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イタリア南部、シチリア島のパレルモにあるマッシモ劇場は、パリのオペラ座、ウィーンの国立歌劇場に次いで、ヨーロッパで3番目の大きさを誇る名門オペラ劇場です。その初来日公演、しかも初日のプラチナチケットを、友人のおかげで得ることができました。自分はオペラには詳しくないのですが、好奇心だけはあるもので、事前に予習をしたうえで、喜び勇んで行ってきました。事前の予習として、公式サイトや雑誌の記事に眼を通し、ゴッドファーザーをPART1からPART3まで通して観ました。特に、マッシモ劇場正面の階段で悲劇のラストシーンを迎えるPART3は、コッポラ監督の音声解説も聞きました。PART3はこの日の演目「カヴァレリア・ルスティカーナ」と深くシンクロしていて、特に間奏曲は主人公の悲劇性を表現する楽曲として使われています。その悲しげで美しい旋律を生で聴けるのが楽しみです。会場となったびわ湖ホールは、1998年にオープンした西日本初の四面舞台が大きな特長です。今回の公演では本領発揮、というところでしょう。大ホールの客席入口の反対側は湖が面していて、湖の美しい風景が楽しめます。ちょうどこの日は気持ちよい青空が広がっていて、クリアな景色が広がりました。逆にそれが、この日の濃い演目とは対照的な感じでした。初日の演目は「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」。いずれもシチリア島を舞台にした名作オペラで、所要時間がそれぞれ70分、75分と短いことから、セットで上演されることが多いそうです。あらすじはこんな感じ。「カヴァレリア・ルスティカーナ」復活祭の朝、兵役帰りのトゥリッドゥが、かつての恋人で美しい人妻のローラのことが忘れられず逢い引きを重ねていることを、現在の婚約者サントゥッツァに知られ、ローラの夫アルフィオに告げ口されてしまう。(ここで間奏曲)教会のミサが終わって、アルフィオはトゥリッドゥの勧める酒を断り、決闘を申し込み、いったん別れる。トゥリッドゥは母に「もし自分が死んだら、サントゥッツアを頼む」と言い残して立ち去ると、しばらくして「トゥリッドゥさんが殺された!』という女の叫び声が響き、幕となる。「道化師」旅芸人の一座が、座長カニオを先頭にモンタルト村にやってきて、「今夜23時から忘れずに芝居を観にきてくれ」と宣伝したあと、村の男たちと一杯飲みにいく。その隙に、美しい妻ネッダに、せむしのトニオが告白するが、鞭で追い払われてしまう。続いて、村の青年シルヴィオがやってくる。ネッダとシルヴィオは一座が村に公演に来る度に逢瀬を重ねていた。それを発見したトニオは仕返しとばかりにカニオを呼び寄せる。ネッダがシルヴィオに「今夜からわたしはあんたのもの」と言うのを見たカニオは逆上、シルヴィオは慌てて逃げ出す。カニオはネッダに「男の名前を言え!」と激しく迫るが、ネッダは口を割らない。部下に芝居の支度を促され、引き下がるカニオ。怒りも悲しみも隠して道化芝居をしなければならない役者の悲哀を歌う。第二幕では、さっきまで起きていたことと同じような役まわりで芝居が進行する。芝居の中で、ネッダが情夫に「今夜からわたしはあんたのもの」というセリフを言うと、カニオが芝居と現実の見境がつかなくなり、「男の名前を言え!」とネッダに激しく迫る。観客は「迫真の演技だ!」と喝采するが、カニオは「俺はもう道化師ではない」と言って、ネッダを刺し殺し、助けようと舞台に上がったシルヴィオも殺害してしまう。大混乱の中、カニオが「芝居はこれでおしまいです」とつぶやいて、幕。どちらの演目も、恋の情熱、嫉妬と憎悪の激しさ、血なまぐささ、男たちのプライドの高さ、女たちの積極的な恋のかけひき...実に南イタリアらしい感じがしました。ああいう激しさは日本人からは生まれないですね~。なんとも濃い舞台でした。イタリアの赤いブラッディオレンジジュースのようです。昼よりは夜に観たかった...オーケストラの音が繊細で清らかで美しかったこと(特に「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲は想像以上でした)、恰幅の良い出演者が多く、力強く通った声、怒りの表現に迫力があったこと、が印象に残りました。あと「道化師」で京都の小学生を制服姿のまま舞台に上げていたのが、気の利いたユニークな演出でした。有名アーティストの来日公演にありがちな、手抜き感がなかったのが、何よりもよかったです。なにせチケット代が凄い。今回はS席で4万2000円。出演者、指揮者、オーケストラ、裏方(大道具、小道具、衣裳、メイク、照明などなど)など、連れてくる人数が多いのだから当然かもしれませんが、日本のオペラファンは大変です。でも、真剣に予習することで、イタリアの文化をしっかりと味わう貴重な機会となりました。帰りは、京野菜イタリアンでしっかりと締めました。
2007年06月23日
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立派な床の間に必ず飾られる掛軸。「掛物ほど第一の道具はなし」と千利休が言ったように、掛軸は季節や客に合わせて掛け替える、お茶会の演出にとって最も重要な道具です。表具は、書画などを掛軸や屏風に仕立てるもので、掛軸の重要な構成要素です。歴史的な作品ほど、表具と一体化しています。しかし、そのセンスの善し悪しは、なかなか知ることができません。それこそ、自分で掛軸を注文しながら、高い授業料を払って学んでいくのが普通です。ところが、今回、伝統未来塾の授業で、京表具の第一人者、陽光堂の山本之夫さんの話を聞くことができました。山本さんは、2002年に表具師として初の個展を開き、2006年にはロンドンでも個展を開きました。2005年11月には「現代の名工」として厚生労働省から表彰されています。表具師の仕事は、書や絵画の美を見極めて、それにふさわしい裂地(きれじ)を取り合わせ、作品を引き立てることです。ですから、書、絵画、裂地、紙、金属、塗りに詳しくなくてはいけない、といいます。○取り合わせのときに考えること最初に作品が表現している季節を考えます。春なら浅黄、秋なら枯葉(茶)を中心に検討します。一文字で「わさびをきかす」。際の重みをどうするかは、音楽と同じで、やわらかくいくか、重くいくか、感覚で決めます。作品を見て一発でピンと来ることもあるし、実際にあててみたら「アカン!」というときもあります。○京表具と、他(東京、金沢など)の表具との違いひとつは京表具は裏打ちを3枚すること(他はもっと少ない)。もうひとつは、あっさりとした感覚です。 この「あっさりとした感覚」、自分の印象では、天地、中縁に薄めの色を使い、一文字にやや濃いめの色や、強い文様を使って全体を引き締めているように見えましたが、これが難しくて、京表具を修行した人でも4年遠ざかれば、その感覚が違ってくるのだそうです。○湿度に敏感古い書画の裂地には薄墨や草木染めを繰り返して、古さに合わせた色をつけます。仕立てには、和紙に糊をつけ、裂地の裏打ちと乾燥を繰り返して行います。このため、湿度には非常に敏感で、陽光堂の蔵は、常に湿度60%を保っているということでした。このほかに、山本さんは、「掛軸や屏風を見る時は、上質な和紙を通しての光で見るのが良い」「さりげないのが最高の美。『これでもか!』というのは、道具屋好みで良くない」などなど、表具師ならではの感覚を話されました。蔵から取り出しては、いろいろな掛軸を見せていただきました。様々な裂地も次々と出していただきました。素手で触っていいのかどうかもわかりません。こんな機会は滅多にないなと思いながらも、何が良くて、何がダメなのか、いまひとつはっきりしません。中心となる書や絵画、その時代背景によって応用範囲が広く、表装には明快な方程式が存在しないからです。結局、センスの善し悪しは、様々な掛軸を見ながら、自分で感覚を養うしかなさそうです。まさに、「表装に王道なし!」という世界なのでした。
2007年06月21日
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「髪供養会」というユニークな名前の法要が、毎年6月16日、當麻寺中之坊で営まれます。いったい、どういう法要なのでしょうか。一般でも参加できるということで、将来への先行投資も兼ねて(!?)、行ってみることにしました。當麻寺中之坊は、近鉄・当麻寺駅から歩いて15分、当麻寺の山内にある別院です。別院ということは、当麻寺とは別に拝観料を支払います。髪供養会は、境内の奥にある「髪塚」で、午後2時から行われました。髪供養と聞けば、毛髪に悩みを持つ人や、かつらメーカー、育毛剤製造業者などで混雑...などと想像を膨らませてしまいますが、自分以外に法要に参加された方は7人でした。