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ニュースを観ていて、数年前から気になり出したことがある。そして私の心をかき乱す・・。ようやく私があそこから抜け出し、世の中の動向にやっと素直に目が向き始めたときである。(それまでは、世の中の様子など”この世の世界”という目しか見ておらず、いつでも摂理の中でしかみていなかったし、文夫妻の御言葉を中心に世界が動くと信じていたし、そう動かさなくてはならないと切実だった)ニュースなどで日本の経済のことがでると必ず、一般家庭にはどのような影響がでるかというモデルとして、"一般の平均年収である600万円の家庭”が出てくる。本日のニュースでも金利が上がることで、どう一般家庭に影響があるのかという設定で、やはり”平均の年収である600万の家庭”のケースでということで具体的に数字を出していた。600万という数字・・。これは本当に日本の一般家庭の平均収入に当たるのか?本当なのか?信じがたい数字・・、正直に言えば信じたくない、受け止めきれない数字である。我が家にとっては・・・。途方にも暮れてしまう数字である。我が家はその3分の1だ。半分にも当たらない。その数字を語る、アナウンサーもその額を当然として語っている。(当たり前だが)そして、ワイドショー的なニュースでは、少しでも税が負担になる数字が出てくると、決まって一般家庭の負担が重くなり、生活も今以上に大変になり苦しくなる”などと結論を付ける。大変だ大変だといわんばかりに・・。私はこういうニュースが流れると、ついつい、”この数字はこういったアナウンサーなどの恵まれた仕事を持っている人の感覚としての平均収入なのではないのか?”こういう人たちは、一般庶民の生活の現実を知らないのではないか?600万も年収があって何が大変??とか、ひがみ根性も混じり、いろいろな思いが湧いてきてしまう・・。明らかに完全に感情的になっている思いだ・・・。そしてなんとか考えないようにしていること、諦めてしかるべきことが思い出され、なんとも悲しい、辛い気持ちが湧いてくる。年収600万の生活って今の日本の一般庶民を本当に象徴できるものなのだろうか?それほど格差が広がっているということなのか?もしそうだとしたら、ますます、我が家の異常さを見せ付けられる思いがする。現実は現実・・・・。我が家には収入があまり無いということは事実である。とにかく、稼がないといけないのだが・・・。あまりにも途方も無い、絶望ともいえる現状に私の気持ちは途方に暮れてしまいそうな気がする。なんとか頑張っていこうという思いもあまりにも厳しい現実に、気も萎えてしまいそうになる。経済・・・。あまりお金、お金と言いたくはないし考えたくないのだが、あまりにも情けなく・・・。UCを離教しても、厳しい現実との闘いはまだまだ続く・・・。もしかして永遠かもしれない。この肉体が滅びるまで・・・。せめて娘にはこの負の財産は絶対に受け継がせないようにと必死でもがいている。”恨み言”は言いたくは無いが、経済基盤を一切作れず、社会的な基盤も全く絶たれ、おまけに夫となる人もそれ以上に厳しい内容と貧しい国(経済のみならず、あらゆる点で)の異国の人・・・。いったいどうやって人生を建て直し、挽回していったらいいのかと思ったときに、やはりUCのことをうらんでしまう思いが湧いてしまう。なぜなら、自分の為でなく、子を持った親として、立派に子供を育て一般社会に出さなければならない最低限責任があるから・・・。せめて本当に良いことをしていて欲しかったという思いと共に・・・。
2007.02.24
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悪い予感はしていた。先週いつものように週末実家の方へ立ち寄った。いつもとはなんら様子は変わっていなかった。母がいつもより咳き込む量が多いこと以外は・・・。母は喉の調子が数年前から悪く、よく咳き込む。しかもそれは私の娘が生まれてからだと信じて止まず、ことあるごとに皮肉る。そう、母の顔にはたくさんのしみがあるのだが、それも私(ラム子)が生まれてからだと私が小さい頃から言われていたことを思い出す。いつも”おまえが生まれてきたせいだ”と言われ続けられてきた事を。しかし、その事実は父が良く知っている。”結婚以前からお母さんはしみが顔一面にあったので、何かの病気を持っていないかと本を使っていろいろ調べた。それほどお父さんは結婚相手を選ぶのに慎重だった”と、UCにおいて簡単に私が相手のことを調べずに結婚相手を受け入れてしまったことへの批判と共に、よく話してくれる。余談になってしまったが、母が咳をしていることはそう珍しくも無いのでさほど気にはしていなかった。