンパクトで盛りだくさんな島です。ベージュ色の岩がとても特徴的です。乗船前に、樽太鼓にのせて、漁師たちが大漁節を歌い、乙姫が大漁祈願の舞を踊ります。船に乗り込んだあと、まず向かうのは弁天島。ここでも乙姫と漁師たちが大漁祈願をします。指揮船につづいて、2隻の親船が一団となって漁場へ向かいます。鳥羽一郎の「兄弟船」でも流したくなるような光景です。あっという間に網が広げられ、しばらくすると漁師たちが掛け声にあわせて網を引き上げていきます。親船同士が近づくと、多くの鯛が上がってました。近くまで行って、写真を撮ったり、とれた鯛を買ったりすることができます。「2枚で1000円!」と威勢のいい掛け声が飛んでいました。結構たくさん取れるもんだと驚いていたら、地元の人たちは「近くの工場ができる以前は、もっとたくさん魚がとれたんだ」と言っていました。最後は、弁天島周辺をぐるっとまわります。暑すぎず、寒すぎず、非常に気持ちのいいクルージングでした。☆対潮楼で弁天島花火大会を観賞平安時代(950年)に建立された真言宗の寺院、福禅寺の本堂に隣接して、江戸時代に客殿として建てられました。瀬戸内海に向けて広く窓が取られていて、ここから眺める瀬戸内海の景色は素晴らしい! かつて朝鮮通信使が「日東第一形勝」(日本一の形勝!)と絶賛し、国の名勝に指定されたのがよくわかります。江戸時代は、位の高い人間だけが入れる場所だったということです。午後5時までの見学時間にギリギリ間に合うように駆け込んだら、入口で「花火を見るなら300円ですよ」と言われました。ここで花火を見られるとは知らなかったもので、その場で代金を支払い、最前列で場所取りをしました。まさにベストポジション!これはツイてる!花火は午後7時45分~午後8時30分。花火は弁天島から打ち上げられます。10章構成でテンポが良く、飽きの来ない展開。写真には撮れませんでしたが、水面に投網のように広がった後で大きく爆発する花火が印象に残りました。福山への帰り道は一本道で非常に渋滞する、ということで、花火が終わるや、ダッシュでバス乗り場へ。結構歩きました。会場から1kmはあったんじゃないでしょうか? なんとか大阪に戻ることができました。鞆の浦は、のどかで懐かしくて暖かくて、文化の香りのするところが、非常に良かったです。町の大きさも、半日で充分に歩いて回れます。尾道から観光船で来てもいいかもしれません。瀬戸内海の美しい景色とともに楽しめました。
2007年05月26日
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京都大学の裏、吉田神社の近くに予約しないと見学できない庭があります。昭和の作庭家、重森三玲邸の庭園美術館です。最近、この庭園はシャープの液晶テレビ「AQUOS」のコマーシャルに登場して、注目を集めました。今回、5日前にメールで予約しました。ホームページの地図を元に行ってみましたが、入口がわからずに迷ってしまい、予約していた午後3時に少し遅れました。中に入ると、すでに説明が始まっていました。書院+庭園の見学料は600円。茶室見学料を合わせると1000円でした。せっかくの機会なので、後者を選択しました。遅れてきたのに、再度最初から説明をしていただきました。感謝!重森三玲は、画家を志して上京したものの、ライバルの才能に意気消沈。関東大震災で一旦、故郷(岡山)に戻ってしまいます。その後、京都に移り、いけばなの研究を主に、庭園史の研究をしていましたが、1934年の室戸台風で破壊された庭を修復するため、全国300ヶ所の庭を測る機会を得ました。おそらく、これが彼の人生にとって大きな財産になったことでしょう。東福寺で造園の機会を得て、作庭家としての地位を築きます。徒弟制度の厳しい時代に、このような経緯で作庭家になるというのは、非常に珍しいことではないかと思われます。ちなみに、「三玲」は芸名で、フランスの画家・ミレーにちなんで名づけられたそうです。さて、肝心の庭ですが、書院の前に広がっています。大きな石組と鮮やかな苔、曲線の多い砂紋と、全体的にはモダンな印象の残る庭です。重森三玲らしい、起伏の豊かな構成です。書院から眺めることで、額縁庭園にも見えます。作庭の際、大きな石はクレーンで吊り上げて塀を越したそうです。庭園は、中国の風光明媚な土地をイメージしたものであったり、極楽浄土の再現であったり、禅の修行の地を表現していたりするわけですが、この庭園に関しては、何をイメージしていたのでしょうか? 書院は1789年に建てられたもので、この界隈で唯一、社家建築の様式を今に残しています。立派な格天井と、アメリカの彫刻家、イサム・ノグチから贈られたぼんぼりのような照明が印象に残りました。茶室・好刻庵は、1969年につくられたものです。こちらは、桂離宮の市松模様の襖、曼殊院の釘隠しなどなど、各地の建築の「いいとこ取り」になっています。下品な羅列に陥らないのが、重森三玲のコーディネート能力の高さを物語っています。予約しないと行けないのが残念ですが、庭の景観を守るためには仕方ない措置なのかもしれません。モダンな日本庭園を見るなら、オススメです!
