JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.12.27
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カテゴリ: 国内旅行
3日目のこの日も5:30前に起床、6:30前にチェックアウト。



まだ外は暗く。



宿泊したホテルは「ホテル 法華クラブ 鹿児島」。
 鹿児島県鹿児島市加治屋町13−6。



まずは桜島の展望スポットの「城山展望台」にこの日の日の出を迎えに行った。
「城山」は市街地の中心部に位置する標高107mの小高い山で、クスの大木やシダ・サンゴ樹など
約600種の温帯・亜熱帯性植物が自生する自然の宝庫。
遊歩道での散策も楽しめ、市民の憩いの場ともなっている。
展望台からは桜島をはじめ錦江湾や鹿児島市街地を一望できる。

西郷終焉の地など、西南戦争にまつわる史跡が多く存在する。
昭和6年に国の天然記念物及び史跡の指定を受けた。」
到着時は「桜島」の奥・南側の山の裾野はオレンジ色に染まり初めていた。



大隅半島の最高峰大箆柄岳(おおのがらだけ)を中心とした高隅山山系であろうか。



ズームして。



鹿児島市・パース通りにあるNTTコムビルに立つ鉄塔と錦江湾の
「沖小島(おこがしま)」が見えた。



「桜島」からは水蒸気が上がっていた。



高隅山山系の山の端が輝き始めた。



ズームして。



山の端の色が刻々と変化して。







そしてこの日の日の出。時間は6:57過ぎ。



桜島の山頂からも、この日の水蒸気の出。



太陽の姿が大きくなる。



ひたすらカメラで追う。



ズームして。









そしてほぼ姿を現して。



錦江湾の水面にオレンジ色の帯が姿を現した。



「行幸記念碑」も朝の陽光を浴びてオレンジ色に輝く。



次第に水面の帯の幅が広くなり、



「明治四十年十月二十六日 皇太子殿下御手植樟」碑。



「桜島
成立ち
桜島が噴火する前、鹿児島湾(錦江湾)には巨大な穴があい
ていました。この穴は姶良カルデラと呼ばれ、約29 , 000年前の巨大噴火によってできた
ものです。このときの噴火で大量のマグマが流出し、南九州全域を埋め尽くしました。その後、
約26.000年前にカルデラの南部で起きた噴火でできたのが桜島です。

歴史
桜島の歴史は噴火の歴史とも言われ、これまで幾度も大規模な噴火を繰り返してきています。
中でも、大正3年(1914年)の大噴火では、大量の熔岩の流出により、もともと島だった桜島と
大隅半島とが陸続きになりました。桜島は鹿児島市街地の沖合い約4kmにあり、現在も活動を
している活火山ですが、約5 , 000人の市民が火山と共生しています。」



「巨大噴火がつくった鹿児島
城山
まちの向こうに錦江湾と桜島。火山と都市とが共生する桜島・錦江湾ジオパークならではの
景色です。あなたの立っているこの場所は、火山がつくった「シラス台地」。約3万年前、
現在の錦江湾奥で巨大噴火が発生し、火山灰(火砕流)は南九州を覆いつくしました。この火山灰は
「シラス」と呼ばれ、鹿児島県本土に平均約60mもの厚さで積もりました。シラス台地の上は、
水はけがよいため稲作には向かず、サツマイモなどの畑作や畜産が盛んに行われました。
城山はかっての城の跡。古くからシラス台地の地形を利用した山城が県内各地に建てられました。
鹿児島の文化を育んだ大地は、巨大噴火がつくったといってもいいかもしれません。」



あっという間に太陽は山の端の上に。



「城山自然歩道案内
城山自然遊歩道は、照国神社横の探勝園と、岩崎谷の薩摩義士碑の2カ所の入口から遊歩道に入り、
自然を観賞しながら展望台へ至る約2キロメートルのコースです。城山は、昭和6年、国の文化財と
して、史跡・天然記念物に指定されており、樹齢およそ400年にもなるクスの大木をはしめ、常緑
広葉樹やシタ類が繁茂し、亜熱帯植物なと600種程度あり、市街地の中にあって南九州特有の
林相を保ち、数多くの野鳥や昆虫か生息する自然の宝庫です。」



辺りも明るくなりこの日の朝が始まる。



「国指定史跡・天然記念物 史跡及び天然記念物 城山」碑。



周辺観光案内図。



「城山公園」案内板。


「明治23年、鹿児島市最初の公園として開設されました。
公園面積は、展望台(高さ107メートル)から東側斜面を含む15.6haです。
緑豊かな遊歩道や雄大な桜島、美しい錦江湾、市街地を眺める展望台、林間で遊べるドン広場、
鶴丸城のニの丸庭園であった探勝園などがあります。
この「城山」は、14世紀(南北朝時代)豪族上山氏の山城の跡で、明治10年西南戦争の最後の
激戦地となったところです。
また、樹齢約400年にもなるクスの大木など常緑広葉樹やシロヤマシダ、シロヤマゼンマイなどの
シダ類等、約600種余りの植物が密生しています。市街地にあって南九州特有の照葉樹林を保ち、
数多くの野鳥や昆虫が生息する自然の宝庫です。
このため、約10.9haが昭和6年6月「史跡・天然記念物」として国の文化財指定を受けています。
私たちの「心のふるさと」城山の史跡や貴重な自然を次代へ伝えるため、次のことを守りましよう。」



「現在地」は城山内のここ。



「城山」の巨木の葉の間から、朝の陽光の木漏れ日が。



「見どころ・鹿児島案内」。



大隅半島そして桜島の錦江湾沿岸の観光地案内図。



この後に訪ねた「南洲墓地」。



墓石が並ぶ。
明治10年( 1877年)の西南戦争で戦死した西郷隆盛をはしめ2023名の霊が眠っています。
墓石数は749基。



こちらは「​ 西郷隆盛銅像 ​」👈リンク。


明治維新最大の功績者で、多くの人々にしたわれた西郷隆盛の軍服姿のモニュメントです。
鹿児島出身の彫刻家安藤照が制作したもので、像の高さは台石を加え8mあります。



前日訪ねた「知覧特攻平和会館」、「武家屋敷群」。



「城山ドン広場 お昼だ「ドーン!」」
ー城山に舞い散る紙吹雪ー
「ドンが鳴った、ヒィ(昼)がなった、メス(飯)食ぶろ」と大正時代を鹿児島で生きた人は囃す
そうです。「ドン」とは明治30年以来、正午の時報がわりに撃たれた空砲の音のこと。
当時は市役所の職員が、時計とにらめっこをしながら、正午キッカリに点火、その瞬間「ドーン」
という轟音とともに、紙の弾が破裂、あたり一面に紙吹雪が舞い散りました。ドンが撃たれた
ことから「城山ドン広場」と呼ばれました。
この一帯は島津氏入府以前の豪族、上山氏の城(砦)のあった場所で、周辺の土塁が、今もその
名残をとどめています。
さて午砲ドンは、昭和12年、市役所のサイレン時報にその役目を奪われましたが、終戦後
「サイレンを聞く度に、空襲警報を思い出してゾッとする。やめてほしい」という声が相次き、
サイレン時報の中止が決まると、今度はお午にドンの復活を望む声が殺到したということです。」



そして車に戻り、次の目的地の「南洲公園」を目指したのであった。

                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.12.27 07:44:52
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