しかも、父から今年は例年より早く母が花粉症で悩まされていることを聞かされていたので、まさかと思っていた。また時々父が私たちのところで生活をしているものだから、精神的に母は楽らしく、かなり趣味や旅行など友人達と楽しんでいるらしく、その週もあちらこちらへ友人達と行っていたらしい。そしてその日も趣味の社交ダンスに行ってひと汗かいていたところだった。とにかく私たちの目には母の姿は元気そのものに映っていた。急に母が立ち上がって”ちょっと花粉症の薬を貰って来る”と言ってかかりつけの近所の医者(私の元大親友の同級生の父親が開業していて、今はその弟、私の後輩なのだが跡取りになっている)から行って帰ってきたかと思ったら、なんとインフルエンザという結果で、すでに39.2℃の熱があったそうである。もうびっくりしたのは周囲の方である。申し訳ないのだが、今私と娘は病気になって倒れるわけにはいかないのである。卒園入学を控え・・、特に幼稚園の行事はなんとしても任務を遂行しなければならない。仕事も始めてしまった・・。結構今までも神経を使ってきた・・。必ず、うがい手洗いは敢行してきた。外出する時はマスクなどなど・・。体調管理にも気をつけてきた。思わず、母がインフルエンザであると判った途端、私と娘はすばやく帰り支度を済ませ、”ごめんね、帰る!とにかくお大事に・・。すみませ~ん!”っとさっと逃げるように帰路につかせていただいた。あまりにもそっけなかったので、母に申し訳なくなり、お布団を敷いてあげれば良かったとか、食事は大丈夫かな?とかもう少し優しい言葉をかければ良かったかな?とか車を運転しながらついつい気になってしまい、さっそく自宅についた途端に父に電話してしまった。まあ、父はわかってくれたが・・・。母は恨み深い人なので、正直心配だった。とてもインフルエンザにかかるのが怖かった。潜伏期間は1~4日ぐらいという。その後、一日一日娘の様子が心配だった。案の定、私も含め、次の日あたりから、体の調子が悪くなってきた。なんだか、だるいし熱っぽいし、風邪っぽい症状の鼻水、咳・・。ああ~、ここでなるわけにはいかないと、娘と共に気合をかける。"気力で吹き飛ばそうね!”と。2日、3日・・。ああ~神様~!!ますます酷くなっていく症状・・。しかし、発熱はしていない・・。どうか、このまま風邪で終わって欲しい!!いや終わらせるんだ!!仕事はどうにかなっても幼稚園の行事、特に謝恩会の練習が連日のように入っていて、休むわけにはいかない。今このときに休んでしまったら・・、大顰蹙を買ってしまう。それは恐ろしいことである・・。それほど白熱している、ママさんたちであった。実家に様子が心配だったので電話をする。なんと電話には母が出て父も母の2日後インフルエンザで倒れたとのこと。4日目・・。娘がとうとう発熱。しかし夜間も38度には至らず、インフルエンザじゃないよねっと必死で思い込もうとする私。次の日の朝、平熱に戻り、本人の強い希望もあり、幼稚園に行かせるも夕方になりぐったりしてきて、とうとうその晩は40度まで熱が上がった。ああ~、やはり・・、インフルエンザの可能性大だ・・。そう・・、本日、雨の中、病院に行ってきた。その結果は私の両親と同じ、インフルエンザのA型だそうだ・・。しかも幼稚園は1週間は休んで欲しいと言われてしまった・・。さあ、どうなる!もうどうにでもなれという感じ・・・。今までの体調管理はいったいなんだったのか?緊張していた糸が切れそうだ。私まで、調子が芳しくない・・・。謝恩会も結構重要な役目を預かってしまって(乗る気はなかったのだが、怖い人たちばかりで、ついつい断り切れず)大変なことになりそうな予感。でも今現在何も考えたくは無い・・・。私もインフルエンザにかかってしまったかしら?我が家にとってもちょっと倒れるわけにはいかないのだけれど・・・。とにかく、少し休みます~。ああ~うらめしや~、インフルエンザA型・・。
2007.02.23
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以前住んでいたところとあまりにも地域性が違っているので、今から思えば最初から違和感を感じることが只あった。しかし、とにかく何かと多忙だったこととこの地域になれなくてはいけないと無我夢中だったので、そういう思いを一生懸命心の中で消し去っていたのだと思う。感じないふり、見ないふりをしていたのだと思う。例えば、去年の桜の季節の頃、引越し先の周辺を私の両親を含め、家族で散歩をした。桜並木道があり、その道路が隣の市まで続いていて、それはとても桜がきれいだったのだが、私たち家族は唖然としたというか驚いたというか・・、なんともいえない気持ちがあったことを覚えている。