JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.01.14
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カテゴリ: JINさんの農園
「菜の花」、「富士山」をこれでもかと楽しんだ後は、「吾妻神社」に向かって「芝生広場」を
南に向かって進む。



「案内板」が前方に。



縁結びの神様 吾妻神社 工学博士 伊東忠太氏 設計の社殿 」と。



「吾妻神社」案内板がここにも。
二宮の海は「梅沢海岸」と呼ばれているのだ。



階段の小路を下って行った。



1分ほどで「吾妻神社」の境内に到着。




「吾妻宮」碑
以前は石鳥居に掲げられていた石扁額であろうか?



こちらが「 吾妻神社 」の境内入口に立つ「 二の鳥居 」?か。



狛犬(右・阿形像)。昭和5年(1930)建立。



狛犬(左・吽形像)。



石鳥居越しに「拝殿」を見る。



左手に「 手水場 」。



拝殿



石鳥居(右)
「吾妻大權現御寶前」と刻まれた正徳4年(1714)造立「灯籠」一対、右奥に享和3年(1803)
六本木奥惣女中により奉納された「手水鉢」、更に奥東に三武社、奉納額を刻んだ石塔が。



石鳥居(左)





日本武尊を配祀する。日本武尊は景行天皇の第三皇子であり、天皇にそむく部族を征伐するため
東北におもむく途中、三浦半島走水から海路上総に渡るとき暴風突如に起こり、命は夫にかわり
海神の怒りを鎮めるため夫の武運を祈り、別れに臨んで往事を回想され
「サネサシ相武ノ小野ニ燃ユル火ノ ホナカニ立チテ問ヒシ君ハモ」と海中に身を投じた。
するとたちまち海は穏やかになったと云う。その七日後に命の御櫛が海辺に 流れつき埋めて
御陵を造り、この地を埋沢といい神社前下一帯を梅沢という。この海岸に命の 小袖が磯辺に
漂いこれを山頂に祭ったことから、袖ヶ浦海岸と呼んでいる。また日本武尊は東北戦 が終り
帰路相模の国から足柄を通り甲斐に出る途中、峠ではるか東方の海をながめ、「ああ吾が妻」と
嘆かれたと云う。
弟橘媛命の御神像は木彫の千手観音で、既に千数百星霜を経過し、御神像は現在梅沢山等覚院に
安置されている。
吾妻神社は「縁結びの神」として知られ例祭日は
   例大祭  一月 第三日曜日
   例祭   八月 十五日」



脇障子 」には中国故事に因む彫刻、題材は不明だが、左側「岩山で右手に木枝の杖、腰に2つの
瓢箪を下げた翁」、右側「満開の琵琶の花、下の方で実を採る仕草の翁」。



吾妻神社の由来
吾妻神社は、二宮町吾妻山の山頂(標高百三十六m)にある神社で、創建は第十二代景行天皇の
時代と伝えられています。皇子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が三浦半島の走水から
上総の国に船で渡る時、突然荒波に遭い、妃である弟橘媛命 (オトタチバナヒメノミコト)が
身代わりとなって海に身を投げられ波浪を静めたと伝えられています。
後に今の梅沢の海岸に妃の櫛が流れ着き、その櫛を埋めて御陵を造ったことから、この地を
埋澤と呼び、現在は梅沢地区の氏神様となっております。
また、弟橘媛命の小袖が浜辺に漂着し、これを山頂に祭ったと伝えられており、この辺の浜を 
袖ヶ浦海岸と呼ばれています。
吾妻神社の主神は弟橘媛命で、【縁結びの神様】として有名です。
              ~境内に置いてあった資料~より” 」



