JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.11.10
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カテゴリ: JINさんの農園
この日は10月25日(金)、「小田原城下を歩く」の3回目。
この日は、 小田原駅の一つ前の駅で東海道線を下車し、東海道線の南側の酒匂川と山王川の間を
散策し、山王川を渡り旧東海道の南側を中心に歩き、小田原駅にたどり着く 事を計画。
「鴨宮駅」で下車、時間は7:30前
「鴨宮駅」の歴史をウィキペディアより
・1920年(大正9年)10月21日:官設鉄道(後に日本国有鉄道)熱海線の信号場として、
 酒匂川信号所が開設される。
・1922年(大正11年)4月1日:酒匂川信号場に改称。
1923年(大正12年)6月1日:駅に昇格、鴨宮駅が開業。 旅客と貨物の取扱を開始(一般駅)。
・1934年(昭和9年)12月1日:東海道本線所属に変更。
・1976年(昭和51年)11月:橋上駅舎竣工。
・1997年(平成9年)3月13日:自動改札機を設置し、供用開始。
・2001年(平成13年)11月18日:ICカード「Suica」供用開始。



改札を出て、南北を繋げる橋上連絡通路を南口に向かって進む。
橋上連絡通路の窓から小田原方向を見る。
雲の隠れかけているのが箱根の山々。



南口の地上・小田原駅方向にあったのが 「新幹線の発祥の地・鴨宮」碑

その発祥地を称える記念碑がJR東海道線の鴨宮駅南口前に設置されているのだが、
新幹線停車駅でない事もあり、隠れた観光スポットとなっているとのこと。
この記念碑はJR東海や旧国鉄ではなく、鴨宮の有志の方々によって建立されています。
どうしてかというと、今回の記事で紹介している物とは別物である「新幹線発祥之地」なる
記念碑が、近くの車両基地内に存在します。
しかし車両基地内のため一般人は立ち寄れませんし、遠目にも見る事さえ難しい場所です。
そのため有志の方々は当初、そちらの記念碑を鴨宮駅前に移転してほしいとJR東海と交渉した
のですが、実現しなかったために、お金を出し合って自前の記念碑を建立するに至ったのです
とネットから。



新幹線の歴史
新幹線は日中戦争当時の一九三〇年代、輸送力増強の手段に「弾丸列車計画」として発案され、
昭和十五年に計画が承認され工事がスタートしたものの、その後、太平洋戦争の戦況悪化で
工事が頓挫しましたが、現在の新幹線の現在の新幹線は土地の買収や工事が進展していた区間を
利用しました。鴨宮区間もその一つでした。
昭和三十九年十月十日の東京オリンピックの開催に合わせるように、十月一日に開業しました。
新幹線は、昭和三十七年、鴨宮と綾瀬を結ぶ区間が試験線となり、この試験線は開業に際し、
新横浜-小田原間の一部として、現在、使用されています。
東海道線鴨宮駅に隣接された試験基地は「鴨宮モデル線区」と呼ばれ、現在、「新幹線発祥之地」
と制定された記念碑が建立されています。夢の超特急と言われた東海道新幹線が昭和三十九年に
開業して、早や四十五年の歳月が経とうとしています。
そこで、私共は、世界一速い・世界一正確で・世界一安全な乗り物、夢の超特急と言われた東海道
新幹線の歴史を正しく、後世に伝えて行く為に「新幹線発祥地・鴨宮」の記念碑を建立し、地域の
シンボルとして、又、世界にも誇れる歴史的にも貴重な遺産を風化させない為に、ここに記念碑を
建立いたします。
又、この事業基金は全額を皆様方からの温かい浄財によって賄われました。 ご協賛を賜りました
方々のお名前を碑に刻み未来永劫その証を称えます。
     平成二十一年四月吉日
     「新幹線の発祥地・鴨宮」碑建立事業実行委員会
               会長  高橋 隆一郎
                   (下府中地区自治会連合会会長)」



「ご協賛社名」が書かれた銘板。

かかれているがその金額は総額240万強となったとのこと。



高さ2mあまりの石の台座の上に、 0系新幹線車輌がトンネルから出てきた姿 をかたどった
FRP製のモニュメントが載っていた。



新​ 幹線の発祥地・鴨宮
「一、小田原を東西(ふたつ)に分ける 酒匂川
   川の東は 梅の里
   富士の眺めは 日本一
   一度おいでよ ひかりの里へ
   新幹線の 発祥地(ふるさと)は
   産声(うぶごえ)あげた 鴨宮
 二、小田原を 東西(ふたつ)に分ける 酒匂川
   川の西側 城下町
   城の雄姿が 目にしみる
   一度おいでよ 歴史の街へ
   新幹線の 発祥地(ふるさと)は
   生まれ育った 鴨宮
 三、小田原の中心(なか)を流れる 酒匂川
   川は流れて 相模灘
   海と山とが きれいだよ
   一度おいでよ 足柄平野
   新幹線の 発祥地(ふるさと)は
   ひかりかがやく 鴨宮」



南口ロータリーから 「鴨宮駅」の「駅舎」 を見る。



JR 鴨宮駅 南口 」。



鴨宮南口通り 」を南に進む。



150mを進み、右折すると「小田原市街」方向へと。



「富士見小入口」交差点を右折 する。



県道720号・怒田開成小田原線を小田原方面に歩を進める。



「酒匂川」に架かる「小田原大橋」が前方に。



小田原大橋 」。



「小田原大橋東側」交差点



さかわがわ 」。



おだわらおおはし 」。



「酒匂川」の上流方向を望む。



酒匂川鉄橋 」その奥に矢倉岳(やぐらだけ)
神奈川県西部の箱根山地と丹沢山地の間に広がる足柄山地にある山で、金太郎伝説で知られる
金時山(1,213m)の北側に位置する。 おにぎりを立てたような特徴的な山容 をしており、
足柄平野から足柄山地の山々を眺めた際にひときわ目立つため、一目でそれと分かるのだ と。



を望む。



「酒匂川」の左岸を下流に向かって進む。
神奈川県の北西部を流れる川。 酒勾と書くのが正しいともいわれる
富士山東ろく、御殿場市の西方に発する鮎沢川がその源といわれ、山間を通って山北町、
松田町、大井町、小田原市から相模湾に注ぐ、 流長約45kmの川 である。
名前の由来には諸説あり、「川沿いに酒匂という集落があったため、この名を取った」と
いうもの、「大和武尊が東征に際して、この川へ神酒を注いで龍神に祈念したところ、
その匂い がしばらく止まらなかったため」というのがある と。



「酒匂橋」・「西湘バイパス」 を望む。



「小田原大橋」 を振り返る。
PC桁橋 
橋長:382m
完成年(度):1994年(平成6年)



右手に「 サイクリング場 駐車場 入口 」と。



酒匂川左岸サイクリング場 」案内板。



酒匂川左岸サイクリング場 」を見る。



左手には大きな石碑があった。
「酒匂川」に架かる「酒匂橋」から上流に50m程の場所 にあった。



酒匂川の渡し 」と。



この石は?石碑ではなさそう。



石碑の裏側。



酒匂川の渡し
酒匂川の渡しは、東海道五十三次道中の難所の一つで、古くは船渡しが行われていたが、
延宝2年(1669)船渡しが 禁止されて徒渉(かちわたり)制が施行され、冬の時期を冬川と言い
仮橋を架けて往来したが、夏の時期は夏川と称し橋を 架けないので必ず手引・肩車・輦台
(れんだい)など有料で川越人足の力を借りて渡らなければならなかった。
この制度は 明治(4年(1871))に廃止された。」



歌川広重 作
大錦横絵(初摺)
天保前期(1830〜36) が描かれていた。



こちらが本物(初刷)の写真。
画面遠景に、様々な色彩と形で描かれた山々はまるでキュービスムの抽象絵画のような
響きがある。その斬新さに目を奪われ、山のふもとに描かれた小田原城を見落として
しまいがちだ。その小田原城の手前に広がる宿場が小田原宿である。画面手前を流れる
酒匂川は、幕府の政策から架橋や渡船も禁止され、川越し人足による徒渡し(かちわたし)
によって渡る方法しかなかった。後に改版された異版では、この山々の色彩の面白さは
失われてしまっている と。



歌川広重 作
東海道五十三次之内・小田原酒匂川かち渡し
(行書東海道)
大錦横絵 天保後期(1837〜43)
保永堂版より低い視点から、近景に砂州、中景に酒匂川の流れ、遠景に箱根の山を描く。
広重の代表的な東海道シリーズの一つ。揃物名および宿名が行書体で書かれているので、
俗に「行書東海道」という。描方は、書の真行草の行書体風の強い画面構成で、省筆と
省色により飾り気の無い作品群に仕上げられている。



現在の「 酒匂川の渡し 」のあった場所をカメラに。



二級河川 さかわ川 神奈川県 」と。
その先に「 酒匂橋 」。



当時と現在の「酒匂橋」の地図。



江戸時代、「歌川広重/東海道五十三次小田原」でも有名な酒匂川の渡しがあるように、
橋は架かって無かったと言われてるが、冬場渇水期には仮橋が架けられていたそうだ
明治9年の絵図とのこと。
「相州小田原酒匂橋」の写真。



「酒匂橋東側」交差点




「酒匂橋」 を望む。



「酒匂橋」・「酒匂川」。



「​ 酒匂橋 ​」👈️リンク。



左手に 「西湘バイパス」の「西湘大橋」 そしてその奥に「 白鴎海岸 」。



「酒匂橋」を渡りながら、上流側を見る。
「小田原大橋」、「酒匂川橋梁」を見る。



再び 「酒匂川河口」と「西湘大橋」 をズームして。
1971年完成、全長 625.55 m と。



この時間は引き潮の時間か? 大きな中洲が現れていた。



「酒匂橋」の欄干には梅の花が。



「酒匂川」の河口には多くの水鳥の姿が。



ズームして。



「酒匂橋」を渡ると「 日本橋から82km 小田原市東町 」と。




                                   ・・・​ もどる ​・・・



                 ・・・​ つづく ​・・・








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Last updated  2024.11.10 23:08:46
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