その満開の桜の木の下で周囲は住宅街だというのに屋台のお店が敷きめくように並んでいて、道路にはござがびっしり敷かれていて昼間なのに、あちらこちらで飲めや歌えやの宴会を開いていてその層はある一定の限られた人たちではなく、あらゆる年齢の人たちや層の人たちが集まっていた。もちろん家族連れのグループや子連れのお友達同士のグループや仕事関係、お役職関連、シルバーのお友達同士、中にはやくざ関係の集まりもあり、見ていて驚きと共に意外性もあったので新鮮なユーモラスまで感じるぐらいであったことを覚えている。母も東京の下町生まれなので、懐かしささえ感じたようだった。そう下町の雰囲気も漂っていた・・。まだその頃は訳もわからずに・・・、楽しい思いさえ感じていたのだが・・。私は正直好きではなかった。しかし、受け入れなくてはいけないという思いが先に立ち、感じないようにした。いろいろな事情があり、どうしてもここに住むと決定してしまったから。今回ばかりは自分達だけで好き勝手なところへ引っ越すわけにも行かなかったから。訳ありなのである。しかし、住むところというのは確かに誰でも自分の好きなように選択できないことが多いかもしれない。事情に縛られることが多いと思う。例えば転勤族のような人もいてあちこちに移り住まなければならない人もいる。そして結婚したら夫のところの実家の方へ行かなくてはならない人も多いだろう。無理してでも、自分の思いを打ち消してでも、その土地になじむより他は無いのである。"住めば都”とはよく言ったものだ私もある意味、あきらめないといけないとは思っている。しかし、この土地に染まりたくは無い。この土地と地域性と向き合いつつも、自分をしっかりと保っていきたいと思う。流されたくはない。知恵を使いながら、上手に関わっていけたらと思う。もしかしたら娘の故郷になるかもしれないし・・・。その可能性は大である。受け入れなくてはなるまい。しかし、決して染まりたくない・・と抵抗する自分がいる。
2007.02.22
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今日は、他に吐き出すところが無いもので、ちょっと愚痴を書いてしまいますが、ご了承ください。どうも引っ越して間もない為、まだまだここの地域性が理解できないのか・・、なんなのか・・、しっくり行かないことがいろいろあり、特に人間関係で多い。ついつい、心の中でもやもやしてしまうことが多いのである。確かに周辺の市に比べてどうやら少し変わっているらしいというのは小耳に挟む。いろいろ詳しく書くと、どこに住んでいるのかわかってしまう為、そう書けないのが、残念である。東京都にもほど近く、周囲の市はどんどん発展していく中、ここの地域だけずぼっとタイムカプセルにでも入っているよう・・・。なんと言っても市長がず~と変わらず、行政のメンバー達もはっきり言うとお年寄りばかりである。小学校の校長を含め、先生方もいわゆる年代的に子供の祖父母といったところか・・・。教員に定年はないのだろうか?それとももう定年間近かなのだろうか?行政関係も、市全体が、そういう雰囲気・・であることに最近気が付き始めている。昔ながらの香りが残っていて、昔のよき時代だった頃なら確かに合っているとは思うのだが、はっきり言って時代に完全に乗り遅れているような気がする。お役所の公的機関でさえ、なあなあで身内でやっているという様子・・・。地元の人たちがとても力を持っており、頑なに昔の方針、風習を保とうと必死である。他から何か良いものを吸収しよう、学ぼうなどという姿勢はからきしなさそうである。感心すらなさそう・・。それに反発は覚えても・・・。また若者でさえ、なんとなく哀愁が漂っていて、意欲ありエネルギーを持っている者達はきっと都内に流れ込んでしまうのだろう・・。町全体がよそ者や外の空気を嫌う感じがする。要するに田舎だってことだ・・。東京近郊の田舎の市なんだと最近感じ始める。おまけに古いものに縛られているから、経済の潤いも無く、財政は厳しい。ということは教育や福祉などの恩恵は少なく、負担ばかりが大きいということになる。・・・という町の中の一番伝統的な幼稚園に娘を入れてしまった。どういうわけだか・・・。確かに保育料が高いだけあって、先生方はきちんとしていて安心してあずけていられる。何か施設が充実しているわけでもなく、特別に何か教育をしてくれる訳でもないのできっと保育料のほとんどが先生方の給料になっているかもしれないと予測しているのだが・・。以前の幼稚園が先生が悲惨な所だったので、そこだけは譲れず、ついつい先生だけで選んでしまった。しかも小学校入学の為のステップにしか過ぎないとは思っていたので・・。幼稚園も今佳境に入っている。とにかく父兄(要するに園児のママ)がやることが多い。幼稚園の行事も卒園に向かっててんこ盛りである。本日も仕事を返上して参加してきた。そして謝恩会の練習と準備・・。