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悪魔の下回り(著者:小林信彦|出版社:文藝春秋) 1980年に「週刊文春」に連載されたもの。 20年後の今読むと、風俗小説に思える。 書かれたその時点のことが取り上げられ、シャネルズの事件が会話の中に出てくるが、知らなければ架空のグループの架空の事件と思われるだけだ。 また、「森の詩もよろしく」というCMの台詞など、関東に住んでいた人にしか分からないはずだ。 実験的なのかどうか知らないが、作者が顔を出したり、66ページから67ページのプロレス技を並べ立てるギャグなど、初めのうちは書きぶりに落ち着きが感じられない。週刊誌への連載だが、読者は間を一週間おいて読んで、ついていけたのだろうか。 職業を変えてからは落ち着き、安心して読める。 文芸界の裏面については、作者はよく知っていることなのだろうが、特定のモデルがいて書いているのではなく、登場人物は完全な創作だろう。 評論家への目は作者自身のものではあるだろうが。 筒井康隆が書くと『俗物図鑑』になり、小林信彦が書くと『悪魔の下回り』になる、ということか。 最後になって、なるほど、そうだったのか、と思ったが、ちゃんと伏線は張ってあって、作者の技量に感心した。
2001.05.28
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メルヘン誕生(著者:高島俊男|出版社:いそっぷ社) 向田邦子と高島俊男とは不思議な取り合わせだなと思ったが、著者には、実は深い思い入れがあったのだった。 向田邦子に対しては思い入れがあるのだが、かといって、書いたものをみなほめるわけではない。むしろ、欠点を指摘している部分が多い。 最初は、向田邦子の文章の分析で、「古風の魅力」と題して書き始める。 その文体をほめているので、その調子でほめ続けるのかと思ったら、次は「安易な一面」で、言葉遣いの安易さを指摘し、「かなり投げやりな、粗雑なところもある」と言い切っている。 もちろん、その具体的な例を挙げるのだが、言われてみればたしかにズボラな面もある。 言葉のつかいかたから始まって、だんだん、その内容のいい加減さも明らかになっていく、という趣向である。(ただ、この配列は編集者の案によるものであり、著者は、文章の分析は最後に置くつもりだったと、「あとがき」にある。) まずは随筆を取り上げているが、評価は厳しい。「この「鼻筋紳士録」は全体が愚劣である」(p63)とまで言っている。 随筆でも小説でも、つじつまの合わない点、不自然な点は多く、それを一つ一つ指摘し、向田邦子は、社会的なことは何も知らず、よく調べもせずに書いているということを明らかにする。そんなに欠点の多いものなら読む気がしないか、というと、そうではなく、読まずにいられず、読み返さずにいられない。なぜそれほどまでに向田邦子に惹かれるのか、ということは、巻末で述べられるが、向田邦子を語ることは、自分自身を語ることなのだ。 さて、書名の『メルヘン誕生』とは何かというと、向田邦子は、『父の詫び状』などに書いた家庭を、意識的にメルヘンとして作り上げた、ということである。 随筆だから本当のこととは限らない。創作が混じっていることもある。 向田邦子は、自分の家庭しか知らなかったために、それが特殊なものだと思いこんでしまっていたために何でもないことに特別な意味を持たせてしまっている。「背景となる当時の社会や、その社会のなかでの自分の家の位置づけについては知らなかった。」(p103)のである。 また、話に都合の良いようにフィクションを交えているというのである。 理性的に読めば、つじつまの合わないところがあり、そういうところを、「この一段などは、ことごとくフィクションだと言ってよい。」(p96)と断定する。その断定には説得力がある。言われてみれば確かに変なのだ。 しかし、メルヘンとして作り上げられた家庭(とくに父親)は、広く読者に受け入れられる。それを、高島俊男は、「向田邦子の誤解と読者の誤解との、幸福なひびきあい」と表現している。(p109) 社会状況、学校制度など、高島俊男の知識は、その中で育ってきたということもあって広範で、感心するのだが、眉を「細くする」(p187)が理解できなかったりして驚く。もっとも、「眉の間を細くする」とも読めるので分からなかったのかもしれない。 最後に、高島俊男らしいところと、らしくないところをあげておく。 「母と一緒にリュックをかついで買出しに出掛け」とあるが、リュックはかつぐものではない。 「負けがこんでいる時で、もう上空にはP51の姿があった」とある。麻雀や花札ならともかく、戦争に「負けがこむ」はない。戦争は一ぺん負けたらおしまいである。(p188) 「何も語らずいっさいを胸に秘めたまま死んだという人は、むしろめずらしい人とされる。」(p177) この文章は、まるで新聞記者のようだ。どこのだれによって「され」ているのかさっぱりわからない。
