JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.10.10
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カテゴリ: JINさんの農園
松原神社 の境内 の散策を続ける。
松原神社社誌
一、 祭神  日本武尊、相殿、素盞嗚尊、宇迦之御魂神
一、由緒  
  縁由及び創祀の記録は灰爐に帰して詳かではないが古老のロ碑に依れば 近衛天皇久安年間の
  勧請 なりと云はれている。後醍醐天皇の頃当所に真鶴が棲み、故に 鶴の森明神と称した
  云う。後奈良天皇天文年間に 山王原村松原の海中より十一面観音が出現 、その託宣に依り
  当社の本地佛として祀ったことから 神号を松原大明神と称した と云う。 明応四年北条氏の
  小田原を治めるに当り当社への尊崇頗る厚く鎮守 として社領一万石を寄せ氏綱、氏康等
  大事毎に必ず祈願した。天正十八年 北条氏廃滅後、後水尾天皇寛永九年稲葉氏の領となっても
  亦、鎮守として崇祀 し社費は悉く藩財を以て之に当てた。霊元天皇貞享三年旧領主久保氏が
  封を再び此の地に受けた事に依り猶先規に従い鎮守として崇敬前代に劣らず代々小田原の
  宿十九町の総鎮守とした。 明治二年松原神社と改称 し、 明治六年一月旧足柄懸に於て懸社
  定められ、明治四十年四月二日神饌弊帛料供進神社に指定された。



大きくそびえ立った松の木に見下ろされるように、 社殿前には石製の二の石鳥居 があった。
二の石鳥居の扁額「松原神社」 。そして 二の石鳥居の先に拝殿
大正十五年六月建立



「吉兆の大亀」の石像
奉納
「吉兆の大亀 頭部修復」
(有)下里住設店
下里秀永殿
   令和4年4月吉日」



吉兆の大亀
天文十四年(一五四五年)三月、 小田原の海岸に現れた大亀 を土地の者が当社の池に持参したところ、
小田原北条三代当主氏康は、これを聞き、吉兆なりとて参詣し舞を奉納 した。
果たして翌天文十五年、関東管領上杉軍八万の兵を、わずか八千の兵で見事に破り【 河越夜戦 】、
念願の関八州の平定に成功 した。
この石像亀はその話に由来して作られた(制作年不明・頭部欠損)ものと思われ、 現在でも大亀の
甲羅を撫でると、社運隆昌・心願成就・開運・勝利(転じて試験合格)にご利益がある とされて
おります。また、 亀は長寿を象徴する生き物であることから、賽銭を十円納めると十日、
百円納めると百日、千円納めると千日寿命が延びると 言われております。
                   小田原総鎮守 松原神社」



絵馬掛け所



絵馬「吉凶の大亀」 に近づいて。



手前の 阿形・狛犬(右)
二ノ鳥居の傍らに 大正15年(1926)建立



手前の 吽形・狛犬(左)



拝殿 」。
主祭神は日本武命(やまとたけるのみこと)、素戔嗚命(すさのおのみこと)、宇迦之魂命
(うかのみたまのみこと)。
昭和六年十一月現社殿を造営



「拝殿」前の 阿形・狛犬(右)
昭和34年(1959)皇太子殿下(現・天皇陛下)ご成婚記念で奉納 された子・玉取り「狛犬」。
玉(まり)を押えているのが「玉取り」
家運隆盛(よく転がるように)の意味 があるのだと。



吽形・狛犬(左)
前足で子供をあやしているのが「子取り」 子孫繁栄の意味 がある。



「拝殿」の扁額「松原神社」
神紋は「 三つ巴 」。



内陣をネットから。

ご祈祷のご案内 - 小田原総鎮守 松原神社 【公式】

「拝殿」前から 境内、二の鳥居、一の鳥居を振り返る。



境内参道の左右には境内社が数社あった。
境内左(西) 鳶職の境内社「太子堂」(祭神聖徳太子) 、前に 「鳶組合」と刻む石天水桶 が。



近づいて。賽銭箱に「 」と。



大漁を祝う漁師の晴れ着 「万祝(まいわい)」と「侍所奉安所阯」碑



万祝 」に近づいて。
「万祝」は江戸期から戦前にかけて、大漁の祝いや祈願などのため、同じ網元の漁師全員が
神社仏閣に参詣する際に着た長半纏(ばんてん)。今回は4着製作し、いずれも衣紋部分に
縁起物の鶴と小田原北条氏の家紋である「三(み)つ鱗(うろこ) を入れ、裾の部分には
「大漁」の文字 と、かつて 小田原の浜に大量に揚がったブリ をあしらっているのだ と。



万祝(まいわい)について
万祝とは江戸時代から戦前にかけての 正月、同じ網元(地域の漁業経営者)に属する
漁師全員が前年の大漁を祝い、今年の祈願をする神社仏閣への参詣時に着た晴れ着 のことを
いいます。これは長半纏を染め上げたもので、 柄は黒潮を表す藍色で文字を染め抜いた地味な
もの ですが、絵柄は背型と腰型に分けられ、背型には多くの場合鶴を背景して注文した家や船印、
船名が描かれています。また、裾模様に当たる腰型には、生業図(漁の様子を描いたもの)浦島太郎
や宝船など海に関するもの、高砂や、三番叟など縁起の良い題材が描かれています。
万祝の大漁祝いは、普通の大漁と桁外れの大漁の場合を区別するために、普通の大漁の場合は
手拭いを出し、そして桁外れの大漁の時に「万祝」を作りました。
「万祝」の風習は房総半島を発祥地とし、太平洋岸の静岡県から三陸海岸北部の青森県内まで
広く伝播し、最盛期は江戸期を過ぎて明治から大正にはいってからであったとされています。
果てしなく広く深く、また天候次第で恐ろしい姿にも豹変する海。繁栄の裏側で、常に死と
隣り合わせにあった漁師の生き様は時に「粋」という言葉で表現されることがあります。
この一つのシンボルが「万祝」という長半纏です。力強い線、縁起の良い題材が描かれた
模様など、網元が厳選した絵師・染物屋に頼んだこの1着に1年を共に生き抜いてきたことへの
感謝や翌年の皆の無事を祈る思いが凝縮された海洋芸術です。」
熱く表現されている のであった。



「内侍所奉安所阯」碑
明治天皇東京行幸のとき内侍所が滞在した旧跡。宿場町の本陣や神社などを奉安所とした。
明治天皇は、1868年(明治1年)9月20日から10月13日にかけて京都から東海道を進み、
東京に行幸した。行幸に際し、当地に神鏡が安置された。
明治天皇聖蹟小田原町保存会が建て(昭和十四年十月八日建碑)、明治天皇聖蹟保存会会長の
西郷従徳が題字を書いている。側面には、「明治元年十月八日明治天皇
御東行ノ砌内侍所ヲ当社ニ奉安ス」と刻まれている。



叶稲荷神社 」。
商売繁盛・五穀豊穣の神「宇迦之魂命」を祀る「 叶稲荷神社 」。



扁額「 叶稲荷神社」。



内陣。



佐々木八幡神社 」。



内陣。



「佐々木八幡神社」碑



大正15年建立の「 旧神輿庫 」。




今回現令の世相に鑑み神社将来の維持確立のため氏子協力のもとに画期的事業として貸し
ガレージの設置を企画し併せて玉垣並びに裏参道を新設し境内の一大模様替を行い完工を
見るに至る茲に記念のため之を録す
 昭和四十一年四月
  松原神社宮司 村上冨蔵
  常務總代   横小路豊七
         以下 省略」



石灯籠・「奉納 小田原鳶組合」 裏・北参道から



「本殿」を右横から。



石灯籠「小田原 鳶消防記念会」 と。



「拝殿・本殿」の裏に廻って。



「本殿」を左側から。
社殿は権現造り、玉垣内に千木・鰹木を乗せた流造り 「本殿」



そしてこちらが「 新神輿庫 」。



正面から、「 神庫 」と。



扉を開けると
・・ネットから。

松原神社の「神輿」公開中

大神輿

年間行事 - 小田原総鎮守 松原神社 【公式】

松原神社例大祭 」時の写真をネットから。

松原神社例大祭 小田原 | 小田原life


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Last updated  2024.10.28 05:00:00
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