JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

新磯地区の寺社史蹟… New! オジン0523さん

【自販機の困りの不… New! Gママさん

イチョウの大木、サ… New! 隠居人はせじぃさん

2024年はムベが不作 noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2023.08.04
XML
カテゴリ: 国内旅行
そして「 行田市郷土博物館 」を訪ねた。



「博物館総合案内」
かって御三階櫓は、現在の水城公園の付近に建っていましたが、忍城の解体にともない
破却されました。
内部は「忍城と城下町」「近代・現代の行田」を紹介する展示室となっていた。
●博物館展示室
 ◆テーマ1『中世の行田』
  成田氏の忍城築城から1590年の石田三成らによる水攻めにより開城するまで
 ◆テーマ2 『近世の行田』
  江戸時代の忍城主のうつりかわりと忍藩の教育・文化遺産
 ◆テーマ3 『足袋と行田』
      江戸時代からの足袋製造の歴史と一つの足袋がてきるまての縫製工程
   ◆テーマ4 『古代の行田』
  古墳を中心とした古代のくらし
●三階櫓展示室
 (博物館と2階展示室とが連絡通路で結ばれています)
 2階展示室
  ◆テーマ5『忍城と城下町』
      忍城・城下町のくらしと生活道具
 3階展示室
  ◆テーマ6『近代の行田』
    明治以降から昭和30年代頃までの町並みとくらしのうつりかわり
   4階展望室
     晴れた日には筑波山から日光の山々、さらに群馬三山から富士山までの山並みが
   360°の眺望により見ることができます。
    入館料:200円/大人 と。



行田市郷土博物館 」入口。



ブラタモリ 」が 7月15日(土)に放送 されたのであった。



入館料を支払い中に入る。
忍城周辺のジオラマ模型。

浮き城や亀城とも呼ばれた と。



こちらは「忍城」のジオラマ模型。



ズームして。
「このお城はマッチ棒3,800本を使用して制作したものです」と。



「博物館内&御三階櫓」内略図。



歴代忍城主の家紋 」が並ぶ。



歴代忍城主の家紋



右から
丸に三つ引き 成田氏
 戦国時代前期から天正18年(1590) 7月まで
 成田顕泰・成田親泰・成田長泰・成田氏長
丸に三蝶の内十六菊葉  大河内松平氏
 寛永10年(1633) 5月から寛永16年(1639) 1月まで
 松平信綱



丸に違い鷹の羽 阿部氏
 寛永16年( 1639 ) 1月から文政6年( 1823 ) 9月まで
 阿部忠秋・阿部正能・阿部正武・阿部正喬・阿部正允・
 阿部正敏・阿部正識・阿部正由・阿部正権
丸に三つ葉葵
東条松平氏
 天正1 8年( 1590 ) 7月から慶長5年( 1600 ) 10月まで
 松平忠吉
  《奥平松平氏》
  文政6年(1823) 9月から明治4年( 1870 ) 7月(廃置県)まで
  松平忠堯・松平忠彦・松平忠国・松平忠誠・松平忠敬



まずは 第1展示室へ
5世紀後半、忍城は忍川の流れ込む沼地に築城されました。展示室では、伝来した城絵図や

天正18年(1590年)の忍城水攻めの経緯についても、戦国武将の書状や石田堤の想定図等から
知ることができます。

「はじめに
わたしたちの郷土『行田』は、水と緑に恵まれた豊かな自然の中にあります。
今日の行田を築き上げてきた、わたしたちの祖先は、豊かな自然の中にその歴史を

長い行田の歴史と多彩な文化を通観すると、大きな三つの特色があります。
ひとつは、忍城の栄枯盛衰と城下町の移り変わり。次に「足袋の行田か行田の足袋か」と
いわれた足袋製造の歴史。
最後に埼玉古墳群を中心とする古代の歴史と文化です。
常設展示では、この三つの特色を中心にして・行田の歴史と文化が理解できるように
構成されています。」



