JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

新磯地区の寺社史蹟… New! オジン0523さん

【自販機の困りの不… New! Gママさん

イチョウの大木、サ… New! 隠居人はせじぃさん

2024年はムベが不作 noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2024.07.10
XML
カテゴリ: 国内旅行
再び「喜多院」の境内から「 水屋 」そして「 喜多院 慈恵堂 」を見る。



ズームして。

Image

人の数は少なかった。



正面から。
県指定有形文化財・建造物。
慈恵堂は、境内中央で東に面して建つ 入母屋造銅板葺屋根の大建築 である。
大師堂、潮音殿(ちょうおんでん) とも
呼ばれ、いわば 根本中堂の役割を果たしている御堂 である。建築年代は、『星野山御建立記』
から、寛永15年の大火後の翌16年(1639)に造営されたことがわかっており、携わった大工は、
山本若狭守吉重、長左衛門、加右衛門の3名である。柱間9間側面6間で四周に縁・高欄が回り、
正面と両側面に1間幅の畳廊下(入側)を設け、その奥に正面7間側面3間の外陣、正面7間側面
2間の内陣が配されている。また、内外陣境は引違いの格子戸を入れて結界を設けるなど、
延暦寺根本中堂を典型とする天台宗の仏堂形式と同一の形式が採用されている。

寺院で見られる五色の旗は、主に仏教に関連しています。これらの旗の色は、それぞれ異なる意味を持ち、仏教の教義や象徴と結びついています。具体的には以下のような意味があります。

  1. 青色 (Nīla):

    • 意味: 平安、慈悲、無限
    • 象徴: 仏陀の知恵を象徴し、特に慈悲の心を表します。
  2. 黄色 (Pīta):
    • 意味: 中道、聡明、調和
    • 象徴: 仏陀の教えそのものを象徴し、中庸の精神を表します。
  3. 赤色 (Lohita):
    • 意味: 精力、意志、情熱
    • 象徴: 仏陀の実践を象徴し、修行や自己改善の意志を表します。
  4. 白色 (Avadāta):
    • 意味: 清浄、純粋、正義
    • 象徴: 仏陀の心の純粋さと清浄さを表し、煩悩からの解脱を意味します。
  5. 橙色 (Mañjiṣṭha):

    • 意味: 智慧、知識、霊性
    • 象徴: 仏陀の悟りと智慧を象徴し、特に知識と洞察力を表します。

5色の色の並びは宗派や地域によって若干の変化が見られることもあります と。



石段を上り「 喜多院 慈恵堂 」に近づいて。
正面と両側面に1間幅の畳廊下(入側)を設けていた。



扁額「 潮音殿
喜多院の本堂である慈恵堂(大師堂)のことを「潮音殿」とも呼びます。
ザザザー、ザザザーと、まるで潮の満ち引きのような音が聞こえてきたのだといいます。
これには人々も驚き、まるで潮の音のようだというようになり、「潮音殿」といつしか
呼ぶようになったということです。
また、大昔、喜多院の近くは見渡すかぎりの大海原でどこへ行くにも舟を使っていたそうです。
それを仙芳仙人というお坊さんがお寺を建てるために海の主である竜神にお願いして陸地に
してもらったというお話も伝わっています。喜多院のすぐ近くの小仙波3丁目には「小仙波
貝塚」(市指定史跡)もあり、近くまで海水が来ていたことが分かっています。



喜多院を中心とした古地図をネットから。



川越の観光名所の中でも、ことのほか人気の高い喜多院の五百羅漢。
繰り返しになるが
「日本三大羅漢の一つに数えられている。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠の
発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです。
十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普賢の
両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で538体が鎮座しています。
笑うのあり、泣いたのあり、怒ったのあり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな
表情をした羅漢様がおられます。そして、いろいろな仏具、日用品を持っていたり、動物を
従えていたりと、観察しだしたらいつまで見ていても飽きないくらい、変化に富んでいます。
また、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは
亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っています。」と。



























undefined



再び中央のお釈迦様を。



旅立ちの姿。



ヒソヒソ話をする五百羅漢を。





寝ている羅漢様。



まぁまぁ 一杯!!



仲良く!!



