JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.10.11
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カテゴリ: 国内旅行
「辺戸(へど)岬」に到着し駐車場に向かって進む。
前方にあったのが「観光案内所」。2019年5月に完成したと。
それまでは自動販売機ぐらいしか無く僻地感がすごかったのだと。



「辺戸岬観光案内所 HEAD LINE」と
施設1階が国頭村、大宜味村、東村のやんばる3村の観光情報を発信する案内所、施設2階が
辺戸岬の眺望を楽しみながら飲食することができる休憩所。
「HEAD LINE」の名称は「辺戸」をかけたシャレなのであろうか?



駐車場に車を駐め散策開始。
「杜と水とやすらぎの里”くにがみ”」案内板。







「やんばる国立公園 辺戸岬 Cape Hedo
辺戸岬は、沖縄本島の最北端にあり、「始まりの場所」てあるとされています。
歴史書とされている『中山世鑑』によると、阿摩美久(あまみく)という神は、琉球諸島を
つくった時、まず辺戸岳としても知られる神聖な山、安須森御嶽(あすむいうたき)を
つくりました。興味深いことに、地質学者は、辺戸の山々から約2億5千万年前の地層が確認
できることから、辺戸地域は実際に国頭の他の地域よりも古いことを明らかにしています。
この地域の他の見どころには、辺戸集落の北側にある墓があります。この墓は急遽退位した後、
行方が分からなくなった13世紀の王、義本(ぎほん)のものであると信じられています。
辺戸岬は、東は太平洋、西は東シナ海を見渡しています。観測ポイントに立っと、晴れた日には
北に鹿児島県の与論島を見ることができます。
そして、右側の木々の間には巨大なヤンバルクイナ展望台があります。」



「辺戸岬」の上空からの写真をGoogleマップから。



沖縄本島最北端に位置し、断崖絶壁に囲まれ自然のダイナミックさを感じられる絶景スポット。



「太平洋」と「東シナ海」との境界線が示されていたが・・・。
この境界線が正しいのであろうか?この地図ではこの日に訪ねた「慶佐次」は
「東シナ海」に面していることになるのだが。



ネットにはこの地図が。
いずれにしても「辺戸岬」先端部は「東シナ海」に面していることになる。



これが正しいのではないだろうか?



炬火 友情の火 」碑。

友情の火は東コース 西コース 離島コースに分火され
太陽の火(与那国町) 海の火(仲里村) 平和の火(糸満火)と集火して海邦の火となる と。



前方に見えた「祖国復帰闘争碑」に向かって進む。



「テリハクサトベラ」の群生に囲まれた石碑。



「祖国復帰闘争碑」

建てられたモニュメント。
辺戸岬は、祖国復帰を強く願っていた沖縄県民の想いが詰まった、平和を祈る場所でもあるのだ。



全国のそして全世界の友人へ贈る
吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなしとげた大衆の乾杯だ。 打ち寄せる波濤の
響きを聞け。戦争を拒み平和と人間開放を闘う大衆の叫びだ。 鉄の暴風やみ平和のおとずれを
信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、一九五二年四月二十八日サンフランシスコ
「平和」条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。 米国の支配は傲慢で県民の
自由と人権を蹂躙した。 祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声はむなしく消えた。
われわれの闘いは蟷螂の斧に擬せられた。 しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯ある
ことを信じ、全国民に呼びかけて、全世界の人々に訴えた。 見よ、平和にたたずまう
宜名真の里から、二十七度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に
発展したのだ。 今踏まえている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚き火の
大地なのだ。 一九七二年五月十五日、沖縄の祖国復帰は実現した。 しかし県民の平和の願いは
叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。 しかるが故にこの碑は、
喜びを表明するためにあるのではなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。
闘いを振り返り、大衆が信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、
人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理のもとに生きながらえ得るために警鐘を
鳴らさんとしてある。」

風の音は沖縄の祖国復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だと謳っている。一方でこの碑は喜びを
表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもないと複雑な思いも
吐露されているのであった。
記念碑が建てられてから多くの年月が流れ過ぎていった今、辺野古問題等、書かれている事が
より生き生きと沖縄の現状を表して警鐘を鳴らし続けている事を考える時、その何十年かの間に
日本は沖縄に対してどのような姿勢をとり続けてきたのか、沖縄県民はどうだったのかを
真摯に問われている、熱き熱き文章なのであった。



建立年月日 一九七六年四月
建立者   沖縄県祖国復帰協議会
設計施工者 沖縄関ケ原石材
碑文    桃原用行(復帰協 第三代会長)  
文字    中曽根 悟(復帰協 第六代 事務局長)



御嶽(うたき) であろう。



断崖絶壁の下にはどこまでも青い海が。



青と白の海のカオス。





鹿児島県・ 与論島 の島影も見えた。
辺戸岬からは22kmと、鹿児島よりも沖縄から近い島。



伊平屋島、伊是名島 であっただろうか。



ズームして。



サンゴ岩に負けじと茂っている植物「 テリハクサトベラ 」の群生。



高さ70~300㎝の常緑低木。
珍しく海辺や強い日差しにも負けない植物だそうで、足元に這うように茂っているのは、
海辺という厳しい環境下で生き抜くために根本にバリアを張るためなのだとか。
葉は枝先に集中して付くので輪生のように見えるが互生。
ヘラ形で大きく、表面に毛がなく、光沢がある。葉の先端部分に丸みはあまりなく、
浅く鋸歯がある。葉腋に半月型の白い花を群生する。果実も白色に熟し、よく目立つ。