2007年05月20日
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去年秋、京都で行われた「プライス・コレクション」展を見て以来、伊藤若冲や長沢芦雪、琳派など、江戸時代の日本画の美しさに魅力を感じてきました。この春、相国寺で若冲の最高傑作を集めた展覧会が行われる、という話を聞き、是非行ってみたいと思いました。折りしも、その展覧会のプレオープンに行った方の話を聞いて、その思いを強くしました。その話とは、・相国寺の有馬管長が、25年前に承天閣美術館を建てる際に、この展覧会のために展示室を設計した。実際に見てみたら、33幅の掛け軸がびっしりときれいにかかっていて、それはそれは壮観だった。・若冲絶頂期の作品で、とにかく見えないところにまで細かく線が入っている・現在の若冲ブームで、休日には観覧希望者が殺到し、主催者の予想では最長で5時間待ちという事態も予想されるということでした。これだけ面白そうな前口上があったら、行かないわけにはいきません。もう一点。この展覧会の意義について、最も的確に表現されていたのが、パンフレットの案内文でした。『古画の「釈迦如来像」と「文殊・普賢菩薩像」の3輻と、様々な動植物が極彩色で描かれた「動植綵絵」は、壮年の若冲が10年間を費やして描きあげ、亡き家族と自分自身の永代供養を願って相国寺に寄進した作品です。若沖の最高傑作として名高いこの作品は、明治時代に「動植綵絵」が皇室へ献納されて以来、全てが一度に展示されたことはありません』『この展覧会は、相国寺を開いた足利義満の没後600年を記念して「動植綵絵」全幅を宮内庁三の丸尚蔵館から拝借し、「釈迦三尊像」と、そして相国寺とのおよそ120年ぶりの「再会」が実現するものです』若冲のことを全く知らない上司の冷たい視線を振り切って、平日の午前中に半休を取って行くことにしました。そのおかげで、当日券売り場も、入場口も、特に並ばずにスムーズに入れました。とはいうものの展示ガラスの前は人でびっしりでした。第一展示室は相国寺と若冲の関わりを示す展示が、第二展示室には釈迦三尊像と動植綵絵が展示されてました。なんと言っても、圧巻は第二展示室です。部屋に入った瞬間から、圧倒されました。3輻の釈迦三尊像を中心に、30幅の動植綵絵が半々で脇をしっかりと固めてます。動植綵絵は鮮やかで立体的な色彩とリアルなようで大胆な構図。若冲得意の鶏や鶴、梅や雪がこれでもかと描かれてます。動物の姿勢が非常にユニークで、体の向きと首の向きがストレートになっていることのほうが珍しいのです。例えば、胴体は左に向いて立っているのに、顔は右を向いている感じ。さらに、鳳凰の羽の先にハートが入っていたり、雀の群れの中に、1羽だけ真っ白な雀がいたり、とユニークなディテールを発見するのが楽しいです。また、33幅の中には、ジョー・プライス氏が感動のあまり、男泣きしたという「菊花流水図」もありました。対称的に、釈迦三尊像は、仏画の描き方で描かれているために、色彩はマットで均一になっています。顔は無表情。でも、自在に滑らかな曲線と、しっかり描きこまれたディテールに若冲らしさを感じます。素晴らしいのは、その完成された計33幅の絵が、展示室の広さ、高さぴったりに収まっていることです。その壮観なこと。相国寺の管長の思いを想像するだけで、胸がいっぱいになってきました。もちろん、No Reasonで図録を購入。2500円でしたが、内容も充実していました。かなりの満足を感じながらも、午後出社に間に合わせるために最後はダッシュ。結局、2日後(日曜日)に再訪しました。事前に券を購入し、開館前に行くと、それほど待たずに入れました。これは美術ファンならずとも、必見の展覧会。関西にいて良かったと、しみじみ感じました。
2007年05月18日
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出雲大社参拝にあわせて、周囲の個性的な神社やパワースポットと呼ばれる場所にも足を運んでみました。☆神魂神社(かもすじんじゃ)この神社は、現存する大社造の建築としては最古のもので、国宝に指定されています。1074年に建てられたのだそうです。「神魂」と書いて、「かもす」と呼ぶのが不思議です。たぶん、「神のいる場所」=「神、います」がだんだん略されてそうなったのかな?神社は緑豊かで静かな丘の上にあります。坂の下の鳥居をくぐって、急な石段を上がると、いきなり拝殿が現れます。訪れたのが月曜の朝だったためか、がらんとして人っ子一人いません。拝殿の太い注連縄の下でお参りをしたあと、本殿を横から見ようと回り込んだら、その屋根の大きさと迫力にびっくり! これぞまさに大社造です。拝殿を正面から見た時には、拝殿の屋根に隠れる形で見えなかった本殿が「どうだ!」とばかりに圧倒的な存在感で迫ってきました。古くて大きな社殿は、高い樹木におおわれ、しんとした厳かな空気に包まれていました。