「中世の行田」



展示室を望む。



中世の行田 築城と水攻め 成田氏の台頭
天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原城攻めの中で小田原北条氏に属していた
成田氏の本城忍城(おしじょう、埼玉県行田市本丸)は石田三成の水攻めにも屈しなかった
ことで有名です。
戦国時代、行田周辺の武蔵武士の中から崎西郡成田郷(きさいぐんなりたごう・現在の
熊谷市上之)を出自とする成田氏が台頭し、忍城を築城します。
文明11年(1479)、古河公方足利成氏(あしかが・しげうじ、1438~1497)の書状に
「忍城」「成田」と出てくるところから既に築城されていたと判断されます。
当時の城主は成田顕泰(なりた・あきやす、1465?~1524)で、その後親泰、長泰、氏泰と
4代に亘り約100年間忍城を支配していました。
忍城が築城された地勢状況は北側に利根川、南側に荒川にはさまれた扇状地で小さな川が
乱流し、伏流水が集まって広大な沼地となっている地形を背景に、小島や自然堤防を巧みに
利用して造られています。
永禄3年(1560)越後から上杉輝虎(謙信)の関東出陣に際し成田氏はそれまでの小田原
北条氏の「他国衆」の立場を離れ旧宗主に属したものの、鶴岡八幡宮に於ける関東管領就任式に
おいて辱めを受ける事態になりこれを機に輝虎(謙信)と敵対関係となり再び北条氏の
傘下に入ります。
天正18年(1590)いわゆる豊臣秀吉による小田原北条氏討伐に際しては、同氏に属している
成田氏は城主氏長(うじなが、1542~1596)は精鋭の家臣を引き連れ、他の他国衆の城主と
共に小田原城に籠城、忍城に残された士卒・兵・農民ら数千人は忍城に籠城します。
秀吉の使命を受けて石田三成は忍城を攻めますが、堅城の忍城を攻めあぐね、ここで水攻めに
より一挙に落城させ秀吉の期待に応えたいと考えます。
ここで後世に名を残す約30Kmとなる「石田堤」を造りますが、忍城籠城兵による細工で
堤防決壊、逆に石田側の将兵が水死することになり散々な状況に置かれます。
最終的には忍城は落城回避されますが、小田原城籠城の成田氏長が秀吉方に内通し功を挙げた
ことで忍城城兵の助命を受け入れる形で結果開城することになります。



六条八幡宮造営注文
建治元年(1275)に行なわれた京都の六条八幡宮造営に際して、その費用を負担した御家人の名前と
額を書き記したもの。また成田入道や若児玉次郎、忍入道、津戸入道、久下権守、熊谷三郎入道、
西條人々、別符左衛門尉、須賀入道など、行田や熊谷周辺の御家人の名がみえる。」



展示品をさらに追う。



天正年間 武蔵忍城之圖 」。



ズームして。



忍城址発掘出土品
馬の頭骨 戦国時代
本丸東側、諏訪曲輪との間の堀底から見つかった。頭頂部を下にして、右側頭部を堀に架かる橋の
橋足で貫かれており、工事の段階で意図的に置かれたものと考えられている。」



土師質土器 」、「 忍城出土の各地の陶磁器 」。



板碑 大日種子板石塔婆(だいにちしゅじいたいしとうば)
鎌倉時代
形状:高さ193cm、幅64cm、厚さ8cm。
板石塔婆は、板碑(いたび)とも呼ばれ、鎌倉時代以降盛んに造られました。
秩父青石(ちちぶあおいし)といわれる緑泥片岩(りょくでいへんがん)等を使った石碑の一種で、
一般的に死者の霊を供養するために造立されました。



大日種子板碑 県指定 嘉禎(かてい)2年(1236)
佐間大日塚古墳の墳上にあった市内最古の板碑。初期板碑特有の重厚さをもつ。
主尊は金剛・胎蔵両界大日如来。造立者「左近将監」が、彼岸に際し、父母の現世と
来世の冥福を祈り造立したものである。」



中世の行田 築城と水攻め 祈りの造形--板碑--
板碑は、死者の冥福を析る追善供養のため、また生前に自らの死後の冥福を析る逆修供養のため
造立されるもので、この地域では、秩父産の緑泥片岩を使用している。
行田市には、現400基余りが確認されている。最も古い例は、嘉禎2年(1236)で、最も新しい例は、
元亀2年(1571)である。」



中央の大きな「 板碑 」。



阿弥陀種子板碑 市指定 建治元年(1275)
市内最大の大型板碑。今はなき主君の冥福と生きとし生けるものへの功徳を願い造立したもので、
供養者の「沙弥西念」は在地の領主層と目される。中断には六字名号と図案化した五輪塔を
併刻。阿弥陀種子は三宝珠を伴う。」



阿弥陀種子板碑 市指定 元応3年(1321)」
元は市内小針地区にあったものを、史料館に移動した。



鎌倉時代
形状 :高さ216cm、幅52cm、厚さ8cm。



阿弥陀種子板碑 市指定 元応3年(1321)
阿弥陀3尊の主尊に梵字光明真言の組合わせという、典型的な武蔵型板碑の内容をもつ。
銘文は文字不明の部分もあるか、春彼岸(「ニ月時正」)、故人の三十三回忌の追善供養の
ために造立されたことかわかる。」



いたび 板碑
この大きな石の板は、板碑とよはれるものです。きざまれているもようには、なくなった人を
なぐさめ、平和をねがう、いのりの心がこめられています。
この板碑のざいりようは、緑泥片岩というしゆるいの石です。秩父の山からたくさんとれる石で、
この板碑も秩父の石で作られたと考えられています。」



板碑の形態 」。
板碑の形態は、頭部を三角形にし、2条の溝が刻まれ、梵字(ぼんじ)(種子(しゅじ))や画像で
主尊とする仏(阿弥陀(あみだ)、大日(だいにち)、釈迦(しゃか)、地蔵(じぞう)、
観音(かんのん)など)を表現し、その下に銘文が刻まれているのが一般で、この形態の
起源については諸説があるが、五輪塔の形態が転化したものとする説が現在もっとも有力である。