というのも、この法要の由来が、毛髪の悩みとは関係のないところにあるからでしょう。髪供養の由来は、今から1250年近く昔にさかのぼります。藤原家の郎女・中将姫(ちゅうじょうひめ)が、観音様の導きによって當麻寺へ入山、天平法宇7年(763年)6月15日、髪を剃り落として「法如」の名を授かり、尼僧になりました。その翌日、その剃り落とした髪で、阿弥陀三尊の梵字を刺繍して、観音様と阿弥陀如来への感謝を表現しました。髪供養は、その故事に基づいて、髪に感謝を込めて供養し、心身の健康など諸願成就を願う祈願祭なのです。事前に、参加者自身の頭髪を少し切って、小さく切った半紙に包んでおきます。法要で、参加者がその半紙を髪塚に収めます。自分は何の準備もしていなかったために、法要の後で髪の毛を切ってもらって、それを髪塚に収めました。髪の毛を切った際に、中将姫が刺繍したという阿弥陀如来の梵字を拝見させていただきました。1250年近い時が経つというのに、髪の毛は黒々として、その周囲で風化する曼荼羅とは対照的でした。髪の毛の持つ生命力に驚きました。法要終了後、髪供養の立派なお札をいただきました。この當麻寺中之坊は、大和三名園と賞されるほどの見事な庭園「香藕園」(こうぐうえん)や、大胆な円窓が印象に残る茶室「丸窓席」、二畳中板の茶室「知足庵」(薄暗い感じが利休好みっぽいです)など、見どころがたくさんあります。庭園や茶室が、真言宗の寺院にあるのは珍しいと思いましたが、これは、江戸初期に後西天皇を迎えるため、片桐石州が整備した名残でしょう。今日まできれいにメンテナンスされてきたことは、素晴らしいことです。
2007年06月16日
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この週末、各地で蛍にまつわるイベントが行われましたが、中でもユニークなのが、奈良の阿紀神社の螢能です。4月に又兵衛桜を見に行った際、タクシーの運転手さんに、その美しさを聞いて、行ってみたいと思っていました。薪能は聞いたことがありますが、螢能は他にはないイベントです。いったいどういう演出がされるのでしょうか。梅雨の季節で、雨天時は会場が近くホールに変更になってしまうリスクを抱えながら、前売り券は3割引の魅力にひかれて、購入しておきました。願いがかなって、これ以上ないほどの晴天に恵まれました。阿紀神社は、奈良東部の榛原(はいばら)からバスで15分、バス停からさらに徒歩約10分の場所にあります。木立の深い、空気のおいしい場所で、神社らしい清らかな空気が流れています。創建された年はわかりませんが、主祭神は天照大神です。神社の入口前には「螢能」と書かれた提灯が多数かけられて、お祭りムードを盛り上げます。境内の能舞台は、江戸時代初期に舞楽が奉納されて以来、大正時代まで能楽興行が開かれてきました。この能舞台が再び使われるようになったのは平成4年です。当初は薪能が奉納され、平成7年からは毎年6月中旬に「あきの蛍能」として開催されるようになりました。午後5時、会場の様子を見てみると、すでに能舞台正面の席は押さえられていました。あわてて、舞台下手斜め方向の一列目の席をキープします。会場の外で地元産の牛肉、宇陀牛でも食べようかと思っていましたが、会場の熱気におされて、テントで売られていた柿の葉寿司や葛餅、「きみごろも」という地元名産の和菓子をいただきました。これがどれもおいしくて、満足!能は難しいので、事前の勉強が大事だと思い、開演前に用意した資料やパンフレットを読んでチェックしました。日没が遅いので、午後6時でも余裕で読むことができました。18時30分開演まで、あっという間でした。演目は、1)舞囃子:絵馬 詳しい内容はわかりませんが、登場人物が、天照大神・天鈿女命・手力雄命で、天岩戸伝説にちなんだ舞踊でした。この神社の祭神と関連づけての演目と思われます。主人公と一瞬目が合って、ドキッとしました。2)狂言:文山立(ふみやまだち) 2人の山賊が仲違いをして果たし合いとなりますが、誰も知られずに死ぬのは「犬死」なので、書き置きをしようということになります。その文章を読み上げて行くうちに、2人は感無量となり、仲直りをして帰って行くという話です。わかりやすく、お芝居もメリハリが利いていました。3)能:清経(きよつね) 源氏との戦いに敗れた平家の前途を悲観して、入水自殺した平清経。