思わず背筋が伸びる場所です。☆八重垣神社神魂神社から約2kmの近さにあります。境内の佐久佐女の森は、スサノオノミコトが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治する際に、クシナダヒメを避難させた場所だと言われています。この地は、スサノオノミコトとクシナダヒメが新婚生活を始めた場所でもあって、彼らはこの神社の主祭神とされています。かつて本殿には、スサノオノミコトとクシナダヒメを含む6人の神を描いた壁画がありました。今は、本殿の近くの収蔵庫で展示されています。社務所で拝観料を払うと、見学できます。これが結構カラフルで鮮やかな描写でした。境内には、地面から2本の木が出て地上で1本につながる、「夫婦椿」が3本あります。これこそ「ご神徳」の現れだとして、大切にされています。この神社の脇の佐久佐女の森には「鏡の池」があります。ここに占いの紙を浮かべ、その上に10円玉か100円玉を置きます。15分以内に沈めば願いがすぐにかなうと言われます。それ以上かかると、願いはしばらくたってからかなうということです。自分の場合はどうだったか? ほぼ同じ時間に紙を浮かべた参拝客3人をさしおいて、なんと3分で沈んでくれました! これはうれしかったなあ。というか、願いがかなうことの方がはるかに大切ですが...☆稲佐の浜出雲大社の西側にあり、大国主命が国譲りの談判を行った場所でもあります。古代では「死の国」に最も近い場所だと考えられていました。秋、神在祭の季節には「神迎えの神事」が行われ、八百万の神はここに上陸した後、出雲大社へと向かうとされています。実際に行ってみると、繊細な砂のビーチになっていて、その一角にこんもりと小島があります。小島には鳥居とお社があって、この地がパワースポットであることを感じさせてくれました。☆須佐神社スサノオノミコトが亡くなった場所として、知られています。あるいは「日本一のパワースポット」という人もいます。とにかく印象に残ったのは、大社造の本殿の裏に立つ、樹齢1000年以上という松。周囲7m、高さ24mあまり。その松の太い根に触れると、しっとりと暖かい。松の生命力を感じました。☆龍頭の滝出雲に向かう道の途中で看板を見つけ、立ち寄りました。「日本の滝100選」に選ばれているということですが、誰一人いません。深い松林を分け入って登ると、立派な雄滝がありました。滝の後ろに回りこめるので、行ってみました。なかなか見たことのないアングルです。緑の香りと、ひんやりと湿った空気が、体に染み入るように感じました。こっちのほうがパワースポットのように思えてきました。気持ちよかった!あまり「パワー」をひしひしと感じるほど繊細ではないのですが、豊かな自然に囲まれたときに感じる安らぎのようなものを感じました。これは都会生活ではなかなか味わえないものです。神社がパワースポットとされるのは、豊かな自然を味方につけているからだと再認識しました。
2007年05月14日
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出会いの神様の本家本元、出雲大社で、自分の誕生日に、年に一度のお祭りが行われる…この巡りあわせは神様の思し召し? と、前向きに解釈して、有給休暇を取って行くことにしました。出雲大社には一度行ってみたいと思っていたので、ちょうどいい機会でした。5月14日、出雲大社では天皇陛下の勅使を迎えて例祭が行われます。例祭は出雲大社で最も重要な祭典のひとつ。神職たちは一年に一度、例祭にしか着ない正服(せいふく)に身を包み、祭事を行います。とは言うものの、一般の人間は祭典に参加することはできず、本殿の外から見つめるのみです。ということで、残念ながら例祭を拝見することはできませんでしたので、きちんとお参りをすることに。銅の鳥居をくぐって、拝殿に向かいます。近くのツアーガイドの説明によると、この鳥居をなでると、一生お金に困らないといういわれがあるそうです。「ホンマかいな?」と思いながらも、先立つ欲望には勝てず、なでなでしてしまいました。出雲大社には、普通の神社と異なる三つの特徴があります。1)巨大な注連縄銅の鳥居をくぐって、拝殿に向かうと、軒下の注連縄の大きさに驚きます。幅8m、太さ4m、重さ1.5トンはあるそうです。隣の神楽殿に行くと、注連縄はさらに大きくなります。幅13m、胴回り8m、重さ3トンにものぼります。出雲大社の注連縄が不思議なのは、その大きさだけではなく、縄の向きが普通の神社と左右反対につけられていること。普通は向かって右側が上手(かみて)にあたるはずですが、出雲では上下が逆です。その起源や理由はわかりませんでした。昔から「そういうものだ」ということで伝えられてきているとか...2)拍手(かしわで)は4回普通、神社での参拝は2礼・2拍・1礼が基本ですが、出雲大社の場合は、4拍になります。