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子供に算数を教えていて前々から疑問に感じることがありました。最近の小さな子供達って、駄菓子屋さんなどで一人でお菓子を買うとかという機会もないし、たとえ買い物をしたとしても全くコミュニケーションも必要なく買えてしまうし、ましてや本人自身が自分の頭で計算する必要もなくなっていることに気が付きました。昔と変わらず、小学一年生の算数の文章題の問題は大抵こういった買い物にまつわる足し算・引き算の問題が多いのだけれど、実生活において経験が無い為、なかなかピンとこないらしいです。想像が出来ない、イメージが湧かないようです。娘にもついつい言ってしまいます。”全く今の子はどういうんだろうね~。ママ達が子供の頃はもう3歳ぐらいには一人で駄菓子屋さんにお菓子ぐらい買ってこれてしかも自分でお金の計算も自然とできていたのにね”そう、私が子供の頃はこういう計算って実生活の一部にあり、自然に身についていったものでした。今の子達って・・、どうしたらいいのでしょう。こうやって勉強の中でしかこういう計算をするという感覚しかないのでしょうか?なるべく一緒に買い物する時に、レジの前で娘に考えさせる機会は作ってはいるのだけれど、大抵はスーパーマーケットなので、後に並んでいる人もいるしレジの定員さんも迷惑そうな時もとても多いし・・・なかなか難しいです。そもそも今時のレジってすべて自動でお釣りも出てきてしまうんですよね。定員さんもあまり計算能力は使わないで済むようです。そもそも算数ってどうして勉強するようになったのでしょう。またそれは算数のみならずほどんどの学問がきっと日常生活に必要だったからでしょう。生きる為の知恵というものが・・。そして生活に密着に根付いていたのだと思います。インドがなぜ、数学に強いお国柄なのか?それはまさしく生活していく為だからだそうですが、生きていく手段だったのでしょう。昨今の急激なる文明の変化・生活の進化なのか?なかなか昔から続く単純な小学校低学年が習うようなものでも実生活からどんどん遠くなり、イメージしにくくなっているように思います。確かに難しい数学の内容はあまりにも現実の生活からかけ離れていて”どうしてこんなの勉強しなくちゃならないの?こんな勉強していて何の役に立つの?”と、出来ないことの半分逃げ口上として思ったこともありましたが・・。今時の子供達が文章の読解力に欠けるという話を聞きますが、事実はそうではなくてあまりにも現実社会の中で触れ合う機会や体験する機会がなく、本人達がイメージができないという問題があるのではないかとふと思ってみたりします。それは算数だけでなく、国語においても読書をさせると感じます。あまりにも生活様式が変化している為に、出てくる言葉が想像できず、難しいようです。
2007.09.19
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今月はいろいろとこみいったことが重なってしまい、親子で忙しくなっています。この9月さえとりあえず乗り切れば・・と思い娘にはっぱをかけながら、一日一日を過ごしています。来月は頑張ったご褒美にまたディズニーリゾートに行きたいと申しております。しかも泊りがけで・・。もう何回行ったのでしょう?正直母(←私のことです)はもうディズニーもさすがに飽きてきました・・。ふう~。しかし・・、確かに娘も頑張っています。いや・・、娘”が”、頑張っています。母以上に・・・。運動会もリレーの選手に選ばれました。毎日運動会の練習の他にこのリレーの練習があります。バレエの発表会も間近に控え、練習もピークを迎えています。帰宅時間も毎日PM10時過ぎるのも珍しくありません。私も仕事の研修が都内で毎日のようにあり、娘のことをゆったりと見てあげることができず、申し訳ないと感じつつ、”一緒に頑張ろうね!”という気持ちです。10月に入ったら本格的に私も仕事が始まり、今のところどういう状態になるのかやってみない限りにはわかりませんが・・、とりあえず、運動会と発表会は終わり、ひと段落付くとは思いますので、娘には少しゆったりとした時間を作ってあげたいとは思っています。もう少し、頑張ろうね!きっと何事も一生懸命やったら絶対いいことあるよ!って・・・ね。
2007.09.19
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あの当事は若いということもありましたが、本当に無理をしました。精神的・肉体的にも生きるか死ぬかの限界に追い込むのが当然のようなそんな環境でしたし、自分自身でした。七日断食も4回やりましたし、睡眠時間も平均時間3~4時間という日も何年も続けていました。キャラバンに乗っていた最前線の時は毎月何日も貫徹路程がありましたし、一日中外を重たい荷物を持ちながら早足で任地を駈けずり回っていました。それでも私はそんな世界に自分なりに満足していました。精神的に高揚していたのだと思います。自分がどこまでやれるのか?神さえいれば不可能なことはない!と絶対的な確信を私は持っていました。そしてその目的は・・。崇高なものであるから、間違いはない・・。私の心には一点の曇りもありませんでした。おかげで実績は本当に常にトップクラスでした。ますます私は確信していく・・・。そしてますます自分自身を内外共に限界まで追い詰めていく・・・。その一種の満足感・達成感・・・。しかし、願われるゴールは無限大、とにかく限界まで追い詰めていく・・。それでも足りないのだ。私のそのとき常に口走っていたのは”殉教”という言葉です。それが私の究極のゴールでした。神と誤父母様の為に”殉教”できる幸せ・・。それは私が生まれてきた証でもあり、目的・・。(と私は思い込んでいました)そんな中、私の体は完全にオーバーヒートを起こしてしまい、ボロボロになっていました。