妻のもとへ、使者が形見の品として髪の毛を持参するが、妻は夫の自殺に失望して、その髪の毛を突き返します。その妻の夢に、清経の亡霊が現れて、自殺に至った経緯を語り、修羅の有様を見せた後、成仏していく、というお話。 舞台の途中で、ようやく螢能ならではの演出が登場します。薪の火が消され、舞台の照明も真っ暗になります。飼育箱を持った係員がやってきて、次々と螢を空に放っていきました。真っ暗な空に、螢が鮮やかに緑色に光って、ふわふわと飛んでいきます。螢の光の鮮やかさが見事。都会では考えられない空の暗さが、この演出には見事に合っていました。 能も、ふだん見ると、途中で眠くなるはずが、ちっとも眠くならない。最初から最後まで、じっくり鑑賞することができました。歴史ある舞台、闇に浮かぶ螢の光、周囲の田園から聞こえるカエルの鳴き声...薪能は幻想的な世界だとよく言われますが、螢能はさらに輪をかけて幻想的で、幽玄な世界を堪能できました。
2007年06月16日
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京都駅の近くには、目ぼしい観光名所がなかなかありません。近くても東寺、三十三間堂、もう少し足を伸ばして、清水寺というところでしょうか。ところが、出張帰りの寄り道にも良さそうな、美しい庭園がありました。国の名勝に指定されている、渉成園です。今回は伝統未来塾の茶室探訪企画に沿って、庭園の周囲に点在する茶室を見学することができました。(普段は中に入ることができません)渉成園は、京都駅から歩いて10分ほどのところにある、広大な庭園です。東本願寺門首の別荘として使われ、当初は枳殻(からたち)を生垣に用いたことから、「枳殻邸」(きこくてい)とも呼ばれます。茶室研究の第一人者、中村昌生さんによると、渉成園の茶室は「文人趣味」だと言います。それは茶匠が築き上げた茶室とは対照的だというのです。例えば、滴翠軒(てきすいけん)の茶室。床の間が板張りで、框(かまち)に節が入ってます。側面の壁は半月状になっています。天井は竿縁天井で2本、3本と吹寄せられています。これらの形は茶道本来の茶室にはない表現ですが、形の崩し方が上品であるところが良いのだそうです。確かに、書院造で漆をかっちりと塗った真塗の四角い框が入ったら、全く違う印象になってしまいます。「文人趣味」は、このほかにも二階建ての茶室「蘆庵」(ろあん)の円窓や二重棚にも見られます。このお茶室は煎茶の茶会に使われるのだそうです。中村さんは、茶室は「異風になく」「目立たず」「手際よくリファインされた」ものがよろしい、と指摘します。渉成園の茶室は、型破りで自由ですが、学芸的な裏付けにもとづいたアレンジで、センスの良さを感じさせます。渉成園を作庭したのは、(京都北東部で人気の)詩仙堂を建てた江戸初期の文人、石川丈山と伝えられています。石川丈山は、漢詩の素養があって、武士から「隠者」となって、文人の世界に生きた人です。同じ時期には、石清水八幡宮の社僧、松花堂昭乗もいて、互いに仲間としてサロンを形成したそうです。庭園の中央には、傍花閣という楼門があります。両脇の勾配のきつい階段など、どこか中国の建築様式の雰囲気を残しています。茶道の創始者、村田珠光は、茶の湯の極意について「和漢の境をまぎらかすこと」と定義しましたが、この傍花閣こそ、和漢の境が紛れたような意匠です。これが茶匠の系譜とは対照的な文人趣味の庭園の中心にあることは、非常に皮肉に見えてしまいます。庭園の中心には、印月池という大きな池があります。この池の一部を露地と見立てて、池縁の待ち合いから本席のある島まで船で向かう、という演出もできます。しゃれてますね~渉成園は、桂離宮と同じ時期に作庭されたものですが、「侘び」とも「数寄」とも違う独特な世界で、しかも上品。桜も紅葉も映えるのだそうです。午前9時から午後4時。この時間帯で、京都駅で1時間もてあましたら、行ってみると気分転換になりそうです。
2007年06月09日