2001.05.22
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八犬伝の世界(著者:高田衛|出版社:中央公論新社) 『八犬伝』の世界は、どのように構築された世界なのかを解き明かす本。 名前に込められた意味(名詮自性)、取り入れられた信仰、曼陀羅とのつながりなどが明かされていく。 馬琴は最初から一定の意図のもとに世界を作り上げ、完結に至るまでに二十八年の歳月をかけているが、書き始めたときにすでにすべてが頭の中にあったらしい。 その、馬琴の頭の中にあったのはこういうことなのだ、と説明してくれる本なのだが、説明するには、馬琴と同程度の知識が必要なわけで、著者の研究と、新しい視点から読み直そうとする態度には感心させられる。 今まで知っていた八犬伝というのは、八犬伝のほんの一部でしかなかったようだ。 いつか『八犬伝』をちゃんと読んでみようか、という気にさせる。
2001.05.16
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周平独言(著者:藤沢周平|出版社:中公文庫) 藤沢周平の随筆集。 何事も淡々と語る。 個人的な体験談や好みについて語るところが多いが、冒頭に、「時代のぬくもり」という章を建て、歴史上の人物や事件に関する自分の所感を述べている。 考証、というような大げさなものではなく、自分はこう思う、こういうところに心を引かれる、という書き方なのだが、歴史というものについて普段からよく考え、調べていることがよく分かる。 とくに一茶に関する文など、一茶像が自分の中で変わった体験を、書いているのだが、それは、著者の、一茶に対する評価の転換でもあったことがよくわかる。 藤沢周平がどういう人物か知りたいと思う読者もいるだろう、ということで本にまとめた、ということだが、確かに、藤沢周平の小説を読む人でなければあまり面白くは思えないだろう。 自作について語っているものはほとんどないのだが、小説と同じ雰囲気が感じられるのだ。
2001.05.10
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漢字を語る(著者:水上静夫|出版社:大修館書店) 漢字については、目次にも「字音」が先行、とあるように、字形よりも音を重視している。 漢字の成立に関して、「単なる仮借(かしゃ)の使用である」(p55)とあって驚いたが、後で、六書の説明を説明しており、転注については、今までに読んだ本の中で最もわかりやすかった。 それによれば、「転注」とは、意味は変わっていないのに異なる発音が生まれたときに、新しい字形が作られる、ということで、字形は違っても意味は同じである、ということだ。 わかりやすいところもあれば、わかりにくいところもある。 踊り字のところで、『詩経』の「適彼楽土」という句は、それぞれの字の後に踊り字があったと考えれば詩意が明らかになる、と述べているのだが(p196)、この部分、なぜそうなるのか理解できない。 また、枕詞の「あおによし」の考察で、「ナラ」が朝鮮語で都や国を表す語だったためだ、と述べているのだが、これは、上代や中古の文学の専門家ならずとも、知っていることではなかろうか。 さらに、ハングルで表記しているところが、そこだけ横書きになっている。ハングルは縦書きもできるのだから、縦書きのままの方がわかりやすかった。 「北辰」は「北極」であって「北極星」ではない(p94)など、総じて、漢学というものにたいしては否定的で、きちんと字義や正しい解釈をわきまえていない、と嘆くことが多い。 説得力のある本ではあるのだが、すべて著者が正しいかどうかは疑問が残る。 「文」という字の字源として、「本義は襟元で衣服が交錯して美しい意である」と述べているが、胸の入れ墨と説く本もある。 漢字に興味のある人は、阿辻哲次などの本もあわせて読んだ方がいい。
2001.05.01
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