その理由について、「幸せのシ=4」説や、出雲が「死(=4)の国」に最も近いため、祭神の大国主命(オオクニヌシノミコト)を丁重に祀るために4度打つ、という説などがあります。どれが正しいのか、よくわかりませんが、とりあえず、4拍してお参りします。4回もたたくと、念入りに願い事をしているように感じます。3)そっぽを向く神様実際に本殿内部を見ることはできませんが、図面が公開されていて、不思議なことに祭神の大国主命は正面ではなく左側(西)を向いています。古事記では、出雲大社の西には日本海があって、その先には「常世の国」(死の国)があったと考えられています。ではなぜ、西を向いているのか?「逆説の日本史」(井沢元彦・著)によると、大国主命は自らつくりあげた国をアマテラスの子孫に心ならずも譲らねばならず、激しい怨念を抱いて死んでいったのではないか。大国主命をガードするかのように、アマテラス系の「御客座五神」が南を向いています。つまり、大国主命の怨念を鎮めながら、アマテラス系の神に礼拝させるための絶妙な配置になっていると考えられるといいます。出雲の国を譲った大国主命は「幽事」(かくりごと)の支配者となります。人間の運命や縁結びは、幽事の領分とされます。大国主命を主神とする出雲大社に、縁結びのご利益があると言われる理由は、ここにあるわけです。そんな背景を「予習」してきたものの、せっかく出雲までお参りにきたわけですから、やはり神様と相対してお祈りをしたいものです。本殿正面から反時計回りにぐるっと回り込むことにしました。本殿の両脇には、秋(陰暦10月11日?17日)に神様が住まうという十九社があります。木造のアパートのようです。ちなみに、この時期のことを、地元では「おいみさん」と言って、派手なことをほとんど行わないのだそうです。神様のいる間は、慎んだ行動をとろうという地元の人たちの了解があるのでしょう。ふと本殿の方向に振り返ると、正面からは見えなかった本殿の巨大さに気づきました。実に野太くて力強い。かつて、芸術家の岡本太郎が、その姿を見て「この野蛮の凄み、迫力、おそらく日本建築美の最高表現である」と絶賛したそうです。白木でさっぱりとした伊勢神宮とは対照的です。この出雲大社の社殿の構成は大社造と言われますが、その奥行きの深さには驚きました。本殿の真裏に来ると、本殿の大きさがさらにわかります。近くには、スサノオノミコトを祀った素鵞社(すがのやしろ)があります。出雲は、高天原から追放されたスサノオノミコトが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して、クシナダヒメと結婚した地です。こういうお社を拝見すると、出雲に来た実感がわいてきます。背後にうっそうとした山林があって、ここがパワースポットだという人もいるそうです。そして、本殿の西側、大国主命の正面からもお参りしました。本殿は、例祭の最中で、神官らが神饌を片づけているように見えました。丁寧にお参りをした後で、今年開館したばかりの古代出雲歴史博物館に行きました。ここには、かつて出雲大社が高さ96mの、日本一の巨大建築物だったことの証拠となるような巨大な柱(宇豆柱)の一部だけでなく、国宝の銅剣や銅鐸など、出雲に残された古代の品々が展示されていました。古事記や日本書紀をベースにした出雲の歴史についてのビデオもありました。とにかく広いので、丁寧に見ていると、この博物館だけで1日たってしまいそう。帰る前に、門前で出雲そばをいただきました。薬味とつゆを3枚の器に小分けされたそばにぶっかけて食べます。ちょっと食べ方が意外でしたが、とてもおいしかった!出雲大社には、他の神社には見られない独自の歴史と慣習があります。そのルーツをさぐることは、日本の起源を探るようなもので面白いです。現場に行くと、その神秘さが伝わってくるような気がしました。
2007年05月14日
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島根県安来市。今回の旅で立ち寄るまで、この町の読み方を知らずに過ごしてきました。「やすぎ」です。この町に、世界一の日本庭園を誇る足立美術館と、世界二位のバリスタが営むカフェがあります。ひとつの町に、違うジャンルでワールドクラスのものがあるのは珍しいことではないでしょうか。それぞれ行ってみました。☆足立美術館「世界一の日本庭園」…不思議な語感ですが、確かに、足立美術館の庭園は、アメリカの庭園専門誌が4年連続でナンバーワンに選んでいます。今まで京都や滋賀のお寺の庭を見てきたので、どこが違うのか、見てみたいと思っていました。入館料は2,200円と結構なお値段。美術館+庭園入場料ということなのでしょう。なかなか来られないところだし、よーく目に焼きつけておこうと気を引き締めました。館内を歩くと、すぐに広大な枯山水庭園が窓越しに広がります。芝生と樹木のみずみずしい新緑がガラス越しに猛烈アピールです。