それでもそういう体を引きずりながら自分で自分をプッシュし続け、とにかく自分は死んでもかまわないと思っていましたから、走り続けていました。食べれない・寝れない・体重はどんどん落ちていき、とうとう私の体は限界域を突破し、立ち上がることすらできなくなっていました。それでも私は立ち上がって前線へ行こうとしていました。ドクターストップがかかり、私はとうとうほとんど寝たきり状態になってしまったのです。体は自律神経からボロボロにやられていて、重たい荷物を持って走り回った為、腰の辺りの背骨がこすれて潰されてしまっていて、荷物を肩で担いでいた為、担いでいた方の肩が陥没してしまっていました。(未だに鋭く刺すように痛む腰痛は後遺症として残っていてます。)それからは自分の体との闘いが始りました。前線は完全に降り、今度は責任者としての責任分担が与えられていましたから、自己管理をしながら、実績をあげていかなければなりません。経済・伝道共に実績をあげなければならない部署でしたから、精神的には休まる暇はなかったように思います。整体・気功などの治療もしましたが、なかなか完治はせず・・・。その当事の私にとって、自分の体が悪くなったことに対する悩みではなく、悪くなったことにより思う存分に摂理の為に貢献できない自分が悔しく、歯がゆかったのです。もっと、もっと、歩みたい。もっと貢献したい・・・。もっともっと・・。自分の身が朽ちるまで・・という思い。何年もそういう状況が続きました。しかし、私は常に最前線の部署にいて、相変わらず実績もあげていました。自分の体のことは諦めていました。そんな中不思議なことが起こったのです。突然”16”の宣教の修練会があり、地区の責任者さえ私の体を心配し、まずはその修練会自体参加してもついていけるかどうか危ういと言っていたのに、修練会も無事に終え、あのアフリカの過酷な環境の中の任地国へ3年もの間宣教に行ってしまえたのだから・・・。しかも私は海外に行ったことで私の体は奇跡的に回復してしまったのです。今現在も本当の無理はできませんが、普通の生活でしたら支障は全くありません。ちょっと腰痛があり、仰向けから起き上がるときに苦労はしますけど、毎日のストレッチのおかげか腰痛も軽減されているように思います。未だにふと不思議に思うことを今日は書いてみました。まるで霧がすーと晴れるように私の体からすべての毒素が抜けるかのごとく・・という感じでしたから・・。
2007.09.10
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もともと忙しい日々を送っていました。さまざまな事情ににより、子育てに専念する期間を過ごすようになり、また再び社会に出て行きたいと思い始め、その思いは日を追うごとに強くなり、それでもなかなか環境が整わず、悶々とした日々を過ごしていました。しかし、ついに来るべき時がきたのか・・。なかなか忙しくなってきました。いよいよ動き始めてきたかなという予感。子育てと仕事の両立をなんとか頑張っていきたいです。正直子育てに専念しているときは、子供中心になっていて暇にかまけて子供の習い事をめいいっぱい入れてしまいました。ほとんど毎日入っています。その送り迎えが意外と大変です。小学生になったので、幼稚園とは違いその送り迎えがなくなったので随分助かってはいますが、時間の配分などを調整し、スケジュールを立てなければなりません。その合間を縫っての仕事。合間と言っても娘が学校に行っている間ということになるのだけれど・・。まだ一年生なので下校時間も早いのです。学校も近いというということもあり、すぐ帰ってきてしまいます。こういう現状ながら、今回採用が決定になった仕事は電車で通勤するところとなりました。オープニングスタッフでかなり責任がある仕事のようです。たくさんの応募者があり、ハイセンス・ハイレベルなファミリーや夫婦を対象にしたおしゃれな空間作りを提供していく職場であり、到底私など採用されないのではないかとほとんど諦めていました。採用の連絡があったときには、”まさか!!”という思いと、嬉しい思いよりも責任の重さをとても感じて自分に果たして役が務められるのかという思いが湧いてきました。会社説明を受けた時にやりがいはとても感じ、”やってみたい!”という気持ちにもなったのですが、子育てに専念し、仕事中心というより娘にほとんど私の気持ち・時間などすべてがいってしまっている今のこの生活から、どう展開させていくのかという感じでとても不安になったのです。娘を犠牲にしたくない!という私の痛切な思い・願い・・。そうです。私の器が試されるし・・、何よりも私自身が成長していかなければできない内容だと確信しています。しかし・・、”成長したい””このままでは嫌だ!なんとかこういう生活を打破したい!””社会にもう一度出て行きたい””やりがいのある仕事をしたい”と私はずっとずっと願ってきました。そして子育てをしながらも本当に仕事も頑張って両立されているママだって多くいると思うし、自分も頑張りたいとずっと思っていました。自分を向上させていくチャンスではないかと思い、自分自身をプッシュしているところです。確かにこのままでは終わりたくはないです。ずっと自分に不満でした。悶々としていました・・・。とりあえず、チャレンジしてみたいと思います。そしてきちんと子育てもしていきたいと思っています。これだけは譲れません。とにかくやれるだけやってみたいと思います。あたって砕けろです!もし、やるだけやって出来なかったら・・、そのときはそのときです。娘の習い事も発表会やらで忙しさもピークを迎えてるし、今月は運動会もあり・・。その他やること多し・・。フル回転です・・。いよいよ始動開始という感じです。
2007.09.07
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