皆凄すぎである。またそれを当然のごとくやっている。先生方にお中元やお歳暮もする。今時である・・・。確かに私が子供の頃、習い事の先生などには私の母親も毎年お中元、お歳暮をやっていて、私が母親になり娘の習い事の先生にやっていないことを知ると母は驚いて”今時の子はやらないんだね”と皮肉を言っていたが、以前住んでたところはもう先生自体が断っていたのだ。また周囲にあげる人などいるどころが、そんな話題をしたら笑われるほどであった。こちらの地域はそれを当然のごとくする。誰も疑問を持とうともしない。それはそうだろう。それが当たり前なのだから・・。クラスごとの飲み会などの付き合いも多い・・。驚いたことに夕方6時過ぎから始まるのに、クラスのママのほどんどが出席してしまう。しかも夜中の12時近くまで大抵その会は続く・・。とにかく、幼稚園の催し物も父兄が熱心である。白熱しすぎて、人間関係トラブルも続出するそうである。特に謝恩会の準備は完全に父兄主導型なので、毎年なんらかのトラブルがあるそうだ。皆一生懸命である。凄すぎである。私はどうもついていけない・・。やたら冷めてしまう。だって、たかが謝恩会でしょう????しかし、ついていっているフリをしている・・。もう白熱して感情的に叫びだす人もいるし、怒り出す人もいる・・。私も何回か被害にあった・・・。私にはどうしても理解できない。もう少し、大人になれないのか?大人同士付き合う為に、最低限、言葉使いや態度には気を使おうよ・・と言いたい。あまりにも下品である・・。私はどうも下品な人は受け付けない・・。もちろん、こういったことは私の心の中の奥底に秘めているが・・。怖くてそんなこと微塵にも出せない・・。私は臆病なのである。タメ息である。以前住んでいたところはもう少し(本当はそれどころではないが)お上品だった・・。人間関係もこうではなかった・・・。もっと相手を敬うというかなんというか・・。こちらは訳判らず・・・。まだ研究中ですが・・。しかし、子供の為、なんとか責任を果たしたいと思う。あと1ヶ月を切った・・。卒園後の春休みもママさんだけのお別れ会やら卒園パーティやら案内が来たが、私は絶対に参加しまい。疲れるだけである・・。確かに編入してくる時に、”きっと卒園する頃になってもこの幼稚園のことはよくわからずに卒園することになるだろう”と想定していたが、ようやく、最近少しずつ見えてきた。ここの地域性と共に・・・・。最近あちこちで周囲の声を聞く・・・。”00幼稚園って、いつもママ達が固まっていて怖いよね~。どんなママ達がいるの?”と怖々聞いてくる人や、”今度00幼稚園に年少さんから入るママが知り合いにいるんだけど、ママ達の付き合いが心配で心配で不安になっている人いるんだけど・・”という話が耳に入るようになっている。そうか、周囲のママ達はそう見ていたんだ・・と感じることが多い。実は娘が行っている幼稚園は結構いろいろなことで有名で、敬遠するママも多くいたようだ。今頃知ってしまった・・・。何はともあれもう少しで解放されるということだ。新しい小学校生活が始まる。いよいよ本番である・・・。
2007.02.21
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早いものである、という気持ちと本当に長かったという気持ちと両方の思いが募ります。あと一ヶ月で娘の幼稚園生活が終わりを告げます。引越しがあったため、幼稚園を途中で変えていますが、年少から入園した娘はいずれにしてもバス通園ではなく、送り迎えをしました。初めに行っていた幼稚園はちょっと距離があったため、本当はバス通園の距離だったのだけれど、娘がバス酔いをすることが途中からわかり、そこから車での送迎をすることになったのでした。生まれた時から車での移動が多かったので車でまさか酔うとは想像だにしていず、また娘もまだ小さかった為自分の症状を言葉でうまく伝えることが出来ず、私が気が付くのが遅れてしまい、娘にはかわいそうな思いをさせてしまいました。バスから降ろされるたびに下を向き、青ざめた顔をして帰宅したとき、幼稚園で嫌なことがあったのかしらとずっと違う心配をしたものでした。今の幼稚園は程よく近いので自転車で送り迎えをしています。今まで車ばかり乗っていた私、普通のレインコートしか持っていず、自転車の送迎の為に、上下ズボン付きのカッパたるものを買ってしまいました。初めはとても恥ずかしかったのですが、今はすっかりなれました。幼稚園ママにとって、この毎日の送迎は正直結構負担になっているとは思います。特に小さい赤ちゃんを連れての送迎は大変なものだと思います。私にとっても一人っ子なので大きい声では言えませんが毎日のことなので、やはり負担には感じてはいます。この3年間続いた送迎が今年の4月からいよいよなくなります。彼女が一人でお家を出て、私が一緒についてなくても行って帰ってきてくれるなんて、今は想像もできません。きっともう少し大きくなったら、習い事も一人で行ってくれるようになるでしょう。送迎からの解放と、何よりも嬉しいのは、授業料が安いこと安いこと・・。やはり私立の幼稚園は高いです。雑費を抜いても今行っている幼稚園は年間約50万の出費でした。近辺の幼稚園の中でも高い方だとは聞いてはいますが・・・。公立の小学校は本当に安いです。とても助かります。
