JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.09.09
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カテゴリ: 大和市歴史散歩
【大和市の神社仏閣を巡る】目次

そして「善徳寺」に到着。
大和市上草柳3-10-5



寺号標石「真言東本願寺 休息霊場 草柳山善徳寺」。
真宗大谷派の寺院なのであった。



「市指定重要有形文化財(有第十ニ号)
銅造誕生釈迦仏立像
指定年月日 昭和五十六年八月一日
形状 像高 10cm
生まれるとすぐ七歩歩み、「天上天下、唯我独尊」(この世界の中で、自分より尊い者はない)と
言ったと伝えられる釈迦の像です。
左手の肘から先と、両足の膝から下あたりが欠失し、肌も荒いですが、量感たくましく、
きわめて力強い仏像です
言い伝えによれば、善徳寺本堂を建立するために村人総出で山をくずし、地ならししていると
土の中からこの仏像が堀り出されたと伝えられています。
平成九年三月 大和市教育委員会」



広い境内の奥に「善徳寺六道殿」と見事に手入れされた「カイヅカイブキ(貝塚伊吹)」の生垣。



ズームして。誰かのお腹の如し。



「善徳寺六道殿」を正面から。



蟇股の後ろに扁額。
蟇股とは横木(梁・桁)に設置し、荷重を分散して支えるために、下側が広くなっている部材。
そのシルエットが蛙の股の様に見えることから「蟇股」と呼ばれるようになったと。



念の為扁額「善徳寺六道殿」を斜めから。



「内陣」を見る。



見事な精細な「欄間彫刻」。



見事な精細な「欄間彫刻」。



そして見事な組造りの詰組(つめぐみ)構造の「鐘楼」。



そして寛政8年(1796年)作の「梵鐘」。
太平洋戦争当時、多くの寺は金属不足の為に梵鐘を国に供出した。
その殆どは帰って来なかったが、善徳寺の梵鐘は潰されずに無事に帰って来たのだと。



中央には「南無不可思議光如来(なむふかしぎこうにょらい)」の文字が。
「人知を越えた智慧の光明をそなえた阿弥陀如来に帰命し奉る」の意。
阿弥陀仏の特に光明のすぐれていることを表す名号で、九字名号と言われると。



こちらには「南无阿弥陀佛」



「手水舎」。



「鐘楼」の見事な詰組(つめぐみ)。



「水盤」には「浄水」と。



「手水舎」の先に広い「墓地」が広がっていた。



「戦没台湾少年之慰霊碑」



「太平洋戦争 戦没台湾少年の慰霊碑」。



「戦没台湾少年之慰霊碑
太平洋戦争の末期この地に「​ 高座海軍工廠 ​」👈リンク 在り
十三才より二十才までの台湾本島少年八千余名海軍工員として故郷を遠く離れ気候風土その他の
悪環境を克服し困苦缺乏に耐え連日の空襲に悩みつつも良くその責務を完うせり
されど病床に斃れ或いは爆撃により最期を遂げたる者数多し 遺骨は故郷に還れと夢に描きし
故郷の土を踏み懐かしの肉親との再会をも叶わず異郷に散華せる少年を想ふ時十八年後の今日
涙また新なり。これ等の霊魂に対し安らかなるご冥福とかかる悲惨事の再び起らぬ永遠の平和を
祈り之を建つ
   昭和三十八年十一月
    神奈川県平塚市富士見町十番十八号
    元 高座海軍工廠 海軍技手 早川金次 坂本光吉 謹書」



「本堂」を背景に石仏を。



台座には「戦没者 檀信徒 慰霊位」と。



「本堂」。
本尊は阿弥陀如来像。
慶長18年( 1613 )正慶坊善徳により開山されたという浄土真宗の寺。



「本堂」正面の見事な龍の欄間彫刻。



木鼻(右)。
 「木鼻」の出現は、「平重衡の南都焼打ち」にあって荒廃した「東大寺」を見事に再建した高僧
「俊乗坊重源」が、中国から持ち帰った建築技法の「貫」が採用された鎌倉時代から。
貫という技法は建築を格段強固にし構造そのものが大きく変革を遂げた。
木鼻とは「木の先端」という意味の「木端(きばな)」が転じて「木鼻」に書き換えられたもの。
頭貫などの水平材(横木)が柱から突き出した部分に施された彫刻などの装飾をいうと
ネットから。



木鼻(左)。



「本堂」の見事な詰組(つめぐみ)。



斜めから。



「本堂 内陣」。



本尊の阿弥陀如来像であろうか。



本堂の外柱の下にも見事な金属彫刻が。



「本堂」前から「善徳寺六道殿」を見る。
横壁には花頭窓が並んでいた。



「本堂」と墓地を仕切る壁には「沢柳山善徳寺之由来沿革史」石版が。
ひたすら漢字のみの長文で。



こちらは「善徳寺本堂沿革歴」。
ひたすら漢字のみの長文で。



丸に横向きの三本線をあしらった 「横三引両」紋が寺紋なのであろうか。



墓地の珍しい赤い墓石。赤色御影石であろうか?



巨大な「本堂の屋根」。



そして巨大な「善徳寺六道殿の屋根」。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2024.08.28 07:15:58
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