JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.03.26
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カテゴリ: 国内旅行
「源範頼の墓」を後にして、「桂川」の南側の商店街の道まで戻る。
これから訪ねる場所を確認。



商店街を「桂川」の下流方面に戻って行った。
左手にあったのが懐かしき射的場「初音遊技場」。



右手奥にあったのが「宙 SORA 渡月荘金龍」。
鉄塔の下には源泉があるのだろうか。



「竹そば 八百考」の店頭には、蕎麦を打つ姿の「ひょっとこ」の如きオジサンの姿。



左手にあったのが「桂川 花小道」。
伊豆修善寺温泉に佇む旅館、湯の宿 花小道は江戸川乱歩など文人・画人に愛された名旅館。

生まれ変わったと。
大正・昭和の香り漂うノスタルジックな館内では、日本建築の美しさも味わえる。
全13室ある客室は、床の間があり和の雰囲気も味わえるツインルームの洋室。
館内にある2つの内湯と2つの貸切露天風呂を利用できる。
食事処は桂川を望める和食レストラン。ドライヤー、バスアメニティ完備。
女性客は色浴衣と浴衣等を入れて浴場へ持ち運べる籠を無料で利用できる と。



この宿にも「内裏雛」が。



店頭脇にあった木造彫刻はなんとなく異国風。



「指月殿」へはここを曲がれと。



そして坂の上にあったのが「指月殿」。
桂川を挟んで相対する鹿山の麓にあった。
修善寺で暗殺された頼家の冥福を祈って母政子が修禅寺に寄進した経堂で、伊豆最古の
木造建築物といわれている。この時宋版大蔵経、釈迦三尊繍仏なども合わせて寄進し、門前の
虎渓橋も架け替えたといわれている。堂内中央に禅宋式という珍しい様式の丈六釈迦如来座像が
安置されているが、持ち物はないはずの釈迦像が右手にハスの花を持っているのが特徴と。
堂に向かって左手に頼家の墓があった。




扁額「指月殿」。
扁額の実物は、宋の名僧一寧一山(いちねいいっさん)の書といわれ、修禅寺本堂に
保存されている と。



右手に蓮の花を持つ「釈迦如来坐像」。



「釈迦如来坐像」の体内には経典が納められており「為征夷大将軍左金吾督源頼家菩提、尼置之」




お顔をズームして。



「北条政子」のデジタルスタンプラリーのパネル。
源頼朝の妻。北条時政の長女で北条義時の姉。



「指月殿
この地で非業の死を遂げた鎌倉幕府二代将軍頼家(よりいえ)の冥福を祈り、母北条政子
(ほうじょうまさこ)が建立したもので、伊豆最古の木造建築と言われている。
指月とは経典を意味し、禅家が愛用している不立(ふりゅう)文字を解く言葉である。
建立の際、政子が寄進した宗版大蔵経(そうはんだいぞうきょう)は大半が散失し僅か8巻しか
残っていない。そのうち「放光般若波羅蜜多経(ほうこうはんにゃはらみたきょう)」の第23巻が
静岡県指定文化財となっている。本尊の釈迦如来座像(しゃかにょらいざぞう)は、
寄木(よせぎ)造りで高さは203センチ、持ち物のないはずの釈迦像が右手に蓮の花を持っている
のが特徴である。「指月殿」の扁額(へんがく)の実物は、宋の名僧一寧一山(いちねいいっさん)の
書といわれ、修禅寺本堂に保存されている。」



「手水舎」。



旧本堂の「宝珠」であっただろうか?



「指月殿」の左側の高台には「源頼家の墓」があった。



「源頼家」のパネル。
源頼朝・政子の長男。鎌倉幕府第ニ代将軍。



「お伺い石」。



「お伺い石
「あたたかき湯の湧くところ、温かき人の情けも湧く」
人もお湯も温かい修善寺・・・実は恋愛成就の聖地とも云われています。
ある時、釈迦は弟子たちの前で一輪の花を拈(ひね)って示しましたが、摩訶迦葉( まかかしょう )
だけがその意味を悟り笑み、釈迦から以心伝心の法脈を伝授されました。
この「拈華微笑(ねんげびしよう)」の故事に基づき、指月殿の釈迦像は蓮のつぼみをかざす
大変珍しいお姿て鎮座しておられます。
ここにある蓮花の形をした石は以心伝心を占う「お伺い石」。想いを込めて持ち上げましよう。
軽く感じたら思いが伝わると言われています。もし重く感じてしまったら指月殿に祈願
しましょう。あなたの願いをかなえてくれるでしよう。
「言葉にしなくても伝わるこの想いを君と一緒に一生繋いでいこう。ふたりで」
                         (縁をつなぐ恋の橋より)