五百羅漢場の十二支

羅漢像の中には、 十二支の動物を持つ羅漢さんがいる とのことで、探してみました。 
十二支の 子・丑・寅



十二支の 卯・辰・巳



十二支の 午・未・申



十二支の 酉・戌・亥



これも 十二支の「寅」 だと言われたが・・・・。



この碑は??



喜多院 慈恵堂 」を振り返って。



写真中央が
太子堂
喜多院太子堂縁起山門
本年は聖徳太子御忌一千三百五十五年に当ります
申すまでもなく聖徳太子はわが日本の文化史上における代表的偉人でその政治上の功績は
云ふまでもなく学問著述教育宗教音楽芸能工芸築建医療養護社会施設その他諸道の祖として
信仰されております 特に室町の時代末には仏教宗派にとらはれず太子を芸道の祖として尊ぶ
信仰が生れ大工左官屋根職等の仕事師の絶対的信仰をあつめたのであります
当山の太子堂は弘化四年三月当山末寺混合院境内地に創建され明治以後廃寺にともない
日枝神社境内に移し更に明治四十二年三月現在の多宝塔建立地に移築しそして昭和四十七年
十一月この地に立派な六角太子堂として再興したものであります この度慈恵堂多宝塔大修繕の
勝縁を記念して太子堂再興新太子像奉刻木遣塚石垣など建設と共に川越鳶職組合
(代表西村甚平氏)が中心となり喜多院太子講の結成を見まして十方有縁の篤信徒に太子の
お■を戴けることはまことに佛天の恵み千載一偶の法縁であります
こゝに畧縁を誌し記念とする次第であります
   昭和五十一年二月二十二日
         星岳亮善 識

左側の石塔が
木遣塚
木遣(きやり)塚建設の碑

昭和五十年四月吉日
木遣とは、建築用材に用いる大木を運ぶ時、大勢の力を合わせて引く歌を云い、木曳歌と
同義語である。木曳の際の号令の役目をした掛声が木遣歌となった
我々の先祖はその音頭に合わせ真棒と曳綱に命をかけて建設への基礎造りを続けて来たが
現今では、木遣と云えば 木遣音頭を以て代表され 諸々の行事に広く歌われるようになった
この度川越鳶組合は 近隣鳶組合と計り ここ喜多院太子堂の聖地に木遣塚を建設し 
その由来を記し先祖の偉業を讃えると同時に鳶の伝統の保持と新時代に即応した業界の発展を
祈念しようとするものである
塚建設に当り多数の御賛助を得たので ご芳名を刻み永く伝えたい」。



売店「 川越大師 厄除けだんご 」と。



「喜多院」について「ChatGPT」に纏めてもらいました。
川越にある喜多院(きたいん)は、埼玉県川越市に位置する歴史的な寺院で、天台宗に
属しています。正式名称は「星野山無量寿寺喜多院」といい、川越大師としても知られています。
以下に喜多院の主な特徴と歴史について説明します。
歴史
  1. 創建:

    • 喜多院の創建は830年(天長3年)で、慈覚大師円仁によって建立されました。円仁は平安時代の僧侶で、天台宗を日本に広めるのに貢献しました。
  2. 重要人物:

    • 江戸時代に入ってから、徳川家康に深く信任された天海僧正が住職を務めました。天海僧正は、徳川幕府の重要な僧侶であり、江戸時代の仏教界に大きな影響を与えました。
  3. 火災と再建:

    • 1638年(寛永15年)に大火災に見舞われましたが、江戸幕府の援助により再建されました。その際、江戸城紅葉山御殿から移築された建物も含まれており、現在もその一部を見ることができます。

見どころ

  1. 五百羅漢像:

    • 喜多院の五百羅漢像は、国内でも有名な見どころの一つです。約540体の羅漢像があり、一体一体が異なる表情や姿をしているため、訪れる人々に感銘を与えます。
  2. 徳川家光誕生の間:

    • 江戸城から移築された建物の中には、徳川家光が誕生したとされる「家光公誕生の間」があります。歴史的価値が高い場所として、多くの観光客が訪れます。
  3. 庭園:

    • 喜多院の庭園は四季折々の美しさを楽しむことができる場所で、特に春の桜や秋の紅葉が美しいことで知られています。
  4. 行事:

    • 毎年2月には「だるま市」が開催され、多くの参拝者で賑わいます。この行事は、無病息災や家内安全を祈るために行われています。

アクセス

喜多院は川越市の中心部に位置しており、公共交通機関を利用して簡単に訪れることができます。川越駅から徒歩約20分、またはバスを利用することができます。

喜多院はその歴史的価値と美しい建造物、庭園、そして興味深い仏教遺産により、多くの観光客や参拝者を引きつけています。


そして「喜多院」の山門を出ると左側にあったのが「 白山権現 」。



白山権現
830 (天長7年)慈覚大師円仁が喜多院を創建された時に、天台宗修験道の霊場である白山
より、この守護神として白山の神仏の分霊を祀ったと伝えられています。
右道路向かい側の日枝神社は、同じく創建時に、天台宗の本山である比叡山ふもとの日吉大社の
神様の分霊を祀った神社です。
天台宗では、神仏習合といい、お寺も日本の神様にお守りいただきながら、神仏ともに礼拝し
人々の幸せをお折りします。
* 修験道=神様と仏様の両方の力を得る修行方法」



その先にあったのが
「天皇陛下・皇后陛下 スウェーデン国王陛下王妃陛下 行幸啓記念」碑
「天海大僧正」像。



「天海大僧正」像。
天海大僧正(慈眼大師)とは 徳川家康公、秀忠公、 家光公の3将軍に仕え日光山第53世貫主を
務め、一時衰えた日光山を 立て直しました。その大きな功績は日光再興の恩人と今に伝えられて
います。銅像は彫刻家・倉沢実氏作。



天海大僧正(1536~1643)
喜多院第27世住職であり、会津高田(現 福島県会津美里町)出身、江戸時代初期、喜多院を
復興しました。将軍徳川家康公の信頼あつく、宗教政策の顧問的存在として助言を行い、将軍も
度々、川越城また喜多院を訪れています。
108歳で遷化(亡くなる)後、朝延より「慈眼大師」の称号を賜りました。」



「​ ​​天皇陛下・皇后陛下 スウェーデン国王陛下王妃陛下 行幸啓記念 ​」 👈️リンク 
平成19年3月28日、 当時の天皇、皇后両陛下とスウェーデン国王、王妃両陛下が川越を
ご訪問。一番街、市立美術館などを視察されました。 時の鐘入口交差点では「曳(ひ)っかわせ
(山車どうしによる囃子(はやし) の競演 )」が行われ、 ご一行は川越まつりの雰囲気を
満喫したご様子でした と。
行幸啓記念碑
2007年3月28日(平成19年)、天皇・皇后両陛下におかれましては、
スウェーデン国王陛下・王妃陛下と共に多喜院をご訪問ご視察されました。
左側には、1977年11月10日(昭和52年)に、両陛下が皇太子殿下・同妃殿下として行啓ご訪国
下さいました時の記念碑があります。」



道路の先にあったのが「 重要文化財 日枝神社(ひえじんじゃ) 」。



仙波日枝神社古墳 」もあるようであった。
墳丘にさり気無く案内板が建てられているくらいで、古墳として認識している人は少ないかも
しれません。
それもそのはず!元々は、前方後円墳だったこの古墳は、大正13年の県道工事で古墳の
ほとんどを壊してしまい、現状は前方部分が残るのみとなっているとのこと。



日枝神社(ひえじんじゃ) 」。



日枝神社(ひえじんじゃ) は、埼玉県川越市小仙波町の神社。旧社格は県社。
もともと喜多院の境内にあったが、県道建設のため大正時代に仙波古墳群の日枝神社古墳
(多宝塔古墳)という前方後円墳の一部を削平して喜多院門前に移転した。
歴史
円仁(慈覚大師)が喜多院を創建(天長7年・830年)したおりに、その鎮守として貞観2年
(860年)に坂本の日吉大社を勧請したものであるといわれている。東京赤坂の日枝神社
(旧官幣大社)は、文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城の際に、この川越日枝神社から
分祀したものである。(赤坂日枝神社もそう記述している)
本殿は朱塗りの三間社流造、銅板葺で国の重要文化財に指定されている。拝殿は老朽化が
深刻だったため、近年、新拝殿が再建された。
祭神
祭神は僧形の大山咋神(おおやまくいのかみ)・大己貴命(おおくにぬし)。」と
ウィキペディアより。




                               ・・・​ もどる ​・・・



                 ・・・​ つづく ​・・・

















お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.07.10 23:31:57
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: