JINさんの陽蜂農遠日記

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2016.01.20
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カテゴリ: 国内旅行

清澄庭園の前を通り、龍光院へ向かう。

清澄庭園のこの場所は元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと伝えられる場所。

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深川江戸資料館通りを歩く。

深川江戸資料館と書かれているオブジェが迎えてくた。

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正覚院の墓地

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道路左側の公衆トイレも深川の街の景観に合わせた外観。

思わず気が付かずに通り過ぎそうであったが振り返り撮影。

「江東区公衆便所」の掛札も深川ならではの意匠。

中には入らなかったのであったが・・・・・中は全て和式??。

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深川七福神巡りのコースには案内用の旗が立っていて解りやすかった。 

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材木屋の多い深川ならではの正月飾り、俳句がいっぱい書かかれた板が並んでいた。 

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「酒のめばいとど寝られぬ夜の雪」、「旅人と 我名よばれん初しぐれ」、

「百歳の気色を庭の落葉哉」・・・等芭蕉の奥の細道の句が並ぶ。

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芭蕉の句の書かれた板が並べられているこのお寺は曹洞宗 善徳院の外壁。

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今年の干支の猿を描いた材木年賀がここにも。 

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龍光院に到着。 

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龍光院は、浄土宗雲光院の塔頭寺院で、慶長十六年(1611年)馬喰町(中央区)に創立、

明暦三年(1657年)の大火に焼失し、岩井町(千代田区)に移転、天和二年(1682年)の

大火に焼失し、同年深川の地に移転。 

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本堂にてお参り。 

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毘沙門天はインド名バイスラバンナ(ベイシラマダヤ)の音写で、もともとヒンズー教の

財富の神であったクヴェーラ神が仏教に取り入れられ、仏神となったもの。

経典によると、毘沙門天は四天王(持国天・増長点・広目天・多聞天)の随一として

須弥山の中腹に住み、大勢の夜叉や羅刹を率いて北方を守護。

常に仏の道場に在って多くの法を聞き、あるいはその福徳の名声が遠く十方に

聞こえることから多聞天と訳され、また財を授けることから施財天ともいわれているとのこと。 

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形像は,甲冑を着る武神像で,左の掌上に宝塔をのせ,もう一方の手に

三叉戟(さんさげき・三つ叉の槍)を持ち、忿怒(ふんぬ)の形相で邪鬼の上に

乗る姿が美しかった。 

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堂の横にある巨大な五輪塔は約3.5mという大きさがあり、1686年制作の銘がある他は

詳細は不明とのこと。 五輪の形に歴史が感じられるのであった。

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本堂階段脇に可愛らしい「ちんねん」の像がちょこんと立って居た。

五輪塔との対比を意識している? 

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白壁に映った木の陰も水墨画の如し。 

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龍光院の横の入口にも「毘沙門天」の案内板が。

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毘沙門天の御朱印を頂きました。 

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深川七福神巡り案内図を参考に次の七福神巡りへ。 

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Last updated  2016.01.20 10:12:35 コメントを書く


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