石段の上に「源頼家の墓」があった。
静岡県伊豆市修善寺935。



正面に「源頼家の墓石」。



源頼家は、鎌倉に武家の都を築いた源頼朝の嫡男。
母は北条政子。
1199年(正治元年)、父頼朝の死をうけて18歳で家督を継ぎ、1202年(建仁2年)には
征夷大将軍に任ぜられた。
『吾妻鏡』によれば・・・
1203年(建仁3年)8月27日、病の床に臥していた頼家の病状が悪化する中、日本全体の
惣守護職と関東二十八ヶ国の地頭職を頼家の長子一幡に、関西三十八ヶ国の地頭職を弟の
千幡(のちの源実朝)に譲ることが発表された。
この決定に頼家の乳母夫比企能員が反発。
9月2日、側室若狭局(比企能員の娘)を通じて「北条時政を追討すべきだ」と伝えられた頼家は
比企能員を呼んで、北条氏追討の許可を与えたのだという。
しかし、その密議は、障子を隔てて聞いていた北条政子に知れてしまった。
同日、比企能員は北条時政邸で天野遠景と仁田忠常に暗殺され、比企邸も北条義時らに襲撃されて
比企一族は滅亡させられた(比企能員の変)。
頼家の嫡子一幡も焼死している(参考:一幡の袖塚)。
この時、危篤状態だったという頼家は、9月5日、奇跡的に快復して事件を知ると、和田義盛と
仁田忠常に時政討伐を命じるが失敗に終わり、病気と政治不安を理由に出家させられた。
9月29日には、ここ伊豆国の修禅寺に幽閉され、翌1204年(元久元年)7月19日には、その死が
鎌倉にもたらされている。
※7月18日、入浴中を襲われ最期を遂げたと伝えられている。



「源頼家の墓
正治元年(1199年)に父頼朝の後を継いで18歳で鎌倉幕府の二代将軍となった頼家は、
父の没後に専横になった北条氏を押さえて幕府の基礎作りに懸命であったが、大きく揺れ動く
時流と、醜い駆け引きに終始する政争に破れ、在位わずか6年でこの修善寺に流され元久元年
(1204年)祖父北条時政の手で入浴中に暗殺された(享年23歳)。「修禅寺物語」ではこうした
政治的背景の上に配所の若き将軍頼家と、面作り師夜叉王を中心に、それにまつわるロマンスを
綴ったものである。
この碑は、元禄16年(1704年)頼家の500回忌にあたって、時の修禅寺住職伐山智船和尚が
建てた供養塔であり、墓はその裏側にある2基の小さな五輪石塔である。」



手前は供養塔であり、源頼家の墓積はその裏側にある2基の小さな五輪石塔であると。



「仮名垣魯文の句碑」。



「谷川や 月のはこびも 九折(つづらおり)」と刻まれている と。



「江戸期最後の戯作者
仮名垣魯文の句碑
桂谷眺望
谷川や 月のはこびも 九折
この俳句は仮名垣魯文(1829 ~ 1894 )によっ書かれた。彼は江戸時代に文学界で活躍した最後の
戯作者である。
彼は幕未から明治にかけて当時の世相を巧に描いた。彼は津国屋藤ニ郎(芥川龍之介の母方の
大叔父)に俳諧を学び、多くの文学者・俳諧師と親交を深めた。彼の出世作は『滑稽富士詣』
(1860年発行)であった。明治になると、彼は『西洋道中膝栗毛』、「安愚楽鍋』、「葫瓜遣い』
など次々に発表し、彼は人気作家となった。
この句睥は1891年に仮名垣魯文本人と三州園の主である三須圭山によって建てられた。
圭山は仕事の傍ら、俳句や絵画を嗜んだのでこの地に滞在した魯文と親交を深めた。」



最奥には神社もあった。



この石碑は??



「南想塔之記」碑
「昭和十六年秋名古屋にて編成された独立自動車四十五大隊は、大東亜戦争 緒戦に
ジヤワ・スマトラ作戦に参加。後に主力はビルマ方面に転戦、戦運我になく戦友相ついで
南雲の下に散る。昭和廿一年復員の後有志集い修禅寺に於て法要を重ね今日に至る。
激戦の年より茲に廿三年英霊追善のため仏縁深き修禅寺に塔一基を寄す。」



横に立つ南想塔・十三重石塔。



「桂谷(八十八ヶ所)第四十四番 十一面観音」碑。
「桂谷八十八ヶ所第四十四番
本尊 十一面観世音菩薩
笹の葉に、おく白雲も、輝きぬ、さやけき月の、影をやどして」と。



「桂谷第四十四番 十一面観音」と刻まれた石碑。
十一面観音の線刻が描かれていた。



「修禅寺温泉観光ガイド」。



「十三士の墓」。
頼家が暗殺された後に、家臣13人が謀反を企てたが発覚し、殺害されたとも、殉死したとも
言われている と。



「源頼家 家臣 十三士の墓」案内板。



「源頼家 家臣 十三士の墓
北条氏との確執で、病気を理由に修善寺に配流された頼家は、元久元年(1204年) 7月18日、
入浴中に暗殺された。吾妻鏡(鎌倉時代史書)によると、この6日後、頼家の家臣らは謨反を
企てたが、挙兵以前に発覚して、相州金窪太郎行親らに殺されたことが記されている。
この基はその頼家の家臣13名の墓と伝えられている。頼家と運命を共にしたこれら家臣の名前は
判っていないが、全国的にある十三塚の一例との説もある。この墓は元々ここより東へ200m程の
麓にあったが、台風被害により平成17年(2005年) 7月17日にこの地に移築された。」