中世の行田 築城と水攻め 忍城水攻め
天正18年(1590)6月、天下統一を進める豊臣秀吉は、成田氏一族や家臣が立て籠もる忍城を
攻めるため、石田三成を大将とする2万の軍勢を派遣した。着陣した三成は水攻めを行うため、
忍城の東側から南側にかけて長大な堤を築いた。
これに浅野長吉らの武将が加わり、皿尾口などで成田軍と激しい戦いが行われた。
しかし、小田原城が降伏したため、忍城を7月14日に開城した。」
右に「 豊臣軍関東進撃図/天正18年(1590) 」と「 石田堤想定図 」。



豊臣秀吉朱印状(複製) 天正18年(1580)6月12日
「豊臣秀吉から石田三成に宛てた朱印状。三成に対して、水攻めを行う前の施策として
さまざまな指示を与えている。
忍城内から命乞いが出されていることや、水攻めをすれば隣郷が荒地となるため、足弱
(老人や婦女子)以下は端城に避難させ、岩付城(さいたま市)同様に鹿垣(第・木で
つくった橋)内に留置すること、三成を信用しているので別の奉行は派道しないこと、
城内の家財道具を散逸させないようにすべきことなどが命じられている。」
「忍之城儀、可被加御成敗旨、堅雖被仰付候、命迄儀被成御助候様与、達而色々歎申由候、
水責ニ被仰付候者、城内者共定一万計も可有之候歟、然者憐郷可成荒所候間相助、城内小田原ニ
相籠者共足弱以下者端城片付、何茂請取候、岩付之城同前ニ鹿桓結廻入置、小田原一途之間者、
扶持方可申付候、其方非可被成御疑候間、別奉行不及被遣之候、本城請取急与可申上候、
城内家財物共不散様、政道以下堅可申付候也、
  六月十二日 (秀吉朱印)
      石田治部少輔とのへ」



読み下し
忍の城の儀は、御成敗を加えらるべき旨、堅く仰せつけられ候といえど、命までの儀御助け
なられ候ようと、たって色々歎き申すよし候、水責めに仰せ付けられ候は、城内の者ども、
定めて一万ばかりもこれあるべく候か、しからば憐郷荒所になるべく候間相助け、城内・
小田原に相籠る者共・足弱以下は端城へ片付け、いずれも請け取り候、岩付の城同前に鹿垣結廻し、
入れ置き、小田原一運の間は、扶持方申し付くべく候、其方御疑を成さるべきに非ず候間、
別奉行はこれを遣わさるに及ばず候、城内家財物共、散らさざるよう、政道以下堅く申し付く
べく候也
6月12日(天正18年) (朱印) (豊臣秀吉)
            石田治部少輔」

大意
忍城を落としなさいと、きびしく命じました。しかし、命をお助け下さいと、歎願してきたとの
ことです。水攻めを命じたのは、城内に一万人はいるに違いないから、郷村が荒れる違いないので、
それではあまりに気の毒で手を差し伸べようとしたからです。忍城内や小田原城に立て籠もって
いる者のうち、足軽以下は支城へ移動させ、忍城・小田原城を落城させるようにしなさい。
岩付城は忍城と同様に鹿垣をめぐらせ、小田原北条のためと必死に立て籠もっている者へは、
食糧をしっかり与えるよう命じ、籠絡しました。このまま落城できなければ、その方の非を疑う
ようになるでしょう。しかし、別の指揮官を派遣することはしません。忍城を落城させると
必ず報告するようにしてください。落城の際城内が散らかっていることがないように、兵士への
仕置を必ず行うよう、ここに命じます。



忍城水攻めの経過
忍城は要害堅固な城であったことから戦国時代には関東七名城の一つとなっており、1590年
(天正18年)に豊臣秀吉の小田原征伐に伴い発生した攻城戦の際、豊臣方の水攻めに
耐え抜いた逸話から浮き城または亀城と称されていました。



増補忍名所図会 明治16年(1883)2月23日写
忍城周辺を東西南北に分け、それぞれ名所旧跡、伝承などを記した地誌。洞季香斎が文政8年
(1825)に記した「忍名所図会」を忍藩士岩崎長容が天保6 (1835)、11年とニ度にわたり
増補改訂した。全四巻からなる。
第一巻に石田三成が丸墓山(麿墓山)に陣を張ったとの記載がある。「天正年中忍城水攻の時、
石田三成此山に本陣をかまへ城中に石火矢を打入れんと窺いしに、城中さだかに見えず。
誤て忍遍照院へ打込たりとかや。此山より城中まで路程ハ、九町もあるべし。山上より行田を
望む風景よろ◯◯記るされている。」



忍城と城主のうつりかわり



ズームして。



天正年間武蔵国忍城之図 (1573年~1592年)



天明年間の「忍御城内外絵図」()




                                   ・・・もどる・・・




                 ・・・つづく・・・



行田天然温泉 ハナホテル行田








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.08.04 06:14:08
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: