ふさの国から 晴走雨読パパの日記帳

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2025.11.16
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テーマ: 日本史(1745)
カテゴリ: 読活(読書)
七年に一度のご開帳に合わせた当時のコラムを読むと、善行寺について知らなかったことがたくさんで、
へえーと感心しきり。
誰かに言いたくてたまらないことばかりだったので、ここに記録しておきたい。

まずは由来。
仏教伝来時(538年もしくは552年)の蘇我氏と物部氏の対立で、廃仏派の物部氏が「一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい/いわゆる善行寺如来)を難波の水路に投げ捨てた。
これを信濃の住人・本田善光が引き上げて、長野市の今の場所に祀ったのだという。
なんと、日本最古の仏像!日本仏教の原点なのだ!

さらに、時が下って戦国時代。
激闘の川中島の戦いも善光寺争奪戦の意味合いもあったのだとか。

武田家滅亡後は、信長から秀吉と天下人が善光寺如来を保持し、京都方広寺の本尊でもあったのだという。
なんとも、歴史の表舞台をさまよってきたのである。

そして、長野に戻った善光寺如来は、浅間山の大噴火とそれに続く天明の大飢饉による、民衆の苦しみの中、当時の住職・等順の民間救済の取り組みにより、民衆の善光寺信仰が一気に拡大したのだとか。
「牛に引かれて善光寺詣り」はこうした世相の中、生まれた伝説である。
小諸の老婆が川で布を晒していると、牛が布を角にひっかけてどこかに行ってしまう。
老婆が牛を追いかけると善光寺に至り、夢をみて改心するという話。
信心あるものは、すべて救済するという善光寺如来らしい話だ。

家族旅行で善光寺に行ったのは2016年。もう10年近く前のことだ。
事前にこんな話や歴史上の関わりを知っていたら、善光寺詣ももっと楽しく奥深いものになったに違いない。背景を知っているかどうかで、旅は、もしかしたら人生はより豊かになるのだ。






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Last updated  2025.11.16 08:29:55
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