すべてがスムーズに丸く刈り込まれています。視線を左に移すと、そこが庭園の中心部。庭園の基幹を構成する石組が見られます。あまりゴツゴツと派手な石を使ってないところが、庭全体に落ち着いた印象を与えているように感じました。驚いたのは、庭園の遠くに滝が流れていたこと。明らかに人工の滝で、庭園の景観のためにつくられたものです。いったい、どんな「ひょうげもの」が、この庭を造ったのでしょうか?足立美術館は、大阪の繊維問屋を営んでいた足立全康氏が、1970年に創設したもので、13,000坪におよぶ6つの庭園と、横山大観を中心とした近代日本画の膨大なコレクションを誇ります。庭園はメインの枯山水庭のほかに、苔庭や白砂青松庭など、どれも実にきれいに整備されていました。窓枠を額縁や掛け軸の大きさに切り取り、その窓越しに庭園を観賞するなど、さまざまな視点が仕掛けになってわかりやすく用意されています。美術館の2階には、横山大観と榊原紫峰による昭和期の日本画が、1階には河井寛次郎と北大路魯山人の陶器が展示されていました。河井寛次郎の作品は素朴な形と独特の色合いが見事に溶け合っていました。客がどっと押し寄せる事態を想定して、動線がしっかりと出来ています。順路に沿って歩いていくと、流れるように出口にたどりつきます。でも、見事な庭園をゆっくりと眺め、空間を共有したくても、それはガラス越しであったり、座る場所がなかったり。仮に座る場所があっても、そこは喫茶店で、コーヒー代を払わないとゆっくりできません。京都のお寺のように、縁側に腰掛けてほっこりしたいのですが....せっかくの「世界一」だけに、それがちょっと残念でした。☆カフェ・ロッソ足立美術館から車で20分弱のところに、モダンな喫茶店が現れます。ここに2005年の世界バリスタコンテストで見事2位になった、門脇洋之さんが営むカフェがあります。バリスタとは、イタリアのBAR(バル)のカウンターで働くスタッフのことですが、それが転じて、様々なコーヒーに精通し、最高の状態でコーヒーを提供できる人のことを指します。コンテストでは、15分間にエスプレッソ、カプチーノと、エスプレッソベースのオリジナルドリンクをそれぞれ4杯いれます。その際に、確かな技術力と創造的な味などを競うのだそうです。店内に入ると、空が見える明るい空間に、香ばしいコーヒーの香りが広がり、ぐっと期待が高まります。日曜の夕方で客の入りは半分程度。客層は20代?50代で、落ち着いた雰囲気がとてもいいですね。早速、カプチーノと、ジェラート・コン・カフェ(コーヒーのかかったジェラート)を注文。その際に、カプチーノの泡の模様のリクエストをすることができます。ハートや白鳥など、いろいろあるみたいです。僕は何も言わなかったのですが、白鳥の柄をつくってきてくれました。カプチーノは(味の表現はなかなか難しいのですが)、香りが高く、しっかりとコクがあって苦味がきつくない。泡がしっかりとしていて細かい、そんな感じでした。ジェラートも、コーヒーがかかったことで、さらに上品な味わい。「バリスタ世界二位」というのは最大の誘因になっていますが、実際に行ってみると、そういう大義名分よりも、カプチーノがおいしいかどうか、そのお店でゆったりと落ち着けるかどうかのほうが大事だなと思いました。店の雰囲気や客層がよくて、とてもいい時間を過ごすことができました。記念に、コーヒー豆をひとつ購入しました。
2007年05月13日
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5月3日に大峯山寺に行ってから10日、舌の根も乾かぬうちに(?)、今度は鳥取の三徳山投入堂(みとくさん・なげいれどう)に挑戦です。投入堂は、大峯山寺と同じように、1,300年以上前に、役行者(えんのぎょうじゃ)によって建てられたお堂(国宝)です。厳しい断崖絶壁にあって、いったいどのようにして建てられたのか、まったく想像がつかないことから、法力によって投げ入れられたのではないか、という仮説から、名づけられています。その不思議な建物を是非一度見てみたいと思い、ちょうど翌日の出雲大社参拝と合わせる形で行ってみることにしました。三徳山に入山。投入堂以外のお堂の拝観料として、400円を支払います。その際、靴の底をチェックされます(革靴やヒール、サンダル等の場合、投入堂への入山を断られます)。およそ170段の階段を上ると、次は投入堂の登山口に着きます。入山にあたっては、追加で200円を支払い、住所・氏名を記入したうえで、再度靴底チェックのほかに、鞄のチェックがあります。両手があくような鞄を持ってこないと、OKが出ません。さて、登山口から入って、下山してきた中高年参拝客が「ああ、楽しかった。まるで人生みたい」とニコニコと報告してくれました。それって「山あり谷あり」いう意味?靴底と鞄をチェックされたわけは、勇んで山を登り始めてすぐに、わかりました。とにかく険しい! 岩場や木の根を足場にしながら、一歩一歩上がっていきますが、まるでロッククライミングのような険しさです。高所恐怖症の人は足がすくんでしまいます。鎖をつかんで上るところもあります。ある地点では、「ここから滑り落ちて亡くなった人がいるんだって」という噂を聞いてしまい、足がすくみました。投入堂に至るまで、3棟のお堂(文殊堂・地蔵堂・観音堂)と鐘楼にたどりつきます。文殊堂から見えるパノラマが非常に気持ちいい...のですが、結構風が強いので高所恐怖症の人は景色を楽しむ余裕はないのではないかと思います。鐘楼では記念に一撞き。鐘の音が山に響き渡ります。道は険しいのですが、トータルで実際に登る距離はそれほどありません。投入堂の下には、ゆっくり登って40分ほどで着きました。投入堂に入ることはできません。というか、どうやって、そこに登れるのか、わかりませんでした。目の前に現れた投入堂を見ると、どうやってあの場所に建てたのかが不思議で仕方ありません。おそらく現地で少しずつ組み立てたのでしょうが、その足場はどうしたのか、どこで寸法を測り、どうやって建材を運んだのか...確かに法力で投げ入れたと考えたくなります。当時の役行者の信仰の深さに驚嘆するばかりです。末法の世へのおそれも強かったのでしょう。行きも大変でしたが、帰りも大変。一歩一歩、足場を確保しながら降りていきます。でも、やはり下りは早くて、30分ほどで下山できました。登山口近くの岩清水で顔を洗って汗を落とすと、スッキリしました。ふもとの茶店で昼食。山菜うどんと三徳豆腐。うどんに載っていた山菜のてんぷら、ごわごわとした豆腐にのわさびが見事に調和して、とてもおいしかったです。投入堂の拝観は想像以上に険しいものでした。それだけに、着いた時の感慨はひとしお。健脚なら一度は行ってみるべし!
2007年05月13日
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2m余りの絶壁を強引に駆け上がる馬…毎年ニュースで「季節の風物詩」として放送される上げ馬神事。多度大社で年に一度の例祭として行われます。大阪からは少し遠いのですが、日帰り圏内ということで、その迫力を体験しようと行ってみました。多度大社の最寄り駅、多度へは、7時半難波発の近鉄特急で桑名で乗り換え(約2時間)、さらに近鉄養老線で15分ほど行きます。新幹線で名古屋経由で行ったほうが近かったかも。多度は大阪より名古屋の方が近いのですが、人々の話す言葉は基本的に関西なまりでした。祭りの行われる多度大社は、駅から徒歩15分ほどのところにあります。境内に入ると、神事のメイン会場となる坂と、その脇の観覧席が見えてきます。観覧席は相撲の桟敷席のような感じ。そこでお弁当を広げている人も多かったです。参道を奥に進んでいくと、本宮と別宮が左右対称に並んでいます。「北のお伊勢」と呼ばれるには、こぢんまりとした印象です。脇に岩清水が流れ、神社ならではの清浄な空気が流れていました。参拝を終えると、まもなく神事に参加する馬が、坂の助走路を交替で走っていました。神事では「馬場乗」という段取りにあたります。馬の走るスピードと迫力に衝撃を受けました。祭り開始の2時間以上前から場所キープ。地元のおっちゃんが他の観光客に案内していた場所に立ちました。ちょうど上り坂が全体的に見渡せます。この場所以外は、観覧席でないとよく見えない感じ。祭りのクライマックス、上げ馬に向けて、「神児迎え式」などの儀式が行われていますが、よく見えず、周囲は「まだ始まらんのか」とイライラしはじめます。イライラに拍車をかけるように、混雑が激しくなってきました。立錐の余地もない感じです。前日はもっと混んでいたということですが、警察の発表によると、2日間で18万人。1日あたり9万人が押しかけた計算になります。上げ馬神事は、南北朝の頃から始まり、信長の時代に約30年間中断しながらも、江戸時代になって桑名城主によって復興され、今日まで継がれてきました。つまり、400年以上の歴史のある神事です。かつては上げ馬の上り具合で豊作かどうかが占われていたといいます。転じて現代ではその年の景気を占っているそうです。地元7地区が、騎手(今年は17歳?19歳でした)と馬をそれぞれ準備します。面白いのは、騎手が毎年4月1日におみくじで選ばれること、騎手は神事に向けて毎日乗馬の練習を繰り返し、祭りまでの間は食事は家族とは別で自分でつくること...神事らしく、清浄なる生活を余儀なくされるのです。さて、メインイベントの上げ馬が始まると、会場の空気がぐっと盛り上がります。挑戦するのは6地区。1地区ずつ登場します。約200mの助走路を駆け上がり、行き止まりのように立ちふさがる約2mの絶壁を越えられるかどうか。挑戦は1回のみ。やり直しはできません。スタート前に必ず塩と日本酒をまいていました。途中落馬しては縁起が悪いということで、上り坂にはサポート役の男たちが待機していました。