吾妻神社 社殿について 」。
1930年(昭和5年)設計
社殿の設計者 工学博士 伊東忠太

代表的設計建築物
橿原神宮(奈良県)
平安神宮(京都府)
弥彦神社(新潟県)
築地本願寺(東京都)など多数
拝殿の彫刻は、有名な彫刻家である 小林直光氏 によって手掛けられたものと。
歴史
110年 (景行天皇)頃 弟橋媛命を祭神として創建
741年 (天平13年)頃 僧行基が千手院、東光寺を創立
824~834年 (天長)頃 僧空海の弟子杲隣が神願寺梅澤山を建立
1218年 (建保6年) 源実朝 雄剣を拳納
1580年 (天正)頃  本社を修造(小田原城主 北条氏直)
1714年 (正徳4年)  石灯寵 奉納(現存)
1750年 (寛延3年)    再建改築
1883年 (明治16年)           吾妻神社奉納和歌額 奉納(拝殿内現存)
1930年 (昭和5年)             吾妻神社 社殿設計完了 社殿改築等奉賛会 発
1942年 (昭和17年)     上棟
1943年 (昭和18年)     完成



内陣。



「拝殿」前から境内を見る。



境内の石碑群。



「吾妻神社 奉納 御神楽」碑。



「奉納 金百五拾圓也」。



「奉納 金五百圓也」。



「三武社」碑。



歌碑「 吾妻山純情 」
二宮町 梅沢 袖ヶ浦に伝わる 日本武尊と弟橘姫の神話
「白峰紅葉清秋を飾る  敵兵野原火謀を図る 
建命静かに草薙剣振るい  救軍迎え火平定仇せり 
暴風遮断す走水の浜  愛妃鎮座す水神の前 
さねさし相武の小野に燃ゆる火の 
火中に立ちて問いし君はも  風凪ぎ全軍雄途に発す 
静謐夕陽関津に映ゆ  建命人を恋う吾妻山 
探訪漂着山関に到る  愛姫静立主君を迎う 
相い約す両人永遠の綸」



帰路は「梅沢海岸」方向の参道を下る。



参拝者の姿はほとんどなく。



竹林を見ながら進む。



右手の石段の上には「 神明社 」が鎮座。
神奈川県中郡二宮町山西844。



近づいて。



小さな社。
祭神は大日孁貴(おおひるめむちのみこと)。



社の下の右側の石碑群には五輪塔もあった。



左側の石碑群。



道祖神・石仏が。



文字「道祖神」碑。
碑型: 兜巾型
高さ: 58センチメートル
造立年月日: 明治42年(1909年)1月15日



「地神」碑。



「馬頭観世音」碑。



「双体道祖神」碑。



「妙法道録神」碑。
碑型: 兜巾型
高さ: 37センチメートル
造立年月日: 昭和10年(1935年)9月



参道の紅葉。



「一の鳥居」が見えて来た。



一の鳥居 」を潜って。



「吾妻山公園 梅沢登り口」と。



「吾妻山公園」案内図。
JR二宮駅まで700m と。



道路沿いの水仙。



「カップ咲きスイセン」。



コスモス。



そしてJR二宮駅北口に到着し、歩いたルートを地図で振り返る。



この後、二宮にお住まいの先輩に久しぶりにお会いし、喫茶店で近況、体調を語り合う。
そして二宮駅 南口に立つ「 ガラスのうさぎ



『太平洋戦争終結直前の昭和20年8月5日、ここJR二宮駅(当時国鉄)周辺には艦載機P51の
機銃掃射を受け、幾人かの尊い生命がその犠牲となりました。
この時、目の前で父を失った12歳の少女が、その悲しみを乗り越え、けなげに生き抜く姿を
描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」(高木敏子さん著)は国民の心に深い感動を呼び起こし、
戦争の悲惨さを強く印象づけました。
この像は、私たち二宮町民が平和の尊さを後世に伝えるために、また少女を優しく励ました
人たちの友情をたたえるために、多くの方々のご協力をいただき建てたものです。
少女が胸に抱えているのは、父の形見となったガラスのうさぎです。』
「ガラスのうさぎ」像記念碑文より


そしてこの日の吾妻山からの菜の花と富士山を堪能した4時間を終了し13時過ぎには帰宅したのであった。




                               ・・・​ もどる ​・・・


                 ・・・END・・・





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Last updated  2023.01.14 07:51:01
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