テリハクサトベラの花の写真を2枚ネットから。
テリハクサトベラが開花すると、ハチがブンブンと音を立ててうるさく飛び回りると。
花の中心部には色がついていて、ネクターガイドになっているだと。
ハチが体をねじ入れるのだと。



奇妙な形で唇弁花と呼ばれまると。上に飛び出てアンテナ状になっているのが柱頭。
柱頭の先は杯のようにくぼんでいて、最初はそこにおしべから花粉を貰い蓄えておきます。
花弁は飛んでいる虫たちの飛行甲板になっていて、誘導路みたいな線もあります。
ハチは奥の蜜を貰いに体をねじ込むと、背中に花粉がつきます。めしべは後から成熟し、ハチが
次に訪れた際に背中から花粉を貰うのだと。



「辺戸岬」から南方向の山々を見る。
やんばるの森から突き出したブキミな岩塔。



これが「 安須杜御嶽 」・「 辺戸御嶽 」のようだ。
御嶽(うたき)とは沖縄の聖地のこと。この辺戸御嶽は沖縄開闢神アマミキヨ(アマミク)が
久高島に降臨したのち、最初に創造した第一の聖地であると。
左端ピークが岩塔(主峰)。かつて薩摩から荒海を越え、島々をたどって南海を目指した
船乗りたちが、最初に目にする「琉球」がこの山だったろう。
辺戸御嶽は、琉球王国の玄関を見下ろして睨みをきかすシーサーなのであった。
山の名は左から「シノクセ」、「アフリ」、「チザラ」、「イヘヤ」と。



卵形の石碑「 琉球鐘鬼門 」。



文字の上に透明の丸い物質がはめ込まれていたが。
誰かが無許可で設置したのでは とネットにはあったが・・・?



その先の石碑を臨む。



夕月夜 みやらひの歯の 波寄する 欣一
沢木欣一は昭和43年、復帰前の沖縄に一か月余り滞在。
5年後に「沖縄吟遊集」という句集を発表。
「みやらひ」とは沖縄の言葉で「乙女」のことと。
海の白波は乙女の歯にたとえられ、美人の形容になっている。
健康な美的感覚。沖縄の月は明るい。月下の波の穂の鮮やかな白さを詠んでいる と。



句碑の裏面。



「沢木欣一は大正八年富山県生れ 昭和四十三年夏沖縄本島に滞在し句集「沖縄吟遊集」を編む
「乙女(みやらひ)の句」はこの中にありこれを記念して碑を建つ」



白い鳥の姿は「与論島・国頭村友好記念碑」。



近づいて。
アメリカが沖縄を占領していた時代、沖縄最北の村である国頭村(くにがみそん)と、
北東数十キロの沖合に浮かぶ鹿児島県最南の島・与論島との間で、年に一回だけ交流集会が
開かれていたと。
本土から沖縄に行くのも、沖縄から本土に行くのも、パスポートが必要な時代だった。
交流集会はちょうど沖縄最北のここ辺戸岬と与論島との間、北緯27度の海上で開かれたのだと。



「ヨロン島・国頭村友好のきずな
ヨロン島のシンボルかりゆしの像
愛と平和と旅の安全祈願」



最北端ならではのダイナミックな景観。



「やんばる国立公園 辺戸岬」案内板。



これからの秋から冬にかけては北風が強くてうねりも高いので、鋭く尖ったサンゴ岩に当たって
砕ける波のしぶきの迫力はすごいのであろう。



隆起し絶壁となった岩。



「やんばる国立公園 辺戸岬」案内板。
環境省が設置したもの。



ユニークな形状の石碑。



新沖縄観光名所 國頭東海岸線 」碑。



海岸にそそり立つ岩。



「Rock Spire at Hedo Point」とGoogleマップには。



辺戸岬の「 不動明王 」像。



「不動明王」像の奥の岸壁に近づいて。



再び「辺戸岬観光案内所」を見る。



写真撮影スポット「 沖縄島最北端の地 辺戸岬 」。



国頭村文化財案内マップ[辺戸・宜名真]



沖縄海岸国定公園 」案内板。
は、沖縄島読谷村残波岬から名護市世冨慶までの海岸沿いと
嵐山及び屋我地島を含めた羽地内海から辺戸岬までの海岸一帯と学術的に貴重な動植物の
みられる与那覇岳、名護岳を含めた区域と周辺海域を合わせた19,352ヘクタール
(陸域6,817ヘクタール、海域12,535ヘクタール)です。
沖縄特有の隆起石灰岩の海蝕崖とサンゴ礁の変化に富んだ海岸線は、常に水平線を
望みながらのロードパークとも言えるものです。山岳地帯の与那覇岳一帯は、典型的な
亜熱帯常緑広葉樹林を形成しており、ノグチゲラなど貴重な動物の生息地でもあります。
また、名護市字喜瀬及び恩納村字仲間地先海面については、稀少なサンゴや色彩豊かな
魚類が豊富に生息しているため、この地域を『海域公園地区』として指定しています。
また、一部の動植物については、採取・捕獲が規制されています
」とネットから。



辺戸岬園地 沖縄島最北の園地 」碑。



再び先端の断崖絶壁を見る。
雲も静かに流れいつまでも眺めていたい絶景なのであった。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.10.13 00:26:02
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