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名前を出すのもはばかられるほどの名士がやってくるというステーキ店が、心斎橋にあります。「ステーキハウス久」。日本で随一の肉文化を誇る関西、そのナンバーワンのお店ということは、おそらく日本で一、二を争う味ではないでしょうか。ネットで調べると辛うじてひっかかる程度。雑誌にもほとんど掲載されません。セレブが通うだけあって、お値段は「ひとり2万円は越える」という噂。そんな伝説の店の存在を知人から聞き、ボーナス支給の日に行ってみることにしました。場所は、大阪、ミナミのど真ん中、ビルの2階にあります。カウンター一列。お店に入ると、お客さんが「お前、何しに来とんねん」とでも言いたげに、一斉にこちらを振り向きました。友人2名と、ちょっと恐縮しながら入ります。アラカルトで注文。ビール、前菜のタルタルステーキ、サラダ、メイン「サーロイン」、ガーリックライスを注文。メイン以外はシェアしました。予算を考えて、お酒もちょっと控えめ。店内に高級「佐賀牛」を扱うお店だという掲示があります。早速登場した、タルタルステーキ。小さくスライスしたパンにのせていただくと、うまい! パンのカリッとした歯ごたえと、タルタルのぬるっとした食感のハーモニー、一度食べると止まらなくなる、人懐っこい味つけ。「こんなの初めて!」と、むせび泣きたくなりました。サラダを挟んで、メインのサーロインステーキが出てきました。こんなにたくさん出てくるなんて! 焼き目も均一で美しい。口の中に入れてみると、これが凄い!噛む必要性を感じさせないほど、トローリとしています。それでいて脂がしつこくない。同行者はフィレステーキを注文してました。こちらも、すくっと食べられておいしい! 一同あまりの旨さにしばし無言。締めでガーリックライスをいただきました。これまたステーキに合うように、塩気はやや控えめながら、ガーリックの味がしっかりと出ていました。満腹になったところで、恐る恐るお会計へ。ところが、お値段はひとり1万5千円を切りました。想定外にリーズナブルでした。でもこれって、銀座で食べたら、5万円は下らないような気がします。関西でよかった!客層ですが、場所柄ということもあって、自分達以外はほとんど、女の子同伴のオヤジたち。ここで旨い肉を食べたあとで、二重の「肉欲」を満たすのでしょう....僕の場合、前者だけでも大満足でした。
2007年06月08日
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懐石弁当の定番、松花堂弁当。四角い弁当箱を十字に区切った、シンプルな形が特徴です。江戸初期の岩清水八幡宮の社僧、松花堂昭乗が、絵の具箱や煙草盆に使っていたものを、昭和の初めに吉兆の創業者、湯木貞一が弁当箱に改良したものです。そんな経緯から、松花堂美術館の脇に吉兆松花堂店があって、ここでは他の吉兆で6000円はするであろう松花堂弁当が、こだわりの器に入って3859円でいただけます(要予約)。ちょうど美術館では、松花堂弁当の歴史についての展示をしていたので、ちょうどいいコラボだと思い、行ってみました。場所は京都と大阪の中間点、京阪・樟葉(くずは)駅からバスで、高級住宅地を通り抜けて、約15分のところにあります。まずは、吉兆松花堂店にて、松花堂弁当をいただきました。白米までおいしい!腹ごなしに松花堂庭園を散歩しました。いくつかある茶室のひとつで、「日曜茶席」が開催されていました。本格的な数寄屋造りの茶室で、600円でお茶席体験ができます。地元のお茶の先生が持ち回りで席をもっているということです。八幡市は茶道に熱心な人が多いようですね。ここで、ひと息、ほっこり。庭園奥には、松花堂昭乗が暮らした、広さ2畳の茶室があります。この空間に、お茶の歴史を彩った人物を招いて、お茶会を開いていたようです。江戸初期の文化サロンになっていたみたい。当時はどんなことを話していたのでしょうか。続いて、美術館に入りました。展示室は小さめで、学校の教室一部屋くらいの大きさです。松花堂弁当のもとになった箱と、吉兆が最初に弁当箱として制作されたもの、現在使用されているものが並べて展示されています。吉兆の創始者、湯木貞一が、松花堂昭乗が使っていた道具箱を見ながら、田の字形の仕切りが、料理の匂いや味が移らないという利点から、弁当箱にすることを思いつきました。弁当箱にするにあたっての工夫とは、・四隅の金具を除く・寸法を縮め、高さを高くする→料理が収まりやすくなる・覆い蓋をつける→料理の軋轢を防ぎ、埃を防ぐことができる・明るい春慶塗とし、底面の絵は省略して「松花堂」の焼き印を押す→無地の春慶塗への装飾というだけでなく、蓋をしたときに前後を判別する目印となる。古きよきものを今に伝える、クリエイティブな工夫ですね。そのセンスの良さ、勉強になりました!