結局、6組のうち2組がクリア。絶壁の手前で高く飛んだ馬が成功していました。見づらいかもしれませんが、これが成功の瞬間。成功すると「おおーっ」と歓声が上がり、騎手は大喝采されます。成功した騎手は、長い準備期間を経たことや、周囲からのプレッシャーに解放されたせいか、感極まっていました。失敗した騎手にも温かい拍手。馬が弱気だと、手前で失速したりしていたから、一概に騎手のせいにはできないでしょう。騎手だけは失敗してもサポート役の男たちに担がれて絶壁を越えていきました。上げ馬神事終了後、近くの多度峡に足を延ばしました。神社から10分も歩けば、そこには原生林が広がっていました。なんと、野生の猿の群れも住んでいるようです。再度祭りに合流して、やぶさめ神事も見ましたが、鹿島神宮や上賀茂神社のように走りながら射抜く訳ではなく、馬上で一度止まってゆっくりと弓を引いて、それでも的には当たらないというものでした。走りながらというのは、かなり難しそうです。いやまあ、すごい人でした。待ち時間が長くて、日差しが強かったので、結構疲れました。できればスツールを持っていった方が見やすいでしょう。
2007年05月05日
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行ってみたいと思いながら行けずにいた、姫路の書写山圓教寺。「ラストサムライ」のロケ地、として知られています。ちょうど5月3日?5日で「新緑まつり」が開催されて、普段非公開の重要文化財が特別公開されるということで、撮影に使われた立派な伽藍の内側を見る機会ができると思い、行くことにしました。姫路から神姫バスで書写ロープウエー山麓駅まで20分、そこからロープウエーで山上に上がります。この日はバスとロープウエーの乗り継ぎ割引券がありましたので、バスターミナルで購入しました。1,300円。参道は緑に囲まれていて、出店はまったくありません。このシンプルさがすばらしい。ロープウエー山上駅からさらに10分歩かないと、仁王門にはたどり着きません。仁王門をこえて、本尊のいる摩尼殿まで、5分以上かかります。広い!書写山圓教寺は、966年に性空上人によって開かれた天台宗のお寺です。「西の比叡山」と呼ばれるそうです。数多くの重要文化財がありますが、春の「新緑まつり」と、秋の「紅葉まつり」以外に特別公開をすることはなさそうです。摩尼殿(本尊)清水寺の舞台のように、骨組みがしっかりと現れます。階段を上がると、お線香の香りが強くします。この摩尼殿は普段も参観できます。続いて向かったのが、この春の特別公開箇所が集中する一帯です。大講堂・食堂・常行堂がコの字に連なります。ここが「ラストサムライ」の主要ロケ地。確かにスケールが大きくて、現代的なものが視界に入らなくて、しかもビデオカメラで撮るとちょうといいサイズなんです。ここの大講堂と常行堂が、この春の特別公開の主要な場所になっていました。大講堂986年に花山法皇の勅願により創建されました。本尊は釈迦如来、脇侍は文殊普賢菩薩、いずれも重要文化財ですが、お堂自体が明るくて、デジカメでもお姿が撮れるほど。常行堂(じょうぎょうどう)屋根が大きく、舞台がついているのが特徴です。お堂に入ると中が薄暗くなってました。本尊・阿弥陀如来(重要文化財)がこつ然と現れます。平安時代につくられたというのに、螺髪が青く、体も金色と鮮やか。肩が大きく張った姿勢で、若々しい感じでした。食堂(じきどう)大講堂と常行堂をつなぐ長い2階建ての建築。あまり他では見ない形の伽藍です。ここは社務所にもなっていて、普段も公開されてます。開山堂 左甚五郎が制作したとされる力士像が四隅にあるということですが、2カ所しか見られませんでした。実に山奥で空気がきれいでした。他のお寺と違って、家族連れを中心に参拝客が多く賑わっていました。が、境内が広くてそれほど気になりませんでした。新緑まつりの名にふさわしい、充実した緑が生み出す新鮮な空気をいっぱい吸い込むことができました。
2007年05月04日
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奈良の奥に女人禁制の山、大峯山があります。大峯山は過酷な仏門修行の地として知られ、1,300年以上前の創建以来、女性が入山することを禁じてきました。5月3日~9月22日に入山できます。この日は「戸開け」と言って、開山の日にあたります。女人禁制を貫くほどの過酷さとは何か、この目で見ることができればと思いました。山頂までの道のりなどの情報が乏しく、手探りでの挑戦です。天気はこれ以上ないほどの快晴です。大峯山の登山口は洞川温泉から奥に進んだところにあります。バス停から歩くと30分以上はかかるということで、レンタカーを借りましたが、かと言ってカーナビもガイドしてくれません。この日は開山の日でしたので、白装束の役行者や山登りスタイルの人がちらほら見受けられました。