JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.05.25
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カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

「小出県道404号線」を横断し直進する。



右手にあったのが「茅ヶ崎市消防団17分団」。
神奈川県茅ヶ崎市堤2381−1。



更に東に進むと、左手奥、階段の上にあったのが「羽黒大神」。



「羽黒大神」の「社殿」。



「社殿」内部の石祠が「羽黒大神」。



そして「大岡越前通り」に戻り東に進むと、右手にあったのが「妙伝寺」。
「山門」手前の右手に天保9年 (1838) 銘の万霊塔が立っていた。
神奈川県茅ケ崎市堤1032。







左手に「掲示板」。
けわしき山 あしき道 つえをつきぬれば たおれず 」と。

=一人で抱え込まないで=
 針に糸を通すのは中々大変です。針を固定して糸の先を穴に通していたら、「糸を固定して針を
動かすほうが通しやすいよ」と、助言してくれる人がいました。それ以来この方法で糸通しを
していましたが、細い針金を使った糸通しの道具を見つけました。これは便利です。
糸通しひとつにしても、やり方は色々あるものです。人生の様々な場面においても、解決策は
一つではないと思います。自分一人では困難なことも、他の力を借りれば乗り越えられる方策が
必ず見つかります。一人で抱え込まず、肩の力を抜いて、他に頼ることも時には大切なことでは
ないでしょうか。

日蓮聖人ご遺文
      『弥源太殿御返事』
 日蓮聖人の有能な外護者、北条弥源太入道に与えた書状です。書中、聖人は法華経を諸仏発心の
杖とたとえられ、弥源太入道に「日蓮のことも杖や柱と思って頼ってください」と呼びかけ
られます。入道が聖人に従って法華経を信じるようになったのは不思議の因縁であるとして、
いよいよ信心強くしたならば霊山浄土のみ仏のもとに導いていただけることと諭されています。
文永11年(1274) 聖寿53歳



「山門」の扁額は「妙傅寺」。



「手水舎」。



「山門」の左手にあった「鐘楼」。



そして正面に「本堂」。
日蓮宗 歓照山 妙伝寺。
文禄元年(1592年)に、日安を開山として草創されたといいます。
山門前には天保9年(1838年)銘の万霊塔があり、境内の墓地入口右手には、昭和31年
(1956年)に建立された「長閑さや 群盲の象を評しける」と刻まれた、村井湖月庵の句碑が。

小出七福神の毘沙門天(交通安全・財宝富貴)も祀られていた。



「日蓮聖人像」。



祈るお姿。



「本堂」の扁額は「歓照山」。



「本堂」内部に入れて下さいました。







右側に「鬼子母尊神」の祭壇。



そして左側に相州小出七福神「毘沙門天」。



近づいて。



「毘沙門天」。



ズームして。
左手に宝塔、右手に宝棒を持ち、甲冑に身を包んだ勇ましい姿の神様。
もとはインドの財宝福徳を司る神だったと。



日蓮宗の寺院の御朱印が掛け軸になっていた。



ズームしたがいずれもピンボケ。



「南無妙法蓮華経」塔。



「句碑」。
「長閑さや 群盲の象を 評しける」
昭和31年(1956年)に建立された村井湖月庵の句碑であると。
『多くの盲人が象をなでて、自分の手に触れた部分だけで象について意見を言う意から』
凡人は大人物・大事業の一部しか理解できないというたとえ。
群盲象を撫 (な) ず。群盲象を模 (も) す。群盲巨象を評す と。
つまり
・視野の狭い者が多く集まり、銘々の観点から理解したことを述べ、結果として物事の本質が
 見失われている状態の喩え。
・視野の狭い者は、いくら集まったところで、本質を理解することは難しいと言うこと。
 また、小人物はスケールの大きな人を理解することができないと言うこと。



「水子地蔵堂」。



台座には、「普明照世間」。堂内には多くの塔婆が立つ。



「妙法水子地蔵菩薩」碑。



「水子地蔵菩薩像」。



「慈照殿」と。



斜めから。



墓地の最奥、四阿の先にあった永代供養墓「のうこつぼ」。



墓地から「本堂」を見る。



次の目的地の「天満威徳天神」に向かって茅ヶ崎市堤の坂道を北方向に上って行った。



そして右手に折れて坂道を下っていくと、左手の高い場所に社殿が見えた。



正面に「天満威徳天神」。
神奈川県茅ヶ崎市堤890-2付近。



社号標石「天満威徳天神」。
「平成八年拝殿境内石垣積再建」とあった。



「社殿」。
菅原道真公をお祀りしているのであろう。



「内陣」、「本殿」のお姿は確認出来なかった。



そして次に訪ねたのが「稲荷社」。



小さな「稲荷社」。
神奈川県茅ヶ崎市堤。



「社殿」には大きな丸石が置かれていた。



そして「八王子神社」に向かって進む。



美しいツツジの花が迎えてくれた。







そして路地の角に「八王子神社」の石鳥居が左手に見えた。
神奈川県茅ヶ崎市堤507付近。



石段の横には小さな石祠・道祖神があった。



前方に石鳥居。



そして小さな「社殿」が現れた。



「文字庚申塔」(右)と「奉納 石灯籠」と刻まれた石碑(左)。



「社殿」。
多くの御祭神と。
■八王子命(はちおうじのみこと)
 アマテラスがスサノオと誓約した時に生まれた五男(天照大神側)三女(須佐之男命側)の
 神々のこと。
 ・天忍穂耳命(あめのおしほみみ)
  天照大神の左のみづらにかけられた珠から化生した神、出雲の国譲り一番目に派遣され
  出雲への降臨を取りやめた神、ニニギの父神、稲穂の神、農業神
 ・天穂日命(あめのほひ)
  天照大神の右のみづらにかけられた珠から化生した神、菅原家の祖神、出雲の国譲り
  二番目に派遣され大国主命に寝返った神、出雲国造、武蔵国造、土師連の遠祖にあたる神、
  農業神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神
 ・天津彦根命(あまつひこね)
      天照大神の首の珠から須佐之男命の左腕に化成した神、多くの氏族の祖神/天皇家に忠誠を
      誓った氏族
   ・活津彦根命(いくつひこね)
  天照大神の左手にかけられた珠から化成した神、太陽の神、繁栄の神
 ・熊野樟日命(くまのくすび)
  天照大神の右手にかけられた珠から化成した神、火の神、紀州・熊野三山の本源とされる神
 ・宗像三女神(むなかたさんじょじん)
  須佐之男命の剣から化成した神、海上守護、航海安全の神、水の女神、財宝の神、学芸/芸能
  美の神
御利益 商売繁盛、五穀豊穣、海上安全、安産祈願、家内安全 他
    [対応業種]繊維業/衣料業



内陣。



「八王子神社」の前は「市民の森」。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.30 07:34:52
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