2007年06月03日
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おそらく大阪で最も文化的な場所、それが東洋陶磁美術館です。この美術館が設立されるきっかけとなったのが、住友グループによる、安宅コレクションの、大阪市への寄贈です。安宅コレクションとは、1904年に創業した総合商社、安宅産業の創業家がたくわえた、およそ1000点に及ぶ朝鮮・中国陶磁のコレクションのことです。安宅産業がオイルショックのあおりで倒産した際に、メーンバンクの住友銀行が引き取りました。今回、東洋陶磁美術館では、開館25周年を記念して、コレクションの充実に最も貢献した安宅英一氏の視点は何か、という展覧会(安宅英一の眼)が開かれています。安宅コレクションは、端正な色や形の陶磁がずらりと並びます。美術館は、フラッシュ禁止でしたが、撮影は可能です。以下、自分が「いいな」と思った陶磁を、写真付きで下記に掲載します。紫紅釉 蓋 15世紀 明青磁刻花 牡丹唐草文 瓶 11~12世紀 北宋時代重要文化財 青花 蓮池魚藻文 壷 14世紀 景徳鎮国宝 油滴天目12~13世紀 南宋時代 建窯重要文化財 法花 花鳥文壷 15世紀 明 重要文化財 木葉天目 12世紀 南宋生前、安宅英一氏は、コレクションについての説明など、あまり文章を残しませんでした。モノをして語らしむというわけです。数少なく残された彼の言葉は、こういうものでした。「三顧の礼をもって、ものは迎えなければならない」「人はお辞儀している訳ではなく、その後ろにものが見えるのですよ。ものに向かっては、いくらお辞儀してもしすぎることはありません」「人でも ものでも、結局のところは品ですね。品格が大切です」さすが、数寄者ですね。すばらしい。モノに対するこだわりと愛情が、ひしひしと感じます。すばらしい陶磁の数々に、感嘆しました。
2007年06月03日
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唐招提寺は、阪神大震災で金堂の基壇が揺らいだとして、2000年から10年に及ぶ大がかりな修理を行っています。見事な伽藍を見ることができないため、修学旅行以来の再訪を控えてきました。ところが、6/2から6/10まで、日本最古の肖像彫刻である鑑真和上坐像が特別に公開され、また修復中の国宝三尊が7年ぶりに一堂に会するということで、行ってみることにしました。まず、向かったのが、仏像修理所。体育館のような広い場所でバラバラに展示されています。高さ3~5mもある国宝の仏像が、すぐ目の前で見ることができます。とっても貴重な機会です。撮影禁止なのが残念。フラッシュ禁止にしてくれればいいのに。薬師如来は台座と彫像が分かれてます。蓮の葉は台座の中心に向かって規則正しく組み立てられていることがわかります。千手観音の手もバラバラになっています。961本の手が複雑に組み立てられていた様子がわかります。盧舎那仏坐像の肌は、木に漆を塗って、その上に金箔を張っていたことが一目でわかります。遠くからは均一に金色に見えていたのが、金箔がぺたぺたと貼られているさまがはっきりとわかるのです。さらに、全身にエックス線写真が撮られて、手のひらの中に数珠玉が埋め込まれていたことがわかりました。仏像はこういうふうにできているのか!と納得です。三尊はいずれもムチッとした体で穏やかな表情。見る者に安心感を与えるように見えました。続いて、御影堂へ。ここでは、6月5日の鑑真和上の命日にあわせて、厨子が開扉、国宝・鑑真和上坐像を拝むことができます。あわせて、東山魁夷作のダイナミックな襖絵を見ることができます。広くて風通しの良い堂内を進むと、鑑真和上坐像がありました。国内最古(8世紀)の肖像彫刻とは思えない、鮮明な色づかいとリアルな描写。一見、鎌倉時代のものと見紛うほどです。鑑真和上は中国に生まれ、仏教を日本に伝えようと5度の渡航を試みるも失敗、次第に視力を失いながらも、6度目にようやく日本にやってきて、晩年に唐招提寺を建立したという苦労人です。坐像は、意志の強さや我慢強さをあらわすような、口を一文字に結んだ表情で、鑑真和上の人生を体現したように見えました。厨子の前には10~20人が座って、その姿をじっくりと目に焼きつけようとしていました。御影堂の近くには鑑真和上の廟があります。そこにいたる道は、きれいに整備され、苔が緑色のじゅうたんのようにびっしりと鮮やかに生えていました。講堂にも、国宝や重要文化財に指定された仏像が所狭しと並んでいました。京都の東寺のような密度の濃さを感じました。早く修理を終えて、元の姿に戻ってもらいたいものです。
2007年06月02日
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