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清澄庭園の前を通り、龍光院へ向かう。
清澄庭園のこの場所は元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと伝えられる場所。
深川江戸資料館通りを歩く。
深川江戸資料館と書かれているオブジェが迎えてくた。
正覚院の墓地
道路左側の公衆トイレも深川の街の景観に合わせた外観。
思わず気が付かずに通り過ぎそうであったが振り返り撮影。
「江東区公衆便所」の掛札も深川ならではの意匠。
中には入らなかったのであったが・・・・・中は全て和式??。
深川七福神巡りのコースには案内用の旗が立っていて解りやすかった。
材木屋の多い深川ならではの正月飾り、俳句がいっぱい書かかれた板が並んでいた。
「酒のめばいとど寝られぬ夜の雪」、「旅人と 我名よばれん初しぐれ」、
「百歳の気色を庭の落葉哉」・・・等芭蕉の奥の細道の句が並ぶ。
芭蕉の句の書かれた板が並べられているこのお寺は曹洞宗 善徳院の外壁。
今年の干支の猿を描いた材木年賀がここにも。
龍光院に到着。
龍光院は、浄土宗雲光院の塔頭寺院で、慶長十六年(1611年)馬喰町(中央区)に創立、
明暦三年(1657年)の大火に焼失し、岩井町(千代田区)に移転、天和二年(1682年)の
大火に焼失し、同年深川の地に移転。
本堂にてお参り。
毘沙門天はインド名バイスラバンナ(ベイシラマダヤ)の音写で、もともとヒンズー教の
財富の神であったクヴェーラ神が仏教に取り入れられ、仏神となったもの。
経典によると、毘沙門天は四天王(持国天・増長点・広目天・多聞天)の随一として
須弥山の中腹に住み、大勢の夜叉や羅刹を率いて北方を守護。
常に仏の道場に在って多くの法を聞き、あるいはその福徳の名声が遠く十方に
聞こえることから多聞天と訳され、また財を授けることから施財天ともいわれているとのこと。
形像は,甲冑を着る武神像で,左の掌上に宝塔をのせ,もう一方の手に
三叉戟(さんさげき・三つ叉の槍)を持ち、忿怒(ふんぬ)の形相で邪鬼の上に
乗る姿が美しかった。
堂の横にある巨大な五輪塔は約3.5mという大きさがあり、1686年制作の銘がある他は
詳細は不明とのこと。 五輪の形に歴史が感じられるのであった。
本堂階段脇に可愛らしい「ちんねん」の像がちょこんと立って居た。
五輪塔との対比を意識している?
白壁に映った木の陰も水墨画の如し。
龍光院の横の入口にも「毘沙門天」の案内板が。
毘沙門天の御朱印を頂きました。
深川七福神巡り案内図を参考に次の七福神巡りへ。
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