2007.02.19
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この間また一つ歳を取ったので、もう一つ関連した日記を書きたくなった。歳を重ねるごとに変わってきたことと言えば、自分の写真を撮りたくなくなってきたことだ。恥ずかしながら・・、自分をわかっていなかったのか、結構写真を撮るのも撮られるのも好きだった。私の両親も写真は好きで私が子供の頃から、スナップ写真はもとより、家族写真をよく年中行事の度に写真館で撮った。そして自慢しているわけではないが写真館で何回か自分の写真がお店に飾られたことも何回かある。大学入学のときに撮った写真や成人式の写真など・・・。写真好きはその後も続き、かのカルト的新興宗教にいたときでさえ、撮る機会も多くあったせいかたくさん持っていて、それは後にやっかいなお荷物にもなり、引越しと同時にすべての関連goodsを処分する時に本当に私を悩ませた・・・。どこにどうやって捨てろというのかということで・・。結局関連写真は切り刻んで捨てざるを得ず本当に処分するのに時間がかかった・・。20年間分の写真をほとんどつい最近まで取って置いたのである。その間の度重なる人事にも持って歩いていたか地区の倉庫にあったということになる。海外にも行って居たというのに。4Daysの集合写真当時からずっと取ってあったのである・・。私のあの世界にいた紛れも無い私の歴史だった。それはすごい量だった・・。笑ってしまうくらいに・・。今はすべてを処分したのでここにはもう無い。そして結婚してからも私以上にパパが写真マニアで、二人の共通した趣味であり、お金が無いのに写真代に相当お金は消えた。その頃の私はまだあまり自分が写る事に抵抗はさほど無かった・・。いつの頃からだろうか?そう、娘が2~3歳になった頃、いつも家族で撮る写真に自分が入るのを抵抗し始めたのは・・・。そう、写真に写る自分の姿がやたら嫌になる。写真を撮る度に、年取った自分を目の当たりに感じてしまう。どんどん写真の中の私が歳をとっていく。それは紛れも無い事実に過ぎないのだが、それを直視しなければならないことに不快を感じるようになった。最近はなるべく私は写真を撮るときに入らないようにしている。そして撮る時は万全の準備をし、かなり気合を入れて撮るようになってしまった。そして一番顕著に現れるのは、証明写真だと思う。実は証明写真も記念にと思い、なんと、高校受験の写真からずっと取ってある。要するに中学3年生の時に初めて証明写真たるものを撮った様な気がする。その後、度々ご入用のときに撮ったものがすべて手元にある。時々眺めてはその当時の思い出と同時に、自分の顔の変化をタメ息と共に楽しんでいる。証明写真といえば、学生時代の入試用、バイト用もあるが、就職用もある。この間も仕事探しに証明写真を撮ったが、今はパソコンが導入されきれいにその後修正はしてくれるようになり、画期的になったが、自分がつくづく歳をとったことを実感してしまう一瞬になってしまった。ああいう写真を見ることが一番自分を客観的に現実を直視する機会なような気がする。決して笑ってはいけないし、表情でごまかしはきかないから余計である。そして、先日、自動車免許更新の為、これまた写真を撮った。5年間何かと身分証明書代わりにご入用になる機会も多いのでどうしても(なるべく)きれいに写りたかった。それまで持っていた免許証の写真はお世辞にも良いとはいえないほど、とにかく酷いものだったから、余計に力が入った・・。今回免許証を手にして少しほっとした。なかなか良い出来栄えだった・・。気持ちが明るくなった・・。良かった。何より写真の中の私が笑みを浮かべている明るい写真に仕上がっている。私の手元には過去に使用済みの2枚を含めて3枚ある。今回のが一番いいじゃないか・・。嬉しくなった・・。写真機がよくなったのか??とにかく、嬉しい。過去の物が酷すぎた。本当に・・・。やはりまだ現役だったからかな?とふと思う。今回の写真の私はなんだかとても明るくて、嬉しそう・・。やはり、あそこから逃れることが出来たからか・・???そう、今回の免許証は例の今年1月から始まったICチップ入りの最新のものだ。4桁の暗証番号が2つ必要だったことには驚いたが、これで少しでも犯罪が防げればいいと思う。あと証明写真ではないのだが、私のマッチングの写真は本当に最悪だったこと、思い出した。しかし、今のパパと一緒になったときの写真は気合を入れて写真屋さんで実費を払い撮りに行ったせいか、なかなかよく写っている。(と思う)これはなぜか、パパがまだ取ってあり、手元にある。歳を刻んだことを一番リアルに、また客観的に今の自分を映し出すものの一つに写真があるような気がする。こういうことを気にし出したということは、やはり歳をとって来たと言うことかしら・・・。
2007.02.16
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日にちは言えないが、つい最近、とうとう私もまた一つ年を取ってしまった・・。娘はよくよく覚えていてくれて、おっせかいにもカレンダーに大きくかわいいシールと共に書き込みをしてくれ、人に会う度に「ママの誕生日だよ~」なんて何日も前から宣伝をしてくれ、言われた人も明らかに義理的に「おめでとう~」と言ってくれ、とても恥ずかしい思いになっていた。ちっともめでたくは無い年齢になってしまったという思いもあり・・・。2月になると自分の誕生日ももちろん意識するが、ある人達の誕生日も2月だった為、信者だった頃は御生誕日として、強烈に思い入れを感じていた。あの人たちのお誕生日は旧暦扱いなので、毎年日にちが変わるがほとんど2月である。そして過去、現役だった頃、私の誕生日と重なった年もあり、感慨深く感動的に過ごしたこともある。恥ずかしいことなのだが・・・。さて、今年はもう離教して大分経ってきたし、引越しをしたため、関係者から一切の連絡を絶つこともできた為か、生の情報は全くといっていいほど入ってこないし、ほとんどUC関係の現在の様子はわからない状況である。ネットで調べる気になれば調べられるが、興味が全く湧かないし関心もなくなってきているので、そういう気にもなれない。よって、今年は何日があの方達のお誕生日になっているのかもわからない。でも自分の誕生日に近いことは確かで、ふと、今年もお誕生日会を盛大にやるのだろうなあ~と考えていた。そして2月12日、実家に預けた娘を迎えに今回は珍しく、(行きに車で行き、その車を実家に置いて来てしまった為)電車を使った。途中から乗ってきたある若い(と思われる、おそらく独身、しかし年齢不詳)女性が私の隣に座ってなにやらパンフレットを見ている。何気に見ると・・、それはあの人たちのお誕生日会(要するに御生誕日の祝賀大会)をとあるホールで行うプログラムであった。やっぱり今年も開催したのだ。相も変わらず・・・。彼女はまさか隣に座っている中年の女性(私のこと)がまさか元食口で国際家庭で祝福2世と(彼女が)信じて止まない子供がいることなど思ってもみなかったとは思う。気にせず、堂々と熱心にパンフを見ていた。見るからに変わっている・・。服装、髪型・・、かもし出す雰囲気・・。私も以前はこうだったのか・・。そうだと予想できる。恥ずかしい思いがこみ上げてきた・・・。私は確かに狂っていたのだ・・・。変だった・・。しかし、それを全く自覚していなかった・・。それどころか、誇りにさえ思っていたのだ。私は彼女の隣に座りながら、娘から預かりお世話を頼まれた”エンたま”と”うらたま”と”たまスク”の3つのたまごっちのゲームをピコピコ音をさせながらやっていた。熱心にUCの情報誌を読んでいる彼女を尻目に・・・。かつての自分を見るようで、いたたまれない複雑な気持ちをかき消すように、ゲームに没頭しているふりをした。あの方たちのお誕生日がいつだったかは全く関心は無い。私はまた一つ年を取ってしまった・・。その事実。このことに多大なる関心がいってしまう。ああ~、もうこれ以上年は取り無くない・・。若くなりたい~!少しでも若くありたい・・。子供もまだまだ小さいから特にそう思う。昔と比べ晩婚になったとは言え、娘と同じくらいの年の子を持つママはだいたい私より7歳から10歳若い。そのくらいのママが一番多い・・。これが現実である。娘にはもし、結婚をしたいのなら、早く結婚することを推進しようと思う。いつまでもいつまでも若くありたいと願う。この願いは女性特有の願望なのだと実感しているこの頃である。
2007.02.14