彼らの背中を見ながら道をたどっていくと、登山口に着きました。駐車場には数十台の車がありました。これだけたくさんの人が登っているなら寂しい感じにはならないだろうと、ひと安心。ちなみに、駐車料金は一日1,000円。大峯山の登山口は修験門に「女人結界」と記されます。入口にはこんな看板がありました。10時17分に女人結界を越えました。「修験門」の先に見える、森林の奥行きの深さに神秘性を感じます。この先はどんな道になるのでしょうか?前半は、松の木立の下を歩いていきます。空気が澄んで、ひんやりとして、とても気持ちいいです。ゆっくりと深呼吸をしながら登ります。他の登山者とすれ違うたびに「こんにちは」ではなく、「ようお参り」と声をかけ合います。時折、ホラ貝の音がこだまします。白装束の信者や山伏の格好をした人も多数登っていました。子供からお年寄りまで、年齢層は幅広いです。それぞれのペースで登っていきます。道はゆるやかな場所もあれば、急な階段もあります。石や木の根を足がかりにすることもありますが、そんなに大変だと言うことはありません。頂上までおよそ3時間ということなので、一歩一歩ゆっくりと進むようにしました。途中にはこういうパノラマが広がり、時々足を止めて、景色を楽しみました。登り始めて1時間20分、洞辻茶屋に到着します。休まずに登ってきたので、喉が渇き、お腹がすきました。ここでは、うどんやこんにゃくが食べられます。チョコレートも売ってました。水をぐいっと飲んで、さらに山頂を目指します。ここから先は、修験道らしい箇所にたどり着きます。「鐘掛岩」ロッククライミングのように急な岩をのぼります。岩には手がかりになるように鎖が下がっていました。最近は転落事故が増えて、先導者が必要なこと、風が強く、また自分がリュックではなく、トートバックを持っていたことから、この岩登りは回避して、横の階段を上っていきました。これは大変です。「西の覗」(にしののぞき)日本三大荒行のひとつと言われます。「健康に自信のない人や高所恐怖症の人はご遠慮ください」の看板がかかります。そう書かれたら、やってみたいと思ってしまうのですが、これがとんでもない!大変でした。鉢巻代と体験料を1,000円を支払って、ポケットに入っているものをすべて取り出します。両肩に太い縄をかけて、両手を強くあわせて拝みながら、崖から上半身を投げ出すように乗り出します。こんな感じ。本当はもっと前に出なくてはいけません。つまり、両手を放すと、肩から縄が外れた場合、崖から落ちてしまいます。視界は崖の下まっさかさま。後ろからお経が聞こえたあと「親孝行しなさい!」「悪いことするなよ!』などと声をかけられます。「はいっ!」腹の底から声が出ます。こんなところでひねくれている場合ではありません。その後、一瞬縄の緊張が緩んで、体がさらに前に出ます。ひやー!落ちる!すぐに縄が引っ張られて、元に戻ると、うっすらと涙が出てきました。あー、しんど。まさに「いっぱいいっぱい」でしたが、実は体をくの字に曲げた先に仏像があるのだそうです。それは知らなかった!でも知っていても、それを見る余裕はなかったでしょう...西の覗から10分ほど歩くと、山頂の大峯山寺に着きます。午後1時10分。やはり3時間近くかかりました。大伽藍に圧倒されます。人間しかやって来られないこの地に、このような大きな建築物があること自体がすごい。なんと平安時代からお堂があったのだそうです。現在は元禄時代のもの。しかし屋根が大きい。中に入ると、本道に大きな仏像はないものの、高さ1mくらいの仏像がいくつかありました。大伽藍のすぐ先に山頂がありますが、ここには「お花畑」が広がります。実際に花があるわけではありませんが、「臨死体験」の本に出ていたような景色が広がります。ここでしばし休憩。山頂からのパノラマも楽しみました。午後1時40分、風が少しひんやりと感じたので、下山することにしました。先ほどの難所とは別に「新道」が出来ていて、木の階段をトントンとひたすら降りていけば、洞辻茶屋に出てきます。ここでうどんをいただいて、一息。あとは一気に下りていきます。登りのときとは視界が違って、深い木立の中に、間伐した丸太が数多く横倒しされていることに気づきました。あっという間に、女人結界に戻ってきました。午後3時55分。今回は足がガクガクすることはありませんでした。やはり地上に戻ってくると、どこかホッとします。修行の地としての厳しさをひしひしと感じましたが、大自然に包まれて体は非常に楽な感じがしました。ただ、ここに滞在するのは、電気も水道もないので、大変でしょうね。下山後に聞きましたが、近くには女性登拝者用の山があるそうです。それも大変だとか。 帰りがけに「天川薬湯センター」に入って、さらにリラックス。いい一日でした。
2007年05月03日
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