右の石碑には「澄宮崇仁親王雨下行啓記念碑」ではないかと学友から。
左の石碑も同じく以下、学友から。

『御庵洞畔起天承細耶

 閑兒魂七百余年浮世興

 亡眞實之事山僧渺涙

 候碑〇聴

昭和戊辰卯秋第 (?) 房祭山〇

    瑞雲庵 原田力松 建石

本文読み下し文

 御庵洞の畔 [ ほとり ] を起こして ( ) [ こま ] ( ) ( ) ( ) 魂七百余年を承る
 浮世の興亡真實の ( ) 事山僧渺 [ はるか ] に涙しそうろう ( ) (?) 聴く


この石碑は原田父子の徳行を記したのではなく、御庵洞の山中に散在していた墓石を一か所に
集めて合祀した土地所有者 ( 碑文中の山僧の事か? ) に思いを致して初代原田力松氏が建てた
碑ということではないでしょうか。

語句解説

 ※ 御庵洞  [ ごあんぼら ] 北条時政の隠棲の庵室跡や、頼家の庵室跡などといわ

   れてる。もともと「十三士の墓」は御庵洞の山中に散在していた。

 ※ 畔 ある場所の周辺。ほとり。「河畔・湖畔・江畔・池畔」

※ こまやかに すみずみまで行き届いているさま

※ 承る 引き受ける くらいの意味か

※ 山僧 さんそう《 [ さんぞう ] とも》

1 山寺に住む僧。

2 山門の僧。普通比叡山延暦寺の僧をいう。

3 僧が自分をへりくだっていう語。愚僧。

   ここは 1 の 「山寺に住む僧」 か

※ 渺 ( はるか ) に 水面などが限りなく広がっているさま。はるかにかすんでい

                            る さま。

 ※ 昭和戊辰 昭和 3 (1928)

 ※ 卯秋 秋の卯の日か? 卯の日は陰陽五行思想に従うと再生・更新を意味する日
                (wiki
新嘗祭参照 ) だそうで、新嘗祭を「卯」の日に行うという慣例が、
               律令以前にすでに出来上がっていた。他にも酒造りは「卯の日」にはじめ、
              「酉の 日」に完了する慣わしがある。など、卯の日には意味がありそう。

    ※ 第 やしき。邸宅の意か。



「源頼家 家臣 十三士の墓」に近づいて。





この先、山の上には下記の観光スポットがあった。



急な山道を上って行った。



窟(いわや)の如き場所に石仏が。



そして手前にあったのが「おしゃぶり婆さんの像」。



「岩屋観音とおしゃべり婆さん
この鹿山のことを正式には「塔の峰」と呼び、昔は「塔の峰の観音さん」または岩を削って
石仏を安置してあることから「岩谷観音」とも呼んでいました。
この下の谷のことを「観音洞」と呼び、谷から直接登山するのが本来の参道だったようです。
正面は桂谷八十八ゲ所、四十番の石碑。右の祠には「おしゃぶり婆さん」と呼ばれる子宝子育ての
神様も祀られて犯られいます。赤子がロにすらオシャブリが語源といわれ、左の石仏は母乳に
恵まれるよう豊かな胸をしています
昭和初期までは、この山中にも老舗旅館の茶屋があって鹿を飼ったり、湯治客の自然散策に訪れる
私設公園でした。
中腹には大弓と呼ばれる矢場の広場があり、土地の子供が逗留中の幼い宮様と相撲に興じたり、
まだ珍しかった自転車の競争をしたりしました。」



「源義経像」。



「源義経像
義経は、源氏初代将軍頼朝や、修禅寺で自害した源範頼の弟に当り、この鹿山の麓に墓のある
二代将軍源頼家の叔父にあたります。
幼名が牛若丸であり、京都の鞍馬山で育ち、五条大橋での弁慶との出会いなどは有名な話ですが、
後の蒙古へ渡ってチンギスハンになったという説もあります。
この獅子にまたがった像の胞には源氏の紋所笹リンドウが刻まれており、義経像とも
チンギスハン像ともいわれています。
大正末期、芸術を愛好した修善寺温泉菊屋旅館の先々代野田修治の依頼で、修善寺温泉に
滞在していた彫刻家によって、天城山中から運ばれた軽石へ彫られました。



これが「吉田絃二郎 明枝の墓」だったのだろうか。



「指月殿」の境内まで下ると「絵馬」の自動販売機があった。



「絵馬掛け処」。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.08.28 19:21:24
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