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以前にも書いたとは思うが、娘はめったに私から離れて泊まった事がない。しかし、私が仕事を始めてから、1週間のうちほとんど我が家に私の父が泊りに来なければならないのはお互いに大変だとは思う。特にパパにとってはいくら昼間仕事でいないといってもやはり嫁の父親がほとんど帰宅すれば一緒というのは精神的に限界状態になってしまった。娘にとってもあまりにも私の父のことが大好きになりすぎて一瞬でも離れたくなくて、習い事やその他の重要なことが疎かになってしまって、良くない状況にもなってきたので、どうしようかと悩んでいた。今現在、私の仕事ことと子育ての両立をどうしていったらいいのか・・ととりあえず、パパと娘と私で考え中で解決はついていないのだが・・。このままでは良くないという結論にはなった。そして3人で家族会議を開き、家族が団結しなければならないということで一致した。そんな中、連休があるので幼稚園も習い事もその間休みだし、諸々の用事も実家の方で控えているし、そして私もこちらで仕事があるということで、連休中は娘を実家の方に泊めることにした。よって、只今娘はいない。また淋しい夜になる・・。私にとって娘は本当に大きな存在である。娘と別れて歩いている道中、ついつい娘への恋歌を勝手に即効で作詞作曲し、口ずさんで帰路に着いた。本当に自分でもあきれてしまう。しかし、その思いには親としての責任がずっしりある重たいものでもあるのだが・・。いつもは一人で我が家をにぎわせてくれる娘が傍らにいるのだが、今現在その娘はいない。私の心にぽっかりと穴が空く・・・。
2007.02.10
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昨日見た夢はとても怖い、リアルな夢だった。夜中にうなり声に近い寝言をつぶやいたのを自分でもわかり、目を覚ました。実際今朝、いつものように娘を挟み、一緒の部屋に寝ていた父に開口一番に聞いてしまった。父も私の苦しそうな寝言を聞いていて、相当のストレスが掛かっているのでないかと介護の仕事のことをさして言った。きっと心が悲鳴をあげているのだということを言っていた。そして父も未だに現役で仕事やっていたときの仕事を失敗した夢を時々見るらしい。一時定年真近の頃、相当仕事によるストレスがあったらしく、精神的に追い込まれ、大変な時期があったらしく、そういう状態を理解できるらしい。そしてなぜ、そんな(←介護)仕事をあえて選ぶのだとまたいろいろと言われてしまった・・。確かに肉体的にもそうだが、精神的にもかなりきているとは思ってはいるが、決してその原因は仕事のことだけではないということは十分承知している。確かに生活一般に相当気を使っているし、使わなくてはならないし、それは私のありとあらゆる関わる環境すべてに対してといっていいほどで、今現在は神経が休まっている時がないのかもしれない。またそういう自覚もないほどに、めまぐるしいのは確かである。この間もふと自転車の後ろに娘を乗せている時に、なんとなく、脳みそがみしみし音を立てたかと感じたことがあった。昨夜の夢は本当に怖かった。3~4人の人物が出てきて、大抵女性だったけれど、どういうわけか私の目の前でいろいろな自殺の仕方をするのである。ある人は高いビルから突然飛び降りて、私の目の前で自殺を図り、道路の上にぐしゃりと音を立てて落ち、その後私を追いかけてきて、私にどうにかして殺人の罪をかぶせようとする。ある者は交通事故を引き起こしそれも私に罪をかぶせようとして、執拗に追いかけてくる。逃げても逃げてもすぐに追いつかれてしまい・・。その繰り返しだった。本当にリアルな夢で、夢でよかったと思う内容だったし、夢見がひじょうに悪かった。表現が気分が悪くなってしまう内容でこの文を読んで不快な気持ちにさせてしまっているかもしれない。そうだとしたら、本当にごめんなさい・・・。本当に気持ちが悪い夢だったし・・、とにかく目が覚めてよかった。ちょっと神経がオーバーヒートを起こしているなとは感じるのだけれど、ほとんど無自覚なのだ。しかし、確かに悲鳴を上げているのかもしれない・・。なんとか工夫をしていろんな形のストレス発散方や癒しをしていけたらと思う。そして今の現状をどうにか乗り越えていきたい。
2007.02.08
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娘の幼稚園は他の幼稚園に比べ、多くの行事と、父兄が関わらなくてはならないことがたくさんある幼稚園であることで有名らしい。そして預かってくれる時間も短く、おまけに保育料も高い・・。しかし、先生方はきちんとしているので、その点は安心である。まあ、編入しなければならなかったので選択する余地と調べる時間がなかった為、仕方がなかったのだが。実は昨年の5月に県を跨いでの引越しをした為、幼稚園はもとより、娘の習い事の教室もすべて変えなければならず、すべてが一からの出発であった。そして、今までも子育てに入りながら、引越しは何回かしてきたが、本当に地域によって全くといっていいほど、さまざまな相違があることにそのたびに驚いてきた。ましてや子育ての世界はその違いが愕然としていて、時に同じ日本か・・と思うほどである。それは行政的なことはもちろんのこと地域性から来る、人柄もそうである。付き合い方も変わってくる・・。私の今までの経験からすると、3年経ってようやくその土地のことがわかってくるという感じだと思う。そこに住んでいる人たちにもなれてくるというか・・・。今、私は全く新しい土地に住んでこの地域のことを学んでいる最中である。全くわからない・・・。もちろん、知り合いなどいるはずもなく、とにかく、始めの3年は忍耐だと思いつつ・・。娘も大変だとは思う。知らず知らずにストレスは抱えているとは思う。娘にはこういう経験が大人になってからの肥やしになってもらえたらと思う。親の密かな願いとして、本当は世界を飛び回る仕事をして欲しいと思っている。そのくらいたくましい人間に育てたいと思っているのだが・・。どんな環境でもたくましく生きていく力を身につけさせてあげたい・・。私はつるむのが大嫌いである。娘にもそうなって欲しくは無いと思っている。今、いよいよ本格的に幼稚園の謝恩会の打ち合わせや練習に入った。どこでもいるとは思うが、本当に、癖のある人はいるものだ。時々、あまりにもばかばかしくて、ふ~っとタメ息をつきたくなるときがある。しかたがないけれど・・・。正直あまり関わりたくない・・。より意識が高く、人柄がいい人と関わりたい・・。これは本音である。人生常に勉強だとつくづく思う。人との付き合い方も・・・。どうしたら、自分も磨いていけるのか・・。向上していけるのか。人としての魅力を備えた人になりたい・・・。そして人との付き合い方ももっとスマートにそして時には熱く・・。魅力的な女性になりたいものである。そして私は私でいたいものである。私というものを出しつつ、人との付き合いをきちんとこなしていけたらと思う。
2007.02.06
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最近またやけに忙しくなってきてしまい、ばたばた状態・・。家族のこと、幼稚園関係の行事(これがまた他の幼稚園よりたくさんあるそうで、卒園もあるので輪をかけて忙しい。特に今は謝恩会の準備の真っ只中)娘の習い事(結構たくさんやってる)・・、そして介護の仕事・・(そして恥ずかしながら、)主婦業(も書いておこう)などなど・・。メールの返事もしてないし、皆様のブログも読みたいし、コメント書きたいけど書けないし・・、返事もできない・・。すみません~。そしていつもありがとうございます・・。なんとか時間を作りたいです・・。とりあえず、これだけ書いて、これから1ヶ月ぶりのバレエに行ってまいります~。今年の初ダンスです・・。
2007.02.05
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自分の本当の気持ちになんとなく、ふと気付く。私は両親に対し、何を求めているのか、私はどうしたいと思っているのか・・・。結局、接し方がわからないのかもしれないということ・・。それはきっとお互いに、そうなのかもしれない・・。もともとかなりの相違があったには違いないのだが、やはり20年間対人間関係を全くと言っていいほどせず、断絶状態という形で、唯一UCのことの問題だけで接触するしかお互いになかったその期間・・。唯一UCのことだけというのは、私側からしてみればそれは氏族復帰、いわゆる両親をなんとか協会員にしなければならないという観点だったし、親からしてみればいかに私をやめさせるか、もしくは縁を切るかという闘いだったと思うし、それしかお互いの接点はなっかたという悲しい事実の20年間であった。そういう関係しかその間できなかったということはもちろんそれまでの人間関係もよくなかったということなのだが、せめて、どうやって接して対したらいいかぐらいは本来ならばもしかして把握できていたかもしれないとは思ってしまう・・・。私は正直両親のことが全くわからない・・。それはどう接していいのかということにも大いに関係してくる・・。そしてきっと両親も私に対しそうなのかもしれない・・とふと思った。これは夫婦としても親子としても機能はしていないし、家族として弟も含め今まで成り立ってはいなかったし、今現在も成り立ってはいないのだろう・・・。私はただただ、今後どうやって両親と向き合っていったらいいのか、どう付き合っていったらいいのか、それを知りたいだけなのかもしれない・・。ただそれだけなのかも・・・。そのためにいろいろと知りたく思っているような気がする。両親の人となりを・・・。特に母親を・・。それ(UCにいたこと)だけが原因ではないとは思うが、やはり失われた多くの時間の重みを感じる。
2007.02.01
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